ダーク・ファンタジー小説

Re: 2006年8月16日 ( No.58 )

日時: 2018/07/26 01:02
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 改札を出て、南口を抜ける。
 彼らは横一列で階段を降りていて、僕一人だけその光景を後ろから眺めている。僕は緩やかな階段に嫌気が差し、二つ飛ばしで階段を降りると彼らの肩にぶつかりそうになる。下には線路を挟んだ両側に自転車置き場が見え、何人かがそこに自転車を止めていた。
 階段を降りきると、前方にはまあまあ立派な木々が一定間隔に並んでいて、その間からは平屋の住宅が何軒も並んでいるのが見える。右と左、どちらに進むのだろうと思いながら左右を確認すると、その先に見える景色はどちらも似たようなもので少しがっかりする。
 何故か彼らも一度立ち止まり、左右を確認して右を選んだ。
 先を進む彼らは一向に何も話そうとしない。途中、前を歩く水音さんがこちらを振り返って微笑む。そして減速し、僕の横に付いてくれる。それでもなお微笑み続ける彼女に、このとき僕は上手く笑えただろうか。

「桜、もう少しで咲きそうだね」
 横で彼女は言う。気づけば僕たちと前を歩く男三人はすでに数メートル離れていて、それは明らかに僕一人に向けた言葉だと分かった。
「へえ、あれ、桜の木だったんですね」
「あ、あれは違う! 近くに東京サマーランドっていう所があって、桜の名所なんだよ。このオフ会がもう少し遅かったら皆で行きたかったねって感じ」
 サマーランド。へえ、そんなものが近くに。
「まあ、皆の予定が合うのが今日と明日ぐらいしかなかったから仕方ないけどね」
 僕は返答に詰まり、僕らのずっと前を歩く彼らを見る。何か会話はしているのだろうか。
「……ありがとう」
 ん? と僕は横を見る。彼女は前を向いたままだった。一瞬、さっきの電車での光景がフラッシュバックする。
「ありがとう。今日、それを言いに来た。コウセイくんが何を思ってああいう行動に走ってくれたのかは分からないけど、そのおかげで私は今こうして笑えてる。莉乃とは幼なじみだったから通話してるときちょっと感極まっちゃったけど、それでもとにかく私は嬉しい」
 僕は微妙な心境のまま、前を歩く彼らを見ていた。それはさっきスタバでえんさんに言われたことと似ている。感謝される筋合いなど自分にはないのに、どうして皆こんなにお礼を言ってくれるのだろうと思う。あれは僕の勝手な好奇心でしかないのに。
 僕はしだいに、彼女らの感謝に対する単純な嬉しさと申し訳なさに吐き気のような気持ち悪さを覚えてくる。こんな中身のない人間が、今更誰かに感謝されたり励まされたりしてもどういうリアクションをとればいいのか分からなかった。

 少し歩く。このままどこまで歩くのだろうと気になる。
 狭い道の両脇に、商店街のような昔からありそうな店ばかりが並んでいる。僕はまだ水音さんと歩いていて、前を歩く三人との距離はかなり開いていた。
「……どの辺ですか? 駅を降りたってことは近いですよね」
 僕は当然のように汗を掻いていた。夏の始まりは大げさだが、実際それを予感させる暑さだった。喉が渇く。
「あ、もうすぐだよ」ははは、と彼女は上品に笑う。今更ながら、僕はまだまだ気になることがいくらでもあった。ここはどこで、今からどこに何をしにいくのか。
 ふと見ると、僕たちの数十メートル先を行く彼らが道を曲がっていた。その瞬間、彼らの横顔に笑顔が見えたような気がした。彼らが消えた所まで僕たちも小走りで近づくと、細い路地のような所を彼らが歩いていた。そして、また曲がった。
「あそこだよ」
 その瞬間僕は走っていた。脳より先に体が動いたのに自分で驚いていて、全く走るのはいつぶりだろうと心で自嘲してみる。
 彼らが曲がったのはここだ。僕は左に曲がる。そして走る。彼女はついてきていない。彼らはとある一軒家の前にいた。僕はそのまま慌てて減速する。
「あ、お久しぶりです。莉乃さんの高校時代の友達です。今日はよろしくお願いします」
 彼らは門の前に並んで立っていた。えんさんがはきはきとそう言った相手は、おばさんだった。彼女は玄関のドアを半分開いて興味深そうにこちらを見つめていた。
「ああまあ……、莉乃の友達、主人から聞いてるわ。上がってって」
「失礼します」
 まるで企業の面接に行くような、厳かな雰囲気で彼らは門を開けて入っていった。あのおばさんは見た目に反して喋り方は優しそうだった。

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Re: 2006年8月16日 ( No.59 )

日時: 2018/07/29 03:46
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「君は……?」
 僕が門を入ろうとすると、玄関のドアの前に立っているおばさんが不思議そうに僕を見つめてくる。同時に、えんさん達も一斉に僕のほうを向く。
「あ、この子はえーっと、莉乃のファンみたいなもんです」
 えんさんがそう笑ってみせると、彼女は観念したように「仕方ないわね」と家の中に入っていく。一番前にいたゆーたさんが、彼女からドアを預けられる。

 僕は周りを見回してみる。ここが莉乃さんの家らしい。辺りは小さな住宅街のようで、何軒かの戸建てが横並びに建てられている。
 前の四人は既に家の中に入っていた。水音さんはもう少しだろうと思って待っていると、振り返ると既に彼女はいた。「えっ!」と思わず声が出る。その声に彼女も驚いたみたいで目を丸くしてこちらを向いている。
 いや、彼女は驚いたというより、正気に戻ったと言ったほうが正しいのかもしれない。まるで、考え事をしていた人が急に後ろから名前を呼ばれてはっとするような状態に近い。
「……どうしました?」
「莉乃のお母さんだ。十年ぶりぐらいに会った」
 ……え? と僕は前を向こうとして止まる。肌寒い風が二人の横を通り抜けていく。全く、暑いのか寒いのかハッキリしない気候に腹が立つ。
「やっぱり、そうなんだ。私、莉乃の家に来たんだなあ」
 彼女は僕の横を抜けて玄関へ向かっていた。もうこの場所には僕と彼女しかいない。その声色は嬉しそうにも寂しそうにも聞こえる。僕は何も言えなくて当然だった。むしろ、僕なんかが何かを発言することがおこがましく思えたので、黙っていた。
「私、入らなきゃダメかな」
 彼女の足は玄関に入る手前で止まっていた。絶句したままの僕の前で彼女は振り返り、笑う。なんていう悲しい笑顔なのだと思った。この家に足を踏み入れたら、彼女にとってどんなに凄惨な光景が広がっているのかと考えるとこっちまで悲しくなってくる。
「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね」と、彼女はまた茶化すように笑った。


「部屋はこんな感じ。細かい所は何度かいじったけど、ほとんどあのときのまま」
「うわ! 全然変わってないですね」
 二階にあるその部屋は、廊下の階段を上った先にすぐ見えてくる。入っていきなり水音さんが声をあげる。遅れてそれぞれの気勢が上がる。今日、四人と渋谷駅で会ったときから初めて彼らの感情が見えた気がした。莉乃さんの部屋が昔と同じだということは何より彼らの反応が物語っている。
 なんというか、普通の女の子の部屋という感じだった。六畳ほどの部屋に、ベッドの枕元にはクマのぬいぐるみが置いてあり、暖色系のカーペットの上にはお洒落なチェストが置かれている。全体的に可愛い小物が多く、あまりの生々しさに、僕みたいな人間は少しドキドキしてしまう。
「めちゃくちゃ懐かしい……」
 えんさんが、勉強机の所まで歩み寄り、手を置いた。
「えん、ベッドは無しだからな」
 アホか、とえんさんは笑い、間もなくラックに並べられた何冊もの教科書を手に取る。数学II・Bと書かれている。高校でやる授業なのだろうか。
「そういえば、莉乃、数学ほんと苦手だったよな」
「いつも五人の中で一番テストの点が低くて、"数字を見ると失神する"だとか何とか言ってたのは覚えてる」
「代わりに国語だけ無駄に得意でね、いつも予習なしで90点ぐらい取るの、マジ笑えるよね」
 僕は、なんだ、いつかのSkype会議と同じじゃないか、と笑えていた。あの無機質な背景に、全員の声だけが聞こえる状況を僕は思い出していた。形とか場所はもう明らかに違っていて、今のほうがずっとリアルに空気感を感じられるが、あの会話の延長線上に今があると思うと少し面白い。
 彼らはこのときだけは高校生に戻っていた。今、この部屋の中に莉乃さんがいてもおかしくないといくらでも思えた。彼ら四人の中に莉乃さんが混じって楽しく会話している姿がとても素直に、ありありと想像できた。

