複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.190 )
日時: 2018/12/10 22:14
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「静かになりましたね」と、ぽつねんと落とされた言葉は紅茶のお替わりを準備していたハイルヴィヒの手が止めるには十分だった。それは幾分か弱くなった雪や風に対しての言葉か、はたまた屋敷の中のことを指しているのか。顔を上げてスヴェトラーナの顔を確認しようにも掻き消えていた湯気が再び形を作り、たゆたい、顔を隠してしまう。ポットの隙間から洩れる湯気はマンネンロウの華やかな香りが部屋全体を包んでいる。こうして、細やかなお茶会をしているとベケトフの屋敷にいた頃をふと思い出す。芳しい香りに包まれながら暖かい日差しに心地よさを覚えながら、鈴のような声を聞き、カップを傾けていた。そこまで考えて、ハイルヴィヒは自嘲するように小さく笑った。無論、スヴェトラーナには気づかれないように。過去を羨んでも仕方が無い。今は前を見なければならないというのに。二組のティーカップとポットを持ってスヴェトラーナの座るソファーの前へ向かう。彼女は真剣な表情でジッと窓から外を覗いていたが、マンネンロウの香りに釣られるように顔をハイルヴィヒに向けると「ありがとう」とふわりと微笑んだ。顔には出していないが、カップを持つ手がわずかに震えているのが彼女の心情を表している。従者に心配をかけまいとする主人の気遣いに胸が痛む。眉間に皺がならないよう平常心を保つように心掛けてスヴェトラーナに問うた。幸いベケトフにお飼われている狂犬は表情があまり出にくい。
「何か憂い事でも?」
 白々しいと自ら思った。それでもハイルヴィヒは訊かずにはいられなかった。ここには心配事が多すぎる。ベケトフのこと、フェベスのこと、ハイドナーのことですら彼女の心に影を落としているのだろう。
「大したことじゃないのよ。ただ、屋敷がザワザワしていたでしょう? でも何も説明がないから……」
 そこで言葉を切って外を見る。香草茶は飲むだけではなく、香りでも気持ちを落ち着かせると訊いたことがあまり効果がなかった。むしろ、スヴェトラーナの白い手に重ねられた従者の手の温もりに安心した。
「フェベス殿の元へ伺いますか?」
 ハイルヴィヒの提案にスヴェトラーナは一瞬動きを止めたが、優しく重ねられた手を解き、直ぐに首を横に振った。
「いいえ、今日はダメよ。……明日にしましょう。きっと、今はお忙しいと、そう思うの」
 ティーカップを持ち上げて、逆の手で描かれている模様を撫でた。金色の線が縁に彩られているだけのシンプルなハイドナーの家にあったような華美な装飾はないが、それでもそれなりの値が張ることは分かっていた。
「私達、ずっとずぅっとこのままなのかしら。外に出たいとかそういうわけじゃないのよ。ちょっとだけ、息苦しくて。何もしない、知らされないで。これからどうなるのかしらって。御父様にもここにいることを連絡すらしていないわ」
 ふぅと息を吐き憂いを帯びた表情は絵画の世界から抜け出てきたかのように美しい。
「御父様、どうなっているのかしら」
 無責任に嘘をつき慰めるわけにもいかなかった。それがバレたとき、彼女を失望させると理解していたから。故にスヴェトラーナのぼやきに対する返答はせずに、心底心配した顔で今日はもうお休みになりましょうと提案した。スヴェトラーナはコクンと頷いて、ソファーを立った。アースラが部屋に入ってきたのはそんなときだった。控えめな音と共に開けられた扉から、冷気と共に音も無く姿を現した彼女を見てスヴェトラーナは大いに驚いた。一方のハイルヴィヒは全く気配を気づけなかったことに驚いた。もしも、彼女がこの部屋に入ってこなかったら何も考えずにドアを開けていただろう。敵だったらと思うとゾッとする。
 アースラは品定めをするかのもうに二人の姿を頭の先から爪先までを見回す。しかしそれも一瞬で、直ぐにうっすらと微笑んでみせた。そこにはスヴェトラーナにもハイルヴィヒにもない色香があった。夜、月明かりを浴びて咲く紫のダリヤのような艶めかしさに二人は息をのんだ。そして、鈴のような声で二人に向けて「こんばんは」と言った。咄嗟の事ですぐに言葉がでなかったスヴェトラーナはおずおずと頭を下げた。射抜くような視線を送るのはハイルヴィヒでアースラに対して警戒の色を見せる。スヴェトラーナの一歩前に立ち、一挙一動見逃さんと言わんばかりに目を光らせている彼女はさながら宝を守る番犬か。随分と警戒されたものだと柳眉が困ったように八の字に下がった。(もっともそれだけでアースラから目を離さなかったわけではない。ハイルヴィヒもエルネッタを知っているのだ)
「貴方達に危害を加えに来たわけじゃないの。ただちょっと、物音がして気になっただけ。だから、そんなに睨まないでよ」
 武器を見せれば余計に警戒されそうなので余計なことはせず、それでもハイルヴィヒからは目を離さないようにして後ろ手でドアを閉めた。
「貴女は……、セノールか。どうして」
「セノールの皆が皆、貴女たちの敵じゃあないわ」
