複雑・ファジー小説

それでも獅子は吼える
日時: 2017/07/08 14:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

当小説はリレー企画「無限の廓にて、大欲に溺す」のスピンオフになります。
設定、世界観はあちらに準拠していますので、あちらから確認下さい。

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Re: それでも獅子は吼える ( No.27 )
日時: 2017/02/13 01:44
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 薄暗がりの中、ランプの淡く僅かな灯りを頼りに書類を書き進めるバシラアサドの表情は余り優れない。何故ならば窓を開け放つ事も敵わず、居室が非常に蒸し暑くあったからだ。風が通らないのは辛く、砂漠の暑さとは違うそれは彼女の体力を確実に蝕んでいた。
 何故、鎧戸を閉め切ってしまっているかといえば、先日の狙撃の影響である。狙撃はその任務の性質上、一撃必殺を求められる。故に居場所が分かっていて、視界を遮るものが銃弾で撃ち抜けるとしても狙撃を行う事はない。己自身、銃を扱う故に簡単な対策であったが、そのせいで自分の首を絞めてしまっていると考えれば、バシラアサドの口元に自嘲するような笑みが微かに浮び、矢継ぎ早に彼女は溜息を一つ。いつもなら部屋に居るレーヴァも何かあってはいけないとハヤとルトに預け、この部屋にはバシラアサド一人のみ。そのせいで気を紛らわす事の出来る存在もなく、いつも唐突にやってくるルーイットも絶対安静という事で来ない。一人というのはこれ程にも静かなものだとは思わなかったのだ。
 気分が乗らなくなったのか、ペンを納め、帳簿を閉じる。今日の仕事はもう終わりとしよう。気分転換にと、背後の戸棚から酒瓶と錫のタンブラーを取り出した。エツェレスでしか売ってないこの葡萄酒は安酒であるが、味が良く大衆から好まれるものであった。彼女は余り高い酒や食事を好む訳でなく、大衆が好むような簡素な物を好むきらいがあった。曰く「私の舌は育ちが悪いものだから、高い物が口に合わない」らしい。ただ、それを道具で少しだけ、良くしてみようという拘りのような物がある。錫のタンブラーはその最たる例であった。タンブラーに注いだ酒は淡い琥珀色で、ランプの灯を揺らめかせながら反射させている。特にそれを気にする様子もなく、飲み干し、二杯目を注ぐ。酒に逃げているような感じがして、後ろめたさ
を感じたが二杯目もそそくさと飲み干してしまい、なんだかよく酒の味も分からないままに、一人、静かに晩酌を終え、酒も、器も出したままで浴室へと足を運ぶのであった。



 鏡に映る己の身体、それに彫られたタトゥーは自身がセノールだという事を、厭に知らしめてくる。これが武門でもなんでもないセノールだったならば、アゥルトゥラだったならば、平静とした人生を送る事も出来たのかも知れない。セノールからも自分のような輩は出てこなかっただろう。今更、平静な人生を望むような事をしてはセノールを敵に回し、レヴェリからの信を失い、アゥルトゥラは弱くなった自分自身を攻め立てるだろう。両人種に対する利敵行為は許される物ではない。最早、此処まで来てしまっては腹を括り、その血の一滴、髪の一本、身の一片、骨の一欠片すら残さず死ななければ許されないだろう。己の器は一切、消え失せたとしても、己の記憶という物が生き残った者達、残された者達
の記憶の中には残ってしまう。その過程で今まで作ってきた縁、その中で生まれた記憶すらをも破壊する事は出来ないのだろうか。己は最初からそこに存在していなかった事に出来れば、業も何もかもが消え失せ、許されるのではないだろうか。冷たいシャワーは膨れ上がった妄執を拭い去ってくれない。足元に伝う水の中に、その姿はなく、ただただ高い所から低い所に落ち、流れていくばかりであった。



 一頻り、身支度を終え寝室の東側の窓からカンクェノを見下ろせば、以前レーヴァが言っていたようにそれは淡く、青く光り輝いていて、守衛所の前には学者たちが大勢群れを成していた。その中にはソーニア・メイ・リエリスと思しき後ろ姿もある。珍しくいつものコートを着ていないようだ。以前、彼女が言っていたがカンクェノは未だによく分からない事だらけで、この発光現象もその一つだという。理由は不明だが、発光現象後はレゥノーラの活動が活発化するため立入が難しくなるという。古文書が保管されている76階層を占拠している面々には小銃は勿論、ガトリング砲や試作機関銃を配備しているためレゥノーラ如きにやられるはずはないが、万一という事もある。彼等の身がやや心配ではあった。
 窓と鎧戸を閉じ、二人分の広さの寝台に身を投げ込み、天井を一瞥。前向きになれず、煮え切れず、どうしようもない思いが胸の中を去来し、心無しか顔付が険しくなっているのが自分でも見ずとも分かる。物の三分も寝台に横たわる様子もなく、バシラアサドは起き上がる。ハヤはまだ起きているだろうかと、酒の瓶と錫のタンブラーを手に階下へと向かうのだった。
 


