複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.27 )
日時: 2016/09/24 15:25
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ジャリルファハドの気配が消えると、鞠が跳ねるように布団から勢いよく飛び起きた。そして大きく息を吐く。その顔にはいつもの覇気がなく、疲れているようにも落ち込んでいるようにも見える。自分とは一体何者なのか。砂漠にいた頃では思いもしなかったであろう問いが頭を巡る。生きることのみで手一杯の砂漠ではそんなことを考える余裕がなかった。だが、彼女が今まで自分を見つけてこなかったのは、余裕がなかったというよりは、他者との繋がりがあまりに希薄だったのが影響している。育ての親でもある師が、他者との唯一の繋がりであった。物心つく前から盗賊としての生き方しか教えられてこなかったミュラにとってそれだけがアイデンティティーであり、自分であると錯覚してしまい、故に、それ以外の自分を模索 する必要がないと考えてしまったのだ。
 しかし、あの日――ジャリルファハドに負け、助けられたその時、繋がりというにはあまりに脆い他者との縁を作った。そこから手繰り寄せられたかのように様々な人物と出会い、僅かな時間だが、多様な生き方、思想を肌で感じた。その時に、自分は師匠が作った型にはまって生きてきただけだと、自分というものを理解していないと気が付いてしまったのだ。
 自己というものを理解し、生きていく姿のなんと美しいことか。一方、自分はどうだ。自分の手元には厳しい砂漠を生き残る術しか残っていない。そこに生き方としての信念も誇りも残りはしなかったのだ。自分だけが持っていないモノ。どう頑張っても盗めないモノ。見えているのに届かないもどかしさ。地図を無くした旅人のような不安、焦燥。それが彼女の心を乱す。
「ばーか」
 いつも言われている暴言を、吐く。それでも心の霧は晴れず、気分転換に窓を開けてみる。砂漠では嗅いだことのない、酒と甘ったるい香水の匂いが混ざった淫蕩な匂いに思わず顔を顰めた。夜が深まるにつれてここら一帯は色町として機能し始めるのだ。
 これ以上匂いを嗅がないようにと鼻を押さえながら窓を閉めようとした時、急に娼婦達が色めき立った。誰が甲高く叫んだり、奇声をあげたわけでもない。ただ、客引きをしていた安娼婦が、お喋りに夢中だった玄人女が、商売敵と喧嘩していた売笑婦さえ、彼の来訪を知ると、今までの行為をやめ、彼のみを瞳に映す。そして、視線が一度自らの方を向けば床の味を知らない乙女のように恥じらう。

(あいつは……)

 皆の注目を男をミュラは知っている。とは言っても、バシラアサドの敷地内でジャリルファハドと斬り合ったサファイアの瞳をもつ優男、ぐらいの認識だが。何故彼が色町の奥から出てくるのか。窓を閉めることさえ忘れてミュラもその姿を魅入る。例え傾城町であってもその清廉潔白な様が霞むことはない。むしろこんな中だからこそ、彼の誇り高い姿はより一層輝きを放っていた。彼はこちらを一瞥することもなく自分が泊まる宿を過ぎようとしている。

――彼ならば、セノールのことを教えてくれるかもしれない
 
 バシラアサドの敷地内で僅かばかり見た人当たりの良い笑みに絆されてしまったのか、それは悪魔が囁きである。それでも頼らざるを得なかった。自分が何者か分からないという不安を払拭するために。
 普通に入口から出ようとすれば途中でジャリルファハドと鉢合わせしてしまう可能性があった。ハイドナーの当主の所まで行ってくるといえばいい顔をされないだろう。それこそ見捨てられる可能性だってある。となれば、外にでる方法は一つしかない。テーブルに備え付けてあるメモ帳に「すぐに帰る」と書き殴り、証拠として、自分の半身ともいえる筆架叉を一振り置く。
 師が「一生使う機会もないかもしれないが」と片手間で教えてくれただけなので、曖昧な部分もあるが高い所から落ちた時にどうするか知らないわけではない。ただ、それを実践するのは初めてなだけだ。

 彼女の飛び降りを目撃した人は、ミュラのことを命を粗末にする愚かしい自殺志願者か何かと思ったことだろう。当然、そこに居合わせたガウェスもそう思った。なんの躊躇もなく窓に足をかけ飛び降りた女性。そこまでして自らの命を断ちたかったのか。野次馬の波を掻き分けて波の中心にいる人物の所までたどり着く。捻挫でもしたのだろう、左足を押さえ、小さく唸っている。
「あなたは……」
 彼女のことは知っている。顔を見なくとも分かる。アゥルトゥラ人にはない肌の色に黒髪、セノールの特徴を持つ女性。なぜジャリルファハドの連れが宿から降ってくるのだ。唖然とするガウェスとその声に反応するように顔をあげたミュラ。その顔には彼を見つけられた安堵、そして、注目を浴びてしまったという羞恥が表れている。ほんのりと赤くなった頬がその証だった。
「あ、あたし、ミュラ・ベルバトーレって言うんだ。なぁ、セノールのこと……、何なら、アゥルトゥラのこと、何でもいい。教えてくれないか」