 ハイルヴィヒの一言で彼女達は何も把握していないことを知る。何故、屋敷が騒がしかったのか、それを不審に思わなかったのか。仮にそう思ったなら何故、フェベスの元に来なかったのか、薄ら笑いの下で考えていた。彼女達はどうも危機感が足りないように思えた。黙ったまま数刻。先に痺れを切らしたのはハイルヴィヒ。ではなくスヴェトラーナだった。恐る恐ると言った様子で、守人の背後から顔を覗かしてアースラの灰色を見る。その瞳には緊張の他にもう一つ、別の感情を宿っていた。
 「あのここで会ったのも何かの縁でしょう? 立ち話もなんですから、このお紅茶が飲み終わるまでで構いません。少しだけお話しませんか?」
 何を言っているのかとハイルヴィヒは振り返ると僅かに目を輝かせるスヴェトラーナが映る。どうや、アースラという女性に、ひいてはセノールという人種に興味があるようだった。
 一番驚いたのはアースラだ。豆鉄砲を食らった鳩のように瞬きを3度繰り返した。
「えぇ、是非」
 少しの躊躇いを見せたのち、彼女は首を縦に振った。夜も更けてきて、吹雪に見舞われている。特に風はまだ強く、帰る帰るなと駄々を捏ねているかのように窓を叩いている。この中を帰る気も起きなければ、カルヴィンとガウェスの元に帰りたいとも思わない。折角だ。貴族の遊びに興じるのも良いかもしれない。それに香草茶は砂漠では中々飲める代物でもなく、アースラが興味を持ったのも事実。色よい返事に純真無垢なご令嬢は頬を薔薇色に染めて口元を綻ばせた。そんな主人の顔に、複雑な感情を抱きながら、ハイルヴィヒは普段と同じように紅茶の準備を進めるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.191 )
日時: 2018/12/13 01:03
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 無音の来訪者は足を組みながら、ソファーに腰掛けている。その様子は尊大にも見えながら、色めかしくも見えた。身体は細く、スヴェトラーナやハイルヴィヒと比べ、起伏に乏しく小柄だというのにだ。恐らくは彼女の年齢不相応にも見える、落ち着き払った雰囲気がそうさせるのだろう。
 目の前にある椀には紅茶が淹れられているのだが、一度口を付けただけで、ただただ虚しく湯気を上げているばかりだ。恐らく苦手な味だったのか、僅かに顔を顰めたのをハイルヴィヒは見逃していなかった。少し温くなり、薄れ始めたその湯気の向こう、彼女は他愛もない会話をスヴェトラーナとしていた。アゥルトゥラの土地は酷く寒いだの、家屋の作りが全く違うだの、色んな人間が居る等とだ。時折、アースラの言葉が訛ったり、詰まったりする様子から、彼女は余りアゥルトゥラの言葉を話しなれていないのが良く分かる。それがおかしいのかスヴェトラーナは笑みを絶やさず、最近中々見る事が出来ない表情を浮かべていた。
 何時の間にか彼女達は名前で呼び合っており、スヴェトラーナがハイルヴィヒの名まで教えてしまったらしく、彼女の視線が時折、ハイルヴィヒを向く。
「……何だ?」
「いいえ、別に。何でもない」
 ただただ視線で追っているだけなのだろうが、それを不愉快に感じ彼女を睨み返すも、気付けばスヴェトラーナと談笑しているではないか。どうしたのもか、とハイルヴィヒは溜息を吐いた。
 セノールというのは物騒で愛想がなく、血を好む獣の様な存在だとハイルヴィヒは思い続けていた。彼等が人のふりをしている化物だとまでは言わないが、アゥルトゥラや周辺国の人間と比べ、人間味が薄いのは確かだと考え続けていたのである。先の戦争に従軍した祖父や、昨今の緊張からそう思わざるを得なかったのだ。それがどうだ、このアースラという女は愛想も良ければ、そんな雰囲気を持ち合わせていない。物音を全く立てないという所こそ、確かに引っ掛かるが民族皆兵を掲げ、武門という形で民族の先頭に立って、闘争に身を投じる者達が居る以上、アゥルトゥラでは考えられない様な戦闘技能、技術、そして生き方をしてきているのは明白。気にするまでもない事だろう、と漸くスヴェトラーナの隣に腰を下ろした。
「……これ。後味が苦手」
 アースラはそう言い放ち、その場を凍りつかせる。淹れて貰っておきながら、歯に衣着せぬ発言をしておきながら、相変わらず彼女は静かな笑みを湛えたままだったが、スヴェトラーナは何処か不安げに彼女を見据えている。それに耐え兼ねたのか、僅かに首を傾げ、漸く紅茶に二口目を付けた。そのまま飲み干してしまったようだ。少しの間、パチパチと薪が爆ぜる音だけが場を制す。少しアースラの笑みが引き攣っているのは気のせいではないだろう。
「……やっぱり飲み慣れないんでしょうか?」
「うーん、まぁね。カシールヴェナにはこういうのないから」
 バシラアサドが東西を繋ぐ、交易路を築き上げたというのに、カシールヴェナには流通していないのが不思議でならなかった。クルツェスカは勿論、西部の各都市にはセノール製の調度品や、装飾品、刀剣、そして彼等が飲んでいるであろう茶葉などが入ってきている。
「カシールヴェナ……行った事ないんですよね。城塞であり、都であり、戦地だった。古い所なんでしょう?」
「肩身狭い思いしたいなら、どうぞ。熱烈歓迎よ」
 少し意地の悪そうな顔をしながら、そんな事を言うものだからハイルヴィヒは思わずアースラの椀に茶を注ぐ。少しだけ彼女の表情が引き攣り、何てことをしてくれるんだ、と抗議の視線が飛んで来る。
「ハイルヴィヒ、覚えといて。……寝てる間に外に出してあげる」
 そんな冗談を吐き、目を瞑ったまま茶に口を付けた。一度、二度と喉が鳴り、漸く飲み干したのか、アースラは椀を膝に置いたまま二人と言葉をぽつぽつと交わすのだった。



