複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.226 )
日時: 2019/06/26 19:42
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 部屋に帰るとランバートが机に向かって座っていた。彼は書き物に夢中でドアが開いたことに気が付いても別段何かアクションを起こすわけでもなく、部屋の中にはカリカリと紙の上を走るペンの音だけが大きく聞こえた。  
 最初は彼が終わるまで待とうと考えていたが、ふと内容に興味が湧いた。気になって背後から内容を覗こうと近づいた時、首だけをガウェスに向けた。眉根を寄せて鼻筋に皺が寄っている。申し訳ないと謝罪をする前にランバートが口を開いたのだった。
「くせぇな。何を臭いだ?」
 内容を見ようとしたことよりもガウェスの纏っている臭いに不快感を表したを隠す必要もないので正直に伝えることにした。
「ハイルヴィヒの薬をたった今。あなたは?」
「ん、あぁ。文を書いていた。あるご令嬢に手紙を出すと言ったままそれきりにしててな。あぁ、なるほど。にしても本当に臭いな。水でも浴びてきたらどうだ?」
「それ、今やることですか? この時期に水浴びをすれば十中八九凍死するでしょうね」
「何が起こるか分からんからやるんだ。遣り残しは後悔を生むぞ」
 書き終えた男は慣れた手付きで便せんを四つに畳むとキスを落として封筒にしまうをガウェスは気障な男を冷え冷えとした目で彼を見ていた。この男のどこに女性は惚れるだろうか。
「書き終わったのなら皆に顔を見せに行っては? 部屋は教えますから」
「悪いが、むさ苦しい空間は好かんのでな」
「ハイルヴィヒがいますよ」
「眠り姫が俺の接吻で起きるなら喜んで向かうが、違うだろ?」
 ガウェスに視線を向けるでもなく、欠伸をしながらペンを片づけている。言葉の端々からここからテコでも動きがないことをヒシヒシと感じられて最早説得する気も起きなかった。
「そんな物ぐさだからキースの家は軟弱者であると看破されるのですよ」 
「今更気にしねぇよ。それにな、俺は痛いの嫌いなんだよ」
 傷口を労るように撫でている彼を見ていると「一番傷が浅いくせに」と悪態をつきたくなってしまう。出掛かった言葉をぐっと堪えた。
「そんなことでよくもまぁ傭兵をしていたものですね」
「だから怪我しないように無茶はしなかったさ。うまーく立ち回っていたわけ。そこそこ充実してたんだぜ。お前がヘマしなきゃな?」
 顔を顰め言葉に詰まったガウェスを見てランバートは声を出さずに笑う。ガウェスに向かい合うようにベッドに腰掛けるとサファイアのようなきらきらとした双眸がランバートを捉えている。
「にしてもシュルツもひどいことをするな。ガキの時から薬漬けか。代々そうなのかね」
「そこまでは……。ただハイルヴィヒのお母様は夭折したと聞きましたから恐らくはそうでしょうね」
「あの狂犬がお前に話したのか?」
「まさか! エルネッタに教えて貰いました。親交があったそうで」
「エルから?……あぁ、あいつも傭兵してたもんな。噂を聞かなくなったと思ったら盗賊になってたときたもんだ」
「まぁ、こちらに来て傭兵業を行っておりましたが……」
「そうだったらしいな。……あいつの弟子は砂漠で一人になってもよく生き残れたな」
 互いの姿には似ても似つかないが直情的な面など性格は似てる部分がある。後先考えずに行動するきらいがあるが、素直な分、御しやすい。それがこの兄妹に関する評価だった。
「それくらいエルネッタがしっかりと教育してくれたおかげでしょうをあとは、神のご加護、でしょうか?」
「神なき時代に神に縋るのか? バカバカしい」
「貴方は信じていないのですか?」
「信じてたら、傭兵なんぞしてなかったろうな。水を葡萄酒にしたり、手をかざして病気を治したり、そんな奇跡じみたことができるなら、この世から疫病なり飢餓なり消しちまえばいい」
 言い切ってからしまったと思った。黙ったままの彼を見遣り、ついに怒ったのかとガウェスの様子を伺ったが、難しい顔をして考えこんでいる様子だった。顔はランバートに向けているが、意識は向いていない。「おい」と声をかけると、間を開けてから「あぁ」と返事をした。握っていたシャツの裾に皺がついて縒れている。
「イザベラと似たようなことを言うのだと思いまして」
 「懐かしいな。あいつは確か……」
「えぇ、亡くなりました。惨たらしく殺されてたらしいですね」
 らしいと曖昧な返しをしたのは彼は直接イザベラを見ていない。親友の無残な姿を見なくて良かったと思う反面、直接見て、受け入れることが出来なかった己自身に対して口惜しい気持ちもあった。
「あー、すまん。ちと考え無しだったよ」
「彼女の話題を出したのは私ですから」
 気にするなと言われても重苦しい雰囲気に居心地が悪くガウェスの視線を遮るように背を向けて寝転がった。
「ハイルヴィヒは大丈夫でしょうか?」
「立ち直るって信じるしかないだろ。シュルツの女は強かだ。まぁ、ここの赤毛ほどじゃあないが」
 そこまで言ったところでキラに股間を蹴られた記憶が頭を掠める。あれは遠慮や忖度を一切排除した蹴りだった。当たり所が悪ければ本当に潰れていたと医者にも謂われた。考えるだけで背筋がゾクゾクと震え、ランバートは布団を引っ張りあげて肩まで入ってしまう。
 急に口を噤んだ色男を心配し「ランバート?」と声をかけると数秒後に「何でもない」と返ってくる。心なしか言葉尻が震えている気もしたが、それ以上は追求しなかった。
「それ以上に気掛かりなのはスヴェトラーナだ。ハイルヴィヒが起きるたらまた、おんぶだっこされてるつもりなのか?」
「珍しく女性に厳しいですね。女性の味方なのでは?」
「味方さ。男だったら今にでも叩き起こして答えさせてたさ。だが、そろそろ限界だろうな」
