複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.198 )
日時: 2019/01/20 21:29
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 やはりクルツェスカは凍て付いていて、珍しく外に出ていたエストールは胸を刺す僅かな痛みに顔を顰めた。アドルフェスの小坊主だの、青細瓢箪だのと、すれ違う商人や、憲兵達は都度都度、からかってくる。彼等に悪気はない。幼い頃から付き合いがある者も居れば、カルヴィンとの付き合いの延長線上に居る人物も居る。皆、往々として穏やかではないし、気が早い所もあるが悪い人間じゃあない。彼等と共にあるのはそれなりに居心地が良く、有益であった。表沙汰に出来ない話を知らせてくれたり、周辺各国の情報を持ち帰って来てくれたりしている。中には商品の値に都合をつけてくる商人も居た。余談ではあるが、アゥルトゥラ東部はそういった"交流"が西部よりも、顕著で良くも悪くも癒着している状況である。
 問題はこのクルツェスカの寒さである。刺す様な寒さは、外套を突き抜け、痛みへと変わる。そして、何れ手足の指をもぎ取ろうとしてくる。エストールは幼い頃、凍傷を負い、黒く壊死した指を見た事があった。あの不気味さといえば筆舌し難い。細長い葡萄の様に変質しては、その内に指が腐り落ちてしまう。宛ら呪いの如く。末端から犯され、犯し尽くされては壊される。今のクルツェスカも、酷い凍傷を負っているのかも知れない。砂漠から来た侵略者と、利権にしがみ付き、保身しか出来ない、愚かな業突く張りの貴族達に縁って。
 このアゥルトゥラという国は一度滅ぼす必要があると、エストールは考えていた。尤も滅ぼす事は出来ないのだろうが、現状は一度壊す必要があると思えるのだ。既存の政治体勢、王家の命により封ぜられた貴族が都市を守り、その為に血を流す。闘争は義務であり、流血は誉れである。だというのに、クルツェスカは未だ纏まる様子もない。他の都市もそうだ。あろう事か、敵に尾を振る輩まで居る始末。ならば、いっそ知恵を持った民に主権を明け渡し、貴族という貴族を皆殺しにしても良いのかも知れない、と思えるのだ。無論、自分にも矛は向かう事だろう。しかし、民の味方をすれば良いだけの事。革命の為の流血、その先駆けとなるだけの事なのだ。だからこそ、カルヴィンやガウェスの様な健康な身が羨ましくあった。自分は武働きなど出来た身ではない、知恵こそ有れど身は動かない。であるからこそ、ジャッバールに頭を垂れるベケトフが憎くて堪らない。両手、両腕はあり、身を病む訳でもない。銃を手に取ったなら、剣を手に取ったなら戦を行う事も出来るだろうに。何が貴族だ、とその不甲斐なさに辟易していた。
 辿り着いた先はメイ・リエリスの屋敷であった。廊下でベケトフの娘と、その従者と擦れ違うも小さく会釈だけして、通り過ぎる。彼女は相変わらず、穏やかに笑みを浮かべていた。カルヴィンの様に暴力を振るった訳でも、血腥さを醸す訳でもない。彼女の目にはメイ・リエリスの同胞程度の認識なのだろう。だからこそ、思うまい、ベケトフに対して激しい敵意を持っているなどと。彼等もまた滅ぼすべき、一つである。
 居間を覗くと見慣れた背中があった。近寄ると少し酒臭い。少し具合の悪そうなガウェスだが、恐らくカルヴィン辺りに「やっつけられた」のだろう。彼は大酒飲みだ。晩から飲み始めて、日が昇るまで飲んでも僅かに酔う程度、少しの睡眠で全快になるような人間である。彼に付き合うのは得策ではない。
「フェベスはどちらに?」
 痛む頭を何とか起こし、彼は天井を指差す。二階居るのは珍しいな、と思いながら礼を述べるとガウェスは再び、下を向いてしまった。これはカルヴィンに遊ばれているのが見える。彼からしてみたら、良い玩具だろう。
 メイ・リエリスの屋敷も、アゥルトゥラ貴族の習慣に倣い、豪奢ではない。簡素そのものだ。寧ろ商人や、小金持ちの民衆達の方が立派な家を建てているだろう。住いよりも、武器や兵に金を使え、都市に使え。これを是としてきた証であり、一見貧しく見えるそれを恥じる必要などない。
 古い階段が軋み、歴史の音を鳴らす。湿気のせいか一段ごとに音の感触が違っているように思えた。一段上がるごとに音が軽く、短くなっていく。乾燥しているのだろう。階段を上がり終えたなら、人の気配が右手から感じられた。
「フェベス、居ますか?」
「あぁ」
 突き当たりの部屋から彼が答える。くぐもった声であったが、確かに彼の声だった。何をしているのやら、がたがたと物音を立てている。怪訝そうな顔をしながら、エストールは扉を開く。部屋の中はやや埃っぽく、がらんとしていて人が生活している雰囲気はない。寝台と机だけがあり、半開きになった窓掛けから外が見え、窓を貫きそうな氷柱がその先端を向けている。それよりもエストールが気になったのは、天井からぶら下っている梯子であった。
「フェベス?」
 名を呼べば、やはり天井から物音が聞こえ、その内に天井にぽっかりと空いた穴から、フェベスが顔を出す。少し草臥れた様子であったが、彼は平静を装おうと取り繕っているようだ。故に表情は硬く、議会から出て来たばかりの様な顔をしている。緊張し、言葉を武器とし殺し合いをして来た後の顔だ。
「……眇漏りをしてしまってな」
「そうでしたか。……先晩はセノールの者に襲撃された、と。今朝方、カランツェンの者から聞いてましたが無事な様ですね」
「あぁ、俺はな」
 そうやって溜息を吐きながら、彼は梯子を降りてきた。カルヴィンも、ガウェスも何十合と斬り合った為、多少の怪我は負っている。カルヴィンに至っては受け太刀した際、自身の刀の峰で額を裂いてしまっている。彼等の首が繋がっている事自体を喜ぶべきなのだろうが、それよりもジャッバールにそんな兵が居る事に危機感を覚える。刀を潰されただの、一撃受けるだけで手が痺れるだの、とんでもない馬鹿力だのと散々に脅されたのも原因だが、それよりもそんな兵がまだ居るかも知れない、と思えて仕方がないのだ。
「エストール、余り戦くな。まだ戦ってもいないんだ」
「えぇ……すみませんね」
 何時の間にか下を向いていた、視線を上げるとフェベスは、小脇に箱を抱えており、それはやけに古めかしい。大きな木目が見られる事から、恐らくは木材なのだが、蒼鉛のような光沢を放っている。埃を拭い、灰で磨くでもしたなら更に輝く事だろう。
