複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.204 )
日時: 2019/06/17 01:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 彼女はぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。四年前に死んだ事。生きていたなら三十歳を迎えていた事。学者と憲兵、傭兵の橋渡しをしていた事。非常に苛烈ながら、面倒見が良かった事。ソーニアが語るに、キラという女は芯が通い、強い人物だったと思える。言うなれば女傑である。同時にミュラは、何処となくソーニアにもそんな所がある様に思えた。彼女は強かにジャッバールと手を結び、クルツェスカの者達とも良好な関係を築いている。姉妹という事もあり、やはりどこか似通っているのだろう。
 やはりソーニアはぽつぽつと語る。あまり仲は良くなかった事。正反対の性格だった事。そして、最後に語るのは──恨み言であった。本当なら、彼女がメイ・リエリスの跡を継ぐはずだった、と。現実から逃避するかの如く、暗がりへと突き進み、眩い日の光から彼女は逃げた、と。遂には死し、地上へとも戻って来なかった、と。
 死人を蹴り、誹るような発言が暫く続いたが、次第に言葉は覇気を失い、刺々しさや、気勢を欠き始めた。彼女は言い得がたい感情を吐き出して、呑み込み、再び噛み砕き、吐き出す様な、のろのとした言葉にミュラは息を呑む。そこには妄執の類が感じられるからだ。
「……なんで死んだんだ?」
 しかし、問わずには居られない。開けてはならない箱だとしても、そこから絶望ばかりが飛び出してきたとしても、中身を確認せずには居られない人の性だ。踏み込んでは成らない領分かも知れない、と問うと同時、ミュラは僅かに後悔を覚えた。
「あなたも見たでしょ、レゥノーラを」
「あぁ……」
 あのおぞましい姿を忘れるものか。人に近しい形をしていながら、人成らざる異形。青白い皮膚と、窪んだ暗い瞳。筋張った肌と、鋭い歯や爪。この世のあらゆる恐怖を具現化した様な姿を忘れられるはずがない。
「奴等の手に掛かって死んだ。……多分、死体を弄ばれたのでしょうね、帰って来たのは左腕だけ」
 やはり静かに笑っているだけで、ソーニアは感情を隠す。奇しくも"鉄面"などと呼ばれる父と同じであった。家を継ぐという事から、逃げた彼女に対する怒りや、それを失った悲しみといった負の感情の行き場を敢えて塞ぎ、腹の中で飼っているかの様だ。迂闊に聞いた己を呪う様に、ミュラは苦々しげに視線を逸らす。直視に耐え難く、聞くに苦しい。同時にソーニアも、自分と同じ残された者であると気付く。
「やっぱりさ……憎いよな?」
 少し食い気味にソーニアは頷いて見せた。謂わば仇である。レゥノーラは人でなく、話の通じる相手でもなく、話し合ってどうこうなる訳でもない。そもそも理性的に報復を止められる程、ソーニアは出来た人間ではない。人間であるからには浅ましい。何よりも彼女は善良に、平静に装っているだけの"アゥルトゥラ貴族"の娘である。暴虐、暴力を好む血は鳴りを潜めているだけに過ぎず、未だ脈々と息衝いている。真のアゥルトゥラ貴族であるのだ。
「だから私はアイツ等を一掃する術が欲しい。……仇討ちって奴よ。私が廓に潜る本当の理由は、歴史を顧みようとか、明かそうだなんて思ってない。そんなの学者達に任せればいいじゃない」
 ソーニアの真の目的にミュラは、はと気付き、思い出した事があった。ジャリルファハドがクルツェスカへ来て間もなく、ジャッバールの屋敷の前でガウェスと揉め、彼等に銃口を向けられた事があった。その時分、事が収まるのを、見計らったかの様に接近して来たのはソーニアであった。恐らくはその時点で、ジャリルファハドを選んだのだろう。自身の協力者として。恐怖心を持ちつつも、それに戦き足を止めず、眼前の敵を全て払い除けようとする人物でありながら、撃たれなかった事から、ジャッバールに通じているであろう、と傍目に見て判断したのだ。
 さも善良を装いながら、人の間合いに踏み込んでは、その柔らかで、穏やかな印象で漬け込む。宛ら魔女である。何時の間にかミュラの口元には乾いた笑みが浮かぶ。確かに計算高いと思っては居たが、此処までと思えば、空恐ろしくもあった。
「でも、分かるでしょ。レゥノーラを殺すには、形振り選んでいられないの。だから、ジャッバールにも協力するし、銃だって持つ。……肉親を殺されたんだもの、憎まない方がどうにかしてる。嫌いだったけど、好きだったよ。キラがね」
 復讐の赤い魔女は、ぽつりと情を漏らす。情愛と嫌悪が矛盾し、相反してこそ居たが、その感情は何となくミュラには理解が出来た。エルネッタは飯も不味けりゃ、そこそこ口煩く、時折厭わしく思えた。それでも育ての親であり、長い時間を共に過ごしてきたのだ。居なくなってから、自分の手が届かなくなってしまってから、時間が愛を孕んでいた事に気付かされる。恐らくはソーニアもその類だったのだろう。
「……まぁ、分かるけどさぁ。早い内にそういう事言ってくれよ」
「ジャリルが嫌がるかと思って、あの人に自分を利用してると思われたら、離れて行きそうで」
「そんな薄情じゃないだろ。……相変わらず何考えてるか分からないけど」
「ジャッバールに居る、シャーヒンって人もそうよ。私の知り合いのカルヴィンだってそう」
 ソーニアの周りに居る男には、そういう手合いが多いのだろう。何処か武人然とし、それしか出来ない、それしかやらない様な生き難い者達だ。であるから、ソーニアもまた生き難い人物であると思えた。活動的で、酷く狡猾で、穏やか。二癖も、三癖も持っている癖に、知恵と教養でそれを覆い隠してしまう。これは確かにランバートもメイ・リエリスの女には手を出さない、と言う訳だと内心、ミュラは納得せざる得なかった。
「変な奴ばっか」
「ま、付き合い易いかな。裏表も下心もないから」
「やっぱランバートみたいなのは苦手か?」
「苦手も何も軟派過ぎて大嫌い」
 知らない所で邪険に扱われ、不憫ながらもそれがおかしく、ミュラは声を上げて笑っていた。ミュラはシャーヒンや、カルヴィンといった人物と面識こそなかったが、確実にランバートとは正反対なのだろうと予想出来る。まさか片方はジャリルファハドの様な人物で、もう片方は暴力的で酷く粗野なガウェスの様な人物だとは思うまい。
「……でも、まぁ、本当に残す人間は罪深いわ。人の人生を簡単に狂わせて、自分は冷たい石の下。酷い話よ」
 ぽつんと呟き、ソーニアは視線を下ろした。先の様に怒りや、悲しみの色は瞳に見えず、緑眼だったはずの瞳の赤は、とても穏やかに見えた。今まで口にした事のない思いを漏らしたからなのか、それともまた自分を繕っているのだろうか。何れにせよ、彼女の話には確かにと思える事が多々あり、どこか自分と似ているようにも思えた。
 普段、気丈にしている人間であったとしても、色々とあると改めて思い知りながら、温くなってしまった珈琲に口を付ける。普段は不快な苦味に何故か落ち着きを得て、大きく溜息を吐く。
