コメディ・ライト小説(新)

Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.6 )
日時: 2018/02/19 23:56
名前: あんず


 
#4 『悪役と手のひら』
 
 
「問おう、君の勇気を」

 つけっぱなしのテレビから、その言葉だけが耳に飛び込んだ。目を上げた先の古そうな外国映画。微妙に雰囲気の合っていない吹き替えの声がリビングに流れている。色褪せた画面、主人公と悪役が戦っているらしい。安っぽい、昔のアクション映画だ。
 薄暗い部屋の中そのテレビだけが光源で、チカチカと頼りない。棒読みに近い俳優の声が耐え難くて音を消した。パクパクと、声を失くして口を動かす姿が滑稽で白々しくて目を逸らす。
 リモコンを掴んだ私の手はまだ震えていた。

「あーあ」

 手に持つリモコンを放り投げる。ガシャンと硬質な、重たいものが落ちる耳障りな音がした。壊れたかな、まあいいや。足元にころころと単三電池が一本、転がってきた。それを今度は蹴飛ばして、はあと溜息をつく。なんだか無性に落ち着かない。
 倒れている目の前の男を見たくなくて、片目を瞑って視線を落とす。左手は震えたままだ。その先にある台所包丁も、まるで腕の延長みたいにぴったりと握りこまれて震えている。離そうとしても手の力が抜けなくて、自分の体なのに変な気分。頭ばかりが冷静で、空いた右手でダイニングテーブルの上のスマホを開いた。ホーム画面に並ぶ目の前の男と私の写真。楽しそう、不愉快なくらい。あとで絶対に変えよう、ついでに写真も消してやる。イライラしながら、電話帳の一番上、見慣れた名前を指で弾いた。

『もしもし?』

 数コールのうちに出た彼女の声は不機嫌そうだった。多分今もパソコンを睨みつけながら、タバコを吹かしているんだろうな。ここにまで紫煙の香りがしてきそうなくらい、それは容易く想像できる。咳き込みそうなくらい煙たくて、苦くて少し甘い彼女の煙草。

「私、あいつのこと殺しちゃったよ」 
『そっか』

 そっけない返事。仮にも人を殺したと宣言した人間に放る言葉とは思えない。思えないけれど、この女はいつだってこういう奴だから仕方ない。今、目の前で倒れている男が遂に薬に溺れたときも、酒に溺れたときも、この女の反応はこんなものだった。世間話をしているときの方が、もっとまともな言葉が返ってくる。

『それで?』
「……え」

 答えに詰まった。何て言えばいいだろう、どこまでこの女は私を許してくれるだろう。
 電話越しにカタカタとタイピングの音が聞こえてくる。音が変に大きくて鋭いのは多分、彼女のネイルの施された長い爪が、キーボードに当たっているからだ。私は想像する。彼女はスマホを耳と肩で挟みながら、しかめ面でパソコンの画面を見ている。そして紫のラインの入った、あのけばけばしいケースから煙草を取り出して火を付ける。深く吸い込みながら、また画面を見つめる。あの煙草の銘柄は何だったか、もう忘れてしまった。

『逃げるんでしょ?』

 逃げるの? どこに? 私が聞き返したい。でも彼女の中では、そういうことになっているらしい。さも当然というように彼女は返事を待っている。多分、煙草を深く味わいながら。
 逃げる? もう一度床を見回した先に、倒れ伏した男と濃い鉄さびの匂い。ドラマのワンシーンみたいだ、私は別に俳優ではないけど。ましてや私は、探偵や刑事じゃなくて犯人だけれど。非現実感ばかりが漂うこの部屋は、私がこの手で作った。そうか確かに、こんな状況じゃ自首するか逃げるか、そのくらいしかすることがないかもしれないな。だからといって自分から警察に行くのも、何だか億劫だった。

「……うん。逃げるよ」

 そっか、と少しだけ安堵したような声がした。少しだけ電話越しの声がやわらいだ。
 震えの止まった手から包丁を放したら、ガシャンと随分甲高い音。思わず顔をしかめる。うるさい。大きな音だったから窓を見やったけれど、カーテンを締め切ったそこにはもちろん人影はない。

