複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.230 )
日時: 2019/07/28 21:32
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 日こそ昇れど、この西部の空は暗く、鈍色の空から降る白雪すらもその色が呑み込んでしまう。宛ら、歴史の大きな流れに呑み込まれて行く、人間の如く。ただの一人、その生も死も些事でしかない、そう吹雪が酷な言葉を語る。
 その言葉は扉を、窓硝子を、人を無遠慮かつ無慈悲なまでに殴り付ける。酷い天気だなぁ、と掘られた穴の中から顔を覗かせて、セームは笑っていた。東部は風こそ吹き荒ぶが、此処まで酷い天気をしていない。こんな場所で野営をしたり、兵を長期間駐屯するのは出来る事なら避けたい等と思っていた。こんな土地、こんな気象下では半日も外に居たら、手足が青褪めて落ちる事だろう。
「セーム! 笑ってないで早く穴掘りをするんだな!」
 古参の兵がそう茶化してくる。彼はセームがまだずっと若い頃から、寝食を共にし、戦場を共にして来た戦友である。貴族は戦の仕方を学ぶが、武器の扱い方、穴の掘り方、土嚢の積み方などは知らない。出来たとしても本職の兵士には敵わない。彼はセームにそれ等を教えた兵の一人でもあるのだ。謂わば、戦場での恩師というべきだろうか。しかし、例えそんな関係であったとしても、貴族と平民。本来ならばこんな口利きをしてくる事すら許されないが、そんな事はどうでも良い。彼女が重視するのは礼儀でも、品格でもない。ただの一つ実力と経験、そして知識と実行力である。であれば、この現場仕事に於いては指揮官たる自分は最底辺にある。彼に戒められ、仕方ないと笑いながらも円匙を握る力を強めた。
 積もる新雪の上、茶色の土が放り出されては、雪に覆われ、凍て付いてを幾度となく繰り返し、それを傍目に別の兵等が、家主を失った家々の扉や、壁をぶち破る。その穴には大砲を押し込んでは、土嚢を積む。そこには古い品物ではあるが、大口径の火槍の姿も見える。物はともあれ、即席にも程がある特火点を構築しているのだ。大砲の砲弾は勿論、ジャッバールが持つ小銃の弾すら貫通してくる事だろう。本来ならば混凝土でしっかりと防護を行うのだが、その物がないのだから仕方がない。
「……随分、派手にやってますね」
「まぁ、私達がこっそりだなんて有り得ないからね。事を構えるんだ、大胆に不敵に、目の前でやる。これに限るね。クルツェスカの奴等はそれが分かっていない」
 相手の目に晒されたとしても、寧ろその行動を知らしめる様に振舞う。そんな行いは東部で争い続け、実力と経験を積み続けた軍隊しか出来ない。西部の貴族達の様に、仮初の平和に座し、呆け続けてきた者達にその度胸と実力はないのだ。それはベケトフは勿論、クルツェスカのメイ・リエリスとて同じ事。尤も彼等は本来の貴族として振舞おうとする者達と、懐刀を忍ばせている。全く同じ物として、語るのは無理だろう。
「ほら、ダーシカ。君も早く穴を掘れ、汚れなんて気にするな。どうせ血で汚れるんだ」
 ベケトフの屋敷に繋がる塹壕──というよりも地下道が正しいだろうか。ダーリヤもその建築に借り出されていた。セームに急かされ、土を掻き出しては外に放り出す。更には家々を壊し、引っ張り出した建材を骨として組み込んでいく。不慣れな仕事に募る疲労と、酷寒に身を蝕まれていく。温めた葡萄酒でも飲まなければ、やっていられない。凍り付いた髪や、睫毛が煩わしく、耳も頬も手指も痛み始めている。
「指揮官、士気が低いぞ」
 ルフェンスの兵が土嚢を幾つも抱えながら、そう揶揄してくる。彼等は笑顔を浮かべている訳ではなかったが、その語気は軽く、この重労働に辟易している様には見えなかった。尤も彼等も蓄えた口髭と眉が凍り付いているのを気にしている様だが。
「そうだ、そうだ。此処に女も男も、子も爺も関係ないからね」
 やはり土を掻き出しながら、セームはそう語る。女の身など、自身とダーリヤしか居らず、子の姿などない。爺と言われているのはユスチンだろう。彼もまたこの土木作業に狩り出されているのだが、今頃泣いているのではないだろうか、と思い描けば、少し面白くなりダーリヤは鼻で小さく笑っていた。
「ダーシカ、笑ってる余裕なんてないよ。ほら、見てみな」
 促されるまま塹壕から顔を出す。見回すまでもなく、ダーリヤの視界に入るのは阻塞の材料として破壊された廃墟。それらが立ち並び、一部はルフェンスの兵が補給拠点、特火点として使用している。そして、その奥にはジャッバールが所有する汽船や曳船が十六隻、ある船は横腹を晒す様に接岸し、ある船は上架している。舳先や船体側面には火砲を設置すべく、架台が見える。
「あれを座礁させて運河を塞ぐ事だって出来る。船の腹をこっちに向けてるのも、大砲を撃つ為だ。私達が穴掘りしてるのもそういう事だよ」
 闘争は近い、と語りながらセームは土嚢を放り投げた。穴に隠れるのは砲弾を、銃弾を避ける為。土嚢を積むのは反撃時、少しでも身を隠す為。家屋を壊すのは生き残る為。その行いに嘗ての姿が失われていけども、戦をするに仕方ない事なのだ。橋頭堡は既に確保され、距離は十町分もないだろう。
「……あそこに隠れている兵の正体は──」
「だから困るんだよ、戦わないにせよ。何処の武門かって位は調べて欲しい位だ」
 霧に手を突っ込まなかった。丘の向こうを覗かなかった。セームがユスチンを誹るに使った文言が脳裏を反復する。確かにあの船の中、港を占拠している武門の正体は知らない。ジャッバールの兵だ、という事しか知らない。これを知っていたなら、対策の一つや、二つも出来たのだろうが、ベケトフは何もしてこなかった。兵を並べるだけ並べ、鳥篭の中で遊び呆けていたと誹られても仕方がないだろう。
