複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.63 )
日時: 2017/01/09 20:54
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 先程から不満を漏らし、ハイドナーへの非難の声をジャリルファハドへ向けるミュラは、宛ら告げ口をする子供のようであった。彼は短く「そうか」と返してみたり、首を縦に振るばかりで余り感情を露呈させるような事をしなかったが、遺品が銃を除いて何一つ帰ってこなかった事に対して、一瞬、表情を強張らせ、身が凍えるような怒りにも似た情念の類を発露させていた。ロトスの語る「セノールは獣」という発言はこれに基づいているのだろうか。普段、押し殺している自己が何らかの拍子に表に出てきた時、理知が消え失せ、獣が牙を剥くのだろう。
 ミュラが身動ぎ、恐れを抱いた時、はと気付いた様子でジャリルファハドは床を見据えるようにして双眸を伏せた。昂りつつあった怒りは鎮まり、いつも通りの凶器を隠し持った平静が帰来する。それに伴いミュラはほっとしたように胸を撫で下ろし、溜息を一つ吐いて安堵したような表情を浮かべるのだった。何をそんなに緊張するのか、と傍らでソーニアが短く鼻で笑うような笑い声をあげると、何が面白いんだと言わんばかりの抗議の視線が飛んでくる。
「……我々に対する悪言は、いつか"礼参り"をする故に気にする事でもないのだが、遺品をよもや売ってしまうとはな。厚顔無恥とはこの事か」
「あり得ないだろ?」
 珍しくミュラとジャリルファハドが同じ意見を持っていた。時間が経った事からミュラの怒りは多少落ち着き、語気の荒さは取れているが、ジャリルファハドの言葉の端々からは腹立たしさ、刺々しさが感じ取れた。"礼参り"という言葉がやけに強調されたのは気のせいではないだろう。彼は腹の中に飼った怨恨、怨嗟の念が僅か顔を覗かせたようであり、普段は平静、平穏を保つ彼とて一端のセノールであるという事を改めて実感せざるを得なかった。
「そこまで金が大事だというならば、もう一度シャボーの砂漠にて戦でも起こせば良いのだ。その時は鏖殺とし、誰一人として砂漠から帰さぬ」
 まるで戦乱を望むような彼の言葉に思わず、ソーニアは表情を顰め、ばつが悪そうにしていた。セノールを歪めたのは自分たちの祖先であり、歪められたセノールは怨敵の血と死を求めて、乾ききった恨みを潤そうとしている。肉を喰らい、骨を砕き、血を啜る獣がそこにいるような恐ろしさと、一民族を歪めた自分達の業の深さに苛まれ、どうにも胸が締め付けられるような思いであった。歴史は勝者の物だというが、勝者によって敗者が統治されず、改竄された歴史を教育に織り込まなければセノールのようになる。侵略にて領土を広げ、力が弱った途端に彼方此方で独立運動の機運が盛り上がっている北方の隣国を見れば、学べるはずであった。
「あの……、ごめんなさい。少し休みたいわ」
 心なしかソーニアには疲労の色が見て取れた。肉体的な疲れではなく、精神的な疲れのようであり、顔色は良いのだが心底具合が悪そうで二人からの返事が来るか、来ないかの寸での所でミュラが腰を下ろすベッドに飛び込むように倒れこんだ。出ていけとでも言いたげな様子で、ひらひらと手が振られる。一瞬、妙な空気が流れたが察してくれたようでジャリルファハドが立ち上がるなり、ミュラを見下ろした。視線が合うなり、ミュラは小首を傾げている。
「少し出よう。頭を冷やすぞ」
「は? ――おい、やめ……! 引っ張るな!」
 まるで人攫いか、何かのようだった。無理矢理にミュラの腕を掴み、引き摺るようにジャリルファハドは外へと出ていく。もう少し自然に出来ない物かと呆れたような視線が二人の背を一瞬、射抜くのだった。



ジャリルファハドの傍らを歩む、ミュラは何処となく不安げにソーニアの家の方向を何度もチラチラと振り向いたり、ジャリルファハドを見てみたり、やや雲が掛かった空を眺めたりと、落ち着かない様子であった。突然、連れ出された故に困惑しているのだろう。お前は一体何を考えていんだ! 全く訳が分からない! とも言いたげである。
「突然なんだってんだよ!」
 ミュラに噛み付かれるように問われるもジャリルファハドは応じる気配はなく、漸く腕を放して、踵を返しミュラと向き合う。相変わらず表情は薄く、重たげな瞳が何もかも見透かしているとでも言いかねない雰囲気にミュラは息を呑む。
「……ハイドナーと揉めたのか、アイツも」
「あ、あぁ。ガウェスの父親と一悶着……。いや、口では負けてなかったと思うぜ」
「そうか。だが、あれは優しすぎるのだろうな。人が良いというべきか。そのくせ脆い。……お前は馬鹿で単純だが強い。それは良い事だ、この上なくな」
 言い聞かせるような語りの中で、馬鹿だの単純だの貶されてはいるものの、抗議するような気は全く起きず、ミュラは口を閉ざしたまま耳を傾けていた。毒気を抜かれているというよりも理解されているかのような錯覚を覚え、何故かミュラは小さく笑みを湛えてしまった。自分自身にもそれが何故かは分からない。
「お前の師とやらの遺品は売られたとの事だが、処分された訳ではないのだろう」
「うん……、そうらしいんだけどさ、もう見つかんないだろ……」
