コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.290 )
- 日時: 2012/08/05 00:17
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .pUthb6u)
- なんだろう、……この石。 
 その時、飯塚の威勢のいい声が向こうの売店コーナーから聞こえた。
 「おーい、高橋ぃ!俺とパピコ割り勘で買わねー??ここ八十円で売ってんだけど!」
 「あ、うん。おっけ、買う買う。」
 取りあえず石をもう一度ポケットに入れて、コインランドリーを後にした。廊下に出て右に曲がるとすぐに売店があって、そのアイスコーナーの前でみんなが騒いでいた。どうやらとてつもなく安く売っているらしい。
 その後は、潔癖症小久保の気もすっかり済んだようで、比較的穏やかに事は進んだ。数っちの数学問題も昼過ぎには何とか半分まで終わり、あともうちょっと踏ん張ればゴールが見えるところまで行きついた。
 ふぅ、と一問解き終わったところで壁にかかった時計を見ると、午後の一時だった。
 「あーでもやっぱ、人数が居るっていいね。一人でやってたら何日かかったことやら。」
 鈴木が大きく伸びをした。「確かに。つーか、マジ部活入っててよかったわ。こういう時に助かるんだな。」
 「まぁそうだけど、」ほっしーが青いシャーペンをくるくると回しながら言った。「他の人が作った解答、丸写しちゃ駄目だよ。ちゃんと考えながら写すんだよ。」
 「はいはーい。」新条さんが口をへの字に曲げた。「でもさぁ、解答写すったって、高橋くんの解答さ、文字汚すぎて読めなくて結局自分で考えなきゃならんのだが。もうちっと綺麗に書いてよね。」
 「……む。」残念ながら、言い返す言葉が見つからない。
 今、ここに揃って居るのは総勢十人。その十人を四つに分けてそれぞれ問題を解いている感じだ。ほっしーと俺と鈴木の短距離+マネージャー組は図形の証明問題、小久保と飯塚の中距離組は二次関数と不等式、岡谷と山本の長距離組は確率問題、乙海と宮本と新条さんの女子軍団は三角関数……と言ったようにガッチリ分業した。よって一人で頑張るよりも遥かに速く解き終わるはずである。……まぁ、本来は一人で頑張ってやらなきゃいけないものなんだろうけど。期限があるのだから間に合わすことが最優先事項だろう。
 ほっしーが解き終わっていないプリントの枚数をペラペラとめくって数えた。
 「……じゅうご、じゅろく、じゅうなな……っと。あと十七枚だよ!これなら今日中に終わりそうだね。」
 「おっしゃ!頑張ろうぜ!」
 飯塚が親指をグッジョブの形に立てて笑った。
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 「おい……今日中に終わるんじゃなかったのか……」
 小久保のゲッソリとした声が、すっかり静かになった部屋に小さく響いた。
 時刻は四時。ちなみに夜の四時である。窓からはひっそりと差し込む弱弱しい三日月が覗いている。
 「難しいよぅ。泣きそうだよぅ。」岡谷が額を机に突っ伏した。左手に持っていたシャーペンがからーん、と音を立てて床に落ちた。「もうこれギブアップでいいんじゃないかなぁ?だってもう四時……。」
 「いや、ここまで来たらやるしかないだろ。ここで折れる奴は男じゃねぇ。」山本が熱のこもった声で言った。どうやら数学オタクの山本は、久々の難問に出会って喜びのあまり興奮しているらしい……これだから頭の良い奴は怖い。
 「えーじゃあ女子はもう寝ていいんですか、って、乙海!本当に寝るなよおい!寝たら死ぬぞ!」宮本が半分意識が飛んで行っている乙海をユサユサ揺らしながら言った。
 残る問題はあと4問。今にも吹っ切れてしまいそうな集中力を頑張ってかき集めながら、俺はルーズリーフと向き合っていた。どこかの難しい大学の二次試験の問題だったらしいその問題は、まるで意味が分からない。鈴木とほっしーも俺と同じ問題を解いているのだが、二人とも一向に答えに辿り着かないようだった。
 「ギャアアアアアアアアアアアアァァァァーッッ!」静かな夜の空間を、飯塚の凄まじい悲鳴が引き裂いた。その半端ない濁声で半分寝ていた乙海が驚いたように飛び起きた。
 「おいおい、飯塚、一体どうしたんだよ。うち、心臓止まるかと思ったよ。」
 山本以外のみんなが飯塚に注目した。ちなみに山本は集中しすぎていてまるで飯塚なんか気にしていない。