「だから、ユスチンには何も言わせない」
 街を壊すなだとか、景観がどうだとか、そんな寝惚けた事を抜かしたら最後、セームは手を引く事だろう。ともすれば此処の実質上の主権はジャッバールへと移り変わる。流血と死を以てしてだ。ベケトフは座し、身動きを取らなかった。だからこそ、今になって。有事に瀕して発言権すら無くなってしまったのだ。
「私がスヴェトラーナだったら、ユスチンを殺していたよ」
 静かに笑いながら、セームは土嚢に土を詰め込む。さも当然の様に吐いた言葉に、思わずダーリヤは息を呑みながらも、彼女もバシラアサドと同じ様に親殺しをして、家督を掌握した人物だという事を思い出す。とんでもない人物を招いてしまったのではないか、と今更になって不安を覚えた。
「此処は運河がある。というよりそれしかない。では、そこを抑えられたら死ぬしかない。首の皮が繋がってる……いいや、繋げる選択をしたのが運の尽きだね、無能な為政者を前に誰も街に戻ろうなんて思わない、そういうもんさ」
 だからこそ、暫くは戻るべき場所は要らない。そうセームは続け、塹壕から顔を覗かせた。景観の良かった街の姿など、今や何処にも存在しない。住まうのは無力な虚無。蔓延るのは悪心を孕んだ獅子の徒。そして、招かれたのは戦場に生きる狐の徒。この街は最早、人間の生きる場所ではない。白い魔物が吹き荒び、声高な風がそう語らうのだった。




 彼の導師は吹雪の向こう側を睨み付けていた。東部の兵が主力だが、塹壕を掘り、阻塞を築く。彼等は明らかに戦の用意をしているのだ、銃を携え、砲を構え、雪と土に塗れてはいるが、士気は高いらしくたったの一晩の内に防衛線、拠点を粗方作ってしまった。迂回すればそれまでの事だが、後顧に敵の拠点を置くのは危険でしかなく、何よりそこを足掛かりに港へと、攻撃が行われかねない。
 どうした物かと、双眼鏡を下ろし彼は溜息を吐いた。此処はベケトフの土地だが、たったの一晩でルフェンスが実権を握った様に見えた。それは形式上、ジャッバール配下にあるベケトフの離反である。討ち滅ぼす大義名分は完成し、その行いは正当な物となった。東部のベケトフを呼び寄せた段階で、大義名分も正当化も成された様な物だったが、昨日の事でそれははっきりとしたのだ。
「……ハカン公、塹壕戦の経験は?」
「ある訳がないだろう。何なら我々は真っ向から戦った経験すらない。なぁに、やる事は決まっている」
 闇に入り、闇を駆け、闇を抜けては血を流す。たったそれだけの事。それしか出来ないが、それをやらせておけば事は確実。ベケトフが死したならば、ルフェンスには戦う大義名分が消え失せる。守ってくれと頼まれたが、その対象が消えてまで自身が血を流す理由はない。ユスチンを討つ、たったそれだけの事。
「シャーヒンを呼び寄せるべきだったか?」
「いいや、アイツはクルツェスカに置く。此処に来ても仕方がない」
 この街を落とすには持て余す、と判断したのだろうか、傍らの兵は納得した様に首を縦に振って、艦橋へと戻って行った。誤った判断をした愚かな兵を鼻で嗤う。シャーヒンはジャッバールを裏切った、密かな離反をさせたのだ。しかし、彼は最後の最後まで、その刃をジャッバールへと向ける事はないだろう。だからこそ、クルツェスカに彼は置く必要がある。娘に家門を守らせたが、息子には他の武門、引いては民族を守らせる。その為には命すら彼は擲つ。骨の鷹は今に己の死すら厭わぬ兵となる。
 踵を返し、艦橋の扉を開けば、同胞達が火に当たっていた。彼等に何か声を掛ける訳もなく、そのまま船底へと下って行く梯子へと向かって行った。そこには機関はなく、小銃やそれらの弾が多く並べられている。
「ハカン公。そういえば聞きたい事が」
 扉から顔だけ出した兵の面持ちは、何処か緊張している様にも見えた。視線はアル=ハカンに向かっておらず、その背後に向かっている。じっと彼を見据えてから、その視線を追えば勝手に兵が語り出す。
「……"化物"は何時使う?」
 廓より引き連れ、囲い、養い続けた怪物。彼等は船底に封じ込められ、眠り続けている。二匹が三匹に、三匹が四匹に。増えに増えた後、共食いをしては数を減らす。その異形は最早、廓に居た者達とは違う。
「首を取ってからだな。……そんな事を心配するより、お前達は身体を休めろ。この寒さは堪える」
「……あぁ、分かった」
 答えを得られ、彼の兵は顔を引っ込めた。ボリーシェゴルノスクに戦火が及んだなら、恐らくはこの街を化物と闊歩する事となる。その際、彼等との戦を避け、守兵と化物で損耗させたいのだろう。無作為に争うより、危機を回避するのが賢明である。
 甲板を一枚隔てた、船底にて何かが這いずり回っている。その姿を見る気にも成らなかったが、その恐ろしげな唸り声にアル=ハカンは静かに笑うのだった。時が来たならベケトフの首を取り、ルフェンスの兵に化物を差し向ける。兵は神速を尊ぶ。そして、神速の果てに陣を築き、運河の全権を掌握する。その一手はもう直に完成するのだ。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.231 )
日時: 2019/07/28 21:37
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 太陽は沈み、外は冬の闇が満ちていた。チラチラと舞っていた雪は何時の間にか止まり、酔っ払いの耳障りな歌が遠くに聞こえる。最初は声の主を探すように窓の外をじっと見つめていた彼女だったが、諦めたのだろう。目線を紅茶に移して茶色い角砂糖を入れた。
「宿泊所の手配、助かりました」
 口元に薄い笑みを浮かべた彼女はそう言って紅茶に口をつけた。 