 廊下には灯り一つ灯さず、窓から差す星明りだけが、行く先を示してくれるばかりだった。中庭には幾人かのセノールが外からやってきた商人と話をしているようである。聞き耳を立ててみれば馬車を修理するための木材を買おうとしているらしい。何故、直接言いに来てくれないかと言えば、彼が自分の不注意で側壁を壊してしまったようであった。自分の瑕疵を自分で始末をつけようというのだから、無駄に介入するべきではないだろう。それにしてもこんな夜中に呼び出されるとは商人が不憫だと、小さく笑いながら彼女は歩みを進め、開け放たれた工房の扉を潜れば、上半身が妙に捻らせて頭を抱えるハヤの姿があった。眼鏡を首から吊り下げ、少し白髪の混じった黒髪を振り乱す様は白痴の如く。こんな妻を持つルトは苦労しているのだろうな、と思わず苦笑いを浮かべる。
「まだ仕事中か」
 捻れたままで視線だけバシラアサドに向けたかと思うと、ハヤは小さく頷いて「うん、うん」とただ唸るばかり。何を悩んでいるのかと机に広げられたそれを見て、バシラアサドは瞳を見開くばかり。てっきり図面だとばかり思っていたそれはガラス容器に入れられた人間の胎児のような代物。その異形は赤い二つの目をしきりに動かして、ハヤとバシラアサドを交互に見据えるばかり。
「……なんだそれは」
「レゥノーラの巣から拾ってきた。返せってカンクェノが怒ってるのさ。厭だ、厭だ。あんなに青く光らなくたってねぇ。おかげで眩しくて眠れやしない」
 カンクェノの84階層には妙な代物がある。それはジャッバールの手の者しか知らない存在だ。白い肉塊の中を赤い液体が流れ、傷を付ければその液体が迸り賢者の石が精製されてゆく。バシラアサドもルーイットや、他の護衛を多数連れて実物を見たことはあったが、レゥノーラの数が余りにも多すぎる事から立ち入りを禁じたのだ。ハヤは何時の間にそこへ行ったのだろうか。事の次第、経緯を話せというバシラアサドの視線にハヤは気付いたのか、あたふたした様子で首から吊り下げた眼鏡を掛けなおして向き直る。
「いやぁ、ソーニアと昼間に行ってたんだよね。私だって銃は使えるし、一端の護衛にはなるでしょう? ――あぁ、それでさ。84階層で色々拾ってきたんだ。魔法の触媒にレゥノーラの胎児。その他は全部、倉庫にしまってきたから後で見てきな――、いったぁ……」
 大事には成らなかったが、一歩間違えば武器開発が全て滞るような事をしたハヤの足を踏み付け、バシラアサドは彼女の隣に座り込むと、そのレゥノーラの胎児を黙って眺めていた。76階層で回収してきた文書に記述されているホムンクルスの外見に似通ったそれは、空恐ろしくあった。それ同時に、人のような形をしているだけで、人ではないその化物を欲していたなどと考えれば、己の所業すら恐ろしく思えてくる。
「どこから生まれるか分かったんだから、あとは彼等を80階以下に閉じ込めて減耗しない状況を作って……、中のカルウェノやアゥルトゥラを駆逐したら事は成るよ。ねぇ? アサド」
 嬉々として語るハヤの言葉の端から、アゥルトゥラに対する怨嗟が感じ取られるのだった。屈託のない笑顔と裏腹に、彼女を狂奔に駆り立てた物は何かとバシラアサドは考え至り、それが己だという結論に行き着くなり、小さく溜息を吐いた。
 レゥノーラの胎児の真横に置かれた赤黒い酒、それを錫のタンブラーに注ぐ。レゥノーラの胎児はそれが物珍しいのか一つしかない瞳で視線を投げ掛けてくるのだ。己よりも幾らか背の高いハヤへ寄り掛かりながら、バシラアサドは時間の経った血のような酒を一口、そして溜息を吐く。
「……少し疲れた」
「あぁそう。ちょっと頂戴」
 ぽつぽつ言葉を交わす二人の思念は異なる代物である。一人は業罪に対する恐怖。もう一人は怨嗟を晴らす事が出来るという喜びである。喜ぶ者は恐れる者からタンブラーを引ったくり、赤黒い血のような酒を飲み干すのだった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.28 )
日時: 2017/04/02 23:35
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

4/2 加筆修正

 それからぽつぽつとハヤと言葉を交わしている内に酔ってしまったのだろう。どうにかこうにか自分の部屋に戻って来たようだ。記憶が全くなく、どうも情けない話ではある。また、それと同時に頭を鈍痛が走り、思わず顔を顰めるのだった。飲み過ぎた……、否。飲まされ過ぎたのだ。僅か蘇ってきた記憶を辿れば、途中からハヤが悪乗りしだした記憶がある。それに乗せられてしまった自分も自分だが、おかしな事を口走ったり、したりはしていないだろうか。レーヴァに見られたりしていないだろうかと、少しばかり不安に苛まれ、思わず頭を抱えてしまう。
 一頻り反省を終え、狙撃に最適な高所がない南側の鎧戸を僅か開けば、太陽の日差しがバシラアサドの青い双眸を焼く。思わず顔を顰めた。彼女は溜息一つ吐いて、昼まで惰眠を貪った己を恥じるように俯き加減になりながら、長い髪を手で軽く整え、居間へと向き直る。
 視線の先に居たのは机に伏せたハヤであり、彼女の傍らにはグラスと空になってしまった酒瓶。飲めない人間が酒に飲まれた成れの果てがそこにあった。己もその輩乍らであり、遠縁とはいえども親類。何処となく似通った性質があるのかも知れない。
「ハヤ。……ハヤよ。起きろ。起きて帰れ」
 机に伏せたハヤの肩を揺するも彼女は呻き声をあげ、机に投げ出された眼鏡を探し出そうと手を這わせていたが、無情にも右手が眼鏡を弾き飛ばし、それがそのまま床へと落ちてしまった。その事に気付かなかったのだろう、眼鏡がないと諦めたようでまた動くのを止めてしまった。
 どうした物かと呆れながらも机に伏せたハヤに肌掛けを被せた。これは起きそうにない。床に落ちた眼鏡を彼女の傍らに置くなり、バシラアサドは向かい合うように置かれたソファに腰を掛け、紫檀で作られた煙草の入れ物を手繰り寄せた。灰皿は既に目の前にある。一本だけ取り出して、吸い口を潰した後に火を付けた。青みがかった煙と共に何処となく甘い匂いが漂った。口に咥えた後、煙を肺に入れる。それを二度、三度繰り返す内に僅か残った眠気はすっかり覚め、二日酔いから来る頭の鈍痛も治まってきた。咥え煙草をして歩くなど、見っともない真似は出来ないため、静かにゆっくりと燻らせる。暫くするとハヤがもぞもぞと身を捩らせ、顔だけバシラアサドへと向く。
「……煙たいなぁ。禁煙したら?」
「人の楽しみを奪うな」
「煙草吸う人間が肩身狭い思いをする時代がいつか来るよ。時代を先取りしなよー」
「私が死んだずっと後の時代だろうな。そんな先の事をしたって意味はない。当世では評価はされまいよ」
 根拠のない未来予想を口走りながら、二人は顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべていた。こうやって妙に仲が良いのは昔からで、互いが大人になりいい年になったとしても変わらない稀有な事象であった。
「昨晩は良い物を見た。怪我もなく何より」
 珍しく労ってくるバシラアサドにハヤは目を丸くし、その薄ら笑いを如何にも人の好さそうな優し気な物に変えて見せた。彼女はセノールにしては表情が豊かで、ころころと顔付を変えてくる。何とも「にへら」っとした間抜けな顔であったが、何処となくバシラアサドは毒気を抜かれてしまう。
「別に良いんだってー。私も少し興味あっただけだったしさ」
 もしやソーニアはこんな軽いノリで危険な階層に護衛なしで付き合わされたのだろうか。そう考えれば、どうにも彼女に対して申し訳なくなってくる。今月の給金は少し上乗せしておこうと、心に決め煙草を灰皿に押し付けた。
「そういえば、レゥノーラって共食いするって知ってた?」
「カンクェノは全てルーイットに任せているからな。私は知らん」
 やっぱりか、と言いたげな表情をしながらハヤは身を乗り出し、バシラアサドの耳元でわざとらしく囁くのだ。
「――何も知らされてないなら、気を付けた方が良いよ」
 ハヤの真意が読み取れず、バシラアサドは彼女の腕首を強く握りしめた。それこそ腕に痕が付いてしまうのではないか、という程にだ。
「どういう意味だ」
「そのままの意味。あの人達ずぼらだから、レゥノーラを間引かないで共食い進めちゃったら、あいつら強くなるでしょ? それで手に負えないなんて話にならないからさ。ちゃんと締めるとこ締めなきゃ駄目」
 ハヤの言葉は組織を案ずる故の警告であった。ルーイットの悪巧みでも見受けられたかと邪推してしまった己を恥じ入りながら、ハヤの腕から手を離した。
「……明日、カンクェノに潜るが来るか」
「お断りしておくよ。今日のツケを清算しなきゃ。まだ翻訳しなきゃいけない所があってね。ノヴェスクの言葉よく分からなくてさぁ」
「そうか、あまり無理はするんじゃないぞ」
 勿論とハヤは仕切りに首を縦に振り、にこやかに笑って見せた。彼女の胸元では首から吊り下げた眼鏡が首と同じように縦に揺れ動き、その存在を主張しているのであった。





