SS小説(ショートストーリー) 大会【平日イベント】

朝焼けと美学 ( No.46 )

日時: 2019/04/25 00:39
名前: 塩辛太郎

朝焼けが、妙にはっきりと見えた。

ああ今日は雨かと納得しながら、私は傘を持って、下駄を足に引っ掛けた。
とはいえ、傘も、下駄も、雨の予感も、もうすぐ無意味なものへと…否、「私にとって」無意味なものへと変わってしまうのだけれど。
陽が差し込んでいる、開けっ放しの窓を無視し、そこから入り込んだ風によって少々乱れた髪に僅かに腹を立てながら、家のドアを開けた。

微かだが、ふわりと洗剤の匂いが私の周りを取り巻いた。もう、このガランとした、淋しくて詰まらなくて、それでも美しいと思えたこの部屋に、私が帰ってくることは二度とないのだと実感してしまえば、だんだんと切なくなってくる。名残惜しさと、悲しみと、少しの後ろめたさを押し込めるように、私はシャッターを切った。パシャリと音がなり、一枚の綺麗な、淡い青と、橙色の紙が、ヒラヒラと落ちていった。私はそれを拾い上げ、懐にしまう。今度こそドアから出れば、少し遅れてバタンと音がなった。

ここへ私をつなぎ止めようとする気分を打ち消すように、私は歩き出した。カランコロンと、下駄の音が響く。蒼白く光った私の家と、陽炎か炎のように、ゆらゆら揺らめく街の風景を目に焼き付け、私は、私の大好きな場所へと向かった。

道中、猫が足元を通りこちらを見上げたが、納得したように去って行ってしまった。また、紫色に光る蝶も見かけたが、生きのびるのに必死で此方など見向きもしてくれなかった。

少し休憩しようと水を飲もうとした。ふと、私がここにいる理由を考えてみる。が、やはりそれは分からず、ただただやりたかったからとしか言えなかった。それでも、きっとそれはそれで真っ当な理由になり得るに違いないと信じ、また歩を進める。

休み休み歩き、ようやくたどり着いた頃に、私はこの世で一番美しいのではないかと言うほどの景色を見た。視界がぼやける。それほどまでに綺麗だったのだ。またシャッターを切る。そのまま呆然としていれば、いつの間にか眼から雫が落ちているのに気がついた。目をこすり、もう一度その景色を見る。だが、もうあの素晴らしい景色はなく、代わりに見慣れた景色が目に映った。

この世に、まだこんなものが残っていたのかと思えば、胸を鋭い痛みが突き抜け、切なさが波のように押し寄せてきた。だが、私の頬をさらに濡らしたのは、切なさだけではなく、安堵と、それから、喜びだった。

考え直さないか、と言われているような気がしたが、私の決心は鈍らず、寧ろこの景色に後押しされたような気がする。清々しく、晴れやかな気分で、私はその場所に___蒼く壮大で美しい、この地で最も大きな水面へと一歩踏み出した。

冷たさが足をくすぐったが、心地いい。懐の写真を全てあたりに散らしてから、傘を放り投げ、下駄を飛ばして、真っ直ぐに私は駆けていく。

そう、私が最も愛した、海へと。波は白く、普段よりも小さいが、その青さと透明感は今でも色褪せず、変わらない。足の届かないところまで来ると、私は水に身を任せた。そして、苦しさを忘れるほどの景色を思い出しながら、静かに、息を、

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