ダーク・ファンタジー小説

【完結】2006年8月16日
日時: 2018/09/07 04:09
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

>>3-37 >>40-55 >>58-72

2015冬大会 管理人賞
2018夏大会 金賞

感想などもお待ちしてます
Twitter:@STsousaku

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15



Re: 2006年8月16日 ( No.58 )
日時: 2018/07/26 01:02
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 改札を出て、南口を抜ける。
 彼らは横一列で階段を降りていて、僕一人だけその光景を後ろから眺めている。僕は緩やかな階段に嫌気が差し、二つ飛ばしで階段を降りると彼らの肩にぶつかりそうになる。下には線路を挟んだ両側に自転車置き場が見え、何人かがそこに自転車を止めていた。
 階段を降りきると、前方にはまあまあ立派な木々が一定間隔に並んでいて、その間からは平屋の住宅が何軒も並んでいるのが見える。右と左、どちらに進むのだろうと思いながら左右を確認すると、その先に見える景色はどちらも似たようなもので少しがっかりする。
 何故か彼らも一度立ち止まり、左右を確認して右を選んだ。
 先を進む彼らは一向に何も話そうとしない。途中、前を歩く水音さんがこちらを振り返って微笑む。そして減速し、僕の横に付いてくれる。それでもなお微笑み続ける彼女に、このとき僕は上手く笑えただろうか。

「桜、もう少しで咲きそうだね」
 横で彼女は言う。気づけば僕たちと前を歩く男三人はすでに数メートル離れていて、それは明らかに僕一人に向けた言葉だと分かった。
「へえ、あれ、桜の木だったんですね」
「あ、あれは違う! 近くに東京サマーランドっていう所があって、桜の名所なんだよ。このオフ会がもう少し遅かったら皆で行きたかったねって感じ」
 サマーランド。へえ、そんなものが近くに。
「まあ、皆の予定が合うのが今日と明日ぐらいしかなかったから仕方ないけどね」
 僕は返答に詰まり、僕らのずっと前を歩く彼らを見る。何か会話はしているのだろうか。
「……ありがとう」
 ん? と僕は横を見る。彼女は前を向いたままだった。一瞬、さっきの電車での光景がフラッシュバックする。
「ありがとう。今日、それを言いに来た。コウセイくんが何を思ってああいう行動に走ってくれたのかは分からないけど、そのおかげで私は今こうして笑えてる。莉乃とは幼なじみだったから通話してるときちょっと感極まっちゃったけど、それでもとにかく私は嬉しい」
 僕は微妙な心境のまま、前を歩く彼らを見ていた。それはさっきスタバでえんさんに言われたことと似ている。感謝される筋合いなど自分にはないのに、どうして皆こんなにお礼を言ってくれるのだろうと思う。あれは僕の勝手な好奇心でしかないのに。
 僕はしだいに、彼女らの感謝に対する単純な嬉しさと申し訳なさに吐き気のような気持ち悪さを覚えてくる。こんな中身のない人間が、今更誰かに感謝されたり励まされたりしてもどういうリアクションをとればいいのか分からなかった。

 少し歩く。このままどこまで歩くのだろうと気になる。
 狭い道の両脇に、商店街のような昔からありそうな店ばかりが並んでいる。僕はまだ水音さんと歩いていて、前を歩く三人との距離はかなり開いていた。
「……どの辺ですか? 駅を降りたってことは近いですよね」
 僕は当然のように汗を掻いていた。夏の始まりは大げさだが、実際それを予感させる暑さだった。喉が渇く。
「あ、もうすぐだよ」ははは、と彼女は上品に笑う。今更ながら、僕はまだまだ気になることがいくらでもあった。ここはどこで、今からどこに何をしにいくのか。
 ふと見ると、僕たちの数十メートル先を行く彼らが道を曲がっていた。その瞬間、彼らの横顔に笑顔が見えたような気がした。彼らが消えた所まで僕たちも小走りで近づくと、細い路地のような所を彼らが歩いていた。そして、また曲がった。
「あそこだよ」
 その瞬間僕は走っていた。脳より先に体が動いたのに自分で驚いていて、全く走るのはいつぶりだろうと心で自嘲してみる。
 彼らが曲がったのはここだ。僕は左に曲がる。そして走る。彼女はついてきていない。彼らはとある一軒家の前にいた。僕はそのまま慌てて減速する。
「あ、お久しぶりです。莉乃さんの高校時代の友達です。今日はよろしくお願いします」
 彼らは門の前に並んで立っていた。えんさんがはきはきとそう言った相手は、おばさんだった。彼女は玄関のドアを半分開いて興味深そうにこちらを見つめていた。
「ああまあ……、莉乃の友達、主人から聞いてるわ。上がってって」
「失礼します」
 まるで企業の面接に行くような、厳かな雰囲気で彼らは門を開けて入っていった。あのおばさんは見た目に反して喋り方は優しそうだった。