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Re: 2006年8月16日 ( No.60 )

日時: 2018/07/31 05:13
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……ずっと好きでした」
 僕はその部屋から出ていった。少し遅れておばさんも出てきて、部屋の扉を閉め、無言のまま階段を降りていった。全体的に暗い廊下だったが吹き抜けのある部分だけ明るく、おばさんの影がぼんやりと映る。僕はその後ろ姿をいつまでも見ていた。
 いつまで経っても部屋のドアは閉まったままだった。僕はその場に腰を下ろす。そういえば凄く疲れている。今日一日で、岡山とかいう片田舎から日本の中心部まで移動して、そこからまたこんなどこだか分からないような場所まで来ていたのだから、当然かもしれない。
 僕は疲れた腕でポケットからスマホを出す。最近入学祝いで買ってもらったiPhone5sは、前使っていたスマホよりも画面が小さいので多少見えにくい。指紋認証という画期的なシステムが話題を呼んだみたいだが、ミスをする確率が思ったより高いので結局使っていない。
 Safariから、あの掲示板に飛ぶ。スマホ版などないのでパソコンで見ようがスマホで見ようが同じデザインやレイアウトである。最終更新は今朝で、ゆーたさんと樹雨さんが今日のオフのことを二人で話していた。画面をスクロールしていくとそれ以前にもえんさんや水音さんも話していたログが残っている。
 不便じゃないのかな、と思った。もちろん彼らも僕もスマホを持っていて、全員LINEをしている。それならLINEで会話したほうがメッセージ通知が来て便利だろうし、効率もいいに決まっているのに、わざわざ掲示板なんかで会話する意味があるのだろうかと、疑問に思ってしまう。
 足を放り出すようにして座っていると、しだいに足が痺れてくる。
 Twitter、LINE。僕が使っているのはそれぐらいだが、他にもいくらでも便利なコミュニケーションツールは存在する。それらは日々開発され、私たちの生活と密接に関わり始めている。それはそれで悪いことでもなんでもないし、むしろ人々の生活が豊かになるならそれは幸せなことだろう。ただ、そういう便利なツールの使用者が徐々に増えていく一方で、過去に使われていた物が次第に忘れ去られていく事実はどうなるのだろう。
 僕がこの掲示板を最初に見たとき、悲しい気持ちにしかなれなかった。それはまさしく、前時代の遺物が、人々の記憶から忘れ去られたようにいつまでもそこに存在している様に他ならなかった。

 少しして、スマホから目を離した僕は目の前の扉を凝視していた。扉の向こうの彼らは、今何をしているのだろう。
 廊下は窓から注ぎ込む夕日に照らされて明暗をはっきり作っていた。そのコントラストが変に印象的で、その様子を僕は何も考えることなく眺めている。窓の向こうで小鳥が飛んだらしく、影がその形を作り出す。その影はまるで生き物のように躍動し、そしてしだいに消えていった。
 なんとなく切なくなっていると、目の前の扉が開いた。
「いやー、ごめん。待たせたね……、って暗っ」
 目の前にはやはりえんさんがいた。向こうの部屋が思ったより明るいので、少し眩しく感じてしまう。確かに、ここ数分でかなり暗くなったみたいだった。
「暗くなりすぎじゃない?」
「一人でそんなところに座らせちゃって本当ごめんー」
 すぐに皆が声をかけてくれる。「僕はいいんです、これぐらい全然」
 そう言いながら、僕は目の前の部屋を見続けていた。これが莉乃さんの部屋だと実感が湧くのに一体どれだけ時間がかかるのだろうと思う。しだいに実感なんて湧かなくて当然だと思い始める。僕は莉乃さんのことを断片的にしか知らないのだ。
「コウセイくんは大人だねー」私も座ろ、と水音さんが横に腰を下ろしてくる。無駄に広い廊下は足を伸ばすように座ってもまだ遊びがある。
 大人。その単語がいつまでも気になった。
「なんというか、ただ者じゃない、って感じだよね」
 冗談じゃないと思った。
 僕は特別だ特別だと言われて育った。幼い頃から、人は誰しもが特別だとか、人にはそれぞれ輝いている部分がある、などと当たり前のように教えられた。でも、それが最近になり「大人」とかいうよく分からないモノに近づくにつれて、自分がちっぽけでどこにでもいる存在だということに段々と自覚させられていき、正直、こうしている今ですら何が何なのか分からずにいる。
 気づけば、今では周りから特別だなんて言われることはなくなっていた。まるで、あのときには毎日のようにどこかで言われていたのが嘘のように。

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.61 )

日時: 2018/08/03 13:20
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……よし、じゃあ、お墓行くか」
 かすかな静寂の中、突然えんさんが仕切り始める。
「そうだね。ここから近いんだっけ?」
 樹雨さんはそう言いながら床に置いてあるバッグを背負う。隣の水音さんが立ち上がる。座ったままの僕に手を差し出してくれるが、拒否する。樹雨さんが部屋の電気を消し、先を行くえんさんの後を追う。
 あっさりと去っていく二人が意外だった。……これで、終わりなのか。僕は莉乃さんの部屋を未だ見つめる。カーテンが中途半端に開いた窓から茜色の夕日が注ぎ込んでいる。しだいに闇に堕ちていくこの部屋の様子を眺め続けていた。
 僕は切ない気持ちで心がいっぱいになっていた。もうこの部屋で莉乃さんが生活していたのは十年近く前で、彼女の匂いだとか、空気なんてものが一切消え失せている。確かに家具や小物などは片付けられていないみたいだが、生活感なんてものの欠片もないこの部屋が途方もなく切なく感じられた。
 彼らはこれでいいのだろうか。次彼らがここに来るのはいつになるのだろう。もしかしたら、これが最後かもしれないというのに。

「なんか、デパートのショールームみたいだ」
 そう捨て台詞を吐いて水音さんは階段を降りていく。やけに低い声だったので、一瞬誰の声か分からなかった。
 気がつけばここにはゆーたさんと僕だけになる。なんだか少しばつが悪い。

「あのときはごめん」
「……えっ?」
 ついに立ち上がった僕の、先を行く彼らに次ごうとした足が止まる。
「通話だよ。なんかさ、大人げなかったじゃん。コウセイくんからしたら意味不明なことで怒っちゃったし」
 目の前でゆーたさんが申し訳なさそうにしているが、僕には彼を責める気持ちなど全くなかった。それは彼の気持ちが僕にも共感できたからではない。好きだった人が亡くなってしまったという事実と、亡くなる前に想いを伝えられなかったという自責に駆られ過ごしてきたこの十年間が、彼にとって一体どれほどの苦痛だったのか、考えるだけで絶句してしまったからだった。
「ごめんね。君には君の人生があるから、それを俺が横からとやかく言うのは違うな。好きな娘に想いを伝えようが伝えまいが、君の自由だ」
 と、ここで彼はついに階段を降りる。先導されているように感じたので僕もついていく。去り際に莉乃さんの部屋をふと見る。
 しかしそれでも、その言葉は僕への当てつけに聞こえてしまう。君の自由だ、などと言われても、想いを伝えなかった結果、今目の前にいる人間がどういう苦悩をしてきたか嫌でも目に入ってしまうに決まっている。彼は少し狡猾だ。

「……おー、遅かったな」
「ちょっとな」
 家の外に出ると、えんさんと水音さんの二人が何かを待っているようだった。樹雨さんがいないことにすぐに気づく。
「あ、コウセイくん。樹雨は今、家から車持ってきてくれてる」
 車。お墓と言っていたが、それほど遠い距離なのだろうか。
「霊園自体はそんなに遠くないよ。ただ……」
「この時間にお墓参りは、本当は行きたくなかったんだけど。まあ仕方ない」
 確かに、お墓参りというと朝にするイメージが強い。時刻は既に17時半を廻っている。

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.62 )

