複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.184 )
日時: 2018/11/04 15:45
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 寒さに体を震わせてミュラは目が覚める。いつの間に寝てしまったのか。テーブルに突っ伏して寝たせいで広げられていた新聞に皺がついてしまった。日付は一週間ばかり古い。小説だけではなく、読み飛ばしていた三面記事を読み直そうと思ったのだ。体を少し起こすと、かかっていた毛布がばさりと落ちて、全身が冷水に浸かったような心地で意識が覚醒する。 
 恐らくはソーニアがかけてくれたのだろう。白い息を吐きながら落ちた毛布を再び被ると新聞を持ち、明かりを求め、窓際へと寄った。
 暖炉は既に消え、明かりらしい明かりは青白い月光が窓から降り注ぐのみである。時折吹いてくる隙間風に思わず嚔が出てしまう。鼻の下を指で擦り、砂漠とは異なる寒さに鳥肌が立つ。それでもベッドには入らず、僅かな月明かりで新聞を読み進める。その時、普段ならば目に留まらない小さな記事が気になった。タイトルにはこうあった。
「決闘についての作法について……か」

 恐らく狙いは自分なのだろうとガウェス・ハイドナーは考える。バッヒアナミルはガウェスが放った斬撃を受け止める。決して手を抜いたわけではなかった。ただ、あまりにも呆気なく止められた事実に彼は愕然とし、焦燥が胸を駆り立てる。彼に一撃を浴びせられるかと考える。
「随分と行儀が良いのですね」
 揶揄しているかのような口ぶりに柄を握る手に更に力が入る。それでも虎は笑みを崩さず、闘争に狂喜し、ガウェスの刃をグググっと押し返したのだ。背筋が凍る思いだった。武器の相性もあるが、ジャリルファハドとて、ガウェスの斬撃を正面から受けることはしなかった。それどころか押し返すなど出来るものか。その時、バッヒアナミルの背後、石畳を蹴る音がした。直後、ガウェスとの鍔迫り合いをやめて、背中へと繰り出された一閃を躱した。それどころか、お返しと言わんばかり一太刀お見舞いする。風すら切断せんとする勢いを孕んだ一撃をうけるのは悪手だとカルヴィンは判断し、身を翻して避ける。その際も視線は虎に、一挙一動を見逃さないように彼を睨みつけていた。 
 
 思わず小さな欠伸が出てしまう。ミュラにとって、決して興味の薄い内容だったわけではない。ただ、戦いとは不平等で有ることが常だったミュラにとって、平等になるようにルールを課すことがつっかえるのだ。しかもルールによっては剣戟以外での攻撃を禁止するなどもあるらしい。技を封じて何が平等と呼べるのか。それは相手に対する礼節だとも言われているが、それならば、相手を屠った後、丁寧に埋葬してやれば良い。事実、ミュラはそうしてきたし、そのように教えられてきた。そんなものを戦いと言って良いものか。ミュラは更に読み進める。

 バッヒアナミルの意識がカルヴィンに向いた瞬間、ガウェスは虎の首を狩らんと前に出た。だが、ガウェスが剣を振るうよりも早くバッヒアナミルの足がガウェスの腹を蹴った。馬に蹴られたような衝撃。胃液が喉までせり上がる。目の前に星が飛び、意識が揺らぐ。よろけた体に追い打ちをかけるようにバッヒアナミルは剣を振るった。何とかバランスを取り踏ん張るも、疎かになった手元では岩のような一撃をいなせない。剣は手から滑り落ちて乾いた音を立てた。そして次にガウェスが捉えたのは、得物を振り下ろさんとする、いや、愉悦に歪んだ虎が牙を今まさに突き立てんとする姿だった。

「まだ起きてたの?」
 突然聞こえてきたソーニアの声にハッとする。どこか声に芯が無く、寝ぼけているのが分かる。新聞を閉じて振り向くと、目を擦りながら、ソーニアがミュラの側にやってくるところだった。ミュラが新聞を読んでいたことに気がつくと「勉強熱心ね」とへにゃりと笑った。普段ならば、ソーニアに褒められたと顔を綻ばせるのだが、顔を曇らせたままであった。
「眠れないんだ」
「不安なの?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあどうして?」
 答えに詰まり視線を左右に泳がせる。言葉に出来ない蟠りをどう説明しようかと悩む。
「大丈夫。今まで乗り越えてきたじゃない」
「なんで、そんなこと分かるんだよ」
「んー、女の勘ってやつ?」
「勘なんて信じてないくせに」
「そんなことないわよ?」
 彼女は不確定なものに頼らない。憶測を立てるときもあるが、最後には答え合わせをし、正解を見つけるのが常であった。口を尖らせるミュラの頭を優しく撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「さぁ、もう寝よう」
