複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.147 )
日時: 2018/04/22 04:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 切り裂かれた右肩を曝しながら、ジャリルファハドはぼんやりと囲いの向こう側を見据えていた。傍らのミュラは腕に彫られた刺青をまじまじと見つめているのだが、そんな彼女の様子など全く気にも掛からず、ただただソーニアの状態だけが気がかりだった。彼女の負傷は勿論ながら、その身に起きた異変はあまりにも異常であるからだ。あの深く鮮やかな深緑の瞳が何故、血のように赤黒く染まり、光りに過敏な反応を示すようになってしまったのだろうか、と気掛かりで仕方がないのだ。
「……傷、痛いのか?」
「そういう訳ではない。……少しソーニアが気掛かりでな」
 彼女を診ているのは己が同胞である人物である。彼の腕は確かだが、理解に及ばない物を見た時、どんな反応をするか分からず、匙を投げてしまう可能性もあった。それがジャリルファハドの不安だった。このままソーニアの目が治らず、原因も分からず終いとなった場合、その先の彼女の人生は光を忌諱し、薄闇の中でしか過ごせない物になるだろう。そんな可能性があると思えば、サチの武門の兵である己が居ながら彼女に傷を負わせてしまったという事実に居た堪れず、拳を握り締めた。
「おい、ファハド。良いか」
 仕切りの向こう側から顔を覗かせた男が呼ぶ。立ち上がった時、右肩から血が伝い床に滴るもそれを気にする様子もなく、呼ばれるがままジャリルファハドは歩んでいく。何故か彼の足取りは重く見え、ミュラは小首を傾げていた。
「俺にはさっぱり分からん。強い光が入ると全く見えんそうだ。少しでも暗ければ問題はないようだが……理屈も分からんよ、そもそも俺が診れるのは外傷だけだ、傷がない物をどうやって調べろってんだ」
「……傷の手当てはきちんとしてくれたんだろう?」
「えぇ、それはしっかりしてもらったわ」
 口を挟んできたソーニアを一瞥すると、彼女は光を忌憚するように目を閉じていた。額に当てられた綿紗は傷をすっかり覆い隠しており、その生々しいであろう傷跡を曝そうとしない。
「肩も動くわ。入れてもらったから」
「見よう見真似の整復だったが、案外上手くいったみたいでな」
「ルトよ、随分といい加減な事をしてくれたな」
 そう彼を戒めるも、ジャリルファハドは内心感謝の意を唱えていた。感謝の言葉は誰の耳に届く事もない。だが、しかし。ルトと呼ばれた男は苦言を受け止めながらも、その感謝を汲み取ったようで満足気に笑っていた。
「まぁ、座れ」
ジャリルファハドに座るようにと促し、彼を無理矢理に座らせると笑みが突然、意地の悪い物に変わっていく。昔からこういう男だった、と何処となくジャリルファハドは遠い目で彼を見ながら苦笑いを浮かべている。
「おい、ミュラとかって奴。ちょっと来い! ソーニアを連れて行け!」
 大声で呼ばれミュラは少しだけ慌てた様子の足音が聞こえた後、仕切りの際から顔を覗かせた。連れて行け、とルトが顎で指図するとそれに応じ、小さく頷きながらソーニアの手を引く。彼女はミュラへと侘びながらであったが、何時も通りの笑みを湛えていた。あくまでも目以外は問題ないと言葉なくして主張しているようだ。
「おい。ハヤが悪さを働いたなら詫びておこう、悪気はないんだ。許してくれ」
 "ハヤ"という名を聞いた時、一瞬だけミュラの顔付きが強張り、身動ぎをして彼をじっと見つめていたが、はと我に帰ったようにそそくさと仕切りの中から出て行ってしまった。その背を見送りながら、ジャリルファハドは薄っすらと笑っていた。
「図星のようだな。ハヤには会わせたくなかったが、仕方あるまいよ。上にはレゥノーラが居たのだから、アイツを一人で行かせる訳にはいかなかった」
「死ぬよりマシってもんさ。ミュラもハヤに引っ張られなくて良かったじゃないか。近頃は第二のアサドになりつつある。いや、アサドより悪い。だが、俺には諌められないのさ。ハヤの言う事はセノールの悲願だ、否定出来る身じゃないんだ。俺とてアゥルトゥラを殺してやりたい。……縫うぞ」
 雑談を交えながら、縫合の準備を終えたのかルトは傷を縫い出すのだった。尋常ざる痛みが走る物の僅かに表情を歪めるだけに留め、深呼吸をしてから再び口を開く。
「お前はハイドナーの兵の死に顔を整え、手当てしてやっていたと聞く。それは本心かね」
「あぁ、本心さ。アゥルトゥラを殺してやりたい、そして救える限りの人間は救う。どっちもな」
 二律背反するような言葉を吐く、ルトの真意を推し量る事は出来ず、ジャリルファハドは口を閉ざすも、何針か縫い進めていくとやはり痛みを耐え切れないようで再び口を開いていた。
「……アサドはどうした」
「あぁ、あいつ? ちょっと用事だってボリーシェゴルノスクに行ってるぜ」
「それは何処だ?」
「此処から少し北の街だ。そうか、お前が知る訳ないよな。要衝でもない、強いて言うなら運河に接してる程度の話だぜ。まぁ、クルツェスカの衛星都市ってところだな」
 何をしに行ったのだろうか、と思案するもそれは痛みに阻害され、ジャリルファハドは溜息を吐きながら目を閉じ、左の拳を握り締めるのだった。




 運河に運び込まれているであろう資材を眺めながら、バシラアサドは煙草の煙を吐いた。紫煙は運河を走る風に吹かれ、その形をあと吐く間もなく失ってしまう。それはまるでこの街の行く末を示しているかのようだった。傍らには護衛としてバッヒアナミルの姿があり、彼は未だに僅か痛む右胸の傷跡を擦りながら、堪える冬の寒さに顔を顰めていた。
「アサド、寒いです。入りましょう」
「……そうするか」
 彼女の視線の先には資材運搬用の引揚船台が築かれており、そこに乗せられた三隻の船があった。錆び、朽ち掛けている船であるが未だにしっかりと走る事が出来る。機関の音が少しだけ喧しい程度の話だ。あの船にも来る時には働いてもらわねば成らない、と小さく笑みを浮かべて煙草を投げ捨てるのであった。
「この街は良い、血の匂いも、戦の匂いもしない」
