複雑・ファジー小説

[リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す
日時: 2018/11/20 21:30
名前: にっか ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

無限の廓にて、大欲に溺す

開始日:2016/8/22(8/21 15:00スレ立ち上げ、創作解禁)

参加者一覧
・にっか(文字化けするためNIKKAと名乗ってます)
・ポテト侍
・霧島
 以上3名。敬称略。

設定については、次レスに張るURLから確認願います。

なお、コメント等は差し控えて下さい。

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Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.183 )
日時: 2018/10/31 23:00
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暖炉の炎が熱を放ち、時折、薪が爆ぜる様な音が聞こえて来る。部屋には三人居るというのに、誰一人として言葉を発する事もない。カルヴィンは椅子に座り込み、刀を抜いてはそれを眺めている。エストールといえば、相変わらず地図を睨み、兵棋を詰まんでは、地図上に置き、時折首を傾げている。ボリーシェゴルノスクに対する攻勢、特に橋頭堡の確保に頭を悩ませているのだろう。防壁はなく、大軍で包囲したならば四半日と掛からず、陥落する脆弱な都市構造であるが、問題は運河の存在である。反逆者と異民族の逃走経路を早急に潰し、その経路の始点を橋頭堡にしなければならないのだ。その為には、クルツェスカを発ち、運河から上陸する必要があるが、その為の船が不足しているのだ。
「ボリーシェゴルノスクを落とすなら、大軍で囲うのが一番なんですけど……我々は寡兵ですし、第一にクルツェスカの本軍を二分する訳にはいけないんですよねぇ。カルヴィン、何か良いやり方ありますか?」
「そう考えすぎるな。あの場所の攻略は、まず我々の死に意義を持たせる事にある。……真っ向から叩くだけさ、無策で構わんよ」
 相変わらず抜き身の刀を眺めたまま、カルヴィンはそう淡々と言って見せた。腹の中に飼った敵意を生かし、得物を振るえば争いが産まれ、死を齎す。故にカルヴィンは無策を是とする。これに大義がなければ、輩を率いての心中でしかない。しかし、傍で聞くガウェスは、それを戒めるような言葉を吐く様子もなく、黙って窓から外を眺めていた。
 白い魔物が辺りを凍て付かせ、白く染め上げている。凍り付いた都は分厚い氷に覆われ、春など永遠来ないようにも感じられた。だというのに、相変わらず人の群れは途絶えず、彼等は吹き荒ぶ寒風に吹かれ続けている。ある者は馬を引き、ある者は荷を背負って歩む。やはり、その内の幾人かは滑って体勢を崩したり、時折引っ繰り返るようにして転んでいる。
「策など要りませんか? だとしたら、やっぱりラノトールの血ですね」
「……彼の方が余程、策を講じていただろうさ」
 ぽつりとカルヴィンが言い放つ。お前の方が詳しいだろう、とガウェスを横目で見遣りながら。
「馬車に板貼って、円陣を組んだら、進路を制限して槍で小突いたり、石を投げたり。落馬したら引き込んで組み討ち。彼方此方に落とし穴、底には杭。生け捕りにしたと思ったら、腹を裂いて十字架に上げて、士気を挫く。やってる事はセノールと似てましたが、まぁ彼は西伐の英雄ですから、彼等のやり方をよく知っていたんでしょうね。……騎士殺しのラノトール、今でも通用しますよ。銃や、大砲を与えたら大喜びです」
 五世紀も昔、今と同じようにハイドナーは、山吹の戦いでカランツェンの者達に煮え湯を飲まされていた。最終的には物量で押し切ったが、傷を負った本家筋の者達は全て死に絶え、血が途絶える所まで行ったのだ。既に名を失いこそしたものの、ガウェスを巻き込み、流血を齎そうとしているのもラノトールの怨嗟が未だ残り、泣き面に蜂といった具合にとどめを刺そうとしている様に思える。
「何、ただでは済まさぬ傷を負わせるだけさ」
 抜き身のままの切っ先をガウェスに向け、カルヴィンは笑っていた。これから彼や、彼の輩。そして彼の主であるフェベスが残す傷跡は深く、中々癒えないものとなるだろう。ジャッバールを排斥し、北へ逃げたならば逃避先ごと滅ぼすというのだから、アゥルトゥラ西部の防衛事情も大きく変わってくるに違いない。
「時代が時代ならアゥルトゥラ王家からしたら奸臣でしょう、フェベスって。……まぁ、俺達もフェベスからしたら奸臣かも知れませんけど」
「利害が一致したからさ、俺は報復。お前はそもそも家がリエリスの盟友。レーナルツは出世。コイツは汚名を雪ぎたい。……忠臣なんて存在しないさ」
 そう語って見せたカルヴィンは大きく溜息を吐いた。我々は浅ましい群れでしかないと。そんな彼を見据え、兵棋を手で弄びながら、エストールは笑って見せる。フェベスがクルツェスカを意地でも守り、民も周辺都市も、手段も顧みないという方針を取る中、その様に振る舞い自身の命を簡単に賭す者が奸臣ならば、真なる忠臣は何処にも存在しない。それにカルヴィンは気が付いていないのだ、動機などともかくフェベスに仕えている以上、彼の企みを成そうとするのは忠臣の証である。
「皆、腹に何か飼っているものですよ。ねぇ、ガウェス」
「……えぇ、そうですね」
 エストールは話の流れで、そう問うただけであったが祖先の行い、西伐時の行いを誹られたかと思い、彼は視線を逸らしながら頷いて見せた。ザヴィアに反旗を翻した奸臣、血を流し闘争を是とするアゥルトゥラ貴族にあるまじき立ち振る舞いは、未だに尾を引く。
「腹の化物はその内に悪魔になる。……エストール、見ただろう? あのバシラアサドを。あれでは地獄の長だ。何も恐れず、ただひたすらに暴力を振るう。戦に生き、死ぬ事のない化物だ。……人間あの様になっては終わりだ」
「狂った獅子は剥製にしなきゃいけませんからねぇ」
 指先で弄んでいた兵棋を机に叩き付け、エストールは再び笑ってみせる。先ほどまでの青白い顔は何時の間にか、血の気を取り戻し、目はぎらぎらと輝いて見えた。彼もまた闘争を是とするアゥルトゥラ貴族の一人であるのだ。
「ガウェス、首を取りたいだろう?」
 また、カルヴィンは笑い声を上げていた。酒を飲んだりしていた訳でもなく、彼は素面である。時折、豪快に笑ってみせるその様子は、宛ら豪傑といった様で確かにラノトールの血はまだそこに生きているとガウェスは感じる。
「女の細首、捻じ切るくらい簡単でしょう? その身体ですし」
「お前はもう少し鍛えろ、頭の"体操"ばかりしてるから、ひ弱なんだ」
「健全な精神は健全な肉体に宿れかし、って奴ですか? ……ぐうの音も出ませんね」
 シューミットの長子であるエストールが心臓を患っているのは、昔から聞いた話である。武闘派貴族達と縁が薄く、彼等の力関係に疎いガウェスとて聞いていた話である。カルヴィンの様に激しい鍛錬を積んだ訳でもなく、武器を振るう様な事も数える程しかない。そんな不健全な身体には、不健全な精神が宿る。エストールもそう思って様で苦笑いをしながら、兵棋を爪で叩いていた。カルヴィンやレーナルツを見ていると、そんな事はないと思うも、その通りの人物が一人だけ居ると思い出し、ガウェスも静かに笑い声を上げていた。



