複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.222 )
日時: 2019/06/15 00:27
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

6/15 入れ替え加筆

 女狐達がボリーシェゴルノスクへと辿り着いた頃、彼等は廓の闇を睨んでいた。殆どの者達がジャッバールから配布された小銃や、七尺程の鉄槍を携え、腰には刀を差す。大きく沿った柄の者も居れば、護拳の付いた刀を差す者も居る。数名、刀を持っていない者が居たが、それ等はアゥルトゥラの者達で場違いなのではないか、と辺りを不安げに見回していた。一部はレヴェリの者も居たが、彼等はそもそもがジャッバールの配下にある者達。アゥルトゥラ達の様に挙動不審になる事はない。
 その様を見て、レア・バシュラールは鼻で笑う。死ぬかも知れない道程を歩むというのに、異民族に囲まれた程度で動じる彼等がおかしくて仕方がないのだ。もっと怖い、もっと恐ろしい所にこれから赴くではないか、と喉元まで出掛けているが、それを飲み込み、この集団の長であるジャリルファハドの背を見据えた。彼の傍ら、セノールの男が何やら話しかけているらしく、彼は静かに頷くばかり。その様子を幾らか背の低い──恐らく女だろう──セノールが眺め、時折笑っては肩を揺らしている。
 これから拠点まで物資を運び込み、いよいよレゥノーラ掃討の準備をするというのに、随分と暢気だとレアはせせら笑う。同時に銃床に添えられた手に力が篭る。他のセノール達が持つ、小銃よりも銃身が長く、銃口の真下に銃剣が設けられたそれは僅かな動作でも、切っ先が大きく振れ、目立つ代物である。父母の仇を討とうという、今にも爆発してしまいそうな感情を抑えるも、僅かな隙間からその熱は漏れ、膨れ上がる。そんな反復する心を現しているかの様な動きだった。復讐心が脈を打つのだ。
「おい、ソーニア。早くしろって」
 ふと、背後から慌しく兵の群れの中に飛び込んでくる者が居た。その者に対し、レアは見覚えがあり、確かミュラと呼ばれていたと記憶している。赤毛のソーニアと言えば、メイ・リエリスの娘である。すっかり疎遠になってしまった、エドガーを廓に掻き立てたキラの妹にあたる人物。彼女をじっと見つめど、それに気付く様子もなく、不安定な足元にあたふたしながら、漸く歩んでいる。
「今日に限って、何でこんな凍ってるのよ」
 悪態を吐きながら、ソーニアは歩んでいた。垂れ蓋のついた帽子を被り、珍しく髪を後手に結っている上に、首巻きで顔まで隠してしまっているため、一見するとそれがソーニアだとは分かり難いが、鮮やかな赤毛がちらりと顔を覗かせたなら、彼女だと認識するのは容易い。
「……昨日の昼、晴れたからだろー。文句言うなよ」
 昨日、つまりはジャリルファハドが朝に帰ってきた日、冬だというのにクルツェスカは珍しく晴れていた。昼間でも三時間、四時間しか太陽が出ない。しかも、雲の向こう側に居る。そんな土地であるというのに、昨日は雲一つなく晴れ渡っていた。ソーニアが夜は冷えると言っていたが、まさしくその通りで夜中から明け方に掛けて、火を焚けども焚けども、ただただ寒かった。屋内だというのに。一晩、半分寝かけながらであったが、ジャリルファハドが火の番をしていたから、まだマシだったのだろうが。
 それにしても、廓の入り口前の広場は、酷い有様である。馬車による轍、人の足跡。散々に甚振られた雪は、報復と言わんばかりに人の足元を脅かす。クルツェスカに生まれ、クルツェスカで育ったソーニアでも場合によっては苦労するほどにだ。セノールの者達は、そもそもの身体能力が高く、着込んでしまえば冬にも適応するらしく、然程苦労している素振りは見えない。確かに砂漠も冬は寒かった、とミュラは内心一人ごちる。
「荷物の一つでも持ってやれ、お前の仲間だろうが」
「はぁ──」
 知らない男にそう戒められ、ミュラは食い気味に彼を睨むも、はっと息を呑む。得も知れない薄気味悪さと、存在感の希薄さに物怖じしてしまったのだ。銃を携えている訳でもなく、人の骨すら断ち切る様な刀を持っている訳ではない。たった短刀一振りを携えているだけの男だ。ばつが悪くなり、ソーニアの傍らに寄る様にして歩むと、その男は何故か二歩、三歩と後を追い、彼女達の前に立ちはだかる。
「あら、シャーヒン」
 シャーヒン、と呼ばれた男は静かに会釈だけすると手を伸ばした。手甲に覆われた、その手首の辺りからは鉤の様な物が顔を覗かせており、それが日光を浴びてきらりと光る。明らかに研いであるそれに、ミュラはぎょっとしたのか、半歩ばかり後退る。得物を仕込んだり、隠している人間に碌な奴等は居ない。エルネッタの押し売りが脳裏を過ぎる。それに倣うなら、彼には仄暗い何かがあり、その暗がりは廓の闇よりも深い。
「……メイ・リエリスの。荷を寄越せ、足手まといだ」
「……えぇ、宜しく」
 小銃と鞄を奪い取る様にして、受け取るなり彼はそれを両肩に担いだ。ぶっきら棒加減に輪を掛けたジャリルファハドの様な男であるが、そんな事よりもミュラは彼から何処となく漂う、血腥さが不快で仕方がなかった。何人も、何人も、何人も殺しに殺し。幾つもの屍を積み重ね、山を作っている。確証はないが、そんな気がしてならず、シャーヒンの背を見送り、固唾を飲み込んだ。
「どうしたの?」
「いや、あいつ……」
 言い淀み、言葉を濁す。自分の思いを述べた途端、あの男が振り向きそうな気がしてならないのだ。歩いているというのに、氷雪を踏み砕く、ざりざりという音一つしない。死にながら生きている、亡者の如く。そんな男が、ジャリルファハドの傍らに立ち、彼に耳打ちをしている。
「悪い人じゃないわよ、少し暗いだけ」
 その暗さは何処からやってきて、何が故に暗いのか。ソーニアは聡明なはずだというのに、そこを気にしない。時折、どこか抜けているとは常々思っていたが、人に対する"鼻"があまり効かないだろう。その内、騙されるんじゃないかとミュラは苦笑いを浮かべていた。もしかすると、もう既に騙された事があって、故に独身なのではないか、と邪推に至ったが口には出さなかった。後が怖いからである。
「──これより廓に立ち入る。我々は拠点を設営しつつ、哨戒を行うと同時に物資を運び込む。各自、警戒を厳に保ち、その責務を果たす事を期待している」
 短い言葉であり、彼はそれ以上は何も語ろうとしなかった。拠点設営と物資運搬はまだ本当に行うべき事ではない。謂わば前哨戦である。此処でレゥノーラと交戦し、被害が出てしまったなら、それは用兵の失敗である。出鼻を挫かれ、掃討にも苦戦する事だろう。であるからこそ、本当に語るべき言葉はまだ隠しているのだ。各々を奮起させるべく、放つ言葉。伝えるべき言葉。狂奔に駆り立てるべく言葉をだ。
