複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2017/07/09 20:20
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメントは要りません。邪魔です。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.134 )
日時: 2018/01/17 01:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 寒いとぶつくさ文句ばかり垂れるミュラを制し、ジャリルファハドは暗闇の広がる階段を見据えていた。この下にはまだ見ぬ化物が闊歩しているのだろうか。それと遭遇したならば、如何に討ち払い、如何にして地上へと戻れば良いだろうか。死せず、生きて戻って来られるのだろうか。己が考えてきた化物の殺し方は通用するのだろうか、と答えのない思考がぐるぐると回っている。思考の海に沈み、渦に溺れてしまいそうな程だ。
「なに難しい顔してんだ? あぁ……いや、何時もだけどさ」
「……少し思う所があってな。如何にして傷を負わず、血を流さずお前等を守れるか、とな。お前を馬鹿にしていたり、見くびっている訳ではない。お前は俺の居ない間、ソーニアと共に歩み、無事に導いてきたのだ。だからこそ、戻ってきた俺は今まで成せずに居た義務を果たさねばならん。それをどうして成そうとな」
 淡々と語るジャリルファハドは暗闇を見据えるばかりでミュラを見ようとしない。しかし、呆気に取られ固まっているミュラの頭に手が伸び、それが彼女の髪を掻き乱した。かなり乱暴ではあったが撫でられていると分かった途端、動揺したような素振りを見せ、何やら言葉を詰まらせながら抗議しているミュラであった。その声もジャリルファハドの耳には入らず、代わりにカンクェノの唸り声ばかりが、彼の耳に入り込んで来る。階下から確りと聞こえている、その唸り声は人々の喧騒の成れの果て。それが響き、変質していっただけの話である。だが、それがまるで化物の出す声に感じられて仕方がなかった。
「突然なにすんだよ。……つーか、そんなのさ、別に普段通りで良いじゃん」
 漸く平静を取り戻したのか、ジャリルファハドの腕を掴みながらミュラは言う。
「お前の言う普段とは何時の話だ。二月も前の話かね。あの時と状況は違う。化物が敵なのは勿論ながら、俺の同胞も敵と成り得る。一つの敵に注視出来るならば楽な話だが、二つの敵ともなれば難しい事もある。……忘れるなよ」
 言い聞かせるような言葉にミュラは声もなく、ただただ首肯していた。ふと気付かされたのだ、状況が変わったという事に。そしてそれ既に危うかった均衡が崩れ、先が全く読めない状況だという事にだ。
「あー……もしかして結構ヤバい?」
「事が起きねば分かるまい。ただ覚悟しておけ、それだけで良い」
 腹を括っておくだけで幾分違う事だろう。何時か争いに巻き込まれ、流れる血や事切れた死体を見たとしても平静を装っていられる。何も知らず、何も覚悟が出来なければそうも行かず、自壊の道を辿る他にないのだ。全ての者にそれは通ずる。戦場に生きる者のみならず、平静、平穏に生きる者達もだ。己と他者の死を覚悟したならば、それだけで身を守ろうという意思に直結し、いざという時に惑うこともなくなる。 
「さっむ……」
「俺の鞄の中見てみろ、上着が入ってる。砂が付いているかも知れんが払えば落ちる。無いよりは良いだろう」
 早く言えと悪態を吐きながら、ミュラはジャリルファハドの鞄を漁ると彼の言う通りに外套が出てきた。引っ張り出すと散弾銃の弾がそれと共に出てしまい、石畳へとからんと軽く、高い音を立てて落ちていく。
「気を付けろ、雷管が動いたら死ぬぞ」
 大口径の単発弾、一発で人間を死へと招く十番の銃弾。それを拾い上げ、ジャリルファハドは鞄の奥底へと仕舞いこむ。そんな危ない物をそこに入れて良いのか、とミュラは思いながらも自身の銃弾の管理の粗雑さを思い出し、悪態を吐かずにこくこくと頷いていた。
 二月前と比べ、ミュラは随分と聞き分けが良くなったと再び感心しながら検問を見遣ると、矢張り小銃を担いだ者達が此方を黙って見据えていた。腰の刀、その柄には護拳があり、刀身は厭に真っ直ぐな直刀。恐らくジャッバールの者だろう。そして、彼等が担いでいるソーニアの持つ物とよく似た小銃、然したる違いこそないもののそれと同じ。アゥルトゥラの物と比べて短い銃身を持ち、軽量かつ装薬量を極限まで減らし、人狩りを目的とする弾を用いたそれだ。以前まではジャッバールの手の者達全てにそれが行き渡っていた訳ではない。だというのに今、クルツェスカですれ違う者達の殆どが装備している。まるでセノールの制式装備の様である。故に戦争、戦乱の危機は静かに迫っている様に感じられるのだ。血を流す器は既に用意され、後は血が流れ満ちるのを待っているだけなのだろう。そんな者達を掻き分け、漸くソーニアは帰ってきた。彼女の赤く、長い髪が静かに揺れ、コートの裾は軽やかに舞う。だというのに彼女の表情はとても不安げで、翳りを帯びていた。
「お待たせ。戻りましょ」
 ジャリルファハドとミュラの間を足早にすり抜け、彼女は静かに言い放つ。長居を避けたい様子であり、戻ろうと言ってから彼女は口を閉ざしたままであったが、何を問う訳でもなくその背を追うのであった。やや気後れた様子でミュラの足音が聞こえている。少し小走り気味なのは気のせいではないだろう。階段を一段、また一段と下り、一歩、また一歩と書斎から離れていく。だというのにソーニアはまるで何かから逃げるかのように、歩を緩めようとしない。ふと背後を見遣るも、ミュラ以外に何かが追って来ている訳ではない。
「……貴方の動向、しっかり確認されてるわね」