日時: 2018/08/07 23:57
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……どう? ここ。いい所でしょ?」
 訊かれたので、ふと辺りを見回す。ひっそりとした住宅街は、空の微妙な明るさと調和していて、絶妙に気味が悪い。
「なんか東京っぽくないですね」
 言うと、三人は笑い出した。
「はは、そりゃあね。私もそう思う。東京感ないなーって自分でも思うもん」
「コウセイくんの住んでるところはどんな感じなの?」
 言われて、ふと真面目に考えてみる。そういえばこんな質問をされるのは初めてだった。
「多分、普通です。家の近くに大きな河が流れてるってぐらいで」

 そのとき、向こうの角からふと車が顔を出した。徐行しながらこちらに向かってくるその車の主はもちろん樹雨さんで、窓からひょこっと顔を出して僕らを呼ぶ。「おーい! 遅くなってごめん」
 数秒後に停車した、その黒塗りのミニバンはかなりの存在感がある。皆が乗り込んでいくので自分も乗ろうとしたところ、水音さんに手招きされて一緒に三列目のシートに座ることになる。車内にはその車独特の匂いが広がっているが、自分の家の車よりはマシなので少しほっとする。
 三列目に座る僕の目線からはこの広い車内のあらゆるものが見える。一番前の席には運転手の樹雨さんが座り、二列目にゆーたさんとえんさんが座っている。右を向くとすぐ水音さんがこちらを見て微笑む。
 ついに動き出した車は、さっき僕たちが歩いた道を遡り、駅の前まで進んだのち、別の道を進む。エンジン音がそれなりに響く車内では誰も口を開こうとしない。なんとなく車窓を眺めてみる。
 僕は、東京にいる今だけは、岡山での自分の現実のことは何も考えないようにしようと決めていた。今僕が体験しているこれは夢のようなものだ。高校がどうとか、将来がどうとか、早紀がどうとかは敢えて考えないようにしないと、一気に現実に引き戻されてしまう。
 だから、明日の昼過ぎぐらいに岡山に帰ることになっているのだが、帰って早々紅葉高校の入学説明会を受けにいくだとか、昨日送られてきた早紀からのLINEを無視していたりだとか、本当に問題は山積みなのだが今だけは全て忘れていようと思った。

「そういえば、さっきコウセイくん河って言ったね」
 僕のすぐ前のシートに座るえんさんが、前を見ながら言う。
 旭川……。具体的な名前は出さなかったはずだが、本当に僕の家の周りにはそれしかない。思い入れのある場所も、何もかも。
「この近くにもあるね。全然小さい河だけど」
「さっき降りた駅と同じ名前で、秋川っていう名前」
 樹雨さんを除いた三人がそれぞれ説明してくれる。へえ、そんな河があるんだ、以外の感想が浮かばない。

「なんか、ごめんね。せっかく東京に来てもらったっていうのに、こんな移動ばっかで」
 信号待ちの間、樹雨さんが呟くように言った。運転席にいる彼の声は僕から見てかなり遠い。僕はすぐに否定する。
「あー、それは思ってた。お詫びに明日渋谷とか原宿とか色々行こう。案内してあげるよ」
「アホか、えんが原宿なんか知らんやろ」
「俺そんなにいじられるキャラだったっけ……」
 ちょうどそのとき車はトンネルに入った。急に景色が変わって驚いたのか会話が一瞬途切れる。
「……もう近い」
 いよいよか、と身が引き締まると同時に、今から数十分後の未来を想像してみる。今は和やかな空気だが、そんなものよりずっと勝る恐怖がこの先に待っているような気がしてならなかった。
 きっと彼らも同じことを感じていて、それで黙り込んでしまったのかもしれない。
 車内には、ゴー、という車のエンジンの残響音だけが絶えず鳴り続けている。

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.63 )

日時: 2018/08/22 11:20
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 それから数分後、車は霊園の駐車場に停車した。
 辺りには車を止めるスペースがいくらでもあるが、止めているのは僕たちだけである。彼らは一様に降車し始めるが、僕はその場に座ったままでいた。
「どうしたの? 早く降りようよ」
 先に降りていた水音さんが手を差し出してくれる。
 いつまでも座ったままの僕に気づき、水音さん以外の皆も「?」という表情で僕を見つめる中、僕はやがて自己解決していた。少し遅れて、水音さんの手を取り降りる。全員降りたことを確認すると樹雨さんはドアをロックして一行は奥に進む。
 例によって、男三人の集団に、数メートル後ろの僕と水音さんがついていく構図になる。

「よかった。初めて手取ってくれたね」
「……一瞬、僕は自分だけ部外者かなって思ってたんですけど、よくよく考えてみたら元からそうでした」
 ははは、と彼女は笑う。「そんなこと考えてるんだろうなーと思った。今更そんなこと気にしなくていいのに」
 元からそう、というのは、僕があの掲示板を見つけて、えんさんにメールを送ったときから既に始まっていたという意味だった。今更にもほどがあると自分でも少し笑えてくる。
 だだっ広い駐車場を抜け、石階段を数十段上ると、すぐに墓所が見えてくる。いくつもある墓の中の一つの前に、えんさん達が既に立っていた。僕らは少し小走りで近づく。奥に行けば行くほど驚くほど多くの墓が並んでいることに気づく。まるで棚田のように、段差ごとに百ほどの墓が集積していて、僕は今四方八方全て墓に囲まれているといっても過言ではない。

「ここが、莉乃の墓か」
 隣の水音さんが、目の前の墓所を見る。莉乃さんの墓、と口に出されてみると一層現実味が増す気がする。
「じゃ、掃除してくぞ」
 ゆーたさんは初めに合掌し、墓石に水をかけ、持っていた袋から取り出した雑巾で汚れを落とす。きちんと裏まで汚れを拭き取った後、小さなブラシで今度は線香台や水鉢などを擦る。
 慣れている、と思った。少なくとも僕や水音さんはここに来るのが初めてだが、ゆーたさんは既に来たことがあるのかもしれない。あまりの手際の良さに誰も手を出すことができず、彼だけが世話をしてしまっている。
「……半年に一回ぐらいここには来てる」
 ゆーたさんはさらに墓石に打ち水をし、花立にお花を、水鉢に水を入れ、お供え物を置く。
 僕は息が詰まる思いのまま、彼を見つめる。高校時代に亡くなった女の子の墓に、十年経った今でも定期的に墓参りをするという彼に対し、この中の一体誰が何か言えるのだろうかと思った。
 お線香の束に火を付けた直後に振って消火し、彼は香炉にそっと寝かせた。炊けるお線香の独特の匂いが鼻まで届く。
 そして、全員ばらばらに合掌する。このタイミングなのか、と反応が遅れた僕一人だけ最後になる。目を瞑ってみるが、何を言えばいいのか、何を想えばいいのか、分からなかった。
 目を開けるとすぐに眩しさを感じる。夕日はピークに達していた。僕は、いつまでもその燃えゆくお線香を眺めていた。

「莉乃。久しぶり」
 語りかけたのはえんさんだった。
「今日はゲーム制作企画のみんなと、あと一人、スペシャルゲストに来てもらってる。コウセイくんっていって、ずっと連絡とってなかった俺らを仲介してくれたみたいな感じ」
 紹介されたので、とりあえず何か言ってみる。「香征っていいます。岡山から来ました」
「そう岡山! そんな遠い所から来てもらったのに加え、莉乃の部屋とか色々見てからここに来たからちょっと遅い時間になっちゃってごめん。……今日は、とある理由で全員集まってもらった。普通のオフ会とは違って、他の理由で」
 ……僕は、普通のオフ会だとしか伝えられていないのだが。確かに今日はずっと湿っぽいことばかりしているから、ただの普通のオフ会ではないと思うが。
「今日は、このゲーム製作企画を終わらせる日として集まってもらった」

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.64 )

