複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2017/07/09 20:20
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメントは要りません。邪魔です。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.95 )
日時: 2017/07/03 03:09
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 雨音は何かの足音の如く。降り頻るそれは耳を傾けるまでも無い。腫れ、熱を持った銃創、それを覆う布を指先でなぞりながら、彪は一つ溜息を吐く。
 どうするべきか、どう立ち振る舞うべきか、と己に問い、己から答えを引き出さなければならない。それを雨が、雨の戯言が邪魔する現実に言いようの無い苛立たしさと焦燥感を抱くのだ。恐らく、昨晩の出来事は既にクルツェスカの中に広まりつつあるであろう。民衆へと広まるまで至らずとも、憲兵達の間に話は広がっているに違いない。あそこでハイドナーを撃ち殺せば良かったという悔恨の念が胸の中を去来し、苦虫を噛み潰したかのように顔を顰める。
 今のクルツェスカに流れる戦の前のような空気、それは恐らくしてハイドナーが発端であり、彼等が何か触れてはならない物に触れたと想像に容易い。新聞の一面にはクルツェスカで起きた暴動が記され、三面にハイドナーの屋敷襲撃ならびロトス・ハイドナーが殺害された記事が記載されている。彼等は怒りを買った故の報復を受けたのだろう。それを何を勘違いしたのか此方に言いがかりを付けて来たに違いない。阿呆だと、あの頭の中には大鋸屑でも詰まっているのか、とジャリルファハドは思い返す度にほとほと呆れ返りそうになる。思慮のない馬鹿が当主とは矢張りハイドナーは愚かしい一族。此処で討ち取ってやるのがせめてもの救いだろう。そして討つのは今が好機であろうが、如何せん居場所は分からない。居城を移したのは確かであろう。だがしかし、昨今の攻撃が原因で警備は厳重となり討つには厳しい。ともすれば、それすらを食い潰してしまうような存在と動くのが得策と思えた。
 暫く考え込んでから、ジャリルファハドは一枚の雑用紙を手に取り、手早いながらも整い丁寧な文字を記し、彼は荷を背負う。刀も鎧通しも散弾銃も。それらの全てを取り、雨具代わりにと砂漠から持ち込んでいた外套を頭から被った。顔は見えず、一瞥しただけではセノールだと分からない。外套の影から除く瞳は厭に暗い。痛む肩の事など、疾うに忘れたかのように荷を背負ったまま外へと出て行ってしまった。雑用紙には「暫く空ける」とだけ短く書き記されているのみ。行く先など記す事はない。だが、しかし。彼は既に行く先を腹の中で決めているのだ。彼の向かう先は陽の当たらぬ彼方であり、血の河が流れる奈落。旧友が居るであろう屋敷である。

 人垣を越え、雨の中で傘すら差さずに歩み続けたなら、見知った家紋を掲げる屋敷が其処に在った。二つの輪が重なり合い、その間に鏃を記しただけの簡素な家紋。それはジャッバールの物であった。番兵が此方を見ているが、今日はレヴェリではなくセノールの者達であり、外套の被り物を脱いだなら彼等は驚いた様子でジャリルファハドを見つめていた。そして間もなく笑みを浮かべながら近付いてくるのだ。
「ファハドか。久しぶりじゃないか! どうした? 漸くジャッバールに協力する気になったか?」
「まぁ……、そんな所だ。アサドは居るか」
「あ、あぁ居る。少し待ってろよ、あぁ!! いや! もう入って良いぞ! お前なら信用出来る!」
 少し興奮気味なセノールの番兵へと、瞳を閉じ小さく会釈をしながらジャリルファハドは歩を進め、漸く屋敷の軒下へと入っては雨を凌げる場を見つけ、再び溜息を吐く。どうも銃創が疼き不快である。腕を伝うのが雨の滴なのか、流れた血なのか分からない。雨のせいだろうか、鼻が何故か効かない。
 顰め面のままで軒下の奥を見据えたなら、無駄に大きな看板に「ラーディン」と記されており、あそこにハヤが居るのだろうと予想がついた。事実、彼女がきんきんとした声を張り上げて何か話しているようだ。怒っている訳ではなく、昔から厭に声が大きかったな、と顰め面に苦笑いという妙な顔をしながらジャリルファハドは階上を目指す。彼女も意気軒昂そうで何よりだ。
 階段を登っていけば、白い髪を靡かせたレヴェリの少女とすれ違う。彼女はジャリルファハドを誰だろうと首をかしげながら見つめるばかり。言葉一つ交わす事もなかったのだが、彼女からはセノールの好む煙草の匂いがしていた。少しばかり甘いような香りだ。バシラアサドとて例に違えず、その煙草を常用していたはずだ。ともすれば、そろそろ彼女の居室が近いのだろう。
「……さて」
 それにしても随分と警備が手薄だと、妙な感覚を覚える。屋敷の彼方此方に警備が放たれている訳でもなく、ハサンの者が物陰から息を殺し、見ている訳でもない。普通の屋敷なのだ。そこに住まう者は普通の生を謳歌し、普通に過ごしている。血腥さ、物々しさとは無縁なように思えるのだ。故に己がこの場に不釣合いな非日常のように思えて仕方がない。自嘲するように咳払いを一つしては歩みを進めると、扉の向こう側から昔よく聞いた者の声色の欠伸が聞こえ、ジャリルファハドの歩みは思わず止まってしまった。扉の向こう側には旧友が居る。どうも緊張が走り、扉を叩こうとする手が止まってしまった。
「アサド。居るか」
 扉の向こう側から聞こえていた物音は鳴りを潜め、こつこつと足音だけが扉の向こう側から聞こえて来る。部屋の中に居るのは間違いないだろう。これで撃たれでもしたら話にならないと、扉から僅か離れて、ジャリルファハドは口を閉ざしたまま扉を見据えている。取っ手が回り、きぃきぃとした金属を鳴らしながら少しずつ扉は開かれてゆく。開かれた扉の隙間からは影だけが伸び、その影を黙ったまま見ていた。
「漸く私に与するか」
「……いいや」
 否定を述べた刹那、直刀が扉の隙間からジャリルファハド目掛けて伸び、それを寸での所で避けたならば刀身を扉で挟み込む。刀を引き抜こうとしているであろう物音が聞こえていたが、観念したように吐かれた溜息が一つ聞こえる。
「開けるぞ」
