複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.242 )
日時: 2019/10/31 22:14
名前: NIKKA ◆Zd6ykK0RXo
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

離れていく背を見送る灰色の目、それは虎の物であった。左手に握られた刀はわなわなと振るえ、ずっと先に揺れる赤毛が"鉄面"のそれに見えた。傍らの犬など叩き切れば良いだけの事、赤毛もまた然り。討ち果たすべく、虎が一歩歩み出した刹那、固められた雪が宙を舞い、それを鞘が叩き落す。抜き身の刀は喉が渇いたと、月明かりを受け鈍く輝いている。
「余計な事をしてくれるなよ」
 横目でバシラアサドを見据え、彼の虎は溜息を吐きながら、その刀を収めると、彼は彼女へと向き直り、歩み寄る。鼻先まで寄るとバシラアサドに襟首を掴まれ、そのまま屋敷の中へと引かれて行った。守衛がそれを見て、苦笑いをしていたが気にした様子もない。
「……アレはメイ・リエリスでしょう。寄って来たのだから斬る必要がある」
「あのなぁ。何でも斬れば良いってものじゃないんだ。ソーニアを斬ればメイ・リエリスに大義名分を与える、更には廓内で学者から反発も受けよう。したらば東伐まで成らん。……それでも良いのか?」
 バッヒアナミルの根底にも、アゥルトゥラに対する怨嗟が少なからずある。先々代のナッサル当主である、レヴィナの片腕を奪ったのもアゥルトゥラであり、それが故にヴィムートの南侵で彼は死した。間接的な仇でもあるのだ。何よりバシラアサドが望む、東伐が成らないという言葉に目を一瞬だけ目を見開き、再び彼は溜息を吐いた。
「どのアゥルトゥラを斬れば良いのやら。……分からないんですよ。手当たり次第、斬れというなら簡単なんですが」
「……あぁ、ソーニア以外は斬っても構わんよ」
 その言葉ににやにやと笑いながら、彼は頷いて見せた。何れはカランツェンやハイドナー、その首魁たるメイ・リエリスを討っても構わない。その言葉が欲しかった、と目を輝かせていた。心臓が高鳴り、同時に傷が疼きに疼く。故に痛みが走る。
「傷を癒してからな」
「これそんなすぐに治りませんよ」
「そこじゃない。手も、脚も。脇腹もだ。あと、その単純な頭」
「アサド! 最後のは治らないぞ?」
 茶化してくる守衛と共にバシラアサドは笑っている。茶化された虎は凄み、守衛を睨むも若い彼は未だ爪を引っ込められない猫に過ぎない、全く気にする様子もなく、笑われ続けていた。
「全く……覚えとけ」
「気にするな、ほら帰って休むんだ」
 どこか肩を落としながら、悪態を吐くバッヒアナミルの背を叩き、押しては彼を屋敷の中へと押し戻す。言葉なく守衛を労い、一礼する内にとぼとぼと階上へ至った様だ。その姿はおろか、気配すらなくなると、バシラアサドは酒保庫へと向かって行った。

 酒保庫の扉を引き上げ、開くと暖かな空気が漏れ出す。
「早く閉めなよ、寒いし」
 よく見知った背中が忙しなく動き回り、暖炉に薪を放り込むとバシラアサドをじっと見据え、椅子へと腰を下ろした。
「何。どうしたの?」
「ソーニアが来た。……ウズマアサドの件は隠し通した筈ではないのか?」
「あぁ、ベルゲンの。"書斎"のそれは隠してるよ、全部此処にある。……ただ、ベルゲンの死とウズマアサドの消息を普通は一緒に考えないでしょ。妄想からこじつけて、一発当ててきたってだけでしょ」
「それが不愉快なんだ。……聖櫃さえ見つけてしまえば後は持ち出すだけだというに。余計な事に気付く」
「私達だって全てを知ってる訳じゃあない。ヨストは確かに我々の血を引いていた。そして、嘗て東伐を引き起こした張本人だ。だけれども、それがウズマアサドなのか、ジャリルヘイダルなのかはまた別の話。何せ分からないんだし」
 ジャリルヘイダルという名を耳に入れるなり、彼女の眉間に力が込められ、どこかムッとした様子で椅子に腰を下ろす。その名は彼女の父の名。それはウズマアサドという名の男性形であり、九年前、謀り殺めた男の名だ。瞳を閉じると未だに何が起きたのか、理解出来ない様子で苦しみ、のたうち回る実父の幻影が瞼の裏に浮かぶ。後悔は微塵もない、しかし未だ晴れる事ない恨みばかりが残る。
「……その名前を聞くだけで虫酸が走る」
「ごめん、ごめん。まぁ、どっちも今は冷たい石の下。とっくの昔に死んでるってだけさぁ」
 相変わらず飄々とした様子だったが、ハヤは口先ばかりの詫びを入れ、バッヒアナミルが通ってきた地下道を見据えていた。
 クルツェスカに居座り、魔法という術を奪い取り、クルツェスカを陥落させるという偉業を成し遂げたのは、最後のガリプであり最後のベルゲン。多民族は勿論ながら、同胞にも彼女は遺産を残さなかった。その血すら残さなかった。予想していなかったのだろう、五百年後、己と同じ獅子の名を冠す者が戦を起こそうとすると。だからこそ、セノールの錬金術は途絶え、アゥルトゥラの魔法までも途絶えた。残ったのはカルウェノの生活に接した便利な道具としての錬金術。その様なものは戦に不要であり、本当に必要な物を与えてはくれない。
「あんたは父親が憎いんだろうけど、私は本当にウズマアサドが憎いねぇ。半端な事しやがってって。アッカレとの戦争なんて他の奴等に任せておけば良かったってのに」
 男女の差、時の差こそ在れど、同じ名の者が憎いのも不思議な話だと、ハヤはへらへらと笑っていた。アゥルトゥラ憎し、アゥルトゥラ滅すべしと振る舞うのなら、しっかりと民族を絶やす所まで持っていけば良かったのだ。屍に屍を傘ね、白骨を踏み砕き、腐肉は蛆が集ろうと気にも止めず、ただただ東を。ただただ海を目指せば良かったのだ。老いも若きも、男も女も関係はない。手酷くいたぶり、その果てに絶やせば良かったのだと。
「半端な事をしたから、アゥルトゥラは私達との不戦を選んだ。彼女達がそれに頷いたから、半世紀も前に私達は痛い目を見た。そうでしょう?」
 妄に狂ったかの様に吐き出される恨み言に、バシラアサドは閉口しつつも静かに頷いていた。そこでアッカレと戦をしながら、アゥルトゥラとの不戦を結ばずに居たら、恐らくはセノールは滅び、惨めな今生もなかっただろうと。ハヤの妄言に共感する訳ではなかったが、彼女の詫びの様に口先だけで「そうだな」と同意する。
「だからこそ、我々の代で終わらせる。化け物の長と成り果ててもだ」
 セノールの勝利でとは言えない。しかし、それでもハヤは己の勝利を信じて疑わない。まさか、民族の滅亡を望んで戦を起こすとは思っていないだろう。彼女も戦場に果てるのだろうか、と思えば張り付いた様な笑みが浮かび上がる。
「レゥノーラは良いんだね」
「……あぁ、あとは蜂の巣をつつくだけだ」
 その前にやるべき事は二つあり、もう片方は今に達成されるだろう。そして、もう一つは言えたものではない。背中から撃たれかねないのだ。彼女が肌身離す事のない銃は右腿に吊り下げられている。
「それは楽しみだよ。……私はいつ北にいけば良い?」
「好きにしたら良いさ、何れにせよクルツェスカは私が仕切る。マティーンまで来ているんだ、私が此処を空けてしまえば、それで終いだ」
「マティーン? 邪魔すんなら殺してしまえば良いじゃないか、シャーヒンでも差し向けてさぁ」
「マティーンを討てば、いよいよ本格的にガリプが敵になる。それは避けたい」
「いい加減、ファハドに固執すんの止めたら? あいつはどうやっても、こっちに付かない。恩返しはするだろうけど、まだ戦争する時期じゃないとか臆病風に吹かれてて駄目駄目」