日時: 2018/08/14 23:29
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 周りの木々がざわざわと揺れ、風を感じる。
 えんさんは既に燃え尽きたお線香を片付ける。お供え物を拾い上げると、別の袋に入れる。
 僕らは何も話さなかった。えんさんも、莉乃さんへの語りかけが終わった途端無言で片付けを始めている。それをただ見つめるだけの僕たちは棒立ちだった。別に話したくなかったわけではないだろうが、そういう気分だったのだろう。
 片付けを終えたえんさんは、最後にもう一度合掌し、ゆっくりと引き返す。僕たちも同じことをし先に進む彼に続いた。気づけば日没していて、辺りが薄明に包まれていた。
 石階段を降りると、50メートルほど離れた向こうに樹雨さんのミニバンが見える。それに向かっていると、駐車場の中腹辺りで、僕たちを待っていたのかえんさんがこちらを見ていた。
「……よし、じゃあご飯食べに行くか! お腹空いたでしょ?」
 やっと口を開いたかと思えば、意外と軽い話題で少し驚く。
「あの予約したとか言ってた所?」
 確かに、そういえばお腹が空いている。今日は朝か昼かよく分からない時間に新幹線の中で食べた弁当が最後だった。色んなことがありすぎて、忘れてしまっていた。
「今日はえんの奢りだからみんなたくさん食おうぜー! コウセイくんも」
「なんで俺奢らされんの……」
 笑いが起こる。彼らはやけに元気だが、無理やりテンションを上げている感は否めない。きっと彼らはまだそういう気分じゃないのだろうが、今気持ちを切り替えないとだめだと思ったのかもしれない。
 車に乗り込むとき、ふと後ろを振り返った。莉乃さんの墓所は奥の方にあるのでここからでは見えない。
 ここには莉乃さんの他に名前も何も知らない多くの魂が眠っている。僕は少し切ない気持ちを隠せずにいたが、きっともう二度とここに来ることはないのだから、と割りきった。


「乾杯!」
 ガゴッ、とジョッキがぶつかって音がする。彼らはすぐに飲み干す勢いでグビグビ飲んでいく。
 辺りを見渡してみる。ここは個室の居酒屋のようなところで、テーブルには唐揚げや枝豆などのおつまみの他に、……ノートパソコンが置かれてあった。
「それよりさー、コウセイくん以外全員アルコールだけど大丈夫? ホテルまでは近いの?」
 実際に二口目で飲み干してしまったゆーたさんは、すぐに二杯目に手を付ける。どうやら最初から二つ頼んでいたみたいだった。
「まあなんとかなるでしょ」
 樹雨さんは枝豆をバクバク喰いながら返す。
「え? 大丈夫じゃないじゃんそれ……」
「嘘嘘。ホテルの駐車場に止めたってちゃんと。俺が遅れた理由それだから」
 ははは、と彼は笑う。というか今日ホテルに泊まるなんて初めて聞いた。
 そもそも自分が居酒屋なんかにいるという事実だけで緊張してしまうのだが、本来なら中学生は入っていいのだろうか、とふと疑問に思うがオレンジジュースと一緒に飲み込む。果汁100パーセントらしく、濃厚でとても美味しい。

「じゃ、おれのパソコンに既に入ってるから、やってみてよ」
 つい一週間前できたばっかりだよ、と樹雨さんは僕の前にノートパソコンを移動させる。それは小さめのMacbook Airで、彼は片手で楽々持ち上げていた。
 そのゲームはデスクトップ画面にすぐ見えたので、そこをクリックしてみる。マウスがないので指での操作になる。そのSignという名前になんとなく既視感があると思っていると、あの掲示板のスレッド一覧の上に「ノベルゲーム"Sign"、現在製作中!」という文言がスクロールされていたからだとすぐに思い出す。
「じゃあ、やってみます」
 そのとき、グラスの氷がカランと音を立てる。

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.65 )

日時: 2018/08/16 22:14
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「ふう」
 ずっと画面だけを見ていた目が、ついに逸らされる。自然と伸びをし、その場に仰向けに倒れるような姿勢になる。ずっと前のめりでやっていたので流石に疲れる。
「終わった?」
 僕の真隣に座るゆーたさんは枝豆をつまんでいる。起き上がり、ふと目に付いたテーブルの上を見てみると、その既に身を食べたであろう枝豆の皮の山盛りが皿に高く積まれていた。流石に失笑を漏らすと、彼にバレてしまう。
「なんだよ枝豆美味しいぞ! 最高のつまみだわ」
「コウセイくんはまだおつまみなんて概念分かんないでしょ」
 ちょうど向かい側にいる水音さんは少し顔が赤くなっていた。なんだかこの部屋自体がお酒臭い。あとの二人は? と思い見てみると二人とも眠っていた。僕がゲームを始めてからいくつもの時が流れれば一体ここまで変わるのかと不安になる。
 時間が見たいなと思いスマホを探すが、テーブルの上を探しても見つからない。間もなくポケットに入っていることに気づき、時間を確認する。大体僕がゲームを始めてから一時間ほど経っていた。

「それにしてもコウセイくんの集中力凄いねー、私たちの会話全然聞こえてなかったでしょ」
「一時間ぐらいずっとパソコンの画面に張り付いたまま動かなかったからちょっと怖かったよ」
 二人はそう談笑するが、僕はふと考えていた。
 莉乃さんは何を思って、僕たちに何を伝えたくてこんな脚本を書いたのか。
 もちろんゲームはとても面白い。原画や背景は単純に上手く、相当時間をかけたことが伝わってくる。SEやBGMも種類が豊富なのに一つ一つが覚えやすく、こうしている今も頭の中で曲が流れっぱなしだ。そしてどうやら一からプログラムを組んだみたいで、クレジットタイトルには「スクリプト担当:水音」とでかでかと載せられていた。全体としてまるで商業作品のようなクオリティーで、それを自分がプレイできているのはとても嬉しいことなのだが、それは問題ではない。というより、それはそれとして、どこだか少し引っかかる。
 絵でも、BGMでも、このゲームのどこかに懐かしさすら感じてしまう自分がよく分からなかった。このゲームをプレイしたのは今が初めてに決まっているし、似たようなものをプレイした記憶もない。そもそも自分はゲーム自体を最近まともにやっていない。
 そういえばと飲んだオレンジジュースはとっくに氷が溶けていて薄まっていた。勿論、莉乃さんが書いた脚本だけ浮いていることなど分かりきっている。ここにいる彼らは大人で、全員それらに関連した職に就いているのだから、一人だけ高校生、あと全員プロなのだ。

「考えすぎちゃいけないよ」
 それは右側に座るえんさんの声だった。いつの間にか起き上がっていて、こちらをまっすぐと見つめている。
「自分が亡くなることなんて莉乃が予測してる訳ないから、彼女が何を考えたかとかいくら俺たちが勘ぐっても無意味でしかない」
「その辺はもうある程度諦めるしかないねー」と水音さんは笑う。確かに、一理あるどころかそれが正解なのだろう。
 これは、過去にメンバーの一人を亡くした企画が、十年経ってまた制作を始めるというだけの事実に過ぎず、きっとそれ以上でもそれ以下でもない。

「よし、じゃあそろそろホテル行くか。ここで寝てても仕方ないし」
 なあ樹雨、とえんさんは彼の尻を叩く。「……ふぁい」と弱々しい返事をする樹雨さんはゆっくりと起き上がり伸びをする。畳の床だから寝転がりたくなる気持ちは分かるが。
 僕は彼らのコメディに笑いながら、ノートパソコンを返そうとした瞬間、ふとデスクトップ画面の一点が気になる。それは今プレイしたゲームのちょうど上にあったフォルダだった。なんだろう、この既視感は。
 無意識にマウスで追っていたらしく、水音さんに言われる。「あー、それは前回の十年以上前に作ったゲームかな。よくダウンロードしてたね樹雨」
「一応何かに使うかなって思ってたけど全く使わなかった。開いてすらないわ」
 彼らが笑い合う中、僕はそのフォルダをクリックしてゲームを始めていた。そして思い出す。このゲームは、去年のクリスマスイブ、早紀と久しぶりに再会したあの日の朝プレイしたノベルゲームだった。
 早紀と出会い勉強なんかを始め出す前にプレイしたこのゲームを、僕は途中までやった後、つまらないと一蹴したのを覚えている。……彼らに言えるわけないが。

メンテ

Re: 2006年8月16日 ( No.66 )

日時: 2018/08/19 03:14
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「僕、これやったことあります」
「……え、マジ?」
 彼らはきょとんとして黙ってしまった。悪いことを言ったわけではないと思うが、少し不安になる。
「これプレイされたのはちょっと恥ずかしいわ、普通に……」
 彼らは立ち尽くしたまま動こうとしない。自分もとりあえず立ってみるが、足が痺れてきたのですぐに座る。
「面白くないでしょ、これ。作ってすぐネットで公開してみたけど全然誰もプレイしてくれなかったから結構しょげちゃったのを覚えてる」
 面白くないとハッキリと自分の口で言うえんさんが少し意外だった。
 しばらくして、伝票を手にしたえんさんは「払ってくるわ」とその場を後にした。俺も払うぞ、とゆーたさんはすぐに追いかける。