 扉を抑える力を緩めたならば、刀は瞬時に扉の向こう側へと隠れてしまった。扉の向こう側の旧友は鞘に刀を収め、青い目を向けるばかり。九年ぶりの再会だというのに互いに笑顔一つ見せず、張り詰めたような空気ばかりが漂っていた。どちらが刀を抜いたとしても不思議ではないような緊張感。まるで野生の獣同士が声一つ上げず、睨み合っているかのよう。暫くその状況が続くも、口火を切ったのはジャリルファハドであった。
「一昨日からの殺し。お前達が尾を引いているのか」
 その問いはさぞ愉快だったのだろう。バシラアサドは声を出さずに肩を震わせながら笑っていた。その様子は狂人のようで、すっかり変わってしまった友を直視するのは辛く、思わず目を伏せてしまった。己は人の皮を被った獣であるかも知れないが、彼女は人語を解す獣に成り果ててしまったかのよう。
「あぁ、そうだ。ハイドナーが私達の"商い"を邪魔するものでなぁ。私の手の者を殺されてしまったのだ。ファハドよ。忘れていないだろう。我々は輩の仇を討つならば、一族郎党まで討つ。そういう血を引き、そういう掟に従って生きてきた。至極当然な話しだ」
「……アゥルトゥラが幾ら死のうとも構わないさ、俺はそれを咎める気はない」
 ジャリルファハドの口から出た言葉は本心であった。アゥルトゥラが幾ら死んだとしても構わない。何れ報復を成し、大勢を殺す未来は変わらない。バシラアサドと向く方向は同じく、大凡全てのアゥルトゥラは死に絶えなければならない。そうでなければならない。そうでなければ嘗ての英霊が浮かばれない。我々の世代は、そのために血を流し、死に絶える事を臆してはならないとジャリルファハドは己に言い聞かせているのだ。
「まだ首が足らなくてだな。次の晩には息子の首も取ろうと思うが……、どうだ? いや、その腕ではダメか。随分と血の匂いをさせて……、まったく」
 青い目は急に昔の色を取り戻し、言葉の端々からは突然と棘が抜け落ちてしまったかのようだった。ジャリルファハドはやや戸惑いながら、視線を右肩へと向けて苦笑いを浮かべていた。昔の記憶が蘇ってくるのだ。ハサンの者達に付けられた傷を彼女が泣きながら手当てしていた記憶だ。
「銃弾が掠めただけだ、弾も抜けているしな。この通り、動く……」
 右肩を上げ下げしていると、疼痛が走り思わず顔を顰めてしまう。声色に出る事はなかったが、どうもバシラアサドの青い目が呆れ果てたような視線を投げ掛けているように見える。バツの悪さから右肩を下ろして、床を見据えていたのだが彼女の溜息に視線を引き戻されてしまう。彼女は視線など気に掛ける様子もなく、背を見せて戸棚を漁っている。
 暫くして何かを見つけのか、手に取ってまじまじと眺めている様子だった。踵を返した途端、それをジャリルファハドに投げつける。上から投げるのではなく、放物線を描き、緩やかな速度で飛ぶような下投げであった。
「これを持っていけ」
 バシラアサドが投げ付けてきたのは、一振りの鎧通しであった。アゥルトゥラの物ではなく、セノールで作られたそれは昔からアゥルトゥラの騎士を組み討ちするため、よく使われた物であった。鎧を穿ち、肉を裂き、骨へ至る。何度も何度も鎧の上から突き刺したとしても、刃毀れ一つせずに騎士の身、骨を削り取るのだ。彼はそんな物を抜く。
「ハイドナー……討つのだろう?」
「随分と察しが良い限りだ」
 鎧通しを受け取り、刃を眺めながらジャリルファハドは返事をしてみせた。鎧通しの刃紋は厭に不揃いで、まるで今クルツェスカに起きている混沌を刀身に現したかの様だ。これが血に濡れたならば、刀身にクルツェスカの惨状が姿を現す事だろう。
 刀身を見据えていると、何時の間にかバシラアサドの身体が目の前に在り、厭に鋭い青い目と視線を交わしてしまった。擦り寄る様に彼女はジャリルファハドへと寄り、耳元で二つの情報を囁いたのだ。それはハイドナーの居場所、そしてジャッバールが再度襲撃するという話であった。彼女の長い髪が頬に触れてもジャリルファハドは気にする様子もなく、ただ黙りこくったまま耳を傾けるばかりだった。
 一頻り話し終えたのか、バシラアサドは耳元から離れ、随分と悪い笑みを湛えている。彼女の青い目は何を見ているのだろうか。入れ知恵した事で、その先に待っている惨状を見ているのだろうか。それとも何も目には写っていないのだろうか。悪辣としたその視線に耐え切れず、ジャリルファハドは伏せ目がちに視線を逸らすのだった。
「もう戻れないのか」
 その問いに愉悦を湛えた彼女は一気に不愉快そうな顔へと挿げ替え、ジャリルファハドを睨み付けていた。気圧される様な事など無いが、これが仮に戦場で向けられたならば、交わす言葉すらなく切り伏せてしまいたくなるような物であった。
「遅すぎる、馬鹿」
 そう短く吐かれた言葉。それに続く言葉など一つもなく、ジャリルファハドは静かに立ち上がって背を向けるだけだった。もう彼女に語るべき言葉など無いのだろう。命を擲ってでも止められなかった嘗ての己を恥じ入らざる得ないのだ。背に向けられた青い目は黙したままで、その恥を見続けるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.96 )
日時: 2017/07/12 15:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ジャッバールの屋敷を後にしても、未だに雨は止まず、降り頻っている。足元の雨水を漕ぐ足音すらも消し去ってしまうような激しい雨音は人々が往来を憚ってしまう程であった。既に日も暮れかかっており、夜が足音一つ立てずに近寄ってきているのだが、相反してジャッバールの屋敷を出た所から、延々と後ろを着いて来る者の気配が感じられた。数にして三人ばかりだろうか。憲兵などではないのははっきりと分かる。明らかに尾行が雑な上、このような天候下、人影が疎らだというのに尾行をするような愚かさ、明らかに傭兵か何処かの私兵であると考えられた。そのような教育をされている訳でもないのだろう。恐らく今、尾行をするともなれば憲兵ではないだろう。何故ならばそんな余裕が無いからだ。これがジャッバールであるならば意図が掴めず、またする理由もない。ともすれば尾行をしていると考えられるのは「レスデントのキール」に雇われた傭兵乃至それらの私兵という結論に行き着く。ハイドナーの親類であるのだから、状況の把握、内偵に努めるのは間違いではない。
