複雑・ファジー小説

面影は儚く かがちの夢路へ
日時: 2018/07/15 11:16
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA



あらすじ

「神の棲まう町」と知られる誘並市。そこには『カオナシさま』という都市伝説がまことしやかに噂されていた。
「夢の中にのっぺらぼうの女の子が出てくる」「その女の子の顔を見ると願いが叶う――」
誘並市に引っ越してきた主人公、月島博人はその『カオナシさま』の夢を見てしまい――




こんにちは。初めまして。藤田浪漫というものです
小説を書くのはマジで数年ぶりとかになるのでだらっとふらっとのんびりとリハビリがてら執筆していこうと思います。
地味で冗長な山も谷もない小説ですが、どうぞよろしくお願いします。
頑張って4章ぐらいで一区切りするよう尽力します。
ではでは、よろしくお願いします




目次
前編「不在のアバンコール」

 
一章 「Like a dream on a spring night」>>1-11 >>17-

一話 「隔絶」 >>1
二話 「安穏/Unkown」>>2 >>3
三話 「白縫筑紫/知らぬ慈し」>>6 >>7
四話 「灯籠/蟷螂」>>8 >>9
五話 「文目/菖蒲/勝負」>>10 >>11 >>17 >>18-20
夢話 「春の夜の夢のように」>>21
七話 「加筆/過失」>>22 >>23
八話 「mess-age」>>24
終話 「da capo」>>25


番外「あの日のぼくらへ」

犬飼圭 「MAD ROCK DOG/微睡む毒」>>12-14




お客様
バンビ さま
人工現物感 さま


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Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.19 )
日時: 2018/05/22 20:53
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA

「でさ、面影神宮ってどこにあるの?」

 筑紫と灯で僕を挟むようにして三人で一階の昇降口を目指して廊下を歩いていた。授業が終わり今から帰路に着くのだろうか、あっけらかんとした顔で足を進める生徒もいれば、今から部活のきつい練習が控えているからだろうか、逆に重そうな足取りで歩く生徒もいる。僕たちはどちらかと言えば前者だ。
 現役の頃、僕も学校が終わるや否や始まるきつい練習に憂鬱になっていたっけ。学生寮に置いてきた、あの中学の時に買った防具はもう二度と身に着けることもないのかも知れない。残念に思う。
 僕の特にどちらにも向けていない質問に「誘並駅から少し電車で行ったとこにあるよ」と筑紫は答えた。
「少しってどの位なの?」
「そうだね、電車なら三十分くらいかな。バスでも行けるんだけどあの辺りの道路は結構混むからね。電車で行こうか」
「結構離れてるね……」

 流石に寮の門限には間に合うだろうけど、それでも帰れるのは遅くなるだろう。
 僕の隣を歩く灯をチラリと見たら、ご機嫌よさそうな顔を顔をして鼻歌を歌っていた。今更行きたくないとか言ったら間違いなく怒るだろう。そして間違いなく僕に危害が及ぶ。
 灯が筑紫を呼びに行った時、彼はまだ教室にいたようだ。筑紫は今から行く面影神宮にとても造形が深いらしく、灯の誘いに快く了承した。まあ確かに灯とサシで行くより彼もいた方が心強い。それにさっき灯と交際していると勘違いされた身分だ。

「こうやってさ!ちゃんヒロとつくしんぼと一緒に歩いてるとさ!中学の全国大会の時を思い出すね!」

 朗らかに灯。
 誘並に住んでいた灯や筑紫と登潟にいた僕では県は違うが、登潟から全国大会に出場したのは僕しかいなかったのであの時は一緒に行動していたのだ。同じホテルに泊まり、同じ食卓でご飯を食べた。今では遠い昔のことに思える。だけど、一人足りない。

「姫菜がいないけどね」
「……それを言っちゃうとさぁ……」

 姫菜。白縫姫菜。そこにいるのにいないようで、そこにいないのにいるような、不思議な雰囲気を醸した少女。筑紫の年子の姉である。『Azathoth』という誘並のご当地アイドルに所属しているのだが、その人気はこの誘並に留まらず全国に広がり、今では東京を拠点にして活動しているようだ。一応姫菜はこの天照学園に籍を置いているようだが、現在は休学中らしい。
 僕の言葉に灯はしゅんとしたような顔をする灯。それを見て筑紫は「まあまあ」と微笑む。
「姫菜は東京で元気にやってるみたいだよ。ゴールデンウィークにはこっちに帰ってくるみたいだし」
「え!?ホントに!?」
「うん。……でもやっぱり忙しいみたいだよ。一日しかいられないんだって」
「うー……、やっぱ姫っちょ人気だもんね」
 昇降口に辿り着いた。木製の靴箱が図書室の本棚みたいに行儀正しく並んでいる。まるで駅の改札口のように今から下校する生徒で込み合う。バタンという靴箱の扉を閉める音と革靴を床に投げ捨てるカツンという音。緑蛍光色の誘導灯が上に掲げられた出口からぞろぞろと生徒たちは抜けていく。

「じゃあ僕はこっちだから」

 筑紫はそう言って僕と灯を顧みた。彼は僕たちとは別のクラスで、靴箱も少し離れたところにある。軽く僕は頷いて、灯と一緒に一組の方へと向かう。

 僕の靴箱は蜂の巣みたいに並んだ扉の一番下だ。身をかがめないと靴を取り出せない。灯は早くも革靴に履き替えて遅いと言わんばかりに僕を見ている。

「ちゃんヒロ―!遅いよー!」
「分かったよ……、ちょっと待って」
 上履きを木製の扉の奥にしまって、僕も靴を履いた。固いタイルの上に立ち上がる。
 灯と一緒に並んで出口を抜けた。外はあっけらかんと晴れている。校門に向かって歩くいくつものブレザー姿の背中。筑紫は開けっ放しの出口のすぐ近くで待っていた。僕と目を合わせて「それじゃ行こうか」と言う。

「まずはどうするの?」
「そうだね。バスで誘並駅の方に行こうか。ここからだとバス停は……新律狩通りの方が近いかな」
「オーケー」

 新律狩通りは飛想館の近くにある大通りだ。飛想館に至る角を通り過ぎるので、ざっと徒歩で15分くらいだろうか。それほど遠くはない。
 足を進める。今から向かうのは面影神宮だ。少し楽しみにしている自分に気付いた。誘並駅で三つ編みの女の子に手渡された朱色の面影神宮のお守り。そして新幹線の中で見た、『カオナシさま』の夢。そして、『ともみ』という名前。
 これらの謎のどれか一つは面影神宮に行くことによって解決できる気がした。気がしたのだ。
 かと言って僕はその神宮にそれほど詳しくはない。これは予感だ。
「────?」
「────、────」
 僕を挟んで何やら灯と筑紫が話をしていたが、僕の頭にはうまく入ってこなかった。
 二人を遮るようにして、僕は言う。
「ねえ、灯、筑紫、ちょっと質問いい?」
「ん?」
「どうかしたのかい?」
 ステレオで反応された。やっぱり言うまいか、と逡巡したが僕は続ける。

「一つだけ、願いが叶うなら何をお願いする?」
「……?」

 二人はさも意味の分からない、といった顔で僕を見る。僕も訳の分からない質問をしているのは分かっている。

「いきなりどうしたんだい?月島くん。何の話?」
 筑紫は口角を少し上げて僕に向かって微笑んだ。対して灯は得心を得たように「あー!」とうんうんと頷いた。
「ちゃんヒロ、それってもしかしてカオナシさまの話だったりする?」
「……うん、そうだ」
「なるほどね」と筑紫も思い出したように首肯する。

 僕だったら何をお願いするか、なんて決めていない。
 恐らく、何も願わないだろう。

「ちゃんヒロってば意外とミーハーなんだね!こんな都市伝説なんて信じないタイプだと思った」
「……そう?」

 僕は灯から顔をそむける。自分の心の中をがしっと掴まれたようで気恥ずかしかった。

「そうだね──」

 腕を組んで筑紫は少し悩む様子。それから遠いところを思い浮かべているような、心ここにあらずといった顔をして言う。
「そうだね、僕だったら『また姫菜と一緒に暮らしたい』かな」
「……なんかごめんね……」
「いいのさ、姫菜も月島くんに会いたがってるからね。ゴールデンウィークに会ってあげてよ」

 少し空気が鉄のように重くなる。払拭するように僕は「灯は?」と尋ねた。

「うーん、何にしよっかなぁ……」

 校門を通り過ぎる。四月下旬の桜の肌にはすっかり葉が茂っていて、瑞々しく視界の端でさわさわと揺れる。コンクリートが靴裏に擦られてジャリっと鳴く。
「あっ、思いついた!」
 頭の上に豆電球が浮かんでそうな顔で灯は言った。「何?」と僕は彼女を促す。すると大袈裟そうな手ぶり。

「ゴジラみたいな怪獣が出てきてさ、街をどっかーんって破壊してるとこが見たい!」
「……あのね、灯、それじゃ僕らもただじゃすまないと思うよ」
「そんな問題なのかい……?」
 呆れたような顔で筑紫は目を細めて僕を見た。自動販売機の影が彼を覆っている。
 バス停の方に向かう。背の方には昨日筑紫と行ったショッピングシティツクヨミのビル群。四車線の道路には車が凄い勢いで行き交っている。まだ点いていない街灯と黒黒としたケヤキの行列。黄色の点字ブロックが僕たちを誘っているようだ。