「さっさと歩け」
 呆けた様に見ていた、ミュラの背をレアが押す。少しバランスを崩しながらも、よたよたと歩んでいく。ソーニアの手が腰の辺りに伸ばされ、身体を支えられたのは気のせいではないだろう。何処か気恥ずかしくなりながら、誤魔化す様に笑っている内、薄ら明るい太陽はすっかり顔を隠してしまった。石段を一歩、また一歩と下っていけば闇は深くなるばかり。荷車を持ち上げ、下っているレヴェリの男を目印にその後を追って行く。言い得がたい不安が胸の中を去来し、思わずソーニアの外套の裾を掴んでいた。

 小銃を携え、彼の一団は闇へと突き進んでいく。事前に人払いも済ませておいた為、廓の中には人の気配がなく、篝火は幾らか消えかけている。通り過ぎる度、後ろに控えた兵等が火を灯し、道を照らすべく灯りを確保していく。
「……下、ずっと下。何匹も、何匹も居るわ」
 傍らのアースラが一人ごちる。誰に語り掛ける訳でもなく、人ではない、と言葉を続けていた。緊張がないと言えば嘘になる。恐れがないとしても、また等しく。相変わらずラシェッドは飄々としながら、煙草なんかを咥え、両手を衣嚢に収めたままだったが。彼は刀の類を持っていない、代わりに鉄槍を携えており、それを器用に腕に挟み込んでいる。
「ラシェッド、落としてくれるなよ」
「あぁ、大丈夫さ。化物と相対し、死んだとしてもこの槍は放さないよ」
 煙草を石畳の上に投げ捨て、彼は静かに笑っていた。二人の兄の様に勇猛ではない。弟の様に比類なき強者でもない。だが、しかし、与えられた役割は全うする。その為になら命を擲つ事すら簡単である。目を潰されようと、手足が削げようと、腹を裂かれようと退く事を知らない。それがセノールの、武門の兵であるのだ。であるから、彼の笑った顔は普段のおどけた表情ではなく、どこか緊迫し、硬く不自然にも見えた。
「ナッサルの男なら、もっと不遜に笑いなよ。得意でしょ? 貴方達の兄弟」
「それもそうだなぁ」
 兄二人は悪巧み、領民と戯れて笑っている。弟は荒れ狂い、牙を剥いて笑っている様に見える。であれば、どうして笑おうか。そんな事を考えながら、ラシェッドはこの一団の長であるジャリルファハドの背を追った。相変わらず何を考えているか、分からない同胞であったが、彼は間違いを侵さない。的確な判断を下し、その為になら少数を切り捨てる事の出来る男である。彼が闇に突き進むなら、歩みを止める事はないだろう。
「ファハド! 後ろが遅れてる、少し待って!」
 珍しくアースラが声を張り上げ、彼を呼び止めた。普段、ぼそぼそと喋る彼女らしからぬ声色に、一瞬ジャリルファハドが肩を震わせたのは気のせいではないだろう。確かに隊列に隙間が開き始めており、その原因は荷車の車輪が脱落しての事らしい。レゥノーラから攻撃を受けたとかではなく、ジャリルファハドは大きく溜息を吐いた。
「なぁ、ファハド」
「何だ?」
 無駄な話だと一蹴される可能性こそあるが、ラシェッドには一つ気に成っていた事があった。それを今から問う。今の今まで誰も触れず、また触れては成らない事柄の一つに思えていた。しかし、敢えて今触れる。
「アサドに筋を通すべく、今此処に居るのかい? それとも他の皆の様にアサドを慕うからかい?」
「好かん奴なら筋を通す事もない。……命懸けで連れ戻そうなんて考えんさ」
「そうかい、そうかい」
 何だ、と言いたげなジャリルファハドだったが、ラシェッドはそこで会話を切り上げてしまった。それどころか、彼は荷車を修理すべく、後ろの方へと走っていってしまった。ラーウルと呼ばれていた、レヴェリの男と顔を突き合わせて、その修復作業を始めているのが見える。それを人垣の向こう側から、ミュラが不安げに見ている姿もだ。
「……ちょっと行って来る」
 遂にはアースラまで後ろの方に向かってしまった。どうしたものか、と溜息を吐きながら、通路の奥に広がる深い闇を睨む。恐らくあの闇の向こう、下層には化物が闊歩しているだろう。そんな場所で立ち往生など勘弁願いたい、とジャリルファハドは苦笑いを浮かべ、壁に身を預けるのだった。





 漸く荷車の修理を終えたのか、相変わらず衣嚢に手を突っ込んだまま、ラシェッドは戻ってきた。彼の表情は何処か困った様な表情を浮かべつつ、木製の煙管を咥えた。火種を持っていなかったらしく、ジャリルファハドの横隣に並ぶなり、火を催促する様に火口を下げた。炭の入った懐炉、それから火を貰い、火種が少し大きくなると、一息吸い込み、溜息を吐いた。炭から火を貰うものじゃない、と苦笑いを浮かべていた。味が悪くなる様だ。
「良いってよ」
 特に合図を送る事もなく、歩き出すが後続の兵達はその後ろを着いて来る。夜間の戦闘時、彼等は何も語らずとも先頭の動きに合わせて、行動を取るように躾けられている。廓のただただ暗い環境は、その延長線上にあるだけの話なのだろう。
「……やはり居る。人間じゃあないがな」
 先から黙りこくっていたシャーヒンであったが、遂に口を開いた。彼もまたアースラと同じ様な事を口走り、延々と続く闇を睨み続けていた。普通の人間には見えない物が見え、感じられない物を感じる。多くの死に接し、多くの命を摘んだ者だからこそ、感じるのだろうか。
「動物じゃああるまいし」
 揶揄されど、シャーヒンは気にする様子もなく、その歩調を早め、自らが闇へ向かう先鋒として在ろうとしていた。命令ならば命を奪う事に迷いなどなく、また命を擲つ事も迷いはない。自分の持つ能力、感覚を最大限に活用し、事に接するのが常であるからこその行動であった。恐らくはアースラとてそうだろう。
「人間も所詮は獣だ。……俺も、お前も、あいつ等もな」
「確かにそうだ。ナミルなんて、まさしく動物だもんなぁ」
 だろう、とラシェッドとジャリルファハドは会話をしていたが、相変わらずシャーヒンは黙ったままである。ソーニアから奪い取ってきた鞄と小銃が、ただただ揺れている。主恋しなどと語る事もない。
「そういえば手下と学者サマはどうした?」
「あいつ等は後ろだ」
 ミュラとソーニアを後列に置いたのは、レゥノーラと交戦したとしても被害を受けにくくする為だった。目の前にはレヴェリの者達、後ろにはガリプから離反した兵。そして、純粋なガリプ兵で固めている。前列は殆どがジャッバールの手勢である。寄せ集めにも見えるが、連携し易い者達で固めているのだ。
「あぁ、そう」
 ラシェッドは多くを聞いてこようとはしなかった。代わりに煙管の雁首を石壁へと叩き付け、味の悪くなった煙草を取り出していた。アゥルトゥラで何を見た、何を学んだ、何を拾った。砂漠に居た頃とは少し違う、気の遣い様に一抹の猜疑心を抱く。彪は何処まで行けど、砂漠の化身、血塗れの勇名を持つ者達の末裔でしかない。戦場に来たならば、老いも若きも女も子供も関係なく、得物を持って戦わなければならない。だというのに、あの"二人"を庇うような布陣に違和感を覚えたのだ。
