ダーク・ファンタジー小説

Malice
日時: 2018/01/09 17:30
名前: おかゆ

 あの瞳に抗えなかった。
 異形の彼女に、僕は飲み込まれてしまった。
 いっそ、抗うことを止め、流されるのもいいかと思ったが、自分の意識が崩れていくことに恐怖を覚え、抵抗を止めなかった。
 しかし、抵抗もむなしく、飲み込まれていった。
 どこからか、鈴を転がしたような笑い声が響いた。
 そして、全てを思い出した。

      *

 容赦のない視線が僕を襲う。
 これだけを聞くと、僕が何か目立つことをしているのかもしれないと感じるかもしれないが、あいにくここには僕しかいない。
 築52年のオンボロアパートの2階、その角部屋に僕は住んでいる。
 家賃は安いが部屋は広い。それが売りのアパートだが、今の僕には、その部屋の広さが恐怖を増長させるもののようにしか感じない。
 「……誰、なんだよ」
 僕の喉から震えた声が漏れる。
 夏真っ盛りだというのに、冷や汗が止まらない。
 備え付けのエアコンの排気口から重低音が鳴り続ける。この冷や汗は決してエアコンのせいではないだろう。
 セミの鳴き声がうるさい。
 近所の公園から楽しそうな子供の声が聞こえる。
 僕の意識を散らすには十分なほどの騒音があるにも関わらず、それは僕の意識を惹きつけて止まない。
 「貴方はいい加減全てを思い出すべきですよ?」
 耳元で妖しい声が響いた。体が疼くのを感じた。
 油が切れた人形のように、首をギギギ、と後ろに向けた。
 (…綺麗だ…)
 僕がそれを眼に映した瞬間、先ほどまでの恐怖が吹き飛んでいくのを感じた。
 それ―僕の目に映ったのは、白い女性。
 だがそれは―――彼女は―――

 ―異形。

 シルエットだけを見れば、コスプレをした人間にも見えた。だが人間との大きな違いは、側頭部に生えた長い巻角に真っ青な髪。顔の左半分に露出した骸骨。空洞のはずの瞳に赤黒い炎が輝いている。目を引き寄せる真っ白な肢体。特にその大きすぎる胸は男の劣情を誘う。最も驚いたのは、臀部の上部に生えた三叉にわかれた、黒い尻尾。
 一目で心を奪われ、それと同時にナニカを忘れている気がした。
 「君は誰…いや、何だ?」
 「そうですね、一言で申し上げますと、《悪意》です」
 震えながら発した僕の質問に、目の前の異形が美しく笑って答えた。
 「《悪」
 僕がその言葉を繰り返そうとする前に、口を塞がれた。
 《悪意》の唇によって。
 瞬間、一瞬の酩酊感のあと、全身を深く貫く快楽。
 自慰行為とも異なる、全く異質な快楽。
 悲しいことに、僕にはこれを表すほどの語彙力を有してはいなかった。
 全身がガクガクと震え、次第に目が虚ろに変わっていく。
 やがて、僕は人間ではなくなった。

      *

 口づけとは好意の相手とするものだと、僕及び世間一般の人は思っているはずだが、僕の初めてを奪ったのは、雪のように白い…

 ―異形。

 顔の左半分が骸骨で、側頭部には長い巻角。真っ青な髪が僕の首筋をくすぐる。
 初めての口づけに驚く間もなく、僕を襲ったのは異質な快感。
 最初は軽く唇が触れるようなものだったが、《悪意》は少しずつ右半分しかない舌をねじ込んできた。
 僕の歯茎に異形の舌がゆっくりと淫靡に這う。
 《悪意》の唾液の味が口に広がっていく。
 唾液は甘く、僕は夢中になって彼女の口を舐める。
 まるで舌が意志を持っているかのように、僕の意志とは反比例して舌を絡めていく。
 《悪意》は粘着的に僕の舌を吸った。
 その瞬間に更なる快楽が僕を襲い、それに伴い僕の口づけも勢いが増していく。
 僕の脳が熱を帯びてくるのを感じる。
 やめろと、頭の冷静な部分から発しているのが幻聴のように聞こえた。
 だが、やがて冷静な部分も飲み込まれ、消滅した。
 最初は押し返そうと《悪意》の肩に当てられていた手も、いつの間にか《悪意》の背中に添えられていた。
 それを喜ぶように、眼前の異形は深く、深く、舌を僕の中に入れてきた。
 目の前が暗転し始めた。耳までも遠くなってきたようだ。
 《悪意》の背中に添えられていた手が持ち上がり、彼女の頭部に向かう。
 《悪意》の頭部に添えられた手には血管が浮き上がり、この小さい頭部なら破壊してしまいそうだ。
 ―ねちゃねちゃと、汚い音が部屋に響く。
 ―両者の口端から途切れることなく、泡立った唾液が零れ落ちる。
 そして、

 ―僕が暴走を始めた。

 先ほどまでとは打って変わり、今度は僕が《悪意》の口に舌をねじ込む。
 嬉しそうに異形の目がとろける。
 相手の力が弱まるのを感じ、逆に僕の全身に込める力が強くなっていく。
 ただただ粘着的に、情緒も糞もない口づけが行われていった。

