複雑・ファジー小説

たおやかな毒、あるいは
日時: 2017/10/18 10:38
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

親愛なるジェンキンス氏
拝啓

 すっかりご無沙汰いたしまして、申し訳ありません。私は今、母の生家があるロイストンに滞在しております。朴訥とした片田舎ですが、中々趣があるでしょう?
 この度こうして筆を執ることになったのは、貴方が民族伝承の類を収集していると聞き及んだからです。ロイストンの滞在中、興趣ひかれる手記を書見する機会を得まして、その写しを同封致しました。僅かばかりでも、貴方の創作の糧になることを願っております。

***
初恋が実るまでの話です、たぶん。

【1話】>>1-2
【2話】>>3
【3話】>>4
【4話】>>5
【5話】>>6-7

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Re: たおやかな毒、あるいは ( No.3 )
日時: 2017/10/14 11:48
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

 約束の通り、私たちはそう時を置かずして、再会しました。キングストンの姉弟と会う時は、大抵私の方がお屋敷に赴きました。お屋敷は並外れて魅力的な遊び場でありましたから、馬車に少々揺られることなど、苦ではなかったのです。季節の花が綻ぶ庭園や、趣味の良い調度品に彩られた廊下、子供心をくすぐる謎めいた書斎。私が望むもの、全てがお屋敷には備わっていました。お屋敷であの麗しい姉弟と戯れる時間は、私の人生においては輝かしい時間だったのでしょう。
 キングストン一家が越して来て、2回目の秋が訪れました。その日は囚われのお姫様とその従者を見事に演じきり、庭園で一休みをとっていた時のことです。夕方になる刻でしたから、影は長く伸び、辺りは生温い風に包まれました。どうしてか不穏な気配を感じ、私は無意識にレイチェルのワンピースの裾を握っていたのです。

「ああ、面白かった。イヴ、貴女は役者の才能があるわね」

 木製のベンチに並んで腰掛け、レイチェルは興奮したように語りかけます。話半分に、私は辺りを見回しました。何か、気配がするのです。お屋敷は少々時代錯誤な造りでしたから、独特の雰囲気を放ち、一層恐怖を煽ります。木々のざわめきや土の匂い、蝶の羽ばたきまで、全てが明確に感じ取れました。私の五感は、この上なく研ぎ澄まされていたのです。

「待って、レイチェル。何か聞こえない?」
「まあ、ニコラスみたいなことを言うのね。残念ながら、私には何も聞こえないわ」
「そんなはずはないわ、よく聞いてみて……」

 この時、私は妖精やドワーフ、あるいは魔女のようなものを期待していたのかもしれません。けれども、現実は違いました。遠くから響いて来たのは、ニコラスが私たちの名を呼びかける声だったのです。姉様、イヴリン、どこいったの。足音と共に、小鳥の囀りを連想させる、麗らかな声が近づきます。

「なんだ、ニコラスじゃない」
「イヴ、少しだけ意地悪しましょうよ」

 私がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、レイチェルは整った唇を吊り上げました。そうして、近くの茂みを指差すのです。

「あそこに隠れましょう、ニコラスを驚かすの」

 時折思いついたようにして、レイチェルは弟に悪戯を仕掛けることがありました。最初こそは躊躇することもありましたが、レイチェルは私にとっての善き親友でしたから、断ることは一度たりともなかったのです。
 2人で茂みに身を潜めます。服が汚れることなど、厭いはしませんでした。やがてニコラスの姿が現れて、辺りをきょろきょろと探すのです。

「姉様、イヴリン。僕も入れてよ、ねえ、返事をして」

 私たちがすぐ側にいることなど、気づいていない様子でした。ふと、ニコラスが立ち止まり、ぼんやりと空を見上げます。そうして何事かを、その小さな唇で囁くのです。茂みは視界が悪く、ニコラスの視線の先のものを捉えることは叶いませんでした。しかし、あの瞬間、確かに彼は未知なるものに話しかけていたのです。ふと、レイチェルの横顔を盗み見ると、そこには怒りやら恐れやらが溶け合い、複雑な様相を呈していました。
遂に堪え切れなくなり、茂みから飛び出そうとした時でした。ニコラスは無邪気に歓声を上げたのです。

