複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.163 )
日時: 2018/07/12 23:06
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 草臥れた黒い手帳を開き、ソーニアはぼんやりと眺めていた。一見、まるで興味がないと言いたげなその表情。何処か遠くを見据えては、手帳の中の現実から逃避しているかのようにも見えるだろうが、その実、ソーニアは内心呆れ帰っていた。単なる手の込んだ悪趣味でしかない。意味などないというのに、手帳の中では文面が壊れ、狂気がその芳香を醸す。仮に手帳の中身が事実だとしても、ハイドナーの悪行がまた一つ明るみに出るだけの事。その事に何の意味があるというのだろうか、今更、自分達が犯した罪を雪ごうとしたというのならば、ガウェス・ハイドナーという男が厭に浅ましく思え、彼等を排したジャッバールには万来の拍手と称賛と喝采を送らねばならないだろう。
 手帳を閉じ、鞄の中へと放り込むと少し離れた所から、やや急いだ様子でミュラが駆け寄ってくる。心なしか青い顔をしていて、彼女と動いていたジャリルファハドはと言えば難しい顔をして何者かと話し込んでいるようだった。
「どうしたの?」
「あぁ、いや。ちょっと来てくれよ!」
 何かあったんだろうか、と怪訝そうに彼女が元来た方向へと歩んでいく。ミュラが何かを訴えていたが、聞き耳を持つ訳でもなく、ただただ歩み進めていく。人垣が裂け、姿を現したのは爪紅を差し、目尻には魔除けの意味を兼ねた赤い化粧。廓に巣食う魔女の様な女であった。
「あぁ……ソーニアじゃん」
 ジャリルファハドと話し込んでいたのはハヤであった。相変わらず、にやにやとした人を食ったどころか、人を食い散らかしてその骨まで噛み砕いたかのような得も知れない表情を浮かべている。人を馬鹿にしているでも、見下している訳でもない。ただただ妙に思えるのだ。
「いやぁ、元気そうで何よりだねぇ。……傷も塞がってんじゃん」
 額に伸ばされた手はよく見ると傷や火傷の痕があり、彼女がジャッバールに合流してから、どれだけ働いてきたかが良く見て取れる。恐らくは彼女の"落とし子達"も血腥い荒事の一翼を担いつつ、クルツェスカの正常化に努めたのだろう。
「まぁね、もう一月近くも経ってるし。それより……何かあったの?」
「いやね。近々化物狩りをするんだけどさ、その指揮執って貰いたいんだよね、コイツに」
 ジャリルファハドの肩に手を置き、彼を押し退けながらハヤはそう言い放って見せた。難しい顔をしながら彼は黙りこくったままで、抗議の声を挙げる訳でもない。否、恐らくは出来ないのだろう。一月前の恩は返さなければならない、それを反故にしては武門、侵略者の名折れである。だが、此処で頷いてしまっては、本格的にジャッバールに組した事となる。仲違いをしているガリプとしての葛藤があるのだろう、とソーニアはジャリルファハドを見据えていた。ジャリルファハドには中々に頑固な一面がある、仕方ない話である。
「やり方くらい分かるでしょ」
「お前達にも指揮の一つや二つ、執れる者が居るだろうに」
「別の仕事があんの。これでも案外忙しいんだよ?」
 目を細めて笑いながらハヤはジャリルファハドの右肩を叩く。傷に障ったのか、一瞬だけ彼は顔を顰めるも抗議の声を挙げるでなく、じっとハヤを睨んだ。相変わらずの表情の薄さに、何を考えているか分からず、居心地が悪くなったのかハヤは視線を逸らして、俯き加減に笑っている。その様子がどうにも不気味に思えた。
「あのー。ハヤ? 彼を持っていかれると私の護衛がなくなるのと同じなのよ、そこは理解してる?」
「何さ、ちょーっと前まで一人で潜ってたくせに」
「ジャッバールの兵が常に回りに居たのぐらい気付いてるわよ」
 そう苦笑いを浮かべると「気付いてたかぁ」とバツが悪そうにハヤは照れくさを隠すべく、小さく笑っていた。ジャッバールは身内には甘く、庇護下、協力関係にある者へは異常なまでに執着を示す。それは良い方向へ回る事もあれば、悪い方向へ回る事もある。セノールが氏族社会に生きる証であるとも言えるだろう。飢える者には富める者から施しを。そんなシンプルな思想の延長線にあるのだ。
「感謝はしてるわ、私を下から引っ張り上げた時だって、あなた達の手があったもの」
「……同胞の頼み。友人の窮地に動かないのは私達の流儀に反するからね。だーかーらーさー」
 その先は言わなくても分かるだろう、とハヤはジャリルファハドへと視線を投げ掛ける。勝色の瞳がじいっと何を語るでもなく見つめてくるため、彼には居心地が悪く感じられた。深い、深い海底から悪魔に見上げられているかのように感じるのだ。まるで品定めでもされているかのような、表し難い不快感を覚える。
「分かった、分かった。離反した我々の兵を寄越せ、そっちの得物もだ。……全く」
 仕方ないと言いたげに頷き、ジャリルファハドは大きく溜息を吐いた。ハヤから頼み込まれ、珍しく折れたようにも見える。
「へぇ……粘ってみるもんだねぇ」
「恩を返さなければ武門の名折れだ。筋は通す。仕方あるまい」
 そう尤もらしい事を言い放ち、再び溜息を吐く。不本意を言葉に出さずとも、態度に表すその様にハヤは苦笑いを浮かべていたが、そんなジャリルファハドを労うようにその背を軽く叩く。
「まぁ、助かるよ。兵と武器、その準備はこっちでしとくからさ。明日の晩、何時でも構わないから屋敷に来て頂戴。あぁ、ところでさ──」
 ジャリルファハドが観念した様子で短く相槌を打てば、ハヤは突然思い出したかのようにまた別の話をし始めた。それは廓の現状についてであった。彼女の言葉は宛ら甘言の如く。思わせぶりながらも、本質へは触れず散らばった情報の断片を吐くばかり。それでいながら行け、やれと背を押してくるように感じられるのだ。廓の最下層区画、そこへ至る道。そして、そこに眠るもの。要約してしまえばただの三つの話だが、どうにもハヤの語り口は最後のそれを求めているようにも感じられた。彼女の舌の上では悪魔が踊り、口を衝いて出るのは魔女の甘言。何故そんな事を知っているのだ、とソーニアは怪訝に思いながらも黙したまま耳を傾けるのであった。



 ハヤの言葉を思い出しながら、歩む廓の石畳は厭に冷たく、そうでありながら何かが足元で蠢いているような奇妙な感覚を覚えさせた。妙にミュラは落ち着かない様子で、何やらジャリルファハドに訴えては彼も黙りこくってしまう。そんな状況であったがソーニアの歩みは誰よりも速く、二人の前をひたすらに歩み続ける。
