複雑・ファジー小説

人形の瞳
日時: 2018/11/23 18:27
名前: 花やさん

 人それぞれ、愛のかたちは違うのだ

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Re: 人形の瞳 ( No.3 )
日時: 2019/01/05 13:54
名前: 花やさん
参照: 電車の時刻を修正しました。

 違う路線に乗るあかりにばいばいと手を振って、私は改札へと歩き出した。ICカードをタッチして電光掲示板を見ると、「普通 19:53」とある。隣の電光掲示板は、あかりが乗るであろう電車は20時を過ぎてから来ることを示していた。
 高校1年生の頃から使っている英単語帳を取り出して、ホームにて電車を待つ。あと1分で電車が来る。向こうのホームであかりが手を振っていたので、また振り返す。そのまま去ってゆく背中に、小さくまたね、と呟いた。
 単語帳に取り付けた付箋の通りに単語を眺めてゆくと、とあるpから始まる単語に目を留めた。今日の単語テストでわからなかった単語だった。付箋の色は青色。もう随分と前に覚えたはずの単語だった。
 身内に、1度覚えたことは絶対に忘れない、という人間がいる。彼女はそんな驚異的な記憶力を持っているのにも関わらず、人形師を営んでいる。私がため息をつく度に、彼女はこの能力を君にあげたいよ、と苦笑していた。
 ぷしゅー。電車が来たのだ。自動でドアが開いて、サラリーマンと男子高校生と、私が乗り込む。平日の夜の電車は空いていて、静かだった。
 ガタンゴトン、と電車が揺れて、サラリーマンも揺れた。この人はいつも隈が酷い。いずれ死んでしまうのではないか、なんてことを考える。疲れきった彼の胸ポケットには煙草のケースがボロボロになって詰め込まれていた。男子高校生の方は、よく日焼けした顔にニキビがぽつぽつ。利発そうな顔をした彼は、塾で私より1つ上のクラスで授業を受けている。隣の県の有名な私立高校の制服を着た彼は、物理の公式を眺めているようだった。私が落ちた高校。
 英単語帳に目線を移しつつも、周りのことが気になって仕方がない。ドアにもたれかかりながら、私はpから始まる後悔を見つめていた。
 後悔は電車を止める。電車を下りながら、塾に行くためにたった一駅を移動する行為を虚しく思った。自転車で行けば、と快活そうに笑う母の姿が目に浮かぶようだった。私には体力がない。
 改札でICカードをタッチして、いつものように西口から駅を出ようとしたとき、見覚えのある顔が私を見つめていることに気づいた。大きな瞳と小さな鼻、あの男子高校生と違ってニキビのない綺麗な肌が窓から差し込む月明かりに照らされている。

「……まあやちゃん」

 まだ子供らしいピンク色の唇が、私の名前を呼んだ。

Re: 人形の瞳 ( No.4 )
日時: 2018/12/23 20:50
名前: 花やさん

「また抜け出してきたの?」

 ひさめくんはコクリと頷いた。月明かりに照らされた駅の階段を、手を繋いでゆっくりと下りていく。
 ひさめくんは、私の従兄弟だ。母の姉のななせさんの子どもで、彼はよく家を飛び出して私の家にやってくる。その理由はいつもおんなじで、なぜ家出をしてしまうのかは、正直私にもよくわかる。人形師である彼の母親は、気難しい人だから。

「明日には帰るからさ、まあやちゃん家に泊めてよ」
「……お母さんに聞いてからね」

 どうせ、母は少し困ったような顔をして頷くに決まっているのだ。母はいつも姉と、その息子に優しい。穏やかな表情が目に浮かぶようだった。
 階段を下りるとすぐに、私の住むマンションが見える。駅前に住む私は、今まで遅刻をしたことがない。

「今夜は餃子だって言ってたよ」
「ほんと? 僕、餃子だいすき!」

 ほんの少しませたところのある従兄弟は、食べ物のこととなると急に子どもっぽくなる。何度も一緒に夕食を食べてきたけれど、好き嫌いもなく、よく食べる子だった。きっと元気な男の子になるだろう。そして可愛い女の子に恋をして、幸せに生きてゆくに違いない。

「まあやちゃんは、勉強頑張ってる?」
「そこそこ。ひさめくんもちゃんと学校に通ってるの?」
「うん。もう自分の名前書けるようになったんだよ」

 ロビーの鍵を開けると、エレベーターに乗り込んで「8」のボタンを押す。彼は小学1年生。ななせさんは恐れていたようだったけれど、彼の知能は人並みで、今のところは学校にも馴染めているようだし、何の問題もないように見える。