 アグラスが彼女の姿を見たのは十数年ぶりであの頃とは何一つ変わっていない。赤い瞳に白い肌、金糸のような髪。顔を動かす度にふわりと揺れてまるで上質なカーテンのようだった。
「それは結構。ただ次からはもっと早く言うべきだな」
 今すぐに泊める場所を用意してほしいと手紙が届いたのは記憶に新しい。文句の一つでも書いて返してやろうと思った矢先、宛名を見て驚いた。ザヴィアの者からの連絡が入るとは思ってはいなかった。了解の意を示し、すぐさま兵を貸してくれた貴族へ連絡を取る。怪訝な態度をとられたものの、すぐに受け入れる準備をしてくれたのは幸いだった。
 加えて、アゥルトゥラが人の出入りが多いところで助かったとアグラスは付け加えた。
「我々も貴殿と同じく兵を集めた。もっとも、ランバートがしていたことを引き継いだだけだが。傭兵をしている中小貴族から兵を借りたさ。こいつらは統率が取れていて練度の高い連中が多い。それでも……」
「勝てませんか」
「……、恐らくな。時間稼ぎと言ったところか」
 不本意な兵の使い方ではあったが、ランバートがそれを良しとするならば反対する気はなかった。一瞬苦虫を噛み潰したような顔をするが、すぐに表情を削いだ冷徹な顔に戻る。
「あなたは非道い人ですね。死ぬと分かっているのに兵を貸せと言うなんて」
「落ち目の貴族に兵を貸す方が悪い。どんな理由があろうとも。それに貴様もだろう。お前を信じた兵が地獄をみるハメになるだろうな」
「否定は致しません。ただ、彼らだけを地獄に送るつもりは毛頭ございません」
 凜とした声に並々ならぬ覚悟を感じた。赤い瞳に迷いも恐怖も無い。
「まさか、逃げないつもりか」
「そのために私は此処にいます」
「死ぬぞ」
「えぇ、えぇ。分かっていますとも。剣すら振れない。非力な私が生き残るにはあまりにも苛酷過ぎる。でも、どこへ逃げるというのです? 私の世界はアゥルトゥラのみ。外界を知らず知らされず生きてきたのです。仮にここが滅びるのならば私も共に死ぬ。そういうものでしょう?」
 そういうことかとアグラスは理解した。彼女の胸の内にあるのは覚悟ではなく諦め。
向上心すら捨てて、流れに身を任せようとする彼女に足の先から激しい感情がわき上がってくる。罵ってやろうとも思ったが、それは同じ穴の狢だと気が付いたとき、何とも言えない虚無感が心にぽかりと穴を開けた。そうなると龍の如き勢いはしなしなと草臥れ、やがて消えた。
せめて、言ってやろうとも思ったが、指摘するほど親切ではなかったし、彼女に対して思い入れがあるわけでなかった。
「そうか。……理由は異なるが我々も此処からは逃げぬ。愚兄にだけ任せてはおけまい」 
 ソーサーにカップを置くとカチンと音を立てた。
「意外ですね。てっきり尻尾を巻いて逃げるものかと」
「ランバートがそう言えばいつでもそうしたんだがな。頑として首を立てに振らなかった」
「兄思い、なのですね」
「……バカを言うな」
 吐き捨てるように否定したが耳まで赤くして言ったので威厳も何もなかった。くつくつと笑った。しかしそれも壁掛けの時計を見るとハッと気が付いたように笑うのを辞めて背筋を伸ばした。
「アグラス卿、楽しい時間をありがとうございました」
 深々と頭を下げて感謝の意を示す。金髪が光を反射してキラキラと輝いている。
「随分と忙しいな。必要ならばここに泊まっても良いのだが?」
「少し市内を見たいのです。昼間ではない夜の顔。なんだか背徳じゃあありませんか? それに帰ると約束いたしました故に」
 貰った地図を受け取り小さく畳むとポケットに入れた。見送ろうとする彼を制止して、改めて別れの言葉を口にする。
「さようなら。勇敢な御仁。貴男に神のご加護がありますように」
 彼女が去ったあと、アグラスは息を吐き出した。しばらくは疲れたのかソファーに座り頭を抱えていたが、末弟であるレスタに声をかけられれば「分かっている」と言って立ち上がった。深夜だろうと構うものか。大してストレスにはならないだろうが、気晴らしくらいには付き合ってもらおう。めぼけ目をこすっているガウェスとランバートを想像しながら、準備ができたことを知らせるために一人の使いを出した。日付は丁度十二時を回るところだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.232 )
日時: 2019/08/03 02:44
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 手負いの兵等はどうにもムスッとした表情を浮かべ、各々傷の手当を済ませていた。カルヴィンの脇腹の切創は思いのほか具合が悪いらしく、一日経ったというのに未だに微かながら出血が続いていた。だというのに、未だ眠っているハイルヴィヒを担ぎ上げ、何処から引っ張り出してきたのか小銃を二挺ばかり小脇に抱えている。これから拠点を移すのだ、ナヴァロの屋敷にある地下へと。
「無理はしない方が良いですよ、それ」
「無理だと思えば、無理になる。俺には出来る、お前にも、お前にもだ」
 無茶苦茶な精神論を展開しながら、ガウェスとランバートを見回した。ガウェスの傷の具合は良好らしく、それなり荷物を抱え、しっかり得物まで携えている。相反してランバートはどうだ、得物も、荷物すら持たず、手ぶらな上に杖まで付いている。まともに歩けない程、深い傷でもないだろうに、軟弱者と誹る様な視線が向けられた。
「……何だよ」
「いいや、お前は本当に軟弱者だな。キラに本当は玉も潰されたんじゃないのか? 女好きな不能か、こりゃ傑作だな」
 声を上げて笑いながら、カルヴィンはガウェスとランバートの間を割く。あの話、矢張りキラから聞かされていたのだろう。居心地の悪さが着火点となり、沸々と怒りが沸くのだが、傍らのガウェスまで肩を震わせて笑っており、すっかり毒気は抜かれてしまった。それと同時に何となく、カルヴィンに似てきたと溜息を吐いた。