 八十階層より下の未到達とされる区域に存在するレゥノーラの母胎、そこに隠された聖櫃と呼ばれる存在。今回のジャッバールによるレゥノーラ掃討に何の関連があるのか、ソーニアは分からず思考の渦はただただ回っていく。
「……ハヤの喋ってた奴?」
「えぇ、まぁね。化物の母胎って言われてもどうしようもないわよ」
「ふーん、私アイツ苦手なんだよなぁ。なんか気持ち悪くてさ。ぱっと見たら普通なんだけど、喋ってる内容も、声も全部が怖い。アイツの方が余程化物だぜ」
 ミュラの苦言にジャリルファハドが鼻で笑っていたが、ミュラが持つ印象は間違いではない。彼女は獅子の血縁、箔こそないがその軽薄さに相反し、アゥルトゥラに対する強い怨嗟、怨恨の念と攻撃性が顔を覗かせるからだ。恐らく彼女がバシラアサドの立場に立っていたならば、既に戦争が起きていた事だろう。彼女はバシラアサドとは違い危ういながらも、動乱と平静を薄氷一枚で隔てられない女である。
「人の形してるんだし、化物呼ばわりはやめてあげなさいよ」
「しかし……化物の胎などすぐに焼けば良いだろうに。ある程度の兵を動員したならば容易い事だろう」
 やはりハヤは何かを隠している、分かっていながら分からないふりをしているのではないかと、疑念を抱かざる得ない。母胎の存在を知っているというならば、レゥノーラの数を調整する事も容易く、それを行うに相応しい得物も所有している。ややもすればこの廓の所有者と言っても過言ではないだろう。
「……何だか気が乗らないわね。帰りましょ」
「え? 帰んの? 此処まで来たのに?」
「こういう時は行かないの。験を担ぐって訳じゃないけどね」
 ミュラの背を押しながら、ソーニアは元来た道を戻るべく歩み進めていく。恐らく、彼女も思う事があるのだろう。そういった素振りを見せる様子もなく、普段通りに振舞う姿は不自然にも思える。どうにも厄介な事が起きそうだ、とジャリルファハドは溜息を吐きながら、二人の後を追いはじめた。二人の話し声と三人の足音ばかりが廓に響いていた。
 残されたのは全くの闇。その闇の向こう、青い二点が彼等の背を見送り、得物を石壁に擦り付けながら、削ぎ取られた頬を撫でる。来なかったか、と踵を返しその化物は更に深い闇の中へと身を隠すのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.164 )
日時: 2018/07/23 23:42
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 クル……クルクル……クル……
 コーヒーカップの淵に合わせて回るティースプーンは昨日習い始めたバレリーナよりもぎこちない。その動きによって柄尻にはめ込まれた赤い宝石がチカチカと光を反射させ、赤い筋を幾つも作っていた、スプーンの動きによって形を変えていた煙は宛ら人の心のように柔く気まぐれなものであるとガウェスに知らしめているようだった。やがて動きが止まるとコーヒーから引き摺りだされ、ソーサーへと置かれる。初期同士が擦れた甲高い音がレゥノーラの断末魔のようで視線を上げると薄い笑みを浮かべた男と一瞬目が合った。何となく居心地が悪くなり、何となくコーヒーを飲めば、熱さにやられて舌がヒリヒリと痛みだす。苦しそうに呻く青年に、「くっくっ……」と声を殺して笑った。
「して、お目当ての人には合えたのかい?」
「部屋の確認をして、終わってしまいましたね、残念ながら」
 ジャリルファハド達に会ったことは伝えなくても良いと判断した。彼はジャリルファハドのことはおろかガウェスの本名すら知らない。余計なヒントは与えなくていいのだ。一方で、もしも彼がガウェス・ハイドナーであると勘づくことがあったならば、正直に告げようとも考えていた。それが彼なりの(尤も現在の状況ならばその可能性は塵に等しいものであるが)ここまで雇ってきた主に対する礼節であり自己満足の押し付けでもあった。
「貴方はどうです? 目当ての方にお会い出来ましたか?」
 男は顔を曇らせると首を横に振った。そして今まで動くことのなかった足先でトントントンと小気味いいリズムを取り始めた。安いガスの光を反射させるほど綺麗に磨かれた床は音を響かせる。悪い質問だったやもしれぬと胸に広がった後悔をコーヒーで押し流す。それに合わせるように男もコーヒーに口をつけた。こくりと喉が動く。そしてソーサーの上に戻すと溜息と共に呟いた。
「まさか門前払いされるとはおもわなんだ」
「まさか門前払いされると考えていなかったとは」
 緊張の糸がプツリと切れて軽口をたたいたガウェスに男はじっとりとした視線を向ける。
「君、随分な物言いだな。暇をくれてやってもいいんだぜ?」
 手で首を切る動作をするが口調は軽いので、彼が本当にガウェスをクビにしようとは考えていないだろう。
「当主は姿すら見せない。俺に帰れと命令してきたのはソバカス面の冴えない召使だぜ。貴族ってもんは冷たいねぇ。あぁやだやだ」
 殺されなかったので大分マシな方では?と出掛かった言葉を飲み込んだ。彼の性格の事だ。蛇のようにしつこく資料の閲覧や当主との面会を粘ったのだろう。それが穏健派であるベケトフであったから良かったものの、血の気盛んな者であったら彼は今、ここにいなかったかもしれない。
「他の貴族にやるのは止めた方がいいと思いますよ」
「やらずに後悔するよりやって後悔したい人間なんだよ」
 躊躇いなく言い放つ辺り、彼はまた同じことを繰り返すのだろう。ナヴァロやリエリス、貴族とは違うがジャッバールにはやってくれるなよというガウェスの願いは「次はリエリスかな」と嬉々として話す男の前に儚く崩れていく。これ以上は何も言うまい。ガウェスは口を噤み、晴天の空をガラス越しに見る。普段ならば、半年に一度の行われる顔合わせをどこでやるだの返信に忙しい時期でこんなにゆっくりとした時間を取れるとは思ってもみなかったのだ。
「何か?」
「いんや。ただ、まだ被っているのかぁーってな。いい加減気になるなァ」
「覆いはとりませんよ。何があっても」
「とらんと余計な注目を浴びるぞ?」
 男の視線に合わせて周囲と見回すと、幾つかのグループはコーヒーが冷めるのをお構いなしにガウェス達の方を見てコソコソと何かを耳打っている。服装からして傭兵ではない、一般市民のようだ。何を話しているか二人には分からなかったが、突き刺さすような視線から良い噂ではないだろう。