「どうしたの?」
「いや、まぁ……うん」
 歯切れの悪い返事に、彼女は苦笑いを浮かべていた。余計な事を聞かせてしまっただろうか、と自分を戒めている様にも見える笑みが、どこか心地悪い。ソーニアでこれなのだ、ジャリルファハドには聞くべきではないんじゃないだろうか、と思いながら再び珈琲に口を付けた、その時であった。
 何者かが扉を叩き、尋ねてきたのだ。既に夜は鶏鳴の刻を迎えようとしている。死人の話をしていたから、何時ぞやソーニアが話していた昔の兵士が化けて出る話を思い出し、ミュラは少し退けぞり気味に彼女へと擦り寄っていく。ジャリルファハドが帰って来た、と思わないのは彼が扉を叩く際、かなり控え目に叩き、二度叩いては一拍置くためだ。クルツェスカといえど、治安は良いとは言えない。寧ろ昨今の傭兵流入が原因で、悪化の一途を辿っている。壁に立て掛けられている小銃に手を伸ばし、ソーニアはその銃口を扉へと向けた。
「誰?」
 返答はなく、ノックの音は止んでしまった。不審に思いながらも、小銃を携えたまま扉の方へと歩み寄る。開ける気は毛頭ない。少し遅れながらも、ミュラはソーニアの後を追い、ジャリルファハドが置いていった散弾銃を手に取る。窓際に置かれたソファに膝を立て、カーテンを開けば鎧戸が顔を覗かせ、その隙間から外を見遣るも、雪に阻まれて何も見えなかった。
「誰?」
 再び問い掛けるも、返答はない。しかし、刹那、扉が吼えた。しつこく叩かれ、取っ手はがたがたと音を立てる。開けようとしている様に思えるのだ。心なしかソーニアの顔が青褪め、思わずミュラもカーテンを閉じて、身を縮める。狂った様に震える取っ手を見てか、扉の下側にあるもう一つの内鍵を掛けた後、閂を嵌める。これで扉を破られる様な事はないだろうが、気味が悪いのには変わりない。
「誰なの! いい加減にして!」
 初めて聞くソーニアの怒鳴り声は、厭にきんきんしていて耳に突き刺さる。叩かれ、暴れる扉よりもそれに驚き、ミュラは息を呑む。扉の向こう側の何者か、もそれに驚いたのか、ぴたりと止んでしまった。そして、悪態を付く様にソーニアは扉を銃床で殴り付けた。彼女には意外と気性の荒い一面があるのだろう、キラの妹なら仕方がないのかも知れないが。
 疲れた様に溜息を吐きながら、ソーニアは椅子に腰掛けた。相変わらず扉を睨み、視線を外そうとしない。しかし、銃口は下を向いている事から、何者かがもう居ないと判断したのだろうか。
「……思い出した。昔、キラとカルヴィンにこういう事されたのよね。丁度こんな冬の夜中よ」
 突然扉を叩きに来たの──と続け、再び溜息を吐いて苦笑いをしていた。死人が尋ねてきたとでも、言いたいのだろうか。ソーニアの言葉の真意を問うべきではなく、また問う気にもならずミュラはこくこくと頷くばかり。何だか恐ろしい思いをしてしまった、と散弾銃を膝の上に置いたまま、魂が抜けた様に天井を見据え、ぼそっと呟く。
「なんだ、それ……趣味の悪い奴等だなぁ」
「えぇ、本当にね」
 誹ったなら再び何者かが、扉を叩かないかとソーニアは視線を投げ掛けるも、そんな事は起きなかった。安堵を覚えるも、それが何処か寂しくも思えた。同時に嘗ての共犯者であるカルヴィンは今どうしているだろうか、と疑問が脳裏を過ぎる。彼もまたキラの死で報復と暴力に狂った人物。キラの死を身内を除けば、尤も悼んだ人物だ。哀れで恐ろしい怪物の今を案ずるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.205 )
日時: 2019/03/30 22:53
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

3/3 加筆修正

 用事が終わったら迎えに行くと言われてから既に一時間以上経過していた。どのような用事かは教えてくれなかった彼は非常に端正な顔つきをしていて、彼と話しているだけでチクチクとした視線をぶつけられるほどだった。優越感を持たないはずがない。むしろ見せつけてやりたいとすら彼女は思っていた。だが、幾度待っても彼は現れない。騙されたのだと思ったのだろう。帰ろうと決心して荷物を持つ帰路を見る。道の真ん中を歩く人影があった。まさかと、思っただろう。徐々に近づいてくる男の姿には見覚えがあった。やがて彼女の目の前までやってきた彼は云った「約束を果たしにきた」と。片膝をついて右手をとると手の甲に恭しくキスを落とした。淀みなく行われた一連の動作に、この淑女の心は大きく揺さぶられた。

 サイドテーブルに置かれたランプには火が灯っておらず、月明かりだけが一組の男女を照らす。窓から降り注ぐ銀色の光は二人の白い肌を更に白く美しく魅せるが、二人の心は燃えさかる炎のように情欲に支配されていた。ランバートの大きくかさついた手が体のラインをなぞる。最初は顔の輪郭を、それから胸から腰へと回され、臀部、そして太腿と徐々に下がり、そして膝までいくとまた上へ上へと愛撫していく。快楽とは呼べないもどかしい感覚に身を捩ると気を良くして耳を食む。唇で優しく挟み、時折、舌で撫でつけてわざと湿った音を出す。ゾクゾクと這いあがってくる下腹部の疼きに耐えられず、熱っぽい吐息が洩れると、服の留め具に手をかけた。不安で震わせた背中に手を回して強く抱きしめながら、啄む様に優しいキスを額から頬、頬から唇へと落としていく。彼女の為に見繕った服を脱がせていき、やがて全てが床へと乱雑に投げ捨てられてしまったが、女の方に不満はなかった。むしろうっとりとした表情で、彼の首に腕を絡め身体を密着させる。心地よい温もりを感じながら、肩口に噛みつく様なキスを落とし赤い痕を三つつけた。痛がりも嫌がりもせず、嬉しそうに顔を綻ばせたわけでもなく、口元に酷薄な笑みを浮かべたままランバートは黙って女を受け入れていた。ようやく満足したらしい栗毛色の髪を持つ彼女は染み一つないシーツの上に寝転がった。待っていたとばかりにランバートは乾いた唇を軽く舐めて彼女に覆いかぶさり、何も纏っていない裸体を存分に網膜に焼き付ける。手に収まるほど小振りだが形がよくツンと上を向いている乳房、ほどよくくびれた腰、すらりと伸びた足がシーツに波を作っているのが何とか色めかしく男を誘う色香を放っている。無論、ランバートという男はそれを無視するほど無粋でも行儀のよい男ではない。
 女の花弁に長い指を這わすとクチュクチュと蜜が混ざる淫猥な音がする。小さく喘ぐ女を見れば頬を薔薇色に染めて何かを期待するようにランバートのことを見上げている。ゆっくりと黒い瞳を細めると女の唇を重ねる。舌先で生きた浅蜊のように閉じる唇を突けば僅かに口が開き、無遠慮に口内へと侵入させていった。舌を絡めて、上顎を撫でつける。嬌声は舌のうねりに消えて代わりに「んっんっ」と甲高く短い呻き声だけが洩れる。限界を伝えるように彼女の細い指が硬く大きな肩に食い込めば、這わせていた指先を花弁に沈める。すると、髪を振り乱し、大きく身体を痙攣させた。名残を惜しむように互いの唇を離すと銀色の糸が一瞬だけ繋ぎ、ぷつりと切れた。余韻に浸ろうと思っていた矢先、「何か……あった……の?」と息も絶え絶えに訊かれた。汗を拭いながら「どうして?」と返す。彼女は云うか云うまいか、不安げに眉を寄せていたが、急かすように太腿の付け根を辺りを撫でると遠慮がちに口を開いた。
