複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46



Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.17 )
日時: 2016/09/05 09:31
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 帰ったら少しばかり休憩をとろうと考えていたガウェスだったが、屋敷に帰るとすぐに父親から呼び出しがかかる。疲れた顔をしていたのだろう、言伝を頼まれた使用人の面持ちはガウェスへの申し訳なさが表れており、口調には感じる必要のない罪悪感が滲み出ている。父の命令である故、それをないがしろにすることは許されない。白銀の騎士は嫌な顔一つせず、伝えてきた使用人に礼を言って下がらせる。姿が見えなくなると、玄関ホールにはガウェス以外誰もいなくなった。しかし、窓に目を向ければ庭師が手入れをしており、目が合うと帽子をとって会釈をする。こちらも軽く会釈を返した後は父がいる書斎に足を進める。向かうにつれて、彼の顔から笑顔が消え、別の表情が顕になる。それは父に会いに行く息子の顔ではない。王への謁見を許された一兵卒のように畏怖と畏敬を浮かべ、でも、その中に、ほんの少し……ほんの少し、軽侮の念がこもっている。
 しかし、それも父の部屋に行くまで。ノックをし、返事が返ってくればガウェスには道化が宿る。いつも通りの柔和な笑みを浮かべ、早足だったのが余裕をもった足取りに変わる。元々伸びていた背筋をさらにピンと伸ばせば普段の彼らしい、優雅で高貴な立ち振る舞いが戻ってくる。



 書斎に入れば白髪交じりの黒い髪をオールバックでまとめ、鷹の目のように鋭い眼光を宿した男が座っている。取引先との対談があるのだろう、クロッチ・コートは着ていないが、黒いベストに白いシャツを着用し、蝶ネクタイを着けていた。正装に限りなく近い格好をしている彼はロトス・ハイドナー。ガウェスの父親であり、今は当主の座をガウェスに譲り隠居の身である。とは言っても、家でジッとするのは趣味ではないと貿易商を営んでいる。そんな仕事柄か、ロトスが家に帰ってくるのは稀なことである。事実、仕事が恋人と揶揄される彼が帰ってきた理由は、最近懇意にしている取引相手の挨拶ついでに家の様子を見に来ただけなのだ。
「息災のようだな、ガウェス」
「ええ。父上もお元気そうで何よりです」
 ガウェスの笑顔につられてその瞳に鋭さではなく柔らかさが見えた。しかし、それも彼の鎧――右肩に開けられた穴を見てさきほどよりも冷たく鋭利な鋭さを宿すことになる。ロトスは一切の遠慮なく、鎧の穴へ向ける。
「それは誰にやられた」
 ガウェスがセノールと言う前にロトスが口を挟む。
「よもやセノールとは言うまいな。あんな蛮族に我らが誇りを傷つけられたとあってはハイドナーの名折れであるぞ」 
 
 向けられている指先が銃口の様だとガウェスは思った。もしもここで馬鹿正直にセノール人にやられたと言えば、叱責の言葉がガトリング砲の如く飛んできて彼の心をハチの巣にするだろう。かと言ってそれ以外の人種を言えば父親はハイドナーお抱えの私兵団に加えるために連れて来いと命令するだろう。
 思わず閉口した彼にロトスは先ず「面汚しめ」と吐き捨てた。もしもこれをセノール人以外の者がやったと言えば、彼はその者の武勇を褒め称えただろう。なぜ人種が違うだけでこんな扱いを受けねばならない。セノール人が我々に何をしたというのだ。チクリとガウェスは胸に痛みを覚えた。彼自身、セノールに対しての差別意識など皆無である。むしろ歴史や知識を深めようと文献を幾つか読んだことがある。余計に誤解を生むものも多数あったが、忠実に近い物も僅かながらあった。(尤も忠実に書き過ぎた本の多くは西伐批判にいきつくことが多く、反アゥルトゥラ勢力として著者は首を斬られ、本も燃やされてしまったが……)
 
「父上……。父上は何故セノールを憎み、蔑み、慢侮なさるのですか」
 剣を交えてみて改めて分かったが、セノールはアゥルトゥラがいうような蛮人では決してなかった。確かに彼らには全てを擁護するには難しい血に濡れた歴史、慣習があるかもしれない。しかし、それだけではないのだ。戦い方にも言葉を交わした時もその端々に知性を感じ得ることが出来た。それに市場に売られている繊細かつ華美な模様が描かれている絨毯やストール。それらの多くはセノールのものだ。彼らは彼らなりの歴史を長い時間をかけて刻んできたのだ。それを破壊してしまったのはきっと――。

 ガウェスは吸い込まれそうな、ロトスの――父の瞳が苦手だった。ミュラの瞳も黒かったが、父のとは違う。彼女の瞳が輝きを放つ黒真珠の瞳だとしたら、父のはすべてを飲み込まんとする、終わりのない夜を写し取ったような瞳。思わず目を逸らしたガウェスの様子を見て、愉快だというように喉を鳴らした。ガウェスは小さい頃からロトスの目をあまり見ようとしない。

