複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.68 )
日時: 2017/02/07 02:38
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

護衛ほど名誉があり、そしてこの上なく退屈な仕事は無いと、ある男は語る。仕えている主は扉の先で商談を行っており、こちらがどれほど暇を持て余しているかなど想像していないだろう。それを指摘する者はおらず、自らもそれに異議を申し立てられる度胸も勇気もない。そのくせ心の中では、何か仕事を申し付けてくれれば時間の浪費は少なくなるものをと、毒づいているのだから、自らの矮小さ意気地のなさに笑うしかあるまい。
「ああ、暇だ」
 全ての不平不満はその一言でまとめられてしまって空気にふわりと溶けていく。彼は誰も来ないであろう廊下をぼんやりと眺めてはそんなことを呟き、相方の男と他愛ない話をする。時折、ドア越しに取引相手である青年の笑い声が聞こえては、酒でも入っているのかと思うほど饒舌な語りが聞こえてくる。こちらに零れてくる言葉は途切れ途切れで、何を言っているのか推測することは出来なくとも、今回の商談も上手くいっていることは理解する。二人の護衛はホッと息をつく。僅かばかり張っていた緊張の糸も緩み、思わず大きく欠伸をすれば目の端には涙が溜まり、それを人差し指で拭う。
「ガウェス殿」
 これはどちらの言葉か。再び開かれた瞳が捉えたのはズンズンと大股でこちらに向かってくる偉丈夫の姿。飴色の髪を揺らし、夏の空を思わせる澄んだ青色の瞳を、子を殺された母親の如くギラギラと輝かせ一直線に来るではないか。彼が狙うのはただ一点。そう、彼らの背後にある扉である。柔和な笑みはすでにナリを潜め、幾分か強張った表情を見せる彼に「何か用か」と問いかければ「ここを開けてくれ」とこれまた、彼らしくもない幾分か低い声でそう訴えてきた。
「それは……出来ません」
 喉の奥から引っ張り出したきた言葉はひどく掠れ、それでもガウェスの耳にはしかと届いたようだ。扉の先に向いていた感情の矛先が変わった。月明かりに鈍く照らされた刃を喉元に突き付けられたような緊張感。それは命を危機を連想させ恐怖を呼び覚ます。歴戦の勇将ならば剣の柄に手をかけ、彼を睨みを利かしただろう。しかし、戦闘経験が乏しい彼らにとってはゴルゴンの眼と同じ。凍てつかせるには十分な代物であった。
 二人の間を抜け、ガウェスは勢いよく扉を開け放つ。蝶番がギィギィと死にかけた虫のような声を上げるが構う物か。彼は扉も閉めず遠慮もなしに部屋の中へと侵入すれば、何があったと四つの双眸が彼を射抜く。しかし、今の彼を動かしているのは父に対しての猛烈な怒り。彼らの視線などガウェスにとっては気に留めるのも億劫に感じる些事である。彼は怯まない。一度ゆっくりと部屋の中を見回し、再び商談相手の方に視線を移す。ロトスの真向かいに座っているのは燃えるような赤毛、ヘーゼル色の瞳に頬のソバカスが特徴的な若い男。白いシャツ、黒いズボンという正装に近い服装をしているものの、蝶ネクタイはしておらず、第二ボタンまで外している。そこから家紋が入ったネックレスが輝いている。
 彼は異国の貿易会社モリス商会、次期会長候補の一人『メンデル・マーシャ・モリス』。モリス三人兄弟の次男坊。兄弟の中で最も商才に長けているといわれ、将来を期待されている有能株。ガウェスとはパブリックスクールを共にした顔馴染みであった。
「ガウェス、挨拶をしなさい」
 口調は穏やかだが、有無を言わせぬ威圧感を感じさせる声であった。思わずメンデルが息を飲む。ガウェスは父親の発言など気にも留めず、マホガニーで出来た上質なテーブルに先程阿片商人から奪った許可証を叩きつけた。
「お聞かせ願いたい。何故、阿片商人がこれを持っているのですか」
 彼の清廉なる騎士が言うにはあまりにかけ離れた言葉にメンデルは驚き、食い入るようにその書類を読んだ。そして絶句した。一方のロトスは僅かに眉尻を動かしただけですぐに平静さを取り戻し、じろりと見上げるようにガウェスを睨みつける。そして挑発するように彼に向けて口元だけ歪んでみせたのだ。
「はて、何のことだか」
「惚けるな! 今朝、阿片商人から聞き出しました。ハイドナーから受け取ったと。あの売人はそう言ったのですよ」
「今朝だと? ガウェス、あの騒ぎは原因は君か!!」
 今度は驚いたとメンデルが声を上げる。
「なんてことをしたんだ! 法で裁いていない者を斬るなんて」
「彼の者は我らが地を、民を穢しました。ならば」
「そういう問題じゃない。それに秩序やルールを守ることというのはな、人が人であるための証明じゃないか。秩序もルールも全てをかなぐり捨て、本能や感情のまま行動するなんて獣のすることだ。何もよりも、君の軽率な行動でここに住まう民がどれほどの不安に苛まれることになったのか。理解できないほど君は空け者じゃあないだろう」
 風にも雨にも負けずに立ち続ける樫の木のように真っ直ぐな視線。嘘偽りない本心からの言葉は、ガウェスの心に深々と突き刺さることになる。メンデルとは幼い頃からそういう男であった。言動や元々の口調、服装が彼を軽い印象を植え付けるが、本来は公正を愛し、正義に燃える熱血漢。そして他人を思いやれる寛容な人柄である。ガウェスはそんな彼が羨ましかった。