「わあ、姉様達、そこに隠れていたんだね!」

 ニコラスは無垢な微笑みを携えていました。私達は互いに顔を見合わせ、ニコラスの前に立ちました。

「ニコラス、どうして私達が隠れていることがわかったの?」

 そう問いただすと、ニコラスはあっけからんとした顔で答えました。

「教えてもらったんだ」
「教えてもらったって、誰に」
「僕のお友達だよ」
「お友達って、どんな人なの」
「友達は友達だってば」

 埒のあかない問答に終止符を打ったのは、頬の打つ音でした。ニコラスは打たれた右頬を手で押さえ、レイチェルは無表情で佇んでいました。姉が、弟に暴力を振るったのです。その光景を目の当たりにして、どうして冷静でいられましょうか。

「レイチェル、どうしたのよ!」
「わけのわからないこと言わないで、どうせ貴方ってば、妖精がお友達だって言うんでしょう! そんなものありはしないのよ、お母様が亡くなった時だって、ニコラス、貴方は」

 レイチェルの目は血走っていました。当のニコラスは、訳も分からぬままに、呆けています。

「……もう、いいわ。行きましょう、イヴ」

 やがてレイチェルは私の手首を掴み、駆け出して行きました。残された可哀想なニコラス。しかし、今となっては、レイチェルの気持ちも分からなくはないのです。もし私がレイチェルの立場だったならば、どうしていたのでしょう。

Re: たおやかな毒、あるいは ( No.4 )
日時: 2017/10/15 09:51
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

 私が12歳を迎えた年、レイチェルは女子寄宿学校に通うことになりました。そのことを知った時、私はひどく悲嘆に暮れ、また父に自身も通いたい旨を打ち明けたものです。しかし私には既に住み込みの女家庭教師がいましたから、希求も敢え無く却下されてしまいました。
 レイチェルが彼の遠い地へ渡る日、私は見送りに行き、必ず文を送ることを誓いました。また、レイチェルも長期休暇の度に帰郷すると告げ、ロイストンを去っていったのです。幸いにして、私たちの誓いが破られることはありませんでした。頻繁に文を交わすことで、私の寂しさは幾分かは慰められることとなったのです。レイチェルの手紙には、華々しい学校生活の様子が仔細に書かれてありました。一方で末尾には、貴女ほどの親友には巡り会えそうもない、といった文面が添えられていました。私には、それだけで十分満ち足りたものだったのです。
レイチェルがお屋敷を離れたことで、ニコラスと会う機会は減りました。その頃には私にも、小さな淑女としての芽生えがありましたから、3つ下の少年と野を駆け遊ぶのはどうしても憚られたのです。
 初夏の陽気が膨らむ季節、ロナルド・キングストンが私の館に立ち寄りました。彼の背に隠れるようにして、ニコラスが佇んでいます。ロナルドは父に相談があるようで、私にニコラスを連れて遊ぶようにと頼みました。久しぶりに会ったニコラスは、身長こそ伸びたものの、顔立ちはあどけないものでした。きっと私の衣装箪笥にあるドレスを着せれば、しとやかなお嬢さんに見えることは間違いないでしょう。そんな思いつきから、私の部屋で遊ぶことになったのです。

「ニコラス、貴方の顔は本当に女の子のようね」

 姿見の前で、私はニコラスの髪にリボンを付けて遊んでいました。ニコラスは少し顔をしかめただけで、抵抗はしないのです。妹がいたらこんな感じなのかしら、と思いながら、私はニコラスの柔らかい髪に櫛を通しました。

「僕は男の子だよ」
「わかってるわ。ほら鏡を見て、この髪飾りがこんなに似合うなんて」
「イヴリンの方が似合うに決まってる」
「まあ、嬉しい褒め言葉ね」

 ニコラスは、本当に綺麗な顔立ちをしていました。もう少し肉がつき、髪を伸ばし、頬の色が明るくなれば、並大抵の女性より美しく映えるでしょう。ひょっとしたら、レイチェルを凌ぐかもしれない。そう思わせる程の魔性を具していました。
 ニコラスを飾り立てることにも飽き、私たちはお喋りに興じていた時のように思います。思い掛けず、壁掛け時計に視線をやりました。