 初めてのソファーに初めての紅茶、初めての茶菓子。そこはミュラにとってそこは未知の世界同然だった。立ち話も何だからと連れて来られたのはハイドナー邸。最初、彼の敷地を見た時は思わず喉がひくついた。同じ大きさの屋敷がもう一軒建つのではと思うほどの広大な敷地には、一面に芝生が植えられており、屋敷の入口へと続く道にだけ石畳の道が出来ている。途中には噴水もあり、常に水がトウトウと流れている。シンメトリーになるように美しく手入れされた庭には、私が最も美しいと言わんばかりに咲き誇る花々が主人の帰りを待ちわびていた。
「それで、なぜ、私にセノールの事を?」
 客間に案内されるまでもミュラの驚きは尽きなかった。玄関ホールに入った時から贅を凝らした邸内。踏み心地が良い柔らかい絨毯、光を放つシャンデリア、砂漠にいては一生目にかからなかったであろう代物が視線を移すたびに次々と現れる。
「……あいつと斬り合ったから。こっちに来てからどんなに視線を向けられても知らん顔出来てたくせに、全然刀を抜かなかったくせに、お前にだけは抜いたから。ジャリルファハドと因縁があんのかなって思った」
 砂漠を生き残るために鍛え上げられた観察眼。ガウェスは心の中で感嘆する。
「確かに、我々ハイドナーとガリプの者、ひいてはセノール人とでは大きな溝があります。それは50年たった今でもほとんど埋まっていません。いや、今から50年経ってもこのままなのかもしれません」
 ガウェスの顔に暗い影が落とされた時、彼女は治っていない傷に触れてしまったことに気がついた。これは彼だけの問題だけではないのだ。ハイドナーとセノール。未だにこの2つの間には憎しみと怒り、怨嗟の声が残っており、解決できない問題が居座っている。
 辛い思いをさせて申し訳ないと罪悪感が一瞬胸を過ったが、それもセノールについて教えてくれるという期待の前ではすぐに心の隅に追いやられてしまう。一方、ミュラの真剣な顔つきが緊張しているのだとガウェスは判断したようで、しきりに紅茶とクッキーを勧めている。
「さて、この話をする前にあなたに渡したい物があるんです」
 今は落ち着いているが、ミュラ・ベルバトーレという名を聞いてからガウェスは心中穏やかではなかった。彼女から名前を告げられた時、彼の瞳は風に揺れる蝋燭の灯のように僅かに揺らぎ、同時に喜んだ。ようやくあの人の約束が果たせると。
 一方のミュラは不機嫌そうにソファーに踏ん反り返る。教えてくれると言ったからここまで来たのに、と不満げに声を漏らす。
「ミュラ、これを……」
 不服を示したミュラの声は当然ガウェスにも聞こえていたようで、思わず微苦笑してしまう。2分ほどして奥の部屋から出てきたガウェスの手には一丁の拳銃。もしやと最悪の自体を想定して筆架叉に手をかけたが、銃弾が放たれることなくテーブルに置かれたソレを見て、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、拳銃を手に取ってみた時、ミュラの動きが止まる。見間違えるはずがない。グリップの所にある一本の傷。ミュラが勝手に触り、落としてしまった時に出来た物だ。その時は「撃鉄がぶつかったらどうしてたんだ」とこっぴどく叱られた思い出深い師匠の私物。
「なんで、なんでお前がこの銃を持ってんだよ。まさか!」
「違います。それは誤解だ。ですが3年前、貴方のお師匠様はここにいた。我々ハイドナーの私兵団に入っていました」
 嘘だろうと、ミュラの目が大きく見開かれた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.28 )
日時: 2016/09/29 23:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 部屋の中にミュラは居ない。窓は開け放たれ、そこから色街の喧騒と空気が入り込む。恐らくミュラは此処から飛び降りたのだろう。この程度の高さであったとしても人は怪我をし兼ねない。下手を打てば死ぬ可能性すらある。下を見下ろせば人々の往来は穏やかに流れ、騒がしさもない。ミュラは上手い事、此処を抜けていったのだろう。
 面倒な事となったとジャリルファハドはソファーに腰を下ろし、懐から取り出した煙草に火をつけた。テーブルの上には、お世辞にも綺麗とは言えない文字で「すぐ帰る」とされていた。その傍らには筆架叉が一振り。自分から言質を取ったならば、それは信頼、信用に置ける。しかし、あれは此処に地理があるのだろうか。路地を一つ誤ればこの街――クルツェスカで迷う事となる。盤の目上に区画整理された此処で迷う事は避けたいだろう。

どうしたものか、と煙草を咥えたまま立ち上がり、再び開け放たれた窓から顔を覗かせた。視界に飛び込むのはジャッバールの拠点、その北側から暫く行った所にはベケトフの屋敷があり、その西側にハイドナーの屋敷がある。ジャッバールの拠点は南側に窓がなく、窓は全てハイドナーの屋敷を向いている。狙撃手を配置するためだろう。
それらを一瞥してからミュラが何処へ向かったかを考える。ミュラはセノールの事を知りたがっていた、更に階下ではあの少女をジャッバールへ奔れと唆していた。ならば、それに聞き耳を立てジャッバールの屋敷に向かったのではないのだろうか、と。ともすれば、危険が及ぶ可能性がある。昼間の件でミュラの姿をジャバールの手勢の者が見ているのは確実。そこまで愚かしい者ではないだろうが、万が一という事もあった。