 落胆するようなミュラの声色に、一瞬ジャリルファハドは針で刺されたかのような心痛を感じた。だとしても彼女には伝えるべき事があるだろう。背を押してやるべきだろうと、口を開く。此処に連れて来てしまったのは自分であり、導く責務が己にはある。
「師であり親であるその者との縁は計り知れない物だ。そして、縁という物は巡る物でもある。それを探して、縁を手繰るのも良いとは思わないか」
「探せってのかよ?」
「……あぁ、全て探すのは無理かも知れないがな。なに、お前が満足した所でやめればいい」
 淡々とした余り感情を感じさせない語り口ではあるが、かえってそれがハイドナーに対する怒りを鎮めていく。しかし、ジャリルファハドが語る内容は滅茶苦茶な代物である。どこに行ったか分からない遺品を探せと言う。無茶苦茶で途方のない発言であり、一瞬馬鹿な事を言うなと憤りに似た感情が沸き立ちそうになるも、ミュラはそれを抑え、じっとジャリルファハドを見据える。
「それが師の供養にもなろう。墓もなく、骸も何処か分からぬ。その上、今際において子に看取られなんだ。ならば、そうする事でせめての供養になろう。あなたの事は忘れていない、とな」
 らしくもない夢想とも取れるジャリルファハドの発言に、ミュラは思わず呆気に取られてしまった。この男もこんな事を言うのかという驚き故にだ。その驚きと同時に、彼の声色、双眸にいつもの毒気はなく、案じられているのかと思えば少しばかり心地よくもあるような気がしてならなかった。
 



 二人の気配が消え失せ、静まり返った部屋の中、ソーニアは天井を見据えてロトスの言葉や、ジャリルファハドの"礼参り"という言葉を思い出し、脳裏に浮かべていた。父はハイドナーがクルツェスカに滅びを齎すと、冗談半分に言っていたがそれは事実になり得るやも知れない。ややもすれば、ハイドナーを滅ぼすのはジャッバールではなくガリプとなる可能性すらもある。恐らくはハイドナーを絶やす事は容易いのだろう、しかし、ジャリルファハドは女中まで斬れるだろうか。それが成せなかった時、セノールとは再度戦争となりかねない。
「参ったなぁ……」
 発端はミュラをハイドナーに連れて行った自分。セノールの"礼参り"は何時成されるか分からないが、ジャリルファハドを見張り、手綱を握る必要があるように感じられた。もし、カンクェノ内部にてばったり行き会うような事があればただでは済まないだろう。自分には二人を制するような武力はない。精々あるのはジャッバールから買いとったライフル程度。撃てど撃てども当たらないライフルしかないのだ。ミュラの事はジャリルファハドに任せるとしても、ガリプとハイドナーの確執はどうしようもなく、どうすれば良いのか全く分からず、お手上げという所であった。
(あぁ、そっか……)
 ふと脳裏に過ぎったのはベケトフの者達。あの女の傭兵ならばガリプとハイドナーの衝突を同じ武力を以ってして諌める事が出来る可能性がある。現にジャッバールの拠点の前で斬り合っていた彼等を止めたのも彼女である。先日のハイドナー方が大勢死んだ際にもベケトフの者は居たと聞く。ともすれば彼女の姿は何処かにあったとしても不思議ではない。虫の良すぎる話だという事は重々承知ではあるが、それ以外に手段はない。間違ってジャッバールでも頼ったら最後、両者地上に存在しなかった事にされてしまう。それは最悪な結末でしかない。今から行動を起こそうか、そう思いこそしたものの既に夜も遅い。もし事が起きたならば、仲裁を頼むのも明日で良いだろう。今に事が起きる訳はない。なんせジャリルファハドはミュラを連れているのだから。それに刀は壁に立てかけられている。散弾銃もだ。鎧通しの姿はなかったが、あれは主たる武器として使う代物ではない。
「……飲も」
 方針、方向が定まれば頭も軽く、早く帰ってこない物かと思わず窓から外を眺めてしまう。我ながら単純だと苦笑いしながら、先日ジャリルファハドが持ってきたブランデーを求め、棚へと歩み寄るのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.64 )
日時: 2017/01/13 20:00
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 眠っていると例えられるほどにクルツェスカの街は静かだった。ほんの一時間前は娼婦や客で多少の賑わいを見せていた色街も人の影は殆ど無く、外に残っているのは帰る場所のないホームレスや酔っ払い、そしてゴミ箱を漁る野犬のみとなった。明かりが消え暗くなった街は昼間の喧騒とは程遠い静寂に包まれ、朝を告げる鐘が鳴るのを今か今かと待ち焦がれている。そんな眠りこけている街を、ある男はがむしゃらに走る。足がもつれようがゴミ箱を蹴り飛ばそうが休む暇はなく、ただひたすらに。何故男は走るのか。それは死を恐れるからだ。皆がよく知る漆黒の衣を羽織骸骨を模したものではなく、白い鎧に身を包んだ残酷なほど美しい顔をした死神。その男の足音は一定の速度で、また、一定の距離を保ちつつ自分のことを追いかけてくる。男は恐怖した。何故自分は追われているのか、何故振り払えないのか。
 次の三叉路、男は左側の一番細い道を選択する。家と家の間に辛うじて存在しているここを行けば大通りに出られることを知っていたのだ。人は少なくとも、いないわけではない。助けを乞えば何とかなると思っての選択だった。そして、淡い期待を持って道を抜けた先、目の前に広がるのはレンガで出来た無機質な壁だった。大通りも小さな道もなければ人の姿も気配すらない。