Re: 2006年8月16日 ( No.59 )
日時: 2018/07/29 03:46
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「君は……?」
 僕が門を入ろうとすると、玄関のドアの前に立っているおばさんが不思議そうに僕を見つめてくる。同時に、えんさん達も一斉に僕のほうを向く。
「あ、この子はえーっと、莉乃のファンみたいなもんです」
 えんさんがそう笑ってみせると、彼女は観念したように「仕方ないわね」と家の中に入っていく。一番前にいたゆーたさんが、彼女からドアを預けられる。

 僕は周りを見回してみる。ここが莉乃さんの家らしい。辺りは小さな住宅街のようで、何軒かの戸建てが横並びに建てられている。
 前の四人は既に家の中に入っていた。水音さんはもう少しだろうと思って待っていると、振り返ると既に彼女はいた。「えっ!」と思わず声が出る。その声に彼女も驚いたみたいで目を丸くしてこちらを向いている。
 いや、彼女は驚いたというより、正気に戻ったと言ったほうが正しいのかもしれない。まるで、考え事をしていた人が急に後ろから名前を呼ばれてはっとするような状態に近い。
「……どうしました?」
「莉乃のお母さんだ。十年ぶりぐらいに会った」
 ……え? と僕は前を向こうとして止まる。肌寒い風が二人の横を通り抜けていく。全く、暑いのか寒いのかハッキリしない気候に腹が立つ。
「やっぱり、そうなんだ。私、莉乃の家に来たんだなあ」
 彼女は僕の横を抜けて玄関へ向かっていた。もうこの場所には僕と彼女しかいない。その声色は嬉しそうにも寂しそうにも聞こえる。僕は何も言えなくて当然だった。むしろ、僕なんかが何かを発言することがおこがましく思えたので、黙っていた。
「私、入らなきゃダメかな」
 彼女の足は玄関に入る手前で止まっていた。絶句したままの僕の前で彼女は振り返り、笑う。なんていう悲しい笑顔なのだと思った。この家に足を踏み入れたら、彼女にとってどんなに凄惨な光景が広がっているのかと考えるとこっちまで悲しくなってくる。
「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね」と、彼女はまた茶化すように笑った。


「部屋はこんな感じ。細かい所は何度かいじったけど、ほとんどあのときのまま」
「うわ! 全然変わってないですね」
 二階にあるその部屋は、廊下の階段を上った先にすぐ見えてくる。入っていきなり水音さんが声をあげる。遅れてそれぞれの気勢が上がる。今日、四人と渋谷駅で会ったときから初めて彼らの感情が見えた気がした。莉乃さんの部屋が昔と同じだということは何より彼らの反応が物語っている。
 なんというか、普通の女の子の部屋という感じだった。六畳ほどの部屋に、ベッドの枕元にはクマのぬいぐるみが置いてあり、暖色系のカーペットの上にはお洒落なチェストが置かれている。全体的に可愛い小物が多く、あまりの生々しさに、僕みたいな人間は少しドキドキしてしまう。
「めちゃくちゃ懐かしい……」
 えんさんが、勉強机の所まで歩み寄り、手を置いた。
「えん、ベッドは無しだからな」
 アホか、とえんさんは笑い、間もなくラックに並べられた何冊もの教科書を手に取る。数学II・Bと書かれている。高校でやる授業なのだろうか。
「そういえば、莉乃、数学ほんと苦手だったよな」
「いつも五人の中で一番テストの点が低くて、"数字を見ると失神する"だとか何とか言ってたのは覚えてる」
「代わりに国語だけ無駄に得意でね、いつも予習なしで90点ぐらい取るの、マジ笑えるよね」
 僕は、なんだ、いつかのSkype会議と同じじゃないか、と笑えていた。あの無機質な背景に、全員の声だけが聞こえる状況を僕は思い出していた。形とか場所はもう明らかに違っていて、今のほうがずっとリアルに空気感を感じられるが、あの会話の延長線上に今があると思うと少し面白い。
 彼らはこのときだけは高校生に戻っていた。今、この部屋の中に莉乃さんがいてもおかしくないといくらでも思えた。彼ら四人の中に莉乃さんが混じって楽しく会話している姿がとても素直に、ありありと想像できた。

