複雑・ファジー小説

Re: 君を、撃ちます。 ( No.4 )

日時: 2013/04/02 16:45
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ

 少しすると「子ども達」は元気良く「じゃーねー!!」と言って、僕の家の庭から出て行った。「少女」は変わらず仰向けになったままの僕の傍に座り、遠くの青空を眺めている。僕は起き上がり、体育座り(三角座りとも呼ばれている)をして「少女」と同じように空を眺めた。真っ白な雲が、高く高く上り青と白の美しいコントラストを作り上げる。仕上げとばかりに数羽の鳥が、雲へ向かって飛び立ちだした。

「××くんは、私のこと覚えてるかな?」

 その言葉を聞いて、僕は「少女」のほうを見る。「少女」は少し戸惑った風だったが、僕に笑顔を向けた。綺麗な茶色の髪に、近所をよく通る同年代くらいの子達が来ている制服。フクロモモンガのような大きな黒い目が、僕の瞳を覗き込む。
 どきっとした僕の心臓は、一気に鼓動のペースを早める。初めての感覚に焦る脳内は必死で落ち着くように信号を出すが、無意味なようで更に鼓動は早まった。意識すればするほど早く大きく鼓動する心臓が主張し、僕の意識を全てそこに集中させる。太陽の熱さとは違う熱が、頭の芯をじわっと溶かすような、そんな錯覚に襲われた。

「……なんて、ね。えへへ、××くんが覚えて無くても無理は無いよね、うん」

 僕と繋がっていた視線を青空へとうつし呟いた「少女」の横顔は、寂しさと悲しさが入り混じり複雑な感情を漂わせる。その表情が僕を申し訳なさに苛ませたが、思い出せないのは仕方が無かった。僕の部屋に、「誰か」を思い出すための道具は一つもないから。
 窓際においてあるクイーンサイズのベッド。丸い形の白いラグに、黒の丸テーブルと白と黒のクッションが一つずつしかない。クローゼットに入っているのは、全て今着てる患者服と同じようなものだけで外出用のものは一つもなかった。それでも、今まで不自由なく暮らしている。

「私、そろそろ帰るねっ。ばいばい、××くんっ」

 立ち上がり駆け出した「少女」の背中は思っていたよりも小さく、僕だけでは支えきる事が出来ない何かがあった。「じゃあね」とも「また今度」とも、何一つ言えない口に、首に、僕はそっと触れる。氷のように冷たいだけの口と首。僕の体の冷たさが、そっと僕の心や全てを縛り付けた。
 僕の心と連動するように集まってきた雲が、雨を降らす。独特のにおいと、僕の冷え切っている体よりも温かい雨粒が直ぐ僕を濡らしていった。道路には水溜が出来て、排水溝へと雨水が落ちていき、木々に雨粒が落ちる。水分を吸いすぎた服は、骨が浮き出るほどに痩せた僕の体にぺったりと張り付いた。今なら流れても可笑しくない涙は、流れない。その代わり、僕の胸が痛くなった。

 ただいまも言わずに、家の中にはいる。ずるずると引き摺った足のせいで、サンダルには芝生が少しくっついていた。びちゃびちゃの濡れ鼠のまま、まっすぐ風呂場へと向かう。母親はキッチンにいるらしく僕には気づかなかった。体に張り付いた服を脱ぎ去り、肋骨が浮いた身体が脱衣所の鏡に映し出される。真っ白な体に浮かんだ青と紫の血管。僕は、僕の身体が嫌いだった。
 服を全て脱ぎ去り、そっと手を首へと持っていく。小刻みに震えだす手で、首に巻かれた包帯の留め具に指をかける。徐々に荒くなる息があの時の事件を思い出させる。「誰か」の手が僕の首を締め上げ、意識を失った記憶。まだ捕まっていないその「誰か」がまたやって来て、今度こそ僕を殺すのではないかと考えながら過ごす日々は予想以上に辛いものだ。

 留め具を慎重にはずし、包帯をとっていく。一日ぶりにみた首にはくっきりと「誰か」の爪痕と指のあとが残っている。目を閉じ包帯を取りきり、タオルを手にとって風呂場へと入った。冷たい体にかけられるシャワーはとても気持ちが良く満たされたが、僕の心は貪欲で何も満たされない。

「××? 廊下濡れてるけど、雨に当たったの? 風邪引かないように、ちゃんと温りなさいよ」

 小さく聞えた「母親」の声は聞き流された。

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