(仕方在るまい)
 いつもの刀を手に取り、矢継ぎ早に二振り鎧通しをベルトキットに納める。此処で殺めるのは問題であるが、危害が加わる可能性があるならば致し方ない。何よりミュラを此処まで連れてきてしまったのは己自身である。であるならば、ミュラを守る義務が生ずる。少なくともセノールの先人達はそうするだろう。
 部屋から出て行こうとするも、ジャリルファハドは歩みを止め、テーブルへと振り返る。彼の視線の先には一振りの筆架叉。それを引っ手繰るように手に取ると部屋を飛び出していった。

 暗がりは良い。肌の色も顔立ちも隠してくれるからだ。時折、月の明かりが自身を照らすも、それでも街の人間にはセノールだと気付く者達は少ない。故に袖を捲くり、首元のボタンを幾つか外す。左腕には何のタトゥーもなかったが、右腕にはトライバル模様と鏃、彪の模様を模したようなタトゥーが彫られている。鏃の数は殺めた人数、トライバル柄は持ち得る戦の技法を意味し、彪はそのまま名となる。鏃の数は右手の甲も含め四十余りあるのだろうか。それらは黒で意匠されていたが、月の明かりを浴びても衆目へ晒される事はなく、気が付く人間も一握りであった。
 路地を越え、人垣を抜け、暗闇を駆け抜ける。それを幾度か繰り返した後、辿り着いたのはジャッバールの拠点の前。門前には守衛所があり、そこからレヴェリが様子を伺っている。此方をセノールだと気付くなり、彼等は何やら合図をし、手招くような素振りを見せた。

「……おい、此処にセノールのような女が来なかったか? まだ年若い者だ」
「いや、そんな奴来てないが? 見たか?」
 背を向けるようにして何やら帳簿を付けている大柄なレヴェリの男。その者の傍らにはライフルが置かれ、腰にはリボルバーの類と思われる銃が括り付けられている。右頬には鱗のような物が生えており、瞳は琥珀色に輝く。ジャリルファハドには、この男に見覚えがあった。セノールの砂漠へ流れ着いたレヴェリの傭兵達の頭目、ジャッバールの配下に加わった義を見ていながら、勇無き武人。単なる血を啜る事を好む、暴力の化身のような男。

「久しいな“侵略者”」
「挨拶などどうでも良い。見たか? 見なかったか?」
 ゆっくりとした所作でそのレヴェリ人の男は守衛所から出てくる。ジャリルファハドよりも遥かに高い身の丈のそれを見上げるような姿勢になる。視線が合った時、その男はにやつくような笑みを湛え、口を開く。

「そのような者は見ていない。見てみろ」
 レヴェリ人の男は帳簿を開き、ジャリルファハドの目の前へ突きつけるようにして見せ付けた。入退門の時刻、名前、人種全てを記録しているが夕方以降、誰も出入りはしていない。ジャッバールの拠点に忍び込むようなことがあれば、即刻射殺される事だろう。そうすれば銃声の一つや、二つが聞こえたとしても不思議ではない。であるならば、ミュラは此処に来ていないと考えるのが妥当だった。

「手間を掛けた、すまない」
「待て」
 踵を返し、そそくさと立ち去ろうとするなり、レヴェリの男はジャリルファハドの肩を掴む。驚くべき怪力、恐らくまだ余力を残しているであろう。無理に動くべきではないと、ジャリルファハドは振り向かずに歩みを止めた。どうせろくでない事を口走るに違いない。

「また何れ西から、血を流しに」
「……フン、碌で無しの無法者め。血が見たくば、手前一人でやれ。馬鹿者が」
 レヴェリの男はそう言い返されるなり、ジャリルファハドの肩から手を離し、高笑いをしていた。何が可笑しいと小さく舌打ちをするなり、ジャリルファハドは駆け出した。
 あの者達は西方交易路の整備をし、セノールとアゥルトゥラ、ひいては諸外国との交易を成功させ、アゥルトゥラですら持ちえぬ技術を持っている。銃は勿論ながら、連続で撃つ事が出来るガトリング砲、しまいには大砲を持った鋼鉄の車まで作っているという。それを以ってして、何を為すつもりか。その答えは国盗りであった。セノールから出て行き、アゥルトゥラに良い顔をしながら、それを滅ぼす準備を着々と進めている。その尖兵としてガリプの参陣を求めているのだ。ジャリルファハドはジャッバールの当主バシラアサドを厚顔無恥だと怒り猛るも、ジャリルファハド以外はそれに参陣するという。セノールはまだ戦うべきではない。武門のみならず、ただの民が安寧に暮らせるようになって、始めてそれを為すべきなのだ。時期尚早ではあるが、アゥルトゥラには痛手を与える事が出来るだろう。しかし、セノールは今度こそ滅ぶ。そんな気がしてならないのだ。

