複雑・ファジー小説

それでも獅子は吼える
日時: 2017/07/08 14:38
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

当小説はリレー企画「無限の廓にて、大欲に溺す」のスピンオフになります。
設定、世界観はあちらに準拠していますので、あちらから確認下さい。

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Re: それでも獅子は吼える ( No.29 )
日時: 2017/09/21 21:22
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

8/22 加筆修正

 ジャッバールの屋敷。あの場所には地下がある。そこには銃器、それに伴う弾丸。刀剣の類が大量に隠匿されており、外部の人間は存在すら知らない。バシラアサドがカンクェノから帰ってきてから、既に半日ばかり経っているのだが、それ以前からハヤはそんな場所に篭っている。話によれば改良した小銃を組み上げ、微々とした調整をしているようだ。ヴィムートの技術を基とし、セノールの思想により作り上げられたそれは戦場の様相を変えてしまう事は間違いない。
 恐らく彼女が小銃の開発を急ぎ始めたのは、先日のナヴァロからの攻撃が原因だろう。今の銃でも問題なく戦える上に、張子の虎である多銃身機関銃を所持している故、実の所クルツェスカの既存勢力は取るに足らない。それでも開発を急ぐのは優位を確保しておきたいのだ。
 今のクルツェスカには戦の匂いが漂っている。ナヴァロの兵は傭兵としては異例なのだ。兵站を所持し、装備を統一化された軍のような存在である。その中で少数の兵だけで本命を討つためだけの部隊が存在している。その中の一人がルーイットに深手を負わせたジェリド・ボーフォスである。ハイドナーの私兵や、キールの傭兵などとは比べられないような兵を率い、ある特定の標的だけを討つのだ。その兵の運用方法はセノール、サチの武門の手法に似通っている。規模こそ小さいのだが、都市でそのような戦い方をするならば充分な兵力。市街戦であれば数は少なく、装備は潤沢な方が良い。以前、ナヴァロと戦った時には一般市民に偽装し、ナヴァロは攻撃を仕掛けてきた。今となればクルツェスカの住人に被害が及ぶため、そのような手法は取らないのだが、彼等はそのような搦め手をしてくる事も有り得るだろう。
「どうした、変なもんでも食ったか」
 脇腹を押さえてバシラアサドを揶揄するルーイットは怪訝な顔をしながら、彼女へと問いかけた。何か考えているかなど言葉に出さなければ分からない。どれほど長い付き合いで、気心が知れた仲だとしてもだ。彼の問い掛けにはっとした様子でバシラアサドは向き直り、首を横に振るう。
「……どう戦うべきか、とな」
「どう、か」
 何かを考え込むようにしてルーイットは顔を背け、口を閉ざす。如何にして敵を屠るべきか、と思考の渦が巻いているのだ。思考の激流は黙示録の獣を呼び起こし、厭に悪辣で邪まなものが言葉に成ろうと喚き散らしているのだ。
「クルツェスカの中で戦っちゃいけねぇぜ。外だ、西側からの兵站と地の利を得なければナヴァロと戦うのは難しい」
「だが狙いは私だ。私が此処を空けなければナヴァロは動かないだろう」
 バシラアサドが動かない限り、ナヴァロは兵を動かさずクルツェスカの石畳の上で半目を開けて寝たふりを決め込む。ともすれば包囲網を狭めつつ、この屋敷に対する偵察、密偵を進める事となる。地下の武器庫の事は知られるべきではない。ともすれば事を急ぐ必要すらあるだろう。
「戦力を三つに分ける。ハサン、ジャッバール。そして俺等だ」
「ハサンでナヴァロの首を狙い、我々で陽動をし、お前達を直属の護衛とする、か」
「正解、ヴィエ・ワーディーで討つ。ま、一筋縄じゃあいかねぇけどな。何十人も死ぬだろうさ」
 そう語るルーイットの表情はさぞ愉しげであり、嬉々としながら血を流す術を語り続ける。シャーヒンやアル=ハカンを頭目としハサンを放ちナヴァロの首を狙いつつ、ヴィエ・ワーディーへは影武者として少数の兵とハヤを向かわせつつ、カシールヴェナから兵を出し伏兵を敷く。そしてバシラアサド自身はクルツェスカで護衛と共に待機し、自身の姿は隠匿する。
「多少の障害はあるだろうが勝算はあるのかね」
「勿論よ。ま、ボーフォスには気をつけなきゃいけないけどな、まだ傷もこの通りだ」
 先日の刺創は癒え切らず縫われていながらも、傷口は熱を持ち僅かに化膿していた。心配げにバシラアサドはその傷を衣服の上から触れるとルーイットは一瞬だけ表情を歪め自嘲している。彼女の傷のない手が傷だらけの手が触れ退かす。はと気付き、申し訳なさげに眉根を下げながら手を離すのだった。
「気にすんな。……ただ触られるといてぇから勘弁してくれよ」
「……すまなかったな」
「良いって事よ」
 そうやって笑いながら彼は立ち上がるのだが、小さく呻き声を挙げていた。刺し貫かれ抉り取られたような傷は幾ら頑強なレヴェリといえども重大な負傷なのだ。彼は笑ってばかりだったが、その翳りのある笑みにバシラアサドは居た堪れない思いを抱き、大きく溜息を吐いた。
「お前の傷が癒えるまでは私は事を構えんからな」
「あぁ、そうかい」
 参ったと言いたげなルーイットはバツが悪そうに踵を返し背を向ける。ボーフォスに刺されたのは己の慢心が原因であり、その負傷はジャッバール総軍の士気を揺らがす物となった。そして、今己の命が掛かっているというのに傷が癒えるまで事を起こさないと言い放った当主の甘さが見えてしまった。セノールの人間はいつもこうだ。親しい者の苦境に足並みを合わせ、自身を擲とうとする。冷血で冷徹な砂漠の化身の内側にある温情、それが今一歩の所で火蓋を切らせてくれないのだ。
「俺ならやれるさ、お前を少しだけ守るだけだ」
「お前に死なれては困るのだがな」
「善処するさ」
 背後のバシラアサドの表情など分からない。ただ言うなれば、その青い目に翳りを宿している事だろう。見てはならない、見てしまったら彼女の背を押せそうにないのだ。だがしかし、彼女が今歩み出す事がないのも事実。ともすれば彼女の復讐を決定付ける何かが必要なのかも知れず、ルーイットは内心頭を抱えざるを得ず、どうしたものかと溜息を吐いて部屋を後にするのだった。



