複雑・ファジー小説

それでも獅子は吼える
日時: 2017/07/08 14:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

当小説はリレー企画「無限の廓にて、大欲に溺す」のスピンオフになります。
設定、世界観はあちらに準拠していますので、あちらから確認下さい。

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Re: それでも獅子は吼える ( No.25 )
日時: 2017/01/31 02:31
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 武辺に偏り砂漠で血を流す事しか知らないシャーヒンは、物珍しげにクルツェスカの様相に視線をばら撒いていた。目が合った者達は視線を逸らし、まるで最初からそんな事が無かったかのように振舞う。特に老人はシャーヒンの腕に彫られたタトゥーを見るなり、視界に納める事すら忌憚するように踵を返していく。彼等の多くは腕や足が欠損している。手足を削いだのはハサンやガリプといった兵達である。敵味方が入り混じり、混乱を極めた戦乱の中で己の手足を奪った者の顔は覚える余裕はない。だが、しかし、顔ではなくその者達が腕に彫っていた槍に穿たれた六芒星は確りと覚えているのだ。元来、アゥルトゥラにタトゥーを施す風習はなく、セノールのそれは彼等からすると奇習であるが故に顔よりも鮮烈に記憶に残っている。
 クルツェスカの道は石畳を敷き詰められ、カシールヴェナの踏み固められた赤土とは異なる感触に僅か戸惑いを覚える。この土地では歩き過ぎれば足を痛めかねない。よくもこんな場所にバシラアサドは住めるものだと感嘆の溜息を吐く。セノールは足元の砂すらも武器とする故、やや神経質なきらいがあり特に武門はそれが顕著である。余談ではあるが、カシールヴェナからクルツェスカへ来たばかりのバシラアサドも、この石畳に戸惑ったようだ。
「いかんな」
 今まで通ってきた場所は頭の中に風景を記憶し、歩幅から大凡の距離を算出していたものの、如何せんシャーヒンには地理がない。ぼそりと呟かれた危惧の念は道が分からなくなってしまったと風に訴え掛けたものであった。気のせいではないだろう。彼の薄い表情に僅かの翳りが見て取れる。迷った事に対する不安ではなく、アゥルトゥラの憲兵に尾行されるのを避けたいからだ。西方交易路が使用されだしてから、セノールが対外的に出歩くことも多くはなったが、やはり此処はアゥルトゥラの都である。セノールというだけで注視され、如何にもな様相、風貌の者はやはり危険視される。そんな者がジャッバールの屋敷に出入りしているともなれば、ジャッバールに対する監視の目は強くなるだろう。ともす
れば間接的に行動は抑制されかねない。ルーイットの負傷により、彼の替わりにバシラアサドの護衛として召喚されたというのに、ジャッバールの力を弱めては本末転倒。笑い話にすらならない。尤もリスクを厭わず密かに憲兵、密偵を消せというのであれば、応じる話ではあるがルーイットが負傷するような事態が起きた以上、人的なリソースを割く余裕もないだろう。
 一目を避けるようにして路地を選び続ければ、いつの間にか貧民街へ入ったようで汚泥と埃に塗れながらも、厭にぎらついた目をした者達が目立つ。彼等は貧しく、見窄らしくみえたが、その中には正道を歩み、至極真っ当に生きている者達にはない力強さのような物もある。人間が人間たる所以、底辺であったとしても逞しく生きようという気力があるように感じられた。この者達を手勢として拾い上げ、安定した生活を約束させた上で兵として使ったならばどうなるだろうか。セノールには混沌は貧困から齎されるという教えがある。貧しき者は世を恨み、羨み、持たざる物を欲する。そこに血を流す術を吹き込み、得物を流せば富める者へと牙を剥く。そこに恩義を被せれば死すら厭わぬ兵となる。民を殺し
、国すらも殺し、貧者を狂奔へと走らせるやり口であった。バシラアサドはその術すら使っている事だろう。セノールの慣習、文化を憎んだとしても、合理に富んだやり口を捨てる訳がない。捨てられる訳がない。善政の裏で悪事を成す。背反しあう事象は、薄氷で仕切られているのみに過ぎず、互いに背をぴたりと寄り添わせているのだ。ややもすれば"仕切り"すらないのかも知れない。
 貧民街の住人達からの視線を一身に浴びてなお、知らぬ存ぜぬを決め込んで彼等の前を通り過ぎようとした時、彼等の中に幼い子の姿がある事に気付き、思わずシャーヒンの歩みは止まった。年端も行かぬ子供、それが此方を口を閉ざしたまま見据えているのだ。ただそれだけならば気にも留めない。だが、しかし、その子供は痩せ細り飢えと渇きに苛まれ、喘ぎ苦しんでいるかのように見られた。ふと、脳裏を過ぎり、重なるのは嘗ての外部居住区の者達。ガリプがなけなしの私財を擲ってまで養っていた者達である。彼等はガリプに組み込まれ、今は安定した暮らしをしているが、アゥルトゥラは未だ払拭出来ない暗部を抱えているように感じられた。闇を見て、黙したまま通り過ぎる訳にはいかない。彼は後
ろ髪を引かれるような思いに足取りを止め、口を開く。
「ジャッバールの屋敷まで案内されたし。……今手持ちはないが、恩義は必ず返そう。皆で来てくれないか」
 ぽつりぽつりと語る言葉はアゥルトゥラを救おうとする言葉である。先祖への非礼にあたり、敵対する者を救うという愚行はセノールとしての良心を痛める。しかし、今此処でこの者達を見捨てれば人としての良心を擲つ事となり兼ねない。人の形をした獣であったとしても良い。クィアットの再来、ヴェーラムの化身。そう揶揄される己ではあるが、目の前で貧苦に喘ぐ者は見捨てられない。ましてや子である。彼等は不思議な顔をしながらシャーヒンを先導していく。ぽつりぽつりと言葉を浴びせかけてくるが、シャーヒンは彼等に応じる事はなく、黙りこくったまま彼等の後を追うのだった。



