コメディ・ライト小説(新)

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透明な愛を吐く【短編集】
日時: 2019/07/16 00:17
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel2a/index.cgi?mode=view&no=4705

 
 この透明な指先で、君への透明な愛を綴ろう


***

こんにちは、またははじめまして。
あんずと申します。

明るい話から暗い話まで、何でもありの短編集です。続きやおちはあったりなかったりします。
更新速度は遅めですが、楽しんで頂ければ幸いです。

*お客様*

 *Garnet 様
 *一青色 様
 *いろはうた 様
 *友桃 様

2016年4月9日 執筆開始


*目次(予定含)*

▼透明な愛を吐く >>008

▼青い記憶に別れを >>004

▼君の消えた世界で >> ???

▼悪役と手のひら >>006

▼春を待つ、 >>007

▼降りそそぐ、さようなら >>009

▼向日葵の揺れる >>012

▼水飴空 >>015

▼星の底 >>016

▼憧憬 >>017

▼COMMUOVERE >>019

▼HIRAETH(未完) >>020

▼前略、親愛なる彼方あなたへ >>021

***

*その他*

▼2017.11 旧コメライ板よりスレッドを移動しました。

▼2018.3.18 #1推敲版を再投稿しました。

▼2018.3.28 #3を一時削除中にしました。

▼2019.7.14 #13を修正しました。

▽2018. 夏の小説大会にて金賞を頂きました。
 

Page:1 2 3 4 5



Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.2 )
日時: 2016/11/04 23:59
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6

>ガーネットちゃん

こんにちは!
ガーネットちゃんが1コメです!ありがとう!

白銀の小鳥はとっても思い入れが深い、大切な作品なので私自身寂しいです。
それでも、これからもこちらで皆さんに楽しんでいただければ嬉しい…。

こっちはのびのびと、割と自由に書いていきたいと思います。頑張ります!

いつも色々とありがとう。

コメントありがとうございました!

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.4 )
日時: 2016/05/12 00:11
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6

#2 『青い記憶に別れを』



『結婚することになりました』


そんな言葉と共に添えられていたのは、一通の招待状だった。可愛らしいレースの飾りがついたそれは、花嫁のドレスを連想させるような純白。

木川結衣様、紛れもなく私に宛てられたそれを見た瞬間、ひどく胸が苦しくなった。見たくなかった、こんなもの。
手紙を持つ手が震えて、滲む。


***


私達は友達だった。それは事実だ。

けれども側で見ていた友人たちは、私達が付き合っているのではと疑っていた。あるいは、両想いであると囁いていた。

それもおそらく、間違っていない。


私達は友人というには近すぎて、恋人というには遠かった。
好きか嫌いか、そう聞かれたら迷わず好きと答えただろう。けれどそれはどうしても、恋愛にはならなかった。というより、なれなかったんだ。
私達はひどく臆病で、鈍感で、勇気がなかったから。


登校中に会ったら、一緒に学校まで行く。お昼はたまに一緒に食べる。休みの日には遊びに行ったりもする。漫画や小説の貸し借りをしたり、勉強を教え合ったり。

周りから見ればそれこそ親友で、もしかすると恋人で。
けれど私達は友達だった。少なくとも私と彼の間では、そういうことになっていた。



だからあの日もそうだった。

夕日に照らされた教室、どこかから聞こえる卒業式の歌、一足早く落書きで埋まりつつある黒板と。
二人の影が長く伸びるその部屋で、いつものように彼と他愛もない話をしていた。それから、明日の卒業式の話も。

その話題もいつしか尽きて、立ち込めた沈黙の中でふと見上げた彼の横顔。
その顔は本当に見飽きるほど見ていた顔で。それなのに寂しそうで――――ただ、綺麗だった。



その日は彼とそのまま一緒に帰った。ばいばい、見送る背中も、手を降る影も。それが最後だった。

卒業式はいつの間にか終わってしまって、私は。





そのまま。何も言えないまま、私は今ここにいる。

 
ねえ、あなたはどうだったのかな。私にとっては、やっぱりあれは恋だったよ。近すぎて、眩しすぎて、気付けなかったけれど。あの時の私には、あの感情が恋だったのかさえ分からなかったけれど。

それでも、今ならわかる。わかってしまう。あの、触れるのももどかしいほどの感情は。夕日に照らされた君が、お世辞抜きで輝いて見えたのは。

どうしようもなく、恋をしていたからだ。

……うん、それでもわかってる。きっと心のどこかで私は知っていた。あの時もきっと、無意識にわかっていたのかもしれない。私はずっと、君が好きだった。


「変なの」

今更胸が痛むなんて、変なの。くしゃりと手の中で手紙が潰れる。その白が、彼の今の幸せの証。私が掴めなかった、彼の幸せだ。


自惚れじゃなければ、彼と私は多分両思いだったんだろう。
けれど、お互い言い出せずに卒業してしまった。そのままなんとなく、連絡も取らなくなった。知らなかった。彼がもう、こんなに離れてしまったこと。

私を結婚式に呼ぶなんて、つまりはそういうことだろう。彼はもう私なんか気にしていない。
私だけが今頃後悔している。いつの間にか私の恋は、高校最後の年で止まっていたみたいだ。

