複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.133 )
日時: 2018/01/11 08:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 昇降機が金切り声を上げ、下へ下へと落ちていく。柵に顔を近づけすぎると鼻を持って行かれそうだ。突然、どんと下から突き上げられるような衝撃が走り、僅か体勢を崩したミュラの首根っこを掴んだジャリルファハドは鼻で笑っていた。扉が開くと同時に人垣は崩れ始め、その最後尾を追うようにしてソーニアが出て行く。早くしろ、と言わんばかりに一瞥を投げ掛けたならば、それに応じるように二人も後を追うのだった。
 カンクェノの冷えた空気に悴み始めた手を擦り合わせ、外套の袖にソーニアは手を隠した。これで少しは温いだろう。何時の間にか追い抜かれてしまい、自分の目の前を歩くジャリルファハドを見るも、彼はこの寒さを大して気にしている様子もない。腰の刀だけがゆらゆらと揺らめくばかりで、その持ち主には何の変化も見られない。
「さっむ……」
「だから上着くらい羽織ってきたらって言ったじゃない」
 そうやってソーニアに一蹴されると不貞腐れるように短く唸り、ミュラは怪訝そうな表情を浮かべるのであった。冬のカンクェノは酷く冷え込んでいる。太陽が当たらない故、当たり前の話である。
 ジャリルファハドは特にミュラへと何かを言及する訳でもなく、歩を緩めるような事もせず、ただただ歩み進めていく。三人の間には沈黙が広がっていく。小銃のストラップが擦れるような音や、ジャリルファハドの持つ散弾銃の弾から発せられる金属音と足音ばかりが鳴り響く。周囲を歩む者達は多く、彼等の言葉や息遣いすら感じられるというのに、それ等の音ばかりが耳に入ってくるのがどうにも不思議に感じられ、ミュラは小さく溜息を吐いた。不思議な感覚に苛まれて仕方がない。
 心なしか今日のカンクェノは何時もより暗く、何時もよりも重苦しい空気が広がっているように感じられた。血が流れたのは三日前の話だ、仕方のない事なのかも知れないがそれでも異常に感じられて仕方がない。何者かの来訪を拒むかのような意思が働いているかのようだ。それはカンクェノの意思か、はたまた人々の意思か。それとも筆舌、名状し難き物の意思か。誰にも分からないが、異常だという事だけは手に取るように分かる。故に心なしかソーニアの足取りは重く、彼女も説明の付かない違和感に苛立ちを覚えているようだった。
「何かしらね、この変な感じ」
「余りこの空気に慣れてくれるなよ、これは戦の前の空気だ。心地いい物ではないというのに、これは人を好みに好んで仕方ない。付き纏われて、離れられなくなる」
 冗談なのか、本当なのか分からないような感覚的な言葉であったが、ソーニアは静かに頷いていた。腿のシースに収められた鉈や肩から吊り下げた小銃。自身もまたこの空気を醸す者達と同じ格好をしているのだ。郷に入って郷に従う訳ではないが、自分もまたこの空気を醸す者達と同じ存在になってしまうかも知れない、と思うと空恐ろしくあり、そうは成るまいと自身に言い聞かせるのだった。
「しかし……これでは回り全てが敵に見えて仕方ないな」
 辺りは得物を持つセノール以外の者達が厭に多い、下層に至ったならば比率は逆転する事だろうが心なしかジャリルファハドの居心地は悪そうである。学者は捨て置いたとしても、彼等が雇った傭兵というのはどうにも、ぎらぎらとした目をしていて、それで居ながら研ぎ澄まされ、多くの肉を切っり、血を吸いに吸った刃物のような印象を宿す者ばかり。こういった者達と先人は殺し合ったのかと思えば、此処も砂漠も然したる違いは無いのだろうと思えるのだ。流れる血も、飛び散る肉もただただ赤く、人のそれである事には変わらないのだ、と。
 更にカンクェノの奥、下層を目指し昇降機を三度ばかし乗り継いでいくと、やはり人種の比率が逆転し始めていく。壁に幾つものは弾痕が見られ、レゥノーラとジャッバールが交戦した形跡が生々しい程に残っていた。壁に飛び散った血痕も残ったままである。上層の人間と比べ、此処に居るセノール達はまだ熱を帯びているようにも感じられ、普段は寡黙な者達が多い彼等であったが、ジャリルファハドを見るなりやや興奮気味で、捲くし立てるような語気で話しかけてくる者も居た。一様にセノールの言葉で話すため、ミュラは勿論の事ながらソーニアも一部分からず、首を傾げていた。
「何話してたの?」
「あぁ、挨拶程度の話だ。それとあいつ等が言うにはハヤが上に居るとな。例の七十六階だ」
 今回、カンクェノに潜ったのはソーニアがジャッバールから依頼されていた、カンクェノ内に残されていた文章の解読結果を渡す為である。現在、ジャッバールに占拠されている階層まで行かなければならない。
「ベルゲンの書斎ね、行きましょ」
 ベルゲンの書斎、そう呼ばれる七十六階。そこからは夥しい数の文書が見つかっている。ソーニアが三月ほど前に解読依頼を受けていた文書もそこから発掘された物だ。ジャリルファハドも文章に目を通していたが、彼が目的とする物は一切記されておらず、最下層に存在する聖櫃と呼ばれる物体や、全知の小人、人造人間などそういった文言が目立つ散文化された一節が記されているだけであった。これを記した者の名が文末に必ず記されており、その者がベルゲンという姓を名乗っていた様だ。それだけはセノールにも読めた様で、地下七十六階をベルゲンの書斎と呼んでいるのだ。
「それにしてもベルゲンって実在したのねって。実家の書庫も大概古い本置いてあるけど全く記述無かったし」
「十四世紀頃の書はあるか」
「いいえ、無いわ。それ以前のは全く。セノールに焼かれちゃって」
 やはりか、とジャリルファハドは苦笑いをしつつ階段を上がっていく。それもそのはずだ、クルツェスカは一度セノールの手により陥落している。その際、セノールが行ったのはクルツェスカの焦土化である。運河が未完であったため、水が無かった空堀を埋め立て、西壁を破壊。占拠後の支配を行いやすくするため、防備兵は勿論、住人も徹底的に殺害する必要があった。最も手早い手段が火を放つという事であり、その果てに失われてしまったのだろう。