「振りまいているのはアサドじゃないですか。此処も何れはそうなる。……俺だって手伝いますよ」
「傷を癒してからの話だ。余り不調を悟られぬようにな。お前が張子の虎では困る」
 半年以上前に負わされた右胸の傷は未だに癒えず、膿み僅かに熱を帯びていた。身を翻せば身体は強張り、容易く傷が開いてしまう。だとしても、ジャッバールにはナッサルの虎が居るという事を主張して置かなければならない。多くはルーイットとシャーヒンを恐れる事だろう、それでは足らず彼等に匹敵し得る兵は多ければ多いほど良い。例え傷を負い、病んでいたとしてもだ。今は戦うでなく、戦わずして相手を黙らせるという云わば抑止力が必要な時である。
「寒い……傷に障ります」
「私を守れない程にか」
 そうやって煽ると彼は侮るなと言わんばかりに、目を見開きバシラアサドを一瞥する。
「……全く、失礼ですね。ベケトフの犬くらい、ちょーっと噛んで殺しますとも。その位は……簡単です」
「そうか、気を抜くなよ」
「えぇ、勿論です」
 バッヒアナミルの言う通りだとしても慢心は出来ない。既に放たれたハサンの兵は彼等の屋敷を取り囲み、動向を探っているのだ。令嬢とその護衛の不在、残るは当主と一人の青年のみ。歯牙にも掛けるまでもない。何故、こうして護衛を付け、多くの密偵を放っているかといえば、これからそのベケトフの屋敷へと赴くからである。埋め込まれた櫟の種は恐るべき早さで芽を出し、何時の間にか毒を撒き散らすようになってしまった。種を砕き、枝をばら撒くべく獅子は歩みを進めているのだ。
「尤も番犬も留守だがな」
 そうバッヒアナミルを揶揄すると彼はどこかほっとしたような表情を見せ、また右胸の傷を気にするようにして擦っていた。余程この寒さが堪えるのだろうか、どこか気の毒な思いを持ちながら彼を見つめていると「大丈夫です」とにこやかに笑みを浮かべながら、気丈に振舞っているのだった。仕方あるまい、ベケトフが事を構えるというのならば自分で当主を討たざる得ないだろう。懐に収めた固定式の回転式拳銃に触れながら、大路の奥に佇むベケトフの屋敷を見据えるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.148 )
日時: 2018/04/22 00:26
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

「私を囮に、貴様らが逃げるのが一番いいだろう」
 後ろへ、後ろへと静かに後ずさる中、娘は至極淡々とした語り口で、しかしはっきりとそう口にする。其の言葉に一番に反論するのはスヴェトラーナにほかならない。しかし其の唇が動く前に、ハイルヴィヒの指は再びスヴェトラーナの唇へと触れた。静かに、と言わずとも少女は理解しているだろう。現に、少女は其れを理解している。されど口を開かずにはいられない、といわんばかりの視線でハイルヴィヒを射抜く。否、射抜くなど。見つめるだけだ、焦がれるように。或いは懇願するように。
 焼け付くような劣情が、ハイルヴィヒの胸に残っていた。渇いていく様な感覚すらあった。求める色は赤なれど、其の真髄は此処には在らず。鼻孔を掠める白百合の香にすん、と鼻を鳴らす。愛おしいと思う、慈しみたいとも思う。永遠に、少女が少女である事を望む気持ちが今ならば理解できる。うつくしいものを、うつくしいままで。其の理想の何と美しいこと。されど其れは本来、望んではいけないものだ。少女は何時か成長し、羽化し、羽根を伸ばして飛び去っていく。それが道理、摂理――されど。
「私が、此の中で一番今役に立たん。なら……足を引っ張るよりも此処で切り捨てろ。それでいい。……貴様のことは、信頼している」
 少女を見ず、深青の瞳は真っ直ぐに少女が連れた三人――の、内の一人。かつて太陽が如き輝きを背負っていた其の人へと向いていた。彼のみを見つめている、とはきっと彼以外にはバレまい、等という奇妙な確信を胸に。碧に紅が混ざりゆく。焼け付くような痛みを、けれども少女は歓迎する。或いは、その瞳に血を混ぜた様にじわりと、紅の色は広がり行く。毒の雫を垂らす様に、じわり、じわりと、その碧を侵食していく。なにかに背を押される心地だった、手を伸ばしてしまいたかった。飲み干してしまいたい衝動を、今はただ抑え込む。無意識に、中指を強く噛んでいた。滲む鉄の味は決して良いものではない、そのはずなのに。慌ててポケットに手を突っ込む、破片はある程度捨てたもののまだ多少混ざっているだろう、が、仕方あるまい。錠剤をいくつか口へと放り込みガリ、と噛み潰した。呼吸が上がるその前に、静かに、告げるべきを少女へ。
「……お嬢様、宜しいですか。……此の儘、此の奥へと進んでください。出口ではありませんが……道はあります」
 仮令紺碧の底に或れど、どうか彼女に白百合の夢を。柔い願いを胸に、ハイルヴィヒ・シュルツはさながら懇願する様な声色を以てスヴェトラーナへと告げた。行き止まり、との表記を見ているスヴェトラーナとしては、ハイルヴィヒの言葉に衝撃を受けるが、其の言葉を信じぬという選択肢を持ち合わせては居ない。ただ信じる人の言葉を、悲痛にすら思えるその瞳の奥に在る色を、信じる他なかった。薄氷の色は刹那伏せられる。固く、固く閉じられた瞼。少女は静かに息を呑む。震えを隠すなど出来やしない。けれど。
「……わかりました。貴女の言葉を、無駄にはしません」
 スヴェトラーナの言葉に、ハイルヴィヒは安堵の息を零す。そっと、其の髪を撫でる。後ろ髪を引かれる様な心地だが彼女だけでも逃がすならば、此の方法が最善であろう。何か言いたげな三人を無視して、ハイルヴィヒはスヴェトラーナに囁いた。
「…………真っ直ぐ進むと、私が抜けてきた小さな穴があります。……其の向こう、壁伝いに行けば……きっと、何かが分かるはずです」
 己の辿った道を思い起こしつつ、ハイルヴィヒはそう告げる。柔い笑みは今、少女にのみ向いていた。或いは永遠に、此の笑みは、彼女のためだけに。
「……白百合の香りにどうか、ご注意を」