 ガリプやラシードは大局を見定めているが、ハヤは大局を見定める目を持ち合わせていない。前々から分かっていた事ではあるが、此処まで現実が見えていないと思えば、どうにも中々可笑しく、愚かしく思えた。アゥルトゥラに対する恨みばかりが先走っているのだろう。
「何より私達にはレヴェリの兵士がいるじゃない。……ルーイットも、ラーウルも。あと新入りの、ほら」
「レアか?」
 そうそれ、とハヤは矢継ぎ早に答える。
 レゥノーラがどれだけ恐ろしいかと叩き込み、本来ならばアゥルトゥラが廓を管理すべきだったと嘯き、全ては此処に根付く貴族が元凶だと植え付けては、歪めたレヴェリの少女。腹の中の化物を目覚めさせるに容易く、あと吐く間もなく、化物を輩とした。
「鉄砲玉にちょうど良いじゃん、あいつ」
 やはり笑いながら、そんな事を言ってハヤは眼鏡を外す。うっすらと灰掛かった青い瞳のはずが、僅かに赤く見えたのは気のせいだろうか。光の加減だろうと結論付けるのは一瞬だった。
「……何の思い入れもないからな」
 "蜂の巣"を突かせ終えたら、彼女が次に槍を、銃を向けるのはアゥルトゥラ貴族達に対してである。次なる仇を討つ機会を与えたならば、簡単に動く事だろう。
「酷い話だなぁ」
「そう教え込んだのはお前とルーイットだ。……私ではない」
「あー、そういえばそうだっけ? すっかり忘れてたよ、ほんとどうでも良くて」
 さぞ愉快そうに笑っているハヤだが、その悪辣な内面は外郭を突き破り、遂には表の顔となろうとしている。昔は此処までじゃなかったはずだが、と思いながら目を瞑れば、バシラアサドの瞼の裏にはまだ年若い彼女の姿があった。
「……何れにせよ、ソーニアに余計な事を教えるなよ。口が軽くて敵わない」
「口から生まれちゃったからねぇ。そうだ、口縫ってよ。ほら、んー」
「馬鹿じゃないのか? ……そろそろ私も部屋に戻る、邪魔したな」
「別に良いって。そうそう、レーヴァが上着の袖引っ掻けて破ったって言ってたから、直したげて」
 あぁ、と短く返事をするなり、バシラアサドは階段を上っていく。扉を開けば、やはり冷たい外気が入り込んでくる。冷やさない様にと扉はすぐに閉じられた。あまり呑気はしていられない。バシラアサドには袖を直す前に、メイ・リエリスへの書状を認める必要があるのだ。
 酒保庫には沈黙が漂う。薄明かりの中、机に向かい合いながら酒や煙草は勿論、食料品の帳簿をハヤは記していく。本来ならば何も語る必要もなく、静寂の中、黙々とすべき仕事なのだろうが。彼女は一人でぼそぼそと一人ごちるのだ。彼女の耳元では誰かが何かを囁く、宛らその何かと会話するかの様に。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.243 )
日時: 2019/11/10 02:29
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 双頭の鷲が率いる兵の数は二〇〇にも満たない程度であったが、ナヴァロの屋敷、その中庭を埋め尽くすに容易く、突然やってきた彼等に対し、屋敷の主は頭を抱えては、その頭目を睨む。
「お前等、来るなら来るって事前に言っておけよ? こいつ等の所みたいに立派なもんでもないし、なんなら悪目立ちするんだよ。分かるよなぁ?」
 "こいつ等"と指差されたのはガウェスや、キールの者達である。ナヴァロは常々、戦場で生きてきた家門である。貴族としての歴史よりも、このクルツェスカに根付く傭兵としての歴史の方が圧倒的に長く、ハイドナーやその親類の様に重商主義に傾倒した事もない。ナヴァロはそんな背景から、偶然にも古いアゥルトゥラ貴族の形を成し、住居に金を掛けて居る訳ではない。実際、この場は屋敷というよりも兵員の詰め所、拠点というのが正しいだろう。
 叱りを受け、どうした物かと頭を垂れているのはダーリヤである。ボリーシェゴルノスクより駆け付けたが、どうにも歓迎されておらず、突然やってきたという事を誹られる。参陣を要求されたり、来たのが悪いと言われたりどうにも解せないという様子だ。それに見かねてか、遂にフェベスが口を開く。
「まぁ、良いではないか。漸くベケトフが参陣したのだからな」
「……いえ、そうですね。確かに突然来たのは褒められた事ではないでしょう、兵站の問題もあるでしょうし」
「それは問題ない。気にするな……戦の臭いに鬣犬共がこぞって寄って来ているんだ」
 そこから買え、とカルヴィンが言い放つ。少し奥まった所、彼は煙草を吹かしな、片手には七割ほど減った酒瓶を手にしていた。先からシューミットや、ナヴァロの者達が兵站に頭を悩ませているのだが、全くそこに関与しようともしていない。軍の台所事情なんて気にした様子もないのだ。それどころか窓際で酒を呷り、煙草を吹かすばかり。そして、今の発言だ。レーナルツの癪に障ったのか、足音を立てながら彼が歩み寄っては、襟首を掴む。
「……何だ、仲間割れは褒められないぞ」
「他人事だと思ってんだろ?」
「分かるか?」
 煙草の煙を吹きかけられ、互いに組み合うもすぐにレーナルツが床の上に転がされ、呻き声と共に脇腹を押さえている。追い討ちにと彼を踏み付けては、更に馬乗りに成ろうとしている。
「随分、荒れていますね」
 何処か冷めた目をしながら、ダーリヤは彼等の諍いを眺めていた。ロノペリの蛮族達も戦勝の証と首を掲げ、嬉々としていたり、同胞間で何故か殺し合ったりと、どうにも彼等の姿とカルヴィンとレーナルツが重なって仕方がなかった。
「いや、普段はこうじゃないんだ。ただ、もう一つの問題があってな。なぁ、ヘロイス」
 カルヴィンの左隣、少し申し訳無さ気に座り込んだ女。最早何の力すら持たないであろう、ザヴィアの末裔の姿がそこにはあった。突如の参戦、戦場に出て来る義務もなければ、その責任もない。だと言うのに何故、彼女がという疑念を抱く者は多く、キールの者達が手引きをしたのならば、彼等に折檻を加える事すら是とするしかない。特に祖先が命を賭してまで守ったザヴィアが再び死地に赴いたともなれば、カルヴィンの心境は複雑だろう。現に彼女が屋敷を訪ねてきた時点から、どうにも振る舞いがおかしい。
「……私達が突然来た、という事ではなく私達の兵に問題があるのでしょう?」
「命惜しい兵ばかりが来ても仕方がない。相手は命を惜しまない兵だというのに」
 ザヴィアの接近は謂わば保身でしかない。兵も、ヘロイス自身も、そして手引きをしてきたキールもだ。兵の数は一人でも多い方が良いだろうが、程度は兎も角、やる気のない兵を連れてくるというだけで不快でしかない。
 ふと、鈍い音が鳴り響き、一同が視線を向けるとレーナルツが床に引っ繰り返り、頭を抱えている。肘で額を打たれたのか、立ち上がる事すら侭ならない様だ。
「おい、やりす──」
 鼻から血を流したカルヴィンがじっと、ランバートを睨み彼は思わず、言葉を詰まらせた。カランツェンは元々セノール系の血筋だが、それも昔の話、血は薄れアゥルトゥラと大差がないというのに、その瞳は砂漠の化身の物と等しく、生きた心地がしない。
「ザヴィアだの、ベケトフだの。お前等は結局の所、戦わざる得ないから此処に来ただけだろうが。血を繋ぐ為、土地を繋ぐ為、アゥルトゥラで居る為にな。──後の事を考えているから命が惜しいんだろう?」
「カルヴィン」
 エストールの静止など耳に届いていない。
「お前達には怒りが足りない、まだ流れていない血を見ない様に。自分の身、肉親恋しさにただただ惰性で、流れで兵を出しただけだろう。……第一、お前等今更過ぎるんだ。もっと早く、血を流していりゃこうも成らなかった。ジャッバールなんてクルツェスカに入れる必要もなかった!」