「馬鹿だなあ、私」

取り返しがつかなくなってから気づくなんて、とんだ馬鹿だ。
そっと手紙の封を開ける。丁寧な文字で書かれたそれは、よく知っている彼の字だった。



「……あ」

そして私は、見つけた。差出人である彼の名前の隣。そこに走り書きされた、小さな言葉を。
くしゃり、またもや手紙が潰れていく。視界がぼやけたかと思うと、紙のインクが滲む。いつの間にか、頬を涙が伝っていた。




泣き終えた私は、手紙のしわを手のひらで丁寧に伸ばした。ばーか、と彼を心の中で罵りながら。ばか、あほ。あんたなんか嫌いだ、大嫌い。なんて。

「ばーか……幸せになってよね」



元通り綺麗に封筒へ戻す。さて、これから服を探さなければならない。けれど結婚式用の服なんて持っていない。どうせなら買ってしまおうか。悔しいから少し奮発しようかな。

彼を驚かせてやろう。綺麗になったと言わせてやろう。そうすればそこで、私の恋も終わりだ。だから、彼を心の底から祝福しよう。



『ありがとう、結衣』



手紙の端に書かれた言葉。身勝手なやつだ。ありがとうなんて、私はそんな礼を言われることなんかしていない。そういうところが嫌い。

「…………ふふ」

なぜか笑みがこぼれた。けれど一緒に涙も滲むから、よくわからない。ひどくおかしくて、悲しくて、それでも。



幸せにならないと許してやらない。そう言ったら彼は何と言うだろう。困ったように笑うだろうか。それもいいかもしれない。

さっそく準備しよう。うんと綺麗にして、パーティー用の、私にあったドレスを着るんだ。花嫁が霞むくらい、なんてそれは冗談だけど。少しだけなら許してほしい。これは私の区切りだから。




そっと開いた携帯の画像欄。そこに変わらず笑っている彼と私がいた。もう一度だけじっと眺める。まだ制服姿の、少しだけ青い私達。

「……さよなら」

消去ボタンに触れる手が、少し震える。それでも勇気をだしてみる。さよなら、私達。さよなら、あの日の幼い恋。


最後に深呼吸をひとつ。



さあ、ドレスを買いに行こう。


Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.6 )
日時: 2018/02/19 23:56
名前: あんず


 
#4 『悪役と手のひら』
 
 
「問おう、君の勇気を」

 つけっぱなしのテレビから、その言葉だけが耳に飛び込んだ。目を上げた先の古そうな外国映画。微妙に雰囲気の合っていない吹き替えの声がリビングに流れている。色褪せた画面、主人公と悪役が戦っているらしい。安っぽい、昔のアクション映画だ。
 薄暗い部屋の中そのテレビだけが光源で、チカチカと頼りない。棒読みに近い俳優の声が耐え難くて音を消した。パクパクと、声を失くして口を動かす姿が滑稽で白々しくて目を逸らす。
 リモコンを掴んだ私の手はまだ震えていた。

「あーあ」

 手に持つリモコンを放り投げる。ガシャンと硬質な、重たいものが落ちる耳障りな音がした。壊れたかな、まあいいや。足元にころころと単三電池が一本、転がってきた。それを今度は蹴飛ばして、はあと溜息をつく。なんだか無性に落ち着かない。
 倒れている目の前の男を見たくなくて、片目を瞑って視線を落とす。左手は震えたままだ。その先にある台所包丁も、まるで腕の延長みたいにぴったりと握りこまれて震えている。離そうとしても手の力が抜けなくて、自分の体なのに変な気分。頭ばかりが冷静で、空いた右手でダイニングテーブルの上のスマホを開いた。ホーム画面に並ぶ目の前の男と私の写真。楽しそう、不愉快なくらい。あとで絶対に変えよう、ついでに写真も消してやる。イライラしながら、電話帳の一番上、見慣れた名前を指で弾いた。

『もしもし?』

 数コールのうちに出た彼女の声は不機嫌そうだった。多分今もパソコンを睨みつけながら、タバコを吹かしているんだろうな。ここにまで紫煙の香りがしてきそうなくらい、それは容易く想像できる。咳き込みそうなくらい煙たくて、苦くて少し甘い彼女の煙草。

「私、あいつのこと殺しちゃったよ」 
『そっか』

 そっけない返事。仮にも人を殺したと宣言した人間に放る言葉とは思えない。思えないけれど、この女はいつだってこういう奴だから仕方ない。今、目の前で倒れている男が遂に薬に溺れたときも、酒に溺れたときも、この女の反応はこんなものだった。世間話をしているときの方が、もっとまともな言葉が返ってくる。

『それで?』
「……え」

 答えに詰まった。何て言えばいいだろう、どこまでこの女は私を許してくれるだろう。
 電話越しにカタカタとタイピングの音が聞こえてくる。音が変に大きくて鋭いのは多分、彼女のネイルの施された長い爪が、キーボードに当たっているからだ。私は想像する。彼女はスマホを耳と肩で挟みながら、しかめ面でパソコンの画面を見ている。そして紫のラインの入った、あのけばけばしいケースから煙草を取り出して火を付ける。深く吸い込みながら、また画面を見つめる。あの煙草の銘柄は何だったか、もう忘れてしまった。