「ロトス殿にも話がある。信じたくないが、あなたは本当に」
 この時、ガウェスが父への理解を示していたらこの悲劇は起こらなかったやもしれぬ。ハイドナーとして弱みを握られた父がどんな行動をとるのか、彼はもう少し考えるべきだったのだ。
 聞き慣れたくもない音、嗅ぎ慣れたくもない匂いであった。しかし彼は知っていた。否、彼が身を置く環境では否が応でも慣れなければならなかった。その音を、匂いを、感じ取った時、それは命潰える音であると。
「何故撃った」
 ギシリとソファーのスプリングが軋む音と共に、メンデルはガウェスと同じくらいの体躯をソファーに預けることになった。眉間からとうとうと血を垂れ流す顔馴染みは今や物言わぬ骸に成り果て、光を失い濁りきった瞳は今や虚空のみを映す。ガウェスが羨むほどの生前の輝きは老いた星のように消え失せてしまったのだ。
「何故、彼を撃った!!」
 まるで獣の咆哮のようだとロトスは薄ら笑いを浮かべた。そんな父に対しガウェスはついに剣を抜いた。血液は付着していないものの、未だ鉄臭さは拭いきれておらず。そんな死臭を香る剣の先を自らの父親に向ける。
「父親に剣を向けるか。騎士の矜恃とやらは何処にいったのかね」
「黙れ」
「黙っていては答えられまい」
 彼に殺されぬ確信があるのだろう。武器を向けられてなお、その顔に焦燥が浮かぶことはなく、この状況に悦を見出しているようであった。 
「いい顔だ。殺意、憎悪、怒り、悲しみ、困惑……僅かに見えるのは私への思慕か。全てが混沌と混ざり合っている」
 ようやく入って来た二人の守人はソファーに力なくメンデルを見ると小さく悲鳴をあげるが、武器を向けられているロトスを見るとサッと顔を青くし二人の元へ急ぐ。それをロトスは手を突き出し、制止させた。
「お前のせいでもあるのだよ。彼が帰るまでこのことを我慢していたら、彼は我々の秘密を知らず命も失わずに済んだ」
「殺す必要はないはずだ」
「人の口に戸は立てられまい。ならば確実な方法で塞ぐまで」 
「だからと言って、こんなことが赦されるわけがない」
「赦されようとなど思っていない。隠してしまえば無かったことになるだろう?」
 悪びれた様子もなく言い放った一言に対して、更にきつく睨みつけ、深く刃を食いこませることで抗議した。もしもこのまま右腕を真一文字に動かせば、簡単に首を落とすことが出来るだろう。全身を駆け巡っている血液は沸騰しているかのよう熱く、心もひどく沸き立っている。
「ハイドナーを守りたいのならば、このこともあのことも全て隠し通すほかあるまいなぁ」
「全てを白日の下に晒すべきだ。どんな罰をうけることになっても」
「私が止めろと言ってもか」
「ハイドナーの当主は私だ」
「ほぉ……」
 ガウェスが父を睨み、ロトスは息子を睨む。ただただ無言の攻防。血の滴り落ちる音と時計が針を刻む音だけが無情にも響き、二人の守人も息を殺して、二人の行く末を見守っている。
 時間にしたら一分、いや、もっと短かったかもしれない。部屋全体に聞こえるよう、わざとらしくため息をつくと共に口元をフッと緩めたのはロトスだった。
「……よかろう、そこまで言うなら手出しはしないぞ。だがな、我々がしでかしたことが明るみに出た時、ハイドナーは確実に滅ぶ。お前はそれでいいのかね」
 初めてガウェスの瞳が揺れた。手ごたえがあったとロトスは確信する。
「貴様の母親はいつも言っていたはずだぞ。ハイドナーの守ってくれと。母親の最初で最後の望みであろうなあ。お前はそんな母親の願いさえ、踏みにじるのか?」
 幼い頃に亡くなった母親のことなどガウェスは殆ど覚えていない。せいぜい記憶の片隅、もっと言えば残りカスみたいな物しか彼の頭には残っていない。だが、そんな記憶でも大切にしたいと思っていた。母親との唯一の思い出であるが故に。
 首元に当てていた剣をゆっくりと外し、目線も下に落とした。ロトスの首には薄っすらと赤い線が一本入っており、かさついた指先で撫でながら彼の横を通り過ぎようとする。
「図々しいことだというのは重々承知しております。ですが、メンデル殿の死の真相だけは」
「駄目だ。メンデル氏は不慮の事故に遭って亡くなったとお伝えしろ」
「ですが、それではあまりに……。待ってください。父上」
 剣を下した時点でガウェスがロトスを殺すという意思が無くなった時点で、彼はロトスとの駆け引きに負けたのだ。息子の話は今や聞く価値などあらず。今度は歩みを止めず出口へと向かっていく。
「ご苦労、ガウェス。これからカンクェノに往くのだろう」
「お待ちください。こっちの話はまだ終わっていません!」
「それまではゆっくり身体を休めるがいい」
「父上ッ!!」
 部屋を去る父を追おうと立ち上がったガウェスは先程の男二人によって即座に床に押さえつけられる。屈強な騎士も、男二人に押さえつけられては動けまい。扉が閉まる寸前、僅かに振り返った父が見せたのは今まで見たことがないほどに歪んだ父親の笑顔だった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.69 )
日時: 2017/02/01 22:35