「当たり前だろう、何処にでも目と耳が必ずある。何者かが静かに歩み寄り、我々の影を踏み付けて来るものだ。……迂闊を犯し、言動が過ぎれば首を取られ、衆目に晒されよう」
 そういった汚れ仕事を行う者達をジャッバールが走らせているのは言うまでも無い。敵対勢力、危険分子、そういった者達の動向を徹底的に洗い出し、排除する為にだ。また、そういった者達をある程度、廃し余裕が出てきたならば同胞、近しき者達までにもその手は伸びて行く。今は恐らく、近しき者達にまでそれが伸び始めている時期だろう。眼前の敵を滅し終え、後顧の憂いと成り得る要素を潰し始めているのだ。
 早歩きに少し草臥れたのだろうか、ソーニアは壁に背を預けて溜息を一つ吐いた。彼女は何かを言いたげであったが、辺りを気にした様子で口を開こうとしない。ジャリルファハドの一言から、何者かに後をつけられている様な気がしてならないのだ。そんな事も露知らず、ミュラは「疲れたのか?」などと素っ頓狂な事を聞いているも答えはない。少し首を傾げながら、小さく気遣いを見せ、彼女はソーニアから小銃を受け取り、肩に担いでいる。銃口がジャリルファハドの方を向いており、彼は不快感を覚えながら銃身を押し退けた。
「不死身のクィアット、シャボーの亡霊。彼等の末裔よね、そういう事をするの」
 どこかで見知ったのだろうか、その渾名が出てきた事にジャリルファハドは少しばかり驚きながら、小さく頷いた。西伐に於けるセノールの英雄、最後まで抗戦し、兵も民も関係なく殺め続けたアゥルトゥラ最大の敵である、それが彼等なのだ。多くのアゥルトゥラは未だに架空の存在だとする兵である。どこかでソーニアは見知ったのだろうか。疑問を抱きつつも、問う事はしない。
「……シャーヒン、死人みたいな人」
 ソーニアのぽつりと呟いた名、死人のような人というのも間違いではないだろう。暗闇ばかりを歩み、日陰を好む。例え目の前が血の川であったとしても、首まで浸かるのを厭わず、川底に沈む肉の塊を無感情に踏みしめて行ける男だ。血腥いセノールの中で、一等血腥い存在であろう。
「死人には口はなく、その身は一切動かないはずなのだがな。棺桶で眠っていて欲しい限りだ。……さて、一端上に戻ろう。腹を空かせた奴が一人居る」
 そうやって軽口を叩きながらミュラの背を押すと、彼女は何故バレたというような顔を浮かべていた。時計を持っていない故、今の時間がはっきりと分からなかったが、出しに使われたミュラのお陰で僅かながら緊張は解れたのか、ソーニアは静かに笑っていた。
 階上を目指すべく、ミュラとソーニアは昇降機へと向かっていく。五歩ばかり遅れながらも、その背を追って行く。化物が敵であるのは変わらない。見えない分水嶺を踏み越えたならば、同胞すら敵とも成り得る。それが事の発端となる可能性すらあるのだ。随分と難儀な限りだ、と内心苦笑いを浮かべ、暗闇ばかり広がる石造りの伽藍堂へ振り向き一瞥するのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.135 )
日時: 2018/01/23 03:16
名前: ポテト侍@スマホ ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 硝煙の臭いと血の臭い。かつて常に自分と隣り合っていた死の馨りは不快感と共にどこか懐かしさをガウェスに感じさせた。剣を振るい廓に住まう幽鬼を屠っていたのが遠い昔のように思え、現在では、狙いを定め引き金を引けばそれでお終いだ。危険を冒して近付くことも無理に攻撃を防ぐ必要もない。文明の発達とはこうも突然なのかと苦々しく思う反面、過去の自分に無性に腹が立ってくる。もう少し早くこちらも変わっていれば散る命も少なかっただろうに……。
 だが、どんなに早く文明開化したところで威力不足という超えられぬ事実にぶつかっていただろう。現にガウェスは痛いほど実感している。深くに潜れば潜るほどレゥノーラと邂逅する回数と、なによりも彼らが頑強になっているような気がしてならない。気のせいならそれでいい。だがそうじゃなかった時が恐ろしい。地獄を見ることになるのは自分達なのだ。出来るならばジャッバールが所持しているような高火力な銃がほしいところであるが、曰く彼らは自らの武器を他所に売らない。もしも彼らの許可無く、彼らの武器を所持していたら、立ち所に居場所を知られ、尋問にかけられよう。僅かな金品でどれほどの武器が買えるか。難しい顔をしている男の背後を雇い主である学者が踵を爪先で蹴っ飛ばした。振り向くと仏頂面をした男が話しかけてきた。
「おい、遅いぞ」
「……すいません。気が抜けていました」
 廓には馴染みがあるという理由でガウェスが先頭に立って皆を案内している。次に学者を置き、その背後を二人の雇われ傭兵が周りに常に気を遣っているのに対し、守られるべき主人は右へ左へと視線を泳がせ、ガウェスに説明を求む。感心すると財布に手をかけるがその度に手で制し、奥へ行くように促す。どうも彼はマイペースで扱いに困る。学者とはそういう者かと考えたが、ソーニアはどうなのかと先ほどよりも速い足取りで思案する。様子を窺ったがここまで箱入りではなかっただろうし、廓を恐れているようには思えなかった。ただそれが空元気かどうか判断するには時間が足りなかった部分はあるが。学者とは中々に好奇心とは強いものであると心得てはいるが、それは恐怖を押し拉ぐほど強い感情なのだろうか。と、両肩に突然走った衝撃に思わず体を震わせた。振り向くと悪戯が成功した子どものような顔をした主がいる。彼がガウェスの肩を叩いたのだ。先ほどまでは眉をひそめていたのに今は笑顔を浮かべている。どうにも捉えられない。世話しなく変わる表情は万華鏡を連想させた。
「考え事か?」
 男が問うた。よほどガウェスが反応がお気に召したのだろう、ニヤニヤと笑っている。
「えぇ、まぁ」
「しっかりしてくれよ。あんな風になるのは俺も御免だからな」