 口づけてしまいたかった、其の柔らかな唇に触れたいと本能が叫んでいる。噛み付くように、其の全てを欲している己が、心の何処かに確かに存在している。白い肌に、赤はよく映える――など、何故、今。
「……ええ、約束するわ、ハイルヴィヒ。だから……また、あとでね」
 凛、としてなど居ない。柔らかで、今にも崩れてしまいそうな。けれども甘く、優しい声だった。スヴェトラーナの水宝玉の瞳には今、ハイルヴィヒ以外映っていない。映さねばならぬものは多くとも、少女の瞳にはハイルヴィヒ・シュルツ以外の存在は拒まれていた。愛しい、とふと思う。許されるなら永遠に、白百合の安寧に包まれてしまいたかったというのに。其れは今叶わない。早く、と言いたげな男の視線など無粋と思えど尤もな主張だ。長いようで手短な別れ。これが永遠となるか一時となるか、奇跡に賭けねば選択は明白。

「……参りましょう、奥です」
 ハイルヴィヒのそばを離れ、“おにいさま”達のそばへと歩み寄る。足音を出来るだけ立てないように、静かに。息を殺す。囁くような声はそれでも何処か、甘さを孕んで。皆の反論を、少女は其の柔らかな視線で遮った。わかっている、そのくらい、言われずとも、彼女が――彼女がきっと、囮としてはあまり役に立たない事くらい。下手をしたら一撃すら加えられず終いかもしれない。震える銃口では平素の様な射撃は難しかろう。装填の暇もないかもしれない。一瞬で、事が終わってしまうかもしれない。
「……おい、お嬢ちゃん」
「其れ以上、其れ以上どうか……」
 何も、言わないで。男と言葉を遮るのは今にも溢れそうな水面を湛える少女の瞳だった。怯えるように伸ばす手は何処にも触れることはない。振り向かず少女は歩みゆく。或いは一人であったとしても、向かうべく場所ができたならばそれで、いい。駆け出したい衝動を飲み込んで、振り返らず少女は、歩を進める。

「……ユースチン殿、ちょ〜っとめんどくさい事になりそうですよ」
 書斎で書類と睨めっこしていたベケトフ当主の元に、鈍い金の髪をした青年が歩み寄る。びっくりしたぁ、なんてわざとらしい言葉を零す当主に、青年は肩を竦めた。
「……ま、ユスチン殿なら、大凡面倒の正体もご理解なさっているでしょうけど」
 其の言葉に、当主はシルバーグレイの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。モノクルの奥の、淡い色彩の瞳は困った、と言いたげに細められている。
「……わかってるけど、一応報告を」
「はいよっと」
 青年の口から紡がれるのはおそらく屋敷が監視下にあるという事、気の所為ではないだろう。情報は力、少なからず武力で劣るならば、其の程度はできて当然といわんばかりに。かと言って無闇矢鱈に其れ等に手を出すわけもない。或いは、静観ともとれるのだろう。――事実を前に、憶測を最後に添えた青年の言葉に、当主の顔ばせはやや、険しさを増す。
「……僕らは中立、というか僕は中立。何があっても……守るべきものを正しく守らなきゃいけない」
 決意、と言うほどでもない。ただ彼にとって、当たり前のこと。ただ唯一揺らがない、此の家に通づる、意思を。
「……我が領地、我が領民に、危害が及ばぬ様……立ち回ってみせるさ」
 紡がれる言葉は穏やかに、けれどふせられ、再び開く瞳には――穏やかならざる光が、一筋。実力行使などもってのほか、されど言いなりになどなれやしない。何処まであがけるかなど正直未知数ではあるが、それでも。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.149 )
日時: 2018/04/27 12:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 限りなく鈍色に近い空は重く、色彩を失っていた。シェスターンにてバッヒアナミルが散々に斬り殺したナヴァロの兵の骸のような色だ。血の気を失い、雨水を吸い無様に膨れ上がった死体が脳裏に浮かび上がる。切り裂かれた傷口は腐り、肉が海松色に変色していた。そこに湧き上がる蛆はただただ腐肉を食らうべく蠢いている。一歩間違えば自分もそうなっていたと思えば、バッヒアナミルは顔を顰めざるを得ず、今もこうして生き、歩んでいられる事に安堵を抱きながら、未だ痛む右胸の傷を擦り、自分を救ったバシラアサドの後を追う。自分達が死したならばどうなる事だろうか。アゥルトゥラの者達と比べ、明らかに浅黒い肌はどう変わっていくのだろうか、そしてバシラアサドが死んでしまったらどうなるだろうか、と疑問を抱く。セノールは指導者を失い、狂った独楽のように不規則に乱れては自壊を遂げる事だろう。今を生きるセノールにバシラアサド程、民衆を引き付け心酔させ、扇動出来るだけの者は居ない。天賦の才だったのだろう。しかし、彼女には自分で力を用い、血と暴力を以ってして、道を開くだけの力はない。だからこそバッヒアナミルも悲鳴を上げ続けている身体に鞭を打ちながら、彼女と共にあるのだ。自分が矛となり、血の道を開くべくだ。
「どうした」
 少しだけ歩調の鈍いバッヒアナミルへと振り向き、バシラアサドは問う。何処か怪訝な表情を浮かべて見える彼女だったが、すぐに何時もの思い詰めたような表情の薄く、硬い顔付きが戻ってきていた。
「あぁ、いえ。何でもないです」
 そう答えるバッヒアナミルであったが、何処か歯切れが悪くバシラアサドからすると彼が余計で、全く意味のない事でも考えていたのだろう、と察しが付いた。彼女はそんな彼を鼻で笑う。
 バッヒアナミルの疑問であったが、バシラアサドは自分が死ぬとは思ってもいない、仮に死んだとしてもその先の事など微塵も感心はない。弔われたならば先人達と同じ道を辿るだけ。戦地にて死したならば、肉は腐り、野へ還り、骨を曝しては誰なのかも分からないまま捨て置かれるだけの事なのだ。死は必ず訪れるものだ。万人に等しく、足音を立てながら近寄ってくる。拒めど、拒めど寄って来るのだ。逃げ切れず、逃げられず、追って来るものなのだ。だからこそ、生を望み、死という物を恐れ、忌憚し続けなければならない。それが今を生きる者の義務である。
「死ぬって……怖い事ですね」