「愛しい我が息子。私はね、セノールを憎んでなんぞいないのだよ。彼らにはそんな価値さえもありはしないのだから。私はただ彼らに対して正当な扱いをしているだけだ。捕虜には捕虜の、賊徒には賊徒の扱いがあるようにね。仮に私がセノールに対する扱いが蔑み、慢侮に見えたのならば、それがセノールに対する正当な扱いであった。それだけなのだよ」
 逸らされていた青い瞳が父を見る。青空を埋め込んだような美しい青色をしている瞳が何を言っているんだと言うように父親を見る。
(父上がセノール人を見下すのに理由なんてない。それ以前に見下しているという感覚さえない。下に見て当然と無意識に考えている)

 淡い期待を寄せていたのだ。納得できなくてもいい。セノールを蔑む理由があれば多少でも父の考えを理解できるかもしれないと思っていた。でも、理由はないと父は言った。曙光は本当に夢と潰えてしまったのだ。今、彼の心に沸いたのは恐怖。父の気持ちが分からないという未知への恐ろしさ。実父でなかったら価値観の違いのみで済まされることが、家族であれば違う。間違いは正さねばならないだろう。

「父上、恐らくあなたは無意識にセノール人を見下しているのでしょう。それは……よくないことではありませんか。何の理由もなく他者を、特定の人種を下に見るなど、一介の領主が行うことではありません」
 ガウェスは父の忌諱に触れぬように注意を払ったつもりだ。そう、あくまでも彼の中では。無論、多少は父の機嫌を損ねる覚悟はしていた。していたが、まさか、部屋の温度が下がったのでは思うほど空気が張り詰めてしまうなど誰が予想しただろうか。選択を誤ったと彼は後悔した。
「言うようになったな。父にそのような口を利くのが騎士の流儀というやつなのか」
「まさか、そんなわけ」
「忘れるな。本来お前は商人になるべきだった。それを拒み、ハイドナーのためになるからと無理矢理騎士になったのだ。その責任を果たせ」
 ロトスはフロッチ・コートを手に取った。取引先の所に行くためだ。
「ハイドナー当主として誇りを重んじろ。そして忘れるな。お前にはハイドナーに一生を捧げていく使命がある」

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.18 )
日時: 2016/09/19 08:12
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 父親から解放されたガウェスは精神的に参っていた。あのあとロトスは取引先に行くと行っておきながら、30分ほどガウェスの欠点をくどくどと垂れ流したのだ。その端々でさりげなくセノールへの貶しが入るものだから大したもので、一周回って好きなのではないかと思ったほどだ。本当はこのままベッドに横になってしまいたかったが、鎧を脱ぐと重い体を引きずって机に向かった。説教の後、ハイルヴィヒから受け取った手紙を渡そうとしたが、時間がないと断られてしまい、その手紙はガウェスの手元にある。
 ハイルヴィヒにはあまり急がなくていいと言われたが、相手を待たせるようなことは好まない。それに、わざわざ確認をとる必要はない。出陣するのはきっと自分なのだから。さらりさらりとペンを走らせる。書き終わったら、手の空いている使用人を1人捕まえてユスチン・ヴェニアミノヴィチ・ベケトフの元へ使いを頼む。ちなみに、二つ返事で引き受けてくれた彼女は、ロトスから言伝を預かった者でもあった。きっと彼女はパシリにされるという星の元に生まれてきたのだろう。頑張って生きてほしいものである。
 さて、ここまでやっても彼はガウェスハイドナーはまだ一息つけない。使いを見送った後は情報屋の会いに行くために売春宿へと向かう準備を始める。






 娼婦の朝は遅い。太陽が顔を出しているにも関わらず情報屋の女――イザベラは寝ていた。当然だ。娼婦が仕事が始めるのは太陽が眠り、夜の帳が下りてからだ。そこに働く者はその道理を知っている。故にイザベラは昼間に起きていなくとも怒られることも責められることもない。無論、叩き起こされることなんて万に一つもない。
 しかし、今日は違った。ノックもせずに勢い任せに開かれた扉が目覚ましの代わりに音を立てる。盗賊でも入ってきたのかと飛び起きた彼女が見たのは頬に紅でもさしたのではと思ってしまったほど顔を赤くした同僚の姿。

「ちょっと何よ。どうしたの」
「どうしたのじゃないよイザベラ。あんな上客いるってなんで教えてくれなかったの」
 容量が掴めない。どういう意味かと問う前に部屋の前に立った男を見て合点がいった。宿全体が色めき立つわけだ。彼はいつもの輝く鎧ではない。紺色のベストに白いワイシャツ、黒いズボンを履いている。しかし、全体的に黒を基調としているからこそ、彼の白い肌と美貌が余計に際立っている。


「どういうつもりよ。朝に会ったばかりじゃない」
 薄めのコーヒーを作り渡す。テーブルはあるが椅子はないのでベッドに座らせる。「すいません」と照れ臭そうに笑う姿でさえ絵になりそうだ。ガウェスはコーヒーを一口飲むと「それにしても」と口を開いた。
「最近、皆さんの間でパイプが流行っているのですね。しかも寝転んで吸わなければならないほど大きいとは驚きだ。異国の物ですか」
 下の階で寝そべってパイプを吸っている娼婦を見たのだろう。彼の口調は面白い物を見れたと楽し気に声が弾んでいた。
「二週間前ぐらいから急に流行りだしたの。でも詳しいことは知らないわよ。私は興味ないし。で、用件は?」

