複雑・ファジー小説

無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2020/07/19 22:20
名前: にっか ◆ShcghXvQB6 (ID: jtELVqQb)

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)

・ポテト侍-除名
・霧島-除名

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.252 )
日時: 2020/03/09 00:37
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

(2020/03/09 0027加筆)

 突如として鳴り響いた砲声。関係こそないと分かっていながらも、彼等は僅かな兵を率いその方角を目指していた。もし、アゥルトゥラとジャッバールの兵が交戦状態に陥っていたならば、我軍の進むべく方向性を選ぶ必要がある。
 刀を携え、小銃を担ぎ、懐には切り詰めた散弾銃を。偶発的な衝突に備え、ジャリルファハドは最大限の武装をする必要があった。それは傍らを歩むマティーンや、ずっと先頭の方で斥候をしているアースラとて同じ話である。
 物々しいセノールの一団。それが得物を携え歩む。クルツェスカの住人からしてみれば、それは異常事態でしかなく、彼等はぎょっとした様子でその群れを避け、逃げていく。その背を押す様に砲声が響き、心臓を殴りつけては、戦の前の緊張を醸す。
「……ラシェッドはどうしたんだ?」
「まだ戻っていない」
 彼の分の得物まで携えたマティーンは、おかしいと言いたげに首を傾げ、火の点いた煙草を投げ捨てる。どうしたものか、と声にすら出さなかったが、彼は妙な胸騒ぎを覚えた様で、今度は噛み煙草を取り出していた。
 平静を装うべきか。ただただ口を噤み、家屋の屋根へと登ったアースラの背を追う。彼女は抜き身の剣を月の光に当て、その反射を以てして未だ進んでも問題ないと合図をしてきており、軍の目を担っていた。夜歩く月が道程を照らし、招く。
「アースラ、たまに見えなくなるな」
「落ちなければ良いのだが……」
 風雪は厳しく、氷雪は足先を食い千切らんとする。白亜に呑まれた夜闇の向こう側からは、宛ら化け物の吼え声が響く。風雪に呑まれた彼女は歩みを止め、屋根に四肢でへばり付く様にして堪えていた。それが晴れるなり、身を振るい全身に付着した雪を払う。
「アースラ!! もう降りて来い!!」
 マティーンの声に彼女は振り向けば、小さく頷いていた。しかし、彼女が屋根の上から戻って来るよりも早く、別の者達がその一団へと辿り着いたのだった。
 兵の群れを掻き分けて来るも、途中で阻まれ、彼女達は両腕を掴まれた状態で引き摺られてくる。一人は少し困り顔で、もう一人はどこか不貞腐れた様子だ。
「……何をしている」
 取り押さえられた二人を見下ろす瞳は酷く冷たく、それはセノールがセノールたる由縁を暗に語っている様だった。これが戦時ならば有無を言わさず、刀が頸を目掛けて振り下ろされていただろうと、ソーニアは苦笑いをしながらミュラを指差した。
 彼女の指の向こう側。そこにあったのは目釘を圧し折られ、柄を半分失った刀。その特徴からナッサルの者達が扱う刀であった。何故、それをミュラが持っているのか、という疑問を抱き、彼女に問う事もなくそれをジャリルファハドは引っ手繰った。
「鞘は」
「ねぇよ、そんなもん」
「そうか。……離してやれ」
 彼女は抑え付けていた兵を睨み、その刀に手を掛ける。勿論、斬りかかろうという意思がある訳ではなく、鞘もなく勝手に動く刀を厭うての事。
「寄越せ。しかし、何でお前達がそんな物を」
 ミュラから刀を引っ手繰るなり、ゆっくりとソーニアが歩みより、ジャリルファハドへと耳打ちを一つ。訝しげな表情を浮かべては引っ手繰った刀を握り締めた。
「マティーン、少し離れる。こいつを置いていく、目を離さんでくれ」
「あぁ。……そうだ"メイ・リエリス"の。全てが終わったら話をしたい」
「……私ではなく、父へと取り次いでおきましょう。未だ私はその立場ではないので」
 それだけ言い、ジャリルファハドを連れ立ってソーニアは人垣を掻き分け、踵を返した。取り残されたミュラは困惑しながらも、何処となくジャリルファハドに似た面持ちのマティーンと呼ばれた男におずおずと視線を向けるが、全く彼は気にした様子もなく、進めとシャボーの言葉で言い放った。流されるまま、その一団を歩めば、見知った顔。凍り付いた髪を振り乱すアースラの姿が見えたのだった。




「私はアゥルトゥラとセノールの緊張が激化するのだけは避けたい。分かってくれるわね?」
 そう語るソーニアの表情は硬く、普段の柔和な雰囲気は消え失せていた。緊張に緊張を重ね、廓でも見た事がない表情であった。一歩間違えば沙汰となる、そんな覚悟を決め込んでいる様だ。だからだろう、道案内だというのにジャリルファハドの後ろを五歩ばかり離れて歩む。
「あぁ、無論だ。俺とて今こうしているのはその為だ」
 道すがら改めて利害の一致を確認し、ようやく二人は並び、人気ない大路を歩む。戦争はすべきではない、その先には何もない。それを分かっている者同士だからこそ、これ以上の言葉は必要ない。時折、響く砲声とけたたましい銃声だけが二人の間を取り持つ。
 斬られたナッサルの男。ナッサルの立ち位置は一枚岩ではない。ジャッバールに組する末弟と中立派に属し、ジャッバールを支持する者達を押さえつける上二人の兄。そして、その間を取り持つ三男でどう転がっても武門が機能する様にと勤めているのが実情、その家門乃至配下が死したとなれば、危うい均衡を崩す事と成りかねない。
「……しかし、ナッサルだとよく分かったな」
「敵を知るのが戦の定石でしょ、私を誰だと思ってるの?」
 そう語りながらも、穏やかに笑うソーニアに"魔女"を感じ、このクルツェスカを代々守ってきた、家門の末裔であるという事を改めて実感せざる得なかった。人を、軍を、出城を、都を。終いには地平線すら焼き払うメイ・リエリスの血は未だ滔々と流れ、絶える事を知らない。血筋こそ違えど、祖たる偉大なる獅子は嘗ての宿敵たるメイ・リエリスと共に歩む姿をどう思う事だろうか。今すぐ斬り殺せ、刺し殺せと吼えるだろうか。
「その敵の為、よく働いてくれるな」
「……私を誰だと思ってるの?」
 同じ言葉を突き返し、ソーニアは底意地悪そうに笑っていた。アゥルトゥラにとって、セノールは敵性民族である。だからこそよく知るべき事。しかし、知ったからには上手く付き合っていく事も可能なのだ。その矜持を尊重し、嫌うべき事を避け、自身も主張をしていく。たったそれだけの事である。
「さてな」
 虚を突く切り返しに困り、何時もの様に何やかんやと返す言葉を失っていた。彼の男が放った"復讐者"という言葉が脳裏を過ぎる。仇を成すのか、という問いが脳裏をただただ過ぎる。失うべきではない者を奪われたなら、徒な流血を齎すのならば"復讐者"とも成り果てる事だろう。仇を成し、地平の彼方まで血を流す事だろう。しかし、そうで良いのかと、メイ・リエリスの魔女に揺さぶられているのだった。
「とにかく、私は貴方達と殺し合いをしたくない。後世に禍根を残したくない。折角、親しいんだもの」
「お前一人がそうだとしても、国は、都はそう考えていなかったらどうするんだ」
「そうね。……私の代になったら、私がこの都を握る。それだけの事よ」
 反対する者は消す、周りを巻き込む。そう言ってのけたソーニアの面に表情はなく、宛ら鉄面の如く。赤髪の魔女は情を押し殺さんが為、その顔すら焼き素顔を隠したかのようにも思えた。
 ふと、ソーニアが足取りを止めた。溜息は白く立ち上り、彼女がゆっくりと指を差した先。そこには吹き溜まりというには不自然な形をした、雪の塊。そこから顔を覗かせる人間の手。問うまでもなく、ジャリルファハドはゆっくりと歩み、そこへしゃがみ込んだ。
 氷雪の下、全く動かなくなった屍へと手を伸ばしては、その白を払い除ける。赤黒い肌が月明かりに照らされ、言葉なくして同胞である。そして、お前の知己であると語るのだ。首元を大きく裂かれ、外套を赤黒く汚れていた。親しい友であり、共犯者。死した同胞を見て、悲哀と怒りを抱く。沸々と腸が沸き立ち、心臓が早鐘を打つ。
「この者はラシェッド・ナッサル・サチ。……我々の同胞であり、友である。討った者を斬ってやりたい」
「……そう。構わないわ。それで鎮まるなら。余計な事をしてくれた"アゥルトゥラ"は私の敵でもあるもの」
 青褪めた月の光は彪の翳りを深め、魔女の残虐性を露とする。同胞を殺めた者を許す事はないだろう。ソーニアの言葉が彪の背を押し、確かに彼は"アゥルトゥラ"に対して怒りを抱く。ただただ黒い彪を呼び起こしてしまったのだ。
「戻ろう。……死に顔を整えてやらねば」
 何処か淡々とした様子で屍を担ぎ、足早に歩み出した。小路の闇、その向こう側から砲声と銃声。そして叫び声が相変わらず聞こえているばかりだった。