 翌日、バシラアサドの姿はハヤに話した通り、カンクェノにあった。肩からはライフルが吊り下げられており、腰にはいつものソリッドフレームのリボルバーが一挺。傍らにはシャーヒンとその配下が四人、ルーイットの輩が五人あった。彼等は物々しい装備をしていたが、それを恐れ、忌諱する様子もなく護衛を求めた学者が便乗しているのは気のせいではないだろう。シャーヒン達はともかく、レヴェリの傭兵達は彼等のような存在が面白くないのだろう、ちらちらと後ろの様子を眺めては嫌そうな顔をしていた。
「大将。……あいつ等、邪魔だろ?」
「学者と言えども組合に入ってない者も居る。そうなれば傭兵を付けられん。致し方あるまいよ。……それに学者は私達を支持してくれる。無碍には出来んさ。堪えろ。……あと私を大将だとかおかしな呼び方をするな」
 一尺以上も背の高いレヴェリ傭兵を噛み殺しかねないような視線が向けられ、彼は一瞬身動ぎしつつ苦笑いを浮かべる。セノールはどいつもこいつもこうだ、と厭々した様子であった。
「ルーイットがそう呼べってよ」
「あいつ……、後で傷を殴ってやる」
「やめてやれよ。治るもんも治らねぇ」
 レヴェリ傭兵がそうバシラアサドを揶揄するような軽い口調で戒める。彼等は生来、おちゃらかすような性格の者が多く、誰に対しても外面が良い。冗談も良く口にするし、何よりもよく笑う。尤も笑うと嗤うが混在しているようだ、と皆が口にする。彼等がそうあるのは北方のヴィムート、南方のアゥルトゥラ、両者からの侵攻を受け、時と場合によっては恭順する姿勢を示し生き永らえる選択を取り続けたからだ。それと同時に面従腹背、頭を下げるも舌を出し嘲笑い、背を向けた途端に襲い掛かるような事もしてきた。故に彼等は軽薄に振る舞い、笑みを湛えて、いつも面白可笑しく、馬鹿嗤いをしているのだ。それがどうだろうか、相対してセノールは笑う気配すらなく口を堅く噤むばかり。特に語る事も
無ければ、学者などには興味もない。存在は確りと気付いているというのに。それはバシラアサドが幼い頃、よく見た光景である。セノールに於ける武門、特にガリプやハサンに見られる一種の精神疾患のようなものであり、個を殺しきった戦うための機械は鉄火場の空気に振れた途端、電源が入りこうなってしまう。実の父や、友の親もこうであったため、バシラアサドは少なからず悪い印象を抱いていた。悪しき慣習であり、斯く在れという教えを強いられた故の帰結した姿である故にだ。ややもすれば思考は凝り固まり、その果てに停止する。そして、何時かそのまま心臓の鼓動を止め、何も言わぬ骸となる。それが武門の性であり、咎であるように感じられた。
「この廓に住まう人成らざるは、我々の背におばれうとそこ等で唸るか。……お前達もよくこんな所に入る」
 ふと、シャーヒンが言葉を漏らす。どういう事だと彼が腰に刺した厭に反りの強い短刀、それの柄に手を掛けて再び口を噤んでしまった。レヴェリの傭兵達が「どういう事だ」という顔をしている。シャーヒンが口走った言葉は始めてルーイットを此処に連れて来た時も口走っていた。「何かが背につこう」としていると。ルーイットやシャーヒンには分かるが、バシラアサドやレヴェリの傭兵達には分からない事象。
「何があるのだ」
「……我々を帰す気がないのだろうな、この廓は。心を蝕み、身を壊し、人の生。その歩みを枉げる。我々のような人の生、その歩みを止める者よりも性質が悪い」
 相変わらずよく分からない言葉を吐いて、暗闇を睨みつけるばかり。今思えばジャリルファハドもこういう所があった。ハサンで育つとこうなってしまうのだろうか、アースラはこうではない。誰が悪さをしたのだろうか。
「此処に巣食うレゥノーラとやらは二つに裂き、微塵としても死なぬと聞いたが本当か」
「いや、頭を潰せば死ぬぜ。うちの大将なんて壁に叩き付けて殺す」
 大将とレヴェリの傭兵が口走るなり、シャーヒンがバシラアサドを一瞥する。
「私が出来る訳ないだろうが、馬鹿者が」
「知っている」
 分かっていて揶揄するシャーヒンに腹立たしさを覚え、バシラアサドは舌打ちを一つ。セノール同士がいがみ合うため、レヴェリの傭兵達は困ったように苦笑いをして、その間を取り持つように割って入る。巨躯が役立つ時が一つ増えたなどと思いながら、傭兵達を押し退けてシャーヒンの足を踏みつけようとするバシラアサドを制するのだった。
「で、何をしようってんだ」
 レヴェリの傭兵は少し呆れた様子で脈打つ白い肉塊を踏み付けながら、怪訝な顔でバシラアサドに問う。一様に答えを求めているようで、シャーヒン達も横目で視線を向けていた。じっと向けられた視線は、まるで肉食獣のよう。久しく向けられていなかった、セノールの武門のそれが心地よく、バシラアサドは口角を僅か、吊り上げてくつくつと笑うばかりである。「遂におかしくなったかぁ?」等とレヴェリの傭兵が軽口を叩く。
「少しこの塊を間引いてくれ。なに裂けば動かなくなる。それとお前は減給だ。馬鹿者が」
「そりゃあないぜー」
 減給だと言われたレヴェリの傭兵は、大袈裟に声を上げているのだが、彼の目は据わっており、腰に差した鉈が抜き放たれるなり、松明の明かりを受け朱色に染まる。セノールのそれに等しく厭に斬れる鉈、長さにして三尺余り、幅にして二寸五分ほど。厚みに至っては一寸弱あるそれは刃物というより、最早鈍器に等しい代物であった。無骨ではあったが、力だけでも骨をも断ち得るそれにシャーヒンは目を奪われていた。
「受け太刀は死だな」
 感慨深そうに呟きながらも、シャーヒンは己の短刀の柄を握った。レヴェリのそれと相反するように短く、薄く、扱いの難しいそれであり、何より受けたら短刀ごと身を斬られる。体躯では劣る故に受け太刀などせず、躱す選択を取るがレヴェリと戦えば、命は風前の灯火に等しいだろう。
 特に臆する様子もないレヴェリの傭兵達は、それぞれが白い肉塊を引き裂き辺りに赤い血のような液体を巻き散らしていた。空気に触れるなり、すぐ硬化してしまうそれを踏みしめながら、歩む彼等を見据えながらシャーヒンは口を開く。
「これに何の意味がある」
「この化物達は謂わば無尽蔵に増える、カンクェノ自浄作用だ。それも共食いを進めて、強くなる。ある程度間引かなければ私達に害をなす。それに――、最終的には私達がアレに打ち勝たねばならない」
 淡々と語るバシラアサドがどうにも悪鬼の群れの長に見えて仕方がなく、シャーヒンは彼女の言葉を半分も耳に入れていなかった。カンクェノには異形である化物が確かに巣食う。人間を標的とし、血を啜り、その身を喰らう化生が存在している。それは大凡すべてが人間の敵であるはずであり、人間がそれに肩入れするなど在っては成らない事であるはずだ。
「何を企んでいるか知らんが、畜生に身を窶せば、どうなるかは分かっているだろう」
「さて、な」
 シャーヒンが何のことを言っているかは、薄々感づいては居たがバシラアサドははぐらかすように声を無く嗤い、足元に落ちている賢者の石へ手を伸ばした。松明の淡い朱色に照らされ、紅玉よりも深い赤を晒すそれを一頻り眺めては、石畳の上へと投げ出した。かつん、という軽い音を発して落ちたそれは幾つかの欠片となって砕け散るのであった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.29 )
日時: 2017/09/21 21:22
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