「随分、古いですね。それ」
「まぁな。ベルゲンの奴等が作ったもんだ。魔力を吸い、食ってしまう。所謂、魔法って奴を使えないようにって作ったのさ」
 箱を開き、フェベスはその中身をエストールに見せ付ける。中には青い宝石が嵌め込まれており、それの縁は脈を打ち、蠢いている。奇妙にも程があり、そんな物をエストールは見た事がなかった。ただただおぞましい。
「へぇ……まぁ、今更魔法だなんて流行りませんよ。銃や新たな戦術の前では塵芥も同然です」
「人を害する可能性があるなら、侮る事なかれってな。……尤も魔力なんて存在しないのだが」
 フェベスはそう言い放つ。人間の体内に宿る魔力だけでは、魔法は扱えない。空気中に漂っている魔力がなければ意味はない。そして、それ等は五百年も昔に消失してしまっている。術を得るだけも、禁忌とされ殺められる。術を得たとしても触媒となるであろう、魔力はもう存在しない。魔法など、何も恐れる必要などない。無用の長物なのだ。
「ま、人間その内に魔法みたいな兵器を作ってしまいますよ、絶対」
「あと何百年掛かる事やらなぁ」
 豪快に笑い飛ばし、フェベスは箱を閉じた。その際、指輪を一つ放り込んでいた。箱の中のそれよりも、更に青い宝石があしらわれており、それがキラの遺品だという事が分かった。
「……キラの遺品ですか」
「あぁ、そうだ。此処に隠しておけば、誰も触らんだろう?」
 確かにそんな気色の悪い物が入った箱を、誰も触るような事はないだろう。だからこそ、キラの遺品をしまっておく。理にかなった事ではあるのだが、今のフェベスの行いには、もっと何か含みがあるように感じられ、エストールは訝しげに彼を見据えた。
「後でカルヴィンに渡そうと思ってな、無くしてしまっては話にならないだろう?」
 何処か寂しげにも見えるフェベスだったが、彼が何をするか、彼が何れどうなるかを知っているからこその言葉だったのだろう。幼い頃から見知った者を死地へ赴かせる事になるやも知れない、という事実に苛まれているように思えた。しかし、それは必要な流血、必要な死なのだ。鉄面たる男が情に揺らぐな、とエストールの視線に力が篭る。
「……本題なのですが、そろそろキールに兵を集めさせるべきかと」
 そろそろ反攻の狼煙を上げるべきだろう、と暗に語る。ともすればガウェスを動かす必要があり、同時に寄せ集めの傭兵ではなく、一つの軍としての形を成す必要があった。
 傭兵を集め、私兵として使った所で、統制の取れたジャッバール引いてはセノールの兵には敵わない。彼等の不得手とする市街戦に持ち込んだとて、戦闘教義を知られてしまうまで、三日と掛からないだろう。ともすれば、今度は軍の地力で戦う事となり、尚更に血みどろの戦を強いられるだろう。
「厳しい戦になりそうだ」
「えぇ、厳しい。本当に厳しい限りです」
 万の兵が居たとしても、冬の市街地というアゥルトゥラに有利に働く戦地であったとしてもだ。百で千を退け、千で万を退ける。例えアースラ達の様に、今の所はジャッバールに組せず、アゥルトゥラに内通する者達が居たとしても、彼等がアゥルトゥラの不甲斐なさに業を煮やし、ジャッバールに組したともなればサチ総軍との戦闘になる。とてもではないが、勝ち目はない。
「クルツェスカを取られる訳には行かん。……すぐにガウェスを向かわせよう」
 箱を小脇に抱えたまま、フェベスは部屋を飛び出す様に立ち去っていった。がたがたと足音を立てては、階段が悲鳴を上げる様に軋んでいる。急いだところで仕方がないだろう、とエストールは苦笑いをしながら、吊り下げられたままの梯子を見遣る。
 好奇心が見て来い、と背を押すも、理性がそれを押し留める。しかし、彼の理性はただの一兵、弱い一兵である。好奇心という軍勢に飲み込まれては、首を斬り落とされ、エストールは梯子に手を掛けた。埃で手が汚れるも、それを気にする様子もなく、登って行く。黴臭さに顔を顰め、薄闇に目を凝らす。そこにあったのは整然と並べられた書棚、古い文字で描かれており、それを読むのは難しかったが、此処にはただではない物がある。そう思えて仕方がなく、呼吸すら忘れ掛けていたのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.199 )
日時: 2019/01/28 23:49
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 この男の全てが気に入らない。すれ違う女性が思わず振り向いてしまうほど端整な顔立ちも、男の方を向くと仄かに香る酸塊の匂いも、歩く速度を合わせてくれる気遣いも、掴み所の無い態度も全てが鼻につく。反撃と称して鳩尾の辺りを殴ろうと画策するが、そのような時に限って手を柔く握ってくるのだからたまったものではない。ギョッとし、思わずニ歩三歩距離をとろうとすれば、肩を掴まれグイと引き寄せられた。抗議をしようとした声は横を忙しく走っていた傭兵の集団に掻き消され、小さく砂埃だけが舞っていた。懐にすっぽりと抱え込まれミュラが上を見上げれば声を殺して笑っている美丈夫と目が合った。恨めしそうに睨みつけてみるが、薄笑いが返ってくるばかりで気にかけていない。むしろ、彼女の行動に目を細め楽しんでいるような素振りさえ見せた。弄ばれているのだと感じても何かすることは出来ず、唯一の抵抗らしい抵抗は時折、腰に巻き付いてくる手をはたきながら普段よりも早足で彼と共に人通りの少なくなった道を歩くことのみだった。

 ランバートが汁物が上手いと念を押すだけあって、味は悪くない。特に玉ねぎのスープが絶品で、口に入れると広がる優しい甘みと口の中を包み込んでくれる。他にもポットパイや蕪のシチュー、ピクルスと、木製の丸テーブルに料理が置かれていった。食べるペースを合わせようとしても、昼過ぎから何も食べていない身にとって。料理を端から胃袋に詰め込んでいく姿をランバートは興味深そうに見ていた。
「よく食べるな」
「悪いかよ」
「いいや、全く。むしろ、美味しそうに食べてくれてこっちが温かい気持ちになるよ」
 微笑んだ男はミュラの手を取ると甲に優しくキスを落とした。刹那、無表情でフォークが勢いよく突き出される。項を狙った攻撃だった。さっさと顔を逸らし空を切ったフォーク。髪の毛にすら掠らない。