 何をする訳でもなく、ソーニアの家へと戻らず雨に打たれながら、ふらふらとクルツェスカの中を歩み続け、西側の城壁の端へと辿り着く。そこには嘗てザヴィアに最期まで味方し、壮絶な討死にと遂げた人物「ラノトール・カランツェン」へ向けられた慰霊碑が建てられていた。彼の死後、彼から手傷を負わされた者は悉く早世したという。故に呪いのような話が囁かれており、それはセノールであるジャリルファハドとて知っている程に広まっていた。今、彼はその怒りを利用されているかのよう、今を生ける者達の手により西側の守護者として丁重に祀り立てられている。その慰霊碑の前に広がる広場は全く人の気がなく、ジャリルファハドを尾行していた三人の内偵の内、一人だけ少し離れた所から横目で視線を投げ掛けているのが見て取れた。
 やはりあの者達は明らかに内偵である。ともすれば尾を掴まれる訳には行かず、どうにかして振り切るか、消さなければならないだろうが、傭兵を三人ともなれば、今の余り使い物にならない右腕が荷物となるのは確実であった。砂漠ならば数的不利や負傷は取るに至らないが、此処は謂わば敵地であり衆目の目がある内は事を荒げる訳には行かないのだ。ジャリルファハドが取るべき行動は平静を装い、姿を晦ます事だけである。思慮浅く、刃を抜き、振るえば良いというものではない。それを成したならば仕損じた"犬畜生"と等しい愚者と成り果てるだけである。
 何事もないようにラノトール・カランツェンの慰霊碑へと手を付き、嘗て生きた武人の鑑へと思いを馳せる。彼は何を思い死が見えている戦に臨み、己が仕える者へ忠義を成したのだろうか。もしハイドナーの者達がこの武人のように、己の身と筆舌し難い忠義に基づき戦に臨んでいたならば、今こうして己は殺意に満ち溢れる事は無かったのではないのだろうか。そんな事が脳裏に過ぎると己もまた「人の皮を被った獣」のように思え、やはり"犬畜生"と大して変わりは無いのでないだろうか、と思えてしまう。鎧を穿ち、穿たれ、血を流し、流され、肉を断ち、断たれそうやって死んでいった者は何を思うのだろうか。今、此処に祀り上げられた人物は主へと忠節を尽くした事で満足に死んでいったのか、それとも不義を成した者へ怨嗟、恨事の念を抱き死んでいったのだろうか。慰霊碑に手を付きながら、そんな事を思っていると五十年前に先達が受け、散々に味わった汚辱に対する怒りが沸々と湧き上がるのだ。それが義憤だとは分かっている。己はそれを味わった当事者ではない。それに近しい事は多々あったが、先達の味わったそれと比ぶべくもない些事である。
 怒りを抑えながら、一つ深呼吸をしてジャリルファハドはラノトールの慰霊碑から手を離し、僅か疼痛の走る右肩を手の平で押さえ付けてはいたが、何事も無かったかのように歩き出した。彼の背に続くようにして三人の内偵も後を追ってきているのは手玉に取るように分かる。足音が厭に多く、彼等は気配を隠しきれていないのだ。
 既に夜の帳は降り、色街は先日の殺人など無かったかのようであった。客引き、街娼の類が闇の中で蠢き、その闇が声を発しているかのように喧騒に包まれている。幸いにも雨は止み始めてきており、出来始めた人垣が良い隠れ蓑になるだろうとジャリルファハドは暗い路地を往く。
 客引きや街娼を無視し、人の多い方へ、多い方へと歩みを進めて身を隠そうと努める内にイザベラに通された宿の近くへと辿り着いた。この街の人間は恐れを知らぬようで、あの惨劇があった宿は壁紙や床板を剥がし、新しく取り替えて新たな店が始まろうとしているようだ。それが酒場なのか、娼館なのか見分けは付かず、ジャリルファハドに何なのかは分からなかったが、あの館の前で見知った姿があったのだ。金色の髪で焼け爛れた肌を隠した受付の少女であった。ぼんやりとした灯りを受けたならば、その金色の髪は厭に目立ってしまう。また、それを足を止めてぼんやりと眺めていたジャリルファハドとて同じく。
「あ……」
 消え入りそうな彼女の声が耳に届き、思わずジャリルファハドは身動ぎしてしまった。身体が強張り、彼女と目が合ってしまう。意識していなかったが彼女の目はバシラアサドのように青く、それで居ながら彼女とは異なる色を放っている。互いに酷な生を経験してきただろうに、何が異なるのだろうか。何故こうも旧友の青い目は憎悪に満ち溢れ、彼女の目は活力に溢れているというのだろうか。
「あの……、ジャッバールから薬貰えました! 凄く良いんですよ。膿まなくなりましたし、痛みも薄れて……。それに新しい場所まで用意してもらえて……。あの……」
 少女は言葉を詰まらせ、少しずつその青い目を伏せ、声も消え失せてしまっていた。それが何故か分からず、ジャリルファハドは首を僅か傾げるばかり。漸く自分の表情が恐ろしげに強張っているのだ、と気付くと彼女は顔を上げて口を開きだした。
「セノール……、怖いばかりだと思ってましたけど、割と優しい人達も多いんですね。ナッサルの方々が面倒見てくれるって」
 ナッサルと聞けば砂漠に置いて来てしまった、少し頭の緩い弟分を思い出すもののジャリルファハドは「そうか」と短く受け答えて口元が僅か緩む。この少女は生きていたか、と。この娼館を血に染めたのもジャッバールであり、彼女に新しい人生を用意したのもジャッバールかと考えたなら、どうにも皮肉であったが彼女の幸福が約束されているのならば、その皮肉も取るに足らない些事であろう。真実を伝える必要はなく、そもそも伝えるべきではない。彼女の平穏を踏み躙ってはならないのだ。何をした訳でもない。それに彼女はセノールが味わってきた汚辱に似た生き地獄を歩み、既に贖罪は終えた人物である。大凡全てのアゥルトゥラのように死で贖う必要は微塵もない。もう充分なのだ。
「今は何をしている」
「え、一時的にジャッバールの屋敷に住まわせて貰ってますよ。明日の夜にカシールヴェナへ発つので、それで最後に此処を見ておきたくて……」
 彼女が娼館を見る目は何処と無く悲しげであったが、目はやはり死んでおらず生に対する喜びのような物も感じられた。ジャッバールの善と悪に僅かな眩暈を覚えそうになったが、ジャリルファハドはそれを振り払うように肩を竦め、口を開いた。
「そうか、あぁ――そうだ」
 ふと、ジャリルファハドに悪知恵が思い浮かぶ。彼女に客引きの真似事をしてもらおうというのだ。僅かな笑みが消え失せ、つかつかと彼女へと歩み寄っては耳打ちを一つばかり。彼女は一瞬、目を見開いて驚くような素振りを見せていたが、にやにやとした少し意地の悪い笑みを浮かべて「面白そう」とだけ一人ごちるように思いを述べていた。こんな少女だっただろうかと、少し記憶を読み起こすも恐らくはこれが彼女の本当の顔なのだろうと、結論付けるに至る。