 ソーニアに促されて布団に入る。彼女はまたソファーらしい。思わず「寒くないか?」と聞けば「寒くない」と答えた。問答は以上で、ここからは小さな寝息が立てるのみだった。寝付きの良さに半ば感心しながら、ミュラも自分も早く夢の世界に落ちようと瞼を落とすのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.185 )
日時: 2018/11/14 23:18
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 切っ先が耳元を掠め、脈を打つ。耳を上下半分に裂かれた様だが、辛うじて残っているらしい。傷を押さえる暇すらなく、ただただ血が流れ、それが首元を伝っては足元を汚していく。ふと、顔を上げたならばカルヴィンがバッヒアナミルの腕を掴み、彼を押さえ付けていた。体躯に劣るというのに重心が崩れる様な事もなく、ただただ白い息を吐き、横目でカルヴィンを見据えている。
 据わったその灰色の瞳は、肉食獣のそれにとても似通っていた。北に住まう虎も彼の様な目をしていたのをカルヴィンは思い出す。見据えられたなら、身が縮み上がり、死に対する根源的な恐怖を沸き立たせてくるのだ。人でありながら獣。獣でありながら人。牙は刀で、爪は短刀。血と暴力を好む、暴虐の化身である。そんな者を飼い慣らしているのだから、バシラアサドという人物の指導者的素質は恐ろしい物である。尚更討たねばとカルヴィンが彼の腕を握る力に手が篭る。
「……近い内、お前の主の首を貰おう」
「此処から生きて帰れるとでも?」
 はぁ、と短く息を吐くなり、ガウェスの胸へと目掛け、前蹴りを繰り出しつつ腕を掴み続けるカルヴィンの身を引き、少し崩れた彼の身体へと肘を打つ。肺や心臓という臓器を圧迫され、二人とも一様に視界に火花が走る。
 後ろに倒れ込みながらも、剣を拾い上げ辛うじてバッヒアナミルとの距離を空けたガウェスであったが、吹き荒ぶ風雪の中、身じろぐ様子もなく、刀を携えているバッヒアナミルの異様に息を呑んだ。ジャリルファハドとは雰囲気から、佇まい、何から何までが異なる。何より殺意が全く見えないのだ。闘争を愉しんでいるかの様にも見え、それが理解出来なかった。
「……刀を潰されてしまったな」
 そう語りながらカルヴィンは、腰に差していたもう一振りの剣を抜く。やはり片刃で僅かながら湾曲していた。足元転がっている刀は、バッヒアナミルの一撃をまともに受け太刀したせいか、刀身が拉げ、すっかり変形してしまっている。異常な程に重く、速い一撃に最近アゥルトゥラでも使われている、セノールの曲刀を模した物では耐え切れないのだろう。だというのに、眼前に向かってくるバッヒアナミルの刀は未だ健在であった。
 一撃はやはり重く、足元の氷を粉砕し、石畳まで届いていた。その上で二撃目はその重さを失わないままに、尋常ではない速さで迫る。受け太刀をすべきではないと分かっていながらも、そうせざる得ない状況に持ち込まれてしまうのだ。分が悪いと思いながらも、躱し、逃げる事を眼前の獣は許してくれないだろう。二人への攻撃が均等に振り分けられ、背を向けた途端に斬り付けられる未来しか見えないのだ。
「来い、死に損ないが」
 左胸に負った刀傷は未だ癒え切っていない事だろう。後、僅かにでも彼の胸に刃を食い込ませていたならば、今こうして狂った虎に襲われる事も無かっただろうに。後、一歩で仕留め損なったナヴァロの兵を嘲笑いながらも、カルヴィンは剣を構える。
 雪に足を取られているというのに、全く動きが遅くなる様な事もなく、八双に構えた刀を自身の体に這わせる様に振るい、その横凪ぎの一閃を人斬りが受け太刀したならば火花が散る。
 矢継ぎ早に虎へと向け、突きを放つ騎士であったが、眼前の獣は身を往なすだけで躱せば首を落とすべく、再び横に一閃を放ち、右に視線を逸らしたのだ。ガウェスには経験があった。ジャリルファハドから攻撃を受けた時、自身を中心にひたすら横方向に振り、視界外からの攻撃を仕掛けて来る。やはり、虎も人斬りから逃れる様に右手へ逃れ、刀を握る手を返しては、胴を抜くように騎士へと一撃を振るう。その一撃を受け太刀したならば、掌の皮膚が裂け、痺れ、痛みと出血を伴った。顔を顰めながらも、右手へと逃れる虎を追い、やはり突きを繰り出せば再び、身を往なし、人斬りの頭を割るべく、刀を振り下ろした。
「刺せ!」
 辛うじて受け太刀し、額で剣の背を受けている状況であったが彼はそう吼える。すっかり空いていた胴に吸い込まれる様に切っ先が向かうも、やはり身を往なし、半身となる事で躱されてしまう。尋常ではない動体視力、視野の広さ。そして反射神経。彼が虎の名を冠すのも納得であった。半身となり、重心が崩れているにも関わらず、カルヴィンの脇腹を蹴り、すぐに距離を空け、一端仕切りなおしを図りつつも、やはり外周を回り、嘗め回す様に二人を見る様は肉食獣のそれと大して変わらない。