「……ファハド、言っておくが俺は化物と戦う為に来てんだからな。何かを守るって事は絶対しない」
「ならば化物を鏖殺したら良い。簡単な事だ」
 先頭を行くシャーヒンが遣り取りを聞いて、鼻で笑っている様に見えた。ジャリルファハドの語り口よりも、彼のその素振りが気に障り、わざとらしく舌打ちをするも、誰一人として反応する事はない。それは何故か。彼等は三者三様、苛立ちにも似た感情を持っているからである。それをぶつけあってしまっては、恐らく血が流れるからだ。ある者は長く続く闇に、ある者は同胞の違和感に。そして、またある者は化物と対峙する不安に対してだ。
 遂に先頭は黙ってしまった。ゆらりゆらりと闇を裂く、隼の濃すぎる影だけが彼等の眼前、忙しなく動いている。足音はなく、宛ら亡霊か、獲物を狙う猛禽のそれの様だ。時折、ぽつんと火の一点が灯り、紫煙を一筋走らせていたが暫く経てば、それも消えてしまい死に掛けた松明が齎す、明かりが一点だけだ。後列を見遣ったならば、その灯りもまだあるのだが三人は前しか見ていない。幾ら歩けど、昇降機の姿が見えない事にジャリルファハドは首を傾げ、不安を覚えては刀の柄に手を掛ける。後ろを振り向けば、輩が居ないかも知れない。隣の友は見知らぬ顔をしているかも知れない。前の友とて、また然り。
「……シャーヒン」
「何だ」
 ふと、隼は歩みを止め、振り向いて見せた。表情が薄く、黒い瞳が彪を射抜く。見知った顔だ、と内心安堵しつつ、溜息を吐き、彼は口を開いた。
「道を間違っていないだろうな」
「まさか」
 遂に彼は体ごと向き直り、闇に背を向けた。道はほぼほぼ直線、その上、感心な事に先人達は壁に看板を打ち付けたり、石壁に方向を指示する意味合いで矢印を記したりとしており、またそれを保守保全する者達まで居る。そもそも幾度か廓へと潜っている、シャーヒンが道を間違うはずはない。
「……おかしいな」
「あぁ、全く────」
 苦言を呈したシャーヒン、その眼前に迫るのは槍の穂先。短刀に手を掛けるまでもなく、穂先は彼の肩口を掠め、赤い液体を散らす。それは彼の物ではなく、空気に触れた途端、凝固し、松明の灯りに照らされ、真っ赤に輝いていた。槍を突き立てたラシェッドの顔付きは何処か緊張し、口を真一文字に閉じては声を発する事すら侭成らない様子だ。
 目の前に居たのは、レゥノーラであった。白い肌を晒し、突き立てられた槍を気にする様子すらなく、口を開いている。まるで笑っている様だ。獲物が来た、と今にも歓喜の舞を踊り出しそうなそれである。



 廓に突如として響く銃声。怒号。後列に身を置く、ミュラには何が起きたのか状況が掴めず、困惑した様に銃床を握り締めた。前の方では低く、腹に響く様な銃声がしている事から、発砲しているのは分かるが、こんな上層でレゥノーラが来るというのもおかしな話で、現実を飲み込めずに居た。
「……何だ?」
 前方から漂う独特な匂い、それにミュラは顔を顰めていた。謂うならば、焼け焦げた柑橘の様な変わった匂いだ。恐らくセノールが扱う、無煙火薬のそれだろう。アゥルトゥラはまだ持っていない技術の粋である。闇を阻むものは一切なく、見ようとしたなら前列で何が起きているか、はっきりと分かりそうなのだ。先程まで壊れそうになっていた、荷台に上がり、更に壁に足を掛けては蹴る様にして飛び上がり、前列の様子を視界に一瞬捉えた。そこに在ったのは槍の壁に突き刺さり、嬲られる様に弾を浴びるレゥノーラの姿だった。白いはずの肌は赤く染まり、手足を槍の穂先で穿たれては、中空に磔刑を科されたかの様である。
「どうせ、レゥノーラでしょ」
 何故かソーニアは余裕そうな表情を浮かべ、静かに笑っていた。小銃を携えたまま、荷車へと身を預ける。
「あぁ……滅多打ちにされてたぜ」
「その為に槍と小銃持って来たんだもの。まさか昔のアゥルトゥラと同じ戦い方するとはね」
 密集し、長槍を突き出した兵と兵の間、半身に立った兵が叉杖に火槍を立て掛ける。古くはセノールの騎兵に対抗するための陣形であった。アゥルトゥラの場合は横四列で隊形を組んでいたが、今回は縦三列。そういった差異こそあるが、廓では確かに優位な攻撃手段だろう。長槍を防御として使い、その後ろから銃撃を加える。多くの人員を動員出来たなら、このやり口で廓を攻略するのもありだろう。
「……これを人間にやってたんだろ」
「まぁね、昔は」
 淡々と語るソーニアだったが、その中で流れた血は夥しい事だっただろう。何時頃の話か、秋の入り口の頃だったか。読んだ歴史書にあった、過去二度の東伐、過去三度の西伐に於いても使用されたに違いない。槍の穂先は肉を裂き、柄は血を吸う。人馬問わず食い尽くし、火の槍は屍の山を築く。刺し穿ち、撃ち穿つ。今こうして行われている戦の術も、人と人の殺し合いから生まれた物だと思えば、得も知れないうそ寒さを覚えるのだ。
 ふと、銃声が止み、再び闇を見遣った。槍に突き立てられ、弾けた頭からだらしなく舌を伸ばして、レゥノーラは事切れていた。長い腕は力なく垂れ下がり、その腕もまた槍で刺され、動かない様にと押さえつけられている。刀を片手に携え、それに向かって行くのはジャリルファハドだろう。弾けた頭を押さえ付け、首に刀の刃を宛がい、八双に構えたかと思えばそれを振り下ろしたのだ。赤い液体が噴き出し、思わずミュラは目を瞑り、背ける。それに相反し、ソーニアは荷台に身体を預けて欠伸をしていた。瞼の裏、過ぎるのは切り離された首、窪んだ赤い瞳がじっと此方を睨んでいる。何を思うか、何を考えていたか、確信こそ得られなかったが、その恐ろしげな容貌から察するに容易い。廓に来るべく者、全てを屠ろうとしているのだろう。槍を引き抜かれ、打ち捨てられた屍は二度と動く事はない。代わりに兵の一団は闇を進み始めるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.223 )
日時: 2019/06/15 22:49
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 漸く拠点とする八十階層に辿り着き、ジャリルファハドは大きく溜息を吐いた。レゥノーラからの襲撃は一度だけ。しかし、ただ一度の襲撃でも襲われる側の精神を抉り、削り取るのは容易い。気を緩める事すら許されない。しかし、道を急ぎ迂闊な進軍をしては、それこそ命に関わる。故に一歩、一歩進む度に心の歯車は欠け始め、がたがたと音を立て始めるのだ。皮肉な事に、それを立証したのは半世紀前のセノールである。昼も夜もなく、四方八方から突然襲い来る。この廓に住まう化物とて、また等しい。だからこそ、周囲の様子が気になり、ぐるりと見回した。心配を余所に普段から廓に潜り慣れているジャッバールの兵や、ソーニアは特に気にした様子もなく、火を炊いて湯を沸かし始めたり、レヴェリの兵などは下層への入り口に荷台やら、荷車を立て駆けて即席の阻塞を構築したりしている。皆が皆、やるべき事が分かっており、そうでない者は精神の保養に努めている。それは良い事であり、安心した様にジャリルファハドは壁に身を預けた。