 イザベラは睡眠妨害をされて些か機嫌が悪い。いつにもなくそっけない態度に思わず苦笑が漏れる。
「実は急ぎの頼みが出来まして、明日までに調べてほしいことがあるんです」
「本当に急ね。まあいいけど。私の貴重な睡眠時間をとったんだから特別料金を要求するわよ」
「もちろん、そのつもりで来ました。先ずはこれを」

 ガウェスが出してきたのは女の手のひらですっぽり包めてしまうほどの小さな瓶。中には液体が入っているらしく揺らすと波が出来る。
「遅くなってしまいましたが、梅毒に効く薬です。お友達がご病気でしょう」
 この時代、多くの娼婦が恐れていた感染症は『梅毒』である。主に性行為をすることによって感染するそれを、娼婦たちは死神と言っていた。とは言っても治療薬がなかったわけではない。昇汞液と呼ばれる液体、それを服用すれば高い確率で直すことは出来た。ちなみに、昇汞水とは塩化第二水銀のことである。当然だが、服用量を間違えれば水俣病で苦しむことになる。
「覚えててくれたのね」
 それを覆したのが錬金術と製薬作りに特化したハイドナーだった。梅毒だけではない。彼らは、副作用がほとんど起きない特効薬を錬金術を用いることで開発していった。貪欲なハイドナーはそれを賢者の石と同様に多方面に売り込めば莫大な利益が望めるもの代物であることは分かっていた。だが、製薬の錬金術は賢者の石を媒体として使えないので、材料を集めることに苦労すること、錬金術を秘匿と考えているカルウェノ人が多く、もしも薬を他所へ流したのがバレた場合、紛糾される危険性がある等、リスクの高さから彼らでさえ錬金術を食い物にすることが出来なかった。
 このようなことから他民族へその薬が出回ることは滅多にない。(金を積まれれば売ったらしいが……)
 そう考えるとガウェスは例外であった。秘匿の公開は出来ないが、頼まれれば人種も損得も地位の低い高いなど関係なく、命を救うために秘匿を行い、必要な者に施していた。


「では、本題に入らせていただきます。今朝、貴女の情報通りバシラアサドの元へ商人が来ましたが、馬車に乗ってきたのはジャリルファハドの他に褐色肌をした女性が1人。彼女の身辺調査。出来る限りで構いません」
「ん〜、女の子なら、あなた直々に訊けばいいんじゃないの?その顔とハイドナーってことちらつかせれば大抵の女は落ちるわよ」
 それが出来れば苦労しないとガウェスはため息をつく。
「ジャリルファハドの連れのようで」
「あぁ〜、なるほどね。オッケー。なら引き受けてあげる」
 どこで知ったかは知らないが、彼女はハイドナー家が西伐で何をしでかしたか分かっている。最初はどこのどいつがリークさせたのかと躍起になって犯人を捜したが、手がかりさえ見つからず諦めてしまった。それならばと、イザベラの口封じをしてしまおうとも考えたこともあったが、丸腰の女性を斬るのは騎士としての矜持が許さなかった。仕方なく、ガウェスはイザベラを情報屋として雇ったのだ。

「恩に着ます。して、貴女は何がお望みですか。やはり金貨ですか」
「いいえ。金貨はいらない。ただ、新しい薬を作ってほしいの」
「病名は分かりますか」
「分からないわ。でも、それにかかると皮膚に青い斑点が出来るわ。それに瞳孔。瞳孔も小さくなっている」
「ふむ」

 イザベラはコーヒーを飲み、困ったというように息を吐いた。
「ひどいのになると幻覚が見えるみたい。昨日ついに死者が出たわ。虫が体中を這っているって叫んで走っている馬車に飛び込んだの。お医者様もこんな症状見たことないって言ってた。だからあなたに頼むのよ」
「分かりました。とりあず似ている症状の病気を探し、それの薬を作ってみます」

 ガウェスは医者ではないため、症状だけ言われても何の病気かなど判断できない。しかし、何もせずに放っておけば患者は死んでしまうことだろう。最初から諦めて見捨てるなど彼が出来るはずもないのだ。とりあえずは特効薬が見つかるまでは何度も試行錯誤する必要がある。
 裏口から売春宿を出る。ハイドナーの者だとバレないように注意しろとイザベラに再三注意された。しかし、今の自分は鎧を着用していないので自分がハイドナーだと分かる者はほとんどいないのではないだろうか。日差しが眩しくて思わず目を細める。このまま屋敷に帰ろうと思っていたが、折角の良い天気なので、少し町を見て帰ることにする。人の波に紛れるように、ガウェスの姿が消えた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.19 )
日時: 2016/09/05 00:58
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 三振りの鎧通し、一振りの曲刀を身に着けたジャリルファハド。二振りの筆架叉を身に着けたミュラ。二人の姿はどうしても目を引いた。セノールが武器を携帯し歩いていると。たったそれだけで恐れられる対象となり、注視される。引いては監視対象となるのだ。血腥い民族が、腹の中に悪を飼い、血を求めるようにと砂漠の悪魔が彼らの足を進める。そんな畏怖、恐怖が差別意識の中にあった。ミュラがフィーリングで決めた店の女中は、二人の様子を見るなり顔を顰め、どことなくぎこちない振る舞いを見せた。金が出る以上は客、断る訳にもいかないが、よりによってセノール、しかも帯刀している。そのため店内は緊張に包まれているように感じられた。心なしか客がそそくさと出て行く。そんな状況にミュラは戸惑うがジャリルファハドは別に気にする様子もなく、何やら手帳に書き記していた。横目で見るが武辺者だとは感じられない程に、整い流麗とした文字を彼は書く。