 ジャリルファハドが彼女へ伝えた悪知恵は客引きのフリをして傭兵を色街から誘い出し、ジャッバールの屋敷の裏口から敷地内に入れてしまおうという馬鹿げた悪巧みであった。傭兵であれば、そこが危ない場所だとは知らず、以前から使われている傭兵ならば気付いた途端、顔を真っ青にして逃げ帰る事だろう。そうであるにも関わらず入ってしまったら良い様に道具として使われるだけである。我ながら随分と馬鹿馬鹿しい姦計を思い付くとは思ったが、対立を煽るのに丁度良いだろう。ジャッバールは少し面倒な事になるだろうが、バシラアサドの事であるから、上手い具合に事を進め、彼等が口を開けなくなるまで持って行く事だろう。もし、ハイドナー方が彼等を見捨てたならば他の傭兵の忠誠は揺らぎ、窮地に陥っても救ってもらえないという事実から士気が低下する。場合によっては配下を去る。そして、もし救おうとして兵を動かしたならばそれは「レスデントのキール」の最期を意味する。そこまで馬鹿ではないのならば、交渉で決着を付けるだろうが間違いなくハイドナー方が不利益を被る事となる。さすれば当主の首を貰い受ける事も可能ではないかも知れない。
「そういえばお前の名前は何だ?」
「ラニです」
「そうか。……またカシールヴェナで。では、頼んだぞ」
 ジャリルファハドはそうやって彼女の肩を叩き、人垣へと再び姿を消してしまった。人垣へ入る瞬間、右肩が人に触れたのか、少し妙な動きをしていたように見え、そもそも言葉を交わしていた時から、右腕から少し血が伝っていたのは気のせいじゃあないなぁ、などと思いながらラニは「サレイトウ」を少し渡すべきだったか、と思案に至る。
 暫く、その場に立ち尽くし、漸く人垣を縫って来る内偵三人の姿を視界に捉えた。ジャリルファハドに言われたとおりの人相、体躯である。焼け爛れた肌を出さないように長い金色の髪で隠し、にやっとした薄ら笑いを浮かべ、彼等へとゆっくりとした足取りで近寄っていくのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.97 )
日時: 2017/07/09 11:59
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 視界の端にチラつく赤は少女の薄氷の色に映り込み轟々と蠢いている。悲鳴混じりの喧騒すら、けれども少女にはただ遠いものとして聞こえていた。ふいに、歩みを止める少女を見やる傭兵の娘はお嬢様、と少女を呼ぶ。まるで急かす様に。この土地を収める領主たる人を追いかけようとした令嬢を言葉で止めて、急いで此処を離れようと口にしたのは他でもないこの傭兵であった。――最終的にヨハンを情報収集へ向かわせ、ハイルヴィヒがスヴェトラーナを連れて戻ることとなったのは、つい十数分も前の事である。繋がれたままの手を傭兵が軽く引いても令嬢は足を止めたまま、向こうに輝き、燃える赤を見ていた。再び傭兵が彼女を呼んだ。今度は彼女の名を、其の声でなぞって。それでも、少女は止まったまま、其の薄氷に似つかわしくない色を映す。
「…………綺麗」
 区切られた静寂に、小さな声がこぼれ落ちる。呆けていればすぐに此方にも燃え移るであろう炎を、けれども少女は現実味無く見やっていた。良くない事とはわかっている、けれど、なのに――燃え盛り輝く赤は、何故こんなにも美しい。嗚呼、けれど、不意に耳を掠める見知らぬ誰かの声は、何故あんなにも苦しげなのだろう。分からない、知らない感情ばかりがこみ上げてぐるぐると胸の内に回っている。いっそ、吐き気を覚える程に。刹那、肺が締め付けられるような感覚と、胃を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、少女は思わず口元を抑える。ほんの少しだけ咳き込むけれど、掌の上には何も落ちて来やしない。
「……お嬢様、行きましょう。貴女の様な方に此の場は相応しく……いえ、貴女が此処に留まる必要性はありません」
 どこか不安げに表情を歪める傭兵は、ただ真っ直ぐに少女を見ていた。そうして再び、其の小さな手を引いて再び歩み出す事を促している。少女はと言えば輝く色を反射させた瞳を一瞬伏せて、長く、深く、息を吐いている。強く瞼を閉じて、息を吸い込んでまた吐いた。ゆっくりと瞼を持ち上げれば、少女の薄氷は傭兵を写す。
「ごめんなさい、ハイルヴィヒ。……行きましょう」
 細められた瞳は雪の色、或いは氷にも似た色を湛えて。少女の心に何かを残す炎を背に二人は只、歩む。何かに背を押される様に急いて、けれども何かに後ろ髪でも引かれるかの様に何処か躊躇いながら、帰るべき場所へと向かう。少女の胸に何か、嫌な予感ばかりを残したまま。

「スヴェータ! スヴェータ……! ああ、よかった……おかえり、スヴェータ。嗚呼、何で……いや、いいや、いいんだ……よく無事で、帰ってきてくれたね」
 屋敷へ帰り着き、重厚な扉を開いた其の向こうにいた屋敷の主は開口一番、娘の名を呼び駆け寄ってくる。しゃがみ込み、視線の高さを揃えればペタペタと娘の肩や頬に触れ、柔らかな金糸の髪をひと撫でし、無事がわかれば安堵の息を吐く。彼女を外へと示した元はと言えば己である故、其の身の無事に対する安堵も大きかったのであろう。
「ハイルヴィヒ、君も……有難う。スヴェータを無事にこうして、連れてきてくれて」
「……当然の事です」
 傭兵は只、表情一つ変えることなく、頭を下げ、淡々と語るのみ。給料分の仕事はする。金銭のやり取りがそこにあり、契約が有効である限り、此度の仕事はあくまでも職務の範囲内、契約の範囲内の事象を処理したに過ぎないのだから。再会、そして無事の帰宅を喜ぶ父娘をちらりと見やりつつも、ハイルヴィヒ・シュルツが其処に口を挟む事はなかった。ただ唯一、食事をと娘を誘う父の言葉に、食欲がないから、と控えめに告げる娘の言葉を聞いた折、僅かに眉を動かしたが、反応らしい反応といえば、微かな其れのみであった。とはいえ、その言葉に表情を変えたのは何も傭兵のみではない。父親たる人もまた、不安げに表情を歪めていた。その表情をみやったのか、娘が後で部屋に軽食をと頼むのは其れからすぐの事である。