「同じような風景、道ばかりで驚くでしょうね」
 呆然と立ち尽くす男の背後、死神の声が聞こえる。緩慢とした動作で振り返った先に立っているのは白い鎧を身に着けた美丈夫。天使のように神々しく神秘的な姿とは裏腹に、その瞳に慈愛の光を宿すことはない。むしろこれから肉塊に成り果てるであろう男を冷ややかに見下していた。
「ですが、同じに見えて全く違うのですよ。貴男は大通りに出たかったのでしょうが、それはここから二つ先の区画でなくては出られません」
 迫る足音に合わせて、男も後ろへ後退るが、すぐに壁に阻まれ距離のみが詰められていく。死神もといガウェスはゆっくりと鞘から剣を引き抜く。
「待ってくれ。待ってくれよ。俺の商品、全部やる。それがほしかったんだろ。だから、だから……」
 凍えているかのように死を恐れ、震える手が差し出してきたのは、くしゃくしゃに丸められた紙である。開いてみると全体的に黒い光沢を帯びた棒状の物体が姿を現した。正体を知らぬ者が見れば、それは黒糖で作られた飴だと思うだろう。しかし、これはそんなに生易しい物ではない。専用のパイプに火を点け煙を吸う。さすれば、今まで感じたことのない高揚感、桃源郷にいるような刹那の夢に溺れることが出来る。だがその夢が覚めた先には地獄が待っている。中毒症状と呼ばれる底無しの血の池のような地獄が。
「我が地を穢す咎人よ。死を以てその償いをするがいい」
 中毒性の強い薬物である阿片は売ることはおろかクルツェスカに持ち込むことさえ禁止されている。情状酌量の余地はない。禁を犯せば一例も洩れることなく死罪となるだろう。剣を持つガウェスの姿は正に、一振りで罪人の首を撥ねんとする慈悲に満ちた処刑人である。
「待ってくれ、待ってくれよ兄ちゃん。俺はしっかりと許可を取って」
「よくもまあ抜け抜けとそんなことが言えたものだ。ならば証拠を出して頂きたい。さすれば見逃せるかもしれませんね」
 例え貴族の許可があっても阿片を売ることは許されることではない。希望を持たせるような酷い嘘をついてしまったことに良心がチクりと痛んだ。しかしガウェスにとっては思ってもない僥倖であったことも事実。証拠が取れれば、阿片の売買を許可した貴族に詰問することが出来る。一つの罪を白日の下に晒すことが出来るのだ。
「これを見てくれ。領主様直々にくだすったのだ。それがどういう意味か分かるだろう?」
 紙っぺら一枚と侮るなかれ。商人の息子である彼は許可証や誓約書がどれほどの拘束力を持っているか、どれほど強い証拠になり得るか理解していた。故に、信じられなかった。信じたくなかった。「嘘だ」と小さく呟いた声は、生きるのに藻掻く男には聞こえていない。怒りで吊り上がっていた目と柳眉を更に吊り上げガウェスは、剣先を男の胸に突き付けた。
「答えろ。これをどこで手に入れた。……誰から奪った?」
 先程にも言った通り、阿片の売買はどんな理由があろうとも死罪に処せられる。例えそこを統治する貴族の許可があってもだ。むしろ売人と貴族との癒着が分かれば、貴族側にも相応のペナルティが課せられる。この許可証にも彼の商売を許可した者の名前が確かに書きこまれていた。筆圧が濃く全体的に右肩上がりの筆跡、よく見慣れた文字で「ロトス・ハイドナー」と。
「奪ったも何も、言っただろう。ハイドナー様から直接」
 男が言い終わる前にガウェスは男の左胸に突き付けていた剣に先を少し前へと押した。もう少し力を込めればその柔らかな肉を完全に断ち、骨を砕き心の臓を貫くことだろう。左胸から拡がる痛みはやがて死への恐怖に変化し、思わず男の顔が強張る。
「嘘をつくのはおやめなさい。死期を早めますよ」
 そんなことを口走り、酷薄な男を演じながらも彼の心は荒波に翻弄される小舟の如く大きく揺れていた。ハイドナーは正式な契約書や許可証には判を押す代わりに賢者の石を溶かした液体で家紋を描く。ハイドナーを騙る偽物が出回らないようにするための工夫だ。過去に一度、営業許可証の偽物が多く出回るという事態に陥ったことがある。その時に偽物と本物とを区別するためにハイドナーは書類には賢者の石を用いていることになったのだ。これはガウェスが生まれるよりも前の話である。
 これは間違いなくハイドナーが発行した許可証であった。彼の頭の中に最悪のシナリオが描かれていく。
「嘘じゃねえ、嘘じゃねえんだ!!許可証に書いてある名前は俺の本名だ。嘘だと思うなら確かめてくれ」
 男のポケットから出てきた身分証と名前が確かに一致している。何と言うことだと、ガウェスの口から嘆息が洩れた。父が阿片売買の斡旋していた。自分には一切知らせず、自分には一切バレずに。上辺では潔白を演じながらも裏で大量の違法薬物を流していたこと、自分には一切教えずに事を進めたロトスに対し怒りが沸き上がっていく。無意識に柄を握る手が力んでいた。その影響で、亀が歩むようにゆっくりとしかし確実に切っ先が肉の壁に埋まっていく。痛みに耐えきれず男が呻き声をあげたとき、ガウェスはハッと我に返り一息にその心臓を貫いた。臓腑を潰した感覚が剣を通して全身に伝わり、レゥノーラのような化け物ではない、生身の人間を殺めたという事実に顔を一瞬だけ歪ませる。目を見開き口の端から一筋血を流す男は既に事が切れ、ガウェスは徐々に冷たくなっていく男を見下ろしている。頬についた血を拭い一度周囲を確認すると、許可証を自らの懐へとしまい込んだ。やるべきことは済んだ。意外な収穫もあったと、早々にこの場を後にしようと踵を返した時だ。建物の影に隠れるように、もう一つの黒い影がそこにはあった。最初からそこにいたに違いない。感づかれぬように、しじまの底からじぃと二人のやりとりを見守っていたのだ。
