複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.179 )
日時: 2018/10/15 01:47
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 吐く息は白く、都全体が凍り付いていた。雪は然程、降り積もっていない。外套に身を包んだ者達は、そんな厳冬の中でも平静を装っている。そんな環境に生まれ、育ってきたのだから当然という話である。
 彼等の群れの中には、カルヴィンの姿があった。傍らにはガウェスの姿もある。尤もガウェスに至っては、戦闘時のセノールの兵や、砂漠を行く行商達の様に、顔を厚手の布で覆い、目だけを出してすっかり隠してしまっているのだが。
「エストールが寝込んだらしくてな、見舞いだ。見舞い」
 苦笑いをしながら、そうカルヴィンはそう語る。朝早くから叩き起こされ、何事かと思えばそんな事か、と横目で彼を睨むも、そんな事は気にしている様子もなく、懐から煙管を取り出しては刻み煙草を詰め込んでいた。
「シューミット……ですか」
 ハイドナーとは逆のやり方で成り上がった、新興貴族。血を流し、アゥルトゥラの為に苦闘を自ら望んだ者達である。ナヴァロよりもかなり歴史は浅いが、彼等とてクルツェスカの防衛には欠かせぬ存在。その次代を担う者が、病に伏せたともなれば一大事なのだ。
「あぁ。中々、頭が回って、穏やかな男だよ。身体も脆くて、俺やレーナルツとは正反対」
 煙管を片手にカルヴィンは笑っている。咥えた煙管からは白い煙が立ち上り、また鼻息も白い。その様子が何処か滑稽に見え、布の下でガウェスは思わず笑いそうになるも、唇を噛み締めた。
 人垣を縫う様にして二人は歩む。既知とすれ違えば、カルヴィンは愛想良く挨拶を交わし、それ所か他愛もない会話をして行く。そして、それを終えるなりすぐさま、腰に差した刀の柄に手を掛けていた。同時に不快そうな表情を浮かべていたのも気のせいではないだろう。この人垣の中に、ジャッバールの手の者が紛れていたとしても不思議ではない。得物を抜かれぬ様に押さえ付けられ、背を一突きでもされたならば、そこで死しても不思議ではない。既に顔は割れているのだ。
「……さ、行こう」
 ガウェスを一瞥し、再びカルヴィンは歩を進める。踏み固められ、すっかり硬くなってしまった雪を踏み締める。雪に不慣れな者は歩く事すら、侭ならず雪の上に大の字になる羽目となるのが関の山である。ガウェスの視界の端、大きな荷を背負った商人が、氷に叩き付けられたのは気のせいではないだろう。


 やはり貴族とは名ばかりで、シューミットの屋敷は簡素な作りをしていた。門は常に開け放たれており、敷地の中には巨大な厩があり、寧ろ屋敷よりも大きく感じられた。武器庫と思しき蔵もあるのだが、それよりも厩が大きい。
「アゥルトゥラの貴族とは斯くあれ、という手本だろうな」
 元は西方より流れてきた傭兵の一族。西伐にて武勲を挙げ、取り立てられた者達。一世代、二世代と世代を重ね、クルツェスカに根差した結果、アゥルトゥラの貴族の手本の様になったのだ。尚武であれ、家財に贅を尽くすべからず。メイ・リエリスとて西伐で家を傾ける前から、武勇を重んじ、貴族としての責務を果たしていたのだ。家財を戦費に宛て、遂には没落した。故に今のフェベスがある。ハイドナーとは正反対だと思えば、ガウェスは何処か胸が締め付けられるような思いだった。
「……アドルフェスはまだ帰って来て居ないか」
 一人ごち、門扉を押し開く。屋敷の中は外見よりも質素でありながら、その廊下には胸甲と肩当、薄手の兜が吊り下げられている。本来ならば二領あるべきなのだろうが、一領しかない。現当主であるアドルフェスは首都エツェレスへ招集されている故である。
 使用人は居ないらしく、カルヴィンは雪を適当に払うと廊下を奥へ、奥へと進んで行く。気後れした様にガウェスもその後を追うが、廊下の壁に立て掛けられている槍や刀、小銃などはセノールの物ばかりで居心地が悪かった。首級を挙げた者達の得物を、武勲の証として持ち帰り、彼等の奮戦を称え、その霊を慰めているだけに過ぎないのだろうが、どうにもガウェスにはその場に"彼等"が居るような気がして、仕方がないのだ。
「誰よりも尚武であろうとしているのだろうが、こう身が弱くては敵わんよなぁ。エストール」
 突き当たりの扉の前、カルヴィンは再び一人ごちると扉を押し開いた。部屋の中には、床に伏せている訳ではなく、机に肘を掛けながら青褪めた顔をしているエストールがあった。彼は苦笑いを浮かべながらも、クルツェスカとその周辺の地図を眺めている。その上には兵棋が置かれている。
「兵棋ですか」
 実物を触った事はなかったが、西伐に於いては昼夜問わず、反撃を浴びたため、これを用い軍議を行えないという悪循環に陥ったなどと、戦地では大変重要な物であると知っている。
「えぇ。来るジャッバールとの戦に備え、幾つもの戦闘の流れを頭の中に入れて置かなければなりませんからね」