 シューミットの屋敷を発ち、再び二人は凍て付いた大路を歩む。夕刻を少し過ぎた頃、手勢を引き連れたアドルフェスが帰還し、カルヴィンやガウェスも幾らか言葉を交わした。彼と言葉を交わしている最中、カルヴィンは何を思う訳でもなかったが、ガウェスに至ってはその豪放磊落とし、粗野な言葉遣いや立ち振る舞いに驚きを覚えたのだった。
 昼間はただただ白んでいた空であったが、陽はすっかり落ちてしまったのか、空は仄暗く、夜の帳が落ちていた。クルツェスカの冬、その夜は長く、太陽は中々に重役出勤をしたがる。それでも仕事はせず、ただただ冷え続ける一方であるが。
「……これでは刀も凍る。鞘から抜けん」
 鍔と鞘の間に指を挟みながら、カルヴィンはそう語る。ガウェスが持つ剣も鞘と鍔が凍り付く可能性があり、柄を握って手首を返すとパキッと乾いた音を鳴らして、薄氷が砕け散った。
「一晩、外に居ましたら凍え死にますからね。……此処は」
「一晩も掛かるまいよ」
 歴史を顧みたならば、西部の平和を幾度となく揺るがしてきたセノールとて、冬の間に侵略行為を取る事はなかった。彼等は春に訪れ、夏に争い、秋に去る。住まうアゥルトゥラとて長々と屋外で戦い続けるのは辛く、凍死者すら出る。
「……火が恋しい限りですね」
「メイ・リエリスに燃やしてもらおうか」
 炎を操る魔術師、それも既に五世紀も昔の話。そもそも魔法に由来する物は生活に使うには、強過ぎる物であり、彼等の炎で暖を取ろうとしたならば、消し炭になるしかない。
「暖かいを通り越して、灰になりますよ。……骨まで」
「あぁ、だろうな。──止まれ」
 他愛もない会話をしながら、歩んでいたがカルヴィンの制止に止まう。二人の視線の先、外套に身を包んだ男が立ち尽くしていた。身の丈はガウェスよりも三寸ばかり低いだろう。腰に差された刀はカルヴィンが持つ物よりも、やや大振りで大きく湾曲している。人の肉を斬り、骨を絶つ。その為の刀、それに手を掛けているのだ。
 男は目を見開き、僅かに開いた口から白い息を吐く。灰色の瞳が二人を見据えていた。一歩、また一歩と歩み寄り、刀が抜かれた。真っ白な刀身は闇に映えず、曲がった棒の様にしか見えない。雪を踏み締め一歩、氷を踏み砕き二歩。長い髪が靡き三歩。吹き荒ぶ風など知った事か、隠す事もせず露となった顔にカルヴィンは見覚えがあったのか、何を語る訳でもなく刀を抜いては鞘を投げ捨てた。
 男の一太刀は速く、また重い。受け太刀をした手が痺れ、僅か腕に痛みが走ったのか、カルヴィンは顔を顰めながら蹴り返すも、身は翻され、しっかりと躱されてしまった。
「ハイドナーの亡霊、人斬りカランツェン……」
 雲の切れ間、ふと差した月の光。はっきりと男の顔が目に写る。バシラアサドの護衛であり、懐刀。名こそ聞こえど、ガウェスがその姿を──バッヒアナミルを見るのは始めてだった。彼は歳こそ若いが、恐らくセノールの中では最強の部類に属する兵だろう。シャーヒンよりも早く、ジャリルファハドよりも技巧に優れ、その二人よりも力強い。バシラアサドが獅子、ジャリルファハドが彪の名を冠しているが、彼は"虎"の名を冠す。巨大かつ強大な捕食者の名を冠す、そんな"捕食者"が白い息を吐きながら、闘争の愉悦に口元を歪め、"人斬り"を討てという獅子の命を成すべく、駆けるのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.184 )
日時: 2018/11/04 15:45
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 寒さに体を震わせてミュラは目が覚める。いつの間に寝てしまったのか。テーブルに突っ伏して寝たせいで広げられていた新聞に皺がついてしまった。日付は一週間ばかり古い。小説だけではなく、読み飛ばしていた三面記事を読み直そうと思ったのだ。体を少し起こすと、かかっていた毛布がばさりと落ちて、全身が冷水に浸かったような心地で意識が覚醒する。 
 恐らくはソーニアがかけてくれたのだろう。白い息を吐きながら落ちた毛布を再び被ると新聞を持ち、明かりを求め、窓際へと寄った。
 暖炉は既に消え、明かりらしい明かりは青白い月光が窓から降り注ぐのみである。時折吹いてくる隙間風に思わず嚔が出てしまう。鼻の下を指で擦り、砂漠とは異なる寒さに鳥肌が立つ。それでもベッドには入らず、僅かな月明かりで新聞を読み進める。その時、普段ならば目に留まらない小さな記事が気になった。タイトルにはこうあった。
「決闘についての作法について……か」