 次にミュラが向かい得る可能性があったのは、ハイドナーの屋敷である。地理はないが、幸いにもハイドナーの屋敷はランドマークだと言わんばかりに巨大で豪奢である。それこそ、大方の方向さえ分かっていれば使いの幼子とて辿り着く事は容易いだろう。駆けて行けば遠くに見えていた、屋敷が少しずつ近付きその巨大さが分かる。しかし、その大きさの割にジャッバールの拠点のように守衛所などを持ち合わせていない。警備の人間は居るようだが、如何せん数は少なく容易に彼等の目を盗み、無力化する事も可能だろう。そもそも彼等の宿舎と思しい建物の周りの警備が手薄、火でも掛けられたら手の施しようがない。

(これでは戦えんな……)
 急襲に弱い、更には遮蔽物が少なすぎるせいで銃弾を見舞われたら一溜まりもない。少し気になって振り向けば、やはりジャッバールの拠点の窓が全て此方を向いていた。射線が確実に通る。従って狙撃手どころかガトリング砲を此処へ直接見舞う事も可能だ。そこまでさせるという事は一体、何があったのだろうかと、ジャリルファハドは首を傾げる。

(……なんだ?)
 目を凝らせばジャッバールの拠点の窓から双眼鏡で何者かが此方を覗いている。その傍らにはもう一人、何者かが存在している。恐らくあの双眼鏡の持ち主は観測手。ともすれば傍らの何者かは狙撃手であると考えるのが妥当だろう。そう考えればどことなく空恐ろしいものがあった。夜目の利くセノールを見張りに立たせ、狙撃手として配置する段階で見えない火花が散っているような気がしてならない。
 物陰に身を潜ませながらジャリルファハドはゆっくりと進んでいく。比較的小柄なセノールで良かったと思いながら、屋敷の様子を見る。人気はなく、静まり返っている。一部で明かりが付いている場所もあるが、中身までは見えなかった。もう少し近付く必要があると、ジャリルファハドは更に突き進み、終ぞ窓の下まで辿り着く。これを見られれば、どこぞのセノールが忍び込み、悪巧みをしている様にしか見えないだろう。我乍ら見っとも無い真似をしていると苦笑いをしながら、雨樋に手を掛け、それをよじ登って行くのだった。眼下を進む警備の者達を「敵は目の前に居るとは限らない」と、さも愉快そうに見下ろし、遂に屋敷の中へと入っていくのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.29 )
日時: 2016/09/28 23:38
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ガウェス指導の下、ハイドナーの騎士団強化に努めたのは3年前である。他組合との対立の激化、賢者の石の更なる回収、そして、一族の悲願である賢者の石を使った製薬方法の発見。様々な理由から自軍をより強固なものとし、カンクェノのもっと奥へ潜ることが必要だと判断し行ったのだ。
 先ずは、兵士一人一人の練度の向上させ団の質の向上を図り、賃金の上昇と報奨金制度の設置で士気を上げた。しかしそれではまだ足りぬ。どんなに兵士達の練度をあげようが、鼓舞しようが、相手の力量が己の実力を上回ればあっさりと死ぬ。故に、ハイドナーが最も力を入れたのが即戦力の確保。少なくなった分をそれと同等、否、それ以上の供給で補おうとしたのだ。
 アゥルトゥラ全域から西方の砂漠に至るまで、腕が立つ者と年単位の契約を結び、契機が終わるまで騎士団の一員として迎える。そしてミュラの師は、一年間のみこの契約に同意した。この時から、ガウェスは精鋭達の所属している団を騎士団ではなく私兵団と呼びだした。騎士として称号を賜っている者より、外部から流入した人間が多くなったからだ。その事実を知っている者はガウェスと父と、ほんの一握りの信を置く者のみ。加えて、私兵団の彼らの行動や言動を見ただけで、騎士ではないと察することのできる洞察力を持っている人間くらいだ。
「つまり師匠はここにいたんだな」
「はい。二年前までは確かに」
「そっか……」
 ミュラはそれだけ言うと俯いてしまった。ガウェスは黙ってミュラの動向を見守る。ミュラは怒っているのだろう、同時に裏切られたと感じることだろう。15年間ずっと共にいたはずなのに、様々なことを教えてくれたはずなのに、何も伝えずに、1人でこの豊かな土地に越した己の師に、そしてこちらへ来いと唆したハイドナーに。ガウェスもこればかりはなんて声をかけようかと戸惑ってしまった。下手に慰めの言葉をかければ彼女のプライドを刺激し、火に油を注ぐ結果になってしまう。
 だが、そんな心配は杞憂に終わった。顔をあげたミュラは破顔していた。
「良かったぁ、本当に」
 安堵を覗かせた表情にガウェスは拍子抜けする。ミュラは上半身をテーブルに乗っかるように身を乗り出す。その時に気が付いた。彼女の瞳は父のように真っ黒ではなくて、黒に限りなく近い茶色だった。
「師匠さ、カンクェノの何処かにいると思う?」
「……、ええ。いると……思います」
「だよな!あたしもそう思ってたんだ。だって、こんなおもしれー所があったんだもん。一年で終わりだなんてもったいねーもんな」