「そういうことはソーニアに言ってやれよ。あいつ結婚してねぇし、きっと喜ぶぜ」
 スープで汚れた口元を手の甲で拭うと、すかさず白いハンカチを差し出されるがはたき落されて拒否される。
「悪いが、メイ・リエリスの女性には手を出さないことにしてるんだ。過去に、まぁキラさんと色々あってね。あと結婚はしない主義なんだ」
 過去に色々あって、という言葉に少しだけ興味が湧いた。ソーニアは姉の事もあまり話そうとしない。もっと詳しく知りたいとは思っているし、彼女に強請れば話してはくれるだろう。だが、、話し終えた後にみせる笑顔が痛々しく思えてならないのだ。
「色々って何だよ」
「気になるのか」
「まぁ、多少は」
「んー、そうだなぁ」
 煮え切られない態度に苛立ちを覚えた時、ランバートの長い人差し指がミュラの唇に当てられる。
「やっぱり、だぁめ」
 ミュラの眉間に皺が寄ると即座に指が唇から離される。今度はフォークではなく右手が空を切る。口惜しや。もう少しで掴めたのに。掴んでいれば、逆の方向に折り曲げてやったのに。
「帰る」
「待って待って待って!」
 席を立ったミュラの服の裾を引っ張り止める。振り払うことも出来たが、雨に打たれる子犬のような表情をされれば、躊躇いが生まれてしまう。
「君をがっかりさせたくないんだ。分かってくれないか?」  
「私をがっかりさせることをしてんのかよ。そもそも会ったばっかりの人間なんてどうでもいいだろ」 
「どうでもよくないな」
「ど、どうして?」
 わき目も降らずに真っ直ぐと見つめる黒い瞳に心臓が高鳴った。戦いの時とは違う砂糖菓子のように甘い高鳴りと共に、ランバートの次の言葉を期待して待つ。
「君が可愛いからじゃ、駄目、かな?」
 一気に気分が下がった。男の手を振り払う。
「帰る」
「待って待って待って!」
「教えてくれないなら帰る」
「分かった。分かったから、な?」
 無理矢理ミュラを椅子に座らせて追加の料理を頼むが、機嫌は直らずに肘をついて、心底、軽蔑が混じった瞳でランバートを睨んでいる。ギャラリーも最初は何があったかとシンと静まり返り、二人の動向を隠れ見ていたが、やがて、何もないと分かると各々会話を再開した。注目がなくなったところでランバートが口を開いた。
「もう何年も前のことだ。その日も今日みたいに殊更寒い日でね、酒場で仲間達と酒をたっぷり呑んでいた。それはもう、全身が真っ赤になって火照るくらいには。それで帰る途中に燃えるような赤毛を持つ女性が目に入った。それがキラだった。触れたら怪我をしてしまいそうなスラリとした美しさもそうだが、酔っ払った俺にはその焔のように美しい髪が妙に気になってね。一夜だけでいいから共にしたいと思った。下世話な話をして申し訳ないが、その赤い髪が白い牀に映えるだろうとか、そんなこと考えていたよ」
「あー、そうなの、か?」
 一夜を異性と共にすることが下世話なことなのか。それならば、ジャリルファハドと寝食を共にしてる自分も下世話な、ふしだらな女に分類されてしまうのかと不安になった。しかもこちらは一夜ではない。数十夜も寝場所を共にしているのだ。もしも仲直り出来たら、そのように他者から見られるのか、こっそりソーニアに訊いてみようと決意した。
「話し掛けたんだ。最初は無視されたけど、ずっと話し掛けてたら相手も多少は相手をしてくれてね。それでも、のらりくらりと僕の質問には一切答えないし、触れようとしても掠りもしない。本来ならそこで諦めるんだけどね、周りが囃し立てるし、お酒の力もあってここで多少強引な手を使うことにしたんだ。今でも覚えている。左手で彼女の顎を、右手で肩を抱いてね、そう、接吻をしようと思ったんだ。それで徐々に顔を近づけていったんだが……突然股間に衝撃が走ったと思うと共に目の前が真っ白になってね。蹴りを入れられたんだ。次に目が覚めたときは病院の牀さ」
「嘘だろ?」
「そう思うならソーニアに訊いてみるといい。君のお姉さんに言い寄った挙げ句、強引に接吻しようとした莫迦な男がいたかってね。その後、まぁ、アレが蜜柑くらいに腫れてな、冷やしていても痛かったよ。本当に、五日は痛かった」
「お前っていつもそんなことしてんの」
「最近だとセノールの女性も素敵だと思うようになってきてね。美しくたくましい女性が多い。人を惹きつけるが、決して内側を見せようとしない彼女達は永遠に花を咲かせていられる氷花のようだ」
「そいつに恋人がいたらどうすんだよ」
「寝取られるような柔弱な男に非がある」
 顔色を変えずに言ってのけたこの男は早死にするだろうと確信した。しかも非業の死だ。
「とりあえず、お前が女の敵だってのは分かったよ」
「敵だなんてとんでもない! 俺は全ての女性の味方さ。女の子のためなら、盾にも矛にもなってあげられる。勿論、報酬はいただくが」
「そうやって女から金を巻き上げてんのか」
「可憐で愛らしい女性から金品をとるのは悪漢のすることだ。俺は房事が出来ればそれでいい」
「ぼう……じ……」
 最初は何の事だと目をぱちくりしていた少女だったが、言葉を反芻していく中で意味を徐々に思い出し、それに反比例するかのように顔が赤くなっていく。
「私は今、お前の股間にぶら下がってる矛を叩き壊してやりたいよ」
 ミュラの下品な返答に憤慨することはなく、
「その言い方はソーニアから教わったのか、それともエルネッタからかな?」
 後者の名前が出されたとき、眼の色が変わった。黒い瞳が更に黒く、瞳孔がゆっくりと開いていった。
「君のお師匠様は君が思ってる以上に色んな人と繋がっているんだよ」
 ミュラは何も言わず、食事の手を止めてフォークに刺さった白い蕪が男の口に吸い込まれていく様子を見ていた。彼にエルネッタの弟子であったことを言っていない。どこから知り得た情報なのか、聞き出したいところであった。しかし、何を言われても嘘か真かを判断する術もなければ、聞き出す話術も持っておらず、はぐらかされて終わる未来が透けて見える。
「お前本当に何者なんだ」
 考え抜いた末にようやく出た言葉は何の捻りのない純粋な疑問であり、これからの行動が大きく変わってくる。無意識に座る位置を椅子の前方に、そして、椅子の背もたれから背中を離して男と対峙していた。
「何だって良いだろう? さて、今度はこっちの番だ」
