複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.187 )
日時: 2018/11/22 02:08
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 足音が止む事はない。
 ざりざり、と雪を踏みつけたならば、それを追う様に氷を蹴る音が聞こえて来る。黒く、長い髪を振り乱し、袖口から血を滴らせる砂漠の化身──虎が息荒く追って来る。彼の足を進めるのは最早、執念であろう。外套にまで血が滲み、開いた傷は痛みを齎す。それの何と鋭い事やら。肉と肉が擦れ、神経に触れ、一寸毎に針を突き立てられている様な"それ"が身体を嘲笑う。
 追われる人斬りは振り向き、すぐに抜刀出来る様にと刀の柄に手を掛ける。柄に巻かれた皮が血で潤い、ぴたりと露となった肉に吸い付き、少しずつ柔軟性を取り戻し、膨れ上がっていく。柄に使われ、命を絶たれた獣が蘇ってくるようだ。獣は殺められ、皮を剥がれ己の死骸を弄ばれた。その恨みを晴らし、報復を成せと主である人斬りへと語り掛けてくる様だ。気が逸り、足取りは早まるというのに、今か、今かと斬り掛ける時機を窺ってしまうのだ。刀が語る、血を寄越せとそう主の足を止め、背を引く。
「──そろそろ終いにしようか」
 踵を返せば、人斬りの視線の先。肩で息をする獣の姿があった。雲の切れ間、青白い顔をした月が顔を覗かせる。辺りは全く氷雪に覆われ、白とも銀ともつかぬ世界が広がっていた。また、その月明かりに照らされる両者も、死人の様に青白く見えた。
「あぁ!!」
 虎は叫び、呼応する。その瞳は月明かりにぎらぎらと輝き、開いた瞳孔が不気味にも見えた。その様相たるや飢え、獲物を前に気の逸る獣の如く。セノールとは矢張り人の皮を被った獣か、と内心一人ごちた。人斬りにはその気の逸りが分かり、その感覚の心地よさは忘れられる物ではなかった。忌むべき敵を打ち壊し、咎人を打ち殺し、命と共に流れ出で、滴る血を踏みつけた時の征服感、命を奪い、弄ぶ加虐の喜びは甘美な物であるのだ。言い得がたい中毒性のある物なのだ。
 虎へと理解を示し、矢張りセノールの血が流れているな、と人斬りは己をせせら笑う。だが、お前とは立場が違う、と右の手で刀の柄に手を掛けた。そして、鞘を支える様にして拳を握り締める。
 その動作に呼応する様に"それ"は刀を構える。柄を両手で握り、切っ先は天を向く。一刀、一撃にて断ち切るべく、息を吐き、人斬りを見据え──駆ける。
 吼え声は最早、獣の如く。己を奮い立たせ、四戒を振り払う。恐怖は捨て、殺す。疑心は一つも抱かず。惑いという言葉は食らう。そして、人を殺める罪の意識はそも、持ち合わせていない。
 駆ける事の一丈。振り上げられた切っ先は力強く、ただただ振り下ろされて行く。その刹那であった。刀も、鞘も抜かぬまま人斬りは懐へと至り、体躯に僅か劣る虎へと拳を振るう。拳は左胸へと吸い込まれ、傷を打つ。激痛に刀は天を指し止まり、そして手から零れ落ちた。すっかり開かれた傷からは、滔々と血が湧き出し、殴り付けられた心臓は不規則に早鐘を打ち、変拍子を刻む。遂に喘ぎ喘ぎ、苦しげに呼吸をし始め、膝をついて頭を垂れてしまった。そして、すっかり下を向いてしまった顔を蹴り上げる。
「……馬鹿め」
 それだけ言い放ち、再び人斬りは踵を返し、駆け始めた。刀を拾うも抜くような真似はせず、ただただ駆けていく。虎を誹る言葉は「まともに戦う訳ない」という意思の現れ、斬り合っては勝ち目はない。だが、何時までも追われるのは面白くはない。ならば、治り掛けた場所を再び壊すまでの事。立ち上がるなら壊し、死したならばそれまで。命とは所詮は壊れ物。一刀、一発、一撃、ただただそれだけで壊れる。そんな脆弱な物なのだ。まともに向かい合うのは馬鹿の証と人斬りは鼻で笑う。
「まぁ……面白かったな」
 そう一人ごち、生還した己を見て、屋敷の者達がどんな顔をするか想像するに容易い。彼等はただただ驚く事だろう。真っ白な新雪に血の足跡を残し、人斬りは声を上げ、愉悦に嗤うばかりであった。




 サチの書簡を片手にフェベスは難しい顔をしていた。彼の視線が左から右へと泳ぎ、一頁、また一頁と捲られていく度、ガウェスの真向かいでアースラが笑ってる様にも見えた。別にフェベスが中身を読み進めていくのを見ている訳でもなく、単に彼女は時折、視線が交わると都合悪げにそれを逸らすガウェスが面白い様で、彼をからかって遊んでいるのだ。
「……なんですか」
「いいえ、彼があの書簡を読み終えた時。私の首は繋がっているかな、ってね」
 フェベスを指差し、アースラはそんな事を言う。セノールは和平や友好の使者や、投降した者達を受け入れられない場合、その者を殺め、首を曝すという。事実、その様な事を半世紀前の西伐でガリプの総大将であるディエフィスが行ったという記録が残っている。投降を勧告しに来た者の首を裂き、馬で引き摺ったそうだ。終いには捕虜を並べ、皆一様に首を落としたという。その数は千とも二千とも伝えられている。
「……アゥルトゥラはそんな事しません。まぁ、先の西伐セノールの捕虜、虜囚って居ませんでしたけど」
 彼等は投降よりも討死を選んだ。百人の兵が居たならば、その百人全てだ。それは異質。敵を屠ったというのにアゥルトゥラの兵は、そういった彼等の行動に恐怖し、士気を少しずつ低減させていた。
「神は言われた。"囚われるよりも死を選べ"と。神はその者を御許へと受け入れる事だろう。ってね」
 にこにこと穏やかに笑っている彼女であったが、その言葉たるや苛烈であり、人命を軽視した物であった。セノールの信教の聖典に記された一文を引用しての言葉だが、さも自然に語るため、それが彼女の思想にも思え、やはり理解に及ばず、うそ寒く感じられたのだが、ガウェスは気付く。そこにセノールの強さがあるのだ、と。死を恐れ、命を尊んだ瞬間、歩みが止まってしまう所でも、彼等は迷い無く突き進んでくる。死に場所、時機をそこと思い至ったなら、最早彼等を止めるのは死しかない。だからこそ、理解出来ない程に強いのだ。
「……無様な生より、高潔な死を。ですか」