 恐らく狙いは自分なのだろうとガウェス・ハイドナーは考える。バッヒアナミルはガウェスが放った斬撃を受け止める。決して手を抜いたわけではなかった。ただ、あまりにも呆気なく止められた事実に彼は愕然とし、焦燥が胸を駆り立てる。彼に一撃を浴びせられるかと考える。
「随分と行儀が良いのですね」
 揶揄しているかのような口ぶりに柄を握る手に更に力が入る。それでも虎は笑みを崩さず、闘争に狂喜し、ガウェスの刃をグググっと押し返したのだ。背筋が凍る思いだった。武器の相性もあるが、ジャリルファハドとて、ガウェスの斬撃を正面から受けることはしなかった。それどころか押し返すなど出来るものか。その時、バッヒアナミルの背後、石畳を蹴る音がした。直後、ガウェスとの鍔迫り合いをやめて、背中へと繰り出された一閃を躱した。それどころか、お返しと言わんばかり一太刀お見舞いする。風すら切断せんとする勢いを孕んだ一撃をうけるのは悪手だとカルヴィンは判断し、身を翻して避ける。その際も視線は虎に、一挙一動を見逃さないように彼を睨みつけていた。 
 
 思わず小さな欠伸が出てしまう。ミュラにとって、決して興味の薄い内容だったわけではない。ただ、戦いとは不平等で有ることが常だったミュラにとって、平等になるようにルールを課すことがつっかえるのだ。しかもルールによっては剣戟以外での攻撃を禁止するなどもあるらしい。技を封じて何が平等と呼べるのか。それは相手に対する礼節だとも言われているが、それならば、相手を屠った後、丁寧に埋葬してやれば良い。事実、ミュラはそうしてきたし、そのように教えられてきた。そんなものを戦いと言って良いものか。ミュラは更に読み進める。

 バッヒアナミルの意識がカルヴィンに向いた瞬間、ガウェスは虎の首を狩らんと前に出た。だが、ガウェスが剣を振るうよりも早くバッヒアナミルの足がガウェスの腹を蹴った。馬に蹴られたような衝撃。胃液が喉までせり上がる。目の前に星が飛び、意識が揺らぐ。よろけた体に追い打ちをかけるようにバッヒアナミルは剣を振るった。何とかバランスを取り踏ん張るも、疎かになった手元では岩のような一撃をいなせない。剣は手から滑り落ちて乾いた音を立てた。そして次にガウェスが捉えたのは、得物を振り下ろさんとする、いや、愉悦に歪んだ虎が牙を今まさに突き立てんとする姿だった。