「恐らくとったらとったで更に注目を浴びることになるでしょうね」
「君はそんなに醜男なのか」
「貴方という人は本当に……」
 肩をすくめた後に真っ直ぐと男を視る。ガウェスの水色の瞳が馬の毛のような茶色を射抜き、背筋にゾクゾクとした感覚が駆ける。 
「あのレゥノーラを斃します」
 この時には彼らに興味を向けていた連中は今度は自分たちのお喋りに夢中になっており、二人の会話を聞く者はいない。
「それで?」
「人員を増やして頂きたい」
「烏合の衆になったら意味がないのだろう? ……アテはいるのか」
「いないわけでは、ありませんが」
 手練れと言われ真っ先に名を挙げるとしたらジャリルファハドであろう。しかし彼ら(正確には彼女だが)ジャッバールの加護をうけており。こちらと結託するのは難しいだろう。それならばと、ガウェスの頭に浮かぶのは火薬の匂いを纏わりつかせ黒衣を纏うベケトフの、否、スヴェトラーナの番犬。
「カンクェノ内で助けたハイルヴィヒ・シュルツはいかがでしょうか?」
「あー、いたねえ、そんなの。んでも、彼女はレゥノーラに太刀打ちできなかったのだろう。そんな奴、本当に信頼できるのか?」
「単独で未知のレゥノーラに挑み、我々が逃げ帰るまでの時間を稼ぎ、傷を負いはしましたが生還しました。その勇敢さを称えるべきでしょう」
「ふむ……」 
 年若い男はハイルヴィヒを知らない。何となくどこかで聞いたような名前だと感じる程度で、彼女が普段どのような仕事をこなしているのか知らない。尤も、一度だけ会ったことはある。ハイルヴィヒとスヴェトラーナにカンクェノ内で主従関係を結ぼうと頼まれたことがあった。その時は非戦闘員を連れていることを理由に断ってしまった。 
「とりあえず、そいつがいるところまで行こうか。少し話してみて決めたい。他に誰かいるかい?」
 ガウェスは黙ったまま首を横に振る。どうやら傭兵となってからの交流関係はひどく狭いらしい。
「セノール人とかいれば心強かったんだがなぁ」
 男が席を立ったのに合わせてガウェスも立ち上がる。これから病院へ向かう。ハイルヴィヒが部屋に戻ってきているか知る由もないが、彼女と話をつけるまで彼はテコでも動かないだろう。
「今度こそ、病院にいれば良いのですが……」
 ガウェスの杞憂は前を歩く男には聞こえていない。金を出そうとするガウェスを手で制し、清算を終わらせ外へ出る。肌を裂く様な冷たさを孕む風に身体が震え、指先から熱を奪っていく。一歩一歩と病院へと向かう彼の顔がハイルヴィヒとスヴェータを見た途端、引き攣ることになるのは、また別の話である。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.165 )
日時: 2018/07/26 22:28
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 雪の降る大路を睨むも、人の往来は絶える様子を見せなかった。。それは宛ら運河の如く。時間と人の流れまでは止めようがない、とフェベスはにぃっと笑みを湛えた。時機にこの往来は大きく、減ってしまうだろうがそれでも成すべき事を成さねばならないと、背後の三人へと向き直った。左からカルヴィン、エストール、レーナルツ。ある者は煙草を咥え、ある者は肘杖を突いて草臥れた表情を浮かべている。一人だけ苛立ちを隠せずに居るのは、レーナルツであり彼は机を指先でかつかつ、かつかつと叩き続け、何かを言いたげにしていた。尤も予想に容易いのであるが。
「そう荒れてくれるな、獅子はまだ眠っているともさ。先日のは寝言にしか過ぎん、たかだか千の兵で何が出来るというのだね。幾らクルツェスカに入り込んでいたととしても、数には敵わんさ」
「……千の兵に万の兵を持っていかれる、何なら十万の民を持っていかれる。侵略者は……アイツ等はそういう存在だ」
 だからこそ、今すぐバシラアサドの首を取るべきだ、とレーナルツは言いたいのだろう。彼の主張は間違いではない。だが、しかし今クルツェスカの兵が武力に訴え出たならば、それこそ十万の民を持っていかれかねない。一人十殺、民間人を殺めるだけならば、一人で百の首を取る事も在りうるだろう。だからこそ、どうにかして一度、クルツェスカから彼等を叩き出す必要があるのだ。
「レーナルツ、俺は戦争屋じゃない。謂わば政治家だ。だとしても今、戦を行うのは悪手だと分かる。余り急ぎ過ぎるな。何なら仕掛けてくるまで待っても良い。お前達がそう猛ってくれるのは有り難く、心強い。だが、まだだ。まだ堪えろ」
 言い聞かせるような言葉に、拳を握り締める彼の表情には惨澹たる思い、その色が浮かんでいる。両目をぐっと閉じては、自分を落ち着けるように溜息を吐く。
「……今すぐ俺としては討ちたい限りだ。目と鼻の先に怨敵の姿があるというのに、兵の本懐を果たせないとは口惜しい。……ただただ口惜しい」
 ナヴァロの"若獅子"はじっと鉄面を睨んでいる。その錆御納戸の瞳には、言い果てる事ない敵意の炎が燃え盛っているように感じられた。フェベスは思うのだった。この男だけはクルツェスカを守ろうという、意思で動いているのではなくセノール、引いてはジャッバールに対する敵対意識だけで、今こうしてこの場に居るのだと。カルヴィンのようにメイ・リエリスに忠節を尽くす訳でもなく、エストールのように貴族である義務を果たそうとしている訳でもない。恐らくレーナルツだけは、御しきれないだろうと苦笑いを浮かべていた。それでもそういった者が居る事によって選択肢は増える、度が過ぎるならば手段を講じる必要もあるのだろう。そして、その"手段"がレーナルツを見据えていた。
「ただ一人で猛り狂った所で何にもならないぞ。我々に迷惑を掛けるのなら、お前もハイドナーと同じ道を辿ってもらうまで。……分かるか?」
「首を取られるか、焼かれるか、か。恐ろしい限りで」
 軽口を叩きながら、レーナルツは肩を竦めていた。脅しとも取れる言葉を投げ掛けてきたのは、カルヴィンである。嘗てはクルツェスカの守護として、今はクルツェスカの暗部として蠢くメイ・リエリス。その腹心であるカランツェンの者。流れに逆らい、当主が討ち死にしたとしても家を潰されなかったのは、それを行えば筆舌し難い危険を伴うからである。そんな一族の末裔であるからこそ、今もなお存在し、暗部の懐刀として仕えているのだ。ややもすれば彼等はジャッバールと同じような手口で敵勢排除を行える事だろう。レーナルツの揶揄にカルヴィンは「分かれば良い」と小さく頷いて見せ、事なきを得た。