 灰色掛かった瞳を閉じ、アースラは頷いていた。瞳を閉じた意味は分からなかったが、恐らくはまた何かしらの意を示しているのだろうか。どうにも彼女もジャリルファハドと同じく、説明不足な所がある。
「そっちの神は、そう教えないの?」
「死は忌憚するものです。死は人間の原罪の結果とされています。生まれながらに罪を背負っていますからね。ですが、人は生きるだけで罪を背負うもの。故に死後行くべき所に不安を覚え、恐怖します。……皆に平等に訪れるとしても怖いものは怖いんですよ」
「そう……じゃあ、あなたは地獄。ガウェス・ハイドナー」
 再び彼女は静かに笑う。人を殺め、クルツェスカに余計な混乱を齎した。確かに彼女の言う通りだろう。死後の世界という物が存在するならの話であるが。
「……終油の秘蹟も廃れてしまったでしょう? 罪は誰も拭い去ってくれない。聖別する事が出来る聖人すら居ない。この世はもう地獄よ」
 恐らく彼女の笑いは皮肉だったのだろう。確かに言う通りである。世に救世主など存在しない、聖人に値する様な立派な人物も居ない。誰もが何かしらの罪を背負い、闇を腹の中に飼っている。それを発露し、それを晴らすべく得物を手に取り、謀略と暴力を駆使し、闇を晴らそうとしている者達の方が余程健全である。確かにガウェスにもそう思えて仕方がないのだ。
「地獄だから血が流れても当然。それから逃げたいだなんて、この世に生きてる価値がないわ。生きるって戦う事だもの。人間どうせ死ぬの、なら何で戦わないの? 手はあるじゃない、得物も溢れてるじゃない」
 暖房の熱を浴び、外套からは微かに湯気が立ち上る。彼女の短い言葉は何処か妄執を宿し、熱を帯びている様に感じられた。壁一枚隔て、寒風が吹き荒んでいるとは思えない。
「それにしても……此処目が乾く。これのせい?」
「寒いなら薪の炎が一番だ。気に要らんなら外にでも行くかね?」
 書簡を読み終えたのか、フェベスはアースラをそう揶揄しながら外を眺めていた。彼女の雪に濡れた外套は暖房の前に広げられており、刺青を入れた腕が露となっている。そんな格好で外に出よう物なら、一時間と持たないだろう。随分と意地が悪いと彼女は少し顔を顰め、フェベスを見据え、無言の非難を行っていた。
「……敵ではない、という事が分かった以上それで充分だ。しかし、サチ同士で争って何の得があるのだね」
 恐らくフェベスが読んだ書簡の中には、中立を保つガリプ、ラシード等がこれから何をするか示されていたのだろう。そして、それはサチの氏族同士での抗争である。
「私達の血と屍を以てして、セノールの存続とアゥルトゥラとの戦争を回避する。それが最大の得。最良の結果。……それだけ」
 彼女は笑みすら湛えず、そう語る。既に死ぬ覚悟を決めているからこそ、大胆にも同族の目を盗み、またその同族が敵視する場所へと赴けたのだろう。その年の若さに相反した覚悟はスヴェトラーナの様な温室育ちは勿論の事、廓へと平然と乗り込むソーニアですら持ち合わせていない物だろう。
「事が成らねば戦争は回避出来ないが?」
「……なら、ジャッバールと運命を共にし、私達はあなた方の首と取って回るだけの話」
 つまり、サチの中立派は物凄く危うい立場にある、という事である。ジャッバールを叩き、アゥルトゥラとの戦争を回避する。戦争が回避出来ない状況となったならば、ジャッバールと共にサチ総軍でアゥルトゥラを叩く。危うげであるが、とても単純でアゥルトゥラにとってもただでは済まない事態に、フェベスは大きく溜息を吐いた。
「どうしてこう、西の民は厄介ご──」
「黙れ、侵略者」
「なに?」
「何でもない」
 何時の時代も対する文句か分からない様な毒を吐き、アースラはフェベスから視線を逸らす。その様子がどこかガウェスには面白く、また同時に彼女が尚更エルネッタに似ている様に思えた。歯に衣を着せぬ訳ではない、普段はなけなしの気を使うのだが、口を衝いて出てしまうのだろう。
「その話、信用出来ますか?」
「この首に掛けて。……斬る?」
 首に手を掛け、指先を真一文字に走らせながらアースラはそう問う。今まで軽口を交え、少し浮ついて聞こえていた声であったが、今の彼女の声色に緊張の色が見える。それで居ても取り繕う様にして、首元の襟を掴み、僅かに捲っては煽る様に笑って見せた。随分と強い女だ、とフェベスは関心しながら笑っていた。
「……嘘、偽りであったとしても斬った所で変わらんさ」
 サチの使者が此処に来たという事は、尚更クルツェスカからジャッバールを西へと叩き出す必要があるのだ。北に逃れたり、何をする訳でもなく此処に居座り続けられるのは最大の悪手である。もし、そうなったならばガリプやラシードまでジャッバールと行動を共にし、サチ総軍で西部を攻め立てられるからだ。そうもなれば話は別である、都という都は焦土と化し、アゥルトゥラは西部の権益を手放さなければならない。頭痛の種が増えた、とフェベスは大きく溜息を吐き、早急に事を仕掛ける必要があると思うのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.188 )
日時: 2018/11/23 17:58
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 今のガウェスに出来ることは、来るべき日に備えて傷を癒すのみ。カルヴィンの無事を信仰していた神に願おうとも、それは神の思し召しではなく、それはただ彼の実力がバッヒアナミルを上回ったとそれだけの事なのだ。神が勝利をくださるのではなく、個人がもぎ取るもので、賜るような代物ではない。
 フェベスの部屋を後にし、裂傷と凍瘡により赤くなっている両手の治療をする。アースラはもう少し話があるそうで部屋に残り、広い客間にはガウェスが一人、暖炉で手を温めていた。神経が解していくにつれて感覚が戻っていくと共にチクチクとした痛みを発する。一度暖炉から手を遠ざけるが、痛みは引かず、むしろズキズキとした痛みに変わり、思わず声が洩れる。この痛みでも相当堪えるのに、戦いの中これ以上の責め苦を受けながら笑みを浮かべられる人間だっているのだ。そして、そのような人間をこの約半年の間に多く目の当たりにし、彼らに対して蟠りを持たなくなっていた自分自身に気が付き、大いにがっかりしたのだった。