「フェベス、銃はないのか?」
「あるにはあるが……本当にキラに玉を潰されたりしてないよな? いや、それが本当なら詫びたいんだが」
 何時まで玉の話をするんだ、と喉元まで出掛かったが、此処で乗ってしまえばメイ・リエリスの玩具になる。キラも、ソーニアも割と人をからかう様な事を好む。恐らく、その因子は彼女達の母、クレシダではなくフェベスから来ている物だ。これ以上、揶揄されるのは沽券に関わる。緊張した空気を和らげる為、山車に使われるのは吝かではないが、これはこれだ。
「あまりからかわない方が良いですよ……そういえばスヴェータ嬢はどちらに?」
「夕方、レーナルツが帰る時、先に出たそうだが」
 フェベスの言葉に言い様のない不安を覚えざる得なかった。レーナルツ自身に問題がある訳ではない、彼は襲撃を加えられ様とも彼女をどうにか、こうにか守る事だろう。その為の得物も物色していたのだから。それよりも彼等の放任的な所が気になって仕方ないのだ。フェベスは娘を好き勝手させ、レーナルツに至っては兵の統率こそせど、風紀など全く気にした様子すらない。もし、レーナルツの手元から離れたら彼女の身に危険が及ぶのではないだろうか、と思えるのだ。
「……それ教えてくれたって良いでしょう?」
 何故、誹られるのかが分からないのか、フェベスは顔を顰めながら、僅かに首を傾けていた。何かあってからでは遅すぎる、ハイルヴィヒを放置したまま出かけてしまったのだから、自棄になっている可能性すらある。不安ばかりが過ぎり、一瞬にして胸が押し潰されそうになる。そして、その重圧を背に受けた時、ガウェスは駆け出した。
 ランバートを押し退けると、彼がバランスを失って尻餅を付いていた。それを気にする様子もなく、廊下に出た。外では荷車に寝かせられたハイルヴィヒや、荷物の類を積み込んでいるカルヴィンと何やら話し込んでいるヘロイスの姿が見える。不干渉を貫き続けていた彼女が、何故という思いこそあったが、会釈一つせずに駆け抜けて行った。
「……なんだ、あいつ。思ったより元気そうだな」
「彼も怪我を?」
「あぁ、幸いに首はしっかり付いてる」
 気に成りこそせど、彼を追い走っては傷が開きかねない。何より久しぶりに見たヘロイスを無碍に扱う訳には行かない。
「相変わらずみたいですね。……メイ・リエリスの汚れ仕事をしてるのでしょう」
「それはラノトールの時代から変わらない。俺も、彼も同じ事だ」
 汚れ仕事とはよく言った物だ。都市の治安を乱す者をただ捕らえるだけ、殺すだけ。血で汚れはする物のジャッバールが行う様な、業悪に手を染めた訳ではない。立場こそ違えばカルヴィンを悪と誹る者こそ居るだろうが、その悪が向かうのは悪事を働いた者達だけにである。平時、性根の悪さが向かうのは、目を瞑ってもらうしかない。
「それより何をしに。仕事の帰りか? 随分早い時間だが」
「いえ、この街を見に」
 郊外であるが、クルツェスカで生まれ、育った身。庭の様な物だ、何も見て歩くような物など無いだろう。訝しげに見据えると月光に照らされる表情が見えた。悲壮というべきか、悲哀というべきか。何かに痛み、悼む様なそれにそこ意地の悪さが出てしまう。
「そうか、散歩とは暇そうで何よりだ」
 荷鞍に小銃を預け、振り向くとヘロイスは静かに笑っていた。
 彼女を最後に見たのはキラの葬儀の時、長らく姿を見ず、顔すら忘れてしまっていたその人物。蘇り始めた記憶、それが走馬灯の様に駆け巡るも、その中に笑っている彼女の顔はなかった。初めて見たのだった。
「本当に相変わらずで。……キラが死んで、変わってしまったと聞いていましたが、そうでもない様子ですね」
 彼女が死してからの荒みっぷりは、ヘロイスも聞き及んでいたのだろう。酒に溺れ、刀すら握らなかった一年を。
「戻ってきただけだ、復讐の為に。さ、行く場所があるなら、早く行く事だな。フェベスは苦手だろう?」
「……えぇ」
 背を押され、路地の奥へと押し込まれる様に歩かざるを得ず、非難するでもなくそのまま歩む。メイ・リエリス。嘗ての盟友、嘗ての同胞。しかし、その当主であるフェベス、その邪まな緑眼は恐ろしげな物に見えて仕方がないのだ。向かい合っているだけで全てを見通しているというのに、彼から発せられるのは全てを霧に隠す様な言葉。何も分からない、何も教えない。だが、何もかもを知られている。それの何と気持ちの悪い事か。馬鹿正直なカルヴィンは何も感じないのだろうが、ヘロイスは違うのだ。
「ヘロイス、早く行け」
 路地の曲がり角、彼女を押し退けカルヴィンは踵を返す。振り向いた先、大量の荷物を背負わされたランバートの姿があり、少し遅れてフェベスが出てきた。背には小銃を一挺。抱えた木箱の中身は分からなかったが、後生大事に抱えている事から重要な物が入っているのだろう。
「まだ荷物はあるのか?」
「いいや、必要なのはこれだけだ。あぁ、そうだ、それと」
 宙を舞い、飛んできたのは青。手の中には何か硬い感触。持っていけ、とフェベスが言葉を続けた。手を開けば、青い中石に銀の腕。見覚えのある指輪に思わず、目を瞑り小さく溜息を吐いた。
 何を語る訳でもなく、口を真一文字に結んだまま荷台へと腰を下ろした。幌にフェベスとランバートも乗り込み、行けと合図をしてくる。手綱を握るついで、ハイルヴィヒを見据えるも相変わらず彼女は目覚める様子もない。此処で襲われたら終いだな、と冗談を一つぶつけ、荷車を走らせるのだった。



 困ったら此処に来いと言われていた。聖堂は相変わらず薄暗く、アゥルトゥラの不信心を暗に表している。あの散々な物言いをしてきたカルヴィンの祖先である、ラノトールを合祀しているとは知る由もなく、スヴェトラーナは椅子に腰を掛けた。