「あの……すみません。どうジャッバールを叩き出すのでしょうか?」
「叩き出さずとも、彼等を二分さえ出来てしまえば良い。クルツェスカに残留する者達と隊商護衛を成す者達。もしくは地上と地下だ。二分出来たならばひたすらバシラアサドを追う」
 獅子を狩るのに、まさか獅子と同じやり口を取るとは思っても居なかったのか、エストールは目を丸くしていた。群れから孤立させ、獲物を仕留める。孤立とまでは行かずとも群れを分断出来れば勝算はあるのだろう。
「それでも博打ですか……」
「そうだぞ、エストール。フェベスの言うように戦というのは勝つか、負けるかだ。博打と大して変わらん、出来る事は外堀を埋めに埋め、一つでも多く勝算を得る事だけだ」
「カルヴィンの言う通りだな。……百年兵を養うは、一日これを用いんがためと言うだろう。俺は兵を養ってないが、その裏で支度はしてきたつもりだ。尻に火が点いてからでは遅い……」
「どうかしました?」
 ベケトフは尻に火が点くどころか、全身燃え広がり兼ねないが選択は済んだだろうか、と一瞬フェベスの脳裏を過ぎる。鉄面と呼ばれた男が、どこか呆けたような表情を浮かべたためか、怪訝そうにエストールは問いかけるも「気にした事ではない」と一蹴され、納得出来ないといった表情で首を傾げていた。
「とにかく、とにかくだ。お前達には苦労を掛ける。だが、この大博打を終えればクルツェスカは真の姿を取り戻す事だろう。……無論、俺にはその先も見えているがな、恐らくその先に辿り着く前に俺は死んでしまうんだろうがね──」
 フェベスは言葉を呑み、横目でエストールを見据えた。カルヴィンもレーナルツも出来る事は武働き。彼等と比べては幾分、身体は細く、とてもではないが彼等のように戦場で映える者ではない。だが、役に立たなければ名を持つ意味はない。このクルツェスカは無能を養ってくれる場所ではない。だからこそ、己と同じように血腥い道を歩んでもらわなければ困るのだ。
 他家の若人達にそうした暗く、血腥く、険しい道を渡さなければ成らない、自分達の世代に恥じ入れば、どうにも己という存在が弱く、矮小な物に感じられ、自嘲せざるを得なかった。
「まだ生きてもらわなければ困る。ソーニアやヘロイス、今ではただの役立たずだがランバートとてこの道に引きずりこんで貰わなければ」
「何、名があれば逃げられはせんよ、俺の娘もザヴィアの娘も。その例の木偶の坊もな。何ならベケトフの娘とてこの道を歩む事になる。血と名というのはそういう物だ」
 そうは語るも、今に名も血も意味を成さない世の中が来るというのがフェベスの持論であった。数多くの貴族が居ながら、ジャッバールを今の今まで排せずにいたのがクルツェスカ、城塞都市として名を馳せ、西部防衛の要であったというのに今の今まで誰一人としてジャッバールに勝った者は居ない。それが今の世の中は何れ壊れるという、フェベスの持論の根拠である。持つ者が義務を果たさず、果たせず、ただの持つ者となった時、民衆の力によって今の世の中は崩れるのだ。その匂いはもう未来から漂って来ている。その匂いに敏い者達は恐らく、もう既に民衆へと接近を図っている事だろう。
「呪縛、という奴ですか」
「そうだ、そう言えば良かったな」
 エストールの発した呪縛という言葉。名は鎖であり、血は呪いである。名があれば先代、先々代の積上げてきたものを継承せねばならず、名を持てば血を絶やす事すら許されない。何物よりも強い呪縛であり、自分の代で呪縛を打ち壊せたらと思うのだった。
「……フェベス、どうかしましたか?」
「何でもないさ。……お前達、三人にはこれから苦労を掛ける。本当に宜しく頼むぞ」
 三者三様、頷いて見せた。歯車はこれだけで足りるだろうか、その答えは否である。まだ、まだ歯車を用意しなければならない、と鉄面の思考はぐるぐると回り続けている。次は誰を巻き込むか、次は誰を使おうか。次の手は、次の一手は何を打つべきか。そう思考の渦を成す事もまた、呪縛であると内心、一人ごちるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.166 )
日時: 2018/07/31 23:46
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 或いは、家の植物園の近くの小さな池に、真冬に張る氷を叩けばこんな音がするのだろうか。等と、スヴェトラーナはぼんやりと考え込んでいた。歩を進める度に、床を蹴り飛ばす度に。長く長く、永遠にも思えるこの廊下ににこぉん、と奇妙な音が響いている。いつか、氷の上を歩こうとして慌てた父が駆け寄って、見事なまでに転んだ日のことをふと、思い出した。――なんでもない、ただ穏やかな、冬の日の夢だ。
 ――口ずさんだ音は、いつか、そのいつかの冬の日、父に習った優しい、フレーズ。

 病室の前に待ち構えていた医師によって、来訪者の存在こそ先んじて示されたものの、よもや其処に2人の姿があるとは思わずパチクリと、水宝玉の瞳は瞬いた。は、として、流れるような動作で膝を折る。背後のハイルヴィヒの蒼玉はさながら、2人の男を睨め付け、刺し穿つ様な鋭さを孕む。じろり、と宛ら品定めでもするかの様に。ハイルヴィヒの視線は病室に有る訪問者を、牽制の意味合いも込めてか見やるばかりだ。
「あ、の……ええっと……お……いえ、先日は……有難う御座いました」
 静寂を破る少女の声は僅かに震えて、されど、歌うように。大凡、知り合いとは察されているとしても、兄と呼ぶにはまだ早い、おそらくは。
「いえ……間に合って、何よりでした」
「ええ、ええ……本当に。貴方様のおかげですわ。……嗚呼、ええっと、ええ、ええ――お茶をお淹れします、から……嗚呼、ハイルヴィヒ……貴女も、どうぞ休んで。お疲れでしょう?」
 お気遣いなく、と誰かが言うよりも早く、ハイルヴィヒに諌められるよりも早く、少女は病室の片隅へと向かう。揃ったティーセットは部屋からわざわざ持ち寄ったもので、茶葉もまた然り。「お湯をもらってまいります」と一礼の後部屋を出た少女の背を、傭兵はいつまでも、ベッドに腰掛けたままで見つめていた。
「……して、用件は」
 ハイルヴィヒは手短に、変わらず睨め付ける様な視線のままでそう問うた。
「貴様は我々への助力を断ったろう……嗚呼、いや、其の件をどうこう言う気はない、過ぎた事であるし……貴様の考えも尤もであろうからな。ただ……そうであるから尚更に、何故此処へ来た」