「あぁ、その通りだ。だから護衛を付けずに私は外を歩かないのさ」
「此処なんて何の"匂い"もしないんですけどね」
 ボリーシェゴルノスク、小規模ではあるが、風光明媚な街である。運河に接している故に港湾設備を持っている程度。ナヴァロの息が掛かった物も居なければ、既得権益が自分達を敵対視する訳ではない。だからこそ、バッヒアナミル"匂い"がしないと言ったのだろう。尤もそういった危機感を抱かない状態であるからこそ、ナヴァロは関与を断っているのだろう。彼等とてクルツェスカに根付いた真新しい貴族であり、クルツェスカ以外に感心がなく、自力で渡り合おうというだけの気概を持ち合わせていない"持つ者"でありながら"持たざる者"と同じく振舞う彼等と歩調を合わせる気はないのだろう。ジャッバールからの兵站に対する妨害を受けているのなら尚更である。
「……非武装中立というのも恐れを知らないように思えて馬鹿げて見える。中立を保つならば、誰よりも強い兵を、誰よりも多く持たねばならんというに。メイ・リエリスの様に口先だけで戦っているふりをしている訳でもあるまい」
「此処が国境に接していないというのもありますが、所詮はクルツェスカの衛星都市ですからね。いざという時の貯えは求められるはずですが……」
「お前はハイドナーを忘れたか?」
「あぁ、いえ。しっかりと覚えていますとも。是非──殺してやりたかった」
 寒風に彼の長い髪が靡き、整った顔立ちと穏やかな表情が絵になるようにも思えたが、吐き出す殺意に塗れた呪詛は何処かおぞましく、憎悪に溢れた物であった。武門の者達は大方が彼と同じような反応を示す事だろう。咎を認めたからと許したジャリルファハドが異質であるのだ。
「そも本を正せばベケトフはヴィムートの馬糞崩れだ。アウルトゥラの中ではあまり信用はない、そこはナヴァロも同じだ。アイツ等とてクィーフスからの流れ者だ」
 アゥルトゥラにはどれだけの時間が経とうとも、払拭しきれない差別感情がある。血こそ薄れ、アゥルトゥラやカルウェノと大差が無くなろうとも、その歴史は拭えず、古くからの貴族や彼等を配下とする王族達からは重用されなかった。だからこそ、運河建造にこそ関与しても戦争では重用されず、各方面からのイデオロギーに染まらなかったのだろう。尤もナヴァロはならず者であったが故に国内に置いておくには危うく、インフラなどの整備には使われず、戦争で重用されたのだが。
「真の中立が有り得んという事ももう分かっているだろうさ。ベケトフの敵は我々ではない、真なる敵は領民と商人だ」
 そう言い放ち、バッヒアナミルへと振り向いたバシラアサドの表情は悪辣で、業悪を孕んでいるように見えた。まるで全てを見透かし、想像しうる事態全てに対し布石を打ち終えているかのようだ。それがバッヒアナミルからしてみると空恐ろしく、彼女が腹の中に飼い続けている悪魔が全てに火を放ち、牙を剥きながら嗤っているようにも感じられるのだ。実父、実兄を殺め、クルツェスカへ至り、多くの既得権益を滅し続けるにつれ、子であったはずの悪魔はすっかり成長しきってしまったのだろう。自身もまたそれを飼っているという自覚こそ在れど、バシラアサドには劣る。それでも尚、自分は彼女に付き従うのが意思であると言い聞かせるのだった。


 これが貴族の屋敷か、と思わずバッヒアナミルは息を呑む。クルツェスカの貴族達は豪奢な物を好まない傾向があった。中には例外も居るが、そういった者達は最前線の城塞都市だというのに武働きをする訳でもなく、仮に私兵を持っていたとしてもハイドナーのように寄せ集めで、小規模な物だった。ベケトフについてはそこまで豪奢ではないのだが、どこか整然としていて人の息衝くような雰囲気が希薄であった。
 突然の来訪であったが、二人は応接間へと通された。時折、扉の向こう側から気だるげそうで、やや物憂げにも見える青年が様子を伺うようにちらちらと視線を投げ掛けていた。それがバッヒアナミルには不愉快なようで、彼はその視線に気付くなり顔を顰めてはその青年を睨み付けている。虎というよりは猛犬のようだとバシラアサドは苦笑いをしつつ、静かにユスチンが来るのを待ち続けていた。
「ジャッバールの方々。もう暫く待って下さい、あと三分もしないうちに来ますから」
 青年が扉から顔だけ出して、そう声を掛けていく。「幾らでも待つ」とだけ短くバシラアサドは返答しては、ぼんやりと外を眺めていた。整然とし、人気もなく、それで居ながら塀に囲まれているこの屋敷は外からの目が届きにくい。恐らくハサンの兵達は窓の外から様子を伺う訳でもなく、屋敷の中へも侵入しているだろう。であるから、屋敷の人数、令嬢と護衛の不在まではっきりと伝えてきているのだ。彼等を敵に回す事がなく、自身の配下へ組み込めて良かったと内心、胸を撫で下ろしていた。
「いやぁ、ごめんごめん。突然来るもんだからさ、身支度がね」
「気にする必要はない。……我々も船台が出来上がった報告に来た次第。それともう一つ語らねばならない事があってだな」
 席に座り込みながらユスチンは怪訝そうな顔をしながらバシラアサドを見つめていた。ジャッバールが密偵を放ち、此方の動向を伺っているというのも何かの武力を伴う行動の前準備だと思っていたからだ。圧倒的な武力を持っていながら、用意周到かつ慢心の一切見られない彼女達だからこその行動ではないとしたら、その真意は推し量れそうになく、ユスチンは疑問と猜疑心を抱く。何が企みだと、表情は穏やかなまま思考が巡り、巡っていく。
「……我々に運河の使用権を承諾し、造船所の建造を了承したが故、クルツェスカ、コールヴェンの商人達からボリーシェゴルノスク、引いてはベケトフへの不信感が出ている。今の今まで中立を保っていた者達が我々へと尾を振ったとな。このまま状況が悪化すれば領民からの支持も失うだろう、何せ生活が成り立たなくなるのだからな」
「君達に組するだなんて……そんな事はないんだけどねぇ」
「実態はそうであったとしても、事情を知らぬ者達からしてみればそう見えるのだよ。我々が新しい風を吹き込んだのも事実であろうが、それは既得権益からしてみれば逆風でしかないのだ。ベケトフは今に岐路に立たされよう」