 薄ら寒く、それに抗う様に身を縮める。小さな篝火だけがぼうっと灯され、その微かな熱は彼女へと届く事もない。古い埃の匂いがすると、誰も居ないというのに足音が聞こえて来るのは気のせいではないだろう。此処も元は古戦場、この聖堂の下には戦火に巻き込まれた者達を葬る、集合墓地がある。亡者の一人や二人、居ない訳がないのだ。
 アースラなら、この闇の中を縫って現れても不思議ではないだろう。聞くに彼女の名は"夜歩く者"という意味があるらしく、何故そんな名を授けられたかは分からなかったが、夜に歩むというなら闇すらも友の様に親しく振る舞いながら、歩いていても不思議ではない。ハイルヴィヒの状況を、ベケトフの状況を聞かせたならば、彼女はどういう反応をするだろうか。アゥルトゥラの同胞である者達の様に半ば"自業自得"とも取れる発言するのではないか、と思えば口を開くのすら重く感じられた。
 セノールは一枚岩ではなく、ジャッバールと敵対する者達も居るが、それでもアゥルトゥラよりずっと戦争に特化し、その為に身を整え続けてきた民族だ。平和に座し、呆け生きてきたという事を信じられないのではないか、と思えるのだ。
 ふと、下の集合墓地から足音が聞こえて来る。それは消えたり、音を鳴らしたりと不規則で、普通の人間が歩いて出る物ではなかった。亡者かも知れないと思うと恐ろしくなり、椅子と椅子の間に身を潜めた。聞こえて来るのは女の声だ、何かを歌っている様だが、それは淡々とし、抑揚がない。何処かで聞いた事のある様な、ない様な形容しがたい言葉だ。単語と単語の節らしい物もなく、アゥルトゥラの物と比べてくぐもった発音が多い。
 扉が押し開かれ、足音が止まる。それと同時に金属と金属が擦れ合う様な音が響く。彼等もスヴェトラーナの存在に気付いたのだろう。それを察するなり彼女は気付かれない様にと更に身を縮ませ、顔を伏せた。来るな、来るな、と声なくして念じ、祈り続ける。突然、足音が目の前で響いたと思うと、項に冷たく、硬い感触。首を引き上げられるも、力が足りないのか手は両肩に伸び、後ろへ倒される。
「そんな変な格好しなくても」
 にやにやと意地の悪そうな笑みを湛えた、アースラの姿がそこにあり、彼女はスヴェトラーナを引き起こそうと手を差し伸べた。手には鉄鋲の打ち込まれた、皮のベルトの様な物が巻かれており、非力な女の身であるアースラとて、人を殴り殺せるだけの威力の打撃を放つ事だろう。
「ほら、立たないと汚れるよ」
 相変わらず年齢不相応な色がそこにはあった。魅入られそうな色、しかし魅入られては帰り道を塞がれてしまう。そんな魔性の色だ。思わず伸ばしてしまった手、酷く冷たい感触で覆われるに刹那の時もない。あ、と吐く間すらなく、手を引かれ立たされる。「本当に此処に来るとはね。……何かあった?」
 張り付いた様な笑みに、どうもからかわれている様な気がしてならなかったが、アースラがボリーシェゴルノスクや、ハイルヴィヒの身に何があったか知る由もないだろう。
「……何故、此処に?」
「うーん、宿手配してもらってたんだ。ただ、私を売春婦と間違って声掛けた馬鹿なアゥルトゥラの股間を斬り落としちゃってさ。追い出されたって訳。一昨日から此処が根城だよ」
 あっけんからんと答え、アースラは笑っている。第一、セノールの売春婦など見た事がない。確実にジャッバールの元、そういった商売を行わない様にと達しが出ているのだろう。それと同時に彼等の矜持が許さないというのもあるのだろうが。
「……あの、アースラさ──」
「呼び捨てで良いよ、大して歳も変わらないんだし」
「……あの、復讐をどう思いますか」
 復讐という言葉に先日、自分が吐いた言葉が脳裏を過ぎったのか、笑みは消え失せ、彼女はじっとスヴェトラーナを見据えていた。本来なら戦いたくはない。しかし、民族は復讐、報復を望みに望み、今に此処まで膨れ上がってしまった。針の一突きでその怨嗟は破裂し、砂漠を駆け抜ける事だろう。
「まぁ、そう。そうだね……一方的に成るならしたいかな、私だってセノールだし。スヴェトラーナは?」
 正直な答えから、問い返されスヴェトラーナは口を噤む。腹の中、ごうごうと燃える怨嗟、復讐の炎が口から放たれても仕方がない。炎を吐き、叫ぶ怪物を孕んでしまったのだ。憤怒はその青を汚し、清廉な泉を血で染め上げる。
「燃え盛る炎の様です。赤々として、血のそれよりも赤い。……そして、醜い物です。それが私の中にもある。……それがとても苦しい、おぞましい。晴らすしかない、晴らしたい。……バッヒアナミルという人物を討ちたいんです」
「へぇ、ナミルを。へぇ、そうかぁ。へぇ……」
「知りあ──」
 刹那だった、首元に突付けられたのは大きく湾曲した短刀。皮膚を一切傷付けていなかったが、あと一分でも押し込めばスヴェトラーナの細首を切り付けるだろう。アースラの灰色の瞳には、先の魔性はなく、敵意とも殺意とも取れぬ感情が宿っていた。厭にぎらつき、体中に纏わり付く様な視線。見えない蛇に締め付けられている様だ。
「いいよ、アイツを討っても。たださぁ、アイツを討ったら今度はナッサルとベケトフが殺し合いだ、そうなったら最後。君も、君の護衛も、君の父も、使用人も。そうだなぁ、領民や親類皆殺しだ。その覚悟は?」
 声を放とうとしても喉は動こうとしない。冷たい刃には復讐の炎を以てしても、熱を伝えられそうにない。灰色の魔性は、ただじっとスヴェトラーナを睨み、答えを求める。セノールの夜魔は笑みすらなく、短刀の柄を握り締めるのだった。 

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.233 )
日時: 2019/08/13 00:24