『じゃあ今からそっち行くから。家でしょ?』
「うん」
『ちゃんと準備しててよ』

 準備? 聞き返す前に、ヒステリックに回線は途切れてしまった。全くせっかちだ。そんな場合でもないのにいくらか彼女への悪態をつきながら、棒立ちだった足を踏み出した。あまりにもじっとしすぎて膝が痛い。
 よろめきながらキッチンの水道を捻ると、水が勢い良く流れ出した。手に張り付いた血はまだ乾いていないまま、簡単に流れ落ちた。綺麗になった手を石鹸でこする。痛いくらいに。きっと、こんなに洗ったって警察が調べたら一瞬で分かるんだろうな。ドラマでよく見る、あの血を見つける検査みたいなやつで。でも綺麗に見えるから良いや。
 かかっていたタオルで手を拭って自分を見下ろす。所々に血が跳ねているけれど、別に驚くほどじゃない。コートを着れば十分だ。今が冬先でよかった。

 部屋に戻って、クローゼットの奥からボストンバッグを引っ張りだした。埃を被ったこのバッグを使ったのはもう随分と前。多分、高校の修学旅行。開くと、パンフレットらしきものが数枚散らかっていた。京都、とでかでかと印刷された文字。やっぱり。修学旅行のしおりだ。まだ捨ててなかったんだ、いつまでも片付けられないところは変われない。それでもなんとなくもったいなくて、よれたしおりを再びバッグに仕舞い込んだ。どうせならこいつも連れて行こう。

「着替え……何持ってこう」

 とりあえず下着と数枚の服を突っ込んだ。うまく入らなくて、イライラしながら無理やり詰め込んだ。それから、どうしようかと首をひねる。逃げるって言ったって。バッグを意味もなく引っ掻き回して、しおりを手に取った。パラパラとめくると、持ち物の書かれたページが目に入る。昔の私がつけたボールペンのチェック跡と一緒に。
 これでいいや。逃げるのも旅行するのも、多分やることにそんな変わりはないだろう。世の犯罪者の方々がどうしているかなんて知らない。でも一人くらい、彼女も入れると二人くらい。旅行気分で逃げたって誰も怒らないはずだ。
 昔やったみたいに一つ一つチェックをつけながら、ボストンバッグの隙間を埋めた。コートを着込んで、マフラーをぐるぐる巻いて、雪でも降りそうな空を窓から見上げた。

「いるのー?」

 玄関から耳慣れた声がした。重たいバッグを床において彼女を待つ。特に断りもなく家に上がり込む足音に、少しだけ緊張する。そして現れた、黒のコートと派手なネイル、少し濃いメイク。それに似合わず髪は真っ黒、纏っているのは甘い香水の代わりに甘い紫煙。キャバクラ嬢が、髪だけビジネスマンを真似て真っ黒にしたみたいだ。
 開け放したドアの前に立った彼女は、私を見て突然吹き出した。そんなに変か? 気に食わなくて自分を見下ろすと、手にはまだしおりがあった。二年三組、私の名前。どうやらこれで笑っているらしい。

「ねえあんた、あんたさ、それ見て準備したわけ?」
「……」

 派手な顔を睨みつけて黙ると、彼女は肯定と受け取った。一段と笑い声が大きくなる。沈黙はなんとかの証。日本語に八つ当たりしたって阿呆みたいだけれど、今は恨まずにはいられない。それにこの女の笑い声なんかで近所にバレたら、それほど馬鹿らしいことはない。

「あんたやっぱおかしいって。……それで? 殺したんでしょ?」

 どこ、リビング? 忘れ物でも探すみたいにあっけらかんとしながら、彼女は廊下へ出てしまった。マイペースにも程がある。細身の背中を慌てて追いかけると、リビングのドアはすでに開いている。そうっと覗くと、彼女は物珍しそうに部屋を見回していた。驚く様子はない。

「動いたらどうしようかと思った。死んでるね」
「うん」

 もうちょっと答えようがあるだろうに。彼女は特に気にするでもなく部屋を物色する。鉄さびの臭いと彼女の紫煙が混ざり合って、何とも言えず気持ち悪い。気を紛らわそうと映しっぱなしのテレビに目をやった。
 未だに主人公と悪役は戦っている。字幕に切り替わった画面の上、時折映る「勇気」の文字。勇気、勇気、ってなんなんだ。この主人公は正義感の塊なのかな。煩わしくて、悪役の方が人間じみている。