 剣戟が交わる事、三十合ばかり。互いに決定打に欠けた。激しい動作から内臓が揺さぶられ、やはり体力の消耗が激しいのだろう。カルヴィンも、ガウェスも肩で呼吸し始めていた。受け太刀と反撃を続けた手は裂け、酷く痺れ始めていた。相変わらず平然とした様子のバッヒアナミルであったが、彼の手も裂け流血している。三者一様に一撃の度に痛みが走り、擦れた肉は声なくして悲鳴を上げていた。バシラアサドに心酔しきっている狂人、獣の類にこの程度の痛みなど、全く意味がないだろう。長引けば長引くほどに分が悪くなっていく。この状況に顔を顰めながら、カルヴィンは雪の上に血混じりの唾を吐き捨てる。
 それと同時であった。バッヒアナミルの動きが僅か緩慢になり、突然脱力しては刀を雪の上に投げ捨てる様に落としたのだ。そして、彼は蹲り、左胸を押さえ付けながら僅かに呻いている。心なしか息は荒く、彼の衣服には血の沁みが出来ており、左の袖からも流血が確認された。
 好機かと踵を返し、剣を握り締め彼の元へと近寄るガウェスであったが、それをカルヴィンに制止される。迂闊に近寄るな、と言葉無くして彼は語っている様だ。
「……ガウェス、人間は簡単に死ぬ物だ。迂闊に寄らば斬られよう。今は退くぞ」
「ですが……」
 バッヒアナミルに顔を見られてしまった。生きているという事実を知らされようものなら、ジャリルファハドにも危害が加わり兼ねない。であるからこそ、今此処でバッヒアナミルを斬るのが正解と思えるのだ。だがしかし、カルヴィンの言葉も当然と言えば当然である。人は一太刀も浴びれば死ぬ、手負いと言えども、近寄った途端に刀を拾い上げたならば、人を一撃で殺す事も可能であろう。
「……退くぞ。もう戦えん。お前もこの通りだろう」
 眼前に曝された掌、皮はすっかり剥がれ、肉は拉げている。流血から袖口はすっかり汚れてしまっていた。ガウェスもカルヴィン同様、掌はすっかり傷付いてしまい、一撃を受けるのも、一撃を加えるのも苦であるのは事実である。
「逃がすか……!」
 左胸を押さえながらバッヒアナミルはゆっくりと立ち上がり、やや緩慢であったが向かってくる。手負いの獣と言えども、捕食者である事には変わらない。その獣は何やら吼え声を上げ、最早言葉とも成らぬそれを吐き出し、怒りにも似た感情を露としている様にも見えた。アゥルトゥラの騎士では、考えられない執念がそこにあり、その異質さにガウェスは息を呑み、剣を握る手に力が篭る。
「行け!」
 カルヴィンに背を押されるがまま、ガウェスは走り出した。カルヴィンは大路を向かって右に逃れ、ガウェスは左に逃れる。道なりに行けば色街を抜ける事となるだろうが、恐らく地理がないバッヒアナミルを撒ける可能性は高く、何なら待ち伏せして殺す事も出来るだろう、等と甘い考えをしていたのであった。




 大路では獣がただただ吼えている、斬られた耳が痛むのは傷だけのせいではないだろう。耳の中で甲高い音が鳴り続け、自分の足音すらくぐもって聞こえて来る。あれほどまでに受け太刀をし、激しい斬り合いをしたのは始めてだ。ジャリルファハドの攻撃ですら、苛烈と感じたが、バッヒアナミルは彼以上だった。一人の時に襲われていたなら、既に死んでいるだろうと思えば背筋に冷たい物が走る。
 厳冬故、色街に人気はなく小路に積もる雪には、足跡すらなく時折その下から顔を覗かせる厚い氷は厭に滑り、足を取りに来る。カルヴィンは逃れただろうか、と小路を見返せど人の気配一つない。狙いは自分だろうと、思いこそしたが冷静になってみれば、今、カルヴィンの首の方がバシラアサドからしてみれば重く、遥かに価値がある物なのだ。死人には口と価値がない。公には死んだ事となったから、親しくあった貴族や商人は離れ、最早誰一人として肩を持つ者は居ない。
 自嘲するように溜息を吐き、前を見遣る。自分が吐く白い息の向こう、人影がありそれは立ち尽くして此方を見据えていた。ガウェスは目を見開き、剣の柄に手を掛ける。固まり始めた血のぬるりとした感触が不快だった。
「……ナミルは手強かったでしょ」
 身の丈にして五尺余り。外套に身を包み、顔をすっかり布で覆ってしまっている。容姿こそ分からないが、その声には聞き覚えがあった。エルネッタによく似通っているのだ。尤も彼女より幾分、若く、すっかり開ききった声帯から出る、角の取れた声のせいか、雰囲気もやや柔和にも感じられるのだが。
「武器から手を離して、私はジャッバールの配下じゃない。……サチの中立派よ」
 灰色掛かった瞳から、セノールの者だという事は分かっていたがサチの中立派、という言葉にガウェスは怪訝に思いつつ、剣の柄から手を離した。彼女は得物を携えて居る訳ではない。外套の中に隠している可能性こそあるが、だとしたら正面から話しかけるという事などしないだろう。
「……誰です」