「……カランツェンを除いて防備隊は弱かったと聞く。最後のガリプ直系も腕を持っていかれたからな」
「あぁ、私達は勝てなくて逃げた中、彼等が殿したって事しか知らないから。あぁ、そうそう。カランツェンの末裔がまだ居るのよ、憲兵なんだけど物凄く忙しいみたい」
「そうか、尚武な血が途切れていないのは喜ばしい限りだ。……しかし、憲兵とな。これは不味い事をしたやも知れん」
「何かしたの?」
「少し"からかい"過ぎた」
「へぇ――」
 二人が他愛もない話をしている最中、ミュラは心此所に在らずといった様子だ。彼女の視線は薄暗く、ぽっかりと口を開けている闇を向いていた。それでも彼女は一段、また一段、そして一段と階段を上がっていく。先日見た男の事が気掛かりで仕方がないのだ。というのも二人の会話に着いていくにも、知識が足らず閉口している内に思い出してしまったからだ。何処かで見たような男だった、何とも言えない既視感に苛まれ、それが胸の中に突っかかるのだ。どう二人へ問うべきか、と考えている内に目当ての階に到達してしまい、すっかりタイミングを失ってしまった。それと同時に厭にひり付いた空気が漂っているのも感じ取られ、何となくそういった行動自体が憚られてしまった。。三人の視線の先には検問が築かれ、出入り口は一つしかない上に小銃を持った兵が五人ばかり、中にも得物を携えた者達が居ると考えるのが妥当だろう。
「じゃ、ちょっと行って来るわ、待ってて」
 小銃を下ろし、鞄から封筒を取り出しながらソーニアが歩んでいく。ジャリルファハドの首肯など全く見ていない。その足取りに恐怖や遠慮は見えず、やはり肝が据わっているとジャリルファハドは感心していた。相手はハヤだ、頭も良ければ、内面は悪辣、抜け目ない上に突飛な行動が目立つ人物である。同胞ではあるが、出来る事なら近寄りたくない存在である。ソーニアの背を見送りながら、階段に腰を下ろし小さく溜息を吐くのであった。



 検問の内側は同じカンクェノだと言われても、信じられない程に整然としており、古くやや黄ばんだ針桐で作られた本棚が所狭しと並べられていた。そんな景観に不釣合いであったが、得物を持ったセノール達が大勢居る。主目的は襲来するレゥノーラに対する反撃、ハヤの護衛。恐らく居ないだろうが、検問を突破しようとする者達に対する攻勢手段としての役割も兼ねているのだろう。彼等はソーニアを見ても平静を保ち、何かをしてくるという訳でもなかった。明らかに脅威ではないと認識され、自身がまだジャッバールの庇護下にあるという証であった。故に不快感は抱かなかったが、強いて言うなら煙草の煙が充満しているのが、気になる程度の話である。
「ハヤ居る?」
「あぁ、奥の竈の所に。あいつ寒い、寒いと騒いでいてな、朝から離れようとしないんだ」
 ソーニアに問われた男は苦笑いをしながら奥を指差す、僅かに開かれた扉の向こうにハヤは居る。ある者には親しい友人として。ある者には怨敵として。ある者には一介の技術者として。思えば彼女には多数の顔がある事に気付きながらも、歩み扉を開けば火に当たる彼女の姿があった。丁度、薪をくべていた様でソーニアに気付くなり、火の中へと薪を乱暴に投げ込んだ。
「久しぶり」
「おー、態々こんな所までご苦労さん。寒いから当たってきなよ。そうだ、例のアレ……どう?」
「意味分からないって所ね。まだ誰も到達してない最下層、万能の小人、人造人間? 何よそれって感じ」
 封筒に入った文書がハヤに突きつけられるなり、彼女は訝しげに受け取り、首から吊り下げた眼鏡を掛けた。何時ものように薄っすらとした化粧に赤いアイラインと、指先の爪紅が褐色の肌に映える。眼鏡の向こう側の青味を帯びた黒い瞳が忙しなく動いている、恐らくはただ流し読みをしているのだろう。まだ熟読には及んでいない。そもそも、彼女は人前で何かに集中する事はない。必ず追い出されてしまう。無防備な姿を他者に曝すのは美徳ではない、というセノールの独特な考えから来る行動だった。
「人造人間ねぇ、昔のアゥルトゥラもおかしな事を考えるよ。人間なんて孕んだ末、腹から出てくるだけでしょう。事に至らず、時も掛けず人間が出来上がるだなんておかしな話だよ。しかも万能、万能だよ? 人間は人間より優れた存在を作らないのさ、これは神の領域の話じゃない?」
「……ベルゲンは確かカルウェノよ?」
「どっちでも良いよ、私達からしたら。アゥルトゥラもカルウェノも同じ」
 それだけ言い捨て、ハヤは茶に口を付けながら、再び翻訳が書き足された文書に目を通していた。彼女の言う通りアゥルトゥラとカルウェノに対する明確な区別はもう既に形骸と化している。両者の混血が進みに進み、純粋なカルウェノは数える程しか存在しない事だろう。時折、難しそうな顔をして眼鏡を弄んでいる彼女を一瞥し、ソーニアも壁際に置かれた椅子に腰を下ろした。辺りを見回していくと古書が彼方此方に収められており、それらの背表紙には朱書きでチェックが飛ばされており、ハヤ等も独自で解読を進めていたと考えられる。何らかの意図からか自らで解読を解き進めたかったのか、それとも単なる彼女の気紛れか。
「ふーん、それじゃ当時のカルウェノは神をも恐れず、自分達より優れた存在を作ろうとする愚か者だったのね。まぁ、良いさ。私たちも異教の神は恐れるに足らず、その神も信徒も鏖殺とし、優れた者はより優れた者で叩き潰すんだ、刃が届かないなら届くまで刺すだけさ」
 ハヤから発せられる言葉は、どこか興奮しているようで彼女の底の浅さや、悪辣さが僅かに顔を覗かせたようだった。セノールは突然、凄む事がある。ジャリルファハドにそういった面は見られないが、どうにもバシラアサドやハヤは時折そんな面を出す事もある。ソーニアはそれが少し苦手に思っていたが、特に何も言及せず顔に不快感を出さぬように努めるのであった。
「本当に神を恐れないのはどっちかしら」
 それでも皮肉を一つだけハヤにぶつけたならば、彼女はニィっと笑いながら眼鏡を外す。本当に神を恐れないのは自分達だと言わんばかりに、傲岸不遜に笑っているように見えて仕方なかった。その笑顔が消えると同時に目を指先で軽く抑え、わざとらしく天井を見上げて、小さく唸り声を上げていた。
「……最近、近眼が酷くてさぁ。人造人間作って? そいつの目を私の目と挿げ替えたらマシになるかなぁ」
「歳かしらね」