 「ずっと、ずっと、なんで正解になんないのかな、って思って見なおしてみたら、」飯塚が頭を抱えながらぐったりとした元気の無い声で呟いた。「あ、アルファと、エー、途中式でごっちゃに混ざって書き間違えてた……。」
 カチ、カチ、カチ。時計の秒針が回る音が無慈悲に時を刻んでいく。
 「え、マジで。それはー、えっとー、なんつーか。ご愁傷様です。大丈夫だよ、気が付いただけよかったじゃん。」
 鈴木が飯塚の肩を優しくぽんぽんと叩きながら言った。
 「鈴木……俺もう、泣いてもいいですか。」飯塚が弱弱しく笑った。
 そんなにショックを受けるほどの間違いだったんだろうか。飯塚の解答を見ると、なるほど確かに途中で「α」と「a」を入れ違えてしまっていた。しかもかなり最初の方で。
 「あちゃーやっちゃったね。でも、これさ、アルファベット発明した人が悪いよ。俺もいつか間違えそうだなーって思ってたもん。」
 「わああああああんっ、たかはしぃーーーっ!お前やっぱいい奴だぁぁーーーーっ!!うわああぁぁぁぁあああああん!!」
 飯塚が泣きながらガッシリと抱き付いてきた。けれど残念ながら眠くて返すリアクションを持ち合わせていない。
 その時、ガンッ!と机を威勢よく叩く音が後ろから聞こえた。振り向くと、山本が頬を赤く上気させて、不敵に笑っていた。
 「泣くな飯塚!」そう言いながら、山本が自分の答案用紙をパンッ、と広げて見せた。「解けたぞ!ついに!!完璧だっ、完璧に解けたぞ!!」
 この時ほど、山本が輝いて見えた瞬間はない。すぐにみんなで山本を胴上げした。完全に深夜テンションである。
 夜深まる午前四時。やっと、やっとの思いで数っちの鬼畜問題が解き終わった。
 明くる日。
 みんなで眠い目をこすりながらほっしーの家から学校へと出発した。ほっしーのお母さんの作ってくれた朝ごはんが、眠い舌にとてもおいしかったのを覚えている。
 学校に着いて、下駄箱で上履きに履き替えて、東塔の三階にある数学科へと向かった。すると数学科の教室の前には、忽然と段ボール箱が一つ、二つ、三つ……八つ並べて置いてあって、それぞれにA〜H組、と書いてあった。どうやら自分のクラスのアルファベットの書かれたダンボールの中に、宿題を入れろ、ということらしい。
 そして、D組とE組のダンボールの間に、数っちがパイプ椅子にどっしりと腰掛けて座っていた。数っちの足元にはなぜか、ピンク色の水玉模様の描かれた、少し大きめな箱が置いてあった。
 「おう、お前ら陸上部か。みんなで教え合いっこしたんか。楽しかったか?」
 「あ、ハイ。」ほっしーが眠そうな声で答えた。「楽しかったかどうかは……まぁ微妙ですけど。」
 「いや、とても楽しかったです。」山本がニコニコ笑いながら言った。「最後の証明問題、すっごくセンスが高かったです。俺、初めて見ましたあんな問題。解けた時は嬉しくって。」
 つくづく山本が化け物かなんかにしか見えない。たぶん、こういう奴を真の“変人”と言うのだろう。
 「はは、まぁよぅ頑張ったな。」数っちが珍しく優しく笑った。「ほれ、頑張った褒美だ。持ってけ。」
 そう言うと、数っちは足元に置いてあったピンクの水玉模様の箱から、綺麗にラッピングされた小さな袋を十個取り出した。中に何か入っていて、よく見ると、小麦色で、魚の形をしていた。
 「……?」
 「たい焼きじゃ。俺の嫁はんが「生徒さんにあげてね。」って言って作ってくれたやつだ。おいしく食べないと成績下げるからなー。」
 「わっ、可愛い!」新条さんが袋の中のたい焼きを、まじまじと見つめながら黄色い声を上げた。「やったー!ありがとうございます。」
 それに続いて、俺たちもありがとうございます、と言った。
 「おうよ、ほんとよく頑張ったな。偉い偉い。」
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 「数っちって、案外いい奴だったんだね!」
 帰り道。ほっしーがもらったたい焼きをパクパク食べながら言った。冬の、冷たい大気にほっしーの白い息がふわりと宙に浮いた。
 今日の部活は、佐藤先輩が「一年生はみんな疲れてるでしょ、今日はさっさと帰って早く寝なさいねー。」と言ってナシになった。正直言ってありがたい。部活は好きだが、この衰弱状態であまり走りたくなかった。
 「ね、ちょっと奥さんの自慢も入ってたけど。でもおいしかったな、たい焼き。」
 「アハハ、俺も数っち好きになったわ。それに今思えばけっこういい思い出かもな。みんなでほっしーの家に泊まるなんて二度とできないだろうし。」
