複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.247 )
日時: 2019/12/15 23:30
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 クルツェスカは相変わらず寒風が吹き荒び、ハイルヴィヒは目を細めた。
 街を歩き始めて既に四時間は経っただろうか、太陽は落ちかけ既に闇を醸す。七つ目の小路を抜け、大路へと至ったが矢張り足元の状態は余りよくなく、何度か滑り転びそうになると着いて来た二人に身体を支えられた。その都度、傷が疼き激痛が身を襲う。呻きを上げると着いて来た二人の反応は相対的だった。一人は無視をし、一人は気遣ってくる。
 この街は相変わらず騒々しく、闇が多い。だというのに何処かぎらぎらとした、妙な魅力──色気を放つ。空気は凍て付いているが、その色は咽返る様な熱量を放ち、ぼんやりと漂う。人を構成するのは三つの欲ではなく、そこに闘争を加えた四つの欲であるからに、恐らくそれ等は同じ色、同じ匂いをしているのだろう。甘美というには苦々しい、甘苦い腐りかけの果実だ。
 だからこそ、今この場に居ないスヴェトラーナの身を案じざる得なかった。誘惑は多く、乗ってしまっては最後。無垢を汚すなど容易い。謂わばこの都は悪魔の巣食う都なのだ。事と次第によってはその悪魔と相対するしかないというのに、瞼の裏に立ち尽くすあの"人虎"が歪んだ笑みを浮かべ、抱いた事のない恐怖という一念を呼び覚ます。あの砂漠の化身と相対しては、落命の一途を辿るしかないのが見えている。今此処になって命を惜しむ自分が愚かしく、浅はかにも思えた。
「あいつ等、刀見てみろ」
 後ろでカルヴィンがガウェスに耳打ちをしていた。大きく湾曲した刀。逃げ惑う兵を馬の上から斬り付け、離脱していく。サチの氏族、ラシードの武門に所属する者達の刀だ。先の戦争では脅威に成り得なかったが、先の先の戦争では大勢の民衆を切り裂き、徒に死者を増やした刀である。そんな者達まで入って来ているとなると、このクルツェスカも末期だとハイルヴィヒは思え、溜息を吐いた。
「……ガリプもこの辺りに居るかも知れませんね。ハイルヴィヒ、此方へ」
 外套の後ろ襟を掴まれ、小路へと促された。この小路は秋初め頃、大勢の貧民が死亡した場所である。住民を失った事から恐らくはセノールが勝手に占拠し、根城にしているのだろう。同じ空の色、同じ気温をしているというのに、此処だけ空気が重苦しく、砂漠の化身がそこに居る様な錯覚に陥った。
「お出迎え、か」
 小路へ一歩踏み入れただけだというのに、そこに漂うのは全くの異国。クルツェスカであるというのに、此処は砂漠の様にも思えた。宛らカシールヴェナか。だからなのか、小路の両側から何事かと、視線を投げ掛ける者達はセノールしか居らず、背を追った者がゆっくりと振り向き、腰の得物に手を掛けた。
「何の用だ。……我々ラシードに仇を成すというのなら丁重に持成そう」
 眼前の男が刀を抜き放つ。抑揚がなく、音節の小さなセノール訛りが不気味にも思えた。大きく湾曲した刀は太陽の光を浴びていないというのに、ぎらぎらと艶かしさすら感じる程に輝く。先の戦争にて、多くの血を吸った刀はその殆どが打ち直されたと聞く。血は注がれたというのに、吸った魂の輝きを放っているかの如く。砂漠の化身、その狂気がそこにはあった。
「……此方にガリプやハサンの兵は来てませんか?」
「何故それをお前達に語る必要がある」
「人を探しています。……金髪、青い目。女のアゥルトゥラなんですが」
 金髪、青い目という二つの言葉を聞いた途端、彼は建物の影へと目配せをした。そこからは小銃を携えた兵が潜んでおり、彼はそそくさと向かい側への建物へと走り込んだ。ほぼ、同時に彼は刀を収める。
「スヴェトラーナ・ユスチノヴナ・ベケトヴァ。確かに身柄は我々と共にあり、我々と共に行動をしている。……今になって迎えに来たのか?」
「……何故、お前達セノールと」
 口を衝いて出た疑問に、彼は表情を変える事もなく、小さく溜息を吐いた。言わなければ。問うて答えを得られなければ分からないのか、と笑みなくして嘲笑されたかの様な気分に害され、ハイルヴィヒは彼を睨む。
「セノールに組し、あの娘が我々アゥルトゥラを害すというのならその首を貰い受ける他ない。……どうなんだ?」
 切っ先を向けながら問うカルヴィンに、彼は怪訝な表情を浮かべ、また再び刀の柄に手を伸ばした。そして、じっと頭上を見遣るなりすぐに視線を下ろし、溜息を吐いた。噤まれていた口がゆっくりと開く。
「……ただ一つ。ある男を殺したい、その為に我々と共に動いている。……見上げたもんさ、しっかり人を恨んで、しっかりそれを晴らそうとしている。彼女はアゥルトゥラと敵対したい訳ではない」
「それはお前達が誑かしたんじゃないのか」
「酷い訛りだな、クィーフスか?」
「……答えろ」
 そうハイルヴィヒは眼前のセノールへと迫っていく。丸腰の女に何をされる訳でもない、また何かをする気もない。彼女を止めようと歩もうとした、ガウェスはカルヴィンに捕まり、阻まれる。振り向けば彼は首を横に振り、鼻で笑っていた。放っておけと。
「まさか。それは彼女の意思だ。我々の思惑などある訳ないだろう?」
 思惑、という言葉にハイルヴィヒはじっとその男を睨む。果たして彼の言葉は真実なのか、という疑念が過ぎり、猜疑を抱いた。
「……本当か、それは」
「あぁ。なんでも従者の仇討ちだそうだ。仕え甲斐のある娘だろうと思うがな。まぁ、だからこそ、我々と同じ道を歩む」
 彼女は目を見開き、小さく、ただただ小さく頷くばかりだった。死んだと思われてしまったのか。それとも怒りに汚されてしまったのか。セノールと同じ道、それは即ち復讐である。甘美で、酷く暴力的なドス黒い感情を彼女が覚えてしまったと思えば、脇腹の傷と同じ様に胸の辺りが痛みを覚えた。
「待て。一つ、お前達に問う必要がある!!」
 再び切っ先をセノールの男へと向け、カルヴィンが吼えた。曇天の下、晒された刀を見遣るなり、セノールの男も刀の柄に手を掛け、物陰に隠れていた同胞へと合図をする。切っ先と相対する様にして、銃口が二人へと向き直った。
「お前達は何の為に此処に居る! 何故このクルツェスカに入ってきた!!」
「そんな事も知らないのか。我々はジャッバールを叩く為、アゥルトゥラとの戦争を避ける為に此処に居る。アースラが遣いとして行っただろうに。馬鹿か?」
「口先ならどうとでも言えるだろう! 俺はお前達を信用は出来ん。人を斬るに、撃つに躊躇いなどなく、殺を嗜む!」
「事実だな。だが、信用しないってならどうするんだ。一方的に俺達に斬りかかるか? そいつは頂けない。戦争だ」
 両者の語気は荒く、抑揚のないセノール訛りが消え失せる。饒舌にカルヴィンを煽り、やってみろと両手を掲げながら歩み寄ってくる。自ら切っ先へと近付き、遂にはそれへと五分の間すらなく迫る。
「信用ならないってんなら斬れよ。なぁ。"ご同胞"」
 煽りに煽り、カルヴィンの怒りが頂点へと達した瞬間であった。両者の間に三人が飛び込んでくる。その一人はガウェスであり、彼の形相は必死であった。激昂したカルヴィンに斬られたとて、今此処で軋轢を生み、ガリプとの協力関係を反故にすべきではないと身を挺したのだ。そして、残る二人はセノールの男を羽交い絞めにしていた。
「ハイドナー、何をしに此処に来た」
 聞き慣れた低く唸る様な声、その主たるは"偉大なる彪"である。一週間ほどぶりだが、随分と久しく見た気がし、ガウェスは静かに笑いながら溜息を吐いた。