 カルヴィンが直接的な戦闘、その防御、進軍の妨害を担うならば、エストールが戦略を練る。そして、恐らくはレーナルツがジャッバールに対する攻勢を担うのだろう。その背後に控えるのは、メイ・リエリスが寄せ集めた私兵達。寡兵でありながらも、複雑で入り組んだクルツェスカという土地を以てして、戦闘を優位に進めなければ成らない。
「エストールが床に伏せているのは嘘だ。……お前にも戦働きをして貰わねば困るでな」
 兵を集めるだけが役割ではない、と薄々気付いては居たがそう語るカルヴィンの声色は厭に淡々としており、無感情にも感じられた。座って下さい、とエストールに促されるまま、椅子に腰を下ろす。
「……戦地がクルツェスカだけで収まるなら、貴方にはカルヴィンの指揮下でジャッバールに対する進路妨害を行ってもらいます。……ですが、戦地が北へ延びた場合、やってもらわなければならない事があるんですよ」
 クルツェスカの地図よりも、縮尺の大きな地図が壁に立て掛けられていた。それをエストールは指差す。クルツェスカを発ち、街道を超え、至る先はボリーシェゴルノスク。
「……ベケトフの領地に何が?」
「知らんか? 今やベケトフはジャッバール配下だ。もし、ジャッバールが北上し、ボリーシェゴルノスクを防衛拠点とし、交戦の意思を示したならば……お前と俺は此処を攻めねばならん。クルツェスカの尖兵として戦に望まねばならん。その折にはダーリヤの軍勢とも争う」
 ジャッバール、ベケトフの連合と争う必要があると述べるカルヴィンであったが、表情は薄い。しかし、その声色からは覚悟が感じられた。
「貴方達の血を呼び水とし、反逆の徒と異民族を討つんです」
 アゥルトゥラ西部を防衛すべき、兵の死により、中央より軍を呼び寄せる口実を作る。ボリーシェゴルノスを戦地とした場合のやり口は、政に疎いガウェスでも分かり易く在りながら、そこまでやるか、と思わざる得ない代物であった。恐らく彼等はベケトフとの交渉窓口を設ける気はなく、ジャッバールが逃げ延びたならば、口実を作る為に即座に攻め込み、流血を以てして後に討ち果たす、というのだ。
「……元々、ヴィムートからの流れ者。同胞ではない。──同胞ではないから様子見しかせんのだ」
 厳冬のクルツェスカ、その凍て付いた都より、冷たく残酷なカルヴィンの発言に、ガウェスは思わず目を閉じ、大きく溜息を吐いた後、声を絞り出す。
「彼等とてアゥルトゥラに住まう者達でしょう」
「矜持を見せ付け、滅びを是とせず、異民族、侵略者に媚び諂う者達は同胞に非ず。国の為、都の為に血を流せねば、それは敵と同じだ。……お前もその輩ではないだろうな?」
 国の為に死ね、滅べ。それを忌諱したならば敵。誰もがカルヴィンの様に、自分の命を平然と擲つ事は出来た物ではない。フェベスがカルヴィンをそう育て上げた訳ではない、セノールの血を引く、カランツェンの名がそうするのだろう。理解出来ないと、じっとカルヴィンを睨めど、彼は動じる様子すら見せない。
「嫌なら良いです、また別のやり口考えますから」
 やや青白い顔をしたエストールが地図を広げ、再び兵棋を並べ始めている。床に伏せている訳ではないが、病を患っているのは確かなのだろう。それでも策を設け、戦闘を優位に進めるために頭を悩ませている。彼の行いもまた、自身の血を呼び水としようとしているカルヴィンと同じくして、命を擲つような行いである。
「……我々とてクルツェスカを守る為、命を賭しているのだ。名を失うより前、要らぬ混乱を齎したお前が贖罪する時は今ではないかね」
 ジャッバール配下を殺害し、色街、貧民街での殺戮、ハイドナーの滅亡の原因となった。ガウェスの浅慮な正義感に基づいた、行いがクルツェスカに混乱を齎したのは確かな事実。死ぬべきは今ではないか、そう問い、語るカルヴィンの言葉が悪魔の囁きに聞こえてならず、ガウェスは目を閉じ、息を呑む。
 その時であった、耳元で何かが囁くのだ「戦え」と。声色を説明をしようにも、形容しがたい。は、と見開かれた瞳を射抜く、四つの瞳は何があった? と言葉なくして問い、三者の間に流れる静謐を、吹き荒ぶ寒風が轟々と押し流すのであった。 

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.180 )
日時: 2018/10/19 14:29
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ

 それが内なる自分の声か、はたまた別の誰かなのか。ただ、耳元で囁かれるというよりは脳内に直接語りかけてくるような言葉であった。得体のしれない声を聴いたとき、流木が川の淀みにピタリと嵌まるような感覚であった。そして、けじめのためならばこの命を絶っても良いと考えていた胸の内に、生への渇望が徐々に沸き出してくるのが分かった。
「私は……、私はまだ……」