「だって、あんまり嬉しそうじゃないから」
 男の手が止まり女の顔を見遣る。先ほどのように鑑賞を楽しむのではなく観察に近い瞳はすぐに隠され、熱に浮かされた男の顔が戻ってくる。一瞬の違和感を感じ取れるほどの敏感な女性ではなかった。
「あのセノールの子にフラれちゃったから?」
 ミュラの事を指している。気分が良ければ「それもあるけど、君に会えたから良かったんだ」とおどけたが、今はそんな気分ではなかった。
「……さぁ、どうだろうなぁ」
 曖昧な態度に片眉がピクリと動いたが再びランバートが彼女の中心を撫でたのでそれどころではなくなってしまった。片手は乳房に伸ばされ、先端を押したり弾いたりして弄び、もう片方は二本の指が狭い穴を耕すように好き勝手に暴れまわっている。甘い快楽に思考が霧散し、口の端から零れる唾液を拭くのも忘れて喘ぎ始める。身体を悦楽に震わせつつ、女は男の下半身へと目をやった。そして仕返しとばかりにランバートの中心へと手を伸ばしたのだ。熱く峙っている先端を白い指先で一回、二回と撫でつけた後に根元から先端までを人差し指でなぞれば、想定外だったのだろう、吐息交じりの低い声が彼の口から発せられる。お腹の奥がキュンと痺れ、同時にもっと聞きたいと思った。裏側を撫でつけてやろうと画策したが、指が触れるよりも早く手首を掴み、恋人のように指を絡めた。ハッとした表情でランバートの方に視線を向ければ余裕のなく笑うランバートが映る。見惚れる女に対して、ランバートは口の動きだけで「いいか?」と問う。女の答えはとうに決まっていた。初夜を迎える少女の様に顔を逸らしてコクンと頷き、彼を抱き寄せたのだった。

 女が寝息を立てたことを確認するとランバートは静かに布団から出て煙草に火を点けた。ほんのりとバラの香りがする其れは生前イザベラが愛用していたものと同じ銘柄であった。紫煙を吐きだす男の顔には疲労の色がありありと浮かんでいる。ガウェス・ハイドナーかもしれない男が出入りしている情報屋から聞いたのは昨日のことだった。ガウェスが生きていることは予想の範疇であったが、よもやリエリス邸にいるとは思わなかった。やることを終わらせてリエリス邸へと赴いたが、既にいないことを知らされて更に驚かされた。そのこと以外については一切を教えてもらう事が出来ず、ほぼ骨折り損で終わってしまった。向こうから何らかの反応を待つしかないのだが、果たしていつになるのか分からない。リエリスと関係のある貴族を一から当たることも考えたが、目立つ行動を起こし、再びジャッバールに目をつけられるわけにもいくまい。待つのが得策なのだろう。恐らく自分が来たことはガウェスの耳にも入る。
 短くなった煙草を消して眠る女を見る。一向に起きる気配はなく、気持ちよさそうに寝ている。
「ごめんね」
 頬にキスを落とすとベッドから降りた。捨て置かれている服を着こみ銀貨を三枚ほど置いて部屋を出て行く。外の空気は冷たく、息を吸い込むたびに肺が凍り付くような錯覚に陥る。日付が変わる前には帰ると弟達には伝えていたが、とうに子の刻は過ぎている。今から時間に厳しく神経質な次弟の説教が待っていることだろう。こうなってしまったら娼婦でも引っ掛けて朝まで共にしようかとも思ったが、約束を破りあまつさえ朝帰りをした日こそ本当に地獄へ落とされることになる。溜息の代わりに「面倒だな」と本音が漏れて、雪の積もった道を歩く。屋敷はまだ見えない。


 さきの喧騒が嘘のように室内外共に既に静寂の帳が張られ、物音と言えば、風が窓を叩く音が聞こえてくる程度であった。思考の海に身を沈めているのだろう。ぼんやりとしているソーニアから視線を窓に移す。カーテンの隙間からは烏の羽を落としたような漆黒ではなく、ルリビタキの羽色を模した明るい浅葱色が洩れている。恐らく、カーテンを開ければ、空と地の境から中空までを染める橙を拝むことが出来よう。しかし、カーテンが開くことはなく、ミュラはソーニアと同じようにぼんやりすることを選んだ。足が鉛のように重く動くのが億劫で、机を枕にして薄く目を閉じた。薪のパチンパチンと爆ぜる音、小鳥たちの囀り、身を捩じらす服が擦れて乾いた音がなる。静かな世界だと思っていたが、思ったよりも音に満ちている。泥に沈むように意識が深く沈殿していく。のは一瞬で、カーテンレールが引かれる音と共に、目をつくような光がミュラを襲う。犯人は分かっていた。
「寝かせて……くれても、いいだろ」
ソーニア、と抗議の声を出すが、そこまで憤りなど感じていないこと、何よりも虚ろな意識では覇気がなくどこか緩い。緩慢とした動きで体を伸ばし始めたので起きるのかと思ったのも束の間、再び机に突っ伏す。先ほどと何も変わらないじゃないかと呆れてしまう。もう一度声をかければ、不満げに「んー」と頭を掻きながら上体を起こす大きな欠伸を零し、寝ぼけ眼をこすっている。
「寝台、使っていいわよ。私はもう起きるから」
「起きるからって寝てないじゃん」
「人間、三日くらい徹夜しても平気なのよ」
「ちょっと何言ってるのか分かんない」
 そうは言っても彼女がどのような生活を送っていたのか想像するに容易い。生きるために日を跨いで仕事をしていたことも少なくはなかったはずだ。事実、ソーニアとジャリルファハドも夜が更けてからも話し込んでいる時が度々あった。会話に混ざろうと考えた時期もあったが、思考を半分放棄した脳では難解な言葉が飛び交う会話を理解することを早々に諦め睡眠用の子守唄代わりに使っていた。なお、一度だけソーニアから意見を問われたことがあったが、「眠るには丁度いい」と言った際、二人の神妙な顔つきを恐らく忘れることはないだろう。
 他愛もない会話で目が覚めたらしく、しっかりとした足取りでソーニアの隣に立ち、窓の外を凝視しているのは彼を探しているのだろう。
「あいつ帰って来なかったな」
「昨日も言ったじゃない。忘れちゃったの?」
「憶えてるよ。ただ、いい加減、カンクェノに行きたいなぁってそう思っただけ」
「二人で行ってみる?」
「笑えねー冗談は無し」
 ジャリルファハドのいない状態で廓に入るなど腹を空かしている飛び込むようなもので、たちまち食らいつくされてしまうだろう。頼る人間も他に無し。今日も暖かい部屋で文字を追って一日が終わるのだろう。 
「これって……」
 ふと、ミュラが何かに気が付いたようだった。ソーニアへの呼びかけというよりは、独り言に近い。「どうしたの?」と声をかけられても無言のまま、彼女は窓を開け、身を乗り出したのだ。突然の奇行にソーニアは一瞬ギョッとしたが、少女が地面を見つめていることに気が付いた。強張った顔をしていることも相俟って、彼女が何を見ているのか興味が湧いた。ミュラと同じように少しだけ身を乗り出してみる。身を刺すような寒さは変わらず、夜よりも朝の澄んだ空気が冷めたさを増しているようだった。 