「今はアゥルトゥラと戦うな。煽るな。全く。馬鹿はお前だ」
 セノールの男を羽交い絞めにしていたのは、ジャリルファハドより幾分背の高いセノール。彼もまた大きく湾曲した刀を腰に差す。羽交い絞めにされた途端、彼は大人しくなり、彼もまた引き攣った笑みを浮かべている。
「……マティーン、俺等は戦う気がないってのに信用されてないんだ。酷い話だと思わないか?」
「仕方ない話だ。さぁ、お前は戻れ」
 解放され、背を押されるとそのセノールの男は、何処か都合悪そうにして建物の中へと入っていった。その折、彼はハイルヴィヒの背を叩き、中に入れと促す。先程までの緊張した面持ちは何処へやら。すっかりそれは消え失せていた。
「で、我々が信用ならないとは随分な言い草だ」
「……知っているぞ。お前達が戦しか知らず、殺を嗜み、人を謀る。そんな民族だって事をな」
「その血を引いている癖によくもまぁ、そんな事を言えたものだ。ハイドナー、とか言ったか? アゥルトゥラは皆そうなのか?」
 マティーンの問いに少しだけ吃りながらも、否定の意を伝えると彼は静かに頷いて見せ、離してやれと呟く様に言い放った。それとほぼ同時にジャリルファハドが刀を抜き、何かあっても良い様にと備える。
「余り感情的になるな。我々は我々の戦運びを阻害されない限り、お前達と敵対する心算はない」
 じっとカルヴィンを睨む様にして見据え、マティーンは含みのある笑みを浮かべた。そこに悪意の類はなく、セノールらしからぬ物でガウェスは息を呑む。久しく人間らしい笑みを見た、と何故か安心を覚えた。
「……得物を収めろ、これでは話合いも出来た物ではない」
「いいや、そっちからだ。俺が納めた所、斬りかかられたら堪ったもんじゃない。なぁ、ガリプ」
 はぁ、と溜息を吐きながらジャリルファハドは刀を鞘へと収める。随分と信用されていない、と肩を竦めながら踵を返した。マティーンの肩を拳で軽く小突き、彼は建物の中へと入っていった。何故か、彼が入っていくとがやがやと一気に喧騒が沸き起こる。何が起きているのか、とガウェスは困惑しながら、その背を視線で追った。
「さぁ、収めろ。そしたら入って来い。丁度良い、少し話がある」
 無防備にも踵を返し、マティーンも建物の中へと入っていった。完全にアゥルトゥラに対する敵意はない。恐らくは害意の欠片すら持ち合わせていない。諦め、観念したかの様にカルヴィンは刀を鞘へと収めると、ガウェスの背を叩いた。
「悪いな」
「いえ、もう慣れました」
「そうか、そいつは結構だ」
 共に歩む同胞はセノールへの猜疑心、敵意、そして復讐に囚われているのだろう。メイ・リエリスの娘達は知西派と呼ばれる者達であるからに、彼もまたセノールをよく知っているはずなのだ。だというのに、その知識を噛み殺し荒れ狂う。それ程までにキラという存在が大きかったのだろう、と思えば何処か気の毒でもあった。
 静かに二人は歩む。吹き荒ぶ寒風に怯み、ガウェスは目を瞑るとそこにイザベラの姿が過ぎるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.248 )
日時: 2020/01/06 00:04
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 扉を押し開けば、そこは砂漠の化身が群れを成していた。彼等は一様にじっと視線を投げ掛け、ある者は得物に手を掛ける。呼応する様にしてカルヴィンが得物に手を掛けるが、抜く様な事はなく目を瞑りながら溜息を吐いていた。
 彼等は恐らく得物の手入れをしていたのだろう。丁子油の容器とそれを拭き取る為の大麻の繊維で作られた布が散在している。嗅ぎ慣れない丁子油の匂いは鼻をつんと突き刺す。刀から長槍。小銃の金属部、一部の騎兵が使うであろう胸甲は磨き上げられていた。
「珍しいか?」
「いえ……我々も似た様な物ですから」
 ガウェスの隣で歩む、ジャリルファハドは相変わらずの仏頂面で問い掛ける。ただの雑談なのだろうが、その表情からどうにも"他意"を感じてしまい、相変わらずガウェスは言い淀む。その様子がおかしかったのか鼻で笑いながら、ガウェスの得物へと手を掛け、それを引き抜いた。
「自分達ではしなかっただろう?」
 じっと刀身を見つめ、僅かな刃毀れ、錆びの類を目敏く見つけては指先でなぞる。得物は使っている内に草臥れ、何れは壊れてしまう。長く使えば手に馴染み、宛ら自分の手足と同じ様に使える。だからこそ、彼等は得物を自分達で手入れするのだ。勿論、人的資源をそこまで裂けないという、セノールの事情があるのだろうが、確かにジャリルファハドの問い通り、あまり自分で自分の得物を手入れした事はない。少し痛み、本来の性能が発揮出来なくなってしまえば、打ち捨て次の物へと鞍替えしていた。
「そうですね、あまりした経験はないです。……痛めば変えていましたから」
「……傷を負ったとて手入れをしてやれば幾らでも使える。何時か使える様になる」
「……何を言いたいんですか?」
「人も同じだと」
 セノールは嘗てのアゥルトゥラを人馬一体の徒として恐れた。それは人馬問わず、寝食を共にし、彼等の面倒をよく見ては常に全力を発揮出来たからである。そこに馬と得物の差はない。従って人と得物の差もない。
「……あの男は何処か仄暗い。人として"手入れ"を怠っている。気を付けろ」
 数歩後ろを歩む、カルヴィンの事を言っているのだろう。その通りだと、苦笑していると椅子に腰掛けているハイルヴィヒの姿が見えた。恐らくはスヴェトラーナを待っているのだろう、現に彼女を呼びに行ったマティーンの姿は全く見えない。何処か彼女の居心地が悪そうに見える。
「……スヴェトラーナはどう過ごしていましたか?」
「さぁ。俺が此処に呼び出されたのは初めてだ。そんな奴の事は知らん」
「そうでしたか。……今、そちらはどんな感じで?」
「明後日から廓に入る。そして、化物共を討つ」
 戦支度は整え終えたのだろう。寡兵ながら体制を整え終えたのだから、その兵の一団は強兵であると察するに容易い。そして、今この場に居るラシードや、ガリプの兵。彼等に手を出せば、事はただではすまないと改めて実感するとガウェスは眩暈を覚えざる得なかった。事次第によっては彼等は全てが敵と成り得る。敵となったならばただただ恐ろしい存在と成るだろう。つまり、先のカルヴィンの行動は分水嶺を越え掛けた、危険な行いだったのだ。
「化物を討ってどうするんだ、その後は俺達か?」
「さぁな。俺はある者を救ってもらった恩を返すだけの事。そこから先に何をしょうとも知った事ではない。俺達はただアサドを止めるだけだ」
 ガウェスから聞き及んだ内容と同じ答えに、カルヴィンは鼻で笑いながら胸の前に腕を組む。それはジャリルファハドの発言を受け入れ難いという、拒絶の思いの現われであったが、バッヒアナミルを始めとするジャッバールの将兵達の発言に対する反応よりも幾分、穏やかにも思えた。
「……お前がソーニアを守ってきたのは知っている。しかし、お前は所詮セノールだ。信用ならん」
「構わんさ、行動で示すだけだ」
 仕方のない話だと、ジャリルファハドは何処か諦観している様だった。過去を遡れば、その時間、時代の奔流は必ずや流血が存在している。互いが互いを否定し合い、殺し合い、只管に命の遣り取りをしてきたのだ。今この時分、セノールを信用出来るというアゥルトゥラの方が珍しいだろう。