 継ぎ接ぎだらけの記憶を反芻しているかの如く、たどたどしい言葉遣いであった。やがて、ふと浮かんだ言葉が考えるより先に口から零れていた。
「私はまだ、死ねません」
 ぽつねんとでた言葉は彼が思っている以上に大きく、思わず肩が震えた。
「命が惜しくなったのか?」
 せせら笑う声にガウェスはかぶりを振った。瞳を見るのが怖い。だが、逃げてはならないのも事実である。一度彼らをグルリと見回した後、再び視線を戻し、ゆっくりと口を開いた。
「まだ、何も成し遂げてはいない。何を今更とお笑いになるでしょう。アゥルトゥラに災厄せしめた私を。今すぐにでも喉笛を食い破ってやりたいと、そうお考えなのでしょう。それでも。それでもっ! 私はまだ、成し遂げていない。蹂躙された者達の無念を、晴らしていない。彼らが殺された責任を、仇を、とらねばならない。私が討ち果たしたい」
 彼の心には仲間のためにもと、復讐心を孕んだ義務感が心の中にあった。同時にこれをなさなければ再び逃げることになると、なけなしの矜持を暗闇に捨てるようなことはしたくなかったという思いもあった。そのために死せるまで戦わなければならないと思った。
「一兵卒としてで構わない」
――どうか
 懇願するかのように声を絞り出し、頭を下げた。飴色の柔らかい髪が揺れる。
「件のことが終わるまで、どうか猶予を。全てが終わった後、こんな命で雪ぐことが出来るのならば、幾らでも雪ぎましょう」
 心臓がドクリドクリと鳴っている。これで駄目ならば、ここで命を絶ち汚名を雪ぐ他ない。ちらりと視線をあげた先、彼らが何を慮っているのか表情からは窺い知れず、暗澹とした雲が心を覆っていく心地であった。それでも懇願を止めるわけにはいかず、頭を下げ続けた。
「一兵卒でも、か。堕ちるところまで堕ちたなぁハイドナーよ」
 明らかな侮蔑に反応するほど冷静さを欠いたわけではなかった。口を結んで耐える。
「よかろう。そこまで言うならば、生かしておこう。それまで生きていれば、だが」
 それがどういう意味なのか、思い図ることは叶わなかった。彼に出来たことは安堵と不安が混ざった息を吐く。ただただそれだけだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.181 )
日時: 2018/10/19 22:46
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 窓の向こうは吹雪いており、此方へと先端を向けた氷柱が雪に塗れ、真っ白く染まっていた。建て付けが悪くなってきたのか、隙間風が音を立て、部屋を凍て付かせようと努めている。
 フェベスの筆を走らせる手はやや悴んでいた。老いもあるが、その手は酷く草臥れ、節榑立っている。己の手で争ったり、人を殺めたりと荒事などしていないだろうに、傷の痕も目立つ。宛ら隠居した老兵が、自叙伝でも認めているかの様だ。
 そんな彼であったが、遂に寒さに耐え切れなくなったのか、立ち上がっては外を睨む。この気候はクルツェスカを天然の要害とする要因。夏は殺人的に暑く、冬は残酷なまでに寒い。溜息を吐きながら、床下に隠した薪を取り出しては、ストーブの扉を開き、そこに薪を乱雑に放り込んだ。炎は薪をあっという間に飲み込んでいく、その様子は宛ら戦火の如く。燃えに燃え、広がりに広がり、後に残すは屍と塵。呆けた様にその炎を眺めていると、何者かが扉を控え目に叩く。
「入って良いぞ」
 屋敷の中に居る人間は限られる。妻はエツェレスへと逃がし、カルヴィンとガウェスは外に出ている。ともなれば残されたのはベケトフの者のどちらかである。これがジャッバールの手の者であれば、命運は尽きるのだが日中、直接的に攻撃を仕掛けて来る事はない。彼等の本領は夜にある。
「……失礼します」
 扉は軋み、消え入りそうな少女の声を掻き消そうとしていた。
「スヴェトラーナか、何か不便でもあったかね?」
 身柄を預かっている以上、不便をしない様にと与えてきた心算であったが、もしや至らぬ箇所があったか、とフェベスは問う。"鉄面"などと仰々しい渾名を付けられている彼であったが、スヴェトラーナの視線の先に居るのは、老いに蝕まれつつある、人の良さ気な一人の男でしかない。
「いえ……少し話を、と思いまして」
「そうかい。……ハイルヴィヒは何処に?」
「部屋で寝てます」
 つらっと嘘を吐けば、フェベスも短く相槌を打つばかり。恐らく、微塵も彼女の事など気にしていないだろう。ただただ口を衝いて出ただけの戯言に過ぎない。
 ストーブから少しだけ離れた椅子に腰掛け、スヴェトラーナは扉の向こうで燃え盛る炎を眺めた。幾らか油脂が多いのだろう、薪は扉の中で爆ぜる。火の粉が舞い上がるも、それすら炎は飲み込んでしまった。赤々としたそれがメイ・リエリスの者達のそれと重なって見える。彼等は影から力を揮い、何もかもを噛み砕き、飲み込む。敵となれば恐ろしく、味方となれば心強い。
「で、何を言いに来たのかね」