8/22 加筆修正

 ジャッバールの屋敷。あの場所には地下がある。そこには銃器、それに伴う弾丸。刀剣の類が大量に隠匿されており、外部の人間は存在すら知らない。バシラアサドがカンクェノから帰ってきてから、既に半日ばかり経っているのだが、それ以前からハヤはそんな場所に篭っている。話によれば改良した小銃を組み上げ、微々とした調整をしているようだ。ヴィムートの技術を基とし、セノールの思想により作り上げられたそれは戦場の様相を変えてしまう事は間違いない。
 恐らく彼女が小銃の開発を急ぎ始めたのは、先日のナヴァロからの攻撃が原因だろう。今の銃でも問題なく戦える上に、張子の虎である多銃身機関銃を所持している故、実の所クルツェスカの既存勢力は取るに足らない。それでも開発を急ぐのは優位を確保しておきたいのだ。
 今のクルツェスカには戦の匂いが漂っている。ナヴァロの兵は傭兵としては異例なのだ。兵站を所持し、装備を統一化された軍のような存在である。その中で少数の兵だけで本命を討つためだけの部隊が存在している。その中の一人がルーイットに深手を負わせたジェリド・ボーフォスである。ハイドナーの私兵や、キールの傭兵などとは比べられないような兵を率い、ある特定の標的だけを討つのだ。その兵の運用方法はセノール、サチの武門の手法に似通っている。規模こそ小さいのだが、都市でそのような戦い方をするならば充分な兵力。市街戦であれば数は少なく、装備は潤沢な方が良い。以前、ナヴァロと戦った時には一般市民に偽装し、ナヴァロは攻撃を仕掛けてきた。今となればクルツェスカの住人に被害が及ぶため、そのような手法は取らないのだが、彼等はそのような搦め手をしてくる事も有り得るだろう。
「どうした、変なもんでも食ったか」
 脇腹を押さえてバシラアサドを揶揄するルーイットは怪訝な顔をしながら、彼女へと問いかけた。何か考えているかなど言葉に出さなければ分からない。どれほど長い付き合いで、気心が知れた仲だとしてもだ。彼の問い掛けにはっとした様子でバシラアサドは向き直り、首を横に振るう。
「……どう戦うべきか、とな」
「どう、か」
 何かを考え込むようにしてルーイットは顔を背け、口を閉ざす。如何にして敵を屠るべきか、と思考の渦が巻いているのだ。思考の激流は黙示録の獣を呼び起こし、厭に悪辣で邪まなものが言葉に成ろうと喚き散らしているのだ。
「クルツェスカの中で戦っちゃいけねぇぜ。外だ、西側からの兵站と地の利を得なければナヴァロと戦うのは難しい」
「だが狙いは私だ。私が此処を空けなければナヴァロは動かないだろう」
 バシラアサドが動かない限り、ナヴァロは兵を動かさずクルツェスカの石畳の上で半目を開けて寝たふりを決め込む。ともすれば包囲網を狭めつつ、この屋敷に対する偵察、密偵を進める事となる。地下の武器庫の事は知られるべきではない。ともすれば事を急ぐ必要すらあるだろう。
「戦力を三つに分ける。ハサン、ジャッバール。そして俺等だ」
「ハサンでナヴァロの首を狙い、我々で陽動をし、お前達を直属の護衛とする、か」
「正解、ヴィエ・ワーディーで討つ。ま、一筋縄じゃあいかねぇけどな。何十人も死ぬだろうさ」
 そう語るルーイットの表情はさぞ愉しげであり、嬉々としながら血を流す術を語り続ける。シャーヒンやアル=ハカンを頭目としハサンを放ちナヴァロの首を狙いつつ、ヴィエ・ワーディーへは影武者として少数の兵とハヤを向かわせつつ、カシールヴェナから兵を出し伏兵を敷く。そしてバシラアサド自身はクルツェスカで護衛と共に待機し、自身の姿は隠匿する。
「多少の障害はあるだろうが勝算はあるのかね」
「勿論よ。ま、ボーフォスには気をつけなきゃいけないけどな、まだ傷もこの通りだ」
 先日の刺創は癒え切らず縫われていながらも、傷口は熱を持ち僅かに化膿していた。心配げにバシラアサドはその傷を衣服の上から触れるとルーイットは一瞬だけ表情を歪め自嘲している。彼女の傷のない手が傷だらけの手が触れ退かす。はと気付き、申し訳なさげに眉根を下げながら手を離すのだった。
「気にすんな。……ただ触られるといてぇから勘弁してくれよ」
「……すまなかったな」
「良いって事よ」
 そうやって笑いながら彼は立ち上がるのだが、小さく呻き声を挙げていた。刺し貫かれ抉り取られたような傷は幾ら頑強なレヴェリといえども重大な負傷なのだ。彼は笑ってばかりだったが、その翳りのある笑みにバシラアサドは居た堪れない思いを抱き、大きく溜息を吐いた。
「お前の傷が癒えるまでは私は事を構えんからな」
「あぁ、そうかい」
 参ったと言いたげなルーイットはバツが悪そうに踵を返し背を向ける。ボーフォスに刺されたのは己の慢心が原因であり、その負傷はジャッバール総軍の士気を揺らがす物となった。そして、今己の命が掛かっているというのに傷が癒えるまで事を起こさないと言い放った当主の甘さが見えてしまった。セノールの人間はいつもこうだ。親しい者の苦境に足並みを合わせ、自身を擲とうとする。冷血で冷徹な砂漠の化身の内側にある温情、それが今一歩の所で火蓋を切らせてくれないのだ。
「俺ならやれるさ、お前を少しだけ守るだけだ」
「お前に死なれては困るのだがな」
「善処するさ」
 背後のバシラアサドの表情など分からない。ただ言うなれば、その青い目に翳りを宿している事だろう。見てはならない、見てしまったら彼女の背を押せそうにないのだ。だがしかし、彼女が今歩み出す事がないのも事実。ともすれば彼女の復讐を決定付ける何かが必要なのかも知れず、ルーイットは内心頭を抱えざるを得ず、どうしたものかと溜息を吐いて部屋を後にするのだった。