「此処は相変わらずって所だな」
 傍ら胡坐をかいて、座り込んでいるシャーヒンが呟く。彼は何処を見る訳でもなく、ただただ目を瞑り、闇の中で凝らし続けていた瞳を休めている様だ。夜闇に生き、そこで暴力を成す。そんな存在であったとしても、所詮は人。闇に神経をすり減らし、目を凝らし続けたなら疲労もあるだろう。
「大勢死んだからな。……居るのか?」
「……先からぼそぼそと煩い奴が居る」
 八十階層、此処はレゥノーラに因る殺戮が起きた場所である。大勢が死に、ある者は噛み殺され、またある者は腹を抉り取られ。死体を酷く弄ばれていた、人間の尊厳など微塵も感じさせない死に様であった。人間はこうまでも容易く、惨く死ねるのか、と人死にを見慣れたジャリルファハドですら、改めて実感させられたのだ。
 この闇の中、亡者は石畳を這い蹲り、黄ばんだ目と血に塗れた歯を剥き出しに、生ける者を羨んでいるに違いない。少なくともシャーヒンの耳には、それに近い何者かの声が届いている。
「俺達が此処に来た時ですら"先客"が居たからな」
「……住んでるのかね」
「だろうな、香木でも炊きたい限りだ」
 死者が出た場にて、その霊を慰めるべくセノールは香を炊く事がある。削り出した香木を炊く事もあれば、複数の香木を削り、その粉を膠で練り固めた物を炊いたりと、慰霊の行いは多岐に渡る。そして、先客を見たという言葉。恐らくはそういった類が居たのだろう。そして、再び彼は目を見開いた。同時に何故かむすっとした表情をし、彼は立ち上がった。傍らに置かれたソーニアの小銃と鞄を担ぎ、ゆったりとした歩調で歩き始める。恐らくは返しに行くのだろう。奥の方で湯を沸かしているソーニアも、それに気が付いたのかシャーヒンに小さく手を振っている。傍らのミュラが何処か、彼を見るなり、ぎょっとした様子で居た。化物を見るでもなし、と腹の中で苦笑えど、口に出すでもなく、その内に彼の背中は遠ざかって行った。



 気を取り直し、阻塞にて半分だけ塞がれた階段を見遣る。闇の向こうに顔を覗かせたなら、湿気た冷たい空気が背をなぞり、闇へと吸い込まれていく。鉱山の様に坑内通気を行う何かがある訳でもないのに、妙だなと思えた。
 ふと、出来心で懐から煙管を取り出す。中座させ、燃え掛けの葉煙草が残っており、そこに火を点けるべく、燐寸を探した途端、それは火が点いた状態で目の前に現れた。ぼうっとした明かりの下、細い指先。闇から伸びてきた様で、宛ら亡霊の如く。一瞬だけたじろぎながらも、その手を掴み、引き寄せては煙草に火を点けた。
「……有難い」
「別に良いよ。何かあった?」
 火の点いた煙管から、紫の一筋が立ち上がり、眼下に広がる闇へと流れていく。傍らのアースラも怪訝な表情を浮かべながら、その様子を眺めている。終いには阻塞の隙間に頭を突っ込んで、下を見ていた。
 彼女が見る世界、それは全くの闇。一歩、二歩でも踏み出せば、仄かな明かりすら許さない闇が口を開けて広がっている。その闇の中を何かが蠢き、こっちに来いと手招いている様な気がしてならない。此処で死した者達の亡霊か、はたまた此処に住まう人成らざる化物の群れか。
「お先真っ暗」
 冗談の様に言い放って、ふとジャリルファハドを見遣ると彼は苦笑いを浮かべていた。
「全くだ、廓の化物を討ったならば、次は地上だ。……何が起きるか分からん」
「アサド、止めてくれないかなぁ。昔の優しかった頃……いや、今も本当は優しいけどさ。その……昔はあんな冷たい顔してなかったでしょ」
「あぁ、そうだな」
 彼女はどちらかと言えば、穏やかで何時も一歩引いた所で静かに笑っていた。闇の中、そんな過去の虚像が宙に浮かんでは闇に消えて行く。もう存在しない過去、それに縋るべきではないと、残り滓すら振り払う様に彼は目を瞑る。
「……アゥルトゥラと戦ったって先が見えてるのにね」
 最初は勝つ、圧倒的なまでに。しかし、後はない。大局を見定める目を持たない彼女とて、そういった考えの基で動いている。勿論、命を賭して、全面戦争を止めるべく、腹を括っているのは確かなのだが、それであったとしても戦争は避けたいと考えている。アースラとて分かっている事が、バシラアサドに分からないはずはない。彼女は聡明だ。父であるジャリルヘイダルや、兄であるヴァッファーもそうだった様に。であるから、彼女には別の何かがあるのではないか、とジャリルファハドには思えた。この廓の闇の様に深い"何か"があるのだ、と。
「だからこそ、俺達は命を賭すしかない。諦めろ」
 背を向けていても分かる。今の言葉にアースラは顔を顰めたに違いないと。諦めなど付くものか、死に向かって歩けるものか。死に対する覚悟は必要であるが、死が恐ろしくない訳などない。そんな者は大凡、生物として向いていない。セノールのそれは自身を奮い立たせる為の大言でしかないのだ。だからこそ、他者からそれを言われるのが心底面白くなければ、心底恐ろしくもある。
「……ファハドは死ねと言われたら死ねるの?」
 その問いに一瞬、ジャリルファハドは口を噤む。そして、静かに首肯してみせた。一瞬が、酷く長い時間にアースラには感じられた。自身も歪みから生まれた兵だが、眼前の彪もまた歪みから生まれた存在。何処か哀れむ様な眼差しは、憂いを帯び、同時に不安の色を醸す。
「隣人の為、身を擲ち、死すべし。我等、戦の群れなり。得物携え駆け走り、死なぬ限り無限に歩む。我等、教徒の群れなり……こう教わっただろう?」
 経典の一節を唱えながら、何処か自嘲的に嗤っていた。それしか知らないから、それしか出来ない。単なる思考停止であったが、今はそうせざる得ないからこそ、信教の教えに則る。誰かの為に死ね、死なぬ限り戦え。これを成してきたからこそ、セノールは精強だった。しかし、今はそんな時代ではない。考える事を止めた者は、既に死んだも同然。亡者も同然なのだ。
「私には理解出来ない。ある程度やったら……好きにしたら良いじゃない」
 彼女にしては珍しく、極端に感情が発露した様に見える。その面持ちには一抹の翳り、不安とも悲哀、怒り、後ろ向きなそれをごちゃ混ぜにして、吐き出そうとしているかの様だ。
「俺達、武門は理不尽に生きて、理不尽に死ぬ物だ。好きに生きて、好きに生きられない。……仕方ない」
