複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.173 )
日時: 2018/09/20 00:19
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 騎士の姿は既に無く、鉄面の守護者はただただ呆けたように朝日を眺めていた。それはこの都を囲う、城壁から顔を覗かせている。僅かに曇った空、朝焼けが天を朱色に染め上げていた。血の様に赤く、おぞましくも見える夕焼けではない。柔らかく、温暖な色が其処にはあった。
 ……だというのに、目を瞑れば瞼の裏には、骨を覗かせた左腕が力なく、血に塗れている。ジャッバールによるレゥノーラ掃討の知らせを間に受け、充分な備えすらなく廓に入ったキラにも落ち度こそあるだろう。だがしかし、そこで失われたのは何れ、メイ・リエリスを率い、鉄面を継ぐ者でありながら、愛しき友。彼女を失う原因を作ってしまった、彼等を恨み、その血と首を欲するのは至極当然な話であり、正当な権利である。化物を殺し損ねたならば怠慢、何かを意図しての行いならば大罪。決して許されない事である。
 は、と目を開けば朝焼けには何よりも深い赤が差していた気がし、カルヴィンは両目を押さえつけた。瞼の裏に広がる闇が、深い赤を消し去るも、泉のように赤いそれは滔々と湧き出し、すぐに闇を飲み込んでしまう。もう無理だと、目を開き、頭を左右に振るったその時であった。
 ぎぃ、と軋むような音を上げながら、扉が僅かに開く。錆び付いた蝶番が甚振られ、悲鳴を上げているのだ。
「まだ、起きていたのかね。……それとも起きたのかね」
 扉から目だけ覗かせ、そうフェベスは問う。何時の間に来たのだろうか、足音も気配もなかった。カルヴィンは齢にして十代も中頃から、彼には仕えて来たが時折、見せる人外的な雰囲気は未だに慣れない。例により、彼は僅かに身動ぎし、溜息を吐いた後、目を細める。
「いや、ガウェスと呑んでいた」
「そうかい……それ高いんだぞ。まぁ、良いさ」
 相変わらず目だけ覗かせているフェベスであったが、扉の向こう側で大きく欠伸をしたようで、間延びした声が聞こえている。没落こそせど、貴族というには品がない。また、武辺一辺倒な者達が多いアゥルトゥラの貴族の中でも、異質な程に謀略に長けている。そんな仄暗い側面が見えない。
「復讐は蜜の味になりそうかね」
 再び彼は問い掛けてくるも、カルヴィンは振り向く素振りすら見せず、黙ったまま朝日を睨む。答えなど返って来ない事は、見抜いていたのだろう。鉄面は音もなく去り、残されたのは彼の守護者のみ。守護者は復讐者と成り、何れはその血を甘露と嘲笑う事だろう。その先には何もない、何を得る事もない。そう知っているというのに、怨嗟で汚れきった心臓は、仇の血を求める。理知にて怨嗟を押さえ込み、あくまで高潔であろうと努めているようにも思えるガウェスが眩しい。対照的に己の廓に閉じ込めた恨みという化物は──腹の中に飼い続けていたそれは、獅子の首を奪うまで腹が満たされる事はないだろう。血を求めて喉が渇いたと叫び、猛り、狂い続けることだろう。
「──あぁそうか」
 己もまたセノールの獣か、と小さく嘲るように嗤いながら、彼は椅子に腰掛けるのだった。何れ、理知を失い、誰の血かも分からなくなる。それは己の物でありながら、獅子の物であり、守護すべき者の物でもあるのだろう。机に伏せ、腹の中の黒い獣を押し殺すべく、大きく深呼吸をするのだった。



 血の様に鮮やかで赤い髪を指で弄び、ソーニアは何やら筆を走らせていた。その様子をミュラがまじまじと眺めている。最早、張り付いていると言っても過言ではない、距離の近さだったがソーニアは別段、気にする様子も見せず、時折ちらっとミュラを見ては、再び筆を走らせる。そんな動作を何度も、何度も繰り返していた。彼女達は特に何か言葉を交わす訳でない。というのも、ソーニアの作業中に何か話しかけたとしても、彼女が応じない事が多々あるからである。ジャリルファハドが居たならば、ミュラは彼とぽつぽつと言葉を交わす事もあるのだが、彼は今、散弾銃の実包を買いに出かけている。既に一時間ばかり経っているのだが、まだ戻る気配はない。未だに凍て付くクルツェスカの冬に苛まれているか、何処かで油を売っているのだろう。
 ソーニアが筆を走らせ、描いているのは地図であった。自身が落下し、負傷した廓内の区画。それの風景を覚えている限り、記していた。螺旋状の通路、中央へ進んで行けば突然開けた空間に出で、そこの奥にはぽっかりと口を開けた門のような物が存在している。恐らくその中には、地下へと至る階段がある事だろう。しかし、そこから先は確認しておらず、これからジャリルファハドがジャッバールと共に行う、レゥノーラ掃討に際し、その区画を再調査するつもりであった。彼の護衛は今となっては手放せない物になりつつある。