       *

 唇が離れ、舌から妖しく唾液がこぼれた。
 僕が唾液を拭くために、上着の袖を顔に近付けたときにそれに気付いた。
 手がアイツと同じように、病的なまでに白くなっていることに。
 あれ? アイツって?
 目の前の《悪意》のことだろう?
 いや、違う気がする。
 アイツはもっと…。
 …まぁ、いいや。
 今はとても気分が良い。
 
 「そうだろ? マリス…」

 目の前の異形は、薄く笑った。

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Re: Malice ( No.1 )
日時: 2018/01/09 17:41
名前: おかゆ

  「僕は一体、何者だ」
 ―『人間だった』人間だよ。
  「僕は『人間だった』…人間?」
 ―そうだよ。別に難しくはないよ。
  君は新しい人間―つまり、人間になったんだよ。
  「よく、解らないよ。どういうことなの?」
 ―う〜ん。そもそも人間って何だと思う?
  他の生物と違って、はるかに高い知能を有しているところ?
  本島と理性の狭間に生きる苦しい生物?
  他にも色々定義づけることは可能だけどさ。
  簡単に言うと、

  #)(‘SJ90fw#4_)*d3*?}_なんだよね。

  「そうなんだ。あああ。意外と簡単なものだね」
 ―うん! あまり深く考えないほうが良いよ。
  …さて、彼女が君を待っているよ。

 その言葉を最後に、意識が急速に薄れていくのを感じた。

 ―バイバイ。また…会えたらいいね。

      *

 意識が急速に戻り、視界が広まっていくのを感じる。
 僕の眼に異形の存在が映されるが、驚きはしない。
 全てを思い出したからだ。
 ふと、後頭部に柔らかい感触があるのに気が付いた。
 どうやら膝枕をされているようだ。
 「……マリス。これは?」
 「おや? これは人間の言うところの膝枕と認識しているのですが…。どこか間違っていましたか?」
 「いや…間違ってはいないが、いくら何でもお前の生みの親である僕に膝枕をするのは…何かおかしいとは思わなかったのか? ……いや、もういい」
 僕の質問の何が疑問だったのか、正しすぎる反論をする彼女に、僕は『親』という言葉を使って、さらに反論を舌。最も、目の前の異形にまともに通じなかったわけだが。
 「ええ、特に何の疑問もわきませんでしたわ。何故なら私は貴方から『生まれました』、ですが別に生殖行為による受精によって『産まれた』わけではありませんもの。親に対する愛情というモノは持っておりません。それに貴方は男性なので受精できませんし」
 それに、と。
 「私は貴方の感情をもとにこの世に生まれたわけですけれど、私は貴方を『親』と認識しておりません。何より、先ほども申し上げた通り、親に対する愛情は持っておりません。そもそも、私は《悪意》ですよ? 全てを憎み、嫉み、忌み嫌う私が、いくら私を生んだからといって、貴方も《悪意》の対象外ではありませんもの。ですが、まあ、いくらかは貴方に対する執着心はあると自覚はしておりますけどね」
 こんな子供がいて堪るか、と心中で毒づく。
 そもそも、顔面の半分が骸骨の子供なんて欲しくはない。
 ああああああ、クソ。いきなり全てを思い出したせいで、上手く言葉がまとまらない。
 「そもそもどうしてこんな面倒臭い、もとい恥ずかしい方法で刻を蘇らせるんだ。全く、@d[*6$”」\..*+*/2jdaz様もお人が悪い]
 「人ではありませんがね。あれではないですか? ことわざに『口は禍のもと』というモノがありますが、人間の最も汚い部分が『口』だからではありませんかね。 それを想起させ、忘れさせないために」
 「……そうだな…。人間とは、そういう生き物だったな」
 蘇った記憶の一片。
 汚く笑う大人。荒れ果てた大地。泣き喚く子供。銃声の音。爆発の音。
 何より、世界が泣く音。
 「そのために僕は人間を捨てて、人間になったんだよな…」
 拳を強く握ると、白い肌が更に色を失っていく。
 「まあ、あれですね。私と口づけをしてガクガクと快楽に震える貴方はとても可愛らしかったですよ?」
 ニタァと、先ほどまでの空気を茶化すように、邪悪に笑うマリス。
 この笑みは彼女が《悪意》だからなのか、それとも彼女の性格に起因するのか、現在最大級の疑問だ。後者の場合、今後の僕の行動に差し支える。
 だが、茶化されたおかげで、少しだけ気が楽になったのも確かだ。
 「さて、ではそろそろ狩りに向かいませんか? この世界には何人、何十人、何百人、何万人、何億人と《悪意》を持つ人間はいますから。くふふ…美味しそうですねぇ。おっと、ゲフンゲフン。いずれはj4- 9^m5q3y\ da:・様に謁見できる日も近いですよ。それに、私たちが神になれる日も……おや、楽しそうですね」
 僕は、マリス以上に歪んだ笑い顔をしていたのかもしれない。
 口角が異常なまでに上がっているのを感じた。
 マリスがそれを見て、嬉しそうに笑う。
 僕も笑う。
 マリスも嗤う。
 僕も―

 「………ひひひ」

 嗤った。
 その笑いは、日に沈む街の中に溶けて消えた。

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