「何書いてんだ?」
「……セノールへ送る文だ。急拵えで粗雑な物で師父には申し訳ないがこれしかないのでな」

 器用にも二枚の紙から封筒を折り拵え、手紙を送る準備は万端であった。どこから出したのか、蝋燭の代わりに松脂と葦の繊維から作った接着剤もテーブルに並べられていた。内容としては市街地の地図、ジャッバールの動向などだ。後者はともかく、前者が何故必要なのかミュラには分からなかった。そもそもジャリルファハドの地図が精巧過ぎるのが奇妙で、理解に苦しむ。距離まで書かれており何を目的としているのだろうか。

「どうやって距離測ったんだ?」
「歩幅と歩数を計算しただけだが……、お前もやるだろう? 砂漠は距離感覚を失いやすい。どれだけ歩いて、どれだけ拠点から離れたか記憶しておくためには必要だ」
「そんな事しらねぇよ……」

 嘘だろうというようなジャリルファハドの表情。歩きながら自分の歩幅と歩数を計算して、距離を割り出すなどミュラの残念な頭では難しい。そもそも師と仰ぐ人物からそんな術は学んだ事はなかった。何故、教えてくれなかったのだろうか。それとも師匠もこの術を知らなかったのだろうか。はたまた、それすら必要ない程に砂漠に精通していたのか。どちらにせよ、もうその真実を確かめる事は難しいだろう。三年前、あの人は姿を消してしまったのだ。

「そうか、難儀しただろう」
「あぁ?」
「無闇に動き回り、飢え渇けば死ぬ。自身の限界を超えて動いてしまう。……苦しかっただろう」

 突然、穏やかな口調で語りかけるジャリルファハドにミュラは困惑を隠せずに居た。先ほどからこの男は何なのだろうか。素直に謝って見せたと思えば、普段の刺々しく鋭い印象をどこかに隠してしまう。困惑、混乱その類を抱いたミュラは、コクコクと首だけ縦に振り相槌を打つに留まった。そうこうしているうちに料理が運ばれてくる。女中は先ほどのぎこちない者ではなく、穏やかに笑みを湛えた優しげなアゥルトゥラの女性だった。料理をミュラの前に置き、小さく頭を垂れた。ジャリルファハドの分はまだ来ない。来たとしても彼は暫く手を付けないだろう。少し分けてもらえるだろうか、などと希望的観測を胸にジャリルファハドを横目で見遣った。彼は気を使うなと、目配せし再び手紙に筆を走らせるのだった。


 食事を済ませた二人の姿は、まだ市場にあった。二人の視線の先には、また巨大な鞄を背負ったソーニアの姿がある。安い野菜を値切っているようで、生活に苦労しているのだろうとジャリルファハドは何処か遠い目で彼女を眺めている。傍から見ればセノールが標的を定めたようにしか見えないという事に気付いたのか、ジャリルファハドはソーニアから視線を外し、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「あいつの名前は?」
「えぇ!? あー、えーと……ゾーヤ・メイ・リスルスだろ」

 最早別人にされてしまったソーニアを哀れみ、ジャリルファハドは歩みを進めた。ソーニアに構ってる暇や時間はない。カンクェノへ立ち入るまでの手続きを済ませなければならない。翌日、すぐカンクェノへ入れるようにするのだ。煮え切らないジャリルファハドの反応に、ミュラは疑問を抱きながらも彼の後を追う。もし、今後ろから筆架叉で襲えば倒せるだろうか? などと余計なことを考えてみたが、足元を見てそんな考えは止める事とした。ジャリルファハドがしきりに影を見ているのだ。決してミュラが自分の影に重なる事ないように歩む。筆架叉を抜いた段階で、首を飛ばされかねない。

(おっかねぇ……)

 引き攣った笑みを浮かべながら、ジャリルファハドの後を追えば遂に見えたカンクェノへの入り口。石造りの廃墟が広がり、その中央部にポツンとピラミッドのような建造物。その上には神殿のような建物が建っており、そこが地下へと繋がっている。彼方此方に古代の文字が刻まれているが、地表の分についてはソーニアのような考古学者達の手で殆どが解読されているのだが、内容が難解で解釈に苦しむ物ばかり。考古学者に混じって哲学者や、物書きといった人種まで解読に駆り出されているのだからカンクェノの謎というのは業が深い。
 通門所でジャリルファハドが何やら門番と言葉を交わしている。彼は静かな語気で語らいながら通行手形を得ようとしているようだが、上手くいっていないようだ。恐らくは人種が邪魔をしている、そうミュラには感じ取られた。では、自分ならばどうだろうか。一見しただけではセノールと大して変わらない。肌の色も、瞳も、髪も全てがセノールと変わらないのだ。