「秘密。……いや、名前だけ。アースラよ」
 外套から差し出された右手には手甲が嵌められており、その指先には鉤。甲の部分には槍で穿たれた六芒星。一瞬、身動ぎこそしたが、アースラは怪訝そうに目を丸め、何か悪い事をしただろうか、と僅かに首を傾げる。僅かに出た左手にも同様、指先に鉤のついた手甲が顔を覗かせている。
「敵意はないっていう意思表示、私達セノールは相手に得物を見せるの。……言えば良かった」
 そうやって取り繕いながら、彼女は布の下で笑っている様で、目を細めていた。恐らくセノール以外ではその風習を知る者は少ないという事をすっかり忘れてしまっていたのだろう。セノールの人間にしては随分と抜けている様にも思えたが、足音一つ立てず、気配すらなく近寄ってくる人間だ、という事を思い出し、ガウェスは彼女を侮るべきではないと自分に言い聞かせる。
「……一体、何をしに」
「そうね。届け物……メイ・リエリスの屋敷まで案内して頂戴。ラシード、ガリプの当主連名で書簡があるの」
 そう言い放つなり、彼女は顔を覆っていた布を解く。にいっと笑みを浮かべながら、その布の端に縫い付けられた細長い衣嚢から、やや厚みのある書簡を取り出した。そんな事よりも、ガウェスは彼女の顔から目が放せず、呆然と目を見開くばかり。僅かに開いた口から吸う、クルツェスカの凍て付いた空気の事など気にもならない。夜を歩む彼女は死した"彼女"に似過ぎているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.186 )
日時: 2018/11/15 23:35
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 エルネッタ・バイエルとガウェス・ハイドナーが初めて邂逅したのは凍えるほど寒い日のことである。鍛錬をしようと庭に出てきたガウェスの前に立ちはだかったのは、齢三十を超えた紅裙であった。黒く焼けた肌と紫水晶のような瞳を子供のように輝やかせている彼女は「当主様の実力が見たい」と半笑いを浮かべながら堂々とそう言ってのけたのだ。面白いことが起きたと周りがざわめく中、シミのない白いハンカチを彼の足元に投げたのは、騎士の礼儀に法ったのか、もしくはからかっただけなのか、未だにガウェスには分からない。だが、彼女が過酷な砂漠で賊徒として振る舞ってきたことをガウェスは知っていたし、どのような戦い方をするのか、興味があった。何よりもほんの少しの驕りが当時の騎士にはあった。制約もない喧嘩のような決闘は、傭兵達から度々挑まれていたし、その度に返り討ちにしていた。そんな驕りから生まれた慢心。愚かな騎士は快諾し、そして後悔した。バネのようにしなやかな筋肉から繰り出される蹴りが鎧に身を包んだ彼の足を執拗に狙っているのは分かっていた。最後は足元を掬われ、尻もちをつき、剣を遠くに飛ばされた。彼の眉間に銃口が向ける彼女は勝負がつくと、にへらと柔らかく笑い「若いねぇ」と手を差し出してきたのだった。不思議と屈辱感はなく素直にその手をとった。彼が無事に立てると、それじゃあねと手をヒラヒラと振りながら、大路へと消えていった。酒を呑みに行くためである。ガウェスはその背中が消えるまで見ていたが、やがて小さく息を吐くと立ち上がった。と、脛の辺りに鈍い痛みが走る。部屋に戻り確認してみると、なるほど、青紫色の大きな痣が一つ出来ていた。
 そんな過去の残像を思い出してしまうほどアースラはエルネッタは似ていた。ミュラが見たら師匠が生きていたと喜び、ソーニアやジャリルファハドに騒ぎ立てるとこだろう。浅黒い肌と黒い髪を持ち、声もエルネッタに似ている。違いと言えば、瞳の色と年齢、そしてそこからくる皺と肌の張りくらいか。アースラの余裕のある言動や行動、どこか色っぽい立ち振る舞いで、大人びているが、若々しく瑞々しい肌と皺も少ない顔を見れば十代後半から二十代前半だと分かる。対してエルネッタは皮膚が水を弾かないとしょっちゅう嘆いていたし、笑うと目尻にも皺が出来ていた。しかし、それを抜いてもアースラはエルネッタと酷似している。姉妹もしくは過去のエルネッタだと言えば恐らく納得してしまうだろう。
 穴が空くほど凝視するガウェスにアースラは困るどころか、あえて視線を絡めて「何か?」と問うた。艶のある行動とエルネッタの幻影に胸が締め付けられる。「何でもない」と笑うには、手の傷が疼く。困ったように眉尻を下げて「いえ……」と答えて、彼女から目を逸らし、逃げるように歩き出した。
 なるべく人目につかない小路を使いながら、ガウェスとアースラは歩く。片栗粉の入った袋を踏むようなギュッギュッという音を立てながら、汚れのない銀色の絨毯に足跡をつけていく。
「セノールと剣を交えたのは初めて?」
「いいえ。数度交えたことがあります。最初は――」
