複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2017/04/06 20:36
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメントは要りません。邪魔です。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.81 )
日時: 2017/03/28 16:20
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ミュラと一定の距離を保ったまま歩き続けるばかり。人垣など最初から無いかのように何者にも道を阻まれる事はない。帯剣したセノールはアゥルトゥラからしたら、恐怖の対象以外何者でもないからだ。
 先程、首根っこを引っ張られてから、何故か普段通りの彼の立ち振る舞いが、ミュラには不機嫌そうに見えてしまい、怒らせてしまったのではないか、と錯覚してしまったようで、何処となく彼女は萎縮しているようだった。
 当のジャリルファハドと言えば「余計な事に首を突っ込むな」とミュラに釘を刺しておきながら、己はミュラを乗せたまま、対岸の火事に船を漕いで近寄りつつあるという事に気付いてしまい、少しばかりバツが悪く、口を閉ざすばかり。それでも戒めなければならない事は未だある。少し歩調を緩め、ミュラが距離を詰めてくるまで待つ。
「あそこであの阿呆共に危害を加えたら、俺はお前の首を刎ねていた。成らんぞ、何があってもアゥルトゥラに武器を向けるな。向けたならばお前の命で償わせる。これは冗談ではない」
「んぅ……、よく我慢出来るよな。だってさ、何か悪い事した訳じゃないじゃん! 何であんなに――」
「言葉に出せば怒りが頭を蝕む。何でも思いを吐露すれば良い訳ではない。落ち着け」
 行き場を奪われた怒り、それが吐き出させた言葉は突然踵を返したジャリルファハドがミュラの口元に当てがった掌で塞がれしまった。頬を鷲掴むように、これ以上言うな、と言葉なくして行動で念を押しているのだ。アゥルトゥラに対する怒りを飲み込むしかなくなってしまった。だがしかし、怒りが鎮まる訳ではない。行き場を失った怒りは腹の中で、増長し何となくムカムカとしたそれが行き場を求めて走り回っている。
「怒りは自分を狂わせる。怒りに身を任せたならば咎を背負い、その咎で回りも狂う。怒りは狂奔の原動力故、そう発露して良い物ではない。分かってくれ――、良いな?」
 ジャリルファハドの説教は静かな物であった。喧噪、往来の中に在りながら掻き消される事もない。低く小さく、静かな声は不思議とミュラの耳にはきちんと届いていた。頭の弱いミュラであったとしても宥められているというのは分かる。故に口元から手が離れても、ミュラは口を開かず噤んだままであった。何かある度に怒っていては心身が持たない。セノールのように自己を殺し、御せとは言わないが我慢という物は大事な代物である。ジャリルファハドからしたら、ミュラに分かってほしい事柄の一つであった。
「なぁ? なんであいつ等が殺されなきゃなかったんだ? それにイザベラは……」
「天命尽きた。運が無かった。唯それだけの事としか言えぬ」
 昨晩の殺人、売春宿での殺人、これらの一連の出来事は全て連動して起きた事だと考えざるを得ず、小耳に挟んだ先程の男達の話からしてイザベラも既に殺されており、何処かで死体が見つかっていたのだろう。怨恨か、触れては成らない物に触れたか。憶測はこじ付けのようになってしまうが、幾らでも出てくる。尤も売春宿がそういった物に触れるとは考え難く、イザベラが触れるべき物ではない「なにか」に触れようとした故に殺され、その母体である売春宿にまで危害が及んだのだろう。とすれば触れたイザベラが悪いとしか思えず、またそうとしか言えない。手を出すべき物を誤ったのだ。
「害を為さぬと誓え。誓えぬならば右目を貰う。謀れば両目を貰う。我等が害を蒙るならば塵芥とし、仲間が居たならば皆一様とす、か」
 イザベラから宿を手配された時、刀を突きつけて言い放った己の言葉をジャリルファハドはなぞり、自嘲するような笑みを浮かべていた。
 これはもしかすると、同胞の仕業なのではないのだろうか、という邪推が脳裏を過ぎったからである。あの遣り口は見てくれといわんばかりの殺し方であり、威嚇しようという思惟が感じられる。クルツェスカの平静を乱し、危うい均衡を破壊し始めているのだ。
「ミュラよ。世の出来事には、命で清算せねば成らぬ事もある。努々忘れるなよ」
 再び言い聞かせるように吐いた言葉。ジャリルファハドの真意が測りきれず、ミュラは顔を顰めたまま、小首を傾げていた。まさかジャッバールがやったとは言えまい。ミュラのような者があそこに一人で乗り込んでいっては成らない。ただ惨殺された死体が増えるだけであり、それを良しと看過出来ないのだ。
 クツェスカに来てから良くも悪くも目立ちすぎた。ミュラが死んだならば、それだけで自身も憲兵から聴取を受けかねない。またソーニアにも迷惑が掛かる。それだけは避けなければならない。
「意味わかんねぇ」
「分からん物に首を突っ込むな、口を挟むな。聞き耳を立てるな」
 念のために釘を刺して置いて、ミュラが独走するような事だけは避けなければならない。無駄に有り余る行動力と思慮の無さは、ある意味危険な代物である。厄介な物を拾ってきてしまったのではないか、と一抹後悔を抱きながらジャリルファハドは歩みを進めた。



 ソーニアの家に着いてから、暫くジャリルファハドとミュラは言葉一つ交わさずに居た。明らかにミュラの様子がおかしいのは見て取れたが、何を言いたいのかが分からない故に問う事もなく、ジャリルファハドは勝手に外に出ないようにと、横目で見張るばかり。
 彼の手にはアゥルトゥラの近代史書が載っており、西伐ことシャボー紛争の近辺を見ていた。歴史は勝者が築くというのに、アゥルトゥラはまるで自分達が負けたかのように、卑屈な物言いで言葉を記している。セノールの六倍の戦力で戦いながら、戦死者はセノールの八倍にまで登り、未だに当時の若者、今の老人達の一部は手足や目が無かったりする者が居る。彼等か、彼等の子等が歴史を紡いだ故であろう。随分と口汚く書かれたな、と苦笑いをせざる得ない。
「……ミュラよ。来い」
「あぁ?」
 少し気だるげで邪険そうな返事であったが、ミュラは隣の椅子に腰を下ろした。ジャリルファハドが本をミュラの視界に収めた時、彼女は一瞬目を背けたのは気のせいではないだろう。最初の一頁、一行を見ただけで頭が拒否を示す。
「何故、我々が忌諱されるか。教えようと思ってな。お前も相手の事を知ったならば、多少は己を殺す事も出来よう。もう50年も昔の事だが――」
 50年前、生活用水を求めたセノールが既に失われたはずの魔法を復活させようとした事を発端とし、アゥルトゥラが糾弾し攻めてきた。最初は食い止めていたが、ある戦いで破れ砂漠の北部を掌握され、首都への直進を許してしまった。故にセノールはあっさりと降伏したが、アゥルトゥラが首都への駐留を求めたため、武門は徹底抗戦の姿勢を貫き、アゥルトゥラを撃退した。余力を残した敗北であったために、セノールの負の側面をアゥルトゥラは各国へ宣伝し、孤立させる事によって社会的に抹殺するに至ったのだ。その名残があるため、セノールだというだけで嘲られるのだと、ジャリルファハドは淡々と語る。頭の弱いミュラにもなるべく分かりやすいように簡潔に、手短に語る。
「……そんな昔の事なんだから忘れたら良いじゃん」
「人とはやられた事を忘れられるようには出来ていない。何時までも尾を引き、何時までもそれに拘り続ける。人間とは誰から教えられるでもなく斯く在ろうとするのだ」
 50年前、両民族は傷を負った。ミュラは知らないだろう。未だ多くのセノールもアゥルトゥラを恨んでいるという事を。互いに互いを否定しあい、睨み合っている。そんな状況が身近にある故、何者でもない故に何者にでも成れるというのは、とても残酷な事なのではなのだろうか、とジャリルファハドは思うのだった。だとしたなら、ミュラを何方かにしてしまった方が良いのではないだろうかと考えが一瞬過ぎる。
「人間なんてロクなもんじゃねぇな……」
「知恵を持った故の原罪だ。仕方あるまい」
 言い聞かせ、諭すように穏やかではあった。しかし、何処か悔恨と自戒の念が篭っていた。自身はもう既にそうなっている。ミュラに言える立場にはないが、それでも言わなかればならなかった。こうなれば生きにくいぞ、という反面教師からの忠告であった。
「だが、人間であるからこそ自制するという事も出来るのだ。お前は獣に……、七角十頭、十角七頭、何れの獣にもなるな」
 ミュラを見遣る事もなく、ジャリルファハドは淡々と言い放つのみ。何を言っているのかと、いまいち理解に及ばないミュラの事など視界には入っていない。彼女に向けた言葉を自戒とし、己にも言い聞かせている故だ。傍らで首を傾げているミュラへ「何れ分かる」とだけ言い伝えるのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.82 )
日時: 2017/03/28 19:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 憲兵達は「もううんざりだ」と言いたげな疲れ切った顔をしながら、死体を運び出していた。動かして始めて感じた、饐えたような甘い臭いと血の鉄錆びたような臭いが混じった悪臭に苛まれ、ソーニアは口元を押さえながら、風上へ逃げていた。その後ろを付いてきている憲兵も具合悪そうにしていて、幾ら兵隊と雖も駄目なものは駄目なんだな、と的外れな感想を抱く。尤も腐臭が平気なのは、腐肉食の動物くらいだ。彼等からしたら、上等な夕食の匂いに違いない。人間には理解が及ばない世界である。
 漸く風上に立てば、路地を抜けていく強い風が悪臭を吹き飛ばしてくれる。赤くウェーブ掛かった髪が風に吹かれて、乱れるも気にする様子は見せなかった。
 息苦しさから解放された、ソーニアの顔付きは少し引き攣っていて、それを見た憲兵が見てはならないものを見たかのように一瞬身じろいだ後、取り繕うように小さく咳払いをした後に口を開いた。
「酷い有様です。二日間で20人弱死んだ訳ですからね。蛆が沸いて当然というものです」
 憲兵の顔きもどこか引き攣っている。この二日間で凄惨な現場が続く以上、苦言を呈したくもなるのは仕方ないだろう。苦笑いをしつつソーニアは適当に相槌を打ちながら、搬出されていく死体の様子を眺める。直接死体は晒されている訳ではない。麻袋に入れられて、外に晒されないようにはなっている。血の滲んだそれらが気になって仕方がなかった。
 這い蹲り、蠢く蛆を踏みつけてしまった憲兵は顔色一つ変えず、靴底にへばり付いた死体が擦り切れて、影も形もなくなるまで無遠慮に、無表情に踏み付けていた。
 恐らくはこの惨状を作り出した者も、心を凍て付かせ、表情一つ変える事なく、あくまで作業的に事を進めたのだろう。それが殺戮だという実感を持っていたかすら、甚だ疑問であった。そんな事を思うとうそ寒くあり、心苦しく。唇を噛み締め表情を歪めしか出来ない。
 ソーニアの隣で首から吊り下げた十字架のネックレスを手に、胸の前で十字を切りながら憲兵は言う。
「そんな顔をするもんじゃないですよ。まぁ、官職持ちの家ですからね、クルツェスカでこんな事が起きるってのは耐え難いでしょうけど……」
「魔法はもう廃れたから……、"メイ"なんて官職はもう意味がないの」
「親子、姉妹揃って同じ事を言うんですね」
 そう憲兵は小さく笑みを浮かべていた。もうメイ(魔術師の意)の官職は意味などない。ただただ慣習に倣い、名乗っているだけであり現当主など一介の書記官に過ぎず、没落した血統でしかない。
「血統なんて何れ廃れるからね。私もハイドナーもベケトフも。……ナヴァロやルフェンス。モリスだってそう。近い未来、血は意味を成さなくなるわ。血よりも個人の力になる」