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 ふと、穏やかな日々を思い起こすように、優しい夢を見る事があるのです。母が語り、父が笑い、使用人達が穏やかな眼差しで見守ってくれる、あの日々の夢を。何もかもが壊れずに、只穏やかに過ぎていくだけの、優しい夢。幸せの欠片を思い起こす様な其れです。嗚呼、この夢は、暖かいこの夢は――――私の、大嫌いな夢なのです。悪夢ならばまだ構いません。嫌になって途端に目が醒めるのですから。けれども暖かな夢の目覚めは、至極穏やかなものなのです。だからこそ“私”は其れが嫌で嫌でたまりません。幸せを夢に見、幻視するという其れは即ち、愛すべき現実に満足していないという事をまるで、ありありと見せつけられる様なのですから。嗚呼、やめて、やめてください。お母様はもう居ません、頭をなでて笑いかけてくれるその人はもう居ないのです。私のせいでその人は、もうこの世には居ないのです。16になった私の頭を、お母様が撫でてくださる事は或りえないのです。実現しない夢なのです。見たくもない、見たくもない! こんな光景を夢に見てしまうなど愚かしい、悍ましい! “私”は今を幸せに生きているのです。籠の鳥でも構いません。外など出ずとも構いません。“私”の進むべき道が一つに定められていようと、それは仕方がない事なのです。それよりも、こんな夢を見てしまうくらいなら、いっそ――。ああ、けれど、そうか、そうなのでしょう。“私”はきっと、悪い子なのです。外にこがれる気持ちを、どんなにしまい込もうとも、鍵を掛けてしまおうとも、消せないのですから。これが罰であるというならば、“私”は。

 ふわりと、意識が少しずつ引き上げられる。幸せだった光景を瞼の裏に覚えたままで、少女が目を覚ませば、目にうつるのは薄暗い空間、見知らぬ天井。否、否、見知らぬ其れではない。寝起きでぼんやりとした脳にある記憶を辿れば、眠る前にもこの天井を見たとすぐに思い出せる。ランプに照らされて仄かに色づいてはいたけれど、これと同じ天井である事は間違いない。少女を暖かく迎え入れてくれた傭兵らしき彼らと、暫しの休息の後に語らって、気付けば時計の針が遅い時間を示していたからもう眠らなくては、と申し訳ないながらも早めに就寝した、そう、そうだ、思い出してしまえば早いもので、すぅ、と吸い込む息の埃っぽさも、昨日感じたものと何一つ変わりやしない。寝ぼけ眼をゆるりとこすり、未だぼんやりとした瞳で周囲を見回せば、早起きなのだかずぅと起きていたのだかわからないが、ついぞ昨日語らった男の一人が少女の気が付き、ゆるりと手を振ってくれる。ついつい少女の表情が緩んでしまうのも、仕方なき事。穏やかな笑みを顔ばせに湛え、静かにおはようございます、と挨拶を紡ぐ。ぐらりと重たい頭は未だ寝起きの気を残したままだ。薄らとした意識の向こうに見た夢を不意に思い出せば、はたと、恐ろしい心地に襲われる。壊れた幸せをいつまでも追い求める等、愚かしい。愛しい日々が壊れた事実をみとめるのが侭、恐ろしい。悍ましい光景が脳裏に浮かぶ。身震いを一つ。震えそうになる声をぐ、と堪えて、努めて穏やかな顔をして、ゆっくりと立ち上がる。
「……ご機嫌よう、お兄様。何だか、すみません。私ばかり眠りこけてしまって……お兄様、きちんとお眠りになられましたか?」
 そんな言葉を眉尻を下げ乍らゆるりと投げかける。彼は如何せん、“お兄様”という呼称が気恥ずかしいのか、なんとも言えぬ曖昧な表情を浮かべて、頬を掻きながらけれども笑っていた。その様を、少女の硝子玉の様な一対の瞳はただ真っ直ぐに見つめている。瞳の奥に揺らぎを持って、けれどもただ、彼を真っ直ぐに見つめる瞳は澄んでいて、それでいて何処か無機質であると、語ったのはさて、誰であろうか。最早どうでもいい事である。ただ澄んだ雪の青が其処に一対鎮座して、柔らかな色を宿しているという其の事実のみ、其れだけが2人の間に存在していれば、其れで良しといたしましょう。
「あいよ、ご機嫌ようさん、お嬢ちゃん。……ははは、俺の心配より自分の心配したらどうだ? ぶっ倒れた後少ししてから起きてきて、また俺らとあれやこれや、お喋りして。存外夜更かししてただろ、疲れてやいないかい?」
 少女は後に“あの方はとてもお優しい方だったわ”等と語る。つい先程までふかしていた煙草を、彼女が起きたからと地面に放って足で踏み消した彼が、実際“優しい人”であるかどうかはとやかくとして、少女にとって、己を心配してくれるその人はただ、優しい人としてその双眸に映っているらしかった。――喩え、そう映そうと努めて居るにしても、只、彼女にはそう見えている。そういう事であるのです。ただそれだけなのでありました。くつり、少女は静かに喉を鳴らす。大丈夫ですわ、と柔らかな声で告げながら、一歩、二歩。その人に近づけば、そっと、その節くれだった手をとった。優しく包み込み、宛ら散りかけた花に触れるかの様に優しく、柔らかく。それでも移ろう世界でも、其の人の手を離さぬようにとばかりに、しっかりと。その手を握りしめていた。ぐぅい、と近づく瞳の距離。場に似つかわしくない甘やかな声はするりと溢れゆく。