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

廓内は外とは違い湿っぽい寒さがミュラにはどうも苦手だった。気温は夏冬でだいぶ違うのに何故湿っぽさは変わらないのかと文句の一つでも零したくなる。一歩踏み出す度に頬にあたる柔い風すら肌を切り裂くような冷気の鎧を纏っていて露出している部分がピリピリするのだ。霜焼けになった部分も在る。何よりもここで命を散らした者達怨念が渦巻いているように感じられて居心地が悪い。小さな段差に腰掛け、熱いコーヒーを啜ったミュラの脳裏にアースラが思い出される。彼女が居ると無意識に目で追ってしまう。やめろやめろと頭の中で言葉が反芻しているのに、余計に気になり、視界に入れたがる。彼女が視界に入ると心臓がドゥドゥと音を立てるのだ。唇が乾き、目玉が世話しなく右へ左へと動いてしまうのだ。素人目でも動揺しているのは明らかで、ソーニアですら、アースラと話した後のミュラを見て「大丈夫?」と本当に心配してきたほどである。
 無論、背丈が似ていて髪の色が似ている人物を目で追いかけたことは度々あった。だが、ほぼ全てのパーツ、雰囲気が似ているとあっては動揺しないわけがない。
 そんなことをぼんやりと考えているから、背後から忍び寄る影に気がつけなかった。突然肩に手を置かれ、大袈裟に声を上げて立ち上がる。こげ茶色の液体が跳ねて服の裾を濡らすがそんなことは些事である。ミュラが口を挟む前に「アースラのこと?」と聞かれれば同意せざるを得ない。何度も首を立てに振った後、同じ場所に座った。
「えと、凄く似てるんだよ、あいつ」
「エルネッタに?」
「……あぁ」
 昔を偲ぶように天井を見つめた。この部屋は通路とは異なり天井が高く、見上げると墨を零したような暗闇が広がっている。
「目の色だけだよ、違うのは。師匠は紫色の瞳だった。綺麗な、宝石みたいな瞳」
 一度だけ見たことがあった。エルネッタと同じ瞳の色をした宝石を。名前はとうに忘れてしまったが、今思うと勿体ないことをしたと思っている。もしもこの場にソレがあったらもっと色々なことを思いだせていたのかもしれない。
「私、ここでカンクェノの調査が終わったら旅に出ようと思うんだ。ジャリルファハドには師匠の遺品を集める旅をすれば良いって前に言われてたんだけど、踏ん切りがつかなかったんだ。でも、決めた。あいつらの考えを理解したいんだ。受け流すだけじゃない。もっとその先を考えたい。そうしたら、ジャリルファハドのこと、もうちょっと分かるかなって。勿論、お前のことも!」
 もっと色んな考えに触れたい。その上で彼らについて考えたいと彼女はそう言っているのだ。
「つい最近まで地球は丸いって知らなかったのに、できるの?」
「や、やってやるし。でも、その為には先ず此処を生きて出なくちゃいけないだろ?」
 コーヒーを一気に飲みきり立ち上がった。埃をはたくように尻の辺りをパンパンと叩いた。
「あいつらがここで何をしたいって考えてるのか分かんないよ。でも、仮に、ここであいつらから離れたらもっと何して良いか分かんなくなると思う。何よりもほら、安全だし。セノールだぜ。怖いけどさ。東洋の諺であるじゃん。長いものには巻かれろってさ。師匠の見てきた世界を私も見たいんだ」
 歪みなく笑ったからこそ言ってしまおうかと思った。「世界はそんなに優しくはないぞ」と。エルネッタの詳細は知らないが、彼女の此処の人間ではないことは確かだった。ミュラから話を聞くに、 色々な場所を知っているのだろう。だからこそ彼女が地獄を見てきたのことが容易に想像できた。
 そのことを忠告出来なかったのは一瞬の沈黙の内にミュラが便所に行くと言い出したからである。「御手洗って言いなさい」と普段と同じような注意をしてしまったのも悪かった。人混みに揉みくちゃになって消えた少女が早く戻ってくるようにソーニアはただ祈るしかない。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.234 )
日時: 2019/08/19 02:18
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 首筋をなぞる冷たい刃、それは人の熱すら伝わらず、そのまま皮膚を、肉を裂く代物である。何故、アースラがそれを突付けて来たかが分からなかった。聞くに及べば、サチの武門は二分化され、ジャッバール派と中立派に分かれている筈だ。そして、アースラはその中立派に属する人物、ジャッバールの息は掛かっておらず、アゥルトゥラに対し、敵意を見せる事はないとスヴェトラーナは高を括っていたのだ。
 声を出そうにも口がわなわなと震えるだけで、一声すら出ず、呼吸すら忘れさせる様な緊張に苛まれるばかり。じっとアースラの灰色が彼女を無情に見据え、答えを求め続ける。覚悟が出来ているか、という簡単な問いに答えは導き出せなかった。その覚悟は揺らいで仕方がないのだ。復讐、甘美にも思える響き、極上の愉悦を味わえるであろう言葉。それを孕み、ごうごうと燃え盛る炎がそこにはあった筈だ。だというのに、今こうして刃物を向けられるだけで、覚悟は揺らいでしまう。引いては薄弱たる己の意思に恐怖すら覚えるのだ。
「……で、復讐の後の殺し合い。その覚悟はあるか、って聞いてるだけじゃない」
 答えろ、とアースラは続けながら退屈そうに髪を弄ぶ、毛先に付いた埃を払えば、それは中空を舞い、闇に消えて行く。
「……もう、それは──」
 逃れられない物だ、と声なくしてスヴェトラーナは語る。振り絞ろうとした声も出ず、相変わらず首元に突付けられた刃に恐れ戦く。僅かでも動けば、首筋を裂き、赤い一滴を滴らせる事だろう。