 血で人生が決まる。そんな時代が終わるというソーニアの発言に憲兵は顔を顰めた。ソーニアの発言を咎めようという思いがあるのではなく「モリス」という家の名に反応したのである。何か悪い事でも言ってしまったかと、ソーニアは一瞬身動ぐなり、憲兵は少しバツが悪そうに苦笑いを浮かべていた。
「あぁ、いえ。今朝、メンデルの息子――モリスとか言いましたか。水路から上がりましてね。額を一発撃ち抜かれて……。あぁ! これは他言しないで下さいね。あくまで独り言ですから」
「……えぇ、聞いてない事にしておくわ」
 歩く情報漏洩のような憲兵を呆れたように見据えながらも、まだ殺しがあったか、と少しばかり動揺していた。メンデルと言えば商家であり、クルツェスカでアゥルトゥラとジャッバールが睨み合いをしている中でも、上手く立ち回って来ていたはずだ。そこの家の人間が死んだともあれば、既にこのクルツェスカは動乱の渦中にあると言えよう。尤も互いに殺し合いをしているのか、一方的に殺して回っているのかは分からない。
「ねぇ、犯人とかは目星ついてるの?」
「いえ、全く。ただメンデルの件はジャッバールが身の潔白を示しに、バシラアサドが直々に出頭しましてね。……"真っ当な"商人を殺す訳があるかなんて怒鳴られ、凄まれましてねぇ……。いやはや、恥ずかしい話ですが」
 ジャッバールの力押しに折れたのかと、一瞬ソーニアは情けなく思いこそしたが、確かにジャッバールは強引で力任せに事を解決するが、良い事もやっている。奴隷商の駆逐などが最たる例であり、彼女達は確かに"真っ当な"商人に己の恣意を示すような事はしていない。密かに消される者達は大概、阿漕な商売をしていたり、それに関連する利権上の問題でジャッバールと敵対してしまった者達である。憲兵達は実のところ、それを見逃している所がある。癒着しているとは言わないが、利害が一致してしまっているのだ。
「まぁ、ジャッバールだし仕方ないかぁ……。何だかんだ言って典型的なセノールのそれだものねぇ。怖いわ」
「そう言ってもらえて幸いですよ、全く。セノールは大体怖い。黙ってれば結構好みなんですが――、あぁ! いえいえ! 話が逸れました。その……、あぁやって凄まれますと生きた心地がしませんし、縮みあがりましたよ。えぇ」
 話が脱線する上に、突然下品な事を言い出した憲兵を一瞥し戒めると彼は「すみませんねぇ」と笑いながら頭を垂れた。何処となく憎めない憲兵を笑って許すと、彼は笑みを隠し、少し気を引き締めた様子で口を開く。
「くれぐれも身の用心をされますよう。……刃物で殺されていた件につきましては、使った刃物が異なるのか、切り口が全く違います。叩き潰すように幅が広く深い刺創と寸分狂わず皮、肉の解れすらない切創。……強いて言うならアゥルトゥラとセノール、双方が殺し合っていると考えられるんで、余り彼等の間には立たないように。――特にセノールの護衛を付けているようですから、アゥルトゥラから目を付けられないように……。では、そろそろ日も落ちますんで、帰宅してください。暫く我々は夜も知らず……、といった所ですが、何があるか分かりません故。まぁ、その何か在りましたら言って下さい」
 そう憲兵は言うなり、ソーニアの後ろに回って彼女の背を押し出した。背を押されるままにソーニアも歩き出していく。
 横目で憲兵を見るが、また穏やかに笑っていた。この男、刃物の切り口の違いが分かるともなれば、この憲兵は随分と目の肥えた者である。飄々とした歩く情報漏洩であったが、こういった技能がある故に首を切られずに居られるのだろう。
「大通りまでは護衛しますので、そこからはおかしな路地に入らず真っすぐ帰ってくださいね。横着して早道は駄目ですよ」
「しないから……」
 よく見ていると薄々感心しながら、憲兵に背を押されるままソーニアは歩み進める。二度、三度と誰も居なくなった売春宿へと振り向き、視界に収めるも夕日に照らされるばかりで、誰かがそこに在る訳でもなく、死んだように静まり返るのみであった。
 誰とも知らない者の死を悼む訳ではないが、何処となく夕日の朱は悲哀を帯びているようであり、少ししんみりとした思いを抱く。それに気づいたのか、憲兵は少し寂しそうに笑っていた。
「無念の死を遂げた者に哀れみを向けちゃいけませんよ。ついてきますからね」
 憲兵はそう静か語る。ひしと感じる得も知れない恐怖。だが、しかし憲兵の言う事は、その通りであるように感じられた。何故ならば、死した者は延々と生きる人間の記憶に残り、まるで生きていられる事を羨み、妬むように夢想にて姿を現すからである。キラがそうであったように。憲兵のせいで嫌な事を思い出したと、ソーニアは小さく溜息を吐く。
「……あなたはそういう経験が?」
「まぁ、そうですね」
 憲兵は多くを語ろうとせず、話したくないという拒絶の意図が見える。故にソーニアもそれ以上は追求する事なく「ふーん」と短く相槌を打つだけに留めるのであった。
 このまま見えない戦争が続くのであれば、このクルツェスカは死者の都へ化すのも、そう遠くはないだろう。最後の最後まで立っているのは誰だろうか。また、誰が血を好み、暴力を愛する獣であるのか。不安は少しだけ胃を締め付けてくる。あぁ、これは痛む。今晩は飲酒を控えるべきだろうと、己に言い聞かせるのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.83 )
日時: 2017/04/06 01:36
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 イザベラが根城にしていた宿でも殺人があったと憲兵から話を聞けば、彼の顔からたちまち色が消え失せる。ガウェスの後ろに隠れるように立っていたハイルヴィヒも表情こそ変えなかったもののピクリと肩を震わしたのをガウェスは確かに気が付いていた。娼婦達の死体は既に教会の方へと運ばれその場にはなかったものの、僅かに匂う腐臭と石畳を僅かに汚す血痕がその証なのだろう。敬意もなく、人としての尊厳を蹂躙せしめた悪鬼の如き殺し方、魂を削り描いた風景画を一瞬で破り捨てるような蛮行、許し難い行為を聞いた彼の口から出たのは「そうですか」と掠れた声のみである。イザベラの死を聞かされた時のように目を瞑り、被害者の追悼を、そして荒だつ心を鎮めるかのように大きく息を吐く。事の次第を伝えた若い憲兵はガウェスの纏う空気が変わったことに目聡くも勘付いてしまい、もしや自分は良からぬことをしてしまったのだろうかと狼狽えてしまう。見かねたハイルヴィヒが咎めるようにガウェス横腹をつつけば、彼はようやく目の前の男が萎縮しているのを知り、安心させるように曖昧に微笑んでみせるのだった。
 宿の様子が見たいと頼めば、すぐに中へと通される。案内の提案を断り、ハイルヴィヒのみをつれてイザベラの私室へと向かう。普段ならば、娼婦達の談笑の場となっているロビーも今は数人の憲兵が屯し、犯人の目星をあぁでもないこうでもないと熱心に議論しているのみであった。気にならないわけではないが、会話に入る余裕はない。彼らの横を素通りし、廊下に向かえば彼らはどこにでもいるらしい。狭い廊下をあちらこちら歩き回っている。イザベラの部屋は廊下の一番奥にある。彼らの邪魔にならないようにとスルリスルリと身を翻すようにして進んでいく。時折目の端に入る惨劇の痕跡に思わず目を背けるものの、強烈な赤は一瞬でも目に入れば脳裏に深く刻み込められ、これが夢ではないと実感させられてしまう。その度に激情が胸の内に燃え上がり、それを発散するかのように、歩みがほんの少しだけ速くなり、その度に後ろを歩く少女から速いと文句がとぶのだった。
 幸か不幸か、イザベラの私室には誰もおらず、前に来た時となんら変わらない、痛いほどの静寂といやに整然とした部屋のみがそこにある。大人二人がようやく寝っ転がれるような狭いベッドと角が欠けた古ぼけたサイドテーブルとその上には三段の小引き出しが置いてあるだけで周囲には何もない。あとは少し離れたところに小さめのクローゼットが一棹設置されているだけの質素な空間である。斬り殺された娼婦の臓物や血液で床や壁、家具さえも赤く色付けされた部屋が殆どだというのに、その部屋は未だに惨状以前の状態を保っており、ガウェスは安堵を覚える反面、時間の流れから取り残されたような物悲しさが一層が際立っていた。
「ハイルヴィヒ殿はイザベラと親しい間柄だったのですか」
「交流と呼べるほどのことはしていない。精々視線を合わせ、二言三言交わすだけだ」
「そうですか……」
「何か気になることがあるのか?」
 無駄を嫌い寡言な彼女にしては珍しいとガウェスは内心驚き、作業を止めてハイルヴィヒを見遣れば初冬の晴天を思わせるどこあか冷えている青い瞳と視線が絡んだことで気まずさを覚え、思わず目を逸らしてしまう。
「いえ、ただ、彼女に友人はいたのかと、彼女の死を、悼んでくれる方はいらっしゃるのかと、ふと、思っただけです」
「お前は彼女の死を悼まないのか?」
「私に悼む資格はありません。ヨハン殿がおっしゃった通り、彼女は死んだのは私にも責任があります。私が彼女に深入りするなと言っておくべきだったのでしょう。そうすればイザベラは死なずに済んだはずですから」
 彼の言葉には深い悔恨の念が窺えた。奥歯は噛みしめ、自責の念にかられる青年を見て、ハイルヴィヒは一体何を思ったか。少なくとも、ヨハンに胸倉掴まれる理由は何となく察することが出来た。二、三年ほど前のことだ。ヨハンとハイルヴィヒ、そして、ハイドナーに雇われたある傭兵と三人で酒場に行ったとき、猿のように顔を赤くしたヨハンは言っていた。「アイツは人の好意に気付けない。馬鹿野郎だ!」と。どこでハイドナーの密偵に聞かれるやもしれん。その時は戒めと頭を冷やせという二つの意味を含め、彼の足を思い切り踏んづけ折檻したが、なるほど、これはそういうことかとハイルヴィヒはようやく合点がいく。イザベラは、仮にガウェスに釘を刺されたとしても、それが欲している情報と分かれば秘密裏にその情報を集めて回るだろう。たとい死地に繋がっていようともだ。恐らく、こんな男を好きにならなければ、そもそも情報屋をしていなければ、娼婦なぞやっていなければ、彼女もここに住む者達も常夜に送られることは無かったのだろう。

 結局のところ、クローゼットにも目ぼしい物は見つかることはなかった。鍵のかかっている引き出しも無理矢理こじ開けられていたが盗られた形跡はなく、金品も宝石も手付かずのまま引き出しの中に転がっていた。唯一、彼女の部屋から無くなっていたのは紙類だけである。机にあるはずの備え付けのメモ帳も何でもない走り書きも、本の切れ端さえもイザベラの部屋には落ちていなかった。何らかの情報が書き残されていたらマズいと万一の場合に備え襲撃した犯人が隠滅したのだろう。もしも今回の惨劇がその序だったとしたら……。滾る怒りの矛先が見えず、彼は出口へと歩く。その途中でガウェスは一人憲兵を捕まえ、この件について最初に連絡したのは誰かを訊く。近場に住んでいるならこのまま話を聞きに行こうと考えたのだ。アゥルトゥラを治める貴族に話しかけて貰えると考えてもいなかっただろう。気怠そうに振り向いた男は話しかけたのがハイドナーの当主様だと分かると背筋をピンと伸ばし、しかし、少々困ったように視線を左右に泳がしている。そして、確認してみますと小走りで奥へと消えていった。数分もしないうちに戻ってきた男は息を切らしており、ガウェスは怒りとは別に申し訳なさを感じることとなる。彼への労いもそこそこに、息も絶え絶えになりながら告げられらたその名前。途端、ガウェスの空色の瞳は大きく揺れ、彼への罪悪感は一瞬にして名前が出てきた事への驚愕へと変化することになった。
「ソーニア、メイ……リエリス」