「失礼な、大体そんな変わらないじゃん。……そうだ、次の文書はまだ待ってて。出来るだけうちで解読してから渡すから、また寝ずの番だよ。此処は不夜城になるんだ」
「お疲れ様、また時間あったら何処か出かけましょ」
「それも良いね、そうしよう。……そういえばファハド来たでしょう? あとその手下も」
「えぇ、外で待たせてるわ。ほら、此処に入れてもらえないから」
 ハヤはジャリルファハドの事を聞きながら、心底悪い表情をしながら笑っていた。それは悪業を犯すような顔付きではなく、少し悪戯心の混じったような年不相応な表情であるのだ。彼女も齢にして二十九、三十がもう目前であるというのにと、思わず呆れてしまう。それと同時にソーニアは彼女と顔を見合わせながら二つの疑問を抱くのだ。何故、彼女がジャリルファハドの帰還とミュラの存在を知っているのか、と。妙な胸騒ぎを感じつつ、眼前の異邦人を見据えるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.134 )
日時: 2018/01/17 01:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 寒いとぶつくさ文句ばかり垂れるミュラを制し、ジャリルファハドは暗闇の広がる階段を見据えていた。この下にはまだ見ぬ化物が闊歩しているのだろうか。それと遭遇したならば、如何に討ち払い、如何にして地上へと戻れば良いだろうか。死せず、生きて戻って来られるのだろうか。己が考えてきた化物の殺し方は通用するのだろうか、と答えのない思考がぐるぐると回っている。思考の海に沈み、渦に溺れてしまいそうな程だ。
「なに難しい顔してんだ? あぁ……いや、何時もだけどさ」
「……少し思う所があってな。如何にして傷を負わず、血を流さずお前等を守れるか、とな。お前を馬鹿にしていたり、見くびっている訳ではない。お前は俺の居ない間、ソーニアと共に歩み、無事に導いてきたのだ。だからこそ、戻ってきた俺は今まで成せずに居た義務を果たさねばならん。それをどうして成そうとな」
 淡々と語るジャリルファハドは暗闇を見据えるばかりでミュラを見ようとしない。しかし、呆気に取られ固まっているミュラの頭に手が伸び、それが彼女の髪を掻き乱した。かなり乱暴ではあったが撫でられていると分かった途端、動揺したような素振りを見せ、何やら言葉を詰まらせながら抗議しているミュラであった。その声もジャリルファハドの耳には入らず、代わりにカンクェノの唸り声ばかりが、彼の耳に入り込んで来る。階下から確りと聞こえている、その唸り声は人々の喧騒の成れの果て。それが響き、変質していっただけの話である。だが、それがまるで化物の出す声に感じられて仕方がなかった。
「突然なにすんだよ。……つーか、そんなのさ、別に普段通りで良いじゃん」
 漸く平静を取り戻したのか、ジャリルファハドの腕を掴みながらミュラは言う。
「お前の言う普段とは何時の話だ。二月も前の話かね。あの時と状況は違う。化物が敵なのは勿論ながら、俺の同胞も敵と成り得る。一つの敵に注視出来るならば楽な話だが、二つの敵ともなれば難しい事もある。……忘れるなよ」
 言い聞かせるような言葉にミュラは声もなく、ただただ首肯していた。ふと気付かされたのだ、状況が変わったという事に。そしてそれ既に危うかった均衡が崩れ、先が全く読めない状況だという事にだ。
「あー……もしかして結構ヤバい?」
「事が起きねば分かるまい。ただ覚悟しておけ、それだけで良い」
 腹を括っておくだけで幾分違う事だろう。何時か争いに巻き込まれ、流れる血や事切れた死体を見たとしても平静を装っていられる。何も知らず、何も覚悟が出来なければそうも行かず、自壊の道を辿る他にないのだ。全ての者にそれは通ずる。戦場に生きる者のみならず、平静、平穏に生きる者達もだ。己と他者の死を覚悟したならば、それだけで身を守ろうという意思に直結し、いざという時に惑うこともなくなる。 
「さっむ……」
「俺の鞄の中見てみろ、上着が入ってる。砂が付いているかも知れんが払えば落ちる。無いよりは良いだろう」
 早く言えと悪態を吐きながら、ミュラはジャリルファハドの鞄を漁ると彼の言う通りに外套が出てきた。引っ張り出すと散弾銃の弾がそれと共に出てしまい、石畳へとからんと軽く、高い音を立てて落ちていく。
「気を付けろ、雷管が動いたら死ぬぞ」
 大口径の単発弾、一発で人間を死へと招く十番の銃弾。それを拾い上げ、ジャリルファハドは鞄の奥底へと仕舞いこむ。そんな危ない物をそこに入れて良いのか、とミュラは思いながらも自身の銃弾の管理の粗雑さを思い出し、悪態を吐かずにこくこくと頷いていた。
 二月前と比べ、ミュラは随分と聞き分けが良くなったと再び感心しながら検問を見遣ると、矢張り小銃を担いだ者達が此方を黙って見据えていた。腰の刀、その柄には護拳があり、刀身は厭に真っ直ぐな直刀。恐らくジャッバールの者だろう。そして、彼等が担いでいるソーニアの持つ物とよく似た小銃、然したる違いこそないもののそれと同じ。アゥルトゥラの物と比べて短い銃身を持ち、軽量かつ装薬量を極限まで減らし、人狩りを目的とする弾を用いたそれだ。以前まではジャッバールの手の者達全てにそれが行き渡っていた訳ではない。だというのに今、クルツェスカですれ違う者達の殆どが装備している。まるでセノールの制式装備の様である。故に戦争、戦乱の危機は静かに迫っている様に感じられるのだ。血を流す器は既に用意され、後は血が流れ満ちるのを待っているだけなのだろう。そんな者達を掻き分け、漸くソーニアは帰ってきた。彼女の赤く、長い髪が静かに揺れ、コートの裾は軽やかに舞う。だというのに彼女の表情はとても不安げで、翳りを帯びていた。
「お待たせ。戻りましょ」
 ジャリルファハドとミュラの間を足早にすり抜け、彼女は静かに言い放つ。長居を避けたい様子であり、戻ろうと言ってから彼女は口を閉ざしたままであったが、何を問う訳でもなくその背を追うのであった。やや気後れた様子でミュラの足音が聞こえている。少し小走り気味なのは気のせいではないだろう。階段を一段、また一段と下り、一歩、また一歩と書斎から離れていく。だというのにソーニアはまるで何かから逃げるかのように、歩を緩めようとしない。ふと背後を見遣るも、ミュラ以外に何かが追って来ている訳ではない。