 ルーイットが居なくなってから部屋の中は静まり返り、バシラアサドは気を紛らわせるかのように帳簿に筆を走らせていた。カシールヴェナからクルツェスカへと移された物資の帳面上の管理は大凡全て彼女が受け持っている故である。
 気付けば暑さは何処かへと消え失せ、僅か薄暗い。帳簿を閉じ、ぐいっと背伸びをしながら小さく欠伸を一つ。先程ルーイットへはまだ事を起こさないと言ったものの恐らく彼は意気軒昂を装い、外敵を討ち払うべきと主張するであろう。事を急がず、出足を渋れば先手を取られ、後手に回り、終に死に果てるのみなのだ。戦は先手を取らねばならず、その為の犠牲は止む無し。そこに温情など無い。気を許した友の屍が転がるとしてもだ。
 扉を開き窓から僅か差し込む斜陽はすっかり赤みを失っていたが、廊下に彼女の影を伸ばすだけの力は残されていた。小腹が空いたなどと思いながら、階下へと下っていけば門番達が気さくに声を掛けてくる。この者達も戦の果てに死んでしまうのかと思えば、ちくりとした痛みが何処かを走る。一つ、二つ、時には三つと言葉を交わして食堂へ入るとそこには酒瓶を輩としたルトとハヤの姿があった。珍しく二人して話し込んでいるようだ。あの二人は互いに忙しすぎる故、夫婦だという事をすっかり忘れられている。
「もう今日は終わりか」
「こっちは大した仕事も無しに無事平穏ってさ。俺みたいなのが暇なのは良い事だ、ハヤは……、まぁ察してくれよ」
 ルトはそう肩を竦め、呆れたように笑いながら灰皿に置かれた煙草の火を消し、座れと長椅子の端へと身を寄せた。それと同時に向かい側に座っているハヤの姿が見えるのだが、すっかり酔っ払い出来上がってしまっており、意図しない嬌態を作ってしまっていた。
「……ルトよ、これが私の従姉だ。幻滅しないでくれ」
「良いって事よ、昔からだろ。こいつ」
 ハヤはバシラアサドの従姉にあたるが、幼い頃から何処かだらしなく締まりのない性格であった。そのくせ腹の中で何を考えているかも分からず、人よりも幾分も早い頭の回転を恐れられていた。二番目の子であり、女の身である故に家督を継げる立場ですらない。そんな者を嫁として貰ったルトにバシラアサドは感謝しているのだ。親しい者と一緒になり、身内を殺す事もなくハヤが隠れた狂気を発露せずに居られる事にだ。
「しっかし、こないだは大丈夫だったか。お前も撃たれたろ」
「弾は当たってないからこの通りだ、あまり身を案じてくれるな。気恥ずかしい」
「そいつは悪かったな」
 そうやってへらへらと笑っている彼も相変わらず昔から変わっていなかった。笑みは優しげで、その気の良さが現れている。彼はアゥルトゥラに対する怨嗟を抱いている訳ではない。口では散々な事を言うがそういう人間ではない。それで居ながらもハヤと共にジャッバールへ身を寄せ、尽力してくれている。恵まれている、もう少し若い時にそれに気付いたならば、暴力を好み、血を啜り、毒を撒き散らすような生をせずに居られたのかも知れない。そして何よりも今こうして親しい者を失うかも知れないという恐怖に苛まれずに居た事だろう。気付くのが遅すぎたか、とバシラアサドは自嘲し、煙草の火を付けるのだった。