 ぽんと肩に置かれた手は、傷跡に塗れ、骨ばった厳しい手だった。死ぬべく時、死ぬ様に仕組まれた結果の成れの果て。狂った獣の手だ。度し難いその手を振り払い、アースラは肩を落としていた。
「此処の設営も直に終わる。帰ったらアサドにでも会いに行けば良いだろう。……お前が何か言えば、少しは変わるかもな」
 俺にはもう無理だ、とジャリルファハドは続ける。だからこその武力行使、だからこその叛意を示す。頭では理解している、自分を奮い立たせるべく、死する覚悟すら決めた。しかし、それを同胞が口にしてしまうのを、とても寂しく思えたのだ。ゆっくりと立ち去っていく背、遠ざかって行ってはそのまま手が届かなくなるのではないか、そんな不安ばかりが胸の中を過ぎる。生きたまま砂に埋められる様な、焦燥感と重圧が身と心を侵して行く。
 漸くその背を追い始めた時、彼女にしては珍しくざりざりと足音が立ってしまった。動揺を押し殺すべく、溜息を吐いては感情を平坦に成らす。腹の中に抱いたとしても、それを表には出していけない。そう教わってきた、それが美徳だと育てられてきた。ふと、立ち止まり先に行った背を捜せば、彼は上階へ上がるべく、ジャッバールの兵等と共に階段の手前に居た。向かおうとしたが、足は止まる。彼の傍らに居ても、苛立ちが募るばかりだからだ。同時に何やら打ち合わせをしており、それを邪魔してはならないと、思えたからでもある。遠目に見える彼は民族の呪縛に囚われ、先人の教えの縄は身に食い込み、最早、骨にまで達してしまっている。骨身を侵す"それ"からバシラアサドは逃れたかったのだろうか、と闇に問えど答えはなく、ただ消え去るのみ。
 少し離れた所、赤い髪の女が笑いながら手招きしている。彼女の面持ちは穏やかだが、その傍らには兄の姿、不味い茶でも見舞われているのか、何処か顔が強張っている。その隣には更に顔を強張らせ、少し身体を仰け反り気味にしている女? と思しき者の姿も見える。その様子が少しだけおかしく、静かに笑いながら一歩、また一歩と彼等へと近付いていくのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.224 )
日時: 2019/06/16 23:15
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 事の発端など些細なことで、沈下したはずの意識が突如として浮上することは多々ある。現在もガウェスもきっかけは思いだせないにしろ、ふとしたときにパッと目が覚めた。
 窓は閉められ、人口灯のみで昼か夜かも分からない。ベッドの上でこれからのことをぼんやりと考えているとバタンと遠くで扉の開く音が聞こえた。ランバートが出て行ったのかと思った。しかし、それにしては足音もなく、そもそもずいぶんと遠く、籠もった音であった。
 彼を見遣れば、無防備な寝顔を晒している。別室にいる誰かが出入りしたのだ。普段ならば気にならないそれが、襲撃の後だと妙に気にかかる。 
 ベッドから降り、武器を持つとわずかに隙間を空けて様子を見る。窓から外をみているのが金髪の少女だと分かると彼女の無事を安堵し、思い切り扉を開けた。驚いたようにスヴェトラーナの肩が跳ねる。謝罪をしながらも足早に彼女の元へと近付く。笑顔のガウェスが表情を曇らせたのはスヴェトラーナの瞳が兎のように赤く充血していたからである。
 一方の少女は、泣き腫らして赤くなった瞳を隠すようにさっと視線を逸らしたが遅かった。彼は何も言わなかったが、同情するように眉をひそめたので、察してしまう。どうしたらよいものか。兄に等しい者を困らせている。弁解をしようと声を出そうとしたが言葉がつっかえたように出てこない。掠れた声で「あっ」と声を出したとき、大粒の涙が頬を伝った。
 彼に手を引かれてやってきたのは小さな客間だった。絢爛豪華なハイドナーの客間とは違い、3人がけのソファーが2脚とテーブル、あとは僅かばかりの観葉植物がぽつぽつと置かれるのみだった。
「暫しお待ちを」と言われ部屋を出て行った彼の持つお盆には良い香りのするティーポットとカップが二つのっていた。
 少しでも沈む彼女を元気づけようと適当な会話を続けた。スヴェトラーナは相づちを打つだけで心ここにあらずといった状態だった。やがてガウェスも話すのをやめて秒針の音だけが妙に響くようになった。
 彼の煎れた紅茶はハイルヴィヒの煎れる茶とは違い、渋みが強く後味が残る。まるで今の心情を表しているようだった。
「ハイルヴィヒの様子は?」
 沈黙を破るように彼が問うた。
「まだ、眠っています。ずっと、ずっと」
 長い睫毛を震わせ、蚊の鳴くような声で答えた。ティーカップを持つ手がかたかたと笑う。気遣いの言葉をかけるよりも早くスヴェトラーナが顔を上げた。充血した瞳にはうっすらと水が貼っている。
「私にもっと力があれば」
 なぜこのようなことを言うのか目を見開き戸惑ったが、次の言葉ですぐに合点が言った。
「私のせいでハイルヴィヒがこのようなことになったのですから」
「彼女が無茶をする選択を選んだだけです。そうしない選択肢もありました。だから、貴女のせいではありませんよ」
「どのような無茶を? 弱い主人を庇おうとした結果、眠るほどの大怪我をしたということですか?」
「スヴェトラーナ……」
 白百合のように可憐な笑顔とはほど遠い自虐的で影のある笑みが痛々しく思わず咎めるような口調になる。
 彼女が何故このようなことを口走るのか理解が出来ない。
「それとあれかしら。いつも使っているお薬が関係しているのですか?」
 すぐに否定すれば良かった。しかし、心臓を鷲掴みにされたような感覚に頭の回転がピンッと止まったのだ。沈黙を是ととり「やっぱり」と小さく呟いた。その声には溢れんばかりの忿怒が含まれ、彼に罪悪感を芽吹かせる。ばつの悪そうな顔をして顔を背けた。
「いつかこうなることをお兄様はご存じだったのですね。それならば教えてくださらなかったのですか?」
「それを伝えたら、貴女は何かをしたのですか?」
 ハイルヴィヒに強く口止めされていたとは口が裂けても言えない。ガウェスの予想だにしない言葉に表情を強張らせ、端正な顔を歪ませて今にも泣きそうな顔になった。
「ハイルヴィヒはどうなりますか」 
「……最悪、もう目覚めないかもしれません」
 葛藤の末、彼は話した。だが、それが悪手であったと気がついたのは彼女がテーブルにぶつかるほど勢いよく立ち上がったからであった。ぶつけた膝のことなどどうでも良く、先ほどまで怒りで赤く染まっていた頬が死人のように青白くなっていた。
「それを識っていて……どうして、どうしてですか?」
−−どうして止めてくれなかったのですか? 