 階上へと至り、押し開かれた扉の向こうには誰も居ない。恐らくはマティーンが居室として使っている部屋だろう。壁には数々の得物が立て掛けられ、武門の第二勢力であるラシードの長らしい物だった。しかし、机の上には口の開いた酒瓶。酒を好まないはずのセノールらしからない物がそこにある。
「……マティーンは世俗的なだけだ。あまり気にするな、まぁ座れ」
 ガウェスやカルヴィンの視線は明らかにその酒瓶に注がれていた。彼を庇い立てる様な発言をしては、酒瓶を掠め取り、ジャリルファハドはそれを窓から外へと投げ出す。
「それにしても随分と鼻が利くな?」
「スヴェトラーナを探してまして。虱潰しに彼方此方歩き回ったんですよ」
「下手な鉄砲を数撃った結果か。……まぁ良い」
 他愛も無い話をしながら、ガウェスは椅子へと腰掛ける。カルヴィンは出入り口に立ち、じっとジャリルファハドを睨んでいたが、別に気にした様子もなく彼はガウェス同様に椅子へと腰掛け、懐から煙草を取り出した。
「先も言ったが明後日から廓へと入り、化物共の掃討を行うのだが、時間を引っ張りに引っ張るつもりだ。その間、お前達は体勢を万全に整えてくれ」
 そう言いながら、彼は煙草を咥えた。吸い、吐くという一連の動作を終えるなり大きく溜息を吐く。灰色の瞳がじっとガウェスを見据え、何処か居心地の悪さを感じながらも、視線の先の彼は苦笑いを浮かべた。
「それが……ジャッバールが兵を退くと」
「当たり前だが偽装退却だろう。"偽り逃ぐるに従う勿れ"だ。……乗ったフリをするか、乗らずに体制を整えるのはお前次第だがな」
「……実は兵を二分する算段をしています。ボリーシェゴルノスク解放とクルツェスカ防備を同時並行で行おうと──」
「止めておけ。それよりも防備と妨害に専念すべきだ。野戦は我々に分がある。市街ならば五分とも言えるだろう」
 判断を誤るな、とジャリルファハドは語る。確かに彼の言う通りだろう。野戦に持ち込まれる様な事があれば、気付かぬ内に背後を奪われ、包囲される事だろう。例え包囲が薄くとも、兵站を切られた状況が続けば蜘蛛の子を散らした様に傭兵達が離散、落伍するのは目に見えている。何より日中、攻撃を行うとは考え難い。何よりボリーシェゴルノスクに至る直前、必ず通行しなければならない峠で襲撃を受けたならば、二度とクルツェスカの土を踏む事は愚か、ボリーシェゴルノスクに辿り着く事もないだろう。納得した様にガウェスは小さく頷いて見せると、ジャリルファハドも何故か相槌を打って見せた。
「随分と親身に話に乗るな? セノール。お前達は同胞まで売るのか?」
「同胞を売る、か。それはないな。斬らざる得なければ斬るだろうが、俺にその度胸はない。そこまで外道でもない」
「なら、何故俺達に組する。コイツを生かした時みたいに気紛れで遊んでるんだろう?」
「まさか。同胞を売る為ではない。ましてや遊びですらない。……同胞を救うべく今、我々は血を流そうとしている。理解出来ないか」
 鼻で嗤い、カルヴィンはその言葉を唾棄すべきだと内心毒吐く。同胞を救う為、不倶戴天の敵であろうアゥルトゥラと手を組む。ただの悪手でしかなく、妄を患い、狂ってしまったとしか考えられないのだ。その上、ガウェスから聞き及ぶにアゥルトゥラ側の旗色が悪くなったら、ジャッバールへと合流するというのだから尚更、信頼に至らない。この場で斬ってしまおうか、という考えが脳裏を過ぎる。しかし、その前に問うべき事があるのをふと思い出し、口を開く。
「……ソーニアに傷を負わせたりしていないだろうな」
「まさか。廓で勝手に落ちて怪我こそしたが、命に関わる事はない。……彼女には世話になった。利害の一致で動いているだけだが、今や最も信用出来るアゥルトゥラというべきだろう」
「そうか。……アイツに傷を負わせたらタダでは済まさんぞ。素首叩き落して、殺してやる」
 物騒な事を口走るカルヴィンであったが、その言葉からガウェスは彼がメイ・リエリスの懐刀であり、盾である事を思い出す。フェベスに仕え、その娘であるキラは勿論、ソーニアとて代が替われば、そういった関係となる。本来ならば今の時点で、ソーニアの身柄を守るのはカルヴィンであるべきだ。彼女が父の庇護を嫌ったというのもあるだろうが、傍目に歪な関係性が見て取れ、言い得がたい思いが去来する。
「彼女は"西"を知っている。俺達すら知り得ない事を知識として持ち合わせている。……そんな者を傷付ける輩は居ない」
「バッヒアナミルが居るだろう。俺も、コイツも、さっきの女もアレに手酷くやられた。ソーニアとて斬りかねん」
 バッヒアナミルの名を聞いた途端、ジャリルファハドは瞳を閉じ、大きく溜息を吐いた。そして、額を抑えている。彼すらも頭を悩ませる程、バッヒアナミルという存在は厄介な代物なのだろうか、と思えばガウェスは心底気が重く、彼と再度、相対した時、生還出来る気がしなった。
「残念ながら今の武門にはアレを倒しうる者は居ない。俺が束になっても無理だ。……ともすれば首を差し出す事となるやも知れんな」
 頭を抱えたまま、そう言い放ちジャリルファハドは自嘲する。そして、声なくして口が動くき"仕方ない"と諦念を吐露した。しかし、その諦念は自身の首を諦めた訳ではなく、バッヒアナミルを殺害せざる得ないという物であり、彼は刀の柄に手を掛けて、それを突然引き抜いて見せた。
「……こんな刀を持っていたか?」
「いいや、もっと長い。もっと幅が広い」
 恐らく彼が携えている刀は先々代のナッサル当主、レヴィナの物である。死者のそれを持ち出すという事は、既に彼は死した者と共にあるという事であり、それはバシラアサドへの思慕、忠誠は極まり、命を擲つ覚悟すら決めているという事であった。どうしてこんな事になった、とジャリルファハドは頭を抱え、面持ちを歪める。その原因となった彼女の実父を憎しと思えば、あの男が元凶で歪んでしまった二人がどうにも居た堪れず、引き抜いた刀の切っ先を逃避するかの様に見据えて、再び溜息を吐いた。
「……抜かれた刀は鞘に戻る事もないだろう。圧し折ってやってくれ」
 鼻で嗤いながら、人斬りは刀の柄に手を掛ける。彼もまた深呼吸をしながら、瞳を閉じた。向き合ったならば命を賭す事となるだろう、一人でも多くのセノールを殺めなければならない筈が、彼と向き合ってしまったなら最早それすら侭成らない。しかし、あの虎を、砂漠の化身を殺められるのならそれは願ったり叶ったりだ。
「血は通ってなけりゃ、涙すらないってか? 同胞を殺せだなんてな。所詮は獣だ」
「ただの獣が情に振り回される物か。俺は自分の情よりも民族を優先する、血を優先する。ただの人間と一緒にするな」
 獣は静かに吼え、人斬りは口を噤む。情に振り回されている己を愚かだ、と揶揄され、本心を見透かされているかの様な不快感を覚えた。理解はしているのだ。キラの事など忘れるべきだ、と。死んだ人間の呪縛に苦しむな、と。それを大義名分に絡め、正当化するべきではない、と。だからこそ、今の発言がただただ不快でカルヴィンは突然立ち上がる。
「……帰る。ハイドナー、お前はあいつと帰って来い」
 気後れしながら頷くガウェスを余所に、彼は部屋を後にした。ジャリルファハドの視線に苦笑いをしながら、取り繕うと彼もまた疲れたと言いたげに目を瞑って、首を傾げた。
「奴が何かに縛り付けられているのは勝手だが、お前も振り回されて面倒な事になっているな」
「もう──」
「慣れました、か。……道を間違うなよ。俺達が言えた話ではないがな。……アレは矢張り俺達とは違う」
「えぇ。ただただ──暗い」