 その言葉にユスチンは首を傾げながら恍けたような素振りを見せる。昼行灯を演じるか、とバシラアサドが彼を睨み付けながら、口角を僅かに吊り上げていた。どちらに付くかを選べと選択を迫っているのだ。既得権益に座す商人達からの不信感があるのも事実、商人に尾を振ればジャッバールと敵対する。また彼女達に尾を振れば商人達と敵対する事となる。どう足掻いても損失は大きい。血が流れるか、ボリーシェゴルノスクが突然衰退するかの何れかである。
「君達は最初から分かっていたんだね」
「さて、何のことやら。私達はあくまで西方交易路の延長線上として運河を使っているだけの事。まさか、今更手を引けなどと言うまい?」
「随分と毒の実は早く育ったみたいだね、君達の手で商人を黙らせるようなことは出来ないのかい?」
「我々を良く思わずとも、彼等は私達と関係を断てば多大な損失を負う。商人というのは強欲な生物だと知っているだろう? ロトス・ハイドナーを思い出せ、あの業突く張りを」
 実際は商人達の不満、不信感を払拭する事は出来るのだろう。それも血を流さず、ただの一声でだ。だというのにバシラアサドは暗にそれをはぐらかすように言葉を返してくる。どうにも弱った、とユスチンは苦笑いを浮かべている。此処で引き下がればジャッバールはベケトフの不義を大声で叫び、糾弾する事だろう。事と次第によっては家人がおかしな死に方をする可能性もある。娘の顔が脳裏に思い浮かぶのだ、ジャッバールがクルツェスカに根差している以上、スヴェトラーナへと危害が及ぶ事も十二分に有り得る話だろう。
「……参ったなぁ」
 四面楚歌どころではない、八方をすっかり塞がれてしまったように思えるのだ。この状況で方々へ助け舟を求めても相手が悪すぎると見向きもしない事だろう。まさか此処で非武装中立という思想が悪く働くとは思っても居なかったのだ。
「はい、あの。ちょっと良いですか。事を深刻に考えすぎじゃないですか? いえ、アサドはこんな感じに言ってますけど、今のままでは危うい。どちらかを選ぶなら早い内にしておけというだけの話なんです。勿論、我々は切られたらその不義を糾弾します、ただ商人達も同じ事をするでしょう。俺は商いをしている訳でもないですけど、そうなるって事はよく分かるんです」
「……えー、護衛の君。名前は?」
「あぁ、すみません。バッヒアナミル・ナッサル・サチと申します。今回はアサドの護衛として来させてもらいました」
「なるほどね、君はそう簡単に言うけれど、僕等は此処に根差してからずっと中立を保ってきた。今更、どちらかに付けと言われてもそれは難しい話なんだよ」
「簡単じゃないですか、どちらかを選び、どちらかと戦う。俺はジャッバールをおすすめしますけど? 俺達は強いですから、アゥルトゥラなんて一噛みです」
 稚拙な言葉で意識もせず毒を盛ると、バッヒアナミルを忌々しげにユスチンは睨む。バシラアサドのように隠し切れない悪意が見えている訳ではない。確かにジャッバールは強いだろう、半世紀も昔の戦争。その中で唯一アゥルトゥラに完勝し続けたサチの武門の最大勢力だ。そこに合流した他の武門の者達も居る。彼の言う事に嘘、偽りは微塵もない。だからこそ、ユスチンは苦しめられるのだ。
「本当ですかぁ? 貴方みたいな優男が強いとは思えませんけど?」
 扉の向こう側から顔だけだして、先ほどの青年がバッヒアナミルを揶揄していた。優男と称された彼に対し、バシラアサドは肩を震わせながら「その通りだ」と笑っていたが、当の本人はコンプレックスを刺激されたのか、不愉快そうに青年を睨む。
「……試してみます? 後悔しますよ」
「ナミル、止せ。……ユスチン殿。ベケトフは選択をしなければならない。これは確かな話だ、我々と戦うというのであれば今すぐ此処でその意思を示してくれれば良い。根絶やしにするだけの事。商人と戦うというのであれば、我々は助力をしよう。それが更なる戦の呼び水となろうともだ」
 バッヒアナミルを制し、バシラアサドは厭に穏やかな表情で語る。どちらかを選ばなければ先がない。一か八かでの勝負、博打をしなければならない。その事にユスチンは顔を顰めていた。何処と無く老け込んだように見える彼の思考は回っていく。そうした末に非武装中立とて大きな流れの中で博打をしているのと変わらないと、自虐的な結論に行き着き、薄っすらとした苦笑いを浮かべているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.150 )
日時: 2018/05/02 07:34
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 傷を縫い終え、額に浮かぶ汗を拭いながらジャリルファハドは大きく溜息を吐いた。縫われ、塞がれたばかりの傷を睨む。まだ暫くは癒えないだろう、傷を漸く癒したばかりだというのに面倒な事になった、と諦観したように項垂れては背を向け、鉗子や錦紗を片付けているルトを見据えた。
「もう少し早く癒えんのか」
「はぁ? 無理難題を言うんじゃあない。お前が人間止めて化物にでもなるってんなら俺の手当ても要らないだろうな。ただ、そんな事は有り得ない。どんなに猛り狂ったって人間だ、所詮は人間だ。傷一つで苦しんで、下手したら死んでしまうんだ、そもそも──」
 何時の間にかジャリルファハドの眼前まで迫り、ルトはべらべらと説教を垂れている。始まった、と彼から目を逸らしては俯き、目を閉じただただ縦に相槌を打つばかり。聞いた所でどうしようもない、自分の身を案じろという説教を聞き入れてしまえば、己の歩みは止まるだろう。自己の保身に走り、守りに徹する。兄のような人物が親身になって言い聞かせてきたとしても、その言葉の通りに生きようとしては刀は錆び付き、血の匂い、闘争の匂いすら嗅ぎ取れぬ程に鼻は鈍る事だろう。
「……ルト、そうも出来ん。分かってくれ」
「お前もアサドと同じだ、アイツは民を背から押し滅びる、お前は民よりも先を駆け死ぬ。少しゆっくり歩け、馬鹿野郎」
「あぁ、事が全て終わったらな」
「そん時にはお前は屍だ、微塵の肉も残さないただの屍だ。死んじまったらゆっくり歩く事も出来やしない。歩みが止まっちまうんだぞ」