 あんな風とは先程、通路を抜けた先にあった広い部屋で見つけた首の無い死体のことを言っているのだろう。爪など鋭利な刃物で斬られたわけではなく、何か強い力によって無理矢理千切られたようで、凸凹な切断面からは白い骨がヌラヌラと光っていた。もがれた首は何処へ行ったのか、周囲を探しても見つからず、胴だけが残され、誰にも埋葬されぬまま腐り朽ちていくと考えるとガウェスにやるせない気持ちがカマ首を垂れてくるのだ。壁にもたれ掛かるように息絶え、冷たい身体からトクトクと血を垂れ流す様は、岩の間から流れるような石清水を連想させたが彼が作ったのは澄んだ小川ではなく、赤黒い運河である。
「分かっています」と口に出せば男は鼻で笑い、更に先に行くように促した。傭兵の口約束ほど信頼できる物はない。彼らは自らの命が危うくなれば約束を反故にする。その性質をよく理解しているのだろう。 
 細い通路を抜けた先にあったのは見慣れぬ部屋だった。最初は似たような造りをした部屋かと辟易し、背後から溜息が聞こえた。ここにも首の無い死体があり、鉄臭さを充満させていた。傍らには彼の遺品だろうか黒い手帳が握られていた。表紙は血と埃で汚れているが中は無事らしい。
 手帳の中身を知ろうと彼の肌に触れたときだ。これは未だに仄かに熱を灯していた。死後一日も経っていない。彼は恐らく今日殺された。しかも今に近い時に。全身の毛穴が開き、体毛が逆立つのを感じる。悪寒が背中を駆け抜け、とった手帳は鞄へ。そして足早に学者の元へ。「ここは早急に離れた方が良い」と提案しようとした時だった。通路の奥で影か蠢いた。全員に緊張が走り、主を後ろに庇い目の前の暗闇を凝視する。痛いほどの静寂のあと、突如として現れた廓の住人の姿は他のレゥノーラを凌駕する。皆、声を出すことはおろか、呼吸を行うことすら忘れてしまったかのように押し黙る。鼻も耳も削がれ平らになった顔には、眉月のように歪められた口がくっついているだけで、本来目玉があったであろう場所には肉腫のように腫れた瞼に覆われており、目視することが出来ない。餓鬼のように痩せた胸部は肋骨が浮き出るほどに痩せているのに腹部はぷっくりと膨れあがっている。そこに垂れた乳房のような器官が無数にくっつき、ソレが動く度にプルプルと前後に踊るのだ。腕が異常に長く細い。雪化粧に染まった枯れ枝が鹿の脚のように伸びている。手先が真っ赤に染まっているのは犠牲者の血痕か。彼女はゆったりとした動きでフロア内に入ると辺りを見ることもなく、前へと進んでいった。足と同時に手を伸ばし辺りの様子を探ることから視界は殆ど無いに等しいのだろう。
 今なら背後をとれるとここにいる全員が考えたはずだ。しかし、勝てるのか、この新種に。もしもザヴィアを助けた豪傑、ラノトール・カランツェンのような人物がこの場にいたならば、ガウェスは目の前の驚異を取り除こうと奮闘したであう。しかし、今の仲間達は死を恐れている。恐怖は尾を引くもの。それがトラウマとなる前にここから脱出し、次の戦闘までに装備を調えねばなるまい。
 元来た道へ戻れと意味を込めて親指で背後の道を指す。主人は一旦おおきく目を見開いたあと、小さく頷くと震える足で後退を始めた。なるべく音を立てぬように化女に勘付かれぬように摺り足で後退を開始する。だが、だが!! 一人の男が意図しない音、例えば小石を足先でちょいと蹴り上げてしまったとき、化生の動きがピタリと止まり、こちらへとその顔を向けてきた。人間とは到底思えない容貌は見た者に嫌悪感を植えつけ恐怖させる。よく見ると歯が数本欠けており暗闇が顔を覗かせている。六尺半はあろうかという体躯もそれを助長しているのだろう。
「貸してください!」
震える男が持っている銃を奪い、頭部に狙いを定めて一発。火花を散らし放たれた銃弾は真白の化生への頭部へと吸い込まれていった。僅かに仰け反った頭。自らの腕には久々の反動。急いたせいで撃ち方が悪かったらしい。肩がズキズキと痛んだが、構っている暇はない。再び弾を装填して頭部へ更に一発。しかし、効いた様子は無い。首を傾げ何かあったのかと言わんばかりの様子だ。レゥノーラは頭部を吹き飛ばし破壊する以外にも体から賢者の石を垂れ流させ、出血死の容量で彼らの活動を止めることも可能だ。しかし、腹部は乳房のような器官に阻まれ、銃弾が身体まで届かず、薄い胸部に銃弾を放ち穿っても流れる賢者の石は微々たるもの。やはり火力が足りぬ。彼の中に焦りが生まれ、弾を零してしまう。銃を地面に転がし、廓に入る前に渡された銃に再び弾を込めると一発。自ら持ってきたリボルバーで二発、銃弾を頭部に叩き込む。その内の一発が眼部を貫いた。途端、その化生は左目を両手で押さえ、ギイギイと声をあげて痛がる素振りを見せた。奇跡は二度も起きまい。へたり込む仲間を叱咤し立たせると手を引くような形で戦線を離脱する。
 生を実感できたのはそれからすぐ、五十階の前線基地に戻ってきてからだ。死に直面してようやく生きていることを実感するなどなんたる皮肉か。しばらくは心臓が高鳴り喘息の発作のように息を切らしていたが幾分かすれば気持ちが落ち着いてきた。緊張の糸が切れると疲労感が押し寄せ、その場に胡坐をかいた。他の者も同様で座り込んだり、大の字で寝転がったり、お喋りな者は別の仲間に今の出来事を早速味方に話している。すぐに新種のレゥノーラの噂は広まるだろう。唯一学者の男だけは頭を切り換え、今まで起きたことをメモしていた。大した精神力だと思わずガウェスは感心する。
 ガウェスの手には先ほどの黒革の手帳を手にしており、血と埃で汚れた表紙裏には持ち主である男性の名前が刻まれていた。好奇心に押されるような形で一頁目を開いたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.136 )
日時: 2018/02/12 12:15