「冬でよかったね、寒かったら死体って腐りにくいんだよ」

 彼女の突然の声に振り向くと、ちょうどその手にあの包丁を握っていた。それからそっくり同じ場所に置き直す。得意げな顔をしている。何をしているか理解するのに、私の馬鹿な脳みそはたっぷり数秒を要した。

「これで共犯ってことで。いいでしょ」

 抗議をする前に沈黙が断ち切られた。怒ろうとして開いた口が、言葉を失くしてパクパクと動く。音を消した映画と何も変わらない、滑稽な私だ。そう思うと腹ただしくて呆れも失せてしまう。

「……捕まるよ」
「当たり前じゃん、共犯だもん。いいよ、私もこいつのこと大っ嫌いだから」

 それより逃げるんでしょ? 彼女は少しだけついた血をハンカチで拭うと、そのまま背中を向けてしまう。ずんずんと、来たときと同じように廊下を進む。なんなんだ、もう。慌てて部屋に置いてきたボストンバッグを引っ掴んで追いかけたら、彼女はすでにヒールの高いブーツを履いていた。足元にはキャリーバッグ。身軽に動くだとか、そんな考えは一切ないらしい。

 鍵をしっかり閉めて、マンションのエントランスを突っ切る。管理人のおじいさんが、行ってらっしゃいと笑う。行ってきます、といつものように笑い返して、足早に彼女についていく。多分、ここにはもう帰らないだろうけど。

「どこ行くの?」
「あんたが決めてよ。いいよ、どこでも」

 彼女はあの紫のラインの入ったケースから、煙草を一本取り出した。加えたまま火はつけない。私の答えを待っている。

「……京都」

 頭に浮かんだ地名をそのまま口にした。しまった。そう思うよりも前に、彼女の口から笑い声があふれる。苦しそうにヒイヒイして、甲高い声で高笑いみたいに。失礼なやつ。こんなことで怪しまれたら本当に、馬鹿みたいだ。

「いいよ、行こうよ、京都!」

 まだ笑いながら、彼女は駅へ向かう道を進む。我慢しようともせずに響く声がうるさい。こんなに大笑いしながら歩く私達は、やっぱり旅行にでも出かけるテンションだ。跳ねるように彼女が歩く。

「京都ったってさあ、お金あるの?」
「あるよ。それも割とね。私あんたと違って働いてるから」

 心配になって尋ねると、胸を張るように自慢気に返された。悔しい。でもこの女が意外にもきちんと働いているのは事実だし、私が働いていないのも悲しい現実だ。自分の薄っぺらい財布を思うと泣けてくる。

「まったく、あんたさ、あんな薬やってて暴力振るう男に捕まって馬鹿じゃないの?」
「……」

 説教じみた彼女の声がする。うるさいな。そう思うけど、こいつの優しさだってことくらい私にも分かる。耳を塞ぎたくても聞くべきかな。私は本当に馬鹿だけど、こいつはちゃんと真っ当に生きているから。つらつらと続いていく言葉は淀みない。もしかしたらずっと言いたくて、黙っていたのかもしれない。その言葉の中には私の知らない難しい言葉もいくらか混ざっていた。でもきっと、聞き返すのも無粋だろう。

「まあいいや。いくら言っても、殺したのはあんたの勇気だもんね」
「……そういうもの?」
「そういうものでしょ。あんたは勇気ある行動をしたんだって」

 あっけらかんとした声。

 ふと、あのテレビの吹き替えを思い出した。「問おう、君の勇気を」。正義感の塊の主人公。もし本当にあんな勇気を持った人がいたら、私は絶対に悪役だ。最後は倒される、それもいいかな。
 背中を追いかける。私も彼女も黙っている。遂にはっきりと死に顔を見ることのなかった、あの男を思い出す。あいつも私も絶対に悪役だけど、あいつにとって私は主人公だった。彼女曰く。私の勇気によってあの男は殺された。ざまあみろ。私の勇気は、あの男を倒すためにあった。それでいい。
 気分は清々しい。あいつに騙されて惚れたのは私だけど、それを終わらせたのも私だ。おめでとう私、今ははっきりと幸せだ。

 
 彼女の空いている方の手を掴む。黙って二人、手を繋ぐ。悪役の私達の手は、それでもこの寒空の下、熱いくらいに温かかった。

 
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 雑談板の小説練習スレッド「添へて、」さんにて投稿した短編です。
 お題(一文)は「問おう、君の勇気を」でした。有難うございました!