「"そこまでドライになることないじゃん"って顔だね?」
 置きっぱなしのノートパソコンを片付けながら樹雨さんが言う。随分ピンポイントだな、と思いながら肯定の意を示すが、彼の言うことはその通りだ。
「ま、とりあえず出るか」と彼らは部屋を出ていく。自分も続く。振り返りはしなかった。
 時刻は21時頃だろうか。居酒屋はどこを見てもまさにこれからといった盛り上がりで、中学生の僕なんかには場違いを感じざるを得ない。
「私たちは確かに高校の頃ゲームを作ってたけど、別にクオリティにそこまでこだわってたわけじゃない」
 え、と思いながら僕は水音さんを見る。彼女はこちらを見つめたままにっこりと笑っていた。僕は意味が分からず、言葉を待ったが、彼女は少し躊躇った。
 曲がり角を曲がるとレジで精算する二人が見える。
「ご馳走様」
「ありがとう」
「いいって。俺普段職場と家をずっと往復してるだけで全然お金使わないから」
 どうやらえんさんが全て払ったみたいで、先に行っていたゆーたさんも礼を言っている。「ご馳走様です」
「ああ」彼は素っ気なく返事しながら、さあ行こう、と先導した。


「さっき言ってたことの続きだけど」
 そのとき僕たちはホテルのロビーにいた。えんさん達が受付でチェックインを済ませている間、少し離れたソファの所でくつろいでいた。
 辺りには何も響いていないほど静かな空間だったので、水音さんは呟くような声量で僕に語りかける。
「クオリティにこだわってないっていうのは意外でした」
「……うん、まあこだわってないっていうか、気にしすぎてもよくないからっていうニュアンスかな。だから、楽しめればそれでいいじゃんって感じ」
 僕が何か言うより先に、彼女は続ける。
「意識が低いだなんて思わないでくれたら嬉しいな。何を作ろうが、どう活動しようが、自分たちが楽しめるってことを優先させてたから。それはそれで別に悪いことでも何でもないって思ってたし」
 言葉だけ聞くと少しムキになっているように聞こえるが、口調はそれと相反して柔らかだった。
 チェックインを済ませたらしく、向こうにいるえんさん達がこっちに向かってくる。エレベーターは僕らのいる側にあるので、必然的にここを通る。
「みんなで一つのものを作って、できたって万歳することが目的だったというか」
「……そういうものなんですね」
 うん、と彼女はソファから立ち上がり、こちらにやってくる彼らを待った。初めから立っていた僕の近くに顔が来るので、気持ち少しだけ離れる。

「今私はプログラマーみたいなことをやっててそれでお給料もらってるけど、正直あんまり楽しくない。私頭悪いからミスばっかして色んな人に迷惑かけるし、この仕事向いてないなって思うことばっかり」
 彼女は目を伏せていて、少し笑っていた。「でも、莉乃の脚本でゲーム作ったとき、何かを作るっていうことの単純な喜びを久しぶりに感じた気がした。高校のときは毎日のように感じられてたことを、いつの間に忘れちゃってたんだろ、私」
「だから、きっかけを作ってくれたコウセイ君には感謝してもしきれない。莉乃のことに関しても色々と自分の中でけじめ付いたと思うし、これからは今の仕事とかも前よりもっともっと頑張れる気がする。ありがとう。さっきも言ったけど今日これだけを言いに来たようなものだから」
 僕はその内あふれ出る何かを抑えることで必死だった。何か口にすると、目から何か別のものが出てきそうで、ついに僕は言葉のないまま彼女を見つめていた。

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Re: 2006年8月16日 ( No.67 )

日時: 2018/08/22 11:16
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 彼らはすぐ近くまで来ていて、その中の誰かがエレベーターのスイッチを押す。
 彼女の言葉に勿論感動はするし、単純に嬉しい。その他にも色んな感情が渦巻いていたが、最初にきたのは猛烈な恥ずかしさだった。僕は今日、彼らに何度かお礼を言ってもらえたが、その度に少しでも申し訳なさを感じてしまっていた自分がとても情けなく思えた。

「……じゃ、ここでとりあえず解散。チェックアウト期限は朝の十一時だけど、コウセイくんの新幹線の都合で九時半ぐらいには出る準備済ませといてくれ。お疲れ様!」
 通路の真ん中でえんさんが言う。どうやら一人一部屋みたいで、皆何か挨拶をした後それぞれ別の部屋に入っていく。
「おやすみ」水音さんに言われ、僕も返す。
 少し重たいドアを開け、中に入る。そこそこ立派な部屋らしく、自分には勿体ないほど部屋が広い。僕はすぐに持っていたキャリーバッグを置き、真っ先にベッドに倒れ込む。何はともあれ、とりあえず寝ていたい。
 ただ部屋が明るいと思い、すぐに起き上がり近くにあったリモコンで消灯する。ベッドメイクされたままのベッドに、掛け布団ごと寝転がる。そこから自分は死んだように眠っていた。
 さっき水音さんに言われた言葉が、何度も頭の中で反響する。今僕はきっと嬉しいのだ。嬉しいから、一人で泣いて眠っているのだ。


 そのとき僕たちは、東京駅の新幹線改札口前にいた。
「……しっかし、いつ来てもバカみたいに人多いなー、ここ」
 樹雨さんは苛つくように言う。確かに、人が多い上に広すぎてどこに何があるのかが全く分からない。
 水音さんは「口悪っ」と笑った後、僕の手首を取る。その暖かい手に感触を奪われ、持っている新幹線の切符が手から少し落ちそうになる。
「あっごめん」と彼女はすぐに謝った後、僕の目をまっすぐと見る。ん? と僕も不思議と見つめ返してしまう。何故かこうしていても彼女の手は僕の手首を掴んだままだ。
「コウセイくん、これでお別れか……」
 彼女は既に泣きそうになっていた。僕ははっとして、周りの三人を見る。彼らの一様な悲しい顔を見てやっと僕も現状が飲み込めてくる。
「えんが昨日言ってたように、この企画はもう解散する。えんは栃木で忙しくしてて、ゆーたは大阪だったっけ……。で私たちは東京なんだけど、結構皆バラバラでもう次いつ会えるか分かんないし、とりあえず今日をもって一応は終わりってことになる」
「まあ、元から期間限定の再結成のようなものだからねー。壊滅状態だったのをコウセイくんに救ってもらえただけだし」

「君が改札を通ったら、私たちもすぐに別れる。だから……、コウセイくんが最後のこのときにいてくれてよかった」
 ぽつん、とふと手に何か感じたので見てみると、涙が落ちていた。僕のではない。右腕を掴んで離さない水音さんは俯いたままこちらを見ようとしない。
「水音……」
 流石の皆も驚いたような表情は隠せない。

「じゃあ、十年後にまた会うっていうのはどうですか」
 何か言わなきゃ、と使命感に駆られて出てきた言葉だったが、どっと笑いが起きる。
「いいね、それ。今回会ったのが自然消滅して十年だからってことか。今から十年後って言ったら俺ら三十中盤だけど」
「で、コウセイくんがちょうど今の俺らぐらいの年齢かー。面白そう」
「ね? 十年後にまた会うとのことだから、そんな落ち込むなって、水音」樹雨さんが、俯いたままの水音さんの肩を叩く。すると彼女はゆっくりと顔を上げ、笑う。涙目なのが分かる。「本気にしちゃうよ? コウセイくん」
 そこで再び笑いが起きると、僕の腕から彼女の手がゆっくりと離れていった。僕の腕に残った乾ききらない涙を彼女は裾で拭く。「ごめんね、汚かったよね」
「いえいえ、全然……」そう言いつつ、ちょうど卒業式の日にも似たようなことを経験したな、と少し笑える。
 端から見ると、僕らの関係はどう考えても異常だろう。僕など、ネットの掲示板で数年前に彼らが話していたのを見ただけという完全な赤の他人で、彼らとは何の共通点もない。それが今、共にいて、別れをこんなに惜しんでくれる存在にまでなったと考えると、流石に感動してしまう。
 新幹線は十時半に出る。もう時間はあまり残されていない。できれば、乗る新幹線を一本や二本遅らせてでももう少し彼らとここで話していたいのだが、それは少し違うのだろう。
「弱ったなあ、何も言う言葉が出てこない……」
 えんさんは少し半笑いで、間が持てない様子で腕時計を確認する。
「まあ、元から共通点がほとんどない関係だから、こういうとき話す言葉に悩むよね。これからの人生頑張ってーとか、月並みなことしか言えない」
 ははは、とゆーたさんは笑う。横にいる水音さんは対照的に落ち込んだ様子だったが、僕たちにはどうすることもできない。