『逃げるんでしょ?』

 逃げるの? どこに? 私が聞き返したい。でも彼女の中では、そういうことになっているらしい。さも当然というように彼女は返事を待っている。多分、煙草を深く味わいながら。
 逃げる? もう一度床を見回した先に、倒れ伏した男と濃い鉄さびの匂い。ドラマのワンシーンみたいだ、私は別に俳優ではないけど。ましてや私は、探偵や刑事じゃなくて犯人だけれど。非現実感ばかりが漂うこの部屋は、私がこの手で作った。そうか確かに、こんな状況じゃ自首するか逃げるか、そのくらいしかすることがないかもしれないな。だからといって自分から警察に行くのも、何だか億劫だった。

「……うん。逃げるよ」

 そっか、と少しだけ安堵したような声がした。少しだけ電話越しの声がやわらいだ。
 震えの止まった手から包丁を放したら、ガシャンと随分甲高い音。思わず顔をしかめる。うるさい。大きな音だったから窓を見やったけれど、カーテンを締め切ったそこにはもちろん人影はない。

『じゃあ今からそっち行くから。家でしょ?』
「うん」
『ちゃんと準備しててよ』

 準備? 聞き返す前に、ヒステリックに回線は途切れてしまった。全くせっかちだ。そんな場合でもないのにいくらか彼女への悪態をつきながら、棒立ちだった足を踏み出した。あまりにもじっとしすぎて膝が痛い。
 よろめきながらキッチンの水道を捻ると、水が勢い良く流れ出した。手に張り付いた血はまだ乾いていないまま、簡単に流れ落ちた。綺麗になった手を石鹸でこする。痛いくらいに。きっと、こんなに洗ったって警察が調べたら一瞬で分かるんだろうな。ドラマでよく見る、あの血を見つける検査みたいなやつで。でも綺麗に見えるから良いや。
 かかっていたタオルで手を拭って自分を見下ろす。所々に血が跳ねているけれど、別に驚くほどじゃない。コートを着れば十分だ。今が冬先でよかった。

 部屋に戻って、クローゼットの奥からボストンバッグを引っ張りだした。埃を被ったこのバッグを使ったのはもう随分と前。多分、高校の修学旅行。開くと、パンフレットらしきものが数枚散らかっていた。京都、とでかでかと印刷された文字。やっぱり。修学旅行のしおりだ。まだ捨ててなかったんだ、いつまでも片付けられないところは変われない。それでもなんとなくもったいなくて、よれたしおりを再びバッグに仕舞い込んだ。どうせならこいつも連れて行こう。

「着替え……何持ってこう」

 とりあえず下着と数枚の服を突っ込んだ。うまく入らなくて、イライラしながら無理やり詰め込んだ。それから、どうしようかと首をひねる。逃げるって言ったって。バッグを意味もなく引っ掻き回して、しおりを手に取った。パラパラとめくると、持ち物の書かれたページが目に入る。昔の私がつけたボールペンのチェック跡と一緒に。
 これでいいや。逃げるのも旅行するのも、多分やることにそんな変わりはないだろう。世の犯罪者の方々がどうしているかなんて知らない。でも一人くらい、彼女も入れると二人くらい。旅行気分で逃げたって誰も怒らないはずだ。
 昔やったみたいに一つ一つチェックをつけながら、ボストンバッグの隙間を埋めた。コートを着込んで、マフラーをぐるぐる巻いて、雪でも降りそうな空を窓から見上げた。

「いるのー?」

 玄関から耳慣れた声がした。重たいバッグを床において彼女を待つ。特に断りもなく家に上がり込む足音に、少しだけ緊張する。そして現れた、黒のコートと派手なネイル、少し濃いメイク。それに似合わず髪は真っ黒、纏っているのは甘い香水の代わりに甘い紫煙。キャバクラ嬢が、髪だけビジネスマンを真似て真っ黒にしたみたいだ。
 開け放したドアの前に立った彼女は、私を見て突然吹き出した。そんなに変か? 気に食わなくて自分を見下ろすと、手にはまだしおりがあった。二年三組、私の名前。どうやらこれで笑っているらしい。

「ねえあんた、あんたさ、それ見て準備したわけ?」
「……」

 派手な顔を睨みつけて黙ると、彼女は肯定と受け取った。一段と笑い声が大きくなる。沈黙はなんとかの証。日本語に八つ当たりしたって阿呆みたいだけれど、今は恨まずにはいられない。それにこの女の笑い声なんかで近所にバレたら、それほど馬鹿らしいことはない。

「あんたやっぱおかしいって。……それで? 殺したんでしょ?」

 どこ、リビング? 忘れ物でも探すみたいにあっけらかんとしながら、彼女は廊下へ出てしまった。マイペースにも程がある。細身の背中を慌てて追いかけると、リビングのドアはすでに開いている。そうっと覗くと、彼女は物珍しそうに部屋を見回していた。驚く様子はない。

「動いたらどうしようかと思った。死んでるね」
「うん」

 もうちょっと答えようがあるだろうに。彼女は特に気にするでもなく部屋を物色する。鉄さびの臭いと彼女の紫煙が混ざり合って、何とも言えず気持ち悪い。気を紛らわそうと映しっぱなしのテレビに目をやった。
 未だに主人公と悪役は戦っている。字幕に切り替わった画面の上、時折映る「勇気」の文字。勇気、勇気、ってなんなんだ。この主人公は正義感の塊なのかな。煩わしくて、悪役の方が人間じみている。