「それならあれだよ!あたしたちは地下シェルターみたいなとこに入るの!あのでっかいビルとか誘並タワーとかがさ、ばっきばきに壊されてるとこ見たくない?」
「確かにちょっと見たい気もするけどさ……」
「月島くん?」
「でもさ、そんなゴジラみたいな怪獣がこの誘並に現れたらそりゃもう地獄絵図になるよ。ただでさえビルとかがめちゃくちゃ多いんだし。復興するのに何年かかると思ってんの?」
「それなら大丈夫だよ!」
 灯はととと、といきなり数歩前に駆け出す。僕と筑紫に振り返る。
「指をパチンってしたら全部元通りになるの!煙がファって消えるみたいにさ!粉々になった誘並駅も、へし折られた誘並タワーも壊される前に元通り!みたいな!」

「今から誘並駅に行くのに縁起でもないこと言わないでくれるかい?灯ちゃん」

 たしなめるように筑紫が言った直後に信号が赤になった。僕たちは立ち止まる。

 目の前を白い車が凄いスピードで駆け抜けて行った。道路は絶えず循環している。僕の地元の登潟は田舎で、こんなにくるくると水車みたいに慌ただしく回る交通は目新しく見えた。止まることは許されないかのように、体中を駆け巡る血液のようにくるくると回る。血液は体中に酸素を運ぶが、この車たちは何を運んでいるのだろうか。貨物とかみたいな具体的な話じゃなく、幾人への憩とか慕いとか抽象的な話で。
 街をのんびり歩く僕たちだって同様だろう。何かを運ぶ。誰かに何かを伝える。
 そんな意味の分からないことを考えてる内に信号が青になった。エンジンの音が聞こえ車が見計らったように発進して、何かから逃げるように凄いスピードで消えて行った。


 しばらく歩いて、バスの停留所に辿り着いた。新律狩通りと名付けられた大通り。誘並の中心部と比べるとやはり人通りも少ないが、登潟から来た僕から見れば十分に都会の様相だ。この喧噪に慣れるのはいつになるだろうか。

「あと10分後にバスが来るみたいだね──そうだ、月島くん」
 そう言って筑紫は学生カバンの中に手を突っ込んだ。教科書が詰め込まれているのだろう、ぎゅうぎゅうになったカバンの中で、何かを探している様子。
「はいこれ」
「ん?」
 筑紫が僕に手渡したのは、見覚えのあるもの。手のひらの上にちょこんと乗っかっているのは、昨日僕が誘並駅で女の子に渡された朱色のお守り。
「これ、やっぱり君に返しておくよ。これはやっぱり君が持っておくべきだ」
「え?でもこれ面影神宮の偽物のお守りなんだろ?これを持っておくと良くないことが起こるかもしれないって昨日言ってたじゃないか」

 僕はそれを受け取らない。「ん?どうしたのー?」と灯が横から筑紫の手の平を見つめる。

「これが面影神宮の名を騙る偽物ならば、ね。──でもこれは正真正銘、面影神宮のものだ」
「でもそこってお守りを作ってないんだろ?」
「うん、確かに面影神宮はお守りは作ってない。神そのものを具現化することも許していない。だけどこれは違う。昨日お守りの結を解いて中を見たら分かったよ……。これは割符だ」
「割符……?」
「そう、割符。面影神宮には二柱の主宰神がいるってことを昨日話しただろう?知恵や学問を司る常世の神の八意思兼命、それと追憶と邂逅を司る地着神、面影さまの二柱。割符っていうのは面影さまの方の分野でね。──試しにその布の中にあるものを見てごらん」
僕はお守りをがっちりと閉ざしている白い紐を急いで解く。よく分かない結び方をされてるため、少々苦心したが、やっとするりとほどけた。中を見ると、一枚の薄い板片。
そこには達筆な筆文字で『月島博人』と書かれている。
何でだ。
何で僕の名前が?

「ぼ、僕の名前……?」
「それが割符だよ。面影神宮には言い伝えがあってね、抗いようのない別れに際した二人が、御神木からできた小さい板にお互いの名前を書き合って、その板を二つに割って持ち歩くんだ。それでいつかまた会えるようにっていういわばおまじないみたいなものだよ」
「じゃあこの片割れは誰が持ってるっていうの?」
「それが分からないんだよね。君は今まで面影神宮に行った事がないんだろ?だけどこの割符は間違いなく君のものだ。もしかして小さい時に来たことがあるんじゃないかい?月島くんはそれを忘れているだけで」
「……そんなことはないよ。僕は……」
「まあいいさ。もう一回言うけど、これは君が持っておくべきだ。袋の中に手紙みたいなものが入ってたからそれにも目を通してみてよ」
「手紙?」
僕はその赤い袋の中を覗き込む。筑紫の言った通り、四つ折りにされた小さくて白い紙が入っているみたいだ。僕はそれを取り出して指で広げる。そこに書いてあったことは。

『     いつかまた どこかで
                   おかむら ともみ より』
 ともみ。
 岡村朋美。
 誰だ?
 揺れる青いスカート。
 お前は誰だ?
『ねえ博人くん』

 誰だ?

『博人くんはずっと一緒にいてくれるよね?』

 だれだ?
『博人くんはどこにも行っちゃわないよね?』

 何を忘れた?何を思い出した?何を失った?何を得たんだ?

 いつの記憶だ?
 瞼の裏のこの残像、この輪郭、この面影は誰のものだ?
 欺瞞も背信も虚飾も糊塗も全て包み込むこの相貌は誰のものだ?

 ともみ。

 誰だ?こいつは誰だ?何だ?いつ出会った?どこで出会った?何をしたんだ?
 一緒にいたのか?
 僕は誰だ?

「──ちゃんヒロっ!!」
「月島くんっ!!」

 灯と筑紫の声がどこか遠くで聞こえたと同時にぐらりと体が揺らいだのを感じた。視界が霧がかったように白ずむ。足に力が入らない。全身を回る血液が全て冷たい水に変わってしまったみたいだ。
くらくらする。ふらふらする。ぐらぐらする。むやむやする。有耶無耶になる。

「──ロっ!──ぶ!?──ぇ!!」

 必死に灯が叫んでるみたいだけど頭が処理してくれない。ヘッドホンをつけたようによく聞き取れない。
 僕の体重を支える誰かの腕?誰だろう?筑紫かな?誰でもいい。呼吸が苦しい。どくんどくんと脳味噌が心臓になったみたいに早いペースで波打つ。鼓動の音がする。僕の音。一定。
 焦点が合わない。顔を覗き込んでいるのは誰だろう。分からない。
 あかり?
 つくし?

 それともともみ?

 だれだろう。

『ずっと一緒だよね』
 そう言った。遠い昔に誰かがそう言った。昔じゃないかもしれない。僕が生まれるより前の話かもしれない。
 誰だろう。話がしたいな。久しぶりに。いつかのように。馬鹿みたいに笑いながら。
そこまで、考えたところで、僕の視界はすっと幕を下ろすように暗転した。

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.20 )
日時: 2018/05/28 12:38
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA

 すうっと、波が引くみたいに意識がはっきりしてきた。ぼやけた視界の端で誰かがじっと佇んでいる。見えるのは白天井に映える蛍光灯の眩い光。僕が目を開けたのに気付いたように僕の横の誰かが立ち上がる。

「あ、起きたかい?」
聞き慣れた優しい声色。僕は顔を声のした方向に向ける。焦点が合わずにぼけた視界が徐々にはっきりしてくる。
「──筑紫……?」
「うん、じゃあ月島くん、この指何本に見えるかい?」

 言って筑紫がピースサインを作る。蛍光灯の眩しさに耐え切れず目を細めながら僕は答えた。
「……二本──かな?」
「オーケー、意識ははっきりしてるみたいだね」

 僕は何とか起き上がろうとするが「無理しないでいいから」と筑紫が手で制した。大人しくそれに従い僕は再度頭の体重を枕に委ねた。

「大変だったんだよ、あそこから君を背負ってここまで来るの。窓口に寮監さんがいたから助かったね」
 言われて気が付いた。ここは僕の部屋だ。
 まず本棚が見えた。その横に備え付けの学習机。筑紫は椅子にゆったりと足を組んでいた。膝の上には文庫本が置いてある。僕の部屋を彼は知らないのに、と思ったがさっき言っていた通り寮監さんに尋ねたのだろう。あのバスの停留所からこの飛想館まで結構離れている。いくら僕の体重が平均より軽いとは言っても、あそこからここまで背負って歩くのは骨が折れたことだろう。
 そしてさっきまでいたもう一人がいないのに気付く。

「……灯は?」
「家の門限があるからもう帰っちゃったよ。ほら、鉄板屋の手伝いしなきゃいけないってさ」
「……迷惑かけたみたいだね。ごめん」
「大丈夫だよ。気にしないでいいさ。面影神宮にはまた今度行けばいいよ。──それより」