 やけにぎこちないガウェスの返答を別段気にした様子もない。尤も、思わぬ吉報に舞い上がり彼を視ていないだけなのだが。
「恨んでいないのですか、我々を」
「そりゃあ、怒ってないわけじゃねーよ。正直、恨んでる。でも、師匠のこともうとっくにくたばったと思ってたからさ。生きているって分かったらそんなことどうでも良くなったんだよな」
 ミュラはクッキーを一つ、口の中に放り込む。唇についたクッキーの食べカス親指で払い紅茶を飲む。
「まぁ、なんだ。教えてくれてありがとな」
 ほんの僅かに顔を歪めたガウェス。ミュラはその変化に気づかない。更に話を続ける。
「また会ったらさ、いっぱい話を聞いてもらうんだ。驚くだろーなぁ……」
 師匠との再会に夢を馳せるミュラとその様子を何故か浮かないをするガウェス。太陽の騎士と称される彼に似合ぬ憂い顔。遠い目をしている彼をミュラは些か気を悪くしたようだった。歳不相応のふくれっ面をしてガウェスを見据えた。
「何だよ。あんたもあたしのこと馬鹿って言いたいのか」
「まさか。……ただ、貴女はあの人と似ている部分がある。そう思っただけです」
 自分で言っておきながらこの言い訳には少々無理がある。
 しかし嘘では無い。歩き方や喋り方や纏っている雰囲気、考え方も影響を受けている。とくに歩き方に至っては彼女のソレそのものだった。土踏まずと指の間から地面に足を下ろし、踵、最後に指を着地させる。いつぞや極東の島国に存在する『ニンジャ』と呼ばれる諜報部員、その歩き方を真似たのだと自慢気に話していた。確かに他者と比べても足音が小さい。ちなみにミュラは彼女の悪癖もしっかりと受け継いでいる。無意識のうちに右側に重心を寄せてしまっているのだ。それは、技術を盗んだ相手が右側ばかりに銃を携帯した為に身体の重心が右に傾いており、そのまま真似てしまった故の弊害である。ついでながら、彼女が銃をどこに携帯していたのかというとショルダー、ヒップ、レッグは勿論、アンクルにもホルスターをつけていた。更にはスリーブガンまで準備しているのだから、大抵の人間はその用意周到さに驚きを通り越して呆れてしまう。
 閑話休題、話を戻そう。師と似ているというのは、ミュラにとって最大の賛辞である。彼女を目標に今まで研鑽を積んできた。嬉しくないはずがないのだ。先の不機嫌さは既に羽が生えて飛んで行ったらしい、喜色満面に溢れている。
「この銃、貰ってもいいんだよな」
「ええ。どうぞ」
 一度テーブルに置いた銃を手に取り、構えてみせる。彼女は正確に謂えばセノール人ではないが、セノール人と通ずるものがある。武器が似合う。 
「撃ち方は?」
「師匠が教えてくれたから知ってる。でも全然狙いつけらんねーし当たらないから実戦で使ったことはねーかな」
 ブレイク・オープン型の銃。銃身を持ち、ヒンジと呼ばれるパーツを中心に折ればエジェクターによって空薬莢を一回で全て排出できる。当然ミュラも知っていた。実戦で使ったことはないというわりには手慣れた様子で銃身を折るとまだ空になってない薬莢が飛び出る。感心しているガウェスをミュラがしたり顔で見下す。
「お前は撃てんの?」
 何かの拍子で撃鉄の先端が雷管に触れないようシリンダーから最初の一発は抜くのも忘れない。再装填して銃身を戻す。
「ええ。剣はもう古いと、こってり叱られたあと多少ですが教えて貰いました。撃ち方や構え、リロード、手入れくらいなら出来ますよ」
「そこまで出来れば十分だろ。つか、使わねーんだな」
「幾度か考えましたが、我らが血族は戦いに赴く際は白銀に輝く鎧を纏い、剣を携え戦場へ参陣したそうです。それはハイドナーの掟であり、先代が培ってきた誇りです。例え古臭いと云われようと、この戦い方を変えることはありません。それに飛び道具は騎士からすれば卑怯な武器の象徴になっていますから。それを使うのは道に反するのでしょう」
 騎士が隆盛を極めたのは飛び道具が登場するまでの約200年間のみである。しかし、飛び道具、銃の登場を待つまでもない。大弓や弩が出てきてしまってからは近距離の武器よりもそちらが戦において最大の功績者になってしまった。
「ふーん」
 ミュラには理解し難い感覚だった。自分のように使おうにも肌に合わない、最大限の効果を発揮できないなどではなく誇り故に使わない。一族を重んじ、騎士の誇りを守ろうとする戦い方。自分ならば無理だ。そもそも砂漠の劣悪な環境下で武器を選りすぐって使うなど砂漠を生き残れない馬鹿がすることだ。使える物は徹底的に使い潰せ。仕事の時は冷静に冷酷に。それが師匠に教えられたことだ。(とは言っても、ミュラ自身、わざと獲物を見逃したり、物資を全て奪わなかったりと甘い部分があるのは否めないのだが……)

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.30 )
日時: 2016/09/23 18:45
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