 何故その名前が出てきてしまったのか。男と目を合わせるために下げていた青い瞳は上に向き、どこか意味深げに彼女の名前を呟く。その一言は確かに彼の耳にも届いてはいるものの、どのような意図でその名を呟いたのか男が理解することはない。よもや、メイ・リエリスの者とハイドナーでひと悶着あったなどと予想にもしていないだろう。知り合いなのだろうかとどこか遠くを見据えている偉丈夫の顔を見上げるだけである。
「どうしますか。必要とあらば家まで案内出来る者を手配しますが」
「いえ、その必要はありません。ありがとうございます」
 彼女の家に行けば余計な争いが生まれる可能性がある。ソーニアと、その護衛であるジャリルファハド、ミュラと。特にジャリルファハドと再び相見える時、それは剣を交え、どちらか一方の命が潰える時だ。無論、ガウェスとてそれを望んでいるわけではない。ただ、初めて剣を交えたあの瞬間、ハイドナーへの溢れんばかりの憎悪と殺意が彼の全身から迸るのを感じた時、こいつを屠らねばならぬと本能が警鐘を鳴らしたのだ。だが、それは今ではない。彼と決着をつけるのは民と国に安寧と秩序をもたらした後だ。
「帰りましょう。ハイルヴィヒ殿」
 これ以上ここにいても得る物はない。むしろ邪魔になるだけだ。静かに歩き出した男の背をハイルヴィヒは何も言わずに追いかける。月がその姿を徐々に現し始め、喧騒はどこか遠くになっていく。夜の帳はすぐにでも下ろされることだろう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.84 )
日時: 2017/04/09 14:55
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 青年の後に続くハイルヴィヒの表情は、相も変わらず変化がない。考え事をしているような素振り一つ見せぬまま、ただ青年の後を一定距離を保ったままで歩み続けている。夜が歩み寄る中、薄暗がりに飲み込まれ無い様に。少しばかり早い足音二つは規則的な音を奏でて居るばかり。二人の間に無用な言葉は無い。そも、ハイルヴィヒがガウェスへ必要もないのに話しかける事は稀であるし、ガウェスもまた、一連の事件での心労を顧みれば口数が少なくなるのも最もであろう。そして双方、特にハイルヴィヒの方は語らいに花を咲かせる様な質でもなかったのだから、別段、変わった事があるわけでもない。例えば空に輝き始めた星が一つ落ちてこようとも、二人の間に特別な言葉は無いだろう。凶星が落ちればまた、別案件であるだろうが、其れは其れとして。
「……ひとつ、構わないか」
 唐突にハイルヴィヒが口を開いたものだから、ガウェスの空色の瞳は丸くなり、ぱちり、と瞬いた。彼が何でしょうか、と紡ぐよりも早く、僅かな沈黙を是と取ったらしいハイルヴィヒは静かに、続ける。
「……必要ならばメイ・リエリスへの聞き込みの件を“此方”で請け負うが、どうする。……あの場であの憲兵の提案を跳ね除けたんだ、何かしら面倒な理由でもあるのだろう。……大方、お前がメイ・リエリスの元へ行き難い、乃至は行けない理由が。其れならば代わりに“我々”が其れを請け負い、情報を持ち寄るのもまた不可能では無いと思うのだが」
 淡々とした言葉は、それでも秘め事の様に何処か秘めやかに紡がれる。密談などと言ってしまえば大袈裟であるが、かと言ってこのやり取りが露呈すれば、メイ・リエリス、ひいてはソーニアの元へ向かった“誰か”とハイドナー乃至はガウェスとの繋がりが発覚しかねない。ハイルヴィヒの予想からすれば後者のみならばまだしも、前者を疑われては厄介なような、そんな気がしていた。そしてハイルヴィヒの言葉に偽りはない。あくまでも彼女個人の行動ではなく、彼女乃至は其れに連なる誰かが動けば自然と情報はその裏側、ベケトフの当主へと流れる事は必至であった。そも、こうしてハイルヴィヒが付いてきた時点で、ある程度の情報は早い段階で例の胡散臭い当主へ渡る事は決まりきっているのだけれど。それでも、直接的に言わずともどことなく其れを匂わせてしまうのはある種、ハイルヴィヒの無意識のお節介心であったのか、彼がスヴェトラーナの親しい友人であるからなのか、さてはて。
 他方ガウェスはといえば、ハイルヴィヒの言葉に些か難しい表情を浮かべていた。聡い彼の事だ、ハイルヴィヒの言葉の裏にあるものはとっくに理解している。ハイルヴィヒを連れてきた時点で最早その点に関しての異論は無い。あの家の事だ、遅かれ早かれ情報は当主の耳に入るだろう。多少それが早まった所で、大々的に此方の害になる可能性は低い。それなりの付き合いのある家を、殊、あの事なかれ主義の家がわざわざ敵に回す様な事をするとも考え難い。あくまでも彼は只、ハイドナーの当主、としてではなく一人の人間として、無関係にも近しい誰かを巻き込む事を躊躇っている。しかし、何処まで口にするべきか、兎角、考えねばならぬ事も、懸念も、不安も、押さえ込んでいる苛立ちに近しい感情も何もかもが混ざり合う。後ろを考えれば身勝手に動けぬのはハイルヴィヒとて同じ事だが、納得させぬままでは互いに不安要素が生まれることもまた必至。そればかりは避けたい所である、等と考え始めてしまえば中々、良い返答が浮かばない。
「其の件に関しては……少し、考えさせては頂けませんか」
 こぼれ落ちるガウェスの言葉にハイルヴィヒは一瞬、訝しむかの様に眉を動かす。けれども一拍の間を持って、短く息を吐きだした後にそうか、とだけ短く告げた。互いに視線を交わらせる事はなく、ただ何処か、互いの中の暗黙の了解ばかりが横たわる。喧騒ははるか遠く、闇夜のカーテンの中を彩る星ばかりがただ美しく、静かに、瞬いている。過剰に重苦しい空気を纏うでもなく、かと言って軽薄な空気が流れるでも無く、二人はただ目的地へ向かって歩を進めていた。さて、語らうべき事ももう或りはしない。あと少しでスヴェトラーナらの待つ場所へと差し掛かる、といった所でハイルヴィヒの歩みが止まる。今日の彼女は少し様子がおかしくすら思えるが、かと言ってガウェスが咎めるような言葉を吐き出すわけでもない。ハイルヴィヒの逡巡の間はほんの、一瞬だった。
「それと、もう一つ。忠告とも、警告とも……好きに取ってもらって構わないがご当主、どうか軽率な行動は慎め。今は、特に」
 ――余計な世話とも、と続けかけた言葉をハイルヴィヒは飲み込んでいる。冷ややかな青は空の色を貫いて、優しい色とは程遠い。けれども刺し穿つ様な其れではない。
「お恥ずかしい、限りです。……其の言葉、忘れぬようにしなくてはなりませんね」
 恥じらうように微笑む彼は、正しく“王子様”の体現とも思えたと、ハイルヴィヒは口にせずとも薄らと思っていたことである。清廉潔白、真人間で生真面目であるからこそ、このご時世では悩み、歩みを止めることも多かろう、等と薄ぼんやりとハイルヴィヒは考える。それに対してどうこう感情を抱く事は無い。けれどただ、彼の行動一つで此方側が何らかの不利益を被る事ばかりは感化できない。ただ、それだけ、それだけの為に言葉を紡ごう。己の中に生まれる感情を静かに殺しながら、ハイルヴィヒはただ淡々と言葉を紡ぐばかり。
「お前はまだ、人らしい人だからな。頭に血が上るのは分かる、吐き出し様のない怒りを、何処へ向ければいいかわからないのもまだ、理解は出来る。それでも一度立ち止まり、自らを顧みろ。そうして余裕ができたら少し……ほんの少しでいい、周りをよく見てやるといい。……お前は、ガウェス、まだお前は……出来るだろう、それ位なら。……君まで、箱庭ばかりに目を向ける必要は無いよ」
 夜の帳は既に下りた。秘め事の様な一言を添えて、けれどもそれだけ告げれば話は終わりだ、とばかりにハイルヴィヒはガウェスの横を通り抜けて、向こうに待つ少女の元へと歩み寄る。らしくもない言葉を聞いて僅かに固まるガウェスを追い越すその折、一瞬だけガウェスの方を向いたハイルヴィヒの瞳の色は何処か、穏やかさすら孕む。月明かりに見せられた様な、そんな色。

「ってて……あ〜……ヴィッヒー本気で、蹴飛ばしやがった……」
 ハイルヴィヒとガウェスが宿へと向かった後、スヴェトラーナに寄り添われつつも地面に倒れ込んでいたヨハンは漸く体を起こし、ハイルヴィヒに蹴り飛ばされた位置を擦る。その様を一対の硝子玉、スヴェトラーナの瞳はただ心配そうに見つめていた。
「あの……ヨハンさん、大丈夫ですか? ……びっくり、したわ。ハイルヴィヒがヨハンさんを蹴るなんて」
 少しばかり躊躇いがちに、スヴェトラーナは言葉を紡ぐ。優しく、柔らかく、穏やかに。眉尻を下げてほんの少しだけ寂しげに、悲しげに表情を歪める様すらただ完璧な少女たらんとしたままで。患部へと伸ばされるスヴェトラーナの白い手を、けれどもヨハンはやんわりと遠ざけたものだから、少女は少しばかりきょとん、としてヨハンを見つめる。大丈夫か、という問いに素直に大丈夫、と言える痛みではないが、かと言って悶絶するような痛みはもう或りはしない。幸い見物人が集う様な自体にならなかったことは幸いだった。長い溜息の後、ヨハンはがしがしと頭を掻く。
「いやぁ、僕もびっくりしました、本当に……あー、でも、ま、しょうがないか。にしても、その……お恥ずかしい所、見せちゃいましたね、すみませんお嬢さん」
 罰が悪そうに謝罪を紡げばスヴェトラーナは小さく首を横へと振るばかり。ハイルヴィヒが意味もなく暴力に訴える事など有り得ない、と考えているスヴェトラーナではあるが、よもやヨハンにすら手をあげるとは思っていなかった。時折ヨハンがハイルヴィヒに足を踏まれていた事に気づいていなかった、というのもまあ、あるのだが。其れを差し引いたとしても、スヴェトラーナにとっての衝撃は大きなものであった事に相違ない。ハイルヴィヒの感情の変化は決して分かり易いものではないが、少なくともヨハンへ向ける感情が好感に近しい物であると、スヴェトラーナは知っていた。先程ハイルヴィヒが述べた事が理解できぬ程、スヴェトラーナも子供ではないが、彼の人を諌める気であったならば、本気で蹴り飛ばす必要性は無いのではないだろうか。けれど、他でもない、ハイルヴィヒが為した事を否定できない、したくない。――不意に、見送る折にハイルヴィヒから投げられた言葉を思い出す。必ずしも彼女が正しい訳はない、有り得ない。それでもスヴェトラーナにとって、ハイルヴィヒという人の存在は大きくなってしまっていた。否定したくない、認めたい。今までに抱いたことも無いような感情が、少女の内に渦巻いていく。答えが見当たらない事が侭、恐ろしく、少女の吐き出す息はわずかに震えた。今日の出来事も、これから起きるやもしれぬ何かも、先ほど感じた不安も、何もかもが恐ろしい、恐ろしいのに――。
「……スヴェータお嬢さん? あの、大丈夫ですか」
 思考に耽って何処かぼんやりとしてしまっていたスヴェトラーナは、ヨハンの何処か優しくも不安気な声では、とした。果て無い、円環にも似た思考は無意味とまで言わずとも、同じ場所ばかりぐるぐると巡ってしまっては意味がない。考えているようで立ち止まってしまっては、本末転倒も良い所だ。立ち止まり、取り残されてしまったら、そう思うと末恐ろしい。下りかけている帳の中に取り残されてしまうのは只、怖くてたまらない。思わずヨハンの手を取って、大丈夫よと笑ってみせた。輝く太陽は沈み、微睡み始めている。あっという間に日は眠り、月が目をさましてしまうだろう。最中、向こうを見やるヨハンが短く声を上げた。もしかして、と振り向くスヴェトラーナの瞳が暫し前に歩んでいった二人を捉えれば、するりとヨハンの手を離し、少女は小走りで二人の元へと向かう。
「ハイルヴィヒ! ガウェスお兄様! 嗚呼……おかえりなさい。……何か……いえ、いいえ……お兄様、ガウェスお兄様……? お兄様、おつかれ、ですか?」
 2人の帰還に輝かんばかりであった少女の顔ばせは、兄と慕う人の顔を見て、やや不安の色が滲ませる。何故って、そう、柔らかな空色に何処か陰りが見えてしまったから。何かあった? なんて無粋なことは問えなかった。問うた所で何も己には知らされないだろうと言う無意識下の諦めもあったのだが。不安げなスヴェトラーナを見たハイルヴィヒはガウェスの脇腹を小突いてから、ヨハンの元へと歩んでいってしまった。スヴェトラーナがちらりと二人を見やれば主にヨハンが冗談を交えつつも何やら話し込んで居るものだから恐らく父への報告の件と、情報共有と言う意味合いで言葉を交わして居るのだろう、と結論付けて、今はただ兄と慕う人が心配だからとそちらへと注視する。