「盗み見なんて趣味が悪い」
 自分でも驚くほど氷柱のように鋭利で冷たい響きを含んだ声であった。口封じをするべきかと物騒な考えを巡らせたものの、東の空が暁に染まってきていることに気が付くと断念する。そして、さきの自分の声が父親にそっくりであったことに気が付きムカデが背中を這うような、そんな嫌悪感に苛まれることとなった。
 一方その者は恐怖に震えたのか、狂気ともとれる狂喜に震えたのかは分からない。ただ、建物の影に身を潜める者はガウェスと己の視線を交わると一瞬だけ身体を震わせた、畏れるように喜ぶように。仄かに明るくなったとはいえ、まだまだ薄暗い。しかし、夜目があまり利かないガウェスでも、雰囲気でその者と視線が交錯したのを感じ、すぐに視線を逸らすとそのまま早足にその場を立ち去る。死体の処理は憲兵がやってくれるだろう。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.65 )
日時: 2017/01/18 01:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 眠りから目を醒まそうとしているクルツェスカには、既に日が昇りつつある。まだ人気は少なく、野良犬と酒に飲まれた愚か者が路地に倒れ込むようにしてそこに在った。訳の分からない戯言、言葉にならない言葉、唸り声などを上げるそれはとても滑稽に見えて仕方がなかった。あそこまで潰れてしまうという事は、まだ自分の力で歩いたり出来た時でも、狂人のように自制する能力を失っていたのだろう。だらしないと自分に言い聞かせ、明日は我が身と自戒し、彼等から目を背けた。背けた先、ぼんやりと空を見据えれば朱色の太陽が、まるで威嚇するかのように此方を睨み付けているかのよう。クルツェスカの中では、太陽すらアゥルトゥラの味方なのであろう。砂漠においては、その理は覆る事となるが、此処はいうなれば敵地であり、そうともいかない。
 ソーニアの家の前は、人の往来が激しい場所であり、夜歩く者達を見ていれば、彼等は多種多様であった。カルウェノから、アゥルトゥラ。果てはレヴェリ。職業、身分、それらの枚挙に暇がなくセノールの首都であるカシールヴェナとは明らかに異なった。事と次第によってはセノールであったとしても人を憚る事なく、自然に、平静としていられるようであった。まるで腹の中に飼い続けていた業を解き放ったかのようである。そうでないとしたならば、腹の中の業を己の深遠に隠したかのようであった。このクルツェスカで自然に居られるセノール、彼等が羨ましくもあり、自分達を裏切ったかのように思えてくる。尤も彼等は敵ではなく、決して味方でもないため、関わるのは愚行である。
「もう起きてんのかよ」
 珍しく早く起きてきたミュラは、窓から身を出してジャリルファハドへと声を掛けた。昨日の今日ではあるが、表面上は憑き物が落ちたようにあっけらかんとしていて、何時ものミュラが戻ってきている。内心安堵したのは言うまでもない。
「眠っている姿は見せられない故」
「またそれかよ」
「おうともさ。お前も男でセノールの武人ならば、こうなった」
「遠慮しとくぜ」
 ミュラでは兵としての責務は勤まるまい。男であり、武人であったとしてもこの性格ではとてもではないが勤まらない。技術を身に着けたとしても、人を殺めるという瞬間に自分の心を凍りつかせる事が出来ず、延々と悔恨の念に駆られるであろうからだ。彼女は良くも悪くも甘い。そういう意味では人らしく、人の形をした獣ではない。獣というのは自分達のような存在、武人を騙る獣の事を指すのだ。砂漠に残してきた弟分とて、おちゃらけては居るが"武人を騙る獣"であろう。セノールの兵として、心を凍てつかせている。
「それが良い。お前に我々のような過ぎた業は似合うまい」
 呟くように吐いた言葉はミュラの耳に届いただろうか。彼女は身を引っ込めてしまっていた。恐らくは聞き届けられなかったであろう。その言葉が聞き届けられなかった事にジャリルファハドは一抹の安堵を抱き、はぁと溜息を吐いた後に煙草に火をつけた。彼女は彼女らしく生きれば良い。そう在れば、何者に成らずとも良いのだから。

 煙を吐き出したその時、空気が何処となく騒がしく感じられた。所謂憲兵達が色街へと向けて駆けて行く姿が在る。ふと、一人の憲兵と目が合えばそれが難しい表情を浮かべながら此方へ歩み寄ってきている。厭に若く、まだまだ経験の浅そうな憲兵である。何かあったのだろうか。はたまた、その何かのせいでセノールだというだけで疑われているのだろうか。
「お前、この近くで人が殺されたが、何か見てないか?」
「知らんな。確かに昨晩は出歩いていたが、そのような事は見聞きしていない。……どう死んでいた?」
「剣で一突き。お前……」