「ええ、ええ、お兄様。大丈夫。私はもう、大丈夫です。おかげさまでゆっくり休めましたもの。でも……ごめんなさい、ご心配をおかけしてしまいました」
 澄んだ硝子玉は、奥へと引き込まれそうなほどに只、澄んでいる。透明に、融けるように、融かすように。その癖、其の瞳の奥深くには一抹の諦念にも似た何かが宿っている様にすら見えてしまう。だからこそ、侭、恐ろしいのだと男は彼女が去った後に身内に語る。嘆き悲しむ様な其れではない。けれども全てを諦めたかの様な其れに、惹かれずには居られないとも思えど、其ればかりは言葉になることはなく彼の胸の内に秘められる事象であった。黄昏の色を混ぜ込んで、夢を見る青い色をはたと、幻視する。ぱちり、と男の瞳が瞬いて、気にしなくていい、とばかりにゆるく其の首は横へと振られた。その様を見た少女は安堵したかのように柔らかな吐息を漏らし、細めた双眸で彼をただじ、と見つめるばかり。不意に、今日はどうなさるの? だなんて問いを少女が投げかけるまで、切り取られた一瞬は永遠になっていた。
「はは、昨日みたいに踊り明かすのも悪くはないけどな。お嬢ちゃんみたいな上品なダンスはどうにもね、俺らにゃ上手く行かないらしい」
「あら、ふふふ、お兄様。大丈夫よ。……皆様には秘密ですけれどね、皆様の中でお兄様が、いっとうお上手でしたもの」

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.70 )
日時: 2017/02/01 22:36
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU
参照: https://twitter.com/Avatar_Alone

 現に、今少女と語らう男が、一等彼女と靴音を合わせて踊る事が出来ていた。融ける様に笑いながら、他愛ない歓談は続く。別段何になるわけでもない、毒にも薬にもならない穏やかな言葉のやり取りを、けれども少女は好んでいるらしかった。暫しの語らいの後に、不意に男の手を引いて、2人はワルツの真似事を。蓄音機などという上等なものは此処には無いから、メロディも何も無くただ、靴音が時にずれて、時に重なって響くのみあった。苦笑交じりの笑みを浮かべていた男もまた、決してまんざらでは無いであろう事は、其の笑みをよくよく見ずとも分かることであろう。くるりと幾度目かのターンの折に、向こうから別の男の声が響く。2人の様子を見た彼は、至極楽しげに笑いながら、からかい混じりに「お邪魔だったか」とそう告げる。
「あら、ふふふ、お兄様も一緒に踊られる?」
「ははは、そいつは嬉しいお誘いだ、でもなお嬢さん、貴女に、そう、尋ね人だ。ええっと、ああ、何だったかな……発音しづらい名前の、金髪の……胡散臭い……」
 其処まで男が紡いだ所で、其の後ろから金髪の青年が顔を出す。森の奥深く、仄暗い其処にある泉の湖面の様な瞳をした彼は、胡散臭いとは失礼な、などと言いつつ笑っていた。その姿を見て、ヨハンさん、と少女が紡ぎかければ青年は人差し指を己の口元へとやって、いたずらに笑うばかり。は、とした少女はすぐに笑顔を作り上る。そうして静かに“トゥイー”とその名を紡いだ。其れに満足したらしい青年は静かに頷く。細める瞳の奥に称える甘い優しさは、彼が彼女にだけ向ける、とっておきの其れだった。
「はい、エリスお嬢様。不肖トゥイー、本日貴女をお迎えに上がりました。……少々事情が変わりましてね、早急なご帰宅を、との事です」
「……でも、私まだ……」
 躊躇いを見せる少女に、青年はそっと近寄って、男の手を握った侭だったその白い手を、引き剥がすようにして己の手の中へと収めてしまう。内心、其の手をとる折に酷く緊張していたのだが、永遠に口にする事は無いだろう。如何せん、こうした仕事の折でもなければその手を握りしめる事すら、儘ならない。清いものに触れる事が恐ろしく思えるのと同義であるとは他でもない“ヨハン・クリューゲル”の言である。苦い顔をした男の顔を、振り向きざまに見やったならば青年はふん、と鼻を鳴らす。男が何かを言うよりも早くああそうだ、だなんて、青年は白々しく口を開いた。
「エリスお嬢様に万が一があろうものなら“お父様”が大変にご心配なさります故。……どうぞご理解いただきたく」
 少女へと投げかける体ではあるけれど、その実、周囲の面々全てに告げるような口ぶりで、ただ静かに、ほんの少しだけ低い声色で青年の声は響く。お父様、の単語が聞こえた折、少女の肩が小さく跳ねた。彼女からすれば父には秘密で抜け出してきたのだ。酷く悲しむ父の姿を思い描けば罪悪感が今更ながら襲ってくるというもの。其れに重ね、この場合、他でもないヨハンが責任を負う事となるのやも、とも思えば侭、恐ろしい物がある。短い呼吸を繰り返し、青年の手を優しく握り返せば、少女は男への視線を向けた。唇は音を発さずに、けれども“ごめんなさい”を小さく描いてから。
「お兄様……私やっぱり、帰らないといけないみたいです。お相手してくださってね、助けてくださってね、本当に有難うございました。……お礼、口でしか言えなくて……ああ、いえ、そうだわ。……トゥイー、少し、ごめんなさい」