 酒瓶に口を付け、空になったそれを床に叩きつけては、どかりと椅子に腰を下ろした。酔いが回っている訳ではないのだろうが、どうにも自棄になっている様にも見え、ゆっくりとガウェスが近寄っていく。
「……ほら、立って下さい」
 半ば強引にカルヴィンの肩を掴み、引き摺る様にしてドアを目指す。時折、荒ぶる人物ではあったが、此処まで荒れるのは初めて見る。今、場を乱す訳には行かないと一肌脱ぐ事にしたのだった。
 額を押さえながら、エストールに介抱されているレーナルツへ小さく会釈すると、彼はへらへらと笑いながら手を振っていた。余り気にしていないのか、それとも単にまともな思考が出来ないだけなのかは分からなかったが、今はこの世話が焼ける酔っ払いを外に連れ出す必要がある。
「レーナルツ、大丈夫ですか?」
「脳味噌飛び出るかと思ったぜ」
 軽口を叩き、その場を和ませようとしているのだろうが、フェベスとエストールだけはその冗談に笑えなかった。カルヴィンは野盗を石で殴り付け、頭蓋骨を砕いた事があるからだ。
「……ザヴィアも、ベケトフもそういう事だ。兵站は外の酒保商から。自分の身を守るというのなら、常に俺等と共に在れ。何をしようとかって俺は知らんが、絶対一人で動くな。ジャッバールと市街で戦えば、確実に少しずつ兵を削られ、包囲され、追い詰められる。これは戦時じゃなくても同じだ、十ヶ月前殺しあった俺が言うんだ間違いない」
「お前、そういえばそんな事してたな。仕留め損なうとは、ナヴァロも腐ったか?」
「キールなんて一方的に殺されて終いだろうが、口は慎んどけよ。"お坊ちゃん"」
 一蹴され、顔を背けたアグラスだったが、レーナルツの言う通りだろう。ロトスを暗殺された時の様に、ハイドナーの屋敷が皆殺しの憂い目に遭った時の様に、交戦すら侭ならず攻め込まれて終わってしまう。ジャッバールはそういった兵を飼い、そういった戦の術、そして武器を持っている。
「……もう少しで殺せたんだけどなぁ。火点けてやってもダメだぜ。すぐ逃げられちまう」
 一人ごち、へらへらと笑う彼だったが、どうやってそこまでバシラアサドに接近したのか、内心気に成りこそしたが同じ手は二度と食う筈がない、とランバートは問わなかった。
「その。……馳せ参じるに遅れた事に関しては」
「いいさ、別にな。こうしてベケトフが来たという事で、ジャッバールへの交戦意思を見せられる。……ザヴィアだってそうだ、今はそういう立場ではないが、戦に駆け付けたというだけで価値がある。だから、ヘロイス。あれのいう事は気にす──」
 言い終えるか、言い終えないかの寸での所だった。外から聞こえて来るのはカルヴィンの叫び声だ。大きな物音を立て、何とか制そうとするガウェスの声まで聞こえてきている。エストールや、ランバートが外の様子を見ると、そこには抜き身の刀を握りながら、ガウェスに羽交い絞めにされている彼の姿があった。
「何事だ」
「……ジャッバールからの使者です、名はラシェッド・ナッサル・サチと」
「随分、不躾な兵士を飼っている様で。……我々の頭目たるバシラアサドから書状を」
 腰の刀の形状から、それが確かにナッサルの家門の者であると察するに容易かったが、バッヒアナミルと違って危害を加えよう、闘争をしようという訳ではなさそうだった。寧ろそんな事をする雰囲気には見えず、歩み寄ってくる彼をフェベスは払い除けようともしない。そして、目の前に至った時、刀を鞘ごと前に突き出し、それと共に書状を手渡す。
「……斬る気なんてない。命が惜しいからね。さっさと読んでくれよ、そう囲まれちゃあ居心地が悪くてさぁ」
 口元はへらへらと笑っては居るが、目元だけは笑っておらず、突き出された書状を受け取っては、目を走らせる。そして、ジャッバールの意図が掴めず、思わずフェベスは溜息を吐いた。
「……クルツェスカから兵を退くだと?」
 その言葉、一同は目を丸くせざるを得なかった。執拗に緊張を煽りに煽り、対外勢力の排除を行い、戦の支度を進めてきたのはジャッバールである。そして、今や緊張は膨れに膨れ上がり、針の先で突けば弾けそうな状態だったというのにだ。だというのに、クルツェスカからの撤退は解せなかった。
「何故だ」
 羽交い絞めにされながらも、カルヴィンが問う。その声色は何処か落胆しているかの様だ。
「今、お前達と戦を構えたとて勝ち目がないからさ。廓の掃討が終わり次第、ジャッバールは撤収するよ」
「信用成らん、伏兵を敷く心算だろう?」
「ボリーシェゴルノスクには居残るよ、なんだって我々の商圏なんだから。でも、兵を置くって事はしない。勝ち目がないんだ、本当に」
 何時ぞやのジャリルファハドの主張がガウェスの脳裏を過ぎる。彼は東伐を今成したとしても、勝ち目はないと言っていた。そして、ジャッバールへと恩を返す為、走り回っている。ややもするとバシラアサドを止めてくれたのではないか、と思えた。
「……その話、ガリプは知っているのですか?」
「さぁ、俺はどっちにも顔が利くけど所詮は使いさ。何を考えてるかなんて知ったこっちゃない」
 飄々と答えるラシェッドだったが、嘘偽りはない様に思えた。寧ろ、今この場で嘘を吐ける余裕などない。ある者は刀、ある者は銃に手を掛け、生殺与奪の権利は完全に奪われているからだ。
「明日、明日だな。バシラアサドが来るのは」
「あぁ、そうだよ。少し話したい事があるそうだ」
 相変わらず笑ったまま、ラシェッドは部屋の中へと歩んで行く。誰も制する訳ではなく、その後姿を見送っては、得物を向けて囲い込む。何故、獣の檻へ入る様な真似をするのか理解が出来なかったが、彼は椅子にどかりと腰掛けて、一言だけ声を発するのだった。"人質"と。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.244 )
日時: 2019/11/07 04:53
名前: 霧島 ◆PTMsAcFezw

 周囲が、彼にどの様な視線を向けているかなど、ダーリヤにとって知った事ではなかった。ただ彼女は冷ややかな視線で人質を名乗る男を見ては短く、息を吐く。敵地であれ、平然と嘘を付く人間を彼女は知っている。或いは、笑ってしまうくらいに生存に長ける人間も彼女は知っている。『茶が飲みたいならいつでも淹れてあげるから、声をかけてくれ』なんて柔和な顔で、いつもどおりの甘やかな声でそう告げるだけ告げ、部屋を出る。少なからず伝達の必要がある。コン、コン、コンと規則正しい足音を立てて向かうのは己が引き連れた兵の駐屯する場所だ。寒さをものともせず、ゆるりと歩めば向こうで手をふる一人の男。何かと付き合いも長く、付き従ってくれている兵の一人だった。
「ダーシカ、何難しい顔してんだ? それじゃ女の子に声かけても振られちまうぜ?」
「……嗚呼、ふふ、全くだな。だが、」
「気がかりがあるってんだろ? はっは! お前さんはいっつもそうだ。だいたい小難しい顔してる時は何かつっかかってる時だ」
 悪戯っぽく目を細めてはどうだ。なんて聞いてくる。知ったような口を聞かないでくれ、なんて告げこそするものの、ダーリヤの表情が僅かに緩んだのは他ならぬ事実だった。短く息を吐けば、白い煙が立ち上る。まるで魂が抜けていくようだ、と子供の頃から思っていた。どうしようもない寒さは、この世界で一番の恐怖のように思えて仕方がない。
「……この機に、兵を引き上げる理由として浮かぶのは?」
 緩めた表情を再び引き締め、神妙な面持ちにてぽつり、と零す。ふむ、と顎に手を当て考え込む素振りを見せる男を、ダーリヤの青い、青い瞳は捉えて離さない。その間も巡らす思考は考えるほどドツボにはまるようではあったが――思考を止めたくは、なかった。まだ、思考せぬ聖者より、思考する愚者でありたかった。