 スヴェトラーナに背を向けながら、フェベスは再びストーブの中に薪を放り込んでいる。灰と煤が僅か、舞い上がったのは気のせいではないだろう。彼はそれを気にする訳でもないようだ。貴族らしからぬ粗野な人だ、と思いながらも口を開く。
「私達は何時まで此処に居れば良いのでしょう……?」
 その問いに、彼の動きはぴたりと止まり、僅かな間を置いてストーブの扉を閉めた。途端、硝子窓の向こう側で薪が爆ぜる。
「……帰りたいのかね? 我々が事を起こし、ジャッバールが北へ逃れたならば、ボリーシェゴルノスクは戦地となるやも知れん」
 自分の家がジャッバール配下にある事は既に知っている。仮にジャッバールをクルツェスカで討ち損ねたなら、やはり北へと逃れるのは必至。ともすればクルツェスカの諸兵は追撃をする事となるだろう。
「いえ……私達は廓に──」
 "廓"という言葉を聞いた途端、灰掛かった緑色の瞳が見開かれ、フェベスが詰め寄る。父と比べて幾分、大きな身体はとても威圧的で思わず、身動ぎするもスヴェトラーナは彼から視線を逸らさぬよう、努め唇を噛み締める。無感情に見えながら、怒りを孕んでいるようにも見えるフェベスの顔つきは、"鉄面"と呼ぶに相応しい物だった。
「ダメだ。自分で自分の身すら守れぬ癖に、何が廓に行きたいだと? 寝言は寝てから言うべきだ」
 彼の言葉に廓に巣食う化物──レゥノーラのおぞましい姿が脳裏を過ぎる。人の形をしていながら、厭に肌は白く、窪んだ瞳が闇の中で不気味に輝いては、奇妙に身体を揺らしながら歩む。それは恐怖の化身であり、死を齎す暗闇の死神。音もなく歩み寄り、人間を無感情に殺める。そんな化物を思い出してしまうのだ。
「何より……ユスチンに娘を失う様な目に遭って欲しくはない」
 スヴェトラーナには今の発言がフェベスの本意なのか、取り繕った物なのかは分からない。ただ、彼が娘を廓で失った事はスヴェトラーナも知っては居る、先日カルヴィンが彼女の墓参りに行き、猛吹雪の中、外套を凍り付かせて帰ってきたのが記憶に新しく、その時の彼と言葉を交わしたものの、ポツポツと一言、二言、何かを考えている様子でとても素っ気無かった。
「……私が死ぬなんて在り得ませんよ、ハイルヴィヒが居ますもの」
「嘯くな、あの護衛は薬に縋り、病んでいる。腕は立つやも知れんが、廓で戻れなくなったらどうするのだね。彼女は動けず──スヴェトラーナ。お前は這い寄る化物にただただ、怯える事しか出来んのだぞ」
 病んでいる。再びハイルヴィヒに対して、放たれたフェベスの言葉にむっとした様に顔を顰め、じっとその青い瞳を向ける。暗にお前は無力だ、と誹られた事よりも、それに不快感を覚えたのだ。
「あの人は病んでなんて居ません。……そんな事も在り得ません」
 根拠などない。されど、スヴェトラーナにはただただ嘯く事しか出来なかった。フェベスの言う事は正論である。無謀は褒められた物ではなく、寧ろ非難されるべき物である。
「この分からず屋め。ユスチンと同じではないか」
 飛んだ我侭娘だと、フェベスは呆れながらも苦笑いを浮かべていた。薬という単語にスヴェトラーナは、怪訝な顔をしていたが、それをフェベスは気にする様子もない。全く別の事を考えているのだ。彼の脳裏に思い浮かぶのは若い頃のユスチン、幾ら釘を刺せど刺さらず、おかしな事をしていた彼の姿である。それと同時に廓で死した娘と、未だに廓に出入りを続ける娘の姿である。
「良いか、良く聞け。お前達だけで潜るな、カルヴィンとガウェスを連れて行け。必ずだ! ……それと夜までに帰ってくる様に。夜はジャッバールの時間だ、何をされるか分からん」
 割と我侭が通る人物だと思いながら、スヴェトラーナはフェベスを見つめていた。根負けした訳ではないのだろう、彼が考えている事などさっぱり分からなかったが、それでも外出の許可を得たのは大きな一歩である様に感じられた。
 内心、スヴェトラーナは舞い上がり、喜んでいた。であるから、言ってしまった、と額に手を当てて、頭を抱えているフェベスの姿など視界に収まっていない。大きく溜息を吐いて、漸くフェベスのその様子に気付いたのかスヴェトラーナは彼を心配そうに見遣る。
「絶対、死ぬんじゃあないぞ。ユスチンに向ける顔がない。俺はあの爺を死なせる気すらないというに。娘が勝手に死にに行ったなど言える物か……」
 ぶつぶつと呟いているフェベスの様子が何処かおかしく、不気味にも思えスヴェトラーナは僅かに後ずさって行く。"鉄面"と呼ばれた男が此処まで動揺するとは思わなかったのだ。礼を言うのは後にすべきだろうか、と扉に手を掛けた時、背後から一つ咳払いが聞こえた。
「スヴェトラーナ。……廓から持って来た物を使おうだ等と考えるなよ。禁忌に触れようなら、お前達は半世紀前のセノールと同じ道を辿る。……ジャッバールよりも恐るべき敵だ、それは」
 メイ・リエリスは嘗て、炎を輩に戦地を駆けずり回った者達である。そして、彼はその魔術師の末裔。今は扱えこそしないが、その恐ろしさを文献などで見ているのだろう。恐らく彼が語る禁忌とは、今は無き魔法を指しているに違いない。