 時刻は既に深夜の二時を回り始めていた。廊下から足音が聞こえているが、この無駄に大きな足音は酔いの回ったカルヴィンだろう。少しの間を置いて、ガウェスとフェベスの声が聞こえてきている。さてはカルヴィンに飲まされ、気が大きくなってしまったのだろうか。遂数時間前まで死線を彷徨う様な斬り合いを演じていたとは信じられない。
「……品を疑うわ」
「アゥルトゥラの奴等はあんなのばかりさ。元は戦の為に土地に封ぜられただけの存在だ。……知恵、知識、力はあっても品がない奴等は多い」
 ソファーに倒れ込む様に眠っている、スヴェトラーナを一瞥しながらハイルヴィヒはそう語る。へぇ、とアースラは適当な相槌を打ちながら、窓から外を見る。雪は止みつつあり、風もやや大人しくなってきた。雲の切れ間から、月が顔を覗かせているのだが、冬月らしからぬ黄味掛かった月だ。それが放つ月光が、氷雪を微かに輝かせている。
「ところでアースラ」
「何?」
「……全てが敵ではない、とはどういう事だ」
 刹那、アースラの口角が釣りあがり、その笑みが恐ろしげに見えた。脳裏に焼き付けられたセノールの虚像が息を吹き返し、アースラに砂漠の覇者、砂漠の化身が宿っているように思えた。
「その通りよ。私達──サチは一枚岩じゃない。……私達はジャッバールを止める。私達の血と屍を以てして。民族の為に死ぬのなら本望」
 そう語る彼女から何時の間にか、笑みは消え失せていた。灰色の瞳はただ一点を見据え、表情はすっかり薄れてしまっている。そんな虚無とも言える彼女から、壮絶な覚悟が見て取れるのだ。何故そこまで出来るのか、何がそうさせるのか、とハイルヴィヒには理解が出来なかった。
「……ねぇ、ハイルヴィヒ。あなたもスヴェトラーナの為なら、死ねるでしょう?」
 問う声色は冷たく、宛ら厳冬のクルツェスカの如く。未だ対峙した事のない不気味さに息を飲む。レゥノーラのそれよりも理性的ながら、狂気が垣間見えた。それでいながら昂ぶる訳でなく、不自然な程に落ち着き払っている。故に彼女は不均衡な様相を呈している様に見えた。しかし、そんなアースラの問いには首肯せざるを得なかった。スヴェトラーナは自身の死を望まないだろう。だが、彼女の為ならば身を砕き、骨を粉とする事も厭わない。そして、はと気付いてしまうのだ。アースラと自分の中身は良く似ている、と。
「あぁ」
 口を衝いて出た相槌はもう二度と引っ込める事は出来ない。それを認めてしまっては、二度と足を止める事は出来ないだろう。
 ゆっくりとした足取りだが、アースラが近寄ってくる。灰色の瞳は生々しいまでに蠱惑的に見え、あるはずのない魔力が感じられた。眼前まで迫ってはじぃっと僅かに背の高いハイルヴィヒを見上げて、再び口角を吊り上げる。
「私達はよく似てる。面白いわ、本当に」
 エルネッタに似ている女、それが自分によく似ていると語る。戯言と一蹴し、彼女の身を突き放す事も出来るだろう。だというのに、手は動かない。腕が上がらない。そうする気が起きないのだ。自分が抱いていた感情、思考を肯定され、引き出される様な不可思議な感覚に戸惑う事しか出来ないのだ。
「何処が……」
 漸く搾り出した声は、先よりも小さく、声調もやや低い。戸惑いを見越しているのか、灰色の瞳は瞬き一つない。もう既に対人距離は侵されているというのに、更に彼女は近寄ってくる。
「本質が、性根が。肌の色も、背丈も、顔付きも……全く違うってのにね」
 細い指先がハイルヴィヒの頬に触れる。絡め取る様に頬から首へと這う指先に、何処か背徳的な感覚に陥る。戸惑いながら見返せば、彼女の瞳に吸い込まれそうだった。息を呑み、強張る身に相反し、穏やかながら蠱惑的にも見える瞳は全てを見通し、見透かす魔性の瞳なのだろう。その持ち主はただただにこやかに、穏やかに笑っている。エルネッタはこんな事をしなかった、こんな雰囲気を醸す事もなかった。
「ただ、あなたの大事な人は私が支えるべき人とは間逆」
 それだけ言い放ち、すっと離れては踵を返す。彼女がスヴェトラーナを横目で見たのは気のせいではないだろう。弱点を見透かされてしまった様な妙な感覚であったが、彼女が何か悪さを働く訳ではない。不快感や、不安を覚える事はなかった。 
「ねぇ、ハイルヴィヒ。あの子、すっかり寝ちゃってるけど、此処で良いの?」
「……此処なら冷える事もないだろう。起こすのも忍びない」
 あぁそう、と短い相槌が帰って来る。少しだけアースラの口調が崩れつつあるのは気のせいではないだろう。隣に腰掛け、彼女はまた他愛もない話をし出す。恐らくこのまま夜が明けてしまうのだろう、と眠っているスヴェトラーナを見遣りながら短く相槌を返すのだった。



 メイ・リエリスの屋敷は死屍累々といった様子だった。ガウェスは頭を抱えているし、フェベスも寝不足なのか目の下に大きく隈を作っている。男共の惨状を作り上げた、カルヴィンだけは何事もなかったかの様に振舞っており、彼は酒に呑まれていない様だ。スヴェトラーナが目覚め、外を見た時には既に雪掻きをしていた。ハイルヴィヒやアースラは雑談に花を咲かせすぎたらしく、遂に夜を明かしてしまう等、昨晩バッヒアナミルからの襲撃があったとは信じられなかった。
「……朝まで喋ってたの?」
「まぁね、以外と意気投合した、というか」
「……まぁ、その通りです」