「ひとつ、まじで勝ち目がない。ふたつ、伏兵を敷く。みっつ」
「――敵味方関係無く、巻き込むような作戦を行う」
「……ま、或いは明日に、事を起こす気か」
 互いに顔を見合わせては短く、息を吐いた。考えられる可能性はいくらでもある。少なくとも、ジャッバールへの警戒を解くのは軽率に過ぎる。ジャッバールとは比べ物にならないが、アウルトゥラの貴族共に対する警戒も解けずにいるというのに。よそ者、ただ其の一点が彼女らを穿ち、けれど其の気を緩めぬ要因の一つとなっていた。枷であるかは、まだわからない。
「とはいえ……此処で我々が勝手に動くのが一番の悪手だろうね。ついでにあの面々の中に馬鹿がいないといいけれど」
 当たり前だけれど、なんて付け足しては軽薄にウィンクをひとつ。まったくだ、と笑う彼を横目に静かに、双眸を細めては窓の外を何となく見遣る。人影はないが安心はできない。この国の何処にいた所で安心などできやしない、そう思えて仕方がなかった。されどそれは常、故に疑心暗鬼に陥る必要はない。所詮それよりも血を好む血脈だ、どうしたって、振り払いようのない唯一。生者に死の洗礼を与え、彼岸の近さを叩きつける。昔から、そうだった。相手が変われど其の意識は遥か嘗て、国を巻き込んだお家騒動を起こした折、アウルトゥラにベケトフという家が根付くきっかけとなった戦乱の折より何一つ変わってはいない。双頭の鷲は、されど血を流し続ける様に。
「それにしたって……可愛い可愛い籠の鳥、改め、月の姫はまだ帰ってこないのかい?」
 ぽつり、とそう呟く。ユスチンよりの書状を預かっているが未だに彼女に渡すに至っていない。此処へくればすぐにでも渡せると思っていたがどうやら月明かりは此処を未だ照らさないらしかった。
「こっちの方でも見かけてませんね。……何処に行っていらっしゃるのやら、まさかこの緊張の時に迷子になっちゃいないでしょうねぇ」
 なっていないといいね、だなんて笑いかけては肩をすくめる。外に出たとはいえ、所詮未だによそからみれば世間知らずのお嬢様に変わりはない。愛くるしく微笑んで、慈愛の手を差し伸べる。柔らかな声で歌っては、惑わすような視線を投げる。時代が時代ならば其処にいるというそれだけで価値があっただろうに、この激動の中ではあの宝石は何ひとつの価値を持たない石ころだ。――利用価値は、何時でもあるのだろうけれど。ぼんやり、月の光を思えば再びダーリヤの唇からは白い煙が立ち上る。
「しかしまぁ……こちらの事情も知らないで、随分好きかって言われたからねぇ」
 ぽつり、零すのはカルヴィンの言葉への愚痴のようなものだった。吐き出せば――端正な顔はにんまり、獣が如く歪んでいた。喉を鳴らす音は徐々に笑声へと移り変わる。男は嗚呼、また、彼女の悪い癖だと言わんばかりに肩を竦めていた。
「ならば――獣なりの戦を、いざと言う時にでもみせてやろう、なぁ。君もそう思わないかい?」
 楽しげなその声に、答えることはなくただ肩を竦めたまま笑いかけるのみ。ついでに『其の顔は女子受け悪いぞ』と行ってやればおっと、なんてわざとらしい声とともに、整った顔立ちが戻ってくる。されど、其の青はただ深く、深く――狂乱を求めつづける性を隠しきれぬままに。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.245 )
日時: 2019/11/26 00:06
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

11/26 0:06 加筆修正

 厭な緊張感がそこには漂っていた。鉄面と獅子が睨み合い、その輩達もまた同じく。その場には龍蛇の化生と手負いの虎の姿もあり、彼等は得物に手を掛けたまま主たる獅子の背後に控えていた。何故か、虎の得物は普段の刀ではなく、大振りなアゥルトゥラの剣であるが。相対すは人斬りとナヴァロの若獅子、そして双頭の鷹である。少し離れた所にはシューミットの親子の姿もあったが、彼等は小銃を携えているだけで、何かを語ろうという訳ではないのだろう。
「書状を読んで貰えた様で何より。昨晩の通り、我々はクルツェスカより兵を退く」
「……勝ち目のない戦を避ける。そんな頭があったとはな。しかし、お前達は後先考えず、我々に攻勢を仕掛けてきたな」
 それの落とし前はどう付ける、とフェベスは問う。彼等より差し向けられた獣達は暴力の限りを尽くした。皆が皆、傷を負い、血を流した。命こそ失っていないがハイルヴィヒは未だに昏睡したまま、その意識を覚醒させていない。
「近頃の戦は兵を差し向ける前、砲撃を行い塵払いをする。そこで人を殺め、陣を崩す。砲兵は戦場の神だ。……しかし、人々の往来がある中、砲弾を見舞う訳にもいかない。戦場に在るというのに。であれば、人を砲弾とし、差し向ける。謂わば事を運ぶための準備砲撃に過ぎん。戦は既に始まっていたのだ。……我々は何も悪事を働いてはいない」
 戦は既に始まっている、故に攻勢は悪ではないと彼女は語り、煙草を咥えて見せた。燐寸を擦り合わせると独特な匂いが漂う。
「……お前達、そうだなぁ。ナヴァロとて我々に"準備砲撃"をして来たではないか」
「あぁ、そうだなぁ。……もう少しで焼き殺せたんだがな、随分と生き意地が汚い限りで」
「でなければ、生きられぬ砂漠の生まれだからなぁ。今こうして向かい合うのも当然の事」
 やられたからこそ、やり返したまでであると、彼女は暗に語る。十ヶ月も前、屋敷に火を放たれた上、包囲され離脱すら手惑う羽目となった。頬から下瞼に掛けて負った火傷は未だひりひりと痛み、神経は逆立ち、痛みを伴う。だからこそ敵対する者達への反撃も妥当である、と主張するのだ。
 それもそうか、とレーナルツは肩を震わせ、くつくつと笑っている。戦は殺し合い、互いに被害を被るのは当然の事と。血が流れ、汚れるのは当然の事だと。しかし、その主張が受け入れられず、得物の得に手を掛けたままカルヴィンが詰め寄る。酒は抜けきっているのだろうか、何時もの様相がそこには戻って来ていた。密かに怒りこそ宿しているのだが。
「貴様等、ジャッバールの手勢はアゥルトゥラの民へと暴力を働いた。……バッヒアナミル、特にお前はな」
「そんな事覚えてる訳がないじゃないか。アゥルトゥラは人に非ず、蟻を一匹、二匹踏んだからってあんた達は神に奴等の冥福を……彼等をその御許に受け入れてくれって祈るかい? 残念ながら人ではない奴等を殺したって、ただの戯れ。何人斬ったかなんて覚えている訳がないじゃないか」
「なら、セノールとて人に非ず。矢張りお前達は絶やすべきだ。絶滅させるべきだ。兵を退く必要はない。殺し合いだ、それしかない。今すぐだ」
 虎と人斬りは今すぐにでも得物を抜き、斬り合いを始めかねない。火蓋は落ちる寸前である。戒める様にじっと主達が見据えると、人斬りは堪え、目を逸らした。虎に至っては納得出来ないと言った様子で奥歯を噛み締めていた。鞘から僅かに刀身が顔を覗かせるも、それは巨大な手で制される。
「……何故、ボリーシェゴルノスクから兵を退かないのです」
「そこまで説明する必要があるというのかね? 東のベケトフ」
 ボリーシェゴルノスクに於ける、ベケトフの主権は最早失われてしまった。運河の優先権はジャッバールに在り、商いを邪魔されてはならないと兵を敷く。そんな事は分かりきっている。バシラアサドの口から、何をしようとしているのかを引き出す必要があると思えたのだ。
「必要ありませんとも。……貴女方の主張は正しい。外国で商いをするなら、私兵を持つ貴女達なら、そうするでしょう」
