複雑・ファジー小説

三國志【完結】
日時: 2019/09/14 09:20
名前: 渾身2

渾身2の作品です。朝鮮史を百済滅亡出征の時代を描きます。

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Re: 三國志 ( No.11 )
日時: 2019/09/13 17:20
名前: 渾身

第6話「友との最後の酒」

西暦660年4月初旬、羅唐軍の侵攻が進む中…百済王・義慈王は高句麗との国境(くにざかい/こっきょう)・雅伐路(がばつろ/ウィボルポ)に避難した。そして高句麗からの援軍3万が雅伐路に到着。そして、倭国の援軍1万も到着し、義慈王周辺には5万の兵士が集まった。その内にいたケベク率いるケベクの決死隊5千は黄伐浦に集結。早くも王宮前に待機していた。

【雅伐路と百済の王宮の帰り道】

義慈王は何かを思い出している。。。


6年前…654年

【百済・王の執務室】

「6の100と60の年に入ると(6の100と60とは660の事)に入ると、現在、対立している唐と新羅は和解して百済に攻め込む事になるでしょう。そうなった場合にはまず最初に倭国や高句麗に援軍要請してください。きっと羅唐軍合わせて15万は率いて来るでしょう。それ故に私の友人であるケベク将軍を王宮前の黄伐浦へ派遣してください。その後、大王陛下は雅伐路にご避難ください。その後、白江と炭岸の防衛、後はフンス公にお任せください。さすれば必ず勝利を掴めるでしょう。」
とソンチュン。

西暦660年3月28日

【百済の朝会】

「羅唐軍の侵攻が急速している。まず、倭国と高句麗に援軍要請を。その後ケベクを大太将軍を任命し、王宮前の黄伐浦を守れ。その後、余と王子、そして数人の臣下らは今、一番離れてる雅伐路へ避難する!」

660年4月下旬

【大きな桜の下】

ケベクとユシンが酒を交わす。
「これが我らの最後の酒になりそうですな。」とケベクが言うと…

「そなたが降伏さえすればいいのだ。降伏さえすれば…」とユシンが言うと。

「私はただ王命に従うだけです。」とケベクは言う。そんなケベクの元にプヨ・ユがやって来る。

「ケベク将軍、そなたは敵将と酒まで交わすのか?」とユが言う。

「王子様。誤解なさられるな。我らは幼馴染なのです。今日が最後の二人の酒なのです。お許しください。」とケベクが言う。

「そういえば大王陛下がフンス公を流刑から解かれた。何故だろうか。」

「誠ですか!王子様。」とケベク。

【流刑地の出口】

流刑地からフンスが出て来ると、その前にはケベクが立っていた。

「フンス公!ご無事ですか!」とケベクが言う。

「ケベク。。。大王陛下は国の滅亡を目の前にして私を放免したが、もう手遅れだ。こんなにも早く羅唐軍が…軸山城へ到着するとは…黄伐浦もそう遠くはないだろう。。。」とフンス。

「フンス公、まだ諦めてはなりません。必ず三韓を植民地にしようとする唐の行く手を阻まねば!」とケベク。

【倭国・飛鳥】

「天皇陛下。百済が滅亡寸前にあります。一刻も早く、百済にあと2万の援軍を送りましょう。」と中大兄皇子。

「その通りです!天皇陛下!」と中臣鎌足。

645年、中大兄皇子と中臣鎌足は強大な権力を持った蘇我入鹿を排除した。これは後に乙巳の変と呼ばれるクーデター事件。この中大兄皇子は後の天智天皇、661年に即位する。百済と200年間、血統関係を結んでいた倭国は663年に白村江の戦いを引き起こす。660年、当時は太子の座に座っていた。

【高句麗・王宮】

「大王陛下。現在、百済に18万の羅唐軍が迫る中、百済には5万の兵士と後に送られる倭国の2万しかいません。即急に高句麗からも3万の兵士をお出しください。」とヨン・ゲソムン。