「まだ起きてたの?」
 突然聞こえてきたソーニアの声にハッとする。どこか声に芯が無く、寝ぼけているのが分かる。新聞を閉じて振り向くと、目を擦りながら、ソーニアがミュラの側にやってくるところだった。ミュラが新聞を読んでいたことに気がつくと「勉強熱心ね」とへにゃりと笑った。普段ならば、ソーニアに褒められたと顔を綻ばせるのだが、顔を曇らせたままであった。
「眠れないんだ」
「不安なの?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあどうして?」
 答えに詰まり視線を左右に泳がせる。言葉に出来ない蟠りをどう説明しようかと悩む。
「大丈夫。今まで乗り越えてきたじゃない」
「なんで、そんなこと分かるんだよ」
「んー、女の勘ってやつ?」
「勘なんて信じてないくせに」
「そんなことないわよ?」
 彼女は不確定なものに頼らない。憶測を立てるときもあるが、最後には答え合わせをし、正解を見つけるのが常であった。口を尖らせるミュラの頭を優しく撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「さぁ、もう寝よう」
 ソーニアに促されて布団に入る。彼女はまたソファーらしい。思わず「寒くないか?」と聞けば「寒くない」と答えた。問答は以上で、ここからは小さな寝息が立てるのみだった。寝付きの良さに半ば感心しながら、ミュラも自分も早く夢の世界に落ちようと瞼を落とすのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.185 )
日時: 2018/11/14 23:18
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 切っ先が耳元を掠め、脈を打つ。耳を上下半分に裂かれた様だが、辛うじて残っているらしい。傷を押さえる暇すらなく、ただただ血が流れ、それが首元を伝っては足元を汚していく。ふと、顔を上げたならばカルヴィンがバッヒアナミルの腕を掴み、彼を押さえ付けていた。体躯に劣るというのに重心が崩れる様な事もなく、ただただ白い息を吐き、横目でカルヴィンを見据えている。
 据わったその灰色の瞳は、肉食獣のそれにとても似通っていた。北に住まう虎も彼の様な目をしていたのをカルヴィンは思い出す。見据えられたなら、身が縮み上がり、死に対する根源的な恐怖を沸き立たせてくるのだ。人でありながら獣。獣でありながら人。牙は刀で、爪は短刀。血と暴力を好む、暴虐の化身である。そんな者を飼い慣らしているのだから、バシラアサドという人物の指導者的素質は恐ろしい物である。尚更討たねばとカルヴィンが彼の腕を握る力に手が篭る。
「……近い内、お前の主の首を貰おう」
「此処から生きて帰れるとでも?」
 はぁ、と短く息を吐くなり、ガウェスの胸へと目掛け、前蹴りを繰り出しつつ腕を掴み続けるカルヴィンの身を引き、少し崩れた彼の身体へと肘を打つ。肺や心臓という臓器を圧迫され、二人とも一様に視界に火花が走る。
 後ろに倒れ込みながらも、剣を拾い上げ辛うじてバッヒアナミルとの距離を空けたガウェスであったが、吹き荒ぶ風雪の中、身じろぐ様子もなく、刀を携えているバッヒアナミルの異様に息を呑んだ。ジャリルファハドとは雰囲気から、佇まい、何から何までが異なる。何より殺意が全く見えないのだ。闘争を愉しんでいるかの様にも見え、それが理解出来なかった。
「……刀を潰されてしまったな」
 そう語りながらカルヴィンは、腰に差していたもう一振りの剣を抜く。やはり片刃で僅かながら湾曲していた。足元転がっている刀は、バッヒアナミルの一撃をまともに受け太刀したせいか、刀身が拉げ、すっかり変形してしまっている。異常な程に重く、速い一撃に最近アゥルトゥラでも使われている、セノールの曲刀を模した物では耐え切れないのだろう。だというのに、眼前に向かってくるバッヒアナミルの刀は未だ健在であった。
 一撃はやはり重く、足元の氷を粉砕し、石畳まで届いていた。その上で二撃目はその重さを失わないままに、尋常ではない速さで迫る。受け太刀をすべきではないと分かっていながらも、そうせざる得ない状況に持ち込まれてしまうのだ。分が悪いと思いながらも、躱し、逃げる事を眼前の獣は許してくれないだろう。二人への攻撃が均等に振り分けられ、背を向けた途端に斬り付けられる未来しか見えないのだ。
「来い、死に損ないが」
 左胸に負った刀傷は未だ癒え切っていない事だろう。後、僅かにでも彼の胸に刃を食い込ませていたならば、今こうして狂った虎に襲われる事も無かっただろうに。後、一歩で仕留め損なったナヴァロの兵を嘲笑いながらも、カルヴィンは剣を構える。
 雪に足を取られているというのに、全く動きが遅くなる様な事もなく、八双に構えた刀を自身の体に這わせる様に振るい、その横凪ぎの一閃を人斬りが受け太刀したならば火花が散る。
 矢継ぎ早に虎へと向け、突きを放つ騎士であったが、眼前の獣は身を往なすだけで躱せば首を落とすべく、再び横に一閃を放ち、右に視線を逸らしたのだ。ガウェスには経験があった。ジャリルファハドから攻撃を受けた時、自身を中心にひたすら横方向に振り、視界外からの攻撃を仕掛けて来る。やはり、虎も人斬りから逃れる様に右手へ逃れ、刀を握る手を返しては、胴を抜くように騎士へと一撃を振るう。その一撃を受け太刀したならば、掌の皮膚が裂け、痺れ、痛みと出血を伴った。顔を顰めながらも、右手へと逃れる虎を追い、やはり突きを繰り出せば再び、身を往なし、人斬りの頭を割るべく、刀を振り下ろした。
「刺せ!」
 辛うじて受け太刀し、額で剣の背を受けている状況であったが彼はそう吼える。すっかり空いていた胴に吸い込まれる様に切っ先が向かうも、やはり身を往なし、半身となる事で躱されてしまう。尋常ではない動体視力、視野の広さ。そして反射神経。彼が虎の名を冠すのも納得であった。半身となり、重心が崩れているにも関わらず、カルヴィンの脇腹を蹴り、すぐに距離を空け、一端仕切りなおしを図りつつも、やはり外周を回り、嘗め回す様に二人を見る様は肉食獣のそれと大して変わらない。
 剣戟が交わる事、三十合ばかり。互いに決定打に欠けた。激しい動作から内臓が揺さぶられ、やはり体力の消耗が激しいのだろう。カルヴィンも、ガウェスも肩で呼吸し始めていた。受け太刀と反撃を続けた手は裂け、酷く痺れ始めていた。相変わらず平然とした様子のバッヒアナミルであったが、彼の手も裂け流血している。三者一様に一撃の度に痛みが走り、擦れた肉は声なくして悲鳴を上げていた。バシラアサドに心酔しきっている狂人、獣の類にこの程度の痛みなど、全く意味がないだろう。長引けば長引くほどに分が悪くなっていく。この状況に顔を顰めながら、カルヴィンは雪の上に血混じりの唾を吐き捨てる。
 それと同時であった。バッヒアナミルの動きが僅か緩慢になり、突然脱力しては刀を雪の上に投げ捨てる様に落としたのだ。そして、彼は蹲り、左胸を押さえ付けながら僅かに呻いている。心なしか息は荒く、彼の衣服には血の沁みが出来ており、左の袖からも流血が確認された。
 好機かと踵を返し、剣を握り締め彼の元へと近寄るガウェスであったが、それをカルヴィンに制止される。迂闊に近寄るな、と言葉無くして彼は語っている様だ。
「……ガウェス、人間は簡単に死ぬ物だ。迂闊に寄らば斬られよう。今は退くぞ」
「ですが……」
 バッヒアナミルに顔を見られてしまった。生きているという事実を知らされようものなら、ジャリルファハドにも危害が加わり兼ねない。であるからこそ、今此処でバッヒアナミルを斬るのが正解と思えるのだ。だがしかし、カルヴィンの言葉も当然と言えば当然である。人は一太刀も浴びれば死ぬ、手負いと言えども、近寄った途端に刀を拾い上げたならば、人を一撃で殺す事も可能であろう。
「……退くぞ。もう戦えん。お前もこの通りだろう」
 眼前に曝された掌、皮はすっかり剥がれ、肉は拉げている。流血から袖口はすっかり汚れてしまっていた。ガウェスもカルヴィン同様、掌はすっかり傷付いてしまい、一撃を受けるのも、一撃を加えるのも苦であるのは事実である。
「逃がすか……!」
 左胸を押さえながらバッヒアナミルはゆっくりと立ち上がり、やや緩慢であったが向かってくる。手負いの獣と言えども、捕食者である事には変わらない。その獣は何やら吼え声を上げ、最早言葉とも成らぬそれを吐き出し、怒りにも似た感情を露としている様にも見えた。アゥルトゥラの騎士では、考えられない執念がそこにあり、その異質さにガウェスは息を呑み、剣を握る手に力が篭る。
「行け!」
 カルヴィンに背を押されるがまま、ガウェスは走り出した。カルヴィンは大路を向かって右に逃れ、ガウェスは左に逃れる。道なりに行けば色街を抜ける事となるだろうが、恐らく地理がないバッヒアナミルを撒ける可能性は高く、何なら待ち伏せして殺す事も出来るだろう、等と甘い考えをしていたのであった。