『ひさめには、私のような人生を送ってほしくないんだ』

 ななせさんは、ひさめくんによく似た人形を見つめながらそう言った。

「僕、まあやちゃんみたいな大人になりたいな」
「駄目だよ」

 ドアが開く。途端に冷たい空気が流れ込んできて、ほんの少し身震いしてしまった。駄目なんだよ。こんな、私みたいな人間になっちゃ。

「あ、でも、まあやちゃんと同じになっちゃったらまあやちゃんと結婚できないよね」

 ひさめくんが、キラキラした瞳で私に微笑んだ。彼が私のことを好いているのは前から知っていた。それが恋情なのか、憧憬なのか。まだ年若い彼にはごちゃまぜになっていて、まだわからない。けれど、そのうち気がつくだろう。私が、尊敬できるような人間ではないのだと。

「あ、いい匂いする」

 『805号室』と書かれた部屋の前で立ち止まると、彼はチャイムを鳴らした。私は鍵を持っていたけれど、黙ってドアが開くのを待つ。

『はーい?』
『ひさめです』
『あら』

 元気よく返事をすると、すぐにドアが開いた。

「おかえりなさい」

 思っていた通りの顔で、母は微笑んだ。

Re: 人形の瞳 ( No.5 )
日時: 2018/12/29 22:00
名前: 花やさん

「おやすみなさい」
「おやすみ」

 もはや習慣化してしまった客用の布団に入ったひさめくんと、夜の挨拶を交わす。彼はいつも私の部屋で眠る。ひさめくんは小学生で、私は高校生。就寝時間が違うため、ひさめくんはまだ私の部屋の電気が明るいうちに眠ることになるのだけれど、「全然大丈夫だよ」と微笑んでいた。
 育ち盛りの子どもはすぐに、すぅすぅ、と可愛らしい寝息をたてはじめた。勉強机に座る私の方を向きながら眠りに落ちたようだ。林檎色のほっぺとピンク色の唇。綺麗な生き物だと思った。祖母似らしい母と違い、ななせさんは祖父似らしく、きりっとした顔をしている。ひさめくんはななせさんによく似ていた。きっと、美青年に育つだろう。
 塾の課題をこなす手を止めて、私は本棚の上に大儀そうに置かれた人形を見つめた。ビスクドールといえば長髪のイメージが強いけれど、この人形はショートヘアだった。それもそのはず、これはななせさんが、私のために作ってくれた人形だった。
 別に、私が作ってほしいと頼んだわけじゃあない。ななせさんの家で話しているときに、流れでちらりとあかりの画像を見せただけなのだ。彼女はその驚異的な記憶力で、この人形を作ってしまった。
 彼女からこの人形を受け取ったとき、私は何か罪深いことをしているような、神に背いてしまっているような、そんな不安が胸を渦巻いていた。生身の人間と違って小さい身体と、瞬きもしない宝石のような瞳。私は恐ろしかった。自分の醜い欲望が。

『人形は何も言わないよ。人間と違ってね。大層なものに見えても、中身は空っぽだ。だから、そこに何かを注いだとしても、誰も咎めることはない。安心するといい。君の秘密は永遠に守られるだろう』

 ななせさんは、そう言って微笑んだ。物言わぬ人形たち。その中で眠る彼女はどこか淋しそうで、だけど幸せそうに見えた。
 眠る幼子とは違って冷たい硝子玉の瞳が、私を見つめている。誰も私の罪を知らない。彼女だけが、私を静かに非難し続けている。嗚呼、今夜も。

Re: 人形の瞳 ( No.6 )
日時: 2019/01/05 23:33
名前: 花やさん

 翌朝になっても、ひさめくんは帰らなかった。休日ということもあって、私も母も何も言わないことをいいことに、彼は我が家に居座り続けた。正直、まあやちゃん好き好き好き、とまとわりつく彼は少々うざったかったけれど、父も母もどこか嬉しそうだったので何も言えない。幸いなことに、今日は夜から塾の授業が入っている。自習室に行くふりをして早めに家を出ることにした。
 淋しげに睫毛を震わせるひさめくんを軽く振り払って向かう先は、塾ではなかった。あくまでも「ふり」なのだ。自習室なんて静かで苦しいだけの場所だ。名前も知らない他人の痛みが侵食してくるような気がする。なら夜までどこで時間を潰すのか。そういう暇なときに行く場所は、私の中でいつも決まっていた。
 古ぼけた民家の扉を合鍵で開けると、私はいつものように中に入った。そうして目に付くのは人形。狭い室内の至る所に人形が飾られている。ここを初めて訪問した人は、大体この無機質な瞳に囲まれて気絶しそうになる。昔からななせさんとよく遊んでいた私からしたら、もう慣れたことだったけれど。
 階段を上ってすぐのななせさんの部屋をノックしようとしたとき、はたとそういえば今のこの時間帯は彼女は何をしていただろう、と思い立った。彼女はとてもこだわりの強い人なので、分刻みで固定されたスケジュールの中で過ごしており、それが乱されるととても不機嫌になるのだ。スマートフォンで時間を確認してみると、15時ちょっと前だった。確か、15時になると、ななせさんは一旦休憩をとるはずだ。
 私はノックをやめて、ドアに寄りかかった。廊下の窓には人形が飾られている。フリルがたっぷりの人形は大層可愛らしく、整った顔立ちはどこかななせさんを思い出させる。彼女は美しい。その界隈では、「美しき人形師」と噂されるほどだった。その端正な顔立ちで慇懃な口調なものだから、特定の層に人気もある。本人はどうでも良さそうだったけれど。
 ぼーっ、と人形たちを眺めていると、突如扉が動いた。私のせいで、つっかえているらしい。ガチャガチャと忙しなく動く扉から慌てて退くと、中からななせさんが少し驚いた顔で私を見た。