「物分りが良いじゃないか」
「だからこそです。ボリーシェゴルノスクとコールヴェンやセルペツェスカとの交易を阻害しないで貰いたい。……領民の惨状を知っているでしょう?」
 運河という大動脈を押さえられたからこそ、彼の地は干し殺しの憂い目に遭っている。民は離散し、彼方此方へと旅立っては極寒に死す。春まで暁を覚える事すら許されず、ただただ死すばかり。事の元凶は優先権を与えたユスチンにあるが、ジャッバールが此処まで抑圧するとは思ってもいなかったのだ。
「……さぁなぁ。私が何故、異民族の生活まで見てやらねば成らないのだ。返して欲しくばユスチンを連れて来い。張本人ではないお前が言うのは筋が違う」
 ユスチンをクルツェスカに招集したとしても、実が成る事はないだろう。寧ろベケトフの家人が不在となる事で、ルフェンスとジャッバールが交戦を始める可能性すらある。
「矢張り貴女達は……セノールはアゥルトゥラの不倶戴天の敵だ」
 ダーリヤに怒りが宿る。それを蛇の目は見過ごす事もなく、彼はにやにやと笑いながら口を開く。
「お前が西のベケトフを殺し、乗っ取ってしまえば良いじゃないか」
 言い放つ言葉は稚拙にも思えたが、実に邪悪な物である。西のベケトフを絶やし、ダーリヤがその座に収まる事で、主張の正当性を持たせろと言うのだ。じっと青の瞳が彼を睨めど、何処かへらへらとした様相で見下ろされ、ただただ不快感が募る。
「……ユスチンも、スヴェトラーナも殺すに容易いだろうな」
「その様な不義を働く等、人の道から逸れたにも等しいでしょう。……それは最早、人間の所業ではありません」
 実父、実兄を殺めた者を前にして語るその言葉、蛇の瞳は椅子に座り込んだバシラアサドを見下ろし、嘲る様に笑っている。何故、笑っているのか。何が面白いのか、とダーリヤは彼に一抹の不気味さを覚え、口を噤んだまま視線を外せなかった。
「……さて、戯言は此処までにしよう。廓の掃討を終え次第、私達は兵を退く。お前達アゥルトゥラも、我々が兵を退く事で問題が出て来るのは分かっているだろう?」
「……職にあぶれた傭兵をどうにかする必要があるだろうな」
 私兵を持ち、錬度の高いシューミットやナヴァロ、東のベケトフ以外は全てが傭兵である。彼等は一様にしてジャッバールと争う為に集められ、雇い入れられた存在である。そして、その争う対象が消えたならば働き口を失うだろう。その次に何が起きるかは、半世紀前の西伐後、このクルツェスカは嫌と言うほど味わっているのだ。ノヴェスク傭兵や、彼等を斡旋した者達による略奪、抗争、小競り合い。九年前、ジャッバールを呼び寄せた事で、漸く鎮圧出来たというのにその火種はまた燻り始める。
「前途多難だなぁ、メイ・リエリス。我等が争わずとも、このクルツェスカに火種は絶えん」
 そう肩を震わせ、嗤っている彼女は宛ら悪鬼の如く。生まれながらにしての悪、人を嘲笑い、他をただただ見下ろしては踏みつけて行く。腹の中に飼い続けた悪魔が主に成り代わった末の様だ。悪魔憑きとでも言うべきだろうか。
「……狙いはそれか? 兵を退くのもそれを見越してか?」
「さぁなぁ。ただ、私は勝てぬ戦をする気がないだけの事」
 あくまでジャッバールの撤収の先に待ち構えるだろう、傭兵の狼藉は偶然の産物であると主張し、彼等は与り知らぬ事と言ってのける。勿論、彼女の言葉は真意ではないだろう。分かり易すぎる程に口角を吊り上げ、さぞ嬉しげに笑っているのだ。何もせずとも、勝手に衰え、傷付いていく。血の汗を流し、何れは自壊していく。それを見られるのが楽しくて、楽しくて仕方がないのだろう。そうアゥルトゥラの者達には思え、とてもではないがバシラアサドの真意など掴み切れなかった。
「我々が行う"東伐"は我々が退いたとしても、決して終わらない。そして、お前達が考えるよりもずっと、ずっと早く始まっていた。遅かったなぁ、アゥルトゥラ」
「口を慎むべきだな、バシラアサド。……此処には我々以外にもベケトフの兵も、ナヴァロの兵も居る。殺そうと思えば容易い。此処の一人、二人……なんなら俺を殺したとしても、お前も死ぬ事になる」
 調子付くなと、射掛けられた矢は獅子を穿つ事もなく、相変わらず彼女はにぃっと笑みを湛えたままだった。だからどうした、と暗に言い放っているかの様だ。
「私の血が流れたならば、ガリプもラシードも我々の戦に参加するだろう。……知っての通り、ジャリルファハドは都に入り込み、先日マティーンまで此方に来ている。やるならやっ──」
 抜かれた切っ先は、バシラアサドの首を裂くべく中空を走る。しかし、その白刃が彼女の首を裂く事はなかったが、それでも血は流れ、彼女の肩を、腹を伝い、遂には腿へと至る。僅かに身じろげば、衣がずれ、生々しいぬるりとした血の感触を感じた。
 刀を振るったのはカルヴィンであり、その刃を受け止めたのはルーイットである。両陣営、主たる者の懐刀はただただ互いを見合うばかり。流れ出る血の事など忘れ、呆けているかの様にも見えたが、今にもこの場で殺し合いが始まってしまうのではないかと錯覚する様な、凍て付き、重苦しい空気が流れる。
「もう少し、もう少しだなぁ。もう少しその剣が重かったら、俺の手を裂けただろうに」
「女の細首なら簡単に裂けた筈なんだがなぁ……」
 刃が食い込んだまま、その大きな手は握られ、何事も無かったかの様に刀身を掴む。痛みもあるだろう、骨を擦る言い得がたい異物感も。何故、この男はへらへらとして居られるのかが、カルヴィンには理解出来なかった。人間である以上、少し身を切り裂けば、激痛に苦しむのが常。おかしいと思いながらも、更に害を加えようと僅かに押し込み、勢いよく引き抜いた。血の飛沫が椅子を、その男の主を汚すも、誰一人として動じる様子がなかった。
 赤黒く染まった刀身は、陽の光を受けてらてらと輝く。まだ血が呑み足りないと、声なくして叫んでいるかの様で、その主に闘争の火が燃える。
「……お前達が兵を退いたとて、俺はお前達と戦いたい。戦って殺してやりたい」
「その心は?」
 矢継ぎ早な問い。彼がその答えを吐き出すのは、あと吐く間すらない。
「ある女の仇討ちの為。お前達を殺す必要がある」
 そう言い放ったカルヴィンを横目でフェベスが睨む。それは今、此処で言うべき事ではない。自身の浅い底を晒す様な事はすべきではない、と語らず制止するも、彼はその意図を汲み取る事はなく、またバラシラアサドも興味を示したかの様に、再び口角を吊り上げて嗤っていた。
「……さて、さてなぁ。女、女か。ハイドナーの女中か? それとも色街の娼婦共か? 貧民街の塵芥という事もあるまい」
「知らんとは言わせん。キラ・メイ・リエリスの事だ、お前達が殺した様な物ではないか」
「あぁ、そんな奴も居たなぁ。……身一つで入ったからこそ、廓で死した。しかし、私達の瑕疵となるのは不本意な事だ。本来ならばアゥルトゥラの者共が廓に出入りする者達を守るべき話。彼女が死したのは"貴族"の責任ではないか?」
 廓の守護者を自称したのはハイドナーであるが、一切の結果は出ていない。彼等は徒に死者を増やしただけである。そして、この場に居るベケトフも同様である。
 バシラアサドが言葉一つで離間を図ったのは明白であったが、少し離れた所で聞き耳を立てていたエストールは正直、彼女の言葉に頷かざる得なかった。戦で名を上げた新興貴族以外の者達は平穏に座し、呆け生き続けて来た。その結果がジャッバールの流入であり、その果てにキラの死という物がある。彼等は味方でありながら、敵であり、この屋敷に集ったのも利害が一致しただけの事。昨晩のカルヴィンではないが、自らが無事で居られないと分かって初めて動き始めた、命を惜しんだ者達に過ぎない。ジャッバールの手が及ばなかったら、この場に居る事もなく、長い物に巻かれる様に彼等と平気な顔をして、商いをしていた裏切り者なのだ。