 軽く食事を済ませ、ルトと共にハヤを居室に放り込んだ後にバシラアサドは夜風を輩とし、窓の向こう側に広がるカンクェノの遺構を見据えていた。引き上げるのが遅くなったのだろう、幾人かの学者やそれに雇われる傭兵が歩いているばかり。あの過去の遺物はまだ現代の諍いの場となってはいない。歴史、時間に取り残されたのか、はたまた未来を拒絶したのか。あそこだけは今のクルツェスカにおいて平穏を保っているよう感じられた。それがとても心地よく、何となく落ち着けてしまう。冷たくようようと爽やぐ風は戦の熱を取り去ってくれるのだ。
 傭兵や学者も居なくなってしまえば、場末の売春婦や浮浪者の類が闊歩し始める。それが少しずつ多くなり、かれ等以外の人々も往来に加わり夜の街は混沌の様相であった。往来は喧騒を生み出し、喧騒はその中に紛れる人々の思考を麻痺させ、熱狂の夜を醸す。
「随分と賑やかだな」
 開け放たれた扉を二度ばかし叩かれ、その者は矢継ぎ早に茶化すような言葉をバシラアサドへとぶつけた。ガリプより離反した兵の一人であり、彼は暗がりの中、足音の一つを立てる事もなく歩み寄ってきた。
「カシールヴェナは夜皆寝てしまうからな」
「あそこはー……まぁ、娯楽もへったくれもあったもんじゃないしな。……手紙来てたから置いとくぞ」
「あぁ、すまないな」
 彼は態々、手紙を持って来るためだけに来たのだろう。軽い小さな礼一つですぐさま踵を返し居なくなってしまった。彼の背に小さく返礼をし、バシラアサドは机の上に置かれた手紙に手を伸ばし、それを見据えていた。送り主はフェベス・メイ・リエリス。現在のメイ・リエリスの当主である。ソーニア・メイ・リエリスや既に死したキラ・メイ・リエリスの実父であり、クルツェスカにおいてアゥルトゥラ東部へのパイプを持つ数少ない人物である。そんな男の手紙を開けば、剛毅さを感じさせながらも整った文字が記されていた。視線は文字の上を滑るように走り、その内容を読み取っていくにつれ、バシラアサドの口角は吊り上がり、目まで笑い始める。内容はさぞ愉快な物だったのだ。アゥルトゥラ東部沿岸域の防備を一手に受け持つ辺境伯セーム・オルト・ルフェンス、彼女の率いる兵団の凱旋。彼等の戦力規模から行動日程が逐一記されていた。手紙の送り主であるフェベスは姦計を用い、多くの政敵を蹴落としてきた男であるが同じく東部沿岸域の防備を担っていたナヴァロの帰還を顧みる限り、虚報ではないだろう。返書を早急に認めなければならないと机に着くなり、筆を握り走らせ、ものの数分も経たない内に書を認めるなり彼女は廊下から階下へと向かい始めた。
 階段の踊り場ですれ違ったルーイットは怪訝な顔をしながら、バシラアサドを一瞥する。彼女の歩は彼の視線に止まる事はない。厭にぎらぎらとし、何かを思いついたような表情の彼女にルーイットは首を傾げながら階上へと向かって行った。

Re: それでも獅子は吼える ( No.30 )
日時: 2017/09/21 22:29
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 戦の気配、戦の匂い漂ってくるそんなものを嗅ぎ取りながら、東の兵の一団は渓谷を歩む。三千人ばかりの集団であったが、顔付きは厭に精悍で引き締まっており、平和という言葉を知らないのではと思える程にぎらぎらとしていて、その場に居るだけで空気は凍て付いているかのようだった。アゥルトゥラの皮を被ったセノールであるかの如く、その様相は異質である。
 それぞれは得物となるアレナル製の小銃を携え、腰にはセノールの物を模倣した騎兵用の剣が差されている。彼らはアゥルトゥラ東部の海岸線をロノペリの侵略、略奪から防備し武勲を挙げた百戦錬磨の兵であるのだ。アゥルトゥラ東部の要所、フィカルディラの守備を受け持つルフェンス辺境伯が率いるその兵はアゥルトゥラにおいて至上とされる。
 周囲の兵らと同じような格好、装備をし、自身もまた馬に跨った女が大きく欠伸をしていた。濡れた烏の様に黒々とした長髪が風に靡き、乱れるも気にする様子もない。彼女の名はセーム・オルト・ルフェンス。女狐などと称される女傑であった。
 西も東も海の有無しか変わらない、西から来る風は厭に血腥く、東の海の青は赤く汚れている。世も末というべきなのだろう。人間が存在し、それらの一部が業悪を番とし孕む。ともすればその子を、その親を殺めるしかないとセームは考えるのだ。この血腥さを消し去るには血で上書きするしかない。言葉の通じない獣であればそれしか術はない。銃を構え、引き金を引き、剣を抜き、穿つ。それで全ての事は解決するのだ。
「どこも変わりませんなぁ、東はロノペリ。西はセノール。北はヴィムートと来たもんだ。南くらいですな、平和なのは」
 傍らの兵が言う。彼の額には大きなガーゼが貼られており、僅かに血が滲んでいる。ロノペリとの戦いの最中、額を横一文字に切りつけられたのだ。それを見てセームは憂いを帯びたような視線で彼の顔を見据え、小さく穏やかに笑って見せた。
「……平和ならお前もそんな傷を負わずにすんだだろうし、今こうして凱旋に付き合わされる事も無かっただろうに。我々貴族が不甲斐なさが露呈してしまったよ」
「なぁに俺はこうして生きてますし、何より孤立した俺達を救いにあなたは自ら来てくれたではないですか、何が不甲斐ないというんです」
「見捨ててしまっては士気に関わるだろ、お前の死に顔を見たくもないし、お前の死体が弄ばれると考えたら居ても立っても居られなくなったってだけさ」
「自分もそうなるかも知れないというのに……。何も不甲斐なくなどないでしょう、全く」
 傍らの兵は苦笑いと共に苦言を呈す。兵からは慕われているのだ。皆、東部出身故に歯に衣着せぬ物言いをしてくるが、彼等の言葉にはセームを慕う思いに溢れているのだ。理想的な兵と指揮官の関係であろう。兵はセームの為に命を賭し、セームは兵の命が危険に晒されたならば即座に駆ける。それも持たざる民の為という強い信念という地盤が存在するからだ。兵が一人欠けると戦に破れる可能性がある。指揮官の人望がなければ兵は一身を賭して動かず、結果的に敗れる事となる。
「本当に苦労を掛けるよ、クルツェスカに着いたら宴でも開こう。……先に帰ったナヴァロの馬鹿者を呼び出さなければな」
「ナヴァロだけで良いのですかね、リエリスは? 嘗ての西の守護ですから顔を合わせても……」
「クルツェスカに守護は居ない。ハイドナーは時代に遅れている、一撫でで滅ぶぞ。残るヴィアとリエリスに力はない。いや、リエリスは剣をペンに持ち替えたか」
「時代を先取ってますなぁ」
 兵はそうやって軽口を叩き、ガーゼの上から傷を掻いた。彼としてはただただ大勢で騒ぎたかっただけなのだが、真面目に返されてしまった所為で白けてしまったのだ。セームがそれに気付いた頃には既に遅く、傍らの兵は意地の悪そうな顔をして笑っていた。
「ま、戦勝凱旋ですから見っとも無い姿は見せられませんでしょう、我々だけでひっそりやりますよ」
「お前達の人数でひっそりって無理じゃないか?」
「まぁ、無理ですな!」
 訳分からない奴等だとセームは首を傾げる。同時に彼等は悪さを働くような兵ではない。好きにさせておこうと自身に言い聞かせて静かに笑みを湛えていた。その表情は沿岸防備を一手に引き受けるセーム・オルト・ルフェンス、その人ではないかのようだった。彼女は女狐などと称されるが、そんな雰囲気は全く感じられなかった。
「俺達に遊ばれているなぁ」
 遠巻きに兵は静かに笑いながらセームを見据えている。引き締まり、平和など知らないようなぎらぎらとした顔をした兵の姿は無い。穏やかな人間の姿がそこにあるだけである。そんな彼等が戦に生き、血を流し、戦う兵となるとは考えられない。