「いやぁ、いや、ちょっと、ヴィッヒー! 嗚呼、全く、なーんかこりゃちょいと大変な事になるかもしれませんよ」
 情報収集のために別行動をとっていた同僚……改めヨハン・クリューゲルがようやく姿を見せたのは、ハイルヴィヒがスヴェトラーナを連れ帰った翌日、ハイルヴィヒが朝食を済ませ、其の後日課にも等しい服薬を済ませた後の事である。同僚のやけに大きな声量の言葉に、ハイルヴィヒは眉根を寄せた。ハイルヴィヒの表情を見たヨハンはおっと、とわざとらしい声を零して肩を竦める。「いやぁ、すみませんね」なんて言葉は実に軽薄な、ヘラヘラとした笑みと共に紡がれるばかりである。
「まず最初にハイドナーさんとこのお屋敷、ひっどい目にあったみたいで。家に居た方まあ、ほぼ全員というか多分全員殺されたっぽいですね。あ、ご当主はどうも、今のところ行方知れずというか、なんというかですけどね。……まあ、多分火事は陽動かなんかだったんじゃないかナー、と僕は思いますよ、ええ」
 そう言って、ヨハンはくるりと跳ねた癖毛のひと束を摘んで、癖を直す様に指先で弄りだす。至極何でもない事を、例えば昨日酒場で見かけた他人のくだらない痴態を語るかの如くの軽薄さで言葉にしていく。其の様を見たハイルヴィヒはけれどもヨハンのそうした様子に口を挟む事はなく、むしろ言葉の内容のみを広いまた、軽く眉根を寄せた。
「それから……ハイドナーのご隠居が死にましたっていうか、殺されました。……いやぁ、やり口がエグいのなんのって。……さくっと帰ってて、大正解だったかもしれませんね」
 ハイルヴィヒが何かを問うよりもはやく、これまた態とらしく周囲を確認したヨハンは言葉を続ける。さて、ヨハンが嘘を吐くとも思えない。殊、此の様な自体に関しては。些か趣味の悪い冗談を口にする事こそあれど、此の類とは全く別方面のものでしかないのだ。信じられない、という思いがある反面、当然であろうと思えなくもないのはある意味で、第三者的立場からあの家を見やる事が多かった故だろう。
「…………ユスチン殿に、報告は」
「今しがた、してきましたよ。……まあ、相当応えたんでしょうね。あんまり大げさに反応はされませんでしたけど……うん、あの人は結構、分かり易い所もありますから。予てからのご友人だったんでしょ、あのお二人」
 其処まで言うとヨハンは癖毛気味な鈍い金の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「しっかし昨日の火事といい、此の件といい……やぁ、本当に、ちょっと大ごとになりそうですよねぇ」
 ハハハ、と適当極まりない笑い声を吐き出した金髪の青年の声が途切れるのは突然のことであった。ぴたり、と静止し、顔を僅かに青くする同僚の様に何事かとハイルヴィヒが首を傾げるのとほぼ同時に、鈴の音の様な声が響いた。
「……ヨハンさん、それは……本当、なのですか」
 令嬢の薄い色をした双眸は不安に揺れている。しまった、とヨハンは思うがもう遅い。内容が内容だ。此処で適当に冗談だ、と言うにしては些か度の過ぎた物となってしまうだろう。そもそも令嬢、スヴェトラーナは当主たる父へ報告云々の箇所も聞いてしまっていたから、此処でヨハンが誤魔化そうとも其れを信じ切ることなどできなかっただろうが。口ごもるヨハンを、スヴェトラーナはただ真っ直ぐに見つめている。不安に揺れる氷青の瞳は変わらぬ美しさを湛えているものだ、と場違いを承知でヨハンは頭の片隅で思っていた。暫しの静寂が場を包む。ハイルヴィヒもまたヨハンとあまり変わらず、薄らとしたものながらも顔ばせには一抹の不安と戸惑いを湛え、どうしたものかと思案していた。
「…………何事も、終幕は……あるものですものね」
 静まり返る空間に、少女の淡い声がぽつりと落ちる。伏せられた双眸はその氷の色の奥にひと匙ばかりの悲哀を湛える。不意に二人の方へと向く令嬢の笑みはどこか寂しげでありながらやはり美しくかたちどられたものであった。傭兵双方何も口にしなかった、否、出来なかった。刹那の沈黙に、けれどもスヴェトラーナは微笑んだまま「ごめんなさいね、お邪魔してしまって」と零してスカートをつまみ膝を折る。踵を返して向かうのはおそらく彼女の部屋であろう。令嬢の後を追いそうになるのはなにもヨハンだけではない。ハイルヴィヒも踏み出しかけて、半歩前へ足を出している。ヨハン、ハイルヴィヒ双方は顔を合わせ、曖昧な表情のまま、視線だけで一言二言交わし、それぞれ別の方へと歩み出していた。ヨハンは自室へ、ハイルヴィヒは厨房へ、である。

 白磁のティーセットを持つのは黒髪に黒いスーツ姿の娘、ハイルヴィヒである。ティーセットと、娘の白い肌と青い瞳が窓から差し込む僅かばかりの曇り空からの光を反射して其の存在を示す様であった。ティーセットと共に盆に乗せられた砂時計の砂は、もうすっかり下へと落ちきっている。やや急く様に、スヴェトラーナの部屋の前へやってきたハイルヴィヒが扉を控えめにノックすれば、室内から令嬢の声がする。心なしか、小さな声で。
「……お嬢様、私です。……お茶を、お持ちいたしました。よろしければ共に、如何でしょうか」
 語りかけるハイルヴィヒの声は平素、他人へ向けるそれより数段優しく、柔らかなものであった。何処と無く少女らしさすら覚えさせる様な声に、室内のスヴェトラーナは瞬きを数度繰り返す。けれどもハイルヴィヒの訪問を拒む理由は一つもない。寧ろ令嬢たる少女の思考を思えば、其の扉が開かれるのは当然の事と言えただろう。真白い扉の奥から、一対の硝子玉がハイルヴィヒを見つめていた。どうぞ、の言葉は控えめに紡がれ、令嬢は傭兵を部屋へと招く。茶会の準備は恙無く進み、2人の少女は向かい合い、腰掛けた。揺らめく琥珀色の水面を見つめるスヴェトラーナを、ハイルヴィヒはただ見守るばかりであった。他愛ない会話はポツリポツリ、と言葉少なにかわされる。其れが珍しい事である、などとは互いに考えても居ないことだ。平素の様にかわされる、弾む様な会話も今は無く、どちらかと言えば何処か重苦しい空気すら、其処には存在している様であった。
「ねえ、ハイルヴィヒ……ハイルヴィヒ。ねえ……私、どうしたら良いのかしら」
 少女の震える声が、作り上げられた楽園にぽつりと落とされる。カチャリと音を立てて、スヴェトラーナはティーカップをソーサーへと置いた。突如として何かに怯える様に、薄氷の下の泉の色を揺らがせて、ただ、未知の恐怖への怯えを口にする。――其れは決して、現状への憤りでは無い。ついぞ見やった、燃え盛る火への本能的な恐怖でもない。親しい人の死の理由への恐怖ですらない。ただ一つ、胸に抱くもの。
