完結小説図書館
>>「紹介文/目次」の表示ON/OFFはこちらをクリック
*紹介文/目次*
僕は孤独だ。
いや、そう思っているだけかもしれない。
確かに僕の周りには人がいてくれる。
でも話すことはない。
皆はN極で、僕だけS極だから、それは仕方ないことなんだ。
N極を持ってる人はちゃんとモーターを回せるからうまく喋れる。発電できるんだろうな、きっと。
でも僕はS極の人間だからモーターは回らずに、いつかは回ることを夢見て、錆びて朽ちていく。
だから僕は、うまく喋れない。
僕は鏡弥 蓮。カガミヤレンと読む。
中2のクラスでうまくいかない。
一番のコンプレックスは”喋れない”ことだ。
なんだろう、説明できないんだけど声を出そうとすると、のどが詰まる。
くっとどこかで止まってしまって出てこない。
無理やり出しても、どもったり早口すぎたり息苦しくなったりする。
この年に喋れないというのは拷問だ。
先生たちの悪口、昨日の夜見た動画の話、好きな子の話。
みんな、休み時間はそんなので盛り上がっている。
聞いているだけで頭が混乱する。言葉はわかる。頭の中で文字にはできている。でもそれは全部ひらがなで、漢字にもカタカナにも直せない。
つまり、何を言っているのかが本当に分からないのだ。
だから大抵、休み時間、僕は窓の外を見るか本を読むかのどちらかの僕を彷徨っている。
みんな、配慮なのか分からないけれど近づかないでくれた。
僕は”喋れない”という障害を抱えている以上、人と関わることが苦手だった。苦手というレベルじゃない。嫌いであり、消えてほしい存在であった。
でも、ある時、配慮が消えた。
無理やりでも近づかれた。
それも「接する」のではない。
「接近される」のだった。
それは冬のことだ。
クラス内でいじめが起きていた。
シズという女子に対しての痛々しい光景が、教室内で起きていた。
ネイル用の除光液のにおいがする。ツンと鼻を衝く匂い。
シズが女子に囲まれている。髪は乱れ、息も荒かった。
僕に気付いて女子がばらける。残ったシズには蹴られた跡がいっぱいついていた。
大きく息を吸う。
少しづつ吐きながら、口を動かす。
大丈夫?
シズの揺れる瞳が妙に痛々しかった。
シズは僕と同じS極の持ち主であることは最近知った。
今まで幼馴染のくせに接したこともなかったけど、いじめを受ける彼女に惹かれた。
シズは変わっていた。不思議ちゃんなのかもしれない。
でも僕の何かとそれは繋がっていて、妙な友情を感じさせてくれていた。
今の僕にとって一番仲のいい存在だった。
ありがとう 大丈夫
彼女も口で返してくれた。
すくっと立って少しよろめくとどこかへ走って行った。
安心した。生きている。それだけで十分だった。
席に座って今読んでいる芥川の本でも一読するか。
いつものことをしようとした。
本当に通常のことだ。
でも、それは壊された。椅子を引き、座った瞬間、前を通った男子が机を倒した。
バンと大きい音がする。
机の上に載っていた花瓶が割れた。
なんで花瓶なんて?
白い花びらが散らばる。
透明なガラスがチクチクと胸にめり込んできた。
一つ、二つと侵入してくる。
それらは繋がり、オブジェを作り出した。
光沢のあるトランペットのオブジェだった。
そうだ、トランペットやりたい
こんなところにいて何になる?
そう思うと僕の体は黒いリュックを背負って走っていた。
校門でシズに会った。
あのままの格好で。
一緒に帰る?
聞いてみるとうん、とうなずいた。
じゃあ行こう
シズは伝わるからすごい。
僕が何と口を動かしても理解してくれる。
すごい。
僕とシズの家は斜め前の関係だから、帰る方向は絶対同じ。
電車5分と自転車10分だ。
駅に着く。
僕らの横を通り過ぎる人たちの目が睨んでいるようで怖い。
絶対誰か囁いているんだ「あいつらはさぼりだ」って。
怖いね
いいえ全然怖くないわ
シズだけだよ
私は蓮君が好きだよ
そういう意味じゃなくて
ピーンパーンポーン
いろんな音ががやがやと言われるこの空間で口の形だけでの会話というのは、幼馴染の特権であり、優越感に浸れる唯一のものだった。
改札を抜け、ホームに立つ。
僕はこのホームがとてつもなくパワーを持っていると思う。思うというより、何というか感じるだろうか。
線路の黒光りしている部分をぼぅっと見つめる。
ここに飛び込んだなら俺は楽になれる。
辛いのはたった一瞬だけ。なんだよね?