 そう言って、青年の手からするり、白い少女の手が抜け落ちる。その手を追うように、さも名残惜しいと言わんばかりに、青年の手が動いた事を見逃さなかったのは向かいの、踊りが一等上手な彼だけであった。少女の手はふわりと舞うように動いて、男の手をそっと握りしめる。屈んでくださる? と小さな声で少女が告げれば男は其れに従った。そのままぐぅい、とまた顔を近づけるものだから、一瞬2人が唇を重ねたかの様に見えたもので、その光景を見た“ヨハン・クリューゲル”の胸に救う緑の目をした怪物が、暴れだしていた。ぎゅう、と胸元を握りしめ、唇を噛み締めた彼の顔を、誰も見ていなかったのは救いであったか。嗚呼、見知らぬ、何処の誰とも知れぬ男のくせに。彼女と付き合いの長い己ではなく貴様であるというのかと。勘違いであったと悟った後ですら、胸の内に巣食う何かは鎮まりやしない。人を呪い殺せるならば、それこそ、ヨハン・クリューゲルは今あの男を殺せるだろう。少女の唇が男の耳元で何かを紡ぐ様を見ればそれこそ、此の顔はひどく醜い表情をしているのであろうけれど、抑えようがない、どうしようもない。噛みしめる唇から、鉄の味が滲む。嗚呼、嫉妬の炎とは何色だったか。少女が紡ぐのはほんの短い“おまじない”の言葉でしかない。効力などの保証もなく、どうしようもなく只の“おまじない”の言葉である。“貴方に幸運が或りますように”と願うだけの、短い言葉だ。それを告げ終えた少女が男へ“お守り”代わりの小さな宝石を手渡して、再び青年の元へと戻る頃には、すっかり平素と変わらぬ、軽薄な笑みを彼は浮かべている。最後のご機嫌ようを少女が紡げば急ぎ其処から離れたいという気持ちが抑えきれないのか、従者は彼女の手を引いて、足早に廓の出口へ歩んでいく。つい先程まで調子が悪かったという昇降機がすっかり元通りとなっていた理由など、あるのか無いのかさて、真相は霧の中。
「――あの、トゥイー。あのね……その、ごめん、なさい」
 突如として少女が謝罪を紡ぐものだから、青年は驚き目を丸くする。ぱちん、と瞬く間にも、彼女は申し訳な下げに眉を下げて、何かに怯えるようにして、白い手を震わせていた。青年が出来ることはと言えば、握りしめていたその手を握り直して、大丈夫ですよと甘く優しく囁くだけだ。何故、を青年は問わない。よくよく考えれば彼女が自罰的になるのも仕方なかろう。とはいえど、己が罰を受けるのは表向きに過ぎまい。尤もらしい理由をつけて、屋敷の主は己を許すだろう。そうしなくては割に合わない。というよりも、それこそ正しく理不尽というものだ。とはいえど、それでも構わぬとこの仕事を請け負った節もあるのだが、あの主人はそうしたところはきっちり筋を通す質である。それでも、と何かを紡ぎかける少女の言を遮るように、軽やかに偽装した声は響く。
「お嬢様が、何か気にする事でもありますか? ……きっかけは僕でしょう。貴女は何も悪くない。僕が全部引き受けます。それが正しい形ってもんでしょ。あー、それにですね、ええ、お父様からは貴女をきちんと連れて帰れば今回は大目に見るって言われてますから」
 至極、適当を連ねている。懐疑的、とまでは言わずともやはり不安を硝子玉の奥に溶かした視線をただ真っ直ぐに受け止めて、湖面は揺れる。重ねて大丈夫ですよと囁く声は何処までも甘く深く、優しく、努めて穏やかに。納得した、という体ではなくとも、少女は其れに反論する事はなかった。そも、此処まで言ってしまえば彼女がそうしない事を、青年は知っている。ずるい手法とわかっていても、今は理解してもらう他ない。暗がりから太陽光を受け止められる地上まで出れば、2人が歩むのは行き掛けの道とは別の道。それで帰還出来ぬわけではないけれど、これでは遠回りの道ではないだろうか。はたと疑問を抱いた少女は控えめに述べる。
「あの……トゥイー、こちらからだと、遠回りではないかしら」
 少女の疑問は尤もだ、と振り向いた彼は小さく頷く。膝を折って、其の美しい色を覗き込む。イタズラっぽく笑ったならば紡ぐ言葉は無意識に、どこぞの騎士への嫌がらせ混じりの、どうしようもない言葉となった。後々其れに気付いた彼が、内心苦笑を漏らして居たなど、誰一人知らずとも良い事だ。
「いやぁ、お天道様が見てなくっても、月が見てるってもんでして。……クルツェスカの方で騒ぎが或りましてね、ちょっとばっかし物騒なんで、外れた道通って帰ったほうがいいかなーって、思いまして。――いやはや、どうにも。人々を照らすべき太陽も、月に中てられちゃ気が狂うってもんなんですかねぇ」
 彼の言葉の真意が読めぬ少女はぱちくりと瞬きを。気にしないでください、とだけ笑う彼に手を引かれ、歩む道。此度の冒険はこれで閉幕。けれどもこれは只の一幕なればこそ。ふいに振り向く少女の視線が何処か、名残惜しげな其れである事が何よりも正しく、次の“いつか”が遠くない事を物語る。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.71 )
日時: 2017/02/03 01:36