「……私ね、私には、そう、私には……誰かを恨む権利なんて、ないの、ないのよ。ありはしないの。だって私……お母様を……私のせいで……嗚呼……。ええ、ええ、わかってる、わかっているのです! でも……なんで、私……許せないって、思ってしまうの。……こんな、こんな事、どうして出来るのかって、不思議なの、胸の内に火が付いてしまった様なの。誰がなしたかもわかりません、ことに繋がりがあるのかどうかだって、ヨハンさんの憶測だと知っています、わかっています……。でも、もし全てが繋がるとしたら……私、そんなの……、そんなのは……どなた様も、お可哀そう……で」
 少女の唇は、憂いを紡ぐ。哀れみを何処かへ向ける事こそ傲慢と知らず。令嬢は華奢な肩を僅かに震わせたままで、視線を落とす。自らの思いを口にすることすら、彼女にとっては恐ろしい事であった。何故、こんな事を口にしてしまったのだろうか、と今更な後悔がひしひしとスヴェトラーナの心を覆っていく。許されるなら涙を流してしまいたかった。けれどそればかりは、と膝の上に置いた手を握りしめ、ただ震えるばかりで少女は何も語らない。黙したままの令嬢を、傭兵もまた黙して見つめる。躊躇いがちに口を開く事はまた、この傭兵にしては珍しい事である。
「お嬢様、私には決して、事の是非も正しき道もわかりかねます。ですがひとつ、貴女は貴女のお心を大切にしても許されるのではないかと、思うのです。…………お父上もまた、貴女が縛られ続ける事を、本心ではお望みではないのではないでしょうか」
 大切なものを囲い、閉じ込める事もまたひとつの守り方なのであろう。そうした中で培われる心が如何なるものかなど、ハイルヴィヒにはわかりやしない。雇い主の私情に口を挟むのはナンセンスと知っている。敢えて口にした事のなかった言葉を此度音にして伝えた理由を、ハイルヴィヒは語るまい。所詮ただの、お節介でしかないのだろうから。美しい硝子玉の瞳を瞬かせ、令嬢は漸く顔を上げる。
「……今宵は、月も出そうにありませんね」
 不意にスヴェトラーナの視線が窓の外へと向いた。溢される言葉は静かに、ぽつりと落ちていく。先程よりも暗さを増していったようにも伺える曇天模様の空を、一対の硝子玉は暗澹たる色を薄らと湛えてぼんやりと見つめていた。其の様を見つめるのは碧玉の瞳を持つ傭兵のみ。引き結ばれた唇は、暫し何も紡ぐことはなかった。
「お嬢様、宵の口には雲も晴れるやもしれません」
 傭兵は粛々と語るのみ。「そうね」と令嬢が零すのは、ややあってからの事だ。何処か、何かに対する揺らぎを孕む声と、戸惑うようでいて、けれども其の奥に一つの決意を宿した瞳を覚えているのは今はまだ、ハイルヴィヒのみである。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.98 )
日時: 2017/07/11 00:42
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 憲兵達は既に屋敷から去り、普段よりも静かになった廊下をランバートは早足で進む。彼の騎士は傷の痛みに耐えながら自室で大人しくしているのだろうと見当をつけ一階の東棟へと向かう。ノックも無しに勢いよく開け放たれた扉の向こうには物言わぬ暗闇がグワングワンと大口を開けて待ち構えているのみである。最初は寝ているのかと思わず拍子抜けた。しかし、明かりを灯して部屋の全体を見回してもガウェスの姿は無い。たまたま通りかかった傭兵にガウェスの居場所を問えばぶっきらぼうに「医務室にいる」と答えそのまま歩いて行ってしまう。やはり纏う空気がひり付いている。屋敷の中だというのに利き手が拳銃のグリップを握っていた。男の背を見送り、ランバートは再び歩き出す。彼が与えられた部屋ではなく医務室にいたのは包帯の交換をするためだろう。薄汚れた包帯が床の上で蜷局を巻くように捨て置かれ、代わりに彼の手には真新しい包帯がしっかりと握られている。ズケズケと無遠慮に入ってくる男に呆気にとられ口をポカンと開けていたが、女の色香を纏わせて帰って来たランバートに対しては決していい顔をしなかった。まるで姑の説教のように、グチグチと自身の恋愛観を語るガウェスに対し、最初は軽く受け流していたランバートも五分間言われ続ければうっとおしいと感じてきた。堪忍袋の緒がプッツンと切れて「だからお前はいつまでも経っても童貞なのだ」と厭味ったらしく薄笑いを浮かべて煽ってやれば、熟れた林檎のように顔を赤くして不義を早口で捲し立ててきた。こうもすぐにかっかしては生き辛かろうと半ば憐憫の視線を向けつつも、壊れた蓄音機のようにギーギーと喚き立てる男は耳障りである。黙れという意味を込めて包帯を奪いきつく締めつけてやればカエルが潰れた様な声を上げて大人しくなった。恨めしそうに睨みつけたところでランバートには痛くも痒くもない。むしろ、そこら辺を歩いている下女に「嫌いだ」と言われた方が、よほどこの男は傷つくのだ。先程とは違うニヤニヤと意地の悪い笑みを一つ浮かべ、次はどんなことをしてやろうかと考え始めたその時だ。ランバートの元に一人の男が慌ただしく飛び込んで来た。彼には見覚えがある。昨夜、憲兵を振りきったあと一度屋敷に戻り、ジャリルファハドを尾行し、何があったのか伝えるように頼んだ男の一人である。手酷く転んだのだろう、ズボンの膝の部分に穴が開き、そこから覗く足には血がこびりついている。他の二人はどうした、何があったのかを問うても、男は答えず埒が明かない。仕方なしランバートが「ここで言わないのならば言わせるように仕向けるぞ」と銃を突き付けて脅せば、震える声で「娼婦に連れられジャッバールの敷地に行った」と白状した。ガウェスは目を丸くひん剥き、呆れてモノも言えぬとランバート。帰ってきたことを僥倖ととるべきか災難と取るべきか。恐らくは前者だ。ジャッバールの敷地に入り五体満足で帰ってこられたのだから。それともわざと逃がしたのか。消えた二人の安否を訊いても男は首を横にふるばかり。あれほど尾行はバレないように、深追いはしない様にと念を押したはずであった。「馬鹿な奴らだ」と言葉を吐き捨てどうするべきかと頭を回転させる。ここが戦場ならば、真っ先に見捨てていたものの、今の状況でそんなことをすれば離反者が出るのは確実。