「もう、それは……逃れられない物でしょう。……仕組まれた様に、人間が人間である内、避けられない。……そうでしょう?」
 覚悟の有無を語る事はしなかった、語る事が出来なかったのだ。己の思いが、怒りが一人でに歩き出し、世界に炎を撒き散らす。人を惹き付け、全く離そうとしない呪われた炎だ。
 答えを得られなかったアースラはがっかりした様子で、短刀を下ろし、スヴェトラーナの腕を掴んだ。彼女を椅子に押さえつけ、自身もその隣に座り込むと足を組む。
「……自分の言葉、思いには責任を取らなきゃね」
 復讐の責任、それは覚悟だとでも言いたげに彼女はそう語る。復讐は永遠に終わらない、終わらないからこそ方々に波及して行く。その内、小さな火種が地平を赤く燃やし尽くす。そういう代物だ。その果てが我々だとでも言いたげに、アースラは自嘲する様な笑みを湛えてはスヴェトラーナへと詰め寄る。
「どこかで晴らさなきゃ」
 耳元で囁き、自嘲的な笑みは何時の間にか色を帯びている様にも見えた。人を誑かす魔性というべきか。復讐を唆す悪魔がそこには居た。自己肯定感を切り刻まれ、自己選択をして来なかったスヴェトラーナという個にとって、今のアースラの言葉は毒以外の何者でもない。傷に沁み込み、精神を蝕んでいく。他者からの肯定、なんと甘美で、なんと残酷な物か。盛られた毒は甘露ではないというのに、簡単に喉元を過ぎて行ってしまう。耳障りの良い猛毒は喉越しが良い。
「……同胞を討つと言っているのに止めないのですね」
「ナミルに首取られて終わり、アイツ女子供関係なく斬るだろうから」
 討てると限らない、と言葉なく語りアースラは小さく鼻で笑っていた。その後の事を避けられないと知っているというのに、彼女は復讐を熱望する。その愚かさを嘲笑う様に。"虎"に挑む無謀を嘲笑う様に。
「まぁ、良いんじゃない? やりなよ。やってしまえば気分は晴れるよ」
 "夜魔"は笑みを湛えたまま、少女の背を押す。復讐は晴らすべきだ、腹の中に恨みを抱え続けては自壊に至るだけ。己が慕う人物とてそうだった、であればそれは早い内に晴らすべきなのだ。その対象が例え同胞であったとしても。恨みを抱く者が、闘争の果てに死したとしてもだ。死ねばそれまでだからだ。
 燃え盛る怨嗟の炎は油を注がれ、更に赤々と燃え上がっている。何時かは赤黒い血の赤に成り代わるだろう。血に酔うか、炎に魅入られるかはそれぞれだが、何れにせよ碌な結末を迎える事はない。だが、アースラは彼女を扇動するのを止めようとはしなかった。大局、趨勢などは分からない。悪気などない。スヴェトラーナを貶めようという気もなく、バッヒアナミルに対する恨みなどもない。ただ、事実を淡々と語る。誑かしている心算すらなく、ただ唯一の解決法を語るだけ。
「その為の術が……今の私にはありません。ハイルヴィヒも傷を負い、私の故郷とて今に戦火に果てるでしょう。……如何様にして復讐を果たすべきか、私には検討も付かないのです」
「えー、両手、両足きちんとあるじゃない。復讐をするって事は自分も死ぬかも知れないって事でしょ。術がないなんて事は有り得ないわ」 
 一蹴されスヴェトラーナは困った様に顔を背け、相反す様にアースラは何を困る事がるのかと僅かに首を傾げる。民族は勿論ながら、生きてきた環境、植え付けられた思想、何もかにもが異なるのだ。五体満足ならば遥かに強大な仇でさえ、万に一つ、億に一つの勝機はあるやも知れない。であるからこそ、スヴェトラーナの言う様な術がないなどという言葉を理解出来ないのだ。
 しかし、今のスヴェトラーナにはアースラの語る言葉が理解出来た。人間はたったの一撃で死に瀕する、ハイルヴィヒの様に。だからこそ、術がないという事は有り得ない。仇たるバッヒアナミルとて一様に一撃で死に瀕する筈なのだ。
「……貴方達セノールは獣だと誹られていますが、本当にその通り獣なんですね。何処までも血腥くて、何処までも勇猛で。私達の様なアゥルトゥラには理解し難い限りです。いえ、……し難い筈でした。何となく、セノールが分かった気がします」
 復讐の果て、鬼とも、獣とも成り果てる事だろう。そうして成り果てた姿が目の前にある。その血を引き、その血脈をこれからも続けていく者が目の前に居る。そうか、彼等は地獄を見て来たからこそ、アゥルトゥラよりも前を歩む。前を歩むが故にアゥルトゥラは理解出来ない。しかし、彼等が地獄を歩み続けてきたであろう、原動力を知ってしまえば理解は容易い。それは復讐、ただの復讐だ。
「分からない方が良いよ、碌なものじゃないからね」
 へらへらと笑いながら、アースラは暗闇を睨む。口元だけは笑っているが、目元は全く笑っておらず、スヴェトラーナはおずおずとその視線の先を見据えた。暗闇の中、何者かの息遣いと足音ばかりが聞こえている。
「ま、良いわ。着いて来て」
 手を引き、アースラは歩み出した。暗闇の中、追って来る足音と息遣いに戦きながらも、スヴェトラーナは引かれて行く。何者なのか問おうとするも、口を手の平で塞がれ、言葉を発するなと戒められるのだった。
 唸り声を上げて開かれた扉、その隙間から飛び込んで来るのは寒風と青白い月光。聖堂よりも明るく感じられるのは気のせいではないだろう。日が暮れてからはそれ程まで時間は経っていないらしく、人通りも多少ながらある。
「……旧い人間は良い気分しないだろうからねぇ、そりゃ出て来るよ」
 一人ごち、へらへらと笑う彼女の言葉に首を傾げながらも、手首を掴まれたまま歩みを進めざる得なかった。人垣を縫い、二人は歩み続ける。
 漸く人垣を抜け、至ったのは小路。黙りこくってしまったそこは奇妙な物だった。アゥルトゥラの都だというのに、周囲はセノールの者達だらけ。腰に差した刀のそれは武門の物だという事が見て取れる。