 ミュラと同じように視線を落とすと白銀の世界にやや小ぶりの足跡が家の前まで続いてた。
「これ、私のだよ」
 震える声でミュラが答えた。それが何を意味しているのかは言わずもがな。
「貴方の足跡の上を歩いたのよ。きっとそう……」
「あぁ、だな……」
 青い顔をしていることに互いに気が付かないフリをして、また、納得したフリをした。どちらとも合図をしたわけではないが、窓を閉めて暫し沈黙が降りる。やがて、ソーニアが朝ご飯の準備のためにと台所に移動すると、ミュラも直ぐに後を追っていく。よほど堪えたらしいと苦笑いが出るが、ソーニアもホッとしていた。
 冬空の寒さとは違う纏わり付くような薄ら寒さを残しながら、今日も萎びた野菜のスープを作る。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.206 )
日時: 2019/03/17 23:30
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 屋敷の主は居らず、呆れた様にジャリルファハドは溜息を吐いていた。次弟であるアグラスこそ居たが、彼では用が足らず、半ば押し入る様にして居間へと入り込んだ。
 ガウェスの後ろに付く、ジャリルファハドを見て、一瞬だけアグラスは息を呑み、目を丸くしていた。仕方ない事だろう。此処で斬り合いを演じ、流血を齎したセノール。暫くクルツェスカから姿を消していたが、もう二度と見る事はないと思っていた人物。それが再び尋ねてきたのだから、仕方あるまい。
「……何だ、あれは」
 ジャリルファハドの睨む先、扉の向こう側、僅かな隙から覗き込む彼の姿は、宛ら捕食者に怯える鼠や、兎といった小動物にも思える。苦々しく笑いながら、気にする物ではない、とガウェスは語る。
「あんまり夜には出歩かない方が良いんですけどね、特別用がない限り」
 カーテンを僅か捲り、ガウェスは外を睨む。門の灯りは落とされ、通りは真っ暗な闇に覆われている。そこを歩む者の姿は見えない。ふと、屋敷に銃を向けられていたら、等と思ってしまいそそくさと窓際から離れた。ジャッバールに下ったと言えど、彼等は僅かな反意を感じ取っては、すぐに討つべくして行動を起こす。この動きすら悟られ、彼女の配下が迫っていたら、と考えるだけで背を冷たいものが走る。
「我々の様な異民族よりも、傭兵を招き入れる方が余程危うい。治安が悪くなる一方だ。……母体がある者達ならば、ともかく。そうでない"ならず者"は平然と狼藉を働く」
 母体のある傭兵、つまりは遥か西、クィーフスから来ている傭兵達を指すのだろう。またはハイルヴィヒの様な一族達だ。母体を持ち、評判を落とす訳にいかない者達は律され、狼藉を働く者は少ない。しかし、母体を持たず集団を構成しているだけの者、単独で活動している者。こういった者は全くアテにならず、危険な存在であった。クルツェスカに流入してくる傭兵達はこの様な者が多い。それをジャリルファハドは指摘しているのだった。民族ならば指示がない限り、何かを仕掛けて来る事も少ない。しかし、統率されていない傭兵は謂わば無法者なのだ。
「今は学者達が金を払っていますが、そうでなくなった途端……悩みの種でしょうね」
 街で狼藉を働くともなれば、彼等を討つ必要もあるだろう。ジャッバールが傭兵を主体で使わず、持ち前の戦力──即ち武門主体で行動しているのは幸いとも言えるだろう。仮に彼等が傭兵主体の用兵であったなら、今の様な状況に追い込まれた時、クルツェスカには手の打ち様が無かった可能性もあるのだ。雇うべく傭兵もなく、一部貴族の揃えた手勢と憲兵だけで対応せねばならず、そこに武門まで加わってくる。狼藉を働く傭兵と、単純に戦術的には何歩も先を行く、セノールの武門。アゥルトゥラにとっては史上最悪の敵である。
「だろうな、兵站を持ち合わせない者達が武器と戦の術を持ったなら、次にやる事は掠奪だ。占領するだけの知恵、能力はない。ただただ荒らされる」
 何時の間にか煙管を取り出し、刻み煙草を詰め込んでいた。雇い主を失った傭兵の狼藉の果て、食料は勿論、今ジャリルファハドが手にしている様な、ちょっとした嗜好品まで失い、最後には人を失う事となるだろう。
「……そういう意味では、我々の様な武門を形成するのもアゥルトゥラには選択の一つやも知れん」
 戦争のプロフェッショナル、それがセノールの武門である。武門に属する、五家門が収める土地から募兵し、それらを錬成。家門に属する者が、兵を率い戦争に備える。もう千年近くもセノールはそうして来た、アゥルトゥラの貴族とて元々はそうだったのだろうが、平和に座す内にそういった文化は薄れ、牙を失ってしまったのだ。
「セノールか、東から顧問を呼ばなくちゃいけませんね」
「馬鹿を言え、戦闘教義など他国の人間に漏らすものか」
 戦闘教義、という言葉にガウェスは首を傾げた。それは彼等セノールが掲げる用兵の術である。それは即ち、兵の運用思想。傭兵の運用を主流としたアゥルトゥラ西側では、考える者の少ない事柄である。数を揃えろ、兵器を揃えろ、糧食を揃えろ、ただただこれしかない。
「……今こうして、我々が顔を合わせるのは利害が一致しているだけの事だ。アサドが負けの見えている戦をしようとしていなかったら、俺はお前の敵だ。都合良い様に考えるな」
 やはり、この男は復讐者なのかも知れない。と一瞬、ガウェスの脳裏を過ぎる。目の前にある障害を取り除き、暫しの沈黙の後に流血を齎す、そう思えて仕方がない。血の歴史は連綿と続く、というフレーズが頭の中を反復し、未来が暗くも見えた。手が剣に伸び、柄が指先に触れる。
「変な気を起すなよ、また此処で斬り合うか?」
 今、此処でジャリルファハドを討てば、確かに未来の不安要素は潰えるだろう。しかし、もっと近い目先の未来にある脅威を取り除く事は出来ない。彼が未来、アゥルトゥラに流血を齎すのは不確定だが、ジャッバールがアゥルトゥラを殺そうとしているのは、確定事項なのだ。であるからこそ、今こうして共闘という道を選ぼうとしている。
「……いえ」
「ハイドナー、良い事を教えよう。お前達が滅んだのは、お前のその直情さが原因だ。前だけではなく、後ろと左右も見ると良い。……そんなんでは再興したとて、また滅ぶ」 
 家を再興するつもりこそなかったが、確かにジャリルファハドの言う通りだろう。目の前の悪、敵、その向こう側にいる存在。そこを見ず、鼻を利かせなかったからハイドナーは滅んだ。彼を斬り捨てたなら、彼の同胞は敵ともなるだろう。即ちセノール全てが敵となる。少し妖しく見えるが、あの穏やかなアースラとて敵として立ちはだかるだろう。ふと、首から吊り下げた懐炉を見遣る。未だ、温もりを発しており、彼女から発せられた"お大事に"という言葉が脳裏を過ぎる。ジャリルファハドの言葉は少なく、時折棘があるが、彼女と同じく気を遣っての事なのやも知れない。人から教わるよりも、自分で学び、作る。ただ走るだけでなく、周りを見る。当然と言えば当然。彼の言葉を好意的に解釈したなら、そう言っている様に思えるのだ。
「……すみませんね」
「謝るな、些事だ些事」