「……貴方の動向、しっかり確認されてるわね」
「当たり前だろう、何処にでも目と耳が必ずある。何者かが静かに歩み寄り、我々の影を踏み付けて来るものだ。……迂闊を犯し、言動が過ぎれば首を取られ、衆目に晒されよう」
 そういった汚れ仕事を行う者達をジャッバールが走らせているのは言うまでも無い。敵対勢力、危険分子、そういった者達の動向を徹底的に洗い出し、排除する為にだ。また、そういった者達をある程度、廃し余裕が出てきたならば同胞、近しき者達までにもその手は伸びて行く。今は恐らく、近しき者達にまでそれが伸び始めている時期だろう。眼前の敵を滅し終え、後顧の憂いと成り得る要素を潰し始めているのだ。
 早歩きに少し草臥れたのだろうか、ソーニアは壁に背を預けて溜息を一つ吐いた。彼女は何かを言いたげであったが、辺りを気にした様子で口を開こうとしない。ジャリルファハドの一言から、何者かに後をつけられている様な気がしてならないのだ。そんな事も露知らず、ミュラは「疲れたのか?」などと素っ頓狂な事を聞いているも答えはない。少し首を傾げながら、小さく気遣いを見せ、彼女はソーニアから小銃を受け取り、肩に担いでいる。銃口がジャリルファハドの方を向いており、彼は不快感を覚えながら銃身を押し退けた。
「不死身のクィアット、シャボーの亡霊。彼等の末裔よね、そういう事をするの」
 どこかで見知ったのだろうか、その渾名が出てきた事にジャリルファハドは少しばかり驚きながら、小さく頷いた。西伐に於けるセノールの英雄、最後まで抗戦し、兵も民も関係なく殺め続けたアゥルトゥラ最大の敵である、それが彼等なのだ。多くのアゥルトゥラは未だに架空の存在だとする兵である。どこかでソーニアは見知ったのだろうか。疑問を抱きつつも、問う事はしない。
「……シャーヒン、死人みたいな人」
 ソーニアのぽつりと呟いた名、死人のような人というのも間違いではないだろう。暗闇ばかりを歩み、日陰を好む。例え目の前が血の川であったとしても、首まで浸かるのを厭わず、川底に沈む肉の塊を無感情に踏みしめて行ける男だ。血腥いセノールの中で、一等血腥い存在であろう。
「死人には口はなく、その身は一切動かないはずなのだがな。棺桶で眠っていて欲しい限りだ。……さて、一端上に戻ろう。腹を空かせた奴が一人居る」
 そうやって軽口を叩きながらミュラの背を押すと、彼女は何故バレたというような顔を浮かべていた。時計を持っていない故、今の時間がはっきりと分からなかったが、出しに使われたミュラのお陰で僅かながら緊張は解れたのか、ソーニアは静かに笑っていた。
 階上を目指すべく、ミュラとソーニアは昇降機へと向かっていく。五歩ばかり遅れながらも、その背を追って行く。化物が敵であるのは変わらない。見えない分水嶺を踏み越えたならば、同胞すら敵とも成り得る。それが事の発端となる可能性すらあるのだ。随分と難儀な限りだ、と内心苦笑いを浮かべ、暗闇ばかり広がる石造りの伽藍堂へ振り向き一瞥するのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.135 )
日時: 2018/03/13 23:58
名前: ポテト侍@スマホ ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 硝煙の臭いと血の臭い。かつて常に自分と隣り合っていた死の馨りは不快感と共にどこか懐かしさをガウェスに感じさせた。剣を振るい廓に住まう幽鬼を屠っていたのが遠い昔のように思え、現在では、狙いを定め引き金を引けばそれでお終いだ。危険を冒して近付くことも無理に攻撃を防ぐ必要もない。文明の発達とはこうも突然なのかと苦々しく思う反面、過去の自分に無性に腹が立ってくる。もう少し早くこちらも変わっていれば散る命も少なかっただろうに……。
 だが、どんなに早く文明開化したところで威力不足という超えられぬ事実にぶつかっていただろう。現にガウェスは痛いほど実感している。深くに潜れば潜るほどレゥノーラと邂逅する回数と、なによりも彼らが頑強になっているような気がしてならない。気のせいならそれでいい。だがそうじゃなかった時が恐ろしい。地獄を見ることになるのは自分達なのだ。出来るならばジャッバールが所持しているような高火力な銃がほしいところであるが、曰く彼らは自らの武器を他所に売らない。もしも彼らの許可無く、彼らの武器を所持していたら、立ち所に居場所を知られ、尋問にかけられよう。僅かな金品でどれほどの武器が買えるか。難しい顔をしている男の背後を雇い主である学者が踵を爪先で蹴っ飛ばした。振り向くと仏頂面をした男が話しかけてきた。
「おい、遅いぞ」
「……すいません。気が抜けていました」
 廓には馴染みがあるという理由でガウェスが先頭に立って皆を案内している。次に学者を置き、その背後を二人の雇われ傭兵が周りに常に気を遣っているのに対し、守られるべき主人は右へ左へと視線を泳がせ、ガウェスに説明を求む。感心すると財布に手をかけるがその度に手で制し、奥へ行くように促す。どうも彼はマイペースで扱いに困る。学者とはそういう者かと考えたが、ソーニアはどうなのかと先ほどよりも速い足取りで思案する。様子を窺ったがここまで箱入りではなかっただろうし、廓を恐れているようには思えなかった。ただそれが空元気かどうか判断するには時間が足りなかった部分はあるが。学者とは中々に好奇心とは強いものであると心得てはいるが、それは恐怖を押し拉ぐほど強い感情なのだろうか。と、両肩に突然走った衝撃に思わず体を震わせた。振り向くと悪戯が成功した子どものような顔をした主がいる。彼がガウェスの肩を叩いたのだ。先ほどまでは眉をひそめていたのに今は笑顔を浮かべている。どうにも捉えられない。世話しなく変わる表情は万華鏡を連想させた。
「考え事か?」
 男が問うた。よほどガウェスが反応がお気に召したのだろう、ニヤニヤと笑っている。
「えぇ、まぁ」
「しっかりしてくれよ。あんな風になるのは俺も御免だからな」