「……いえ、そんな事は」
「我々は常に見ているぞ……常に」
 その言葉に、スヴェトラーナは気付く。外には出してやるが、監視を付けると暗にフェベスは言っているのだ。外に居ながら自由はない。条件を呑まねば、外を歩む事すら侭成らない。一歩進めた足には未だ枷が付き、鎖がまとわり付いては足元で嗤っている様に思えて仕方がなく、その青い瞳を伏せながら、彼に背を向けた。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.182 )
日時: 2018/12/20 00:32
名前: K ◆FJjoZBA4mU

「では、殺しますか?」
 ハイルヴィヒの言葉はいつでも淡々と、そしてはっきりとしている様に思う。スヴェトラーナ自身、彼女のヒヤリとした刃の様な鋭さには目を瞑ったままでそれは、と控えめに口ごもるばかりだった。すっかりと冷え切ったハイルヴィヒの手を、スヴェトラーナの白い手が優しく包む。――生まれこそ此の国であれど、血筋をたどれば北国の者故なのか、スヴェトラーナ自身は寒さなど気にならないといったっ調子であった。冷ややかな瞳が、スヴェトラーナを見つめている。かといって咎める様なものでもなければ、責め立てる様なものでもない。ただ淡々として、冷ややかなだけだ。恐ろしい、と思いかけた感情を、少女は飲み干した。――雪混じりの風が、窓を叩く。部屋へと戻ればハイルヴィヒはベッドに腰掛けたままで待っていてくれた。事の顛末をぽつりぽつりと語れば、飛び出してきた言葉は其れである。
「おじさまは、お優しいわ。皆様が思うよりずぅっと、ずっと。……優しく、暖かな、血の通った方です」
 ふるり、と首を横へと振りながら少女の唇はそう歌う。その言葉に刺す様であったハイルヴィヒの眼光は柔らかにまろび行く。ふ、と呼気が漏らされ、蒼穹の色がスヴェトラーナを真っ直ぐに見つめていた。
「……では、諦めますか?」
 ハイルヴィヒの短い言葉に、スヴェトラーナはうんともすんとも言わない、否、言えなかった。為すべきは唯一、されど叶わぬなれば、何をすべきかと悩ましい。無力な少女が歩むには、力が必要であった。容易く白百合を散らされぬ様な、蹂躙されぬ様な力が。微かな明日を保証される今をふいにしてでもそれを手にした上で活用すべきか、と。
「……失礼を、前者ならば兎も角、後者は決断を下すに早計であったでしょうか。……少なくとも前者に頷かなかったお嬢様に、私はついていきます」
「有難う、ハイルヴィヒ。でも……そうね、おじさまは触れるなとは仰ったけれど……持ってきたものを使うなとも仰ったから、使わないならばいいのかもね?」
 くつり、と喉を鳴らす。使わないならば良いのでしょう? なんて子供の屁理屈のようなものだけれど、其れがあればひとつ、抑止力にはなり得るはずだ。力なくして蹂躙されるとするならば、手に力があれば脅しをかけられる。単純にして、誰にでも分かること。……有用であるかどうかは別としても、少なくとも無用のものとはなるまい。
「それに……ええ、彼処にあるものは、私達の家の財産です。嘗て先人が紡いだ歌が其処にあるならば……彼らの証があるならば、私達がお迎えに上がらなくてはなりませんもの」
 “ベケトフの娘”としての自負などとはとても言えないだろう。ただそれでも、求めなくては行けない気がしていた。そう、と月明かりの人が頬を撫でる様な感覚を覚える。不可思議で、けれどもかき乱される様な熱情がふつり、と湧き上がるようであった。夢は、夢のままで。そうあるべきだとしても、或いは。……手を伸ばさずにいられないのは結局は性なのだろう。なんだかおかしくて、スヴェトラーナはつい喉を鳴らす。成る程、気付かずにいたが父とはよく似てしまったらしい。当たり前といえば当たり前なのだろう。子供のような父であるが、それでも尊敬する人だ。――誰よりも長く、共に居た。外に出ずに過ごした少女からしてみれば、16年の人生の大半を共に過ごした人である。鳥籠の愛であったとしても、愛してくれた尊い人だ。脳裏にちらつく父の顔ばせは何時も通りの笑顔であったから、其れもなんだかおかしくて、ふ、ふふ、と声が漏れてしまう。きょとん、としているハイルヴィヒに、なんでもないの、と笑いかけて、一拍。コツン、と靴音を響かせて窓の傍まで少女は歩み寄る。
「夜は……好きよ」
 カーテンを開いて、暗がりの空を見上げた。今宵、月は見えない。吹雪く白ばかりがよく見える、曇った空はその癖、何処か心地いい気すらしてしまって、スヴェトラーナは静かに、息を吐いた。
「月が見えれば、完璧なのだけれどね、ハイルヴィヒ。……そう思わない?」
「お嬢様がそう仰るならば、其の通りかと」
「……狡い人。私は貴女の考えを知りたいのに」