「冬でよかったね、寒かったら死体って腐りにくいんだよ」

 彼女の突然の声に振り向くと、ちょうどその手にあの包丁を握っていた。それからそっくり同じ場所に置き直す。得意げな顔をしている。何をしているか理解するのに、私の馬鹿な脳みそはたっぷり数秒を要した。

「これで共犯ってことで。いいでしょ」

 抗議をする前に沈黙が断ち切られた。怒ろうとして開いた口が、言葉を失くしてパクパクと動く。音を消した映画と何も変わらない、滑稽な私だ。そう思うと腹ただしくて呆れも失せてしまう。

「……捕まるよ」
「当たり前じゃん、共犯だもん。いいよ、私もこいつのこと大っ嫌いだから」

 それより逃げるんでしょ? 彼女は少しだけついた血をハンカチで拭うと、そのまま背中を向けてしまう。ずんずんと、来たときと同じように廊下を進む。なんなんだ、もう。慌てて部屋に置いてきたボストンバッグを引っ掴んで追いかけたら、彼女はすでにヒールの高いブーツを履いていた。足元にはキャリーバッグ。身軽に動くだとか、そんな考えは一切ないらしい。

 鍵をしっかり閉めて、マンションのエントランスを突っ切る。管理人のおじいさんが、行ってらっしゃいと笑う。行ってきます、といつものように笑い返して、足早に彼女についていく。多分、ここにはもう帰らないだろうけど。

「どこ行くの?」
「あんたが決めてよ。いいよ、どこでも」

 彼女はあの紫のラインの入ったケースから、煙草を一本取り出した。加えたまま火はつけない。私の答えを待っている。

「……京都」

 頭に浮かんだ地名をそのまま口にした。しまった。そう思うよりも前に、彼女の口から笑い声があふれる。苦しそうにヒイヒイして、甲高い声で高笑いみたいに。失礼なやつ。こんなことで怪しまれたら本当に、馬鹿みたいだ。

「いいよ、行こうよ、京都!」

 まだ笑いながら、彼女は駅へ向かう道を進む。我慢しようともせずに響く声がうるさい。こんなに大笑いしながら歩く私達は、やっぱり旅行にでも出かけるテンションだ。跳ねるように彼女が歩く。

「京都ったってさあ、お金あるの?」
「あるよ。それも割とね。私あんたと違って働いてるから」

 心配になって尋ねると、胸を張るように自慢気に返された。悔しい。でもこの女が意外にもきちんと働いているのは事実だし、私が働いていないのも悲しい現実だ。自分の薄っぺらい財布を思うと泣けてくる。

「まったく、あんたさ、あんな薬やってて暴力振るう男に捕まって馬鹿じゃないの?」
「……」

 説教じみた彼女の声がする。うるさいな。そう思うけど、こいつの優しさだってことくらい私にも分かる。耳を塞ぎたくても聞くべきかな。私は本当に馬鹿だけど、こいつはちゃんと真っ当に生きているから。つらつらと続いていく言葉は淀みない。もしかしたらずっと言いたくて、黙っていたのかもしれない。その言葉の中には私の知らない難しい言葉もいくらか混ざっていた。でもきっと、聞き返すのも無粋だろう。

「まあいいや。いくら言っても、殺したのはあんたの勇気だもんね」
「……そういうもの?」
「そういうものでしょ。あんたは勇気ある行動をしたんだって」

 あっけらかんとした声。

 ふと、あのテレビの吹き替えを思い出した。「問おう、君の勇気を」。正義感の塊の主人公。もし本当にあんな勇気を持った人がいたら、私は絶対に悪役だ。最後は倒される、それもいいかな。
 背中を追いかける。私も彼女も黙っている。遂にはっきりと死に顔を見ることのなかった、あの男を思い出す。あいつも私も絶対に悪役だけど、あいつにとって私は主人公だった。彼女曰く。私の勇気によってあの男は殺された。ざまあみろ。私の勇気は、あの男を倒すためにあった。それでいい。
 気分は清々しい。あいつに騙されて惚れたのは私だけど、それを終わらせたのも私だ。おめでとう私、今ははっきりと幸せだ。

 
 彼女の空いている方の手を掴む。黙って二人、手を繋ぐ。悪役の私達の手は、それでもこの寒空の下、熱いくらいに温かかった。

 
***
 
 雑談板の小説練習スレッド「添へて、」さんにて投稿した短編です。
 お題(一文)は「問おう、君の勇気を」でした。有難うございました!
 

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.7 )
日時: 2018/02/23 23:44
名前: あんず



#5 『春を待つ、』
 
 
 あの人は私を求めている。



 彼とはネットで知り合った。寂しがり屋で苦しそうで、どこか孤独なその人に。今どき珍しいかもしれない一昔前のチャット掲示板。流行りのSNSとは違う、微妙な言葉の距離が私達を隔てていた。返信までの数分間、数時間、あるいは数日。それが私には心地よかったし、きっと彼もそうだっただろう。
 
 寂しがり屋の私は、寂しがり屋の彼に惹かれた。

 類は友を呼ぶ、なんて言うけれど、私と彼の関係はそんな優しくて強いものではない。自然と寄り合ったというわけでもない。寂しいから、お互いを求めた。寂しいから、気持ちを確かめた。そんな弱くて脆い、どこか不自然なものだ。