 ここまで言って、彼ははたと口を閉じた。彼女とてセノールだ。他の同胞とも斬りあっていたこと知ればいい気がしないだろう。しかも、ガリプとラシードに通じているのならば余計にだ。ガリプの長であるジャリルファハドと切り合ったことを、しかも勘違いで攻撃してしまったことを知らせる必要は無い。
「彼には申し訳ないことをしてしまいました」
 胸の中から最後の空気を吐き出すように呟いた声はアースラにも届いていたが詮索する様な言葉はなかった。一瞬の沈黙ののち、今度はガウェスから口を開いた。
「貴方は砂漠で、誰かに似ているといわれた経験はありませんか」
「いいえ、一度も」
「そう……ですか。いや失礼。昔亡くした友人に似ていたので……」
「あぁ、それで」
 先程、アースラを見つめているはずの空色はどこか遠くを見据えていた。それは別の誰かをアースラから見出しているかのようだった。そして、彼女がその人ではないアースラであると風に揺らめく蝋燭の灯のように揺れていたのだ。
「セノール人だったの?」
「いいえ。ただ、外見は似ていましたね」
 バシラアサドのおかげでやや軟化したとはいえ、セノール人に対するアゥルトゥラ人の反応は冷たい。エルネッタも同様の扱いを受けていたが、こういうこともあると笑っていることが殆どだった。大らかで懐が深かった彼女はとてもじゃないが、傭兵には見えない、不向きなようにも思えた。「本当に惜しい人を失くしてしまった」と、ガウェスは暗い空を見上げるのだった。

 屋敷に到着すると、フェベスの元へ急ぐ。バッヒアナミルが襲い掛かってきたことと、書状について早急に指示を仰ぐ必要があると感じたのだ。ノックも無しに入って来たガウェスに視線で非難したが、彼の手が血で汚れているのを見ておおかた何が起きたのか察したらしく、険しい顔になった。
「手痛くやられたな?」
「彼の御仁を相手に帰ってこられただけでも僥倖であったと感じ入る他ありません。カルヴィン殿の機転でこちらは上手く逃げ果せることが出来ましたが……」
 皆まで言わなくてもフェベスは理解しているようだった。彼の鋭い視線が今度はアースラに移った。
「サチの使いだそうです。届け物があるらしく、こちらまで案内しました」
 渡された書簡状に書かれている宛先を見て元々刻まれていた眉間の皺を更に深くした。空気が沈み、針の筵を前にしたような緊張感が部屋を覆う空間の中で、フェベスは慣れた手付きで書簡の紐を解き、整然とした文字に目を通すのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.187 )
日時: 2018/11/22 02:08
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 足音が止む事はない。
 ざりざり、と雪を踏みつけたならば、それを追う様に氷を蹴る音が聞こえて来る。黒く、長い髪を振り乱し、袖口から血を滴らせる砂漠の化身──虎が息荒く追って来る。彼の足を進めるのは最早、執念であろう。外套にまで血が滲み、開いた傷は痛みを齎す。それの何と鋭い事やら。肉と肉が擦れ、神経に触れ、一寸毎に針を突き立てられている様な"それ"が身体を嘲笑う。
 追われる人斬りは振り向き、すぐに抜刀出来る様にと刀の柄に手を掛ける。柄に巻かれた皮が血で潤い、ぴたりと露となった肉に吸い付き、少しずつ柔軟性を取り戻し、膨れ上がっていく。柄に使われ、命を絶たれた獣が蘇ってくるようだ。獣は殺められ、皮を剥がれ己の死骸を弄ばれた。その恨みを晴らし、報復を成せと主である人斬りへと語り掛けてくる様だ。気が逸り、足取りは早まるというのに、今か、今かと斬り掛ける時機を窺ってしまうのだ。刀が語る、血を寄越せとそう主の足を止め、背を引く。
「──そろそろ終いにしようか」
 踵を返せば、人斬りの視線の先。肩で息をする獣の姿があった。雲の切れ間、青白い顔をした月が顔を覗かせる。辺りは全く氷雪に覆われ、白とも銀ともつかぬ世界が広がっていた。また、その月明かりに照らされる両者も、死人の様に青白く見えた。
「あぁ!!」
 虎は叫び、呼応する。その瞳は月明かりにぎらぎらと輝き、開いた瞳孔が不気味にも見えた。その様相たるや飢え、獲物を前に気の逸る獣の如く。セノールとは矢張り人の皮を被った獣か、と内心一人ごちた。人斬りにはその気の逸りが分かり、その感覚の心地よさは忘れられる物ではなかった。忌むべき敵を打ち壊し、咎人を打ち殺し、命と共に流れ出で、滴る血を踏みつけた時の征服感、命を奪い、弄ぶ加虐の喜びは甘美な物であるのだ。言い得がたい中毒性のある物なのだ。
 虎へと理解を示し、矢張りセノールの血が流れているな、と人斬りは己をせせら笑う。だが、お前とは立場が違う、と右の手で刀の柄に手を掛けた。そして、鞘を支える様にして拳を握り締める。