「……バシラアサド、貴女の言う通りですね。確かに貴女達は都の内部浄化の為、東の戦に引っ張られて此方まで手を出せなかった、我々の様な新興貴族の代わりに呼び込まれた者達だ。貴女の言い分、分かりますよ」
「シューミットは物分りが良い様で何よりだ。アゥルトゥラで居る事が惜しい」
 抜き身の刀を携えたまま、エストールへとカルヴィンが向き直り、明らかに殺意の篭った視線を向けてくる。他人の目が無ければ、斬り付けられ兼ねないだろう。
「……我々は西、ずっと西の出自ですが、何処までもアゥルトゥラですとも。貴女達が何処までもセノールや、レヴェリで在る様にね」
 何処か穏やかなエストールの語り口に毒気を抜かれたのか、バシラアサドは首を傾げながら、じっと眼前の四人を見回した。兵を退くというのに、まるで誰から殺そうかと算段しているかの様にも見え、最後にダーリヤを見据え、ゆっくりとした動きで立ち上がった。
「何れにせよ、我々は廓の掃討を終え次第、逐次兵を退く。……今はお前達と戦を交える気はない。しかし、我々の背を刺せば、全面的な戦となる。それだけは覚えておけ。……帰るぞ」
 血で汚れた衣服を気に留める事もなく、彼女は無防備にも踵を返した。すぐにその背を庇う様にラシェッドが立ちはだかり、相変わらず抜き身のカルヴィンに注視しながら、後ずさって行く。
 今、アゥルトゥラの者達がどの様な顔をしているか、バシラアサドに知る由はない。そもそも興味がない。近い内に殺し合い、死ぬだけの話。所詮、アゥルトゥラは復讐の出しに使われるだけの、惨めな民族でしかないのだ。


 ナヴァロの屋敷の外に待たせた兵達は、己等の首魁たるバシラアサドの無傷に安堵した様な表情を浮かべていた。ルーイットの流血など気にした様子もなければ、誰一人として気に掛けて言葉を投げ掛ける訳でもない。
「無事で何より」
 兵の一人がそう声掛けると、バシラアサドはその言葉を噛み締める様に緩慢な動作で頷き、屋敷へと振り向く。風雪に晒され、凍りついた窓の中からじっと誰かが見下ろしている。背中を撃たれては敵わないと、ルーイットを盾にする様に彼の前へと立ちはだかる。
「これから無事ではなくなるやも知れんのでな。……ハヤは北に行ったか?」
「あぁ、つい半刻ほど前」
 彼女にはクルツェスカからの撤収を知らせて居らず、今この場に居られるとこの上なく厄介であった。技術的特異点と言っても過言ではない程の功労者であるが、彼女がジャッバール撤収の真意を計り切れなかった場合、実に厄介で面倒な存在と成り得るのだ。戦場の拡大も、クルツェスカの守兵を平原に誘い出すのも困難となる。何より彼女による"砲撃"が東伐の緒戦にとって重要となる。だからこそ、彼女はクルツェスカではなくボリーシェゴルノスクに居るべきなのだ。
「ボリーシェゴルノスクにはルフェンスが居る。……迂闊に衝突しないようにハカン公に手綱を握ってもらわねば」
「あぁ、大丈夫だろう。夫婦揃って北に行ったからな」
「ルトもか? ……ナミル、これ以上怪我するんじゃないぞ」
「分かってますよ。次はないでしょうから」
 医者であるルトの不在は痛手である。しかし、役割上、傷を負いやすいであろうバッヒアナミルはへらへらと笑っており緊張感すら見えない。彼はつい先程まで得物を抜き放とうとしていた様には見えない。しかし、相反するようにルーイットの表情は硬く、いつになく真剣に見えた。
「どうしたんだ。腹でも痛むのか?」
「いいや。そうだなぁ。酷い話だ、ってな。一部の兵にはやり口を知らせているが、それ以外は蚊帳の外。ハヤも外ってな」
「おい、下らない事を言うな」
 誰一人として笑いも、嗤いもせず、ただただ寒風が吹き荒ぶ。バッヒアナミルに至っては舌打ちをしながら、苦言を呈し刀に手を掛ける始末。カルヴィンの一件もあり、気が立っている中にこの軽口である。先程までの穏和な雰囲気は偽りであり、今の一言で一瞬にして頭に血が上ったのだろう。
「そうかっかしなさんな。……所でだ、カルヴィン・カランツェンの言葉。キラ・メイ・リエリスについてだが、お前何か仕掛けたのか?」
「いいや、まさか。彼女は廓の碑文を読み解き、我々と学者達の橋渡しをした。ソーニア程ではないが、我々に利益を齎したのも事実。その様な者を徒に殺す訳などなかろう。……廓に立ち入る者共を守り、彼等の手助けをするのは本来であればアゥルトゥラ貴族の役割だ。これだけは本心だ」
 カランツェンが恨むべくはハイドナー、恨むべくはベケトフ。廓の守護者と名乗り、廓の所有権を主張する者達がすべき事なのだ。確かに己等の先人が建造に携わっていたとしても、アゥルトゥラ領内にあるのだから、そもそもは彼等の持ち物である。キラの死はそれを異民族に侵され、主権を奪い取られる始末に至った彼等の瑕疵でしかない。そもそもの責任は全てアゥルトゥラにある。
「……カランツェンに恨まれるのはお門違いだ」
 歩み進めながら、ぽつりと吐き出した言葉にルーイットは肩を震わせて嗤っていた。キラの死こそなければ、カランツェンはこの戦に加わらなかった可能性すらあり、何より彼がメイ・リエリスの懐刀である以上、キラの死は彼に大義名分を与えると同時に、恨みという最も厄介な感情を与えてしまった。あの様な兵は手足を削ぎ、鉛弾を撃ち込んでも止まる事を知らない。
「男が世界を動かすが、女が男を動かす。……上手く言った物ですよ」
「大体、尻に敷かれるからな」
 ルーイットの斬られていない手が、バシラアサドの尻に向かおうとしたが、それはバッヒアナミルの刀の鞘に遮られ、じっと虎は彼を睨む。冗談だ、と手を引っ込めるが視線が外れる事はなく、護衛の兵と共に彼女は小さく笑っていた。
 彼等の戯れを五歩ばかり後ろで、ラシェッドはぼんやりと見据える。バシラアサドが兵を退く。これだけでクルツェスカの守兵達の一翼を担うであろう、傭兵達はただの木偶と化す。何なら利敵行為を働く、暴徒と化す者達すら居るだろう。次の一手が廓にあるのは確実であったが、彼女が何を企むのか分からず、その結果が全く読み取れない。
「バシラアサド、次は何をする心算だ」
 名を呼び止められ、一瞬だけ彼女は立ち止まったが何事も無かった様に歩き始めた。胸の前に腕を組み、暫く考える様な素振りを見せた後、ぽつぽつと語り出した。
「彼等は。クルツェスカの守兵共は人ならざる者との闘争を望んでいる。異形の者達との闘争をだ。足元、ずっとずっと深いところに蠢く、化物の群れとの戦をだ」
「……レゥノーラか?」
「あぁ、我々が九年も戦い続けてきたのだ。そろそろ交代しても構わないだろう? その手引きをしてやるだけさ。……だからお前や、ファハドを呼び寄せた」
「よく分からないな、何を引き金に。何をしようってんだ」
 その問いが口を飛び出すと同時、彼の一団は小路へと至る。ジャッバールの屋敷までの早道であったが、半年ほど前の貧民街で起きた暴動の影響か、全く住人の姿はない。雲が太陽を覆い隠しているからか、辺りは薄暗く何処か不気味にも思えた。ゆっくりと振り向いたのはバシラアサドが、ラシェッドをじっと見据える。
「廓には聖櫃が眠っているだろう。レゥノーラ共はそれを守っている。……奴等の巣を小突き、聖櫃を奪い取ったら……どうなると思う?」
「……地上まで追ってくるだろうな」
「そうだな。そして、奴等は人間を見ると無差別に危害を加える様に出来ている。つまりそういう事だ」