 一人が二人いるだけ。
 
 薄暗い部屋の中、閉じこもったベッドの外から響く音。ぼんやりと耳を澄ませながら、聞こえてくる好きな曲の歌詞に、どこか納得してしまう私がいる。
 寂しがり屋の私達は、やっぱり同じくらい臆病だ。多分彼も私も、お互いを本当に信用なんかしていない。確信はできなくてもそう思う。彼以上に信用したい人もいないのに、私は彼を信じることができない。
 
 形だけ寄り添っただけ。静かに重ねようとしているだけ。心は融け合うどころか、触れ合ってさえいないんだ。

 
『会いませんか』
 
 そんな言葉がチャット上に更新されたのは、いつだっただろう。もう覚えていないけれど、特に驚くことのない私がいたことは知っている。ただ目を閉じて、一度だけ深呼吸をした。
 
 はい、とただ一言書き込んだ私の指は、それでも何故だか微かに震えていた。

 
 

 珍しく雪が降る日だった。都内の駅の、あの有名な忠犬の銅像の前。チャット画面に書き込まれた待ち合わせ場所で、私は彼を待っていた。
 
 昨日はまるで遠足前の小学生のように眠れなくて、そのくせ緊張で早く起きてしまったものだから、眠い目をこすりながら痛いほどの冬の寒さに身震いをする。きん、と音が鳴りそうなほど鋭い空気だ。
 
 周りには幸せそうなカップルが同じように待ち合わせをして、あるいは笑いながら歩いている。その背中を少し恨めしく思う。
 
 それにしたって、会えるのだろうか。私は彼のこと、灰色のコートに紺のニット帽だということしか知らない。それだけ分かれば十分だなんて思っていたけれど、よくよく考えてみればそんな姿の人なんていくらでもいる。思えば随分と適当な約束だった。というか、本当に来るのかな。
 
 顔も知らない相手を待つというのも、なんだか変な状況だ。なかなか来ない私の待ち人は、いったいどんな人なのだろう。
 
 ひっそりと想像してみようとして、やめた。そんなことをしなくたってじきに分かるのだし、何より私がここで想像した彼と、本当の彼があまりにも違ってしまったら――私は馬鹿で臆病だから――違和感で話せなくなってしまうかもしれない。
 
 そもそも私に待ち人がいるというだけで珍しいのだから、これ以上不安なことを増やすのはやめよう。そう思って、息を吐いた。
 
 

「寒いですね」

 不意にかけられた声に振り向くと、そこにいた。知らされていた、あのコートとニット帽を被ったひと。
 
 あっ、と声が出た。目を見開いた。この人だ、と思った。ブルーライト眩しいディスプレイ越し、いつも文字で言葉を交わしている相手。
 気づいた原因は、もちろん私に声をかけてきた、というのもある。でも違う。電流が走るみたいにビビッときた。恋に落ちるみたいに。もちろんそんな安っぽいメロドラマみたいなこと、全部私の頭の中の出来事だ。分かっている、そのくらい。
 
 彼が少し困っている。返事を待っている。私の口は相変わらずぽかんとして、まったく馬鹿みたいだ。
 
 ぱくぱく口を動かそうと焦るほど、私の頭はショートする。そうですね、と硬い私の声が遠くに聞こえた。

 ああ、雪のような人だ。
 
 それこそ、放っておいたらいつか見失ってしまいそうなほどに。線が細いわけでもないのに、そのまま輪郭が淡くなって溶け消えるくらい。普通の人のはずなのにそう見えるのは、彼の色素が薄いせいだろうか。
 
 透明度が高いと言ったら良いのだろうけれど、血色が悪いでもなく真っ白な肌は、まるで人ではないよう。ふわふわと舞う雪景色の中では、彼の色はあまりに薄い。

  
「行きましょうか」

 少し緊張気味に聞こえる彼の声に我に返る。はい、と返事をして、見つめたのは変だったろうかと少し頬が熱くなった。
 休日だからか人の多いその場所を、付かず離れず肩を並べて歩いていく。実際は彼の方がずっと背は高いから、私の頭と彼の肩が並んでいるんだけれど。
 
 事前に決めていたカフェまでの道程、話したことといえば他愛のない話。今日の天気だとか、人の多さだとか、そんな話。まだお互いにネット上での会話のことを言い出せなくて、必死に言葉を投げあった。なんとなく、そのことを話すのは、きちんとカフェで腰を下ろしてからにするべきだと思った。

 周りの人からはカップルに見えるかな、なんて考えてけれど分からない。キラキラとはしゃいで、街を横切っていく彼ら。けれど私達はあんなふうに幸せに輝いてなんかいないから、きっと見えないんだろう。
 
 一緒にいるんだかいないんだか分からない、二人の隙間を埋めないまま歩く私達は、知り合いにすら見えないかもしれない。
 
 
 
***
 
 
 
「寒いですね」

 もう何度目かも分からない同じ言葉が耳をくすぐる。その言葉は寒さとともにすっかり耳に馴染んでしまって、私の脳の奥までも震える。だから私は同じ言葉を返す。そうですね、寒いです、と。
 
 灰色の雲から落ちた雪は、けれども積もらず溶け消えた。このまま降っても地面がぐちゃぐちゃになるだけだろう。彼のコートに雪化粧。

 寒い、寒いと彼は言う。
 
 確かに刺すような冷たい日だ。けれど。そういうことではなくて、きっと。本当に寒いのは彼の内側なんだろう。心の何処かが寂しいから、冷たいから、紛らわすように言うのだろう。
 