 大路では獣がただただ吼えている、斬られた耳が痛むのは傷だけのせいではないだろう。耳の中で甲高い音が鳴り続け、自分の足音すらくぐもって聞こえて来る。あれほどまでに受け太刀をし、激しい斬り合いをしたのは始めてだ。ジャリルファハドの攻撃ですら、苛烈と感じたが、バッヒアナミルは彼以上だった。一人の時に襲われていたなら、既に死んでいるだろうと思えば背筋に冷たい物が走る。
 厳冬故、色街に人気はなく小路に積もる雪には、足跡すらなく時折その下から顔を覗かせる厚い氷は厭に滑り、足を取りに来る。カルヴィンは逃れただろうか、と小路を見返せど人の気配一つない。狙いは自分だろうと、思いこそしたが冷静になってみれば、今、カルヴィンの首の方がバシラアサドからしてみれば重く、遥かに価値がある物なのだ。死人には口と価値がない。公には死んだ事となったから、親しくあった貴族や商人は離れ、最早誰一人として肩を持つ者は居ない。
 自嘲するように溜息を吐き、前を見遣る。自分が吐く白い息の向こう、人影がありそれは立ち尽くして此方を見据えていた。ガウェスは目を見開き、剣の柄に手を掛ける。固まり始めた血のぬるりとした感触が不快だった。
「……ナミルは手強かったでしょ」
 身の丈にして五尺余り。外套に身を包み、顔をすっかり布で覆ってしまっている。容姿こそ分からないが、その声には聞き覚えがあった。エルネッタによく似通っているのだ。尤も彼女より幾分、若く、すっかり開ききった声帯から出る、角の取れた声のせいか、雰囲気もやや柔和にも感じられるのだが。
「武器から手を離して、私はジャッバールの配下じゃない。……サチの中立派よ」
 灰色掛かった瞳から、セノールの者だという事は分かっていたがサチの中立派、という言葉にガウェスは怪訝に思いつつ、剣の柄から手を離した。彼女は得物を携えて居る訳ではない。外套の中に隠している可能性こそあるが、だとしたら正面から話しかけるという事などしないだろう。
「……誰です」
「秘密。……いや、名前だけ。アースラよ」
 外套から差し出された右手には手甲が嵌められており、その指先には鉤。甲の部分には槍で穿たれた六芒星。一瞬、身動ぎこそしたが、アースラは怪訝そうに目を丸め、何か悪い事をしただろうか、と僅かに首を傾げる。僅かに出た左手にも同様、指先に鉤のついた手甲が顔を覗かせている。
「敵意はないっていう意思表示、私達セノールは相手に得物を見せるの。……言えば良かった」
 そうやって取り繕いながら、彼女は布の下で笑っている様で、目を細めていた。恐らくセノール以外ではその風習を知る者は少ないという事をすっかり忘れてしまっていたのだろう。セノールの人間にしては随分と抜けている様にも思えたが、足音一つ立てず、気配すらなく近寄ってくる人間だ、という事を思い出し、ガウェスは彼女を侮るべきではないと自分に言い聞かせる。
「……一体、何をしに」
「そうね。届け物……メイ・リエリスの屋敷まで案内して頂戴。ラシード、ガリプの当主連名で書簡があるの」
 そう言い放つなり、彼女は顔を覆っていた布を解く。にいっと笑みを浮かべながら、その布の端に縫い付けられた細長い衣嚢から、やや厚みのある書簡を取り出した。そんな事よりも、ガウェスは彼女の顔から目が放せず、呆然と目を見開くばかり。僅かに開いた口から吸う、クルツェスカの凍て付いた空気の事など気にもならない。夜を歩む彼女は死した"彼女"に似過ぎているのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.186 )
日時: 2018/11/15 23:35
名前: ポテト侍 ◆jrlc6Uq2fQ
参照: http://twitter.com/imo00001