 手を止めてミュラを真っ直ぐと見た。先程とは別の意味で心臓がどくりと脈打ったのは表面上のみの薄っぺらい笑顔の影響だろうか。先ほどまで甘味があった馬鈴薯のペーストが粘土でも食べているかのように味も匂いもしなくなった。唇が渇き、ソーニアにはやめろと言われているのに舌で唇を舐めてしまう。じっとり汗ばんでしまった手を誤魔化すように水の入ったグラスに手を伸ばす。中身が空になるのと同時にランバートはミュラに問うた。
「君と二人の間に何があったんだ、教えてくれはしないかね」
 グラスに入っていた氷がカランと揺れた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.200 )
日時: 2019/02/17 00:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 話し込んでいる内にすっかり日は暮れ、再びクルツェスカは凍て付いた夜の姿を現した。青褪めた月は、その死顔を暗い雲に呑まれ、輩である星とてまた然り。暗い都だと、アースラは嗤っている。酷く闇の多い都だと。一寸先は闇、五分は愚か、一分先とて見えないのだ。クルツェスカの貴族とて、いつ掌を返すかも分からず、また彼等とて自分達を訝しげに見ている。ジャッバールの趨勢次第によっては、アゥルトゥラと敵対する旨を伝えている故、仕方ない事なのだろうが。
 先んじて聖堂を立ち去ったのは、シャーヒンとラシェッドであった。ジャッバールの者達に見られては拙い、と気を回してくれたのだ。
 暫くの時間をずらすため、二人は聖堂に居た。彼等が立ち去っても、アースラは何やかんやとカシールヴェナでの話をしてくる。家門を別った後の彼女は口数が少なく、やや塞ぎ込みがちだったが、肉親と顔を合わせた事で気が緩んだのだろう。そこにラシェッドという道化が居た、彼もまたナッサルの兄弟達特有の軽さと、柔和さを持ち合わせた人物である。アースラの陰鬱とした思い、緊張を解すのに丁度良かったのだろう。
 遅れる事の四半刻ばかり。漸く二人は聖堂から出た。アースラは寝所を手配、用意しているらしく、その場まで送る事とした。脛の辺りまである長い外套を纏い、顔を風避けの布で覆っているため、道すがら擦れ違うセノールも、それがアースラだとは思っていない様だ。ただ、擦れ違うアゥルトゥラは彼女を訝しげに見ている。何か仕出かすと思っているのだろうか? 恐らくはミュラと体付きが違う事に気付き、疑問を持つ者も居ただろう。
「顔出してて平気なの?」
「……慣れた」
 少しくぐもった声でアースラは問うて来る。確かに冷えるが、風が無ければ気にするまでもない程度の気温である。それなりの期間で身体は慣れるというものだ。
「ふぅん、そう……酷い寒さだと思うんだけどね」
 隣を歩む彼女はただただ、寒さを訴え続けていた。その言葉から思い浮かぶのはミュラであった。声色や、語気は違うのだが、彼女も確かにそうで、秋が去ろうとしている廓で、身を震わせていた。遂には金を握らせ、厚手の外套を買いに走らせたのも記憶に新しい。
 ふと、ジャリルファハドは立ち止まり小路を睨む。あの愚か者は何処に行ったか、と思案しているのだった。外見はセノールそのもの、現在の様な緊張状態で一人で出歩くのは得策ではない。差別感情は未だ拭えず、燻り続けて来た目に見えない怨嗟、それを晴らす対象となる可能性すらもあるのだから。
「どうしたの?」
「……気にするな、自分の身だけ案じていろ」
 自分の身は余り案じないくせに、と布の下でアースラは笑っていた。内偵に行った先で斬り合い、傷を負うなど言語道断である。彼はセノールの戦士としての矜持を示したが、工作員としては失格である。敵はアゥルトゥラ、疑わしきはジャッバール。一つの暴力の末、血が流れたならば、均衡は破られ、引き金ともなる。
「そうそう、聞いて。ベケトフって知ってる?」
「名前だけ」
「そこの娘。人形みたいでね。従者は腹が減った番犬」
「そうか」
 だからどうしたと言うのだ、とジャリルファハドの視線がアースラを突き刺す。特に身動ぎをする様子もなければ、顔を多い隠している布の下で静かに笑っている。言葉が足りないから、身の動き、目の動きで彼は語り、問う。それが誤解を与える事もあるが、昔から親しく、長い時間で出来上がった関係が誤解を跳ね返してくれる。
「その"番犬"はね。"人形"のために死ねるそうよ。私とよく似てるわ」
 仕えるべき者、命を擲つべき者に対し、簡単に命を差し出せる。身を砕き、骨を粉としてもだ。その言葉にジャリルファハドが僅か、目を見開いた様に見えた。何を言っていると、言葉無くして彼は問うも、その答えを求めている訳ではない。次の言葉を言い放てば、彼は表情もなく愚かだと嗤う事だろう。錆び付いた鉄面皮はゆっくり、正面へと向き直る。
「人を犬だの、人形だのと、褒められた物ではないな。……それにお前まで、誰かのために命を掛ける必要はない。元を正せば、若く弱かった俺がアサドを引き止められなかったのが悪い」
 ──尻拭いをするな、と彼は続けた。
 未だ脇腹に残る傷跡。龍蛇の悪魔の手により、肉を抉り取られ、瀕死の重傷を負ったが故にバシラアサドを引き止められなかった。その負の証、未熟の証が今の状況となった一つである。
「無理。それにね、彼女は……あなたにも似てるわ。民族の為なら死ねるんだもの」
 番犬は主が為、亡霊は友が為、彪は民族の為。三者三様、簡単に命を擲つ。どうしようもない、愚者がこのクルツェスカには群れを成す。死は身近であり、先はない。であるからこそ、この都は暗いのだ。
「そうあれかし、と育てられたからな。……お前は違う、ハカンの小父貴はそうして来なかっただろう?」
 自分の子には、ね。とアースラは食い気味に答えて見せた。兄を、友を歪めた要因の一人。愛すべき肉親でありながら、憎み恨むべき業人。"導く者"という名の通りの彼の顔が脳裏に思い浮かぶ。それは幼子を甚振り、流れた血にたじろぐ様子もない。そこにあったのは暗く、冷え切った瞳であった。



 漸く宿へ辿り着き、アースラと別れる。別れ際、彼女は相変わらず笑いながら、ひらひらと手を振っていた。何かあったら、身を守れる様にと持たせた鎧通しに擦れ違ったアゥルトゥラの男が、ぎょっとした様子で彼女を見ている。臆病過ぎると、ジャリルファハドは彼を嘲笑う。彼女が今の状況で、凶行に及ぶ事はない。危害を加えようとて、するりするりと煙の様にすり抜けては、夜を歩くのみ。