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 仄暗く冷たい廓の闇の中、一点の赤い点が宙に浮かび、それは煙を漂わせている。僅かの甘さを纏ったそれは廓の奥へ、奥へと流れていく。その赤の僅か手前、それよりも明度を欠いた赤が揺らめいている。その赤は人の髪で、その主はというと少しだけ足早に歩み、一刻も早く地上を目指しているようだった。それは何故かといえば、僅か上層から響いた銃声に危機感を抱いたからだ。人がレゥノーラに向けて撃ったのか、それとも人が人に撃ったのか。状況は分からないが、前者、後者問わずして急ぎ、今のような孤立しているとも判断出来る状況を避けなければならない。
「そう急ぐな。骨の鷹など来やしない」
 煙草を投げ捨て、それを踏み付けながらジャリルファハドはそう言い放つ。軽口、冗談の類で放った言葉なのだろうが、相変わらず彼の表情は薄く、それが鬼気迫り、鬼胎を抱かせようとしているようにしか見えず、内心ソーニアは毒づきながら、その歩みを僅かに緩めた。
「骨の鷹、上手い事言うじゃない」
「……骨の鷹も、腐った蜥蜴も、何なら癲狂院の主も来やしない」
 一度の銃声で彼等が動くはずもない、そもそも廓の中に居るとも考えられない。彼の言葉通り、今現在、廓に居るのは"癲狂院の主"と称されたハヤだけである。ソーニアが恐怖、不安を覚えたのは廓に住まうレゥノーラ達に対してであったが、ジャリルファハドがそういった類の感情を覚えたのは人に対してだったのだろう。同じ方向を向いているという彼の思い込みであったが、ジャッバールの配下、手勢とて危険な事には変わりない。周囲のアゥルトゥラやカルウェノと比べ、幾らかマシというだけの話であるのだ。回りは敵ばかりだと、少しだけソーニアの表情には翳りが浮かぶ。
「人ならば容易く殺せるのだがな、あの化物となればそうも行くまい。……早く上がろう」
 ソーニアの微妙な表情の変化を汲み取ったのか、刀の柄に手を掛けたままソーニアと先頭を代わり、ジャリルファハドは歩み始めた。その速さは先ほどのソーニアよりも幾分速い。足音ばかりが廓に木霊し、暗闇を置き去りにしていく。三人の代わりに残るのは主に捨て置かれた音だけなのだ。

 暗闇を歩むのは、どうにも度胸の要る事である。言うなれば黒い砂漠を丸腰で歩み、得物を携えた何処の馬の骨とも知れぬ輩と寝食を共にするよりも恐ろしく、それよりも余程腹を据えなければならない程だ。石壁を指先でなぞり、その湿っぽさを感じながらソーニアは歩んでいく。あと三階、上に上がって行けば昇降機が見えてくる事だろう。そうしたら温かな陽の光を浴びられ、暗く鬱屈とした廓から出て行ける。眼前のジャリルファハドは相変わらず、刀の柄に手を掛けたまま。背後のミュラはジャリルファハドから借りた外套をしっかりと着込み、時折振り向いてくるソーニアに笑みを浴びせかけるだけだった。随分と暢気だ、と思いこそしたもののそれもその筈である。レゥノーラの気配も無ければ、第三者が何か危害を加えてくるという事も今の所は危惧せずとも良いからだ。
「次は右に曲がって」
「あぁ」
 ソーニアに肩を叩かれ、そう促されるままにジャリルファハドは暗闇を右へと曲がっていく。矢張りまだ腰の刀は抜かれておらず、目の前にレゥノーラの姿は無いようだ。曲がり角を越える度、心臓が早鐘を打つのは仕方ない事なのだろうが、案外小心者な自分に対して少しだけ自嘲を覚えざる得なかった。
「……何か音がしないか?」
 背後でミュラが問う。先頭を歩む、ジャリルファハドの歩みは止まり少しだけ刀の刃が顔を覗かせた。暗闇の中だというのに鈍く僅かに光り、その存在を主張する。ソーニアはミュラへと近付き、彼女に背を預けるようにしながら小銃を下ろす。
「何か鳴いてる、犬みたいだ」
 "犬"という言葉にソーニアの眉根が僅かに動いた。以前、討たれたはずのケェーレフという大型レゥノーラ。それは四足で廓を駆けずり回り、野太い犬のような鳴き声を発する。ジャッバールの者達が最初に発見し、それを討ったはずなのだが、今になってそんなものが生きているとなると廓に立ち入る事すら憚られてくる。ソーニアは小銃の銃床をぐっと握り締めた。不安を押し殺すように、恐怖を打ち消すようにと。ふと、ジャリルファハドの刀が抜き放たれ、刀身が全て露となった。崩れ落ちた廓の石壁、その僅かな隙間に身を預けると、それに呼応するようにミュラも銃を抜いた。足元を見ると石畳が抜け落ち、階下が見える。暗闇ではあるが風が通っている事から問題ないだろう。
「……上に居るな、これは」
 上という言葉を聞いた途端、まだ暫く此処から立ち去れそうにないとソーニアは一瞬だけ諦めたように溜息を吐いた。その時であった。天井から一本の触手が降りてきたのだ。真っ白な皮膚、その先端には僅か棘のような物が生えており、それが辺りを探るかのように蠢いている。
「ジャ――!!」
 声を張り上げ、それの存在を知らせた瞬間であった。それはジャリルファハドの背へと向かっていく。それを躱すべく、身を翻すも僅かに彼の右肩を切り裂き、傷を負わせていた。それでも浅かったのだろう、振り向きざまに振られた刀は白い皮膚を裂き、赤い液体を撒き散らしながら、のたうつように暴れている。そして、それは石壁の間に身を預けているソーニアへと向かってくるのだった。防ぐ術など無く、頭を守ろうと両腕で顔を隠すも触手が彼女の身体へと打ち付けられる。一瞬、呼吸が止まり、短く悲鳴を上げるも、既にその身は壁へと叩き付けられ、全身を襲う鈍痛に苛まれていた。ふらり、とバランスを失った足元は居場所を失い、階下へと至る暗闇を踏みつける。経験した事のない、妙な浮遊感が身を襲い、視界は暗転していく。伸ばされた手を誰かが掴む事もなく、空を切り闇へと飲まれて行くのだった。