 無茶なことを言っていると自覚がないわけではない。ただ遣りようのない虚しさをどこにぶつければいいのか二十歳にも満たない少女には分からなかった。彼女に出来ることと言えば、白い頬に幾重にも線を描き、慟哭し、柔く握った拳を騎士の肩に優しく押し付けることだった。
「本当に申し訳ない」
 言い訳をせずに謝罪すれば押し付けられた拳が更に力が入ったのが伝わる。
「そんな状態になってまで、彼女は貴女を守りたかったのですよ」
 ガウェスの諭すような口調にスヴェトラーナは何度も首を横に振る。
「なんで……」
私なんかのために。そう紡ごうとした口を制したのガウェスだった。
「およしなさい。それ以上は今までハイルヴィヒが行った行為そのものの否定になります」
 憤怒を向けられてもなお、気にかける優しさが身を裂かれるほどの痛みとなって襲いかかってきた。呵責に耐えきれず頭を下げれば憔悴しきった顔を隠すように錦糸のような髪が顔にかかっている。
「お兄様は報復したいとは思っていないのですか」
 昔の彼ならば復讐など馬鹿げていると声高らかに宣言しただろう。しかし、父を殺され、部下や女中を惨殺されたとき、怨嗟の声がむくむくと沸き上がってきた。今では大分マシになったが、ふとした瞬間に顔を覗かせる憎悪に自ら嫌悪することが度々あった。
「ありますとも、何度でも」
 彼らに共に往く事は報復の道を歩むこと。しかし、スヴェトラーナがこちらまでくる必要はない。何よりもその力もない。
「ですが……報復なんて若いうちから考えるものではありませんよ」
 だから止めるのだ。岩のように硬く節くれだった指が手入れのされた髪を梳く。
「ハイルヴィヒが傷つき、貴女は疲れているだけだ。今は眠りなさい。ハイルヴィヒは私が見ておきますから」
 赤ちゃんを寝かしつけるように頭を撫でながら、彼女に語る。スヴェトラーナら何かを言おうとしていたが、嗚咽に邪魔されて言葉にならない。
 しばらく聞こえていたしゃくりあげも徐々に小さくなり、代わりに寝息を立て始めた。クッションを枕に胎児のように丸まって眠る彼女には年相応の幼さがあった。目元が少しでも治るようにと目元に濡れたタオルを置き、部屋を出た。スヴェトラーナが自暴自棄になるとは一体如何ほどのことがあったのか、従者の元へ行けば分かる気がした。加えてハイルヴィヒには申し訳ないが、盗っておくべきものがあるのだ。鉛のように重くなった足を引きずって眠り姫の元へ歩くのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.225 )
日時: 2019/06/19 06:06
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 直に夜は明けるのだろうが、相変わらず彼女は目を醒ます気配すらない。一本の蝋燭が揺らめき、その灯りの基、本を読んだり、刀を研いだりしている。頁を捲る音と、砥石を擦る音ばかりが聞こえており、この場に居る者達の間に会話はなかった。
 刀身は片刃、切っ先は両刃。カランツェンの者達が代々、扱い続けているそれだったが、先のバッヒアナミル襲撃に際して遂に使用される事はなかった。何故ならば、そう易々と抜くなと躾けられてきたからである。それを抜き、研いでいるという事はそういう事だ。
「……それ、何年ぶりに抜いたんだ?」
「最後に抜いたのは五年前か、覚えてるだろ?」
 あぁ、と答えたフェベスの脳裏に過ぎったのは、斬り殺され全く動かなくなった野盗の群れ。ジャッバールの隊商を襲撃したが、反撃を受けクルツェスカへと逃げ込んだ愚か者の群れだ。ある者は首を裂かれ、ある者は腹を裂かれ、またある者は額を割られて事切れていた。血溜りの中、腸や、脳漿、砕かれた骨の欠片が散らかり、凄惨な光景がそこには広がっていたのだ。西門を強引に突破しようとしたのが運の尽きというべきか、血溜りに最後まで立っていたのはカルヴィンのみ。同胞である憲兵まで「やり過ぎだ」と引き攣った顔をしていた。
「あの化物を相手しては得物を圧し折られるからな。……刀ごと、アイツを斬り殺してやるんだ」
 蝋燭の向こう側、刀身を眺めている彼に表情はなく、そこに在るのはアゥルトゥラではなく、セノールの顔だった。彼の祖先であるラノトールも、戦場ではこんな顔をしていたのだろうか。戦に生き、忠節に死んだ武人。カルヴィンは過去の英傑と比べて、暗がりを好む性質であるが、今も尚こうして仕えてくれている事が有り難く思えた。
「銃という選択はないのかね?」
「どうせ、不意を突かれる。銃を抜く暇すらない。だから斬る」
 確かにそうだろう。一度目は待ち伏せ、二度目は急襲。恐らく三度目も同じ様な手法を用いて、先手を打ってくるのは間違いないだろう。銃なんて物を使っていては、狙いを定める段階で斬り殺されている事だろう。
「……所詮は一兵だ、あんまり無理するんじゃないぞ」
 幼い頃から見知った顔。まだ幼い娘達と親しく、遊んでいたのも昨日の事の様。しかし、キラは死に、ソーニアは自分の道を歩んでいる。そして、カルヴィンは死と隣り合わせ、生と死の分水嶺を走り続けている。
「あれは討たねば、また何れ俺達に仇を成す。次遭った時は散々に甚振って殺してやる」
 昔は此処まで口が悪くなかったはずなのだが、どうにも最近のカルヴィンは言葉が荒い。厳密にはキラが死んでから、彼は色々とおかしくなってしまった。狂ってしまった、というべきか。
 呪詛を吐き、再びカルヴィンは刀を研ぎ始める。何度か刀身を滑らせては、彼は一点を睨んでいた。その視線をなぞる様に追えば、ガウェスの姿がある。夜半、刀を研ぐそんな様子に戦いたかの様に、彼は静かに歩み出す。
「ハイルヴィヒはどうでしょうか」
「どうもこうも寝たままだ」
 刀の切っ先を後手に向け、彼はハイルヴィヒを指す。確かに相変わらず眠ったままで、蝋燭に照らされる顔も何処か青白い。やり過ぎな程に毛布を掛けられ、体温の確保に躍起なのも、東部帰りのレーナルツの入れ知恵だろうか。
「傷は──」
「あぁ、深かった。……あそこでアイツが引かなかったら、死んでいただろうな。運が良かった」
 刀を机の上に置いたまま、ハイルヴィヒを見遣り、彼は溜息を吐いていた。四人掛かりでも倒し切れず、それどころか重篤な負傷者まで出してしまう始末。情けなしと、自身を嘲る様にその口角は僅か吊り上がる。
「……随分とあの"犬"の事、気にしてんな?」
 無意識に彼女へと向かっていた視線、それを悟られてはガウェスははっと息を呑んだ。背後で本を読んでいたはずのフェベスも、恐らくはこっちを見ているのだろう、視線を感じる。静かに首肯してみせるしかなく、それと同時にカルヴィンは再び溜息を吐いて、にやにやと笑ってみせる。その笑みは心底、意地が悪そうにも見えた。
「何だ? あいつに惚れてんのか?」
「そういう事ではなくてですね……」
「そんじゃアレか? ベケトフの嬢ちゃんか?」
「だから、そういう事ではないです。……薬、薬を見ませんでしたか?」
 "薬"という言葉に何か思い出した様に、カルヴィンは立ち上がり、階段へと向かって行く。体を捻った時、傷が痛んだのか顔を顰めたのは気のせいではないだろう。
「大丈夫ですか?」
「お前もな。着いて来い」