手の感覚が戻ったら、軽く消毒を行い、包帯を手に取る。慣れた手つきで最初は左手に、次は右手にて包帯を当てた時、吹雪が窓を叩く音に混じって扉を叩く音がした。心臓の鼓動が早くなった。カルヴィンか、若しくはバッヒアナミルか。それ以外の者の可能性も捨てきれないが、夜も更けた頃に来客がありえるのだろうか。手の動きを止めて立ち上がり玄関の元へ向かう。到着しても無闇に名を問うことはなく、扉をこじ開けられた時のことを考え、死角になる場所で訪問者の出方を伺う。痛みに堪え、刀の柄を握る。敵だった場合、例え格上でも初撃で相手を葬りさらねばなるまい。卑怯と罵られようと戦うと誓ったのだから、最期まで足掻かねばなるまい。手足が鉛をつけたように重い。呼吸を乱さないように小さく短く、音を立てないように心掛ける。ノックは更に大きくなり、今度はドアの向こうにいるガウェスに聞かせるように大きな声を出した。
「俺だ。開けてくれ」
 カルヴィンの声であった。丸く目を剥き、慌てて彼はドアを押し開けた。外套の襟を立てて風を凌ぐように立っていた彼は「ただいま」とニヒルに笑う。どうやら虎を撃退したらしい。
 目立った外傷はないが、肌が露出してる頬や鼻、が火照っているかのように内側から赤く色付き、外套には雪が幾つも張り付き白く染めている。僅かに鉄臭いのは気のせいでないだろう。血と雪に汚れたガウェスに渡し、屋敷へ一歩足を踏み入れた時、光の届かない影。そこに紛れるように立つ女性がいることに気がついた。
「彼女は?」
はて、と一瞬、頭の回転が止まったが、すぐにアースラのことだと気が付いた。
「サチからの使いです。中立派だそうで、ガリプとラシードの書簡を届けに来てくれました。あとカルヴィン殿は早く服を着替えましょう。話はその後で遅くないはずだ」
「なぁにまだ平気だよ」
 そうは言っても、ガウェスの腕を掠った手は心臓が飛び跳ねるほど冷たく、まるで氷像に触ったような感覚であった。何よりも手の平だけでなく手全体が内側から赤く変色していた。一瞬ギョッとしたが凍瘡であることが分かり、ホッとする。凍傷を治療する際の痛みは凍瘡を凌駕する。過去に凍傷になった男を助けたことがあったが、指先から第二関節の間には大小様々な水疱が出来、特に親指の第一関節部分には空気の入った風船のようにぷっくりと膨らんだ水疱があった。壊疽はなく、切断の必要はないと安心したのも束の間、声を殺し啜り泣く成人男性をガウェスは初めて目撃し、大きな衝撃を受けたのだった。
 それに及ばずとも凍瘡にも痛みがあることは確かである。しかもガウェスよりも重傷で後もう少しこちらに来るのが遅れていれば厄介なことになっていたのは確かである。このようになるまで、どこで、どのように獰猛な虎を追い払ったのか、興味をもったのも事実。それでも彼に詳細を聞かなかったのは彼の顔に僅かに笑みが浮かんでいたからか。勝利に酔いしれた誇らしい笑みではない、命のやりとりに悦を見出している、仄暗い狂人のような笑顔であったら尚更だ。全く以て不可解である。ガウェスはそこまで思って、否、と否定した。彼の笑顔はバッヒアナミルの、セノールの狂気に似たものを感じ、故に末恐ろしく押し黙ったまま、時計の音を聞いていた。やがて戻ってきたアースラの手には毛布があり、それをカルヴィンに渡した。少々陽の匂いがする清潔感のある毛布だった。それにくるまりながら薪が爆ぜている暖炉の前、赤く腫れておる手の影が、炎が作る陽炎に合わせて揺れていた。
「顛末を知りたくはないのか?」
 その問いはガウェスではなく、アースラに対してだった。鳩が豆鉄砲を食らったように瞬きを数度繰り返していたが、にいっと笑い「どうぞ」とジェスチャーを送る。ガウェスは内心ヒヤヒヤしていた。
「バッヒアナミルを殺した……かどうかは分からん。だが、生きていたとしてもしばらくは動けないだろうな」
 彼の言葉に何とも複雑な気持ちにされたのは事実。バッヒアナミルが生きているかもしれない恐怖とホッとした様な気持ちが同居し、神妙な顔をしていると「なんて顔をしてやがるんだ」とカルヴィンはからかった。ガウェスの方は、答えるほどの体力は残っておらず、乾いた笑いが出るだけだった。一方のアースラは表情を変えることなく彼の言葉を聞いていた。それは彼女の性分なのか、将又、セノールのひいてはハサンの教育なのかガウェスには読み取れなかったが、彼らの動揺をしない、もしくは隠す術にただただ舌を巻くばかりであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.189 )
日時: 2018/11/28 01:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 感情の発露など、そうそう人に見せるべき物ではないと躾けられた。親しい者であったとしても一握りに限り、例えそれが友や身内の死であったとしても感情に振り回されるのは美徳ではない。
「……ナミルはしぶとい、多分生きてる。それに目的果たしてないもの。あなたの首を欲していたのでしょう?」
 己の意思か、バシラアサドの命令か、アースラには分からなかったが彼の行動は結局のところ、ジャッバールに有利に働き、バシラアサドの為に成るだろう。今は首を取るに至らなかったが、彼という存在がアゥルトゥラに知れ渡る機会となったのも事実である。それよりもカルヴィンの首を取るのが、バッヒアナミルの目的だとジャッバールに通じていないであろう、アースラが語るのもおかしな話である。恐らく、彼女がジャッバール配下だったならば、バッヒアナミルと同じ様に首を取りに来ていただろう。
「だろうな。その場にガウェスが居たから、ついでに攻撃しただけだろう。一人も二人も殺すのは一緒だってな」
 バッヒアナミルは既にアゥルトゥラの人間を五人も斬り殺している。今更、一人、二人を斬った所で何にも変わらない。それどころか、その恐ろしい戦闘能力に箔がつくというもの。
「もう彼はアゥルトゥラに危害を……?」
「あぁ、シェスターンで。ナヴァロ配下の凄腕五人、全員斬殺だ。ま、傷を負ったがな」