 その動作に呼応する様に"それ"は刀を構える。柄を両手で握り、切っ先は天を向く。一刀、一撃にて断ち切るべく、息を吐き、人斬りを見据え──駆ける。
 吼え声は最早、獣の如く。己を奮い立たせ、四戒を振り払う。恐怖は捨て、殺す。疑心は一つも抱かず。惑いという言葉は食らう。そして、人を殺める罪の意識はそも、持ち合わせていない。
 駆ける事の一丈。振り上げられた切っ先は力強く、ただただ振り下ろされて行く。その刹那であった。刀も、鞘も抜かぬまま人斬りは懐へと至り、体躯に僅か劣る虎へと拳を振るう。拳は左胸へと吸い込まれ、傷を打つ。激痛に刀は天を指し止まり、そして手から零れ落ちた。すっかり開かれた傷からは、滔々と血が湧き出し、殴り付けられた心臓は不規則に早鐘を打ち、変拍子を刻む。遂に喘ぎ喘ぎ、苦しげに呼吸をし始め、膝をついて頭を垂れてしまった。そして、すっかり下を向いてしまった顔を蹴り上げる。
「……馬鹿め」
 それだけ言い放ち、再び人斬りは踵を返し、駆け始めた。刀を拾うも抜くような真似はせず、ただただ駆けていく。虎を誹る言葉は「まともに戦う訳ない」という意思の現れ、斬り合っては勝ち目はない。だが、何時までも追われるのは面白くはない。ならば、治り掛けた場所を再び壊すまでの事。立ち上がるなら壊し、死したならばそれまで。命とは所詮は壊れ物。一刀、一発、一撃、ただただそれだけで壊れる。そんな脆弱な物なのだ。まともに向かい合うのは馬鹿の証と人斬りは鼻で笑う。
「まぁ……面白かったな」
 そう一人ごち、生還した己を見て、屋敷の者達がどんな顔をするか想像するに容易い。彼等はただただ驚く事だろう。真っ白な新雪に血の足跡を残し、人斬りは声を上げ、愉悦に嗤うばかりであった。




 サチの書簡を片手にフェベスは難しい顔をしていた。彼の視線が左から右へと泳ぎ、一頁、また一頁と捲られていく度、ガウェスの真向かいでアースラが笑ってる様にも見えた。別にフェベスが中身を読み進めていくのを見ている訳でもなく、単に彼女は時折、視線が交わると都合悪げにそれを逸らすガウェスが面白い様で、彼をからかって遊んでいるのだ。
「……なんですか」
「いいえ、彼があの書簡を読み終えた時。私の首は繋がっているかな、ってね」
 フェベスを指差し、アースラはそんな事を言う。セノールは和平や友好の使者や、投降した者達を受け入れられない場合、その者を殺め、首を曝すという。事実、その様な事を半世紀前の西伐でガリプの総大将であるディエフィスが行ったという記録が残っている。投降を勧告しに来た者の首を裂き、馬で引き摺ったそうだ。終いには捕虜を並べ、皆一様に首を落としたという。その数は千とも二千とも伝えられている。
「……アゥルトゥラはそんな事しません。まぁ、先の西伐セノールの捕虜、虜囚って居ませんでしたけど」
 彼等は投降よりも討死を選んだ。百人の兵が居たならば、その百人全てだ。それは異質。敵を屠ったというのにアゥルトゥラの兵は、そういった彼等の行動に恐怖し、士気を少しずつ低減させていた。
「神は言われた。"囚われるよりも死を選べ"と。神はその者を御許へと受け入れる事だろう。ってね」
 にこにこと穏やかに笑っている彼女であったが、その言葉たるや苛烈であり、人命を軽視した物であった。セノールの信教の聖典に記された一文を引用しての言葉だが、さも自然に語るため、それが彼女の思想にも思え、やはり理解に及ばず、うそ寒く感じられたのだが、ガウェスは気付く。そこにセノールの強さがあるのだ、と。死を恐れ、命を尊んだ瞬間、歩みが止まってしまう所でも、彼等は迷い無く突き進んでくる。死に場所、時機をそこと思い至ったなら、最早彼等を止めるのは死しかない。だからこそ、理解出来ない程に強いのだ。
「……無様な生より、高潔な死を。ですか」
 灰色掛かった瞳を閉じ、アースラは頷いていた。瞳を閉じた意味は分からなかったが、恐らくはまた何かしらの意を示しているのだろうか。どうにも彼女もジャリルファハドと同じく、説明不足な所がある。
「そっちの神は、そう教えないの?」
「死は忌憚するものです。死は人間の原罪の結果とされています。生まれながらに罪を背負っていますからね。ですが、人は生きるだけで罪を背負うもの。故に死後行くべき所に不安を覚え、恐怖します。……皆に平等に訪れるとしても怖いものは怖いんですよ」
「そう……じゃあ、あなたは地獄。ガウェス・ハイドナー」
 再び彼女は静かに笑う。人を殺め、クルツェスカに余計な混乱を齎した。確かに彼女の言う通りだろう。死後の世界という物が存在するならの話であるが。
「……終油の秘蹟も廃れてしまったでしょう? 罪は誰も拭い去ってくれない。聖別する事が出来る聖人すら居ない。この世はもう地獄よ」