 
 担いだ屍は冷たく、微塵も動く事はない。凍て付いた血の破片を踏み砕けば、踏み砕く都度、血が沸き立つ様な怒りが滾る。背中の同胞は力なく、だらりとした腕をぶらぶらと揺らし、俺は死したのだと言葉なくして語る。
 言葉なく語り、見るまでもなく今際の苦痛を醸す。傍らで彼の屍を見据え、ソーニアはやはり不安を覚えた。元々、口数が少ないジャリルファハドは言葉を一切、放つ事もない。時折、背負いなおすべく身じろいでいた。ソーニアはどうにも話し掛ける勇気が沸かず、二人の間には沈黙が流れる。砲声と銃声、悲鳴ばかりが二人を取り持つのだった。
「……未だ終わらない様ね」
 漸く口を開けば、彼はあぁとだけ短く返事をし、その歩調を速めた。声色から怒りを露としている訳ではなく、ただ沈み込んでいるのだけは分かり、声を掛けてしまった自分を恥じ入る様にソーニアは俯いた。
 黙し、二人は歩みに歩む。漸く大路へ至り、彼の一軍を視界へと捉えた。彼等は進軍を止め、小銃を構えては闇を睨む。人垣の向こう側に何があるのか、全く分からなかったがそれでもラシェッドの死をマティーンへと知らせる必要があるだろう。
 人垣を掻き分け、陣の中央にある見知った背中へと歩み寄る。アースラの傍ら緊張した面持ちを浮かべたミュラの姿もあったが、今は彼女に用はなく、マティーンへと向き直ると、彼は諦めた様に溜息を吐き、ジャリルファハドを見据えていた。
「死んでいた、か」
「……あぁ」
 彼の前へラシェッドの死体を降ろし、その死に顔を軽く整える。口元を汚す赤い血を拭い、飛び出た腸を外套へと隠す。致命傷と成りうる傷を二度も負わせられた事から、強い殺意が見て取れ、マティーンは再び溜息を吐いた。
「アゥルトゥラの者共か、これをやったのは」
「分からんが……恐らくそうだろうな」
 憶測を口走った途端、砲声が鳴り響く。ふと、脳裏に過ぎったのはこの騒乱に乗じ、ラシェッドを殺めた者が居るのではないか、という邪推であった。その憶測は否定出来ず、ジャッバールとアゥルトゥラ側の交渉が決裂したのではないか、とまで思考は飛躍する。彼がジャッバールに着いたのは、アゥルトゥラとの緩衝役としてである。そして、彼女の動向を他武門へと知らせる為である。だからこそ、彼は交渉の場に人質として赴いた。結果、ジャッバールの撤収するという文言をアゥルトゥラは受け入れず、交戦の意思を示す為、一人になったラシェッドを殺めたのではないか、と思えて仕方がないのだ。
「幸いな事だ。……此処にメイ・リエリスの娘も。ベケトフの娘も居るな」
 報復を成すには簡単な状態だと、マティーンは暗に語るかの様に呟き、ソーニアへと向き直る。黒い瞳は夜闇の下でも、ぎらぎらと輝いて見え、そこには怒りの炎が燃えていた。ジャリルファハドがそういった凶行に及ぶ事はなくとも、マティーンがそうとは限らない。覚悟こそしていたが、まさかこれ程までに彼が事を急ぐとは思ってもいなかった。誤算に苦笑いを浮かべながらも、携えた小銃といった得物を氷雪へと投げ捨てる。
「斬るなら斬れば良いでしょう。……でも、貴方達の戦を避けようって企みは御破算よ」
 食い気味なソーニアの啖呵であったが、マティーンは呆気に取られ、彼女から視線を外した。そんな事はしない、と短く呟き彼は再び闇を睨む。
「斬りはしない。お前やベケトフの娘を仮初の"人質"として使う。ジャッバールの離脱に手を出さない様に圧を掛けるだけだ。勘違いしてくれるな」
 かっと顔に熱が宿るのを感じ、彼女は俯く。後ろでアースラが笑いながら、ミュラにその"勘違い"を教えていた。余計な事をするな、と彼女を見据えた瞬間、再び砲声が鳴り響き、無人の家屋を穿つ。矢継ぎ早に幾人かの兵士達が小路を飛び出し、じぃっとセノールの一団を見据えていた。
 緊張が走り、皆が皆得物を彼等に向けては、息を呑む。誰が撃ち始めるのか。誰が最初に撃たれてしまうのか。二つの集団、二つの民族は皮肉にも同じ思いを共有していた。
「来い」
 ぽつりと呟き、マティーンはソーニアの襟元へと手を伸ばし、彼女を引き摺る様にして兵の群れを割る。一歩、また一歩と歩み、遂に彼等へと向かい合った時、幾人かは銃口を下げた。撃つべきではない、撃ってはならない、とソーニアを見て、彼等は判断したのだろう。鉄の筒が火を噴き、鉛弾が血を流した時、何が起きるのか想像に容易かったのだ。
「セノール!! どういう事だ!!」
 彼の兵の一団、その一人が吼える。怒りを伴う訳でもなく、あくまで何をしようとしているのかを問うだけの彼を見て、マティーンは理性的な兵も居た事だと感心を抱いた。
「この有事に際し、メイ・リエリスの息女を保護した次第である!! そちらの指揮官と話がしたい!!」
 吼えるマティーンの背後、どうしたものかとソーニアは俯き、溜息を吐く。彼は今、この凍て付いた都にて、何が起きているのかを把握すらしていない。というのに随分と派手な博打に出たと感心しながらも、呆れるほかなかったのだ。セノール側の兵へと振り向けば、アースラが驚き、目を白黒させている様だった。
「……分かった。したらば同時に武装を解除したい。これより五つ、秒を読む。我等も銃を下げる故、そちらも銃を下げてくれ」
「あぁ」
 一つ、二つ、と彼の兵は声を張り上げながらも、兵の一団へ向き直り、セノール側へと背を向ける。背後から撃たれるやも知れないというのに、彼は理知的であると同時に度胸も持っている、と感心しながらマティーンも彼へと倣い、兵へと向き直った。
 五つ。たったの五秒余りの時間が、酷く長く感じられ、同時に両陣営の銃口が下がるなり、彼等はセノールの兵等へと歩み寄った。得物に手を掛ける訳でもなく、銃口を向けながらという訳でもない。彼等に敵意は微塵も感じられなかった。
「……感謝する」
「構わない。我々はベケトフの兵だ。……セノールと徒に戦うな、と言い付けられている故」
 互いに握手を交わし、更には互いに頭を垂れる。ベケトフの兵ともなれば、事実上ジャッバールに占拠されているであろう、ボリーシェゴルノスクから来た兵である。敵意を向けないのが不思議ながらも、その答えにソーニアは思わず笑みを零す。彼等は訛りが酷いのだ。東部のやや早口で、尻上がりなおかしな話し方だ。
「メイ・リエリスの息女ともなれば、この戦、この事変の中核にあるべき家の者。それがセノールと共にあって良いのですかね?」
「えぇ、それは別に──」
「良い訳ないだろう。この者は我々の人質なのだからな。今の状況が良い訳ない」