 エルネッタ・バイエルとガウェス・ハイドナーが初めて邂逅したのは凍えるほど寒い日のことである。鍛錬をしようと庭に出てきたガウェスの前に立ちはだかったのは、齢三十を超えた紅裙であった。黒く焼けた肌と紫水晶のような瞳を子供のように輝やかせている彼女は「当主様の実力が見たい」と半笑いを浮かべながら堂々とそう言ってのけたのだ。面白いことが起きたと周りがざわめく中、シミのない白いハンカチを彼の足元に投げたのは、騎士の礼儀に法ったのか、もしくはからかっただけなのか、未だにガウェスには分からない。だが、彼女が過酷な砂漠で賊徒として振る舞ってきたことをガウェスは知っていたし、どのような戦い方をするのか、興味があった。何よりもほんの少しの驕りが当時の騎士にはあった。制約もない喧嘩のような決闘は、傭兵達から度々挑まれていたし、その度に返り討ちにしていた。そんな驕りから生まれた慢心。愚かな騎士は快諾し、そして後悔した。バネのようにしなやかな筋肉から繰り出される蹴りが鎧に身を包んだ彼の足を執拗に狙っているのは分かっていた。最後は足元を掬われ、尻もちをつき、剣を遠くに飛ばされた。彼の眉間に銃口が向ける彼女は勝負がつくと、にへらと柔らかく笑い「若いねぇ」と手を差し出してきたのだった。不思議と屈辱感はなく素直にその手をとった。彼が無事に立てると、それじゃあねと手をヒラヒラと振りながら、大路へと消えていった。酒を呑みに行くためである。ガウェスはその背中が消えるまで見ていたが、やがて小さく息を吐くと立ち上がった。と、脛の辺りに鈍い痛みが走る。部屋に戻り確認してみると、なるほど、青紫色の大きな痣が一つ出来ていた。
 そんな過去の残像を思い出してしまうほどアースラはエルネッタは似ていた。ミュラが見たら師匠が生きていたと喜び、ソーニアやジャリルファハドに騒ぎ立てるとこだろう。浅黒い肌と黒い髪を持ち、声もエルネッタに似ている。違いと言えば、瞳の色と年齢、そしてそこからくる皺と肌の張りくらいか。アースラの余裕のある言動や行動、どこか色っぽい立ち振る舞いで、大人びているが、若々しく瑞々しい肌と皺も少ない顔を見れば十代後半から二十代前半だと分かる。対してエルネッタは皮膚が水を弾かないとしょっちゅう嘆いていたし、笑うと目尻にも皺が出来ていた。しかし、それを抜いてもアースラはエルネッタと酷似している。姉妹もしくは過去のエルネッタだと言えば恐らく納得してしまうだろう。
 穴が空くほど凝視するガウェスにアースラは困るどころか、あえて視線を絡めて「何か?」と問うた。艶のある行動とエルネッタの幻影に胸が締め付けられる。「何でもない」と笑うには、手の傷が疼く。困ったように眉尻を下げて「いえ……」と答えて、彼女から目を逸らし、逃げるように歩き出した。
 なるべく人目につかない小路を使いながら、ガウェスとアースラは歩く。片栗粉の入った袋を踏むようなギュッギュッという音を立てながら、汚れのない銀色の絨毯に足跡をつけていく。
「セノールと剣を交えたのは初めて?」
「いいえ。数度交えたことがあります。最初は――」
 ここまで言って、彼ははたと口を閉じた。彼女とてセノールだ。他の同胞とも斬りあっていたこと知ればいい気がしないだろう。しかも、ガリプとラシードに通じているのならば余計にだ。ガリプの長であるジャリルファハドと切り合ったことを、しかも勘違いで攻撃してしまったことを知らせる必要は無い。
「彼には申し訳ないことをしてしまいました」
 胸の中から最後の空気を吐き出すように呟いた声はアースラにも届いていたが詮索する様な言葉はなかった。一瞬の沈黙ののち、今度はガウェスから口を開いた。
「貴方は砂漠で、誰かに似ているといわれた経験はありませんか」
「いいえ、一度も」
「そう……ですか。いや失礼。昔亡くした友人に似ていたので……」
「あぁ、それで」
 先程、アースラを見つめているはずの空色はどこか遠くを見据えていた。それは別の誰かをアースラから見出しているかのようだった。そして、彼女がその人ではないアースラであると風に揺らめく蝋燭の灯のように揺れていたのだ。
「セノール人だったの?」
「いいえ。ただ、外見は似ていましたね」
 バシラアサドのおかげでやや軟化したとはいえ、セノール人に対するアゥルトゥラ人の反応は冷たい。エルネッタも同様の扱いを受けていたが、こういうこともあると笑っていることが殆どだった。大らかで懐が深かった彼女はとてもじゃないが、傭兵には見えない、不向きなようにも思えた。「本当に惜しい人を失くしてしまった」と、ガウェスは暗い空を見上げるのだった。

 屋敷に到着すると、フェベスの元へ急ぐ。バッヒアナミルが襲い掛かってきたことと、書状について早急に指示を仰ぐ必要があると感じたのだ。ノックも無しに入って来たガウェスに視線で非難したが、彼の手が血で汚れているのを見ておおかた何が起きたのか察したらしく、険しい顔になった。
「手痛くやられたな?」
「彼の御仁を相手に帰ってこられただけでも僥倖であったと感じ入る他ありません。カルヴィン殿の機転でこちらは上手く逃げ果せることが出来ましたが……」
 皆まで言わなくてもフェベスは理解しているようだった。彼の鋭い視線が今度はアースラに移った。
「サチの使いだそうです。届け物があるらしく、こちらまで案内しました」
 渡された書簡状に書かれている宛先を見て元々刻まれていた眉間の皺を更に深くした。空気が沈み、針の筵を前にしたような緊張感が部屋を覆う空間の中で、フェベスは慣れた手付きで書簡の紐を解き、整然とした文字に目を通すのだった。