 相変わらずアースラはにやにやと笑っていた。相反し、ハイルヴィヒは何処か叱られ、悄気た犬のように少し俯き加減だった。それもその筈である、終始アースラのテンポに呑まれ、寝るという意思表示すら出来なかったのだ。欠伸を噛み殺し、何か言いたげに彼女を睨むも、それに動じる様子も見せず「んー?」などと暢気に声を上げているのだった。
「アースラ、これからどうするんだ」
 取り繕う様にハイルヴィヒは問う。
「既にクルツェスカへ来ている同胞達に、我々の──武門の意思を伝える。……皆、頷いてくれるといいけど」
 彼女の表情に先ほどまでの笑みなく、何処か伏せ目がちであった。ジャッバールとの交戦の意思を同胞へ示し、それをアゥルトゥラの勢力にも伝えた。つまりは大多数のセノールへの裏切り、利敵好意を働いているのとも等しい。それに憤りを覚える者達も居るだろう。例えジャッバールの行動に対し、不快感、疑問を抱いていてもだ。バシラアサドという存在は、今のセノールには欠かせない人物である。罷り間違えて彼女を討ってしまう様な事があれば、それは民族とって大きな痛手。彼等に矛を向け、敵であるアゥルトゥラまで巻き込む。結果、彼女を喪失してしまっては元も子もないのだ。
「無理はするなよ」
「えぇ。危うくなったら逃げるだけの事だもの」
 そう外套を身に纏いながら、言い放てば再び穏やかに笑みを浮かべて見せるも、カーテンの隙間から差す朝日がそれを許さない。眩さに一瞬顔を顰めたが、覗かせた笑みにスヴェトラーナは安堵にも似た様な感情を抱いた。
「気をつけて」
「……言われるまでもなく」
 スヴェトラーナへと歩み寄ったかと思えば、彼女の後頭部に手を回し、アースラは彼女を自分へと引き寄せた。驚いた様子の主従の表情など、彼女は全く見ていない。二人の反応など予想した通り、少しからかう様に口角を吊り上げ、囁く。
「良い事を教えておくわ。……西壁の聖堂、ラノトールを祀ってるところ。信頼出来る同胞が居る、何かあったらおいで」
 それだけを言い残し、彼女は廊下へと出て行ってしまった。朝食を摂る事すらない。矢張り彼女は足音すらなく、ただただ外へと出て行ってしまった様だった。壁の向こう側の事だというのに、彼女と入れ違いになった冷たい空気が肌に沁みる。夜に手招かれ、彼女はただた従者を見据え、戸惑う様に静かに笑うのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.192 )
日時: 2018/12/18 00:07
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 夜の女はひたすら駆ける。薄氷を踏み割り、白雪を散らしては、その冷たさを感じる前に次の足を出す。人垣を縫う様に越え、早朝の喧騒をただただ駆け抜けていくのだ。厭に速く、人の群れを抜けていくのだからアゥルトゥラの者達はアースラに注目する……はずなのだが彼等は彼女に目を呉れる事もない。それどころか、人の群れはその密度を増し、ざわざわと騒がしくなっていく。
 遂に大路に人一人の隙すら失われてしまった。アースラの足は止まり、呼吸を整える様に大きく溜息を吐く。大勢の人間が苦手なのだ。窮屈さを感じながら、何故か早鐘を打つ胸を押さえる。見ないようにと視線を下へ下ろし、足元の氷雪、それを弄べば、ざりざりとした硬い感触を足の裏に感じた。
「……何かあったの?」
 同じ通せんぼを食らったであろう、アゥルトゥラの男に問う。彼はアースラを見るなり、訝しげな顔をして腰の辺りに目を呉れた。肌の色、体躯からしてセノールと判断したのだろう。故に得物を携えていないか、と確認したのだ。視線を向けようとしないアースラに、一抹の不信感こそ持っただろうが、彼は口を開く。
「さぁね。……憲兵共が何かしてやがる」
 ややぶっきら棒であったが、そう答えて見せ、彼は顎で人垣の中心を指した。相変わらず人の群れをなるべく視界に入れない様にと、俯き加減であったが、興味が背中を押す故、赴くまま、アースラの足は進んで行く。人垣を掻き分け、群れを一歩、一歩と越えていくのだ。
 人垣の中心にあったのは、腹を裂かれた骸であった。右の脇腹から鳩尾に掛け、すっかり斬られてしまっていた。白いはずの氷雪は赤黒い血と汚物で汚され、凍り付いた臓物は氷雪に張り付いている。全身を何度も弄ぶ様に刺されたのだろうか、死体の彼方此方には刺創が見えた。防御した様子もない事から、腹への一撃で動脈まで達し、それにて即死と至ったのだろう。
 醜悪な様にアースラは目を覆う事もなく、寧ろその傷を見事だと感嘆の溜息を吐いた。これを成したのがアゥルトゥラであろうが、セノールであろうが、その者が相当な使い手でありながら、微塵の躊躇も持たない人物であるというのが、容易く考えられる。自分が斬られたならば、輩が斬られたならば、という考えには至らず、ただただその見事な人斬りの結果に、再び感嘆の溜息を吐いた。
「邪魔だ! 退いてろ!」
 背後から聞き覚えのある声がしている。人垣を散らし、その男は駆け寄って来た。憲兵の制服こそ身に纏っていたが、額の傷や未だ赤みを帯びている凍瘡から、それがカルヴィンであると判別するのは容易かった。まだ、昨晩の事を引き摺り、少しばつが悪いと、彼の視界に入らない様に人の群れへと身を投じるのだった。