 ベケトフの兵の肩を小突きながら、マティーンはにやにやと笑い、そう言い放つ。彼等は互いに顔を見合わせながら、事を察したのか神妙な面持ちを浮かべて頷くばかり。誰かが固唾を飲んだ瞬間、再び砲声が響き渡る。
「……何の騒ぎなんだ?」
「あぁ、知らないで来たのか。……レゥノーラだ」
 レゥノーラ、という言葉にジャリルファハドが彼等の間を抜け、駆ける。銃声が鳴り響こうが、砲声が鳴り響こうが気にした事もない。流れ弾の一発や二発貰っても不思議ではない、その小路へと至り、闇を睨む。
 ぼんやりとした月光に照らされ、そこに晒されたのは屍。人であり、化物であり、赤と赤が交じり合い、氷雪に地獄を醸す。何故、廓の化物が地上に出たと、自問せど自答を導くに至らず、二の句は愚か、一の句をつぐ事すら出来ず、放心したかの様にそれを見据えていたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.253 )
日時: 2020/04/02 23:13
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: eldbtQ7Y)
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 黒煙が風に流れ、爆轟の果てに生じた硫黄の残臭。それは此処に戦があったと暗に語る。事切れた兵と化生の屍を踏み越え、吹き荒ぶ風雪と共に砂漠の化身が現れた事に彼の一団は硬直し、ただ砂漠の化身と共に歩む同胞の"魔女"を見据えるばかりだった。
 何故、ソーニアが。そんな思いがカルヴィンの中にあった。主の娘、忘れられない女の妹。彼女がセノールの庇護下にある事は知っていた。確りと守れと彼の"彪"へと釘を刺した。しかし、いざその光景を目にすると複雑な感情ばかりが胸を去来する。苦々しく、うそ寒く。どす黒く染まった腸が煮え繰り返りそうになりながらも、それを御す。泥を噛み、飲み込みながら、針の筵へと座す様な苦がそこにはあった。
「久しぶりー」
 砂漠の化身と都の守人、互いに眼がその姿を捉えた時、アースラがおどけた様に言い放っては手を振る。それは黒金の蝶が、硬くも軽やかに舞っているかの如く。しかし、アゥルトゥラの兵達は殺気立ち、寒風すら消し去りかねない熱気を醸す。やめておけ、と言いたげなミュラは憂色を帯びた青い顔を浮かべていた。目の前の兵達は銃口と共に、老いた鷹の様な眼差しをただただ向けている。
「……セノール、得物を携えてどういう了見だ。その上、俺の主の娘を引き連れて」
 小銃を携えたまま、その人斬りは問う。何をしに来たと。彼の兵団は厭に殺気立ち、流れた血と火薬の残臭に昂ぶっているかの様だった。刺激すべきではないと、マティーンは得物を傍らのジャリルファハドへ預け、人斬りの前へと躍り出る。
「この有事に際し、メイ・リエリスの息女を保護した次第。身柄を引き受けられたし」
 言葉に偽りを疑り、カルヴィンは頷きしない。彼を一瞥もせず後ろへと振り返るなり、手を振り上げた。砲へ装填を行えという合図である。何かあったとしても砲撃を加えようというのだ。
「そうか。苦労を掛ける。身柄を此方へ。……もし、今此処で撃とうものならお前達を挽肉にする。銃を下ろすべきだな」
「銃を下ろせ……カランツェン、お前達にも話がある」
「俺達は話がない。ソーニアの身柄を早く」
 人斬りは手を伸ばし、相対する砂漠の将はその手を弾き、魔女は歩を止める。三者何も語らず、息を漏らす事もない。じいっと視線を向け合うのみ。ある者は鉄の壁すら射抜き兼ねないそれを。またある者は真っ直ぐ、本意を語らずして伝えようと。そして、魔女だけは少しは察してくれと睨めつける。どうして、此処まで伝わらないのか、察し取れないのか。そんな事だからキラを失ったのだ、と喉元まで出かけるも飲み込み、代わって溜息を吐き出した。
「……少しはセノールを信用したって良いじゃない。貴方にだって彼等の血が流れてる。同胞よ?」
「大海の一滴で同胞だと? 馬鹿げた話を言うな、こいつ等は殺さなければならない敵だぞ。俺達"アゥルトゥラ"の不倶戴天の敵だ」
「だからこそ、争う。だからこそ、無用無益な血を流す。愚かしいな"ニザーフ"」
 揶揄する様に呼んだのはカランツェンの嘗ての姓。メイ・リエリスに降った第六の武門。受け継ぐ血は大海の一滴かも知れない。しかし、培った歴史は決して拭い切れず、未だに根強く残るセノールの血を呼び起こしては、沸々と怒りの一念を胸へと植え付けて行く。
「俺は"アゥルトゥラ"だ。生まれてから、これからも。そうだ、死ぬまでだ。ベケトフとてそうさ、ヴィムートの血が入っている。しかしアゥルトゥラだ。メイ・リエリスやナヴァロ、シューミットとてまた然り。何時までも過去に固執するのは愚かしいな"セノール"」
「そうだな。我々は愚かしい。ただの人間畜生に過ぎん。だからこそ、話し合う必要がある。そう思わんか?」
 言葉を交わせるのは人間だけだ、と続けマティーンはにぃっと笑って見せた。尊大かつ傍若無人にも見えていたその男。彼は謂わば砂漠の化身、その理性となり得る箍なのだろう。砂漠の化身、その狂気を司るバシラアサドと対極的な存在にある。ソーニアにはそう思えて仕方がなかった。
「……お前達は我々に対する敵意はないのか」
「ないと言えば嘘になる。それに刃が、鉛弾が乗るかはお前達次第だ。……話し合って貰えるかね?」
 足元で呻くアゥルトゥラの兵を踵で蹴りながら、おどける様なマティーンにすっかり毒気を抜かれてしまったのだろうか。カルヴィンは好きにしろとだけ零し、瀕死の傭兵を踏み付け、踵を返した。
「あぁ、そうだ。"人斬り"……お前、セノールの男を斬った事は?」
「……最後は二年前だ。野盗崩れの愚図を叩き斬ってやった。ジャッバールも知っているさ」
 ジャリルファハドの背にて、息もなく、眠る同胞を殺めたのはこの男ではない。得られた答えに満足した様にそうか、とだけ言葉を返した。黒彪を呼び覚まさない為、今この場でそれを明らかにする必要があったのだ。あの彪に怒りが見えて仕方がなく思えたのだろう。
「ミュラ、ちょっと行って来るから。えーと、名前は?」
「忘れた? アースラよ」
「アースラと一緒に居て。目を離さないでね。すぐ居なくなるから」
 犬の様な扱いを受け、ミュラは心外だと憤慨しかけるも傍らには師に似通った女。毒気を抜かれた訳でもなかったが、その不思議な感覚に彼女はただただ口を噤む。宛ら彼女は同じ顔をした亡霊とでも言うべきか。ふと、雲の切れ間から顔を覗かせた、青白い黄金の照り返しが、その亡霊を照らせば希薄な人間味が不気味に思えて仕方がなかった。