 一歩間違えばあの様な事になっていたのだろうか。イザベラを失った時の怒り、怨嗟は未だ晴れず、燻っているのは否定出来ない。だが、彼の様に復讐に狂う事はなかった。狂う暇すらなかったというべきなのだろうが、それでも尚、彼の執着は異質、異常であると言えよう。キラの死から既に四年は経とうとしているというのに、彼はその呪いに縛り付けられているのだ。
「あの男は帰ってしまったが、お前達に一つ言うべき事がある。……幾らか此方に兵を寄越せ」
「廓にですか?」
「あぁ、そうだ。我々が去った後も廓には学者が入るだろう? 顔を売っておけ、名も一緒にな」
 カルヴィンとは方向が違うが、どうにも同じ様な事を言うのが、少しだけおかしくガウェスは小さく笑う。人斬りは戦局の未来を見据え、彪は更に未来を見据えていた。彼等の差は性根だろうか。何れにせよ、そんな拙い話を頷く事は出来ないだろう。
「そんな先の事、分からないじゃないですか。何より表向きは死んでいる身ですよ?」
「だとしてもだ。既にナミルと斬り合っている以上、生存を察している事だろう。恐らくは俺も泳がされているだけだ、ならば徹底的に泳ぐべきだ。共犯たるお前もな。そして、お前は今この戦で死ぬ事よりも生きる事を考え、先を見据えて動くべきだ」
 ジャリルファハドという本質が垣間見えた気がした。傷を負えど、立ち止まらず。悩めど、矢張り立ち止まらず。そして、それを周囲にも強い、巻き込んでいく。傍迷惑な人間であったが、自身と異なる性根に何処か感心を覚えざる得なかった。
「……最近、色々な事がありました。本当にこの辺りは強引な人間が多い限りです」
「そうでなければ武門の"兵"を率いては居られん。そうあるのが我々の様な者達の宿命だ。時機を見定め、力を、武威を示す。……で、どうするんだ」
 今、此処で未来を見定めなくては、また同じ轍を踏む事だろう。父と同じ様な道を辿るべきではなく、これから先、再び同じ過ちを犯す事は許されない。だからこそ、未来を見定めた選択をすべきなのではないだろうか、と思えるのだ。目の前の障害を押し退ける、砂漠の化身であり復讐者。その力を借りるべきではないか、と思えるのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.249 )
日時: 2020/01/13 23:45
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 怒りと不信感ばかりが胸中を去来し、怨嗟の炎が立ち上る。何故、どうしてあのセノールが信用出来ようか、と疑念ばかりが過ぎる。もしやハイドナーは内通しているのではないか、その実ベケトフはジャッバールに魂を売ったか、と。それは最早、妄想とも言えるだろう。しかし、その妄想は声を得て、頭の中を木霊する。
 この人斬りの男からしてみれば、全てのセノールは敵であり、地上より"一匹"残らず討ち破るべき者達なのだ。人の形をしただけの冷血な獣に存在意義はない。殺めに殺め、駆けに駆け、他者を歪める。存在すら許されない者達なのだ。それを何故、アゥルトゥラの血を引き、あまつさえ貴族がそれを許容するというのか。怒り、猛り狂っているのは自分だけか、という錯覚すら覚える。腹の中、燃え盛る怨嗟は留まる事を知らず、拳は握り締められ、短く切り揃えたはずの爪が掌へと食い込んでいく。拳の中に厭にぬるりとした感触を覚え、開いた掌は真っ赤に染まっていた。傷が開き、滔々と湧き出す血液の一滴が足元の雪を汚す。
 しかし、その赤は見ていると何故か、落ち着きを齎してくれる。溜息を一つ吐き、溜飲を下げるべく降り積もった新雪を手に取ると、それを自身の顔へと押し付けた。されどたかが雪でしかない。燃え上がった怒り、赤熱した怨嗟は熱を失う事はなく、面持ちが険しいままに帰路を歩む。
 陽は既に沈みかけており、クルツェスカの街は薄暗闇に染まる。ナヴァロの屋敷へ至る早道は、嘗ての色街と貧民街を抜けるのが最適解だ。そこは既に人の往来がないからこそ、道は整っておらず、街を飲み込む薄暗闇よりも深い闇を歩む必要があった。その闇は何故か心地よく、海の底を歩んでいるかのよう。ざりざりと氷雪を踏み砕き、歩み続け色街と貧民街の狭間へと至った頃、ふと廃屋から視線を感じた。得物に手を掛け、その方向を睨めど姿は見えず、遂に得物を抜き放つ。
「……何者だ」
 得物は薄闇に存在を主張する事もなく、ただそこに漫然とあり続ける。アゥルトゥラであれば迂闊に斬る事は出来ず、セノールと確信出来なければ、それもまた然り。己の神経が過敏に成り過ぎている線も払拭出来ず、厭な緊張感が辺りを漂う。もう一つの得物として、拳銃こそ持ち合わせているが、弾数も少ない。
 抜き放ったそれが月の光を受け、ぼんやりと輝いた時、彼は切っ先を向けたまま歩み出す。その刹那であった。暗闇から赤い瞳が浮き上がり、"それ"は闇より姿を現した。
 白く、垂れ下がった肌は水死体を彷彿させ、窪んだ瞳はただただ赤い。半開きの口からは牙が顔を覗かせ、細い身体には不釣合いな程に巨大な手指、その先端には鋭利な爪が見える。それを化物と言わずして何と言うべきか。明らかに人ではない、その異形はゆっくりと歩み出した。呻き声を上げながら、緩慢な動きでカルヴィンへと迫る。しかし、彼はその姿に恐怖を覚える事はなく、ただただ激しい憎悪が湧き上がる。池沼に沸き立つ、泥の泡の様に沸々と。そうか、これがキラを殺めた怪物か、と自覚こそせど、何故それが──レゥノーラが地上に居るのか、疑問を覚える暇すらなく、剣をその顔面へと叩き込んだ。赤く、棲んだ体液が滴り、すぐに凝固しては、はらはらと乱れ落ちる。まだ浅いとその切っ先を顔面へと突き立て、柄まで貫けばそれは事切れた様に立ち尽くし、赤い瞳は光を失っていった。
 剣を引き抜き、その胴を蹴り込めば、化物は天を仰ぎ斃れ込む。その命を、その死を弄ぶ様に頭を何度も踏み付け、形の崩れた顔に刃を突き立てる。深くまで刃が至る度、びくりと手足を震わせるも能動的に身動く様子もなく、人間と同じ様に神経に至った刃に反応しているだけに過ぎない。意図も容易く死したそれに一抹の疑問こそ抱けど、眼前の死を実感し、剣を鞘へと収めた。
 レゥノーラから流れ出た体液はすっかり結晶化していて、それはカルウェノの錬金術師達が"賢者の石"と呼び、重宝する物によく似ている。彼が殺めた化物の周囲には多く散らばっていたが、どうにもそれは闇の中へと点々と繋がっていて、それがその闇から訪れたという事が見て取れる。結晶を踏み砕き、化生の屍を跨ぎ、彼は闇へと入った。
 穴の空いた床板は一層深く、暗い闇を醸すが顔を覗かせた途端、そこには相反す様な白が差すのだった。それは脈を打ち、宛ら胎動の如く蠢くのだ。見てはならない物を見てしまったかの様で、禁忌を侵したかの様な得も知れない思いが去来しては、背筋を冷たい物が伝う。すっかりセノールに対する怨嗟も、怒りも鳴りを潜め、何故こんな物がという疑問ばかりが脳裏を過ぎるのだ。そして、その疑問はすっかり恐怖へと変わって行く。あの"人虎"や化物と対峙しても抱かず、久しく忘れていた、恐怖という根源的な感情が沸き立った。
 何かが耳元で語るのだ。"こっちに来い"と。"早く立ち去れ"と。ある時は男の声で。ある時は女の声で。恐怖のせいか。廓の深層でなければ有り得ない、幻聴すらし始め、早く立ち去るべきだと心臓が早鐘と警鐘を鳴らす。だというのに、足は主の命に反して動こうとしない。ふと、背に感じる気配に息を呑む。ぱき、ぱきと結晶を踏み砕き、確実に一歩、また一歩と近付いてくるのだ。一定のリズムを保ったまま、ゆっくりとした足取りで。
「──」