 だから私も、同意してみる。私も寂しいから。寒いですねと、言ってみる。彼もそれを望んでいる気がした。

 それでもどんなに繰り返したって、寒さはいなくならない。寂しさもいなくならない。虚しさだけは少しずつ積もっていく。それは二人同じこと。
 寂しがり屋が集まったって、冷たい心が集まったって、結局温まりやしない。温まったところで惨めになるだけだ。分かっている。

 
 
 
「好きです」

 駅前の銅像前、再び戻ってきたその場所で、彼はそう言った。その声は震えていて、でも私にはその震えがどこから来るのか皆目分からなかった。何に怯えているのだろう。それは心の寒さからなのか、それとも。
 
 私も、好きです。
 
 気付けば返事をしていた。私も好きです、なんて。言ってから、しまったと思う。思うのだけれど、それはどうやら後悔ではないらしい。自分のことはよく分からない。
 
 嘘ではないのだ、この気持ちは偽りではない。確かに私には少しの好意があって、本当に僅かだけれど、私は私を裏切ってはいない。
 それなのに胸に溢れる寂しさはどうしてだろうか。

 それでも、彼が嬉しそうに笑うから。嬉しそうに、寂しそうに哀しそうに笑うから。だから私は突き放せない。間違っているとは思えない。
 
 この人は寂しがりやなのだなあ、とぼんやりと思う。彼は私を求めている、多分。私の気持ちが、私の心が、彼に向かっていることに安心しているんだ。分かっている、分かってしまう。だって彼は寂しがりやだから。そして私も、寂しいから。

 
 
「また、会いましょう」

 そう言い残して去っていった背中を、ただ見ていた。人混みにかき消されるまでずっと。離れていく背中に安堵して、やはり会うのは近すぎたのだと溜息をつく。私と彼は離れているからこそ、お互いにお互いのままでいられたのに。
 
 今まで文字で交わしていた彼と私の言葉は、多分これからも変わらないだろう。今日も明日も、私達は画面越しに会話をする。気持ちを確かめ合う。
 
 自分は誰かに必要とされているのだと、そう思い込むために。
 
 きっと微妙な距離が二人を隔てて、また心地いいぬるま湯に浸かる。変わらず返事を待ちわびながら、それでも変わってしまう何かを取りこぼしていく。出会う前を振り返って、私は多分後悔するんだろう。やっぱりやめておけば良かったんだ。
 
 顔を合わせるなんて刺激的すぎて、脆い私達を壊してしまう。



 一人残された雑踏の中、空を見上げた。彼の言葉を思い出す。好きです、って。そんな言葉、私が聞くことになるなんて。私が返すことになるなんて。そうやって灰色の空にこぼすけれど。

 好き、それは好意を伝える言葉。好き、それはいつか愛になるかもしれないもの。そして愛とは、心を満たすもの。温かいもの。歪んでいることはあっても、それでも人を強くするものだ。誰かの勇気足り得るものだ。

 私の心に溢れるこの気持ちは、到底温かいと呼べそうにない。冷たくて、重い。だからこれは愛ではない。もっともっと哀しいもの。


 多分彼にとっての私は、私じゃなくても良かったんだろう。誰でも良かったんだろう。彼は私が好きだというけれど、好いてさえくれれば、必要としてくれれば誰だって。

 結局彼は私の心を望んでいる。私の想いを愛している。自分へ向けられた感情とはなんて甘美なことか。だから器なんて、気にもしていないはずだ。だって私だったら気にしない。


 想いを伝えるのと、心が融け合うことは違う。と、私は思う。ああ傲慢だ。愛とは恋とは云々なんて、私に語れるほどの知識も経験も思いもないというのに。
 
 けれどそれでも、こんな浅はかな私にだって分かる。私達の心が重ならないことくらい。たとえば手を繋いでも、キスをしても、体を重ねたって、人間は一つに溶け合わない。だったら虚しいばかりじゃないか。なんのために、なんのために。思うだけ無駄なことを延々と考える。
 
 彼のことは頭から薄れていく。それでいい。このままもうずっと奥深く、埋もれてしまえばいい。私達にお似合いなのは、薄暗い部屋で毎日に怯えながら、顔も知らない相手からの言葉を待つことだけだ。それ以上を望んだら、きっと何かが違って壊れてしまう。現実なんて実際はガラスより繊細なんだ。
 

 息をつく。雪はいつからか本降りになっていた。まさか積もるまいと思っていたけれど、これでは積もるなという方が無理そうだ。仕方ないから、頼りない折りたたみ傘の柄を握りしめた。
 
 雑踏はうるさい。耳障りだ、どうしてこんな場所に来たのか後悔しかない。でもここで告白されたと思えば少しはマシにも見えてしまう。現金だなあ、好きでもないのに。
 
 空を見上げる。雪が落ちてくる。冬はまだ長い。寒々とした風に身を震わせて、マフラーに顔をうずめた。きん、と冬の音がする。空気が凍る音だ。


 うっすらとしたコンクリートの白を踏みしめながら、私は春を待つ。

 
 

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.8 )
日時: 2018/03/18 18:59
名前: あんず