 負傷した兵はただただ呻く。血を流し、命を流しては彼等の声は次々と小さくなり、霞の様に消えて行く。その兵の殆どがキールの者達が呼び寄せた傭兵であるとの事らしく、まともな手当ても受けられずに居る様だ。ある者は腕を落とされ、ある者は腹に風穴を。そして、またある者は身を磨り潰され事切れている。人間の仕業ではないその様子にソーニアは息を呑んだ。
「……楽にしてやるべきだ。徒に苦しめるべきではない」
 血腥いその様を見ても、ジャリルファハドは何一つ動揺を覚えないのだろう。あくまで淡々と死なせてやれと語るばかり。表情も変わる事がない。ただマティーンは眉を顰め、その血や汚物の臭いに辟易している様子だった。
「酷い有り様だ」
「傭兵だもの……当然なのよ。仕事がなくなったら、今度の標的は私達。出来るだけ有事に際して数を減らさないと」
 だからこそ、傷を負えど手当てはしない。致命的であれば尚の事。殺すも物を使う。だからこそただ見殺しにし、その命を消費する。
「我々には理解出来ん」
 背後で何やかにやと会話している、ソーニアとセノールの二人を先導していたカルヴィンは扉をこじ開ける。その先に居たのはレーナルツであった。負傷したのか、手に薄めた石炭酸を塗布している。部屋に漂うのは絵の具の様な独特な臭気が漂ってはいるも、彼はソーニアの姿を見るなり、手を上げて声を発した。
「おう、ソーニア。久々じゃないか。あとはセノールの……どちらさん?」
「ラシードの当主、マティーンだ。こっちはガリプの──」
「あぁ、そっちは知ってる。結構だ、座ってくれ」
 ジャリルファハドとマティーン、その二人の間を通す様にソーニアを行かせ、彼女が椅子に腰を下ろし、漸く腰を下ろす。少し遅れながらもダーリヤやアグラスが入室し、扉はすっかり閉じられた。
「フェベスは居ない。……いや居るっちゃ居るがシューミットの親子と地図睨めっこしてるって奴だ」
「相変わらずぶっきら棒な喋り方ね、レーナルツ」
「そりゃ失礼。"お嬢様"」
 揶揄された彼女の面へと、蝋燭のぽつんとした灯りが差し込む。冬の間に白んだ肌が煉瓦の様に赤味を帯び、そこに炎を醸すのだ。熟柿の様な赤硝子の瞳が、きっとその眼前の男を睨めるも、柔らかく撓うそれに威厳、怒りの類は微塵も見て取れず、レーナルツはくつくつと笑うばかりであった。
「……無駄話はそこまでだ。お前達に問わねば成らない事がある」
「あぁ。悪かった、話してくれ。まぁ、座れ」
 促されるままマティーンとジャリルファハドは椅子へ腰掛け、ぽつぽつと語り出す。
「我々の同胞たるラシェッド・ナッサル・サチについてだ。……結果から話そう。死んだ」
 ラシェッドの名にレーナルツは裂けんばかりに目を見開き、矢継ぎ早に口を開く。
「俺達はやってないぞ。あの男は確かにジャッバールとの交渉の席に居た。それも今日だ。そこの"馬鹿野郎"が少しだけ暴れそうになったが、俺達が何かをしたって事はない」
「ハイドナーやベケトフは?」
「……我々の兵が行った可能性こそあるでしょう。しかし、私が直接どうこうという指示はしていません。……すぐに調べさせます」
「俺達も同じだ。まぁ、ベケトフと同じ様にすぐに調べさせる」
 ソーニアの問い掛けに対し、ダーリヤもアグラスも同じ様な答えを導き、語る。この場に於いて、自陣営引いては自身の潔白を証明するには最も無難な答えだっただろう。
「……なぁ。セノール。言いたい事はこれだけか?」
 ナヴァロの"若獅子"に彼の万能の将は口角を上げ、刃の様な冷笑を湛えては察しが良いと感心した様に立ち上がる。
「まさか。まさか、我々との不戦を結んで貰わねば困る。我々というのはセノール全体の事だ。そこにガリプもラシードも、ジャッバールもない。さもなくば……分かるな?」
「分かる、分かるともさ。だったら俺達との共闘を結んで貰わなきゃなぁ」
 二人の言葉、語らずともしてそこに共通の意思、利害の一致を感じ取るに容易かった。アゥルトゥラとは戦いたくない。ジャッバールに攻撃を仕掛けるなというセノールの意思。戦わずして済むのであれば戦わないというアゥルトゥラの意思。今、此処に彼等の間に挟まれた、サチの中立派の者達を泳がせる。謂わば行動の自由が確約されたに等しい。
「話が早い。だからこそ西伐で戦勲を上げたのだろうな、ナヴァロ」
「祖父の屍を。その手勢の屍を返してもらったのは忘れていないぞ。ガリプ。お前達は俺達を裏切らない、それは二十年も昔に示しただろう。だからだ」
 彼の彪は頷いてみせ、僅かにソーニアを見遣る。彼女も緊張の糸が解けつつあるのか、硬くはあったが口元を嬉しそうに歪めていた。クルツェスカの守兵とサチの中立派が全面的に手を結ぶ、この事実に歓喜、安堵の色を示すのはソーニアだけではなく、東から呼び出されたダーリヤや、突然鉄火場に引き摺り出されたアグラスとてそうであった。……ただ一人を除いて。
 セノールを許す、仇すら討っていないというのに、そんな状況に成りつつある。それがカルヴィンにとってはただただ不快で、ただただ許せなかった。実姉を半ばセノールに殺された様な物だというのに、笑っていられるソーニアに対しての不信感すら募る。主の娘であったとしても、斬り殺してしまいたい。そんな怒りが沸々と沸き立つのだった。
「……俺は認めないからな」
 一言、苦言を呈し、カルヴィンは部屋を後にしてしまった。彼が認めずとも、出来る事なら戦を避けたいフェベスとしては今の状況には迎合せざる得ず、積極的にセノールと戦端を開く事はないだろう。カルヴィン一人の判断、思いだけで戦は出来ないのだ。
「良いのか、アレで」
「……まぁ、見ての通り俺達は烏合の衆だ。納得が行かないってんなら仕方がない。ただ、これでお前達から仕掛けられる事がなくなったのは事実だ。後は俺達がどうにかする」
 ばたんと不機嫌に閉じられた扉、それを雨に打たれた痩せ犬でも見る様な眼差しを向け、レーナルはぽつぽつと一人ごちる。随分と面倒な目に遭っているのだな、と哀れにも思ったが同胞にもバッヒアナミルという問題児が居るのを思い出し、ジャリルファハドはただただ口を噤むのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.254 )
日時: 2020/05/12 23:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6 (ID: xXhZ29pq)
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