 刀を鞘に収めたまま、彼は階下へと下って行く。呼び寄せられるまま、その背を追えば、彼の脇腹からは血の雫が滴っているらしく、床を汚していた。離れていく二人の背を見送りながら、フェベスは溜息を吐く。そろそろ拠点を移す必要もあるのだが"荷物"が居ては、事が進まないと頭を抱え、更に何故あの"虎"が退いたかという懸念が残っているからだ。戦場の霧は思ったよりも深く、為政者は苦しんでいるのだった。



 
 散らかり、血痕の残った廊下を彼等は歩む。廊下ごしにランバートの呻き声が聞こえ、カルヴィンが鼻で嗤っていた。傷の具合が一番良い奴が、一丁前に痛がるなとでも言いたいのだろうか。
「キールの奴等は皆、軟弱なのか?」
「返す言葉もないですね……」
 案の定、彼はそういった旨の発言をして肩を震わせて笑っていた。皆が皆、あの刀の一撃を受けた。しかし、ランバートは鉤で腿を裂かれ、腹を少し小突かれただけに過ぎない。一方、重傷を負ったハイルヴィヒは腹に鎧通しを柄まで突き立てられたというのに声一つ上げず、眠っている。呻いて良いのは彼女だけだ。
「……スヴェトラーナはどうしてる」
 突然、思いもしない問いをぶつけられ、鳩が豆鉄砲を食らった様にガウェスは押し黙る。寝ていると言えばその通りだが、彼が問いたいのはそういう事ではないだろう。恐らく何かを言ってしまったに違いない。
「えぇ……そうですね。その……泣いてましたよ」
 案の定かと溜息を吐いて、カルヴィンは閉じられた応接間の扉を押し開く。此処はスヴェトラーナや、ハイルヴィヒが荷物を置いている部屋である。バッヒアナミルの一撃で破壊され、使い物にならなくなった小銃が机の上に置かれており、その亡骸はもう二度と火を噴く事がないというのに、月の灯りに照らされて鈍く輝いている。
「泣いて事が済むってんなら、世の中随分と甘く出来てんだな」
 厳しい言葉だったが、それは真理である。泣いて解決するなら、死ぬまで泣いていれば良い。そんな事では物事は決して終わらないのだから。であるからこそ、彼はジャッバール排除に託けて、復讐を成そうとしている。謂わば八つ当たりにも等しい、復讐を。当の本人にはさぞ、甘美な代物だろう。憎い相手を大義名分の基、討ち果たせるというのだから。血を血で洗い、骨身を断っては安寧を得る。そんな仄暗い最後を目当てとしている様な人間であるが、彼の言葉は揺るぎ様の無い心理なのだ。
「お前、言っておくがな。あの嬢ちゃんの復讐を止めるんじゃないぞ。ベケトフの立ち居地を知ってるだろ、一丸になって戦わない限り、散らばった親族まで国賊だ。事が終わってから族滅の的だ。アゥルトゥラとその重臣共は本当にやるぞ?」
 族滅、その言葉にガウェスは思わず目を見開き、彼を見遣る。不倶戴天の敵たるセノール、その主力たるジャッバールに降ったともなれば、それはアゥルトゥラに対する利敵行為。ジャッバールを撃退したとしても、ベケトフに対する追討は間逃れないだろう。
「……まさかとは思いますが、ルフェンスは──」
「この騒動を起こした奴等、鏖殺にしようって算段だろ。どうやったって西部の安全を脅かす事になるんだからな。それなら西の既得権益を滅ぼして、東の奴等に治めさせた方がマシってもんだ」
 だからこそ、ジャッバールと戦わなければならないと彼は続ける。利敵行為とも取れる、クルツェスカの既得権益に対する非協力的な態度、姿勢。それはルフェンスが族滅を訴える口実を与える事に直結する。であるからこそ、嘗て武力を持った貴族を招集し、ベケトフの息女と護衛を連行したのだ。さもなくば、ルフェンスの餌食になって終いである。であるからこそ、クルツェスカも、ボリーシェゴルノスクも一丸となってジャッバールと戦わなければならない。そうでなければ滅びを招く。
「レーナルツの野郎が居るから、上じゃあ言わなかったがそういう事だ。……薬、探すんだろう。そっちだ、ハイルヴィヒの荷物は」
 脇腹が痛むのか、彼は椅子から立ち上がる事なく、それを指す。皮製の鞄があり、そこにはハイルヴィヒの全ての荷物が詰め込まれているだろう。人の荷物、それも女の荷を勝手に広げるのは、気が引けるがそれでも彼女を蝕む薬だけは、取り上げておくべきだろう。
「薬見つかったら俺に一つくれ。麻だったら使いたい、腹が痛んで仕方ない」
 背後で冗談を吐くカルヴィンを余所に、ガウェスは荷を解き、その中を物色し続ける。衣服を始め、地図や短刀。ちょっとした医療品の類が無造作に詰め込まれており、その一番奥まった所に革の小袋があった。頻繁に開け閉めされている所為か、金具で磨り減っている。
 中を開けば萱色をした粉末。弱さ故に縋るそれをガウェスは握り締め、カルヴィンへと向き直った。彼は彼で椅子の上でふんぞり返ったままだったが、手元へと目線だけを向けていた。
「古柯か。平時だったらあの女、捕まえて出所を尋問するんだがな。生憎、寝てる。……燃やそうか」
 相変わらず斬られた脇腹を押さえたままだったが、何故か彼は静かに笑っていた。その笑みは嘲笑だ。薬になど縋らなければ、戦えない、得物を振るえない。そんな弱さをカルヴィンは許容出来ないのだ。弱さを露呈するのは咎であり、それを誤魔化す為に何かに依存するなど、持っての外。己の精神を柱とするならば、それも良いだろうが彼女は物質、あろう事か薬である。決して褒められる物ではない。
「……その方が良いでしょうね、これはあってはならない物です。身も、心も侵し、汚す物ですから」
 だからこそ、あそこでジャッバールの商人を殺めたのだ。結果は言わずもがな、と言った状況であるが、それでも手の中の代物が存在する事自体を許せず、同時にそれに縋らざる得なかったハイルヴィヒを哀れに思うのだ。
「決まりだな」
 ほぼ、同時に二人は顔を見合わせ頷いた。懐から燐寸を取り出し、ガウェスは溜息を吐きながら、客間を後にする。何処か足取りは重く見えたのは気のせいではないだろう。しかし、カルヴィンはそれを問う様な事はしなかった。何故ならばこれでスヴェトラーナの行動は大きく変わると思えたからだ。ハイルヴィヒが不能となれば、必然的に彼女は自分の身を自分で守らざる得ない。ガウェスを守りに就かせる理由もない、ともすれば煮え切らないベケトフを戦場に引きずり出せるのではないか、と考えたのだった。
 外へと向かって行く、ガウェスの背を追いながら人斬りは歩む。開かれた扉から飛び込んでくる、寒風が傷に沁みるも歩みは止まる事を知らない。外に出ると相変わらず月が真っ白な顔をして、此方を見下ろしている。そこに立ち上る煙は一筋、ただ夜空に消えて行くばかりだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.226 )
日時: 2019/06/26 19:42
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 部屋に帰るとランバートが机に向かって座っていた。彼は書き物に夢中でドアが開いたことに気が付いても別段何かアクションを起こすわけでもなく、部屋の中にはカリカリと紙の上を走るペンの音だけが大きく聞こえた。  
 最初は彼が終わるまで待とうと考えていたが、ふと内容に興味が湧いた。気になって背後から内容を覗こうと近づいた時、首だけをガウェスに向けた。眉根を寄せて鼻筋に皺が寄っている。申し訳ないと謝罪をする前にランバートが口を開いたのだった。
「くせぇな。何を臭いだ?」
 内容を見ようとしたことよりもガウェスの纏っている臭いに不快感を表したを隠す必要もないので正直に伝えることにした。