「いえ、問題或りませんよ、スヴェータ嬢。……すみません、何だかご心配をおかけしてしまった様で」
 浮かべられるのは完璧な笑顔と言って差し支えない其れであった。一見すれば暖かで、陽だまりのような笑みである。其の癖其の色に陰りが見えてしまって仕方がないのは、スヴェトラーナの考えすぎだろうか。そうであればどんなに良いか、と少女は思う反面、彼の言葉を素直に受け取ることが出来ないままで居る。訝しむ、疑う、そんなつもりは或りはしないのに。
「……輝く太陽はもう、眠ってしまって、煌めかず静かにすべてを見つめる月の刻ですもの。ええ、ええ、ガウェスお兄様……どうかゆっくり、お休みになって、ね? ……約束よ、お兄様」
 上手な言葉が出てこない。なんと告げるべきか悩んだままで、けれども何かを告げずにはいられない少女は優しく、ただ穏やかに、傲慢さにも似た慈愛を湛えて優しい言葉を紡いでいく。青年の手を取って、握りしめて、約束の言葉を強請る。――向こう側に居るヨハンがものすごい形相で二人、というよりもガウェスを睨みつけているのだが、其れに気付かぬままであるのはある意味、スヴェトラーナが少女たる所以であるか。戸惑う様子を見せるガウェスも、ほんの少し困ったように笑いながら、月明かりを受けて静かに佇む。大丈夫ですよ、と優しい声が少女の鼓膜を震わせるけれど、安心しきる事が出来ない我儘な少女は躊躇いながらも言葉を続けた。
「…………ねえ、お兄様、あのね……お節介とは、承知なの、でも、あと一つだけ。……すべてを信じていれば、きっと。悪しき中にもきっと、良きものがあるわ。だから、その……あまり、引き摺り過ぎないで、気負いすぎないで、ね、約束よ。……私にできることは恐ろしく限られているけれど、それでも、出来る事があるなら、なんだってするから。……ガウェスお兄様はもっと、誰かを頼らないと、いつかいっぱいいっぱいになってしまったらって思うと……あのね、怖いの。お兄様の中の何かが削れてしまったら、悲しむ人がたくさんいるの。……イザベラお姉さまだって、きっと。ちゃんと、憶えておいてねお兄様……お願い」
 押し付けにも等しい言葉を、けれども少女は静かに紡ぐ。傲慢であるからこその少女であるのか、少女であるからこその傲慢であるのか。誰一人知りやしないまま。「必要ならばお家までご一緒するわ」と少女は柔らかな笑みで言葉を紡ぐ。きっと、話し相手くらいにはなれるから、なんて、やはり些か傲慢な少女の色を濃く残した言葉を、添えて。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.85 )
日時: 2017/04/22 11:42
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 漸く家に戻ってきたソーニアは「色々と大変だった」と疲れたような困り顔で笑っていた。彼女は第一発見者という事もあり、状況の見聞から、死体の回収と最後の最後まで現場に居続けたようで、随分と帰りは遅くなってしまっていた。食事は済ませたか、と確認してくる故にミュラには食い物を買い与えたと答えれば、短く返事をしてソファに倒れ込むように横になっては、ぼんやりと壁の一点を睨み続けるものだから、どうにも居辛くなってしまったのだ。彼女に「食事に行く」旨を伝えたならば、分かったと短く返事だけしてソファ、顔を伏せてしまった。今頃は寝てしまっているだろう。暇を持て余したミュラが、躾の成っていない子犬のように脱走したりしなければ良いのだが、とジャリルファハドは僅か不安を抱く。
 夜の帳は既に落ち、往来は何時もの喧騒を取り戻しつつあったのだが、その喧騒の中には招かれざる客が幾つかの群れを成して、暗闇の中から目を光らせていた。その多くはアゥルトゥラであり、彼等はこの街の秩序を保とうとしている。彼等の厭にぎらついた瞳を見て、恐らく50年前にもあんな顔をしていたのだろうと、ジャリルファハドは僅か関心していた。50年間平穏に暮らしてきた者達でもあんな顔が出来るのだ、と。彼等のどこかには「東の防人」としての血が密かに眠っているのだろう。
 彼等を己等「西の侵略者」が刺激してしまったなら、それはとても面倒な事になるだろうと、ジャリルファハドは思案する。短い間に血が流れすぎた。両者共に殆どがアゥルトゥラだと聞くが、本当にアゥルトゥラの手の者だったかは分からない。東西、どちらの息が掛かっているのだろうかと疑問を抱く。
 それともこの状況を作り上げたのはジャッバールであろうか。彼等は未だ物々しい得物を持って街を闊歩し、いかにも血を流そうとしているように見える。彼等の様相はまるでこれから戦争だ、と言わんばかりの物であり、得物と様相がこの街の空気を刺々しい物に変えてしまっているのは、火を見るよりも明らかであった。すれ違う者の中には、カシールヴェナで見知った者も多く彼等はジャリルファハドを見るなり、顔を綻ばせて声の一つ、二つを掛けてくるのだが、それを過ぎれば一瞬にして獣の表情と化す。何かがあったと想像するに容易いのだ。
 薄暗い路地に身を投じたならば、貧民街の住人達が黄ばみ、血走った瞳で此方を見据えてくる。彼等はアゥルトゥラの暗部、汚点であると言えよう。貧しさ故に彼等は犯罪に手を染めやすく、またその命は軽い。当然のように命には重さの違いがある、彼等の命など吹けば飛ぶ程に軽く、その人生は無意味に等しくあった。そんな者達が罪に手を染め、互いに勘違いをしていがみ合っているような事はないだろうか、と新しい考えが及んだが、痩せた猿のような彼等にそんな力はあるまい。あるとしたならば、何者かが彼等に殺しの術を与え、金をチラつかせて狂奔させる位であろう。それを成すとなればアゥルトゥラもジャッバール、どちらにも動機はあり払拭しきれない。
 難しい顔をしながら、物乞いの前を通り過ぎ、路地を抜けたならば再び街の喧騒が耳に飛び込み、人垣が目に入る。視界の端に在る憲兵の群れは見なかった事とし、蒸暑さからジャリルファハドは袖を捲くった。右上腕から前腕を経て手の甲、手首までと左前腕に夥しく彫られたタトゥーであったが、これだけ人が居たならば、目立つ事もなく、また誰も注視する事はない。生温い風であったが、無いよりはマシで少しだけ不愉快さは払拭出来た。この生温さは裂かれたばかりの身体から飛び出た血の飛沫に良く似ている。このクルツェスカ全体が血を流しているかのようであった。血の中を漕ぎ、その血に浸かるのは気分が悪いと、張り付いたような笑みを薄っすら湛えながら、ジャリルファハドは人込みの中を往く当てなく歩むのだった。
 カンクェノへ至る広間まで辿り着けば、傭兵と思しき者達や学者達が談笑している。此処はそれ程、街のピリピリとした空気に蝕まれていないようであった。というよりも、カンクェノの主導権を掌握しているジャッバールの膝元であるが故に、あまり憲兵達が出入り出来ていないようであった。現にジャッバールの持つ兵器が野晒しで置かれているが、不思議と物々しさが感じられない。
「ガリプの。何しに来た」
 ふと暗がりから話し掛けてくるのは同胞であるセノールであった。腰に差した刀は直刀であり、ジャッバールの配下にある者であると容易に想像出来るのだが、彼は丁寧に手の平をジャリルファハドへと晒す。鏃を模したタトゥーが彫られており、想像は確信へと変わる。
「俺がお前に答えたならば、お前達は悪巧みを俺に明かすかね」
 悪巧みと断言され、男の顔付きは一瞬曇り、また一瞬にして笑み一つない兵の顔に挿げ替わっていた。彼の後ろに控えていた者達の表情も一様であり、者によっては腰の刀に手を掛けている者まで居り、思わずジャリルファハドも刀の柄に手を掛けざるを得ない状況となっていた。
「悪巧みとな、俺達の積年の怨嗟を晴らすんだ。どこが悪い。第一、お前の祖父とてアゥルトゥラにて刎頸されているではないか」
「俺は直系ではない。俺の血は元々ラシードだ。何か勘違いしていないか? ……俺はお前達が先走るのを恐れているんだ。あと五年は下地を作らなければならない。それが出来ねばアゥルトゥラは滅ぼせん。根絶やしには出来ん」
「ガリプが此方に下れば、それで勝てる。お前達だけでクルツェスカを落とす事も出来るだろう? バシラアサドもそれを望んでいる。それに、だ。現にシャーヒンや、ガリプの配下も一部此方に来ている」
「……俺は事を急ぐ愚か者ではない」
 一瞬目を伏せるようにした後に吐くのは捨て台詞のよう。静かに切られた啖呵に男は思わず刀の柄に手を掛けた。彼もセノールである以上、表向きではなく腹の中で轟々と燃え盛る怒りを持つだろう。悪魔のような真っ黒い炎が刀を抜け、と囁くのだろう。呼応するように抜かれたガリプの刀は左手に在る。
「今、お前も状況は分かっているはずだ。此処で斬り合えば、面倒な事になるのではないかね。だからこそ問うのだよ、何か悪巧みはしていないか、と」
 刀を抜きながらも理知的に語る獣を前に、男は柄を握り締めたまま僅かに何かを考えているような素振りを見せて、刀を僅かだけ引き抜いて、わざとらしく鍔と鞘を打ち鳴らし刀を収めた。もう敵意はない、というセノール同士の合図であった。ジャリルファハドもそれに倣い、刀を収める。
「ガリプの戦は正面から押し切る物と聞く。では、我々ジャッバールの戦の常を思い出せ、それが今この地に起きている事の背景となる。邪魔をするなら消す、姿を現さないなら現すまで殺す」
「勝算はあるのか」
「無ければやらん。尾を見せた者達がハイドナーでも、ベケトフでも、ナヴァロでも鏖殺するのみだ」
 そう彼は言い放って、小さく笑っていた。歪んでいると思うも、己の中にもそのような獣が住まい、その時を待っている。彼を非難する権利はないとジャリルファハドは刀の柄に腕を預けて、溜息を吐いた。
 ジャッバールが軍を率いて、戦地へ立つに辺り、50年前より彼等は後詰として大軍を率いるのみならず、敵へ弱化工作も卒なく行ってきた。恐らくはジャッバールによる工作の妨害が何者かによって、成されたのだろう。
 故に怒り狂った獅子の命一つで大勢が死に、クルツェスカの土に血を染み込ませ、石畳を赤く汚したのだ。最終的にはアゥルトゥラを滅ぼすのがセノールの悲願であり、大願である。犠牲となったアゥルトゥラは死ぬのが早かったか、遅かったかの違いだけのみであり、最終的には躯と化す以上、その命には等しく価値など存在し得ない。
「……もう目星は付いているんだろう?」
「まぁ、な。あいつ等の兵など一呑みだ。あんな寡兵、恐れるに足らん。ともすれば一夜で密かに全て討てよう。今にも事は起きているだろうさ」
 今にも事は起きている。その男の言葉にジャリルファハドは、何時もの重たげな瞳を見開いていた。くつくつと底意地の悪さを露呈させながら、笑うその男はさぞ愉快なようでジャリルファハドとは対照的である。
「どこに行ったか、吐け」
 頼んでいる訳ではない、語らなければ刀の刃が首にめり込む事だろう。男の笑みは少しずつ消え失せ、凍て付いた湖面の如く。見開かれた瞳に相反し、彼の口は開かれない。しかし、彼は嗤っている。誰かが死ぬのが愉しくて、愉しくて仕方がないという様子なのだ。
「さてなぁ、だが。だがな。もうじき燃えるぞ」
「どういう意味だ」
「貧者の恨みが燻ってないか?」
 さぞ愉快そうな男の言葉を余所目に人垣の中を、幾人もの憲兵達が駆け抜けていく。往来には少しずつ悲鳴が混じり、何かが起きていると誰かに問わずとも理解出来るような状況である。腹の中で何かがが蠢き、頭に至り、耳元で何かが囁いて来る。お前も血を流せと囁くのは、セノールが腹の中に飼う悪魔である。怨嗟から生まれた化物は愉しいぞ、と背中を押すのだ。
「アゥルトゥラが死ぬ。お前も……、アゥルトゥラが恨めしいだろう?」