 ハイルヴィヒがやられてしまった以上、自分の身は自分で守らなければならない。問題はそれをスヴェトラーナ自身が選択できるか否か。誰かに守られるという甘ったれた選択肢をする者は要らない。
「こんな状況になっちまったんだ。否が応でも選択をしなくちゃいけない。あの子もユスチンも」
「ユスチン殿も決めかねているのでしょうね。どちらに行っても苦難の路しか」
「苦難の路、ねぇ。俺達と一緒だな」
「いえ、我々はまだよかった。失ってしまったが、その代わりにしがらみすらもなかった。せいぜち同族意識の低い親戚に一生恨まれるだけです」
「口が悪くなったんじゃないか、お坊ちゃま?」
「ええ、きっと、フェベス殿やカルヴィン殿のおかげですね」
「だな。だが、あの二人のようにはなるなよ。あそこまでの狂気をお前が孕む必要はない」
 カルヴィンは大切な人を喪い報復に囚われた。フェベスはアゥルトゥラを守るために、謂わば執念に近い覚悟を決めている。なにものの犠牲を厭わぬ彼らに望む未来が訪れるのか。否、訪れたとしても彼らがそれで幸せになれるのか、ランバートには分からない。だが、彼が危惧しているのはガウェスが良心の呵責に耐えきれずに心身を壊してしまうことである。彼らのように強くもなく、非情にもなりきれぬ。自らのように楽観視の出来ない彼が重圧に耐えきれるものか。煽るように水差しの水を飲んだ。
「ようやく温室育ちのお嬢様も成長してもらうときがきたんだ。ガウェス、罷り間違っても自分が代わりに彼女を守るとか言うなよ」
 彼がややこしい事態を引き起こす前に釘を刺せば、端正な顔を歪ませはしたものの反論することなく頷いた。
「……分かっています」
「そこ即答してくれないと困るんだよなぁ」
「ハイドナーは優柔不断なもので」
「知ってたよ、そんなこと」
 カラカラ笑えばガウェスもつられて笑うがすぐに傷口を抑えた。本家と分家の関係もしがらみもない頃は二人でよく遊んでいた。「そういえば」から始まった話は懐かしい昔話をランバートは筆を止めて耳に傾けている。ガウェスが登っていた木から落ちて腰を強打して痣を作ったことや森で狼の糞を見つけたことに互いに戦慄したこと。忘れていた思い出がガウェスの口から語られる度に花が咲くように徐々に思い出されていく。これには無邪気だった頃の憬れなのかもしれない。溌剌とした思い出語りは夜が明けてスヴェトラーナの様子を見に行くまで続いたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.227 )
日時: 2019/07/22 01:23
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ふらふらと歩み寄ってくるその影は、あやふやな輪郭のままだった。篝火に照らされてもなお、その表情は勿論、動いているはずの四肢すら姿を現そうとしない。足音すらなく、ゆらゆらと朧気な影だけが近寄ってくる。それは夜闇に歩く亡霊。そんな印象をミュラは抱いた。
 シャーヒンが、それを見て薄ら笑いを浮かべている。やはり彼も存在はどこか朧気で、人成らざる空気を醸す。一挙手一投足に音はない。彼は人成らざるというよりも、人としての存在感が希薄とでも言うべきか、こんな者が息を潜め、足音を殺して夜闇に紛れたならば、誰もその存在を認識出来ないだろう。闇という一個の巨大過ぎる存在に成り果ててしまうからだ。そして、今こうして近寄ってくる影もまた、等しい存在だ。影が闇に入り、闇より出でては血を流す。そんな武門の一員だと、ミュラは知る由もない。
 その影が遂に歩みを止め、ソーニアを前に立ち尽くしている。身の丈は彼女と同じ位だろうか。腰にはシャーヒンと同じく、大きく湾曲した幅広の短刀が一振り。首巻で鼻まですっぽりと顔を隠してしまっていたが、背格好や、僅かな胸の膨らみから女だという事が分かる。
「茶を無心に来たなら帰った方が良いぞ、これは色の付いた湯だ」
 文句を言いながらも、それに口を付けているのだから、随分と滑稽である。非難めいた視線をソーニアが向けているが、内心ミュラも同意せざる得ず、彼女を擁護する気にはなれなかった。常日頃から節制する為に安く、程度の低い茶葉を買ってくるのだから、仕方がないだろう。
「人から施しを受けたのに、文句だなんて成ってないね。……ま、そういう事なら私も遠慮しておくけど」
 首巻の下から発せられる声、それにミュラは思わず目を見開かざる得なかった。エルネッタのそれによく似通った声、短く切り揃えられた髪や、浅黒い肌。身長や年齢、立ち振る舞いの違いから別人だという事はすぐに理解出来たが、それでも内心、動揺を隠せず思わず目を逸らしてしまう。
「何、ミュラ。どうしたの?」
 座り込んだソーニアが心配げに自分を見ている。何故、視線を逸らしたのか。そして、何故視線を戻さないのかと疑問を抱いたのだろう。強いて言うならば、現実から逃れたいのだ。見てはならないその姿。問うてはならないその名から。今一度視界に収めてしまったなら、その声は口を衝いて出てしまう。
「……別に」
 取り繕う様な答え、その都合悪げな低い声色にやはりソーニアは訝しげな表情を浮かべていた。こんな時もあるだろうと、特に問う事もせず茶を注ぐ。湯気の立った紅茶茶碗を目の前にして、エルネッタによく似た女はそれを受け取っていた。
「どうも」
 一度、遠慮しておくと言っておきながら、素直に受け取る辺り、廓の冷え込みが身に堪えるのだろう。首巻を下ろして、茶に口を付ける横顔は、やはり若かりし頃のエルネッタに似通っていたが、その若さから別人であるとミュラは結論付け、内心肩を落とした。
 未だ湯気立つ茶に熱さを訴える訳もなく、彼女はそれを飲み干した。吐く息が更に白みを帯び、闇へと消えて行く。二人並んだセノール、その様は同じくあった。
「此処の設営は終わったの?」
「阻塞の設営も終わったから、直に地上に戻るわ。ファハド次第、ほらあそこに居るでしょ」