 そう語りかける彼の表情は何処か翳りを帯び、説教を垂れている最中からずっと持ち続けていたであろう鉗子を握る手が微かに震えていた。ムミート、死を齎す者という物騒な姓を持ちながらも、随分と優しい男だとジャリルファハドは目を細めながら彼を見据えていた。だからこそ、ハヤと上手く関係を結べたに違いない。粗暴ながらも懐が広い男と非凡な秀才であるが、視野が狭く粗暴で粗野な女。二人の刃車は上手く噛み合ったのだろう。
「それでも、だ。すまない事をした。……それと助かった、礼は何れ。必ず」
「やめてくれよ、水臭い。そんな礼なんて要らないぜ、これは俺の仕事だからな。それでも礼をくれるってんならよ。そうだな……アサドの手伝いを一つだけしてくれよ」
 バシラアサドの手伝い、余り良い言葉に聞こえなかったがルトの面子を潰す訳には行かないと彼へと視線を向けた。漸く鉗子を片付け終えたのだろうが、相変わらず彼の手は震えていて、静かな怒りとも悲しみとも取り難い感情が渦巻いているのだろう。
「何だ?」
「単純さ、レゥノーラの掃討だ。近々ジャッバール主導で事を起こす。その指揮を執ってもらいたい。他意はない。……いや、あるっちゃあるんだ。お前とアサドの仲違いを少しでも解消出来たらと思ってな」
「アサドに示すべき忠義はない、ただ手当ての礼はしなければならないだろう。……少し考えさせてくれ」
「ガリプから合流した兵達も喜ぶ、お前の存在は大きいんだぞ。お前が思っていり以上にな!」
「っ……折角縫った傷を叩く奴があるか」
 傷を掌で叩かれ、思わずジャリルファハドは苦言を呈した。だがしかし、内心ルトからの申し出は有り難い物に思えるのだ。何故ならばバシラアサドへ接近する機会、口実が出来たからである。ジャッバールの現状を探り、本当にアゥルトゥラを攻めるべく軍備の再編を進めているのか探る事も出来るだろう。事と次第によっては瀬戸際で止める事も可能かも知れない。
「悪い、悪い。ついな、つい。……ファハド。コイツをリエリスの娘さんに渡しといてくれ、薬だ。しっかり塗っておけとな、痕が残ってたら可哀相だろう? それと、ミュラとか言ったか。あそこに掛けてる外套を持っていけ、ずっと寒い寒い騒いでたじゃあないか」
「何から何まですまない、恩に着る」
「いいって事さ、ほら行った行った。俺は忙しいんだ、お前にいつまでも構ってる暇はないんだよ」
「患者など居ないではないか」
「あー、そうだなぁ。さっさと帰れ」
 ルトに促されるまま壁に掛けられた外套を手に取り、ジャリルファハドは薄ら笑いを浮かべたまま頷いた。何時もの凍りついたような人間味の感じられない笑みではない、何処と無く穏やかで人間的な笑みであった。忙しいと追い払いながらも横目でそれを見てはルトも小さく笑っていた。優しい男へと頭を垂れながら踵を返し、ジャリルファハドは去っていく。囲いを一枚隔て、実の兄のように慕った男と別れ、彪はただただ平静を取り戻しながらミュラを見据えた。
「お? 終わったのか」
「あぁ、待たせた。帰ろう。……ソーニア、大丈夫か?」
「えぇ、もう夜だからね。ばっちり見えるわ。それにしても何なんだろね、これ」
 彼女は首を傾げていたが誰も答えを述べる訳でもなく、沈黙が三者の間に広がっていた。ソーニアは壁に立て掛けられた鏡を黙って見つめている。深く、濃く暗い赤髪と同じくして赤い瞳はどうにも彼女が人で無くなったかのように感じられ、ミュラは僅かに身震いをしていた。寒いとか、そういった話ではない。だというのに、ジャリルファハドは左手に持った外套をミュラへと突きつけてる。
「ルトからの餞別だ、クルツェスカは冷える。着ておけ、女が身体を冷やすな」
「あ、あぁ……」
 どうにも的外れなジャリルファハドの言動に呆気に取られながらも、外套を受け取ってはそれを羽織る。セノールの人間が着ている防寒具によく似ており、ジャリルファハドから借りた薄手の外套と重ねる事で冬の寒さも凌げる事だろう。
「良かったじゃない、セノールみたい」
 ソーニアの一言にハヤの言葉が脳裏を過ぎる。「あんたが死のうが私にとってはどーでもいいんだわ」稚拙な言葉に含まれた悪意、害意は果てがなく、恐ろしげに感じられた。赤い唇、赤い爪化粧、それは血で塗りたくられた物にも思えるのだ。得物を携え、サチの兵のように戦場を駆けずり回っては敵を殺し、己の身を擲つような狂気ではない。彼女の狂気は一生掛けても理解出来そうにない、そうミュラは思い口を閉ざしていた。
「ミュラ?」
「私はセノールじゃないから」
「そうだな、お前は何者でもない」
 不味い事を言ったかとジャリルファハドを見遣るも、彼は静かに笑っているだけで、その様子が何処と無く嬉しげに見えて仕方がなかった。彼の語気も穏やかで、何時もの冷淡とした声色でもない。何故か安堵を覚える物だった。
「取り合えず……帰ろうぜ」
 ミュラの号令に二人は短く返事をしていた。扉の取っ手に手を掛け、部屋から出て行く前にルトへ向け、一礼をすると囲いの向こう側から手だけが出て、ひらひらと振られていた。セノールらしくない人だ、と思いながら彼女は部屋を後にしていく。ジャリルファハドは何も述べず、ソーニアは短いながらもセノールの古語で礼を述べていった。そんな三人を囲いの向こう側から見据えながら、ルトは穏やかに笑みを浮かべているのだった。


 漸く家に着き、少し草臥れた様子のソーニアはソファにその身を投げた。彼女の身が僅かに跳ね、うつ伏せになっては何やら呻き声を上げている。呆れた様子でジャリルファハドは彼女を見据えていたが、何も言及する訳ではなく仕方ないか、と目を瞑っていた。
「部屋の中も外と対して変わらないじゃん!」
「仕方ないわよ、底冷えするの。底冷え」
 悪態を吐き合う女二人を他所に何も語る事なく、ジャリルファハドは竈に薪を放り込んでは火を点けるべく、火打石を叩き付けていた。藁に点いた火を消さないように慎重に置いては、どこからかソーニアが持って来たのだろう雑用紙の切れ端を何枚か丸めて投げ込んだ。カシールヴェナから来たばかりのジャリルファハドは紙をこんな使い方するとは思っても居らず、最初は戸惑いを覚えたのは言うまでも無い。セノールからしてみれば紙はそれなりに貴重な品なのだ。そこでアゥルトゥラとの工業力の差を思い知らされたのだった。