 綺麗な宝飾品も、可愛らしい洋服も。決して、少女の心を満たさない。否、否、幸せは感じる。誰かが“私”のために其れを手渡してくれたならば、“私”は存在を許されたような感覚に陥るのだから。けれども呪いのように蝕む何かが、この腕を鎖に繋いで自由を奪って居るようだった。刹那、少女はうつむき一歩、二歩とハイルヴィヒが腰掛けるベッドへと足を向けていた。
「欲望のままに、貪る貴女にはどうか、ならないでね。……私のことはいくらでも、喰らいつくして構わないから」
 少女の白い腕がハイルヴィヒへと伸ばされる。そのまま彼女の首へと絡まってごく近い距離で少女はつぶやく。投げけど冷たい響きが堕ちるだけ。ならば、夢と現の境界を曖昧にする彼女に、刹那でも幸いを。コロン、と白い錠剤が床へ溢れる錯覚。ふるり、と首を横へと振って穢れなき水宝玉はハイルヴィヒの碧玉を見つめる。
「…………貴女の中の何かが吠えるならば、私へ向けて頂戴。それでいいわ、それでいいの……貴女の主として、せめてものお仕事は、させてくださいな」
 ハイルヴィヒは白濁を飲み込む様な感覚に襲われていた。グラグラと脳髄が揺さぶられる様であった。スヴェトラーナを突き飛ばすのは容易いが、其れが出来るはずもない。行き場のない両腕はだらり、と力なく白いシーツの上に落とされている。お嬢様、と力ない声がこぼれ落ちる。スヴェトラーナの鼓膜を揺らす声を、けれども彼女は無視して、その耳元で囁く。
「……貴女は、私にとって大事な人なのよ。どうかそれは、忘れないで」
 おねがい、と囁く声は甘く、ハイルヴィヒの耳朶を撫でる。二人だけの秘め事、永遠の秘密。或いは、すでに白日の下に暴かれども、本質こそは二人のみが知るささやかな願い事。
「…………有難う、ございます」
 ハイルヴィヒもまたようやく言葉を紡ぐ。スヴェトラーナの体躯を抱きしめる事は叶わず。ただ息を呑みこんで、その首筋に噛みつきたい衝動も共に飲み込んだ。落ち着かねばと思うほどに渇く身体が何かを熱望する事に、目を伏せる。今はまだ、まだ自制が効くから、とばかりに。彼女にそんな言葉をかけてもらえる程、立派なものではない。わかっている。けれど――スヴェトラーナの言葉を無下には出来ない。ただその声に答えたい。どくん、と心臓が跳ねる様な心地だった。
 ハイルヴィヒの言葉に小さく首を横に振ってから、漸くスヴェトラーナは彼女から離れて再びコツン、と小さな音を立てて床をけとばした。穏やかな笑みは満ち足りた様に、けれども不確かな明日を憂う様に僅かな陰りを見せ、静かに、視線は下方へ。
「何も知らぬままならば、おじさまは、優しいおじさまの顔だけを見せてくださったのかしら、なんてね。嗚呼……ハイルヴィヒ、せっかくですもの、温かい飲み物でも頂いてきましょう。何が良い? もののご用意がありそうならば、昔お父様が作ってくださった……香草だとか薬草だとかが沢山入ったものがいいかしら」
 伏せた瞳を再び持ち上げた時、少女の瞳はすっかり澄んで美しいものになっていた。憂いなど全て断ち切ったかの様にすら見える程に澄んで、美しい。おじさまにもお作りしてお持ちしようかしら、なんて紡ぐのは暖炉の火がありながらも冷ややかなあの部屋を思い出したのと、ほんの小さなお節介心故に。「甘いものはおすきかしら」なんて声は弾むように、なんでもないただの少女のような声であった。
「お水か葡萄酒、あとは蜂蜜に生姜……肉荳蔲でしょう? 木苺と……肉桂、薄荷と……後なんだったかしら」
「……全ては此処にはなさそうですね。いえ、あるならば良いのですが」
「なければないで……まあ、なにか作りましょう」
「……葡萄酒とスパイスがあれば、ひとつ心当たりもあります故」
 ハイルヴィヒの言葉にスヴェトラーナはクツクツと喉を鳴らすばかり。コン、コン、と床板を叩く音は少女の白い靴の踵によって奏でられる。最後の材料が思い出せないけれど、瑣末事だろう。また今度、父に手紙で聞いておかなくては、等と考えながら、何も知らぬ少女のかんばせで、笑顔を作る。
「人でなしにでも、なるしかないのかしら。なんてね、冗談、冗談よハイルヴィヒ……なんでもないの。……お兄様とカルヴィン様にもお話を通しておきましょう。おじさまがお話くださるかも知れないけれど」
 お二人も、甘いものはお好きかしら、なんて声は穏やかな乙女の其れ。茶会は人が多すぎても困りものだが、少なすぎるのも寂しいのだから。語らうならば暖かなものはあるに越したことはない。
「……監視役、ご苦労さま、なんてお伝えするのは意地悪かしら」
 スヴェトラーナは笑顔のままで笑声混じりにそう紡ぐ。言わないわ、なんて言葉はハイルヴィヒが何かを語る前に落とされた。非日常を背後に、其れを思いながらも少女は、何も素知らぬ顔で、平穏をこそ愛しているといった表情でただコツン、と再び靴音を響かせて部屋を出る。再び屋敷の主の元へ向かうとして、その手には暖かな飲み物と、誰ぞ家の人間に頼んで用意してもらった茶菓子でも持っていこう、だなんて場違いに穏やかなことを考えて、一歩。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.183 )