Re: 2006年8月16日 ( No.60 )
日時: 2018/07/31 05:13
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……ずっと好きでした」
 僕はその部屋から出ていった。少し遅れておばさんも出てきて、部屋の扉を閉め、無言のまま階段を降りていった。全体的に暗い廊下だったが吹き抜けのある部分だけ明るく、おばさんの影がぼんやりと映る。僕はその後ろ姿をいつまでも見ていた。
 いつまで経っても部屋のドアは閉まったままだった。僕はその場に腰を下ろす。そういえば凄く疲れている。今日一日で、岡山とかいう片田舎から日本の中心部まで移動して、そこからまたこんなどこだか分からないような場所まで来ていたのだから、当然かもしれない。
 僕は疲れた腕でポケットからスマホを出す。最近入学祝いで買ってもらったiPhone5sは、前使っていたスマホよりも画面が小さいので多少見えにくい。指紋認証という画期的なシステムが話題を呼んだみたいだが、ミスをする確率が思ったより高いので結局使っていない。
 Safariから、あの掲示板に飛ぶ。スマホ版などないのでパソコンで見ようがスマホで見ようが同じデザインやレイアウトである。最終更新は今朝で、ゆーたさんと樹雨さんが今日のオフのことを二人で話していた。画面をスクロールしていくとそれ以前にもえんさんや水音さんも話していたログが残っている。
 不便じゃないのかな、と思った。もちろん彼らも僕もスマホを持っていて、全員LINEをしている。それならLINEで会話したほうがメッセージ通知が来て便利だろうし、効率もいいに決まっているのに、わざわざ掲示板なんかで会話する意味があるのだろうかと、疑問に思ってしまう。
 足を放り出すようにして座っていると、しだいに足が痺れてくる。
 Twitter、LINE。僕が使っているのはそれぐらいだが、他にもいくらでも便利なコミュニケーションツールは存在する。それらは日々開発され、私たちの生活と密接に関わり始めている。それはそれで悪いことでもなんでもないし、むしろ人々の生活が豊かになるならそれは幸せなことだろう。ただ、そういう便利なツールの使用者が徐々に増えていく一方で、過去に使われていた物が次第に忘れ去られていく事実はどうなるのだろう。
 僕がこの掲示板を最初に見たとき、悲しい気持ちにしかなれなかった。それはまさしく、前時代の遺物が、人々の記憶から忘れ去られたようにいつまでもそこに存在している様に他ならなかった。