 斬り付けられた触手がソーニアを襲った。その事実は一息すら吐く間もない刹那に起きた。彼女の身を案ずるよりも早く、二の太刀を浴びせ、その肉の塊の先端部だけを斬り落とすも、それは姿を消してしまった。天井の石に空いた僅かな穴の向こう、巨大な赤い瞳がジャリルファハド達を見下ろしていた。それは厭に無感情で、大凡生物らしさなど持ち得て居ない。恐ろしげなそれは幼い頃、己の腹を抉った怪物のそれによく似通っていた。
「……ソーニアは無事か」
 刀を収めないままにミュラへと問うも、彼女は呆然と立ち尽くしているばかりで首を一向に振ろうとしない。突然、レゥノーラに襲われた事から放心状態であるように見えた。そして、ソーニア自身からの応答もない。厭な予感が脳裏を過ぎり、ミュラを引っ張りながらソーニアが身を預けていた石壁の穴を見遣った。そこに彼女の姿はなく、崩れ落ちた石壁の隙間、その足元には暗闇が広がっていた。落ちたと考えるべきだろう、何処まで落ちたのか、何処かを強く打ったりしていないだろうか。それ次第によっては彼女の死すら在りうる話である。
「ソーニア! 無事か!」
 声を荒げ、暗闇へ吼える。それでいても返答はなく、彼女の呻き一つすらない。矢張り脳裏を過ぎる死という最悪な結末。此処を降ったならば容易く、その身を探す事も可能だろう。だが、その先で戻れず己の死という結果が待っていたならば。レゥノーラと遭遇したならば如何するというのだ。
「……ミュラ、お前は下に行ってハヤに手を貸すよう伝えてくれ。眼鏡を掛けた爪紅を差した女だ。これを持っていけばお前が誰の使いかは分かる。俺は上から助けを呼んでくる。……お前を上に行かせて死なれてしまっては寝覚めが悪いからな、行ってくれ」
 そうやってジャリルファハドは一方的にミュラへと自身の刀を押し付けた。厭に軽いというのに、胸にのし掛かる重みのような物はなんだろうか。戸惑いながら刀の柄に手を掛けた途端に妙な身震いを覚え、これが大勢の血を吸って来た重みだという事がよく分かった。
「分かった、分かったけどさ! 刀無かったらどうするんだよ」
「問題はない、まだ得物はある」
 そうして彼が右腿から引き抜いたのは、一振りの鎧通し。刀身は刀と同様に暗闇でも鈍く輝いているように見えて仕方がなく、それに見惚れていると「さっさと行け」と背を押され、ミュラは階下へと走り出すのだった。暗闇を見据えながら、先ほどのレゥノーラがまだ居るであろう階上へと至る階段を睨む。まだあの化物は待ち構えているだろうか、それとも逃げ帰っただろうか。全ては運任せであったが、ソーニアを救わねばならないと言い聞かせ、ジャリルファハドは駆け出すのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.137 )
日時: 2018/02/04 05:04
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 50階層へと足を踏み入れた其の刹那、頬にまとわりつく様な、何処かぬるりとすらした様な空気に少女は思わず足を止めた。何を口にするでもない、言葉を発する事はなくとも少女は確かに不快感を抱え、其の水宝玉の双眸に戸惑いの色を浮かべた。護衛の名を呼ぶ事はなかったが其の服の袖口を慌てて掴んで躊躇いがちにあの、と声を零す。傭兵もまた、此の場の些か妙な空気は察していた。袖口を握るその手を取って、自らの背の後ろへ、隠す様にと誘導する。周囲の喧騒へ耳を傾けていればぽつりぽつり、聞こえてくる言葉は絞られる。新種がどうの、逃げおおせた。或いは運が良かった、女がどうだ、何だ。二人が状況を察するには十分過ぎる言葉達は、50階層に満ち満ちている。背の後ろで水宝玉が見開かれ、少女が息を呑んでいる事は、ハイルヴィヒが確認するまでもなく確かな事だった。基地では護衛役かなにかを求めて来た人間か問わず、座り込む者もいた。身体を横たえる者もいれば、痛みに呻く者とていた。人々の喧騒もさして変わらず、此処も其れに相違ない。其の癖、何処か嫌な此の空気の正体は、彼らが口にする“新種”のせいなのだろう。
「……進むなら……お話を、伺うべきかしら」
 立ち止まれば、過去に呑まれてしまう気がしていた。かと言って何も知らずに歩む事ほど恐ろしい事はあるまい。撤退もまた選択だ。けれど、という思いは淡く、たしかに存在している。此処より先を歩む為れば、其のために必要な物を揃える必要も出てくるだろう。今日此の日は戻るにしても、今優先スべきは情報収集、喧騒へ耳を傾けながらきょろり、周囲を見回し一歩、また一歩と二人は歩む。薄暗がりより何かが現れそうな、そんな錯覚にやや恐怖心を抱くスヴェトラーナではあったがそれでも、歩みを止めやしなかった。
「――エリスのお嬢ちゃんか?」
 不意に懐かしい名を呼ばれ、スヴェトラーナは視線を声の主へと向け、まぁ、と思わず声がまろび出た。前に立つハイルヴィヒがスヴェトラーナを隠すように、其の名を呼ぶ男との間に割って入れば男の笑声が響く「そんな怖い顔しなさんな」と実に軽やかな言葉を添えて。その人の顔ばせを忘れるわけもない。在りし日には実に世話になった相手だ。嘗て此の廓へ足を踏み入れた折、一晩といえど面倒を見てもらった相手を、スヴェトラーナが忘れるわけもない。仮初の名を添えたあの日の、柔い思い出。或いは、此処でそうではないと否定しようと思えば出来る。どなたのことですか、ととぼけてしまおうと思えば出来なくもない。そのままハイルヴィヒの後ろに隠れて怖いわ、と小さな声で囁やけばハイルヴィヒが全て何とかしてくれるだろう。向こうも別段、悪意があるわけではないならば、申し訳なくはあるが有効な手段とも思える。けれど、けれども、其れが出来ないのがスヴェトラーナという少女であった。焦がれる様な心地で外を知ったあの日に、ふと思いを馳せれば、尚更。誰のことだ、と言いかけるハイルヴィヒを制し、其の背後から一歩、歩み出れば笑顔のまま膝を折る。何時かの日に見せた様に、至極自然な動作に、一切の無駄は無い。
