完結小説図書館
>>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック
*1*
(1)
フラスコの中の小人は夢をみる。
フラスコの中の小人は夢をみた。
「わたしは何でも知っているの。けれど、わたし自身のことは、何も知らないの。だから、わたしは世界を知りたい」
フラスコの中の女性はそう言った。何でこんな『フラスコ』を持ち帰ってきてしまったのだろう。僕の記憶は今日の放課後に巻き戻る。
僕は、いつも思う。人は結局、一人でしか生きられないのかと。高校の友達は、何も考えてないようで、気楽に僕に話しかけてくる。でも、違うんだ。夜になって、一人で布団にもぐる。そして目を瞑る。すると、僕は宇宙で一人、中心にぽっかりと浮かんでいるのだ。そして、その孤独感に、どうしようもなく寂しくなる。
何も考えないで生きられたら楽なのだろう。
そうしたことを、今日も悶々と考えながら、いつものように授業が終わる。だが、放課後に忘れ物をしたことに気づき、高校の理科室へ、教科書を取りに行った。すると、そこに『居た』のだ。
綺麗に磨かれているフラスコたちの中にある、一つのフラスコに、長く綺麗な黒髪を背中まで流す、白い簡素な服を着た女性が入っていた。
僕はその小さな小人の女性が入っているフラスコを見た。
この世界に未知の存在が居たことに、驚いた。
この女性は、孤独に見えた。僕と同じに。宇宙で一つ、ぽっかりと漂っている。それに、自分を重ねたのかもしれない。
僕は、まるで自然なことのように、そのフラスコを鞄に入れると、家まで持って帰ってきてしまった。
「わたしは何でも知っているの。けれど、わたし自身のことは、何も知らないの。だから、わたしはわたしを知りたい」
フラスコの中の彼女はそう言った。なるほど、僕と正反対だ。
「僕は、僕自身のことは知り尽くしているけど、世界が知りたいとも思えない。だって、世界に新しいものは無いのだから」
彼女は首を傾げる。
「わたしは籠を壊す籠の鳥になりたい。あなたの籠は壊れかけの宝石箱のように脆いの?」
僕は、そう答えたフラスコの中の女性をじっと見てしまった。僕が言った事が、わかっているのだろうか? 何でも知っていると言ったから、僕の知らない何かを答えてくれると思ったのだが。
「ここから10キロ北に向かったところには、真面目な大学生とシングルマザーがひっそりと暮らしてるし、あなたのいとこは、優しいし、あなたもなかなかに優しいのだろうけども、あなたはあなた自身のことは何も知らないし」
いきなり何を言い出すんだろう。僕のいとこは確かに優しいが、真面目な大学生とシングルマザーなんかが、今、僕との会話で、何の関係があるっていうんだろうか。
「わたしはわたしのルーツを知らない。わたしはわたしのルーツを知りたい。あなたはあなたのルーツをご存知?」
だから、僕は僕自身のことは何もかもわかってるって言ってるだろ! そう僕が思ったとき、彼女がまた言った。
「あなたのルーツはまだ籠の中の小鳥のよう」
僕はやっと理解した。そうだ、この人の存在自体が、僕の知らない何かなのだ。だから、きっと、何を話しても、意味不明な言葉しか帰ってこないのだ。何でこんなものを持ち帰ってきてしまったのだろう。僕は一息付くと、お湯を沸かしてお茶を入れるために席を立とうとした。
「どこに行くのですか。わたしにわたしの知らないわたしを教えてください」
「きみ、きみに知らないことは無いって言っただろう。なのに、きみの知らない何かを僕が知っているとでも?」
僕はお茶を沸かすのをやめ、フラスコが置いてある机の前に戻った。
「それは、あなたが知っている筈です」
僕は呆れて、今度こそ本当にお茶を沸かし始めた。彼女は何も言わずに、フラスコの中でガラスに手を付き、僕の様子をじっと見ていた。