それだけは何があっても避けねばならない。しかし現実は非情である。追い打ちをかけるように男は「ジャリルファハドがジャッバールの屋敷から出てきた」と空気に溶けてしまいそうなほど小さい声で伝えてきたのだ。ランバートの整えられた眉がピクリと動く。これで確信できた。ジャッバールとガリプは何らかの繋がりを持っていると。ガウェスも傷の痛みではない別の意味でその顔を歪ませる。よもや自分たち取引相手が手引きしていたなど予想もしていなかったのだろう。肩を震わせる男を横目にランバートは慰めることはせず、一旦自室に戻り淡々と手紙を書き連ねる。そして手早く書き上げた手紙を控えていた男へ。くれぐれも用心するようにと今度はしっかりと念を押し送り出す。走り去る姿を悠長に見送る時間はない。内容は捕虜の解放と和平交渉。もっとも和平交渉という名の敗北宣言に等しいものであるが、それをわざわざガウェスには言う必要はない。言ったら最後、彼は最後まで抵抗するべきだと声をあげることだろう。阿片を流していた極悪人との和解など小指も爪ほども望んではいないはずなのだから。出来ることなら完膚なきまでに叩き潰してやりたいと思っているはずだ。しかしそれでも声を上げて反対しないのはそれは出来ないと、自分ではもう何もしてやれないと悟ってしまったからだ。そして、皆の平穏を崩した罪悪感が鎖となってキュウキュウと胸を締め付けてくるのだ。故、戻って来たランバートに対し何か言いたげな表情をしていたが、口出しはせずに目を伏せて空色の瞳を揺らすのみだった。
「俺が帰って来たらすぐに出かけるぜ。準備しとけよ」
 必要最低限のみを伝え一切の質問も受け付けることはない。この様に馬鹿が付くほど生真面目な男は説得させるまで時間がかかると踏んだのだ。ランバートが椅子の背にかけてあったジャケットを取り腕を通す。女物の香水の匂いは既に消えて、代わりに消毒液の臭いがスゥと鼻を掠めた。嫌いな臭いであると、ランバートは思わず顔を顰めたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.99 )
日時: 2017/07/16 11:45
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 突然の来訪であったが、彼らは快く受け入れてくれた。いや、快く受け入れてくれたのは、当主である男のみで、彼の雇う傭兵は、ランバートが来たと知るやいなや苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。応接間まで案内した金髪の青年に至っては「礼儀がなってないんじゃないですかぁ?」と意地の悪い笑みを浮かべて非難の言葉を投げかける。おそらく、彼は知っているのだろう、ハイドナーで何があったのか、何が目的でこんな時間にここまで来たのかを。三人掛けのソファーを一人で座るのは些か物悲しく思うものの、共に座る者はいない。先程の男は彼はここまで送り届けるとそそくさと部屋を出て行ってしまったし、馭者も外で暇を持て余していることだろう。ここで秀麗な女性が登場すれば、彼のモチベーションは上がったのだろうが、彼の期待を裏切り現れたのはニコニコと人の好さそうな笑みを浮かべるユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフである。
 さて、人の良さそうな顔をした狐が何を思っているのかなど傭兵風情が知る由もあるまい。目の前の初老の男性はただただ柔和に微笑むのみで悪意の欠片も見当たらない。概ね、日向ぼっこが似あう好々爺である。こんな隙だらけの人物が当主で大丈夫なのかとと一抹の不安がを覚えつつ、湯気が立っている紅茶を啜る。時計の短針は十一と十二の間を指し、長針はカチリと音を立てて決められた盤の上を進んでいく。
「こんな真夜中に来るからねー、僕びっくりしちゃったよ」
 最初に沈黙を破ったのはユスチンである。角砂糖を一つ摘まんで紅茶の中に落とし、スプーンでクルクルとかき混ぜて一口。もろもろの所作に一切の音を立てないあたり、彼の育ちの良さが滲み出ていると言っていいだろう。
「悪いな。手紙を出す暇もなかったんだ」
「いいよいいよ。全然気にしてないから。それよりも用件はなに?」
「お気遣い痛みいるよ、ユスチン殿。……単刀直入に言わせてもらう。力を貸してほしい」
「えー、やだ」
 友達の誘いを断るように、羽毛のように軽く彼は否定の言葉を言ってのけた。ランバートが眉を顰めたのもどこ吹く風か、まったく気にしていない。ティースプーンをソーサーの上に置いて、焼き菓子を一つ手に取った。
「君達が今、大変なことになってるのは知ってるし、うちも友達の誼として助けてあげたいんだけどねぇ。うーん、そうだねぇ。僕達には直接関係ないからさ。だから別に良いかなぁって。それに僕以外にもいるでしょ?ハイドナーだもん」
「ハイドナーだもん」の部分が強調されていたのは聞き間違いではあるまい。確かに、『今までの』ハイドナーならばわざわざベケトフに出向かなくてとも別の貴族連中に助けてもらえたであろう。しかし本邸が襲撃され多数の死傷者をだし、ご隠居が殺害された現在ならばどうか。ハイドナーが他国の貴族に喧嘩を売った、パンドラの匣をあけたのだの、彼らの狭いコミュニティで様々な憶測が飛び交う事態となった。挙句には取引を行っていた貴族やブルジョワ連中からもハイドナー排斥の動きが登場しつつあるのだから、彼らの手のひら返しにはある意味で舌を巻く結果となった。
「一応聞いておくけどさ、力を貸すって何をすればいいの?」
「和平交渉の仲介役を頼みたい。というか、こっちをうまーく弁護してもらいたいんだ。このまま行ったら一族全員馘首される可能性すらある」
「何をやらかしたの?」
「知ってるくせに」
「じゃあ相手は?」
「ジャッバール」
 その名前を聞いたとき、ユスチンの顔が明らかに曇った。この時ばかりは心臓がドキリと跳ねた。彼はセノールが嫌いだったかと。人種で人を差別するような矮小な人柄だったのかと。それであった場合、今回の交渉は間違いなく失敗で終わる。そしてそれはハイドナーの破滅を意味しているのだ。緊張した面持ちで次の言葉を待つ。
「あー、やだ。なんか嫌な予感がするんだよね、あの人達。血生臭いし、彼らってさ乱暴に見えない? いやね、セノール全体を言っているんじゃないんだけどさぁ」
「まぁ、あながち間違いじゃねぇがな」