 遂に背中にまで辿り着いたのだろう。つうと指先が背をなぞり、カルヴィンは息を呑んだ。背後の存在は何がおかしいのか、声を押し殺しながらくつくつと笑い、拳で背を小突き始めた。それは少しずつ力を増していく。その過程で何故か、右の拳だけで小突いてくる事に気が付いた時、漸く身体が動き、背後の存在を視界に収めた。
 それは女だった。暗闇の中だというのに、湛えた笑みははっきりと見える。しかし、人というには彼方此方が欠け、血に塗れている。咄嗟に目を瞑ろうとするも、瞑る事すら許されず、彼女の様相が見て取れるのだった。
 赤い髪、肌は白く、瞳は深緑を醸す。意地の悪そうな笑みを浮かべ、ひん曲がった足を庇う様に立つ。そして、亡霊には左腕がなく、それが"彼女"だという事は簡単に理解出来た。その亡霊は一人の女への執着に狂った、惨めな男を笑いに来たかの様で、背伸びをしながら残った右手で額を小突くとその姿が薄れゆく。
 何処に行った、何処に居ると問えども声は出なかったが、血に塗れた笑みを湛えたまま、彼女は地面を指差す。暗い、ただただ暗い闇の中、その屍はあると声なくして語るのだ。彼女へ手を伸ばすも、それは空を切り、触れる事すら許されない。遂に彼女が消えた時、どっと冷たい汗が額を伝い、赤い結晶へと滴る。目を見開いたまま、彼女の遺した指輪に触れ、大きく深呼吸をすると彼は廃屋から飛び出す様に駆け出すのだった。



 地図を卓上に広げ、それを睨むのはフェベスとシューミットの親子だった。ジャッバールの布陣を予測し、彼等の行動を阻害すべく陣を敷く。その為の軍議を行っているのだった。その場に主力たるナヴァロや、増援として訪れたダーリヤの姿はない。彼等は各々の兵を一箇所に集結させるべく、出払っている。
「……加農砲がもう少しあれば、叩き出すのも簡単なんだがなぁ。残念ながら此処は"西"だ」
「東は"大砲屋"が多いんだろう?」
「そりゃ最前線だからな。俺の教え子だらけさ」
 砲兵の神様などと持て囃される男が居ながら、野砲が不足しているというクルツェスカの体たらくにフェベスは思わず、溜息を吐く。半世紀も戦争をしてなければ、最前線といえど此処まで零落れる。嘗ての貴族、その英霊たちが草葉の陰で泣いているに違いない。
「セルペツェスカの錬兵所みたいなもんが、此処にもあればなぁ」
「無いものは無いんです。愚痴零す暇があったら、少し考えて下さいよ」
 そうエストールが捲くし立て、彼の二倍も歳を取った大人達が困り顔で頷いた。砲さえあれば話は違う。おかしな動きを見せたジャッバールの屋敷へ飽和攻撃を仕掛けるだけで解決するが、そうも行かないからこそ市街戦をする事となる。そして、クルツェスカの兵が寄せ集めであるからこそ、配置に苦慮しているのだ。
「西には我々シューミットとカランツェンを、南にはハイドナーの手勢を。東にはベケトフです。北門の外にはナヴァロって具合なんですけど、本当に良いんですよね?」
「数が物を言うだろう?」
「……ジャッバールがハイドナーを食い破る可能性だってあるんですよ?」
 彼等をどちらの方角に置けど、錬度に劣る傭兵達は敗れかねない。南北に置けば南に抜け、西に置けば砂漠へと離脱され、東に置けば市街戦は泥沼の様相を呈する事だろう。エストールの青白い面持ちが、そうなったらどうするんだ、と声なくして問う。歳若いながらもレーナルツが居なければ、軍議の中心となる彼に余計な心労を与えるべきではないのだが、そうともいかずフェベスやアドルフェスは再び困り顔を浮かべていた。
「第一、父上。貴方も前線で指揮こそ執れるんでしょうけれど、大きな戦を見通す目がないのはどういう事なんですか!!」
「俺は下っ端からの叩き上げだぞ? しかも、砲兵だ。弾道の計算こそ幾らだってやってやるが、戦場全体を見る目なんてある訳が──」
 親子がフェベスを挟んで吼え始めた、その時であった。乱暴に扉が押し開かれ、カルヴィンが息を乱して三人を睨む。何事だろうか、と彼が三人の視線を奪うのは当然であり、またただ事ではないと察するに容易かった。
「フェベス!」
「吼えるな、何事だ?」
 軍議の行われていた机へとカルヴィンは詰め寄り、叩き付ける様に両手を付く。地図に血が滲み、赤い結晶がはらりと落ちて行く。それをエストールが拾い上げ、じぃっと見つめていると、引っ手繰る様にカルヴィンに奪われ、そのままフェベスの眼前へと突きつけられた。
「……レゥノーラ。レゥノーラだ!! 地上に奴等が居る!」
 人斬りが吼えると鉄面は、眼球が瞼の外へ飛び出そうになる程、大きく見開いては慌てた様子で立ち上がった。相対的に廓へ一切の関与もない者達である、シューミットの親子は呆然とし、事の重大さが分からずただただ、座り呆けていた。
「カルヴィン、戻って来てすぐで悪いがナヴァロを呼び戻せ。俺はハイドナーの小坊主共を叩き起こす。……アドルフェス、お前達もすぐにベケトフを呼び戻すんだ」
「待て、待て。レゥノーラって、あのレゥノーラか? 何で地上に……」
「知るか。知る訳が無いだろう!! 良いからさっさと奴等を呼びに行け!!」
 珍しく吼え、猛るフェベスに旧来の仲であったアドルフェスは言い様のない不安を覚え、小さく頷いた。目を瞑れば黒色火薬の燃え、煤けた匂いが漂う錯覚を覚え、戦場がすぐ傍にあるという実感を感じる。未だに事態を飲み込めないエストールの後ろ襟を引き、彼はすぐに踵を返した。
「街の具合は。……ハイドナーは」
「街ではまだ何も起きていない。……ガウェスは恐らくベケトフの娘共と……一緒だ」
 娘共とセノールと言い掛けたが、彼はそこに私情を挟み、言葉を濁す。それが許されない事であったとしても、再びセノールに対する恨みが沸き上がり、彼等との交戦、そして絶滅を望む思いが出てしまった。例え友軍となる彼等であったとしても、武門である事に変わりはなく、敵性民族である。
「……そうか、分かった。兎に角急いでくれ」
「あぁ。……ソーニアは?」
「知らん、あいつも大人だ。どうにでも出来るだろう」
 その言葉に人斬りは顔を顰め、そんな事だからキラを死なせてしまうのだと、苦言を吐き掛けた。何故、身内を慮り、立場を使って守ろうとしないのだ、と。辛うじてそれを飲み込み、怒りを鎮めた頃、フェベスは既に部屋を後にしようとしていた。この男が、全ての元凶なのではないか、そう思えて仕方がなく、あの場から付いてきた悪魔が"そうだ"と囁く。女の声で"違う"と言われた所でその妄想は拭い去れなかったが、それでも尚、フェベスの言う通り、ナヴァロを呼び戻しに行かなければならないと彼もまた部屋を後にするのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.250 )
日時: 2020/02/11 22:34
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 夜闇、民衆を掻き分けて、兵達が歩む。それはカランツェンの私兵であり、寡兵ながら精兵の群れであった。カルヴィンはあの後、すぐに伝令を走らせ、ナヴァロを四半刻で呼び寄せていた。シューミットの親子もベケトフを半刻程で呼び寄せ、自身の手勢を引き連れるべく、今この現場を離れている。もうじき、彼等は勿論ながら、クルツェスカの東側からハイドナーの兵も合流する事だろう。現に一部のハイドナー傭兵は集結し始め、緊張感を醸す。彼等の物々しさに、民衆は圧倒され、困惑を隠せない様だった。
「人払いをしておけ!!」
 カルヴィンが吼えるなり、見世物ではないと兵等が彼等を押し退け、今すぐこの場から立ち去る様にと一斉に動き始める。民衆に被害を出す訳には行かず、また兵の居場所を設ける必要もあるのだ。