「あら、シャーヒン」
 ジャッバールの屋敷の扉を開けるなり、聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。幼い頃から全く変わらず、ただただ喧しい女。ハヤであった。彼女は両手に抱えた山のような図面や書籍に押しつぶされそうになりながらも穏やかに笑っていた。その後ろには赤毛のアゥルトゥラが申し訳なさげに立ち尽くしており、視線が合うなりシャーヒンに会釈をするのだった。
「話は聞いてるよ、ルーイットの替わりだって? ――あぁ! そうだ! こっちはソーニアっていうのアゥルトゥラの学者。で……、そちらさん方は?」
 一方的に話したい事ばかりを話してはシャーヒンに問いかける。昔から変わらない。話を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、最後には「ふーん」と全く興味がなさそうな返事をして終わり。それが目に見えて仕方ない。
「迷った俺を此処まで案内してくれた。礼をしたいのだが、食事と風呂を頼む」
「あぁ、そんな事? いいよ。あっちの建物の左側の扉。ハヤから通されたっていえば全部通じるから大丈夫」
 全く警戒するような素振りも見せずに貧民街の者達を、あっさりと通してしまうハヤにシャーヒンは内心呆れながらも感謝の念を感じていた。彼女はお喋りで一方的だが、人と気立てと頭が良い。実のところ、ハヤを嫁に貰ったルトは羨ましがられている。尤ももう少し静かだったら良いのだが、と一言が付くのだが。
 シャーヒンの小脇を通り抜けながら、貧民街の者達は口々に礼を述べていく。どう返答して良いか分からず、口を噤んだまま遂に全員の背を見送ったシャーヒンの表情は形容しがたく歪み、それを見たハヤが身を震わせて笑いを堪え、ソーニアと呼ばれた学者は困惑したように両者の間で視線を泳がせていた。
「なにがおかしい!」
「いやー、アンタもそんな顔が出来たんだねぇって。ファハドみたいに表情作れない性質かと思ってたんだ」
「アレと一緒にするな! アレは少し……、いや――かなりおかしい。あんな砂漠みたいな男と一緒にするな!」
「ふーん……。ま、いいや。ちょっと持って」
 そうジャリルファハドを歪めたのはお前達ハサンのせいだと、内心毒づきながら、幾つかの図面をシャーヒンに押し付けるように突きつける。強さばかり求めてハサンの殺し方を体得しようとハサンの門を叩いたジャリルファハドも愚かではあるが、ハサンの個を殺す特性まで押し付け、歪めたのは如何なる物かとハヤは思い至るのだ。何よりバシラアサドがそうやって個を殺し、壊れていく親友を見て泣く姿を作り出すだけで怒りが沸き立ちそうになる。
「あっち。これをあっちまで運んで。そしたらお茶にしよう。とびっきりの良い奴があるんだ」
 "良薬"は口に苦しという。クルツェスカの洗礼をシャーヒンにお見舞いしてやろうとハヤは内心ほくそ笑む。ソーニアには初対面の時に洗礼を見舞ったため、物凄い顔をしているに違いない。現に振り向けば、ややじとついた視線をハヤにぶつけている。二度目の"良薬"を見舞えば、彼女が傍らに持つ鈍器染みた分厚い本の背表紙で頭を叩かれないため自分と同じクィーフスから取り寄せたお茶を出そうと思案する。押し付けられた図書を黙って受け取ったシャーヒンはそんな事をされるとも予想せず、ハヤの傍らを歩むのであった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.26 )
日時: 2017/03/06 08:53
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

「あの、それ苦くない……?」
 不安げな引き攣った笑みを浮かべながら、ソーニアは問う。ハヤのお茶は厭に苦い。彼女の意地の悪いもてなしは、ソーニアも一度見舞われた事があり、故に記憶に刷り込まれているのだ。ハヤ曰くあれは薬だという。何でも滋養強壮に効くというのだが、あんな苦くて延々と後味が引く代物を常飲出来るとは考えにくいと思っていたのが実情だった。だが、しかし。目の前のシャーヒンはどうだろうか。全く嫌がる様子もなく、平然と飲んでいるのだ。
「決して……、美味くはない」
 彼の感想は正直……、といった所なのだろう。それでも表情に出さず、黙ったままそれを飲み干すと器を音もたてずにおいて、何やらハヤが鼻歌を歌っている方向を睨み付けるのだった。不味い物を出すなという不満がその視線には込められている。セノールという人種は生真面目過ぎて面白味と人間味に欠けると思っていたのだが、その認識は間違いだったのだろうか。少なくともハヤは一々おかしな事をしているし、目の前のシャーヒンは人間らしさをいきなり見せ付けて来る。認識は改める必要があるのだろう。
 散々にハヤを心の中で甚振り、半殺しにまで持ち込んだのだろうか。シャーヒンは今度ソーニアへと視線を向けた。何故、アゥルトゥラが此処にいる。そう今にも問おうとしているようだった。彼は己の得物を隠そうとしないように、言葉を何かに包むことを知らない。
「何故、アゥルトゥラが此処に? お前もお前だ。我々が恐ろしくはないのか」
 問い掛けにソーニアは僅か首を傾げながら、自らの口元に手を当てて、どう話して良いものかと少し悩んでいるようであった。濃いグリーンの瞳だけがシャーヒンを見据えている。
「私は本当のセノールがどうなのかを知っているからね。あなた達は正道から背くような事をした者達を絶対許さない。でも、それ以外には寛容でしょ? まぁ、自分たちの敵を排除しようっていう意識はアゥルトゥラやカルウェノと比べて強めだけどね」
「我々はシャボーにて生きているからだ。怪しきが寄らば殺め、敵が寄れば討ち滅ぼす。そうしなければ生きていけない。それは我々の本能だ」