この疑問はやってみなくちゃ分らないんだ。誰かにやってもらったとしても伝えてもらえない。
楽しそうだと思った。
この世界から離れられるんだったら、良いんじゃないかな?
遠くを見つめるシズの肩を叩き、自分の口に注目してもらう。
降りてみる?
そう首を傾げながら線路を指す。黒の光沢が「異世界への入り口」に化すと思った。いや、そんな雰囲気しかなかった。
そしてその異世界へ行けば楽になるんだと信じている。きっと、もっと、何かから解放されるんだ、と。
なのにシズは首を大きく横に振った。
さらに目にみるみる涙を溜めて
ばか
といった。
ばか、ばか・・・
繰り返しながらシズは泣いていた。
結局電車が滑り込んできて、シズは僕のシャツをぎゅっと握った。暖かくしわがついた。
ぷしゅ、と音がしてドアが開き、二人で足を入れた。
怖いんだよ
はっきり打ち明けると
同じよ
とあっさり答えが返ってきた。
当たり前じゃん
そんなのも。
なのに傷つかない。
何回、人に死ねって言ったか。
何回、人に死ねって言われたか。
何回、人に殴ったか。
何回、人に殴られたか。
わからない。
でも深く深く傷があるのは知ってる。
自分の中に自分ではどうにもできないほど大きくなってしまった傷が。
傷はみんなあるものなの?
彼女にそう聞かれて僕は何とも言えず首を傾げた。
私はいくつもあるよ
そう誇らしげに口を動かすのも見た。
僕は
そういって僕は一度口を止めた。
傷なんて、僕にあるのか。
彼女よりも少ない、小さい傷なんじゃないか。
彼女のつらさを分かってあげられるほどじゃないんじゃないか。
彼女のほうが何倍も何十倍も我慢してるんじゃないか。
だから僕は何にもわかってないんだ。
僕はそんな傷ないよ
前をゆったり流れる川に目を向けながら僕はいった。
でも彼女は強く僕の肩を叩いて僕の注意を引くと、すぐにこういった。
私は知ってるよ
その生意気な顔が少し可愛く見えた。
やっぱり僕は彼女のことを何にもわかってなかったみたいだ。
君の傷を私は知ってるよ
彼女にそう言われる度に胸の中に押し込めておいたものが疼く。出てこようとしているかのように窮屈に感じる。
大切な友達。最高の友達。親友。双子のような友達。
そんな友達がいたころ。
そんな友達はいつかできると、信じていたころ。
そんな友達は本当にできるんだろうかと疑い始めたころ。
そんな友達はできないんじゃないかと察し始めたころ。
そんな友達はできないんだと諦めたころ。
昔のいろいろな記憶がフラッシュバックする。
そして頭の中をぐるぐると周り、埋め尽くしてゆく。
ああっ
僕は川に向かって何かをぶつけたかった。
なのに声は出ずに喉をか細い息が出ていく。
かすれるような声に情けなくなる。
ああっ
もう一度言って、やっぱり出ない声にどうすればいいのかわからなくなった。
頭を抱え、髪を無造作にかき回した。
自分の中のすべてを吐き出したいのに出てくれない。
ああっ
もう一度言ってみたとき僕は気づいた。
胸の中でかたどられた、トランペットのオブジェに。
そうだ、こんな時、いつもトランペットを吹いていたっけ。
うまくいかなくて泣きそうなとき。
友達に裏切られて死にたくなったとき。
自分の意味が分からなくなったとき。
胸で詰まる何かを吐き出せなくて苦しんだとき。
トランペットで低い音から音を積み上げていって、高い音へ…。
僕はトランペットのある家へ走っていた。
後ろから、同じような足音が、もっと軽い足音が聞こえているのも気にしながら。
大きく息を吸う。
唇を震わせるように、マウスピースに口を当て、低い音から積み重ねていく。
体をびりびりと震わすような振動を感じる。
そうだ、この感覚だ。
僕の好きな感覚。
この感覚がすると、きまって胸に詰まっていた何かが足から地に伝わるようにすっと消えて楽になるのだ。
一通り音を出すとすっかりすべて抜けたようだった。
一曲吹こうかな
彼女に似合いそうな、そして僕にも染み込みそうな・・・。
あの曲を。