 憲兵が見ているのはジャリルファハドの腰に刺された刀。視線に気付いたのか、ジャリルファハドはそれを抜いてみせて、憲兵の眼前へと突き出す。一瞬、ぎょっとした表情を浮かべ、脂汗を額から一滴流してみせた。彼の瞳の奥底には恐怖が見え隠れしている。そんな憲兵であったが、意地を見せて声一つ上げる事なく、刀を凝視して見せた。片刃の上に曲刀であるそれが凶器ではないのは明白であり、彼は小さく頷いて、苦し紛れな言葉を吐くのだ。
「突然、刀を抜くなセノール。事と次第によっては――」
「俺を殺すかね」
「なっ……! そんな事は――」
「お前は俺をセノールだというだけで疑って掛かったであろう。俺が刀を抜いたその時に戦いたのは、そういう意思、意図があるからだ。俺が恐ろしいかね。それ程に……、我々セノールが恐ろしいかね?」
 憲兵の言葉を遮り、ジャリルファハドは言い返すなり憲兵は不愉快そうに顔を顰め、朝日に目を凝らし視線を反らした。もう一押しでこの憲兵を追い遣れると確信する。
「お前は蔑西の教えに染まったのだろう。見識を持たぬ愚か者よ、お前にこれ以上、語る言葉は持たん。今すぐ此処より立ち去るが良い」
 吐き出された矢のような言葉。憲兵の怒りの琴線に触れたであろうが、彼は顔を赤らめて踵を返すばかりだった。下に見ているセノールに貶され、矜持に傷を持ったとしても今此処でセノールと争えば、殺されはしないが勝ち目はない。昨今、ジャッバールのおかげでセノールに対する評価が変わりつつある現状、事を荒げれば自身の立場がなくなると憲兵は賢しくも悟ったのであった。
 色街へと向かっていく憲兵の背を見送り、ジャリルファハドは煙草の灰を落として一息。砂漠のそれと異なる顔を見せた太陽を見据えながら、煙を吐き出すのだった。



 骸は胸を一突きにされ事切れており、身元は阿片の売人との事である。クルツェスカにおいて、凶行が起きればすぐに情報は広がる。何者かが凶行を犯したという事と、阿片などと所持すら許されない代物が売られているという事実は、平静に生きてきた者を不安に駆り立てる。その証にソーニアはライフルを抱き締めるようにして、身を強張らせ、その表情には一抹の翳りが在った。幸いにもソーニアの傍らで歩むミュラは平静とした様子である。
(さて……、どうしたものか)
 どうにも街がざわめいているような気がしてならない。すれ違うセノール、厳密にはジャッバールの輩は厭に殺気立っている。心なしか刀以外の武装をした者が多く見られ、人によってはライフルとはまた異なる銃器を持っている者達まで在り、つい先程は袋を被せられていたがガトリングと思しき物を抱き抱えたレヴェリの姿まであった。しかし、このざわめきは彼等のせいではない。恐らくは今回流された血と命が、このクルツェスカにおいて触れてはならない代物の一つであったからであろう。遥か東に伝わるパンドーラーの箱のような物を開けてしまったのだろうか。この刀を無関係な人に振るい、命を奪い、血を流すような事がなければ良いのだがとジャリルファハドは思案しつつ、煙草に火をつけた。煙が街の空気と異なる、やや甘い香りを発し、風に乗って流され、また消えていく。
「……ごめんなさい、なんからしくないわね」
「この空気の中、嫋やげる方がどうにかしている。気に病むな、我々からしても嫌な感じだ。なぁ、ミュラ――」
「は? あぁ、いやいまいち分かんねぇけどさぁ。確かになんつーか……、おかしい」
 漠然としたミュラの感想であったが、彼女も同様の思い、感覚を抱いていた事は幸いであった。危機感を覚えているのと、覚えていないのでは話が違うからだ。
 この空気は一体、何なのだろうか。争い血を流し、死を齎そうとする戦の前のそれとは違う。どうにも巨大な悪心、怨嗟、怒りが渦巻いたような代物。どうにも感覚的過ぎて、上手く説明がつかない。それ故に得も知れず、ジャリルファハドすらも困惑させるのだ。大きく、手が付けられない災禍を齎そうとする意思が働き、何者かが怒り狂っているかのようであるのだ。その怒りを露とする者は、色街での人を殺めた者を知っているとでもいうのだろうか。はたまた、その者を炙り出そうと怒りを露としているのだろうか。それともまだ別の何かを腹の中に飼っているというのだろうか――。
「何も……、事が起きねば良いのだが」
 珍しく憂いを帯びたような表情で、一人ごちるように言葉を吐いたジャリルファハドであった。彼を見据えたソーニアは何処か由来の説明が付かない悪寒を抱き、表情を歪め、顰める。自分が予想だにしていなかった事が起きている。目まぐるしく変わり行く、クルツェスカの状況に己という個がまるで陵辱されているかのよう。ジャリルファハドやミュラが抱く不快感とはまた違う。ハイドナーとガリプの対立のみならず、ソーニアの不安の種が一つ増え、彼女はどこか痛む頭を抑えながらカンクェノへの道を歩むのであった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.66 )
日時: 2017/01/25 00:30