 故に彼等は西伐でたった7万の兵でアゥルトゥラ23万の兵のうち11万を殺め、負傷者を入れると18万人にまで到達させた。終戦間際、セノール方の兵はたったの2万。アゥルトゥラの士気は既に崩壊寸前となり、手負いで瀕死であるはずのセノールはそれでも全く怯む様子すらなかったという。50年前の彼等がそうあったのは、シャーヒンが言う「本能」なのだろう。過酷な環境、状況で他者を排してでも生き残ろうとする「本能」は人間よりも獣に近い物なのかも知れない。
「でも……、負けた」
「然り。だが、俺はアゥルトゥラを恨みはしていないさ。単純だ。我々が弱かったから負けたのだ」
 淡々と語るシャーヒンに表情は薄く、そこには言葉通りに50年前の怨恨は見受けられなかった。普段、穏やかに語り、賑やかに笑っているハヤですらアゥルトゥラに対して怨恨を抱いているというのに、眼前のいかにも陰気な男はそんな思いを抱いていないと口にする。人は見かけによらないと感心しながら、ソーニアは彼の腕に彫られたタトゥーを見つめた。
「槍に穿たれた六芒星……。どこの武門?」
「サチのハサンだ。……アゥルトゥラにはクィアット、と言えば分かるかね」
 クィアット・ハサン・サチはアゥルトゥラにとって最大の敵である。その次点にアゥルトゥラを散々に苦しめた当時のセノールの総大将であったディエフィス・ガリプ・サチが来る。クィアットは西伐中でもひたすらアゥルトゥラの背後を取り続け、兵站破壊や後方攪乱、指揮官暗殺などを遂行してきた。終いには西伐後も徹底抗戦を実施し、他武門の当主達が処刑、幽閉、利き手を切断するなど処罰を受ける中、アゥルトゥラと抗戦を繰り広げ、遂に撃退した者である。また彼はヴェーラムと呼ばれる魔物の化身だと言われると同時におかしな話があるのだ。西伐中、クィアットは8度討ち取られているはずなのだ。それでも尚、姿を現しアゥルトゥラを苦しめ続けた化物と呼ばれていた。
「砂漠の化身、不死身のクィアット、シャボーの亡霊、二つ足のヴェーラム……。私てっきりハサンってアゥルトゥラを脅すために作った架空の一族だとばっかり」
「きちんと存在している。お前の目の前に」
 抑揚がなく、音像のはっきりしないセノール訛りが少しだけ入っている。そのせいかシャーヒンの唸る様な言葉は宛ら呪詛の如く。それが耳にするりと入り込んでくるのだ。背筋を冷たく冷え切った指先でなぞられたように、ぞくりとした感覚が身を震わせ、ソーニアはそれを紛らわせようと何時も着ているコートを脱いだ。生温かいクルツェスカの空気を心地よく思ったのは生まれて初めてである。
 ソーニアからしてみればクィアットが何故8度も死んだ事になっているか知りたいが、聞いてしまっては踏み込んではいけない領分に踏み込んでしまうのではないのかと口を閉ざすのだった。
「我々は汚れ仕事をしただけに過ぎない。最たる誉れはガリプだ。彼等がアゥルトゥラの敵陣を突破した事は知っているだろう。ヴィムートが裏切らなければ我々は勝っていた。歴史は……、現状は違ったはずだ」
 南北から挟撃を受けても退け、ただただ前進を続け、策など何一つ持たず決死の突撃を成し、アゥルトゥラ本陣へ直進するルートを切り開いた者達だ。彼等の攻撃によってアゥルトゥラは大勢死に、彼等も大勢死んだ。ガリプの死者は誰一人カシールヴェナを向いて斃れていなかったらしい。
「私の祖父も西伐に参加していたの。カヴェン・テテスクの城塞攻略にね」
「お前の祖父は手足はきちんと揃っていたか」
「いいえ――、でもどこでそれを?」
「ナッサルのやり口だ。城塞攻略には3倍の兵力、物量を要する故に業と殺さず、戦えない兵を量産し、兵力も物量にも損害を与える。大勢のアゥルトゥラがそこで手足を奪われたと聞いていたからな――」
 それからシャーヒンは委細詳しくカヴェン・テテルスクの惨状を語り始める。砂漠は夕刻でもないのに赤く染まり、辺りは死体だらけで兵の指揮は瓦解しているが、地下に仕掛けられた爆弾を恐れて撤退すら侭ならず、一方的な殺戮が起きていたと。彼の語る言葉は祖父から聞き及んでいた通りであり、ソーニアは思わず真実だったと関心していた。
「随分とお喋りじゃない。シャーヒン」
 盆にお茶の入った器を乗せながらハヤが通りすがり際に茶化していく。シャーヒンは鼻で小さく笑うだけ笑って、椅子にふんぞり返ってクルツェスカの斜陽に目を細めた。カシールヴェナのそれよりも色は淡く、直視していられる。
「そういえば、お前名はソーニアとかいったな」
「えぇ、ソーニア・メイ・リエリス。官職持ちのリエリスの者よ。メイはアゥルトゥラの古語で魔術師を意味して――」
「俺はお前に名を教えられん。俺と話した事は忘れろ。さもなくば――」
 さもなくば殺める。そこまで口から言葉が出掛け、シャーヒンは口を噤んだ。このクルツェスカで成すのは先代のクィアットのように密かな殺人。痕すら残さず、命を奪う。残すのは屍のみである。それを成すために生まれた砂漠の化身は内心ほくそ笑む。どれ程の血を流せば、その罪を洗い流せるだろうか。何時まで経っても洗い流せず、このクルツェスカを赤く染める時が来てしまうのだろうか。だが、シャーヒンからすればそれもまた良いのだ。血を流し続ければ、目の前で首をかしげて、不思議そうな顔をしているソーニア・メイ・リエリスをも殺める時が何れ来る事だろう。その時、心を凍りつかせる事が出来れば、己は至上の武人となるだろう。

 ソーニアが不思議そうな顔をしながら帰った後、シャーヒンは篝火だけを傍らに暗がりに目を細めていた。砂漠と比べて厭に明るい。このクルツェスカでは夜目を働かせずとも暗闇が見えるだろう。故に彼の視界には怪しき者の姿が見えて仕方がなく、本能がそれを殺めろと囁くのであった。手には短刀、懐にはあの世への渡し賃を僅か。砂漠の化身は足音一つなく、それを追い始めるのであった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.27 )
日時: 2017/02/13 01:44