 自身の配下である兵にからかわれながらもセームは渓谷を抜け、運河を眼下に納めた。それは一切蛇行せず真っ直ぐ伸び、クルツェスカの防壁を貫いている。巨大な城塞都市に巨大な運河。アゥルトゥラ東部では有り得ない光景にセームは息を呑む。彼女の配下も同様に目を奪われているようであた。
「嘗てザヴィアとリエリスが命懸けで守った土地、か。……美しいよ、凄く」
 セームはぼそりと感嘆の意を唱える。西に広がる砂漠に太陽が沈み、赤い砂漠からの照り返しがクルツェスカの防壁を赤く染め上げている。それと同時に此処から先にアゥルトゥラの祖であるエツェレスを進めず、彼を討ったセノールが近くに居るという事に危機感を覚えるのであった。五十年前の西伐では大勢のセノールを討ったが、アゥルトゥラの負った人的損害はそれを遥かに超える。そんな者達が未だに存在し、クルツェスカにも根付いているというのだ。セームの先ほどまでの明るかった表情は僅かに強張っている。血腥い戦の匂いの原因はそれだろうと、結論付けるなり更に表情は硬くなっていく。
「こりゃあ夜遊びもダメですなぁ」
 傍らの兵がそうやって軽口を叩いて笑っている。彼もまたセームと同じように、今のクルツェスカが異常だという事に感付いているようであった。戦が起きる――起きている。そんな気配を感じ取れるのだ。ロノペリと戦いすぎた故に常人に理解されざる感覚を身に着けたのだろう。
「危なくて入れないな……。野営の用意を進めろ。夜のクルツェスカより此処の方がマシだ。酒保の酒を全て持ち出しても構わない、飲みすぎるなよ!」
 セームの号令に兵は目を丸くしながら、各々の思いを口にするも方向性は一致しており、酒が飲めるという現実に喜んでいるのだった。
「グスルト、私は一旦クルツェスカに入る。補給の要請をせねばならないだろう。そろそろ糧食も水もなくなるだろう?」
「気を付けて行ってくれよ、俺はこの酔いどれ予備軍を見張ってるからさ」
 グスルトと呼ばれた副官はセームの発言を退ける事もなく、崩した言葉でそう答えて見せた。他の兵との違いは彼がセームの兄貴分であるという事だけだろう。昔からの好であるからこその言葉遣いである。それと同時にセームはきちんと帰ってくるという信頼もあるのだ。
「あぁ、分かってるよ」
 そう言い残し、馬を走らせたセームをグスルトは振り向いてみるような事もしない。彼の表情もまた硬く、少し浮かれた様子の兵を見据えているばかり。セームの馬が走り、蹄の音は少しずつ離れていく。それでも尚、心配の一片を見せるような事はないのであった。
 