 あんな風とは先程、通路を抜けた先にあった広い部屋で見つけた首の無い死体のことを言っているのだろう。爪など鋭利な刃物で斬られたわけではなく、何か強い力によって無理矢理千切られたようで、凸凹な切断面からは白い骨がヌラヌラと光っていた。もがれた首は何処へ行ったのか、周囲を探しても見つからず、胴だけが残され、誰にも埋葬されぬまま腐り朽ちていくと考えるとガウェスにやるせない気持ちが鎌首を垂れてくるのだ。壁にもたれ掛かるように息絶え、冷たい身体からトクトクと血を垂れ流す様は、岩の間から流れるような石清水を連想させたが彼が作ったのは澄んだ小川ではなく、赤黒い運河である。
「分かっています」と口に出せば男は鼻で笑い、更に先に行くように促した。傭兵の口約束ほど信頼できる物はない。彼らは自らの命が危うくなれば約束を反故にする。その性質をよく理解しているのだろう。 
 細い通路を抜けた先にあったのは見慣れぬ部屋だった。最初は似たような造りをした部屋かと辟易し、背後から溜息が聞こえた。ここにも首の無い死体があり、鉄臭さを充満させていた。傍らには彼の遺品だろうか黒い手帳が握られていた。表紙は血と埃で汚れているが中は無事らしい。
 手帳の中身を知ろうと彼の肌に触れたときだ。これは未だに仄かに熱を灯していた。死後一日も経っていない。彼は恐らく今日殺された。しかも今に近い時に。全身の毛穴が開き、体毛が逆立つのを感じる。悪寒が背中を駆け抜け、とった手帳は鞄へ。そして足早に学者の元へ。「ここは早急に離れた方が良い」と提案しようとした時だった。通路の奥で影か蠢いた。全員に緊張が走り、主を後ろに庇い目の前の暗闇を凝視する。痛いほどの静寂のあと、突如として現れた廓の住人の姿は他のレゥノーラを凌駕する。皆、声を出すことはおろか、呼吸を行うことすら忘れてしまったかのように押し黙る。鼻も耳も削がれ平らになった顔には、眉月のように歪められた口がくっついているだけで、本来目玉があったであろう場所には肉腫のように腫れた瞼に覆われており、目視することが出来ない。餓鬼のように痩せた胸部は肋骨が浮き出るほどに痩せているのに腹部はぷっくりと膨れあがっている。そこに垂れた乳房のような器官が無数にくっつき、ソレが動く度にプルプルと前後に踊るのだ。腕が異常に長く細い。雪化粧に染まった枯れ枝が鹿の脚のように伸びている。手先が真っ赤に染まっているのは犠牲者の血痕か。彼女はゆったりとした動きでフロア内に入ると辺りを見ることもなく、前へと進んでいった。足と同時に手を伸ばし辺りの様子を探ることから視界は殆ど無いに等しいのだろう。
 今なら背後をとれるとここにいる全員が考えたはずだ。しかし、勝てるのか、この新種に。もしもザヴィアを助けた豪傑、ラノトール・カランツェンのような人物がこの場にいたならば、ガウェスは目の前の驚異を取り除こうと奮闘したであう。しかし、今の仲間達は死を恐れている。恐怖は尾を引くもの。それがトラウマとなる前にここから脱出し、次の戦闘までに装備を調えねばなるまい。
 元来た道へ戻れと意味を込めて親指で背後の道を指す。主人は一旦おおきく目を見開いたあと、小さく頷くと震える足で後退を始めた。なるべく音を立てぬように化女に勘付かれぬように摺り足で後退を開始する。だが、だが!! 一人の男が意図しない音、例えば小石を足先でちょいと蹴り上げてしまったとき、化生の動きがピタリと止まり、こちらへとその顔を向けてきた。人間とは到底思えない容貌は見た者に嫌悪感を植えつけ恐怖させる。よく見ると歯が数本欠けており暗闇が顔を覗かせている。六尺半はあろうかという体躯もそれを助長しているのだろう。
「貸してください!」
震える男が持っている銃を奪い、頭部に狙いを定めて一発。火花を散らし放たれた銃弾は真白の化生への頭部へと吸い込まれていった。僅かに仰け反った頭。自らの腕には久々の反動。急いたせいで撃ち方が悪かったらしい。肩がズキズキと痛んだが、構っている暇はない。再び弾を装填して頭部へ更に一発。しかし、効いた様子は無い。首を傾げ何かあったのかと言わんばかりの様子だ。レゥノーラは頭部を吹き飛ばし破壊する以外にも体から賢者の石を垂れ流させ、出血死の容量で彼らの活動を止めることも可能だ。しかし、腹部は乳房のような器官に阻まれ、銃弾が身体まで届かず、薄い胸部に銃弾を放ち穿っても流れる賢者の石は微々たるもの。やはり火力が足りぬ。彼の中に焦りが生まれ、弾を零してしまう。銃を地面に転がし、廓に入る前に渡された銃に再び弾を込めると一発。自ら持ってきたリボルバーで二発、銃弾を頭部に叩き込む。その内の一発が眼部を貫いた。途端、その化生は左目を両手で押さえ、ギイギイと声をあげて痛がる素振りを見せた。奇跡は二度も起きまい。へたり込む仲間を叱咤し立たせると手を引くような形で戦線を離脱する。
 生を実感できたのはそれからすぐ、五十階の前線基地に戻ってきてからだ。死に直面してようやく生きていることを実感するなどなんたる皮肉か。しばらくは心臓が高鳴り喘息の発作のように息を切らしていたが幾分かすれば気持ちが落ち着いてきた。緊張の糸が切れると疲労感が押し寄せ、その場に胡坐をかいた。他の者も同様で座り込んだり、大の字で寝転がったり、お喋りな者は別の仲間に今の出来事を早速味方に話している。すぐに新種のレゥノーラの噂は広まるだろう。唯一学者の男だけは頭を切り換え、今まで起きたことをメモしていた。大した精神力だと思わずガウェスは感心する。
 ガウェスの手には先ほどの黒革の手帳を手にしており、血と埃で汚れた表紙裏には持ち主である男性の名前が刻まれていた。好奇心に押されるような形で一頁目を開いたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.136 )
日時: 2018/02/12 12:15
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 仄暗く冷たい廓の闇の中、一点の赤い点が宙に浮かび、それは煙を漂わせている。僅かの甘さを纏ったそれは廓の奥へ、奥へと流れていく。その赤の僅か手前、それよりも明度を欠いた赤が揺らめいている。その赤は人の髪で、その主はというと少しだけ足早に歩み、一刻も早く地上を目指しているようだった。それは何故かといえば、僅か上層から響いた銃声に危機感を抱いたからだ。人がレゥノーラに向けて撃ったのか、それとも人が人に撃ったのか。状況は分からないが、前者、後者問わずして急ぎ、今のような孤立しているとも判断出来る状況を避けなければならない。