 歪んだ口元から飛び出た言葉。彼が既に腹の中の悪魔に、身を明け渡している証であった。獣の名を冠し、悪魔を腹に飼う。人の形をした何かにだけは成らないように、とジャリルファハドは瞳を硬く閉じ、平静を装うのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.86 )
日時: 2017/05/05 18:18
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 浅黒い肌をした青い目の女と、鱗を生やした巨躯の男、死人のように表情一つない男が静か歩み進めたならば、屋敷の歩哨は顔を引き攣らせて道を開いてゆく。
 歩哨達は知らないのだ。彼女達の後ろには夜鷹達が引き金に指を掛けて、見据えているという事を。青い目の女が左手を挙げ、振り下ろすなり道を開いた歩哨の頭が、彼等の眼鏡に納まるなり銃声と共に弾け、次々と花を咲かせて行く。夜鷹達はハイドナーの屋敷を取り囲むように狙撃配置に就いているのだ。
 歩哨がある程度、撃ち殺されると外の様子を見ようとした女中を銃弾が襲う。窓と共に女中の頭を吹き飛ばしては、全てが血に染まり、鉄の筒で出来た凶鳥がクルツェスカの夜に鳴き、生ける者を啄ばみ殺すのだ。そんな地獄を三人は歩み続ける。
「騎士も復讐するのだ。曰く、彼等よりも"下賎"な我々が復讐を成したとしても妥当だろう。……なぁ?」
「知るかよ、どうせこいつら死ぬんだ。程度なんて関係ない」
 巨躯の男は足元に倒れ、呻く男の頭を踏み付けていた。女の問いになど、全く興味がないようであり、返答は素気ないも、女は気を悪くするような事はなかった。それが常であるからだ。
 右の胸元を撃たれた故に一撃で死に切れなかった歩哨は血の泡を吐きながら、もがき苦しむ。巨躯のレヴェリはそんな彼を弄び、嗤っている。一瞬、頭から足を退かし、即頭部を蹴り付けるなり白目を剥いたまま、手足を醜く振るさせて事切れてしまった。大きく身体が跳ね上がったのは気のせいではないだろう。呆気ないと鼻で嗤われてしまった死体の即頭部は大きく凹み、抉れ、欠損しており、皮膚と肉、頭蓋の一部が石畳の上に拉げ、潰れ、擲たれていた。
「シャーヒン、裏を取り殺せ。ルーイット、私の傍に居ろ。剣など恐れるに足るまい?」
「ガリプの刀の方が上等だぜ。俺からしたらなぁ、アレで漸く刃物、こいつらの剣は枝切れ、鎧は硝子ってもんだ」
 ルーイットと呼ばれたレヴェリは大声を挙げながら笑い、それを他所にシャーヒンと呼ばれたセノールは血肉の園を音一つなく駆けて行く。その背を見送る事もなく、青い目の女は懐からソリッドフレームのリボルバーを抜いてはルーイットの背を通り越して、一点を見据えるばかり。何事か、と六人の歩哨達が屋敷の正門へと立ちはだかる故、その群れをただ見ているのだ。数にして六人。ライフルを持つ者が二人、それ以外は騎士ごっこに興じているだけであった。
「……やれ」
 返事すらなく青い目の女の前に改めて、立ちはだかり、深く一息を吐くと、背だけを向けてその巨躯は駆ける。向けられた銃口すら恐れず、月明かりを浴びて、鈍く光る切っ先など気にする訳もない。ただただ暴力を振るう。そのためだけに駆けるのだ。
 銃弾は左肩と右腿を穿つも、表情を一瞬顰めるだけで、立ち止まる事などせず一撃の基に歩哨の顔を文字通り「砕いて」みせたのだ。断末魔を挙げる暇すらなく、弾けたスイカのようになってしまった、それは最初からそうだったかのようで、ふらつきながら斃れ込むその死体など気にも留めない。
「次――」
 次の歩哨の首を掴み取ってはそのまま、喉仏を握り締めては引き千切る。最早死んだようなものの仲間に気を取られる事なく、歩哨達の剣がルーイットに降り掛かった。切っ先が身体を穿ち、刃が走る。薄い皮膚を裂くも、強固な鱗で刃は止まる。それ故に傷は浅く、ルーイットは嗤うばかり。
 彼等の眼前に在るのは人の形をした化生、流れた血など誰の物か分からず、鼻腔を刺激するそれは歩哨は血に酔っていた。
 切っ先を掴み取り、剣を圧し折るなりその切っ先を握り締め、もう一人の額を斬り付けた。刃は骨にめり込み、鼻の辺りで止まり、白目を剥いて膝から崩れ落ちるのを待つでもなく、突き飛ばされると芝を赤く汚していく。鼻から抜かれた刃は骨に削り取られ、僅か刃毀れを起こしている。力任せに刃を押し付けたのだ。
 得物すらなく、逃げようとした歩哨は背を狙撃され、そのまま這い蹲っては動かない下半身など宛てにせず、腕だけで逃げようともがき、足掻く。非情にも青い双眸が静かに近寄ってきては、冷たい鉄の塊が後頭部に突き付けられるも、彼は生きようと足掻くのだ。
「今此処で死ねば、弄ばれず済むぞ。私はそれを勧めるし、そうする」
 歩哨の顔すら見ぬまま、引き金を引けば浅黒い肌に血が飛び散り、その中に混じる白い半固体を右手で払い除けて女はルーイットの背を眺める。僅か血が滲んでいたが、どの傷も浅く肩や足以外は全く効いていない様子であった。
「あっさり殺しやがって。バラした売春婦なんて面白かったぜ、当の昔に髄を切られてるってのによぉ、必死に足掻いて逃げようとしてるんだ。何か喋ってんだけど、もう何を言ってるか分からないから尚更だ」
 一人だけ残った歩哨の腕をもぎ取り、壁に足で押し付けて圧し殺そうとしながら、ルーイットは軽口を叩き始める。彼の言う売春婦とは「イザベラ」の事であり、彼からしてみたら玩具以外の何者でもなかったようだ。恐らくは今殺そうとしている歩哨もそうであろう。既に目に生気はなく、血混じりの泡を吐いてぐったりと俯いている。もう助からないだろう。
「それはさぞ良い見世物だったな。見世物小屋に金を払ってきたか?」
「俺とシャーヒンが見世物小屋の座長だぜ? 寧ろ憲兵に金を払って欲しいくらいだ」
 互いに軽口を叩き合いながら、二人は屋敷の扉を開く。同時に先程までルーイットが踏み付けていた歩哨に銃弾が見舞われたようで、甲高い音を立てて銃弾が弾けていた。
 月明かりに照らされた床は赤く、膝を折った状態でうつ伏せになり風池の辺りから首だけを削ぎ落とされた使用人の死体が何体も纏まって並んでおり、その脇で血を拭うシャーヒンの姿が在った。
「全部か?」
「……当主と隠居の姿が見えん。留守だな」
 淡々と語り、短刀から血を払いながら彼は語る。まるで家畜でも見るような目で、その死体達をぐるりと見回すなり、何かに気付いたように飾られた鎧が杖のようにして持つ剣を奪い取ると、それを引き抜き、刃を眺めながら、女中の死体を足蹴にし、仰向けにしてみせた。壮絶な死に方に相反して、死に顔は穏やかであるのが不思議である。赤黒い血とやや青白い月明かりのコントラストが映える。
「この辺りだったな」
 身体の一点を見据え、その剣を突き刺しては引き抜いて投げ捨てる。刺創は奇しくも「売人」の位置と同じく、同じような幅の広い刺創を作ってみせた。死体から流れ出る血は静かで湧き水のよう。これも何時しか枯れ、乾くと思えば、青い目の女はどこか穏やかな気分であった。
「なぁ、アサド。どうするよ待つか?」
「本来であれば親子共々消すつもりであったが、これも一興だろう。生殺しにするのもまた戯れだ。クルツェスカの騎士というのは少し"じゃれた"だけで死んでしまうのだからな」
 アサドと呼ばれた、その女。彼女はジャッバールの当主であるバシラアサドであった。青い双眸は酷く冷たげで、一点の曇りすらない。心なしか右目の開きが悪いようであるが、それは恐らく頬から瞼に掛けて走る、焼かれたような傷が悪さをするためであろう。
「……引くぞ」
 黒く長い髪が返された踵に取り残され、気後れたように彼女へと付いて行く。死体などまるで無かったかの様に視線一つ向けず、輩達は言葉すらなく、彼女の背を追うのだ。
 死人に口はなく、月明かりに照らされた死体だけが、口と瞳を閉ざしたまま主の帰りを待ち続けているようである。
 外は未だ銃声が響き、断末魔が聞こえている。扉を開けたなら、死体の数は増えており、夜鷹達は仕事を成したようである。辛うじて息のある兵の首をシャーヒンが掻き切っているのが、バシラアサドの視界の端には入り込む。
「お、焼けてんじゃん」
 ルーイットがさぞ愉快そうに笑みを湛え、一人ごちる。彼が眺める南西の方角は朱に染まり、煙が上がっていた。憲兵の屯所を焼いたのだ。銃声が鳴り響いたというのに、憲兵達が来られない理由は此処にあった。火を放ち、大勢の飢えた貧民街の住人に金と食料、水を与え、その代わりにと暴徒として差し向ける。多くは殺され、捕縛されたとしても彼等は毒を盛られた食料や、水で勝手に死んでいくだろう。
 血も涙もなく、大凡人らしさを擲った暴虐はクルツェスカを破壊していく。足掻き、抵抗すればする程にクルツェスカは崩壊に向かって直走る事となる。それが限界を迎えたとき、破壊者共々死に滅んでいく。そういう都なのだ。
 青い目の獅子は酷く愉しげに嗤う。あらゆる物が壊れていくのが、愉しくて愉しくて仕方がないというように。全てが壊れていく時が酷く、酷く愉しいのだ。今まで培ってきた物が音を立てて、崩れ去ろうとする様が愉しくて仕方がないのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.87 )
日時: 2017/05/12 19:39
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

その馨しき匂ひ、闘諍の香りなり――。

 狂奔呼び覚ますその香りが鼻腔を擽った時、褐色の肌をもつ少女の双眸は開かれる。蹴鞠が跳ねるように飛び起きた少女の手には銃がしかと握られており、銃口は彼女の視線の先、窓の外へと向けられている。額に脂汗を滲ませながら、その瞳は狩人のように冷たい光を宿しており、獲物の一切を仕留めることだろう。ここでは♂ス事も無いと彼女自身が漸く理解すると僅かに張り詰めた緊張がフゥと切れて、トリガーにかかっていた指が外れる。しかし、未だに纏わりつくような不快な臭いは消えず、思わず顔を顰めた。そのような猥雑な臭いの中、眠りにつけるソーニアが羨ましくもあり、同時にその鈍感さが恐ろしくも感じた。舌論の際は該博な知識と鋭い観察眼を用い相手の急所を突くという のに、命削る戦いにに於いてはなぜそこまで疎くなってしまうのだろうか。幸せそうに眠る彼女の方を見据えながら、すんすんと首を傾げつつも、疲労困憊の彼女を起こさぬ様に音も無くベッドから降りた。彼女なりの気遣いである。銃を懐にしまい、窓の前まで行くとカーテンを捲る。そして「あっ!」と声が出した。窓の奥、深更の空を覆う暁は決して朝を告げる鶏声に非ず。我を見よと言わんばかりに輝く幾千もの星達の瞬きは朱に呑まれ、一晩で火の元一帯を焦土に変えるであろう。幸いなことにソーニアの家から背の高い建物に阻まれて、その全貌を見ることが出来ない。ただただ惨たらしい赤のみを純真なる瞳にしかと映すのみなのだ。暑さとは別の意味で汗ばんだ手で窓を開ければ生暖かい風に乗って、肉の焦げる臭いと硝煙の香りが混ざった匂いが鼻を刺激し、見知らぬ誰かの怒号と悲鳴が耳に響く。途端、彼女の脳裏に浮かぶのは昼間の売春宿の惨劇であった。ジャリルファハドの計らいによって彼女達の遺体をその目に映すことはなかったものの、壁についた血痕はそこで何が起きたのかを容易に想像せしめるものであった。相手に抵抗するための武力を持ち得ていない者達は突如として現れた暴虐の化身を見てどう思ったのだろうか。抵抗する術を持ち得ず、虫のように縮こまり、惨めにも命乞いをし、それでも淡々と喉を裂かれ、腹を裂かれ、内臓を床へとぶちまけた。無念と恐怖の内にその命を散らしていったことだろう。そのような悲劇があそこでも起こっているのかと、心臓がドッドッドッと音を立て気が気ではなくなるのだ。そして、部屋の中を落ち着きの無くした犬のように歩き回り、机の脚に小指をぶつけて悶絶する。そのような不安の渦の中に取り残された彼女が後先考えずに飛び出して行かないのはジャリルファハドにきつく言い咎められているからである。「勝手な事をしたら放逐する」と、出かける寸前、ミュラに向かって脅しをかけたジャリルファハドの顔は殺意こそ見えないものの真剣そのものであり、これは冗談ではないと感情に疎いミュラでさえ感じることができた。そして、背中に冷たい何かが流れる感じながら黙って頷いたのだ。(尤も、彼に言われずとも彼女が本能的に危険を察し、外に出ない可能性も大いに ありえるのだが……)