 人種的な嫌悪感ではないと知り安堵した。それならまだ蜘蛛の糸ほどの細い活路がある。
「そもそもさ、君達を助けて何かいいことがあるの?」
 こてんと首を傾げる様は幼さ気であざとくも見える。だがその双眸は氷のように冷たく輝き、温度差に身震いしてしまいそうだった。豹変したのではない、本来のユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフとはこういう男なのだ。情に流されることなく自らの利益追求が出来る。幼い口調の裏に隠された合理性と淡泊な一面が時々このように顔を出す。だから読めぬ、だから恐ろしいのだ。ハイドナーが役に立たないと悟られた時、彼は情け容赦なくハイドナーを切り捨てるだろう。足りない頭を回転させて言葉を練り上げる。そして小さな声で耳打ちをするときのように、こう切り出すのだ。
「お前さんのご先祖様が残した魔法や錬金術の技術資料、返してほしいって思わないか?」
 その時、指が動いた。ピクリと、ほんのわずかに。「しめた!!」ランバートが更に追い打ちをかける。
「俺達が取ってきてやるよ。いや、俺が行くわけじゃないよ。お使いはあいつの仕事だがね、もちろん俺が行ったっていいんだぜ。それは任せる。そんで取って来たブツをベケトフに渡す。全部俺達がやる。お前さんは兵を動かさせずただ待って入ればいい。どうだ?」
「どこにあるのか知ってるの? 僕でも分からないのに?」
「おいおいおい、嘘つくなよベケトフ殿。それならなんでお前さんはハイルヴィヒを廓に行かせたんだ?」
 何でもない顔で紅茶を飲み、ティーカップを再びソーサーの上に。だが、今度はカチンと音を立てた。
「分かってたんだ」
「ああ、今の反応で確証が持てた」
「イジワル!!」
「考えてもみろよ。土木仕切ってる連中がいきなりレゥノーラ退治に行こうなんておかしいだろ。うちの馬鹿当主は何にも思わなかったようだがな」
 ガウェスと云う男はあまり人を疑わない。気を許した相手には特にそのきらいがある。愚かしい男だとランバートを思っている。気を許した相手だからこそ、何を考えているのか見定める必要があるだろうに。
「中身見られるかもしれないじゃないか」
「俺もガウェスもヴィムートの文字は読めねぇよ」
「それに絶対出来るってわけじゃないでしょ。駄目だった時はどうするの?」
「もちろん前金ならあるぜ、当然」
 ランバートがバッグから取り出してきたのは聖書と見間違うほどの厚さと大きさを誇る一冊の本であった。モロッコ革の上品なワインレッドの下地に花の模様になるよう緻密に装飾された金箔が眩しい。妙に装飾が古めかしいソレが何なのかタイトルを読もうにも、ミミズがのたうち回ったかようなウネウネした文字が書かれているだけで読めない。アゥルトゥラでもヴィムートでもセノールの文字でもない。だが、ユスチンはその文字に見覚えがあった。ロトスが存命の頃、ハイドナー邸へ(アポなしで)遊びに行った時のことだ。ロトスのの書斎に通された彼はお手洗いで席を外している隙にほんの出来心で本棚から何冊か引っ張り出し、順番をぐちゃぐちゃにして戻した。その中にあった一冊がこれだったのだ。しつこく聞いても内容は教えてもらえなかったが、言語だけは憮然とした表情でザヴィアとだけ教えてくれた。ザヴィアとは、ハイドナー以前にクルツェスカを治めていた一族である。ある事件から平民だったハイドナーを取り立て、騎士としての地位を与えハイドナーの基礎を築きあげた。そして最後は取り立てた者達によって土地を追われることになった哀れな一族。それがザヴィアである。
「ここに来る前に本家サマの屋敷からかっぱらってきたザヴィアについての資料だ。魔具の作成方法から錬金術、レゥノーラ、カンクェノ、果てはアゥルトゥラの地形についての特徴まで事細かに説明されている。たぶんあんたが一番興味を惹かれるのは魂についての研究だと思うんだが、どうかね?このことは誰にも言ってない。ガウェス卿にもだ。俺達二人だけの秘密だ」
 ランバートから受け取るとパラパラパラと捲っていく。先程までのふざけた様子はない。麗らかな春の兆しのような優しさは形を潜め、その目に宿すのは肌を切り裂くような鋭利さのみである。一通り目を通し終わるとフゥと小さく息を吐いて仏頂面でランバートにズイッと本を押し返した。
「僕、ザヴィアの文字は読めないよ?」
「俺は読める。翻訳した文書を送ろう。所持しているって証拠を見せたかった」
「ほんとに送ってくれるの?」
「交渉で嘘つくほど馬鹿じゃねえよ。俺はな」
 ニヒルにランバートが笑う。「さてどうする?」とユスチンの返事を促し、チョコレートを口に放り込む。一方でユスチンはどうするべきかと頭を悩ませている。顎を撫でる長い指はスルリと白魚のように美しい。恐らく人を殺したことはおろか撃ったことすらないのだと、ランバートは推測する。危ない橋は渡らず、運河のインフラ整備工事のみでここまでやって来たのだ。その手腕は賞賛せざるを得ない。だからこそ、今回の話し合いには彼を同席させたいのだ。
「……分かった。今回だけは君達に協力してあげる。その代わりに一つだけ。どうして君はザヴィア文字が読めるの?」  
 ザヴィア文字の読み書きはハイドナー本家を継ぐ者にしか教えられない。ランバートにも本家筋の血は濃く流れているが、あくまでも親戚間の中ではだ。ガウェスが生きている限り、どう足掻いても本家を名乗ることも継ぐことも不可能である。
「さぁな、俺にもよく分からん。悪いがベケトフ殿、御出立の準備をお願いしたい」
「意地悪だなぁ」と拗ねた素振りをしてみるものの、ランバートは捲れそうなほど薄い笑顔を作るのみ。まだ、彼に教えるつもりはないのだ。聞き出すのを諦めて席を立つ。出ていく寸前に「ケチ!」と捨て台詞も忘れない。ユスチンが部屋から出ていくのを確認すると、表情が一気に崩れ去り、テーブルに突っ伏した。出来る限りのことはやった。後は己が力量と運に身を任せるのみ。時計の長針と短針が十二の上で交わろうとしている。そうだ、時は知らぬ間に、しかし、確実に刻まれ続けていくのだ。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20



題名 小説をトップへ上げる
名前
E-Mail
URL
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


  クッキー保存