 今晩は冷え込んでこそ居たが、風がなく厳冬という雰囲気ではなかった。冬将軍が一休みしている。それが何処か不気味かつ、不吉な予兆の様に思えた。大路だというのに人気は少ない。早朝、斬殺された死体が見つかったのが関係しているのだろうか。
 暫く歩き続ける内、漸く人が姿を現した。色街の辺りだ。大勢が死に、多くの血が流れた。物陰から亡者が生ける者を羨み、見据えているやも知れない。仄暗い瞳でただただ立ち尽くしては、此方を見据えているかも知れない。そんな近寄る事すら憚られる場所を、一人の男が立ち尽くす様にして見つめていた。その者には見覚えがあり、近付くにつれジャリルファハドの歩調が大きくなる。
「……ハイドナー。こんな場所で呆けて、何をしている」
 不意に話し掛けられ、彼は跳ね上がる様にして身じろぐ。四寸近く身長の高い彼を目を睨んでいるが、口元は笑っている様にも見えた。咎める様な口調も、唸る様な声色も、恐らくは生来の物。悪気はないのが分かり、不思議とガウェスは不快感を覚える事はなかった。
「いえ……少し用を足しにですね。通りがかった物ですから」
「そうか。……顔は隠しておけ、見られたともなれば厄介な事にもなろう」
 まさか、もうバッヒアナミルに見られたとは言えない。ともすれば、恐らく彼は落胆するだろう。迂闊に動き回るな、と釘まで刺してくるに違いない。何故ならジャリルファハドは、今ガウェスの身がどうあるかという事を知らないからだ。
「……夜ですから、そう見えませんよ。それにしても、此処随分と人が居なくなってしまいました」
「何人も死んだ、斬られて皆殺しだ。……丁度夏だったな、蝿が集り、蛆が湧き、閉じられる事なく開いたままの眼は白く濁っていた」
 この世の地獄がそこにあった──と、ジャリルファハドは続ける。
「此処の惨状を見たんですか?」
「見たも何も俺が発見した。……通報はソーニアにしてもらったがな、俺だと碌な事にならんだろう。何せ"セノール"だからな」
 惨劇を作り上げた訳でなくとも、肌、瞳の色、抑揚のない訛りだけで嫌疑を掛けられる。ややもすれば血が流れる。敵地に居るという事はそういう事なのだ。周囲は敵のみ、同胞とて怪しくあり、心休まる時などない。
「ジャリルファハド。……貴方にアゥルトゥラへの敵対心はありますか?」
「無いと言えば嘘になる。斬ったとて何の罪悪感もない。……しかし、今は戦の時ではない。であるから、アサドと袂を別ったのだ」
「……難儀しますね」
「あぁ、全くな」
 互いに苦笑いを浮かべていた。ジャリルファハドの笑みには肯定と、お前もなという意味合いが含まれているのだろう。斬り合った時の尋常成らざる雰囲気は消え、人の皮と被った獣だなどと語られるセノールには思えなかった。彼もまた人であり、ふと人である事を忘れられるだけに過ぎないのだ。カルヴィンの仄暗さとはまた違う。
「……ハイドナー。お前も随分と"連れて歩いている"な。生きている者も、死んだ者も」
「どういう意味です?」
「重荷を預けられているとな。……お前も俺も同じさ、同じ」
 ふと、激しい風が吹く。ジャリルファハドをそれ以上、語るなと戒める様にも思えるそれに彼は目を細めた。建物の陰に隠れ、風を遣り過ごす。
 ガウェスの方が幾分背は高く、彼はいつもやや見上げがちになるのだが、その視線が向かう先はガウェスの右腕の後ろ。何かを見ている。人成らざる者でも見えているのか、それとも大路を誰かが歩んでいるのだろうか。
「何か?」
「何でもないさ。……何処まで行く?」
 キールの屋敷まで、と返したなら「そうか」と短く頷いた。まさか言えまい、イザベラが後ろに居るだなどと。恐らくは彼女がこの色街へと導いたに違いない。これから起こる事を必死に伝えようとしているのだ。
「……ハイドナー、俺も行こう」
 僅かに首を傾げ、ガウェスは訝しげな表情を浮かべていた。食い下がれ、と彼女は背後で動いている。死んだにも関わらず、随分と騒がしい。
「アースラから聞いただろう。俺達はジャッバールと敵対すると。……キールの者達に攻撃されては敵わん、話だけ済ませておきたい」
 アースラ、という名を聞いた途端にガウェスは目を見開き、小さく頷いて見せた。
 刹那、ジャリルファハドの背後、廃屋にぽつんと灯が灯り、丁度アースラと同じ様な背丈のシルエットが横切ったのだ。それは一瞬灯り、一瞬で消え、宛ら導けと言っている様にも思えた。それと同時に、彼女と同じ顔をした"彼女"がふと思い浮かぶ。あぁ、そういう事か、とジャリルファハドの言葉に一人納得するのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.201 )
日時: 2019/02/28 00:59
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「どこまで知ってるんだ」
 訝しむミュラにランバートは表情を崩さず涼しい顔をしていた。それが彼女の癪に障った。
「全く何も。だから今聞いた」
 ランバートの言葉に嘘はない。息苦しい屋敷を抜け出して街をふらついていたらミュラ・ベルバトーレとすれ違ったのだ。普段ならばそこまで気にも留めないが、彼女の頬を涙が濡らしいたのを目敏く見つけたこと、彼女の近くにいるはずのジャリルファハドとソーニアが見当たらないことが気にかかった。同時にチャンスであるとも感じた。何も知らぬまま業の深い血を継ぐことになった少女がどのような女性であるか、そしてその身に今、何が起こりその心に傷を負わせたのか。そしてあわよくば……。好奇心と色欲を抱いて、彼女を追った。そしてさきの場面へと繋がる。最も、色欲はミュラが先程ごろつき二人にとった行動によって消え失せてしまったが、その代わりに好奇心はより大きく成長した。
「お前には関係ないだろ」
「いんや大ありだ。さっきみたいなことをまたやられたらこっちの身がもたないんだよ」
 語気を強めた彼に思わず肩が震える。柔和な雰囲気を醸し出していた男とは思えない。こちらが彼の素であるかもしれないともミュラは考えていた。長い人差し指がトントントンとテーブルにリズムが不安を煽ってくるようで居心地が悪い。