「ところで、ジャリルファハドには伝えたのですか?」
「何が?」
「貴女がここにいることです」
「いや、伝えてねーけど。でも、すぐ帰るとは書き残しておいたぜ。多分大丈夫だろ」
「……そうですね」
 未だ楽観的に笑うミュラと相対し、ガウェスの柔らかい表情を微妙に強張らせることになった。マズいことになった、と苦々しい思いで冷めかけた紅茶に口をつける。
 もしも連れが突然いなくなったら彼の武人ならどうするか。剣を交え、幾ばくか言葉を交わしだけではどうにも捉えきれない部分がある。が、彼女をそのままにしておくなど考えにくい。もしも彼が、彼女をここまで導いたのならば猶更だ。夜の町を韋駄天の如く駆け、彼女が行くであろう場所を虱潰しに調べていくはずだ。ここも候補に入っているはずだ。むしろ既にここに来ていても不思議ではない。
 やけに見回り連中が静かだ。もしやと思い窓から庭を覘けば、塗り潰したような黒の中に淡いオレンジがぽつりぽつりと見える。ガウェスはホッとした。だが、その心安も次のミュラの言葉で玉砕されることになる。
「この屋敷にもう1人、お客さんとかいんの?いや、勘違いかもしんねーけどさ」
 塗りたての白い壁に黒い染みがあると無駄に気になって仕方が無くなるように、その場に似合わない異物を本能的に気付いているのだ。事実、ミュラの勘は当たっていた。この屋敷には現在、ミュラを除くともう一人客人がいる。
「それはないと。いや、まさか……」
 少し考えてガウェスはティーカップを置いた。話し掛けてくるミュラを無視してドアの前へと立った。外に気配はない。しかし……。右手は剣の柄に、左手はドアノブに。途端空気が張り詰めた。寒くもないのに全身が粟立ち、冷や汗が流れる。それなのにどこか心を昂揚させるこの感覚をミュラは知っている。互いが互いを殺めるときの空気。黄泉への入り口が口を開けて待っていると知っていながら自らそこへ飛び込むような蛮勇。
 一瞬の沈黙。と、ドアが開け放たれると同時に突く!あの重装備から閃光のような鋭い一撃を繰り出せるのか。それ以前に何故こんな行動をとったのか分からない。ミュラは首を傾げる。
 部屋の外は今、ガウェスが開け放ったドアの音と剣が空を切った音以外何も聞こえない。何かを貫通した手ごたえもなければ誰もいない。
「まるで野生動物ですね。それに立ち聞きとは趣味がよろしくないようだ」
 誰に向けての言葉なのか、ミュラには判断しかねた。振り返ったガウェスに思わず身構えるミュラだったが、普段と同じ人当たりの良い柔らかな笑顔を見せている彼を見て気が抜けてしまう。
「念のために屋敷の見回りに行ってきます。ミュラは私が帰ってくるか、迎えが来るまではここで大人しくしているように、いいですね?」
「おい、セノールとかアゥルトゥラのこと教えてくれるんじゃねーのかよ」
「帰ってきたら教えましょう。それまでは良い子にしているように、いいですね」
 小さい子供を諭すような言い方。納得はしていないが、了解したようである。嘘つきと責めるように睨んだまま黙々とクッキーを食べ始めたのが証拠だった。聞き分けがいいのか悪いのか、思わず苦笑してしまう。ガウェスは部屋を出る寸前何かを思い出したようで、踵を返しミュラの方を向き直る。
「忘れるところだった。ミュラ、帰るときは裏門からお帰りなさい。今は閉鎖していますが、この鍵を使えば開くはずです」
 投げて寄越された鍵の頭にはハイドナーの家紋が描かれている。
「この部屋を出たら左の方向、道なりに進んでいけば屋敷の裏に出られる扉に辿り着くはずです。そこを出れば裏門が見える。鍵は使ったら適当に敷地内に投げ込んでしまって構いません。くれぐれも持って帰る、などしないように」
「ん、おっけー」
 今度こそガウェスは部屋を出て行く。見回りというのは真っ赤な嘘。彼がこれから向かうのは屋敷の外。そろそろ父が帰ってくるのだ。その足止めをしなくてはならない。もしもセノールと父が鉢合わせるようなことになったら、それこそ最悪のシナリオが出来上がる。下手をすれば第二の西伐が起きてもおかしくない。それは絶対に避けねばならない。
 そしてもう一つ、彼は嘘をついた。それは優しい嘘だった。だが、残酷であった。全てが白日の下に晒されたとき、ミュラが全てを知った時、危うかった嘘は彼女を絶望に突き落とす陰惨な真実へと姿を変えるだろう。だが、それを知っていて尚、言えるわけがなかった。師がいるかもしれないと気持ち華やいでいる彼女に、実は死んでいるなどと宣えるわけがなかったのだ。あの銃は彼女の遺品である。
 ガウェスは玄関ホールまで来て足を止める。最初は全てを伝える覚悟があった。しかし、師のことを憧れのヒーローのように話してくる彼女を、こちらでどのように過ごしていたか興味津々に訊いてきたミュラに、本当のことを伝える勇気を持ちわせていなかった。非道い人だ。自分が傷つかないために他人を傷つける選択肢をとった。
――あの子が来たら守ってほしい
 彼女がよく口に出していた言葉が過る。頭では十二分に理解しているはずなのに、それを行おうと意気込めば意気込むほど、手の中をスルリと抜けていく。まるで舞い散る花びらを掴もうとするかの如く。
 自分が最も忌むべき♂Rに頼らなければならないという自己嫌悪。ガウェスは屋敷の扉に手をかけ溜め息をついた。夜はまだ明けそうにない。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.31 )
日時: 2016/11/06 23:56
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暗闇の中、静謐を壊すまいとジャリルファハドはガウェスの背を見送った。息を殺し、静かに穏やかに繕う。ガウェスが屋外から出て行くと、物陰から身を現し、小さく溜息を吐いた。ミュラが此処で己の姿を見れば、なんと反応するだろうか。大声を挙げるなど馬鹿な事はしないでもらいたいが、適わないかも知れないと諦観するような思いを抱きながら歩みを進めるのだった。