 徐々に、青い瞳は警戒心を増していく。牙を剥く獣の様に、抑えきれぬ獣性を僅か、赤に乗せて。呪詛は吐かない、其れをハイルヴィヒ・シュルツは今現在持ち合わせていない故に。キィン、と金属音にも似た音が、ハイルヴィヒの脳内に、脳髄に反響していた。いつからか――否、あの日真っ逆さまに落ちてからだ。感情が僅かにでも昂ぶると何かが背を押して全てを喰らいつくせと言われている様な気さえしてしまう。或いは、彼らがスヴェトラーナに何かしら危害を加えに来たのではないか、という疑いが胸中に渦巻く故に。ありえぬ話ではない。スヴェトラーナは兄と慕う彼を――ガウェスを信頼しきっている様子ではある。何より己を此処まで運んでくれたことへの感謝は尽きない。されどもうひとりはどうか、見ず知らずの男……というわけではないが素性は知れない。
 頭痛にばかり気を取られていては、もうとっくに誰かしらに噛み付いてしまっていたのでは、とすら思う。狂おしいほどに強く、強く咲き乱れる花の名を、ハイルヴィヒは知る由もなかった。
「猟犬……ってよりかは、狂犬ってところかね」
 男がそう呟くと同時、扉がギィ、と音を立てる。ちらり、とそちらへ視線をやるハイルヴィヒが刹那、其の双玉を僅かに見開いた事に気付いた者はあるまい。
「…………学者様、どうぞ口を慎んでください。その言動……真冬のヴィムートへ捨てられても文句は言えないものと知ってくださいまし」」
 刹那、宛ら室内は真冬の室外が如く冷気に満たされた……様に、誰もが錯覚したはずだ。その声が孕むは氷の欠片、たったひとかけ、されどひとかけ。呪いの様にじわり、じわりと世界を侵食するが如く。されど少女の言葉こそが、今のハイルヴィヒにとってはさながら甘い、甘い毒薬、或いは麻薬の如く。反響し続ける不快な音を中和させてくれる、一番の薬だ。脳髄に、其の氷の声が染み渡る。少女は、短く息を吐いて、ごめんなさい、と今度こそ、柔らかに、崩折れそうな少女の顔ばせで呟いた。先程までの威厳か、或いは威圧感……否、其のどれとも違う冷ややかさはすでに、太陽のぬくもりに溶けて消えてしまっていた。ティーカップになみなみと注がれた琥珀色に映る少女の顔ばせは何処までもただ、少女らしく。
「ええと、その……とっておきの茶葉ですの、よければ……嗚呼、あとこちらも、よろしければ」
 慌てたようにキョロキョロと視線を右へ、左へ。その後焼き菓子を皿の上にいくつか乗せて。チェストへとそっと置いた。好きにお召し上がりになって、なんて笑う少女の顔ばせは甘やかに。されど。
「毒なんざ入ってないだろうな。いやぁ、ははは、お嬢ちゃん結構怖いからなァ」
 学者の言葉は軽口に相違ない。なにせ少女がそんな事出来る質ではないであろうことは薄々わかっているのだから。されど、少女の吐いて漏れる吐息は震え、憂い、瞳に湛えるは、悲哀。
「……ごめんなさい、彼女は私にとって……その、かけがえのない人、だから……その、本当に、申し訳ありません。あの様な、無礼を……嗚呼、どうか、どうかお許しを――……先生」
 怯えきった一人の少女が、其処にいた。震える声で、潤む瞳で。俯いて嘆く様に。月明かりこそ無くともまるで、其処に満ちた月があるかのように。只の軽口に、よもや其処まで反応されるとは思っていなかったのか、少しばかり引き気味にいや、とだけ零す男を見やる少女の瞳は静かに細められる。

「で、だ……まあそっちの、えーっと……」
「ハイルヴィヒ・シュルツだ」
「そうそう、ハイルヴィヒの言う通り。確かに一回は君らへの助力は断った。……ただ、今度は逆に、こっちに手をかしてほしい……ってとこだな」
 男の言葉にスヴェトラーナはこてり、と首を傾げ。ハイルヴィヒは僅かに眉を動かした。どういう事だ、と説明を求めかけるも、男は軽く手を上げそれを制止する。ピクリ、と再びハイルヴィヒの眉が動いた。
「ほら、君が足止めしたレゥノーラ、それをこいつが斃しちまいたいって言うもんだからさぁ。そちらさんの力を貸してほしいってわけ」
 端で、少女が小さく肩を震わせたのが見える。そんな、と紡ぎかける声を遮るのは他ならぬ、ハイルヴィヒの言葉であった。
「……私は構わないが……条件が2つ。まず……彼女がそれを承諾すること。それと、彼女も共に連れ立つ事……以上だ」
 ゆるり、と押し上げられた其の奥の、碧玉は淡く輝いた。彼女、がスヴェトラーナを指し示す事は明白であろう。なにせ其の言葉を紡ぐ折、碧は柔らかに少女をみやったのだから。難色を示すでもないハイルヴィヒの対応は、彼女からしてみれば尤もであるが、彼らからしてみればどうであるのか。其の顔ばせを、表情の一つを見ればたやすく分かることだった。寧ろ難色を示すのはスヴェトラーナの方で、何やら口ごもるように俯いて、右へ、左へと其の淡い色をした眼球を動かしている。
「…………私、は……その、反対ですわ。だってハイルヴィヒはまだ……お怪我を……嗚呼…………けれど……その――ええ」
 正直に述べるならば、スヴェトラーナにも利はある。地下へ赴くなればハイルヴィヒ一人を共に向かうは厳しいものであろうし何より、必ずや道を塞ぐものを斃せるならば恐らくは少しは進展も見えるであろう。悩ましげに、其の形の良い眉は歪んで、苦しげにその双眸は細められる。紅茶を、ひとくち。
「…………ハイルヴィヒを駒として……物として扱わぬと約束してくださるならば……助力は惜しみません。我が名にかけても」
「――有難うございます、其のお言葉、必ずや」
 ちらり、見やる先にあるのは空色。2つの淡い色が交われば少女は安堵に相好を崩した。おやくそくですよ、と囁く声は甘い響きを孕んで。
「んし、んじゃあ決まりか……まあ詳細は追って連絡するとして。……ハイルヴィヒと……」 
「……エリス」
 ぽつり、と少女は言葉を、否、声を零す。伸びる白い手は、学者の男の頬を優しく撫でる。花唇は耳朶へと寄せられ、優しく、言葉を紡ぎ、囁いた。
「――エリス、……エリスと、お呼びくださいな。或いは……貴方の、お好きなように」
 紛い物で構うまい。今までも散々そうして生きてきた。また明日をと手を伸ばす度、去る日の残像が胸を穿ち、抉っていく感覚を憶えてすらいた。静かに涙し、枕を濡らした夜もあった。己で己をなんとするか、惑い、迷い、役割にまみれ、吐き出される欲望を、何もわからぬままで身に受ける日さえも。けれどもこの瞬間、或いは其れが武器になるとさえ、少女は直感していた。
『ねえ、お願い』