「私が問題を起こして何が困るんだよ」
「俺達が今度こそ死ぬ」
 手を出した相手の中枢にミュラの出生が知られていた場合、尻ぬぐいをさせられる可能性が大いにある。多くの親類はハイドナーの本家が潰れると同時に名を変え、職を変え家を変え、住む土地を変え、関係を断ち切った。しかし、ランバートはそれを良しとせずにアゥルトゥラに残った。もっとも、彼の場合は逃げられなかったの方が正しいのだが。ともかく、ハイドナーの血縁者は彼らしかいないのだ。
「なんで?」
「そこは言えないな」 
 ガウェスは彼女に出生を教えるタイミングなんて幾らでもあった。それを言わなかったということはハイドナーとして迎える気がないのだろうと判断した。彼の意思に反することはしたくない。
「じゃあ帰る」
 口尖らせて席を立とうした矢先、手首を掴まれる。「いつの間に」と思う前に、遠慮など一切ない肉を締めあげる様な痛みが襲う。奥歯を噛み声を上げるのは寸でのところで抑えてランバートにギンッと睨む。そして抗議しようとしたが、それよりも先にランバートが口を開いた。
「いつまでも同じ手が通じると思うなよ?」
 砂漠の夜にも勝る寒さを感じさせる声で、そしてその目もその声に違わず冷淡な光を宿しミュラを射抜いている。先程、軽口をたたいて人物と同じだとは信じられず思わず唾をのむ。猫に睨まれた蛙のように動かなくなった。身じろぎ一つしない少女に、手首の拘束を緩めてため息をついた。
「そこら辺のごろつき相手に剣を振って死ぬのは勝手だがな、噛みつく相手を間違えて揉め事起こされたら溜まったもんじゃない。お前の保護者がいなくなったんなら、俺がお前を連れ帰る。馬鹿な事をしない様に俺の家にお前を閉じ込めてやるよ」
 もちろんハッタリである。今のランバートにそれができるだけの財も蓄えもない。だが、それを見抜くには経験も知識も足りなかった。青い顔を更に青くして「ふざけんな」と叫んだ。散ったはずの視線がまた集まる。舌打ちしたい気持ちになったのはランバートだ。あらぬ噂が立っては女性が寄り付かなくなってしまう。誤解を解きたいが手首を離すわけにもいかない。
「馬鹿やって死ぬのは私だけだ。あんたには関係ない!」
 観衆にぶつけるようにミュラは吼えた。手を振り払いランバートと対峙する。右手が武器に伸びるが、ランバートの視線が右手に集中しているのを知るとその手を止めて忌々ししく睨みつけた。
「一人で済めばいい方だろう。近しい人間も一緒に抹消されることが殆どだ。エルネッタはいない、から、ソーニアやジャリルファハドか? あと、とりあえず落ち着け」
「そんなわけない、だって、無関係の人間を殺すなんて。やってもそれは一部の人間で……」
「人物と繋がりがあるだけで立派な関係者なんだよ。ハイドナー邸の悲劇を忘れたのか。君の連れのジャリルファハドだってそうだろうさ。関係があれば口封じの為に殺すんじゃないか」
「あいつは、あいつはそんなんじゃない」
 言い返したくても言葉が浮かばない。それでも最後の事柄だけは否定しなくてはならないと思った末の言葉だった。感情論であることは百も承知だったが、質実剛健
またランバートは冷たかった。唇をかむ少女を見下し、更に問う。
「君はセノールの、彼の、何を知っているんだ」
 そう訊かれた時、黒い瞳が僅かに開かれ、長い睫が震えた。半年以上共にいる彼のことを堂々と知っていると言いたかった。だが、彼の何を知っていると自問すれば途端に言葉がでなくなる。
「……私だって知りたいよ。長く居るのにあいつが何を考えてるのか分かんない」
 声に僅かに痰が絡み掠れる。よろよろと椅子に座ると顔が俯いた。艶のある黒い髪が肩口から落ちて垂れ幕のようになり顔を隠す。
「追いつきたいんだ。あいつの見ている景色を私も見たい。それなのに、あいつはずっとずっと前を行くんだ。見えないんだよ。あいつぐらい強くはなりたい。でも、なりたくは……ない。ただ、私は二人にとって足手まといになってんじゃないかって不安なんだ。私なんて居なくてもあの二人でどうにか出来るんじゃないかって思っちまうんだよ。私なんて要らないんじゃないかって。さっきだって……」
 ここまで言って口を噤んだ。これ以上は彼に漏らしてはいけないと察したのだ。追及されるかと思ったが、ランバートは複雑な表情をしたまま手を顎に当てて何やら考え事をしているようだった。ミュラは言葉を続ける。
「馬鹿やって呆れられてさ。何やってんだろうな、私。砂漠にいるときはそんなこと思わなかったのに。……こんな思いするんだったら、あいつに会わなきゃ良かったよ」
 ここでランバートは全て理解した。劣等感からくる焦りと捨てられる不安。エルネッタに置いて行かれたことが一種のトラウマになっているのだろう。それが爆発して何らかの行動をやらかした。そして彼の失望を買ったのだろう。何かの正体を突き止める気はなかった。ただこれは子供のワガママのようなもので、ミュラの自業自得であるとランバートは結論付けた。見捨てるという選択肢もあったが、それを選ばなかったのは親類同士だからというよりは女性だからという側面が大きかっただろう。ランバートはミュラがどうしたいかを分かっていた。そして、その解決策を探しあぐねていることも。
「ミュラちゃん、俺は仕事がら色んな人間に会ってきた。人種や性別、容姿や年齢って括りじゃ縛れないほど大量の人間に。辛いことも悲しいこともあったけどな、俺はそいつらに会ったことに後悔してない。むしろ、会って良かったって思ってるよ。何故なら、出会いは必ず何かを残しているからだ。君もジャリルファハドとそれにソーニアから何か学んだことがあるんじゃあないか?」
 俯いていた顔が挙げられてランバートに向けられる。薄く涙の膜が張っているように見えるのは気のせいか否か。固く震えている手に武人らしい指の皮が厚くゴツゴツした手が重ねられた。
「よぉく胸に手を当てて考えてみなよ。そんで思い出せ。彼ら何を学んだかを、言葉でもいい。それを思い出して考えてみろ。そうすればきっと、少しは理解できるんじゃねえか。あと、君は二人の傍にいていいと俺はいいと思うけどな。むしろ丁度いいんじゃないか。あの二人の見た目、無駄に生真面目そうな二人だろ。お前のバカっぽさと騒々しさに支えられてる部分もあるだろ。お前もあの二人に必ず何かを残してやってるだろうさ。だからさ、出会わなきゃ良かったなんて悲しいこと言うなよ」