 ドアの前に立ち尽くし、己の身に降り掛かった剣閃を思い描けば、自然と笑みが毀れる。また殺し合う時が来れば、あの業が見られよう。それを如何に打ち破るかと考えれば、それが愉しみであった。腕を取るべきか、首を取るべきか、鎧の隙を突くべきか。それとも延々と斬り合い、殺し合いに興じるべきだろうか。はたまた、卑劣な手で意趣返しを施すべきか。武人と復讐者の性を馬鹿げたものだと鼻で笑い飛ばしながら、ドアノブを回す。気のせいではなく、部屋の中のミュラが気付いたらしく、視線が此方に向いている。
「随分、早かったなー?」
 ガウェスだと勘違いしているらしく、ドアの影に隠れるようにして己の身を晒さずにジャリルファハドは筆架叉を引き抜いて、それを床に突き刺すように投げ付けた。絨毯、木の床、それらを貫き、やや傾斜を付けて突き刺さったそれにミュラは視線を奪われた様子で、黙りこくり息を呑む。
「……憲兵に見られなかっただろうな」
 誰が来たか察しが付き、ミュラの顔立ちが一気に曇り、抗議の視線とも言えるそれをドアの裏側の人物へ向けていた。大声を挙げるような事も無かったが、怒りによく似た感情が胸の中を行き交い、不快感を露にする。
「何しに来たんだよ」
「迎えに来た、帰るぞ。お前の真意に汲めずにすまない事をした。俺の悪手だ」
 伝えたい事だけを簡潔に伝え、ジャリルファハドはミュラを一瞥して踵を返す。随分と勝手な事を言うとミュラは思ったが、短いながら侘びの言葉を聞いてやや驚いたような様子だった。 
 床に突き刺さった筆架叉を引き抜いて、ミュラは再びソファに腰を下ろす。ガウェスが戻ってくるまで帰る気はないのだ。それと同時にガウェスとジャリルファハドに言葉を交わす場を設けさせようと考えていた。いつまでも争ってばかり、五十年も昔の怨嗟を引き摺り続けるなど馬鹿馬鹿しいと思い立っての事、ミュラに悪意はない。
「まだ帰らねーよ」
「ふざけるな、お前がそうやって駄々を捏ねれば、俺はまた斬り合う事になる。敵の本拠で殺し合うなど、多勢に無勢に成り兼ねん。それにだな――」
 此処で事が起きれば、ジャッバールが攻撃を仕掛けてくる可能性があるのだ。ともすれば、時期尚早すぎる「東伐」乃至、クルツェスカにて「セノールの手による事変」が起きる可能性があった。結果的にはセノールを滅ぼす要因と成りかねる。奴等はそこまで考えていない事だろう。ハイドナーが危機に窮したならば、それに便乗するまでという短絡的な思考しか持ち合わせていない。
「それに――?」
 ミュラが言葉尻を取るようにして問う。
 彼女にセノールの野望を伝えるべきではない。国力を十分に蓄えてから、アゥルトゥラの一切合切を皆殺しにし、五十年前の怨嗟を晴らす。血で血を洗い流し、互いの死を以ってして浄化を図る。そんな物騒で黒く、醜い未来の出来事を予知させたくなかった。
「――――忘れろ。いいか? とにかく帰って身体を休めろ、明日からカンクェノに潜るのだ、ソーニアに迷惑は掛けられんだろう?」
 尤もらしい言葉を吐き、ミュラをはぐらかす。妙なことを言うと小首を傾げながら、彼女は再びクッキーに手を伸ばした。帰る気は微塵もない。まだ、居座る気満々である。その様子を横目で見ながら、どうしたものかと内心、ジャリルファハドは頭を抱えるのだった。
「……何故、帰らぬのだ」
「え? いやー、まぁさぁ」
 ガウェスとジャリルファハドが鉢合わせるように仕向ける気だとは言えない。ともすれば、ジャリルファハドが激怒する事だろう。結果的に帰らざるを得ない状況となる。しかし、今ミュラの頭の中では、それ以外の理由は考えられず、焦ったようにクッキーを飲み込み思わず咽てしまう。
「理由すら言えんか、この大馬鹿者が」
「だから、馬鹿って――――」
 大声を出しそうになり、ジャリルファハドが静かにしろとジェスチャーをする。はと気付いた様子でミュラは口を閉ざす。やや呆れたようなジャリルファハドの視線がミュラに突き刺さり、やってしまったと、ややしょげた様子でミュラは肩を落とした。
 その脇を通り過ぎ、ジャリルファハドが窓の外を見やる。警備の者が一列に並び、ある男を注視している。その男を真正面から出迎えるのはガウェス。そして、その男の顔には見覚えがあった。先代のハイドナーの当主であるロトスであった。セノールの怨敵、その姿を見て尚更此処から去る必要があると感じ入る。
「ミュラ、やはり帰るぞ」
「だから、まだ帰らないって」
「謂れもない汚名を背負えるか? それに怒りを持たぬか? お前にそれが許せるか?」
「何言ってんだよ」
 ミュラはやはり知り得ない。ロトスのセノールに対する排斥的な発言、感情、思考を。ミュラがそれを堪えきれる保障は何処にもない。激昂し凶行に及べば、セノールからすれば単なる迷惑な事でしかない。ミュラの短絡的な思考、感情を呪う。窓から外を見れば、ガウェスがロトスを引き止めているらしく、屋敷の中に入ってくる様子はなかったが万が一という事もある。
「もう一度聞く。謂れもない汚名を背負えるか――」
「あー、分かったって。帰れば良いんだろ……」
 根負けしたようにミュラはようやく立ち上がり、窓から外を睨むジャリルファハドを他所にドアの外側へと歩き出した。ガウェスが裏口と言ってたななどと思い出しながら、そこを目指す。その背を見て、どこへ向かうかと思いながらもジャリルファハドはミュラの後を追った。ロトス・ハイドナー、ガウェス・ハイドナー。この二人の命は何れ取らなければ成らない。特にガウェスの父であるロトスについては、首は要らず、その死体を踏み躙られ、尊厳も誇りすら微塵もない死を与えようと呪詛の念を思い描く。首を取るのはガウェスのみで十分である。尤も正攻法で殺すつもりは微塵もないのだが。