 彼女の指差す先、確かにジャリルファハドの姿があった。五人程のジャッバール兵と何やら打ち合わせをしているらしい。積まれた土嚢に身を預けては、小銃を構えてみたり、土嚢の裏側に引っ込んだりとその様子は忙しない。表情こそ見えないが、あんなに動き回っている姿を珍しげにミュラは見ていた。
「あいつ、大変だよな」
 口を衝いて出た言葉に、黒い瞳が反応し、ミュラを見遣る。じぃっと見つめられ、獲物でも品定めをする様な纏わり付くそれに悪寒を覚えざる得ず、身動ぎ、ソーニアの影に隠れる様に擦り寄った。
「ガキの頃と比べたら、今の方がマシってもんさ。血反吐吐いて死に掛ける事もない」
 瞑られた瞼の裏、苛烈過ぎる修練に毒され、苦悶の表情を浮かべている姿が見える。ジャリルファハドの苦しむ最中、己もまた等しく、地獄の様な幼少期の記憶が呼び起こされる。
「昔からの知り合い?」
 ミュラの右足に腕を回しながら、ソーニアは問う。何だ、と驚いているミュラを気にする様子もなく、黙ったままシャーヒン達を見据えている。
「昔からも何も生まれた時から知っているさ。アイツの苦悩も、苦闘も、腹の中に何を飼ってるかも知っている。……お前達アゥルトゥラよりもずっと、ずっとアイツの事を知っているともさ。なぁ、アースラ」
「そうね、あなた達は本当のファハドを知らない。……冷血にも見えるでしょう、笑わないし、つくづく合理的。機械みたいでしょ、あの人」
 ただ、そんな事はないと言葉なくして語り、ミュラの眼前二人は笑っていた。笑った顔や、胸の前で腕を組む仕草はよく似ていて、彼等が兄妹だという事が読み取れた。腰に差す刀の形も似ている事から、推測に間違いはないだろう。
「えぇ、そうね。迂闊な事はしないし、何時でも最適解を導く。アゥルトゥラとセノールが争うとしたら、最も厄介な将になるでしょうね。……何せ、ガリプですもの」
「然り。サチの尖兵としてクルツェスカを火の海にする事だろうな。その為に生まれた、その為に育てられた。それをしなければ、価値がない」
 シャーヒンの言葉に、ミュラは息を呑む。彼の雰囲気だとか、語り口に緊張した訳ではない。長らく親しんできた存在が、そんな人物だとは思っても居なかったのだ。確かに思考は早く、武芸の腕も立つ。しかし、無情にそんな事を成せるとは思って居なかったのだ。
「……それじゃあ、アイツは何の為に此処に来たんだ」
「戦争の支度だ」
 不銹鋼の精製方法を入手さえすれば、セノールが持つ冶金、製鉄技術の高さに由来する刀剣や、銃砲の類も更に強固な物へと飛躍する事だろう。ジャリルファハド自身がクルツェスカに至った、理由はそこにある。今現在、ジャッバールを止め、セノールとアゥルトゥラの戦争を阻止しようとしているのも、成り行き上せざる得なくなったからである。
 シャーヒンから得たその答え、それはミュラに動揺を覚えさせるに容易かった。思ったよりもジャリルファハドの事を知らない、その事実から彼に対する猜疑心が募っていく。戦争の支度という、漠然とした答えに幻滅すら覚えるのだ。
「……本当かよ」
「あぁ、本当だ」
 今は戦争すべきではない、だからこそジャッバールと敵対する。それが真実であるが、足りない言葉はミュラに不安を覚えさせるばかり。語る言葉は詰まり、言葉を失った事で沈黙が流れていく。
「今、戦争したらセノールは負けるでしょうね、冬に戦うなんて貴方達には無理」
 煽る様にソーニアは言い放ち、温くなり始めた茶を飲み干した。過去の戦争を顧みても、春に戦備を整え、夏と秋に戦い、冬に去る。それがセノールという存在だった。クルツェスカの厳冬、それは彼等にとって死活問題である。暖を得難く、寒さは耐え難く。戦えど戦えど減る事のない、アゥルトゥラ兵を前に去らざる得ないのだ。
「……やってみるか? お前達の認識と今の俺達は違うぞ?」
 笑みを浮かべたシャーヒンとソーニアは向かい合っているも、彼女は身動ぐ様子もなければ、視線を逸らす気配すらない。戦う術など碌に持っていないというのに、随分と剛毅である。本当に女の身に生まれた事を呪うべきだろう。
「人間五十年、そんなに変わらないわ」
 売り言葉に買い言葉とはこの事か、妙な緊張感が漂い、ミュラは固唾を飲んだ。シャーヒンの傍らアースラと呼ばれた女は、全く動じる事もなく火にあたったままだ。やり合うならやり合えば良いとでも思っているのだろうか。
「何てな。……そう戦くな。今はやる気がない」
「やっぱり冗談ばっかり」
 二人は何事もなかったかの様に笑っていて、火にあたるアースラも肩を震わせて鼻で笑っている。まるでミュラの緊張だけを煽る様に、嵌められた感じがして少しだけ顔に熱が帯びていくのが感じられた。
 抗議の声を上げようとした時、炸裂音が鳴り響き、四者一様にしてその方向を見据えた。ジャリルファハド等の居る方向である。恐らくは小銃を撃ったのだ。弾丸の行き先こそ分からなかったが、人に当った訳ではない。土嚢に銃身を預け精度でも試したのだろう。
「狙われなくて良かったなぁ、ソーニア」
 その軽口にやはり二人は顔を見合わせ、笑っているばかり。それが敵対民族だという事すら忘れさせる様な空気を醸していた。
「……戦わなくて良いなら本当は戦いたくないんだけどね。アゥルトゥラとも、セノール同士でも。ただ、大多数はアゥルトゥラとの戦争を望んでる。五十年前の報復を、復讐をね」
 アースラに話し掛けられ、ミュラはびくりと肩を震わせた。どうかしたのか、と彼女はミュラの前に立ちはだかっては怪訝そうな顔をしている。近くで見るとやはり顔は似通っており、若かりし頃のエルネッタを彷彿させる。身長はやや低く、身体もやや細い。全体的に小柄になった印象だが、それでもミュラが動揺を覚えるのには充分だった。
「何、変な人」
「あ、あのさぁ。誰かに似てるって言われた事ないか?」