 恐らく彼女の笑いは皮肉だったのだろう。確かに言う通りである。世に救世主など存在しない、聖人に値する様な立派な人物も居ない。誰もが何かしらの罪を背負い、闇を腹の中に飼っている。それを発露し、それを晴らすべく得物を手に取り、謀略と暴力を駆使し、闇を晴らそうとしている者達の方が余程健全である。確かにガウェスにもそう思えて仕方がないのだ。
「地獄だから血が流れても当然。それから逃げたいだなんて、この世に生きてる価値がないわ。生きるって戦う事だもの。人間どうせ死ぬの、なら何で戦わないの? 手はあるじゃない、得物も溢れてるじゃない」
 暖房の熱を浴び、外套からは微かに湯気が立ち上る。彼女の短い言葉は何処か妄執を宿し、熱を帯びている様に感じられた。壁一枚隔て、寒風が吹き荒んでいるとは思えない。
「それにしても……此処目が乾く。これのせい?」
「寒いなら薪の炎が一番だ。気に要らんなら外にでも行くかね?」
 書簡を読み終えたのか、フェベスはアースラをそう揶揄しながら外を眺めていた。彼女の雪に濡れた外套は暖房の前に広げられており、刺青を入れた腕が露となっている。そんな格好で外に出よう物なら、一時間と持たないだろう。随分と意地が悪いと彼女は少し顔を顰め、フェベスを見据え、無言の非難を行っていた。
「……敵ではない、という事が分かった以上それで充分だ。しかし、サチ同士で争って何の得があるのだね」
 恐らくフェベスが読んだ書簡の中には、中立を保つガリプ、ラシード等がこれから何をするか示されていたのだろう。そして、それはサチの氏族同士での抗争である。
「私達の血と屍を以てして、セノールの存続とアゥルトゥラとの戦争を回避する。それが最大の得。最良の結果。……それだけ」
 彼女は笑みすら湛えず、そう語る。既に死ぬ覚悟を決めているからこそ、大胆にも同族の目を盗み、またその同族が敵視する場所へと赴けたのだろう。その年の若さに相反した覚悟はスヴェトラーナの様な温室育ちは勿論の事、廓へと平然と乗り込むソーニアですら持ち合わせていない物だろう。
「事が成らねば戦争は回避出来ないが?」
「……なら、ジャッバールと運命を共にし、私達はあなた方の首と取って回るだけの話」
 つまり、サチの中立派は物凄く危うい立場にある、という事である。ジャッバールを叩き、アゥルトゥラとの戦争を回避する。戦争が回避出来ない状況となったならば、ジャッバールと共にサチ総軍でアゥルトゥラを叩く。危うげであるが、とても単純でアゥルトゥラにとってもただでは済まない事態に、フェベスは大きく溜息を吐いた。
「どうしてこう、西の民は厄介ご──」
「黙れ、侵略者」
「なに?」
「何でもない」
 何時の時代も対する文句か分からない様な毒を吐き、アースラはフェベスから視線を逸らす。その様子がどこかガウェスには面白く、また同時に彼女が尚更エルネッタに似ている様に思えた。歯に衣を着せぬ訳ではない、普段はなけなしの気を使うのだが、口を衝いて出てしまうのだろう。
「その話、信用出来ますか?」
「この首に掛けて。……斬る?」
 首に手を掛け、指先を真一文字に走らせながらアースラはそう問う。今まで軽口を交え、少し浮ついて聞こえていた声であったが、今の彼女の声色に緊張の色が見える。それで居ても取り繕う様にして、首元の襟を掴み、僅かに捲っては煽る様に笑って見せた。随分と強い女だ、とフェベスは関心しながら笑っていた。
「……嘘、偽りであったとしても斬った所で変わらんさ」
 サチの使者が此処に来たという事は、尚更クルツェスカからジャッバールを西へと叩き出す必要があるのだ。北に逃れたり、何をする訳でもなく此処に居座り続けられるのは最大の悪手である。もし、そうなったならばガリプやラシードまでジャッバールと行動を共にし、サチ総軍で西部を攻め立てられるからだ。そうもなれば話は別である、都という都は焦土と化し、アゥルトゥラは西部の権益を手放さなければならない。頭痛の種が増えた、とフェベスは大きく溜息を吐き、早急に事を仕掛ける必要があると思うのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.188 )
日時: 2018/11/23 17:58
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 今のガウェスに出来ることは、来るべき日に備えて傷を癒すのみ。カルヴィンの無事を信仰していた神に願おうとも、それは神の思し召しではなく、それはただ彼の実力がバッヒアナミルを上回ったとそれだけの事なのだ。神が勝利をくださるのではなく、個人がもぎ取るもので、賜るような代物ではない。
 フェベスの部屋を後にし、裂傷と凍瘡により赤くなっている両手の治療をする。アースラはもう少し話があるそうで部屋に残り、広い客間にはガウェスが一人、暖炉で手を温めていた。神経が解していくにつれて感覚が戻っていくと共にチクチクとした痛みを発する。一度暖炉から手を遠ざけるが、痛みは引かず、むしろズキズキとした痛みに変わり、思わず声が洩れる。この痛みでも相当堪えるのに、戦いの中これ以上の責め苦を受けながら笑みを浮かべられる人間だっているのだ。そして、そのような人間をこの約半年の間に多く目の当たりにし、彼らに対して蟠りを持たなくなっていた自分自身に気が付き、大いにがっかりしたのだった。