 やはり気にしていないらしく、ジャリルファハドは煙管に口を付けたまま静かに笑っていた。言葉尻に刺激されない方が良い、とガウェスは大きく溜息を吐きながら、自身へと言い聞かせる。そして、ふと一つの事を思い出したのだ。
「そういえば、ニザーフって知ってますか?」
「あぁ、七百年ばかり昔に存在した第六の武門だ。……カランツェンだろう?」
「えぇ……彼も此処に呼べば良かった、絡め手の名手ですよ」
 強引なくせに、変なところで賢しい。言葉数も少なければ、誤解を招く様な事をしたり、言ったりと生き難い人間だ。言うなれば荒っぽいジャリルファハド、と言った所だろうか。彼もまた、クルツェスカ防衛に於いては主軸を担うのだから、顔合わせも予ねて、此処に呼ぶべきだったとガウェスには思えたのだ。
「俺はそんな賢しい奴は好かん、お前ぐらいの阿呆で良い」
「どういう意味ですか、それ」
「どうって、その通りの意味だ」
 他愛もない言葉を交わせば、時間が少しずつ過ぎて行く。冗談を本気になって返して来るのが、セノールだと思っていたが、その実、気心が知れて来ると、仕様もない下らない話にも乗り、冗談を言い返してくる。希薄な人間らしさが、垣間見えていたが、ふとジャリルファハドは廊下の方を睨んで、口を閉ざしてしまった。獣の皮を被ったのか、表情は薄く、視線を外そうとしない。
 廊下から扉の呻き声が聞こえ、それは僅かな冷気を伴う。何やらアグラスと言葉を交わしている様だが、扉を隔てているためか、上手くは聞こえない。"例のセノール"や"ガウェス"という言葉が僅か、耳に届く事から待っているという事だけを伝えている様だ。
「帰って来た様だな」
 奔放当主、と口から飛び出そうになったが、ガウェスはそれを飲み込んで、ぐっと堪えた。どうせ女の所にでも居たのだろう。そんな人間だ、という事を知られてしまっては、ジャリルファハドがどんな反応をするか分からず、悪い心証を持つ可能性もあった。
「すまない、待たせたらしい」
「……いえ、気にしないで下さい。これから厄介事の片棒を担ってもらいますから」
 やはりか、と言いたげにランバートは溜息を吐いた。長椅子に座ったまま、煙管を咥えているジャリルファハドを見て、何事かと思った様ではあるが、問う訳でもなく向かい合う様に椅子へと腰を下ろした。
「で、何だ? というか、此処で斬り合った顔二つってのが、本当に嫌な予感しかしない」
「察しが良い様で何よりだ」
「単刀直入に言いますと、傭兵を募って欲しいんです。どんな奴でも構わないので」
 ガウェスの言葉に、再びランバートは溜息を吐く。即ちジャッバールとの対峙を意味し、この叛意を知られては滅びるしかない状況となる。兵を募るのは、リスクしかない。
「……要求を呑まねば、俺からジャッバールへと、お前の叛意を伝えよう」
 ぼそりと呟いた言葉であったが、その内容はとんでもない話であり、二人はほぼ同時にジャリルファハドを見遣る。ガウェスからしたら、ランバートを無理矢理頷かせるための後押しであり、ランバートからしたら、拒否が不可能な恫喝である。
 何故、今この時機に兵を募る必要があるのか、という説明は無く、同時にジャリルファハドの立ち居地もよく分からない。不確定過ぎる要素が多く、仮にガウェスがメイ・リエリス方に組しているとしても、彼等の様な古い貴族と、新興貴族でありながら古いやり方に則る"成り上がり"達が、此方を頼るとも考え難い。ソーニアの護衛として、立ち振る舞うジャリルファハドがメイ・リエリス方に組み込まれて居るとは思えず、思考が追いつかない。
「待て……待て、どういう事だ。そもそも何で兵が必要なんだ、それにお前、お前だ。ジャリルファハド、何をしようとしてるんだ?」
 問えどジャリルファハドは何も語らず、代わりにガウェスが口を開く。
「近々、メイ・リエリス、ナヴァロ、シューミット、そしてカランツェン主導でジャッバールに対する反攻を行います。……南から北へと追い込み、追い込んだ先でバシラアサドを討ち取る。その折、北で迎え撃つ伏兵が欲しい。……仮にボリーシェゴルノスクへ、彼等が逃げ遂せた場合の追撃としても、ですね」
 戦運びがガウェスの言う通りになるか、分からない。全力でジャッバールを叩き出したとしても、それがそもそも上手く行くかも分からない。であるからこそ、傭兵を募り備えておく必要があるのだ。
「ナヴァロで雇えば良いじゃないか、俺は関わりたくない」
「……自分の国、住まう都すら守らず、争いを忌諱するか。貴族など辞めてしまえ、その血も絶やすと良い、大凡生きるに値しない。価値がない」
 臆病者に価値はない、と彪が口角を吊り上げて嗤っていた。彼からしてみたら、アゥルトゥラの貴族というのは戦争の為の道具、暴力の化身である。それは事実であり、本来の在り方。今の貴族の在り方の方が、間違っているのだ。
「もう一遍言ってみろ、セノール」
「無価値だ、国も都も守れんなら」
 商いなど民に任せたら良い、血を流さずして何の価値があるというのか、と誹る。何のための貴族だ、と。獅子が目を光らせ、生きながら死んでいる状態、身動きを取ろうにも取れない。そんな状態だという事を知ってか、知らずか。だとしてもその様な発言に引き下がる訳にはいかなかった。
「……俺達はクルツェスカに"根差しているだけ"だ。外敵を打ち払うべく、命を懸けて血を流す理由がない」
「そうか、では我々に攻め滅ぼされ、その首を──いや、臆病者の首など晒しても恥だ、犬に食わせるのが妥当かね」
 売り言葉に買い言葉とはこの事だろう。ジャリルファハドの傍ら、口を閉ざしランバートの様子を見続けるガウェスの内心は穏やかでなかった。争いの場に引き出し、兵を募らせようと仕掛けているのだろうが、自尊心を傷つけた所で出払ってくる様な人物ではない。
「ランバート……根差しているだけ、封ぜられているだけだとしても、都を守らなければならないでしょう。……我々が利権に座している間、セノール、アゥルトゥラ共に戦備を整えてきた。置いて行かれたのは我々。……ただ、座していたとしても死ぬだけですよ」
 ガウェスの言う通りだろう。ナヴァロやカランツェンの様に、血腥い道を歩んで来た訳でもない。メイ・リエリスの様に政治に関わり、貧しくとも矜持を示し続けた訳でもない。シューミットの様に軍政に乗り出した訳ではない。自分達がして来た事は傭兵を戦場に送り出し、金を稼ぐだけ。商人に飼われ、騎士ごっこをして来ただけ。それを誰が有事に於いて、守ろうというのか。有事に必要なのは守られる弱者ではなく、共に戦う兵、勇者である。
「……今の状況を知ってるだろう? 金の出納をジャッバールに抑えられ、監視の目は厳しい。そんな状態で叛意を悟られたら……終いだ」
「であるからこそ我々が居る。……仮にサチの兵等に叛意が見られたなら、我々が叛意を見せたなら、ジャッバールとてただでは居られない。クルツェスカを睨むルフェンスの様に、ひたすら邪魔な存在となるだろう」
 ガウェスの傍ら、ジャリルファハドは今まで見せた事がない程に笑っている様に見えた。その横顔に知恵を授ける蛇を感じ、思わず目を見開いた。背を押し、悪事を冒せと囁く。そこには砂漠の武人らしからぬ、賢しい悪魔が居る様に思えるのだ。