 時間が経つにつれて空は赤く燃え上がり、それに比例するかのように臭いも更に強くなる。未だにジャリルファハドは戻って来なければ、戻って来る様子もない。行くも不安、行かずも不安。そんなジレンマを抱えつつ、血のように赤い空をただただ見つめるばかりであった。太陽は未だ眠っている。


 屯所が暴徒に襲われたと憲兵から連絡が入り、鎮圧に向かったのは三十分程前のことである。突如として降りかかってきた災禍から逃れようとする民衆の波を掻き分けた先にあったのは更なる地獄である。貧困街で暮らす者が一斉に屯所に押し寄せたのだ。殆どの者は己の拳を武器に憲兵を思い切り殴りつけ、極少数の者は慣れぬ剣を振るったり、震える手で銃を構えたりしている。しかし、所詮は素人。もたつく彼らの身体を憲兵の剣が刺す方が早い。銃弾が容赦なく頭に穴を開けよう。ガウェスは止めろと言えるわけがなかった。攻撃をやめさせること、即ち、死ねという命令に等しく、どうするべきかと立ち竦んだガウェスの頬を一発の弾丸が掠め、赤い線を一本作る。思わずふらついた彼の背後、斬りかかってきた男を軽くいなし、剣を奪うとがら空きになっている腹を殴りつける。小さな呻き声と共に男は剣を手放したものの、闘志は消えず、恨めしそうにガウェスを睨んでいる。明確な殺意と憎悪を向けられても僅かに眉を動かすだけで、遠慮なく男を壁に押し付ける。
「答えろ。誰の仕業か」
 男は答えない。ただただガウェスを睨む。
「答えろ!!」
 その時だ。男の顔色が変わった。比喩ではない。血の気が抜け真っ青になった顔、土気色をした唇。死体が動いていると錯覚に陥りそうなほど白くなった肌を見て、ギョッとすると男の腕を持つ力が緩まってしまう。ガウェスを突き飛ばすように前へと押すとヨロヨロと一歩、二歩前へ前へと歩き、先ずは胃液と吐瀉物を吐きだした。茶色だったそれに段々赤が混ざり、やがて全てが赤に上書きされ、最後には吐瀉物と血が混ざり合った異臭の沼に顔が沈む。男を皮切りに次々に暴徒達はゲロを吐き、血を吐き自らが作った沼に顔を沈める。ガウェスも憲兵達は呆然とした表情で見つめることしか出来なかった。時が止まったような静寂の中、誰かが医者を呼べと叫んだことで時間が進みだす。先程とは別の意味で騒がしくなり、ガウェスもその対応に追われることになる。
 肉体的にも精神的にも限界を迎えた体を引き摺るようにして歩く。身を清め、ベッドで思い切り身体を休めようと考えながら、自宅へと帰って来たガウェスの眼前に飛び込んで来たのは変わり果てた園地である。青々と茂っているはずの芝生の上には赤黒い花が咲き乱れ、放つ花香は馨香と呼ぶにはあまりに鉄臭かった。ショックと絶望を張りぼての勇壮で隠し、一歩を踏み出せばどこか分からない肉片がぐちゃりと音を立てて潰れていく。爪先で蹴った空の薬莢はハイドナーで使っている乃至アゥルトゥラで造られてる物とは大きさが僅かに異なる。北の大国からの武器か、それとも、それを基に造られたかのどちらであることには間違いない。
 空の薬莢をしまい、血塗られた園を抜ければ、屋敷の外壁が見える。窓ガラスは全て割られ、穴だらけのカーテンが風に揺れる。汚れ無き白亜の壁には無数の銃痕が刻まれ、蜘蛛の巣のようなひび割れを作り、それでもなお、主人の帰りを待っていた。
 玄関ホールの扉を開ければ、老いも若きも男も女も関係なく全てを鏖した災厄の化身は過ぎ去り、人と呼ぶには些か壊れすぎている肉塊のみがそこに取り残されていた。虫の足を千切り、アリの巣の近くに放置する残酷な遊びのようだが童のように、其処に賊心はないのだ。ただただ微小なる好奇心と多大なる愉悦によって引き起こされるだけのこと。ある種の無邪気のようにも映るこれらの行為だが、脳が焼き切れると思うほどの強い悪意が見え隠れしているのも事実。
 ガウェスは怒りに震える。嗚呼、何故なぜ。何故彼等はここまでのことが出来るのか。力無き者を殺すのに飽き足らず、このように惨いことが出来ようか。殺すのならば、普通に殺せばよかろう。一片の苦しみなく、眉間を、心の臓を貫けばよかろうて。
 ならばせめて、せめて、ハイドナーのために、自らの生を全うしようと藻掻いた彼等のために、死に顔だけは整えてやろうと赤い運河に膝をつく。ハンケチーフで血を拭いゆっくりと瞳を閉じさせ、顔が欠損している者はその度に穴の空いた腹の前で指を組ませ、せめてもの鎮魂を表し、涙を流す。
 二階の応接間。そこの扉を開けた瞬間の衝撃を彼は一生忘れることはないだろう。弔いも無く、無造作に投げ捨てられた骸同士が複雑に絡み合いそれは積み上げられ楼閣のようであった。隙間からコンコンと血が流れ、未だに生暖かい運河を作り続けている。身体は無く、首だけがこちらを見つめているのだ。唇を血が出るほど噛みしめるものの、沸き上がる激情を発露させるには全く足りない。開け放った扉に向かって拳を一発叩きつけた。今まで無理矢理に抑えつけてきた感情が溢れ、それは獣のような咆哮となり彼の口から零れる。唇が渇きひび割れた大地のように、喉が枯れその声にノイズが混じるまで叫ぶ。ゼェゼェと情け無く乱れた息を整えて、彼はひどい千鳥足で楼閣の隣で横たわる少女の元へ。彼女はまだ弔っていないのだ。しかし、彼女の表情は眠っているかのように穏やかで美しい。ガウェスの鎮魂など不要である。だからこそ、胸元に一つの傷が醜く歪んでいるのだ。ガウェスの大きく見開かれた瞳、それがフッと閉じられ、乾いた笑いが洩れる。愚かで高潔なる騎士はようやく気が付いたのだ。これまでの惨劇、今回の悲劇がどのように引き起こされたものなのか。彼らは気紛れにここに出向き、ハイドナーの兵を、使用人を殺害したのではない。自らが育てていた植物の枝葉をほんの少しちょん切られた。それだけの理由で斯様なお礼参りを為したのだ。
 笑い声が途絶えると共に遂に膝から崩れ落ちたガウェス。彼の口からは嗚咽が漏れ、頭を抱え項垂れる。そして彼の背後。感情の渦に呑まれいく男はゆっくりと近づいてくる存在に気づけなかった。
「こんなところで懺悔かい、ご当主殿?」
 聞き覚えのある男の声。振り向くよりも後頭部を掴まれるほうが早かった。「誰だ」と声をあげる前に力任せに顔を床に強く叩きつけられる。鼻の血管が切れ、乾いた血を新たに赤く色付けていく。何とか上半身を起こそうと両手を床につき、力込めても男の膝が乗っかっているために上手くいかない。何とか抜け出そうと身を捩るガウェスの頭に突きつけられた冷たい鉄の塊は命を奪うための兵器である。顔を強張らせ抵抗をやめた彼が初めて床入りする生娘のようで、男の口から噛み殺したような笑いが洩れる。更に掠れた声で「待ってください」と懇願が飛び出るものだから、余計に滑稽である。嘲笑うかのように更に強く銃口をガウェスの頭へと押し付け、形の良い唇を開く。
「それではさようなら」
 男のお願いなど聞いてやる必要はない。薄笑いを浮かべたまま彼は引き金を引いた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.88 )
日時: 2017/05/08 06:57
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 クルツェスカの夜は未だ赤く燃えている。カシールヴェナの真っ暗な夜とは随分と違うのではないかと、思い耽りながらアル=ハカンは一点を睨む。腰に差すのはガリプの刀。また彼の手勢も元ガリプ配下の兵であり、彼等も一様にガリプで使われている曲刀を腰に差している。
 彼等が睨む屋敷にはハイドナーの家紋が掲げられており、アル=ハカンの手勢であるガリプの兵達は言葉一つ発する事ない。どの者も歴戦の兵であると見て取れる。血など見慣れた事だろう。人を斬った事もあるだろう。そんな者達が自身の手勢に在る事にアル=ハカンは安堵を覚えた。
「……あれか?」
 通りの奥から前時代的な馬車が一台、碌に護衛も付けずに屋敷へと近寄ってくる。それに感付いたのであろう。ガリプの兵がアル=ハカンの傍らで首を傾げながら疑問を口に出す。ラーディンの狙撃手が居たならば即時狙撃を加え、殺害に及ぶのだろうが本家の襲撃に全員出向いている以上、そうも行かず。また、あれがハイドナーの物だとは確証がなく、無差別に殺害するというのはリスクが大きく、ハサンの掟には相反する。例え息子がその掟を蔑ろにしていたとしても、未だ己が当主である以上は模範でなければならない。
「降りるまで待つ、あれがロトス・ハイドナーならば即時討つ。ガリプを率いていながら、やり口はハサンのそれで済まない」
「何も気にするな。殿をするならばガリプに比類する者は居ない。我々はそれしか出来ないが、それをやらせておけば誰にも負けん」
 そう語りながらガリプの兵は手を振り、それを合図として、まだ進むなと指示を出しているようだ。ガリプの合図はハサンであるアル=ハカンには分からず、またガリプとしても事細かに分かられては困る代物である。
 物陰から息を殺し、気配すらなくじっと獲物を見定める様、それは宛ら野生の獣の如く。アゥルトゥラからしたら、同じ人間だとは思えないだろう。住まう環境、置かれて来た状況、文化全てがアゥルトゥラとは異なる。近しくありながら、決して相容れない存在である。恐らく、クルツェスカの動乱を察してはいるだろうが、まさか此処にセノールの兵が伏せているとは予想などしていないだろう。
「……随分と若いな」
 恐らくはハイドナーの別家、そこの子息であろう。帯剣している様子もなく、修羅場を潜り抜けている様子もない。随分と恵まれた人生を送ってきたのだろうな、とアル=ハカンは嘲笑うも、すぐさまその笑みは自嘲へと変わっていくのであった。自身の子達にはどうだろうか、と。シャーヒンは歪めてしまった、アースラだけでも己の全てを擲って育てたつもりだったが、彼女もまた、何処か歪んでしまった。子に不幸を強いた己は、とても愚かしく、命で償おうとしても足りないのではないだろうか、と思えてくるのだ。
「ハカン? あれはやるのか」
 傍らのガリプ配下であった兵達は刀の柄に手を掛けている。彼等の目は野生動物のようで、もし言葉一つで箍を外してやったならば、躊躇いなど微塵もなく血を流すために刀を振るう事だろう。彼等が奔り、血を流したならば、そこには五十年前に似通った風景が作られるに違いない。それがあの戦争で死んだ英霊達への手向けにもなるのだろう。だが、しかし――。
「我々の標的はあくまでロトス・ハイドナーだ。あれは違う。恐らく同じ血を引く者だろうが、あれを殺す理由はない」
「あぁ、分かった」
 ガリプの兵は聞き分けが良く、扱いやすい。ジャッバールの兵と比べ小賢しくなく、戦うための機械のように自己を殺しきっている。それで居ながら勇猛である。ガリプの姓を持つ者達もそうであるからして、やはり東を攻めるには彼等の助力が必要であると思えるのだ。バシラアサドのセノールを煽動する能力には舌を巻く物があるが、如何せん時期尚早であり、事を起こし、争う期間が長引けば長引く程に共倒れになるのではないか、と思えるのだ。今すぐ攻めるのであれば、温情を持たず、自己すら擲ち戦場を駆けずり回る、狂った兵の力が必要となるだろう。
「お前達はどうするかね、アゥルトゥラを攻める時には……」
「我々はガリプから離反した段階で、腹の内を決めている。ジャッバールと死ぬ覚悟をしてきた。でなければ、バシラアサドは我々を受け入れなかっただろうし、我々のような存在は要らなかっただろう」
「……そうか。アサドが敗れ去る時があれば、お前達はアイツを守ってやるといい」
「ハカンは」
「恐らくは俺も、シャーヒンも此処で死ぬ。さて――」