「ミュラ、お茶注いで来て」
「あ、あぁ。冷えてるけど良いのか?」
「構わないわ、口寂しいだけだから」
 セノールの者達のように、男女問わず煙草を嗜む訳でもない。二年ほど前にハヤから水煙草を薦められた事があったが、それも合わず咽込んでしまった。第一、ソーニアは煙草の匂いを余り好かない。煙が喉や、鼻に沁みる感覚が苦手なのだ。であるから、作業のお供は安い茶で充分で、余り金を持っていないため、味は二の次、三の次である。
 台所から、かちゃかちゃと音がしている。ミュラが茶の支度をしてくれているのを確認すると、再び地図を書き記し始めた。一月前は傷を癒すのに、専念しており地図を起こそうという気もなかった。また、あの場所の様相は忘却の彼方へと行ってしまっていたのだ。それよりも赤く染まり、光を厭うようになってしまった目を調べなければならないと、躍起になっていたからだ。
「ん……ほら」
「ありがとう」
 ミュラは自分の分も茶を注いで来たようで、円筒形のカップを手にしていた。何時買ったのだろう、とまじまじと見ていると、都合悪そうに茶に口を付けた。じろじろ見るものじゃなかった、と苦笑いをしながらソーニアも茶に口を付けた。
「何書いてんだ?」
「……地図よ、地図。廓のね」
 ふーん、と短く相槌を打つミュラは関心なさそうに、机に肘を付く。傍らのミュラや、今出掛けているジャリルファハドには伝えていないのだが、実はあの区画に落ちてから、妙な事が起きている。目が赤くなった事は勿論ながら、時折何者かが耳元で囁くのだ。今、こうして地図を描いているのも、その耳元の何者かが描けと語るからである。記憶を辿り、描いている内は問題などない。記憶が欠落している箇所に差し当たり、筆が止まれば、その何者かが耳元であれや、これやと世話を焼き、地図作成を手伝ってくるのだ。主に通路内部の風景を伝えてくるのだが。
「そういえば、あそこ地図ねぇよなぁ」
「あるわよ? ミュラに見せてないだけで、人が通る場所だけは私の頭の中に全部入ってるの」
「へぇ、よく覚えられんなぁ。私には無理だ」
「でも、大体は覚えたでしょ?」
 まぁな、と再び相槌を打つミュラであったが、彼女に地図を見せて道を覚えろと言った所で仕方がない。覚えきるのも容易い事ではないのだ。人の足が入っている限りでは、その階層は八十を優に超える。細かな道まで覚えるとなれば、ソーニア自身も難しい話である。ジャリルファハドなどは恐らく、歩数と風景で記憶しつつ、空気の流れなどで階上、階下が近い、遠いの判断をしているだろう。そもそも、廓内部の地図もアバウトな出来であり、時折道が間違っている。だというのに、今こうして自分が描いている地図は異質なのだ。耳元で囁く何者かの手伝いこそあれど、距離、風景など委細を記されている。あまりにも精巧であるため、自分で描いたとも思えず、薄気味悪くもあった。
 再び耳元で何者かが囁く。此処に来い、と。声色を説明しようにも、どんな声か思い出せず、刹那の間に忘却の彼方へと消えてしまう。茶に口を付けながら、動揺をミュラに悟られまいとソーニアは地図を折り畳んだ。
「終わったのか?」
「いいえ、今日は此処で終わり。普段こんな事しないからね……」
 ちょっと疲れた、と言葉を続ける。
 幸いにもミュラは何かに感付いた様子もなく、地図を鞄にしまっては、また別の書物を手に取る。ジャッバールから解読依頼されている文書、その写しである。また、難しいものを出してきたと、言いたげなミュラであったが彼女は言葉に出さず、黙ってその文書が広げられる様子を見ていた。
「これね、昔クルツェスカに居たベルゲンって人が書いたみたいなの」
「何で居なくなったんだ?」
「居なくなったというより、セノールと戦って滅んだわ。貴族の鑑よ、戦える訳でもないのに、そうやって民衆の為に命を賭した。……見習いたいわね」
 持つ者としての責務を果たし、ベルゲンは滅亡の道を辿った。元はクルツェスカが構築される前から続く、カルウェノの家系。アゥルトゥラの西進に伴い、争わずに投降。庇護下に入り、錬金術の技法を伝えた張本人達でもある。そんな彼等は、百年、二百年と経つ間にアゥルトゥラの文化に染まり、貴族としての矜持を見せ付けた。今の者達には最早、息衝いていない文化である。
「……カランツェンって言ったっけ? アイツ等もそうだろ?」
「ラノトール? 彼は違うわ。私の祖先の命令を無視して、勝手に死んだの。因みに滅んでないわよ、今もあるし。前言わなかったっけ?」