 さっきと同じように彼は笑顔だった。違ったのは、先ほどは相手を小馬鹿にしたようなニヒルな笑顔だったのに対して、慈しむような優しく寂し気な笑顔でミュラを見つめていたことである。「いきなりかっこいいこと言うなよな」と悪態をつくが、その声色は柔らかい。目元をごしごしと擦り、思い切り立ち上がった。勿論、外套を着こむのも忘れない。
「まだ飯が残ってるぜ」
「もう腹いっぱいなんだよ」
「俺はまだここにいたいんだが?」
「一人でいればいいだろ」
「冷たいこと言うなよ、ミュラちゃん」
 ミュラを本気で引き留めはせずに彼女の後姿を見送る形になった。最後、思い出したかのように振り返ると口の形だけで「ありがとう」と礼を言うと店から出て行った。一人になった色男は「あーあ」と言いながら椅子に凭れかかる。「フラれちゃったね」と笑う店員の声は聞えなかった振りをする。女性など星の数ほどいる。彼は気にしない。
「頑張れよ、ミュラちゃん」
 男は笑みを浮かべて運ばれてきた酒を一口飲んだ。アルコールの匂いが強い安酒。没落するまではあまり飲んだことすらなかったが、慣れるとそこまで強いと感じることはなくなった。人間の適応力には頭が下がるばかりである。そして、その酒を隣を通り過ぎた女性のスカートにかけた。「あっ」とランバートの声、それにかぶせるように女性が短い悲鳴を上げる。すぐにズボンが汚れることを構わず膝をついて汚れをハンカチでふき取る。
「申し訳ない、君の服を汚してしまうなんて! 君に何て詫びたらいいんだ。……このあと時間が空いているかい。もしよかったら君に似合う服を探しに行こう。私の懇意にしている服屋でこの時間でもまだやっているんだ」
 口説きの常套手段。古典的と揶揄されることもあるが、ランバートがこの方法が一番好きだった。甘いマスクと低く掠れた声で囁き、手の甲に一つ接吻を落とせば彼女もまた頬を赤らめる。驚いた顔がすぐに蕩けるあの瞬間がたまらない。そして彼らもまた沈淫蕩な夜に沈むのだ。    

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.202 )
日時: 2019/02/16 23:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 どうにもジャリルファハドという人物は、必要な事柄に対しては饒舌らしい。アースラが語らなかった事柄を、事細かく伝えてくる。彼女の兄であるシャーヒンや、バッヒアナミルの兄であるラシェッドがジャッバールを裏切り、内通しているとの事にサチはやはり、一枚岩ではないと知る。相反し余計な雑談は好まないらしく、自分から多くは語りたがらない。軽口を叩く事は全くなく、これから訪れるキールのランバートとは正反対にも思えた。昨晩のアースラは割と口数が多く、ハイルヴィヒやスヴェトラーナと談笑する声が聞こえていた事から、全てのセノールがジャリルファハドの様ではないと推測出来る。ただ、それでも共に歩くからには、この沈黙がどうにも居心地が悪く、ガウェスは口を開く。
「アースラは何処に?」
「北門の手前、ルジード通りの宿に」
「……あぁ、あの三階建ての」
「あぁ、そうだ」
 砂漠からやってくる交易商や、傭兵達が贔屓にしている宿である。お世辞ではないが、あまり治安が良いとは言えず、女の身一人でそんなところに泊まるのは、どうかとガウェスは内心思っていた。幾ら武門の兵と言えど、力では敵わないだろう。
「大丈夫なんですか?」
「逃げ足は誰よりも速い、その上に人の壊し方を熟知している」
 人の壊し方、という物騒な言葉にガウェスは苦笑いをせざる得なかった。どうやって壊すのだろうか。打撃か、斬撃か。それらしい得物を持っていなかった為、その手法が気になって仕方がない。ただ、聞いたところでジャリルファハドは教えて呉れそうにない。
「何事もなければ良いのですが」
「お前は知らんだろうが、アイツの靴には刃物が仕込んである……余計な事をしようと、近寄り、悪さを働いたならそれで股間を一蹴りさ。踵にバネが入っていて──」
 ランバートの様な男は近寄るべきではないだろう。ソーニアの姉である、キラの武勇伝は未だに語り草だ。蹴るのではなく、刺すのだからキラどころでは済まないだろう。下手をすれば一生不能である。痛みばかりを想像して、仕組みを説明しているジャリルファハドの言葉は全く耳に入らなかった。
 小路の雪は凍て付かず、柔らかく踏み潰せば足に纏わり付く。何者かに行くなと、足を掴まれているかの様だった。故に一歩、一歩と歩むのが苦であったが、大路に出た途端、踏み潰され、昼の間に融けた雪が凍て付き、歩き易くなっている。人がそこに息衝くだけで、道の様相は違う。あの道は宛ら死んだ道である。
「……夜半ともなれば、やはり人気は減るな。幾らクルツェスカと言えどもだ」
 西部の首都であるクルツェスカを、アゥルトゥラという国の中で見たならば、三番目に巨大な都市である。西部の防衛拠点でありながら、中央と北部の交易の中継地、人と物に溢れた巨大な城塞都市。夜も更け、もう時期に人の時間ではなくなる。亡者、化物、その類の時間へと移り変わっていく。魔力が大気中に存在した頃なら、魑魅魍魎が跋扈していた事だろう。既に"寒さ"という化物が激しく責め立てて来ているが、それは昼も夜も関係はない。少し夜になれば強さを増すというだけの物。
「此処は少し外れになりますからね。……西、北、南とその門から伸びる大路を主とし、そこからは枝葉の如く小路が。……東に行けば行く程、この有様です」
「アレナルでは都市計画、という物を作り都市を作っていく。……そういう意味でクルツェスカは無秩序だ」
 空いている土地には建物を、大路から離れているなら捨て置く。結果として色街の出入り口に突然として、カンクェノの様な遺構が口を開けて待ち構えていたり、西門の前に敵性分子が拠点を築いたりと、おかしな状況になっている。
「防衛上良くないですし、民の動線も煩雑としていますからね」
「それを戒める者も居ない。半世紀で随分と牙を抜かれたな、アゥルトゥラは」