 その問いに、にぃっと笑ってみせ、えぇと続けるなりアースラは離れて行ってしまった。まさか短い期間、二度も同じ様な事を言われるとは思っていなかったのだろう。このクルツェスカには何かがあった、自分に似通った何者かがこの都に居たのだ。奇妙で、言い得がたい縁を感じながらも、彼女はシャーヒンの傍らに腰を下ろし、彼女は一点を見据える。
 闇の向こう側からジャリルファハドがゆっくりと向かって来る。掌を晒し、人差し指と中指を立て、撤収の合図をしている。夜間や閉所といった隠密性を求められる、戦場にてセノールが使うハンドサインである。恐らくジャッバール兵との調整も終わったのだろう。この酷く冷たい廓、亡者と化生の廓から漸く立ち去れるとアースラは内心、安堵を覚えるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.228 )
日時: 2019/07/11 04:59
名前: 霧島 ◆PTMsAcFezw

“拝啓

 寒さ厳しいこの頃、お父様に於かれましてはいかがお過ごしで御座いましょうか。などと尋ねるのも白々しい事と存じます。故に、いささか手短な要件となりますこと、どうぞお許しくださいませ。
 ハイルヴィヒの件につき、この度お手紙差し上げました。未だ眠る彼女に対し、なにか言葉を綴ることは控えますが端的に申し上げます。彼女を傷つけ、此の様な地獄を作り上げたたった一人を、私は永劫、許すことは叶わぬでしょう。ただ一人です、ただ一人で構わないのです。ただ一人、その人を(塗りつぶされていて読めそうにもない文字が数文字続いている)……故に、お父様、何卒ご決断を。
 ――手のひらの上とは承知です。全て、全て此処へと帰結させるべく皆様が思考する事に違いないのでしょうわかっていますわかっているのですそれで我が家を、ベケトフを護れるなどと思っておりません。とても、とても。……不安定な均衡はすでに崩れ去り、其は最早火種ばかりが燻る煉獄であるのでしょう。嗚呼、お父様、お父様……私は、スヴェトラーナは最低な事を考えております。愛していただいたお父様を裏切る様な事ばかりを考えております。どうか、どうかどうかお許しください、お許しくださいませ。……許してください、お父様。
 
 報復は無意味と知っております。殺意は連鎖し、復讐の円環は止まることなどないとも知っております。仕組まれているとすら錯覚しております。ですが”
 
 少女は不意に、そこで手を止めた。頭が痛い。グラグラと揺れる視界で、静かにこめかみに手を当てる。冷えたタオルの存在を思い出せば其れへと手を伸ばし、瞼の上にそっと乗せた。じんわりと広がる冷たさに静かに、息が漏れる
 ――兄と慕うその人が出ていってから、どの程度の時間が経ったかを確認するより早く、適当に持ち出していた便箋に思いの丈を綴り始めて1時間程が経った頃だ、ということだけは確かな事実である。書いてはこうではないと破り、書いては破りを繰り返すこと4度、5度目の便箋は涙のシミを作りかけ、こうして上を向いていると云う次第である。ハイルヴィヒが眠る部屋へと戻る気力も、ガウェスやランバートに会いに行く気力も相変わらず湧いてこない。ふつふつと湧き上がるのは血のように赤い感情ばかりである。いっそ、第五圏にでも落とされればとすら自嘲気味に笑う事しか出来なかった。再び、便箋へと向き合う、直接に父の元へ赴く事を考えもしたが――いささか厳しいだろう。監視の可能性を思えば己が戻り、演説未満の何かを打ち上げるというのは実に非効率的である。嗚呼、そう出来るものならばそうしたいと、民すら煽動し、全てを焼き尽くせれば良いとすら思考してしまう己が、少女にとってはひどく、悍ましかった。
 不意に、今まで文字を綴っていたペンの先端に視線が向く。なぜか止まらぬ動悸をそのままに、ペンを手に取れば静かに振り上げ、手のひらに突き立てる――事は、出来なかった。出来やしなかった。嗚呼、結局は己もまた己の身が可愛いのであるとひどく、ひどく実感してしまう。恐ろしかった、悍ましかった。こみ上げる吐き気は、されど内容物のない胃を痛めつけるかの様であった。少女は、無言で唇を噛み締める。閉じた瞳の向こうに、嘆きの川が流れているのが見える。
 ……泣いていた、はらはらとこぼれ落ちる涙を、便箋に落とさないようにするので精一杯だった。衝動ばかりがこみ上げてくる。何もかもを燃やし尽くして、溢れる感情をどうにかしてしまいたかった。誰も彼も、築き上げた虚無の上で胡座をかいている様にしか見えない。己も、己の父ですらも。嘆く言葉すら出てこなかった、愚かしいという言葉ばかりで脳髄が埋め尽くされている。言葉にされた全てが図星であった。反論しなかったのは他でもない、そうであったが故だ。這い上がれぬ程深く、深く沈んでいく様な感覚。息をする事すら精一杯で、陸に打ち上げられた魚の様にパクパクと口を開閉する事しかできなかった。固く、双眸を閉じる。もう、眠ってしまおうか。そう思いソファに横になるが一向に眠れる事はなく、むしろ目が冴えてしまっていた。いっそ、花になってしまいたかった。月明かりの元でのみ咲き誇る、美しいばかりの花に。されど、そんなもの妄想、空想に過ぎない。きゅう、と両の手を握りしめる。狂いそうになる。ただ何も知らず、穏やかなばかりの時を過ごす事が出来ない事を口惜しく思わないわけではない。されど思考すら無駄なようで、何もかも諦めてしまいたくて。――嗚呼、けれど、そうしてしまえば己のうちに燃え盛る炎を、怨嗟を消すすべがなくなってしまう。或いは……永遠にこのままであると、しても。
 ――少女は無言で再びペンを執る。文字を綴る。父は既にアゥルトゥラのためにと兵を挙げる事を決めているのだろう。東の長女を呼び寄せた理由もあらかたそうであると知っている。ヨハンが先日此処へと来た理由もその旨を此処の主へ伝えるためである事もまた然り。されどおそらく、あの優しい、優しすぎる父のことだ、最後の一声に悩んでいる事は想像に易い。ならば、嗚呼、そうであるならば。
「――……、……ごめんなさい」
