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*紹介文/目次*
<Ⅰ章>
東京からこの地方都市に越してきて、3年が過ぎた。
東京生まれの僕は地方暮らしに憧れていたので、転勤が決まった時はむしろ嬉しかった。
この街は空は広く、水も空気もうまい。
四季折々表情を変える山々が街中からも見える。
これこそが人間の住む場所だと思った。
しかし、そんな風情を感じている余裕などなかった。
ここの営業所の成績は最悪で、深夜残業を続けても、一向に明るい兆しは見えてこなかった。
営業成績が悪いのはここだけの話ではなく、結局、会社は倒産した。
30歳にして僕は失業の身になってしまった。
職探しは、求人の多い東京の方が圧倒的に有利だった。
しかし、東京で高い家賃を払うのは経済的に厳しかった。
両親は既に他界し、東京に実家があるわけでもなかった。
身も心も疲れ切っていたので、水も空気もうまく、心和むこの街で暫く休養を取りたいと思った。
それで、この街のハローワークに登録し、失業給付金で食いつなぐことにした。
3年前に越して来た時は、荷物の整理をする暇もなく、仕事に忙殺されていた。
だから押入れには整理されないままのダンボール箱がぎっしり詰まっていた。
やっと時間が出来たので、ダンボール箱の中身を整理することにした。
出てきたものは、趣味の雑誌や思い出のグローブ、などなど。
しかし、その大半はゴミ袋行きとなった。
最後のダンボール箱を開くと、小学校の卒業アルバムが出てきた。
懐かしい気持ちで手にとり、アルバムを開いた。
アルバムの中の級友たち一人ひとりがとても愛おしく感じられた。
暫く懐かしさに浸っていたら、心が解かれ、涙がぽろぽろ零れ落ちた。
そして、あらためて写真の中の相沢早苗さんを見た。
この古いアルバムを見るまでもなく、この子の名前を忘れたことはない。
僕にバレンタインのチョコレートをくれたのはこの子しかいなかったから。
小学6年のバレンタインデーに、彼女は僕にチョコレートをくれた。
「私、卒業と同時に地方に引っ越すことになったの。
お父さんの転勤で...
榎本君、これまで仲良くしてくれて、本当にどうもありがとう。」
という言葉を添えて。
彼女のお父さんは転勤族で、5年生の時に転校して来た。
それから2年程でまた引っ越すことになったのだ。
彼女は、内気で口数も少なく友達の出来にくい子だったように思う。
僕もシャイな性格で、女の子と気軽に話すことの出来ない少年だった。
でも僕と彼女は2年間、同じ生き物係だったこともあり、徐々に親しくなった。
ある日、教室で飼っていた亀が死んでしまった。
生き物係として亀の世話をしていた僕たちは校庭の隅に埋葬した。
彼女は手を合わせ
ごめんね、ごめんね、ごめんね
と繰り返しながら涙を流していた。
その時の情景を今でも忘れられない。
命の尊さを、僕は彼女から教わったように思う。
彼女はとても優しい子だった。
何でも一途に一生懸命やる子だった。
今あらためてそう思う。
そんな思い出に浸りながら、卒業アルバムに再び目をやった。
すると、今さらながら、相沢さんの顔は素晴らしく整っていることに気が付いた。
クラスで一番の美人と言えるほどだった。
でも彼女は内気でおとなしく目立たない子だったせいか、
僕も含め回りの男子たちは彼女の異性としての魅力に気づかなかったのだ。
小学5,6年生だったのだから、それが普通ではあるが.....
「こんな美人に僕はバレンタインチョコを貰ったんだ!」
と、彼女いない暦30年かつ失業中の僕は自分を慰めた。
まあ、バレンタインチョコとは言っても、お別れのしるしみたいなものだったけれど。
僕は文字とおりの「彼女いない暦30年」だった。
学生時代や東京勤務の頃はよく合コンにも参加した。
少年時代シャイだった僕も、合コンを盛り上げられる程に女の子と会話できるようにはなっていた。中には僕に好意ある素振りをする子もいた。
でも、僕は、彼女たちに魅力を感じなかった。
合コンという場だから当然ではあるけれど、うわべだけ盛り上がった雰囲気の中で、
自分をよく見せようとする女の子の姿が鼻につくだけだった。
でも、それも後付けの理由であって、今振り返ってみると、僕は相原さんのような女性を求めていたような気がする。
ひたむきに一生懸命に生きる姿、生き物を愛する姿、
そんな相原さんを僕は、本当の意味で美しい人だと思う。
僕は、卒業アルバムを本棚にしまった。
そして、気持ちを切り変えた。
失業手当を貰うための形だけの就活ではなく、本気で就活しなければ、
チョコをくれた相原さんに恥ずかしいではないか!