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 薄暗がりの中、ランプの淡く僅かな灯りを頼りに書類を書き進めるバシラアサドの表情は余り優れない。何故ならば窓を開け放つ事も敵わず、居室が非常に蒸し暑くあったからだ。風が通らないのは辛く、砂漠の暑さとは違うそれは彼女の体力を確実に蝕んでいた。
 何故、鎧戸を閉め切ってしまっているかといえば、先日の狙撃の影響である。狙撃はその任務の性質上、一撃必殺を求められる。故に居場所が分かっていて、視界を遮るものが銃弾で撃ち抜けるとしても狙撃を行う事はない。己自身、銃を扱う故に簡単な対策であったが、そのせいで自分の首を絞めてしまっていると考えれば、バシラアサドの口元に自嘲するような笑みが微かに浮び、矢継ぎ早に彼女は溜息を一つ。いつもなら部屋に居るレーヴァも何かあってはいけないとハヤとルトに預け、この部屋にはバシラアサド一人のみ。そのせいで気を紛らわす事の出来る存在もなく、いつも唐突にやってくるルーイットも絶対安静という事で来ない。一人というのはこれ程にも静かなものだとは思わなかったのだ。
 気分が乗らなくなったのか、ペンを納め、帳簿を閉じる。今日の仕事はもう終わりとしよう。気分転換にと、背後の戸棚から酒瓶と錫のタンブラーを取り出した。エツェレスでしか売ってないこの葡萄酒は安酒であるが、味が良く大衆から好まれるものであった。彼女は余り高い酒や食事を好む訳でなく、大衆が好むような簡素な物を好むきらいがあった。曰く「私の舌は育ちが悪いものだから、高い物が口に合わない」らしい。ただ、それを道具で少しだけ、良くしてみようという拘りのような物がある。錫のタンブラーはその最たる例であった。タンブラーに注いだ酒は淡い琥珀色で、ランプの灯を揺らめかせながら反射させている。特にそれを気にする様子もなく、飲み干し、二杯目を注ぐ。酒に逃げているような感じがして、後ろめたさ
を感じたが二杯目もそそくさと飲み干してしまい、なんだかよく酒の味も分からないままに、一人、静かに晩酌を終え、酒も、器も出したままで浴室へと足を運ぶのであった。



 鏡に映る己の身体、それに彫られたタトゥーは自身がセノールだという事を、厭に知らしめてくる。これが武門でもなんでもないセノールだったならば、アゥルトゥラだったならば、平静とした人生を送る事も出来たのかも知れない。セノールからも自分のような輩は出てこなかっただろう。今更、平静な人生を望むような事をしてはセノールを敵に回し、レヴェリからの信を失い、アゥルトゥラは弱くなった自分自身を攻め立てるだろう。両人種に対する利敵行為は許される物ではない。最早、此処まで来てしまっては腹を括り、その血の一滴、髪の一本、身の一片、骨の一欠片すら残さず死ななければ許されないだろう。己の器は一切、消え失せたとしても、己の記憶という物が生き残った者達、残された者達
の記憶の中には残ってしまう。その過程で今まで作ってきた縁、その中で生まれた記憶すらをも破壊する事は出来ないのだろうか。己は最初からそこに存在していなかった事に出来れば、業も何もかもが消え失せ、許されるのではないだろうか。冷たいシャワーは膨れ上がった妄執を拭い去ってくれない。足元に伝う水の中に、その姿はなく、ただただ高い所から低い所に落ち、流れていくばかりであった。



 一頻り、身支度を終え寝室の東側の窓からカンクェノを見下ろせば、以前レーヴァが言っていたようにそれは淡く、青く光り輝いていて、守衛所の前には学者たちが大勢群れを成していた。その中にはソーニア・メイ・リエリスと思しき後ろ姿もある。珍しくいつものコートを着ていないようだ。以前、彼女が言っていたがカンクェノは未だによく分からない事だらけで、この発光現象もその一つだという。理由は不明だが、発光現象後はレゥノーラの活動が活発化するため立入が難しくなるという。古文書が保管されている76階層を占拠している面々には小銃は勿論、ガトリング砲や試作機関銃を配備しているためレゥノーラ如きにやられるはずはないが、万一という事もある。彼等の身がやや心配ではあった。
 窓と鎧戸を閉じ、二人分の広さの寝台に身を投げ込み、天井を一瞥。前向きになれず、煮え切れず、どうしようもない思いが胸の中を去来し、心無しか顔付が険しくなっているのが自分でも見ずとも分かる。物の三分も寝台に横たわる様子もなく、バシラアサドは起き上がる。ハヤはまだ起きているだろうかと、酒の瓶と錫のタンブラーを手に階下へと向かうのだった。
 


 廊下には灯り一つ灯さず、窓から差す星明りだけが、行く先を示してくれるばかりだった。中庭には幾人かのセノールが外からやってきた商人と話をしているようである。聞き耳を立ててみれば馬車を修理するための木材を買おうとしているらしい。何故、直接言いに来てくれないかと言えば、彼が自分の不注意で側壁を壊してしまったようであった。自分の瑕疵を自分で始末をつけようというのだから、無駄に介入するべきではないだろう。それにしてもこんな夜中に呼び出されるとは商人が不憫だと、小さく笑いながら彼女は歩みを進め、開け放たれた工房の扉を潜れば、上半身が妙に捻らせて頭を抱えるハヤの姿があった。眼鏡を首から吊り下げ、少し白髪の混じった黒髪を振り乱す様は白痴の如く。こんな妻を持つルトは苦労しているのだろうな、と思わず苦笑いを浮かべる。
「まだ仕事中か」
 捻れたままで視線だけバシラアサドに向けたかと思うと、ハヤは小さく頷いて「うん、うん」とただ唸るばかり。何を悩んでいるのかと机に広げられたそれを見て、バシラアサドは瞳を見開くばかり。てっきり図面だとばかり思っていたそれはガラス容器に入れられた人間の胎児のような代物。その異形は赤い二つの目をしきりに動かして、ハヤとバシラアサドを交互に見据えるばかり。
「……なんだそれは」
「レゥノーラの巣から拾ってきた。返せってカンクェノが怒ってるのさ。厭だ、厭だ。あんなに青く光らなくたってねぇ。おかげで眩しくて眠れやしない」