 暫くカルヴィンの姿を見ていないと思いながら、ソーニアは文書に目を通す。下層から回収された物の中に、多く出現する聖櫃という言葉がこの文書の中にも、やはり存在しており、それが何なのか頭を悩ませる。渦巻く思考は熱を帯び、それを冷ます様に冷え切った茶に口を付けた。
 先人達は廓に何を隠匿せしめたのか。それを解き明かしたならば、戦火に失われ、瓦礫に埋もれた歴史が顔を覗かせるのではないだろうか。そう思え、解読の為に脳は活性的に働き、筆は止まる事を知らない。傍らのミュラが何処か呆れた表情を浮かべている事など、知る由もなく、ただただ作業に没頭するのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.174 )
日時: 2018/09/29 20:15
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 頭の奥から響くような痛みが二日酔いの影響だろう。元々白かった肌を更に青白くして上半身を起こし、頭を二、三度ボリボリと掻いた。窓からぼんやりと往来を見下ろしながら、フェベスの元にいる二人の少女の安否についてを考えていた。一応は身の安全を確保されているが、砂の楼閣のような代物である。ユスチンが選択を誤れば一瞬で崩れるのだろうが、娘を溺愛している彼がそのような選択を取るとガウェスは思っていない。それよりも、スヴェトラーナがどのような行動をとるか、人質という立場を憂い何か行動を起こしてしまうのではないかとそちらの不安が大きかった。そしてそれによりフェベス達が何らかの不利益を被った時に彼女達を無事で済ますのか。考えるだけでも恐ろしく、出来るならば、そのような選択を強いられない未来が来ることを願うばかりであった。加えてレゥノーラ討伐を掲げたレアとエドガーの行方も知れぬまま一切の連絡が無い。半ば廓に置き去りにしてしまった二人は生きているのか。尽きぬ不安が頭痛を悪化させている気がしてならないが、気のせいだと無理やり納得させて外套を羽織ると重い身体を引き摺って部屋の外へと出たのだった。
 ハイルヴィヒに許可が下りたのは一時外出であり泊りではない。だから病室には荷物もあるだろうと考えていた。しかし、ガウェスが受付で話を聞くと朝早くに荷物を取りに来た者がいるらしい。何気なくどんな人物か訊こうとしたが、逆に「患者とどんな関係か」と問われ閉口してしまった。ここで家族だと嘘でも言えれば良かったのだが、如何せん、真っ直ぐな性根は治っておらず口を噤んだガウェスに、怪訝そうな顔で「第三者には教えられない」と突っぱねられてしまった。
 病院からの帰り道に何の収穫なかったことにどうするべきかと途方に暮れていると誰かに外套の裾を引っ張られた。脱げそうになったフードを押さえ背後に目を向けると黒い瞳と目をした実妹が大きな紙袋を持ったままこちらを見上げていた。思わず声がでそうになるのを耐える。
「やっぱりあんただったか」
 「ガ・ウェ・ス」と口の形だけで呼ばれ心臓がバクバクと音を鳴らす。ミュラに己の存在がバレてもなんら問題はないのは理解しているが、それならばいつバレたのかという問題がある。もしやジャリルファハドがバラしたかと思ったが、聡叡な彼がこうも易々と秘密をばらすかと言われたら否である。冷や汗を流してる彼に対しニコニコと笑っている。
「隠さなくても良いって。何かワケがあるんだろ」
「ジャリルファハドが……教えたのですか?」
「んなわけねえって。むしろ口止めしてきたし、あいつ」
人差し指でバツ印を作り、口に当てて無邪気に笑う姿に緊張が解ける。
「貴方は何を?」
「んー、買い物の手伝いだよ。ソーニアの。あいつさー、なっがいんだよ。けちりたい気持ちがあるのは分かるけどさぁ」
 文句を言いつつも値切りを止めてしまえと言わないのは、彼女の経済面を知っているからなのだろうガウェスを雇っていた学者のように潤沢な資金を持っている者などそう多くはいない。彼らは常に貧困に喘ぎながらも何とか食いつなぎ自らの知的欲求を満たしているのだ。
「そうそう前に買いに行った時もさー……」
 知り合いに会えたと安心したのだろう。ソーニアの買い物についての愚痴を語り始めた。やはり財布の紐が固すぎるらしい。ここにソーニアがいたら口が軽いと余計な事を言うなと嗜められるところだろう。
「それじゃあ、そろそろ戻るわ。じゃあな、よーへーさん」
 ひとしきり愚痴を言い終わると満足したミュラを引き留めてレアとエドガーについて聞いてみた。最初は怪訝そうな顔をしていたが、レヴェリの少女とそのツレであると伝えれば、ハッとしたような顔をした。
「大事な人なのか」
「そう……ですね。とても、とても大切な、仲間です」
「ふうん……」