 思わず声がこぼれ落ちる。己一人の空間にて、返ってくる言葉は無い。ただの、自己満足だ。父は己の言葉があれば動いてくれると知っている。最早娘は決意を固め、例え民族を恨まずとも唯一人、個人を滅ぼすために全てを燃やし尽くすと決めたのだと伝えよう。そうだ、少女は民を恨まない、見ず知らずの、ただ己が許せぬと思うたった一人の同族など恨まない。ただ一人、許せぬ一人がいるが故に、何もかもを燃やし尽くし、その悉くを討ち滅ぼす事を“承認”するに過ぎなかった。言い換えれば、その人物以外、どうだっていい。そういう事になるだろう。
 ……己が、ひどく醜く思えた。かねてより己が清らかであると思ったこともなかったが、それでも、今の己がなんと醜い事かと思うとただ、父に、母に、申し訳がなかった。それとも此の怒りは、憤怒は、ごく当たり前の感情なのだろうか。……分からない、わからなかった。きっと永劫、理解できないのだろう。けれど今はそれでも――よかった。
 言葉を書き綴っていれば部屋の戸を叩く音がする。は、としてそちらを向けばゆっくりと開く扉の向こう見える柔らかな金糸、次いで覗く宝石の蒼。
「おや、起きていらしたのですか?」
「ええ……少し前に目が覚めてしまって――お兄様は? 眠られていないのではないですか? ……嗚呼、ごめんなさい、ご心配ばかりおかけしてしまって……」
 ふと窓の外を見れば空は白み始めていた。嗚呼、コレはいけない、と思えど其れを口にすることはなくただ柔らかな笑みをガウェスへと向ける。配慮の言葉を紡ぐ彼に、変わらぬ笑みを向けたまま大丈夫ですわ、と口にする少女はただ其の水宝玉の瞳に柔らかな月の光を孕んでいた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.229 )
日時: 2019/07/23 00:17
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 薄闇にて目を開き、拳を握り締めると、その獣は大きく溜息を吐いた。まだ死んでいない、確りと生きていると改めて実感を得るのだった。寝台の傍らには刀が一振り。血を吸い損ね、怨嗟の念を纏った一振りがそこにあった。寝台から手だけを伸ばすも、空を切る。身を捩り、痛みに呻きながらも遂に刀の柄を握った。刀の傷の痛みを誤魔化しながら、再び溜息を吐いて、ひたすら傷に耐える。皮の裂けた手から血が滲み、柄を伝い、鍔を得て、更に鞘へと伝っていった。流血は床を汚していく。もう少しだけ"合図"が遅ければ、あの屋敷の者達を皆殺しに至ったのではないか、と思えば歯痒く、口惜しい。闇を睨めど、悔恨は晴れるでもなし。今のこの身では悔恨晴らすに及ばず。どうしたものか、と再び溜息を吐いた時、扉が静かに開いた。
 燭台の炎が揺れ動き、青い双眸がじっと視線を向けている。あまり動くなと戒められている様な気がして、それとなく刀を離すとそれは音を立てて、倒れてしまった。
「まったく……」
 床に転がった刀を手に取り、寝台の傍らにある椅子へとバシラアサドは腰を下ろした。足を組み、寝台に伏せたバッヒアナミルに対し、何処か嘲る様な視線を投げ掛けては煙草に火を付ける。
「具合はどうだ」
 バシラアサドはそう問うが、まさか部屋の前でずっと待っていたとは言えず、何処かぎこちなく見える。感付かれまいと顔を背けているのだが、恐らくは感付かれているだろう。そのせいか、彼はうっすらと笑みを湛えている。
「どうって、絶好調に決まってるじゃないですか」
 右手だけを出し、ひらひらと振りながら吐いた冗談。それは煙草の煙に掻き消され、それと共に形を失っていく。己をじっと睨む瞳には怒りとも、哀れみとも取れる色。鈍の差した青、薄錆びた浅葱がそこにはある様な気がした。あまり冗談を吐くべきではないか、と溜息を吐いては横目で見遣る。
「無理をさせる形になってしまった。……すまないな」
 浅葱に影差し、それが深い青を醸す。伏せた彼女を見るに居た堪れず、視線は天井に釘付けられた。そんな顔をするな、目をするな、と言った所で意味もなし、言えた身ではなし。
「いいえ、大丈夫です。……道、掘り終わったんでしょう?」
「……あぁ、出入り口は既に完成しているよ。しっかり、地下道と廓に繋がっている」
 その言葉に彼は肩を震わせて笑っていた、身を削った甲斐があった、血を流した甲斐があったとの歓喜である。虎は刀を携え、単騎駆けた。蛇は暗闇に入り、地に大口を開く。彼の導師は身代わりの羊となる街を睨む。事を起こすのは彪が事を成してから。目の前どころか、鼻先まで争い、流血と死は迫って来ているのだ。
「それは良かった。……夜も明けて来ましたね」
 鎧戸の隙間から、白んだ光が飛び込み、それは細い一筋を描く。そんなに長い時間を眠っていたのだろうか、と歓喜の笑みを乾いた笑みに変え、彼は溜息を吐いた。そして、遂に上体を起こした。制す様に伸ばされた手を彼は掴む。
「腹でも空いたのか? 昨晩の残りしかないが……」
「あぁ、いえ。その……ファハドはどうしてますか?」
「昨晩、廓から撤収し、その足で此処に来たよ。阻塞の設営完了を報告にな。……奴に会いたかったか?」
 問いにじっと一点を見据え、彼はゆっくりと瞳を閉じては、首を横に振るう。言葉を発する事もない姿は何処か落胆して見えた。シーツを握る手は振るえ、血が滲んでいる。じわりじわりと白を汚す、赤の色は彼の怨嗟、怒りが染み出しているかの様にも思える。
 落胆なのか、怒りなのか分からない彼の心情に理解を示せず、バシラアサドの顔付きは険しさを醸し、その青い瞳は細められていた。そんな彼女に気付く様子もなく、彼はシーツを睨んだまま言葉を放つ。
「いいえ、そういう訳ではないです。……一人。そうですね……一人殺し損ねた女が居ます。あと、一太刀くれて遣ったら殺せたはずなんですがね。……ガリプなら必ず殺すでしょう? 俺は所詮ナッサルなんだなぁ、と思っただけです」