「もう4時なのね。お父様たちってば、何をそんなに話し込んでいるのかしら」

 既に訪問から数時間は経っていました。前々から、ロナルドは父の元を訪れていました。しかし、これほど長く滞在するのは初めてだったのです。

「きっと、僕のことだよ」

 ニコラスはうっそりと呟きました。灰色の目に、翳りが帯びています。

「僕は悪い子だから、きっとメイブリック先生に言いつけてるんだ」
「ニコラスが悪い子ですって、そんなはずないじゃない」

 事実、ニコラスは物分かりの良い子でした。少々内向的な性質はありますが、素直で心優しい少年です。ニコラスを一目見たならば、誰もが彼を賞賛するでしょう。私もそうでした。

「本当だよ、だって、父様は僕をよく叱るんだ」
「あのロナルドさんが? 想像できないわ」
「訳のわからないことを言うな、って叫ぶんだよ」

 ニコラスは俯きがちに話を続けました。声の調子は暗いものでした。私はつい、ニコラスに同情心を抱いたのです。こんな子を叱るなんて、ロナルドが間違っている。そう確信しました。ですからそれを裏付けるため、私は次のことを尋ねたのです。

「例えば、どんなことを貴方は言うの?」

 ゆっくりと、緩慢な動作でニコラスは顔をあげました。不健康なまでに色素の薄い肌に、無意識に吸い込まれそうになります。

「妖精と友達なんだ、って言うと父様は大きい声を出すよ。可笑しいよね、僕は嘘を言っていないのに」

 私は息を呑みました。同時に、あの日、レイチェルが彼の頬を打った日のことを思い出したのです。ロイストンには、妖精に懸かる伝承がいくつもありました。しかし、あくまでもお伽話なのです。12歳にもなれば、薄々はただの空想なのだと気がつきます。妖精など、いやしないのだと。

「ねえ、イヴリン。イヴリンは僕の理解者になりたい、って言ったよね。僕のことを信じてくれるでしょう?」

 ニコラスが、笑いかけます。どうしてか、私の身体は縫い止められ、瞬きをすることしか出来ませんでした。

「良かったね、イヴリン。妖精達も、君を歓迎してくれているよ」

 一体、ニコラスには何が見えてるというのでしょう。この部屋は、依然と2人きりのままだというのに。それから、父が呼びに来るまで、私は動けずにいたのでした。

Re: たおやかな毒、あるいは ( No.5 )
日時: 2017/10/16 10:39
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

 私とキングストンの姉弟の転機となる日を語る前に、ロナルドや彼の妻のことについて触れた方が良いでしょうか。私自身はロナルドと話したことは、手で数えられるくらいのことでした。両親やレイチェル、ニコラスの話を通してしか、彼の為人を窺い知ることができません。
 レイチェルが女子寄宿学校へ入ったことは既に書きました。彼女は夏と冬の長期休暇になると、決まってロイストンへ帰ってきたものです。そして冬になると、キングストン一家は、ロイストンの権力者や友人を募って、舞踏会を開くのでした。あの出来事から1年前、14歳の時も同じようにして、舞踏会に招かれました。祖母から譲り受けた、淡い水色のドレスに袖を通せば、気持ちも浮き立つものです。私は期待に胸躍らせ、お屋敷の戸を潜ったのです。

「イヴ、そのドレス素敵ね!」
「レイチェルこそ、とても似合っているわ」

 久方ぶりに会ったレイチェルは、洗練された女性へと開花していました。真紅のドレスを凛と着こなしており、誰よりも自信に満ち溢れていました。挨拶もそこそこに済ませ、私達は思う存分に舞踏会を楽しみました。招かれた中には、私達と同じ年頃の男の子も居ましたから、その夜は始終胸を高鳴らせていたように思います。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。ご機嫌いかがかな」

 少しの眩暈を感じ、ダンスホールの壁に背を預けていた時でした。ワイングラスを片手に、ロナルドがやってきたのです。

「お招き頂きありがとうございます」
「こちらこそ、子供達と仲良くしてくれてありがとう」

 ロナルドは感じの良い笑みを浮かべました。私もつられて笑みを返します。彼は人に嫌悪感を抱かせない人でした。気品があり、礼儀を尽くし、教養がある、完璧な紳士。全てに恵まれている彼にも、悩ましいことがあるのでしょうか。