 カンクェノの84階層には妙な代物がある。それはジャッバールの手の者しか知らない存在だ。白い肉塊の中を赤い液体が流れ、傷を付ければその液体が迸り賢者の石が精製されてゆく。バシラアサドもルーイットや、他の護衛を多数連れて実物を見たことはあったが、レゥノーラの数が余りにも多すぎる事から立ち入りを禁じたのだ。ハヤは何時の間にそこへ行ったのだろうか。事の次第、経緯を話せというバシラアサドの視線にハヤは気付いたのか、あたふたした様子で首から吊り下げた眼鏡を掛けなおして向き直る。
「いやぁ、ソーニアと昼間に行ってたんだよね。私だって銃は使えるし、一端の護衛にはなるでしょう? ――あぁ、それでさ。84階層で色々拾ってきたんだ。魔法の触媒にレゥノーラの胎児。その他は全部、倉庫にしまってきたから後で見てきな――、いったぁ……」
 大事には成らなかったが、一歩間違えば武器開発が全て滞るような事をしたハヤの足を踏み付け、バシラアサドは彼女の隣に座り込むと、そのレゥノーラの胎児を黙って眺めていた。76階層で回収してきた文書に記述されているホムンクルスの外見に似通ったそれは、空恐ろしくあった。それ同時に、人のような形をしているだけで、人ではないその化物を欲していたなどと考えれば、己の所業すら恐ろしく思えてくる。
「どこから生まれるか分かったんだから、あとは彼等を80階以下に閉じ込めて減耗しない状況を作って……、中のカルウェノやアゥルトゥラを駆逐したら事は成るよ。ねぇ? アサド」
 嬉々として語るハヤの言葉の端から、アゥルトゥラに対する怨嗟が感じ取られるのだった。屈託のない笑顔と裏腹に、彼女を狂奔に駆り立てた物は何かとバシラアサドは考え至り、それが己だという結論に行き着くなり、小さく溜息を吐いた。
 レゥノーラの胎児の真横に置かれた赤黒い酒、それを錫のタンブラーに注ぐ。レゥノーラの胎児はそれが物珍しいのか一つしかない瞳で視線を投げ掛けてくるのだ。己よりも幾らか背の高いハヤへ寄り掛かりながら、バシラアサドは時間の経った血のような酒を一口、そして溜息を吐く。
「……少し疲れた」
「あぁそう。ちょっと頂戴」
 ぽつぽつ言葉を交わす二人の思念は異なる代物である。一人は業罪に対する恐怖。もう一人は怨嗟を晴らす事が出来るという喜びである。喜ぶ者は恐れる者からタンブラーを引ったくり、赤黒い血のような酒を飲み干すのだった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.28 )
日時: 2017/04/02 23:35
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

4/2 加筆修正

 それからぽつぽつとハヤと言葉を交わしている内に酔ってしまったのだろう。どうにかこうにか自分の部屋に戻って来たようだ。記憶が全くなく、どうも情けない話ではある。また、それと同時に頭を鈍痛が走り、思わず顔を顰めるのだった。飲み過ぎた……、否。飲まされ過ぎたのだ。僅か蘇ってきた記憶を辿れば、途中からハヤが悪乗りしだした記憶がある。それに乗せられてしまった自分も自分だが、おかしな事を口走ったり、したりはしていないだろうか。レーヴァに見られたりしていないだろうかと、少しばかり不安に苛まれ、思わず頭を抱えてしまう。
 一頻り反省を終え、狙撃に最適な高所がない南側の鎧戸を僅か開けば、太陽の日差しがバシラアサドの青い双眸を焼く。思わず顔を顰めた。彼女は溜息一つ吐いて、昼まで惰眠を貪った己を恥じるように俯き加減になりながら、長い髪を手で軽く整え、居間へと向き直る。
 視線の先に居たのは机に伏せたハヤであり、彼女の傍らにはグラスと空になってしまった酒瓶。飲めない人間が酒に飲まれた成れの果てがそこにあった。己もその輩乍らであり、遠縁とはいえども親類。何処となく似通った性質があるのかも知れない。
「ハヤ。……ハヤよ。起きろ。起きて帰れ」
 机に伏せたハヤの肩を揺するも彼女は呻き声をあげ、机に投げ出された眼鏡を探し出そうと手を這わせていたが、無情にも右手が眼鏡を弾き飛ばし、それがそのまま床へと落ちてしまった。その事に気付かなかったのだろう、眼鏡がないと諦めたようでまた動くのを止めてしまった。
 どうした物かと呆れながらも机に伏せたハヤに肌掛けを被せた。これは起きそうにない。床に落ちた眼鏡を彼女の傍らに置くなり、バシラアサドは向かい合うように置かれたソファに腰を掛け、紫檀で作られた煙草の入れ物を手繰り寄せた。灰皿は既に目の前にある。一本だけ取り出して、吸い口を潰した後に火を付けた。青みがかった煙と共に何処となく甘い匂いが漂った。口に咥えた後、煙を肺に入れる。それを二度、三度繰り返す内に僅か残った眠気はすっかり覚め、二日酔いから来る頭の鈍痛も治まってきた。咥え煙草をして歩くなど、見っともない真似は出来ないため、静かにゆっくりと燻らせる。暫くするとハヤがもぞもぞと身を捩らせ、顔だけバシラアサドへと向く。
「……煙たいなぁ。禁煙したら?」
「人の楽しみを奪うな」
「煙草吸う人間が肩身狭い思いをする時代がいつか来るよ。時代を先取りしなよー」
「私が死んだずっと後の時代だろうな。そんな先の事をしたって意味はない。当世では評価はされまいよ」
 根拠のない未来予想を口走りながら、二人は顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべていた。こうやって妙に仲が良いのは昔からで、互いが大人になりいい年になったとしても変わらない稀有な事象であった。
「昨晩は良い物を見た。怪我もなく何より」
 珍しく労ってくるバシラアサドにハヤは目を丸くし、その薄ら笑いを如何にも人の好さそうな優し気な物に変えて見せた。彼女はセノールにしては表情が豊かで、ころころと顔付を変えてくる。何とも「にへら」っとした間抜けな顔であったが、何処となくバシラアサドは毒気を抜かれてしまう。
「別に良いんだってー。私も少し興味あっただけだったしさ」