(2020/0512 23:37 修正加筆)


 薄闇の中、溜息を吐いた獅子は葉巻に火を灯す。灰皿に中座させた物もあったが、湿気を帯びたそれは味が悪く、食指が伸びない。ぼうっと灯る燐寸の先、輩である虎の姿もあり、彼は窓の外をひたすらに眺めている。
「そんなに見たって何も変わらん。窓を閉めろ」
 外で何が起きているか。それは語るに及ばない。寒風に漂うのは火薬の残り香。そこに戦場があり、その戦場の裏に居るのは己である。幾人が死しただろうか。幾つの銃弾を、砲弾を消費しただろうか。緩やかな減耗作戦は雨垂れの如くクルツェスカを刺し穿っただろう。物資も、兵等の精神もだ。
「……そろそろハヤ達も到着しましたかね?」
「明日の朝だと言っただろう」
「そうでしたっけ?」
 他愛もない会話を切り上げ、バッヒアナミルは窓を閉ざした。寒いと微かに身動ぎながら、彼も椅子へと腰掛ける。
「……奴等、レゥノーラ如きにやられやしませんよね。俺の取分が無くなります」
 彼は目を瞑りながら問うた。瞼の裏、そこに居たのは仕留め損なった兵の面。刀で身を裂く事も、骨を断つ事も成し得ず、武門の兵たる本懐を遂げ損なった。己の価値を、己の武威を示し損ねたも同義なのだ。それに価値はなく、ただただ己を不甲斐なく恥じざる得なかった。故に彼はバシラアサドから視線を逸らし、葉巻の煙に小さく咳き込んだ。
「その時が来れば分かる事だ。逸るな」
 箍を自ら打ち壊さんと逸る虎を御す。それもいい加減、限界が来るのではないか、と内心せせら笑いながら、次の一手で終わると安堵も覚える。言葉なくして不安を吐露するかの様に煙を吐き出し、駄目押しの様に溜息を吐いた。
「……えぇ。それまで傷を癒しますから、そこは心配しないで下さいよ。俺は──ナッサルの男は無駄死にしませんとも」
 自身で手を掛けたラシェッドの死。それを肯定するにはそうせざる得ず、彼の言葉は己へ言い聞かせる様な物にも思えた。思えば酷な事をさせてしまった。惨めな虎に掛ける言葉は見当たらず、ただただ紫煙を燻らし、視線を逸らす事しか出来なかった。
 二人の間に沈黙が流れるなり、静かに扉が開く。扉は静かに開かれたが、相反し足音は大きくその巨躯をバッヒアナミルはじっと睨む様に見つめていた。
「……入る前に声くらい掛けろ。レヴェリに礼節はないのか」
「俺達にそんな物を期待したって駄目だ。生憎、そんなもんは持ち合わせてない」
「止めろ。……何の用だ、ルーイット」
 どかっと長椅子に腰を下ろし、彼はバシラアサドの葉巻入れに手を伸ばした。中身を取り出すなり、まじまじと見据え一本だけ取り出した。それが麻の葉だと知るなり、趣味じゃないとそれを放る。
「学者共から報告があってな。新種だ、新種」
 外套の懐から数枚の素描を取り出し、彼は机へと投げ出した。そこに描かれていたのは膨れ上がった腹と複数の乳房を持つ異形のレゥノーラであった。それはランツェールのような高い知能か。それともケェーレフの様な強固な身体を持つのか。
「見慣れんな。奴等、これを何と?」
「ウォバ・ヴェルと。……俺達の言葉で"胎嚢"だ」
 胎嚢という言葉。それは石女であった己が畜生にすら劣るかと、彼女の神経質な逆鱗に触れ、ムッとした面持ちを浮かべながらルーイットを睨めた。彼にその様な他意があった訳ではなく、バシラアサドが何を思ったのかは全く分からず、どうしたものかと首を傾げる。
「……何をしてくるんだ、これは」
「さぁ? 何でも俺達の兵が入ってないもんだからな。よく分からん。学者共は血相変えて逃げてきたとよ」
 全く何をしてくるのか分からない化物が、この時機に姿を現したのがただただ不快であった。流入したガリプやラシードの兵達とこのレゥノーラが接触、衝突するのは避けたかった。それは不本意なのだ。
「上手く行かん物だ。今の所は奴等を地上戦に巻き込むべきではないと廓へ行かせるというのに」
「……ファハド達に知らせなくて良いんですか?」
「知らせるべきだろうな。ナミル、付き合え」
 はい、と彼は静かに頷きながら、静かに笑っていた。袂を分かったとは言え兄弟の様に育ってきた同胞。慕ってきた親友である。その顔が見られるのは喜ばしい事なのだろう。それが凶報であったとしてもだ。
「お前、離脱用の地下道も教えておけよ」
「分かってる。分かってるともさ」
 ルーイットを始めとしたレヴェリ等が掘った地下道、それはこの都に蜘蛛の巣の様に広がる地下道と繋がっている。一部は廓にまで繋がっているのだ。侵攻の為、そして愚かなお節介者達の離脱の為でもある。
「……ファハド達も俺達に味方してくれませんかね。一緒に戦えたら心強いじゃないですか」
「私達とは袂を分かったのだ。……仕方あるまいよ」
 十年も昔、腹を抉られ彼は砂漠に伏した。血を流し、苦痛に呻く姿は忘れられそうにない。それでも彼を置き去りにクルツェスカへと向かったのは自分自身、ただただ民族に復讐をする為。慕う者達を呼び寄せる為、この都で暴力の化身と成り果てたのだ。だからこそ、彼が同じ道を歩む事はない、そんな事は疾うに分かっていた事なのだ。もしかすると、という淡い期待を抱きこそしたが、それでも彼は"此方側"に来る事はなかった。ラシェッドの死すら彼を引き込み得る、機会となり得るかは不確定。個人の死よりも民族を優先するのは火を見るよりも明らだ。
「セノールも一枚岩じゃないな。俺達もスケイラーやらカウル、ランガー、終いには西のオマと色々分かれてる。……同じだな」
「一緒にするな蛇男」
 一々、ルーイットに噛み付くバッヒアナミルであったが、彼もまたバシラアサドを取られたと思い続けてきた人物である。だからこそ、此処まで彼女に心酔し、妄信的な忠誠を誓えるのだろう。そして、バシラアサドを取ったルーイットを良く思わないのは当然の事。困った様に彼は笑いながら、その巨大な手でバッヒアナミルの胸を小突く。
「蛇男やら蜥蜴男やら。罵り文句はセノールもアゥルトゥラも同じだな」
 くつくつと笑いながら、彼はゆっくりと立ち上がった。セノールよりもずっと高い背丈を二人して見上げ、視線を向ける。
「何処に行くんだ」
「レーヴァに土産をな。廓で拾ってきた」
 彼の武骨な手には不釣合いな白金の首飾り、それが蝋燭の炎の灯りを受けているというのに、ぼんやりと薄ら青く輝く。それが嘗て人智を超えた者達が、作り上げた遺物だと察すに容易い。その鎖を懐に仕舞い込むなり、じっとバシラアサドを見下ろす。彼女の瞳はレーヴァという名を聞き、何処か穏やかにも見え、それは腹の中に飼った悪魔を蝕んでいる様に思えたのだ。
「……お前、今になって怖気付く様な事をしてみろ。ただでは済まさないからな」
 冗談とも、本気とも取れる言葉を吐き、彼は踵を返した。酷く冷たく、酷く重苦しい眼差しは彼が蛇だの、蜥蜴だのと揶揄されるのが仕方ないと改めて実感を覚えた。あの男が今の今になって、離反したならば落命は容易い事だろう。その拳は骨を砕き、爪は肉を抉り取る。そうして死に掛けた同胞の苦しむ姿が閉じた瞼に浮かぶ。
 手を伸ばし、猛るバッヒアナミルを宥めながらも、彼女はそれが砂漠の化身、その暴力という一役を担う同胞達よりも血腥く、仄暗い道を歩み続けてきた者だと今更になって実感を覚え、忘れようとしていた感情。"恐怖"を呼び起こすのだ。
「……何、あいつが私に従っている訳ではない。あいつは私を守り、私の懐刀として暴力を担った。だが、それは全てあいつの私利私欲の為。……忘れ掛けていたよ」
 ぽつぽつと語り、目を瞑る。砂漠に臥す、傷に塗れた龍蛇の武人。憎悪を宿した龍蛇の化生。人の成りをした悪魔。それと契約したのは自分自身。彼が望むのは戦、終わる事のない戦を望んでいるのだ。生きとし生ける者全てへ、己が味わった地獄を。この世の地獄を見せつける為に。



 白雪を汚すのは肉の破片か。薄氷に染む赤は、既に熱を失っている。ある者は頭を撃ち砕かれ、首から上を失っている。まるで最初からそれが無かったかの様な、無残な姿と成り果てている。ある者は腹を撃たれ、裂けた腹から血と汚物で汚れた腸を露にし、苦悶の表情を浮かべて事切れている。他の死体も一様に無残な様であった。皆、痩せ細り煤や泥で汚れ、事切れているのだ。
 戦火は生きとし生ける者を打ち砕き、その中に宿る精神を磨耗させてゆく。凄惨な戦場、争いが戦災を齎し、その逃れられない戦の禍を彼は担う。ヴィムート領、南部ペステクルにて発生した農奴達の蜂起。彼等は圧政を強いられた弱者である。膨れ上がった怨嗟は細針で突けば破裂し、それを血と炎に変える。人間の業とは何と醜いものか、とルーイットは屍を雪の上に投げ捨てて、じぃっと見下ろす。業は醜く、その業を持つ者と持たぬ者で大別される。しかし、死ねば同じ事である。眼前に死す農奴も、同胞も大きな差はない。
「フォーグナー。こいつの首で良いんだろ」
 生ける輩が手に持つのは、顔の右半分が潰れた生首。そこに無ければならない筈の瞳は欠け、すっかり筋肉が弛緩してしまったのか、醜く口半分が開かれている。それは農奴蜂起の指導者であった。
「……やりすぎんなって言っただろ」
「いやぁ、これが終わったら残党狩りになるんだろ? それならよ"すこーし"甚振って情報引き出すべきだろ?」
「何が少しだ、殴って殺しただろ?」
 ヴィムートの凍て付いた大地に住まう、そのレヴェリは残虐性を露にせせら笑う。こんなに柔いとは思ってなかった、などと冗談交じりに言い放ちながら、それを麻袋に突っ込んだ。
 戦火の黒煙、その向こう側に見えるのはヴィムートの貴族達だろうか。体制を整えられないが故に近隣のレヴェリを徴集し、蜂起鎮圧の尖兵とした者達だ。百にも満たないレヴェリの同胞達に対し、彼等は市街の大路を埋め尽くさんばかりの兵を率い、じわじわと歩み進んでくる。
「馬糞のおべべはお綺麗なこったぁ」
 首の入った麻袋を持ったレヴェリが馬糞(ヴィムート人への蔑称)と揶揄すると、一様に笑い声を上げていた。彼等はヴィムートの領土にこそ住まうが、服わぬ民であり、決して彼等を良くは思っていない。
「そう言うな。これを機会に俺達の有用性にあいつ等だって気が付くかも知れないんだぞ? 少しは丁寧に持て成してやれ」
 屍臥す道にて、彼は立ち尽くし、貴族を持す。レヴェリ傭兵の頭目たるルーイットがそういった殊勝な態度を取る以上、おかしな素振りは出来ないと彼等はその様を真似、隊伍を組み、風雪に耐え、ただただ持す。
 目を瞑り、半年前の晩を思い出す。圧政を強いられ、貧した農奴達が遂に蜂起を起こした。数は圧倒的、傭兵を雇い数を整える時間すらない。だからこそ、鎮圧の尖兵として雇われてくれと頭を下げた貴族を思い出す。農奴に恨みはない、しかし、レヴェリの有用性を彼等が知り、服わず民族が自由に生きられるなら、彼等を犠牲にする。冷徹かつ利己的な思いだという事は理解していた。しかし、それでもせざる得ない。
「なぁ、ルーイット。……俺達の地獄ももう終わるよな」
「……あぁ、終わるともさ。何処にも、誰にも服わず、自由に俺達は生きていられる」
 傍らの友はその言葉に肩を震わせ、嬉しげに笑っていた。我々はヴィムート人ではない。己はレヴェリ、矛であり盾である武人。龍蛇の血を引く民族である。人の言葉を借りるならば「化物」という存在だろう。戦に生き、戦に死ぬ。そう育てられてきた、最後まで斯く有れかしと躾けられてきた。その武威を示し、何者にも服わず、何処にも所属せず生きていられる、その自由は瞼を閉じても眩く輝き、この寒空に熱を感じるのだった。