日時: 2018/10/31 23:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暖炉の炎が熱を放ち、時折、薪が爆ぜる様な音が聞こえて来る。部屋には三人居るというのに、誰一人として言葉を発する事もない。カルヴィンは椅子に座り込み、刀を抜いてはそれを眺めている。エストールといえば、相変わらず地図を睨み、兵棋を詰まんでは、地図上に置き、時折首を傾げている。ボリーシェゴルノスクに対する攻勢、特に橋頭堡の確保に頭を悩ませているのだろう。防壁はなく、大軍で包囲したならば四半日と掛からず、陥落する脆弱な都市構造であるが、問題は運河の存在である。反逆者と異民族の逃走経路を早急に潰し、その経路の始点を橋頭堡にしなければならないのだ。その為には、クルツェスカを発ち、運河から上陸する必要があるが、その為の船が不足しているのだ。
「ボリーシェゴルノスクを落とすなら、大軍で囲うのが一番なんですけど……我々は寡兵ですし、第一にクルツェスカの本軍を二分する訳にはいけないんですよねぇ。カルヴィン、何か良いやり方ありますか?」
「そう考えすぎるな。あの場所の攻略は、まず我々の死に意義を持たせる事にある。……真っ向から叩くだけさ、無策で構わんよ」
 相変わらず抜き身の刀を眺めたまま、カルヴィンはそう淡々と言って見せた。腹の中に飼った敵意を生かし、得物を振るえば争いが産まれ、死を齎す。故にカルヴィンは無策を是とする。これに大義がなければ、輩を率いての心中でしかない。しかし、傍で聞くガウェスは、それを戒めるような言葉を吐く様子もなく、黙って窓から外を眺めていた。
 白い魔物が辺りを凍て付かせ、白く染め上げている。凍り付いた都は分厚い氷に覆われ、春など永遠来ないようにも感じられた。だというのに、相変わらず人の群れは途絶えず、彼等は吹き荒ぶ寒風に吹かれ続けている。ある者は馬を引き、ある者は荷を背負って歩む。やはり、その内の幾人かは滑って体勢を崩したり、時折引っ繰り返るようにして転んでいる。
「策など要りませんか? だとしたら、やっぱりラノトールの血ですね」
「……彼の方が余程、策を講じていただろうさ」
 ぽつりとカルヴィンが言い放つ。お前の方が詳しいだろう、とガウェスを横目で見遣りながら。
「馬車に板貼って、円陣を組んだら、進路を制限して槍で小突いたり、石を投げたり。落馬したら引き込んで組み討ち。彼方此方に落とし穴、底には杭。生け捕りにしたと思ったら、腹を裂いて十字架に上げて、士気を挫く。やってる事はセノールと似てましたが、まぁ彼は西伐の英雄ですから、彼等のやり方をよく知っていたんでしょうね。……騎士殺しのラノトール、今でも通用しますよ。銃や、大砲を与えたら大喜びです」
 五世紀も昔、今と同じようにハイドナーは、山吹の戦いでカランツェンの者達に煮え湯を飲まされていた。最終的には物量で押し切ったが、傷を負った本家筋の者達は全て死に絶え、血が途絶える所まで行ったのだ。既に名を失いこそしたものの、ガウェスを巻き込み、流血を齎そうとしているのもラノトールの怨嗟が未だ残り、泣き面に蜂といった具合にとどめを刺そうとしている様に思える。
「何、ただでは済まさぬ傷を負わせるだけさ」
 抜き身のままの切っ先をガウェスに向け、カルヴィンは笑っていた。これから彼や、彼の輩。そして彼の主であるフェベスが残す傷跡は深く、中々癒えないものとなるだろう。ジャッバールを排斥し、北へ逃げたならば逃避先ごと滅ぼすというのだから、アゥルトゥラ西部の防衛事情も大きく変わってくるに違いない。
「時代が時代ならアゥルトゥラ王家からしたら奸臣でしょう、フェベスって。……まぁ、俺達もフェベスからしたら奸臣かも知れませんけど」
「利害が一致したからさ、俺は報復。お前はそもそも家がリエリスの盟友。レーナルツは出世。コイツは汚名を雪ぎたい。……忠臣なんて存在しないさ」
 そう語って見せたカルヴィンは大きく溜息を吐いた。我々は浅ましい群れでしかないと。そんな彼を見据え、兵棋を手で弄びながら、エストールは笑って見せる。フェベスがクルツェスカを意地でも守り、民も周辺都市も、手段も顧みないという方針を取る中、その様に振る舞い自身の命を簡単に賭す者が奸臣ならば、真なる忠臣は何処にも存在しない。それにカルヴィンは気が付いていないのだ、動機などともかくフェベスに仕えている以上、彼の企みを成そうとするのは忠臣の証である。
「皆、腹に何か飼っているものですよ。ねぇ、ガウェス」
「……えぇ、そうですね」
 エストールは話の流れで、そう問うただけであったが祖先の行い、西伐時の行いを誹られたかと思い、彼は視線を逸らしながら頷いて見せた。ザヴィアに反旗を翻した奸臣、血を流し闘争を是とするアゥルトゥラ貴族にあるまじき立ち振る舞いは、未だに尾を引く。
「腹の化物はその内に悪魔になる。……エストール、見ただろう? あのバシラアサドを。あれでは地獄の長だ。何も恐れず、ただひたすらに暴力を振るう。戦に生き、死ぬ事のない化物だ。……人間あの様になっては終わりだ」