 考えこんだように下を向いていたが、ガウェスを見上げる。。
「正直わかんね。でも、分かったら教えるよ。お前、まだここにいるだろ」
「お手数をおかけします」
「気にすんなって」
 その優しさは彼への同情と甘さそして自己満足であることは本人が一番理解していた。だが、大切な人が忽然と消える悲しみを嫌というほど味わった少女は同じような境遇に置かれた人間を見捨てることは出来なった。
 片手をひらひらと振って去っていたミュラを見送りガウェスも歩き出す。二日酔いは、少しだけ良くなった気がした。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.175 )
日時: 2018/09/30 01:10
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ミャラやソーニアに嘘を吐いてまで、此処に来る必要はあったのだろうか、とジャリルファハドは頭を悩ませるのであった。
 此処は廓である。階層にして地下の八十階。化物の反攻に遭い、流血が齎された場所である。辺りには疎らながら篝火が灯されており、その柔らかな明かりの中に彼等は居た。ほぼ全員が小銃を携え、腰にはガリプで使われている曲刀や、ナッサルで使われる短刀を差していた。二台の多銃身機関砲が存在を主張し、その射手だけは例外でジャッバールの直刀を腰に差している。しかし、ただ一人だけ異様な様相をした、レヴェリの女が居た。赤い目をぎらぎらと輝かせて、ジャリルファハドを見据えているのだ。話によれば、ランツェールを撃退した人物らしく、セノールで使用しているよりもやや長大な銃身を持つ、小銃にまた大降りな銃剣を装着している。何でも槍で撃退したとの事らしく、肉薄する可能性が否定出来ない、対レゥノーラ戦に於いて、慣れた間合いで戦闘出来る様にしたいという、彼女たっての希望だったようだ。
「浮かない顔するもんじゃあないぞ"大将"」
 軽口を叩くのは、元ガリプ兵の男だ。彼はジャッバールに理想を感じ、奔走した人物である。腕こそ立つが、どうにも猪武者のような側面を持つ。つまりは単純かつ短絡的なのだ。今もこうして軽口を叩いたのは、どう人員を運用すべきかと顔ぶれを見ながら、考えるジャリルファハドを揶揄しての事。最早、戦は個の力でどうにかなる物ではない。それは化物相手でも、人間相手でも同じ事。それを分かっていない嘗ての同胞に頭を抱えながら、先ほどのランツェールを撃退したというレヴェリの女を見据えた。
 名をレアと言うらしいのだが、彼女は何かを語る訳でもなく、口を噤んでいるばかり。レゥノーラ掃討に志願して来たとの事であるからして、重要な機銃手に対する護衛、及び接近するレゥノーラに対する遊撃を任せたい所ではあるが、唯一つ運用不安がある。それは歳が若すぎる事である。戦い方を学ぶ訳でもない、小数を最大限活用しての戦術を知る訳でもない。ただただ本能に従って、戦うだけの獣に重要な任を与えて良い物か、と悩むのだった。
「今回はただの顔合わせ。今、此処に居る面子だって明日には死ぬかも知れない。型に嵌った運用を考え、思考を凝り固まらせた所でなぁんにもならないってさ。……分かってる?」
 やや軽薄そうな口調ながら、そう語るのはナッサルの三男であるラシェッドであった。捲くられた袖からは刺青で覆われた腕が露となり、それが首元まで繋がっている。ナッサルの長男、次男が文武に秀でるならば、この男は極端な程に政に秀でている知恵者であった。バッヒアナミルにその武勇を全て譲り、彼が持つはずだった知性を奪い取ったかのような人物だ。彼がレゥノーラ掃討に携わっているともなれば、見張りとして此処に寄越されたのだろう。
「……死ぬ予定でもあるのかね」
 そう軽口を叩き返せば、彼は「まーったくないね」と笑いながら、即答して見せた。その口ぶりからバッヒアナミル程にバシラアサドへと傾倒、執着している訳ではないと考えられた。恐らくはハサンの者達の様に、ナッサルもどう転んでも良い様にと家を別ったのだろう。武門の分裂が進んでいると、また別の危惧を抱いていると、一人の兵が語り掛ける。
「命惜しいか? ファハド」
「あぁ、この廓で死ぬのは有り得ない。命を擲つ時ではない。……お前達もその時を見誤るなよ」
 ある一兵の問い、矢継ぎ早に返せば各々の反応が異なっているのが見えた。ある者は当たり前だと笑みを浮かべ、ある者は不愉快そうに顔を顰めている。前者は問題ないだろうが、後者はバシラアサドに心酔している者だと思える。彼女に死ねと命ぜられたなら、忌憚なく命を擲ち、血を流す者達だろう。こんな者達がカシールヴェナにも大勢居り、何ならアゥルトゥラの民衆にも存在するのだ。彼女の指導者的素質が恐ろしくもあり、何処で道を誤ったかと惜しまざる得ない。