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 言葉にするなれば、ハイルヴィヒ・シュルツは確かな高揚感を覚えていた。初めて見る銃器、其の引き金に指を掛け、引いたならばどんな感覚が在るのだろうかと思惟を巡らせるだけで、只々、言われようのない感情が体を駆け巡っていく。此れを高揚感と言わぬならば他に良い言葉が浮かばない。黒鉄に触れたい、ひやりとしたその優しさに触れていたい。けれども態々許可を取ってそれに触れるというのも些か面倒だ。許可を取らねば尚更に面倒になりかねない。此れの作成者並びに開発者とのコネクションを持っておくことも視野に入れるべきだろうか。否、其れは些か私情が入りすぎだろう。嗚呼、湧き上がる感情を殺さねば、抹殺しなくては。何せハイルヴィヒは、叶うならばただ殺すための機械でありたかったのだから。感情など無く、抹殺対象をただ撃ち殺すだけの機構でありたかったのだから。時折、娘は考える。何故己は人であるのかと。目的達成の為に命を奪う事はこれっぽっちも心苦しくはない。例えそれがつい先程まで言葉を交わしていた相手でも、協力関係にあった相手でもそれは変わりやしない。引き金を引く事に恐怖など覚えない。むしろ、その逆。心地よさを覚える程だ。誰であろうと、何であろうと、銃口を向けられ、鉛弾に肉を引き裂かれ、死へと歩む様を見るのは悪くない。己もまたその可能性を孕むこともまた酷い、興奮さえ覚える。しかし、しかしだ、それが時として酷く娘の心に靄を残して行く。そして彼女はその、葛藤にも似た感情を煩わしく思っている。ただ、それだけ、それだけであった。殺すのに情など不要、例え名を知られようと語らおうと、見知った者だろうと、相手を殺す事にハイルヴィヒ・シュルツは抵抗を覚えない。それを当たり前としてきた、それを是としてきた。けれど、嗚呼、その事実に薄い危機感を覚えるのも、偽りではない。それが酷く煩わしい。やはり感情など、邪魔でしかない、そうとさえ思えて――。
「――――ヒさん……ハイルヴィヒさん! ……あ、もー、どうしちゃったんですか?ぼーっとして」
 レアの声で、ハイルヴィヒは思索の旅路より帰還した。赤い瞳は、ハイルヴィヒを真っ直ぐに見据えて離さない。碧が揺らぎ、瞬きは二つ。押し出されるように漏れる息に僅か、安堵が混じっていた事に、ハイルヴィヒ自身ですらも驚きを隠せずにいたが、顔ばせは変わらぬ冷淡さを保ったままであった。
「……何か?」
「そろそろ出発なのに、ハイルヴィヒさん全然戻ってきてくれないんですもん。さっきからずーっと呼んでたっすよ? なのに全然こっちに気付いてくれないから、その……何か、あったのかなー……って」
 彼女の言葉を耳にして、ハイルヴィヒは碧の瞳を只、静かに瞬かせた。成る程、どうやら己は相当“疲れて”いるらしい。これはいけないとハイルヴィヒは短い息を吐いた。
「悪かった、特に何があったわけでもない。……で君とニコルソンはどうするんだ? このまま上に行くか、留まるか。宿の手配が必要ならば手伝うが……」
 平素と何一つ変わらぬ、淡々とした語り口にて、些かお節介な言葉が紡がれる。レアの赤い瞳がぱちくりと瞬くのを意に介さず、ハイルヴィヒはただ、返答を求め、その赤を見つめる。触れればひやりとしそうな冷ややかな青は、揺らがない。
「…………ハイルヴィヒさんってなんか、案外面倒見いいですよね」
「それは、先の質問の答えになっていない」
 レアが零す言葉に、あいも変わらぬ淡々とした言葉がハイルヴィヒの口からこぼれ落ちていく。彼女の独り言じみた言葉へすら、律儀に言葉を返す様は、ともすれば生真面目か、頭が堅いかにしかみえなかった。決して穏やかとは言い難くも、剣呑とするでもない空気に、レアはなんとも言えない表情をかんばせに浮かべつつ、苦笑交じりの笑みを一つ。短く吐き出す息に、深い意味は何一つ無い。ハイルヴィヒとて、目敏い女ではあったが、かと言って溜息に苛立ちをおぼえるわけでもない。暫しの無言、空白はすぐに破られる。
「まぁ、何にせよ宿は取ってありますから、大丈夫ですよ。お心遣い、感謝ですっ」
 敬礼の真似事をするレアを見やれば、そうか、とだけ短い返事を。行きましょう、と言って手を引くレアに付き従い歩み出す刹那、ハイルヴィヒは思い出したように口を開いた。
「……バシュラール、君に言うべきことが或った。……無理はするなよ。君の目的が何であれ、私には現状関係ない事だが……君は、ニコルソンの“唯一”だろう」
 やはり其れは、淡々として淡白な言葉である。けれどもレアに些かの衝撃を与えるには十分すぎるものだ。本日幾度目か、赤い瞳を瞬かせるレアを見ても、ハイルヴィヒの瞳の色はやはり氷のように冷ややかなままである。口を開きかけて、閉じて、また開きかけるを繰り返すレアを、冷えた瞳は見据えている。その瞳は変わらず、石でも埋まっているかの様に、熱量が無い。吐き出す言葉もまた然り、其のくせ内容ばかりはお節介じみたものであるのだから奇妙奇天烈極まりない。少しばかりの逡巡の間を置きつつも、一呼吸置いた後、溌剌とした笑みを、レアは浮かべていた。
「大丈夫ですよぅ、ハイルヴィヒさん。私はそう簡単にくたばりませんから」
 彼女の言葉に、ハイルヴィヒは少しばかり苦い表情を浮かべた。おや、とレアが思うのは当然であろう。赤い瞳を丸くして、瞬きを数度。何か言い淀む様なハイルヴィヒの言葉を、けれども遮ること無くただじ、と待つこと数秒。
「……君のかわりは、居ないんだ。私の代わりはいくらでも居ても、ニコルソンにとって君のかわりは居ない。だから、その、なんだ……用心し……っ、」