「あら、ミュラ」
「……ゾーヤ?」
「誰よ、それ?」

 名前を思いっきり間違えられらというのにソーニアは穏やかに笑っていた。紙袋には野菜とパンが詰められていた。先程の交渉の末、勝ち取った戦利品。やや萎んだ鞄に入れれば良いのでは? とミュラは思うも口に出す事はなかった。名前を間違えた上に、覚えていない。やや居心地が悪かったのだ。横目で通行手形に書かれた名前を読み取り、ミュラは取り繕うように笑う。

「ソーニア、あれどうにかならない?」
「ん? あぁ……、あれね」

 交渉に苦戦するジャリルファハドを見て、ソーニアは荷物をミュラに押し付けゆっくりと彼らに歩み寄った。セノールの立ち入り、これはバシラアサドや彼女の私兵達がカンクェノに立ち入る時も苦労していた。彼女達は交易ルートの一部を憲兵の上官へ、譲渡すると同時に賄賂を以ってして立ち入り許可を取ったようだ。余談ではあるが、その後憲兵の上官達は交易ルートの警備視察についた後、全身を切り刻まれたり、解体されたりして発見され、交易ルートは再びバシラアサドの手に戻っている。また、賄賂を受け取った兵士もカンクェノ内でレゥノーラに襲われたり、何者かに切り伏せられたりと、例外なく死を遂げていた。

「あー、お待たせ。ジャリルやっぱ口下手ね」
「……なんだ?」
「なんだじゃないでしょ、“私の護衛”だってちゃんと伝えたの?」

 ソーニアはジャリルファハドに話を合わせろと横目で伝えながら、ミュラを手招く。荷物を持ったまま歩み寄るミュラを一瞥し、その肩を抱いた。冷気がミュラを冷やす。鋭い西日に照らされ、熱を持った肌には心地よく感じられた。憲兵達に笑みを見せ、剣呑とした場を和ませようとソーニアの顔は知れているらしく、憲兵達は納得いったように胸を撫で下ろし、ジャリルファハドを見遣る。

「ソーニアさんの事頼んだぞ、あの人は今まで護衛が居なかったんだ。あの人を守ってやれるなら人種なんて関係ない、むしろセノールで良かった。お前達は腕が立つ。任せたぞ」

 そうジャリルファハドに詰め寄る憲兵は首元が鱗に覆われ、瞳は大型の肉食獣のように鋭く、瞳孔は開いている。何より開かれた口からちらちらと姿を覗かせる舌は二つに分かれ、鋭い牙が顔を覗かせている。彼らは頑強な身体を持つレヴェリ人だろう。人種の垣根もなく、慕われているソーニアは余程魅力的な人物なのだろう。仕方ないと薄ら笑いを浮かべ、ジャリルファハドはレヴェリ人憲兵の肩に手を置いた。

「任せておけ。セノールの血と矜持に掛けて」

 レヴェリ人憲兵は小さく頷く。あの憲兵も恐らくは武人なのだろう。それが故に互いに通じ合う物があり、根拠のないジャリルファハドの言葉を信用してくれたようだ。それと同時にジャリルファハドは右手を握り締め、己の心臓と喉、そして額を拳で触れ、憲兵の前に突き出す。はとした様子で憲兵も同様のジェスチャーを以ってして返礼を尽くす。セノールが神に誓う時のジェスチャー、そうしてそれを受け入れる際のジェスチャー。ジャリルファハドはその文化を憲兵が知っていた事を嬉しく思ったのか、小さく頷いた。

「立派な武人だ」
「立派な武人かも知れないけど、朴念仁でどうしようもないんだから」
「はは……っ、武人という物は往々としてそういう物です。バシラアサドの所のルーイットもそうでしょう?」
「あの人はちょっと抜けてるというか……」

 親しくもないというのに散々な言われようのジャリルファハドを面白そうにミュラは見つめていた。彼はどうでも良さそうに表情一つ変えず、憲兵とソーニアの会話に聞き耳を立てていた。バシラアサド、ルーイット。このフレーズが出てきたのが原因だった。やはり何か因縁めいた物でもあるのだろう。ジャッバールの現当主を裏切り者と罵り、恐らくその本人から撃たれた。それ程に二人の仲は悪いのだろう。