 漸く人垣を破り、死体の元へと辿り着いたカルヴィンは顔を顰めた。無残にも程があると。沸々と憤りが沸き立ち、頭の中を回遊する。アゥルトゥラの剣では此処まで切り口は綺麗にならず、何なら背骨で止まるという事もない。明らかにセノールが行った犯行だ、と見て取れる。衝動的に刀へと手を掛け、柄を握り締める。凍瘡が潰れ、手袋に血が滲む。カルヴィンはハイドナーの者達が皆殺しにあった時、管轄外の地区であったため、その惨状を見る事はなかったが、恐らく彼があの場に居たならば、怒りを納める事も出来なかっただろう。
 震える手を柄から話、凍り付いた骸の決して閉じない瞳を見て、悼む。この男が最期に見たのは恐らく"あの死闘"を上から眺め下ろしていた月だろう。自分達は生きて帰ったというのに、代わりに別の者が死んでしまった。その事実は決して変わらない。
「……徒に人を斬ったか」
 カランツェン、人斬りの姓を冠した男はぼそりと呟く。閉じられた瞼の裏、バッヒアナミルが嗤っている。人を斬ってしまった。何の面白味もなかった。斬り甲斐なんてなかった、と傲岸不遜に語るのだ。その虚像に怒りを覚え、柄を握り締める手には更に力が篭り、更に血が滲む。そんな彼を見ていた別の憲兵は、その様にセノールを感じたのか、ぎょっとした面持ちで彼を見た。彼方此方に血を晒す彼がこの男を斬った様に思え、同時に彼は言葉なくして、暗にこの殺人の犯人を物語っている様だった。
「これはセノールの仕業かい?」
 誰かが放った核心に触れる言葉、それにカルヴィンはゆっくりと向き直り、小さく頷いて見せた。しっかりと死体を調べた訳でもない、目撃者を探した訳でもない。だというのに、それが正しい答えに感じられて仕方がなく、彼等の中にセノールに対する敵意が沸々と湧く。それは憎悪と混じり、ドス黒い殺意、怨恨に変わっていく。
「彼を片付けよう。……身元が分かったら手厚く葬ってやるべきだ」
 再び誰かが言い放つ。死に顔を衆目に晒し続ける、死して尚、恥をかかせるべきではないという言葉に一抹の理性が戻り、彼等は現実へと引き戻された。ただ一人、カルヴィン・カランツェンを除いて。



 一本、小路に入ってしまえば人の群れは消え失せる。大路では漸く憲兵が人払いを始めたのか、大声が聞こえている。初動が遅い、と呆れた様に笑いながら、その遅さが今の現状を招いたのだ、と彼等を嘲笑う。外患誘致などをするから、栄光も誇りもない孤立に座すから、力を嫌い日和見などをするから、今こうして外敵に弄ばれ、いつ掌を返すとも知れない外敵の力を借りる羽目になる。昨晩のカルヴィンの言葉を思い出し、愚かなアゥルトゥラこそ滅ぶべきだと内心だが、毒付いた。ただただ愚かだと、アゥルトゥラを嗤い、そこに肩を入れようとしている己すらも自嘲する。
 氷雪を踏み締め、少しだけ体勢を崩しながらもアースラは駆け続けた。吐く息は白く、像を伴っては刹那に消え失せる。目指すべくは既にクルツェスカへと侵入し、監視を続けていた者達の場所である。頭に叩き込んできた地図と、自分の目に写るこの街並みを照らし合わせ、ただただ駆け抜ける。白雪を踏み締め、薄氷を砕き、分厚い氷に足を取られたとしてもだ。
 道すがらすれ違ったアゥルトゥラの住民達は、その速き事に目を見開き、驚いていた。彼等とて小股で、足の裏に力を込めて歩く。ただただ速い、その様子に僅かに息を呑んだ。人の形をしただけの馬か、と彼等は笑いながら小路を進み、水筒に口を付けた。良い意味で味気ない蒸留酒がもたらす、刺激に喉を鳴らす。そんな彼等を呑んだ暮れと、誹る様に笑みを浮かべると、同時に小路を抜け、防壁西側の真裏へと至る。左を見遣れば、憲兵達が死体を回収している様子がある。凍った死体はさぞ大変だろう、と一瞥を投げ掛けてながら、聖堂の扉を叩いた。そこは奇しくもカルヴィン・カランツェンの祖先である、ラノトール・カランツェンを守神として祀り上げた聖堂であった。伽藍とした空間に、ぽつんと明かりがふと灯る。その傍らには待ち兼ねていたと言わんばかりの男が二人。何れも見知った顔であり、彼等は一斉にアースラへと視線を向けた。
「……兄上」
 アースラの表情がやや緩んだのは気のせいではないだろう。彼女の視線の先には、数少ない肉親が居たからだ。家を別ち、次に会う時は敵となるはずだった人物。少しだけ目頭に熱を帯びるも、大きく息を呑んで堪える。
「疲れただろう。まぁ、掛けろ。……ラシェッド、上着を貸してやってくれ。女の身を冷やすのは毒だ」
「はいはい」
 闇の中に居たのはシャーヒンとラシェッドであった。前者は冷淡で情の片鱗すら見せなかった男らしからぬ、穏やかな笑みを浮かべていた。血腥い行動を主とし、ハイドナー滅亡の原因を間接的に作った男とは思えなかった。
「砂漠を百里余。……徒歩で来たから」
「やっぱあんた等おかしいなぁ、ハサンの」
 椅子に腰掛け、草臥れた様子のアースラに上着を掛けて、ラシェッドはそうおどけて見せた。バッヒアナミルの兄というだけあり、やはり何処か軽薄な印象を宿す。それが好きじゃないのか、アースラが彼を見る目にはやや力が篭り、厳しげに見えた。
「駱駝や馬を使えば目立つからな。……地下の水路から来たのか?」
「まぁね。凍った堀を渡って、取水口から入ったわ。そこからはひたすら這い蹲ってね」
 ご苦労、とだけシャーヒンは言い放ち、アースラと同じ様に椅子に腰掛けた。ジャッバール側に付いたサチと、中立から反ジャッバールへと旗色を変えたサチが顔を向け合うという異様な状況であったが、誰一人として得物を抜く様子は見えず、ただただ沈黙が流れている。