 そこで筑紫は言葉を切った。明らかに声のトーンを一段階下げてから続ける。

「倒れてからさ、うわ言みたいに何か言ってたよね。僕聞いてしまったんだけど」
「……?」
「よく聞き取れなかったんだけどさ、誰かの名前を呼んでいた気がするんだよね。覚えてるかい?」
「……ごめん、ちょっと記憶がないな」
「そう……。一応灯ちゃんには貧血で倒れたんじゃないかってことにしてるよ。でも本当はそうじゃないことなんて僕も分かってる。君はそんな不健康な体してないだろう?」
「そうだね、生まれてこの方倒れたことなんて一度も無かったよ」
「あの割符と一緒に入っていた紙に何て書いていたか、なんて野暮だから聞かないさ。でも僕も心配だ。あの割符はやっぱり僕が持ってた方がいいんじゃないかって思ったんだけどどうかな?」

 筑紫は真剣な眼差しで見つめる。病床に伏した僕を気遣っているようで、その目は有無を言わせないほど力があった。でも僕は首を横に振る。

「……いや、いいよ。これは僕が持っておく」

 この筑紫の言うところの『割符』というものが、何故かとても大切な、とても懐かしいものに思えたからだ。決して放してはいけないような。命綱というか、もっと抽象的な、大事なもの。

 そう、と短く筑紫は背もたれに背中を付けながら言った。

「君と仲のいい……犬飼君と清水くんだったっけ?彼らには灯ちゃんが連絡してくれてるみたいだよ。彼らが帰ってくるまで、一応ここにいさせてもらうよ」
「うん、すまないね」
「大したことないさ、おっと?」

 筑紫はドアの方に目を向ける。僕も釣られてそちらを向く。ドタドタドタと廊下のフローリングを踏み鳴らす足音が聞こえてきた。どんどんとこっちに近づいてくる。
「うわさをすればなんとやら、だね」
 ガバリとドアが開いた。見慣れないジャージ姿のポチが息を切らせてそこにいた。横眼の方でカーテンがふわりと舞う。

「あっ、ポチ。おかえり」
「うわああああああヒロくんが!ヒロくんが死んじゃったッス!!」
「は?」

 手に持っていた学生カバンを勢いよく投げ捨てた。壁にぶつかり鈍い音がしてから床に落ちる。僕の下半身を覆っていた布団にすがるようにして顔を伏せる。

「死んじゃ嫌ッス!一緒に神宮に行くって約束したんじゃないッスか!!またお好み焼き食べに行くって言ってたじゃないッスか!うああああああ!?」
「えっ、待ってポチ?」
 そんなポチを見かねてか、「ちょっと?犬飼君……だったかい?」と後ろから文庫本を片手にポチの肩を掴んだ。するときっとポチは振り返って、敵意丸出しの獣みたいに睨みつけた。

「お前がやったんスね!」
「は?」

 頬けたような顔をした筑紫を目掛けて、ポチは拳をギッと握りしめて彼の頬を殴りつけた。完全に不意を突かれた筑紫は「おぶっ!?」と言って背後にあった本棚にぶつかる。どちゃどちゃと本の雪崩が起きる。
「この殺人犯野郎! 僕がぶっ殺してやるッス! この野郎!」
 馬乗りになりマウントを取っ上からボコボコと殴りつけている。筑紫はその剣幕に抵抗できないのか「助けて月島くん……」と僕の名前を呼んで手を伸ばす。僕ははあとため息をついて体にかけていた布団を剥いだ。

「ちょっと?ポチ、やめたげなよ。痛がってるだろ?」
「うわっ!?ヒロくんッス! 幽霊ッスか! 悪霊退散ッス!」
「……あのね」

 またがったまま目をひん剥かせるポチを、筑紫の体から無理矢理引きはがして、ボロボロになった筑紫に「大丈夫?」と尋ねる。か細い声で「なんで僕がこんな目に……」と言った。大丈夫そうだ。

「生きてたんスねヒロくん! 良かったッス! 心配したッスよ!」
「バス停で倒れただけだよ。……とりあえずポチは筑紫に謝ろうか」
「えっヒロくんは筑紫くんから気絶させられたって聞いたッスけど」
「どう間違ったらそんなに情報が錯綜するんだよ……」

 大方灯のせいだろうけど。あの女。

「レンがそう言ってたんスけどねぇ」

 ポチは首を傾げながら小さくこぼした。彼が冷静になったのを確認して僕はベッドに腰掛ける。

「レン? 灯から連絡来たんじゃないの?」
「僕灯ちゃんの連絡先知んないッスから」
「ああ……、なるほどね……」

 大方レンにポチへの言伝を頼んだ時に間違った情報が伝えられたとかだろう。

「せっかく部活早退したんスけど、心配して損したッスよ」
「うう……、何で僕がこんな目に……?」
「あっ、筑紫くん。初めましてッス」
「こんな初めましてがあるのかい?」

 荒れた髪を髪を手で直しながら筑紫はゆっくりと立ち上がる。ネクタイを締めてブレザーの裾をポンポンと叩きながら言う。


「じゃあ僕はここいらでおいとまさせてもらうよ。犬飼くんも来たことだしね」
「うん、すまないね」
「別に大丈夫だよ。……んじゃあ明日、学校に来れるんだったらまたね」

 そう言って机の上に置いてあったカバンを持って筑紫はドアの方まで歩いていった。「それじゃ」と微笑みながら手を振ってバタンと扉の閉まる音。

「やー! びっくりしたッスよー! いきなり楽器持ったレンがグラウンドに来て『つっきーが筑紫に殺された!』みたいに言うんスからー」
「多分灯が大袈裟に言ったんだよ」
「んで、何があったんスか? 倒れたとか言ってたッスけど」
「……」

 まさかお守りの中に入ってた紙を見たら気分が悪くなって倒れた、なんて言えない。僕は「ちょっと気分が悪くなってね」と言葉を濁す。

「うーん、疲れてるんスかねぇ……。いきなり環境が変わったから体調が崩れたんスよ。僕も馬片から越してきた直後は風邪引いて寝込んだりしたッスから」
「そうなの?」
「大変だったんスよ。あの時はレンに面倒見てもらったッスけど」
 そこでポチはふと立ち上がって、「ちょっとポカリ買ってくるッスねー!」と言って壁際の自分のカバンの中を漁った。やがて財布を取り出して「下に行ってくるッスからどっか行っちゃダメッスよ!」ととことこと部屋を出て行った。ここには僕一人が残される。

 ポケットの中。まだあのお守り──割符とあの手紙が入っている。
 面影神宮の古くからの言い伝え、と筑紫が言っていたのは覚えている。一つの板を半分に割って、そこに再開を誓う二人がお互いの名前を書き合い、それを肌身離さず持ち歩く。そうすれば二人はまた出会えるという。
 だけど僕はそんなもの書いた覚えは無い。そもそも面影神宮には行ったことは間違いなく無い。これは断言できる。誘並に来たことだって片手で数えても指が数本余るくらいしかない。じゃあ、あの板は一体何だろう。

「『いつかまた、どこかで』か……」

 手紙に書かれていたことを何となく口にした。一人の部屋にむなしくぽつんと浮かんで、シャボン玉みたいに天井に昇った。おかむらともみ、と名前が書いてあったけど、その名前に見覚えは無かった。

 ──あなたは『ともみ』という名前の女の子をご存知ですか?

 昨日学校であの眼鏡の少女に会った時に尋ねられた言葉が脳裏に浮かんだ。あの眼鏡の少女が『あやめ』ならば、彼女に会えば何か分かるかもしれない。何か変わるかもしれない。そんな気がした。
しばらくして、がちゃりとドアが開いてポチが帰って来た。「はいアクエリッスよー!」と左手に持ったペットボトルを僕に向かって投げる。弧を描くというよりストレートで飛んできたそのペットボトルを額の辺りでキャッチする。

「……危ないじゃないか」
「やっぱり左じゃまだ慣れないッスねぇ」
「何の話なの?」

 今度はちゃんと机の上にカバンを置いて、さっきまで筑紫が座っていた椅子にポチは腰掛けた。この椅子はいつもは学習机の近くにあるものだ。その上にあぐらをかいて「まあ怪我とか無くて不幸中の幸いッスよ!」と笑顔を浮かべてみせた。

「うん。──そういえばポチ。一つ尋ねたいことがあるんだけどさ」

 彼は「ん?」と首を傾げる。ポチにこれを聞いても多分何のためにもならないかと思うけど、誰かに聞きたかったのだ。

「例えばさ、あるところ……そうだね、登潟でしか買えないお土産とかあったとして、そこにポチは行ったことは間違いなく無い。だけどそこには自分の名前、犬飼圭って書いてある。こういうことがあったりしたらさ、ポチならどう考えるかな?」
「うー、難しい質問ッスねー。クイズ番組のひっかけ問題ッスか?」
「いや、どう考えるかっていうことだけ聞きたいんだ」
「そうッスねー……」

 口を一文字に閉じ、腕を組んで悩んでいる様子。

「ただの同姓同名の赤の他人ってわけじゃないんスよねぇ」
「うん、そうよくある名前じゃないしね」

 それが月島博人だろうが、犬飼圭だろうが、気まぐれな神様の悪戯というのはあり得ないだろう。それも、『ともみ』という単語は前日にあの眼鏡の少女から聞いている。これは偶然の一致ではなく運命の合致。このお守りを僕に渡した三つ編みの女の子と、あの眼鏡の少女にもう一回会うことができれば何か分かるかも知れないが。