「……何が言いたい?」
「だからこそ、戦をするなら今ではないか、と。どうせ、座っていても死ぬ。死んだ様に生きて、腐って死ぬ。ならば──」
 抗い、名を上げるべきではないか、と囁くのだ。伝えたい事は恐らくはそれだけではない。今、流血を選べば汚名を雪ぎ、クルツェスカ内での出遅れを挽回する事も出来るだろう。そして、本来の貴族としての在り方を示す機会だと暗に語っているのだ。
「ハイドナーを旗印とし、メイ・リエリスと共同でジャッバールを囲めば良いではないか。その折には我々ガリプも馳せ参じよう」
「……信用ならないな。第一ガリプとジャッバールが対立して、何の得がある?」
 ランバートの問いに心底がっかりした様に、ジャリルファハドは溜息を吐いた。先まで咥えていた煙管を灰皿に軽く叩き付け、口を開く。
「此処まで言わねば分からんかね。我々の血と死を以てして、アゥルトゥラとの全面戦争を回避するのだ。我々ガリプ以下三武門は、その為の捨石となろう。良いか、キールの。我々の兵を雇え、金は要らん。俺を雇えば、ガリプ二万の兵はお前達と共にある」
 二人の男は目を丸くし、驚いた様子で彪を見遣る。彼の発言は謂わば"身売り"である。そして、金の出納を察知されぬ様に兵を募るやり口であった。アゥルトゥラの旗を持ったセノール。ジャッバールからしてみたら、姦計であり非常に手痛い搦め手である。
「我々は戦争を回避出来る、傍から見たら仲間割れだ。そしてお前達はジャッバールをクルツェスカから叩き出した功労者。メイ・リエリスからしたら同盟だ。……どうだね?」
 再興とて、容易いだろう。とジャリファハドは続けた。セノールに支配されたクルツェスカを、武働きで取り戻したアゥルトゥラは居ない。歴史にまで名を残す事となるだろう。そして、彼の発案は全てを正当化出来るのだ。強いて言うならば事を仕掛けたガリプ等が、セノール領内で誹られるだけ。アゥルトゥラに一つも悪い事はない。
「酷い話だ、同族の情すらないのか?」
「……そうだな、アサドやジャッバール首脳の身柄は我々が貰おう。首は愚か、血の一滴すらお前達にはくれてやらん」
 暗に情がない訳ではない、と発している様にも思えた。ゆっくりとした語り口から、酷い執着が感じられる。それが得体の知れない、薄気味の悪さを醸す。今まで何を考えているか分からない人物だったが、それがこれ程まで悪く働いた事はないだろう。
「まだ、答えは出ないか?」
 ただ武働きをするだけではない、万能の将が笑い、問い掛ける。既に夜は更けに更け、夜半など疾うに過ぎた。鶏鳴を越え、平坦へと向かおうとしているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.207 )
日時: 2019/03/18 03:21
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

「食えない男だ、本当に」 
 それは誰に対してのボヤきか。己か、彼か。ただ、彼の口調には非難も落胆もなく、戸惑いと迷いがあった。彼はソファーに腰かけたまま身体をグンと伸ばし、一気に身体を元に戻した。その時に背骨からゴキゴキと嫌な音を立てたのは聞き間違いではあるまい。「はぁ」と息をついて背中をさすっている姿を見ると本当に二十代かと思わず疑問を呈することも致し方なしか。ここで身体を大切にしろと気遣いの一言でもあれば、この場の雰囲気は変わったのだろうが、要らぬ言を吐くために口を開くことを憚られ、ガウェスは無言を貫く。
「アグラス」
と、ランバートが背後にある扉を見遣れば、先ほど二人を案内した男が再び入ってくる。ガウェスの方を一瞥したが、互いの視線がぶつかり合うとすぐに逸らされてしまった。ペンとインクと一枚の書類をテーブルの上に置くとさっさと応接間を後にしてしまう。礼の一つもない無礼な態度にランバートから苦笑いが洩れる。
「悪いな。朝弱いんだ、うちの弟は」
「えっと、最初に案内されたときからあんな調子でしたから……」
「あー、それはすまなかった。後で言い聞かせておこう」
 ガウェスからすれば、飄々としている彼が弟に対して、どのような説教を行うか気になる次第ではあったが、詳細を訊く暇はないだろう。猶予は短く、出来るならば太陽が完全に昇りきるまでにはハイドナー邸を後にしたい。焦りを出さない様に注力するが、代わりに指先が一定のリズムで膝を叩き始める。目敏いランバートがそれで何を思ったのか、表情から読み取れなかった。ただ、頭を数度掻くとペンを手に取り、幾分か険しい顔で署名すると今度はソレをジャリルファハドへと渡す。内容は雇い入れの同意と誓約で、書面の文字は機械に任せた様にズレもなく整い、神経質な性格をしている者の文字である。誰が書いたのかは明白だった。
「今の間に書いたのか?」
「いんや、元々残ったのを持ってきたんだろうさ。俺はそういうの苦手だからな、書類関係はアグラスに任せている」
「無責任な」という呟きをランバートは聞き逃さなかった。ただ、怒りもせずに二人の事を交互に見比べ、薄笑いを張り付けるのだった。
「一人で全部しょいこもうとするから壊れるんだぜ、兄弟」


一人残った応接間。長椅子に寝そべりながらランバートはクリーム色の天井を見上げていた。厄介な事になったと思うと同時にどこかホッとしている自分がいることに気がついた。
「軽率だな。兄よ」
 顔を横にすれば厳めしい顔をした弟が一人、ランバートの方向に歩いてやってくる。
「あのセノールが約束を守るか分からんぞ」
「要求を蹴れば新聞の一面を飾ることになっただろうな。燃えた屋敷の写真付きで」
「ただの脅しだ」
「本当にそう思うか?」
 ランバートはジャリルファハドという男を図りかねていた。ガウェスのように愚直でもなければ、底が浅い男でもない。彼の言葉のどこまでが真でどこまでが偽りか。仮にさきの脅しが本当であったとしても、ガウェスが止めてくれるやもしれんとは一瞬考えた。しかし、ジャリルファハドと一緒に行動している意味を考えた時にその可能性を消した。
「悲観的になるな。上手くいけばハイドナーは復活する。悪くないだろ。今まで通りの生活に戻れるのならば」
「立て直しなど眼中にもない男が何を言う」
「眼中にもなくはないぞ。可能ならば再興くらいの認識はしているさ。何にしても今は彼らを信頼するしかないんだ」
ランバートは前髪の毛先を指に巻きつけて弄んでいる。癖の強く、巻き付けている最中にスルスルと外れる。未だに楽観視しているように見える兄の姿は、アグラスからすれば、だらしなく、また情けなく、思わず辛辣な言葉が飛び出てしまう。
「その場の快楽に身を沈めるばかり思っていた。お前はロトス公に似て破滅的な部分がある」
「おいおいあんな男と同じにしないでくれ。彼と違って善悪はわきまえているんだ俺は」
「そう言って婚約者がいる女性を寝取って破談にさせたのはどこのどいつだ」
「あぁ、セリーヌ嬢の件か。あれは申し訳ないことをしてしまった」