 少しして、スマホから目を離した僕は目の前の扉を凝視していた。扉の向こうの彼らは、今何をしているのだろう。
 廊下は窓から注ぎ込む夕日に照らされて明暗をはっきり作っていた。そのコントラストが変に印象的で、その様子を僕は何も考えることなく眺めている。窓の向こうで小鳥が飛んだらしく、影がその形を作り出す。その影はまるで生き物のように躍動し、そしてしだいに消えていった。
 なんとなく切なくなっていると、目の前の扉が開いた。
「いやー、ごめん。待たせたね……、って暗っ」
 目の前にはやはりえんさんがいた。向こうの部屋が思ったより明るいので、少し眩しく感じてしまう。確かに、ここ数分でかなり暗くなったみたいだった。
「暗くなりすぎじゃない?」
「一人でそんなところに座らせちゃって本当ごめんー」
 すぐに皆が声をかけてくれる。「僕はいいんです、これぐらい全然」
 そう言いながら、僕は目の前の部屋を見続けていた。これが莉乃さんの部屋だと実感が湧くのに一体どれだけ時間がかかるのだろうと思う。しだいに実感なんて湧かなくて当然だと思い始める。僕は莉乃さんのことを断片的にしか知らないのだ。
「コウセイくんは大人だねー」私も座ろ、と水音さんが横に腰を下ろしてくる。無駄に広い廊下は足を伸ばすように座ってもまだ遊びがある。
 大人。その単語がいつまでも気になった。
「なんというか、ただ者じゃない、って感じだよね」
 冗談じゃないと思った。
 僕は特別だ特別だと言われて育った。幼い頃から、人は誰しもが特別だとか、人にはそれぞれ輝いている部分がある、などと当たり前のように教えられた。でも、それが最近になり「大人」とかいうよく分からないモノに近づくにつれて、自分がちっぽけでどこにでもいる存在だということに段々と自覚させられていき、正直、こうしている今ですら何が何なのか分からずにいる。
 気づけば、今では周りから特別だなんて言われることはなくなっていた。まるで、あのときには毎日のようにどこかで言われていたのが嘘のように。

Re: 2006年8月16日 ( No.61 )
日時: 2018/08/03 13:20
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……よし、じゃあ、お墓行くか」
 かすかな静寂の中、突然えんさんが仕切り始める。
「そうだね。ここから近いんだっけ?」
 樹雨さんはそう言いながら床に置いてあるバッグを背負う。隣の水音さんが立ち上がる。座ったままの僕に手を差し出してくれるが、拒否する。樹雨さんが部屋の電気を消し、先を行くえんさんの後を追う。
 あっさりと去っていく二人が意外だった。……これで、終わりなのか。僕は莉乃さんの部屋を未だ見つめる。カーテンが中途半端に開いた窓から茜色の夕日が注ぎ込んでいる。しだいに闇に堕ちていくこの部屋の様子を眺め続けていた。
 僕は切ない気持ちで心がいっぱいになっていた。もうこの部屋で莉乃さんが生活していたのは十年近く前で、彼女の匂いだとか、空気なんてものが一切消え失せている。確かに家具や小物などは片付けられていないみたいだが、生活感なんてものの欠片もないこの部屋が途方もなく切なく感じられた。
 彼らはこれでいいのだろうか。次彼らがここに来るのはいつになるのだろう。もしかしたら、これが最後かもしれないというのに。

「なんか、デパートのショールームみたいだ」
 そう捨て台詞を吐いて水音さんは階段を降りていく。やけに低い声だったので、一瞬誰の声か分からなかった。
 気がつけばここにはゆーたさんと僕だけになる。なんだか少しばつが悪い。

「あのときはごめん」
「……えっ?」
 ついに立ち上がった僕の、先を行く彼らに次ごうとした足が止まる。
「通話だよ。なんかさ、大人げなかったじゃん。コウセイくんからしたら意味不明なことで怒っちゃったし」
 目の前でゆーたさんが申し訳なさそうにしているが、僕には彼を責める気持ちなど全くなかった。それは彼の気持ちが僕にも共感できたからではない。好きだった人が亡くなってしまったという事実と、亡くなる前に想いを伝えられなかったという自責に駆られ過ごしてきたこの十年間が、彼にとって一体どれほどの苦痛だったのか、考えるだけで絶句してしまったからだった。
「ごめんね。君には君の人生があるから、それを俺が横からとやかく言うのは違うな。好きな娘に想いを伝えようが伝えまいが、君の自由だ」
 と、ここで彼はついに階段を降りる。先導されているように感じたので僕もついていく。去り際に莉乃さんの部屋をふと見る。
 しかしそれでも、その言葉は僕への当てつけに聞こえてしまう。君の自由だ、などと言われても、想いを伝えなかった結果、今目の前にいる人間がどういう苦悩をしてきたか嫌でも目に入ってしまうに決まっている。彼は少し狡猾だ。