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 廓の外は物々しく、鈍り、錆び刃先でなぞっただけで切れてしまいそうな緊張の糸がそこには在った。これから戦争でも起きるのではないかという程に兵と武器が集まり、彼等を心配そうに見ているのは学者たちである。彼等の視線の向こう側に居るのはセノールとレヴェリ。目を凝らさずとも、誰にも問わずともそれがジャッバールの者達だという事は見て取れた。刀や短刀といった伝統的な装備を持ちながら、ライフルや架台に乗ったガトリング砲など最新の火器を持つ姿は、何処となくちぐはぐで不釣り合いに見えて仕方がない。
「古今東西、武器の見本市ね」
 この場にはジャッバールの配下のみならず、各国、各地から集まった傭兵達の姿もある。傭兵達は安かったり、使い易かったり、はたまたその場にあったから等、様々な理由で様々な得物を選択する。彼等は集団ではなく、個人であるために自分の好みを選択し、兵站、補給などは一切考えない。故にセノール製の武器、銃器のみならず東西南北の武器が顔をちらつかせているのだ。中には骨董品のような物もあるだろう。ジャリルファハドにはその見識がなく、あれが珍しい、これはそうでもない等は全く分からないため、いまいち興味は持てなかったのだが、好奇心に駆られたソーニアは視線を彼方此方に投げ掛けて、少し物珍しそうにしている。
「珍しいか」
「えぇ。とても。私も武器はよく分からないけど見た事ない物ばかりで……」
「武器はその国、その民族の文化を語る。言葉や衣服、食事と同じだ。学者ならば気になって当然という事かね」
「そういう事」
 セノール製のライフルを持つ彼女は設計者から何故このような設計、思想を選んだかを聞き及んでいる。セノールは体躯に優れず、住む環境は苛烈。故に銃身を騎兵用のライフルと同等のサイズまで縮小し、銃身分は密閉させガス漏れを防ぎ、それ以外の部品には僅かな遊びを持たせた。心臓部に砂が入らないような設計とし、入ったとしても砂が出やすいような構造を選択したのだ。取り回しが良く、堅牢な構造。セノールが使う武器としては正解なのだ。また、弾は弾頭部を軽量かつ小口径とした。これは命中後、体内で空転し肉、臓器を食い千切るためである。小型故に安く、敵に苦痛を与えるそれをセノールが選ぶのは必然であろう。彼等は西伐において大勢アゥルトゥラ兵を殺めたが、もっと被害が甚大だったのは手や足を斬り落とすという行為であった。死ねば兵はそれまでだが、手や足を斬り落とされれば死ぬリスクはぐっと高まり、また手当をするために物資や、場所、人員を裂かなければならない。それでいたとしても死ぬ場合もある。古来より人を殺めず壊せば、兵站にダメージを与えられると知っていた故だ。血腥い文化ではあるが、銃とその弾一つからもそういった側面が見られる。ソーニアからしてみれば、そういった選定をした背景が面白く感じられるようだ。
「あ、っおい! 何だよー、急に!」
「ミュラ。あの人たち、見た事ある?」
 ソーニアはミュラの肩を抱き寄せ、ある方向目掛けて指を差したのだ。ミュラよりもやや背の低いソーニアは前傾するような妙な姿勢になっているが、伸ばされた指の示す先には、やや異質な人々が居た。総じて巨躯を持ち、顔や腕など所々に鱗が生え、瞳は人間というよりも爬虫類のよう。その中の頭目と思しき者は頭一つ分背丈が高く、琥珀色の瞳を持ち、灰色の鱗に覆われた両腕、首元から右頬を覆い隠す鱗を晒している。彼等はレヴェリの中でも一際、強固な身体を持ち、野性的な直感、そして怪力を持つスケイラーと呼ばれる者達であった。その怪力の証に頭目と思しき男は両脇にガトリング砲を一基ずつ担ぎ、平然と歩みながら輩と何か会話をしていた。
「うわー、すげーでけぇ」
 如何にも頭の悪そうな感想しか出てこなかったが、それを聞いてソーニアは僅か笑っていた。相反しジャリルファハドの顔付は強張り、口を噤んだまま、彼等の事を睨み付けているようであり、一瞬ソーニアは身じろぐ。セノールの武人はその場に居て、負の感情を発露させた時、少しだけ異質な者となる。
「ミュラよ。あれは北からやってきた化物だ。決して近寄るな。決して怒りに触れるな。ややもすれば、お前の頭蓋を砕き、首を圧し折り、身体を二つに引き裂く事すら容易い化物だ。もう一度言うぞ。決して近寄るな。戦しから知らぬ我々セノールの武門が言うのだ。嘘偽りではない。たまには素直に俺のいう事を聞け」
 淡々と脅し文句のような言葉を語るジャリルファハドに心寒さを覚えながらも、ミュラは「おう」と短く返答するのだった。尤も危険ではないと確信が得られたならば、ジャリルファハドの言葉に背くかも知れないのだが……。
「何か因縁でも?」
「九年前、腹を抉られた。左をな」
 嘲るように嗤いながら己の左の脇腹を摩っていた。何が原因でそんな状況になったか分からなかったが、ソーニアはそこに立ち入ってはならないだろうと、問うような事はせず短く相槌を打つだけだった。ジャリルファハドからしてみれば嘗て敗れた相手への怨嗟をミュラにまで押し付けようという訳ではない、現実にあのレヴェリは知恵の実を原初の人間へ勧めた蛇のような者達だからだ。ミュラは良くも悪くも真っ直ぐだ。それ故に間違った方へ導かれては、その人生は台無しとなってしまうだろう。現にそれで一人友はおかしくなってしまった。この状況を作り出すまでに悪心に塗れてしまった。
「そんなにあいつ等強いのか?」