「難しいこと聞かれても僕は分かんないッスね。お手上げッス」
「だよね。ごめん、変な事聞いてしまったみたいだ」
「やっぱヒロくん疲れてるんじゃないッスか? 早めに寝た方がいいッスよ?」
「結構ポチって見た目によらず辛辣だよね……。じゃああと一つ質問していい?」

 これは灯や筑紫に聞いたのと同一。この誘並に伝わる都市伝説。

「一つだけ、願いが叶うとしたらポチなら何を願う?」
「……願いッスか──?」

 部屋に沈黙が落ちた。そして僕は驚いた。さっきまでへらへらと笑っていた彼が酷く暗い顔をしていたからだ。思わずぎょっとする。暗澹や鬱積、わだかまり、そういうものに一見無縁そうなこいつもこんな表情ができるのかと僕は正直、度肝を抜かれた。しかし、すぐにいつもの無垢な笑顔に戻り、「カオナシさまの話ッスか?」と僕に尋ねる。

「そう、ここらへんで流行ってるんだろ?ポチだったら何を願うか聞きたかったんだけど、答えたくなければ答えなくていいよ」
「……そうッスね、僕だったら──」

 少し含みを入れて、彼は自分の右手を物憂げに一瞥してから言った。

「──中学の時に戻りたいッスねぇ」
「……?」

 それってどういうことだと尋ねようとした、その時にドンドンドン、と三回壊れんばかりにドアがノックされる音に遮られた。がちゃがちゃと強くドアノブが引かれてるのが見えたが、鍵がかかってるため入れないみたいだ。再度焦燥に駆られたみたいにドンドンドン、と最早ノックというか殴りつけてるんじゃないかと思う程つ強い音。

「あっ、レンが帰って来たみたいッスよ!」
「帰って来たみたいッスよ、じゃないんだよ。何で鍵かけてるんの……」

 僕は体に掛けられた布団をめくってベッドから立ち上がる。バス停で倒れた時にどこかにぶつけたのか、肩の疼痛が目立つ。あとでどっちかに湿布でも買ってきてもらおうかな、とか思いつつ、ドアのサムターンを回した。するとがばりとドアが開いた。そこにいたのはもちろんというか、金髪の長身、レンだった。

「つっきー!AED持ってきたぞ!ってうおっ!幽霊!」
「何をどう間違えたんだよ……」


 それから。
 僕とポチがいた部屋にレンを加えて、しばらく話をした。ひたすら僕は二人に大丈夫、大丈夫と壊れたおもちゃの喋るロボットみたいに繰り返して、レンとポチはそれぞれの自分の部屋に戻って行った。枕元にはポチが下の自動販売機で買ってきたアクエリアスとレンがコンビニで大量に購入したウィダーインゼリーが飲みきれなくて置いてある。この借りは二人にいつか返さないといけないなとか思いながら、それらを冷蔵庫の中に入れて、ベッドの方に向かおうとした時だ。

「ん?」

 床に落ちていた一冊の文庫本を見つけた。見覚えのない装丁。これは僕のものではない。なんだろうと思い僕はそれを拾い上げる。著者は僕も知っているけどこの題名は聞いたことがない。宮部みゆきの『返事はいらない』だ。
 こんな本買った覚えも借りた覚えもないんだけどなぁ、と一瞬思ってすぐに納得した。この部屋で筑紫が読んでたものだ。
 部屋に本忘れてたよと連絡でもしようかな、と枕元にある携帯を取ろうとした時、その薄い文庫本の中から一枚の紙がひらりと葉が風に舞ったように落ちた。振り子が左右に揺れるみたいな動きをして、カーペットの床に音もなく落ちた。

「……参ったな……」

 恐らく何かの紙を栞代わりに使っていたのだろう。読んでいた本がどこまで読んだか分からなくなることの遺憾さはとても耐えがたいものだ。読書好きの僕からすると縁を切ることも視野にいれるだろう。しまった、菓子折りの一つでも彼に寄越すべきだろうか、と思いながらその紙を拾うために膝を曲げる。

 そして気付く。

「何だ……これ……?」

 その紙は写真だった。それもただの写真ではない。とても異様な絵面だった。八人の女の子が何かのステージ衣装を着て並んでいる。その中の一人を除き、全員の顔が黒いインクのようなもので塗りつぶされている。憎悪をぶつけるように。狂気と怨嗟を表現するかのように。ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃに。その写真の中心。唯一顔面を黒く染められていない人。その女の子は僕も知っていた。よく知っていた。
 筑紫の年子の姉、姫菜だ。
 そこでようやく、この写真が姫菜の所属するアイドルグループ、『Azathoth』のものであることに気付いた。恐らく塗りつぶしたのは筑紫だろう。だとしたら──彼は一体何のために?
あの瀟洒な微笑みの裏で一体何を考えている?

「全く……意味が分かんないよ……」

 深くは考えないことにして、その気味の悪い写真を文庫本の適当なページに挟み込んだ。携帯を枕元にポイっと投げ捨てる。柔らかい布団に小さくバウンドしたのが見えた。もう今日は寝よう。この世界には知らない方がいいことがある。そんなこと、僕は百も承知だ。明日、何も見てない振りをして彼にこの本を返却しよう。
 出口のそばにある電機のスイッチをオフにした。部屋の中が浅い闇に満たされる。何も見えない道を辿り、ベッドに寝そべる。
 目を閉じる。睡魔がすうっと雨が降る前の暗雲みたいに忍び寄る。
 徐々に意識が沈んでいく中、今日聞いた筑紫の言葉が耳鳴りみたいに脳の中で残響する。僕が願いを聞いた時、彼は何と言っただろうか。僕はその言葉を純粋に姉を想う言葉と信じた。

──僕だったら『また姫菜と一緒に暮らしたい』かな──

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.21 )
日時: 2018/05/31 19:08
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA

 僕は夢を見ていた。これは夢だ。明晰夢、というのだろうか。自分が今深い眠りの中にあって夢を見ているという自覚がある。
 河原を僕と女の子の二人で並んで歩いていた。カオナシさまの夢じゃない。女の子にはぱっちりとした目があって、すっと通った鼻があって、桃色の唇があって、栗毛色の短い髪が肩の上でゆらゆら揺れている。僕と彼女の二人だけがはちみつ色の月明かりに照らされていた。

 女の子の名前は今のところよく思い出せなかった。夢の中であるせいだろうか、頭にもやがかかったような感覚。

 だけどどこか懐かしいような、既視感のあるような、遠い昔からずっと一緒にいたような感じがする。

「ねぇ、博人くん」

 河原の道には、地面を隠すように草や花が茂っていた。蝶みたいな形をした菖蒲の紫色の花や、にょきりと顔を出す土筆。季節感はてんでばらばらだ。それらを踏まないように女の子はぴょんぴょんとジャンプしながら進んでいる。川には何も流れてないじゃないかと邪推してしまうほどに透き通った水がさらさら。

「この世界はゲームなんじゃないかって考えたことないかな?」

 僕は何も喋らなかった。声を発さなかった。それは別に不機嫌だったわけじゃない。女の子の話を聞いていたからだ。

「あっ、まずこの話をさせて」

 遠くにはリンゴみたいに赤い大きな橋が架かっている。だけど車通りは無い。人っ子一人として歩いてない。世界中に僕とこの女の子の二人しかいないみたいだ。それもいい。それでいい。この女の子だけいればそれだけでいいとその夢の中の僕は思った。

「先週さ、いとこの家に遊びに行って、最新型のゲームさせてもらったんだよ」

 空には今にも落ちてきそうなくらいに弱弱しい太陽。白色の月がそのすぐ横に寄り添っている。まるで僕と女の子みたいだ。現実の空がこんな風になったら誰しもが困惑するだろう。でも僕は、この光景が当然のように思えた。

「それがすごくリアルでさ、何ていうの?自分が映画の主人公になったみたいな気分なの」

 女の子があの空の中で泣きそうなくらいに光る太陽だとしたら、僕は月だ。あの月のようでありたかった。いつまでも寄り添っていたかった。

 そう思ったのは夢の中の僕だろうか、あるいは夢を見ている僕だろうか。
 そんなのどっちでもいい。
 またこうして会えたんだから。

「何でもできるんだよ、そのゲームの中。例えば大都会の中を散歩したり、スポーツできたり、車でレースしたり、それこそ――人を殺せたり」

 僕と彼女は適当な川辺の石に腰を下ろした。二人の間を赤いハート型の実を付けた一つのホオズキが隔てていた。彼女は靴と靴下を脱いで裸足になった。
清い水が何の音もせずに流れるその水面に脚を突っ込んだ。冷たそうに顔をしかめから、僕に向かって恥ずかしそうにはにかんでみせた。
 そのくしゃりと笑う顔が愛しかった。
 言葉にするのもおこがましいほどに──愛しかった。

「それでさ、思ったんだ。私たちが住んでいるこの世界も、本当はゲームなんじゃないかなってさ」

 裸足のまま女の子はすっくと立ち上がって、小石をその細い指で摘まんだ。空気みたいに透明な水面を見つめてからぽーんと彼女は石を川に放り投げた。ぽちゃんと水面が鳴く。真円状に波紋がふわりと広がる。
 一重。
 二重。
 三重。
 重なって、ゆらゆら揺らめいて、波を作って、やがて波紋は消えた。