「化物を一匹でも多く殺せるなら……それで良いんだけど」
 レアが小銃を抱きかかえながら、そう言い放つ。こんな自暴自棄とも取れる様な兵も居る、その事にジャリルファハドは落胆の色を隠せず、大きく溜息を吐いた。彼女の様な存在は、士気に大きく関わるのだ。単独でランツェールを撃退したともなれば、それは最早この集団の旗印、象徴の様なものとなる。それが自分の身を顧みず、レゥノーラとの闘争を望むともなれば、死を遠ざける事は無理である。寧ろ死を望んでいる様な、立ち振る舞いをする事もあるだろう。
「今度その様な事を言ってみろ。即刻アサドの元に突き返してやる。工夫を凝らさない兵は要らん」
 じいっと黒い彪の瞳が彼女を見据えている。無感情にも見えながら、何処か怒気を孕んでいる様にも見え、その視線は居心地悪いものであった。
「……はいはい、気を付けるよ」
 ぶっきら棒な返答に、矢張りジャリルファハドは面白くないのか、顔を顰めたまま再びセノールの同胞達に向かい合う。彼等は獣の群れ、戦に生き、戦に死ぬ。その為に言葉を放ち、言葉を解す。今もこうして戦に備えて、言葉を交わしているのだ。
 彼等の言葉に耳を傾ける訳でもなく、レアは目を閉じる。瞼の裏の闇には獅子が居た。青い瞳は平穏、平和の証だと言うのに、それは蠱惑的な悪魔のそれに見えた。膝に負った傷を治してくれた恩人であり、レゥノーラに対する怨嗟を晴らす機会を与えてくれた人物でもある。それを高が現場指揮官でしかない、男の些事加減で奪われて堪るか、とレアは己に言い聞かせる。
 何時の間にか、血の様に赤い瞳が開かれ、ジャリルファハドの背を睨んでいた。どさくさに紛れ、彼を討つのも良いだろう。そして、レゥノーラと終わらない闘争に身を窶して居たいのだ。どうせ、この場に居る半分以上は死ぬに決まっている。ならば、最後の一兵まで戦うべきだ。そんな黒く、汚れた考えが脳裏を過ぎる。
「彼女、熱烈な視線を向けてるが、何かしたのかい?」
 ラシェッドがおどけるようにジャリルファハドを揶揄するも、彼は首を横に振りながら知らん、と一言言うだけだった。身に覚えがないだけで、何か悪さを働いたのかも知れない等と思いこそしたが、ジャリルファハドはその様な男ではない。自身の身に降り掛かる火の粉を払う事こそせど、余程でない限りは"放火"して歩く様な愚鈍な人物ではない、とラシェッドは邪推した己を恥じる様に、咳払いをするのだった。
「あー、そうか」
 取り繕う様な相槌を一つ。そして、態とらしくレアを視界に収めた。
 彼女は何を吹き込まれたか知らないが、面白くない目をしている。まるでバシラアサドの側近である、ルーイットの様だ。あの黒い瞳は目の前の事象よりも、ずっと先の先を見据えている。それは地獄の様な未来を見ているに違いない。目を合わせようとも動じる事すらなく、ただただ白痴の様に一点を見据えては、時折、憎悪の光を漏らす。今のレアからは、赤に紛れた憎悪がただただ漏れ出している様に見えて仕方がなかった。あんな者を寄越して来た、バシラアサドの真意を計りきれず、思わず溜息が吐いて出る。
「……苦労する限りさなぁ、ファハド」
「それも仕事だ。……これさえ終わったら手切れさ」
「そういえば、ハヤの手を斬ったんだって? アサドの鎧通しで」
 軽口を戒める様に、ジッと睨まれ思わずラシェッドは口を噤みながら、辺りを見回した。回りのセノール兵は笑っているのだが、矢張りレアだけは笑み一つ浮かべず、相変わらず黙ってジャリルファハドの背を睨んでいた。面倒な事になりそうだ、と思いながらも次の話題を繰り出す。
「今回、メイ・リエリスの学者も同行したいってんだろ? 何つったけ……あぁ、ソーニアだ」
「らしいな、何でも調べたい場所があるそうだ。それと……おまけも居る」
「あの手下か、何処で捕まえてきたんだ?」
「犬や猫で在るまい。……そんな言い方は関心しない」
 やはり戒められ、再びラシェッドは口を噤む。メイ・リエリスと言えば、現在地上では敵対関係にある。だと言うのに、その家の者が今回の掃討に関与して来るのが不思議でならず、厭にきな臭さを感じた。何かが渦巻いている様な、得も知れない予感がある。
「おまけだなんて言い方も関心しないなぁ」
 今はその不安を口にすべきではない、と場を和ませる様に放つ軽口。時が来るまでは道化で居た方が良さそうだと、手を伸ばせど掴めず、どれ程に思考しても予想が出来ない未来を悲観するのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.176 )
日時: 2018/10/05 01:54