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Re: 2006年8月16日 ( No.68 )

日時: 2018/08/23 22:59
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「……じゃあ、そろそろ」
「もう時間か。ありがとう、岡山で元気でやってね」
「高校頑張って!」
「また十年後会おうぜ!」
 僕は、ありがとうございました、と言い、ゆっくりと彼らに背を向けた。前に見えるのは改札だけだった。東京発博多行の切符を持つ手に自然に力が入る。前に歩くと同時に、来るときより重いキャリーバッグを引く。
「私たちのこと忘れないでね」
 水音さんのその小さな声を僕は聞き逃さなかった。辺りには色んな音が騒々しく響いているが、その声だけが不思議と耳の近くで聞こえたような気がした。
 僕は振り返ってはいけないと思い、前を向いたまま手を挙げるようにして応える。
 忘れるものか、と強く思った。ここまで強く何かを考え、感じ、自分の行動が誰かの人生をここまで左右する出来事を僕は知らない。だから、きっと何年、何十年経っても、記憶には色濃く残っているに違いないと確信する。僕の人生にとっても、彼らの人生にとってもこれは大きな出来事で、同時に何か、今はよく分からないが別の何かへのターニングポイントにきっとなっている。
 改札を抜けた後、僕はそれでも歩くペースを変えない。彼らはまだ後ろで見ていることだろう。僕はやがて角を曲がり、彼らからは見えなくなった。それでも彼らはなお目が逸らせず、きっとまだ見ていることだろう。僕が去った、何もない自動改札を。


 岡山駅に着いた頃には、既に二時を廻っていた。
 僕は東口の長い階段を降り、桃太郎像の横を通り先に進む。岡山は昼過ぎでも涼しく、そういえば東京はもっと暑かったな、と笑う。
 差し掛かった信号を待つ。向こう側にはビッグカメラなど大型店舗が幾つかあるが、ほとんど誰もいない。ずっと座っていただけとはいえ、三時間以上も同じ態勢だったのでそういえば体がそれなりに痛い。
 青信号に変わってもほとんど誰もいない横断歩道をゆっくりと歩く。同じ時間でも渋谷ならこの百倍以上は人がいたと考えると少し面白いが、それはあっちが異常なだけだとすぐに気づく。
「……そっかー、岡山に帰ってきたんだなー」
 と、ぼけーっと独り言を言うと周りの数人に見られる。少し恥ずかしいが、渋谷ならこのぐらいの声量でも誰にも聞こえなかったはずだと考えると、やっぱりあっちは異常だと再確認させられる。

「あ、香征」
「あ」見ると、母さんが立っていた。
「そろそろ来る頃かなって思って、車から出てたら、予想通りだった」
 そう満足げに笑う彼女の横を抜け、僕は無言のまま車に乗り込む。なんだか行動を読まれた気がして少し悔しい。
 遅れて乗り始めた母さんが運転を始めると、僕は「はあ」と自然にため息をつく。その思いのほか深いため息に自分でびっくりする。
 動き始めた車は、歩いているときの何倍ものスピードで景色を映していく。自分が滅多に見ない路面電車が通っている。この辺は少し前に早紀と通ったっきりだと、ふと思い返す。カップルの多さに少し照れくさくなりながら歩いたあのときの自分が、まだそこにいるようだった。
「あ」
「ん?」
 同時にもう一つ思い出したので、ふと声が出てしまう。そういえば、早紀からのLINEをずっと既読無視していたのを忘れている。そろそろ返さないと流石に怒られるだろうから、なんて返そうかとりあえず考えてみる。
 そう思いつつスマホをいじっていると、車酔いが急に来る。忘れてた、と思った頃にはもう……。
「あんた、車の中でそんなんいじってたら酔うわよ」
 もう手遅れだった。僕は既に気持ち悪すぎて下を向くが、そういえば下を向いているとさらに悪化するので次の瞬間無理やり斜め上を向いていた。そして車に乗り込むとき、トランクに入れるのが面倒で座席に置いたキャリーバッグが、車の揺れで横に倒れる。狙い澄ましたかのように僕の足の上に倒れてきたので、「痛って!」と僕は声を出していた。
「何やってんの」と母さんは笑うが、自分からすると笑い事ではない。気を紛らわす為に窓の外を見ると数秒前と風景がほとんど変わっていてびっくりする。この道はもう知らない。

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Re: 2006年8月16日 ( No.69 )

日時: 2018/08/26 04:55
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「そういえば、ご飯は?」
「あー、朝から何も食べてないんだよね。東京駅でお土産買いすぎて昼飯食う分なくなった」
「アホじゃん」と一蹴されるが、自分でもその通りだと思ったので言い返せない。

「じゃあ学校説明会の帰りどこか寄ろうか」
「ああ……うん」
 学校説明会。その一単語で全てを思い出してしまう。
 僕はなんとも言えない感情のまま、視力が許す限りのずっと遠くの景色を見ていた。この、早紀のLINEの件といい、急に現実に戻された感じがとても切なく感じられた。さっきまで僕は確かに直線距離550キロ離れた場所にいて、未知の人と未知の体験をしていたはずだが、新幹線三時間ちょっとでここまで現実世界に戻されたとあっては、少し悲しい。
 えんさん達は今何をしているのだろう、とふと思う。僕と別れたら彼らもすぐ解散すると言っていたので、きっともうバラバラなのだろう。そしてもう二度と会うことはないのだと分かってしまう。さっきの東京駅での別れは、文字通り最後のお別れだったに違いない。
 僕は少し寝ていようと思った。それはホテルでふと深夜に目覚めた後、そこから全く眠れないまま朝を迎えたからではない。ただ少しだけ、なんとなく、眠っていたかったのだ。
 目を閉じてみる。僕には、彼らの一挙手一投足が、まるで今この場にいるかのようにありありと思い出される。体中の細胞全てが彼らを忘れたくないと強く願っているのがいつまでも感じられ、その事実だけで僕は大丈夫だと、今だけはそう思えた。


「どう?」
 母さんのほうからこちらに話しかけてくる。僕は体育館外のベンチに座っていて、学校説明会や制服類の採寸をついに終えてぐったりしていた。
「どうもこうもないって……。疲れたよ。無駄に」
 無駄に、の一言に彼女も笑いが漏れる。「確かに。二時間ぐらいかかったもんね」
 そんなに経ってたのか、と僕もポケットのスマホを取り出し、時間を確認する。LINEもTwitterも、誰からもメッセージは来ていない。
「意外と新しい校舎だね」
 母さんに言われ、確かに、とふと辺りを見回す。高校というものが未知すぎて、これが他と比べて綺麗な方なのか汚い方なのかよく分からないが、とりあえず想像よりはマシだった。
「ここに三年間通うんだよ」
 体育館からは採寸を終えた生徒達がぞろぞろと出始めてきて、僕らの横を抜け帰路に着こうとしている。
「なんかそんなこと言われてもピンとこないわ」
 言った後、違いないや、と自己肯定してみる。いくら考えても無駄な気さえしてくる。
「なんかお茶か何か買ってくるわ。さっき自販機あったから」
 そう言って母さんはどこかに歩いていく。そういえば高校には普通に自販機が置かれているのか、となんとなく感動する。