 誰も沈黙を破る事はない、まだ一人の人物が足りないからだ。彼等は余りもの寒さにうんざりした様子で溜息を吐く。外から入ってきたばかりのアースラは微かに震えていた。彪はまだか、と隼を扉を睨み、道化は天を仰ぐ。そして、二人同時に溜息を吐くのだった。
「ファハド遅いなぁ、アイツ居なきゃ話進まないのにさぁ」
 ラシェッドはまさか思うまい。彼の足を止めるミュラという、予測不能な存在が居る事を。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.193 )
日時: 2018/12/20 00:34
名前: 霧島 ◆FJjoZBA4mU

「……本当に、一晩中お話していらしたの?」
 小さく喉を鳴らしてそう問うて来る少女をみやり、ハイルヴィヒはなんとも言えぬ気まずさを憶えながら『ええ』と短く答える。ティーカップに茶を注ぎ、少女の前へと無音で差し出す。ありがとう、と感謝を告げる言葉に気にしないでくれ、と告げる代わりに首をゆるく横へと振った。至って、平穏な今日を紡ぐ二人は、けれども置かれた状況を忘れるわけもない。忘れられるはずもない。薫衣草の華やかな香りを纏うて少女はふ、とその水宝玉の双眸を細める。
「……ずるいわ」
「お嬢様?」
 ぽつり、と少女の唇が言葉を落とす。呼気を漏らしては細めた瞳に子供じみた色を孕んで少女はゆっくりと従者を見る。僅かな繋がりすら取りこぼしたくないと言わんばかりにただ、真っ直ぐ。――嗚呼、けれど。瞳の奥に思い起こすのは夜の君。美しく、けれども月のない夜の麗人。
「アースラ様、ずるい。ハイルヴィヒとずぅっとお話しているなんて」
 そう言いながらつい、と唇を尖らせて少女は紅茶を一口。花の香、かすかな甘さが広がっては消えていく。嗚呼、家の植物園は変わらず美しいままかしらん、なんて考えるのも詮無きこと。“もう帰れないかもしれない”なんて不安を打ち消すように紅茶をもう一口。ハイルヴィヒはといえば、戸惑いをありありとその相貌に浮かべて、蒼穹の青を僅かに揺らがせて、無意識に左手を自らの首筋へと添えていた。其の様子を見るスヴェトラーナの表情がかすかに曇り、翳り、寂しげに瞳を細めた事に、気付けぬ侭に。甘く、柔らかであるというのに何処かほろ苦い静謐は破られること無く二人の間に漂って、数秒、数十秒。全てを破るのは少女が立ち上がり、椅子が立てた音だった。コン、コン、と小気味良い調子で床板をかかとで踏み鳴らす。下方より、水宝玉は上方の碧玉を見つめてやわく、揺らぐ。
「……内緒よ、誰にも。……アースラ様が教えてくださったこと」
「信じるおつもりで?」
「ええ、だって……信じなくっちゃ、どうにもならないわ。アースラ様の信のおけるとおっしゃる方々が、私達を受け入れてくれるかは、わかりませんけれど」
 なんでもない風に少女は微笑み、くるり、と踊るように半周、再び椅子へと腰掛けて紅茶を一口。今日は薫衣草の焼き菓子でも作る? なんて朗らかな今日を信じて口にしては小首をかしげていた。嗚呼、それも悪くないとハイルヴィヒは息を吐く。胡蝶はされど舞わず、花に止まり続けるならばそれも良い。平穏が長くないとは悟っている。おぞましい程に穏やかな夜を過ごしてしまったものだから、今日という日が悍ましい様な気がしてしまう。詮無きこと、詮無きことだと己に言い聞かせては、自らもまた紅茶を一口。慣れ親しんだ味だった、慣れ親しんでしまった、味だった。本来ならば享受し得ぬ平穏を、けれども少女は齎してくれる。……過ちであるとして、けれども戻るつもりはない。彼女のためなら、昨晩のアースラとの会話を思い出しては息を吐く。仕事だと割り切ってきたつもりだった、いつの間にか踏み込みすぎていた。もはや戻れぬほどには、深みに嵌っていた。麗しき月を、白百合を求むる一人と化しては、けれども。
「それにしてもお兄様方ったら、まだお疲れなのかしら? せっかくですもの、今朝方早起きができて、香辛料とかお魚の燻製とか……そういったものがあったなら、良いものを作って差し上げたのだけれど」
 残る茶を飲み干して、かすかに花の香りの息を吐きながら少女は呟く。ハイルヴィヒの葛藤を知ってか知らずか、無邪気に、或いは無邪気を装ってはしたないと承知でぱたり、と足を軽く振る。お預けを食らった子供の様な表情で白く美しい指をその顎へとそぅ、と宛てがって。今日の悪戯を思案する子供の様に、けれども恋に悩む乙女の様に。ふわりと甘い香りを漂わせては少女はゆるりと首を傾げる。
「お肉の方がお好きかしら、茸の方がよいかしら。なんて……悩むのも滑稽ね。ああ、でもお父様がロトスおじ様を無理やり誘って朝まで飲むー! なんて仰ったあの日は……お魚で作ったんだったかしら?」
 何時かの日の思い出を添えて、そう告げてクツリ、と少女は喉を鳴らす。……今になって、あの穏やかなばかりであった日々を思い返すなんて、それこそ詮無きことだと言い聞かせて、吹き出しそうな感情に蓋をした。短く呼気を漏らして、ゆっくりと視線を持ち上げた先、生真面目にも悩ましげな表情を浮かべるハイルヴィヒを見やってはまた楽しげに鈴の音の様な笑い声を落としていく。風が窓を叩く音で邪魔されることもない穏やかな今を、ただ甘受しながら。
「……彼奴らの事ですから、肉でも食わせて置けば満足するのでは? そも、お嬢様の差し入れなら何でも喜んで……嗚呼、いや、彼奴等はそういう質でもないか。……少なくともまあ、拒絶はしないでしょう。ええ、紳士らしく振る舞ってくださる事を期待しましょう」