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 昼餉の時間、武門の長というのは予想以上に大変なのだろうとミュラは考えていた。先日、友に用事が出来たと告げてきたジャリルファハドは普段通りの仏頂面で顔をほころばせてはいなかった。友に再会することは嬉しいことではないのかと疑問がむくむくと沸き上がってきたが、余計な詮索は好まないだろうと軽く聞き流し、武器の手入れに集中することにしたのだった。彼は何かと理由をつけて一人で行動することが度々あったが、今回のはよほどの要用なのか日の出と共に家を出て行った。
 朝早く出て行った彼は今頃何を食べているのか。少なくとも今の自分達よりは豪勢なモノをたらふく食べているのかもしれないと考えると心が冷えていく。
「冬は野菜が高くて困るわ」とソーニアはぼやいていたが、彼女が購入した野菜の殆どは夏の時期よりも安く手に入ったことをミュラは知っている。薄くスライスされた蕪を見ていると、鬼気迫る顔をして野菜にいちゃもんつけるソーニアと気圧され苦々しい顔をした店主の顔が浮かぶ。いい加減、赤毛の値切り魔とその子分、若しくは、八百屋荒らしのソーニアとその手下と思われていないか、出禁にされたらどうしようと不安を感じていた。昔、やんわりと注意したこともあったが、去年もそんな感じだったと言われれば閉口せざるを得なかった。同時に学者とは、それくらい切り詰めなければ生活が出来ないのかと神妙な顔をするミュラにソーニアは気にしないでと笑った。その時にこの話題はタブーであると彼女なりに結論を出して、現在まで彼女に黙っている。
「そう言えばさ、さっきガウェスに会ったよ。あいつ、元気そうだったぜ。ちょっとやつれてたけど。あと、エドガーとレアの行方を捜してた」
「……そう」
 大して興味が湧かなかったらしい。ミュラは別の話題に切り替える。
「ハイルッヒーって誰かに仕えてるんだろ」
「藪から棒に何よ。ハイルヴィヒのこと?」
「そう、ハイルヴィヒ。そいつの主人ってどんな人?」
「少なくとも貴女よりは品があるわね」
「いやいやいやいや、私にも品ぐらいあるからな、見てろよ?」
 言葉遣いから粗暴な面が見え隠れしていることを本人は気が付いてはいないようだった。スープを飲み干すと椅子から立ち上がりソーニアの方を向いた。何をする気だと思った矢先、ぎこちなくズボンの裾を少しだけ持ち上げて膝を軽く曲げた。
「み、みなさ、みなさ……ん、ん? ご、ご、ごきげ、ごきげん! ぅ、うるわしゅー」
 錆びたドアを開けるような金切り声と科白。壊れかけたオルゴールの方がまだ滑らかに音を奏でるだろう。
「……それ、どこで覚えてきたの?」
「新聞に載ってる連続小説の主人公を真似した」
 ミュラが指差した先を見て納得する。確か先月から毎日新聞で連載している宮廷恋愛小説。評判はイマイチだと聞いたが、ミュラは熱心な読者らしい。
「で、どうだった? 品性あった?」
「……ジャリルファハドに見せてご覧なさい」
 その一言で全てを察しがっくりを肩を落とした。空になった皿を流しへと片付けるとソーニアから逃げるようにソファーに寝っ転がった。読みかけの小説を手に取り小声で「あいつには言うなよ?」と釘を刺される。「はいはい」と適当に流せばじっとりとした視線が送られるが悉く無視をする。やがてフンッと鼻を鳴らすとソーニアに背を向けて本を読み始めた。羞恥もそうだが拗ねてしまったらしい。最近はあまり見られなかった年不相応の幼さが久しぶりに垣間見えた気がした。こういう場合は林檎を剥いてやれば機嫌も直ることも知っている。当初は単純な思考に心配になることもあったがそれ故に悪巧みに向かない出来ない。悪いことばかりではないとようやく気が付いたのだ。台所に立って林檎を切っているといつの間にかミュラが隣に立っていた。興味津々と言わんばかりに林檎を見つめ、皿に乗せられるのを待っている大きな子猫が可愛いらしく、ソーニアが声を殺して笑うと燃えるような赤毛がふわりと揺れた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.177 )
日時: 2019/01/11 00:34
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 顔合わせを済ませ、一通りの用兵を示した後、ジャリルファハドの姿は廓ではなく、地上に在った。既に夜の帳が降り、闇が支配している。その闇の中を、人垣は絶え間なく動く。ある者は大路をただただ往き、ある者は色街へと抜けていく。多くはアゥルトゥラの者達であり、時折セノールの者たちが紛れているが、彼等の群れを見るなり、人垣は裂ける。彼等が得物を携えているから恐れるのか、それともセノールの群れだからと恐れるのか、ジャリルファハドでは量りきれず、ただただ吹き荒ぶ寒風と、その輩である雪へと向かっていく事しか出来なかった。