Re: [リレー企画]無限の廓にて、大欲に溺す ( No.187 )
日時: 2018/11/22 02:08
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 足音が止む事はない。
 ざりざり、と雪を踏みつけたならば、それを追う様に氷を蹴る音が聞こえて来る。黒く、長い髪を振り乱し、袖口から血を滴らせる砂漠の化身──虎が息荒く追って来る。彼の足を進めるのは最早、執念であろう。外套にまで血が滲み、開いた傷は痛みを齎す。それの何と鋭い事やら。肉と肉が擦れ、神経に触れ、一寸毎に針を突き立てられている様な"それ"が身体を嘲笑う。
 追われる人斬りは振り向き、すぐに抜刀出来る様にと刀の柄に手を掛ける。柄に巻かれた皮が血で潤い、ぴたりと露となった肉に吸い付き、少しずつ柔軟性を取り戻し、膨れ上がっていく。柄に使われ、命を絶たれた獣が蘇ってくるようだ。獣は殺められ、皮を剥がれ己の死骸を弄ばれた。その恨みを晴らし、報復を成せと主である人斬りへと語り掛けてくる様だ。気が逸り、足取りは早まるというのに、今か、今かと斬り掛ける時機を窺ってしまうのだ。刀が語る、血を寄越せとそう主の足を止め、背を引く。
「──そろそろ終いにしようか」
 踵を返せば、人斬りの視線の先。肩で息をする獣の姿があった。雲の切れ間、青白い顔をした月が顔を覗かせる。辺りは全く氷雪に覆われ、白とも銀ともつかぬ世界が広がっていた。また、その月明かりに照らされる両者も、死人の様に青白く見えた。
「あぁ!!」
 虎は叫び、呼応する。その瞳は月明かりにぎらぎらと輝き、開いた瞳孔が不気味にも見えた。その様相たるや飢え、獲物を前に気の逸る獣の如く。セノールとは矢張り人の皮を被った獣か、と内心一人ごちた。人斬りにはその気の逸りが分かり、その感覚の心地よさは忘れられる物ではなかった。忌むべき敵を打ち壊し、咎人を打ち殺し、命と共に流れ出で、滴る血を踏みつけた時の征服感、命を奪い、弄ぶ加虐の喜びは甘美な物であるのだ。言い得がたい中毒性のある物なのだ。
 虎へと理解を示し、矢張りセノールの血が流れているな、と人斬りは己をせせら笑う。だが、お前とは立場が違う、と右の手で刀の柄に手を掛けた。そして、鞘を支える様にして拳を握り締める。
 その動作に呼応する様に"それ"は刀を構える。柄を両手で握り、切っ先は天を向く。一刀、一撃にて断ち切るべく、息を吐き、人斬りを見据え──駆ける。
 吼え声は最早、獣の如く。己を奮い立たせ、四戒を振り払う。恐怖は捨て、殺す。疑心は一つも抱かず。惑いという言葉は食らう。そして、人を殺める罪の意識はそも、持ち合わせていない。
 駆ける事の一丈。振り上げられた切っ先は力強く、ただただ振り下ろされて行く。その刹那であった。刀も、鞘も抜かぬまま人斬りは懐へと至り、体躯に僅か劣る虎へと拳を振るう。拳は左胸へと吸い込まれ、傷を打つ。激痛に刀は天を指し止まり、そして手から零れ落ちた。すっかり開かれた傷からは、滔々と血が湧き出し、殴り付けられた心臓は不規則に早鐘を打ち、変拍子を刻む。遂に喘ぎ喘ぎ、苦しげに呼吸をし始め、膝をついて頭を垂れてしまった。そして、すっかり下を向いてしまった顔を蹴り上げる。
「……馬鹿め」
 それだけ言い放ち、再び人斬りは踵を返し、駆け始めた。刀を拾うも抜くような真似はせず、ただただ駆けていく。虎を誹る言葉は「まともに戦う訳ない」という意思の現れ、斬り合っては勝ち目はない。だが、何時までも追われるのは面白くはない。ならば、治り掛けた場所を再び壊すまでの事。立ち上がるなら壊し、死したならばそれまで。命とは所詮は壊れ物。一刀、一発、一撃、ただただそれだけで壊れる。そんな脆弱な物なのだ。まともに向かい合うのは馬鹿の証と人斬りは鼻で笑う。
「まぁ……面白かったな」
 そう一人ごち、生還した己を見て、屋敷の者達がどんな顔をするか想像するに容易い。彼等はただただ驚く事だろう。真っ白な新雪に血の足跡を残し、人斬りは声を上げ、愉悦に嗤うばかりであった。