 彼女の言葉は他ならぬ、彼女によって遮られる。ハイルヴィヒが口元を抑え、急にしゃがみ込んだのだ。何事か、とぎょっとしたレアはハイルヴィヒと目線を合わせようとしゃがみかける、けれど、其れはハイルヴィヒの制止の姿勢で思いとどまる事となる。大丈夫だ、と目で訴えるハイルヴィヒの姿に、説得力なんてこれっぽっちもありやしない。己の腕に爪を立てて、ただ荒い呼吸を繰り返す姿の、何処をどう見たら大丈夫と言えるだろうか。
「っ、いい、から……大丈夫だ、なん……でも、ない、から。……先に、ハイドナーについて行って構わない。……明日の集合には、きちんと向かうから。今日は、ここで解散、としてほしい」
 有無を言わせぬ、というほど強い語調ではなかった。けれどもあのハイルヴィヒが、こう、口にするのだ。困惑の表情を浮かべるレアも、最終的にはわかりました、と彼女に告げて葬列の様な行列の後に続いていった。その姿を視線で見送ったハイルヴィヒは、見知った人間が居なくなったとほぼ同時、ポケットから小瓶を取り出し中の錠剤をザラザラと口へと数錠流し込む。バキリ、ポキリバキリと噛み砕いて、嚥下して、息を吐く。未だに吐き出す息は荒い、体が僅かに震えて居るが、しばらくすれば大分マシになったのだから、一時的な解決には繋がったわけなのであった。

 ――さてはて、夜半、寝静まった色街というのも、どうにも落ち着かぬものがある、とヨハン・クリューゲルは一人笑う。カツンコツン、カコツンと地面を蹴飛ばし歩む先に、あてなど或りやしなかった。そも今宵、夜半の外出に意味など一つもありやしない。ただ、そう、強いて語る為れば面白そうな予感がしたというだけなのだ。その予感が的中したと知るのに、そう時間はかからない。何せはたと足を止めれば、向こうから聞こえる足音は二つ。察するに、逃げる者と追う者といったところだろう。さて、こんなにも面白そうな事案を放っておく理由があるだろうか、とヨハンの足は軽やかに、二つの足音を追っていく。して、路地裏で目にした光景は実に凄惨、否、否、愉快滑稽極まりないものであった。成る程やはりと思う反面、ほんの少しだけあの子息が可愛そうにも思えてくる。流石に、そう、流石に。ああ、けれど、やはり笑いがこらえきれない。ケタケタ、アハハと笑ってしまいそうになるのを押さえ込んでいたのが悪かったか、ハイドナーの子息否、当主の視線が此方へと向いている。けれどもきっと顔は見えやしまい。というよりも、見られていたなら顔見知りなのだ、彼は己の名を呼ぶだろうと推測するのは容易いこと。最後に一つ、小さく笑いを零してから踵を返し、屋敷へと戻ろう。嗚呼、主へ報告する事が増えてしまうとは、全く夜半の外出も、悪いものではなかったらしい。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.67 )
日時: 2017/02/01 22:56
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 翌朝、ハイルヴィヒ・シュルツは若干の気怠さを覚えつつ、同僚であるヨハンと落ち合う約束の場所へと向かっていた。かすかな頭痛、全身の倦怠感。双方決して気分の良いものではなかったが、かと言ってこの定期報告と物資補給のための諸々に向かえぬ程ではなかった。そも、向かわないという選択肢自体、ハイルヴィヒ・シュルツの中にはありやしない。にわかに騒がしい周囲を無視しつつ、落ち合うべき場所へたどり着けば、まだ少し早い時間だと言うのに金糸の髪に何処かけだるげな瞳のヨハンは何やら騒がしい群衆を眺めつつ、其処に立っていた。ハイルヴィヒが声をかけるより早く、その存在に気付いたヨハンはひらり、と左手を振る。
「あ、“ドロテーア”! 遅いじゃないか、待ったんだぞ!」
 実にわざとらしい口調で彼は紡ぐ。一瞬きょとん、としたハイルヴィヒではあるが、成る程と状況を理解するのは早い。小さく息を吐いた後、紡ぐ言葉は彼を真似たものに相違ない。演技臭さは皆無、ただ相変わらず淡々とした語調だけれど。
「悪かったな“ヘルマン”大分待たせたらしい。……で、何だ、この騒ぎは。貴様は知っているのか?」
 異なる名で呼ばれたヨハンは実に満足げに笑いながら「ええ、まァ」等と笑った。其れならばさっさと説明しろ、と言わんばかりの鋭い視線に動じる事もなく、何時もと変わらぬヘラヘラとした笑いを浮かべたヨハン、否ヘルマンは、ゆっくりと“ドロテーア”へと歩み寄る。彼女へと手を差し出して、その手を見つめたままの彼女をただ暫し、無言で見つめていた。
「…………ああ、もう、ドロテーア鈍いなぁ! さ、いいから、手ぇ繋いでください。……うん、うん、そう、えらいえらい、よくできました」
 渋々、と言った様子で手を握る少女を見れば満足そうに青年は頷く。そうして、その手を引いて、さも恋人ごっこでもするかのように誘いつつ、ぽつりぽつりと状況を話す。今朝方、クルツェスカの路地裏で死体が見つかった事、死体は阿片の売人であった事、それから、
「ジャッバールの“おねーさん”がまぁ、お冠みたいですよ。……ハ、ハ、周りよぉく見てりゃわかりますって」
 娘も、その言葉には同意したかったのだろう。確かに、とつぶやいて、短い息を吐き出した。青年が歩む侭に2人、歩いていけば件の死体があがった路地裏の方、野次馬らしき人々がごった返する箇所へと辿り着く。別段、少女の方には野次馬根性などありやしないのだが、折角ですしなどと楽しげに笑う青年の言葉を拒絶するのも面倒であったらしい。好きにしろ、と短く返して、手を引かれるがままに、群衆を押しのけて、前へ。