「そう急ぐな。骨の鷹など来やしない」
 煙草を投げ捨て、それを踏み付けながらジャリルファハドはそう言い放つ。軽口、冗談の類で放った言葉なのだろうが、相変わらず彼の表情は薄く、それが鬼気迫り、鬼胎を抱かせようとしているようにしか見えず、内心ソーニアは毒づきながら、その歩みを僅かに緩めた。
「骨の鷹、上手い事言うじゃない」
「……骨の鷹も、腐った蜥蜴も、何なら癲狂院の主も来やしない」
 一度の銃声で彼等が動くはずもない、そもそも廓の中に居るとも考えられない。彼の言葉通り、今現在、廓に居るのは"癲狂院の主"と称されたハヤだけである。ソーニアが恐怖、不安を覚えたのは廓に住まうレゥノーラ達に対してであったが、ジャリルファハドがそういった類の感情を覚えたのは人に対してだったのだろう。同じ方向を向いているという彼の思い込みであったが、ジャッバールの配下、手勢とて危険な事には変わりない。周囲のアゥルトゥラやカルウェノと比べ、幾らかマシというだけの話であるのだ。回りは敵ばかりだと、少しだけソーニアの表情には翳りが浮かぶ。
「人ならば容易く殺せるのだがな、あの化物となればそうも行くまい。……早く上がろう」
 ソーニアの微妙な表情の変化を汲み取ったのか、刀の柄に手を掛けたままソーニアと先頭を代わり、ジャリルファハドは歩み始めた。その速さは先ほどのソーニアよりも幾分速い。足音ばかりが廓に木霊し、暗闇を置き去りにしていく。三人の代わりに残るのは主に捨て置かれた音だけなのだ。

 暗闇を歩むのは、どうにも度胸の要る事である。言うなれば黒い砂漠を丸腰で歩み、得物を携えた何処の馬の骨とも知れぬ輩と寝食を共にするよりも恐ろしく、それよりも余程腹を据えなければならない程だ。石壁を指先でなぞり、その湿っぽさを感じながらソーニアは歩んでいく。あと三階、上に上がって行けば昇降機が見えてくる事だろう。そうしたら温かな陽の光を浴びられ、暗く鬱屈とした廓から出て行ける。眼前のジャリルファハドは相変わらず、刀の柄に手を掛けたまま。背後のミュラはジャリルファハドから借りた外套をしっかりと着込み、時折振り向いてくるソーニアに笑みを浴びせかけるだけだった。随分と暢気だ、と思いこそしたもののそれもその筈である。レゥノーラの気配も無ければ、第三者が何か危害を加えてくるという事も今の所は危惧せずとも良いからだ。
「次は右に曲がって」
「あぁ」
 ソーニアに肩を叩かれ、そう促されるままにジャリルファハドは暗闇を右へと曲がっていく。矢張りまだ腰の刀は抜かれておらず、目の前にレゥノーラの姿は無いようだ。曲がり角を越える度、心臓が早鐘を打つのは仕方ない事なのだろうが、案外小心者な自分に対して少しだけ自嘲を覚えざる得なかった。
「……何か音がしないか?」
 背後でミュラが問う。先頭を歩む、ジャリルファハドの歩みは止まり少しだけ刀の刃が顔を覗かせた。暗闇の中だというのに鈍く僅かに光り、その存在を主張する。ソーニアはミュラへと近付き、彼女に背を預けるようにしながら小銃を下ろす。
「何か鳴いてる、犬みたいだ」
 "犬"という言葉にソーニアの眉根が僅かに動いた。以前、討たれたはずのケェーレフという大型レゥノーラ。それは四足で廓を駆けずり回り、野太い犬のような鳴き声を発する。ジャッバールの者達が最初に発見し、それを討ったはずなのだが、今になってそんなものが生きているとなると廓に立ち入る事すら憚られてくる。ソーニアは小銃の銃床をぐっと握り締めた。不安を押し殺すように、恐怖を打ち消すようにと。ふと、ジャリルファハドの刀が抜き放たれ、刀身が全て露となった。崩れ落ちた廓の石壁、その僅かな隙間に身を預けると、それに呼応するようにミュラも銃を抜いた。足元を見ると石畳が抜け落ち、階下が見える。暗闇ではあるが風が通っている事から問題ないだろう。
「……上に居るな、これは」
 上という言葉を聞いた途端、まだ暫く此処から立ち去れそうにないとソーニアは一瞬だけ諦めたように溜息を吐いた。その時であった。天井から一本の触手が降りてきたのだ。真っ白な皮膚、その先端には僅か棘のような物が生えており、それが辺りを探るかのように蠢いている。
「ジャ――!!」
 声を張り上げ、それの存在を知らせた瞬間であった。それはジャリルファハドの背へと向かっていく。それを躱すべく、身を翻すも僅かに彼の右肩を切り裂き、傷を負わせていた。それでも浅かったのだろう、振り向きざまに振られた刀は白い皮膚を裂き、赤い液体を撒き散らしながら、のたうつように暴れている。そして、それは石壁の間に身を預けているソーニアへと向かってくるのだった。防ぐ術など無く、頭を守ろうと両腕で顔を隠すも触手が彼女の身体へと打ち付けられる。一瞬、呼吸が止まり、短く悲鳴を上げるも、既にその身は壁へと叩き付けられ、全身を襲う鈍痛に苛まれていた。ふらり、とバランスを失った足元は居場所を失い、階下へと至る暗闇を踏みつける。経験した事のない、妙な浮遊感が身を襲い、視界は暗転していく。伸ばされた手を誰かが掴む事もなく、空を切り闇へと飲まれて行くのだった。

 斬り付けられた触手がソーニアを襲った。その事実は一息すら吐く間もない刹那に起きた。彼女の身を案ずるよりも早く、二の太刀を浴びせ、その肉の塊の先端部だけを斬り落とすも、それは姿を消してしまった。天井の石に空いた僅かな穴の向こう、巨大な赤い瞳がジャリルファハド達を見下ろしていた。それは厭に無感情で、大凡生物らしさなど持ち得て居ない。恐ろしげなそれは幼い頃、己の腹を抉った怪物のそれによく似通っていた。
「……ソーニアは無事か」
 刀を収めないままにミュラへと問うも、彼女は呆然と立ち尽くしているばかりで首を一向に振ろうとしない。突然、レゥノーラに襲われた事から放心状態であるように見えた。そして、ソーニア自身からの応答もない。厭な予感が脳裏を過ぎり、ミュラを引っ張りながらソーニアが身を預けていた石壁の穴を見遣った。そこに彼女の姿はなく、崩れ落ちた石壁の隙間、その足元には暗闇が広がっていた。落ちたと考えるべきだろう、何処まで落ちたのか、何処かを強く打ったりしていないだろうか。それ次第によっては彼女の死すら在りうる話である。
「ソーニア! 無事か!」
