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*51*
「なっ……なんなんだよ、ちくしょう……」
ケイはぱしゃんと水しぶきをたて水面を拳でたたく。しかしその手は力なく落ちた。
「ふざけるな、僕は本当にお姉さまが好きなんだ。好きで好きで仕方がないのに今までやってきたことがお姉さまのためじゃない……?」
遠くに放り投げられたナイフを見た。実際にそのナイフを赤く染めたことはないが、さまざまな仕掛けや工作はしてきた。ルリィに近づく者は必ず遠ざけた。
だから今回も遠ざけるつもりだった。
ナイトに向けて怪我を負わせるような工作を次々と施し追い出そうとした。
しかしナイトはそれをものともせず避けいつも通りの生活を送っていた。
それにイラついた自分はついつい行動に出てしまったのだ。最近、血の気が多くていけない。
「まあ、結局隙を取られてしまったけどね。あの男……」
闇と混ざり合って分からなくなりそうな黒一色の髪は神秘的で、不覚にもかっこよく思えてしまった。
そしてあの一言……
『それはお前のわがままだ』
今まで気づかなかった気持ち。そして図星だ。
「全部自分のため……」
月が反射して池に映りだされる。もうすぐ三日月から半月へと形を変えようとしていた。
その中途半端な形の映りだされる月に向かってケイは手を伸ばしてやさしく水をすくい上げた。
ずぶ濡れなネズミ姿の自分に失笑がもれる。
「やっかいだなあ、あの男」
あの考察力と運動神経はやっかいものだ。しかもきっと剣づかいもなかなかのものだろうと想像させられた。
「でも、まだ…………あきらめてなんかやらないからな」
自分に堂々と背を向け去った男へと対抗心を燃やした。
「きゃあっ! ナイト何があったの!?」
疲れ果てた顔で手から血を流して現れたナイトにルリィは悲鳴を上げた。急いで本日2回目の使用となる救急箱を取り出して治療に専念する。
「どうしてこんなに深く皮膚がえぐられているの……? 昼間のガラスよりひどいじゃない!」
見るに堪えないその様子にルリィは目を覆い隠したくなった。しかしそっと薬を付着させ、再度新たな包帯を巻きつけていく。
「説明して頂戴!」
険しい眼でルリィはナイトに責めたてる。ナイトは何もなかったように静かな声で
「野良犬にかまれた」
とだけ答えた。しかしそれが本当か否かはルリィの目にははっきりわかった。
「そんな嘘つかないでっ……」
前へと乗り出す、がナイトに静止された。その雰囲気はこれ以上聞いてはいけない線が引いてあるきがした。
「……わかったわ、もう何も聞かない。でも、お願いだから、お願いだからこれ以上怪我をしないで……」
喉から振り絞るような震えたその声にナイトは瞳を大きく揺らがせた。
「私の前からいなくならないで。貴方が一滴の血を流しているだけで私の心は壊れそうになる」
小さく震えるその肩は今まで一番小さく見えた。
下を向いて、長い紫色の髪に覆われた頬へ手を当てる。
震えたルリィはとても弱く見えて、守りたくなる。
(困るな……)
今すぐ抱き寄せたい衝動を必死にこらえて死人のように冷たいその頬をやさしく包み込んだ。今約束できるのはたった一つ。
「お前を守りきるまで絶対にいなくなったりしない」
その約束がたとえ、エスプルギアの夜までという期間付きのものだとしても、いま自分に約束できるのはこれだけだった。
しかし、ルリィは安心したように微笑んだ。
試験は残り二日間。
主人に付き従う傷を負った狼と、自分の思うままに動くずぶ濡れの猫。その2匹が尻尾をからめ合うことはいまだない。