「ハイルヴィヒの薬をたった今。あなたは?」
「ん、あぁ。文を書いていた。あるご令嬢に手紙を出すと言ったままそれきりにしててな。あぁ、なるほど。にしても本当に臭いな。水でも浴びてきたらどうだ?」
「それ、今やることですか? この時期に水浴びをすれば十中八九凍死するでしょうね」
「何が起こるか分からんからやるんだ。遣り残しは後悔を生むぞ」
 書き終えた男は慣れた手付きで便せんを四つに畳むとキスを落として封筒にしまうをガウェスは気障な男を冷え冷えとした目で彼を見ていた。この男のどこに女性は惚れるだろうか。
「書き終わったのなら皆に顔を見せに行っては? 部屋は教えますから」
「悪いが、むさ苦しい空間は好かんのでな」
「ハイルヴィヒがいますよ」
「眠り姫が俺の接吻で起きるなら喜んで向かうが、違うだろ?」
 ガウェスに視線を向けるでもなく、欠伸をしながらペンを片づけている。言葉の端々からここからテコでも動きがないことをヒシヒシと感じられて最早説得する気も起きなかった。
「そんな物ぐさだからキースの家は軟弱者であると看破されるのですよ」 
「今更気にしねぇよ。それにな、俺は痛いの嫌いなんだよ」
 傷口を労るように撫でている彼を見ていると「一番傷が浅いくせに」と悪態をつきたくなってしまう。出掛かった言葉をぐっと堪えた。
「そんなことでよくもまぁ傭兵をしていたものですね」
「だから怪我しないように無茶はしなかったさ。うまーく立ち回っていたわけ。そこそこ充実してたんだぜ。お前がヘマしなきゃな?」
 顔を顰め言葉に詰まったガウェスを見てランバートは声を出さずに笑う。ガウェスに向かい合うようにベッドに腰掛けるとサファイアのようなきらきらとした双眸がランバートを捉えている。
「にしてもシュルツもひどいことをするな。ガキの時から薬漬けか。代々そうなのかね」
「そこまでは……。ただハイルヴィヒのお母様は夭折したと聞きましたから恐らくはそうでしょうね」
「あの狂犬がお前に話したのか?」
「まさか! エルネッタに教えて貰いました。親交があったそうで」
「エルから?……あぁ、あいつも傭兵してたもんな。噂を聞かなくなったと思ったら盗賊になってたときたもんだ」
「まぁ、こちらに来て傭兵業を行っておりましたが……」
「そうだったらしいな。……あいつの弟子は砂漠で一人になってもよく生き残れたな」
 互いの姿には似ても似つかないが直情的な面など性格は似てる部分がある。後先考えずに行動するきらいがあるが、素直な分、御しやすい。それがこの兄妹に関する評価だった。
「それくらいエルネッタがしっかりと教育してくれたおかげでしょうをあとは、神のご加護、でしょうか?」
「神なき時代に神に縋るのか? バカバカしい」
「貴方は信じていないのですか?」
「信じてたら、傭兵なんぞしてなかったろうな。水を葡萄酒にしたり、手をかざして病気を治したり、そんな奇跡じみたことができるなら、この世から疫病なり飢餓なり消しちまえばいい」
 言い切ってからしまったと思った。黙ったままの彼を見遣り、ついに怒ったのかとガウェスの様子を伺ったが、難しい顔をして考えこんでいる様子だった。顔はランバートに向けているが、意識は向いていない。「おい」と声をかけると、間を開けてから「あぁ」と返事をした。握っていたシャツの裾に皺がついて縒れている。
「イザベラと似たようなことを言うのだと思いまして」
 「懐かしいな。あいつは確か……」
「えぇ、亡くなりました。惨たらしく殺されてたらしいですね」
 らしいと曖昧な返しをしたのは彼は直接イザベラを見ていない。親友の無残な姿を見なくて良かったと思う反面、直接見て、受け入れることが出来なかった己自身に対して口惜しい気持ちもあった。
「あー、すまん。ちと考え無しだったよ」
「彼女の話題を出したのは私ですから」
 気にするなと言われても重苦しい雰囲気に居心地が悪くガウェスの視線を遮るように背を向けて寝転がった。
「ハイルヴィヒは大丈夫でしょうか?」
「立ち直るって信じるしかないだろ。シュルツの女は強かだ。まぁ、ここの赤毛ほどじゃあないが」
 そこまで言ったところでキラに股間を蹴られた記憶が頭を掠める。あれは遠慮や忖度を一切排除した蹴りだった。当たり所が悪ければ本当に潰れていたと医者にも謂われた。考えるだけで背筋がゾクゾクと震え、ランバートは布団を引っ張りあげて肩まで入ってしまう。
 急に口を噤んだ色男を心配し「ランバート?」と声をかけると数秒後に「何でもない」と返ってくる。心なしか言葉尻が震えている気もしたが、それ以上は追求しなかった。
「それ以上に気掛かりなのはスヴェトラーナだ。ハイルヴィヒが起きるたらまた、おんぶだっこされてるつもりなのか?」
「珍しく女性に厳しいですね。女性の味方なのでは?」
「味方さ。男だったら今にでも叩き起こして答えさせてたさ。だが、そろそろ限界だろうな」
 ハイルヴィヒがやられてしまった以上、自分の身は自分で守らなければならない。問題はそれをスヴェトラーナ自身が選択できるか否か。誰かに守られるという甘ったれた選択肢をする者は要らない。
「こんな状況になっちまったんだ。否が応でも選択をしなくちゃいけない。あの子もユスチンも」
「ユスチン殿も決めかねているのでしょうね。どちらに行っても苦難の路しか」
「苦難の路、ねぇ。俺達と一緒だな」
「いえ、我々はまだよかった。失ってしまったが、その代わりにしがらみすらもなかった。せいぜち同族意識の低い親戚に一生恨まれるだけです」
「口が悪くなったんじゃないか、お坊ちゃま?」
「ええ、きっと、フェベス殿やカルヴィン殿のおかげですね」
「だな。だが、あの二人のようにはなるなよ。あそこまでの狂気をお前が孕む必要はない」
 カルヴィンは大切な人を喪い報復に囚われた。フェベスはアゥルトゥラを守るために、謂わば執念に近い覚悟を決めている。なにものの犠牲を厭わぬ彼らに望む未来が訪れるのか。否、訪れたとしても彼らがそれで幸せになれるのか、ランバートには分からない。だが、彼が危惧しているのはガウェスが良心の呵責に耐えきれずに心身を壊してしまうことである。彼らのように強くもなく、非情にもなりきれぬ。自らのように楽観視の出来ない彼が重圧に耐えきれるものか。煽るように水差しの水を飲んだ。
「ようやく温室育ちのお嬢様も成長してもらうときがきたんだ。ガウェス、罷り間違っても自分が代わりに彼女を守るとか言うなよ」
 彼がややこしい事態を引き起こす前に釘を刺せば、端正な顔を歪ませはしたものの反論することなく頷いた。
「……分かっています」
「そこ即答してくれないと困るんだよなぁ」
「ハイドナーは優柔不断なもので」
「知ってたよ、そんなこと」
 カラカラ笑えばガウェスもつられて笑うがすぐに傷口を抑えた。本家と分家の関係もしがらみもない頃は二人でよく遊んでいた。「そういえば」から始まった話は懐かしい昔話をランバートは筆を止めて耳に傾けている。ガウェスが登っていた木から落ちて腰を強打して痣を作ったことや森で狼の糞を見つけたことに互いに戦慄したこと。忘れていた思い出がガウェスの口から語られる度に花が咲くように徐々に思い出されていく。これには無邪気だった頃の憬れなのかもしれない。溌剌とした思い出語りは夜が明けてスヴェトラーナの様子を見に行くまで続いたのだった。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。