「ええ、お久しぶりですわお兄様……まさか、此処でお会いするなんて、思いもしませんでした」
「ああ、全くだ。今日は……ああ、あん時の兄ちゃんと一緒じゃないんだな」
 きょろり、と周囲を見回す男が言うのはヨハンの事であろう。睨みを効かせ続けるハイルヴィヒと視線がかち合ったならば男は肩を竦めるばかりだ。スヴェトラーナが振り向けば長い金糸はふわりと揺れる。視線だけでハイルヴィヒを制すれば、控える傭兵は其の青い瞳の熱を僅かに取り戻す。宛ら氷狼の如き瞳であったと後に男は語る。
「あのね、お兄様“エリス・カエルム・アルブステッラ”今宵――ただ一人の娘として、参上いたしましたの」
 一歩、もう一歩と少女は男へ歩み寄り、其の距離を縮めた後に踵をあげて、顔を近づけた。水宝玉はゆるりと細められ花唇は秘めやかに言葉を紡ぐ。或いは、何時かに見た夢をなぞる様に。溢れる吐息は甘やかに馴染み、染み渡る。
「だからどうか……ね、秘密になすって、本当の私の事」
 本当も何もあったものか、偽りを述べる事に心が痛まないでもない。それでも今は、これが最善。名を偽れど身分まではどうにも気が回らなかった事へのツケだが自業自得といえよう。で、あるとして、少女は往々にして“お願い事”が無意識に、無自覚に得意であるらしい。知らず知らずにこうすれば、という道筋を知ってしまった或いは、これが“普通”であるだけなのやもしれぬが。白い指が、男の唇に触れるか触れないか、既のところで止められる。「お願いよ、お兄様」と紡ぐ懇願はただ甘美な響きすら孕み、宛ら毒ですらある様に。揺らぐ明かりに照らされるその頬は上気している様にすら見えるか。早鐘を打つ鼓動、伸ばされる手。全てを蕩かす蜜の様な少女は其の全てを甘受する――但し、控えていた傭兵がそうであるかと問われれば否であろう。関係性の再構築は済めども、其の根幹が揺らぐ事は或りやしない。半歩踏み出した足を制して、咳払いを一つ。叶うなら2人の間に割って入ってやりたかった。は、とした男が少女と半歩距離を取る。変わらず少女はにこやかな侭、彼を見ていた。
「ああ……ああ、なんだ、その……言わないさ、言わない。お嬢ちゃんにも色々あるだろうしな」
「お兄様、有難う御座います。ご協力感謝致しますわ」
 瞳に宿すは甘やかな色。男の手を握りしめ、僅かに体温を通わせる。その手を振りほどく事は容易いが、其れが出来ずにいる理由を、男ですら分からぬままに、背後の傭兵の視線に微妙な気まずさを憶えるばかりであった。するり、と少女の手が男の手から離れるのは程なくしてだ。穏やかな笑みはいつの間にか年相応か、それより幼気なものへと変化していた。ぱちり、と男の双眸は瞬く。なぁに、と問うように少女の唇が動いた様に伺えど、言葉が聞こえることはなかった。気のせいか、と男は再び瞬く。吐き出した息は男の中にある何かを、逃がす様に。
「あの……私達、此の下に行きたいのですけれど……此の階層の皆々様のお話をお伺いするに何か……あったのですか、此の下階で」
 少女は問うた。薄々、周囲の言葉をつなぎ合わせて察する事は出来れど、確信が欲しいという心もある。控えていた傭兵もまた「叶う限り説明していただければ助かる」とやや低い声でこぼす様に告げた。別段、隠すような事でもないだろう、と男は口を開きかけるが言葉を選ぶのは少女を前にしている故だろう。少なくとも男は、少女が“世間知らずのご令嬢”だという事を知っている。まごつく様な様子に、スヴェトラーナもハイルヴィヒも気付かぬわけではない。理由を察する事ができるのはハイルヴィヒ位のものではあったが、良いから続けろ、と口に出来ないのは彼女もまた、少女を傍に置く者である故である。
「面倒なのが居た、ってだけさ。お嬢ちゃんが詳しく知る必要は――」
 紡がれる最中、再び少女の手が男の手を包み込む。
「お兄様……あの……そのね、ええっと……ご配慮いただけるのは、嬉しいの。でも……大丈夫」
 其の目を、其の目を止めてくれ、等と男が口にできるわけもなくただ水宝玉に視線を固定されたままだった。何時かに見た硝子玉の瞳に生気が宿ったかの様な其の色は、ともすれば恐ろしい何かを宿す様ですらあった。飲み込まれる様な薄氷色に、息を呑むのは一瞬。ぐしゃり、と頭をかく男の姿が何時かの彼に重なった。
「…………周りの連中の話聞こえてたってなら、まあ新種のレゥノーラが出たって事はわかってるか。なんつーかなぁ……化け女みてぇな、いやぁな奴でな」
 男の説明を聞くスヴェトラーナの表情が曇っていく。そんなものが、と思わず零せば男はああ、と短く返した。仔細を説明する男の顔が何処か苦々しい表情を浮かべれば、比例して少女の眉尻も下がるばかり。ハイルヴィヒもまたピクリ、と片眉を動かす程度ではあったが確かな反応を見せる。少女を引き寄せて一度後の相談をすべきか、と思えど、それより早く、悩ましげにしていた少女が口を開いた。
「ね、お兄様、大変不躾なお願いとは承知です、突飛であるとも……でもね、私達2人だけでこの先に進むのは少し……怖いの。だから、その……お兄様方にご一緒させては、頂けませんか? 今すぐに、とは申しません。後日また下へ行かれるならばその時でもいいのです。……私は、あのあまりお役に立てないかもしれません、でもそちらの……ハイルヴィヒは、ええ、とっても腕の立つ方だから……お役に立てると確信いたします」
 不安に刹那、潤んだ瞳は伏せられるも、瞬きの後に持ち上げられ、少女は戸惑いがちに言葉を紡ぐ。其の瞳に月明かりを宿し、悩ましげに眉根は寄せられた。「必要ならば報酬もご用意いたします」との声は囁く様に、ほんの小さな秘め事の様に添えられるが、其の言葉が男の耳に届いていたか、否、届いては居たのだろうがその脳髄へ染み渡ったかと問われれば不明瞭にも過ぎる。何せ其の脳髄は既に、甘美な月の香に浸されている故に。
「そうさなぁ……今の雇い主の学者先生に聞いてみねぇ事には、なんとも」