 ルーイットが居なくなってから部屋の中は静まり返り、バシラアサドは気を紛らわせるかのように帳簿に筆を走らせていた。カシールヴェナからクルツェスカへと移された物資の帳面上の管理は大凡全て彼女が受け持っている故である。
 気付けば暑さは何処かへと消え失せ、僅か薄暗い。帳簿を閉じ、ぐいっと背伸びをしながら小さく欠伸を一つ。先程ルーイットへはまだ事を起こさないと言ったものの恐らく彼は意気軒昂を装い、外敵を討ち払うべきと主張するであろう。事を急がず、出足を渋れば先手を取られ、後手に回り、終に死に果てるのみなのだ。戦は先手を取らねばならず、その為の犠牲は止む無し。そこに温情など無い。気を許した友の屍が転がるとしてもだ。
 扉を開き窓から僅か差し込む斜陽はすっかり赤みを失っていたが、廊下に彼女の影を伸ばすだけの力は残されていた。小腹が空いたなどと思いながら、階下へと下っていけば門番達が気さくに声を掛けてくる。この者達も戦の果てに死んでしまうのかと思えば、ちくりとした痛みが何処かを走る。一つ、二つ、時には三つと言葉を交わして食堂へ入るとそこには酒瓶を輩としたルトとハヤの姿があった。珍しく二人して話し込んでいるようだ。あの二人は互いに忙しすぎる故、夫婦だという事をすっかり忘れられている。
「もう今日は終わりか」
「こっちは大した仕事も無しに無事平穏ってさ。俺みたいなのが暇なのは良い事だ、ハヤは……、まぁ察してくれよ」
 ルトはそう肩を竦め、呆れたように笑いながら灰皿に置かれた煙草の火を消し、座れと長椅子の端へと身を寄せた。それと同時に向かい側に座っているハヤの姿が見えるのだが、すっかり酔っ払い出来上がってしまっており、意図しない嬌態を作ってしまっていた。
「……ルトよ、これが私の従姉だ。幻滅しないでくれ」
「良いって事よ、昔からだろ。こいつ」
 ハヤはバシラアサドの従姉にあたるが、幼い頃から何処かだらしなく締まりのない性格であった。そのくせ腹の中で何を考えているかも分からず、人よりも幾分も早い頭の回転を恐れられていた。二番目の子であり、女の身である故に家督を継げる立場ですらない。そんな者を嫁として貰ったルトにバシラアサドは感謝しているのだ。親しい者と一緒になり、身内を殺す事もなくハヤが隠れた狂気を発露せずに居られる事にだ。
「しっかし、こないだは大丈夫だったか。お前も撃たれたろ」
「弾は当たってないからこの通りだ、あまり身を案じてくれるな。気恥ずかしい」
「そいつは悪かったな」
 そうやってへらへらと笑っている彼も相変わらず昔から変わっていなかった。笑みは優しげで、その気の良さが現れている。彼はアゥルトゥラに対する怨嗟を抱いている訳ではない。口では散々な事を言うがそういう人間ではない。それで居ながらもハヤと共にジャッバールへ身を寄せ、尽力してくれている。恵まれている、もう少し若い時にそれに気付いたならば、暴力を好み、血を啜り、毒を撒き散らすような生をせずに居られたのかも知れない。そして何よりも今こうして親しい者を失うかも知れないという恐怖に苛まれずに居た事だろう。気付くのが遅すぎたか、とバシラアサドは自嘲し、煙草の火を付けるのだった。



 軽く食事を済ませ、ルトと共にハヤを居室に放り込んだ後にバシラアサドは夜風を輩とし、窓の向こう側に広がるカンクェノの遺構を見据えていた。引き上げるのが遅くなったのだろう、幾人かの学者やそれに雇われる傭兵が歩いているばかり。あの過去の遺物はまだ現代の諍いの場となってはいない。歴史、時間に取り残されたのか、はたまた未来を拒絶したのか。あそこだけは今のクルツェスカにおいて平穏を保っているよう感じられた。それがとても心地よく、何となく落ち着けてしまう。冷たくようようと爽やぐ風は戦の熱を取り去ってくれるのだ。
 傭兵や学者も居なくなってしまえば、場末の売春婦や浮浪者の類が闊歩し始める。それが少しずつ多くなり、かれ等以外の人々も往来に加わり夜の街は混沌の様相であった。往来は喧騒を生み出し、喧騒はその中に紛れる人々の思考を麻痺させ、熱狂の夜を醸す。
「随分と賑やかだな」
 開け放たれた扉を二度ばかし叩かれ、その者は矢継ぎ早に茶化すような言葉をバシラアサドへとぶつけた。ガリプより離反した兵の一人であり、彼は暗がりの中、足音の一つを立てる事もなく歩み寄ってきた。
「カシールヴェナは夜皆寝てしまうからな」
「あそこはー……まぁ、娯楽もへったくれもあったもんじゃないしな。……手紙来てたから置いとくぞ」
「あぁ、すまないな」
 彼は態々、手紙を持って来るためだけに来たのだろう。軽い小さな礼一つですぐさま踵を返し居なくなってしまった。彼の背に小さく返礼をし、バシラアサドは机の上に置かれた手紙に手を伸ばし、それを見据えていた。送り主はフェベス・メイ・リエリス。現在のメイ・リエリスの当主である。ソーニア・メイ・リエリスや既に死したキラ・メイ・リエリスの実父であり、クルツェスカにおいてアゥルトゥラ東部へのパイプを持つ数少ない人物である。そんな男の手紙を開けば、剛毅さを感じさせながらも整った文字が記されていた。視線は文字の上を滑るように走り、その内容を読み取っていくにつれ、バシラアサドの口角は吊り上がり、目まで笑い始める。内容はさぞ愉快な物だったのだ。アゥルトゥラ東部沿岸域の防備を一手に受け持つ辺境伯セーム・オルト・ルフェンス、彼女の率いる兵団の凱旋。彼等の戦力規模から行動日程が逐一記されていた。手紙の送り主であるフェベスは姦計を用い、多くの政敵を蹴落としてきた男であるが同じく東部沿岸域の防備を担っていたナヴァロの帰還を顧みる限り、虚報ではないだろう。返書を早急に認めなければならないと机に着くなり、筆を握り走らせ、ものの数分も経たない内に書を認めるなり彼女は廊下から階下へと向かい始めた。
 階段の踊り場ですれ違ったルーイットは怪訝な顔をしながら、バシラアサドを一瞥する。彼女の歩は彼の視線に止まる事はない。厭にぎらぎらとし、何かを思いついたような表情の彼女にルーイットは首を傾げながら階上へと向かって行った。