「今じきに部屋も温まる。少し堪えろ」
「そういうけど寒くないのかよ?」
「耐え忍べ」
 結局は寒いのか、腑に落ちないと言いたげな表情を浮かべながらミュラは外套の袖に手を隠した。指先がどうにも冷える、冷えに冷えて仕方が無い。よくソーニアやジャリルファハドは手を曝したまま居られると二人を見回した。台所の少し奥まった方の椅子に座り込んでいるジャリルファハドは手は愚か腕まで曝している。困惑しながらソーニアへ視線を向けるも彼女に至ってはコートの下は半袖の衣服という状況で苦笑いせざるを得なかった。
「それ、寒くないのかよ」
「え? えぇ。私暑がりだから……」
「砂漠なんか絶対無理だろ、死ぬ」
「まぁ、夏は"いつもの"着てるからね、案外平気よ」
 彼女のいう"いつもの"とは例の何故か冷たい布で作られた外套であった。膝丈まであるような長さだったが、夏場でもソーニアはいつも前をしっかり締めて着込んでいる。見てくれが暑苦しく見えるが、いつも平然とした様子だった。
「便利だなぁ」
 冬は寒さに強い身体を持ち、夏の暑さを凌ぐべく道具を持っている。少しだけ羨ましく思えた頃、ジャリルファハドが竈の中に薪を更に放り込み、その音にびくりと肩を震わせる。その様子がおかしかったのか、彼は俯き加減に笑っているようで気恥ずかしさを覚えながら再びソーニアと向かい合った。
「なぁ、本当に目はなんともないのか?」
「明るいと何も見えないだけよ、目を瞑ってても光は分かるし、日中でもはぐれなかったら大丈夫」
「ふーん、そっか。……本当だよな?」
「ミュラに嘘吐いたって仕方ないでしょ」
「ま、まぁそうだけどさ」
 ソーニアの身を案じ、あれよこれよと彼女を質問攻めにしているミュラの様子がおかしく思え、ジャリルファハドは思わず苦笑いを浮かべていた。彼女はやはり心配性というよりも、純朴さから来る人の良さを隠し切れないのだろう。問うた所でソーニアの目が元に戻る訳ではない、寧ろ本人が平然としているのだから余り騒ぎ立てるものではない。そうであったとしても、ミュラはそれを止められず思いを口にしてしまうのだろう。身の丈、体躯は大人でソーニアよりもしっかりしてはいるが、中身は年不相応なのだろうと、結論付けながら静かに竈へと薪をくべるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.151 )
日時: 2018/05/11 23:35
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 ハイルヴィヒの言うとおり其処に道は有った。獣の鼾ようにごうんごうんと音を立てて地下へと続く階段がぽっかりと口を開けて待ち構えている。篝火さえ届かない暗闇が広がっており、何があるか、起こるか分からず、降りることが躊躇われる。三つの視線が背中に突き刺さる。選択は一つ。彼らは地下へと潜る。危機を脱するための一時凌ぎであることは重々承知しているが、更に彼らの巣穴の奥へ進むことになり、レゥノーラと遭遇する確率が高まるだろう。少なくとも戦力にならないスヴェトラーナは地上に返す必要がある。また、ハイルヴィヒもここを通ったのだろう。等間隔に垂れている血の跡を辿り着いた先にはだだっ広い空間が広がっており、天井の一部に穴が開いていた。少し苔蒸している石の破片が無造作に積み上げられ山になり、特に大きい血溜まりがそこにあった。ハイルヴィヒは恐らく此処に落ちたのだろう。上を向けば先ほど自分たちが覗いた場所が見えていた。
「昇降機が近いな」
 背後を歩いていた傭兵が縒れた煙草に火をつけながら呟いた。確かに、耳を澄ませばワイヤーが軋む音、籠が風を切り上へと向かう音が聞こえる。では、それならば何故、ハイルヴィヒは昇降機で登ることを選ばなかったのか。単に聞こえなかったか、若しくは、ガウェスの隣に立つ少女のせいか。仮に昇降機の場所まで向かえば助けは得られ、治療を受けられよう。しかし、そこに取り残されているスヴェトラーナはどうなる。イイコに待っているはずだったスヴェトラーナの元へ自力で戻ろうとしたのか。仮にそうであるならば、彼女のお嬢様へと信頼と忠誠が凄まじい。もしも彼女が貴族の男性だったなら、立派な騎士になっていただろう。
 昇降機までの道のりに血痕はなく、やはりあれは彼女が垂らしたものだったかと思わず立ち止まる。振り向けば傭兵が二人、その後ろを追従するような形でスヴェトラーナがいた。どうにも右足を引き摺るように歩く少女にもしやとガウェスは一つの仮説を立てた。躊躇うスヴェトラーナを説得させ靴を脱がせ、靴下を取り払い足の裏を確認する。親指の付け根がぷっくりと膨れ白くなっている。
「どうしてこのようになるまで何も言わなかったのですか?」
「皆様に迷惑をかけてはいけないと思ってしまい、どうしても、言い出すことが出来ませんでした」
 しゅんとしょぼくれたスヴェトラーナをこれ以上に叱ることも出来ず、ポシェットから新品のガーゼと包帯を出す。チラリとスヴェトラーナを見ると顔を横に逸らし、顔を見ようとしない。罪悪感と足を晒すことへの羞恥か、手で顔を隠し、耳まで真っ赤に染めており思わず苦笑する。本来ならば針などで幹部を刺して血や水を出してマメが大きくならないようにしなければなるまい。だがそのような暇はない。ここはいつ、口を閉じられるか分からない獣の口の中。早急に脱する必要がある。ガーゼを当てて簡易なテーピングを行う。良くはならないが、多少は歩くのが楽にはなるだろう。戻ったら医者に診せるように念を押して手を取るとゆっくりと立ち上がらせる。一瞬痛みで蹌踉めくも、丸太のような腕がそれを支える。ばつの悪そうな顔をして「すいません」と頭を下げて離れる。おぶらなかったのは不測の事態に備える為だ。
 治療を終え歩き始めた矢先、鈴のような声がガウェスに話し掛けてきた。
「ここへ来て、長いのですか?」
 よもや話しかけられるとは思っておらず、少しだけ返答が遅れた。