「……許諾を貰える可能性は?」
 どうにか、といった体での男の返答にすかさず言葉を投げたハイルヴィヒは表情一つ変えることはなく、ただじ、と男を、睨め付けるかの様に見やるばかりであった。
「さぁなあ……正直あの先生の気分次第ってとこか……いや、でもなぁ……腕が立つ奴はまあそれなりに居るがその中でも結構使える奴が一人いるしなぁ……」
「…………少なくとも、銃の扱いならばそこらの寄せ集め共よりも自信がある。……まあ、口ではなんとでも言えるだろうがな。……駄目だったなら駄目だったで、構わないが……叶うなら目通りを願いたい」
 暗に、彼に交渉役になってくれとばかりの言葉をハイルヴィヒは投げかける。弱った、と言いたげに頭をかく男に向けて、スヴェトラーナも控えめに「お願いできませんか?」等と言葉を向けた。これはいよいよ、困ったと男は溜息を吐く。下方の瞳、鎮座する一対の水宝玉を見ているとどうにも断りづらい感情が芽生える。ややあってからわかったよ、と困り顔で2人へ告げればこのあたりで待っているようにと添えて雇い主であるという学者――恐らく向こうで何やら記している人物であろう。その人の方へと歩んでいった。其の背を見送った後、ハイルヴィヒはスヴェトラーナの肩へと手を添える。
「もし断られたら、また別の誰か……行動を共にできそうな誰かを探しましょう。少なくとも情報共有くらいは、許してくれるはずですから」
 彼らが見たというレゥノーラの仔細、並びにいくつかの情報はせめても耳に入れたい。対策が建てられるかと問われれば微妙なところであるとしても、何も知らずに歩む気には到底なれやしなかった。「そうね」と囁く少女は柔い笑みを、浮かべて。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.138 )
日時: 2018/02/12 21:07
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 彪のように軽やかに、ミュラはジャッバールがいる七十六階を目指す。階段を滑るように降り、先の見えない暗闇を駆けるその様子は闇を切り裂く韋駄天の如く。昇降機を待つ時間さえ惜しく、階段を使って下へと降りていく。流れゆく人達をするりと躱しながら彪の名を冠する者が示した彼女の元へと走る。だが、彼等の根城が近づくにつれて鼓動が高鳴り手汗が滲む。嗚呼、何をそんなに恐れているのか。廓で最も安全な場所であると言っても過言ではないのに、ミュラには虎穴に思えてならないのだ。少しでも変な行動を起こせば喉笛を噛み切られるような、そんな張り詰めた空気が全体を包み余所者を拒んでいる。現に、検問所のところまで向かったミュラに向けられた凍てつくような視線は彼女を萎縮させるのに十分すぎる威力をもっていた。セノールが何だったかと否が応でも想起させ忘れかけていた感情が呼び起こされる。冷や汗がドッと噴き出て初めてジャリルファハドと対峙した瞬間、ミュラは己の死を覚悟した時のことが克明に描き出される。思わず顔が引き攣り半歩後退った少女に、何用だと前より二人減って三人の男が改めて彼女に視線を送る。
「ハヤ……。ハヤって人に話がある」
 覚悟を決めて一番身長の小さい男に話し掛ける。それでも警戒心を一向に解くことはしない。むしろハヤの名前をだしたことで一層目つきが険しくなったようにすら思える。だが、手に持っていた刀を押し付けるように見せつければ感情の見えなかった黒い瞳に光が宿る。そして「ファハドの使いか」と問われたのでこくりと頷く。何があったと聞かれなかった。興味がないのか、詮索しないように教え込まれているのか。男は「ハヤはここから真っ直ぐ行った、奥の竈のところにいる」とだけ伝えるとミュラから目線を外し、再び廓の薄暗がりを見据え始めた。既にミュラのことは歯牙にもかけてない様子で、これからやってくる足音の方に目を向けていた。一方的に会話を終わらせられ、呆気にとられたが、かみつくほど暇ではない。お礼をそこそこに中へと入る。ジャッバールとあって殆どがセノールとレヴェリである。没個性となるアゥルトゥラやカルウェノの白い肌がここでは目立っている。また、セノール肌の色は似ていてもやはり人種が違いを思い知らされることとなる。意味を理解できない言語が耳を犯し、錐のように鋭い視線が肌を刺す。この寒さはコートでは防ぎようがない。
 ふと、ジャリルファハドに初めてセノールのことを問うたときのことを思い出した。自分が分からず、ならいっそのこと、セノールとして振る舞ってしまおうか思うこともあった。だがどんなに容姿を真似ようと彼らのように凍てつくような視線は──内心までも変えることは出来ない。然らば自分は何なのか。否、分からないからこそ何者にも為れると彼は言った。止まった足を急かすように後ろを歩いていた者が踵を蹴った。顔だけでも確認しようかと振り返ろうした寸前「すまない」と謝罪の言葉で彼の真意のほどを知った。セノールの古語を使わなかったから、彼もミュラが“はらから”ではないことが分かっているのだ。虎の巣穴に迷い込んだ子猫は「大丈夫」と言う代わりに手を軽く振り、意を示すと今度は誰にも踏まれぬように早足でその場を立ち去る。脇目も振らず真っ直ぐ進んでいくと確かに火が燃えている竈があった。そこで一人の女が近くで椅子に座って何かを読み耽っている。だが、ミュラにとってはこの竈周りの方が少々寒く感じられた。
 彼女の気配を察し話し掛ける前に顔を上げたのは流石はセノールといったところか。しかし珍客だったのは確かなようで大袈裟に目を丸くした。
「あんたは……ファハドの手下?」
「手下じゃねぇよ」 
 平然と返したが、彼の手下のように見えていることに内心がっかりした。
「ふーん。それで、何かあったの?」