 おそらくは、誰一人知らない言葉で少女は囁く。呪いを、或いは懇願を。……ともすれば、彼が古い、古い言葉に精通しているならば響きには憶えがあったかもしれないが、意味までは通じるまい。或いは、“私”はすでに“貴方”のものと笑うようにも、聞こえたか。一瞬呆けた男は咳払いを数度。後に少女が名乗る名を舌の上で転がして静かに、頷いた。

「……炎が如く、暴君の様に。或いは雷、でしょうか?」
 ささやかな茶会にも満たぬ、されど美しい香が部屋を満たす時間は過ぎ去り、2人が去った後。少女は窓の外をぼんやりと眺めながら傭兵へと問いかける。
「争いは、好みません。好きではないわ。ですが……血を流さねばならぬ事もあるのでしょう」
 少女の言葉にただ傭兵は、曖昧に頷くことしかできなかった。少女の声はどこか凛、として。されど震える、ただ一人の少女のものとして。
「すでに開いた幕は、そう容易く落ちるものでもないのでしょう? ならば、尚更。……笑いたい時ではなく、笑うべき時に笑わねばならぬ事とてありますもの」
 お嬢様、と紡ぎかけた唇に、白い、白い指がそっと添えられた。微笑みは蕩ける様に、世界すら、融かす様に。
「……私は――私は、生きるわ、ハイルヴィヒ。…………望まれる限り、いえ……望まれずとも、私が私として責任を負う限り」
 少女の笑みはいつだって甘く、蕩けるように、全てを融かすように。
「ねえ、だから――どうかお願いね」
 <貴女も、どうか共に>と、少女は囁いた。狂おしいほどに強く、強く咲き乱れる毒花の香りが肺を満たしていくかの様に。ハイルヴィヒの胸にずしりとした重みを、残して。

「――戦いが終わったら、また畑を耕さないといけないからねぇ」
 深い青をみやり、ユスチンはそう零していた。東部からの親族の援軍は存外に早い到着で、眼前にいる彼女こそがそれを率いる、ダーリヤ・ボリーソヴナ・ベケトヴァに他ならない。ヴォストモルスクの地にて根付くベケトフの家の長女。長く豊かな金の髪は柔らかに、眼窩に輝く青はどこまでも澄んで清らかに、凛とした眼光にて、ユスチンを見やる。浮かぶ笑みは嫋やかに、されど腰にある一振りは、確かに彼女のものに相違ない。
「ええ、そうでしょうともユスチン殿。其の為にもどうか、我らを存分にお使いになり、頼られてください。……事が終わるまで、否……真にすべてが終わるまで」
 ふ、と零す呼気の一つですら、さながら演者の様に。瞬きの一つですらもただ計算され尽くしたかの様に。思えば彼女は昔から、どこか仰々しい少女だったように、ユスチンは記憶していた。
「我らヴォストモルスクの者が、貴方がたをお守り致します」
「相変わらず頼りがいのある言葉だよねぇ……はは、本当に……頼りにしてる」
 彼女の青い瞳をじぃ、と見つめて静かに、ただ静かに男はそう紡いだ。折、ノックの音が3つ。入室を促せば扉を開いた青年、ヨハン・クリューゲルはひょっこり顔だけ出してきた。
「……お時間よろしければ、軽く街の中案内させてもらおうかと思いますけど、どうします? ほら、さっき口頭で伝えただけじゃ多分色々、わかんないでしょ」
「嗚呼、ではヨハン殿、宜しく頼むよ。……失礼、ユスチン殿。少々彼をお借りします」
 一礼の後、部屋を後にする二人を笑顔で見送れば男はまた、溜息を一つ。これが全て安全の材料になるなどとは思うまい。手練の手勢は大変に頼りになる。殊、彼女らは防衛という面においては大変に頼りになる事は間違いない。後、コールヴェンに控える面々との合流の件もどうにかしなくてはなるまい。半数はそちらに一時的に置いている、とのことではあるが。其処も含めて。ざっくりとした話し合いはできている。親族を招く事は珍しくとも早々に無い事であるわけでもなし。ここからが踏ん張りどころか、などと小さく苦笑を零しつつ。思うは、己の娘の安全と、それから。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.167 )
日時: 2018/08/15 14:50
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

8/15 14:50 加筆修正

 風雪は厳しく、砂漠では在り得ない気候であった。そんな状況でもジャッバールの屋敷の正門には守衛が立っており、彼等はジャリルファハドの顔を見るなり、簡単に通してくれた。恐らく同胞という事もあり、厳しく身辺を調べる必要もないと判断したのだろう。
 正門を超えると、相変わらずいきなり中庭に行き着く奇妙な構造であった。階上の窓からは明かりが漏れている。地下へ至るであろう、門戸は開かれたままで積もった雪には点々と足跡が主張を存在していた。人の息衝く感覚があり、人の話し声が彼方此方から聞こえていた。一階の広間からは明かりが漏れており、バシラアサドの声とまだ幼い女児の声が聞こえている。飯が不味かったと不満を漏らしているらしく、その声に鼻で笑っていると突然、鎧戸が開き、じぃっと青い目がジャリルファハドを睨む。睨まれる直前、一瞬だけバシラアサドが、はっとした表情を浮かべたのは気のせいではないだろう。
「あー……ファハドか。ソーニアの件、筋を通しに来たか」
「恩義を返さねば武門の名折れ、だからな」
「そうか、そうだな」
 そうやってバシラアサドは相槌を打ちながらも、ジャリルファハドから目を逸らし、終いには目を瞑ってしまった。彼には彼女が何を思うかは分からず、怪訝そうにその様子を見据えた。
「その仁義。大儀の一言に尽きる限りだ。……では、な」
 目を瞑ったまま彼女はそれだけ言い放ち、鎧戸を閉じてしまった。その向こう側からはくぐもった声で「居ると思ってなかった」などと、誰かに話しているバシラアサドの声が聞こえている。ただただ偶然、鎧戸を開けただけなのだろう。煙草でも吸おうとしていたのだろうか。兎に角、ばつが悪かったと考えられ、内気な根底はあまり変わっていないのではないか? と思えるのだった。