「狂った獅子は剥製にしなきゃいけませんからねぇ」
 指先で弄んでいた兵棋を机に叩き付け、エストールは再び笑ってみせる。先ほどまでの青白い顔は何時の間にか、血の気を取り戻し、目はぎらぎらと輝いて見えた。彼もまた闘争を是とするアゥルトゥラ貴族の一人であるのだ。
「ガウェス、首を取りたいだろう?」
 また、カルヴィンは笑い声を上げていた。酒を飲んだりしていた訳でもなく、彼は素面である。時折、豪快に笑ってみせるその様子は、宛ら豪傑といった様で確かにラノトールの血はまだそこに生きているとガウェスは感じる。
「女の細首、捻じ切るくらい簡単でしょう? その身体ですし」
「お前はもう少し鍛えろ、頭の"体操"ばかりしてるから、ひ弱なんだ」
「健全な精神は健全な肉体に宿れかし、って奴ですか? ……ぐうの音も出ませんね」
 シューミットの長子であるエストールが心臓を患っているのは、昔から聞いた話である。武闘派貴族達と縁が薄く、彼等の力関係に疎いガウェスとて聞いていた話である。カルヴィンの様に激しい鍛錬を積んだ訳でもなく、武器を振るう様な事も数える程しかない。そんな不健全な身体には、不健全な精神が宿る。エストールもそう思って様で苦笑いをしながら、兵棋を爪で叩いていた。カルヴィンやレーナルツを見ていると、そんな事はないと思うも、その通りの人物が一人だけ居ると思い出し、ガウェスも静かに笑い声を上げていた。



 シューミットの屋敷を発ち、再び二人は凍て付いた大路を歩む。夕刻を少し過ぎた頃、手勢を引き連れたアドルフェスが帰還し、カルヴィンやガウェスも幾らか言葉を交わした。彼と言葉を交わしている最中、カルヴィンは何を思う訳でもなかったが、ガウェスに至ってはその豪放磊落とし、粗野な言葉遣いや立ち振る舞いに驚きを覚えたのだった。
 昼間はただただ白んでいた空であったが、陽はすっかり落ちてしまったのか、空は仄暗く、夜の帳が落ちていた。クルツェスカの冬、その夜は長く、太陽は中々に重役出勤をしたがる。それでも仕事はせず、ただただ冷え続ける一方であるが。
「……これでは刀も凍る。鞘から抜けん」
 鍔と鞘の間に指を挟みながら、カルヴィンはそう語る。ガウェスが持つ剣も鞘と鍔が凍り付く可能性があり、柄を握って手首を返すとパキッと乾いた音を鳴らして、薄氷が砕け散った。
「一晩、外に居ましたら凍え死にますからね。……此処は」
「一晩も掛かるまいよ」
 歴史を顧みたならば、西部の平和を幾度となく揺るがしてきたセノールとて、冬の間に侵略行為を取る事はなかった。彼等は春に訪れ、夏に争い、秋に去る。住まうアゥルトゥラとて長々と屋外で戦い続けるのは辛く、凍死者すら出る。
「……火が恋しい限りですね」
「メイ・リエリスに燃やしてもらおうか」
 炎を操る魔術師、それも既に五世紀も昔の話。そもそも魔法に由来する物は生活に使うには、強過ぎる物であり、彼等の炎で暖を取ろうとしたならば、消し炭になるしかない。
「暖かいを通り越して、灰になりますよ。……骨まで」
「あぁ、だろうな。──止まれ」
 他愛もない会話をしながら、歩んでいたがカルヴィンの制止に止まう。二人の視線の先、外套に身を包んだ男が立ち尽くしていた。身の丈はガウェスよりも三寸ばかり低いだろう。腰に差された刀はカルヴィンが持つ物よりも、やや大振りで大きく湾曲している。人の肉を斬り、骨を絶つ。その為の刀、それに手を掛けているのだ。
 男は目を見開き、僅かに開いた口から白い息を吐く。灰色の瞳が二人を見据えていた。一歩、また一歩と歩み寄り、刀が抜かれた。真っ白な刀身は闇に映えず、曲がった棒の様にしか見えない。雪を踏み締め一歩、氷を踏み砕き二歩。長い髪が靡き三歩。吹き荒ぶ風など知った事か、隠す事もせず露となった顔にカルヴィンは見覚えがあったのか、何を語る訳でもなく刀を抜いては鞘を投げ捨てた。
 男の一太刀は速く、また重い。受け太刀をした手が痺れ、僅か腕に痛みが走ったのか、カルヴィンは顔を顰めながら蹴り返すも、身は翻され、しっかりと躱されてしまった。
「ハイドナーの亡霊、人斬りカランツェン……」
 雲の切れ間、ふと差した月の光。はっきりと男の顔が目に写る。バシラアサドの護衛であり、懐刀。名こそ聞こえど、ガウェスがその姿を──バッヒアナミルを見るのは始めてだった。彼は歳こそ若いが、恐らくセノールの中では最強の部類に属する兵だろう。シャーヒンよりも早く、ジャリルファハドよりも技巧に優れ、その二人よりも力強い。バシラアサドが獅子、ジャリルファハドが彪の名を冠しているが、彼は"虎"の名を冠す。巨大かつ強大な捕食者の名を冠す、そんな"捕食者"が白い息を吐きながら、闘争の愉悦に口元を歪め、"人斬り"を討てという獅子の命を成すべく、駆けるのだった。

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