手の感覚が戻ったら、軽く消毒を行い、包帯を手に取る。慣れた手つきで最初は左手に、次は右手にて包帯を当てた時、吹雪が窓を叩く音に混じって扉を叩く音がした。心臓の鼓動が早くなった。カルヴィンか、若しくはバッヒアナミルか。それ以外の者の可能性も捨てきれないが、夜も更けた頃に来客がありえるのだろうか。手の動きを止めて立ち上がり玄関の元へ向かう。到着しても無闇に名を問うことはなく、扉をこじ開けられた時のことを考え、死角になる場所で訪問者の出方を伺う。痛みに堪え、刀の柄を握る。敵だった場合、例え格上でも初撃で相手を葬りさらねばなるまい。卑怯と罵られようと戦うと誓ったのだから、最期まで足掻かねばなるまい。手足が鉛をつけたように重い。呼吸を乱さないように小さく短く、音を立てないように心掛ける。ノックは更に大きくなり、今度はドアの向こうにいるガウェスに聞かせるように大きな声を出した。
「俺だ。開けてくれ」
 カルヴィンの声であった。丸く目を剥き、慌てて彼はドアを押し開けた。外套の襟を立てて風を凌ぐように立っていた彼は「ただいま」とニヒルに笑う。どうやら虎を撃退したらしい。
 目立った外傷はないが、肌が露出してる頬や鼻、が火照っているかのように内側から赤く色付き、外套には雪が幾つも張り付き白く染めている。僅かに鉄臭いのは気のせいでないだろう。血と雪に汚れたガウェスに渡し、屋敷へ一歩足を踏み入れた時、光の届かない影。そこに紛れるように立つ女性がいることに気がついた。
「彼女は?」
はて、と一瞬、頭の回転が止まったが、すぐにアースラのことだと気が付いた。
「サチからの使いです。中立派だそうで、ガリプとラシードの書簡を届けに来てくれました。あとカルヴィン殿は早く服を着替えましょう。話はその後で遅くないはずだ」
「なぁにまだ平気だよ」
 そうは言っても、ガウェスの腕を掠った手は心臓が飛び跳ねるほど冷たく、まるで氷像に触ったような感覚であった。何よりも手の平だけでなく手全体が内側から赤く変色していた。一瞬ギョッとしたが凍瘡であることが分かり、ホッとする。凍傷を治療する際の痛みは凍瘡を凌駕する。過去に凍傷になった男を助けたことがあったが、指先から第二関節の間には大小様々な水疱が出来、特に親指の第一関節部分には空気の入った風船のようにぷっくりと膨らんだ水疱があった。壊疽はなく、切断の必要はないと安心したのも束の間、声を殺し啜り泣く成人男性をガウェスは初めて目撃し、大きな衝撃を受けたのだった。
 それに及ばずとも凍瘡にも痛みがあることは確かである。しかもガウェスよりも重傷で後もう少しこちらに来るのが遅れていれば厄介なことになっていたのは確かである。このようになるまで、どこで、どのように獰猛な虎を追い払ったのか、興味をもったのも事実。それでも彼に詳細を聞かなかったのは彼の顔に僅かに笑みが浮かんでいたからか。勝利に酔いしれた誇らしい笑みではない、命のやりとりに悦を見出している、仄暗い狂人のような笑顔であったら尚更だ。全く以て不可解である。ガウェスはそこまで思って、否、と否定した。彼の笑顔はバッヒアナミルの、セノールの狂気に似たものを感じ、故に末恐ろしく押し黙ったまま、時計の音を聞いていた。やがて戻ってきたアースラの手には毛布があり、それをカルヴィンに渡した。少々陽の匂いがする清潔感のある毛布だった。それにくるまりながら薪が爆ぜている暖炉の前、赤く腫れておる手の影が、炎が作る陽炎に合わせて揺れていた。
「顛末を知りたくはないのか?」
 その問いはガウェスではなく、アースラに対してだった。鳩が豆鉄砲を食らったように瞬きを数度繰り返していたが、にいっと笑い「どうぞ」とジェスチャーを送る。ガウェスは内心ヒヤヒヤしていた。
「バッヒアナミルを殺した……かどうかは分からん。だが、生きていたとしてもしばらくは動けないだろうな」
 彼の言葉に何とも複雑な気持ちにされたのは事実。バッヒアナミルが生きているかもしれない恐怖とホッとした様な気持ちが同居し、神妙な顔をしていると「なんて顔をしてやがるんだ」とカルヴィンはからかった。ガウェスの方は、答えるほどの体力は残っておらず、乾いた笑いが出るだけだった。一方のアースラは表情を変えることなく彼の言葉を聞いていた。それは彼女の性分なのか、将又、セノールのひいてはハサンの教育なのかガウェスには読み取れなかったが、彼らの動揺をしない、もしくは隠す術にただただ舌を巻くばかりであった。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。