Re: それでも獅子は吼える ( No.30 )
日時: 2017/12/13 01:05
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 戦の気配、戦の匂い漂ってくるそんなものを嗅ぎ取りながら、東の兵の一団は渓谷を歩む。三千人ばかりの集団であったが、顔付きは厭に精悍で引き締まっており、平和という言葉を知らないのではと思える程にぎらぎらとしていて、その場に居るだけで空気は凍て付いているかのようだった。アゥルトゥラの皮を被ったセノールであるかの如く、その様相は異質である。
 それぞれは得物となるアレナル製の小銃を携え、腰にはセノールの物を模倣した騎兵用の剣が差されている。彼らはアゥルトゥラ東部の海岸線をロノペリの侵略、略奪から防備し武勲を挙げた百戦錬磨の兵であるのだ。アゥルトゥラ東部の要所、フィカルディラの守備を受け持つルフェンス辺境伯が率いるその兵はアゥルトゥラにおいて至上とされる。
 周囲の兵らと同じような格好、装備をし、自身もまた馬に跨った女が大きく欠伸をしていた。濡れた烏の様に黒々とした長髪が風に靡き、乱れるも気にする様子もない。彼女の名はセーム・オルト・ルフェンス。女狐などと称される女傑であった。
 西も東も海の有無しか変わらない、西から来る風は厭に血腥く、東の海の青は赤く汚れている。世も末というべきなのだろう。人間が存在し、それらの一部が業悪を番とし孕む。ともすればその子を、その親を殺めるしかないとセームは考えるのだ。この血腥さを消し去るには血で上書きするしかない。言葉の通じない獣であればそれしか術はない。銃を構え、引き金を引き、剣を抜き、穿つ。それで全ての事は解決するのだ。
「どこも変わりませんなぁ、東はロノペリ。西はセノール。北はヴィムートと来たもんだ。南くらいですな、平和なのは」
 傍らの兵が言う。彼の額には大きなガーゼが貼られており、僅かに血が滲んでいる。ロノペリとの戦いの最中、額を横一文字に切りつけられたのだ。それを見てセームは憂いを帯びたような視線で彼の顔を見据え、小さく穏やかに笑って見せた。
「……平和ならお前もそんな傷を負わずにすんだだろうし、今こうして凱旋に付き合わされる事も無かっただろうに。我々貴族が不甲斐なさが露呈してしまったよ」
「なぁに俺はこうして生きてますし、何より孤立した俺達を救いにあなたは自ら来てくれたではないですか、何が不甲斐ないというんです」
「見捨ててしまっては士気に関わるだろ、お前の死に顔を見たくもないし、お前の死体が弄ばれると考えたら居ても立っても居られなくなったってだけさ」
「自分もそうなるかも知れないというのに……。何も不甲斐なくなどないでしょう、全く」
 傍らの兵は苦笑いと共に苦言を呈す。兵からは慕われているのだ。皆、東部出身故に歯に衣着せぬ物言いをしてくるが、彼等の言葉にはセームを慕う思いに溢れているのだ。理想的な兵と指揮官の関係であろう。兵はセームの為に命を賭し、セームは兵の命が危険に晒されたならば即座に駆ける。それも持たざる民の為という強い信念という地盤が存在するからだ。兵が一人欠けると戦に破れる可能性がある。指揮官の人望がなければ兵は一身を賭して動かず、結果的に敗れる事となる。
「本当に苦労を掛けるよ、クルツェスカに着いたら宴でも開こう。……先に帰ったナヴァロの馬鹿者を呼び出さなければな」
「ナヴァロだけで良いのですかね、リエリスは? 嘗ての西の守護ですから顔を合わせても……」
「クルツェスカに守護は居ない。ハイドナーは時代に遅れている、一撫でで滅ぶぞ。残るザヴィアとリエリスに力はない。いや、リエリスは剣をペンに持ち替えたか」
「時代を先取ってますなぁ」
 兵はそうやって軽口を叩き、ガーゼの上から傷を掻いた。彼としてはただただ大勢で騒ぎたかっただけなのだが、真面目に返されてしまった所為で白けてしまったのだ。セームがそれに気付いた頃には既に遅く、傍らの兵は意地の悪そうな顔をして笑っていた。
「ま、戦勝凱旋ですから見っとも無い姿は見せられませんでしょう、我々だけでひっそりやりますよ」
「お前達の人数でひっそりって無理じゃないか?」
「まぁ、無理ですな!」
 訳分からない奴等だとセームは首を傾げる。同時に彼等は悪さを働くような兵ではない。好きにさせておこうと自身に言い聞かせて静かに笑みを湛えていた。その表情は沿岸防備を一手に引き受けるセーム・オルト・ルフェンス、その人ではないかのようだった。彼女は女狐などと称されるが、そんな雰囲気は全く感じられなかった。
「俺達に遊ばれているなぁ」
 遠巻きに兵は静かに笑いながらセームを見据えている。引き締まり、平和など知らないようなぎらぎらとした顔をした兵の姿は無い。穏やかな人間の姿がそこにあるだけである。そんな彼等が戦に生き、血を流し、戦う兵となるとは考えられない。