 忘れもしないと白い歯をのぞかせてランバートは笑う。四年前に出会った齢十六の少女。あまり上手に手入れされていないこげ茶色の髪と同じ色をした瞳が印象的で、鼻の上にあるソバカスが彼女をより一層幼く見せた。また、ダンスの際の不慣れな足さばきも愛おしく、垢ぬけきらない芋臭さと素朴さが着飾った女ばかりを相手にしてきたランバートにとって新鮮だった。
「よく言う。彼女に婚約者がいると知っていたのだろう」
「彼女から俺を求めた。それを無下にする方が失礼だろう?」
「寝取られた男の気持ちを考えたことはあるのかね」
「男の気持ちを汲む必要がどこにある?」
 自分本位な一言にアグラスは切れ長の目を更に細めてランバートを睨みつけた。
「そこまで言うのならばセノールの言葉にのらないでほしかったがね、ランバート」
 反論をせず、逃げるように瞳を閉じた彼に僅かな苛立ちを覚えながらも感情を抑え込む。パッと見ると平静を保っているように見えるが、深い付き合いがあるならば、ヒクヒクと動く口角など、本来の感情を隠していることに気づくだろう。そして、兄はそのことに目敏くも気づき、何も言わなかった。一旦受け入れることを選んだのだ。
「ガウェスもガウェスだ。セノールと共に行動しているだと。我々に生きていると一報もせずに」
「言えぬ事情があったんだろうさ。それに、教えられたとしても俺達にしてやれることは何も無かっただろう」
 お前は何かしてやれたか?という疑問が孕んだ口調にアグラスは押し黙ってしまう。ランバートと同じ色をした海の底を切り取ったような深い青色の瞳が戸惑い、揺れる。せいぜい匿ってやることくらいしか出来ない。無論それは何の解決にもならないのだが……。
「募兵は行うのか」
「昔みたいに酒場に張り紙でもするとでも言いたいのか。馬鹿を言うな。それをするくらいなら直接レスタを行かせる」
「土地を持たぬ強盗騎士と流れ者の野盗しかいない掃き溜めだろう、あそこは。容赦がないな」
 面白い場所があるとランバートに連れられて入ったことがあったが、散々目に遭った記憶しかない。アルコールをただ薄めただけの酒に腹の足しにも酒の肴にもならない食事。鼓膜を破らんとする喧騒と怒号。鼻をツンと刺激する嘔吐物の匂い。胸を押し付け、猫撫で声ですり寄ってくる娼婦と平然と殴り合い、それを止めようとしない店主。地獄の様な民度に眩暈を覚え、また、そんな場所を楽しいと思えるランバートの感性が恐ろしく思えた。
「一番下は一番苦労をするものだ。どんな兄を持とうとも」
「吐瀉物と痣にまみれて帰って来るだろうな」
「その時は兄二人で慰めてやろうじゃないか」
 苦虫を噛み潰したような顔がランバートの笑いのツボを押さえたらしい。声を我慢することなくカラカラと笑う長兄にアグラスは元々刻まれていた皺を更に深くした。
「そもそもお前がもっとガウェスを見張っていればあんなことにはならなかった。上手く行けば他の連中と同じように他所へ逃げることすらできたはずだったんだ。それなのに貴様が関わるから我々はこんなにも困窮している」
「遅かれ早かれいずれハイドナーはこうなっていただろうさ」
 ひどく乾いた感性にアグラスは目を吊り上げたが、彼を罵ることはなかった。言っても意味はないと達観視した時、言いたいことも激情も萎み、空っぽになった心を抱くことになった。
「一度風呂に入れ。女物の香水の匂いで鼻が曲がりそうだ」
「意外だな。怒らないのか」
「怒ってほしいのか」
「そんな、まさか!」
 それを最後にこの会話は打ち切られた。アグラスは部屋を出ていき、ランバートは再び寝ころび上を見た。だが、先程とは違い瞼が重いのは現実逃避の表れか、はたまた単に疲労が蓄積しただけか。どちらにしても彼がやることは一つだった。あと一時間もすれば真面目なアグラスが様子を見に戻ってくる。その時が来るまで、だらしがない長兄は、背徳的な惰眠をむさぼるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.208 )
日時: 2019/03/31 22:12
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 顔を覆い隠す布の下、ガウェスは大きく欠伸をしていた。陽は顔を覗かせ始め、その存在を寒風、風雪の裏から主張している。
 酷い吹雪だ、道行く者は往々にして外套を凍らせ、顔をどうにか隠そうとしている。目の前を歩くセノールだけは別で、彼はもうどうしようもないと開き直った様に、凍て付いた道をふらふらと歩いている。宛ら狂い踊る案山子の様だ。それも悪さを働けば、刀を抜いて大暴れする化け案山子だ。危うい均衡を保ちながら、彼はふらふらと歩む。先程、結ばれた関係を体現している様にも思えた。
 仮にアゥルトゥラ側からガリプの用兵に注文を付けよう物なら、全く相手にされない所か、そこで連携は崩れる事だろう。何故ならキールやハイドナーが兵を率いるよりも、戦争の為の武器であるガリプが兵を率いた方が、より優れた戦術を用い、より戦果を叩き出すからだ。態々、自分よりも戦働きに劣る存在の注文を聞く必要はない。金は要らない、という文言はそれを押し通す為の言葉だったのだろう。であるからして、結局キールは自前の兵士を用意する必要が出て来る。だが、屋敷にガリプの兵士が屯していたなら、ジャッバールとて迂闊に手出しは出来ない。
「……そうだな、上手く行くかは五分五分と言った所だ」
 ふと、一人ごちる様にジャリルファハドが呟いた。企みが上手く行くか、という事だろう。それはやってみなければ分からないという旨の発言なのか、不確定要素があるからの事なのか、ガウェスには分からず、歩調を早め、先を歩むジャリルファハドの隣に並ぶ。
「……やはり博打ですか?」
「博打も何も、お前達が俺達に不当に干渉してきたら、アサド達が思ったよりも強かったら、我々の旗色が悪くなったら。これのどれか一つでもあったら、この話は御破算だ。俺達はジャッバールへと鞍替えする。……傭兵の忠誠は金で買う物だろう?」
 何もかも成るべくして成る。そう言いたげだった。ジャリルファハドの本懐は戦働きである。目の前の状況から、最適な手を選ぶ目はあったとしても、大局を見据える目は持っていない。皮肉な事にそういった目はフェベスや、バシラアサドが持つ目である。邪まな緑眼、獰猛な碧眼がそれだ。
「……ランバートには釘を刺して置きます。ガリプの手綱を握ろうとするな、って」
「勿論、お前達の用兵も試される。……俺達の速さもな」
 アゥルトゥラは終始、ジャッバールに対し有利に立ち回り、ジャッバールとクルツェスカの勢力が衝突する寸前、その隙間にガリプ等が入り込む。そんな状況、戦の知恵がない者であったとしても、酷く厳しい状況に思えるだろう。
 ふと、寒風が吹き荒ぶ。そんな事、上手く行く訳がないだろうと嘲笑う様に、二人へと向かい合う様にして吹き荒ぶ。ジャリルファハドは一瞬だけ身動ぎをしたが、それでも歩を止める訳でもなく、ただただ風に向かって行った。障害など些事であると言いたげに、ただただ歩き進めていく。気後れする様に幾分、身長の低い彼の背を追う。
「兵士の率い方など……」