 は、と目を醒まし夢の続きを、古い記憶に照らし合わせて綴る。怒りが沸き立ち、耳鳴りすら覚える。
 下心こそ有れど貴族の為に尽くし、血を流したというのにあの男は何一つの褒賞も、民族の自由すら許さなかった。蜂起を鎮圧したというのに、血を流した者達を蜂起の首謀者として追い立てた彼等の冷たく、凍て付いた面は今も忘れる事はないだろう。戦列を差し向け、ただの一言撃ての合図のみ。自由を求めた心算だったが、鉛弾を求めた心算は微塵もない。
 敗走に敗走を続け、シャボーの砂漠へと至った頃には同胞は殆どが死に絶えていた。残してきた者達も不当な干渉を受けている事だろう。今も同胞であるレヴェリは細々と暮らし、厳冬に身を蝕まれつつ圧政の元で生きているのだ。何事にも服わぬ自由など望む事すら許されず、哀れな農奴と共に怒りの炎を燻らせているに違いない。
 しかし、漸く望みに望んだ戦が足音を立て、遂に頭の後ろまで迫ってきた。今に戦を望んだ者達を追い越し、終わる事のない怨嗟の連鎖を紡ぐ事だろう。人間として生きる内、自由などは存在しない。化物の末裔とてまた然り。人は人としての本能、闘争、暴力、危害、流血を渇望し、生き続けなければならないのだろう。ルーイット・フォーグナーという個が、レヴェリやセノールという民族が、その渦中に在り続けたのだから。万人がその地獄を味合わねば成らないだろう。寝台に横たわり、寝息を立てる少女とて例外ではない。白金の首飾りを枕元に、彼女は眠っている。今はまだ平穏その物であったが、鮮やかなまでに青を帯びた瞳が、その戦火に染まり赤く成り果てるのも時間の問題だろう。
 武骨で巨大な手が柔らかな頬へと触れ、ゆっくりと首元へと降りていった。この細首を絞める、それだけでバシラアサドの矛先は此方へと向く。何か一つ、彼女の物を奪うだけで猛り、狂う事だろう。そんな打ち砕くに容易い箍で嵌め込み、細すぎる綱だけで結んだ関係だという事を忘れ、未だに彼女は気が付いていない。人と人は争いに至るまで容易い、と。
 再びレーヴァの頬をなぞり、ルーイットは離れていく。相変わらず彼女は寝息を立て、穏やかに眠り続けている。事を急ぐ必要はなく、セノールを含めた全ての役者が舞台に立つまで待つ必要があるだろう。
 世の中の全てを敵とするならば、世の中から嫌われた者の背を押すだけで良いのだ。砂漠の化身は既に背を押した、平原の覇者も東の古強者も、アゥルトゥラ西部というこの戦場に集結しつつある。もう後は何かで火を点けてやるだけの事。皆が一様に狂奔へ駆り立てられるだろう。シャボーの砂漠を、アゥルトゥラの街並みを、ただただ赤く染めたならば事は動き出す。自由を与えず、裏切りを与えたからこそ、この世は鬼を生み出したのだ。
 世は既に赤い竜を、十角七頭の獣を生み出してしまったのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.255 )
日時: 2020/07/14 01:11
名前: Nikka ◆ShcghXvQB6 (ID: jtELVqQb)

 踏み砕かれた氷雪、それを彼女は足元で弄び、前を歩むソーニアの踵目掛けて蹴り付けた。静かに振り向き、何時ものの柔らかげで穏やかな顔がそこにはあった。彼女は何か? と言葉なくして問うてくる。
「……」
 昨晩の彼女は"貴族"の顔をしていた。"学者"としてのソーニア・メイ・リエリスは何処へと消え失せたのだろうか、戦の事、その後の事。そして、如何に目の前の問題を避けるか。それを成し、その為だけに言葉を紡ぐ。それが一段落着いた後、彼女は"同胞達"と談笑していた。
 特にナヴァロの当主である、レーナルツとは親しく軽口を交わしてはらしからぬ言葉を口走ったり、二人して一番年の若いエストールとかいう青瓢箪を揶揄していた。あれが本来の彼女かと思えば、今まで彼女の事を知った気になっていただけだと、思い知らされたかの様で歯痒く、実に面白くない。
 アースラが現れ、抱いた一抹の期待。遠ざける様に振舞うジャリルファハド。目まぐるしいまでに変わりつつある環境、それはミュラにとってただただ苦としか言えなかった。そして、極め付けはソーニアは矢張り住む世界の違う人間だった、という事実。疲れた様に溜息を吐き、黒色火薬の饐えた様な残り香を大きく吸い込んだ。
「……何膨れてるのよ。昨日ほっぽっておかれたのが気に食わないの?」
「別に。退屈はしなかったし」
 セノール、特にガリプの兵等は口数が少ないながらも気に掛けて来る上、アースラが都度都度、世話を焼きに来ていた。決して退屈などはしていない。
「なら普段通りにしていなさいよ」
「……あの、レーナルツって奴。随分親しいんだなって」
 その言葉にあぁ、とソーニアはにやにやと笑いながらミュラを小突く。それを良しとせず、ソーニアを小突き返すと彼女はよたよたと体勢を崩しながら、ミュラの外套を掴んだ。
「そうね、昔からの知り合いだもの。カランツェンの……ユスターンとカルヴィン。レーナルツとかエストールの従兄弟。あとは昨日は来てなかったけどランバートとその兄弟。ザヴィアのヘロイスだってね。こーんな、小さい子供の頃から知ってるわ。そりゃー、久しぶりに顔を揃えたら少しくらいはね」
「……ハイドナーはどうなんだよ?」
「んー、ガウェス? 彼はそうねぇ。子供の頃は内向的でね、そのままよ。そのまま。家に縛り付けられていたのか、どうなのかは私には分からないけれどもね」
 昔からの知り合いなど存在せず、そんなソーニアが羨ましくも思えた。そして、同時にやはり住む世界が違うと実感したのだ。あのジャリルファハドとて親しい者達が居る、昔から見知り共に育ってきた間柄の者達が。まざまざと見せ付けられたそれが、随分と精神に堪え、自分が場違いな存在に思えたのだった。
「……おかしな事を考えるのはやめなさい。良い? ミュラ、貴女は貴女。私は私よ。どう生きてきたか、どう生きるか。環境も何もかにもが違う。それで良いのよ。その違いに悩む事はないわ」
 言い聞かし、諭す様な声色はその心に纏わりつく、汚泥の様な劣等感を雪ぐ。完全に納得こそ出来なかったが、頷かざる得ず、頭の中で二度、三度と反復させては何処か遠い目をし、口を閉ざすソーニアをただただ見据えるのだった。