 もしやソーニアはこんな軽いノリで危険な階層に護衛なしで付き合わされたのだろうか。そう考えれば、どうにも彼女に対して申し訳なくなってくる。今月の給金は少し上乗せしておこうと、心に決め煙草を灰皿に押し付けた。
「そういえば、レゥノーラって共食いするって知ってた?」
「カンクェノは全てルーイットに任せているからな。私は知らん」
 やっぱりか、と言いたげな表情をしながらハヤは身を乗り出し、バシラアサドの耳元でわざとらしく囁くのだ。
「――何も知らされてないなら、気を付けた方が良いよ」
 ハヤの真意が読み取れず、バシラアサドは彼女の腕首を強く握りしめた。それこそ腕に痕が付いてしまうのではないか、という程にだ。
「どういう意味だ」
「そのままの意味。あの人達ずぼらだから、レゥノーラを間引かないで共食い進めちゃったら、あいつら強くなるでしょ? それで手に負えないなんて話にならないからさ。ちゃんと締めるとこ締めなきゃ駄目」
 ハヤの言葉は組織を案ずる故の警告であった。ルーイットの悪巧みでも見受けられたかと邪推してしまった己を恥じ入りながら、ハヤの腕から手を離した。
「……明日、カンクェノに潜るが来るか」
「お断りしておくよ。今日のツケを清算しなきゃ。まだ翻訳しなきゃいけない所があってね。ノヴェスクの言葉よく分からなくてさぁ」
「そうか、あまり無理はするんじゃないぞ」
 勿論とハヤは仕切りに首を縦に振り、にこやかに笑って見せた。彼女の胸元では首から吊り下げた眼鏡が首と同じように縦に揺れ動き、その存在を主張しているのであった。





 翌日、バシラアサドの姿はハヤに話した通り、カンクェノにあった。肩からはライフルが吊り下げられており、腰にはいつものソリッドフレームのリボルバーが一挺。傍らにはシャーヒンとその配下が四人、ルーイットの輩が五人あった。彼等は物々しい装備をしていたが、それを恐れ、忌諱する様子もなく護衛を求めた学者が便乗しているのは気のせいではないだろう。シャーヒン達はともかく、レヴェリの傭兵達は彼等のような存在が面白くないのだろう、ちらちらと後ろの様子を眺めては嫌そうな顔をしていた。
「大将。……あいつ等、邪魔だろ?」
「学者と言えども組合に入ってない者も居る。そうなれば傭兵を付けられん。致し方あるまいよ。……それに学者は私達を支持してくれる。無碍には出来んさ。堪えろ。……あと私を大将だとかおかしな呼び方をするな」
 一尺以上も背の高いレヴェリ傭兵を噛み殺しかねないような視線が向けられ、彼は一瞬身動ぎしつつ苦笑いを浮かべる。セノールはどいつもこいつもこうだ、と厭々した様子であった。
「ルーイットがそう呼べってよ」
「あいつ……、後で傷を殴ってやる」
「やめてやれよ。治るもんも治らねぇ」
 レヴェリ傭兵がそうバシラアサドを揶揄するような軽い口調で戒める。彼等は生来、おちゃらかすような性格の者が多く、誰に対しても外面が良い。冗談も良く口にするし、何よりもよく笑う。尤も笑うと嗤うが混在しているようだ、と皆が口にする。彼等がそうあるのは北方のヴィムート、南方のアゥルトゥラ、両者からの侵攻を受け、時と場合によっては恭順する姿勢を示し生き永らえる選択を取り続けたからだ。それと同時に面従腹背、頭を下げるも舌を出し嘲笑い、背を向けた途端に襲い掛かるような事もしてきた。故に彼等は軽薄に振る舞い、笑みを湛えて、いつも面白可笑しく、馬鹿嗤いをしているのだ。それがどうだろうか、相対してセノールは笑う気配すらなく口を堅く噤むばかり。特に語る事も
無ければ、学者などには興味もない。存在は確りと気付いているというのに。それはバシラアサドが幼い頃、よく見た光景である。セノールに於ける武門、特にガリプやハサンに見られる一種の精神疾患のようなものであり、個を殺しきった戦うための機械は鉄火場の空気に振れた途端、電源が入りこうなってしまう。実の父や、友の親もこうであったため、バシラアサドは少なからず悪い印象を抱いていた。悪しき慣習であり、斯く在れという教えを強いられた故の帰結した姿である故にだ。ややもすれば思考は凝り固まり、その果てに停止する。そして、何時かそのまま心臓の鼓動を止め、何も言わぬ骸となる。それが武門の性であり、咎であるように感じられた。
「この廓に住まう人成らざるは、我々の背におばれうとそこ等で唸るか。……お前達もよくこんな所に入る」
 ふと、シャーヒンが言葉を漏らす。どういう事だと彼が腰に刺した厭に反りの強い短刀、それの柄に手を掛けて再び口を噤んでしまった。レヴェリの傭兵達が「どういう事だ」という顔をしている。シャーヒンが口走った言葉は始めてルーイットを此処に連れて来た時も口走っていた。「何かが背につこう」としていると。ルーイットやシャーヒンには分かるが、バシラアサドやレヴェリの傭兵達には分からない事象。
「何があるのだ」
「……我々を帰す気がないのだろうな、この廓は。心を蝕み、身を壊し、人の生。その歩みを枉げる。我々のような人の生、その歩みを止める者よりも性質が悪い」
 相変わらずよく分からない言葉を吐いて、暗闇を睨みつけるばかり。今思えばジャリルファハドもこういう所があった。ハサンで育つとこうなってしまうのだろうか、アースラはこうではない。誰が悪さをしたのだろうか。
「此処に巣食うレゥノーラとやらは二つに裂き、微塵としても死なぬと聞いたが本当か」
「いや、頭を潰せば死ぬぜ。うちの大将なんて壁に叩き付けて殺す」
 大将とレヴェリの傭兵が口走るなり、シャーヒンがバシラアサドを一瞥する。
「私が出来る訳ないだろうが、馬鹿者が」
「知っている」
 分かっていて揶揄するシャーヒンに腹立たしさを覚え、バシラアサドは舌打ちを一つ。セノール同士がいがみ合うため、レヴェリの傭兵達は困ったように苦笑いをして、その間を取り持つように割って入る。巨躯が役立つ時が一つ増えたなどと思いながら、傭兵達を押し退けてシャーヒンの足を踏みつけようとするバシラアサドを制するのだった。
「で、何をしようってんだ」