 九ヶ月前、アレナル領、シェスターンへと赴いたバシラアサドを討つべく、クルツェスカでも相当、腕が立つ者達が五人、追手として宛がわれた。護衛はルーイットではなかった事から、バシラアサドを殺害出来ると判断したのだが、その予想は覆された。全員、斬り殺されたのだ。何とかバッヒアナミルに深手を与えられたが、それでも撃退するのがやっとという状況。全快であったならば、恐らく殺されていただろう。
「それで胸を……」
「あぁ、そうだ。残念だが俺等じゃ敵わない。まだまだ若い分、搦め手に弱いだけだが、あと一年、二年もしたら手が付けられなくなる」
 バッヒアナミルの存在は脅威だと、カルヴィンは暗に語っていた。体躯こそアゥルトゥラの者達に劣るが、一撃は尋常ではない程に重く、速い。そして、野生の獣の様な動体視力。虎の名を冠するだけあると、ガウェスは関心していた。アゥルトゥラにはあんな兵は存在しない。彼等、セノールがどれだけ異質かを改めて実感するのだった。
「そんな事を言うだなんて、殺せてないと思ってる?」
 アースラの灰色の瞳が、カルヴィンをじっと見つめていた。瞬きの仕方を忘れた様に、目は見開かれ微かに力が篭っている様に見える。それが酷く不安を煽り、 また彼女の整った顔立ちが不気味にも思え、思わずガウェスは視線を逸らした。それに気付いたのか、アースラはガウェスを再び視線で追った。
「普通なら死ぬ。……だが、アイツは普通じゃあない。今頃、息を吹き返してるかもな。どう思う? クィアットの孫」
 クィアットの孫、というフレーズにアースラはにいっと不気味にも思える笑みを浮かべていた。口元は僅か歪み、目は声なくしてけたけたと笑っている。エルネッタはあんな表情を浮かべた事はなく、ガウェスには彼女が傭兵という職に就いていた以上、孕まざる得ない狂気を彼女が代わりに発露したようにも思え、思わず視線を逸らした。アースラが視線を追う事はない。
「お前も普通じゃあないよ」
「人間、少なからず狂ってるもの。……あなたも、あなたも。誰が正気を保障してくれるの?」
 カルヴィンを指差し、そのまま指先は左へと動きガウェスを指す。
「さぁな。少なくとも今、お前達と争う気満々の奴等は正気じゃあないだろう」
 流れに逆らうのは苦行、流されるのはとても楽で、それは目を瞑っている間に終わってしまう。抗うならば目を開き、手足をばたつかせ、例え血の反吐を吐こうとも逃げてはならない。五世紀以上も睨み合い、血を流しあった恐るべき不倶戴天の敵と戦火を交えようとしている。発起人は誰一人として正気ではない。後に加わる者も正気を失うであろう。
「ほら、やっぱ狂ってる。誰も、彼もね。ただ……正気じゃ守りたい物も守れない。自他へと危害を加える敵を殺すのに躊躇っちゃうでしょ」
「……誤解を解けば──」
「無理。仮に生かされたなら、それは気紛れ。ただ遊ばれているだけ」
 殺意は拭えない。とアースラは続け、じっとガウェスを見据えていた。彼女は知らないだろう、自身を生かしたのはジャリルファハドだという事を。勿論、彼が攻撃の手を緩めたのは気紛れやも知れず、アースラの言う通りであったが、彼に限って人の生や死を弄ぶような真似はしないだろう。何か訳があり、合理的であったなら斬る事もあるのだろうが、徒に血を好む様な人物とは考えられなかった。
「あぁ、そうかもな。俺は正直、セノールは全員殺すべきだと思うな。何百万もの死体の山でも作れば、清々する」
 灰色の瞳がガウェスからカルヴィンを見つめ、一寸の間が空いた。そして、沈黙を破ったのはアースラの高笑いであった。何が愉快なのだろう。少し低く、柔らかな話し声と相反するその笑い声が耳を刺す。
「──面白い話をどうも。カルヴィン・カランツェン。あなたの首が落ちるのを願ってるわ」
「冥途への渡し賃が欲しいものだ」
「行き先は地獄でしょ。渡し賃持たないで二百年、時間稼ぎなさいな」
 両者共に軽口を叩いているのだが、アースラが怒りを露にしているのは明らかであった。表情の薄い彼女であるが、瞳に力が篭り、微かに顔が紅潮しているのは明らかだった。つい先まで表情を隠し、感情を露としないように努めていたのが嘘のようだ。
「アースラ……少し、席を空けた方が」
「……ごめんなさい、気にしないで」
 胸の前で腕を組み、指先が二の腕を叩く。苛立っているのは確実である。突然、暴れたりする事ないだろうが、下衣の衣嚢には不自然な膨らみが見え、何かを隠し持っているのは明らかであった。
「何も得物は持ってないから。懐炉」
 ガウェスの視線に気付いたのか、彼女は静かに笑いながら立ち上がり、衣嚢からそれを取り出して見せた。布に覆われていたが、僅かに銀色が顔を覗かせていた。すっと立ち上がるなり、それをガウェスに突きつけ、手で受け取るのは拙いと気付いたのか右腿の上に置く。
「あげる。少し頭冷やしてくる。傷お大事に。……"人斬り"あんたもね」
 それだけ言いアースラは部屋の外に飛び出して行った。少しくぐもった声で「寒い」と彼女が漏らした様な気がしたが、腕を露としているのだから仕方がない話である。居間にはスヴェトラーナやハイルヴィヒが居るだろうが、敵意や攻撃意識が見て取れない彼女に気を張る事もないだろう。
「あまりあの様な事を話さない方が良いかと」
「うるせぇや」
 困った人だとガウェスは苦笑いをしていた。カルヴィンは帰ってきてから、厭に目付きがぎらぎらとしていた。バッヒアナミルとの命のやり取りは、それ程に刺激的だったのだろう。斬り、斬られ、血を流し、流せばそれだけで気が逸るのは人間に備わる、防衛本能の延長線にある代物である。試す様な言動を繰り返していたアースラに、苛立ち、攻撃的な言動をするのも当然なのだ。
「……ところで人斬り、とは?」
「あぁ? 俺の祖先、ラノトールがメイ・リエリスから貰った官職だ。それ以前、ニザーフという姓を名乗っていたらしい」
 ラノトールについては、"カランツェン"という姓しか聞いた事がない。
「ニザーフ……?」
「アゥルトゥラに平定されたセノールの家門さ。"狂信徒"って意味らしいがな。ま、あくまで与太話さ」