と思ったのだった。
卒業アルバムのおかげで、僕は元気が出てきた。
<Ⅱ章>
気力を取り戻した僕は就活に身を入れた。
しかし、現実はそう甘くはない。
案の定、求人数は少なかった。
当然求職倍率は高く、ことごとく面接試験に落ちた。
それでも、気力を失わず就活を続けた甲斐あって、内定を貰うことができた。
来月の4月から新しい会社でまた忙しい日々が始まるのだ。
そして今日これから、健康診断書作成のため病院に行く。
待合室で名前を呼ばれ検査室に入った。
女性の看護師さんが書類を見ながら
「えーと、榎本祐樹さんですね。30歳...えっ!?」
看護師さんはちょっと驚き、あらためて僕の顔を見た。
「ごめんなさい。何でもないです。続けます...」
と言って、これからの検査内容を説明してくれた。
そして、「あ、申し遅れました。私、看護師の相原と申します。よろしくお願いします。」
今度は僕の方が「やっぱり!」と心の中で叫んだ。
会話を交わす間もなく、僕はレントゲン室に案内され、そのまま一連の検査を終えた。
帰り際、僕は相原さんを探して、あたりを見回した。
すると、彼女も僕を探していたようで、近寄って来て声を掛けてくれた。
「榎本さん、お疲れ様でした。
あのー、つかぬ事をお尋ねしますが、
榎本さんは東京の小学校を卒業されませんでしたか?」
僕は、やはりそうだったと確信して。
「そうです。江東区第二中町小学校です。
あなたは相原早苗さんですよね。一緒に生き物係をしていた。」
彼女の顔はパッと明るくなった。
「私の名前、覚えていて下さったんですね。すごく嬉しいです。」
僕はすかさず
「忘れるはずないですよ。
30年間でバレンタインチョコくれたの相原さんだけですから。」
とやんちゃな返事をした。もちろん小声で。
すると美しい彼女の顔は少し赤くなった。
彼女の苗字がまだ相原だったので、ちょっと勇気を出して
「本当に懐かしいです。
もしよろしかったら今度一度お話し出来ませんか?」と言うと、
「私、これからお昼休みなんですけれど、
よろしかったらご一緒にランチでも如何でしょうか?」
と言ってくれた。
<Ⅲ章>
僕と相原さんは病院近くのレストランに入った。
そして、小学校での2年間の思い出を懐かしく語り合った。
そのあと、卒業してからのことに話が移った。
まずは僕から話した。
中学から大学まで都内の学校に通ったこと、
東京で就職した後、この街に転勤になったこと、
会社倒産後、就活してやっと内定を貰ったこと。
卒業アルバムを見て、相原さんのことを思い出し、元気を貰えたからこそ
再就職が叶ったことも話した。
彼女は照れた顔をした。
相原さんも卒業後のことを話してくれた。
小学校卒業後、2度目の転居で高校入学と同時にこの街に越してきたこと。
高校卒業後この街の看護学校に入学・卒業して、今に至っていること。
それから僕は一番気になっていたことを聞いた。
「あのー、まだ『相原』さんということは、独身でいらっしゃるのですか...」
すると、彼女はちょっと曇った顔で
「私、バツイチなんですよ。」と言った。
「そうだったんですか。差し入った事をお聞きしてごめんなさい。」
「27歳の時に知人に紹介して貰った男性と暫く交際してプロポーズされたんです。
適齢期でしたし、条件的なことだけで承諾してしまったんです。
でも、1年しかもちませんでした。よくある話です。彼が浮気したんです。」
しばらく会話が途切れたが、再び彼女が話し出した。
「あの、昔の話ですから、笑い話として聞いてくださいね。
榎本君が覚えてくれていたとおり、小6の時にバレンタインのチョコレートを差し上
げましたよね。」
僕が照れながら頷くと彼女は続けた。
「あれは本命チョコだったんですけど、そう思ってくださいました?
一生懸命手作りしたんですけど...