#1 『透明な愛を吐く』
 
 
「君の幸せって、何?」

 放たれたその問いの答えを、僕は未だに持たない。

 

 がらんとした教室に夕日が影を落としている。橙色の灯りが揺らめいて、漂う現実感はひどく希薄だ。きっと、ここは現実と夢が混ざっている。
 
 グラウンドから聞こえる運動部の声、落書きが残ったままの黒板、机の上のペンケース。全てが橙に染まって色褪せている。そんなどうしようもないほど平凡な光景に、僕も彼女も溶け込んでいた。
 彼女の肩先まで伸ばされたストレートヘアが、柔らかい風に揺れる。互いに特に話すことなどない。ただぼうっと、僕らは怠惰に時間を潰す。
 
 彼女はいつも通り恋人を待っている、はず。別によく知っているわけでもない。僕はいつも通り、家へ帰る時間を遅らせるために座っている。
 僕の薄暗い無彩色な部屋より、生ぬるいオレンジ色の放課後の方が好きだ。そう思うのも、居場所がないだけかもしれない。それでも黄昏時が好きだ。誰そ彼は。誰の顔も分からない、曖昧なこの時間が好きだ。居心地が良い。
 
 夕日が差し込んで、手の中の本が風でめくられた。彼女が隣の席でじとっと僕を眺める。いや、もしかしたら眺めているのは僕の向こうの窓かもしれない。むしろそうだろう。その窓の向こうでは、まだ蕾のままの桜の枝が赤く染まって眠っていた。

 僕が本を読んで、彼女は何も言わず宙を見る。それが、毎日のこの時間の過ごし方。三ヶ月という長い間変わらない光景。何が楽しいんだろう。別に何も楽しくない。でも鬱屈として停滞した、とろりとした空気は不快でもなかった。
 
 けれど今日は少しだけ違ったらしい。彼女が少し身動きしたかと思うと、はっきりと僕を見つめたから。
 
 視線が、緩く交わる。
 
「園田くんってさ、放っておいたら死んじゃいそうだよね」

 唐突に彼女の声が響く。まるで世間話をするかのように、彼女はその言葉を放った。だらだらと文字を追っていた僕の目が止まる。息も、詰まる。彼女はそれに気付いたのか気付いていないのか、なおも話し続けた。

「雰囲気が透明っていうか。突然消えちゃいそう」

「……そう、かな?」

 ようやく零れた声は掠れた音で、唇も小さく震えた。せめて笑おうと思って、歪に口角が上がる。
 うん、と頷く彼女は、僕に何を伝えたいのだろうか。探ろうとして盗み見たその瞳は、明るくて無邪気で、けれどただそれだけだった。
 
 もしかしたら僕を引き留めようとしているのかもしれない。何かから、例えばあの世。僕の思い込みかもしれないけれど、僕はそんな瞳だと思う。そうあるようにと望んでいる。

 きっと僕は彼女に、生きろと言ってほしいのだ。
 
 黄昏の甘くて鈍いオレンジが好きだ。彼女によく似ている。暖かくて寂しい、僕には少し眩しすぎるもの。
 僕の生きる理由なんて、そんな御大層なもの何にもないのだけれど、僕は彼女の言葉に縋りたかった。この世が僕にとって、あの無彩色な自分の部屋と同じ物にならないように。夕焼けをどこまでも縫い留めていてほしかった。
 だから、そんなことばかりを望んでいる。

 
「そうやって透明な園田くん、嫌いじゃないな」

 だから、透明のままでいてね。居心地がいいよ。彼女の柔らかな声が響く。ビロードのように滑らかな声が僕の言葉を奪った。誰もいない放課後の教室、黄昏の影色は暖かいのに、何故だか突き刺すように冷たく感じた。
 
 彼女の声が、僕を彼女から遠ざける。宇宙で命綱を断ち切られるみたいに、どんどん彼女が暗く見える。優しいね、と思うだけではやりきれない。残酷だね、きみは残酷だ。僕の命綱を握ったまま、知らぬうちにちぎってしまう。
 
 彼女はいつだって、愛に塗れて生きている。彼女は知らない。その指先でつまんだままの僕の命綱が、馬鹿らしいまでに細いこと。何をしたって、言葉を伝えただけで途切れるほどのものだということ。僕がどれだけ、自分を惨めに思っているか。
 
 彼女が、僕に透明を望むこと。それが導く、ちっぽけな僕の終着点。
 
「……はは、ありがとう」

 自分の言葉にさえ、この胸は傷んでしまう。彼女と過ごす黄昏時を愛しているのに、今僕の胸は悲鳴を上げる。
 きっと命綱は切れてしまったんだ。僕は一人で、黄昏も彼女もいない宇宙へ放り出される。肺が潰れて息が出来ないし、真空じゃ音は聞こえない。
 
「香穂」

 開かれていた教室のドアの外に、一人の男子生徒が立っていた。すらっとしていて、僕より断然かっこいい。彼女はそいつを見ると、心底嬉しそうに笑う。その笑顔は華やかで綺麗だった。
 
 沈みかけの甘い黄昏色をしている。

「私、園田くんが幸せには見えないなあ」

 席を立つ前に、彼女は僕の顔を覗きこんだ。夕日を受けてはちみつ色に輝く瞳は、僕の暗い瞳を余すことなく映しだす。まるで自分の内面を見ているようで気分が悪い。咄嗟に目を逸らしても、そこには寂しい宇宙が待っている。
 当の彼女はそんなことも知らず、不思議そうに僕を見つめた。
 