「本当はこの世界はゲームで、私はそのゲームのキャラクターで、私以外の全員NPCなんじゃないかってさ」

 また彼女は石を投げた。軌道は半月の形になぞる。水面に入った時、今度はぽちゃんと言わなかった。
 カリン、と固い音。水面は石が投げ込まれたところを中心に凍りついていく。
 カチカチと閉じ込めるように凍結。
 パキパキと守るように氷結。
 瞬く間に川は凍っていく。
 今までしらしらと流れていた清い水はやがて動きを止め、僕の視界に入る全ての川幅は完全に凍りに覆われた。

「こう、三人称視点のゲームでさ、神様みたいな人が私たちを俯瞰で操作して。あ、こいつ今悲しんでるぞとか言いながらポテチとか食べながらげらげら笑ってるんじゃないかって思ったんだ」

 彼女は一歩足を裸足のまま前に繰り出した。何かの宝石のように綺麗に固まった川に、ぴたりと彼女の足の裏がつく。危なっかしくふらふらと両の腕でバランスを取りながら彼女はその氷の上を歩いていく。
 危ないよと、立ち上がって彼女に手を伸ばすのは簡単だろう。その華奢な体を支えてやることだってできるだろう。でも、彼女が僕に背を向けて歩いて行くのを、座ったまま眺めることしか出来なかった。

 指先一つさえ触れてしまえば、この夢が不意に終わってしまって。

 もう二度と彼女に会えなくなるかもと思ったのだ。

「最初の方はあたしも楽しかったんだけどさ、途中で何だか気分が悪くなってやめちゃったんだ」

 彼女はよたよたと進んでいく。
 僕は何も言えなかった。
 彼女が僕から遠ざかるのを黙って見ていた。

「私も博人くんもさ、他の誰だってそれぞれ性格があって、個性があって、人格があって、自分で考えて行動しているように思えるけど、実際それって神様みたいな人が付けた設定みたいなものだったりしないかな?」

 彼女はぴたりと立ち止まった。僕に背を向けて、後ろで手を組んで。

「全員に役割とキャラ設定が定められていて、運命なんてただの筋書きで、赤い糸なんてあってもそんなのはシナリオの中で。全部が最初から決まったもので、神様が全て操作してて」

 くるんと、彼女は僕の方に振り返った。

「博人くんは──」

 彼女の足元の厚い氷から、淡い緑色の可愛らしい若芽がにょきりと顔を出した。その近くから、また一つ、また一つと同じように小さい芽がどんどんと芽生えていく。そして目も眩むほどの早さで川幅いっぱいに張っていた氷の上は新緑の芽で覆いつくされた。その上に立っている彼女は僕につつましく笑いかける。それと同時に、視界中に広がった緑は一斉に目映いほどに黄色い花を咲かせた。
 
「博人くんは、どう思うかな?」

 彼女は僕に尋ねた。
 僕はゆっくりと立ち上がる。目の前に広がる黄色の絨毯に向けて、足を進める。一歩踏み出すごとにめしゃり、めしゃりと花の潰れる音がする。
 近づく。彼女と近づく。距離を狭める。少しずつ、少しずつ。
 手を伸ばせば彼女と触れ合えるほどに相対する。すぐそこにいるようで、膨大な隔たり。
 向かい合ってるからこそ、隣にはいられない。
 目を合わせているからこそ、彼女のことなんて、何も見えやしない。
 だからこそ、僕は──





「そんな悲しいこと言わないでよ、ともみ」




 夢の中の僕は、彼女の名前を思い出した。

「またこうして逢えたんだ。いつかみたいに、さ、もっと楽しい話しようよ」

 僕は言う。

「さよならがいつ来てもいいように、できるだけずっと僕の目の前にいてよ」


「あはは──」

 ともみは笑った。

「変わらないね、博人くんは」
「変わらないんじゃなくて変われないんだよ。どこにも行けないんだ」
「じゃあずっと一緒にいられるね、私もどこにも行かないからさ」
「そうだね、時間が許す限り。許してくれなくたっていつまでも一緒だ」
「いつまでっていつまで?この菜の花が枯れるまで?」
「いや、月が沈むまでだよ」
「それじゃ足りないよ、博人くん。この下の氷が溶けるまでいて欲しいな」
「そんなんじゃ足りないな、ともみ。どれだけの年月だって僕なら大丈夫だ」
「まだ足りないよ。私がお婆ちゃんになっても一緒にいてくれる?」
「当然だろ。僕らが死んでしまって、生まれ変わって離れ離れになってもすぐにともみを見つけ出すよ」
「あはは、やっぱり面白いね。博人くんは」

 ともみはやっぱり笑った。
 叶わない契り。誰かに決められたシナリオは、容赦なくそんな絆の糸なんて容易く引きちぎる。

「ねえ博人くん」
「なに?」
「みんなをよろしくね」
「どうしたんだ?皆って誰だよ」
「そうだね、いっぱいいるんだけど。灯とあやめかな?あの二人、すぐケンカしちゃうんだから」
「あー……、そうだね。僕がどうにかしとくよ」
「約束だよ?嘘ついたら針千本飲んでもらうよ?」
「そんなの飲み込んだら僕の体がただじゃすまないよ。指切りしよう」
「あはは、そうだね」

 ともみは笑ってから、その小さい小指を僕に向かって伸ばした。
 僕も彼女をまねてその指に手を伸ばした。
 そして。
 指と指が絡み合うことなく、ともみはふっと、煙みたいに、僕の目の前から消えた。

Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.22 )
日時: 2018/06/13 07:16
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA

「起きるッス!!ヒロくーん!」

 体の上に何か重い物が乗っかってきた感触。みぞおちが押され、こふっと肺から息が漏れる。
 その衝撃で夢から半ば強制的に覚醒した。寝ぼけ眼のぼんやりとした視界がやがて輪郭を表して来る。布団の上、茶色の塊、その正体がポチだとやっと気付く。

「遅いッスよ!入学二日目にして遅刻するつもりッスか!?」
「……へ?」

 ポチはそんなことを言いながら僕の胸を焦った様子でバンバンと叩く。未だよく回転しないままの脳内は、その言葉を飲み込むのに時間がかかった。彼に上体を押さえ付けられたまま首を動かして、壁に掛けられた時計を見る。時刻は昨日寮を出発した時間をとうに過ぎていて──

「……やっば!」

 僕は軽いポチの体をはじき飛ばすようにがばりと跳ね起きた。ポチはベッドから落ちてカーペットの床にカエルみたいな体勢でひっくり返る。「ぎゃう!」と彼が変な声を出したのを無視しつつ、カーテンのレールに垂れ下げられている制服の方に向かう。

「いたた……、酷いッスよヒロくん!」
「時間がないんだって!ポチ、カバンの中に財布が入ってるか確認して!」
「人使いが荒いッスねぇ!……ん?」

 着ていたジャージを脱ごうとした時に、ポチは驚いたような声を上げた。こんな忙しい時に、と内心苛立ちながらポチを見ると、彼も同様に僕を不思議そうに凝視していた。
 悠長にしていられるシチュエーションではないのに、首を傾げて、眉をひそめて。

「どうしたの?ポチ?僕の顔に何か付いてる?」
「いや……ついてるっていうか……」

 彼にしては珍しくもごもごと言いよどむような口調。言おうか言うまいか迷っているような。

「……?」
「ヒロくん、何で泣いてるんスか?」
「は?」

 僕は驚いて、片目を指でぬぐう。指先に僅かな涙が付着しているのが分かった。ぎょっとするのと同時にもう片方の目からつうっと一筋、暖かいものが頬を滑った。
 慌ててごしごしと両目をこすってから、ポチから見られないように顔を背ける。

「……あくびしたからだよだよ。なんてことないさ」
「あくびしたぐらいでそんなに涙は出ないと思うんスけど……。まあいいッス!遅刻するッスよ!」
「分かってるって」

 僕は着ていたジャージを今度こそ脱いで、白いシャツに腕を通す。脱いだ服はあとでカゴに入れて寮母さんに渡しておかないといけない。だが遅刻寸前の今考える事でもないだろう。
制服に着替えて、カバンを手に持つ。出口の方ではポチが焦るように僕を見ていた。「今行く」と言って机の上に置かれていた文庫本に目を遣った。
 宮部みゆきの『返事はいらない』。昨日筑紫が僕の部屋に置いて行った本だが、重要なのはこの本ではない。この本の中に挟まれていたものだ。自分の姉以外の顔をぐちゃぐちゃに、まるで呪いにでもかけるように塗り潰された一枚の写真だ。何の為に、どのような思いでそんなことしたのか、僕が知る由もない。今日学校であった時に何事も無かったかのように彼に渡すことにするしかなかった。

「何ボケっとしてるんスかぁ! いい加減に遅刻するッスよ!」
「……そんなに怒ることないだろ……」

 その文庫本をカバンの中に入れて、ポチの待っている出口の方に小走りで向かった。何か忘れているものなかったっけ、と頭の中にチラッと何かがよぎったけど今考えている時間はなかった。喉に魚の小骨が引っかかったようなじれったさを抱きつつ、先に部屋を出たポチの後ろ姿を眺めた。