 中庭に吹き荒ぶ、風雪を避けようと軒下に身を隠して、ハヤを待つも彼女は一向に出てくる気配はなく、代わりに地下から出てきた、ジャッバールの配下が大量の銃器と多銃身機関砲を荷車に載せて引いているのが見えた。廓でもよく見た得物達であるが、余りにも地下から搬出する量が多く、不吉な思いを抱いた。この風雪の中、ジャリルファハドにはどうにも炎が燃え盛っているように感じられるのだ。それは、ただの炎ではなく、最早止めようのない戦の狂気を燃料とし猛り狂っている。それは不吉な風によって広がり、このクルツェスカを焼き払おうとしているようだ。それは己が同胞が持つ得物によって齎されようとしている事に一抹、不快感と不安感を抱く。此処でアゥルトゥラを確実に殺し切る事が出来るならば、この戦に己も乗るしかない。だが、しかし、一挙に打ち滅ぼさんと戦を望んだ所で、今の彼等を滅ぼせるはずなどない。幾度となくクルツェスカに攻め寄った先人達が、それを示している。この不確定要素の強い戦はセノールの滅びを招き兼ねないというのに、何故こうも同胞達は息巻いて、整えた力を誇示しようとしているのかが、全く理解出来なかった。国力に劣るセノールに、長期戦をするだけの体力、戦備はない。緒戦は優勢を保つだろうが、徐々に負け始めるのは見えている。国境まで押し返された段階で、防戦一方となるのは確実であり、半世紀前の西伐と同じ道を辿るのは必至と思えた。
「あー、ごめんごめん! こっち! こっちに来て!」
 中庭の向こう側からハヤが手を振っている。彼女の爪紅は雪と夜の闇に紛れ、その鮮やかさを失っているようで、見て取れなかった。雪を踏み締めジャリルファハドは歩んで行く。吐く息は白く、余り話が長引かなければ良いが、と寒さに一つ身震いをするのだった。



「──おーいー、ファハド聞いてる?」
 毒々しいまでに、彼女の指先は赤く見える。そんな爪紅のよく映える手を振りながら、ハヤは問いかける。思考の渦に巻き込まれ掛けていたが、はと気付いたように二度、三度、小さく頷いてはハヤを見遣れば、彼女は眼鏡の位置を直しながら、にぃっと笑って見せた。相変わらず悪い笑い方をすると、呆れながらジャリルファハドは溜息を吐く。
 彼女が語るのはレゥノーラの習性、殺め方ばかり。そんな事は疾うの昔に知っている、聞くに及ぶ事なしとジャリルファハドはハヤの言葉を、左の耳から入れ右の耳から聞き流しながら、じぃっと周囲を見回す。窓側の書棚には廓から回収してきたと思しき、文章と設計図の綴りが収められており、その傍らにはヴィムートの言葉で記された背表紙が顔を覗かせている。その向かい側、棚に鉄製の箱が大量に並べられており、恐らくこの部屋は銃火器の設計、開発。そして、弾薬、砲弾の管理、保管も行っている区画であると考えられた。棚には火気厳禁と記され、恐らく規格と思しき寸法を明記された金属製の箱が大量に置かれている。これだけの数だとしても、戦を始めたならば小一時間と持たず撃ち尽くしてしまう事だろう。
「……あぁ、化物の殺し方なんて知っているさ。もう何匹か殺めた」
「だろうね。ソーニアは荷物だったでしょ?」
「荷物、荷物か……そうだな。だが、学者に争い事の腕を求めるなど間違いだ。慣れというのもあるだろうが、臆する事なく得物を向けられる度胸。男だったならば良い兵になる」
 楽観的かつ、緊急時でも平静を保っていられる、そんな度胸を持つ彼女が女の身に生まれ、アゥルトゥラの人間である事をジャリルファハドは惜しんでいた。集団を率い、戦の仕方を学んだならば有能な指揮官と成っていただろう、と常々思えるのだ。ミュラのような"じゃじゃ馬"をも御しきる器を持ち合わせているのも良い点である。
「べた褒めじゃん、珍し……所でさ。あの"手下"腕は立つの?」
 手下、恐らくはミュラの事を指しているのだろう。名前を覚えていないのか、それとも意図的にそう呼んでいるのかは分からないが、そう問うハヤの目は笑っていて、それがどうにも嘲笑のように見え仕方がないのだ。何をするつもりか、何か良くない事を考えているかのようにも見える。どう答えるべきか、ジャリルファハドは悩まざる得なかった。ハヤの真意が読めないのだ。
「……自分の身は自分で守れる程度にはな」
 無難過ぎる答えに、ハヤは「ふーん」とだけ相槌を打って壁に立て掛けてあった小銃を二挺ばかり手に取っては、それをジャリルファハドへと突き付ける。薬室が開き、槓桿が下を向いている事から弾は込められていない。故に呆れながら銃身に手を伸ばし、それを受け取る。 
「使って。"手下"も腕が立つなら、こいつを渡しておいて。……レゥノーラは頭を潰せば良いってのは知ってると思うけど、うちの銃は弾が小さい。まぁ、難しいから覚悟しといて。ソーニアの奴見た事あるから知ってるでしょ? 私の特製さ」
「あぁ、知っているとも。新たな技術に意欲的なのは構わんが、あの豆鉄砲ではな。獣も狩れん」
 そう苦言を呈してやるとハヤは肩を震わせて笑っていた。何がおかしいのかと疑問を抱けど、レゥノーラと近接戦闘を避けられるだけ充分という物である。何より銃身は短く、軽量。取り回しの良さは廓のような狭所では利点である。
「小さい方が作るの簡単だし、女だろうが子だろうがこれなら使える。……私達セノールは皆が兵だからさ」
 ハヤの言葉から、やはりこれも戦支度の一環と言えるとジャリルファハドは思うのだった。怨恨、怨嗟の念に狂った女の落とし子とも言える小銃は、皆が皆、容易く使えるようにという設計思想を持っている。男は勿論、女も子も、全ての者達が扱うに容易なように作られているのだ。銃弾もアゥルトゥラが使っている大きさの物を作るよりも、少しでも小振りな方が鉛の量は節約出来る。
「これを人に使う事が無ければ良いのだがな。……特にアゥルトゥラに対してだ」
「……無理だろうね。もう火蓋は切って落とされた。アサドを止めようとしても駄目だよ。これは私達が望んだ戦争だ。……もう勝てるように全力を尽くすしかない、暴力の果てに仇敵に屍の山を築くんだ」
「三日三晩でアゥルトゥラを滅ぼせるなら、俺もアサドに付きアゥルトゥラを殺めに殺めよう。だが、そんな状況ではないだろう。民を戦に誘うのは、戦を優位に進められる状況を作ってからだ」
「あぁ……そうだねぇ。あと五年は必要だ、アゥルトゥラに対して毒を盛り足りない。まだまだ、まだまだね。アイツ等を半死人のようになるまで搾取して、我々はただただ強兵の道を直走らなきゃいけない。でも、もう無理さ。"私達"は戦争がしたいんだ」
 彪の眼前、そこに在るのは理知を持つ狂人であった。笑みを浮かべる事もなく、勝色の瞳を見開いては彼女は語る。その主張はバシラアサドが民衆を戦争に扇動したのを是とし、ただただ戦争を望んでいる。勝敗など全く見ておらず、その恨みを晴らしたいだけなのだろう。
「……今回、化物を狩るのだけはお前達に組しよう。それを成さねば道義に反する。だが……だがだ。お前達が戦を起こすというなら、俺はそれを阻止せねば成らん」
「それなら敵って奴かぁ、昔からの誼と思っていたけどさ」