「あっちゃー、流石にもう死体ないかぁ……面白かったのに」
「…………黙れヘルマン、悪趣味にも程がある」
「えー、そうですか? いやぁ……まァ、否定はね、しませんけど」
 そう言えばまた、ハ、ハと青年は笑い声を漏らしていく。赤く濡れた地面ばかりがよく見えて、死体が無いのは全く、滑稽極まりない。あの光景ですら至極滑稽極まりないもので、とてもおもしろかったと言うのに。特に面白い光景もなければ、此処に居る意味も或りやしない。倦怠感からか――青年は彼女が倦怠感を抱いて居る等知りもしなかったが――いささか不機嫌な“相方”を、これ以上連れ回し疲れさせるのも本意ではなかった。そそくさと撤退して、暫し歩む。その最中、ぽつりぽつりと青年は語る。
「……いやぁ、まぁ、なんていうか、はは、僕、ちょぉっと見ちゃったんですけどぉ」
 唐突に、そう、実に唐突に彼は語りだそうとする。何せ正しく、この男は件の光景をこの目で見、会話を聞き、記憶しているのだから。けれどもさて、現在のクルツェスカの中でそんな話を仕掛けたのが悪かったか、罰でも当たったか、二人を呼び止める声で青年の“思い出話”は中断される。振り向けば制服に着られているかの様な憲兵の姿が其処にある。
「見た、とはあれか、先の事件の事か」
 いやはや実に突拍子もない、と青年“ヘルマン”はケタケタと笑う。そのさまを見た憲兵が片眉を吊り上げて何が可笑しいと言うのすら、気にも留めない。
「憲兵さぁん、ピリピリすんのもわかりますけど、僕の見ちゃったのは犯人なんかじゃぁないですよ。いやぁ、もっと下世話な話です。それともあれですか、貴方聞きたいです? 僕ん家の隣のご夫婦の――」
 ニヤニヤとした面構えで、この上なく下世話な話を始めようとした青年の、言わんとしたことを理解したらしい憲兵はさてもう結構だと口早に言うが早いかこちらを軽く睨みつけ、向こうへと行ってしまった。そのさまを見た青年は変わらずケタケタ笑っていたし、娘の方は小さな溜息をひとつ。
「全く、どいつもこいつも変わらんな。あれもあれだがお前もお前だぞヘルマン」
「いやぁ! だって、ねぇ? 善良な“一般市民”にあんな怖い顔してくる憲兵殿なんざぁ、ちょっとからかってやるくらいがちょうどいいんですよ。……んで、さっきの話しの続き……耳貸してくださいドロテーア――……ええ、あれね、ええ、僕見ちゃいまして……犯人は――」
 語る言葉は実に楽しげであった。人様の不幸がさて美味しくてたまらないとばかりに、青年は語る。事の真相、犯人の正体、彼の苦悩も何もかも、さて一切が愉悦に相違ないと言わんばかりの語調を持って。娘はただ静かに、耳打ちされる言葉を聞いていた。別段大きな反応も見せなければ、呆れるでも笑うでもなくただ、変わらぬ表情ばかりが其処にある。
「――と、そういう感じです。いやぁ、ねぇ! 面白いでしょう?」
「状況は理解した、別に面白くもおかしくもない。ただそうなのか、というだけだ……」
 面白みのない反応を返しつつ、娘の眉間に皺が寄る。倦怠感からくる不快感のせいであった。唇を噛み締め、視線を前へと向け直す。そのさまを見た青年は今度は少しばかり心配そうな顔をして、彼女の瞳を覗き込む。大丈夫ですか、と問う声に、娘は答えない。ただ吐き出す息を突如として荒くして、己の手の甲に爪を立てるだけだった。いささかというよりも明らかに顔色が宜しくない彼女をみて、青年は暫し思案する。適当な路地裏に彼女を誘導すれば、これから“補充分”として彼女へ受け渡す予定だった錠剤を数錠、自らの口に放り込み、噛み砕かぬまま、“ドロテーア”へと口移しで含ませる。唇を重ね、舌ごと薬を押し込んだ。別段、こうする必要性などなかったのだがまあ、からかいの一種というやつだ。ゆっくりと唇を離せば睨みつけてくるその視線を笑顔で流して、一呼吸。
「あんまり無茶しないでくださいよー? 飲み過ぎ厳禁っても、まぁ……貴女、飲まなきゃもう駄目なとこまできてんでしょ」
「…………普通に渡せ、馬鹿者。いや……まあ……悪いな」
「謝るくらいならやんないでください。……とか、偽善的なことは言いませんよ。ま、無茶せず、死ななきゃ勝ちってことで。どーせ、そういうもんでしょ、俺らは」
 全くを持って彼の言うとおりだ。所詮は傭兵、代わりなどいくらでもいる存在。守るべき契約はあっても、例え私情があったとしても、最終的には賃金のために働くだけの人種に過ぎない。唇を噛み締める彼女も、ヘラヘラと笑う彼も、守るべき者はあれども、其れは結局仕事に帰結する。契約が延長されなければ其処までであるし、それ以上は望めない。ただ“彼女のために”と思う気持ちこそあれど彼女が屈託ない笑みを向けてくれるのはあくまでも、己が“雇われている”からだと心の何処かで思っている事に相違なかった。
 ――さて、刻限は近い。“ドロテーア”の否“ハイルヴィヒ・シュルツ”の発作じみた其れが収まれば、ヨハンは渡すべきモノを彼女に押し付けて、用事をさくりと済ませた後に、屋敷へと帰るだけだ。「次は何時帰ってきます?」という彼の問に彼女はただ「全て終わったらだ」と、答えるのみである。

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