 そして、漸く辿り着いたそこは屋敷というには簡素で、どちらかと言えば兵士の詰所の様にも見える建物だった。守衛とも思しき男がじっと此方を見据え、それがアースラだと分かった途端に歩み寄ってくる。
「何をしに来た」
「……マティーンに会わせて」
「構わないが、そうだな。そっちの女は?」
 突然の事だった。スヴェトラーナの髪を引っ掴み、前に押し出すと腿を踏みつけて、地面に膝を付かせた。男に顔が見える様に向け、アースラは答える。
「ベケトフの娘。ジャッバールに降った愚かなアゥルトゥラ。……捕らえたから」
 アースラの声色は今の今まで聞いた事がない程、冷たく淡々とした物だった。語る内容も思いもしない事で、何となく命の危険すら覚える様な物である。男は溜息を吐きながら、中へと入ってしまった。
「……緊張はしなくて良い、悪い様にはしないから」
 耳打ちをしながら彼女を立たせると、その背を押して男の後を追って行く。壁には幾つもの小銃や、騎兵様の刀剣、長槍の類が立て掛けれており、明らかに戦の支度がされている様だった。幾人かのセノール兵がじっと此方を睨む様に見据えているも、何か言葉を発する訳でもなく、ただただ静まり返り、煙草の煙ばかりが漂う。
「アースラ、入れ」
 少し奥まった部屋から、くぐもった声が聞こえ、その声の通りに進んで行く。あくまでスヴェトラーナを連行する様な素振りを見せたまま、彼女の背を半ば強引に押しながら歩んで行く。
 扉を押し開けば、そこに居たのは一人のセノールの男。傍らには大きく湾曲した刀、先程の兵達が控え間と同じ様に槍や、小銃が壁に立て掛けられていた。三人掛けの長椅子に座り込み、尊大に振舞う彼は酷く威圧的に見えた。思わずスヴェトラーナは萎縮して、視線を逸らしてしまうものの、アースラは相変わらず飄々とした素振りで振舞う。
「何だと思えばベケトフ……ベケトフの娘だと。ジャッバールに対しての交渉材料に成りもしない。ただの穀潰しを連れて来て、どういう心算だ」
 不快そうに言い放ち、杯に入れられた葡萄酒を一口で呷る。矢継ぎ早に中座させた葉巻に火を点けてるべく、燐寸に手を伸ばした。
「……彼女の保護と"協力"を」
「保護は良いだろう。虜囚を粗雑に扱うのは褒められた事ではないからな。しかし、俺が此処に居るのは、ジャッバール本軍を迎え討つ為。ベケトフに力を貸すなど馬鹿げた話は無しだ」
 斜陽貴族に力を貸す物好きは居ない。居たとしても、それは下心がある者達。ルフェンスの様な権力拡大を目指す者達だけだ。ジャッバール配下に降り、方々から敵視されている者達に組するなど、有り得ない話なのだ。ましてや異民族、本来ならば敵対する者達なのだから。
「バッヒアナミルを討つ、その為に接近してくれるだけでいいから」
「馬鹿げた事を言うな。俺やファハドが束になって掛ってもアイツは殺しきれない。何をされたか知らん、興味もないが悪い事は言わんから、アイツと相対するのだけはやめておけ。首が幾つあっても足りない」
 マティーンはそう語り、杯に再び酒を注ぐ。確かにその通りだろう、四人掛りでも倒せず、その場に居合わせただけだというのにハイルヴィヒは傷を負い、未だに目覚める事もない。であるからして、彼がそう語り静止するのも仕方がない事だろう。しかし、それではスヴェトラーナの復讐心は納まらない。
「……本来なら私だけで成すべき事だとは分かっています」
「なら、勝手にやるんだな。俺達をお前達の訳分からない話に巻き込むな、馬鹿馬鹿しい。第一、アースラ。お前もお前だ。何れ殺し合う者達と縁を結ぶなど、信じられん」
「縁を結んでしまった以上、彼女は友よ。友が泣いているなら手を差し伸べるべきでしょ」
 アースラの言葉に溜息を吐き、マティーンは葉巻の火を再び中座させてしまった。左手に持った杯を叩き付ける様に置くなり、口を開く。
「友の為に友を死に追い遣るというのなら、お前はただの愚か者だ。背教者だ。我等セノールの裏切り者だ。ならば、殺すしかあるまいよな」
 傍らの刀を抜き放ち、マティーンはゆっくりと立ち上がった。ガリプの様に八双に構え、その切っ先は天を睨む。女の身で男と真っ向から斬り合うなど、冗談ではない。とてもではないが、敵わない。
「……いや、その。ごめん、刀収めて」
「全く……良いか。我々はセノールだ、お前がどんな奴と縁を結んだとしても、一向に構わん。その後、争いになって後悔したとしても俺には関係ない。だが、友を売る様な事だけはするな。それは恥だ、大恥だ」
 刀を収め、すぐに長椅子に腰を掛けると、マティーンはすぐに燐寸と葉巻に手を伸ばした。酒を呷り、喫煙を嗜む。セノールにしては世俗的だが、彼がアースラを戒めた言葉は信教であるリヴァーレ教の教えから来た物だろう。
「……お前達も掛けてくれ、椅子はそっちだ」
「うん……あのさ、話だけ聞いてもらえるかな」
「話だけだがな。ベケトフ、名は?」
「……スヴェトラーナと」
 長いな、と静かに笑いながらマティーンは葡萄酒を呷る。先程までの緊張感は何処へ消え失せたやら。刀を鞘に収め、膝の上に置くとじっとスヴェトラーナを見据えていた。バッヒアナミルを討つというのだから、何かがあったのだろうと彼は勘繰っているのだ。
「スヴェ……面倒だ、ベケトフ。何があったか、何が起きているかだけ話してくれ。我々に理がある事なら、理があると思えるなら我等、ラシードは動いてやろう」
 武門の長がそこに居る。ジャッバールに次ぐ規模の武門の長だ。アースラに緊張する必要はないと言われこそした物だが、どうにもそれは拭い去れない。首元に短刀を押し付けられた時よりは幾分マシという物だが、相変わらずきちんと声が出ない。それでも復讐を願うというのだから、笑い種だと自嘲する様に咳払いをして、漸く彼女は語り出すのだった。

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