 レヴェリの傭兵は少し呆れた様子で脈打つ白い肉塊を踏み付けながら、怪訝な顔でバシラアサドに問う。一様に答えを求めているようで、シャーヒン達も横目で視線を向けていた。じっと向けられた視線は、まるで肉食獣のよう。久しく向けられていなかった、セノールの武門のそれが心地よく、バシラアサドは口角を僅か、吊り上げてくつくつと笑うばかりである。「遂におかしくなったかぁ?」等とレヴェリの傭兵が軽口を叩く。
「少しこの塊を間引いてくれ。なに裂けば動かなくなる。それとお前は減給だ。馬鹿者が」
「そりゃあないぜー」
 減給だと言われたレヴェリの傭兵は、大袈裟に声を上げているのだが、彼の目は据わっており、腰に差した鉈が抜き放たれるなり、松明の明かりを受け朱色に染まる。セノールのそれに等しく厭に斬れる鉈、長さにして三尺余り、幅にして二寸五分ほど。厚みに至っては一寸弱あるそれは刃物というより、最早鈍器に等しい代物であった。無骨ではあったが、力だけでも骨をも断ち得るそれにシャーヒンは目を奪われていた。
「受け太刀は死だな」
 感慨深そうに呟きながらも、シャーヒンは己の短刀の柄を握った。レヴェリのそれと相反するように短く、薄く、扱いの難しいそれであり、何より受けたら短刀ごと身を斬られる。体躯では劣る故に受け太刀などせず、躱す選択を取るがレヴェリと戦えば、命は風前の灯火に等しいだろう。
 特に臆する様子もないレヴェリの傭兵達は、それぞれが白い肉塊を引き裂き辺りに赤い血のような液体を巻き散らしていた。空気に触れるなり、すぐ硬化してしまうそれを踏みしめながら、歩む彼等を見据えながらシャーヒンは口を開く。
「これに何の意味がある」
「この化物達は謂わば無尽蔵に増える、カンクェノ自浄作用だ。それも共食いを進めて、強くなる。ある程度間引かなければ私達に害をなす。それに――、最終的には私達がアレに打ち勝たねばならない」
 淡々と語るバシラアサドがどうにも悪鬼の群れの長に見えて仕方がなく、シャーヒンは彼女の言葉を半分も耳に入れていなかった。カンクェノには異形である化物が確かに巣食う。人間を標的とし、血を啜り、その身を喰らう化生が存在している。それは大凡すべてが人間の敵であるはずであり、人間がそれに肩入れするなど在っては成らない事であるはずだ。
「何を企んでいるか知らんが、畜生に身を窶せば、どうなるかは分かっているだろう」
「さて、な」
 シャーヒンが何のことを言っているかは、薄々感づいては居たがバシラアサドははぐらかすように声を無く嗤い、足元に落ちている賢者の石へ手を伸ばした。松明の淡い朱色に照らされ、紅玉よりも深い赤を晒すそれを一頻り眺めては、石畳の上へと投げ出した。かつん、という軽い音を発して落ちたそれは幾つかの欠片となって砕け散るのであった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.29 )
日時: 2017/08/13 04:24
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 ジャッバールの屋敷。あの場所には地下がある。そこには銃器、それに伴う弾丸。刀剣の類が大量に隠匿されており、外部の人間は存在すら知らない。バシラアサドがカンクェノから帰ってきてから、既に半日ばかり経っているのだが、それ以前からハヤはそんな場所に篭っている。話によれば改良した小銃を組み上げ、微々とした調整をしているようだ。ヴィムートの技術を基とし、セノールの思想により作り上げられたそれは戦場の様相を変えてしまう事は間違いない。
 恐らく彼女が小銃の開発を急ぎ始めたのは、先日のナヴァロからの攻撃が原因だろう。今の銃でも問題なく戦える上に、張子の虎である多銃身機関銃を所持している故、実の所クルツェスカの既存勢力は取るに足らない。それでも開発を急ぐのは優位を確保しておきたいのだ。
 今のクルツェスカには戦の匂いが漂っている。ナヴァロの兵は傭兵としては異例なのだ。兵站を所持し、装備を統一化された軍のような存在である。その中で少数の兵だけで本命を討つためだけの部隊が存在している。その中の一人がルーイットに深手を負わせたジェリド・ボーフォスである。ハイドナーの私兵や、キールの傭兵などとは比べられないような兵を率い、ある特定の標的だけを討つのだ。その兵の運用方法はセノール、サチの武門の手法に似通っている。規模こそ小さいのだが、都市でそのような戦い方をするならば充分な兵力。市街戦であれば数は少なく、装備は潤沢な方が良い。以前、ナヴァロと戦った時には一般市民に偽装し、ナヴァロは攻撃を仕掛けてきた。今となればクルツェスカの住人に被害が及ぶため、そのような手法は取らないのだが、彼等はそのような搦め手をしてくる事も有り得るだろう。
「どうした、変なもんでも食ったか」
 脇腹を押さえてバシラアサドを揶揄するルーイットは怪訝な顔をしながら、彼女へと問いかけた。何か考えているかなど言葉に出さなければ分からない。どれほど長い付き合いで、気心が知れた仲だとしてもだ。彼の問い掛けにはっとした様子でバシラアサドは向き直り、首を横に振るう。
「……どう戦うべきか、とな」
「どう、か」
 何かを考え込むようにしてルーイットは顔を背け、口を閉ざす。如何にして敵を屠るべきか、と思考の渦が巻いているのだ。思考の激流は黙示録の獣を呼び起こし、厭に悪辣で邪まなものが言葉に成ろうと喚き散らしているのだ。
「クルツェスカの中で戦っちゃいけねぇぜ。外だ、西側からの兵站と地の利を得なければナヴァロと戦うのは難しい」
「だが狙いは私だ。私が此処を空けなければナヴァロは動かないだろう」
 バシラアサドが動かない限り、ナヴァロは兵を動かさずクルツェスカの石畳の上で半目を開けて寝たふりを決め込む。ともすれば包囲網を狭めつつ、この屋敷に対する偵察、密偵を進める事となる。地下の武器庫の事は知られるべきではない。ともすれば事を急ぐ必要すらあるだろう。