「えぇ、まぁ。それなりにこちらにいましたから」
 大学を卒業し、ロトスから家督を相続してすぐに、彼はこの仕事に従事した。部下を引き連れ、カンクェノに潜りレゥノーラを狩っていたときのことを思い出す。管理とは名ばかりで賢者の石ばかりを求め、無茶な戦い方ばかりをしてきた。しかし、何も守れやしなかった。名ばかりの騎士によくも付き合ってくれたものだ。なけなしの感謝と無茶をさせてしまったことへの謝罪をする前に彼らは天の国へと召されていった。それとも他者を殺し、生き延びてきた彼らは地獄へと堕ちるのか。
「貴方は此処へ何しに?」
 哀愁打ち消さんとばかりに今度はスヴェトラーナに問う。しかし、彼女からの返事は沈黙のみ。背後を振り返ってみようかと思ったが、段差があるので断念し、利かない目で通路の先を見遣る。
「同じような質問をソーニア様にもされたことがあります」
 スヴェトラーナの表情は見えない。それでも彼女の口調からは戸惑いと迷いが感じられた。さらに詳しく聞き込もうとしたが、返事はなく、違う話題でも振ろうかと考えていた矢先、ついにスヴェトラーナが口を開いた。
「答える間もなくソーニア様は……いいえ。あれは答える暇がなかったのではなく……答えられなかったのではと、そう、思うのです……。貴方様にするお話ではないことは重々承知しています。でも、ですが、私は……」
 彼女らしからぬ、語尾を荒げた口調。重要な何かを言いかけたその時、通路を抜けて昇降機を待つ別の団体と出くわした。何と言っていたのか、か弱いスヴェトラーナの声は雑踏に吸い込まれて消えた。また、レヴェリ人の男性がおり、一瞬ジャッバールの雇兵かと肝を冷やしたが、学者に雇われているだけの傭兵らしい。ガウェスが肩を揺らすとそうビクつくなと男は笑う。男が白い肌に赤い瞳、二ヶ月ほど前、共に廓に潜った少女を思い出す。彼女は今、どうしているのだろうか。ガウェスはふと気になった。
「カウルレヴェリ、ですか?」
「ほお、よく分かったな」 
 袖を捲るとカウルレヴェリには珍しく、赤銅色の鱗が生えていた。カウルレヴェリとは、アゥルトゥラの南東に住まうレヴェリの一派である。羽毛や鱗が生え、小柄な者が多く、飢えや渇きに強いのが特徴である。もちろん、レヴェリらしく普通の人間よりも頑強である。
「知り合いのカウルレヴェリにそっくりでして」と言えば納得したように何度も頷いている。レヴェリ人は少数民族ゆえ、同じ民族間の者ならば繋がりが強い。とくに同じ人種、同じ一派なら猶更その絆は強いのだろう。
「一応。同じレヴェリだからな。彼女はまぁ、気の毒な子さ。幼いうちに両親を殺されて、レゥノーラを殺すことばっかり考えて。ようやくカンクェノに入ったと思った矢先、レゥノーラの攻撃を受けたとなりゃあなぁ」
「亡くなった……の、ですか」
「あー、さすがにそこまでは分からないなぁ。あくまで風の噂さ」
「そうですか。ありがとうございます。助かりました」
 どちらが悪いわけでもないのに、この居心地の悪さは何のか。友達とじゃれ合っていたら肘が歯に当たったような、そんな気まずさの中、早々に彼との会話を切り上げ、壁に凭れかかっている傭兵の元へ。彼らとの契約はまだ切れていない。もう一働きしてもらわねばならない。
「さて、給料分は働いてもらいますよ」
彼らを雇う際、ガウェスが傭兵らに頼んだのはハイルヴィヒの救出である。露骨に顔を歪ませたが、破格の報酬を貰ってしまったのだ。「へいへい」と肩をすくめる二人の傭兵には終わったら酒でも奢ろうかと考え、ようやくスヴェトラーナの方を向き直る。水晶の様な澄んだ瞳にある翳りが妙にガウェスの印象に残る。
「彼女の居場所が分かった以上、貴方がここにいる意味はありません。お嬢さん、貴女はこれからあの人達と合流して地上へお戻りなさい。そうしたら宿に戻るか、若しくは屋敷に帰ってください。すべきことが済んだら我々も地上に戻ります」
 スヴェトラーナが納得できるかと言われたら否である。首をふるふると横に振る少女を見てガウェスは驚き、同時にどうするべきかと悩む。何度も茶会を招かれ、彼女と時間を共にしたことはあるが、明確な意思を見せたのが、これは初めてであった。彼女に僅かに芽を出した自我を摘むようなことはしたくない。しかし、ここで彼女を返さなければ要らぬ死傷者が出る可能性がある。彼は割れ物に触れるように優しく、丁寧にスヴェトラーナの肩を掴む。震える少女に「怖がらせてすいません」と
「この状況がどうなっているか、分からないわけではないでしょう?……貴女の気持ちは痛いほど良く分かります。ですが今は、抑えてください。必ず、あなたの従者を、ハイルヴィヒを連れて帰ります。どんな形になろうとも。だから、今回だけは、私の我が儘を通していただけませんか?」
 それでも納得できるわけがない。半身とも呼べる少女が命の危機に瀕しているのだ。「嫌だ」と明確な拒絶をしようとした時、彼女は出掛かった言葉を飲み込んだ。……ガウェスが頭を下げたのだ。それはスヴェトラーナが見る初めての懇願であった。愛しいお父様や護衛にお願いされることはあろうとも誰かに折りいって頼まれることなどなかった。(無論、そこまでする前にスヴェトラーナが了承したのも理由の一つだが)ましてそれが敬愛して止まない兄のような存在が頭を下げるなど。優越感よりも恐ろしさが少女を駆け抜け、その口を噤んだ。暫しの沈黙。昇降機がガチャンと音を立てて降りてきたことを伝える。人の波が動き、蹴られた小石が踵にぶつかり跳ねる。
「お顔を、上げてくださいまし」
――お兄様
 最後の呼びかけを声に出す勇気は無かった。代わりに傷のないスベスベとした手が無骨な男の手を包む。スヴェトラーナが上げた目線の先、翳りを知らない青空のような瞳がフードの中で爛爛と輝いている。もしもここでお兄様と呼べたなら、ぽっかりと空いた穴を多少なりとも塞いでくれるのだろうか。泣き出しそうなほど瞳を潤わせ、震える薄い唇が言葉を紡ぐのだ。「どうか、どうか、ハイルヴィヒをよろしくお願いいたします」と。

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