単にお別れの挨拶に添えられたモノと思ったのではありませんか?」
僕は驚きながら
「ごめんなさい。そのとおりです。
こんなさえない僕を好きになってくれる女の子がいるなんて思ってなかったから。」
彼女は言った。
「やっぱりそうだったのね...。
私、看護師やってるくらいだから、当時ほど内気でないのはご覧のとおりですけど、
あの頃は、あれが精一杯の私の愛の告白だったんです。
榎本君は私の初恋の人だったの。」
彼女は照れながら続けた。
「榎本君と再会できたのも何かのご縁と思ったので、思い切って言っちゃいました。
まあ、30才バツイチだからこそ言えたのかもしれないんですけれど。
でも、今さら何でこんなこと話すのかって思ったでしょう?」
「そんなことないですよ、すごく嬉しいですよ。」
と僕が言うと、彼女はちょっと安心した表情で話を続けた。
「さっきも言いましたけど、こうして榎本君に再会できたのって、ものすごい縁だと
思うんです。だって、こういうことですよね。
第一に、転勤を繰り返してきた私の父の最後の転勤地がこの街だったこと。
第二に、榎本君の転勤先がこの街だったこと。
第三に、会社倒産後、東京に戻らずこの街に留まったこと。
第四に、私のことを思い出してくれて、元気付けられて、この街で再就職できたこと。
第五に、健康診断のために私の勤めている病院に来たこと。
これらすべての条件が重なったからこそ、私たち再会できたわけですよね。
そう思ったら、あの時の気持ちが蘇ってきて、抑えることができなくなったの。」
彼女は小学6年生に戻ったかのようになって、さらに話を続けた。
「私、転校が多かったから、行く先々の学校でなかなか馴染めなくて、
ちょっと仲良くなったと思ったらまた転校することになるから...
辛い思いをするくらいなら友達は作らない方がいいって思うようになって。
でも、榎本君が私に優しく話しかけてくれて、私すごく嬉しくて、このままずっと
友達でいたいと思うようになったの。
でも案の定、父の転勤でお別れすることになって...
すごく悲しかった。
でも気づいたの...
その悲しさって、大好きな男の子だからこそ来る悲しさだってことを。
私、榎本君と離れ離れになりたくなかった。
そのことに気づいたら、胸が痛くて痛くて、どうしようもなかったの。
でも、私に出来ることはその想いをあのチョコレートに込めることだけだったの。」
彼女が当時秘めていた想い打ち明けてくれて僕の心は舞い上がった。
でも同時に自分の不甲斐なさを悔いた。そしてこう言った。
「相原さんがそんなに僕のことを想ってくれていたなんて、本当に嬉しいです。
僕は、今もそうだけど自分に自信がなかったし、僕のことを本気で好きになってくれ
る女の子なんているはずはないと思っていたんです。
だから当時の僕は相原さんの想いをちゃんと受け取れなかったんだと思います。」
「榎本君は私がどんなに榎本君に感謝していたか、
そして大好きだったか、全くわかってくれてなかったのね!?
転校して来た頃は、私が何か困っていないか、いつも気にしてくれていたでしょう。
私がちょっとでも寂しそうにしていると、必ず声を掛けてくれたし、
私の苦手だった算数も教えてくれたし...
数え切れないくらい、私に優しくしてくれたでしょう。
そんな榎本君のことが私は大好きだったの。
・・・・・・・・・・・
30才バツイチ女の戯言だと思って笑いながら聞いてね。
もし、前の夫との結婚前に榎本君が私の傍に居てくれたら、
私、あらためてバレンタインのチョコをあげていたわよ。
その時は、ちゃんと、私はあなたのことを愛していますの
言葉も添えてね!」
「これまた、嬉しいこと言ってくれますねー。
僕の方もね、
この前、あの卒業アルバム見て気づいたんですけどね、
僕は心の底で、相原さんこそが、
僕にとって唯ひとりの女性って思ってたから、
今まで独身だったんですよー。
それに、いま、
『相原さん』
って呼んでますけどねー、
心の中ではいつも
『早苗ちゃん』
ですから!」
これまでの彼女の言葉で身も心もメロメロになっていた僕は
メロメロなタメ口になってしまった。
ハッと我に返って僕は言った。
「タメ口になってごめんなさい。
相原さん...
18年の時が経ってしまいましたが、
12歳の時に頂いたバレンタインチョコのお返しを、
明日のホワイトデーにさせて頂いてもよろしいでしょうか?
その時はちゃんと
私はあなたを心から愛しています
って言葉を添えますから。」
「よろしくお願い致します。
でも、今からは早苗ちゃんと呼んでください。」
おわり