 情けないなぁ、と一人ごちて、張り付いた様なにやにやした笑みを浮かべていた。その顔は白み掛った日光を浴び、狂気を醸す。ただの一太刀で殺し得るが、ただの一太刀で死に得るその鉄火場、その狂気に魅入られ、手負いの虎は命を燃やし尽くそうとしている。
「目的を忘れるなよ、馬鹿者」
メイ・リエリス等の目を欺き、行動を阻害する役割で襲撃を加えたというのに、本来の目的から大きく逸れ、彼は殺戮を望む。異民族に対する敵対意識、報復をしようという、意識の上に築かれた殺意は大きく増長し、一人を仕留め損なった事から箍を外れようとしている。
「忘れていませんとも。……我々セノールは半世紀前の怨嗟を晴らすべく、報復を望む。復讐の徒としてアゥルトゥラを女も子も、老いも若きも、殺しに殺し屍の山を作る。……強奪、強姦そんな事はしませんとも、戦争の下らない産物なんて興味がないですから。ただ殺してやりたい。……全てアサドの為です」
 だからこそ、殺し損ねたことを悔やんでいるのだろう。あと一太刀、人垣を飛び越えて切っ先を肉に突き立て、骨の間を縫って臓腑を壊すだけ。肉を、血管を、人間の身を穿ち、切り裂くだけの事が出来なかった。それさえ成せば、砂漠の化身として、命を奪うという事が出来ただろうに。自嘲する様に嗤い、肩を震わせている彼は真の虎となってしまった様で、数々の兵を見てきたバシラアサドすら、その様に恐怖にも似た感情を覚えた。
 ゆっくりと伸ばされた手、その指先は微かに震えているが、漸く彼の肩を掴む。嗤い、震える肩が止まった時、頬目掛けて掌が飛ぶ。正気に戻って来いと、意を決した一撃であった。乾いた音が訪れると共に、頬が帯びた熱に"虎"は目を丸くして、バシラアサドを見据えた。
「……痛いです」
「斬られるより痛くはないだろう、全く。おかしな事を考えるな。……いいか! 寝てろ! まだ夜明けだぞ!」
 怒鳴りつけられ、肩を竦めたその様は虎というより、叱り付けられた猫の様だ。先程、醸し出された狂気は何処へやら。獅子が腹の中に飼う悪魔は、虎の背から離れたのか、素直に彼は寝そべって天井を見据えていた。未だ、頬は痛み、じんじんと熱を帯びる。
「あの、アサド」
「何だ。血迷い言を言ったら傷を叩くぞ」
「いやぁ、止めて下さいよ。それ。……朝飯の時間になったら起こしてください、あと水が欲しいです」
 すっかり平静を取り戻した声色で、要望を伝えると彼は溜息を吐いて、鎧戸を蹴る。差し込む日の光が不快だったのだろう。
「あぁ。……あまり暴れてくれるなよ」
 扉を閉じるか、閉じないかで、えぇという短い返事が聞こえてきた。一歩、また一歩と部屋から離れるにつれ、彼を狂気に引き込んだのはセノールという民族か、はたまた己かと自問せざる得ず、台所の井戸までの短い道程ではその答えなど出る筈もなかった。
 仄暗い水面、そこに差す蝋燭の炎。朱の最中、揺らぐ青には猜疑の色が見えた。ただただ赤い炎ではなく、ただただ青い瞳という訳でもない。目には見えない青褪めた鈍色がそこにはある。もう戦争は止められない、しかし、よく見知った同胞を戦禍に巻き込むのは憚られる。此処まで重圧という物が不快だとは思いもしなかった。であれば、その重圧を吹き飛ばすのは何か。それを何か、何かと問うならば答えは一つしかなく、彼女は北を睨む。壁を貫いた視線の先、そこに在るのは廓か、はたまた北方の地か。それは誰にも分からず、彼女自身が誰かに語る事もない。
 水差しに注がれた水は冷たく、強い酒でも割ったら美味い事だろうと、内心思いながら再び虎の元へと戻っていくのだった。
「入るぞ」
「えぇ、どうぞ」
 人の屋敷の一間を占拠しておいて、どうぞとはどういう事だと思いながらも、扉を押し開ける。また上体を起こして、彼は此方をじっと眺めていた。喉が渇いているのか、水を無心するように水差しから視線が離れない。
「昔、よくぼこぼこにされたファハドをこうして看てましたね」
「そんな事もあったな……アイツはお前みたいに余計な事をべらべら語る事もなかったが」
「昔から真面目というか、暗かったですからね」
「口数が多いのは見っともないそうだ。……ナミル、胸に刺さるだろ?」
「……えぇ、物凄く」
 肩を落としながらも、彼は穏やかに笑っていた。腕こそ立つが頭も回らなければ、上三人の兄達の様に口数は多く、べらべらと無駄話が多い。ジャリルファハドは口数こそ少なく、頭は回る。彼とは正反対にも思える。そして、彼の見っともないという言葉が刺さるのだろう。実兄の様に慕ってきた人物だから尚更だ。
「あの、水貰えます?」
 傷に障るのか、動きたくないのだろう。手だけを伸ばし、水差しを再び無心してくる。指先が掠めるか、掠めないか程度の位置でからかっていると、終いには体を動かして水差しを引っ手繰ってしまった。
 喉を鳴らし、水を飲んでいる姿はやはり何処か野性味があり、必要以上に整った顔立ちと相反している様に思えた。名前負けをしている訳ではなく、きちんとその通りに育ったのだろうか。
「この後、どう運ぶんですか?」
「……そうだなぁ、此処に残るのとボリーシェゴルノスクに行く面々に分けている。北は寡兵だが、ハカンの小父が指揮を取る」
 問題はない、と続け空になった水差しを受け取った。彼が指揮を取るという事は、ボリーシェゴルノスクで行われる事が目に見えている。警戒の目を掻い潜り、反撃を貰うよりも早く、指揮官の首を取る。寡兵であるが故の選択、寡兵でなければ出来ない芸当なのだ。
「へぇ……ベケトフなんて殺し甲斐があるとは思えませんけど」
「敵と当たるなら甲斐がない方が良い。それに敵は東からも来ている。……争う本命はそっちだな、首を取るのはユスチンになるが」
 雪原に伏すは強固な兵、それらを東部防衛の重要人物が指揮を取る。厄介以外の何者でもない、であるからして狙うべくはベケトフの家長を狙う。防衛に加担する大義名分を喪失させる必要があるのだ。ベケトフとはユスチンであり、彼は確かにジャッバールに降ったが、あくまで"彼は"である。詭弁で逃れようなど、そんな事は許されない。事が起きたならば、ベケトフ自体は降っていないと"詭弁"で大義名分を作るだけの事なのだ。