 ミュラの後を追い、歩を進めると殺風景な部屋に扉が据え付けられた小部屋へと辿り付いた。小部屋のドアを閉めるとミュラは辺りを見回して、埃を被った椅子に腰を下ろした。何故座ると抗議するように視線を向けるとミュラは口を開く。
「なんで、そこまで帰りたがったんだよ」
 それがミュラには引っかかっていた。ジャリルファハドを何が来ても刀一つで立ち向かうような人物だと思っていた故、尚更であった。彼女の問いにジャリルファハドは重い口を開く。
「ガウェス・ハイドナーの父親が帰ってきたからだ」
「は?」
 それだけでは理由にならないとミュラは声を上げる。いつもの事ながらジャリルファハドの要点を抜かした話し方に辟易してくる。
「お前は知らぬだろうよ。あれは我々セノールを徹底的に敵視している。……宿を断られた程度で激怒するお前では、あれの言葉に耐えられない、そう判断した故に引いたのだ」
 ミュラを貶すような言いぶりであったが、その語り口から心身を案じてからの判断だという事がミュラにも理解できた。ジャリルファハドの真意としては、その先ミュラが凶行に及ぶ事がないようにという思いがあったが、それは語るべきではない。
「そんなに嫌われてんのか」
「我々の文化、慣習、真実を知るソーニアのような者も多くはないが存在する。全てがその限りという訳ではない」
 何となく生き難い人種だとミュラは思ってしまう。それを思った時、あの宿で己を突き放したジャリルファハドの言葉の真意を捉えられたような気がした。何者か分からないなら、何者かわからない状況に甘んじえろ、と。態々セノールのような人種のフリをするなと諭されたのだ、と。しかし、それでも自分が何者であるかははっきりとさせたいとミュラは思う。自分が何人で、どこで生まれたのか、誰が親なのか。それを知り得ない限り、はっきりとした自己を確立できない、そんな気がしてならなかった。
「ふーん……、そんなもんか。ま、此処まで来たんだし、さっさと帰ろうぜ」
 やけに聞き分けが良いと怪訝な表情を浮かべるジャリルファハドを他所に、ミュラは裏口の扉を開き、その鍵を見据えた。ガウェスは置いていけと言っていたが、どうするべきか。少し悩んだ後、鍵を懐にしまう。どうせ近い内にまた会う事になる。そんな気がしてならなかったからだ。
「蒸してんなぁ……」
「砂漠では有り得ん。此処は人が暮らす所ではない……」
 水もなく、日中は灼熱、夜は極寒。凡そ人間が暮らす場所ではない所から来た輩が言う言葉ではないと、ミュラはジャリルファハドを横目で見やる。思いの他、慣れない気候が堪えているらしく、仏頂面にやや疲労の色が混じっているように感じられた。まさか、迎えに来たのはいいが疲れたから帰りたいとほざいたのでは、と疑いの視線を向ければ、その射掛けるような視線が帰ってくる。少し気まずくなったのか、思わず視線を逸らし、ミュラはそっぽを向く。
「……なんだよ」
「それは俺の台詞なんだが」
「いや、何か言いたいから見てたんだろ?」
「お前も何か言いたい事があるんじゃないのか……?」
 話と状況が噛み合わない二人が暗がりを抜けていく。その暗がりの中からハイドナーの屋敷を見据えれば、ロトスとガウェスが屋敷の中に入っていく様子が見られた。ばったり行き会うという事は避けられたようで、ジャリルファハドは安堵の溜息を吐くのだった。

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