「レイチェルは見ての通りお転婆だし、疲れるだろう」
「そんなことありません、一緒に居てとっても楽しいわ」
「ならば、ニコラスはどうかな」

 ロナルドは依然として、小皺をよせて笑っています。けれども、姉弟と同じグレーの双眸は、私を真っ直ぐに貫いていました。たじろぎそうになるのを堪えて、私は慎重に言葉を選びました。

「良い子です、まるで弟みたいに」
「何か変わったことはあったかな」
「それって、どういうことでしょう」

 すう、とロナルドの瞳が細まります。ああ、この人は探っているのだと直感しました。私は、何も言うまいと決めていました。きっとたわいも無いものなのです。ニコラスは私達を揶揄っているだけ。あれくらいの年頃なら、周囲の大人に構って欲しくて仕方ないのです。

「ニコラスは中々友達を作ることができない子だから、心配でね」
「ああ、こんな所にいた! 父様、私のイヴを独り占めになんてひどいわ」

 助かった、と思いました。レイチェルが私たちの元へ駆け寄ります。その様は可愛らしい子犬を連想させました。そうして頬を膨らませ、怒りを伝えるのです。

「すまない、レイチェル。ほら、もうすぐで別の曲が始まる。2人で踊ってきなさい」
「私もう疲れちゃった。イヴ、葡萄ジュースなんていかが? 父様、取ってきてくださいな」
「仕方ないな、取ってこよう」

 ロナルドは大袈裟に肩を竦め、背を向けて去って行きます。それを見つめ、レイチェルはころころと可憐に笑いました。そして唐突に真顔になったかと思うと、私の顔を覗き込みました。彼女の唇や頬は薔薇色に染めあげられ、甘く綻ぶ花のようだわ、と感じたのです。急にレイチェルに見つめられていることが気恥ずかしくなり、私は顔を逸らしました。

「なんだか怖い顔して父様と話していたから、心配で来てしまったけれど、大丈夫?」
「何でもないわ、挨拶を交わしていただけ。それより、貴女の首かざり、とても高価そうね」

 レイチェルはほほを緩ませ、首飾りをちょいと摘み上げました。華奢の金の鎖に、瞳ほどの大きさのダイヤがあしらわれ、それは見事な首飾りでした。

「母様の形見なの。私とニコラスの顔の作りは母様に似たのね、でも髪や瞳の色は父様」
「性格は?」
「私は父様かしら、ニコラスは絶対母様よ。母様は控えめな人だったから」

 レイチェルは昔に想いを馳せるふうに、溜息をつきました。この姉弟の母なのですから、きっと素晴らしい方だったに違いない、と私は夢想しました。当時の私は、レイチェルやニコラスに、必要以上に魅せられていたのでしょうね。私はとても盲目的だったのですから。

「母様がこの場にいたら、どんなに楽しかったかしら。ニコラスだって、普通に育ったはずなのに」

 レイチェルの言葉に、悲哀の念を感じたことを、よく覚えています。けれども、それは一瞬のことでした。再びレイチェルを見やれば、いつもの快活な表情に戻っています。この時、私にしては珍しく、レイチェルの意見に手放しで賛同することはありませんでした。本当に、そうでしょうか。今思い返しても、ニコラスの魔性は、生来のものではないかと、考えるのです。運命という言葉を信じる年ではもうありません。ですがニコラスは、必ずやロイストンに招かれ、悲劇に身を投じる定めではなかったのでしょうか。

Re: たおやかな毒、あるいは ( No.6 )
日時: 2017/10/17 08:36
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

 私が陰鬱な事件と称する出来事が起こったのは、15歳の時でした。あの日の雲の動き、雨の匂い、血の気の失せたロナルドの顔。鮮明に覚えています。あれは、夏の日です。レイチェルが夏期休暇でお屋敷に戻り、私は朝から遊びに出かけました。鉛色の雲が辺りを覆い、荒涼とした風がロイストンに運ばれ、私は嫌な予感に囚われていました。気分が仄暗くなりましたが、お屋敷に来ればそれも忘れるというもの。午前中の間は、談話室でお茶会の真似事をしていました。レースで飾られた純白のテーブルクロスはシミひとつなく、持ち込まれた菓子も上等のものでした。けれどもレイチェルはどこか憂いを帯びた様子で、私は首を傾げました。