「もう、ハイルヴィヒったら。……ふふ、彼奴ら、なんて失礼よ?」
 クスクスと笑声を溢して、肩を揺らす少女はカップへと手を伸ばして――冷たくなったそれに口をつけては、とした。空になっていたことをすっかり、忘れていた。其の様子を見たハイルヴィヒが申し訳なさそうにティーポットを手に少女の傍へと歩み寄るけれどふるり、と少女は首を横へと振った。音もなく立ち上がり、息を吐く。
「香水薄荷、あったかしら。もうないかしら? ……ふふ、冬に準備が在る方が珍しいのでしょうけれど……フェベス様にお伺いしてみなくっちゃ。ええ、だって皆様お疲れでしょうから。……ふふ、フェベス様もガウェスお兄様も、お茶にでもお誘いしましょう?」
 お手伝いしてくださる? という言葉にハイルヴィヒが否定を紡ぐ理由もない。『畏まりました』と“何時も通り”の言葉を紡いでは華やぐ少女の顔を見て小さく口角を持ち上げる。
 二人並び立って部屋を出れば寒さが頬を撫でる。慣れているはずの寒さも、此方での生活が長いせいなのか或いは温まりすぎたのか、双方か。酷く厳しい寒さに思えてしまって仕方がない。ふ、と窓の外へと視線を向ければ広がる白銀。――ふと、何時かの日を思い出す。
「……雪かき、お父様だけできちんとできるかしら。ヨハンさんはなさっているのを見たことがないし……思えば、そうね。お家の事、ハイルヴィヒがしてくれていたもの」
 ぽつり、ぽつり、と少女は語り。其の脳裏にもはや懐かしさすら憶える光景を思い描く。外に出られずとも、存外幸せだった冬を思い出す。今思えば狭苦しくて、窮屈で――けれども確かに暖かな冬だった。
「ええ、そうね、そうだわ……嗚呼、お父様、お一人でちゃんと生活できているかしら……ヨハンさんも、ええ、嗚呼……おやつ、作って欲しいのに……」
 何時かの日に作ってくれたパンケーキが恋しいなんて、子供のようだと自嘲じみて笑いながら手を握って、開いてを繰り返す。一歩、一歩と歩を進めるけれど、徐々に其の足取りは重くなっていく。うつむいて、けれども進んで――従者の手が、少女の肩へとそっと置かれた。驚いて目を丸くして、振り返れば酷く真剣な顔のハイルヴィヒが其処にいる。なぁに、と甘い声で問いかけて首を傾げる。流星の様に、淡い金の髪はさらりと流れていった。
「……全て捨てて、何もかもを屠って、そうすれば、帰れます」
 息が上がる様な感覚だった。たった二人きりしか、この世界には居ないのではないかと思うほどだった。天鵞絨の帳に包まれ、周囲と隔絶されている様な感さえあった。息苦しそうに双眸を細めて、苦々しいと言わんばかりの表情で。それでも真っ直ぐに少女を見つめ、何かを吐き出そうとする従者を、水宝玉はまっすぐに見つめる。
「私は、貴女のためならば何でも、致します。お嬢様……スヴェータ様、私は――」
「目には目を歯には歯を――毒を食らわば皿までと言うわね、ハイルヴィヒ?」
 ふわり、と浮かぶ少女の微笑みは完璧なる淑女の其れ。絹の髪が揺れる。伸びた白い、白い手はハイルヴィヒの頬へと触れて――ゆっくりと、首筋をなぞる。「まだ、だめよ」
 そうして、囁くように。少女は従者へ語りかける。何時かその日は訪れるのかもしれないけれど今は、まだ。ただ平穏を甘受する日々は終わりを告げたとして。徒に事をこじらせる必要もあるまい。傍観者はされど、踊る。
「さ、行きましょうハイルヴィヒ。お二人が忙しくなってしまう前に……出来ればカルヴィン様もお誘いしたいけれど……朝からお元気そうでしたから、もうお出かけになってしまったかしらね?」
 楽しげに、すっかり少女の顔ばせでそう笑いかけては再び少女は歩を進める。赤い月はまだ昇らず、ならばせめて、このあわいに僅かでも。従者へと茶会の準備を頼んで、少女は尋ね人の元へと歩みゆく。そうして其の人達を見つけては少女らしい、甘い、柔らかな笑みでこう告げよう。『寒いですもの、お茶でもいかが?』なんて。ただ何でもない、穏やかな今日の少女の顔ばせで。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.194 )
日時: 2018/12/24 23:22
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 ジャリルファハドが行き先を告げずにどこかへ出かけることは恒例になりつつあった。大抵は早朝、霜が降り始める頃に家を出て日が落ちきった頃に鼻の頭と頬を真っ赤にして戻ってくる。そんなことが今に至るまで度々あった。決して多い頻度ではなかったが、それでもミュラが違和感を覚えるには充分であった。何気なしに聞いたこともあったが、大抵ははぐらかされて終わってしまう。また、教えてくれたとしても旧友と会っていたと聞き飽きた返答が飛んでくる。すると一瞬傷ついたような顔をして、それ以上の詮索を打ち切るのだった。そして、今日も彼は出掛けていった。寒空の下、飾りっ気のない黒い外套を羽織り、多くの人に揉みくちゃにされながら目的地へと早足で向かうのだろう。ただ、今回は珍しく昼前に出かけていった。天気もそれほど悪くはなく、吹雪く風の声ではなく小鳥の囀りが聞こえている。ジャリルファハドの後ろ姿を見送るとソーニアは台所で洗い物を始める。人差し指で机をトントンと叩きながら、扉をジッと睨んでいるのが気になった。
「どうしたの、ミュラ」
「あいつがどこにいったのかと気にならないの?」
「うーん。別に。あんまりそういうこと考えたこともなかったな」