 寮の昇降口で足踏みをしながら待っていたレンと合流して、三人で並んで学校までの道を急いだ。信号が赤になる度にレンは信号のライトを憎らしげに睨みつけていた。僕たちをあざ笑うように猛スピードで横切る軽自動車。歯痒そうな様子のレンとポチを眺めながら僕は今日の朝の事について考えていた。
 涙を流したのは何年ぶりだろうか。飛行機事故で両親を亡くした時だって涙なんて出なかったのに。何故か目が覚めた時、何か大事な物を失ったような、何か大切な物を忘れたような、そんな気がしたのだ。まるでドーナツのように僕を僕たらしめるあるべき穴を、一瞬だけ何かが、誰かが、埋めてくれたような気がした。そしてその埋めてくれた何かが一瞬にして消えてしまった気もした。

 懐かしい誰かと喋る夢を見た記憶はあるが、その詳細はどう頭を働かせても何も思い出せなかった。
 何も。
 何一つさえ。

「つっきー! 何ぼーっとしてんだ! 信号青んなったぞ!」

 レンの声にはっとした。その言葉通り向かいの歩行者用の信号は緑色に光っていて、二人は横断歩道を半分渡ったくらいのところで僕を見ていた。なかなか渡ろうとしない僕を急かすように左折車が傍らで待っている。
「ごめん、行こうか」
 僕は足を進めた。やはり今考えるべきことではないだろう。小走りで二人の横に並ぶ。レンとポチは不思議そうに顔を見合わせたが、「マジで遅刻すっから急ぐぞ!」と言ってから学校の方角に向けて駆けだした。

 やがて白い校舎に辿り着いた。予鈴はまだ鳴っていないようで、遅刻はしないで済んだみたいだ。ショートホームルームの時間がギリギリに迫っているからだろうか、校門の付近は閑散としていた。僕たち以外には誰もいない。静かな学校を見るのは初めてで、何かから取り残されたものを見ているような違和感さえ感じる。
「間に合ったー……!」
と僕の横でレンは膝に手をついて苦しそうに肩を上下させた。熟れたトマトみたいな色の顔色のレンとは対称的にポチは涼し気な顔をしている。
「レン体力無いッスねぇ……。これだから文化部はダメなんスよ」
「う、うるせぇ……、あーきちいわ……。何で朝っぱらからこんな猛ダッシュしなきゃいけねえんだよ」

 恨みがましそうにレンは僕を睨みつけた。まあ寝坊した僕を待ってくれただけありがたいのだろう。起き抜けの運動に荒れ狂う呼吸を押し殺しながら、僕は「今度何かおごるから許してよ」と言った。
 しかししばらく運動してなかったからだろうか、こんなにも体力が落ちていることに自分でも驚いていた。心臓だけ別の生き物になったかのように激しくリズムを刻んでいる。胸の辺りに痛みに似た感覚。部活をしていた中学時代ならばこのくらいの運動は軽くこなせたはずだが、今や息も絶え絶えだ。ランニングでも始めるか、と息を整えながら考えて校舎の中に入った。

 下駄箱はクラス別に分けられている。C組の靴箱の方に歩いて行ったレンとポチを尻目に、僕も自分の靴箱へと向かう。一番下の段だから身をかがめないと上履きを取り出すことは出来ない。胸のポケットに刺したボールペンを少し煩わしく思いながら横開きの戸を開けて、自分の上履きを取り出そうとした時に気付いた。

「……何だこれ……?」

 僕の目に映ったのは一つの封筒。青色の上履きの上で僕を待っていたかのように置いてあった。いつの間に、と頭を巡らせる。当たり前だが、昨日下校した時にはこんなもの入ってなかったので今日の朝ここに誰かが入れたのだろう。
 封筒を手に取る。それは無機質なほど白く、端にシャーペンか何かで『月島博人へ』と僕の名前が書かれている。汚れていたりはしていないまっさらな薄い封筒。中に紙が入っているのが分かる。カミソリの刃や汚物は入ってないみたいだ。とりあえず安堵のため息。
 封を開けてみる。糊が甘かったので開けるのにそれほど苦労しなかった。その中の紙に書いてあったことは。

「なるほどね……」

 見覚えのある字。あいつの顔が脳に浮かんだ。
だったら僕ができることは。

「おーい何してんだー!今度こそマジで遅れるぞー!」
「そーッスよー!」

 なかなか出てこない僕を待ちかねたのか、既に上履きを履いたポチとレンが僕を急かす。僕は立ち上がってボールペンを胸ポケットに入れてから「ちょっとこれ見て」とレンに中に入っていた紙を渡す。
「ん?何だ?この紙」
「靴箱の中に入ってたんだよ」
「へー! ラブレターか何かか?」

 そんな冷やかすような事を言ってからレンは紙に書いてある字を見て、「は?」と間抜けな顔になる。ポチもそれを眺めて「ん?」ととぼけた顔をした。

「何の目的で誰が僕のとこに入れたんだろうね、それ」

 『ホオカゴ オモカゲジングウニコイ』
 漢字にすると、放課後 面影神宮に来い。

「どー考えてもラブレターみてーな色気のあるもんじゃねえみたいだな……」
「そうッスねー…」

 カタカナで書かれたこれは、どんな呆けた頭の頭の持ち主でも恋文では無いことが分かるだろう。 どちらかと言うと、あえて言うと果たし状だ。手紙というよりも、怪文書といった方が正しい。

「マジで遅刻すっからとりあえず教室に行こうぜ!話は昼休みに!」

 焦燥に駆られるようにレンは言う。僕はそうだね、と頷いてその怪文書をカバンの中に滑り込ませた。

 ショートホームルームが始まる寸前で僕はA組の教室のドアを開けた。
 乱暴に開けられたドアが派手な音を立てて、それを合図に教室中の目線が僕にアイスピックのように突き刺さる。まだクラスメイトの名前は一人を除いて全く覚えてない。そんな目で僕を見るなと声を大にして言いたかったが、そんなこと言ったってメリットなんか一つもないことは知っている。
 将棋盤みたいに並べられた机の合間を、目を伏せてくぐり抜ける。僕が通り過ぎた後ろからも名前も知らないクラスメイトからの視線を感じた。登校し始めて二日目で遅刻寸前というのは確かに悪目立ちするだろう、用心しないと。
 ということを考えながら窓際の自分の席に近づいた時に灯の横を通り過ぎた。彼女は僕の顔を見なかった。珍しく無言で自分のオレンジがかった茶髪をくるくると指に巻き付けている。

「……ねえ灯」
「ほ、ほえっ?」

 静まり返った教室の中に灯の呆けた声が響いた。再びクラス中の目線が僕に銃口を向けるように集まる。

「ちょっと話があるんだけど、いい?」
「ん……んん?だ、大丈夫だけど?」
「おっけ、じゃあ後でね」
 彼女の横を通り過ぎて、僕は自分の席の机を引いて座った。机の上に筆箱を取り出してから、横の留め具に手紙が中に入ったカバンをかける。
 黒板の横に今日の日付が書いてあった。4月24日。僕の両親が死んだ飛行機事故が起きた日から早くも半年が経ったみたいだ。
 1分ほど過ぎた時にがらりとドアが開いて担任が教室に入ってきた。教壇の上に担任が上がると同時に、委員長らしい男子生徒が「起立!」と張りのある声で号令をかけた。クラス中が立ち上がり、椅子の足と板張りの床が擦れてがちゃがちゃと煩わしい音が響く。
 ホームルームが終わると同時に僕はポケットの中に手紙を忍ばせて席を立った。向かう先は勿論灯の所へ。

「ねえ、灯」

 後ろから彼女の肩に手を置いた時、大袈裟なくらいにビクリと体を硬直させて、ぎしぎしと壊れたロボットみたいな動きで僕に振り返った。

「ちゃ、ちゃんヒロ……?びっくりさせないでよ!」
「さっき話があるって言ったじゃん」
「昨日倒れた時心配したんだよ?もう大丈夫なの?」
「うん、体調は戻ったよ。すまないね」

 昨日ポチとレンに僕が死んだかのような報告をしたことについては取り立てて言わなくていいだろう。それよりも聞くべきことがある。

「灯、ちょっと見て欲しいものがあるんだけど」
「ん?何かな?」

 首を傾げて見せる灯。ポケットからあの封筒に入っていた怪文書を取り出して「今日の朝届けられてたんだけど」と彼女に渡す。おずおずと彼女はそれを受け取って折られた紙を広げた。

「ほ、放課後?」
「……ん?」
「あ、いや。何かなこれ。ラブレター?」
「これのどこを見てラブレターって思ったんだよ……」
「えー!だってそうでしょー!下駄箱に手紙ってラブレターに決まってるって少女漫画で見たもん!」
「変な漫画の読み過ぎだよ」

 言って僕は彼女から手紙を奪い取る。「あぁー!」と名残惜しそうな顔をして僕の手がポケットの中に入っていくのを見送った。

「で、ちゃんヒロって面影神宮行くつもりなの?」
「まさか。こんな怪しい手紙に従うわけないだろ。ゴールデンウィークにポチとレンと行く予定はあるんだけど」
「ふーん……。おととい鉄板屋でそんな話してたもんね」

 僕の方を向いて鳥のように口をすぼめてみせる灯。

「でさ、灯はこの手紙見てどう思う?」
「ん?んんー。……変な手紙だよね」
「それだけ?」
「うん。誰が出したんだろーね」
「そっか。変な物見せちゃってごめんね」

 次の授業は移動教室だ。早いとこ準備しとかないとな、と灯の席から離れようとした時に「ちゃんヒロ」と小さい声で僕に呼びかけた。

「何?」

 僕は振り返る。片脇に教科書類を抱えて灯は椅子から立ち上がっていた。

「昨日倒れたばっかなんだからさ、無理しないでね」
「……どうしたの?いきなりガラでもないこと言って」
「あ、それでさ。ゴールデンウィークは面影神宮ってすんごい混むからさ。行かない方がいいと思うよ」
「……」