 自身の配下である兵にからかわれながらもセームは渓谷を抜け、運河を眼下に納めた。それは一切蛇行せず真っ直ぐ伸び、クルツェスカの防壁を貫いている。巨大な城塞都市に巨大な運河。アゥルトゥラ東部では有り得ない光景にセームは息を呑む。彼女の配下も同様に目を奪われているようであた。
「嘗てザヴィアとリエリスが命懸けで守った土地、か。……美しいよ、凄く」
 セームはぼそりと感嘆の意を唱える。西に広がる砂漠に太陽が沈み、赤い砂漠からの照り返しがクルツェスカの防壁を赤く染め上げている。それと同時に此処から先にアゥルトゥラの祖であるエツェレスを進めず、彼を討ったセノールが近くに居るという事に危機感を覚えるのであった。五十年前の西伐では大勢のセノールを討ったが、アゥルトゥラの負った人的損害はそれを遥かに超える。そんな者達が未だに存在し、クルツェスカにも根付いているというのだ。セームの先ほどまでの明るかった表情は僅かに強張っている。血腥い戦の匂いの原因はそれだろうと、結論付けるなり更に表情は硬くなっていく。
「こりゃあ夜遊びもダメですなぁ」
 傍らの兵がそうやって軽口を叩いて笑っている。彼もまたセームと同じように、今のクルツェスカが異常だという事に感付いているようであった。戦が起きる――起きている。そんな気配を感じ取れるのだ。ロノペリと戦いすぎた故に常人に理解されざる感覚を身に着けたのだろう。
「危なくて入れないな……。野営の用意を進めろ。夜のクルツェスカより此処の方がマシだ。酒保の酒を全て持ち出しても構わない、飲みすぎるなよ!」
 セームの号令に兵は目を丸くしながら、各々の思いを口にするも方向性は一致しており、酒が飲めるという現実に喜んでいるのだった。
「グスルト、私は一旦クルツェスカに入る。補給の要請をせねばならないだろう。そろそろ糧食も水もなくなるだろう?」
「気を付けて行ってくれよ、俺はこの酔いどれ予備軍を見張ってるからさ」
 グスルトと呼ばれた副官はセームの発言を退ける事もなく、崩した言葉でそう答えて見せた。他の兵との違いは彼がセームの兄貴分であるという事だけだろう。昔からの好であるからこその言葉遣いである。それと同時にセームはきちんと帰ってくるという信頼もあるのだ。
「あぁ、分かってるよ」
 そう言い残し、馬を走らせたセームをグスルトは振り向いてみるような事もしない。彼の表情もまた硬く、少し浮かれた様子の兵を見据えているばかり。セームの馬が走り、蹄の音は少しずつ離れていく。それでも尚、心配の一片を見せるような事はないのであった。
 