 声を荒げ、暗闇へ吼える。それでいても返答はなく、彼女の呻き一つすらない。矢張り脳裏を過ぎる死という最悪な結末。此処を降ったならば容易く、その身を探す事も可能だろう。だが、その先で戻れず己の死という結果が待っていたならば。レゥノーラと遭遇したならば如何するというのだ。
「……ミュラ、お前は下に行ってハヤに手を貸すよう伝えてくれ。眼鏡を掛けた爪紅を差した女だ。これを持っていけばお前が誰の使いかは分かる。俺は上から助けを呼んでくる。……お前を上に行かせて死なれてしまっては寝覚めが悪いからな、行ってくれ」
 そうやってジャリルファハドは一方的にミュラへと自身の刀を押し付けた。厭に軽いというのに、胸にのし掛かる重みのような物はなんだろうか。戸惑いながら刀の柄に手を掛けた途端に妙な身震いを覚え、これが大勢の血を吸って来た重みだという事がよく分かった。
「分かった、分かったけどさ! 刀無かったらどうするんだよ」
「問題はない、まだ得物はある」
 そうして彼が右腿から引き抜いたのは、一振りの鎧通し。刀身は刀と同様に暗闇でも鈍く輝いているように見えて仕方がなく、それに見惚れていると「さっさと行け」と背を押され、ミュラは階下へと走り出すのだった。暗闇を見据えながら、先ほどのレゥノーラがまだ居るであろう階上へと至る階段を睨む。まだあの化物は待ち構えているだろうか、それとも逃げ帰っただろうか。全ては運任せであったが、ソーニアを救わねばならないと言い聞かせ、ジャリルファハドは駆け出すのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.137 )
日時: 2018/02/04 05:04
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

 50階層へと足を踏み入れた其の刹那、頬にまとわりつく様な、何処かぬるりとすらした様な空気に少女は思わず足を止めた。何を口にするでもない、言葉を発する事はなくとも少女は確かに不快感を抱え、其の水宝玉の双眸に戸惑いの色を浮かべた。護衛の名を呼ぶ事はなかったが其の服の袖口を慌てて掴んで躊躇いがちにあの、と声を零す。傭兵もまた、此の場の些か妙な空気は察していた。袖口を握るその手を取って、自らの背の後ろへ、隠す様にと誘導する。周囲の喧騒へ耳を傾けていればぽつりぽつり、聞こえてくる言葉は絞られる。新種がどうの、逃げおおせた。或いは運が良かった、女がどうだ、何だ。二人が状況を察するには十分過ぎる言葉達は、50階層に満ち満ちている。背の後ろで水宝玉が見開かれ、少女が息を呑んでいる事は、ハイルヴィヒが確認するまでもなく確かな事だった。基地では護衛役かなにかを求めて来た人間か問わず、座り込む者もいた。身体を横たえる者もいれば、痛みに呻く者とていた。人々の喧騒もさして変わらず、此処も其れに相違ない。其の癖、何処か嫌な此の空気の正体は、彼らが口にする“新種”のせいなのだろう。
「……進むなら……お話を、伺うべきかしら」
 立ち止まれば、過去に呑まれてしまう気がしていた。かと言って何も知らずに歩む事ほど恐ろしい事はあるまい。撤退もまた選択だ。けれど、という思いは淡く、たしかに存在している。此処より先を歩む為れば、其のために必要な物を揃える必要も出てくるだろう。今日此の日は戻るにしても、今優先スべきは情報収集、喧騒へ耳を傾けながらきょろり、周囲を見回し一歩、また一歩と二人は歩む。薄暗がりより何かが現れそうな、そんな錯覚にやや恐怖心を抱くスヴェトラーナではあったがそれでも、歩みを止めやしなかった。
「――エリスのお嬢ちゃんか?」
 不意に懐かしい名を呼ばれ、スヴェトラーナは視線を声の主へと向け、まぁ、と思わず声がまろび出た。前に立つハイルヴィヒがスヴェトラーナを隠すように、其の名を呼ぶ男との間に割って入れば男の笑声が響く「そんな怖い顔しなさんな」と実に軽やかな言葉を添えて。その人の顔ばせを忘れるわけもない。在りし日には実に世話になった相手だ。嘗て此の廓へ足を踏み入れた折、一晩といえど面倒を見てもらった相手を、スヴェトラーナが忘れるわけもない。仮初の名を添えたあの日の、柔い思い出。或いは、此処でそうではないと否定しようと思えば出来る。どなたのことですか、ととぼけてしまおうと思えば出来なくもない。そのままハイルヴィヒの後ろに隠れて怖いわ、と小さな声で囁やけばハイルヴィヒが全て何とかしてくれるだろう。向こうも別段、悪意があるわけではないならば、申し訳なくはあるが有効な手段とも思える。けれど、けれども、其れが出来ないのがスヴェトラーナという少女であった。焦がれる様な心地で外を知ったあの日に、ふと思いを馳せれば、尚更。誰のことだ、と言いかけるハイルヴィヒを制し、其の背後から一歩、歩み出れば笑顔のまま膝を折る。何時かの日に見せた様に、至極自然な動作に、一切の無駄は無い。
「ええ、お久しぶりですわお兄様……まさか、此処でお会いするなんて、思いもしませんでした」
「ああ、全くだ。今日は……ああ、あん時の兄ちゃんと一緒じゃないんだな」
 きょろり、と周囲を見回す男が言うのはヨハンの事であろう。睨みを効かせ続けるハイルヴィヒと視線がかち合ったならば男は肩を竦めるばかりだ。スヴェトラーナが振り向けば長い金糸はふわりと揺れる。視線だけでハイルヴィヒを制すれば、控える傭兵は其の青い瞳の熱を僅かに取り戻す。宛ら氷狼の如き瞳であったと後に男は語る。
「あのね、お兄様“エリス・カエルム・アルブステッラ”今宵――ただ一人の娘として、参上いたしましたの」
 一歩、もう一歩と少女は男へ歩み寄り、其の距離を縮めた後に踵をあげて、顔を近づけた。水宝玉はゆるりと細められ花唇は秘めやかに言葉を紡ぐ。或いは、何時かに見た夢をなぞる様に。溢れる吐息は甘やかに馴染み、染み渡る。
「だからどうか……ね、秘密になすって、本当の私の事」