「俺はどっちに」
「此処に居ろ、事が始まるまで身を休めて貰うが、始まったら頼りにしている」
「……えぇ、了解です」
 バッヒアナミルは手元に置いておきたい。彼は手放す事が出来ない、護衛であり懐刀である。何よりこの都に伏せた毒に一人でも抗えるであろう、人物であるからだ。彼を失えば、手放せば周囲は敵だらけになる。それだけは避けたいのだ。
 バシラアサドのそんな考えなど、露知らず。彼はぼんやりと一点を睨む。先の様に狂気を醸す訳でもなく、頭は厳冬のクルツェスカの様に冷え切っている。仕留め損なった獲物を狩る算段、それだけが頭の中をぐるぐると反復しているのだ。流血と暴力、そして死を如何に齎すべくか、虎は考え込んでいるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.230 )
日時: 2019/07/28 21:32
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 日こそ昇れど、この西部の空は暗く、鈍色の空から降る白雪すらもその色が呑み込んでしまう。宛ら、歴史の大きな流れに呑み込まれて行く、人間の如く。ただの一人、その生も死も些事でしかない、そう吹雪が酷な言葉を語る。
 その言葉は扉を、窓硝子を、人を無遠慮かつ無慈悲なまでに殴り付ける。酷い天気だなぁ、と掘られた穴の中から顔を覗かせて、セームは笑っていた。東部は風こそ吹き荒ぶが、此処まで酷い天気をしていない。こんな場所で野営をしたり、兵を長期間駐屯するのは出来る事なら避けたい等と思っていた。こんな土地、こんな気象下では半日も外に居たら、手足が青褪めて落ちる事だろう。
「セーム! 笑ってないで早く穴掘りをするんだな!」
 古参の兵がそう茶化してくる。彼はセームがまだずっと若い頃から、寝食を共にし、戦場を共にして来た戦友である。貴族は戦の仕方を学ぶが、武器の扱い方、穴の掘り方、土嚢の積み方などは知らない。出来たとしても本職の兵士には敵わない。彼はセームにそれ等を教えた兵の一人でもあるのだ。謂わば、戦場での恩師というべきだろうか。しかし、例えそんな関係であったとしても、貴族と平民。本来ならばこんな口利きをしてくる事すら許されないが、そんな事はどうでも良い。彼女が重視するのは礼儀でも、品格でもない。ただの一つ実力と経験、そして知識と実行力である。であれば、この現場仕事に於いては指揮官たる自分は最底辺にある。彼に戒められ、仕方ないと笑いながらも円匙を握る力を強めた。
 積もる新雪の上、茶色の土が放り出されては、雪に覆われ、凍て付いてを幾度となく繰り返し、それを傍目に別の兵等が、家主を失った家々の扉や、壁をぶち破る。その穴には大砲を押し込んでは、土嚢を積む。そこには古い品物ではあるが、大口径の火槍の姿も見える。物はともあれ、即席にも程がある特火点を構築しているのだ。大砲の砲弾は勿論、ジャッバールが持つ小銃の弾すら貫通してくる事だろう。本来ならば混凝土でしっかりと防護を行うのだが、その物がないのだから仕方がない。
「……随分、派手にやってますね」
「まぁ、私達がこっそりだなんて有り得ないからね。事を構えるんだ、大胆に不敵に、目の前でやる。これに限るね。クルツェスカの奴等はそれが分かっていない」
 相手の目に晒されたとしても、寧ろその行動を知らしめる様に振舞う。そんな行いは東部で争い続け、実力と経験を積み続けた軍隊しか出来ない。西部の貴族達の様に、仮初の平和に座し、呆け続けてきた者達にその度胸と実力はないのだ。それはベケトフは勿論、クルツェスカのメイ・リエリスとて同じ事。尤も彼等は本来の貴族として振舞おうとする者達と、懐刀を忍ばせている。全く同じ物として、語るのは無理だろう。
「ほら、ダーシカ。君も早く穴を掘れ、汚れなんて気にするな。どうせ血で汚れるんだ」
 ベケトフの屋敷に繋がる塹壕──というよりも地下道が正しいだろうか。ダーリヤもその建築に借り出されていた。セームに急かされ、土を掻き出しては外に放り出す。更には家々を壊し、引っ張り出した建材を骨として組み込んでいく。不慣れな仕事に募る疲労と、酷寒に身を蝕まれていく。温めた葡萄酒でも飲まなければ、やっていられない。凍り付いた髪や、睫毛が煩わしく、耳も頬も手指も痛み始めている。
「指揮官、士気が低いぞ」
 ルフェンスの兵が土嚢を幾つも抱えながら、そう揶揄してくる。彼等は笑顔を浮かべている訳ではなかったが、その語気は軽く、この重労働に辟易している様には見えなかった。尤も彼等も蓄えた口髭と眉が凍り付いているのを気にしている様だが。
「そうだ、そうだ。此処に女も男も、子も爺も関係ないからね」
 やはり土を掻き出しながら、セームはそう語る。女の身など、自身とダーリヤしか居らず、子の姿などない。爺と言われているのはユスチンだろう。彼もまたこの土木作業に狩り出されているのだが、今頃泣いているのではないだろうか、と思い描けば、少し面白くなりダーリヤは鼻で小さく笑っていた。
「ダーシカ、笑ってる余裕なんてないよ。ほら、見てみな」
 促されるまま塹壕から顔を出す。見回すまでもなく、ダーリヤの視界に入るのは阻塞の材料として破壊された廃墟。それらが立ち並び、一部はルフェンスの兵が補給拠点、特火点として使用している。そして、その奥にはジャッバールが所有する汽船や曳船が十六隻、ある船は横腹を晒す様に接岸し、ある船は上架している。舳先や船体側面には火砲を設置すべく、架台が見える。
「あれを座礁させて運河を塞ぐ事だって出来る。船の腹をこっちに向けてるのも、大砲を撃つ為だ。私達が穴掘りしてるのもそういう事だよ」