Re: それでも獅子は吼える ( No.31 )
日時: 2017/09/29 00:26
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暗闇を駆ける一騎がクルツェスカへと至るまで然程の時間は掛からなかった。運河に掛けられた橋を渡り、小川を三つ、石畳に乗ったならば瞬く間すらない。セームは東の門から入り込み、人垣を避けながら大路を二つ、三つと越えると簡素ながら長い間、そこに建ち続けているであろう屋敷が姿を現した。そこは嘗てクルツェスカの守護者、その片割れであるメイ・リエリスの屋敷であった。炎を輩とし、存在を主張する松明。その炎は厭に赤く、炎を以ってして敵を焼き払い、屠り続けた魔術師の末裔であると、暗に語っているかのようである。
 手綱を厩舎の柵へと括りつけ、乱れた黒髪を手で大雑把に整えるとセームは屋敷へ向けて歩き出した。屋敷に人気は無く、閑散としている。嘗ての栄華など微塵も感じられる様子がない。壁に手を伝いながら、彼女は歩み漸く辿り着いた扉を二度、三度叩く。
「……誰だね?」
 二十秒程、間を置くと扉の向こう側からくぐもった声が問う。低く、唸るような剛健さを感じさせるような男の声である。この男が言葉で人を殺すフェベス・メイ・リエリスであると想像に容易く、セームは僅かに息を呑む。何せ十数年ぶりの再開であるのだ。相変わらずのフェベスの声色に身が少し強張ってしまう。
「夜分にすみません、ルフェンスです」
 扉越しに名乗ると間髪入れずに扉は開かれた。扉の向こう側から姿を現したのはフェベス・メイ・リエリス、その人であった。フェイスラインに沿って伸ばされた赤い髭、無造作に後ろに流された赤毛が厭に目を引く。しかし、その風貌に相反し彼はにこやかに笑って見せる。随分といい笑顔に緊張は拭い去られ、セームの口元もつられて緩んでいく。
「随分と久しぶりだ、東での武勲聞き及んでいたよ。さ、入りたまえ」
 フェベスはそうやってセームを屋敷の中に招き入れた。屋敷の中には矢張り人気がなく、静まり返っている。それで居ながら整然としていて埃一つ見受けられない。大凡、人が此処に暮らしているという生活感ではないのだ。人の暫く立ち入っていない廃墟のような静けさばかりが此処にはある。
「水も糧食ももう手配しているから安心しなさい。クルツェスカはとても寛げる状態じゃあないけどな。……まぁ掛けたまえ」
 随分と手際の良い男だと思いながらも促されるまま、セームはソファーに腰掛けた。柔らかいソファー感触は久々で思わず溜息が漏れてしまうと、恥じ入るように顔を俯けた。フェベスはその様子を見ているのだが、表情に一片の笑みすらなく、くぐもった深緑の瞳がただセームを見据えているばかりであった。鉄仮面を被った何かが小さな穴から瞳だけを覗かせているかのようだ。
「何とも手早い限りです。……クルツェスカに私の兵は入れておりません、どの勢力も刺激すべきではないと思っているので」
「だろうな、ルフェンスの兵がぞろぞろと入ってきては空気が変わる、淀む。もっと酷くなると熱が生じ、最後は燃え上がる。君は火薬庫の中で煙草をふかして歩くような奴ではなく、静電気すら注意してくれるようだ。さて……」
 淡々とフェベスは一人ごちるように言い放ち、セームの前に一つの書状を差し出した。差出人は砂漠の化身たる武門の一つ、ジャッバール。セームはそれを見据えながら何事だろうかと僅かに眼を見開いた後、その書状へと手を伸ばした。
「……なるほど、我々への進駐依頼ですね」
「然り。力不足のハイドナーでは治安を維持し切れない、内外の防備は十分に出来ない。彼等が傭兵を主力とする段階で治安の維持は不可能だ。もうそういう時代ではない。そもそも憲兵の活動を阻害する。ともすれば彼等の存在がクルツェスカを乱す、と部外者が言っていてね。……彼等は生来の侵略者であるからだろう、そういう所には厭に鼻と目が利く」
 ジャッバールの発言は尤もであるとセームは一人納得したのか、小さく頷いた。至極当然な話であるのだ。一貴族が利権を握ってから既に五百年も経つ。自警主義を振り翳した故の冤罪、有無を言わさぬ弾劾、これ等が横行したのだ。成り上がりに利権を握らせてしまう愚行を犯した、先人の罪を雪げる時期であるとフェベスは判断したのであった。
「我々メイ・リエリスに戦を行う力はない。姦計を仕掛け、身動きを取れぬようにするだけだ。……ハイドナーの利権を削るのには苦労したよ、既得権益の悪行を彼女達に知らせ、それを打ち払う事で彼女達へ民衆の支持を得させた。結果、商人の行動抑制に成功。……次は武力の出番だ、ナヴァロでも良かったが彼等はジャッバールと敵対してしまってね。彼等を一撫でで殺し得るとなると君達しか居ないのだよ」
 まるで外患誘致を是とするかのようなフェベスのやり口に少し不快感を覚えながらも、彼の何年も掛けてまで自警主義を打ち滅ぼそうとする意思が感じられた。自身は外から来る者を斃し、アゥルトゥラを守護する者である。彼は内部の毒をあらゆる手立てで斃そうとしているだけに違いはない。やり口は異なれどアゥルトゥラを守ろうとしているのは確実である。
「……兵の常駐は難しいです。……そうですね、運河を用い東部との通商を開始して貰えますか。その護衛として我々の兵を使い、頻繁に出入りさせましょう。それだけで十分です」
 多くの兵を率いては居るが、東部の防備は引き続き行わなければ成らず、クルツェスカへ兵を常駐させるともなれば戦力が低減してしまう。それが原因となり沿岸防備が疎かになる事だけは避けたい。故の折半案であった。商人でもないというのに商いを絡めるとは可笑しな話をするとフェベスは思いながらも、一つ口を開く。
「寡兵で戦い抜いたやり口かね、少数に潤沢な装備を持たせ、戦わずして敵を戦から遠ざける。……謂わば抑止力という奴か」
「えぇ、敵は人間。死ぬという事には少なからずの恐怖がありますから。優れた武器をちらつかせて恐怖を植え付けるというのも手です。……何はともあれ私達ルフェンスの出来る事はクルツェスカに兵を流入させ、我々の目があるという事を内に知らせる事だけです。常駐は無理です」
「あぁ、それでも構わない。しかし、これで漸く内外の防備もまともになる。感謝するよ、セーム。……さて、疲れていないか。俺の娘が使っていた部屋がある、休んではどうだね」
 この男は……と思わずセームは呆れそうになってしまった。補給準備の完了と話したい事だけを済ませるともう用はないと言わんばかりに休めと言うその余所余所しさに対してだ。キラやソーニアは既知であるが、この様な人物ではない。この男の妻であるクレシダとてそうだ。
「ソーニアは?」
「あぁ、今家を借りてね。此処を出て行ったよ、いい加減いい人でも見つけてもらわねば困るのだが。孫の顔も見たいからな。……どこか良いのを知らんかね」
「東の人間は粗暴で粗野です、釣り合いませんよ。それにメイ・リエリスを継がせるとなれば婿ですか、うーん、何とも」
「……最早貴族が幅を利かせる時代は終わる、あいつも普通の立場などない男とくっついてくれたら良いのだ、名などどうでも良いではないか。生きた証がそこに残るならな」
 独り言のように語る、フェベスの目は厭に優し気で笑っているように見えた。鉄仮面が剥がれた瞬間なのだろうか、それともまた別の仮面を被ったのだろうか。
「名は要らないと?」
 その問いにフェベスは静かに笑みを湛えつつも、その瞳に哀愁の色を宿したようであった。何故か自分がとても惨めに思えてくるのは何故だろうか、見透かされ、蔑まれているような念を抱く。それに言いようの無い不安を覚えるのだ。あぁ、やはりこの男は魔術師の末裔だ、言葉だけではない存在するだけで畏怖を抱かざる得ず、心が掻き乱される。
「名など何れ価値を成さなくなる、貴族なんて物は微塵の価値すら持たない荷物になるだけだ。何れ……、何れな。セーム。君は恐らく選択を迫られる事になるだろう、今に固執するか、今を捨てるか、と。……我々メイ・リエリスは今を捨てるよ、その時が来たらな」
 フェベスの深緑の瞳にセームなど全く写っていない、未来の先の未来、それを見ているかのようだ。この魔術師の末裔達は灰燼と化す戦場、黒炭と化す兵を見なくなった途端、言葉を武器とし、遥か先の未来を見続けてきたに違いない。今に固執し、立場に執着する。そんな浅ましい貴族たちを腹の中でくつくつと声を殺して嗤い続けてきたに違いないのだ。そんな者達の血を引いたフェベスという男、それが目の前に居る。その現実にセームは瞳を伏せ、浅ましい貴族の一端を担う己を恥じ入るように深く、大きく溜息を吐くのであった。

