複雑・ファジー小説

Re: 君を、撃ちます。 ( No.26 )

日時: 2013/05/09 23:53
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ


「あ、あの、伊吹くん」

 少し沈んだ、重たい空気に負けそうな小さな声が、僕の耳にすっと入る。握ったままのペンのこともメモ帳のことも気にせずに、僕は「椿木」を見た。何時もの笑顔からは想像できない、怒った表情。
 何に怒っているのかは、気にならない。ただ、「椿木」が怒った理由が気になった。

「さっきの人のこととか、全然気にしちゃだめだからねっ! あんな失礼な人のことなんて……気にしたらだめだよっ。伊吹くんのこと、何も知らないのに勝手なこと言う人なんて、ほっておいていいんだからねっ?」

 思わず「は?」と言いそうになったが、冷静になり言葉が出ないことを自覚する。僕の顔を真っ直ぐと見る「椿木」の表情は真剣そのもので、きっと僕が笑えば怒るのだろう。
 必死でさっきの「自称精神科医」に憤っている「椿木」には悪いが、どうでもよかった。声が出ないのは事実だから、特に気にしてない。

“椿木も、あの人と同じで僕のこと何も知らないんじゃないの”

 素っ気無く紙に書き見せると、「椿木」は一瞬ハッとした。そんな「椿木」に僕は直ぐにでも壊れてしまいそうな笑顔を、そっと見せる。気にしてないよ、こんな僕でごめんね、と心の中で謝り続ける。
 また「母親」が来る前のような重たい空気に戻った室内で、僕は天井を見上げた。抜いた点滴の針からはきっと液が一定間隔で漏れ出てる。僕の心をそのまんま映し出しているに違いないと、確信は無いけどそう思った。

 相変わらず白い天井は、汚れた僕を嗤っているようで少し気味が悪い。針が刺さっていた右腕の穴は、固まった血が付着している。僕の壊れかけの心には、「椿木」の姿が映っていた。
 徐々に痛くなってきたお腹をぎゅっと左腕で押さえる。ナースコールを押しても結局看護師はこなかったなぁと痛みの増したお腹をさすった。

 顔を下にさげたままの「椿木」の頭を、ぽんぽんする。痛むお腹も、壊れかけた心も、嘲笑う天井も、どうでも良くなっていた。されるがままの「椿木」を、手を休めることなくぽんぽんとする。何を思ってやっているわけではないけれど。


“ごめん”


 そう書いた紙を、俯いた「椿木」に見せる。顔をあげさせないように、少しだけ「椿木」の頭にのせた手に力を込めた。今の僕を見られれば、きっと壊れてしまいそうで。
 静かに決壊した涙腺から、とめどなく涙があふれた。嗚咽の漏れない、空虚な涙。思った以上に「彼」の言葉は、僕を刺していたみたいだ。無限にリピートされる「彼」の言葉は、何度も何度も深く傷を作る。

 僕のことをなんとも思わない第三者からの発言は、感じたことの無い棘があった。滲む視界はどんどんと広がり、助けてと叫べない僕の存在を消したがっているみたいで、怖い。そっとこの世界から、僕が生きていた足跡を消そうとしているみたいで――。
 それも仕方ないな、なんて思うけれどやっぱり辛い。本能的に口元を手で押さえ、漏れない声が漏れそうで怖くて声をあげそうになるタイミングでぐっと腹筋に力を入れた。「椿木」は僕の不規則で宙に吐きつけるような呼吸音には、反応しないで居てくれていた。

 ずっと静かに、僕が泣き止むのを待っている。「椿木」の頭に僕の手は、もうない。ぎゅっと目を閉じ両手で口を必死に覆っている。怖かった、人の前で泣くことが。泣いていいのかなんて、分からなくて、泣かないで辛がらないでずっとやってきたはずだったのに。


















「……我慢なんか、しなくていいんだよ」

 


 その言葉が必死に保ってきた最後のラインを、壊した。





 それはまるで、あのときのような涙。静かに僕の頬を濡らしていた。痛みと悲しみが混ざり合い、溶け出していたあのときの。けれど、少し違うのは手を伸ばせば、直ぐに触れることが出来る温もりがあることだ。優しく柔らかな肌が持つ、心地よいぬくもりが。
 赤くはれた僕の目元を「椿木」はじっと見る。「母親」とは異なった、僕に向けられる愛情のまなざし。感じたことの無い、新しい感覚だった。だけど、僕を映す「椿木」の瞳は深くに大きな傷を隠しているようで。僕が感じたことの無い、大きな傷を。

「もう、大丈夫?」

 頷いた僕を見て、「椿木」は笑顔を見せる。
 精巧に作られたその笑顔に、僕は気付かなかった。本当に、その笑顔は無垢な少女のそれで。

「それじゃ、私学校に戻らなくちゃだから。またね、ばいばい」

 少し寂しげに笑う「椿木」に、ふわりと手をふる。静かに病室を出て行った「椿木」を思うと、少し、胸の下が苦しくなった。何も出来ない不甲斐なさが、僕を殺そうとしているかのようで。

 暗く静かになり生まれた沈黙は、次の日の朝までゆるやかに続いていった。

メンテ