「そんなものお前が臆せず決断し、声を張れば良いだけだ。進め、撃て、殺せとな。……指揮官が腹を括らねば、士気は下がる。兵は逃げる。なに戦とは上手く行かねば死ぬだけだ」
「そうも行かないでしょう、死ぬだけだなどと……」
「……今更、命が惜しいか? 良いか、持つべき者であったなら、名と血のために死ね、それは恥ずべく事ではない」
 誰もその死を誹らない、と語る。ガウェスは漸く理解した。砂漠の隣人達はそもそも生死観が違うと。歳若いアースラとて、自分の血と死を以てして──などと発言していた。ジャッバールの兵等もカンクェノに潜り、幾人かはレゥノーラとの戦闘で死亡しているが、彼等は逃走しながらも出来うる限りの戦闘を継続していた。そもそも、生物としての種が異なるのではないか、とまで思えてくる。
「何故なら我々をこの地獄に落とした、お前達の祖先がそうだったからだ。……そういった者達と戦うに辺り、臆し退かば、それは即ち敗北、無意味な死を意味する。……いい加減、作られた作法など、かなぐり捨て牙を研ぎ直せハイドナー。戦場では無意味だ」
 目を覚ませ、本来あるべくアゥルトゥラ貴族の姿に戻れ、と諭されているかの様だった。好戦的なナヴァロや軍議となれば頭の働くシューミット、その後ろで戦備を整えてきたメイ・リエリス。そして、貴族ではないが彼等と共に駆けずり回るカランツェン。彼等は牙を研ぎ終え、漸く暗い喰らい闇の奥底から這いずり出てきた。闇を経て、本来の"獣"の姿に戻ったかの様だ。だが、しかし──。
「今更、生き方は捨てられません。……暴力の化身になど」
「死んだ様に生きるのはいい加減止せ。何を引き摺っているか知らんが、もう忘れろ。この戦が終われば、お前を縛る物は消える──」
 喉元まで、ふと言い慣れた言葉が出掛けていた。何度か口走り、その都度怪訝な表情をされた言葉だ。まさか、言えまい。何者でもなく成れる、などと。好きに生きて、好きに死ね、などと。
「……ジャリルファハド?」
「忘れろ、アゥルトゥラの言葉は言い慣れん。詰まってしまった」
 取り繕う様な素振り、何かを誤魔化されていると思いこそしたが、それを問う様な事はしなかった。いや、問う気がしなかった、というべきが正しいのだろうか。その言葉を聞けば、箍が外れてしまいそうな気がして仕方がなかったのだ。
「半年以上も此処に居るのにですか?」
 少し意地の悪い事を言ってみると、彼は振り向き、じっと睨み付けてくる。察せと言わんばかりのそれに思わず苦笑いを浮かべざる得ず、間を取り繕う様に次の言葉を吐く。
「……バシラアサドとはどういった関係で?」
「昔、あいつの護衛をしていた。……砂漠から出て行く直前までな。当時は家督を継ぐ訳でない人間だったが、ジャッバールの息女ともなれば、その身を狙う者も多い。俺は奴の矛であり、盾だった。昔、子供の頃からそう在れとして育てられてきた」
 であれば、何故今の様な仲違いをし、半ば敵対関係とも思えるような立ち位置に居るのか。ガリプがジャッバールに協力し、ラシードを巻き込めばそれだけで彼女が成そうとしている"東伐"は成功するだろう。何ならこのクルツェスカを一夜で落とす事も可能なはずだ。だが、問うのが憚られる。そして、同時に彼が勝手に語る様にガウェスには思えた。
「あいつは──嘗ての守るべく友だ。……であるからこそ犯した罪を雪ぎ、再びセノールと共に歩んで貰いたい。ただ、それだけだ」
 ガウェスが蹴り飛ばした氷ががらがらと転がって、見えなくなってしまった。行ってしまった。その背を見送る事も敵わず、外から加えられた力で元居た場所から消え去ってしまった。ジャリルファハドはそれを足を止めて見ていた。蛇に唆され、砂漠から去ってしまった獅子と重なって仕方がないのだ。
「……だから、血の一滴すら譲らないと」
「そうだ。あいつはお前からしたら仇だろうが、もし。……もしな、お前があいつに刃を向けたら、銃口を向けたら。その時は──」
 大きく溜息を吐き、大きく呼吸を一つ。一点を見据える、その灰色の瞳に迷いなど全くなく見えた。
「お前という個を散々に甚振って殺してやる。そしたら次はキールだ、あいつ等も殺して回ってやる。ありとあらゆるアゥルトゥラを殺して回ってやる」
 遂に彪が吐き出した呪詛、それにはっと息を呑みガウェスは小さく頷いた。斬り合った時とは異なる、その雰囲気は今まで感じた事がない物だ。彼の吐く言葉こそ、底の浅さを露呈していたが、それでありながら底知れない不気味さに、腹の中で得体の知れない感情が渦巻くのだった。
 



 二人の間には沈黙が流れていた。何時の間にか寒風は鳴りを潜め、街を行く人々の喧騒が辺りを制す。大路に合流する様に多数の小路が、存在しそこを抜け道の様にして人々は街の動線を確保しているのだが、幾らか人々が通行を憚っている様な道も見える。
 そんな小路の一つを横目で見遣れば、随分とやつれた仄暗い横丁がぽっかりと口を開いていた。だというのに、その入り口には人垣が築かれ、憲兵達が引っ切り無しに出入りしている。
「……何でしょう?」
 人垣の後ろに付き、少しだけガウェスは背伸びをしていた。何事かと気になるのだろう。また殺しでも起きたのか、それとも何らかの諍いでも起きたのだろうか。幾分、背の低いジャリルファハドは背伸びしたとしても、見えないためか少し離れた所で歩を止め、大路に目を光らせていた。ジャッバールの手勢が銃器を携え、廓へと向かう姿が見えたからだ。目が合い、手を上げたなら彼等は何か話しかけて来る訳でもなく、同じ様な反応をして、そそくさと行ってしまった。
 ガウェスの視線の先、そこには人気の消えた廃屋があった。夏頃、大勢の貧民が死んだ事により誰も管理せず、手付かずとなった場所の一つである。そして、その廃屋を前に憲兵達は小銃や、斧、鉄槍と行った得物を携え、首を傾げているのだ。彼等の眼前にある、廃屋の窓には肉の塊の様な物がべったりと張り付き、脈を打っていた。どくどくと蠢く、その肉塊は生きている様で、この世の物とは思えない代物である。
「何があった」
「……さぁ、分かりません。ただ、おかしな物が」
「そうか」
 廃屋の窓という窓に肉塊がへばりつき、脈を打っている。薄く白い皮の中、時折赤い何かが走る。見た事がない奇妙な存在に、ガウェスは言い様のない不安感を覚え、固唾を呑み込んだ。ジャリルファハドは関心がない様で、さっさと帰れと言わんばかりに刀の柄に手を掛け、僅かに抜いては収めを繰り返し、鞘と鍔を引っ切り無しにぶつけている。
「そんなものどうでも良いだろう……さっさと帰れ」
 戒める様な口調と声色で言い放った後、ジャリルファハドは大路を見遣る。それに釣られる様に視線を向けると、確かにジャッバール兵の背中がそこにあり、長居は危険だという事が分かる。バッヒアナミルからの報告が上がっている可能性こそあるが、それでも不用意に居場所を知らせたり、見られてしまうのは悪手でしかない。まだ、あの小路の様子が気になりこそしたが、小さく頷いて帰路を急ぐ事としたのだ。報告をフェベスが待っているだろう。

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