 向こう側の大路より歩み寄る、一群。双頭の鷲をあしらった赤い軍旗。それがベケトフの兵達であると見て取るに容易く、その先頭には小銃を携えたダーリヤの姿が見えた。レゥノーラという未知との争いが突然、目の前に控えているともなると彼等の兵も緊張した面持ちを浮かべている。
「……遅れ馳せながら。何でも"化物"が居る、と」
 兵の一団より離れ、ダーリヤはぽつりぽつりと言葉を放つ。
 地下に巣食う異形の怪物。嘗ての錬金術師達が作り上げしレゥノーラ。その姿こそ見た事はないが、文献で目にした事があった。廓に根差す、その守護者であり異形の怪物。それは醜い姿をした、化物であると。
「化物も一等化物さ」
 色街、そして貧民街。闇に巣食うのは化物達。あの穴の下、蠢く肉塊は瞼の裏に今もありありとその姿を現す。そして、亡霊となった彼女の姿も。血の滲む手で得物へ手を掛ける。
「……我々が行きましょうか」
「構うな。ハイドナーに行かせる、あいつ等は一番数が多い」
 悪辣ですねぇ、とダーリヤは一人ごちる様に言い放ち、口角を吊り上げて笑っていた。傭兵は一人でも多く死ぬに死んだ方が良いのだ。後の世、平時に彼等が狼藉を働くのは当たり前の事。このクルツェスカとて、戦後ノヴェスクの傭兵達に悩まされたのだ。だからこそ、出来るだけ数を減らしておくのが得策である。ダーリヤもそれを理解しており、またこのカルヴィンの兵を温存しておけという意味合いの発言に、ベケトフにはまだ先があると察した様だった。
「しかし、人間ではなく化物ですか。歴史を顧みる限り、我々人間が化物と殺し合ったのはエツェルの時代まで。……人間は史上最悪の生き物でしょう、化物達すら殺し切ったのですから」
 平原を駆ける国父たるエツェル・フェーン・アゥルトゥラ。人を殺め、道を阻む怪物すら殺めに殺めた男。彼は大地を我が物顔で歩み、得物を血で洗っては遂に人間の生存圏を拡大させた。人間ではない者達からしてみれば、彼は史上最悪の生物であろう。
「だからこそ負ける訳にはいかんのだ」
 ふと、ダーリヤとカルヴィンの間を割って、アドルフェスが言い放つ。人間が地上の覇者であり、万物の霊長である限り、化物風情に負ける訳にはいかないとその老将は息巻くのだ。
「……えぇ、その通りです」
 ダーリヤがゆっくりとアドルフェスへと向き直ると、手勢と共に小口径の加農砲を幾らか牽引して来た様で、彼は化物を駆逐する為にこの市街で砲撃を行う心算だと見て取れる。"砲兵の神"は手段を選ばない。ルフェンス指揮下、彼の率いる部隊が海岸線を"肉屋"に変えたのは記憶に新しく、とんでもない人と一緒に戦う事になったなぁと、溜息を吐いた。
 彼女の溜息を皮切りに、ぞろぞろと兵の一団が集結し始め、彼等は一様に得物を携えては闇を睨む。長銃身、先端のみ諸刃の銃剣、彼等がナヴァロの兵達だというのは見て取るに容易く、その首魁たるレーナルツや、彼の腹心たるジェリドもまた小銃を携え、歩み寄る。
「突然だな、レゥノーラが居るって?」
「あぁ。まだ一匹しか見てないが、恐らく地下に隠れているんだろうな」
「……東伐の時の遺構か。まだ残ってんのか? 俺達がガキの頃の区画整理で殆ど潰しただろ?」
「さぁな、知らん」
 蜘蛛の巣の様に張り巡らされた地下道、その全てを把握している者は恐らく居ないだろう。そこにレゥノーラが蔓延っているとするなら、彼等の掃討は難しいと言える事だろう。時機が最悪だと、レーナルツは小さく舌打ちをし、傍らのジェリドへと何やら耳打ちをしていた。矢継ぎ早に彼はこの場を発ち、十数人の兵を引き抜いていく。
「何だ?」
「ジャッバールを睨みに行かせる」
 此処でレゥノーラと交戦し、兵に損耗が出た所を攻撃されては敵わない。北に逃れられる様な失態を犯す事も許されないだろう。だからこそ、懐刀を向かわせ、兵を割くのだった。
「また燃やしに行くか?」
「はー、そいつぁ良いや。感心したぜ」
 面持ちと相反する軽口を叩きながら、兵達の首魁は闇を睨む。何なら目の前の闇を燃やし尽くしてやろうか、などと一人ごちていたが、誰一人として耳に入れる事はなかった。



 漸く人払いが終わり、シューミットの加農砲がその砲口を闇へと向く。丁度、その頃にハイドナーの本隊も合流したらしく、慌てた様子のアグラスの姿が見える。彼は得物の類は持ち合わせて居らず、そこに戦う気の無さが見て取れる。何よりランバートの姿がない。
「遅れた。……レゥノーラだって?」
「あぁ。見たいなら見て来い。死体が転がってるぞ」
 結構だ、と断りを入れるアグラスだったが、彼等をぐるっと取り囲む様にしているカルヴィン等を見て、溜息を吐いた。見て来いと言われているのは察するに容易く、数の多さと錬度の低さから自分達が適任であると自覚せざる得ない。真後ろの傭兵を手招き、言葉なくして指を差す。彼等は不快感を露にしたが、カルヴィンやレーナルツが腰の得物に手を掛けた途端、観念した様に闇へと歩み出す。
 ぽっかりと口を開く闇、亡霊の一匹や二匹が棲んでいても仕方がないだろう。戦きながら、彼等は歩み続ける。窓硝子に映った自分の顔にすら、恐怖を覚え、そして、人気のない家屋を一件ずつ覗き込んでいく。
 一件、また一件と確認を進めていく内、本隊とどんどん遠ざかり、逃走を図るに容易い状況となり、彼等は互いに顔を見合わせる。元々はセノールとの戦闘の為に呼び寄せられたというのに、何故レゥノーラという化物との戦闘に発展するのは納得がいかない。一瞬だけ振り向くも、相変わらずカルヴィンは得物に手を掛け、加農砲が此方を向き続けている。臆し、戻れば撃たれかねない、斬られかねない。だからこそ、彼等は一気に駆け出した。
 その刹那にも満たない、六徳の間。兵の身を何かが貫き、氷雪を汚す。左の脇腹から、右の肩へ向けて突き抜けているのは真っ白な肉の塊。血の赤を伴い、口を動かしながら助けを求める、その兵に声はなく、一気に闇へと引きずり込まれは姿を消してしまった。見てはならない物を見た、恐怖に腰が抜けた訳でもなく、呆気に取られた彼等は身動きすら侭ならず、その闇の奥から姿を現した異形をただただ見つめる事しか出来なかった。
 身の丈にして二間程か。四足で歩む、それは巨大な犬の如く。垂れた頭の頂点は口の様に開き、上下左右の小さな赤い目玉は四方八方を見据えた後、立ち尽くす傭兵達を睨む。月の明かりが異形を照らし、その白い肌を晒す。漸く現実へ至り、彼等は声を挙げながら踵を返した。吼え声を上げ、異形は氷雪を踏み砕きながら駆ける。待て、と。逃げるな、と。命を寄越せ、と。
「……引き付けろ、まだだ。まだだ」
 砲兵の肩を叩き、アドルフェスは呟く様に語る。至近距離での直接射撃に備え、耳を塞ぎ、口を開けと振り向き、吼えてはすぐにレゥノーラへと向き直った。砲撃を受けて生きていられる生き物など存在はしない。肉を穿ち、骨を砕く。その形すら破壊し、生の痕跡はただただ赤い雫のみとする人智。命を奪うべく、彼は遂に砲兵の肩を強く叩き、放てと声を張り上げる。
 砲弾は中空を舞う。此方へと逃げ寄る兵の身を穿ち、砕けど砲弾は止まる事を知らず、レゥノーラの身を穿つ。熱を帯びた砲身に触れた雪は一瞬で融け、水の雫へと姿を変貌していった。砲煙は風に吹かれ、晴れる。その化物の身は打ち砕け、ただ立ち尽くすのみ。
「野砲は戦場の神ってな」
 おどけてみせるアドルフェスだったが、その声は誰にも届かない。耳を塞いでいたが、彼等は酷い耳鳴りに苦しめられていた。しかし、視覚はしっかりと機能し、傭兵と引き換えに化物の撃破には成功している事だけは皆が認知出来ている。