 爪紅を差した手が右腿へと伸びて行く、鞘に収められているのは拳銃。彪の黒い瞳がその動きを捉えるなり、鎧通しが抜かれその切っ先が魔女の首筋へ張り付く。皮膚を裂く寸での所で、刃は止まり拳銃へと伸ばされた手が止まっていく。魔女に動じる様子はなく、ただただ口角を吊り上げ、声もなく笑っているのみである。
「俺を撃つなら撃つと良い、事切れるまでお前の首も持っていけよう。武門を侮ってくれるなよ。"鍛冶屋"風情が」
「本当に……よく斬れること」
 にぃっと笑いながら、ハヤは刃へ向けて首を捻って見せた。皮膚を裂き、血が伝っては鎧通しを、ジャリルファハドの手を汚していく。血を流して笑っているその姿は、人の形をしているだけの人成らざる者に見えて仕方がないのだ。恨みの末に変質したそんな化物だと思えてくるのだった。
「ファハド、一つ教えておくよ。うちの弾が小さいのは……人狩り専用だからだよ」
 首筋から流れる血を指先で拭い、それを弄びながらハヤは語って見せる。爪紅と、彼女の血液の境が曖昧となった頃、指先で乾き始めた血を舌先で舐め取っては、笑みを絶つ。


 鎧通しを伝い、音も無く血が滴り落ちて行く。皮膚を裂いた刃を厭う素振りすら見せず、痛みに顔を顰める様子すらもない。ただただ彼女の衣服が血で穢れていく。だというのに、指先でその流血を弄ぶばかり。
 人狩りという彼女の発言、鎧通しを持つ手に僅かに力が篭る。このまま刃を押し込んだならば、この"魔女"すらも殺せよう。皮膚を、肉を、骨まで断てば殺す事も容易いだろう。だが、それは最大の悪手であり、セノールに対する痛すぎる損失でもある。彼女の苛烈過ぎる敵愾心は、怨恨と混じり既に手が付けられないものとなっている。だとしてもその頭脳と勤勉な性格は稀有なものであり、今の怒りに身を任せて首を裂くのは愚行としか思えず、ジャリルファハドは鎧通しをハヤの首から離し、その血を指先で拭い去る。
「あぁ、これは痕が残るよー。何て事してくれるんだ、全く……」
 机の上に置かれていた、やや油汚れが付いた雑巾で首を押さえ付けながら、ハヤはそう笑って見せた。口調はやけに軽く、何時もの軽薄さが戻って来ていたが、流血を気にしないその様は何処か異質にも見え、鎧通しを鞘に収める手も止まってしまった。
「……ディエフィスの刀を打ち直した鎧通しだってのにね。持ち主は彼の恨みを晴らそうとしないだなんて……今に錆び付いて女の細首一つ取れなくなるさ」
 ディエフィス、先々代のガリプ当主の名を聞いた途端、ジャリルファハドの顔付きに翳りが差す。半世紀前の西伐、常在前線を成し大勢のアゥルトゥラ兵を殺害しながらも、敗戦後はアゥルトゥラの手に依り処刑され、呪詛を吐いたとされる人物である。バシラアサドの刀が彼の刀を打ち直した物であったが、彼女から譲り受け、自身が持つ鎧通しもそういった代物だとは思ってもなかったのだ。
「アサドが晴らそうとしているのはセノールに対する恨みだ、抑圧され続けた恨みを晴らそうとしているだけに過ぎん。ディエフィスの恨み、無念を晴らそうとしている訳ではない。……だからこそ負けが見えている戦を望み、民を狂奔に駆り立てている」
「分かってるよ、そんな事。だから、私が勝ち戦にしてやろうって、ずっと走ってきた。……人を狩ろう、ファハド」
 己に切っ先が向かぬよう、ハヤは鎧通しの刃を握る。皮膚を裂き、肉を裂いたのだろう、ごりごりとした引っ掛かりのある感触が骨まで至ったという事を知らしめ、思わずハヤを突き飛ばしては鎧通しを鞘へと収めた。血すら払う暇すらなく、一歩、二歩と後ずさっては彼女を睨む。
「ハヤ。……ハヤよ。やはり人の形をした化物だったか」
「化物……化物! 良いねぇ、そうしたら今すぐにだってアゥルトゥラを殺せるじゃないか!」
 化物と誹られたのを不快に思ったのか、彼女は声を荒げながら鎧通しを握った方の手で、壁を叩いて見せてはジャリルファハドへと詰め寄っていく。彼女の細身な身体は、容易く突き飛ばされ床の上に尻餅を搗いてしまうが、その勝色の瞳はどうにも笑っているように見えた。血塗れの手で机に掴まり、漸く立ち上がったかと思えば彼女は大きく溜息を吐く。
「本当にアゥルトゥラを恨んでいないんだね?」
「……恨んでいないと言えば嘘となる。だが、今は確実に勝てる算段がない。まだ、まだ戦を起こすには早く、アサドの企みは我々を自滅に追い遣るとしか俺には思えんのだ」
「傷負って、一芝居打ったってのにとんだ無駄じゃん、これじゃあさぁ……」
 へらへらと笑いながら、手の傷を眺め、手首を麻の紐できつく縛っていた。一瞬だけ血が滲み、床へと滴るもそれを気にする様子など見せず、彼女は椅子へと腰掛け、じっとジャリルファハドを見据えていた。
「今回のレゥノーラ、掃討。宜しくね、うちからも兵は出すし一人志願してきた子が居てさ。存分に使ってやって」
先程までの異容は何処へと消え失せたのか、何時もの軽薄そうな雰囲気が戻ってきていた。アゥルトゥラに対する戦こそ、参戦する道理はないものの、今回のレゥノーラ掃討はソーニア救出に対する礼であり、それを断る道理はないと、言葉なく頷いた。
「……あぁ。ハヤ、手を出せ」
「はいはい」
 それからぽつ、ぽつと言葉を交わす。彼女の手当てをしている内、夜も更けていた。鎧戸を開けば、雪は止んでいて、酷く生臭い冬の匂いが漂っていた。雲の切れ間から顔を覗かせる月は只管に白く、ただただ澄んだ夜空が人間の営みを無駄だ、と嗤っているように感じられた。
「傷が塞がるまで半月ってところかなぁ、これ」
「首はもっと早い」
 そうかー、と相槌を打ち、彼女はやはり人の良さそうな笑みを浮かべている。クルツェスカの為政者が"鉄面"の渾名を付けられているならば、この魔女は謂わば"凶笑面"とでも形容すべきだろう。その笑みの下、腹の中に飼い続けた怨嗟、それは最早、手が付けられない化物と化した。その化物が犯した業悪は最早、払拭出来る物ではない。
「……俺はそろそろ戻る」
「気を付けて、再来週から宜しくね。それまで私達もやる事があるんだ」
「あぁ」
 踵を返し、出て行くジャリルファハドの背を見送る最中、やはりハヤの表情は笑みが張り付いたようで微塵も変わる事がなく、暫くそのまま顔付きが変わる様子はない。
「うるさいなぁ」
 そう、呟いては首の傷を擦る。傷に砂でも混じっていたのだろうか、厭にざらついた感触が手に残り、同時に傷の異物感に顔を顰めた。砂でも入っていたのだろうか。特に気にする事でもない、と大きく溜息を吐きながら、ハヤは耳障りな喧騒に悪態を吐き、椅子を蹴るのだった。

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