 暫く歩き、何時もの家へと辿り着く。やはりそこに彪の姿はなく、ナヴァロの屋敷でも彼は別れ際、顔すら見せずに同胞達と何やら戦の仕方を語っていた。死兵だの、分断するだのとその姿が死に急いでいる様に見えて仕方がなかった。戯言でも投げ掛けるべきだっただろうか、と今になって思いながらミュラはソーニアを見据え、手を伸ばした。
 鍵を寄越せ、と言葉なく手をくいくいと動かし、彼女を急かす。黒眼鏡の向こう側、彼女がどんな目をしているのかは分からなかったが、少し苦笑いをしながら鍵を手渡してきた。
 この家の鍵は建て付けが悪く、開けるには少しのコツがあったが、もう半年以上も厄介になっているのだから、手馴れた物で鍵を突き刺し、少しだけ上に力を掛けてから左に捻ると開く。かたん、と短い音がしたなら開錠は上手く行ったのだが、今回は少しおかしな状況に陥っていた。鍵が厭に滑らかに回り、何の引っ掛かりもなく開いた様に思えたのだ。ソーニアを一瞥し、鍵を返すと同時に彼女の右腿から鉈を引き抜いた。
「何し──」
 静かにしてろ、と口元へ手を伸ばし、彼女を黙らせるとゆっくりと扉を開いた。
 部屋の中は暗く、長椅子に誰かが居る訳でもない。竈の蓋が開かれたまま、燃え滓が僅か、赤く照る。書棚に誰かが手を付けた形跡はなかったが、食卓の上の二つの燭台には火が灯ったままだった。
「勝手に入った事は詫び──」
 薄闇の中、低い女の声。その方向へと鉈を振れば、壁へと食い込み声の主は驚いた様に口を噤む。同時にまた鈴鳴りが一つ。聞き覚えのある声だったが、何故"彼女"達が此処に居るのか疑問が過ぎる。
「人の家に勝手に入り込むのは関心しないわ。スヴェトラーナ」
 書斎として使っている一間、そこから顔だけだして彼女は都合悪そうに頷き、また同時にその忠犬は頭を垂れ、ソーニアの毒気を抜く。
「まぁ、良いわ。掛けて。ミュラ、鉈」
 ソーニアは竈の燃え滓を鉈の刃先で掻き回し、灰を出す事もなく次の薪をくべた。松脂が燃える独特なツンとした匂いと、小さく爆ぜる様な小気味良い音が鳴り出した。
「冷えたでしょ? 勝手に暖取ってくれてても構わなかったのに」
「……何をしにきたか、聞かないのですね?」
「えぇ、憶測は付いてるもの」
 スヴェトラーナとソーニアの間、会話はなく彼女達が従える猟犬と子犬は都合悪そうに視線を逸らし、遂には火の点いた燭台を眺める事で目線の行き先を見つけた。
「昨日の事でしょ。この街で何があったのか、何が起きてしまったのか。……自分達がどう動くべきなのか」
 ぽつぽつと語られるのはジャッバールの撤収。レゥノーラとクルツェスカ守兵との戦闘。ボリーシェゴルノスクへの派兵、そしてカンクェノの権益奪取であった。最後の二つを聞いた途端、スヴェトラーナの瞳に色が宿り、また同時にハイルヴィヒがソーニアへと向き直る。
「……廓を取り戻し、ボリーシェゴルノスクをジャッバールから解放する為に兵を差し向ける。本当に間違いなく起きるのだな?」
「えぇ、そうね。……多少の流血、多少の戦火には目を瞑ってもらうけれども、ジャッバールが兵を引く以上、傭兵の食い扶持を確保しないといけなくてね。……ボリーシェゴルノスクで彼等が暴徒になったら、ルフェンスの出番よ」
 また小難しい話をし始めたと、ミュラはソーニアを横目で見遣るも食い扶持を確保するという言葉には頷かざる得なかった。飢えた者は狼藉を犯す、嘗ての自身がそうだった様に。
「廓にはハイドナーとカランツェンが。地上の守兵はシューミットとナヴァロ、あとはダーリヤの所ね。ボリーシェゴルノスクにはキールが行くわ。積極的に手は出さない、あくまで事が起きてからの話だけどね」
「それが分かってるだけでも有り難い話です。……どうも、セノールの方々は秘密主義と言いますか、あまりそういう事を外に話さないので」
 スヴェトラーナにとってはボリーシェゴルノスクに行って欲しくない、カランツェンとダーリヤがこの地に留まるのは有り難い話であった。前者はジャッバールの残兵を掃討する為に、形振りを構わず、凶行に及ぶ事だろう。ダーリヤが行ってしまえばクルツェスカに恩を売れなくなってしまう。打算的な方針、思いであったが偶然上手く嵌った様だ、とスヴェトラーナは胸を撫で下ろし、口を開く。
「……あの、セノールの話。少しでも教えてもらえませんか?」
「別に構わないけど、何を知りたいの?」
「武門の主要な人間について」
 何を聞いてくるかと思えば、そんな事かとソーニアは小さく頷いた。ジャッバールはバシラアサドのみ。ラシードはマティーンを筆頭に四人の家人。ガリプはヘサームを筆頭に二人の家人。ハサンの情報は少なかったが、そこに関しては"よく知っている"とスヴェトラーナが言葉を遮った。そして、最後に語られるナッサルについて、彼女は目を輝かせながら耳を傾ける。
「当主、ザワを筆頭に四人の息子が居るわ。上からアリレザ、イフサジャラル、ラシェッド。そして、末弟のバッヒアナミル。彼等が家門を運営し──」
 バッヒアナミル、その名を聞いた途端、彼女は口元を歪めて笑っている様に見えた。何かがあったのだろうと推測こそせど、触れはせずにナッサルの戦運びや現在の情勢を語り、ラシェッドの死へ至る。そして、再びバッヒアナミルへと触れ、彼がこの都へ居る事を告げるとスヴェトラーナは口を開いた。
「……その方には"落とし前"を付けて貰わなければ困るんです。復讐が甘美な物だとは知りませんでした、ずっと醜い物だって思っていたんですけども」
「そう、私は止めないわ。だけど、彼物凄く強いわよ」
 スヴェトラーナはただただソーニアを見据えたまま、頷くばかり。代わりに彼女の傍らに控える従者は諦観した様に目を瞑り、僅かに俯く。ハイルヴィヒの腹の中、あの場で攻撃を受けてしまったが故に歪めてしまった、という一抹の後悔と不甲斐なさが交じり合い、汚泥の様に彼女を捕らえているのだろう。
 あの狂った虎が主を狂わせてしまった。あの狂った虎に噛み付かれてしまったが故、狂わされてしまった。狂気は伝播し、正常だった者すら歪めてしまう。あの狂った虎を生み出したのは、言うまでもないバシラアサドという個だろう。彼女に付き従い、彼女の為に命すら賭す。その虎は己と重なって思え、同時に羨ましくも思えた。絶対的な暴力と命すら厭わぬ獣には及ばぬのだ。否、命は厭わない。しかし、あの絶対的な暴力は女の身で至る事は不可能なのだ。
 ただただ苦々しく、ただただ不甲斐なく、柔らかくも二人を睥睨するソーニアに向ける言葉もなく、つらつらと黒い夢物語を語る主を止められなかったのだった。

Re: 無限の廓にて、大欲に溺す ( No.256 )
日時: 2020/07/15 23:39
名前: Nikka ◆ShcghXvQB6 (ID: jtELVqQb)