 アースラに聞けば、と口を衝いて出そうになったが、まだほとぼりは冷めていない。日すら跨がぬ内、頭を冷やしに行った彼女と接するのは悪手だろうと、言葉を飲み込んだ。一瞬の間があり、怪訝な顔をしながらカルヴィンはガウェスを見据え、はと思いついた様に言葉を続ける。
「そして"人斬り"さ、大して変わらんよな。ところで、ガウェス。酒でもどうだ、またくすねて来よう。生還の祝杯だ」
 本当に仕方がない人だ、と笑いながらガウェスは頷いていた。言葉や身振りはやや粗暴であるが、性根の悪い人間ではないのだろう。部外の者には苛烈だが、一旦身内ともなれば甘い。もう少し早く、彼やエストール等と出会っていたならば、ハイドナーが滅ぶ様な事も無かったかも知れない。そう思うと後悔の念が頭の中を去来し、蠢く。
 僅か俯きながら「遠慮なく」と吐き出せば、カルヴィンは「おう」とだけぶっきら棒に答えて見せ、部屋を後にするのだった。




 先まで闘争が繰り広げられていたとは思えない程、大路は静まり返っていた。血の付いた足跡は薄ら新雪に消え、仰向けに倒れこんでいたバッヒアナミルの全身は白く染まっていた。
 彼が見るのは赤黒い地獄であった。恐らくは何処まで行っても、闇が続くに違いない。何れ亡者の群れが、歩み仲間入りをする自分を祝うに違いない。あの男は十四の頃に殺した野盗、口汚く自身を罵る。その傍らには十五の頃に力余って殺した同胞。彼はようやく来たか、と歓迎の意を述べている。そこから何人殺したかなど覚えてなど居ない。恐らく、この亡者達は自分が殺した人間達だろう。尤も殺した人間の顔など、そんなに覚えている訳がない。
 ふと、手に触れる冷たい感触。雪か、風か。燃え盛り、責苦を与える地獄に雪などあって堪るか。地獄はこれ程までに冷たい訳がない、とバッヒアナミルは実感を得れば、得るほどに身体へと力を取り戻していく。まだ生きている、死んで堪るか、と無理矢理に身体を捻る。左胸に激痛が走り、顔を顰め、呻きながら声を漏らした。
 痛みを実感したならば、それは生きている証である。未だ血が止まらず、肌を血が伝う。ぬるりとした気持ちの悪い感触に苛まれながら、バッヒアナミルは遂に立ち上がった。刀を杖のようにし、一歩。また一歩、歩むのだ。
 手や、顔、首と言った箇所がひりつき、火傷を負った様に痛む。気力だけで歩んでいる状態であったが、身を動かし、カルヴィンを仕留め損ねたという事実に怒りを持てば、何故か身体が暖まる。その内に足は軽くなり、歩みは速まっていくのだった。
「おい、お前大丈夫か」
 アゥルトゥラの男が心配げにバッヒアナミルへと声を掛ける。
 腹癒せの得物を見つけたと、彼は口元に笑みを浮かべた。異民族は"物"でしかない。八つ当たろうとも誰も戒める事などない。それが敵ともなれば、一人を斬ればそれは手柄である。
「……えぇ」
 短く答えたならば、彼は心配げにバッヒアナミルと歩み寄ってくるのだ。暗闇であるからこそ、彼がセノールなのか、アゥルトゥラなのかいまいち見分けが付かなかったのだろう。故に駆け寄ったその刹那、刀の切っ先が天を向き、赤い血がぼたりぼたりと滴れば、その男は九の字に倒れ込んでいた。何が起きたか理解出来ないと言った様子で、彼は呻く。やかましいと切っ先を脇腹へと突き立て、腹癒せに腹を裂いた。飛び出た臓腑は汚れを撒き散らし、命を垂れ流す。まるで虎が得物を弄ぶ様に、切っ先は二度、三度、四度と男に突き立てられるも彼は何も反応を示す事がない、既に事切れているのだ。ただただ反射で手足が動くばかり。
 愉快そうにそんな屍を踏み越え、バッヒアナミルはバシラアサドの元へと帰るべく歩みを進めるのだ。気分は晴れた。次は首を持ち帰ろうと己に言い聞かせていた。

 歩む事の半里余り。大路を二つ、三つと越え、小路を抜けていく。人の気配などなく、血に塗れたバッヒアナミルを見ているのは、青白い月ばかり。吐く息はただただ白く、少しだけ弱まった風のせいか、足取りは目覚めた時よりも軽く見える。血も固まり始めていた。
 屋敷の門を無理矢理開き、バッヒアナミルは大きく溜息を吐いて壁に身を預け、身体を傾けながら歩む。手を付いた壁に、微かに残った皮膚が張り付き、引き剥がされたならば鈍い痛みに、微か声が漏れた。白い雪に微か血が滲み、汚されているもバッヒアナミルは気にする様子もない。それよりも鎧戸で閉ざされた、部屋の中身を気にし、彼は控え目に扉を叩く。
「誰だ」
 二度、三度と叩けば扉の向こう側から声が聞こえる。少しだけ高圧的に聞こえども、その声はバッヒアナミルにとって心地よく、彼が慕い、命を賭しても良いと思える人物、バシラアサドの物だった。
「アサド、仕損じました。……今帰って来た次第です」
 扉が開かれたならば、彼女は青い目を見開くばかり。視線は左胸を射抜き、滲んだ血に不安を覚え、扉が勢いよく開かれた。バッヒアナミルを叱責する訳でもなく、ただただ何があったと、戸惑っている様にも見える。
「……斬られたのか」
「いいえ、傷が開いただけです。手はこのザマですけど」
 両手を広げ、バシラアサドの眼前に突き付ける。手は酷く擦り切れ、所々皮膚は剥がれ、肉が顔を覗かせている。血がじわりと染み出し、手首へと伝っていく。
「胸は」
「血は止まってますよ、少し痛い位で。あぁ、触らない方が──」
 バッヒアナミルの手を引き、彼を部屋の中へと招く。寒さはなく、暑くもない。丁度良く、過ごし易い室温が心地よく感じられた。椅子へと腰掛けさせられたならば、再び青い瞳がじいっとバッヒアナミルを見つめていた。少し血で汚れてしまった手の事など、気にしていないのだろう。他者の血は触るものじゃない、と昔教わっただろうにとバッヒアナミルは苦笑いを浮かべていた。
「……カランツェンはどうだった」
「とっても強かった、獣を狩るのとはまた違います……楽しかったですよ」
 ぽつり、ぽつりとバシラアサドは問うていた。傷を負った掌の手当てを進めながらであったが、彼女はバッヒアナミルの答えに頷くばかり。何を考えているかは分からないが、すっかり言葉数を減らしてしまったバシラアサドに、昔の面影を見ながら短く言葉を交わすのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.190 )
日時: 2018/12/10 22:14