「……あぁ、そうかよ」
ソーニアは彼を信頼してるが故に余計な詮索をしない。それに必要なら教えてくれると彼女は理解しているのだ。だが、ミュラにはその感覚が分からない。だから、苦虫を噛み潰したような顔をしてきまう。
「……ちょっと出てくる」
 ソーニアが止める前にミュラは外へと飛び出した。まだ遠くへ入っていないはずだ。人混みに混ざる前に見つけなければ見失ってしまう。背後では彼女を呼び声が聞こえるが知ったことではなかった。

 あまりにお粗末な尾行で笑いが洩れそうになるのをぐっと堪える。敵意や殺意といったものはかんじられない。だがセノールではないことは確かだ。彼らはもっと上手くやる。 
 相手の気配を察するのには長けているらしいソレはジャリルファハドが振り向くと気配が消える。着いてこられるわけにはいかない。ジャリルファハドは空を仰ぎ、足を止めた。

 人通りが多い大路に入る前にジャリルファハドの姿を捉えられたのは幸運以外の何物でもない。小路へと入ったときはアッと冷や汗をかいたのだ。道がパズルのように複雑に入り組んでいて再び彼を見つけることは難しいだろう。
「探し人か?」
 聞き慣れた声にドキリとする。そろりそろりと振り返る先にいたのはジャリルファハドだった。声が一等低く聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
「あぁ、お前を探していた」
「緊急の用事か?」
「まさか! そうなら大路でお前の名前を大声で呼んでるね」 
 ニッと笑うと、上着のポケットに手を入れたまま彼女は一歩二歩ジャリルファハドへと近寄る。
「毎回毎回……。随分と、友達が多いんだな?」
 笑ってはいるが、その下にある感情が滲み出ている。刺刺しい雰囲気を纏う少女にジャリルファハドの眉間に皺が寄った。彼女の意図が掴めないからだ。すぐに普段の仏頂面に戻り用件を訊いた。朴訥とした口ぶりは彼生来の本質である。直しようがないことが理解しているはずなのに、今のミュラには癪に障って仕方がなかった。
「心配になったんだよ。いつもどこに行くとか言わないで出掛けるんだもん。私達に言えないようなことでも企んでるのかって思ったんだよ。こう、五十年前の恨みでアゥルトゥラの連中を襲うとか、殺すとかそんなことすんのかなぁって」
「事を起こすつもりならとうに起こしている。あと、お粗末な尾行はやめておけ。あれでは人はおろか野生動物ですら狩れない」
「ハイハイ分かったよ」
 彼の小言も聞き飽きている。それに彼女はジャリルファハドに尾行のアドバイスをもらいに来たわけじゃない。
「セノールは用意しゅーとーなんだろ。ずっと計画を考えてたのかもしれない。それにさ、あんた達はセノールのためなら何だってやるんだろ」
「……何が言いたい?」
「別に、ただドコ行って何するのか気になってついてきただけだよ」
「悪いが帰ってくれ。部外者を入れるわけにはいかない」
 下手に連れて行けば彼女に危険が及ぶ。たとい顰蹙を買うことになってもそれだけは阻止しなければならないことだった。いつになく真剣な表情をしているジャリルファハドに粘っても無駄だと悟り、仕方なく引き下がることにする。
「……じゃあ何のために集まるかだけでも教えてくれよ」
「今はまだ早い、早いんだ。ミュラ、時期が来たらいずれ話そう。だからもう少し堪えてくれ」
「またそうやって誤魔化すのかよ」
 肩に置かれた大きな手を振り払う。
「私は今知りたいんだ」
 それでも彼の瞳が揺らぐことはなかった。ただひたすらにアゥルトゥラでのミュラの安全を願い、彼女に帰れと告げている。もっともそれを汲み取るほどミュラは大人ではない。彼女は自嘲的な笑みを浮かべた。
「まぁ、だよな。私はお前ぐらい強くもないしソーニアみたいに頭も良くない。話したところで意味ないだろうし」
 言葉尻が震えているのは寒さからではないだろう。本当は大きな声をあげて、彼を紛糾したいのだろう。だが、それが意味を成さないことは重々承知していた。だから、ここではまだ、感情を発露させることを選ばなかった。
「私、お前のことほとんど知らないんだ。どんな人生だったとか、何でここに来たのかさえ知らないんだ」
 それに、ほんの僅かに期待をしていた。ここまですれば折れてくれるだろうと、教えてくれるだろうと。
「そんなに頼りないのか、私のこと。それとも夜盗してた奴は信頼できないとか」
 だが、ジャリルファハドは放たれた言葉を肯定することも反論することなかった。無論、これから向かうところも目的も話すことはない。感情のない黒い瞳で彼女をジッと見つめてただただ黙って聞いていた。まるで、お前の話など意に介していないと言わんばかりに。それが彼女の血を熱くした。何か言えと吠えても彪は首を振るばかり。感情に任せて彼の足を踏みつけようとした。彼は避ける素振りすら見せなかった。取るに足らない攻撃だと思われているようで悔しかった。目の奥がじんわりと熱くなる。哀しさと同時に思考回路を焼き切らんとするほどの激情が支配する。
「バカアホ仏頂面! ゴミ踏んで転んじまえ!」
 踵を返し、彼女は大通りへと消えた。
ミュラに踏まれた足先に泥がついていたが拭う気分にはなれなかった。時計を見ると約束の時間はとうに過ぎていた。それなのに足に根が生えたように動なかった。

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