「君だったのか。ドアが開かないから驚いたよ」
「お邪魔してます、ななせさん。これから休憩ですか」
「ああ、ティータイムだよ。ちょうど冷蔵庫にケーキがある。一緒に食べよう」
「はい」

 薄い唇に笑みを浮かべると、彼女は扉を閉め、外から鍵をかけた。彼女は決して、誰にも職場を見せないのた。






 冷蔵庫の中で眠っていたのはチョコレートケーキだった。あれ、と思う。ななせさんは、チョコレートがあまり好きではないはずだった。偏食ぎみの彼女は野菜を好まず、足りない栄養はサプリメントで補い、あとは好きなものを食べている。

「……本当は、ひさめと食べようと思っていたんだ」

 今度はテーブルの上で眠るチョコレートを眺めながら、彼女は言い訳をするように呟く。基本的に好き嫌いのないひさめくんだけれど、そういえば大好物はチョコレートだった。

「ひさめくん、今家に来てますよ」
「なるせから聞いた。いつもありがとう」

 なるせ、とは私の母のことだ。ななせさんと一文字違いの名前。兄弟も姉妹もいない私は、そういう言葉遊びのような名づけ方が羨ましかった。
 なかなかケーキを口にしようとしないななせさんに遠慮して、しばらく一緒に出された紅茶ばかり啜っていたが、「どうしたんだ? 君が紅茶を口にしたのは今のでもう5回目だぞ。紅茶はケーキと共に食べてこそ風味が引き立つものだろう。早く食べたまえ」と心底不思議そうに言われて、やっとフォークを手に取った。
 チョコレートケーキは甘さが控えめで、子どもには少し苦すぎるのでは、と思ったけれど、チョコレートをはじめとして甘いものが苦手なななせさんはギリギリ食べることのできる、というラインだ。このチョコレートケーキは、妥協、という言葉が似合っている気がした。ななせさんは、ひさめくんを愛していないわけじゃない。

「美味しかったら私の分も食べていい。どうせ食べられやしない」
「いいんですか」
「ああ。それはひさめと食べてこそ意味があるものだからね」

 ななせさんは、ただひたすら紅茶を啜り続けている。リビングの片隅に目立たないようにビニール袋に包まれた陶器の破片の中に人形の青い瞳があることに、私は気づいていた。

Re: 人形の瞳 ( No.7 )
日時: 2019/01/06 17:24
名前: 花やさん

「あれ、あかり、これから授業だよ」
「ああ、私、明日公募推薦があるから自習室で勉強するの。ごめんね!」
「いいよ。受験頑張ってね」
「ありがとう!」

 教室に向かおうとしていたところであかりに出くわし、一緒に授業に行こうと誘ったけれど、彼女は首を横に振った。そうか、もうそんな時期か。
 じゃあね、と笑顔を浮かべて走り去ってゆく。にこりと笑ったときの彼女の八重歯。ショートカットは潔く、小麦色の肌は彼女の面倒見の良さをよく表している。ソフトボール部を引退してからは、服装も随分と女の子らしくなった。
 今から受ける授業は、彼女以外に知り合いがいない。そもそも、彼女と私は通っている高校が違う。彼女は私が落ちた高校に通っている。県内では有名なその高校は優秀で、私が死ぬほど努力して受講することのできているこのクラスは、その高校の人や、偏差値の高い高校の生徒ばかりだった。太陽のような笑顔で彼女が天文学的な確率で私の隣に座り、話しかけて来なければ、私はずっと1人だったに違いない。
 教室に入りテキストを手に取ると、いつもの席に座る。普段は私とあかりのどちらかがお互いの席を確保しておくために、隣の席に荷物を置くんだけれども、今日はその必要はない。がらんどうの席は、いつまでもそのままで、と願った。しかし受講者数の多いこのクラスで、空席なんてほとんどありえない。授業開始5分前になると、いつもだったらあかりのいるはずの席に、誰かが近づいてきた。

「ここ、いいかな」
「……どうぞ」

 ありがとう、と荷物を置く。いつも帰りの電車が同じになる、ニキビ面の男子だった。あかりと同じ高校の制服を嫌味なほどに着こなした彼は、今日も物理の教材を広げている。ニキビも多少マシになっていた。あかりもこの男子のことを知っているのだろうか。よく日焼けした顔は運動部っぽくて、同じく運動部のあかりとは多少なりとも関わりはありそうだと思った。
 先生の設定していたアラームが鳴り響く。生徒の心を掴みたいのか、今若者に人気のアニメの主題歌だった。授業が始まる。今日も、私はあの電車に乗らなければならないのだ。

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