 全く空気を読まないミュラの問い掛けに思わずソーニアは噴出しそうになってしまったが、無駄に目を輝かせて投げかけられた問い掛けを無碍にするような事はせず、ジャリルファハドは小さく頷いた後に口を開く。
「我々の刀が通らない。銃で撃っても止まらない。治りも早い。足も速ければ、目も鼻も利く。これを弱いと思えるならば、その者は最早人ではないだろうな」
 少しミュラの顔が引きつって見えたのは気のせいではあるまい。ミュラは己の師に西の果てには鬼が居ると教えられていた。つい最近になってその鬼が「セノール」の事だろうと合点が行ったばかりだというのに、それを上回る存在が目の前に現れた事実に戸惑い、混乱を隠せないのだ。セノール、レゥノーラ、レヴェリ。もしかするとそれよりも強く、文字通りの鬼のような存在が世界には居るかも知れない。そう考えれば、どうにも世の中は不思議な物である。
 ミュラとジャリルファハドが珍しく言葉を多く交わしている中、ソーニアは二人を引き連れてジャッバールの手勢の傍を通って、カンクェノの守衛所へと歩むのだった。彼等の交わしている言葉を聞くには、先日出現した新手のレゥノーラ討伐のために兵を集中させているような言葉を漏らしていたが、真意はそれだけではないのではないかと、疑問を抱く。昨晩の殺人で流れた血は獣を刺激してしまったのだろう。その獣は武力をちらつかせてクルツェスカに緊張を齎し、犯人を炙り出そうとしているように感じられた。クルツェスカは傭兵が出入りする土地であるため、常に武器を見る事にはなるが突然、武器を見る回数、頻度が増えれば街は緊張する。それを理解している故に、丁度良い時期だと策を成したのだろう。レゥノーラを討伐出来れば学者からの支持を更に集められ、貴族はレゥノーラを排除出来なかったとして支持を失う。昨晩の殺人の犯人がこの空気に過剰に反応したならば密かに排除すればいい。そして、武器をちらつかせ続ける事でそれを平常化し、憲兵の目を其方に向かせる事により、本当に成しえたい事柄を隠し続けようとしているのではないのかと、ソーニアの推論は発展していく。これが真実だと後に分かるとしたら、うそ寒い代物である。ジャリルファハドの同族、セノールの武門とは思えない程に賢しい。額に僅か浮いた汗が、どうにも悪い汗のような気がしてならなかった。
 ある程度進むとソーニアの視線を奪う物が一つ。身形の良い、こんな場所には不釣合いな男女の姿があったのだ。まだ年若い彼等が一体、こんな所に何の用があったというのだろうか。どこかの貴族、名族の子息であろうか。彼等はソーニア達と擦れ違うなり、人通りの少ない路地へと入っていく。何故、表通りを通らないのか不思議であった。態々、治安が良いとはいえない場所に身を投じるのは好奇心か、はたまた別の訳があっての事だろうか。一抹、興味は沸くものの関わるべきではない裏や、訳があるのではないだろと不安が過ぎり歩みを止めさせた。
「止まるな」
 後ろからジャリルファハドの非難が上がり、ミュラの肩がソーニアの背中にぶつかって押されるようにして再び歩き出す。彼等は歩くのがソーニアよりも心なしか速いように感じられた。もしかしたら、普段は歩調を合わせているのではないだろうかと考えると、どうにもソーニアは申し訳ない気分になり小さく溜息を吐くのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.72 )
日時: 2017/05/24 01:17
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 一方的に話を打ち切った父親の後を追うことは許されず、無理矢理部屋に連れ戻されたガウェスの屈辱は如何ほどか……。物に当たるまいと震える手を抑え、ゴミ箱を蹴り飛ばしそうになった足を寸でのところで止める。大きく深呼吸して気持ちを整えようとするものの、鏡に映った自らの顔を見て愕然とする。そこに居たのは紛うことなき鬼。眉を吊り上げ、射殺すように瞳をぎらつかせ、、歯をむき出し、怒りと憎悪に震える顔の何と醜悪で、恐ろしいものか。今にもはち切れそうになっていた感情は自らの醜怪極まりない様を目の当たりにしたことで徐々に小さくなり、ぱちんと消え失せた。平静を取り戻す頃には、待ち合わせの時間まで30分をきっていた。
(出立の準備をせねば。ああ、でもその前に)
 心は騒がしく、行動は大人しく。椅子に深く腰掛けると、繊細なガラス細工を扱うように二度口が開いた創傷に指を這わす。軽く触っただけでも針に刺されたような痛みを訴えるが出血は無く、それでも凹みを作りヌラヌラと赤く光っている患部は蛙が口を開けているかのように薄気味悪い。自分の肉体でありながら、別の生物にも見える患部が一刻も早く治るようにと、替えのガーゼと包帯を手に取った。消毒を施しガーゼを患部に当て、新しい包帯を巻く。時折襲ってくる鋭い痛みに思わず眉間に皺が寄ったが手の力は緩めず、そのまま圧迫し、固定。息苦しくあるが仕方あるまいと半ば諦め、それでも左手では無意識に包帯を引っ張っていた。
 昨夜から一睡もしていない彼にとって今回の出陣は相応のリスクが伴うものになるだろう。睡眠不足は集中力の欠如や注意力の散漫を引き起こす。カンクェノでは一瞬の隙を見せれば喉元を食い破られる。重々承知のことではあったが、レゥノーラ討伐の任を承諾した故、その債務を果たさなければならないと考えているのだ。