Re: それでも獅子は吼える ( No.31 )
日時: 2017/09/29 00:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暗闇を駆ける一騎がクルツェスカへと至るまで然程の時間は掛からなかった。運河に掛けられた橋を渡り、小川を三つ、石畳に乗ったならば瞬く間すらない。セームは東の門から入り込み、人垣を避けながら大路を二つ、三つと越えると簡素ながら長い間、そこに建ち続けているであろう屋敷が姿を現した。そこは嘗てクルツェスカの守護者、その片割れであるメイ・リエリスの屋敷であった。炎を輩とし、存在を主張する松明。その炎は厭に赤く、炎を以ってして敵を焼き払い、屠り続けた魔術師の末裔であると、暗に語っているかのようである。
 手綱を厩舎の柵へと括りつけ、乱れた黒髪を手で大雑把に整えるとセームは屋敷へ向けて歩き出した。屋敷に人気は無く、閑散としている。嘗ての栄華など微塵も感じられる様子がない。壁に手を伝いながら、彼女は歩み漸く辿り着いた扉を二度、三度叩く。
「……誰だね?」
 二十秒程、間を置くと扉の向こう側からくぐもった声が問う。低く、唸るような剛健さを感じさせるような男の声である。この男が言葉で人を殺すフェベス・メイ・リエリスであると想像に容易く、セームは僅かに息を呑む。何せ十数年ぶりの再開であるのだ。相変わらずのフェベスの声色に身が少し強張ってしまう。
「夜分にすみません、ルフェンスです」
 扉越しに名乗ると間髪入れずに扉は開かれた。扉の向こう側から姿を現したのはフェベス・メイ・リエリス、その人であった。フェイスラインに沿って伸ばされた赤い髭、無造作に後ろに流された赤毛が厭に目を引く。しかし、その風貌に相反し彼はにこやかに笑って見せる。随分といい笑顔に緊張は拭い去られ、セームの口元もつられて緩んでいく。
「随分と久しぶりだ、東での武勲聞き及んでいたよ。さ、入りたまえ」
 フェベスはそうやってセームを屋敷の中に招き入れた。屋敷の中には矢張り人気がなく、静まり返っている。それで居ながら整然としていて埃一つ見受けられない。大凡、人が此処に暮らしているという生活感ではないのだ。人の暫く立ち入っていない廃墟のような静けさばかりが此処にはある。
「水も糧食ももう手配しているから安心しなさい。クルツェスカはとても寛げる状態じゃあないけどな。……まぁ掛けたまえ」
 随分と手際の良い男だと思いながらも促されるまま、セームはソファーに腰掛けた。柔らかいソファー感触は久々で思わず溜息が漏れてしまうと、恥じ入るように顔を俯けた。フェベスはその様子を見ているのだが、表情に一片の笑みすらなく、くぐもった深緑の瞳がただセームを見据えているばかりであった。鉄仮面を被った何かが小さな穴から瞳だけを覗かせているかのようだ。
「何とも手早い限りです。……クルツェスカに私の兵は入れておりません、どの勢力も刺激すべきではないと思っているので」
「だろうな、ルフェンスの兵がぞろぞろと入ってきては空気が変わる、淀む。もっと酷くなると熱が生じ、最後は燃え上がる。君は火薬庫の中で煙草をふかして歩くような奴ではなく、静電気すら注意してくれるようだ。さて……」
 淡々とフェベスは一人ごちるように言い放ち、セームの前に一つの書状を差し出した。差出人は砂漠の化身たる武門の一つ、ジャッバール。セームはそれを見据えながら何事だろうかと僅かに眼を見開いた後、その書状へと手を伸ばした。
「……なるほど、我々への進駐依頼ですね」
「然り。力不足のハイドナーでは治安を維持し切れない、内外の防備は十分に出来ない。彼等が傭兵を主力とする段階で治安の維持は不可能だ。もうそういう時代ではない。そもそも憲兵の活動を阻害する。ともすれば彼等の存在がクルツェスカを乱す、と部外者が言っていてね。……彼等は生来の侵略者であるからだろう、そういう所には厭に鼻と目が利く」
 ジャッバールの発言は尤もであるとセームは一人納得したのか、小さく頷いた。至極当然な話であるのだ。一貴族が利権を握ってから既に五百年も経つ。自警主義を振り翳した故の冤罪、有無を言わさぬ弾劾、これ等が横行したのだ。成り上がりに利権を握らせてしまう愚行を犯した、先人の罪を雪げる時期であるとフェベスは判断したのであった。
「我々メイ・リエリスに戦を行う力はない。姦計を仕掛け、身動きを取れぬようにするだけだ。……ハイドナーの利権を削るのには苦労したよ、既得権益の悪行を彼女達に知らせ、それを打ち払う事で彼女達へ民衆の支持を得させた。結果、商人の行動抑制に成功。……次は武力の出番だ、ナヴァロでも良かったが彼等はジャッバールと敵対してしまってね。彼等を一撫でで殺し得るとなると君達しか居ないのだよ」
 まるで外患誘致を是とするかのようなフェベスのやり口に少し不快感を覚えながらも、彼の何年も掛けてまで自警主義を打ち滅ぼそうとする意思が感じられた。自身は外から来る者を斃し、アゥルトゥラを守護する者である。彼は内部の毒をあらゆる手立てで斃そうとしているだけに違いはない。やり口は異なれどアゥルトゥラを守ろうとしているのは確実である。
「……兵の常駐は難しいです。……そうですね、運河を用い東部との通商を開始して貰えますか。その護衛として我々の兵を使い、頻繁に出入りさせましょう。それだけで十分です」
 多くの兵を率いては居るが、東部の防備は引き続き行わなければ成らず、クルツェスカへ兵を常駐させるともなれば戦力が低減してしまう。それが原因となり沿岸防備が疎かになる事だけは避けたい。故の折半案であった。商人でもないというのに商いを絡めるとは可笑しな話をするとフェベスは思いながらも、一つ口を開く。
「寡兵で戦い抜いたやり口かね、少数に潤沢な装備を持たせ、戦わずして敵を戦から遠ざける。……謂わば抑止力という奴か」
「えぇ、敵は人間。死ぬという事には少なからずの恐怖がありますから。優れた武器をちらつかせて恐怖を植え付けるというのも手です。……何はともあれ私達ルフェンスの出来る事はクルツェスカに兵を流入させ、我々の目があるという事を内に知らせる事だけです。常駐は無理です」
「あぁ、それでも構わない。しかし、これで漸く内外の防備もまともになる。感謝するよ、セーム。……さて、疲れていないか。俺の娘が使っていた部屋がある、休んではどうだね」
 この男は……と思わずセームは呆れそうになってしまった。補給準備の完了と話したい事だけを済ませるともう用はないと言わんばかりに休めと言うその余所余所しさに対してだ。キラやソーニアは既知であるが、この様な人物ではない。この男の妻であるクレシダとてそうだ。
「ソーニアは?」
「あぁ、今家を借りてね。此処を出て行ったよ、いい加減いい人でも見つけてもらわねば困るのだが。孫の顔も見たいからな。……どこか良いのを知らんかね」
「東の人間は粗暴で粗野です、釣り合いませんよ。それにメイ・リエリスを継がせるとなれば婿ですか、うーん、何とも」
「……最早貴族が幅を利かせる時代は終わる、あいつも普通の立場などない男とくっついてくれたら良いのだ、名などどうでも良いではないか。生きた証がそこに残るならな」
 独り言のように語る、フェベスの目は厭に優し気で笑っているように見えた。鉄仮面が剥がれた瞬間なのだろうか、それともまた別の仮面を被ったのだろうか。
「名は要らないと?」
 その問いにフェベスは静かに笑みを湛えつつも、その瞳に哀愁の色を宿したようであった。何故か自分がとても惨めに思えてくるのは何故だろうか、見透かされ、蔑まれているような念を抱く。それに言いようの無い不安を覚えるのだ。あぁ、やはりこの男は魔術師の末裔だ、言葉だけではない存在するだけで畏怖を抱かざる得ず、心が掻き乱される。
「名など何れ価値を成さなくなる、貴族なんて物は微塵の価値すら持たない荷物になるだけだ。何れ……、何れな。セーム。君は恐らく選択を迫られる事になるだろう、今に固執するか、今を捨てるか、と。……我々メイ・リエリスは今を捨てるよ、その時が来たらな」
 フェベスの深緑の瞳にセームなど全く写っていない、未来の先の未来、それを見ているかのようだ。この魔術師の末裔達は灰燼と化す戦場、黒炭と化す兵を見なくなった途端、言葉を武器とし、遥か先の未来を見続けてきたに違いない。今に固執し、立場に執着する。そんな浅ましい貴族たちを腹の中でくつくつと声を殺して嗤い続けてきたに違いないのだ。そんな者達の血を引いたフェベスという男、それが目の前に居る。その現実にセームは瞳を伏せ、浅ましい貴族の一端を担う己を恥じ入るように深く、大きく溜息を吐くのであった。

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