 『行かない方がいい』、か。
 誰があの手紙を渡したかなんてもう分かりきった話だ。
 言うなればこれは、フーダニットではなくてホワイダニット。

「心遣いはありがたいけど、もうポチやレンと約束したんだよ。それに……言ったよね灯、僕は天邪鬼なんだ」
「『来いって言われれば行きたくなくなるし来るなと言われたら行きたくなる』だったっけ?」

 それは一昨日、鉄板屋から帰る時にタクシーの窓越しに僕が言った言葉。

「じゃあ行こうか」
と灯は教科書を胸の前で抱いて僕の前を歩いていった。それに僕も続いた。 


Re: 面影は儚く かがちの夢路へ ( No.23 )
日時: 2018/07/15 11:04
名前: 藤田浪漫 ◆8nH/qRkwbA

 二時間目が終わるころから空は少しずつアスファルド色の雲に覆われ始め、時計の針が正午を回った途端にぽつぽつと雨が降って来た。僕が誘並市に来て初めての雨である。
 遅刻寸前でポチにたたき起こされ泡を食いながら登校したものだから傘なんか持ってきているはずもない。机に頬杖をついたまま、窓の外で湿りを帯びていくグラウンドを睨みつける。その間にも少しずつ雨脚は強まっていく。下校するときには止んでくれるといいんだけど。
 やがて昼休みを告げるチャイムが鳴って、僕は財布と携帯だけ持って、レンとポチがいるC組の教室へと足を運んだ。レンのど派手な金髪はかなり目立つのでいい目印になる。「誰だお前」と言わんばかりの視線に迎えられながら、窓際で弁当を広げていた二人の机の方に向かう。僕の顔を見てレンとポチは「ん」と片手を上げた。

「雨降って来たね。傘とか持ってきてないんだけど」

 僕は窓に背を預けながら言った。ポチは幕の内弁当をかき込みながら「むー」と僕の方を見る。

「ふぇんひよふぉうふぇはふぁめふるっふぇ」
「食べながら喋られても何て言ってるか分からないよ。行儀が悪い」

 ポチはごくりとノドを鳴らして口の中にあったものを飲み込んだ。素直なことである。

「天気予報では雨降るって言ってたッスよ?朝の時点で六十パーだったッスもん」
「今朝は天気予報なんか見てる暇なかったからね」
「つーかつっきーは何も食わねえのか?腹減っただろ」
「何も持ってきてないからね」
「購買とか行ってくりゃいいじゃねえか」
「うーん……、金あんまり持ってないし腹もそんなに減ってないからね。大丈夫かな」
「んなこと言うなよほら」

 レンは自分の机の上にあったパンを僕に手渡した。有難く受け取っておこう。

「いいッスねー! レン、僕の分は無いんスか?」
「お前はその弁当があるだろ?……つーかよ」
「僕に届いた手紙の話?」
「そうそう。お前さ、あれどうすんだよ」
「どうするって……、別にどうもしないよ」
「確か……放課後神宮に来いって書いてたよな?どうもしないって事は今日行ったりしないのか?」
「行くわけないだろ、あんな怪しい手紙誰が信じるの」
まあ確かにな、とレンは紙パックのジュースについているストローを口に咥えた。
「あの手紙って今ここにあったりするッスか?」
「僕のカバンの中に置いてきたよ。持ってこようか?」
「いや、無いならいいんスけど。あの手紙、どっかおかしくなかったッスか?」
「馬鹿言うなよポチ。あんな手紙何から何までおかしいだろうが」
「まあ確かにそうッスけど……。なんか日本語としておかしかった気がするんスよね」
「ん?そうだったか?」

 レンは菓子パンを片手に首を捻った。確かにポチの言う通り、あの手紙には不自然なところがあった。それは僕も知っているが、口には出さない。彼らに言っても恐らく得は無いからだ。
 カタカナで書かれた手紙。
 差出人ならもう知っている。

「レン、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「ん?どうしたつっきー」
「面影神宮ってどのくらいの広さか分かる?」
「ん、んー……、何平方かとかの話か?そりゃ具体的な数字は知らねえけど……。あそこ結構広いぞ」
「この前僕とレンとで行った時には全部回るのに二時間くらいかかったッスけどね」
「神様の位の高さと神社境内の広さは比例するとは限らない、なんて話は聞いたことあるけど、面影神宮は誘並市を代表する神社なんだろ?」
「お、おう。確かによく誘並ウォーカーの表紙になってるよな」
「あの手紙には面影神宮に来い、とは書かれてたけど面影神宮のどこで待ってるとかは書かれてなかったよね?時間だって同様だ。つまり」
「つまり?」
「つまりあの手紙は悪趣味ないたずらってこと。今日面影神宮に行く必要もないし、こうして貴重な昼休みを無碍にすることもない」

 レンからもらったパンの包装を開けて口へと運ぶ。二人はまだ納得できなそうな目で僕を見ているが、無視するようにパンを一口かじる。舌にまとわりつくようなブルーベリージャムの甘い味。安っぽい芳香。
 この話題はもう終わりにしたかったのだが、二人はそうじゃないらしい。口いっぱいにご飯を頬張ったポチがゴクッと音を立てて飲み込んでから僕に尋ねる。

「あの手紙って本当にヒロくんに渡すつもりのものだったんスかねぇ?」
「ん?どういうこと?」
「どこにもヒロくんの名前書いてなかったッスよね?もしかして誰かが間違えてヒロくんの靴箱に入れたんじゃないッスか」

 それはありえない、と言いかけてから僕は少し逡巡する。

「さあね。詳しいことは僕にも分からないな。そうなのかも知らないし、そうじゃないかも知れない」
「ほえー……」
ポチはよく分からないと言った表情をした。間抜けそうな顔。
手元にある菓子パンの二口目を頂こうと口元に持っていこうとした時。
教室の真ん中の辺りから「よっしゃあーっ!」と叫ぶ声が聞こえた。不意に響いた声に怪訝に思って目を上げると、名前も知らない男子生徒が初めて首輪を離された大型犬のように狂喜乱舞しているのが見えた。

「本当だった!本当だったんだよ!『カオナシさま』の話はっ!」
 馬鹿騒ぎをしているその男子生徒に自然と教室中の視線が集まる。今にも踊りださんばかりに喜びを体中で表す彼を見て、ポチは「一体どうしたんスかね?」と小首を捻る。

「軽音部の朝倉じゃねえか。何があったんだ?」
 訝しむ僕たちをよそに、周りの事なんて知ったこっちゃないといった様子で今も理性の無い猿のようにぎゃあぎゃあと騒いでいる。

「おい朝倉ぁ、どうしたんだよ?いきなりでけえ声なんか出して。うるせえだろ」
気が狂ったように騒ぐ彼の一番近くにいた男子がそう尋ねると、「閃光スポットライトの三次選考に受かったんだよ!黙ってなんかいられねえだろ!?」と彼は目を見開いて携帯の画面を突き出しながら答えた。

「へえ、あいつすげえじゃん」
椅子にふんぞり返ったままレンが感心したように言う。
「ん?レン、知ってるの?」
「まあな。閃光スポットライトっつってよ。例えるならあれだ。音楽の甲子園みたいな感じだな。全国大会みたいなもんだ」
「ふうん、凄いんだね」

 僕は曖昧に相槌を打った。よっぽど嬉しいのか、南国の野鳥みたいな嬌声を耳ざわりなくらいに発し続けている。
 しかし。
 さっき確かにカオナシさま、と言った。つまりあの願いを叶える都市伝説が今目の前で本当だと判明してしまったことになる。

──人生と言うのはことごとく負け戦であるものです──
 あの夢の中の少女が言った言葉がふと脳をよぎる。

 手の中のパンを口の中に一気に口の中に入れ、咀嚼してから飲み込む。
「レンありがとう。ご馳走様」
「お?おう。もう帰んのか?」
「うん。ちょっとやることがあったんだ」
 これは嘘だ。本当はすることなんか何もなかった。
 ただ。ただ目の前であれだけ幸福に包まれている人間を見るのは少し苦手だった。

「今日も僕部活ッスから次は寮ッスね!」

 ポチの言葉にうん僕は頷いてから、よしかかっていた窓から背中を離す。
 少し落ち着いた様子の朝倉と呼ばれた生徒の姿を横目に、僕はC組の教室を後にした。向かうのは一つの教室を挟んだ先の自分の教室だ。

 カオナシさま。
 願いを叶える悪夢。
 正直言って僕は未だ信じてなんかいない。偶然の一言で片づけることなんかいくらでも可能だ。
 ──しかし。
 何か妙な予感めいたものが胸の内で充満している。

 A組の教室はポチ達のクラスと負けず劣らず騒がしかった。読みかけていた『日の名残り』でも読んで時間を潰そうかな、と自分の席まで近づく。そして違和感に気付いた。
 僕はこの教室を出る前、確かに机の横に学生カバンをかけておいた。だが今は違う。机の上に黒いカバンがぽつんと置かれている。
 慌てて机まで駆け寄ってその中を開く。財布と携帯はポケットの中にある故、貴重品が抜き取られているという心配はないが、嫌な予感がふつふつと雲のように湧いてくる。