Re: それでも獅子は吼える ( No.32 )
日時: 2017/12/11 01:43
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 薄闇の中、陽の出ぬ内に屋敷を発つ。フェベスの言葉には甘えず、馬に跨りこの都を去るのだ。此処は様々な大欲と思惑が渦巻いている。東のように貴族は一丸となり、領民を守り武力の下、外敵を打ち払うという、単純な事が出来ない程に巨大化した利権、それらを敵対しする武力と闘争の臭いがして仕方ないのだ。血の流れる前の何者かが何かを企むような、鼻につく饐えたような臭いだ。腐敗した権力、それを雪ごうとする血の呼び水。近い内に戦が起きる前、必ずこういった不快な臭いに鼻が刺激される。平和に呆けた貴族には分からないだろう。生まれてから今までの一生の内、半分戦地に身を置くような地獄の中で生き、その地獄を常とする者にしか分かるまい。故にセームには感じるのだ。この都は持たん時が来ている、と。だが、訪れるであろう滅びは自らの手で招くか、外敵が齎すのか、セームには憶測が付かない。どちらも有り得るのだ。このままハイドナーを放っていたらならば自警主義を振り翳し、怪しきを斬り、罪無い物を吊るし、憲兵を阻害するような暴走をする事だろう。フェベスの招いた獅子を放し飼いにしていたならば、既得権益の全てを喰らい尽くし、それでもなお足りないと獲物を探す事だろう。故に、故にである。今すぐにでもこの都より離れ、兵を入れずとも近隣のコールヴェンへ退き、兵を待機させておく必要性を感じたのだ。巻き込まれずとも情報を入れ、有事となったとしてもすぐさま駆け付ける事が出来るようにだ。
 セームはクルツェスカの石畳を駆ける。北門を越え、郊外に広がる田畑を抜けて、薄闇を置き去りに登り来る東の陽を睨む。真っ黒な馬の鬣が風に靡き、己の黒髪もまた一様。風を受け、乱れに乱れる。陽へと突き進んで行く、乱れた黒は東より来た輩を求めるのだ。
 平地を抜け、山道へ至る。蹄は朝露を踏み散らし、陣地へと戻ったと皆に知らせてくれる。地べたに座り込んだグスルトの姿があり、彼はセームが帰ってくるなり苦笑いを浮かべながらぐるりと辺りを見回していた。そこには色街の飲んだくれと大差ない、だらしない姿をした同胞達の姿があった。ある者は地面の上に寝転がり、またある者は酒瓶を抱き抱えている。緊張も何も見られない。彼等が兵士であるという事すら忘れてしまいそうな程にだ。セームもまた彼と同じように苦笑いをしながら、馬から降り、その鼻面を何度か撫で付けた。
「補給は」
「今日の昼には来てくれるそうだ」
 手綱を受け取りながら問う彼はその言葉を聞くなり、安堵の溜息を吐く。無理もないだろう、糧食は底を見せ始め、水は節約の果てに更なる節約を強いなければならない事態である。士気が落ちるだけではなく、馴れない気候は兵の損失に繋がりかねず、その損失が起き始めたならば秩序は乱れ、野盗の類と成り果てる。それも上等な得物を持ち、苛烈な訓練、実戦経験を積んだ危険な存在へとだ。セームの配下は傭兵上がりが異常に多い、彼等を手放したならばその途端に領地、領民、果てには己に牙を剥きかねないからだ。一度傭兵を雇ったならば、もうそれは一生の付き合いとなる。ならば自身の兵として使ってしまったほうが安全なのだ。
「随分と派手にやってくれたな、こいつ等」
「東から西へと来たんだ、鬱憤も溜まるさ。俺も例外じゃあない」
「そう……、酒は飲んだか?」
 セームの問いにグスルトは首を横に振って、静かに笑っていた。グスルトは下戸である、酒を勧めたところで一滴も飲めまない。それ所か煙草の一本も吸わない。回りから面白くない男だと言われていたが、セームは違う。飲めばなくなり、程度を過ぎたならば理知すら失う魔性の水、燃え煙となり灰となったならば何の価値もない葉などに金を出すような者ではない堅実な副官が気に入っているのだ。言葉などなく互いに静かに笑っているだけであったが、クルツェスカの張り詰めた空気を感じてきたセームの気は多少ともなり紛れるのであった。
「補給の後は?」
「明日まで此処で野営、明後日早朝のうちにコールヴェンへと向かい、そこで兵を別つ。私はコールヴェンに残る。お前は東の指揮を頼む」
 その言葉にグスルトは怪訝そうな表情を浮かべていた。無理もないだろう、彼はクルツェスカで何が起きているか知らない。知るはずもない。軍において命令に疑問を抱くのは褒められた事ではない、だがしかし。今この命令に疑問を抱くのは正解である。何が起きているか、何故か、それを知ろうという意思の発露故だ。
「……クルツェスカで何が?」
「外患に内憂を討たせ、その外患が我々をクルツェスカに招こうとしている。それ以外にも内憂は多く、外患もまた多し。事態は混迷を極め、あの都は戦の匂いがしている」
 フェベスが招き、外患を以ってして内憂を打ち払う。増長した外患は更なる外患を求め、敵を牽制し戦に備える。随分と手の込んだ事を考えるとグスルトは関心していた。ロノペリへもそういった工作の出来る人間を送り込む事が出来たら、東部防衛も幾分楽になるだろうにと、だ。戦というのは真っ向からぶつかり合うだけではない、後方の霍乱、中長期的な工作も必要なのだ。今の東部防衛にはそういった者達は居ない。
「……了解。軍を分けよう、半々でいいか」
「お前達に二千、私は千で充分だ」
「あぁ……死ぬなよ」
「今日で最後みたいに言うな。明日もあるだろう。全く……」
 何かある度、明日で世の終わりかのように大袈裟な物言いをする彼には呆れたものである。補給が三日途絶え、海岸線にロノペリが上陸、各地で略奪が開始された地獄の様な状況でも弱気を見せ、明日にでも死んでしまう瀕死の病人のような青褪めた顔をしていたのが昨日の事のようだ。そんな事は日常茶飯事であり、クルツェスカには戦の匂いこそせど、まだ有事に在らずという状況なのだ。焦る必要はなく、火を付けないように立ち振る舞うだけで良い。
「まぁ、補給まで暫く時間はある。少し、昔話をしようじゃないか――」
 口から出るのは幼い頃の話。ただただ淡々と語り、互いに静かに頷き、笑っている。戦地では未来の話をすべきではない。過去の話で笑っているのが丁度良いのだ。共に歩むのも明日まで、暫くは別々の場所に行く。国を守ろうという意思は変わらない。同胞であるという事は変わらない。東か、西かという話だけであるのだ。
「セーム、我々の大将。あんたが笑ってられなければ俺達も不安ってもんさ、昔話をしながら笑っていてくれよ」
 静かに語るグスルトの黒い瞳、それはとても強く射抜くような物へと変わっていた。己の目にも不安の色があったかと、自嘲して長い黒髪を手櫛で整えると、取り繕ったような笑みを浮かべてセームは語るのだった。昔の穏やかで何も知らず、爛漫として生きていた時代の事を。