 冗談めいた言葉を投げ掛け、アル=ハカンは刀の柄を握り締めた。
 先程の馬車が来た方向から、もう一台の馬車がやってくるのだ。先程のそれに遅れる事、物の五分ばかりか。先程の馬車とは違うのは家紋のような物が掲げられている。八つの羽、十字を描く結晶。周囲には決して、それを侵さぬようにと、飾られた蔦のような紋様。セノールのタトゥーによく似た風貌のそれはハイドナーの証であった。彼等はあれを掲げる事により、関所の通行手形の代わりにしたり、往来の中での通行の優先権を得たりとしている。言うならば貴族の特権を記すような代物である。まさか、それが仇となるとは誰も思うまい。
「――主よ。我は主のみを崇拝し、主にのみ救いを求める者に在り、また、主に成り代わり審判の日の主宰者となる者に在る。主よ。我らを導き、我らを保護し、我らの霊を、御許に置かれ給え――」
 アル=ハカンが消え入りそうな小声で放つ祝詞、それはセノールの武門がこれより殺める者への冥福、もし己が死んだならばその御許へ迎え入れてくれという願いである。一様にガリプの兵達もアル=ハカンに倣い、呟くように唱え、暗闇から馬車を睨むのであった。
 馬車から降りてきたのは初老の男。如何にも商人であるというような格好をした、彼を見据えアル=ハカンは手で合図を送った。ガリプの兵は駆け、後から経ったというのにアル=ハカンは彼等を追い抜いて、その商人の背後へと迫る。随分と質の良い布で作った服を着ていると、僅か関心し、それが血に染まるのを幻視する。これから業を一つ侵すのだ。
「……ロトス・ハイドナーかね」
 名を呼ばれた刹那、肩を震わせ振り向こうとした男の首元に刃が食い込む。老いた男は醜い呻きを上げるばかり。彼は抵抗一つ取れずに滔々と首元から血を湧かせるばかりである。柄に力が篭め、肉を裂けば、刃先が骨にまで届いたのだろう。硬いそれを刃先でなぞるように、短刀を動かかすと苦悶の表情を浮かべながら、手を震わせてアル=ハカンに掴み掛かろうとするばかりであった。
「目撃者は」
「――もう居ない」
 横目でガリプの兵を見遣れば、彼等の足元には御者が斃れており、血溜まりが出来上がっていた。首に一太刀浴びせた故に、血が吹き出たのだろう。馬車は血に汚れ、馬が恐怖に駆られて怯えているようだった。幾ら動物と言えども、恐怖という物は行動を抑制するのか、鳴き声一つ上げずにその丸い瞳で凶行をひたすらに見つめている。
「随分と汚れた血だ。高潔さの片鱗すらない。神はお前を天から地へ突き落とすのではないかね」
 刃を引き抜き、少し小突くと力を失ったように後ろに倒れ込んで、そのまま目を見開いたままで動かなくなってしまった。アル=ハカンはせせら笑いながら、しゃがみ込んでは首から腹までを一気に裂く。ジャケットの胸ポケットから出てきたのは、血塗れの名刺であり、確かにそこには「ロトス・ハイドナー」とは記されていた。一瞥しては、そのまま首に短刀を立て、解体するように刃を走らせた。筋は全て絶った、顔に膝を突き当て、そのまま全体重を乗せて押してやると骨が外れたのだろうか、首と胴はすっかり分かれてしまった。髪を引っつかみ、それを手に取ると死に顔を整える気すらなく、皮の袋に突っ込んでしまった。血が僅か滲み始めているが気にする様子はない。
「討つに容易い、取るに容易い。平和に慣れる物ではないな。――退くぞ」
 馬車が着いたというのに、未だロトスが戻らない事に屋敷が騒ぎ出すまで時間の問題であろう。幸いにも、退くの一言に殺意の一遍すら押し殺したであろう、ガリプの兵達は大人しく従ってくれている。願わくば怨嗟溢れるハイドナーの全てを絶やしてしまいたいだろうに、それを押し殺してくれるのだ。彼等には感謝しかない。
「ハカン、一つさせて欲しい」
「構わん、お前達に対する感謝の代わりだ」
 ガリプの兵は目を輝かせて、ロトスの死体を取り囲むなり一様に握っていた刀を突き立てるのだった。剣山のようになったそれを見て、せめてもの腹いせだったのだろうと、アル=ハカンは目を瞑り、駆け出した。刀は抜かれないまま、そこに在り続ける。恐らくはこれでセノールがやったと判断されてしまう事だろうが、それでも良いだろう。今までバシラアサドが成してきた蛮行は全て、セノールがやった物だと判断されつつ、触れてはならないと、闇に葬られてきたのだから、それで良いのだ。
「……ガリプの英霊は俺達を許さないだろうが、これは俺達の怒りなんだ。目を瞑って欲しい」
 ガリプの兵はぼそりと呟いていたが、明らかにアル=ハカンの耳に届くように言ってきていた。仕方ない兵だと薄ら笑いながら、暗闇を駆け抜ける。まだクルツェスカの夜は未だ赤く燃えている。そろそろ炎は鎮まるであろうか? 何れこの都は炎の赤と、血の赤に染まる事になるだろう。今晩はその前夜祭のような物なのだ。アゥルトゥラの民は腹を括り、その時を待つと良い。ガリプの兵達が腹に飼う悪魔は、そう大声で叫んでいるのだろう。彼等の顔付きが、何処と無く満足気なのはそういう事だろうと、アル=ハカンは思い至り、ロトスの首が入った皮袋をぐっと握り締めるのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.89 )
日時: 2017/05/22 08:17
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 乾いた音が響く。息をすることさえ憚られる緊張感の中、男はくつくつと嗤いながらガウェスの上から退いた。彼の頭に赤い花は咲いていない。弾倉に弾は込められていなかったのだ。男への怒りよりも、心臓が滞りなく動いているという安堵、そこらに放り出されている肉塊にならずに済んだという事実。それらを理解すると、口から飛び出んばかりに動いていた心臓は次第に落ち着きを取り戻し、額を流れていた汗が引いていく。しかし身体を襲う倦怠感は消えず、スローモーションのようにひどく散漫とした動きで身体を起こす。振り向いた先にいるのは、黒いジャケットとズボン、灰色のシャツを着込んだガウェスと同じ歳くらいの青年である。女性のように白くキメが細かい肌をしているが、鍛え上げられた無駄のない肉体である事が服の上からでも分かる。星のない夜を束ねた黒い髪を持ち、耳の周りからサイドにかけては短く切り揃えられ、前髪は額にはかからず外側にツンツンと跳ねている。身長はガウェスよりも五センチほど高く、海の底を連想させるようなインディゴの瞳がガウェスを見下している。視線が混じり合えば、男は愉快だと言わんばかりに目を細め、その顔が父親の顔と重なり、思わず視線を横にずらしてしまう。すると男は顔を愉悦に歪め、ふんわりとした飴色の髪のに一枚、白いハンケチーフを落とした。意図が読めず、困惑を宿した瞳がどう言う意味かと問えば、「はっ」と小馬鹿にしたような笑いが一つ。そしてようやく口を開くのだ。
「なぁんにも悩む必要はねぇだろ。これはお前さんへの手向けよ。此所に来るまで、今までずぅとやってきたじゃねぇの、うん?」
 自分が、ハイドナーが死んだとでも言いたいのだろうか。普段ならば、聞き流せる男の戯言も今のガウェスには耳障りなヤブ蚊の羽音と何ら変わらず。そういえば、極東にある島国では『打ち覆い』と呼ばれる死者の顔に白い布をかける風習があるのだと思い出す。
「私は……まだ死んでいませんよ」 
「死んでない? それ鏡見た後でも言えるのかねぇ。すんげー顔してるぜ。死人って感じ。ドレント湾の方が良い色してるんじゃねぇの。ほら、そこ。そこの血溜まりで見てみろよもしかしたら鏡の代わりになるくらいにはなるんじゃね? よかったなぁ。碌に屋敷を守れないような木偶の坊にも使い途があってさぁ」
「ランバート!」
 飛んできた叱責の声に悪びれた様子はなく「ランバート」と呼ばれたその男はわざとらしく肩をすくめ一旦口を噤む。眦を決し、殺意に似た感情を胸に滾らせて立ち上がったガウェスがズンズンと距離を詰めてくる姿を見て思わず口元が歪む。何て御しやすいのだろうかと。投げ捨てられたハンケチーフが赤く染まっていく。
「怒るかね。一丁前に」
 胸倉を掴まれようともランバートの笑みが崩れることはなくむしろ挑発するように笑みを深めた。それが更にガウェスの癪に障る。
「まぁとりあえず、さ。離せよ。シャツが伸びるだろ」
「ふざけるな!!」
 吼えるガウェスとは裏腹にランバートの表情は非常に冷ややかなものであった。三日月を描いた口元は紐を結んだかのように真一文字に閉められ、美丈夫を映す瞳には研ぎ澄まされたナイフのような危うさと底が見えない途方もない怒りが孕んだ光を放っている。それこそ殺意に近しい代物であり、身内に向けるような感情ではない。
「ふざけてるのはどっちだよ。誰のせいでこうなったと思ってやがる。てめぇがアホやったからクルツェスカがこうなっちまったんだろ。クルクルしてるのは髪質だけにしとけよ、なぁ。それともなんだ。お前の頭に馬糞でも詰まってんのかい? ああ、それなら納得だわ」
 ぷつりと何かが切れる音を確かに聞いた。しかし構うものか。まだ言い足りぬと口を開いたランバートが視界の端で捉えたのは、右から真っ直ぐに飛んでくる拳である。それを片手で受け止めると、痺れるような痛みが手の平から腕全体に一気に広がる。発砲時とは全く異なる衝撃を受けて、眉間に皺が寄るもののそれは一瞬。余裕のある笑みが浮かぶ。そして前に出ていたガウェスの右足。その足首を横に払うように蹴りをいれればズルリとガウェスの巨躯が横に滑る様に崩れていく。ダメージを与えるのが目的ではない。この時を待っていたんだと、彼の手を掴むと素早く背中に回し素早く床に押さえつける。腕の関節がミシミシと悲鳴を上げ、ガウェスの顔が苦悶に歪む。
「後ろを取ったのはこれで二度目だな。どうだい気分は?」
「最悪です」
「だろうな。これで「気持ちがいい」って言われたらどうしようかと思ったぜ」
 鼻高々な表情と言うべきか。勝ち誇った顔をしてゲラゲラと笑う。いつも澄ました顔をしている男の顔が苦しみに歪む様が楽しくて仕方が無いのだ。ランバートの左の手の甲にはハイドナーの家紋が彫られている。ガウェスの手の甲に彫られているものとは若干違いがあるが、彼もハイドナーの血を継いでいるのだ。尤もロトスの弟に当たる人物の息子なのだが。ちなみにランバートには二人、弟がいる。
 下品な笑い声をやみ、「はぁ」と呼吸を整える。ガウェスの床に押さえつけたまま静かに語りかけるのだった。
「もう分かってんだろ、今回の惨劇の発端。誰が原因なのかは。そもそもな、これまでのクルツェスカは水がギリギリまで張ったコップみたいなもんだったのよ。あと一滴でも入れば溢れる。そんな状況よ。……そうだ! お前が全部壊した。絶妙に保っていた均衡を修羅に傾けた。それがどれだけのことか分かるか。死ぬぞ。これからもっと死ぬ。本当に悍ましいったらありゃしないな。まぁ遅かれ早かれ今回みたいなことは起こると思ってたよ。あいつらが入って来た時点でさ。まぁ、予想以上に早かったけどな」 
 ガウェスを解放し大きく体を伸ばしながら拳を受け止めた左手を大きく上下に振っている。ガウェスのパンチが思ったよりも効いていたのだ。
「こうなると分かっていて、貴方は何もしなかったのですか」
「今もいろいろ頑張ってるっつーの。町ん中ヘラヘラパトロールしているお前とは違うんだよ。それに忠告はしたじゃねえの。ここにあいつら入れるのはやめろってさ。それを突っぱねたのはお前とお前の親父さんだろ。それとも何だ。ぜぇんぶ俺のせいだって言いたいのか」
「違います。断じて。これは私の浅慮が引き起こしたことだ。でも、それでも、せめて、せめてもう少し相談してほしかった」
「異国の言葉で『豎子与に謀るに足らず』って言葉知っているかい? ……そういうことだよ」