「ま、私の護衛はたまに顔が怖いけど、悪い人じゃないから手形出してもらえる? あ、こっちの子はミュラ……、苗字は?」
「ベルバトーレ」
「だそうよ」

 ミュラの姓を知らないソーニアに一瞬、憲兵は怪訝な表情を浮かべたが、それでもソーニアは信頼に足る人物だったのだろう。手形となる書面に名と人種、性別を書き記した。それを透明な板のような物で挟み、赤熱した鏝で軽く抑えた。熱で溶け、書面はその透明な板の中にあった。恐らくは錬金術で作り出した素材だろう。手渡されたそれにはジャリルファハドとソーニアの名が記されている。もちろんの事だが、性別は男女できちんと識別している。しかし、最後だけは違った。人種が二人ともセノール人とされていたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.20 )
日時: 2016/09/19 08:20
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 ガウェスが屋敷に帰ってくると父は既にいなかった。商談相手の元に行ったのだろう、誰の元に行ったのか止まりかけた頭で幾つか候補を挙げてみるが、ザルで水を掬おうとするような無駄な行為だと気づきやめる。
 身体を玄関ホールの隅に配置されているソファーに身を投げ出し、一時の安らぎを得る。ハイドナーの中身ではなく外見を気に掛ける父には見せられないだらしがない恰好。
 ならばもしも、この姿の自分を亡き母が見たら、どう思うのか。「はしたない」と窘めるか、「お疲れ様」と労ってくれるか……。後者であってほしいと願う。病気で死んだ母。顔はもうほとんど思い出せないが、自分と同じ飴色の髪に青い瞳をしていたことと、「誠実に平等に生きてほしい。そしてハイドナーを守ってほしい」と何度も説いてくれたことだけは今も脳裏に焼き付いている。

 母亡き後、ロトスの元にはハイドナーの地位、富にすり寄ってくる女性は大勢いたが、後妻をとることはなかった。妾の女性を本妻にするのかと噂されていたが、子供が出来たやら出産したやらイザコザが起きた、次の日からその妾の姿を見ることは無くなってしまった。早くに母を失ったガウェスの母親代わりになってくれた人だったので実家に帰ったと説明された時は悲しかったが、仕方がないとそれを受け入れた。しかし、成人を迎えたあの日、酒に酔った父が面白い話があると言って実家に帰ったはずの妾の事を切り出した。彼女は帰省したと説明される前の晩、赤子ごと殺されていた。愛していた男の手によって。茫然とすガウェスに、ロトスはまるで自らの英雄譚を自慢するかのように雄弁に語る。彼女を部屋に誘い込み、先ずは大事に抱いていた赤子を撃った。理解する間もなく銃弾は赤子の体を貫通し母親にも当たる。胸のど真ん中に被弾をし、薔薇のように赤い血しぶきをあげ、床に倒れる。その動きは氷の上を歩き滑った痴呆者のように滑稽で無様であったと父は悪びれもなく語る。そして血反吐を吐きながらも愛しい我が子の名前を呼ぶ女の額をぶち抜いてやったのだと高笑いをあげて話を締めくくった。

 ガウェスはこの時ほどこの男と親子で良かったと思わずにはいられなかった。もしも、ロトスが赤の他人だったら自分の中に渦巻いた怒りや憎悪に身を任せ彼を殺したであろう。例え人前であってもだ。目玉を抉り、鼻を削ぎ、耳を斬り、四肢を引き裂く、狂気と呼ばれる獣に身を焦がし彼を喰ったはずである。

 母はこんな男のどこに惹かれたのだろうかと、答えの出ないと問いを繰り返す。
 考えるのに疲れて、ソファーから体を起こす。丸く膨らんでいたズボンのポケットから現れたのは真っ赤に熟れた林檎だ。市場で買ったそれを皮も剥かずに齧った。「当主としての矜持はどうした」と馬鹿にしてくるどこぞのセノール人の顔が浮かんだが、林檎と共に咀嚼することに決めた。

 食べ終わると彼が屋敷の地下室へと潜る。イザベラに言われた病気が何かを探り、その薬を作るためだ。カンクウェノ内部にも錬金術を行ずる為のフロアはあるのだが、広大な土地と財力を持つ貴族や商人は地下室を作り、そこで錬金術を行う。その例外に洩れずハイドナー邸の地下にもそのための部屋がある。電気が普及してきたにも関わらず灯りは松明の篝火のみで、前時代的と揶揄されることも度々あるがガウェスはそれでいいと考えている。錬金術を白熱灯の下で行われるなど秘匿を晒しているみたいで落ち着かないのだ。
 仄暗く、ジメジメとした空間に似合わぬ男は一人、羊皮紙を捲る。先代から受け継がれた錬金術の手法が事細かに書かれているそれを熱心に見ている。一つの束を調べ終わったら次の束へ、弱弱しい光を頼りに幽暗な世界で1人、情報を求める。しかし、先代が彼らのためにと残した遺産は数百とあり、それを今日一日で確認するのは不可能だろう。事実、地下室に入った時は顔をだしていた太陽が今は地平に沈もうとしている。
 思わず溜息が出てしまう。今日中に探し出すのは難しそうだと、持っている紙を棚に戻す。その時ふと、目に入った紙の山。これは羊皮紙ではなくパルプで作った紙。とは言っても普通の紙ではない。湿気に強くかび難い、水に濡れても破れにくいなどの特徴がある。錬金術を以てハイドナーが作ったものだ。父か、祖父、曾祖父がまとめたのかもしれない。題名を見て、あぁ、成るほど。こっちの可能性もあるな、と、通常のパルプ紙よりツルツルとしているソレを手に取った。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.21 )
日時: 2016/09/19 08:26
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

カンクェノからの帰り、ミュラの足取りは軽い。ソーニアとジャリルファハドを置いて先へ先へと走っていく。昼間は多くの人、多様な人種でひしめき合っていた市場が現在は人がまばらになり全容が見通せるようになっていた。