 ソーニアの借家の窓からは微かだが、朱色の明かりが漏れていた。中からはミュラの声がするのだが、ソーニアは彼女の相手をする訳でもないようだ。機嫌が悪いか、廓から改修してきた文書の解読をしているのだろう。積もったばかりの柔らかな新雪を踏み、その下にある氷の感触を感じながら、扉に手を掛けた。冷たい取っ手に、自分の皮膚が張り付く。
「お、遅かったじゃん」
 逸早く気付いた様子でミュラが声を掛けてくる。退屈だったのだろう、小難しげな新聞を眺めていたらしい。そして、ソーニアといえばテーブルに突っ伏せて寝息を立てている。彼女の傍らには安い葡萄酒が転がっており、その事から彼女が寝酒を決め込んだと推測出来る。
「……あぁ、色々とな。片付けてやってくれ」
 分かったと、頷くなりミュラは台所へと酒杯と酒瓶を手に向かっていく。最近はすっかり聞き分けが良くなったと、暫く前の彼女を思い出しながら、ジャリルファハドは苦笑いを浮かべ、椅子に腰掛けた。
「その銃なんだ?」
 ジャリルファハドの両肩には小銃が二挺、吊り下げられていた。ハヤが設計した新しい小銃である。
「貰って来た」
「ふーん……地下に行く時、使うのか?」
「あぁ。……使うと良い」
 銃床を彼女へ向けると、怪訝そうな顔をしながら小銃を受け取った。ソーニアがハヤから供与されている、全長もやや短く、槓桿もやや小振りである。閉所で使うために取り回しを考えた結果である。
「どうやって使うんだ?」
「その槓桿を引け。……そうだ、そこに弾を込め、再び槓桿を押し込む。……後は引き金を引くだけ。アゥルトゥラにはまだ存在しない物だ」
 アゥルトゥラの主力小銃は未だに前装式。一部は後装式に転換しつつあるが、動作不良が多い故に信頼性は低く、民間で持つ者は少ない。故にセノールが所持している後装式の小銃はミュラからしても珍しいのだろう。
 興味深そうに槓桿を開閉し、銃口から施条を見つめたりしている。
「銃口を覗くな」
 弾は入っていないと言えど、銃口から中を覗くのは不躾の極み。戒めると彼女は、小銃をテーブルに立て掛け、じぃっとソーニアを見つめていた。そして、無造作に広がる赤く、長い髪を弄ぶ。
「……あのさ、その銃ってハヤが作ったんだろ? 前、ソーニアが言ってたんだ、セノールで作ってる銃は皆アイツが作ってるって」
「そうだ、銃どころか、俺の刀だってセイフの者達が作っている。……腕は良いのだがな」
 碌な事に使わない、と喉元まで出掛けたがその言葉を飲み込み、大きく溜息を吐いた。銃も争う為でなく、抑止力の一端として大量に配備し、それを以てして兵を鍛える。不倶戴天の敵アゥルトゥラが平和に感け、ただただ肥え太っていくのに反し、セノールは強大になっていくだろう。その上で戦争を仕掛ける、とアゥルトゥラに恫喝をすべきだったのだ。今、こうして作った武器を無造作に撒き散らし、徒にアゥルトゥラとの緊張を煽るべきではない。
「これで人を撃つ事など、無ければ良いのだがな」
 そう呟いてジャリルファハドは、自分の傍らに立て掛けた小銃を眺めた。銃が人を殺すでなく、人が人を殺す。それが巡りに巡って民族を殺す事にも繋がるだろう。何処か憂いた様子の彼に、居た堪れなくなったのかミュラは目を逸らしながら、小銃を視界から隠すように床へ寝かせた。
「……何時の間に帰ってきたの?」
 顔を向ける事もなく、伏せたままソーニアはそう問う。声色はどこか気だるげで、疲労が感じられた。それを具合が悪いのだろうか、と勘違いしたミュラが不安げに彼女を見つめている。
「ついさっきな。……実は再来週からの打ち合わせに行っていた」
 がばっと顔を上げたソーニアに、少しだけミュラが身動ぎしたのは気のせいではないだろう。思わず笑ってしまいそうになりながらも、ジャリルファハドは平静を取り繕い彼女と見合う。
「どうだった?」
「どうもこうも、一癖も二癖もある奴等ばかりだ。……御守りで手一杯さ」
 苦笑いを浮かべつつ、信頼の置ける同胞も居るという事を伏せ、ソーニアとミュラの不安を煽る。廓では何が起きるか分からない、絶対の安全などないのだ。大船に乗った心算になってもらっては困る、穴の開きかけた泥舟に乗った心算で居てもらわなければ困るのだ。
「あら、そう……苦労掛けるわ」
 今に始まった事ではない、と言葉なくジャリルファハドは小さく頷いた。
 預かった事は身を削ってでも成し遂げる。これは武門の兵たる矜持であり、それを苦と思う事はない。悩み、躓く事さえ在れど、苦心を抱き逃避する事など在り得ないのだ。
「気にしてくれるな。……それよりも地図は出来ているか」