 本当も何もあったものか、偽りを述べる事に心が痛まないでもない。それでも今は、これが最善。名を偽れど身分まではどうにも気が回らなかった事へのツケだが自業自得といえよう。で、あるとして、少女は往々にして“お願い事”が無意識に、無自覚に得意であるらしい。知らず知らずにこうすれば、という道筋を知ってしまった或いは、これが“普通”であるだけなのやもしれぬが。白い指が、男の唇に触れるか触れないか、既のところで止められる。「お願いよ、お兄様」と紡ぐ懇願はただ甘美な響きすら孕み、宛ら毒ですらある様に。揺らぐ明かりに照らされるその頬は上気している様にすら見えるか。早鐘を打つ鼓動、伸ばされる手。全てを蕩かす蜜の様な少女は其の全てを甘受する――但し、控えていた傭兵がそうであるかと問われれば否であろう。関係性の再構築は済めども、其の根幹が揺らぐ事は或りやしない。半歩踏み出した足を制して、咳払いを一つ。叶うなら2人の間に割って入ってやりたかった。は、とした男が少女と半歩距離を取る。変わらず少女はにこやかな侭、彼を見ていた。
「ああ……ああ、なんだ、その……言わないさ、言わない。お嬢ちゃんにも色々あるだろうしな」
「お兄様、有難う御座います。ご協力感謝致しますわ」
 瞳に宿すは甘やかな色。男の手を握りしめ、僅かに体温を通わせる。その手を振りほどく事は容易いが、其れが出来ずにいる理由を、男ですら分からぬままに、背後の傭兵の視線に微妙な気まずさを憶えるばかりであった。するり、と少女の手が男の手から離れるのは程なくしてだ。穏やかな笑みはいつの間にか年相応か、それより幼気なものへと変化していた。ぱちり、と男の双眸は瞬く。なぁに、と問うように少女の唇が動いた様に伺えど、言葉が聞こえることはなかった。気のせいか、と男は再び瞬く。吐き出した息は男の中にある何かを、逃がす様に。
「あの……私達、此の下に行きたいのですけれど……此の階層の皆々様のお話をお伺いするに何か……あったのですか、此の下階で」
 少女は問うた。薄々、周囲の言葉をつなぎ合わせて察する事は出来れど、確信が欲しいという心もある。控えていた傭兵もまた「叶う限り説明していただければ助かる」とやや低い声でこぼす様に告げた。別段、隠すような事でもないだろう、と男は口を開きかけるが言葉を選ぶのは少女を前にしている故だろう。少なくとも男は、少女が“世間知らずのご令嬢”だという事を知っている。まごつく様な様子に、スヴェトラーナもハイルヴィヒも気付かぬわけではない。理由を察する事ができるのはハイルヴィヒ位のものではあったが、良いから続けろ、と口に出来ないのは彼女もまた、少女を傍に置く者である故である。
「面倒なのが居た、ってだけさ。お嬢ちゃんが詳しく知る必要は――」
 紡がれる最中、再び少女の手が男の手を包み込む。
「お兄様……あの……そのね、ええっと……ご配慮いただけるのは、嬉しいの。でも……大丈夫」
 其の目を、其の目を止めてくれ、等と男が口にできるわけもなくただ水宝玉に視線を固定されたままだった。何時かに見た硝子玉の瞳に生気が宿ったかの様な其の色は、ともすれば恐ろしい何かを宿す様ですらあった。飲み込まれる様な薄氷色に、息を呑むのは一瞬。ぐしゃり、と頭をかく男の姿が何時かの彼に重なった。
「…………周りの連中の話聞こえてたってなら、まあ新種のレゥノーラが出たって事はわかってるか。なんつーかなぁ……化け女みてぇな、いやぁな奴でな」
 男の説明を聞くスヴェトラーナの表情が曇っていく。そんなものが、と思わず零せば男はああ、と短く返した。仔細を説明する男の顔が何処か苦々しい表情を浮かべれば、比例して少女の眉尻も下がるばかり。ハイルヴィヒもまたピクリ、と片眉を動かす程度ではあったが確かな反応を見せる。少女を引き寄せて一度後の相談をすべきか、と思えど、それより早く、悩ましげにしていた少女が口を開いた。
「ね、お兄様、大変不躾なお願いとは承知です、突飛であるとも……でもね、私達2人だけでこの先に進むのは少し……怖いの。だから、その……お兄様方にご一緒させては、頂けませんか? 今すぐに、とは申しません。後日また下へ行かれるならばその時でもいいのです。……私は、あのあまりお役に立てないかもしれません、でもそちらの……ハイルヴィヒは、ええ、とっても腕の立つ方だから……お役に立てると確信いたします」
 不安に刹那、潤んだ瞳は伏せられるも、瞬きの後に持ち上げられ、少女は戸惑いがちに言葉を紡ぐ。其の瞳に月明かりを宿し、悩ましげに眉根は寄せられた。「必要ならば報酬もご用意いたします」との声は囁く様に、ほんの小さな秘め事の様に添えられるが、其の言葉が男の耳に届いていたか、否、届いては居たのだろうがその脳髄へ染み渡ったかと問われれば不明瞭にも過ぎる。何せ其の脳髄は既に、甘美な月の香に浸されている故に。
「そうさなぁ……今の雇い主の学者先生に聞いてみねぇ事には、なんとも」
「……許諾を貰える可能性は?」
 どうにか、といった体での男の返答にすかさず言葉を投げたハイルヴィヒは表情一つ変えることはなく、ただじ、と男を、睨め付けるかの様に見やるばかりであった。
「さぁなあ……正直あの先生の気分次第ってとこか……いや、でもなぁ……腕が立つ奴はまあそれなりに居るがその中でも結構使える奴が一人いるしなぁ……」
「…………少なくとも、銃の扱いならばそこらの寄せ集め共よりも自信がある。……まあ、口ではなんとでも言えるだろうがな。……駄目だったなら駄目だったで、構わないが……叶うなら目通りを願いたい」
 暗に、彼に交渉役になってくれとばかりの言葉をハイルヴィヒは投げかける。弱った、と言いたげに頭をかく男に向けて、スヴェトラーナも控えめに「お願いできませんか?」等と言葉を向けた。これはいよいよ、困ったと男は溜息を吐く。下方の瞳、鎮座する一対の水宝玉を見ているとどうにも断りづらい感情が芽生える。ややあってからわかったよ、と困り顔で2人へ告げればこのあたりで待っているようにと添えて雇い主であるという学者――恐らく向こうで何やら記している人物であろう。その人の方へと歩んでいった。其の背を見送った後、ハイルヴィヒはスヴェトラーナの肩へと手を添える。
「もし断られたら、また別の誰か……行動を共にできそうな誰かを探しましょう。少なくとも情報共有くらいは、許してくれるはずですから」
 彼らが見たというレゥノーラの仔細、並びにいくつかの情報はせめても耳に入れたい。対策が建てられるかと問われれば微妙なところであるとしても、何も知らずに歩む気には到底なれやしなかった。「そうね」と囁く少女は柔い笑みを、浮かべて。

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