「あの子、楽しそうね」
 店じまいの様子の何が楽しいのかソーニアにはさっぱりだが、ミュラには興味を引く何かがあったらしい。カメラの代わりに自らの網膜にその様子をしっかりと焼き付けている。
「砂漠の外を知らなかったそうだ。見るモノ全てが珍しいのだろう」
「そうなの。じゃあ、箱入り娘なのね」
「ある意味でな」
 十字路まで着くとソーニアが足を止めた。彼女とはここで往く道が異なるらしい。
「これから貴方達はどうするの」
「宿を探す。見つかれば、だが……」
「この時間ならどこでも入れると思うけど、そう。頑張ってね」
 彼女が懸念しているのは人種という強大な壁だ。「それじゃあね、ボディーガードさん」とジャリルファハドにウインクを残すとソーニアは左に曲がる。
「あいつ……、ソーニアは帰るのか」
 いつの間にかジャリルファハドの隣に立っていたミュラはソーニアの後姿を見送っていた。
「ああ。俺達も宿を探さねばなるまい」
 ここでジャリルファハドとミュラが犯した唯一の失敗は、ソーニアを帰らせてしまったことだ。彼女は口が上手い。泊まるための宿も容易とはいかずとも手配できた可能性があった。
 しかし、セノールのみになると話は違ってくる。黙って首を横に振るジャリルファハドとガシガシと頭を掻くミュラの姿が何度も確認された。
「今日は野宿やもしれん」
 ついにジャリルファハドの口から一番聞きたくなかった言葉が無慈悲にも放たれる。途端、ミュラの顔から生気が抜けてその場に崩れ落ちた。よほどショックだったようだ。彼女らしくもない「うううっ」とすすり泣くような声と共に石畳に拳を打ち付ける。
「やめろ、手を痛めるぞ」
 見当違いの所を心配するジャリルファハドに「そうじゃねぇよ」と消え入りそうな声でツッコミが入る。
「泊まれる所がいっぱいあるのに、金もあるのに野宿って……、野宿って!そりゃあねぇだろ」
「仕方がないだろう。まさかやったことがないわけでもあるまい」
「でも、でもよ納得できるわけねーだろ。なんでセノールってだけで!!」
 宿をとるのが一番難儀することはジャリルファハドだけではなくミュラも感じていたことだ。セノール人とアゥルトゥラ人の確執を知らなくとも、自分達が歓迎されていないことは薄々気が付いていた。今も突き刺さるような視線は未だ消えず、むしろ人混みという壁がなくなったせいで余計にきつくなったようにも思える。

 ジャリルファハドとて彼女の怒りが分からないわけでもない。セノールというだけで監視対象にされ、人々から蔑まれ、宿屋の主人や物好きな客から投げかけられる心無い言葉。ひどいと交渉の余地さえ与えてもらえない。何度この剣を抜いてしまおうと思ったことか。それでも激情を抑えてこられたのは胸の内に秘めた大願があるからだ。この程度のことで水泡に帰すわけにはいかないと自制をかけることが出来た。
 ……いや、それ以前に、彼はこうなる覚悟をもってここまできたのだ。一族を知り、歴史を知り、差別をされる覚悟、もっと言えば命さえ失う覚悟をもち、それでも自分の悲願を果たすためにここまで来た。一方でミュラは何も知らずに来てしまった。セノール人がアゥルトゥラ人に負けたことはおろか西伐があったことさえ知りもしない。ただ、カンクェノで宝を見つけたいという純真無垢な願いのみをもってここまで来た。だから戸惑うのだ。人々の悪意と恐怖に満ちた視線に、自分がなぜこのような視線に晒されなければならないのか、こんな扱いをされなければいけないのかと。

 口には出さないが、ジャリルファハドは彼女に同情を覚えていた。本当に何も教えられずに育てられた女。恐らく、彼女に砂漠での生き方を教えた者はミュラを砂漠の外に出そうとは考えていなかったのだろう。砂漠という箱庭に閉じ込めて一生を終えさせるつもりだったのかもしれない。さすれば、外の世界のことなどを知らなくても生きていける。
 ジャリルファハドは下らんとその考えを嗤う。死ぬまで1つの所に留まるなど無理に決まっている。遅かれ早かれ彼女は外の存在を知り、あそこを出て行っただろう。
 それに彼女のことを考えているのなら、真っ先に歴史を教えてやるべきだったのだ。外の世界がどれほどグロテスクで惨烈たるものか、自分と容姿が似ている一族がどのような扱いをうけているのか、汚れを知らぬ彼女に見せつけてやればよかったのだ。それを聞けばミュラは外を嫌悪し、行くのを躊躇ったことだろう。
 それでもなお、外へと向かうならそれで良し。きっと彼女はここまで苦しむことはなかったのだ。少なくとも自分と同じ覚悟をもってここまで来れたはずだ。

「とりあえず落ち着け。何もしなくても俺達は目立つ」
 ただでさえ人目をひくのだ。ミュラの行動はセノール人の何らかの儀式と思われてもおかしくない。ジャリルファハドは彼女と目線を合わせるために片膝をつく。しかし、ジャリルファハドの心中など冷静さを欠いた彼女が察せられるわけがなかった。むしろ、感情を露わにしないジャリルファハドに怒りを募らせたのだ。感情が理性に勝り、思わず胸倉を掴んでしまう。
「落ち着けるかよ。次はあたしが行く。あたしが話をつける」