 闘争は近い、と語りながらセームは土嚢を放り投げた。穴に隠れるのは砲弾を、銃弾を避ける為。土嚢を積むのは反撃時、少しでも身を隠す為。家屋を壊すのは生き残る為。その行いに嘗ての姿が失われていけども、戦をするに仕方ない事なのだ。橋頭堡は既に確保され、距離は十町分もないだろう。
「……あそこに隠れている兵の正体は──」
「だから困るんだよ、戦わないにせよ。何処の武門かって位は調べて欲しい位だ」
 霧に手を突っ込まなかった。丘の向こうを覗かなかった。セームがユスチンを誹るに使った文言が脳裏を反復する。確かにあの船の中、港を占拠している武門の正体は知らない。ジャッバールの兵だ、という事しか知らない。これを知っていたなら、対策の一つや、二つも出来たのだろうが、ベケトフは何もしてこなかった。兵を並べるだけ並べ、鳥篭の中で遊び呆けていたと誹られても仕方がないだろう。
「だから、ユスチンには何も言わせない」
 街を壊すなだとか、景観がどうだとか、そんな寝惚けた事を抜かしたら最後、セームは手を引く事だろう。ともすれば此処の実質上の主権はジャッバールへと移り変わる。流血と死を以てしてだ。ベケトフは座し、身動きを取らなかった。だからこそ、今になって。有事に瀕して発言権すら無くなってしまったのだ。
「私がスヴェトラーナだったら、ユスチンを殺していたよ」
 静かに笑いながら、セームは土嚢に土を詰め込む。さも当然の様に吐いた言葉に、思わずダーリヤは息を呑みながらも、彼女もバシラアサドと同じ様に親殺しをして、家督を掌握した人物だという事を思い出す。とんでもない人物を招いてしまったのではないか、と今更になって不安を覚えた。
「此処は運河がある。というよりそれしかない。では、そこを抑えられたら死ぬしかない。首の皮が繋がってる……いいや、繋げる選択をしたのが運の尽きだね、無能な為政者を前に誰も街に戻ろうなんて思わない、そういうもんさ」
 だからこそ、暫くは戻るべき場所は要らない。そうセームは続け、塹壕から顔を覗かせた。景観の良かった街の姿など、今や何処にも存在しない。住まうのは無力な虚無。蔓延るのは悪心を孕んだ獅子の徒。そして、招かれたのは戦場に生きる狐の徒。この街は最早、人間の生きる場所ではない。白い魔物が吹き荒び、声高な風がそう語らうのだった。




 彼の導師は吹雪の向こう側を睨み付けていた。東部の兵が主力だが、塹壕を掘り、阻塞を築く。彼等は明らかに戦の用意をしているのだ、銃を携え、砲を構え、雪と土に塗れてはいるが、士気は高いらしくたったの一晩の内に防衛線、拠点を粗方作ってしまった。迂回すればそれまでの事だが、後顧に敵の拠点を置くのは危険でしかなく、何よりそこを足掛かりに港へと、攻撃が行われかねない。
 どうした物かと、双眼鏡を下ろし彼は溜息を吐いた。此処はベケトフの土地だが、たったの一晩でルフェンスが実権を握った様に見えた。それは形式上、ジャッバール配下にあるベケトフの離反である。討ち滅ぼす大義名分は完成し、その行いは正当な物となった。東部のベケトフを呼び寄せた段階で、大義名分も正当化も成された様な物だったが、昨日の事でそれははっきりとしたのだ。
「……ハカン公、塹壕戦の経験は?」
「ある訳がないだろう。何なら我々は真っ向から戦った経験すらない。なぁに、やる事は決まっている」
 闇に入り、闇を駆け、闇を抜けては血を流す。たったそれだけの事。それしか出来ないが、それをやらせておけば事は確実。ベケトフが死したならば、ルフェンスには戦う大義名分が消え失せる。守ってくれと頼まれたが、その対象が消えてまで自身が血を流す理由はない。ユスチンを討つ、たったそれだけの事。
「シャーヒンを呼び寄せるべきだったか?」
「いいや、アイツはクルツェスカに置く。此処に来ても仕方がない」
 この街を落とすには持て余す、と判断したのだろうか、傍らの兵は納得した様に首を縦に振って、艦橋へと戻って行った。誤った判断をした愚かな兵を鼻で嗤う。シャーヒンはジャッバールを裏切った、密かな離反をさせたのだ。しかし、彼は最後の最後まで、その刃をジャッバールへと向ける事はないだろう。だからこそ、クルツェスカに彼は置く必要がある。娘に家門を守らせたが、息子には他の武門、引いては民族を守らせる。その為には命すら彼は擲つ。骨の鷹は今に己の死すら厭わぬ兵となる。
 踵を返し、艦橋の扉を開けば、同胞達が火に当たっていた。彼等に何か声を掛ける訳もなく、そのまま船底へと下って行く梯子へと向かって行った。そこには機関はなく、小銃やそれらの弾が多く並べられている。
「ハカン公。そういえば聞きたい事が」
 扉から顔だけ出した兵の面持ちは、何処か緊張している様にも見えた。視線はアル=ハカンに向かっておらず、その背後に向かっている。じっと彼を見据えてから、その視線を追えば勝手に兵が語り出す。
「……"化物"は何時使う?」
 廓より引き連れ、囲い、養い続けた怪物。彼等は船底に封じ込められ、眠り続けている。二匹が三匹に、三匹が四匹に。増えに増えた後、共食いをしては数を減らす。その異形は最早、廓に居た者達とは違う。
「首を取ってからだな。……そんな事を心配するより、お前達は身体を休めろ。この寒さは堪える」
「……あぁ、分かった」
 答えを得られ、彼の兵は顔を引っ込めた。ボリーシェゴルノスクに戦火が及んだなら、恐らくはこの街を化物と闊歩する事となる。その際、彼等との戦を避け、守兵と化物で損耗させたいのだろう。無作為に争うより、危機を回避するのが賢明である。
 甲板を一枚隔てた、船底にて何かが這いずり回っている。その姿を見る気にも成らなかったが、その恐ろしげな唸り声にアル=ハカンは静かに笑うのだった。時が来たならベケトフの首を取り、ルフェンスの兵に化物を差し向ける。兵は神速を尊ぶ。そして、神速の果てに陣を築き、運河の全権を掌握する。その一手はもう直に完成するのだ。

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