「カランツェン。うちの兵士が死んだぞ、どうしてくれるんだ」
 よりによって一人は砲弾の直撃で死亡している。この事実にハイドナーの兵は、クルツェスカの者達は自分達を消耗品であるという認識を覚えただろう。射線に居たとしても砲弾は飛び交い、誤射をされても誰も気にも留める事はない。
 非難の言葉を聞き入れど、彼は次を行かせろと合図を出す。在ろう事か、得物に手を掛け、拒否する権利はないと暗に語る。振り向き、傭兵達を見遣るも彼等は訝しげな表情を浮かべるばかり。板挟みな状況に頭を悩ませつつも、アグラスは斥候に行けと合図を出すのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.251 )
日時: 2020/02/11 22:44
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 矢張りソーニアは街の人間達から声を掛けられる事が多い。そんな印象をミュラは覚えていた。大体は他愛もない話を一言、二言を交わす。中には教え子や、その親。聞くに及ぶだけの父や、姉の知己が多い。自分にはそんな人間が居ない、というのが少しだけ歯痒く、同時にソーニアが羨ましくも思えた。
「さっきから何拗ねてるの?」
 そして、何よりソーニアは目敏い。そんな視線を向けられている事にすぐ感付き、何の気後れもなく何故と問う。時折、影のある冷徹な面持ちをしている事もあるが、大方は今の様に静かに笑っている。腹の中に募った、靄を一瞬で払われてしまう。とんでもない人誑しだと思いながらも、ミュラは別にーと短く答えていた。
「そんな顔しない方がいいわ。セノールに見えるでしょ」
 へらへらと笑う彼女に毒気をすっかり抜かれてしまう。セノールに見えるという言葉に差別的な感情はなく、気をつけろと本気で注意を促している訳でもない。ただの他愛もない言葉だ。何をしていても毒気を抜かれる、だからこそ時折吐く辛辣な言葉が突き刺さる。得をする人格、性格をしているなと思いながらも、彼女の背を黙々と追い続けた。
 半里弱、歩き続けただろうか。人気の多いクルツェスカ市壁内、南西部へと漸く至る。冷気が靴を抜け、足先が悴み始めた。
「何処行くんだ?」
「え、たまには外で食べようか、って。……言わなかった?」
 そんな事は一言も言われていない。じぃっと視線を向けられるなり、ソーニアはばつが悪そうに取り繕う様に笑っていた。笑って誤魔化すのも彼女がよくやる手段である。
「一言も言われてないし」
「それじゃ今言ったって事で。もう少しで着くわ」
「まだ、歩くのかよ。……足が冷えて少し痛い」
「なぁに軟弱な事言ってるのよ」
 クルツェスカに生まれ、クルツェスカで育ってきた人間からしてみれば、この極寒、氷雪は慣れた物だろう。何なら普段ならば暴風のおまけすら付いてくる。しかし、ミュラはそうではない。砂漠も確かに冷え込む土地であり、時折、僅かな降雪こそ在れど、此処まで酷くはない。
 クルツェスカに住まう者達は間違いなく、この厳しい環境に慣れている。だからこそ、常人ならば覚束ないはずの足元であったとしても、蜘蛛の子を散らした様に駆け、その歩調を緩める事もなく、歩み続けて行く。
「……変ね」
 ふと、ソーニアが歩を止め、ミュラへと向き直る。──否、自分達が来た方向へと歩調を速める者達の背を見据えているのだ。皆が皆、一様にして北へと向かって行く。そこに混沌がある訳でも、絶叫がある訳でもない。ただただ冷静に、さも当然の様に北へと向かって行くのだった。
「何だ、やけに皆同じ方向に──」
 ミュラもその状況に気付き、口を開いたその瞬間であった。
 腹の中に響く、低く重苦しくも感じられる衝撃が届き、そして鼓膜を叩く。耳の中、金属の擦り切れる様な甲高い音が木霊する。ミュラは耳を劈くそれに苛まれながら、ソーニアを見据えると彼女もまた顔を顰めながら、耳を手で押さえていた。そして、弱く吹く風と共に運ばれてくるのは燃えた火薬の香り。
 何かが起きている、と危険を察知した様に北へと向かう群れへと身を投じるなり、ミュラの袖口を掴み、彼女を引く。
「何だ!!」
「分からない! ただ離れた方がいい!」
 耳が本調子ではない故、二人は声を張り上げる。街の中での砲撃、それはただ事ではない。恐らく街の人間達はその為に人払いを受けたのだろう。ジャッバールとの衝突が起きているのだろうか、それとも何か別の事件なのだろうか、と脳裏を過ぎる。不安で不穏な推測ばかりが行き交い、この場を離れようと歩はひたすら進んでいく。
 砲弾の破片が飛んで来ては敵わない、と細い路地へとミュラを引き込み、逃げ惑う人垣をソーニアは見据えた。砲声は立て続けに鳴り響き、火薬の匂いが辺りへと漂い始め、直に黒い砲煙が此方まで流れ始めるだろう。
 此処は戦場ではないが、されど安息の地でもない。この都は最前線である。幼い頃、そう語った父の声が頭の中を過ぎる。敵であり、血塗れの有名を冠す異民族の接する土地である。耳を突き刺す砲声が。鼻腔に入り込む硫黄の匂いが。その記憶を鮮明にさせる。気付けば手が震えていた。冷え込みが原因でも、何処かの誰かの様に酒に依存している訳でもない。それを恐怖に由来する物だと、ソーニアが自覚するのは一瞬の事であった。
 地下での命の遣り取りは恐怖を呼び起こす事こそなかったが、地上ではすぐ近くで争いがあるというだけで、これ程までに恐怖を覚えるとは思ってもいなかったのだ。口角が吊り上がり、自嘲する様に声なくして笑う。自分はすっかり弱くなってしまった様だ、と。セノールの庇護が無ければ、恐らく廓すら歩むに苦労する事だろう。今の様に恐怖を覚え、闇に怯え、化物に戦く。そして、何より身を守らせようと、ジャリルファハドが置いていったミュラの事を信用出来ていない、事実が情けないのだ。
「……どうしたんだよ?」
「いえ……何でも。何でもないわ。何にも飛んでこなかった?」
「別に、そういうもんは……なかった? と思うけど」
 その問い掛けにミュラは周囲を見回り、呆気に取られた様な表情を浮かべていた。砲弾の破片が飛んで来たなら、今頃ミュラは不安げな面持ちをしているだろう。罷り間違ってそれが直撃してしまったなら、既に死んでいる。おかしな事を聞いてしまったと、静かに笑いながらソーニアはミュラの腕を掴む。
「昔ね。このクルツェスカはカルウェノの土地だったの。それを制圧したのは私の祖先。メイって官職が付く前の人達。アクロアシスなんて呼ばれる出城を一瞬で焼いたそうよ。魔法でね」
 腕を掴みながら、彼女の手を引く。彼女は何だろう、と鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をして、話を黙ったまま聞いていた。
「ほら、東の広場がそういう名前でしょ?」
「あぁ、そういえばそうだなぁ。あの市場ある所だろ?」
「そうそう。あそこは昔のカルウェノ達が作った出城だったの」
「へぇ──」
 他愛もない話をしているが、未だに砲声は止む事を知らず、銃声や叫び声すら聞こえ始めている。ミュラには余り見せたい光景ではなかった。既に何度かそういった光景を目にしているだろうが、本格的に人と人が争ったならば、一発の銃弾、一度の斬撃など可愛く思える凄惨な様が姿を現す。
「あそこって沢山、人が死んでるのよ。前教えたでしょ、ウズマアサド。あの人達に襲撃されてね。門も堀も壊されて」
「ん、ごめん。聞こえなかった」
 砲声は唸り、遂に空にまで黒煙が昇り始めた。それは月を飲み込み、その光を淡く、弱弱しい物へと変貌させた。取り繕う様な他愛もない話すら、戦の吼え声は飲み込み、交わす事を許さない。