「レイチェル、今日は何だかぼうっとしてるわ」
「そうかしら。きっと天気のせいよ、雨の日って退屈だから」

 レイチェルは小皿に盛られたスコーンを手に取り、口に入れました。美味しいお菓子、最上の友人、これらに囲まれて、私は何を恐れているというのでしょう。胸に漠然とした黒い塊を抱え、私は額を手で押さえました。
 その時、騒がしい足音が響き、扉が勢いよく開け放たれました。ニコラスが顔を出します。

「わあ、やっぱりここにいた! ぼくも仲間に入れてよ」

 うっとりとする微笑みを浮かべ、ニコラスは私達の元へ近づきました。レイチェルはニコラスをじっと見つめ、澄まし顔で言いました。

「いいわ。でも、ひとつ条件があるの」
「条件って?」
「銀の小枝、持って来てちょうだいな。貴方、いつも言ってるでしょう。妖精の通り道に、銀の小枝があるんだって」

 ニコラスは、じっと辛抱強く、レイチェルの言葉を聞いていました。彼女が妖精のことを口にすることは、本当に稀でした。そういった話をするのを厭うのです。ですから、私にはいつもの悪戯なのだと気がつきました。彼女は本気ではないのです。

「それさえあれば、仲間に入れてくれるんだよね」
「そうよ。それどころか、貴方の言ってることが嘘ではないって、信じてあげれるもの」

 ニコラスの顔が明るくなりました。その顔を見て、すっかり私は彼を憐れみました。そうしてどうにかして助け舟を出さなければならぬ、と決心しました。勝算のない賭けなんて、乗る必要など全くないのです。

「さすがにかわいそうよ」
「いいよ、イヴリン。僕、やるよ」

 威勢良く言うと、ニコラスは談話室から飛び出しました。後ろ姿の、なんと頼りないこと。12歳の少年とは思えない、小さな背中でした。あの細腕で、どのようにして姉の難題を解決できるのでしょうか。私は非難がましい視線をレイチェルに送りました。密やかな抵抗は、レイチェルの笑い声で一蹴されたのです。

「大丈夫よ、そのうち飽きてしまうわ。それにこうすることで、あの子に分からせてやるの。現実を見なさい、って」
「確かにそうかも知れないけれども」
「あの子も夢から覚める時よ。そうすれば、私と同じように学校へ通うことを許してもらえるかもしれない。あの子は頭は悪くないんだから、学びの場と健全な友達が必要よ」

 それ以上、私は抗議の声を上げることはできませんでした。満足したのか、レイチェルは再び、このしめやかなお茶会を続けようとしたのです。私は、ニコラスが学校に通えない理由を考えました。彼の空想癖は、そんなにいけないものなのかしら。少しばかり度を越してしまう時もあるかもしれません。けれど、大人になれば失われゆくものでしょう。少しロナルドやレイチェルには、神経質なところがあるのかもしれない。そう、結論付けたのです。



Re: たおやかな毒、あるいは ( No.7 )
日時: 2017/10/18 10:38
名前: 凛太 ◆wSaCDPDEl2

 午後になれば雨が降り、それは勢いを増していくばかりでした。風はお屋敷の窓を叩き、雷は地を轟かせ、暗然たる気配がそこら中に沈殿していました。もう夜の帳が下りたのではないか、そう錯覚してしまうくらいには、中は暗いものでした。夕方を過ぎても、雨の勢いは衰えを知りません。私とレイチェル、そして年老いた家政婦は鬱々たる夕べを乗り切るべく、灯りをつけて居室に集まっていました。

「いつになったら止むのかしら。帰れそうにないわ」
「そしたら泊まっていきなさいよ」
「そうね、お言葉に甘えようかしら」

 長いソファに腰掛け、私達はただ談笑を交わしていました。することがないのです。暇を持て余していると、青い顔をしたロナルドが駆け込んできました。息を切らし、唇は戦慄いています。常ならば丁寧に撫でつけられた髪も、すっかり乱されていました。鬼のような形相で、レイチェルの肩を掴み、揺さぶります。

「ニコラスを見なかったかい?」
「痛いわ、父様! ニコラスがどうしたの」
「いないんだ、どこにも!」

 私とレイチェルは目配せをしました。銀の小枝を探しに出かけて、戻ってこないのだと気がついたのです。

「庭師の者が、雨が降る前に外へ出ていくニコラスを見たと言っていた。声をかけると、すぐに戻ると……。それなのに、ニコラスは!」
「旦那様、落ち着いてください。他の使用人に声をかけ、周囲を探させましょう。お嬢様方はこの部屋で待っていらして!」