「……マジかよ」

『ホオカゴ オモカゲジングウニコイ』
そう書いてあったあの怪文書がカバンの中から無くなっていた。

 6校時目の終了を告げるチャイムが鳴り、帰りのホームルームを終えた。何かから追われるように部活生は教室から出て行った。生憎僕はどこの部活にも所属していない故、学校にいても何もすることはない。早々に寮へ帰ってしまおうと窓の外を見て気が付いた。ぱらぱらと雨がまだ降っている。

「……はぁ」

 幸か不幸か正午降り出した時よりも少し雨脚は弱まっている。多少濡れるのを承知で校門付近のコンビニまで駆け込んで傘を買えばいいだろう。そう決めて既に準備していたカバンを手に取って教室を出ることにした。
 ケラケラとふざけ合う生徒たちの合間を抜け、廊下。階段を下りる。
 そして辿り着いた昇降口。今から下校するのだろう生徒の群衆の中に見慣れた秀麗な顔立ちの男子生徒が一人。言わずもがな筑紫だった。僕が来たのに気付いたように顔を上げると「やあ」と片手を上げにこやかにほほ笑んで見せた。

「待ってたよ月島くん。途中まで一緒に帰らないかい?」

 その微笑に僕は思わずぎくりとしてしまう。理由は一つ、昨日見てしまった写真のせいだ。禍々しささえ感じられるほど、真っ赤に塗り潰された顔。殺意でもぶつけているようだった。心なしか僕に向けられたこのたおやかな笑みさえどこか機械めいて見えた。

「……そうだね、丁度良かったよ。傘を忘れたから一緒に入れてくれないか?」
「そんなのお安い御用さ」

 そう言って筑紫はスタスタと自分の靴箱の方まで向かっていった。どうやら余計な邪推はされてないみたいだ。ほっと胸をなでおろす。僕もA組の靴箱まで足を進め、上履きからスニーカーに履き替える。

「そうだ筑紫。昨日僕の部屋に忘れ物してたよ」
「ん?何だい?」

 やたら値が張りそうな傘を片手に不思議そうに首を傾げる筑紫。僕はカバンの中からあの文庫本を取り出して彼に手渡す。「あー!」とおもちゃを与えられた子供のような無垢な顔で彼はそれを受け取った。
「やっぱり月島くんのところに忘れてたんだね。ついうっかりしたよ。すまないね」
 ぱらぱらとその文庫本をめくってから口角を上げて、彼はそれをカバンの中に入れた。
「いや、構わないよ。昨日迷惑かけたしね」

 言いながら二人並んで校舎を出た。筑紫は傘をぱっと広げて僕もそこの中に入れてもらう。どんよりと重苦しい空と僕らの間に傘が割り込む。降雨を受けてペタペタと傘は音を立てる。

「月島くんは本を読むのが好きなんだってね」
 雨の音をかき消すように筑紫は口を開いた。そんなこと彼に言ったっけと一瞬考えを巡らすが確か中学の時によく彼の前で本を読んでいたことを思い出す。

「ん?……うん、そうだよ」
「じゃあさっきの本は読んだことあるかい?」
「いや、無いね。宮部みゆきはあんまり詳しくないんだ」

 僕らの他にも傘を指して歩いている生徒の姿がちらほらあった。雨は歩くスピードを遅らせる。まるで川に流される枯れ葉みたいにとぼとぼと校門へ向かって歩いて行く。

「この本は短編集でね。その中の一つが表題作にもなっている『返事はいらない』っていう話なんだけど。読んでご覧よ。おススメだよ」
「ふうん。どんな話なの?」
「ある失恋した女性がコンピューター犯罪に手を汚すミステリーだよ。揺れ動く女性心理を緻密に書いた話だよ。……そうだ。このラストに『〇〇には返事はいらないでしょう』っていうセリフが出てくるんだけど、月島くんならこの○○に何て言葉を当てはめるかい?」

 筑紫はそう僕に尋ねた。薄く絵の具で線を引いたような瀟洒な笑みだ。雨で一筋の髪の毛が顔に貼り付いているのが見えた。
 その笑顔でさえ、何か他意めいたものを感じるのは気のせいだろうか。

「……そうだね」

 少し考えてから僕は答える。

「……僕だったら『独り事に返事はいらない』ってするかな」
「へえ、面白いね。なるほど……、月島くんらしいな」
「……」
「ちなみに宮部みゆきはこう書いたんだよ」

 足を止めずに、僕の顔を見ないで彼は続ける。

「──『さよならには返事はいらない』って」

 思わず僕は口ごもる。弱い雨が傘に打ち付ける音。
 校門を抜ける。雨が降っているからか、制服を着た生徒の姿は昨日より少ないように見えた。

「告別に返す言葉なんてなくても構わない、なんて美しいとは思わないかい?相手を想う最後の感傷さ。劇中では一方的に別れを告げられた女性がこのセリフを言うんだから尚更のことだよ」
「……」

 どこか。
 どこか今の僕には彼の言葉が紛い物めいて思えた。その人並み外れた美貌さえブリキ人形のような体温のないもののように感じた。
 さよならに返事はいらない。
 ひどく傲慢な言葉に聞こえるのは僕だけだろうか。

「このセリフが僕はとても好きでね。そのページに栞を挟んでいつでも読み返せるようにしてたんだけど」

 その言葉にはっとした。横を通り過ぎる車が水溜まりの中を突っ切って行って、撥ねた茶色の水がびちゃりとズボンにかかった。
 背筋を指で沿われたような気分だ。小雨に白む背景の中、僕の隣で不気味なほど爽やかな笑みを筑紫は浮かべている。傘のJ字の取っ手が僕たちを二つに隔てている。

「そりゃ気付くよ月島くん。……あの写真の事、どこにも多言しないことを約束してくれるかい?」
「ああ」

 僕は平静を装って頷く。

「約束するよ筑紫。──友達だからね」
「あはは、それは良かったよ」

 軽快に彼は笑った。
 それから、僕たちを覆う傘は無言が渦巻いていた。少しばかり歩いてからやっと学生寮飛想館の前に辿り付いた。
 スニーカー越しに染みた水で靴下が生ぬるく濡れている。身も心も不快感にまとわりつかれていた。

「じゃあここまでだね。僕はこっちだから」

 にこりと笑みを作ってから筑紫は僕と目を合わせた。僕はその双眸から逃げてから、花柄の傘を潜り抜けてから飛想館の昇降口の方に向かおうとする。
 早くこの場所から離れたかった。もっと言えば筑紫と早いとこ別れてしまいたかった。
 弱い雨が僕をじわじわと濡らす。躊躇するようにゆっくりと降る雨。曖昧なままでいたいとする僕の様だ。

「あ、月島くん。ちょっと待ってくれるかい?」
「何?」

 筑紫の声に僕は振り向く。彼は差した傘で顔を隠していたが僕を見ているようだった。その先の顔は笑っているのだろうか、それとも真顔なのだろうか。

「昨日さ、僕と灯ちゃんに聞いただろう?“一つだけ願いが叶うなら何を願うか”って」
「……ああ」
「肝心の君の願いは何も言ってくれなかったじゃないか。聞かせてよ。月島くんなら、月島博人くんなら何と願うんだい?君の目には、世界はどう見えている?」

 世界がどう見えてるかって?
 それはこっちの質問だ。

「平穏に過ごせたらそれでいいよ」

 僕は端然と筑紫に言い放つ。

「何も、何も起こらず、誰も悲しまず、誰も苦しまず、悠久に、泰平に、波風も立たず嵐も怒らずずっと凪のままで、安寧に甘んじて、平穏無事に過ごせたらそれでいい」
「それは本当に君の本心かい?」
「ああ、そうだ」

 小雨が肩を濡らした。

「君がそう言うならそれでいいよ。ただ一つだけ忠告させてくれる?」
「……」

びちゃびちゃと。

ばちゃばちゃと。

「水は流れないと腐ってしまうよ。立った波風が砂を運んで新たな土地を形成することもある。嵐の後の快晴が一番綺麗だ。何も起こらない人生なんてただの回り続ける歯車でしかない。それでも君は無の平穏を望むのかい?」
「それでも僕は望むよ」

 僕がそう答えると、「そっか」と彼は真顔で息を吐いた。

「もういい?筑紫。濡れて寒いんだけど」
「うん、じゃあね。また明日会おう」

 ひらひらと手を振って彼は身を翻した。花柄の傘が筑紫の後ろ姿を隠していた。あの花は何だろう。紫色の花。
 彼の姿が見えなくなるまで僕は小雨の中、指一つ動かせないままそこで立ち尽くしていた。ブレザーはずぶ濡れ。筑紫が曲がり角を曲がってから、ようやく僕は「……はぁ」と息をついた。

「何かすげえ疲れた……」

 手に持った学生カバンは雨で鈍い光沢を浮かべていた。濡れたシャツが素肌に貼り付いて体温を奪う。これ以上雨に打たれると風邪を引きそうだ。無数にできた水溜まりを意に介さないで、昇降口へ向かうことにした。
 雨はもう少し降り続きそうだ。

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