「あっ、すいません……」
「はい?」
 ふと振り返ると、とある女子が僕の座るベンチに腰掛けていた。見たことのない学校の制服を着ていて、大方僕と同じ目的でここに来た人だろう、と察する。
「ああ、大丈夫ですよ……」とできるだけ笑顔を作って対応してみる。慣れないことなのできっと引きつった顔だったに違いない。三人ほど座れる広さのベンチなので二人の間にはちょうど一人分空くが、きっと誰も座ってこないだろう。
 僕はなんとなく緊張してしまい、スマホを適当にいじってみる。フォロー数が少ないTwitterのタイムラインは止まっていた。
「なんか疲れましたね」
 再度振り返ってみる。その言葉が僕に向けられたものだと気づくと、慌てて返答してみる。「そうですね」
「どこの中学ですか?」
 ふと気になったことを訊いてみると、彼女の胸についている、緑色のチェック柄のリボンが揺れる。
「誠心中学校です。女子校なので、共学は小学校以来でなんか緊張しちゃいます」
 はは、と彼女は笑うが、そんなことを目の前で言われたら男の自分はもっと緊張してしまう。
「ってことは同じ中学の人とかいない感じですか? 僕は加原中学っていう普通の共学校なんですけど
「そう、知り合いが一人もいないっぽくて……。だから友達作るの大変そうだなって思ってたんですけど、最初に優しそうな人に出会えてよかったです」
 同じクラスになれるといいですね、とおしとやかに笑う彼女に、少し戸惑った。
「あ、ええっと、僕なんかとでよかったら」
 なんだその返答、と自分で突っ込んでみる。
「あ、じゃあそろそろ私帰りますね。親が呼んでるので」
「じゃあまた学校で会えたら」
「え、会えないんですか。違うクラスだったとしても普通に通ってればどこかで会えるでしょ」
 去り際、彼女は笑い、僕のおかしい発言に突っ込んでくる。そして今まで敬語だったのがやんわりとした口調になる。また学校で、と彼女は少し照れくさそうに手を振るので、僕も手を振ってみる。
 彼女が去ったベンチで、僕は一人、単純な喜びを噛みしめていた。誰かと少し仲良くなれた気がしたのは、普通に嬉しく、きっと価値のあることだと思えた。それで言うと、早紀やえんさん達との関係は、終わりかけのものを必死に繋ぎ止めている感じでどこか悲しく、切なかった。でも彼女との関係はこれからがスタートで、この高校という未知の場所を過ごしていく上できっと意味のあるものなので、自然と前向きになれる自分がいた。

「お待たせ。ごめんちょっと自販機の前並んでてさ……、香征?」
 ああ分かる。きっと僕は今まで寂しかったのだ。色々な関係を終わらせようとすることばかりで、新しく始まる関係がないことが悲しかったが、それがやっとこれから始まりそうで、きっと今だけは嬉しいのだろう。

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Re: 2006年8月16日 ( No.70 )

日時: 2018/08/26 05:33
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「一緒に帰らない?」
「ん?」
 そのとき僕は帰りの用意をしていた。ついさっき七時限目の授業が終わったばかりで、授業の復習をしながら、ふう、と一息ついていた頃だった。
 僕に声をかけたのは、学校説明会の日、ベンチで少し話したあの女子だった。クラスは違うが、この学校は毎週水曜日は部活が休みなので、そのときだけ毎週放課後に話しかけてくる。
「ああ……、ちょっと待って。っていうか早いな君ら」
 目の前にすぐいるその女子の後ろに、男女二人が既に準備を終えた様子で待ち構えている。そのいかにも帰る気満々といった三人を笑いながら、やっと用意を終えた僕は席を立つ。
「七時間の授業ってマジ慣れないよなー、未だに」
 教室にはまだまだ僕たちの他に何十人もいて、多くの話し声で賑わう中、そのほとんどが帰ろうという素振りすら見せない。高校生活のスタート当初、教室を暗く取り巻いていたあの重苦しい空気は今では見る影もない。
 正直、中学のときとさして変わらない。確かに授業は多少難易度が上がっていて、油断していると置いて行かれそうな気はするが、……あの女の子が、あのとき僕に勉強する習慣をつけてくれたおかげで、なんとか今日まで付いてこられている、といったところだ。

「ええ? でも私は中学のとき七時間目まであったよ」
「え、マジ? 香征は?」
「俺はなかったよ。多分この中だと私立中だった菜々子だけだろ」
 菜々子、と呼び捨てにし出したのは最近のことだった。そのときはあまりにも自然に呼べたので少し嬉しかったし、彼女の反応も満更でもない様子だったので、そこからずっと続けている。
 校庭からは、七時限目が体育だった生徒達が南校舎へとなだれ込んでいた。僕らはそれを間一髪で躱し、校門へと向かう。
「あ、そっか。女子中かあ、憧れちゃうなー。どこもかしこも女子のいい匂いしそう」裕哉が、ぐへへ、と笑いながら頭の後ろで手を組む。
「それを彼女の前で言うか」と、もう一人の女子、由美が怒る。裕哉とは付き合っていて、入学式の日に付き合い始めたヤバいカップルとして、既に学年内ではそこそこ有名である。

 中庭では、二週間後に控えている生徒会選挙の立候補者が次々と演説を行っていた。あまりの熱い演説に思わず耳を傾けたくなるが、先を行く彼らに置いていかれそうになるので仕方なくついていく。
「あ、じゃあ、俺ら自転車だから」
 そのカップル二人は迷うことなく自転車置き場に入っていく。「え、昨日は電車だった……、あ、そうか」
「雨の日は電車なんだよ。電車賃と称して親からお金貰って、自転車で学校に行くことによってお金を浮かす俺の作戦も、雨の日が増えてきたから最近使えないんだよな……」
「その"俺の作戦"、すぐバレないか?」
「いや、今のところ上手いこといってる。このまま三年間バレなきゃいいんだけど」
 なんだこのアホな会話……、と思わず返す言葉を失いかけるが、向こうから自転車を押して歩いてくる由美が代わりに言ってくれる。「はあ……、なんでこんなアホと付き合ってるんだろ、私」
「好きだからじゃない?」
 由美は予想だにしていなかったのか、裕哉のその言葉に顔を赤らめた直後すぐに自転車を走らせ去ってしまった。裕哉は「あ……じゃあまた明日! あいつ逃げなくてもいいじゃんよ」とすぐに追いかける。
 何と微笑ましい光景なのだろうかと、僕はしばらく無言のまま歩く。すぐ横を歩く菜々子も黙りこくったまま、校門を過ぎる。

「なんか、高校に入ってから、皆異性との壁を感じさせないよね……」
 困ったように言う彼女に僕も同調する。実際自分も同じことを思っていたばかりだった。
「まああの二人が異常なのはあるけど、なんか皆男女でくっつくこと増えてきたよね。実際俺のクラスからも何組かカップル出てきたし」
「ええー、早すぎるよー」彼女は両手を頬に押し当てる。少しオーバーな反応だが、正直可愛い。
 ……で、ここで少し会話が途切れる。話すネタに尽きたわけではない。そんな話をしている僕たちだって立派な異性同士なので、周囲から見ればカップルに見えなくもないと当然のことを気づかされ、少しだけ恥ずかしくなってしまったのだった。
 赤信号を待つ。きっと彼女も同じことを思っているらしく、分かりやすく押し黙ったまま動かない。スクールバッグを持つ手に力が入っているのがバレバレである。
「ま、まあ、私たちはそういう感じじゃないよね。普通の友達っていうか」
 それは男として少し傷つくが、彼女はすぐに訂正する。「あっ、異性として見れないとかじゃないよ! なんというか、私がそういうのまだ無理というか」

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Re: 2006年8月16日 ( No.71 )

日時: 2018/08/28 04:06
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

 大げさなくらい身振り手振りを使うので、少し面白い。
 学校から駅までは近い。信号が変わり歩き出すとすぐに駅が見えてくる。
「まあ……、解るよ。俺にも正直まだ分からないから、男も女も全員同じ友達としか見れないよね。実際その辺のカップルも、周りに流されて、焦って付き合ってるだけの人も多いだろうし」
 まあ、由美と裕哉は別だろうけど、と付け加える。
「というか、そういうのって恥ずかしいとかは勿論あるんだけどさ、……自分でもよく分からない気持ちのまま適当に付き合って、その人に迷惑かけたくないな、私は」
 なんていい子なのだろう、と僕は素直に驚いていた。
 高校に入って数ヶ月経ち、いくつかカップルが生まれたが、きっとその人達はほとんど自分のことしか考えていない。それは僕だってそうなるだろう。そのカップルの中に誰かと付き合ったのが初めてという人は多いが、そんな不安や緊張や恥ずかしさでいっぱいいっぱいのときに、他の人のことなんかを考えている余裕などないに決まっている。
 だから、そんなときに相手のことをまず考えようとするこの女の子はなんて優しいのだろうと思う。
「……凄い。大人みたい」
「んん? 自分で自分の心の整理が付いてないのに、大人……?」
 言われてみれば確かに変だな、と気づくが、それでもとにかく彼女は大人なのである。

 倉敷駅に到着する。長い階段を上り、少し歩くとスタバやらなんやらが見えてくる。
「スタバ今度行ってみたいな」
「行ったことないの?」
「うん。私中学では地味な方だったから、そういうのって目立ってた子がいつも行くイメージだったし」
「そういえば俺もな……」
 俺もない、と言おうとしてすぐに気づく。渋谷駅のあの外国人で賑わっていた意味不明なスタバに一度だけ行ったことがあった。
「俺も行ったことないからさ、今度行こうよ」
 うん! と嬉しそうに返事をされるが、僕はおそらく微妙な面持ちのまま、斜め上の空を見上げている。