 ランバートの情け容赦ない言葉はガウェスの心を切り裂くには十分すぎた。顔を下に向けて肩を震わす白銀の騎士をジッと見つめる。思わずほぉとため息が出る。呆れたのではない、同情である。彼が一当主ではなくどこかに仕える一介の騎士であったならば、その真面目で誠実な性格と剣さばきによって大成していた可能性が高い。またはガウェスの性格が、もしくは父親の性格がどちらの性格に酷似していたら、ここまでガウェスが苦しむ必要はなかったはずだ。しかし無理な話だ。潔白な生き方を望む息子に対して父親はあまりに汚れている。行き過ぎた齟齬は互いの理解を拒み深い溝を作る。もしくは息子に理解を示さない父を踏み越していく強さと冷酷さがあったら、また違った未来があったのかもしれない。
「父は……無事でしょうか。予定だと既に貴方の屋敷にいるはずなのでしょうが」
 ガウェスの蚊の鳴く様な声でランバートは思考の海から引き上げられる。団長として騎士団を統率しているランバートとは違い、彼の長弟は生粋の商人である。ロトス・ハイドナーが賢者の石及び古美術品、モリス商会が絨毯やカーテンなどの室内調度類を専門に扱っているのに対し、彼が輸出入しているのは古美術品や室内調度品はもちろん、武器弾薬、薬、その他材料に至るまで、その場、その時の状況に合わせた品物を常にクルツェスカに回している。見境なさから「ハゲタカ」と揶揄されることもしばしばあるが、別段気にした様子はない。彼らに突っかかってくる者の殆どが同業者だと理解している故、見苦しい嫉妬だと割り切っているのだ。
「さあ、どうだか。本来の護衛は俺だったけどね、ここ二日間で色々ありすぎたろ。そっちにきぃ取られてたからよく分からんのよ。とりあえず、お迎えは末弟に行ってもらったんだ。安心しろよ。未熟者だが、伸び代はばっちりだし成長も早い。恐らく平気だろうさ。今頃二人で紅茶でも飲んでんじゃねぇの?」
「護衛も増やしたし」などとごちるランバートはどこか冴えない顔つきであった。そもそも今回の商談は周囲には極秘裏なもので、知っているのはハイドナーの中でも一部の者であった。加えて、本家ではなくランバート邸での商談。武器や食料の備蓄も、一人一人の練度もガウェスの所とは比べ物にならない。最悪、善戦とまではいかなくても援軍が来るまでは持ち堪えるまでは出来るだろう。唯一心配だったのはロトスの予定によって商談の時間が日没後になってしまうことだ。「暗殺者は闇に紛れてやってくる」と反対したものの、そこ以外の時間はとれないと無理やり押し切られてしまったのだ。仕方なく護衛を増やすことで同意したのだが、どうも胸騒ぎがする。
「とりあえず、お前も俺の屋敷に来い。保護もそうだが……、何よりもこんなところに居られないだろう」
 改めて部屋の中を見渡す。人の業を詰め込んだような歪な楼閣と祈りを捧げているかのように穏やかな顔をして横たわる使用人。酷いことをしやがるとランバートはガウェスにばれないように舌打ちをする。彼自身、人を殺すことを生業としているため、そのことへの非難はない。神など信じていないので、弔いなんぞしなくてもいい。だが、苦痛を与えて殺すのは如何なものか。その点だけは殆ど反りが合わないガウェスと意見が一致していた。安らかにとは言わない。ただ余計な苦痛などは享受させずに一発で仕留める。それが戦いにおいてせめても情け。そこに悦楽を求めるな言語道断である。
「お心遣い感謝致しますが……、彼らを放っておけません。せめて人として埋葬してあげてから」
「死んじまったら生き物じゃなく、ただ肉袋だろうだろうがよ」
 思わず飛び出たのは死者を侮辱する様な一言。ガウェスから向けられる視線が一等厳しいものになる。しまったと思っただろう。ガウェスが何かを言いかけたがそれを遮る様にランバートが口を開く。
「冗談だよ。ジョーダン。疫病が流行るかもしれないからな。明日には俺の兵を何人かこっちに向かわせる」
「……よろしくお願いします」
 何か言いたげな表情をしていたが、それ以上は何も言わず恭しく頭を下げた。兵が壊滅状態にある今、ガウェスが頼れるのは彼しかいない。頭を上げたガウェスの目の前にはランバートの右手が差し出されていた。それが自分の為の気遣いなのだと理解するのに数秒の時間を有する。何か仕掛けているのではないかと邪推が働き、手を取るのを躊躇っているとランバートが早くしろと言わんばかりに視線をぶつけてくるので恐る恐る手を取る。途端に共体が上に引っ張られ些か乱暴に立ち上がる。よろめくガウェスを他所にランバートは手をズボンで念入りに拭くとポケットから時計を取り出す。予定よりも三分ばかり遅れている。ルールや時間に厳しい長弟に何て言われるか、またなんて言い訳するべきかと考えながらランバートは外に向かい、ガウェスもその後を急いで追いかける。敷地の外には彼が乗って来た馬車と馭者が主人の帰りを今か今かと待ち続けているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.90 )
日時: 2017/05/28 00:49
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 ランバートは口数の多い男であった。瞼をおろし、馬車の揺れに合わせてこっくりこっくりと頭を揺らすガウェスを叩き起こすと、板に水を流すようにつらつらと言葉を並べるのだ。昔と変わらず爛れた生活を送っているらしい。薄い唇から放たれる言葉は誠実なガウェスにとっては爆竹のような言葉であった。毎夜、外を歩き、女を口説いては一夜のみの関係で結び、次の日には赤の他人となる。ケロリとした顔でセノール人にも手を出してみたいと言い切ったときは、さしものガウェスも顔を引き攣らせ勘弁してくれと肩を掴み懇願した。同時にこんな節操無しに今まで説教をされていたのかと思うと無性に情けない気持ちに襲われたのだった。
 カラカラカラと、馬車を半刻ほど走らせれば、屋敷を囲う白い塀がうっすらと確認できる。ようやく姦しい男から解放されるのだと思うと生き返る心地であった。と、妙に屋敷周りが騒がしい。蜷局を巻く蛇のように一周二周と人垣が造られており、それを成しているのはランバートが抱える騎士団もとい、傭兵集団の連中である。
 ドクリと一層音を立てた心臓。ガウェスがランバートに目配せすれば、彼は頷き馬車を止めさせる。騒がしい籬へと近づけば、彼等の存在に気が付いた者達が黙って道を開けていく。ご苦労ご苦労とにへらと笑いながら労いの言葉をかけて騒ぎの中心へ向かう。
「剣立てか何かと間違えたのかぁ」
 軽口を叩いてこそいるが目は笑っていない。一頻り笑うと、感情を抑えた響きで末弟を呼べば、人垣をかき分け現れたのは、15歳ほどの少年である。優しげな目元、胸元まで伸ばされた黒い髪は緩く結ばれ彼が歩く度にふわふわと無邪気に跳ねている。白い肌をより蒼白くさせ、怖い顔をする兄を前に、おどまどしながら経緯を話す。
 一方、ガウェスは首の無い父の遺体をただただ呆然と見下ろしていた。切断面から赤黒い肉と白い骨が覗き、テラテラと光る。血が溢れ、白かったシャツを赤く汚す。ツンとした鉄臭さが鼻の奥を刺して涙が零れそうになる。
 鎧が汚れるのも構わず、変わり果てた父の横に立て膝をつく。ロトスの身体を貫く刀の柄に手をかける。まるで切っ先までが自分の一部になったかのようだ。刀を弄る度にぶよぶよとした肉の感触が伝わり、気色が悪い。ぬちゃりぬちゃりと耳を嬲る音が犯し、視界が左右に揺れる。
 ようやく抜ききったその刀はアゥルトゥラでは中々お目にかかれない代物であるが、幸か不幸か、ガウェスはこれと同じ刀を持つ男を知っている。
「ジャリルファハドのところへ行くのかい?」
 引き抜いた刀を手に立ち上がった男の背後、ランバートが彼の方を見ずに話しかけた。ガリプの家長候補であるジャリファハドがクルツェスカにいることはランバートの耳にも入っている。
「えぇ。それが何か?」
「なぁ、ガウェス。目の前のモノだけが必ずしも真実だとは限らないぞ。真実は単純だとしても事象がに絡み合えばそれは複雑怪奇な謎になる」
「何が言いたんですか」
「冷静になれよ。んで、物事をすこーし離れて見てみようぜ。一本の木ばっかり見てもしょうがないだろう?」
「私は冷静ですよ。ご心配なく」
「そうかい。んでもご生憎サマ、今のところ、お前のために割ける兵はいないぜ」
 自らでは止められないと分かった時のランバートの引き際の良さは賞賛に値するものだろう。自分に危害が及ぶギリギリを見極め、そこに至るまでは節介に等しいほど世話を焼いてくれる。しかし、そこを一歩過ぎると即座に手を出すのをやめる。それは親戚同士とて同じ。彼も家と家族、仲間を守るためならば鬼と呼ばれようともその態度を貫き通すだろう。
「結構。元よりそのつもりでした」
「あっそ。まぁさ、お詫びと言っちゃあアレだが、これをやるよ」
 剣とは異なる手の平全体にズシリときた重さは一丁の拳銃である。手入れが行き届き、ピカピカと光を放つのに、火薬の匂いがこびりついていた。彼の愛銃の貸与。ランバートなりの恩情だ。
「騎士様が使うにはちょっーと物騒なモン、つか、ルールに反するとは思うンだけどねぇ、キングがとられちゃ困るからさ。まぁ、使わずに済むことを願ってるよ、本当に」


 ガウェス・ハイドナーにとって、早々にジャリルファハド・ガリプ・サチを見つけられたことは僥倖以外の何物でもなかった。ソーニアの家へ向かうための道を歩いていた時、反対側からあの男が来たのだ。とは言っても、ガウェスはソーニアの家を知らない。たまたま彼女の家に行くための近道に入り、大通りに出ようとたまたま歩いているをしている時に、たまたまジャリルファハドが通りかかっただけのただの偶然である。通りから大きく逸れた小道は寂れてしまった住宅街の間に存在している。夜の帳が下りきったこともあり薄暗く、また憲兵の屯所とも離れているため人通りもないに等しい。そんな寂々たる場所を街灯の無機質な明かりのみがポッポッポッと淡い光のみで照らしているのだ。それを避けるように歩いていた男は目の前から歩いてくる鎧騎士を見て思わず足を止めた。ガウェス・ハイドナーである。突然の怨敵の登場に動揺した様子も無く、無表情のままを彼を見据える。ガウェスもジャリルファハドの姿を視認すると、僅かに目を開き「見つけた」と小さく呟いた。
「何用だ?」
 冬に吹く北風のようにひどく乾いた声であった。相手がガウェスであることは勿論、青い瞳の奥に宿る強い憎悪と殺意を確かに感じ取ったからだ。もしもここがアゥルトゥラでなかったらジャリルファハドも剣を抜き、嬉々として彼の激情に応えたであろう。しかしセノールへの偏見が強いこの町で剣を交えたらどうなるかなど火を見るよりも明らかである。
「なぜ私がここに来たのか、貴方は御存じのはずだ」
「知らん。俺には関係ないな」
「ロトス・ハイドナーを殺すように貴方が指示をしたのでしょう? ジャリルファハド・ガリプ・サチ」
 何を言っているんだと言わんばかりに眉を寄せたジャリルファハドに対し、ガウェスは一振りの刀を彼に見せた。切っ先から刃の部分までが真っ赤に濡れているその刀の形には見覚えがあった。刃が薄く湾曲した刀を使用するはガリプの者が多く、事実、ジャリルファハドが腰に差している刀も同じ形状をしている。なるほど。彪はガウェスが言わんとしていることを理解した。
 さて、どうするべきか。ガウェスから一切目を離さずに思考する。弁明をするにしても父親を殺され、頭に血が上っている彼の騎士がまともに話を聞くには思えない。かと言って、武器をとり剣を交えているのを誰かに見られていた場合、今まで以上に監視の目が厳しくなるどころか、殺害の容疑をかけられかねない。
 ジャリルファハドの沈黙をロトス殺害の是ととり、遂に白銀の騎士が己が剣を握る。前かがみにならないように背筋をしゃんと伸ばし胸を張る。剣先をしっかりとジャリルファハドの喉元に向け、右足は前に、移動がしやすいよう左足の踵は微かに浮いている。どうしてもここでやるつもりらしい。事を荒立てるつもりはなかったが致し方ないと覚悟を決める。ジャリルファハドは腰にぶら下がっている剣に手をかけた。

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