 家政婦は言うやいなや、機敏な動作で手配を始めます。ロナルドは力なく、ソファに倒れこみました。頬を汗が伝い、顔には生気が宿っていません。私が呆然としていると、レイチェルが耳打ちしました。

「さっきのこと、内緒にしましょう。ニコラスは銀の小枝を探しに行ったわけではない、いいわね?」

 私は、恐怖で返事すらできないでいました。私達のせいなのです。ニコラスがこの豪雨の中、一人で彷徨っているのかと思うと、胸が締め付けられました。もしかしたら、お屋敷の中に隠れているのかもしれない、そう思い込むことが唯一の希望だったのです。

「しっかりして、父様。外に出ていたとしても、ニコラスの足では遠くに行けないわ」

 彼女自身、言い聞かせるような意味合いも含まれていたのでしょう。レイチェルは父の手を取り、必死に励ましていました。窓に視線を移せば、外套を着込んだ使用人達が陶器のランプを携え、闇の中を歩いている姿が見えます。この時ばかりは、私は妖精に祈りを捧げました。どうか、居るのならばニコラスを助けてください、と。
 ニコラスが見つかったのは、夜更けが過ぎてのことでした。ロイストンの西にある、林の中で倒れていたそうです。一命は取り留めたものの、ひどく衰弱しており、いつ命の灯火が潰えてもおかしくはありませんでした。夜中のうちに、ニコラスは私の家に運ばれ、翌朝私とロナルドも後を追いました。
 この時のことを告白しましょう。私は、恐れていました。ニコラスが命を吹き返したら、私達の悪行もばれてしまうのではないかということを。些細な揶揄いのつもりでした。けれど、ニコラスにとっては真剣なものだったのです。

「まだ意識が戻らない、今夜が峠かもしれないな」
「そんな、メイブリック先生、助けてください!」

 ニコラスは、寝台の上に伏せられていました。瞼は固く閉ざされ、その顔は静穏そのものでした。けれども脆弱なほどの白い肌は、命の煌めきを根こそぎ奪ってしまったかのようでした。ロナルドは寝台に顔を埋め、唸り声とも何ともつかぬ声で喚きました。私の父が彼の背に手を置き、必死に慰めます。一歩離れたところで立っていた私は、身が竦む思いでした。
 本当に恐ろしいことが起こったのは、その日の夜です。半ば気が狂ったロナルドをお屋敷へ帰した後、私はぼうっとニコラスの側で座っていました。父は私の姿に心を打たれた様子で、病める哀れな少年と共に居ることを、許可してくれました。父の瞳には、さぞかし献身的な娘に映ったことでしょう。昨日と打って変わり、しじまに包まれた夜でした。私は時を忘れ、ニコラスを見つめていました。いつまでそうしていたかわかりません、ですが私の意識を現に戻したのは、時計の鐘の音でした。ふと窓枠に視線を移すと、そこにあったのは、紛れもなく銀に鈍く輝く、小枝だったのです。私の自制心が僅かでも足りていなければ、悲鳴をあげるところでした。よく、覚えています。神々しいまでに光を帯びた、あの小枝のことを。私は咄嗟に手に取って確かめよう、そう思いました。そうして腰を僅かに浮かせ、窓枠に手を伸ばした時のことです。彼の人の目が開いたのです。

「ニコラス!」

 ニコラスは緩やかに身を起こすと、私をじっと見つめました。灰色の双眸は、月の光によって、艶かしく煌めいていました。宝石のごとく、美しくも無機質な顔に、私は唾を飲みました。

「イヴリン、見て、銀の小枝」

 ニコラスは銀の小枝をそっと手に取ると、恭しく口づけをしました。そして、時間をかけて、淡く笑むのです。

「約束、守ってくれるよね」

 私は言葉を返すことが出来ませんでした。何故なら、ニコラスは事切れたように、寝台に倒れこんだのです。私は恐る恐る、ニコラスの鼓動を確かめました。胸に耳を近づけ、神経を研ぎ澄ませました。ニコラスの心臓の音は、止まっていたのです。



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