「大莫離支。そなたも本当は分かっておろう?たとえ高句麗が3万の兵士を出そうとしても、百済の滅亡は避けられぬと。」と宝蔵王。

「何を仰います。大王陛下。まだ百済には希望があります!」とヨン・ゲソムン。

宝蔵王は不安そうな顔をしている。

西暦660年5月 百済軍は4万の損失を出す大敗を召した。残るはケベクの決死隊のみと言う結果になり、義慈王一行は王宮へ戻った。

西暦660年5月3日、倭国率いる2万の兵士が倭国と百済の境海にやって来るが、その海に羅唐軍が迫る。

【倭国と百済の境海】

中臣鎌足が羅唐軍に向かって火矢を放つ。

「放て!」

そんな鎌足の頭には羅唐軍の矢先が向かう__

羅唐軍のユシンが言う。「放て!」と。

鎌足はそれに気づき、避ける。



Re: 三國志 ( No.12 )
日時: 2019/09/13 23:13
名前: 渾身2

第7話「百済滅亡」

西暦660年5月3日 鎌足と300の兵士を除く兵士の約2万が大敗を召し、羅唐軍の士気は相当上がった。

西暦660年6月9日

【羅唐軍の軍舎】

「王宮を鎮圧するにはケベクがいる黄伐浦を通らねばならない。それ故に困難であろう。」とユシン。

「兄上。それならば那月山から向かっては?」とフムスンが言うと。

その声に驚いた顔をするユシン。

「さすが我が弟。那月山から通れば良いのか。だが、那月山を越えるのは難しいだろう。那月山は斜面が急だからな。また、那月山を通過したとしても、黄伐浦の軍営に到着し、奇襲を仕掛けると言う方法しかないため、どちらにしてもケベクを倒さねばならない。」とユシン。

そこへ蘇定方がやって来る。

「ユシン公。王宮への進撃は7月10日に決定した。羅唐軍18万が一斉に王宮に攻める日だ。この進撃の日に万が一遅れた場合、太子のボムミンを斬るからな。」と蘇定方。

「何だと?7月中旬だ。中旬まで待ちなさい。」とユシン。

すると蘇定方はユシンに刀を向ける。

「これは皇命だ!」と怒鳴る。

西暦660年7月9日 【黄伐浦の戦い】

「ケベクを殺せ!」とユシンが言い、新羅軍が黄伐浦に攻め入る。

「抗戦せよ!」とケベク。

西暦660年7月9日、王宮前にある黄伐浦でユシン率いる新羅軍5万とケベクの決死隊5000が戦った。ケベクらは7月9日、7月10日に二回、7月11日に計4回勝利した。しかし、唐との約束の日を越えた事に恐怖を怯えたユシンはケベク軍への攻撃を早めた。

西暦660年7月12日 【黄伐浦の戦い・5回戦】

全ての兵士をユシンらに倒され。残り一人の状態となったケベク。

「はっはっは。見事だ。ユシン大将軍。とてつもなく嬉しいさ。ユシン将軍に殺される事がとても光栄だ。ユシン将軍!早く殺してくれ。私が兵の士気を上げるために殺した妻と息子たちに早く会いたいです。はっはっは。」とケベクが。

ユシンはそんなケベクに言う。「ケベクよ。誠に降伏する気は無いのか?」とユシン。

「もう死にたいです。大将軍に出会えて本当に良かった…」とケベクが最後の言葉を残す。

そんなケベクに刀を振り落とすユシン。ケベクは血を吐き、頭を地面に打つ。

ケベク__7世紀初期613年~660年まで生きた将軍だ。彼はキム・ユシン、イ・スンシンらと共に朝鮮三代将軍として知られる。最期は黄伐浦で新羅軍5万によって戦死させられた。彼は1274勝1敗の無敗の将軍だった。彼は幼い頃からキム・ユシンと友人として生きた。死ぬときまで彼は義慈王の臣下として生きた。享年は47歳だ。

西暦660年7月12日、唐軍は新羅軍が約束を破った事の責任としてボムミンを処刑しようとするが、武烈王チュンチュに止められ、処刑をやめた。7月13日、義慈王は熊津城に避難、すると太子プヨ・ヒョンが降伏、その後義慈王が降伏。しかし、義慈王は唐の地で崩御__

西暦661年 百済滅亡から1年…新羅では伝染病が流行する。

咳き込む武烈王チュンチュ。

キム・ユシンがチュンチュを心配する。

「陛下。大丈夫ですか。おやすみになられてはいかがでしょう。」とユシン。

「いいや、大丈夫だ。心配せんでもよい。」とチュンチュ。

すると、倒れるチュンチュ。

西暦661年に武烈王チュンチュが崩御した。この跡は太子ボムミンが王位を継いだ。ボムミンが即位した事によりボムミンら率いる反唐派のキム・ユシンらが力を持った。

西暦663年、倭国の人質となっていた義慈王の息子プヨ・プンらが百済復興運動を起こした。

そんなプヨ・プンに倭国が協力、済倭連合と羅唐軍の戦いを663年、白村江の戦いと呼ばれる__



Re: 三國志 ( No.13 )
日時: 2019/09/14 09:16
名前: 渾身

最終話「白村江の戦い」

【白江の水戦】

「殺せ!」とユシンの出撃令が出る。

それに抗戦する中臣鎌足と天智天皇。

「新羅軍に抗戦せよ!」と天智天皇が命令する。

ユシンが倭国の軍船に火矢を放つ。

「放つのだ!」とユシンが火矢を放ちながら冷静に言う。

西暦663年 百済復興運動主催者プヨ・プンは羅唐軍50万によって鎮圧される。プヨ・プンは661年に反軍を起こして運動を開始した。わずか2年でプヨ・プンは7万の兵士を集め、羅唐軍に抗戦した…しかし大敗を召す済倭軍。