Re: それでも獅子は吼える ( No.33 )
日時: 2017/12/13 01:32
名前: NIKKA ◆ShcghXvQB6
参照: https://twitter.com/NIKKA_Nonbe

 暫くの間、クルツェスカに血が流れる事は無かった。相変わらずジャッバールとナヴァロが睨み合いをしている現状ではあったがルフェンスの兵が出入りするという話が流れた途端、ナヴァロが大人しくなっているのだ。市街戦に於いてはジャッバール不利が確実、ナヴァロが優位ではあるがルフェンスの出入りを危惧し、彼等は身動きが取れずに居る、そうしている内にジャッバールは装備の調達、配備を進め、抑止力を潤沢な物へとしていく。
 バシラアサドから出たルフェンスの進駐依頼は狙い通りに功を奏していた。彼等は運河より来るとフェベスへ伝えたようだが、コールヴェンに軍の一部を置き、そこにルフェンスの姿まであった。これにより戦わずしてナヴァロの攻勢は成功したのだ。次の一手はアレナルから入る銃火器の制限である。相手となるのはハシェミト商会の海運を担うミナ・ハシェミトである。強欲な海蛇を相手取るとなると、その相手の悪さに思わずバシラアサドは苦笑いを浮かべざるを得なかったが、戦わずしてナヴァロを弱体化させるにはそれしかなく、彼女との交渉を上手く進めなければならない。故に今、彼女は船に揺られている。
 ドレント湾の潮風は厭に強い潮の匂いを漂わせている。それはバシラアサドからしてみれば新鮮な物であった。それは彼女だけではなく、護衛として来たバッヒアナミルも同じである。彼は海自体が珍しいのだろう、舳先へ立ってまじまじと穏やかな海面を見据えていた。彼の長く伸びた黒髪が風に靡き、幼い頃と比べてとても大きくなった後姿は頼もしく見える。
「ナミル、海に落ちてくれるなよ」
 そう茶化すと彼は笑みを湛えながら「大丈夫ですよ!」と言い放ち、再び海面を見据えていた。年齢不相応な柔和で幼さすら感じさせるような雰囲気こそ漂っているが、彼の腰には一振りの刀、肩からは小銃が吊り下げられていた。あんな形でも彼はセノールの戦士であるのだ。それも武門の男である。そこらの獣よりも気が付き、獣染みている。人の皮を被っているだけなのだ。
 バッヒアナミルの傍らに立ち、バシラアサドは彼が見ているであろう海面を見遣った。ドレントの海は深い青。切り裂かれた波が漸く白を作り出している。ふと北西を見遣れば空は黄身掛り、明らかに砂が飛び交っているのが見えた。青と黄のコントラストは鮮やかだというのにそれがどうにも薄汚れて見えて仕方がない。砂漠には血塗れの勇名を轟かす者達が住まい、この深く青い海を欲深な商人達が行き来する。彼等の薄汚れ、血腥い性根が混ざり合い、世界を彩っているように見えて仕方ないのだ。
「どうしました? 難しい顔をして」
「……何でもないさ」
 その様な事を口走ったならば嗤われてしまう事だろう。少し引き攣った笑みを浮かべたバッヒアナミルの顔が脳裏に思い浮かぶ。普段、馬鹿馬鹿しい事を口走ったり、おどけてみたりする彼であったが根底にあるのは、厭に常識的でセノールの慣習に縛られた思考、思想である。それは唾棄すべき物であるのだろうが、首まで漬かった者達の間に生まれ、それを是とし育ち、今に至った者がそう簡単に捨てられる物ではない。彼とて今はジャッバールを支持し、傘下に加わっているが何時手の平を返すか分かったものではない。そんな事を思ってしまう自身の浅ましさにバシラアサドは静かに溜息を吐き、己をせせら嗤いながら彼の背を叩いた。
「なんです?」
「裏切ってくれるなよ」
「まさか。死んだってそんな事ないですよ、例え同胞を手に掛けて"裏切り者"って謗られてもです。……人って簡単に死にます、少し小突いただけで。俺もアサドも……。皆、みーんなね。同胞を一人、二人殺したってそれは些細な事でしかないんです。別に謗られる事が怖いだなんて事はないですよ、勝てば良いんです。勝てば。昔のアゥルトゥラみたいにですね」」
 そうやって彼は静かに笑うばかりであった。柵に肘を突きながら彼はどこか遠い目をして、ドレント湾の海面をただ呆けたように眺めている。普段、軽薄を装っているというのに彼が腹に据えた覚悟を引き出されてしまったという事に気恥ずかしさを感じているのだろうか、バシラアサドを見向こうともしない。仕方ない奴だと思いながらも、彼にそこまでの覚悟を抱かせてしまっている事実に少しばかりバシラアサドは物悲しさに似た情を覚えざるを得なかった。