 またしても、何時の間にかソーニアの顔は貴族の顔をしていた。スヴェトラーナやハイルヴィヒに向けられている、じっと据わった瞳は厭に冷たい。何時もの穏やかで柔和な雰囲気は、何処に消え失せた事か。それが実に居心地が悪く、鉄面と呼ばれる彼女の父を想起させた。
 それはスヴェトラーナも同様だったらしく、先程までの弁舌は何処へやら。少しだけ俯き加減になってしまっている。ソーニアは言葉を遮り、口を突っ込んでくる訳でも、強い語気で圧を掛けてくる訳でもない。妙な凄味が感じられるのだった。
「フェベス様に似てるのですね」
「まぁ、親子だもの。顔は似てないでしょ? 母似だからね」
 へらへらっと口元を歪めているが、目元は笑っていない。それが尚の事、スヴェトラーナには鉄面を彷彿させ、彼女がメイ・リエリスの血を引く者だと実感させる。親は子に似る物だが、彼女は外見ではなく内面を濃く引き継いだのだろう。
「そういえばラシードの所に帰るの?」
「……彼等は明日から廓へと赴くと聞いています。彼等の庇護がなければ、私の"復讐"は成されない。帰った所で私達の身動きは取れません。……ですから──」
「廓に一旦降りる、と」
 言葉を遮られるも、スヴェトラーナは小さく頷いた。
 ラシードの兵達に紛れ、廓へ至る。彼等がレゥノーラの掃討を成した時、恐らくはバシラアサドは姿を現す。そして、その傍らにあの男が居るはずである。だからこそ、ラシードの軍勢から離れてはならない。身を守りながら、機会を得る為、彼等と行動を共にするのだ。
「……ハイルヴィヒ、貴女も来るの?」
「行かない訳にはいかないでしょう。……獣と化生の群れの中、一人で行かせる訳にはいかない」
 ぽつりと述べ、目を瞑る。闇にぽつんと浮かぶのは虎の姿、そして人外の姿。闇に恐怖は佇み、彼等はじいっと此方を見据えている。人を害せと、人を喰らえと声なく語り、闇を漕ぐ。それが眼前まで迫った時、ソーニアは口を開く。
「無理だけはしない様に。傷まだ響いてるでしょう?」
 彼女の言葉に改めて自身が手負いだという事を実感し、右の脇腹を押さえた。ナヴァロが囲っている医者が居なければ、今頃自分は死んでいた。聞き及ぶに一部は肝臓にまで達した深い切創、彼等の処置は適切だったが体を捻るだけで鈍痛が襲い来る。明日からの闘争、万全で及ぶ訳ではないのだ。
 しかし、弱音を吐く訳にはいかず、溜息を吐きながら首を横に振った。今、この場で痛みを訴えてしまったら最後だと思ってしまったのだ。故に口をただただ噤む。
 ソーニアの目には、この二人が滅びに向かって直走っている様に見えて仕方がなかった。氷雪に足を取られる事もなく、凍て付いた河へと駆けに駆け、首まで浸かるを良しとする愚者にしか見えなかった。誰かに歪められたのか、それとも先天的に歪んでいたのか。それを知る由もなく、どうしようもない二人に世話心が沸いてしまう。
「……血と歴史を紡ぐ。それは長い、長い時間が掛かる物よ。……でも滅びるのは一瞬。貴女も、貴女も。私もね」
「そんな事分かっています。お父様とてその覚悟を……決めているはずですもの。その娘である私が、覚悟を決められないだなんて、あってはいけない事なんです」
 きっとソーニアを睨める様に眼差しを向け、彼女は静かながらも語る。振り絞るような細い声であったが、温室に育ってきた娘が意地を口にする。そこに居るのは若く、傷一つない白磁。しかし、何処までもアゥルトゥラの貴族であった。
「良いじゃない。ずっとその顔してた方が良いわ。……ミュラ、支度して。ジャリル達に合流しましょ」
 折角帰ってきたばかりだというのに、ソーニアは肩に小銃を担ぎ直した。そして、矢継ぎ早に机へと置かれた鉈を鞘に収める。彼女の傍ら、ミュラはどうも嬉々とした様子で背負い鞄に腕を通す。そして、彼女もまた小銃を携えた。
 メイ・リエリスの女が携えるのは、セノールの小銃。そして、メイ・リエリスの名。両人種の狭間に立つ、彼女はどこか飄々とした様子で薄っすらと笑いながら踵を返す。ハイルヴィヒが追いましょうと目配せし、スヴェトラーナを促せば、彼女は深く頷いては歩むのだった。



 鈍色の空は低い。雲の切れ間、顔を覗かせる太陽に彼等は目を細めているだろう。氷雪吹き荒ぶ雪原は砂漠と然したる相違はなく、人が暮らし、生きるには厳しい。あれはセイフの一団だ、と彼は双眼鏡を覗きながら語る。
 彼の導師は傍らにベケトフの主を。その後ろにルフェンスの主を。兵の一団はセノールとアゥルトゥラで交じり合い、彼等は敵意を向ける訳でもなく雪原を歩むセイフの一団を見据える。
「……あれが、僕達の敵かい? アル=ハカン」
「あぁ、そうだ。あれは戦の為に此処に来た。俺達にも毒を仕込んでな、ハサンの兵を舐めてくれた馬鹿者達だ」
 双眼鏡を下ろし、アル=ハカンはせせら嗤う。仕込まれた毒は化物の腹の中、冷たい運河の底。雪原に臥す。まさか、バシラアサドは密かに離反を受けているとは思ってもいないだろう。
「ハカン公。貴方達が仲間同士殺し合いをしているのはぞっとしたよ、いや……一方的に首を裂いていた様だが」
 昨晩、行われていた凶行にセームは目を閉じ、あの刃が自分達に向かなかった事に安心を覚えていた。彼等は足跡こそ残せど、足音すらなく返り血の一滴すら浴びずに闇を歩む。まさか、延々と見合っていた相手が"不死身のクィアット"の子孫だとは思ってもいなかった。そして、彼等が離反を決意するとも思っていなかったのだ。
「ジャッバールの兵は殺すに容易い、俺達ならな。即ちアゥルトゥラも然り。だが、アゥルトゥラを殺めては事が起きてしまう。……だったら子孫の為、悪名を被り百を殺め、万を生かすだけの話だ」
「怖い人だ、だが私と同じ考えてこれ幸い」
 セームはへらへらと笑いながら、葉巻に火を点ける。すぐに煙が立ち上り、風に流れていく。今、此処に大きな事柄が起きようとしている。事態は刻一刻と動き、流れに流れる。それは紫煙の如く。薄っすらと流れ、ぼんやりと消えながらもその香りだけは残し、何れ毒ともなるだろう。この場に居合わせた事に感激し、真っ直ぐ伸びた背筋からつぅっと冷たいそれが流れ、鳥肌が沸き立つ。
「コアトアの土人共とは違う、国同士の戦争は私も処女なものでね。それの相手がセノールってのも中々来る物があるよ」
 軽口を叩けば、アル=ハカンが肩を震わせて笑っていた。戦争童貞、戦争処女ばかりだと彼も軽口に応じ、再び双眼鏡を覗きこむ。
「……クルツェスカは大丈夫だろうか」
 ユスチンは不安を口にし、彼の導師と正反対の動きを取った。危機が迫っている、危機が広くこのアゥルトゥラ西部を汚している。そんな現実から目を背ける様に。
「あぁ、娘か。……俺も娘が居てなぁ、苦労してるんだ。とんだ跳ね返りであの砂漠を走って渡ってくる。この戦にも関わるなって言ったんだが、どうも来てしまった様でな」
「うちも似た様なもんだよ、クルツェスカに行ったと思ったら今はすっごくきな臭い。東のどこかに逃げたって良いのに、そんな様子もない。昔の知り合いに厄介になってるけれどね」
「……似たようなもんだな」
 人外とも思えるハサンの兵と言えど、人の子。そして人の親。セームも同様にキルクに残してきたまだ幼い息子の顔を思い浮かべた。男子三日会わざれば刮目して見よ、幼子ならば尚の事。もう半年も会っていないが、幾らか成長した事だろう。子の顔を見る為、この戦は何としてでも勝利を収めなければ成らない。そう肝に命じ、踵を返す。
「ハカン公。"手筈"通りに」
 あぁ、とだけ短い返事が聞こえる。老いた二人は双眼鏡でセイフの兵等を見据えながら、娘の話をしていた。妻の忘れ形見とも、命を擲っても良いとも、歪みに歪み切ったであろう彼等は人並みの身内に対する親愛を語らうのだった。

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