 二人並んで改札を抜ける。定期なのでスムーズに通れて少し得した気分になる。
「なんか、ICOCA通すときってチャージ残額見えるからちょっと恥ずかしくない?」
「俺菜々子の残額見えたぞ。一円って……」
「違うって! これはその……、色々使ってたらこうなったの!」
 恥ずかしそうに必死に弁解する彼女が少し面白かった。しかし何をどう使ったら一円だけ残せるのか疑問だったが、そこまで訊いてしまうのは流石にやめようと思った。

「じゃあ、ここで。また明日」
 バイバイ、と手を振ってくるので、こちらも手を振ってみる。なんだか初めて会った日に似ていて一人で笑ってしまう。
 既に後ろ姿の彼女に、もうこれで終わりなのか、と少し悲しくなる。誰かと一緒の帰り道はなんて軽やかなのだろうと改めて感じる。まあ、明日また会えるからいいか、と誰にも聞こえないほどの声量で呟いてみる。
 僕は山陽本線に乗って岡山駅に向かうが、彼女は伯備線という電車に乗るらしい。彼女は一体何駅目で降りるのだろう、家はどこなのだろう。それも明日まとめて訊いてみよう、と決意し、僕はイヤホンを付けた。

 出発ギリギリに乗った電車にはやはりそれなりに人がいて、クロスシートの座席はほとんど埋まっていた。
 仕方なく向こう側のドア部分にもたれ掛かる。地味に重いスクールバッグを床に置き、ふと窓の外を眺めてみる。
 そのとき、ドン、と何かが腕にぶつかる感触がした。
「久しぶり」
 すぐに振り返ると、その女子は僕に言った。その言葉が僕に対してのものだと気づくのに少し時間がかかる。僕の腕を押したスクールバッグと、その向こうに見えるにやけるような彼女の表情が印象的に映る。
 とりあえずイヤホンを片側だけ外す。誰だっけ? と訊こうとして遮られる。
「あれー、忘れた? 白崎だって」
 ああ、とすぐに思い出す。卒業式の日、LINEの連絡先を交換したり校庭で少し話したあの女子だった。
 そのときまでほとんど話したことがなかったとはいえ、一年間同じクラスだったのに失礼なことをしてしまった、と一瞬反省する。
 でも、僕に落ち度はそれほどないだろうとすぐに考え直す。何故ならあのとき黒かった髪の毛が茶髪になっていて、その他にも、ピアスとか、目の色とか、全てが作り物みたいに変化していたからだった。もう、ヤンキーというか、ギャルだ。
「ああ……、ごめん。今思い出したわ」
「まあ無理ないよね、LINEでもそんなに話してないし。……でさ、さっき話してた女の子彼女?」
 はあ!? とその瞬間図らずも大きな声を出してしまう。彼女に気づけなかった理由は絶対白崎自身にあると言いたいが、周囲からの視線が痛いのでとりあえず耐える。「違うよ。……ただの友達」
「本当かなー」と茶化すように言われる。なんとなくドキッとするが、付き合っていないのは本当なので堂々とするように心がけた。

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Re: 2006年8月16日 ( No.72 )

日時: 2018/09/05 06:08
名前: をうさま ◆qEUaErayeY

「早紀と最近話してないでしょ? 早紀が嘆いてたよー」
「……あ、うん。今度話しかけてみる」
 面倒なことを、と少し苛立つ。そんなことまで友達に言うのか、早紀は。
「まあそんなことはいいや。早紀って雄輔とヨリ戻してからも岩崎のこと気にしてるから、ちょっと特別な仲なんだろうね」
 早紀が雄輔と。なるほど。
 ……ちょうどいい、と思った。中学のときの知り合いとほとんど関わりを切って、その間そこそこ充実した高校生活を送って、こうして早紀のことを友達から聞いている今ぐらいが、ちょうどいい。
「まあお幸せにってLINEでも送っとくわ」
 いつの間にか走り出していた電車は既に北長瀬駅を通過していて、もうすぐ岡山駅に到着する。その間、なんとなく二人共無言のまま、それでも僕はイヤホンを片耳外したまま、気まずい時間を過ごす。
 ……もう、他人なのか、と思った。中学の頃は、同じ学年・クラスというだけで仲間とか友達というイメージがなんとなくあったが、卒業して、別の高校の制服を着ている今、僕らの間を繋ぎ止めるものは、何もないのか。
 もはやそれは、会話のないLINEの友達なんていう不確実なものでは成り立たないことをお互いがはっきりと気づいていた。そしてそうなった以上、話すネタを作るのにもそれなりの労力がかかり、会話そのものにもきっとどこか悲しさが見え隠れし、切なくなるだけなのだろう。

 電車が岡山駅に止まると、既にドアの前に立っていた僕はすぐに降りる。
 「じゃあ」と去っていく彼女の足は僕が振り返るより速かった。「ああ」と遅れて小さく返事をしたが、きっと彼女の耳には届いていないだろう。早歩きの彼女は颯爽と次々人を抜いていく。僕と彼女との物理的な距離が、そのまま心の距離に直結していくような気さえした。ついに彼女の姿が見えなくなっても、僕の体には追う勇気すら残っていない。
 片耳外したままのイヤホンに気づくと、すぐに付ける。今流れている曲の名前が思い出せない。
 僕はそうして、しばらく何も考えられないまま、いつもの乗り換え地点へと歩く。プラットホームに着くとちょうど電車がやってくる。乗客が全員降りていき、誰もいなくなった座席に各々が座っていく。ドアから近いところに座る人が多いのでわざと遠い所の座席まで来ると、半径五メートルぐらいに自分しかいなくなる。久しぶりに座るので少し足を伸ばしてみる。

 田舎風景を映していく車窓を見ながら、ため息をつく。外の蝉の鳴き声が車内にいるのに聞こえてきて、もう夏だ、と今更思う。8月16日。あの日もすぐ近くに感じられて、実際あと一ヶ月ちょっとだ。
 そして、2006年8月16日とは一体何だったのだろう、とふと思う。
 あの掲示板は一体僕に何を伝えようとしていたのだろう。僕は何を思い、何のために彼らに会いにはるばる東京まで行ったのだろう。莉乃さんの死とは一体何だったのだろう。あのとき僕を取り巻いていた得体の知れない不安感は一体何だったのだろう。
 いくらでも疑問は浮かんできて、それらのほとんどは今でも答えが見えないが、あのときはきっと、何より強い衝動が僕を突き動かしていたということだけははっきりと分かった。
 僕は高校に入学してから、あの掲示板のことなどすっかり忘れていた。意図的に気にしないようにした、というより、全てが終わったことにより、ついにあの夏の呪縛から逃れることができた、と言ったほうがきっと正しい。

 僕はおもむろにスマホを取り出す。Safariを開くと、iPhoneのバグなのかイヤホンで聴く音楽が一瞬だけずれる。
 僕は全ての始まりであるあの掲示板へと直行していた。ブックマークからすぐに飛ぶ。

 “Not Found”

 そう来たか、と笑う。
 すぐにちょっぴり悲しくなる。ある意味2006年8月16日の最終更新より衝撃的かもしれない。
 気づけば泣き出していた。しだいに涙が止まらなくなり、意味不明なまま頬を伝う涙が何滴も膝に落ちる。あのときは確かに何かが僕を突き動かしていたが、数ヶ月経った今、僕を同じように突き動かすものが何一つないという現実に気づかされ、そしてそれがとても悲しいことのように思えてならなかった。
 もう一度画面を見る。その短い英文はこのWebサイトがどうなっているのかを単純かつ端的に表している。
 僕はこの数ヶ月間何を求めて生きてきたのだろうと思った。そして、こうして守りに入った今、その探していたものは見つかったのか、それすらよく分からなかった。いや、見つかっていないかもしれない。いずれにしろそれももう終わったのだ。夏の呪縛も、あの頃の強い衝動も、全て。
 静まりかえる車内には外の蝉の声が大きく響き、僕の近くにはきっと誰もいない。未だ嗚咽が漏れる中、ありがとう、ありがとう、と僕はいつまでも心の中で叫んでいた。

メンテ