 誹るジャリルファハドであったが、実のところ零落れたのは西部だけである。東部は断続的な掠奪、侵略に対応する為、ルフェンスを盟主とし、戦いに臨み続けている。既にその時間は一世紀にも及ぶ。セーム自身も、その父も、そのまた父も血を流し続けているのだ。それがどうだ、西部はセノールを国際的に殺した心算になり、胡坐を掻き、ただ座して呆けている。十の貴族の内、その一つや二つが備えた所で何にもならない。だからこそ、この体たらくなのだ。
 彼の言葉がガウェスへと突き刺さる。自分は愚かに正義感を振り翳す事しかしなかった。ただただ、高潔にあろうとしたのみだ。お伽話で読んだ騎士に自身を重ね、物語の中だけの彼等の様に生きようとしただけに過ぎない。であるからこそ、貴族でも何でもないカランツェンや、新興貴族であるナヴァロや、シューミットが泥臭く、血腥くも敵愾心を燃やし、戦備を整えているなど知らなかった。誇りだけでは飯は食えない、誇りだけでは戦えない。名や歴史など獅子の前に意味を成さず、直向に走り、牙を研ぎ続けた獣達が獅子と対峙している。
「我々と相対すなら、お前達もまた獣である必要があるだろう。……好きに生きて、好きに死ぬなど許されん。人の形をした獣の様に、猛り狂い、理不尽に生き、理不尽に死ぬ事しか許されん。……持つべき者だったのだ、分かるだろう?」
 アゥルトゥラの言葉に言い換えるなら、ジャリルファハドもまた貴族の一員であろう。サチの氏族に属し、戦の為に在り続ける武門。それをアゥルトゥラの者達は"獣"と誹り、恐れる。獣に抗う事が出来るのは、血と暴力を好む獣でしかない。品性など後から付いて来る。人間の皮を捨てず、人間を演じる獣となるしかないのだ。
「……そういう時代ではなかったのですよ。父も周りも皆、金と欲に目が眩んでいた。大欲に溺れていたんです」
 ハイドナーは先の西伐に於いて、直接的な戦闘には関与していなかった。やった事といえば兵站の輸送、手配ばかり。セノールに遭遇したならば、逃げ出し、戦勝を祝う席ではまるで自分達も立派に戦い、勝利をもぎ取ったかの様に振舞ったのだ。更には有事で得られた金に舞い上がり、その金で欲を満たしては、商いに重きを傾けた。蔑西論に伴い、砂漠を商圏から外し、困窮する一翼まで担ったのだ。それはセノールが聞き及ぶ、アゥルトゥラ貴族の姿ではない。
「間違っているぞ、今のアゥルトゥラ貴族は。俺達が聞き及んでいたお前達は馬や兵と寝食を共にし、地平線の向こうから突然やって来ては、臆する事なく戦うと聞いていた。それが何だ、今の腑抜け共は」
「……だからこそ、セノールは強くなったと?」
「あぁ、そうだ。お前達が居たから、俺達は強くなった。理不尽と戦った。お前達に負けたから俺達は人間性を歪めてでも、強くなったのだ。……俺達を作ったのはお前達さ」
 衝撃的な言葉に、思わずガウェスは返す言葉もなく、息を呑む。今の自分達を作ったのは、お前達だとジャリルファハドは語るのだ。セノールを初めて攻めたのはアゥルトゥラだ、それは度重なる事の三度。報復と言わんばかりにセノールも攻め寄って来た。築き上げられてきたのは、流血の歴史だ。その歴史に終止符を打とうと、セノールを蔑ろとし甚振ったなら、それを勝利と勘違いしたアゥルトゥラがただただ一方的に愚者だったのだ。
「我々の代で、その連鎖は終わるのでしょうか」
「無理だろうな。どちらかが滅びぬ限り。血の歴史は連綿と続く。……殺し、殺されを何度も、何度も繰り返すのだ」
 腰に差した刀の柄を握りながら、ジャリルファハドはにぃっと笑っていた。どうしようもないと自嘲する様に見えながら、別の意味を孕んでいる様にも思える。彼もまた、アースラと同じ様に危うい立ち居地に居るのだろう。否、彼は彼女よりも危うい。彼女は本質的に戦を忌諱している、しかしジャリルファハドは違う、勝てる算段があるなら、優位に戦争を運べるなら、アゥルトゥラとの戦争を望んでいるのだ。
 ふと、この男を斬ったならどうなるか、という考えが過ぎる。恐らく、この男は無事にセノールを滅ぼさずに済んだなら、十年、二十年後にはアゥルトゥラに牙を向くだろう。ジャッバールの遺産を拾い上げ、何処よりも洗練された装備と、何処よりも錬度の高い兵を率いて、宛ら雷の如く攻め寄るだろう。
 であるからこそ、今此処で真意を問うべきと思えたのだ。
 剣の柄へと、手が伸びそれを引き抜く。雲の切れ間、顔を覗かせた月光を浴び、刀身は鈍く輝いていた。踵を返し、切っ先が彪へと向く。笑みは何処へやら。帰って来た鉄面皮は、じいっと切っ先を睨んでいた。いつの間にか引き抜かれた刀はガウェスへと向く。
「何を血迷ったのかね」
「……聞いておく事があります」
「何だ」
 答え次第では、斬らねばならない。此処で斬り合ったならば、死ぬ事もあるだろう。心臓が早鐘を打ち、昨晩の襲撃の際に負ってしまった、掌の擦過傷がひりひりと痛む。柄を握り、力の篭る右手は震えている。それは寒さか、武者震いか。
「……貴方は"復讐者"ですか?」
 黒い瞳が月光を受け、剣の切っ先と同じくして鈍く光る。何処か黄身掛かった瞳が、宛ら本物の彪の様に思える。抜かれた刀は下げられる事なく、ほんの少し腕を伸ばしたなら、そのまま切っ先は肉を穿つ事だろう。嫌な緊張感が漂い、ガウェスの視線は何時の間にかジャリルファハドではなく、刀の切っ先へと向けられていた。そして、ぽつりと答えが帰って来る。それはただ「分からん」という一言だった。
 刀の切っ先は下げられ、鞘へと納められた。未来の事など知った事ではない。明日の事すら分からないというのに、そんな事を問われても答えようがないのだ。馬鹿馬鹿しいとまた張り付いた様に笑っている。
「剣を収めろ、もう屋敷だぞ」
 相変わらず切っ先を向けられているというのに、ジャリルファハドは随分と余裕を見せた素振りをしていた。彼が指を差した先、確かにキールの屋敷が見える。明かりが灯り、人が居るのは確かなのだろう。
「……そうじゃない事を祈ってます」
「知らんな、全ては時と運だ。せざる得ないならするまで。しなくて良いならしないまで。それは杞憂だ」
 剣を鞘に収めながら、ガウェスは歩み出した。何を血迷ってしまったのだろう、と取り繕う様に吐いた言葉に、生真面目に言い返してくるジャリルファハドに少し申し訳なさを感じながら、凍て付いた道を歩む。新雪でもない、というのに何故だか少し足取りが重く感じられるのだった。

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