 アクロアシスの出城、引いては広場での惨状をミュラに再び教えると、彼女は顔を顰め、その光景を想像している様だった。それでも尚、足を止める事なく、ゆっくりであったが歩み続ける。静かなソーニアの語り口は気を逸らせる事もなく、あくまで平静を演出し、異常事態の中での日常の崩壊を認めなかった。
「なぁ、もしかしてさぁ。メイ・リエリスって実は凄い?」
「今はそんな事ないんだけど、昔はね。うんと大昔の話」
 子供の様な感想であったが、今はそれで十分である。どうせ落ち着きを崩さない為の話であるのだから。
 ふーん、と妙に納得した様なミュラの背は、何時の間にかソーニアの前に有り、彼女の手を引いていた。氷雪を踏み砕き、吹き溜まりに足を一歩踏み入れた瞬間、ミュラは体勢を崩し、新雪へと身を投じていた。
「大丈夫?」
 気恥ずかしげに頷きながら、ソーニアの手を駆りながら立ち上がっては吹き溜まりを睨む。忌々しげにそれを足蹴にするも、柔らかいはずの雪が舞う事もなく、代わりに別の物が顔を現したのだ。
 目を零れ落ちそうな程に見開き、彼女はさぞ驚いた様子でソーニアへと寄り付く。雪塗れの彼女は冷たく、体温で溶けた雪が水となって首元を伝うと同時に、また別の理由で冷たい物を覚えた。
 赤黒い血液が顔を覗かせ、血の気の失せた男の骸がそこにあったのだ。衣服や、打ち砕かれた刀。その鞘からしてセノールだという事がよく分かる。恐る恐る雪を払い、手首に触れど脈はなく、身体の一部は凍り付いて全く動かせなかった。何よりも首元に開いた傷は大きく、それはセノールがアゥルトゥラの者と争った結果、死したと読み取るに容易かった。
「……これ、どうすんだよ」
「どうするって」
 セノールとの協力関係にある以上、本来ならばすぐに報告をするべきなのだろうが、今の様な状況下それが最悪の結果を齎す可能性があるのは、火を見るよりも明らかであり、どうするべきか頭を悩ませるのだった。これがジャッバールの配下であったなら。これがガリプの兵であったなら。脳裏を過ぎるのは最悪の状況であった。
「ねぇ、ミュラ。一つ聞いておくわよ」
「何だよ、怖い顔してさ」
「……アゥルトゥラとセノール、どっちを選ぶ?」
 質問の意図が分からない。今、この時分、何を問うているのかが理解出来なかった。見た事ない程、ソーニアの面持ちは切迫して見え、未だに止む事を知らない砲声、そして銃声が心臓を殴り付け、早鐘が勝手に鳴ってしまう。状況が呑み込めないまま、脳裏を過ぎるのは好きに生きて、好きに死ねという言葉であった。
 好きに生きて、好きに死ね。そう言い放った男の姿こそ、この場にはなく、今頃はその理不尽に振り回されている事だろう。見つけてしまった死体、戦の齎す緊張感。そして、未だ見た事がない程に切迫したソーニアの表情に混乱を覚え、その真意を察し取るのは難しい。
「いや……あのさ。質問の意味がわかんねぇ」
 何をどうするべきか。アゥルトゥラでも、セノールでもない自分が何故、その二つを選ぶ必要があるのか。異常な状況下、突きつけられた選択の"理不尽"は問い掛けとなって、ソーニアへと帰って来る。
「……もしも、もしもの話よ。この人がジャッバール配下だったら、ガリプ配下だったら。恐らくはアゥルトゥラとセノールは争う。酷ければ戦争になるわ。……あなた、彼にもよく懐いてたじゃない。もしそうなったら、どうするのって」
 そんな事を聞かれた所で、今すぐ答えなど出る訳もない。戦争があったとて、どちらかに付けば、どちらかと殺し合う事になるのは間違いなく、その果てに死と流血が大口を開けて待ち構えているに違いないのだ。
「分かるか! 突然そんな事言ったって選べる訳ないだろ!!」
 吼え、砲声を押し退ける様な彼女の声は微かに裏返っていた。突然、そんな話をするソーニアに対する怒りすらも露となった様で、お互い初めて見る様子、様相に困惑の色は隠せなずにいる。
「そ、そりゃそうよね。ごめん。……今の状況は分かるわよね?」
「……知るかよ、何で"それ"があいつ等の身内だったら拙いんだよ、第一アゥルトゥラの奴が殺したとは限らないだろ」
「限らずともセノール側の大義名分が出来てしまうのよ。例え自分達で仕組んだ事だとしても。世の中は言い掛かりだって、上手く使えば自分達を正当化出来る材料になる様に出来てるものよ。……残念ながらね」
 半世紀前、アゥルトゥラがセノールを攻めるに至ったのも、謂わば言い掛かりに近しい。あの状況、長らく戦争状態になかったのだから、アゥルトゥラを発端とした交易を行えば、彼等も自棄になり、魔法の復活を企む事もなかった。今の様な関係ではなく、ややもすると同盟国、友好国となっていた可能性すらある。だからこそ、この大義名分の作り方を悪と誹る権利はアゥルトゥラにない。
 しかし、ミュラにはソーニアの判断が納得出来かねず、それでも尚、何故、自分の身の振り方を考えなければならないのかが理解出来なかった。そこに真実は見えず、正義も悪も存在しない。目の前には確かな"理不尽"があった。
「突然、何だかんだ言われたって判断出来ねぇよ。そんなの……」
 彼女は俯き、明らかな翳りを醸す。悪手を打った、言わなければ良かった。彪の様に二歩、三歩後ろで導き、行き詰った時だけ前に立つ。そんな立ち振る舞いをするべきだったと悔恨の念を抱く。
「……分かった。分かったわ。今の事は忘れて。ただ、自分の身が危なくなったら死にに行く様な事だけは止してね」
 宥める様に言い諭し、静かにミュラを抱き寄せる。凍て付いた氷雪の破片など知った事ではない。体温で融け、水が頬を伝うも気にした事ではない。そんな物よりも悪手を打った自分を責め、眼前の死体をどうするべきか考えていた。ジャッバールに伝えては騒動となるだろう、ガリプに伝えた場合もそれが身内だった場合、平静を保っていられるとは限らない。ならばやる事は一つだろうと、彼女は腹を括った。
 一つ深呼吸をし、ソーニアはミュラを離す。そして、恐る恐る再び死体の元へと歩み寄った。氷雪を払い、雪の中に埋もれる得物を探る。そして、分断された柄と鞘を広い上げるなり、内心胸を撫で下ろした。ジャリルファハドが扱う物よりも、それは僅かに小振りで厚みがある。それはナッサルに属す者達が扱う刀であった。反りも少なく、重量感も然程感じられない。
「何してんだよ?」
「……刀で大凡の推測は出来るかな、って」
 この死体は恐らくナッサルの者。つまりジャッバールに伝えるのは悪手であり、ガリプに伝え内々で処理をしてしまうのが最適だと思えた。幸いな事にジャリルファハドの居場所は聞き及んでおり、ミュラに伝えるなと言伝をされていたが、今はそんな事を守っていられる状況ではない。この死体が第三者に見つかり、それにジャッバールが反応を示したら、この都が火の海と化すのは間違いないだろう。
「それ折れてないよな?」
 横からの斬撃に目釘が耐えられず折れ、柄を半分に割りながら刀身だけがすっぽ抜けている様だった。ならば、尚の事打って付けだとミュラにその刀を押し付ける。刃零れこそある物の研ぎを入れ直せば、再び使うのに問題はないだろう。
「折れてないからって抜かないでね」
 分かってるよ、とややぶっきら棒に答えながら、彼女は鞘に手を掛け、残った柄を取り去って衣嚢へと突っ込む。抜くな、と言っているのに今にも抜きそうな構えを取る彼女に呆れながら、ソーニアは死体に雪を掛け、人の目に付かない様にと努めるのだった。

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