「ねえ、君の幸せって、何?」

 
 後ろの男子生徒がしびれを切らしたように、もう一度彼女を呼んだ。慌てて立ち上がると、彼女は振り返ることなく駆けていく。カバンのストラップがゆらゆらと弧を描いている。
 じゃあね、ドアの前でそう言って手を振った彼女の顔も、ぼんやりとしてよく見えなかった。
 
「……何、だろうね」
 
 そんなもの、そもそもあるんだろうか。
 
 
 

 時間がすぎていく。ぼうっとする時間は心地いいのに。僕の心は宇宙を彷徨って、もうあてのないぐるぐるとした旅をするしかないのだ。
 
 ふと外を見ると、校門の前に見えたのは彼女と男子生徒の影。見つめていると、ゆっくりと黒いそれは重なっていった。強い逆光の中、顔は見えない。
 
 がたん、と椅子を倒して立ち上がった。目の前が真っ暗になる。
 待ってくれ。せめて彼女の姿を遮らないでくれ。そう願えど晴れない影は、きっと太陽すら僕を馬鹿にしているのだ。

「なあ、頼むよ……」
 
 泣きそうになりながら、僕はその光景から目を離せない。彼女が見えない。影ばかりが僕を嘲笑う。それは黄昏時だからだ。誰そ彼は。僕の好きなオレンジ色が僕を嗤っている。僕の世界で唯一、美しくて眩しいものを隠してしまう。
 待ってくれ。僕の居場所は、この橙に塗れた放課後だけだ。黄昏時、君だけだ。なあ、僕は。
 
 影は晴れない。当たり前だ。それどころか、黄昏は僕に背を向けて夜を連れてくる。夜が、彼女を、黄昏を、遠い遠い地球の裏側まで追いやってしまう。
 
 僕は一人だ。
 
 
 足が自然と屋上へ向かった。理由はやっぱり、あるようでいて、まるでない。

 風が頬に当たる。それは教室で感じた暖かな風ではなくて、刺すような風だ。去っていく黄昏と覆いかぶさる夜空に似ている、かもしれない。もちろん傷はないけれど、風が触れた箇所がじくじくと痛む。きっと、僕を刺していった。
 
 僕が今死んでしまったら、きっと彼女は泣くのだろう。僕の死を知って、救えなかったと自身を責めるのだろう。だって彼女は残酷なほど優しいから。優しさこそが彼女なのだ。
 それでも彼女が泣くのは少し嫌だなあ、と思う。その涙は綺麗だろうけど、僕にはやっぱり眩しすぎて痛い。でも空を踏みしめようとはやるこの足は止まらないから、その考えも消えてしまう。
 
 空の中に、吸い込まれてしまう。
 
 
『―――君の幸せって、何?』
 
 そうだね、僕の幸せってなんだろう。僕はその答えを未だ持たない。持つことができない。どう答えるべきかも分からないのだ。彼女のことだから、なんとなく聞いたのかもしれないけど。
 僕にとっては意外と、大きなことだったのかもしれない。それも分からない。自分のことは昔から、いつだってよく分からない。僕にとっては僕自身が、この世で一番の難解生物だ。もちろん、二番目は彼女だとして。
 
 けれどあのとき彼女が、僕を透明と称したなら。もしかしたら僕の幸せは、透明なのかもしれない。透き通ったガラスよりもキラキラ輝かないから、空気に馴染んでよく見えない。透明だから、見つからないのかもしれない。
 
 透明だから、彼女には見えないんだ。

 指先が空を掻く。頬に当たる風と、近づく灰色。僕はもう、宇宙の果てへ行くしかないのだ。彼女の笑顔が頭から離れない。消える間際に思うのが彼女なんて、これじゃあまるで。でももしも僕が、彼女のことが好きだったというのなら。
 
 その愛さえ透明だ。この透明な指先が綴った、透明な心が抱いた、そんな愛なら。
 
 彼女の愛は何色だろう。僕はあまりにも彼女を知らない。知らないけれど、きっと透明ではない。もっと優しくて淡くて、暖かな、彼女らしい色をしているんだ。そう、例えば生温い黄昏時、君のような。
 
 まだぎりぎり、遠くの山に太陽の金色が引っかかっている。紺色に追いやられた空の果てに、紅とオレンジが僕を待っている。だからこの世は美しい。
 もしかしたら僕の幸せは、透明だとしても、確かにあったのかもしれないよ。黄昏色、君の時間だ。やっぱり僕の居場所は君だけだ。無様な僕を看取ってくれ、愛しい橙色の放課後。命綱も何もない、まっさらな宇宙へ旅立つ僕を。
 
 
 透明な愛を歌おう。届いてしまえ、きみへ。僕の透明な愛なら、誰にも見つからないだろう。届いたって、気付かないだろう。
 優しくて甘いきみは何より綺麗だ。忘れてしまえ、透明な僕なんか。こんな僕の死を哀しむ義理なんてないんだ。どこにも。
 
 だから。

「――――、」

 
 僕は最後に、透明な愛を吐く。

 
 
 ***
 
 #1『透明な愛を吐く』推敲版。


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