 サチの書簡を片手にフェベスは難しい顔をしていた。彼の視線が左から右へと泳ぎ、一頁、また一頁と捲られていく度、ガウェスの真向かいでアースラが笑ってる様にも見えた。別にフェベスが中身を読み進めていくのを見ている訳でもなく、単に彼女は時折、視線が交わると都合悪げにそれを逸らすガウェスが面白い様で、彼をからかって遊んでいるのだ。
「……なんですか」
「いいえ、彼があの書簡を読み終えた時。私の首は繋がっているかな、ってね」
 フェベスを指差し、アースラはそんな事を言う。セノールは和平や友好の使者や、投降した者達を受け入れられない場合、その者を殺め、首を曝すという。事実、その様な事を半世紀前の西伐でガリプの総大将であるディエフィスが行ったという記録が残っている。投降を勧告しに来た者の首を裂き、馬で引き摺ったそうだ。終いには捕虜を並べ、皆一様に首を落としたという。その数は千とも二千とも伝えられている。
「……アゥルトゥラはそんな事しません。まぁ、先の西伐セノールの捕虜、虜囚って居ませんでしたけど」
 彼等は投降よりも討死を選んだ。百人の兵が居たならば、その百人全てだ。それは異質。敵を屠ったというのにアゥルトゥラの兵は、そういった彼等の行動に恐怖し、士気を少しずつ低減させていた。
「神は言われた。"囚われるよりも死を選べ"と。神はその者を御許へと受け入れる事だろう。ってね」
 にこにこと穏やかに笑っている彼女であったが、その言葉たるや苛烈であり、人命を軽視した物であった。セノールの信教の聖典に記された一文を引用しての言葉だが、さも自然に語るため、それが彼女の思想にも思え、やはり理解に及ばず、うそ寒く感じられたのだが、ガウェスは気付く。そこにセノールの強さがあるのだ、と。死を恐れ、命を尊んだ瞬間、歩みが止まってしまう所でも、彼等は迷い無く突き進んでくる。死に場所、時機をそこと思い至ったなら、最早彼等を止めるのは死しかない。だからこそ、理解出来ない程に強いのだ。
「……無様な生より、高潔な死を。ですか」
 灰色掛かった瞳を閉じ、アースラは頷いていた。瞳を閉じた意味は分からなかったが、恐らくはまた何かしらの意を示しているのだろうか。どうにも彼女もジャリルファハドと同じく、説明不足な所がある。
「そっちの神は、そう教えないの?」
「死は忌憚するものです。死は人間の原罪の結果とされています。生まれながらに罪を背負っていますからね。ですが、人は生きるだけで罪を背負うもの。故に死後行くべき所に不安を覚え、恐怖します。……皆に平等に訪れるとしても怖いものは怖いんですよ」
「そう……じゃあ、あなたは地獄。ガウェス・ハイドナー」
 再び彼女は静かに笑う。人を殺め、クルツェスカに余計な混乱を齎した。確かに彼女の言う通りだろう。死後の世界という物が存在するならの話であるが。
「……終油の秘蹟も廃れてしまったでしょう? 罪は誰も拭い去ってくれない。聖別する事が出来る聖人すら居ない。この世はもう地獄よ」
 恐らく彼女の笑いは皮肉だったのだろう。確かに言う通りである。世に救世主など存在しない、聖人に値する様な立派な人物も居ない。誰もが何かしらの罪を背負い、闇を腹の中に飼っている。それを発露し、それを晴らすべく得物を手に取り、謀略と暴力を駆使し、闇を晴らそうとしている者達の方が余程健全である。確かにガウェスにもそう思えて仕方がないのだ。
「地獄だから血が流れても当然。それから逃げたいだなんて、この世に生きてる価値がないわ。生きるって戦う事だもの。人間どうせ死ぬの、なら何で戦わないの? 手はあるじゃない、得物も溢れてるじゃない」
 暖房の熱を浴び、外套からは微かに湯気が立ち上る。彼女の短い言葉は何処か妄執を宿し、熱を帯びている様に感じられた。壁一枚隔て、寒風が吹き荒んでいるとは思えない。
「それにしても……此処目が乾く。これのせい?」
「寒いなら薪の炎が一番だ。気に要らんなら外にでも行くかね?」
 書簡を読み終えたのか、フェベスはアースラをそう揶揄しながら外を眺めていた。彼女の雪に濡れた外套は暖房の前に広げられており、刺青を入れた腕が露となっている。そんな格好で外に出よう物なら、一時間と持たないだろう。随分と意地が悪いと彼女は少し顔を顰め、フェベスを見据え、無言の非難を行っていた。
「……敵ではない、という事が分かった以上それで充分だ。しかし、サチ同士で争って何の得があるのだね」
 恐らくフェベスが読んだ書簡の中には、中立を保つガリプ、ラシード等がこれから何をするか示されていたのだろう。そして、それはサチの氏族同士での抗争である。
「私達の血と屍を以てして、セノールの存続とアゥルトゥラとの戦争を回避する。それが最大の得。最良の結果。……それだけ」
 彼女は笑みすら湛えず、そう語る。既に死ぬ覚悟を決めているからこそ、大胆にも同族の目を盗み、またその同族が敵視する場所へと赴けたのだろう。その年の若さに相反した覚悟はスヴェトラーナの様な温室育ちは勿論の事、廓へと平然と乗り込むソーニアですら持ち合わせていない物だろう。
「事が成らねば戦争は回避出来ないが?」
「……なら、ジャッバールと運命を共にし、私達はあなた方の首と取って回るだけの話」
 つまり、サチの中立派は物凄く危うい立場にある、という事である。ジャッバールを叩き、アゥルトゥラとの戦争を回避する。戦争が回避出来ない状況となったならば、ジャッバールと共にサチ総軍でアゥルトゥラを叩く。危うげであるが、とても単純でアゥルトゥラにとってもただでは済まない事態に、フェベスは大きく溜息を吐いた。
「どうしてこう、西の民は厄介ご──」
「黙れ、侵略者」
「なに?」
「何でもない」
 何時の時代も対する文句か分からない様な毒を吐き、アースラはフェベスから視線を逸らす。その様子がどこかガウェスには面白く、また同時に彼女が尚更エルネッタに似ている様に思えた。歯に衣を着せぬ訳ではない、普段はなけなしの気を使うのだが、口を衝いて出てしまうのだろう。
「その話、信用出来ますか?」
「この首に掛けて。……斬る?」
 首に手を掛け、指先を真一文字に走らせながらアースラはそう問う。今まで軽口を交え、少し浮ついて聞こえていた声であったが、今の彼女の声色に緊張の色が見える。それで居ても取り繕う様にして、首元の襟を掴み、僅かに捲っては煽る様に笑って見せた。随分と強い女だ、とフェベスは関心しながら笑っていた。
「……嘘、偽りであったとしても斬った所で変わらんさ」
 サチの使者が此処に来たという事は、尚更クルツェスカからジャッバールを西へと叩き出す必要があるのだ。北に逃れたり、何をする訳でもなく此処に居座り続けられるのは最大の悪手である。もし、そうなったならばガリプやラシードまでジャッバールと行動を共にし、サチ総軍で西部を攻め立てられるからだ。そうもなれば話は別である、都という都は焦土と化し、アゥルトゥラは西部の権益を手放さなければならない。頭痛の種が増えた、とフェベスは大きく溜息を吐き、早急に事を仕掛ける必要があると思うのだった。

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