「……おー、遅かったな」
「ちょっとな」
 家の外に出ると、えんさんと水音さんの二人が何かを待っているようだった。樹雨さんがいないことにすぐに気づく。
「あ、コウセイくん。樹雨は今、家から車持ってきてくれてる」
 車。お墓と言っていたが、それほど遠い距離なのだろうか。
「霊園自体はそんなに遠くないよ。ただ……」
「この時間にお墓参りは、本当は行きたくなかったんだけど。まあ仕方ない」
 確かに、お墓参りというと朝にするイメージが強い。時刻は既に17時半を廻っている。

Re: 2006年8月16日 ( No.62 )
日時: 2018/08/07 23:57
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……どう? ここ。いい所でしょ?」
 訊かれたので、ふと辺りを見回す。ひっそりとした住宅街は、空の微妙な明るさと調和していて、絶妙に気味が悪い。
「なんか東京っぽくないですね」
 言うと、三人は笑い出した。
「はは、そりゃあね。私もそう思う。東京感ないなーって自分でも思うもん」
「コウセイくんの住んでるところはどんな感じなの?」
 言われて、ふと真面目に考えてみる。そういえばこんな質問をされるのは初めてだった。
「多分、普通です。家の近くに大きな河が流れてるってぐらいで」

 そのとき、向こうの角からふと車が顔を出した。徐行しながらこちらに向かってくるその車の主はもちろん樹雨さんで、窓からひょこっと顔を出して僕らを呼ぶ。「おーい! 遅くなってごめん」
 数秒後に停車した、その黒塗りのミニバンはかなりの存在感がある。皆が乗り込んでいくので自分も乗ろうとしたところ、水音さんに手招きされて一緒に三列目のシートに座ることになる。車内にはその車独特の匂いが広がっているが、自分の家の車よりはマシなので少しほっとする。
 三列目に座る僕の目線からはこの広い車内のあらゆるものが見える。一番前の席には運転手の樹雨さんが座り、二列目にゆーたさんとえんさんが座っている。右を向くとすぐ水音さんがこちらを見て微笑む。
 ついに動き出した車は、さっき僕たちが歩いた道を遡り、駅の前まで進んだのち、別の道を進む。エンジン音がそれなりに響く車内では誰も口を開こうとしない。なんとなく車窓を眺めてみる。
 僕は、東京にいる今だけは、岡山での自分の現実のことは何も考えないようにしようと決めていた。今僕が体験しているこれは夢のようなものだ。高校がどうとか、将来がどうとか、早紀がどうとかは敢えて考えないようにしないと、一気に現実に引き戻されてしまう。
 だから、明日の昼過ぎぐらいに岡山に帰ることになっているのだが、帰って早々紅葉高校の入学説明会を受けにいくだとか、昨日送られてきた早紀からのLINEを無視していたりだとか、本当に問題は山積みなのだが今だけは全て忘れていようと思った。

「そういえば、さっきコウセイくん河って言ったね」
 僕のすぐ前のシートに座るえんさんが、前を見ながら言う。
 旭川……。具体的な名前は出さなかったはずだが、本当に僕の家の周りにはそれしかない。思い入れのある場所も、何もかも。
「この近くにもあるね。全然小さい河だけど」
「さっき降りた駅と同じ名前で、秋川っていう名前」
 樹雨さんを除いた三人がそれぞれ説明してくれる。へえ、そんな河があるんだ、以外の感想が浮かばない。

「なんか、ごめんね。せっかく東京に来てもらったっていうのに、こんな移動ばっかで」
 信号待ちの間、樹雨さんが呟くように言った。運転席にいる彼の声は僕から見てかなり遠い。僕はすぐに否定する。
「あー、それは思ってた。お詫びに明日渋谷とか原宿とか色々行こう。案内してあげるよ」
「アホか、えんが原宿なんか知らんやろ」
「俺そんなにいじられるキャラだったっけ……」
 ちょうどそのとき車はトンネルに入った。急に景色が変わって驚いたのか会話が一瞬途切れる。
「……もう近い」
 いよいよか、と身が引き締まると同時に、今から数十分後の未来を想像してみる。今は和やかな空気だが、そんなものよりずっと勝る恐怖がこの先に待っているような気がしてならなかった。
 きっと彼らも同じことを感じていて、それで黙り込んでしまったのかもしれない。
 車内には、ゴー、という車のエンジンの残響音だけが絶えず鳴り続けている。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。