「えっと、普通のレゥノーラじゃない変なのが襲ってきた。私達は平気だったけど。それにソーニアが襲われて。すげー音が、こう、聞こえて。多分落ちたんだと思う。私とジャリルファハドは無事で、でもソーニアからは返事無くって。私達だけじゃ危ないから」
「分かった分かった。つまり、手を貸して欲しいってそう言うことでしょ」
 コクコクと二、三度頷いた。早くこの場所を離れたい。ハヤは「やっぱりね」と一言を洩らし、背もたれに身体を預けて大きく手脚を伸ばした。
「そのレゥノーラの特徴、分かる?」
「姿は見てないから完全には分からない。でも襲われる寸前に犬の鳴き声みたいな声が聞こえた。あと、へんなウネウネした触手みたいのが出て来たよ」
「なるほどね。ま、ランツェールってところかなぁ」
 ハヤには心当たりがあるらしかった。しかし、その呟きはミュラではなく、ぽつねんと落とされた独り言らしかった。女性にしてはゴツゴツとした節くれ立つ指が顎を撫でている。ジャリルファハドとは別の意味で彼女が何を考えているのか分からなかった。だが、少なくともジャリルファハドよりはとっつきやすいように思えた。一頻り考える素振りをみせたあと、瞳がミュラの握っている彎曲している刀に向けられる。
「あんたが独断で来たってわけじゃなさそうね」
「ジャリルファハドにコレ持って行けって。そうすれば誰の使いか分かるって言われたんだよ」
「ファハド自身が来ないってことは相当切羽詰まってたんだ。と言うか、よく迷わないでこられたね」
 眉を潜めたミュラに構うことなく、せせら笑いながら続ける。
「ってそこまで馬鹿じゃないか」
「あ、当たり前だろ!」
 思わず声を荒げるとハヤはアハハッと声を出して笑い、青い瞳をようやくミュラへと向けた。
「いーよ。二人に死なれても困るし助けてあげる。場所は?」
「確か、七十四。なぁ早く」
「分かった分かった。すぐに準備するから、待ってて」
 そう言われればミュラは黙って頷くほかあるまい。眼鏡をテーブルに置いて読んでいた書類を持ったまま立ち上がる。そして念を押すように「待っててね」と声をかけ廊下に出て行った。「さむっ」とハヤの言葉を最後にハヤは廊下へと出て行き、ミュラが一人で竈の前に残されることになる。ぐるりしている本はまるで全てを攫う波のようであった。自分の背丈以上の本棚にぎゅうぎゅうに詰められていて、爪が入る隙間すらない。いたずらに外の声に耳を傾けてみるが、セノールの言葉を理解することは叶わなかった。本の表紙に目を通してみるが大半はセノールの、しかも古語である。アゥルトゥラでもセノールでもない文字で書かれている書物も並んでいる。ようやくアゥルトゥラの文字で書かれた本が見つかったが、難解すぎる内容は頭に熱を溜めるばかりで碌に内容など入ってきやしない。やっとのことで元の場所に本を戻しパチパチと赤く爆ぜる薪を見つめるが一分足らずで飽きる。愈々これはどうするべきかと振り向くと同時にドアが開いた。紅を乗せた唇が弧を描き、赤い爪化粧が施された指がこっちへ来いと手招きする姿は家に誘い込もうとする悪い魔女のようで背筋が寒くなる。
 ハヤの背後には数人の男達が銃を背負ったまま待機している。姿形は違えど同じ装備を身に着けている彼等は学者が雇っている寄せ集めの傭兵とは違う。集団に属する個として彼等は動いているようにミュラには感じられた。
「お前も行くのか?」
「うーん。行きたいのは山々なんだけど、これからやりたいことがあるんだよねぇ」
「そう……なんだ」
 なぜかは本人も分からなかった。ただ
ハヤが”行けない“と知ったとき、心底安心できた。早鐘を撞くように脈打っていた心臓が落ち着いていく。それを知っているかのように獅子の懐刀はミュラの方に近付いていくと、スウッと肩に手を置いた。ハヤは柔和に笑っていた。
「良かったって顔してるね」
 その言葉には氷のような冷たさを含まれており、思わずミュラの動きが止まる。心を見透かされたような言葉に、止まりかけた心臓が今度は動悸でも起こすかの如く脈打ち始めた。思わず逸らした顔。再び確認することなど出来るはずもない。
「あんたがそう思うのは正しいよ。私はファハドとソーニアが危ないから手を貸すってだけ」
 笑顔のままハヤは続ける。表情は最初にミュラと言葉を交わしたときと変わらないが声に乗せる感情だけ違った。先ほどよりも更に鋭利になった。
「もしもあんたがソーニアと同じ状況だったら突っぱねてた」
 思わず強張った表情になるミュラ。その顔を見て、ハヤの手に更に力が込められる。
「あんたが死のうが私にとってはどーでもいいんだわ」
 ついに耐えられず、肩に置かれた手を振り払い、距離を取った。彼女のことが恐ろしくて堪らないのだ。赤の他人であり、仕方がないことなのはミュラも重々承知の上だ。しかし、その心を隠そうともせず、むしろ本人に思ったままぶつけるのは正気の沙汰ではあるまい。それが純真な稚児であったならば可愛げがあったものの、堂々と本心を叩きつけたハヤからは悪意以外の何物も見出せない。
 小動物のように震えるミュラを見て、ハヤは唇を歪ませ笑い、再び椅子に腰をかけた。そして途中まで読んでいた書類に再び目を通すのだった。何か言いたげに口を開いたミュラだったが、言葉となって飛び出ることはなかった。言い争いをしてもいなされてしまうのが目に見えていたし、何よりも時間が惜しい。ここで言いたいことはジャリルファハドやソーニアに聞いて貰おうと思ったのだ。貸して貰った兵達は何も語らない。いや、話し掛けてもいい雰囲気を纏っていない。自分の性格を見越して斯様な連中を集めてきたのかと勘繰ったものの無意味なものだと分かりやめる。竈の側から離れる時、ハヤが「また来てね」と手を振ることはおろか振り返ることもしなかった。一言も発することはなく、借りてきた彼等と共に、今度は昇降機を使ってミュラは上へと向かったのだった。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。