 そもそもの前提として、彼の生真面目な騎士がこんな状況でおいそれと寝られるわけがないのだ。自らの傷の手当てに憎きレゥノーラによって命を散らした仲間の葬儀とその準備、壊れた鎧の修理に新種のレゥノーラの情報集め、売人の排除。そして、父親が行っていた悪行を紛糾し、結果、自分ではなく顔馴染みが殺された。見た目に反し、繊細な彼が自責の念に駆られたのは言うまでもないだろう。この他にも、西方の砂漠よりやってきたガリプの次兄、死んだと思っていた妹の存在。悩みの種は尽きず、それらは全て重荷となって自らに圧し掛かってくるのだ。それを跳ね除ける策は無く、何とかせねばと足掻けば足掻くほど、運命は彼を嘲弄し、物事は悪い方へ悪い方へとコトは転がっていく。
(民を、ハイドナーを、守る……)
 幼い頃から何度も自分を言い聞かせてきた言葉は声に出さず、唇の動きのみで紡ぐ。身体を軽く捻り、ガーゼがズレやしないか、痛みが無いことを確認するとようやく椅子から立ち上がる。待ち合わせの時刻まで残り二十分。


 
 焦燥という炎に追われるように、二人はクルツェスカの街を走る。ハイルヴィヒと約束した集合時間は刻々と迫っており、二人の脳裏には静かに怒りを露わにする彼女の姿がちらつき始める。そもそもの発端はレアがクルツェスカの街を見て回りたいとエドガーに強請ったことから始まる。大通りに沿って歩けば迷うこともないだろうと、時間的余裕もあったために二つ返事をしてしまったのが運の尽き。加えてレアの好奇心の強さを計算に入れていなかったのがエドガーの敗因であった。
 多くの人が行き来する大通りは大小様々な店が立ち並び分かれ道も少なく、一度通れば大体の店の配置や何を売っているか覚えられるほど単純な往来である。しかし、店と店の間にある細い路地に入れば、地元の人間でも把握しきれないほど複雑に入り組んだ通路が待ち構えている。区画された土地を更に分けるよう葉脈のように通路が張り巡らされ、建物はどれも似たような造りをしているのだ。クルツェスカに来て日が浅い者ならば同じところ何度も回っているような錯覚に陥ることになるだろう。カンクェノ居住区で生活していたレアとエドガーも例に洩れず、出口が見えない迷宮を彷徨うこととなったのだ。
「あ! こっちの方が明るいから出口なはずですよ、行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、休憩を」
 息も絶え絶え、走るスピードも幾分か落としたエドガーに対し、レアの呼吸は乱れておらず、走る速度も先程より早くなっているように感じた。こういう時に、エドガーは人種の違いを思い知らされる。レアは他のレヴェリ人と比べ外見的な特徴が少なく、背中に小さな羽とその周りに竜のような鱗が生えているのみである。しかし、身体的な特徴は他のレヴェリ人と同様、アゥルトゥラ人やカルウェノ人と比べると持久力もあれば、頑強な肉体を持ち合せている。
 仄暗い世界を抜けると、太陽が燦燦と輝き光のカーテンをひいている。大通りではないため喧騒は遠く、人も疎らだ。店もポツリポツリとある程度である。ローブを持ってくるべきだったと心の中で呟き、思わず目を細めたエドガーの隣、レアをこっそりと盗み見れば、心持ち得意げな表情をしているようだった。
(誰のせいでこうなったと思っているんだ)
 小言の一つでも吐き出してやろうと画策してみるものの、おどろおどろしい血の赤でもない、全てを焼き尽す煉獄の炎でもない、ガラス玉のような透き通った穢れのない赤い瞳で見つめられれば、言葉が詰まる。結局彼の口から吐き出されたのは溜息が一つのみである。突然息をついたエドガーをきょとんした表情で見据えていたレアだったが、彼のことを気にかけているのだろう。エドガーのペースに合わせるよう彼女にしては至極ゆっくりとしたペースで歩きだす。尤も、その気遣いもも彼女の好奇心の前では吹き飛んでしまうのだが……。
「何か変な臭いしません? 親方」
「変な臭いって、おいバシュラール!!」
 まだ歩き出して数分も経っていないはずだ。彼女が特別鼻が利くのか、それともレヴェリ人だから鼻が利くのかエドガーには分からないが、彼女の興味を惹く何かがあったのは確かだ。制止を振り切り、レアが向かったのはとあるゴミ捨て場であった。街の外観を損なわないように、通りからは見えないように建物の影となる場所に存在ため、多くの人はゴミ捨て場があることさえ知らないのだろう。ゴミは殆どなく、酒瓶が数本転がっているだけだ。
 彼女より一拍遅れてそこにやってきたエドガーも初めてここにゴミ捨て場があったのを知った。先程の路地のように薄暗く視界が悪い。悪臭はしないものの気持ちが良い場所でもなければ、時間もない。早々にこの場を立ち去ろうと彼女の腕を引く。
「行くぞバシュラール」
 だがレアは動かない。ただ一点を見つめている。
「親方、あれって……」
 レアが指さしたのは先にあるのか何か。目を凝らし闇に隠されたソレを捉えた時、黒い瞳が大きく揺れた。
 
 嗚呼、彼らが見たものは――。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。