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「静かになりましたね」と、ぽつねんと落とされた言葉は紅茶のお替わりを準備していたハイルヴィヒの手が止めるには十分だった。それは幾分か弱くなった雪や風に対しての言葉か、はたまた屋敷の中のことを指しているのか。顔を上げてスヴェトラーナの顔を確認しようにも掻き消えていた湯気が再び形を作り、たゆたい、顔を隠してしまう。ポットの隙間から洩れる湯気はマンネンロウの華やかな香りが部屋全体を包んでいる。こうして、細やかなお茶会をしているとベケトフの屋敷にいた頃をふと思い出す。芳しい香りに包まれながら暖かい日差しに心地よさを覚えながら、鈴のような声を聞き、カップを傾けていた。そこまで考えて、ハイルヴィヒは自嘲するように小さく笑った。無論、スヴェトラーナには気づかれないように。過去を羨んでも仕方が無い。今は前を見なければならないというのに。二組のティーカップとポットを持ってスヴェトラーナの座るソファーの前へ向かう。彼女は真剣な表情でジッと窓から外を覗いていたが、マンネンロウの香りに釣られるように顔をハイルヴィヒに向けると「ありがとう」とふわりと微笑んだ。顔には出していないが、カップを持つ手がわずかに震えているのが彼女の心情を表している。従者に心配をかけまいとする主人の気遣いに胸が痛む。眉間に皺がならないよう平常心を保つように心掛けてスヴェトラーナに問うた。幸いベケトフにお飼われている狂犬は表情があまり出にくい。
「何か憂い事でも?」
 白々しいと自ら思った。それでもハイルヴィヒは訊かずにはいられなかった。ここには心配事が多すぎる。ベケトフのこと、フェベスのこと、ハイドナーのことですら彼女の心に影を落としているのだろう。
「大したことじゃないのよ。ただ、屋敷がザワザワしていたでしょう? でも何も説明がないから……」
 そこで言葉を切って外を見る。香草茶は飲むだけではなく、香りでも気持ちを落ち着かせると訊いたことがあまり効果がなかった。むしろ、スヴェトラーナの白い手に重ねられた従者の手の温もりに安心した。
「フェベス殿の元へ伺いますか?」
 ハイルヴィヒの提案にスヴェトラーナは一瞬動きを止めたが、優しく重ねられた手を解き、直ぐに首を横に振った。
「いいえ、今日はダメよ。……明日にしましょう。きっと、今はお忙しいと、そう思うの」
 ティーカップを持ち上げて、逆の手で描かれている模様を撫でた。金色の線が縁に彩られているだけのシンプルなハイドナーの家にあったような華美な装飾はないが、それでもそれなりの値が張ることは分かっていた。
「私達、ずっとずぅっとこのままなのかしら。外に出たいとかそういうわけじゃないのよ。ちょっとだけ、息苦しくて。何もしない、知らされないで。これからどうなるのかしらって。御父様にもここにいることを連絡すらしていないわ」
 ふぅと息を吐き憂いを帯びた表情は絵画の世界から抜け出てきたかのように美しい。
「御父様、どうなっているのかしら」
 無責任に嘘をつき慰めるわけにもいかなかった。それがバレたとき、彼女を失望させると理解していたから。故にスヴェトラーナのぼやきに対する返答はせずに、心底心配した顔で今日はもうお休みになりましょうと提案した。スヴェトラーナはコクンと頷いて、ソファーを立った。アースラが部屋に入ってきたのはそんなときだった。控えめな音と共に開けられた扉から、冷気と共に音も無く姿を現した彼女を見てスヴェトラーナは大いに驚いた。一方のハイルヴィヒは全く気配を気づけなかったことに驚いた。もしも、彼女がこの部屋に入ってこなかったら何も考えずにドアを開けていただろう。敵だったらと思うとゾッとする。
 アースラは品定めをするかのもうに二人の姿を頭の先から爪先までを見回す。しかしそれも一瞬で、直ぐにうっすらと微笑んでみせた。そこにはスヴェトラーナにもハイルヴィヒにもない色香があった。夜、月明かりを浴びて咲く紫のダリヤのような艶めかしさに二人は息をのんだ。そして、鈴のような声で二人に向けて「こんばんは」と言った。咄嗟の事ですぐに言葉がでなかったスヴェトラーナはおずおずと頭を下げた。射抜くような視線を送るのはハイルヴィヒでアースラに対して警戒の色を見せる。スヴェトラーナの一歩前に立ち、一挙一動見逃さんと言わんばかりに目を光らせている彼女はさながら宝を守る番犬か。随分と警戒されたものだと柳眉が困ったように八の字に下がった。(もっともそれだけでアースラから目を離さなかったわけではない。ハイルヴィヒもエルネッタを知っているのだ)
「貴方達に危害を加えに来たわけじゃないの。ただちょっと、物音がして気になっただけ。だから、そんなに睨まないでよ」
 武器を見せれば余計に警戒されそうなので余計なことはせず、それでもハイルヴィヒからは目を離さないようにして後ろ手でドアを閉めた。
「貴女は……、セノールか。どうして」
「セノールの皆が皆、貴女たちの敵じゃあないわ」
 ハイルヴィヒの一言で彼女達は何も把握していないことを知る。何故、屋敷が騒がしかったのか、それを不審に思わなかったのか。仮にそう思ったなら何故、フェベスの元に来なかったのか、薄ら笑いの下で考えていた。彼女達はどうも危機感が足りないように思えた。黙ったまま数刻。先に痺れを切らしたのはハイルヴィヒ。ではなくスヴェトラーナだった。恐る恐ると言った様子で、守人の背後から顔を覗かしてアースラの灰色を見る。その瞳には緊張の他にもう一つ、別の感情を宿っていた。
 「あのここで会ったのも何かの縁でしょう? 立ち話もなんですから、このお紅茶が飲み終わるまでで構いません。少しだけお話しませんか?」
 何を言っているのかとハイルヴィヒは振り返ると僅かに目を輝かせるスヴェトラーナが映る。どうや、アースラという女性に、ひいてはセノールという人種に興味があるようだった。
 一番驚いたのはアースラだ。豆鉄砲を食らった鳩のように瞬きを3度繰り返した。
「えぇ、是非」