「えぇ」
 書棚からソーニアが取り出してきたのは、昼間、彼女が作っていた地図である。それが広げられるなり、ミュラはまじまじと眺めた。四角の螺旋が描かれ、一片辺りの大凡の距離が記されている。中央には大きな区画があり、その最奥部には地下へと至るであろう入り口が存在している。
 それを前にジャリルファハドの顔付きは余り優れず、ただただ地図を睨むばかり。何か? とソーニアが問い掛ける物の、応答はない。相変わらず何かを思い悩んでいる様だ。ソーニアとミュラが不安を覚え、彼を見据えた時、漸く口が開かれた。
「此処を拠点として使うよう、進言しておく。……良いな?」
 最奥部の空間を指差しながら、ジャリルファハドは問う。そんな事で悩んでいたのか、とソーニアは苦笑いをしながらも、承諾すると彼は安堵したのか、大きく溜息を吐いた。何を気にしているのだろうか、とミュラは疑問を抱きつつ、黙ったまま彼を見据えていた。何か、隠し事をしているように感じたからである。言えない事でもあるのだろうか、何か聞いているのだろうか。彼に対する猜疑心、そんな仄暗い感情が口を開かせる。
「何かあんのか、そこに」
 問い掛けに反応し、黒い瞳がミュラへと向く。それは何処か恐ろしげで、余計な事を聞くな、と言いたげに見えた。問いに答えず、五秒ばかし見合うとジャリルファハドがゆっくりと立ち上がり、ミュラの耳元へと語る。
「少し付き合え」
 声色はいつも通り、平静を保っている。その事に安心こそせど、ソーニアの前では言えない事なのだろうか、と首を傾げる。玄関口に吊り下げられた外套を投げ渡され、それを羽織る。
 不自然なジャリルファハドの素振りに、矢張りソーニアも不信感を覚えたが、問うた所で彼が答えるとは思えない。外へと出て行く二人の背を見送りながら、ソーニアは仕方ない、と溜息を吐きながら、ぼそぼそと語る何者かの声に耳を傾けるのであった。



 先ほどよりも僅かに雪が積もったらしく、ジャリルファハドの足跡は消え失せていた。降り積もった新雪に二人の足跡が付き、それは西壁の方向へと進んで行く。寒いだの、早く話せと文句を言いながらも、ミュラは彼の背を追う。
 何時の間にかラノトール・カランツェンを祀っている広場へと辿り着く。その一角に設けられた地下墓所の入り口である、教会の扉を開け放った。中には人気がなく、冬の寒さと異なる静かで冷えた空気が漂っていた。少しだけ埃臭くもあるが、ジャリルファハドは気にする様子もなく、椅子に腰を掛けた。
「……ソーニアに聞かせるべきではない、というよりもだ。アイツと共に居る者に聞かせるべきではない、と思ったのだ」
 ミュラが椅子に腰掛けるなり、ジャリルファハドは開口一番妙な事を口走る。あの家の中には三人しか居ない、別の誰かが居る訳ではない。
「変な事言ってんなよぉ、酒でも飲んだか?」
「俺は素面だ。……アイツに耳打ちしている者が居る。人なのか、人成らざる者なのか、それとも我々には理解出来ないものか」
「それって幽霊とか?」
「だとしたら、まだ可愛げがある。化けて出られん様に殺すだけだ」
「幽霊殺すのかよ」
 どうやって殺すんだ? と茶化すように続けたミュラの頬を両手で挟み、ジャリルファハドは淡々と語る。彼女は抗議するのだが、それを気にする様子もない。
「我々を地下へ、地下へと誘う何者かがソーニアと共に在る」
 何を根拠にジャリルファハドがそう語るかは分からない、ただ彼の黒い瞳は一点を見据え、一寸の翳りもない。言葉に嘘、偽りを宿しているとも聞こえず、その淡々とした語り口は変わらない。
「……何目的にしてんだよ、ソイツはさぁ」
 何時の間にか頬を挟んでいた手は離され、口を衝いて出たのは当然の疑問だった。廓が人を招く様な意思を示す、など信じられないのだ。
「知るか、だからこそ恐ろしい。……廓の中で余りソーニアの言葉を信じてくれるなよ」
 そうやって釘を刺され、ミュラは目を閉じながら小さく溜息を吐いた。ソーニアが信用ならない、というのならば、ある程度の自己判断を求められるだろう。最近ではジャリルファハドも余程の事がない限り、口出ししてくる事はなくなって来ている。自分の身は自分で守れ、自分で考えろ。そう言われている様な気がして、言い様のない不安を覚えるのだった。
「……何かあったら、その」
「分かってる、分かっている。臆するな」
 廓では何が起きるかは分からない。必ずミュラのフォローに入る事は出来ないかも知れないが、それでも今それを口に出すのは悪手。取り繕う様な言葉が口を衝いて出て、彼女を騙してしまっている様な罪悪感が胸の中、去来するのだった。

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