 ドレント湾を越え、降り立った街。そこはシェスターンというドレント商会の本拠であった。現にミナ・ハシェミトの出迎えがあり、彼女は腕を前に組んだまま海を眺めている。メイ・リエリスの者よりもやや茶掛かった赤毛が風に棚引き、暗褐色の瞳は厭に溌剌とした印象を宿している。どうも自分の周りに居る頭が切れる女というのは、ハヤ然りこのような人物が多いとバシラアサドは思いながら、彼女へと歩み寄っていく。
「久しぶり」
「久しいな、装甲艦を買った時以来か」
 ミナは穏やかに笑っている、この女がアレナルの海運を牛耳り、私掠行為に精を出す国公認の海賊だとは誰も思うまい。大方、このような素面を表に出そうとしない笑みを湛える者は危険と相場が決まっている。左手の人差し指を下げたまま、ぐるりと回すと、それに気付いたバッヒアナミルは悟られないように目だけで辺りを見回していた。背後は海である、兵など伏せようはない。
「あぁ、そうかもね。中古艦でも上等でしょ、あれは良い買い物だったでしょ。まぁ、歩きながら話そうか。それと……兵なんて伏せてないよ、君らと戦えば私だって死ぬだろうし、このシェスターンは血みどろだ。それは勘弁願いたいからね」
 肩を竦め、そう苦笑いをしている彼女のそれは本心だろう。無駄、無益な争いは避ける。商人であればまずはそういった損得から物事を判断する。ミナの言葉を信じ、警戒を解かないようにとバッヒアナミルへ目配せしつつ、歩き始めた彼女の傍らに付く。バシラアサドよりも頭一つ分、背の高い彼女の歩く速度は僅か速い。
「さて、屋敷につく前に触りだけ聞いて置こうかな」
「単刀直入に言う、ナヴァロへ武器を売るな」
 無理難題だという事は承知だ。本当の狙いはこれではない、ドレント商会は死の商人である。各国で武器を欲する者達が居たならば、それらに取り入り、武器を安く大量に売り捌き火種を撒き散らす。血と火を好み、それを商いとする。故にその不可侵ともいえる聖域を阻害するような事があれば、ドレントの青い海、その海底から怒り狂った巨大な海蛇が姿を現すのだ。敵を海底に引き摺り込み、何事もなかったようにまた眠りにつくような化物がだ。
「武器を扱うのはうちの専売特許なんだけどね、船で積めるだけ積んで大量にってさ。なに? ジャッバールはうちの商売敵にでもなろうって?」
「我々が我々で使う分以外に武器を作れるとでも? 残念な事ながらセノールにお前達同様の生産能力はない」
「何万挺も小銃作っておきながらよく言うよ、あんなの北の馬糞野郎共の模造品じゃない」
「うちの技師に聞かせたらお前の額に風穴を開けてしまいそうだな。何にせよ、お前達と競合しようって気はない」
「じゃあなに?」
 ミナがそう問う。眼前の石段を彼女は一歩上るも、バシラアサドはその前で立ち止まり、静かに嗤っていた。随分と察しの悪い事だと。商いを邪魔する訳ではないならば選択肢は少ない。その少ない選択肢を考えられないのか、と。
「近々、武器をカシールヴェナとワッケン、レーフスからクルツェスカに全て移す。順繰りという形だがね、武器の数は限られているし、我々にこれから一から大量生産をし始める程の能力はない。防備のため、アレナルの銃が欲しいのだよ、我々の物よりも良く、安く、大量にあるだろう。……ナヴァロに売る分も此方に売ってはくれないだろうか。金に糸目は付けない、故郷を守らねば成らんのだよ」
 思っても居ない言葉をつらつらと吐き、バシラアサドは珍しく湛えた笑みを隠そうとしない。横から見ていたバッヒアナミルは幼い頃、よく見た顔だと久々のそれに安堵を抱く。しかし、最早それは獅子の武器でしかない。善良を装い、業悪を隠し、背を見せた途端に刺し殺す。その前準備のための武器だ。
「商人ってもんがどういう物か、よーく知ってるよ。全く……分かった、今ナヴァロから発注されている分の弾はあいつ等に渡す。それは筋を通すって事だから。銃は逐次、ワッケンに届ける。そこから弾は隔週で輸送するよ、幾ら欲しいのさ?」
「……小銃は三万、弾はありったけ」
 目の前にちらつく利益があれば、商人という生物は飛び付かざるを得ない。そう育てられ、それを是とし生きてきた故の習性なのだ。ナヴァロの武器、兵站をこれで絶つ事が出来る。互いに温存する事となるが、彼等にこれから先の増強はない。ジャッバールは時が経つにつれ、武器の数を増やし、戦力増強に勤しむのだ。
「へぇ、戦争でもするのかい」
「戦争……戦争とな。我々が成せるのは虐殺だけだ」
「おそろしい事で。ま、色々込み入った話は屋敷で、だね」
 軽口を叩き、二人は顔を見合わせていた。海蛇は笑い、獅子は嗤う。傲岸に、不遜に。ただただ笑みが絶えないのだ。そんな状況に虎は胸の高鳴りを感じていた。これならばアゥルトゥラを滅せるのではないのか、と。獅子に付いて来たのは間違いでなかったと言えるのではないのか、とだ。愚者三様がそこに在り、業悪ばかりが肥えて行くのであった。

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