 少しの躊躇いを見せたのち、彼女は首を縦に振った。夜も更けてきて、吹雪に見舞われている。特に風はまだ強く、帰る帰るなと駄々を捏ねているかのように窓を叩いている。この中を帰る気も起きなければ、カルヴィンとガウェスの元に帰りたいとも思わない。折角だ。貴族の遊びに興じるのも良いかもしれない。それに香草茶は砂漠では中々飲める代物でもなく、アースラが興味を持ったのも事実。色よい返事に純真無垢なご令嬢は頬を薔薇色に染めて口元を綻ばせた。そんな主人の顔に、複雑な感情を抱きながら、ハイルヴィヒは普段と同じように紅茶の準備を進めるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.191 )
日時: 2018/12/13 01:03
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 無音の来訪者は足を組みながら、ソファーに腰掛けている。その様子は尊大にも見えながら、色めかしくも見えた。身体は細く、スヴェトラーナやハイルヴィヒと比べ、起伏に乏しく小柄だというのにだ。恐らくは彼女の年齢不相応にも見える、落ち着き払った雰囲気がそうさせるのだろう。
 目の前にある椀には紅茶が淹れられているのだが、一度口を付けただけで、ただただ虚しく湯気を上げているばかりだ。恐らく苦手な味だったのか、僅かに顔を顰めたのをハイルヴィヒは見逃していなかった。少し温くなり、薄れ始めたその湯気の向こう、彼女は他愛もない会話をスヴェトラーナとしていた。アゥルトゥラの土地は酷く寒いだの、家屋の作りが全く違うだの、色んな人間が居る等とだ。時折、アースラの言葉が訛ったり、詰まったりする様子から、彼女は余りアゥルトゥラの言葉を話しなれていないのが良く分かる。それがおかしいのかスヴェトラーナは笑みを絶やさず、最近中々見る事が出来ない表情を浮かべていた。
 何時の間にか彼女達は名前で呼び合っており、スヴェトラーナがハイルヴィヒの名まで教えてしまったらしく、彼女の視線が時折、ハイルヴィヒを向く。
「……何だ?」
「いいえ、別に。何でもない」
 ただただ視線で追っているだけなのだろうが、それを不愉快に感じ彼女を睨み返すも、気付けばスヴェトラーナと談笑しているではないか。どうしたのもか、とハイルヴィヒは溜息を吐いた。
 セノールというのは物騒で愛想がなく、血を好む獣の様な存在だとハイルヴィヒは思い続けていた。彼等が人のふりをしている化物だとまでは言わないが、アゥルトゥラや周辺国の人間と比べ、人間味が薄いのは確かだと考え続けていたのである。先の戦争に従軍した祖父や、昨今の緊張からそう思わざるを得なかったのだ。それがどうだ、このアースラという女は愛想も良ければ、そんな雰囲気を持ち合わせていない。物音を全く立てないという所こそ、確かに引っ掛かるが民族皆兵を掲げ、武門という形で民族の先頭に立って、闘争に身を投じる者達が居る以上、アゥルトゥラでは考えられない様な戦闘技能、技術、そして生き方をしてきているのは明白。気にするまでもない事だろう、と漸くスヴェトラーナの隣に腰を下ろした。
「……これ。後味が苦手」
 アースラはそう言い放ち、その場を凍りつかせる。淹れて貰っておきながら、歯に衣着せぬ発言をしておきながら、相変わらず彼女は静かな笑みを湛えたままだったが、スヴェトラーナは何処か不安げに彼女を見据えている。それに耐え兼ねたのか、僅かに首を傾げ、漸く紅茶に二口目を付けた。そのまま飲み干してしまったようだ。少しの間、パチパチと薪が爆ぜる音だけが場を制す。少しアースラの笑みが引き攣っているのは気のせいではないだろう。
「……やっぱり飲み慣れないんでしょうか?」
「うーん、まぁね。カシールヴェナにはこういうのないから」
 バシラアサドが東西を繋ぐ、交易路を築き上げたというのに、カシールヴェナには流通していないのが不思議でならなかった。クルツェスカは勿論、西部の各都市にはセノール製の調度品や、装飾品、刀剣、そして彼等が飲んでいるであろう茶葉などが入ってきている。
「カシールヴェナ……行った事ないんですよね。城塞であり、都であり、戦地だった。古い所なんでしょう?」
「肩身狭い思いしたいなら、どうぞ。熱烈歓迎よ」
 少し意地の悪そうな顔をしながら、そんな事を言うものだからハイルヴィヒは思わずアースラの椀に茶を注ぐ。少しだけ彼女の表情が引き攣り、何てことをしてくれるんだ、と抗議の視線が飛んで来る。
「ハイルヴィヒ、覚えといて。……寝てる間に外に出してあげる」
 そんな冗談を吐き、目を瞑ったまま茶に口を付けた。一度、二度と喉が鳴り、漸く飲み干したのか、アースラは椀を膝に置いたまま二人と言葉をぽつぽつと交わすのだった。



 時刻は既に深夜の二時を回り始めていた。廊下から足音が聞こえているが、この無駄に大きな足音は酔いの回ったカルヴィンだろう。少しの間を置いて、ガウェスとフェベスの声が聞こえてきている。さてはカルヴィンに飲まされ、気が大きくなってしまったのだろうか。遂数時間前まで死線を彷徨う様な斬り合いを演じていたとは信じられない。
「……品を疑うわ」
「アゥルトゥラの奴等はあんなのばかりさ。元は戦の為に土地に封ぜられただけの存在だ。……知恵、知識、力はあっても品がない奴等は多い」
 ソファーに倒れ込む様に眠っている、スヴェトラーナを一瞥しながらハイルヴィヒはそう語る。へぇ、とアースラは適当な相槌を打ちながら、窓から外を見る。雪は止みつつあり、風もやや大人しくなってきた。雲の切れ間から、月が顔を覗かせているのだが、冬月らしからぬ黄味掛かった月だ。それが放つ月光が、氷雪を微かに輝かせている。
「ところでアースラ」
「何?」
「……全てが敵ではない、とはどういう事だ」
 刹那、アースラの口角が釣りあがり、その笑みが恐ろしげに見えた。脳裏に焼き付けられたセノールの虚像が息を吹き返し、アースラに砂漠の覇者、砂漠の化身が宿っているように思えた。
「その通りよ。私達──サチは一枚岩じゃない。……私達はジャッバールを止める。私達の血と屍を以てして。民族の為に死ぬのなら本望」
 そう語る彼女から何時の間にか、笑みは消え失せていた。灰色の瞳はただ一点を見据え、表情はすっかり薄れてしまっている。そんな虚無とも言える彼女から、壮絶な覚悟が見て取れるのだ。何故そこまで出来るのか、何がそうさせるのか、とハイルヴィヒには理解が出来なかった。