 にいっと笑って見せるバシラアサドの面持ちは、未だ嘗て見た事がない程に悪という一文字が似合う代物だった。そして、聞かなければ良かったとラシェッドは後悔の一念を覚えるのだ。"今"は東伐をする心算がないバシラアサドや、シャーヒン、アースラに悪事の片棒を担がせてしまっているのが、ただただ心苦しく表情は曇る。
「その後は何だ、アゥルトゥラに侵攻するってのか?」
「レゥノーラがクルツェスカの守兵と互いに殺しあうまでな。……私が欲しいのは終わらない戦争だ、ずっと終わらない戦争。アゥルトゥラの絶滅を祈った"聖戦"をしたいのだ」
 獅子が望むのは邪まな聖戦である。生存圏を脅かされまいと戦い続けた、先人達のそれは民を守るべく、己等が生きる為に望んだ戦である。嘗てのウズマアサドも、先の戦に臨んだディエフィスとてそうだ。しかし、バシラアサドの戦は違う。異なるただの邪まな思いから来る、唾棄すべき戦を彼女は望むのだ。許すまじと、かっと頭に血が上り、得物に手が掛かり、僅かに鞘から刀身が顔を覗かせた。その刹那であった。
「ナミル」
 獅子が口ずさむは実弟の名。だが、眼前に居たのは人間に非ず、人の形をしているだけの獣だった。抜き放たれた得物はセノールの物に非ず、分厚く重い刀身を持ったアゥルトゥラの剣。身を守ろうと鞘を翳すも、鞘を砕き、その刀身を砕いては刃が身へと食い込んでいく。腹を正中線上に裂き、それは胸骨へと至り、骨を僅かに叩き切っては引き抜かれた。焼かれる様な灼熱感から、矢継ぎ早に襲い来るのは激痛。噴出す血の飛沫はすぐに勢いを失い、裂かれた腹から飛び出る傷付いた内臓と共に氷雪へと落ち、ラシェッドは膝を付いた。腹を押さえ付ける余力すらない、身体が全く動かないのだ。
「……ナミル、お前──」
 肋骨を穿つ。そして断つ。剣は彼の心臓へと突き立てられたのだ。抜き去られる事もなく、バッヒアナミルはただただ離れていくが、彼に表情はなく、己が殺めた実兄の姿をただただ、呆然と眺めていた。もうじき、絶命するであろうラシェッドは何か言おうとして口を動かしているが、声は出ず、空気の漏れ出る様な音ばかりを発していた。その様がまるで餌を求める魚の様で、その様子を見てルーイットは小さく嗤っていた。その無様さに愉悦を覚えたのだろう。
「ラシェッド、お前は"アゥルトゥラ"に殺された。我々は殺していない。我々を恨むなよ」
 仇討ちの為、その大義名分を得る為。同族を殺め、討つ。仕方がない犠牲であり、その死を悼む真似はしない。遂に斃れ込んだ彼の死体をじっと見下ろし、バシラアサドは溜息を吐くと踵を返した。何事もなかった様にして、屋敷へ戻り、日を改めてラシェッド・ナッサル・サチの死を広めるだけの事。冷徹な背中をルーイットは見据え、矢張り嗤うばかり。酷く歪めてしまったなぁ、と九年前の己を褒めているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.246 )
日時: 2019/12/07 01:11
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ジャッバールの者達が去り、彼等の代わりに呼び出されたランバートは、そこに流れる重苦しい空気に僅かに身じろいだ。血の付いた刀を拭いながら、じっとカルヴィンが睨む。何か一悶着があったのは確実だが、そこには誰かの死体が転がっている訳でもなく、その流血が何故に起きたのは全く分からなかった。
「……呼び出されたと思ったら、この様だ。荒事でもやったのか?」
 その問い掛けに応じる様に、カルヴィンは床板へと刀を突き立てた。相変わらずその視線はランバートを貫いており、少し遅れて入ってきたガウェスの表情が一瞬だけ凍り付いた。
「仕損じた。……ジャッバールの兵は化物ばかりだ」
 二度にも渡り殺し合いを演じたバッヒアナミルは勿論ながら、巨大なレヴェリ、ルーイットの存在は脅威になるだろう。彼等が普通の人間ではなく、その祖先に今は存在しない"魔物"を持つのは周知の事実。しかし、まさか斬撃を手で受け止められるとは思っていなかったのだ。
「何だ、バシラアサドを斬ろうってか?」
「……女の細首は裂くに容易い。だが、もっと容易いはずの掌すら裂けなかった」
 ぽつりぽつりと言葉を吐きながら、床板に突き刺した刀の柄を弄ぶ。その様は癲狂院の狂人の如く。殺し損ねた己を不甲斐なしと怒り、死ぬべきであったバシラアサドの生についても怒る。それが行き場を無くし、妙な事になっているのだろうか。
「あの……何の件で呼び出したんでしょうか?」
 少し奥まった所、座り込み煙草を咥えているレーナルツがじっとガウェスを見据えた。そして、間髪入れずに溜息を吐き、立ち上った煙が少しずつその色を、形を失っていく。
「ジャッバールが兵を退くそうだ。……分かるな?」
 兵を退く、という言葉にランバートは僅か目を見開き、参ったと言いたげに椅子へと腰を掛けた。ジャッバールとの交戦状態にならず、折角揃えた傭兵達に無駄金を払うだけではなく、彼等は職にあぶれたままクルツェスカに居残る事となるだろう。脳裏に過ぎるのは幼い頃から存在し続けた、西伐の残滓。狼藉を働くノヴェスク傭兵や、彼等の取り巻きの商人の姿だ。ジャッバールが去る事で、薄氷の様に保ち続けてきた均衡が再び崩れてしまう。彼等が来る以前の時代に逆戻りしてしまう。
「あいつ等、それが狙いだったのか?」
「違う。あいつ等の戦運びなんてどうでも良い。お前達の雇った傭兵をどうにかする必要がある」
「そんなもん、契約の打ち止めだって言えば退くだろ。時代が──」
「時代が違うってか? いいか、よく聞いとけ。傭兵ってのはどうしようもない木偶の集りだ。どんなに時間が経ったって、そこに戦場がなくなり、職を失ったならどんな狼藉だって働くってもんだ。傭兵から成り上がった俺達が言うんだ、間違いない」
 ただただ目を瞑り、思考する。彼等が根付くに相応しきは住人を失った貧民街。大多数を保ったまま戦場を失ったならば彼等が次に行うのは略奪や、同胞、既得権益との抗争しかない。青い目の獅子と争い、それを退けたなら彼等も手負いであり、クルツェスカの憲兵や、貴族等の私兵でもどうにかなっただろうが、現状ではそう簡単な話ではないだろう。
「……兵の雇用主はお前達だ。現状についての説明も、対処も全てお前達がやるべきだろう。俺等が動くのは奴等がクルツェスカに楯突いたその時だけだ」
「随分と冷たい話だな。此処を守る為に兵を集めろと言ったのはお前達じゃないか」
「だが、お前達はそう言われなければ立場があるというのに、この都を守ろうともしなかっただろう。ベケトフとは話が違う。今この場にお前達が居なければ、この都にただ住み着いているだけの"鼠"と同じだ。今から"鼠"になるってんなら、それはそれで構わないぞ。檻に放り込んで運河に沈めてやる」
 手伝おうか、と床板に突き立てていた剣を手に取り、カルヴィンは静かな足取りで扉の前に立ちはだかり退路を断つ。まさかナヴァロの屋敷の中で得物を向けられるとは思っていなかったのか、ランバートは勿論、ガウェスの手にも得物はない。
「……ボリーシェゴルノスクへと行かせませんか? ベケトフがジャッバールに対して蜂起したという体を作り……彼等をアゥルトゥラから叩き出しましょう」
 ガウェスの発言は中々に悪辣な物だった。クルツェスカの為、ボリーシェゴルノスクを生け贄の羊とすると言うのだ。この場にダーリヤが居たなら彼女は怒る事だろう。ジャッバールの残兵を徒に刺激し、彼の地を戦場とすると言っているのと同義だからだ。
「クルツェスカの火消しをするだけして、他所は焼いてしまおうってか?」
「……いいか、ランバート。西の防備の要はこのクルツェスカだ。此処が生きている限り、西部は権益を失う事はない」