 ジャリルファハドが主人と話をするときはミュラは常に宿の外で待っていた。宿主から浴びせられる暴言を彼女に聞かせないためだ。恐らく、ジャリルファハドが浴びせられた言葉を彼女がそのまま聞いたら激昂し、感情赴くままに主人を殺すだろう。
「駄目だ」
 これだけは譲れない、ぴしゃりと否定する。ここで彼女の凶行を許せば、この2人だけではない。セノール全体に降りかかる火の粉となる。セノールを守るために来たのに災厄を呼び込むなど笑い話にもなりやしない。
「邪魔すんじゃねぇよ、この!」
「穏やかじゃないわね、セノールって」
 感情任せの一発を放つ寸前からの第三者の乱入。2人の視線が声がした方に向けられる。街灯が照らしだした1人の女性。アゥルトゥラ人だろう。白い肌が街灯の明かりに照らされると光っているように見える。だが、それよりも目を引くことになったのは彼女の胸元。まるで見せつけるかのようにざっくりと空いたワンピース。そこにお行儀よく収まっているのは、採れたての白桃のように瑞々しい2つの双丘。

(でけぇ……)
 悲しかな、ミュラが彼女を見た時に真っ先に思ったことはそんな不埒なことだった。掴まれていた手を振り払いジャリルファハドは立ち上がり、女を睨みつける。
「何者だ」
 射殺さんとするジャリルファハドの視線にも女は笑って受け流す。しかし、彼女の頬を流れる一筋の汗をミュラは見逃さなかった。
「泊まる宿がなくて困っているんでしょ。ならついてきなさいな。宿を紹介してあげる」
「俺は何者だと訊いている」
 一向に警戒心を解こうとしない、むしろ警戒心を強めたセノール人に対してイザベラはくつくつと笑う。確か、どこぞの騎士も初めて声をかけた時は似たような反応を示したのを思い出したのだ。
「イザベラ。姓はない。ただのイザベラよ」
「……娼婦か」
「ええ。そうよ。娼婦に姓はいらない。私はただのイザベラ。それ以上でも以下でもない一夜限りの女、イザベラなのよ」
「なあ、しょーふってなんだ」
「男の人とイイコトしてお金を稼ぐ仕事をする人のことよ」
「イイコトって何?」 
 こんな質問が飛んでくるとは予想していなかったのだろう。イザベラは一瞬キョトンとしてそれから大きな声で笑いだした。
「それは……、そっちのお兄さんに教えてもらいなさい、ね?」
 ミュラの悪意の無い瞳がジャリルファハドを捉える。暗に教えてくれと催促しているのだ。
「ふざけた真似を……」
「ふざけてなんかないわ。それにこの子、貴方の連れでしょう。さあ、私は名前を教えた。次は貴方たちよ。名前を教えて」
「ミュラ・ベルバトーレ」
 馬鹿正直に名乗る者があるかとミュラの頭を叩く。スパンと小気味いい音と呻き声。だが、イザベラは全く気にしていないらしく、ミュラの姓のみに興味をもったようだった。
「ベルバトーレ、聞かない姓ね……。セノール人?」
「知らねーよ。こいつは違うって言ってたけど。でも、物心ついた時から砂漠にずっといたぜ」
 再びジャリルファハドに頭をはたかれる。避けようと頭の位置をずらしたのがいけなかった。今回は自分から叩かれにいったようなものだ。ついにミュラも2回も叩くなんてひどいじゃないかと抗議の声を上げる。

 こんな2人の様子を見て、イザベラは怪訝そうに眉をしかめた。殺し合いを始めるのではないかと思うほど険悪な雰囲気を放ったと思ったら、動物同士が行うじゃれ合いにも似た行動をする。2人の関係性、しいては距離感が全く掴めない。
「それで、淫売が俺達に何の用だ」
「え、あっ。ああ。私ね、貴方達に興味があるの。特にミュラちゃんに。もちろん宿に着いても部屋にお邪魔なんてしないわ。宿に着く僅かな時間でいいから色々聞かせて。そうしたら宿を紹介してあげるから、ね」

 これぞ天の助けと片方は目を輝かせ、もう片方は相も変わらずこちらに錐のように鋭く尖った視線を送ってくる。内心イザベラは舌打ちをした。ミュラはともかく、ジャリルファハドが動かない。このまま断られたら碌に調査も出来ないまま逃がしてしまう。きっと彼は調べてくれただけでも十分だと言ってくれるだろうが、こちらにも情報屋として意地と誇りがある。
 焦りを顔に出さないように出来る限りの笑顔を顔面に張り付けた。

Page:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46



小説をトップへ上げる
題名 *必須


名前 *必須


E-Mail


URL


パスワード *必須
(記事編集時に使用)

本文(最大7000文字まで)*必須

現在、0文字入力(半角/全角/スペースも1文字にカウントします)


名前とパスワードを記憶する
※記憶したものと異なるPCを使用した際には、名前とパスワードは呼び出しされません。