西暦673年

【キム・ユシンの屋敷】
苦しそうに息をするユシンの元へ文武王がやって来る。

「伯父上…どうされたのです。」

「大王陛下。わざわざ…感謝するばかりでございます。」

「伯父上。」

「大王陛下に最期に一つだけ…言うことがございます。陛下。陛下には先代のような善政を必ず敷いてください。大王陛下の功績を来世にこの世にやって来た時、その功績を知りたいと…思います。。。」

「伯父上…」

「陛下は絶対に唐と手を組んではなりません…唐は新羅を植民地にしようとするはするはずです。絶対…唐とは手を…く…くん…ではなりません。」

「伯父上。逝ってはなりません。なりません。」

「陛下。私は陛下の成長をずっと見て参りましたが…陛下はとても聡明で賢明な方でした。私はあの世へ登って先代王に陛下の成長を伝えて参ります。陛下。万歳!」とユシンは言って手を落とす。

「兄上!」とフムスンが泣きながら、膝を落とす。

「伯父上?どうされたのです?伯父上!なりませぬ!伯父上!」

キム・ユシン__彼は6世紀初期から6世紀後期を股にかけ、生きた朝鮮三代将軍だ。キム・ユシンはケベク、イ・スンシンと共に朝鮮三代将軍と呼ばれている。彼を尊敬するものは何千人もいたらしい。彼は高句麗、百済を倒し、三韓一統に役立った将軍だ。享年は69歳。668年には64歳でありながらも戦った老将だった。武烈王チュンチュとは生涯無二の最高の友人だったらしい。

文武王はその後676年、唐との戦争を起こし、勝利した。

【あの世の前門】

キム・ユシンがあの世に渡る橋を渡ろうとした時、前から武烈王チュンチュとケベクがやって来る。

「ユシンよ。私とケベク将軍が迎えに来たぞ。」とチュンチュ。

「ユシン大将軍。ハッハッハ。共に行こうではないか。」とケベクが歓迎する。

「大王とケベクが迎えに来てくれるなど…とても光栄だ。。。」とユシンが言う。

「ユシン大将軍、最後の見送りが来たぞ。」とケベクが言うと、ユシンは振り向く。

そこには馬を跨ぐ文武王、フムスン、キム・インムン、イェウォンとヤンドが。

「伯父上、お気をつけて!」と文武王らがお辞儀をする。

ユシンらがあの世の門を開け、文武王らを見て笑い、その門に入る。

文武王がユシンを見て言う。『彼が三國の英雄だ。』と。

『三國志』ご覧ありがとうございました。



Re: 三國志 ( No.14 )
日時: 2019/09/14 09:19
名前: 渾身

『三國志』登場人物


登場人物

キム・ユシン 新羅の武将、ケベクの友人

ケベク 百済の武将、キム・ユシンの友人

ヨン・ゲソムン 高句麗の老将

真徳女王 新羅28代女王

義慈王 百済31代国王

チュンチュ 太子、後の新羅29代国王

宝蔵王 高句麗28代王

中大兄皇子 皇太子、後の倭国38代天皇

中臣鎌足 藤原氏の始祖、中大兄皇子の忠臣

ソンチュン 百済の臣下

フンス 百済の臣下

キム・ボムミン チュンチュの長男、新羅の反唐派

キム・インムン 新羅の親唐派、チュンチュの次男

キム・フムスン キム・ユシンの弟、新羅の反唐派

ヤンド 新羅の反唐派

イェウォン 新羅の反唐派

アルチョン 真徳女王の忠臣、摂政

プヨ・ヒョン 義慈王の長男

プヨ・ユ 義慈王の三男

プヨ・プン 義慈王の四男、倭国の人質

蘇定方 唐の将軍

太宗 唐の二代皇帝、チュンチュと友好関係







Re: 三國志 ( No.15 )
日時: 2019/09/14 09:19
名前: 渾身

『三國志』終

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