 静かに語りだしたのはレーナルツである。彼の言葉はその通りであり、この都の戦略的な価値の高さ重々承知の上である。セノールとの最前線であり、北部国境での有事があった際も主たる反攻拠点として見過ごせない土地である。セルペツェスカも、コールヴェンもこのクルツェスカを支える為の衛星都市にしか過ぎない。国境に面していないボリーシェゴルノスクに戦略的な価値は一切ない。強いて言うなら運河を押さえ込まれるだけである。
「お前等、死んだら地獄に墜ちるぜ?」
「そんなものあってたまるか。いいか、地獄ってのは今生きてる此処の事を言うんだぜ」
 確かに彼の言う通りだろう。言い返す言葉もなく、目を瞑るとそこに凄惨な死に様を晒す者達が姿を現す。ある者は首を断たれ、身を剣で穿たれる。またある者は銃弾に身を裂かれ。そして、またある者は左腕だけで帰ってきた。はっと目を見開くと、その腕の主に並々ならぬ思いを持つ男が溜息を吐いていた。
「……廓にでも行けば良いだろうに」
 意味の分からないカルヴィンの発言に、拍子抜けした様にランバートは目を丸くするばかり。今この時分でそんな事をする意味が全く見えず、何よりも廓の主権は既にジャッバールの手中にある。
「お前は馬鹿だ。未来を見ていない」
 横目で見遣ると、ランバートをそう誹る。目先は愚か、今すら手探りで事を進め、宛ら闇の中を目を瞑って歩いている様な状況だというのに、未来を見る余裕などある訳がない。
「廓の兵と地上を分断する。それで奴等は北にも、西にも出られん。最低限の護衛しか手元に置けない程に兵力を分散しているからこそ、奴等は廓の掃討を終えなければ撤収出来んのさ」
「……しかし、あそこにはガリプが」
「セノールは敵だ、絶滅させねばならん蛮族に過ぎん。ガリプがなんだ」
 今になって恐れるのか、とガウェスを睨む。その目には妄執の類が宿り、彼の祖先であるセノールの血が垣間見える。しかし、恐らくカルヴィンの読みは間違いではないだろう。でなければジャリルファハドの律儀さに漬け込み、指揮官として彼を使う事もない。兵は勿論ながら、指揮を任せられる人材が足りないのだろう。
「あの、冷静に聞いてもらえますか」
「事と次第によるな」
 椅子に腰掛け、カルヴィンは再び床板へと剣を突き立てた。下手な事を言うと冷静を欠きかねている彼に斬り付けられそうだと思いながらも、重い口を開く。
「……我々ハイドナーとガリプは協力関係です。アースラがあの屋敷に来た直後、ジャリルファハドに会っています。彼は邪魔をしなければ、アゥルトゥラへ仇はなさないと言っているんです。……もし邪魔をしたら、彼等もジャッバールと行動を共にす──」
「だからなんだ、セノールは絶滅させねば──」
「あいつ等を絶滅させたって、世の中まともにならねぇよ。お前みたいに女恋しさに狂う様な馬鹿野郎が居る限りな」
 煽る様な発言にガウェスは固唾を呑む。口から飛び出した言葉が引っ込まないのは、レーナルツとて知っているだろう。よりによってカルヴィンの逆鱗に触れかねない事を口走った為、重苦しかった空気は更にその重さを増し、険悪な物となる。
「……とにかく、ボリーシェゴルノスクを奪還出来れば御の字。戦後処理はルフェンスと共に行えば良いでしょうし、我々はクルツェスカからジャッバールを叩き出すのを優先すべきでしょう? その為に我々の兵を差し向けます、それだけの話じゃないですか」
「俺は賛成です。あそこは民草も離散している。残ったベケトフに危害が加わる可能性こそありましょうが、スヴェトラーナが生きていればそれで良い。……あそこを主戦場とし、国境を押さえたならジャッバール……いえ、セノールが戻って来ても防ぐ事も可能でしょう」
 此処はクルツェスカですよ、と少し離れた所からエストールが語る。中の敵さえ叩き出してしまえば、爆破でもされない限りこの都が陥落する事はない。アースラの様に凍り付いた水路に潜り込み、侵入してくる者も居るが、戦時に於いては侵入口を塞ぐのは定石であり、そこに抜かりはないだろう。
「……いや、あの土地は捨て置け。俺達はジャッバールの戦力を地上と地下で分断し、セノールを掃討すべきだ。ボリーシェゴルノスクからクルツェスカまでは一日掛る。分断させしてしまえば、十分に奴等を討つ事も出来る」
 カルヴィンの主張はエストールと対照的で、その主張はやはり妄執を宿した物に思えた。しかし、戦後ボリーシェゴルノスクとの軋轢を避けるのなら、彼の発言もまた一理あり、何より今この場に居るダーリヤとの衝突が起こり得る。兵站の面からしても楽だろう。
「お前等、俺達の兵を好き勝手動かそうとするんじゃないぞ」
「戦争の"せ"の字も知らない坊ちゃんが何言ってんだ、まだガウェスの方がマシってもんだ」
 改めて軽んじられていると実感し、またそれが事実である事に溜息を吐いた、その時であった。静かに扉が開く。扉を開けたのはダーリヤだろうが、その傍らには脇腹を押さえたままのハイルヴィヒの姿がある。
「漸くお目覚めってか?」
 軽口が飛ぶも、誰もハイルヴィヒを労わる様な言葉を吐かなかった。労わった所で彼女の痛みを共有出来る訳でもない。傷が癒える訳でもない。傷を舐め合ったとしても仕方がない。
 ダーリヤの介助を振り払い、彼女はふらふらと歩む。宛ら墓場から蘇った死者の如く。やや気後れしたガウェスが差し出した椅子に腰掛けると、彼女はぽつりと口を開く。
「……どっちも出来ないのか」
 恐らくは扉の向こう側にも、彼等の声は聞こえていたのだろう。隣に居たダーリヤが何も言わず、黙って聞いている辺りボリーシェゴルノスクに兵を寄越し、そこを戦乱に晒すのも仕方がないと思っているのが明らかであった。つまり、呼び寄せたルフェンスは戦を構える気でいるのだろう。
「出来ない事はない、寧ろボリーシェゴルノスクにも派兵し、クルツェスカにも兵を残すのが最良とも言える。……体裁、大義って奴だな」
 兵站、兵数の面に於いても、レーナルツの語る"体裁、大義""という物も最良と言えるのが、両方への派兵だろう。エストールも、カルヴィンも小さく頷きながら、ランバートを見据える。兵を動かすのは彼の意思一つだ。しかし、拒否権はないだろう。カルヴィンは剣の柄に手を掛け、エストールは懐に手を突っ込んでいる。取り付く島も無さそうだと、ダーリヤを横目で見遣れば、彼女もまた剣の柄に手を掛けている。
「断ったらどうなるんだよ?」
「あぁ、そうだなぁ。どうなるんだろうなぁ」
 何処か他人事の様に言い放ち、レーナルツは笑っていた。答えなくても分かるだろう、と暗に語っている様で、得物に手を掛けている三人よりも何処か恐ろしげに見えた。あぁ、良いぜと二つ返事で応じると三人は得物から手を離し、ほぼ同時にハイルヴィヒが溜息を吐く。
「……で、お嬢様は何処に」
「さぁなぁ。死んでは居ないだろうさ。運河に浮いてるって話は聞かないからな」
 レーナルツの軽口に彼女は舌打ちをしながら、立ち上がり身に鞭を打つ。よたよたとしながらも立ち上がり、部屋を後にした。廊下の方からばたばたと物音がしている。
「……探しに行くのか?」
「その様ですね。……私には止められません」
「あぁ、分かった。ハイドナー、付いて来い。あの半死人だけで歩かせる訳にはいかん。得物を取れ」
 珍しく世話を焼こうとしているカルヴィンに疑問を持ちながらも、ガウェスは頷いた。ずかずかと歩み、外套を手に取っては彼は廊下へと出て行く。何処か気後れした様子ながらも、その背を追うガウェスがどうも彼の子分の様に見えて仕方がなかった。

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