「……ねぇ、ハイルヴィヒ。あなたもスヴェトラーナの為なら、死ねるでしょう?」
 問う声色は冷たく、宛ら厳冬のクルツェスカの如く。未だ対峙した事のない不気味さに息を飲む。レゥノーラのそれよりも理性的ながら、狂気が垣間見えた。それでいながら昂ぶる訳でなく、不自然な程に落ち着き払っている。故に彼女は不均衡な様相を呈している様に見えた。しかし、そんなアースラの問いには首肯せざるを得なかった。スヴェトラーナは自身の死を望まないだろう。だが、彼女の為ならば身を砕き、骨を粉とする事も厭わない。そして、はと気付いてしまうのだ。アースラと自分の中身は良く似ている、と。
「あぁ」
 口を衝いて出た相槌はもう二度と引っ込める事は出来ない。それを認めてしまっては、二度と足を止める事は出来ないだろう。
 ゆっくりとした足取りだが、アースラが近寄ってくる。灰色の瞳は生々しいまでに蠱惑的に見え、あるはずのない魔力が感じられた。眼前まで迫ってはじぃっと僅かに背の高いハイルヴィヒを見上げて、再び口角を吊り上げる。
「私達はよく似てる。面白いわ、本当に」
 エルネッタに似ている女、それが自分によく似ていると語る。戯言と一蹴し、彼女の身を突き放す事も出来るだろう。だというのに、手は動かない。腕が上がらない。そうする気が起きないのだ。自分が抱いていた感情、思考を肯定され、引き出される様な不可思議な感覚に戸惑う事しか出来ないのだ。
「何処が……」
 漸く搾り出した声は、先よりも小さく、声調もやや低い。戸惑いを見越しているのか、灰色の瞳は瞬き一つない。もう既に対人距離は侵されているというのに、更に彼女は近寄ってくる。
「本質が、性根が。肌の色も、背丈も、顔付きも……全く違うってのにね」
 細い指先がハイルヴィヒの頬に触れる。絡め取る様に頬から首へと這う指先に、何処か背徳的な感覚に陥る。戸惑いながら見返せば、彼女の瞳に吸い込まれそうだった。息を呑み、強張る身に相反し、穏やかながら蠱惑的にも見える瞳は全てを見通し、見透かす魔性の瞳なのだろう。その持ち主はただただにこやかに、穏やかに笑っている。エルネッタはこんな事をしなかった、こんな雰囲気を醸す事もなかった。
「ただ、あなたの大事な人は私が支えるべき人とは間逆」
 それだけ言い放ち、すっと離れては踵を返す。彼女がスヴェトラーナを横目で見たのは気のせいではないだろう。弱点を見透かされてしまった様な妙な感覚であったが、彼女が何か悪さを働く訳ではない。不快感や、不安を覚える事はなかった。 
「ねぇ、ハイルヴィヒ。あの子、すっかり寝ちゃってるけど、此処で良いの?」
「……此処なら冷える事もないだろう。起こすのも忍びない」
 あぁそう、と短い相槌が帰って来る。少しだけアースラの口調が崩れつつあるのは気のせいではないだろう。隣に腰掛け、彼女はまた他愛もない話をし出す。恐らくこのまま夜が明けてしまうのだろう、と眠っているスヴェトラーナを見遣りながら短く相槌を返すのだった。



 メイ・リエリスの屋敷は死屍累々といった様子だった。ガウェスは頭を抱えているし、フェベスも寝不足なのか目の下に大きく隈を作っている。男共の惨状を作り上げた、カルヴィンだけは何事もなかったかの様に振舞っており、彼は酒に呑まれていない様だ。スヴェトラーナが目覚め、外を見た時には既に雪掻きをしていた。ハイルヴィヒやアースラは雑談に花を咲かせすぎたらしく、遂に夜を明かしてしまう等、昨晩バッヒアナミルからの襲撃があったとは信じられなかった。
「……朝まで喋ってたの?」
「まぁね、以外と意気投合した、というか」
「……まぁ、その通りです」
 相変わらずアースラはにやにやと笑っていた。相反し、ハイルヴィヒは何処か叱られ、悄気た犬のように少し俯き加減だった。それもその筈である、終始アースラのテンポに呑まれ、寝るという意思表示すら出来なかったのだ。欠伸を噛み殺し、何か言いたげに彼女を睨むも、それに動じる様子も見せず「んー?」などと暢気に声を上げているのだった。
「アースラ、これからどうするんだ」
 取り繕う様にハイルヴィヒは問う。
「既にクルツェスカへ来ている同胞達に、我々の──武門の意思を伝える。……皆、頷いてくれるといいけど」
 彼女の表情に先ほどまでの笑みなく、何処か伏せ目がちであった。ジャッバールとの交戦の意思を同胞へ示し、それをアゥルトゥラの勢力にも伝えた。つまりは大多数のセノールへの裏切り、利敵好意を働いているのとも等しい。それに憤りを覚える者達も居るだろう。例えジャッバールの行動に対し、不快感、疑問を抱いていてもだ。バシラアサドという存在は、今のセノールには欠かせない人物である。罷り間違えて彼女を討ってしまう様な事があれば、それは民族とって大きな痛手。彼等に矛を向け、敵であるアゥルトゥラまで巻き込む。結果、彼女を喪失してしまっては元も子もないのだ。
「無理はするなよ」
「えぇ。危うくなったら逃げるだけの事だもの」
 そう外套を身に纏いながら、言い放てば再び穏やかに笑みを浮かべて見せるも、カーテンの隙間から差す朝日がそれを許さない。眩さに一瞬顔を顰めたが、覗かせた笑みにスヴェトラーナは安堵にも似た様な感情を抱いた。
「気をつけて」
「……言われるまでもなく」
 スヴェトラーナへと歩み寄ったかと思えば、彼女の後頭部に手を回し、アースラは彼女を自分へと引き寄せた。驚いた様子の主従の表情など、彼女は全く見ていない。二人の反応など予想した通り、少しからかう様に口角を吊り上げ、囁く。
「良い事を教えておくわ。……西壁の聖堂、ラノトールを祀ってるところ。信頼出来る同胞が居る、何かあったらおいで」
 それだけを言い残し、彼女は廊下へと出て行ってしまった。朝食を摂る事すらない。矢張り彼女は足音すらなく、ただただ外へと出て行ってしまった様だった。壁の向こう側の事だというのに、彼女と入れ違いになった冷たい空気が肌に沁みる。夜に手招かれ、彼女はただた従者を見据え、戸惑う様に静かに笑うのだった。

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