「戦力を三つに分ける。ハサン、ジャッバール。そして俺等だ」
「ハサンでナヴァロの首を狙い、我々で陽動をし、お前達を直属の護衛とする、か」
「正解、ヴィエ・ワーディーで討つ。ま、一筋縄じゃあいかねぇけどな。何十人も死ぬだろうさ」
 そう語るルーイットの表情はさぞ愉しげであり、嬉々としながら血を流す術を語り続ける。シャーヒンやアル=ハカンを頭目としハサンを放ちナヴァロの首を狙いつつ、ヴィエ・ワーディーへは影武者として少数の兵とハヤを向かわせつつ、カシールヴェナから兵を出し伏兵を敷く。そしてバシラアサド自身はクルツェスカで護衛と共に待機し、自身の姿は隠匿する。
「多少の障害はあるだろうが勝算はあるのかね」
「勿論よ。ま、ボーフォスには気をつけなきゃいけないけどな、まだ傷もこの通りだ」
 先日の刺創は癒え切らず縫われていながらも、傷口は熱を持ち僅かに化膿していた。心配げにバシラアサドはその傷を衣服の上から触れるとルーイットは一瞬だけ表情を歪め自嘲している。彼女の傷のない手が傷だらけの手が触れ退かす。はと気付き、申し訳なさげに眉根を下げながら手を離すのだった。
「気にすんな。……ただ触られるといてぇから勘弁してくれよ」
「……すまなかったな」
「良いって事よ」
 そうやって笑いながら彼は立ち上がるのだが、小さく呻き声を挙げていた。刺し貫かれ抉り取られたような傷は幾ら頑強なレヴェリといえども重大な負傷なのだ。彼は笑ってばかりだったが、その翳りのある笑みにバシラアサドは居た堪れない思いを抱き、大きく溜息を吐いた。
「お前の傷が癒えるまでは私は事を構えんからな」
「あぁ、そうかい」
 参ったと言いたげなルーイットはバツが悪そうに踵を返し背を向ける。ボーフォスに刺されたのは己の慢心が原因であり、その負傷はジャッバール総軍の士気を揺らがす物となった。そして、今己の命が掛かっているというのに傷が癒えるまで事を起こさないと言い放った当主の甘さが見えてしまった。セノールの人間はいつもこうだ。親しい者の苦境に足並みを合わせ、自身を擲とうとする。冷血で冷徹な砂漠の化身の内側にある温情、それが今一歩の所で火蓋を切らせてくれないのだ。
「俺ならやれるさ、お前を少しだけ守るだけだ」
「お前に死なれては困るのだがな」
「善処するさ」
 背後のバシラアサドの表情など分からない。ただ言うなれば、その青い目に翳りを宿している事だろう。見てはならない、見てしまったら彼女の背を押せそうにないのだ。だがしかし、彼女が今歩み出す事がないのも事実。ともすれば彼女の復讐を決定付ける何かが必要なのかも知れず、ルーイットは内心頭を抱えざるを得ず、どうしたものかと溜息を吐いて部屋を後にするのだった。



 ルーイットが居なくなってから部屋の中は静まり返り、バシラアサドは気を紛らわせるかのように帳簿に筆を走らせていた。カシールヴェナからクルツェスカへと移された物資の帳面上の管理は大凡全て彼女が受け持っている故である。
 気付けば暑さは何処かへと消え失せ、僅か薄暗い。帳簿を閉じ、ぐいっと背伸びをしながら小さく欠伸を一つ。先程ルーイットへはまだ事を起こさないと言ったものの恐らく彼は意気軒昂を装い、外敵を討ち払うべきと主張するであろう。事を急がず、出足を渋れば先手を取られ、後手に回り、終に死に果てるのみなのだ。戦は先手を取らねばならず、その為の犠牲は止む無し。そこに温情など無い。気を許した友の屍が転がるとしてもだ。
 扉を開き窓から僅か差し込む斜陽はすっかり赤みを失っていたが、廊下に彼女の影を伸ばすだけの力は残されていた。小腹が空いたなどと思いながら、階下へと下っていけば門番達が気さくに声を掛けてくる。この者達も戦の果てに死んでしまうのかと思えば、ちくりとした痛みが何処かを走る。一つ、二つ、時には三つと言葉を交わして食堂へ入るとそこには酒瓶を輩としたルトとハヤの姿があった。珍しく二人して話し込んでいるようだ。あの二人は互いに忙しすぎる故、夫婦だという事をすっかり忘れられている。
「もう今日は終わりか」
「こっちは大した仕事も無しに無事平穏ってさ。俺みたいなのが暇なのは良い事だ、ハヤは……、まぁ察してくれよ」
 ルトはそう肩を竦め、呆れたように笑いながら灰皿に置かれた煙草の火を消し、座れと長椅子の端へと身を寄せた。それと同時に向かい側に座っているハヤの姿が見えるのだが、すっかり酔っ払い出来上がってしまっており、意図しない嬌態を作ってしまっていた。
「……ルトよ、これが私の従姉だ。幻滅しないでくれ」
「良いって事よ、昔からだろ。こいつ」
 ハヤはバシラアサドの従姉にあたるが、幼い頃から何処かだらしなく締まりのない性格であった。そのくせ腹の中で何を考えているかも分からず、人よりも幾分も早い頭の回転を恐れられていた。二番目の子であり、女の身である故に家督を継げる立場ですらない。そんな者を嫁として貰ったルトにバシラアサドは感謝しているのだ。親しい者と一緒になり、身内を殺す事もなくハヤが隠れた狂気を発露せずに居られる事にだ。
「しっかし、こないだは大丈夫だったか。お前も撃たれたろ」
「弾は当たってないからこの通りだ、あまり身を案じてくれるな。気恥ずかしい」
「そいつは悪かったな」
 そうやってへらへらと笑っている彼も相変わらず昔から変わっていなかった。笑みは優しげで、その気の良さが現れている。彼はアゥルトゥラに対する怨嗟を抱いている訳ではない。口では散々な事を言うがそういう人間ではない。それで居ながらもハヤと共にジャッバールへ身を寄せ、尽力してくれている。恵まれている、もう少し若い時にそれに気付いたならば、暴力を好み、血を啜り、毒を撒き散らすような生をせずに居られたのかも知れない。そして何よりも今こうして親しい者を失うかも知れないという恐怖に苛まれずに居た事だろう。気付くのが遅すぎたか、とバシラアサドは自嘲し、煙草の火を付けるのだった。

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