 鈴木が紺色のネッグウォーマーの中に顔を少しうずめた。少しもごもごと、声がくぐもって聞こえる。
 「そんなこと言わないでまた泊まってってよね!」ほっしーが校舎の裏の駐輪場へと続く道へと一歩踏み入れた。「じゃあ俺はここで。また明日!」
 ほっしーの後姿が、駐輪場へと消えていった。ふと、頬に冷たい物を感じて上を見ると、冬雲に覆われた灰色の空から、白い雪がちらほらと、ゆっくり舞い始めていた。
 「……雪だ。」
 「ね、今夜は積もるかもな。」鈴木も俺と同じように空を仰ぎながら言った。眩しそうに、少し目を細める。「なんだか懐かしいな。茨城に居た頃は雪なんか寒くて嫌なだけだったのに。今じゃちょっと嬉しいかも。」
 「へぇ、やっぱ茨城って雪降るんだ。千葉じゃぜんっぜん降らないよ。かろうじて降っても積もらないし。つまんない。」
 そう笑うと、鈴木もへへへ、と笑い返した。
 「でもここじゃ、すぐ溶けちゃうだろうな、雪。」
 冬の夕も、様々な喧噪で溢れ返っている東京で降る雪。
 初めて、地元以外の場所で目に見た雪。
 それから、鈴木は下宿寮に、俺は駅へと帰った。
- Re: 小説カイコ ( No.291 )
- 日時: 2012/08/25 08:52
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .1vW5oTT)
- 参照: 物騒な展開が始まります。つか中国字変換しても出ないw
- ◇ 
 成田空港。既に夜の帳が落ち始めた暗い空に、ベルリンからの飛行機が一機ふわりと降り立った。
 ふぅ、やっと着いた。飛行機の窓に体を預けた格好で、土我は疲れたようにため息をついた。
 “苓見土我”
 完璧に作り物のパスポートを見て、思わず一人で笑いそうになる。しかも普通に検問に引っ掛からなかった。我ながらけっこういい出来だと思う。
 パスポートの黒い表紙には、日本天皇家を象徴する十六枚の花弁の金色の菊が本物そっくりに印刷されている。本物そっくりのニセモノ、まるでアイツみたいだ。
 成田空港に降り立って、ターミナルを出て、天井の低いロビーを通り抜けながら、次にすることを考えていた。
 カイコにはあと二時間で我島岡に着く、と言っておいた。でも正直言ってあれは嘘。カイコたちは知らないだろうが、ここから我島岡までせいぜいかかっても三十分で、しかも僕は電車は使わずに壁部屋で移動するつもりだ。……なぜそんなことをするのかと言うと、二時間の猶予の間に、さっさと食事を済ませてしまいたいから。カイコたちに見られないうちに。
 しかし人目の多いところからの壁部屋はなかなか難しい。こんな空港のど真ん中で地面に壁部屋を描いたら、不審人物扱いされてすぐに空港職員に捕まってしまうだろう。
 色々考えた末に、やはり電車で一駅移動してからにしようと思った。ここから一駅先の、成田駅ぐらいだったら、ちょっと探せば人目から隠れられる場所が見つかるはずだ。
 「あーあ、随分と不便な世の中になったもんだな。」
 一人、誰に対してでも無く愚痴をこぼす。それから中央ビルから伸びるエスカレーターを下って、セキュリティチェック付きの改札へと向かった。なんとなく、改札の、ピカピカに磨かれたガラス製の敷居に映る自分の姿が、ひどくやつれて見えた。
 改札を通り抜けて、もう一度エスカレーターを下って、駅のホームに降りると予想外に閑散としていた。時計を見るともう夕方の六時近く。もうすぐ、夜になってしまう。
 一人、特にすることも無く、ただただぼーっと電車を待った。
 することが無くなると、どうしてかギーゼラのことをしきりに考えてしまった。最後に聞いた、ギーゼラの悪戯っぽい声が何度も思い出される。
 “ま、頑張りなさいよ。私はお空からフランクと張と見物してるから”
 いいな、ギーゼラ。君はいつだって幸せそうだった。いつだって、世界を愛していた。
 きっと、世界がギーゼラを愛しているから、ギーゼラも世界を愛せたのだ。だから、あんなに幸せな死を迎えられたのだ。
 それに比べて僕は、どうだろう。
 するとふいに、背後から妙な妖気を感じた。
 背筋を這われるような、見えない冷たい感触。人のモノではない、異質な妖気。
 「……?」
 気になって後ろを振り返ると、セーラー服姿の、髪の長い高校生の女の子が一人、本を読みながら自分と同じように電車を待っていた。その子以外は、誰も居ない。
 やけに綺麗な女の子だった。黒くて長い髪は後ろできちんと束ねてあって、たびたび、文面を読む、下を俯いた長いまつげが、まるで蝶のようにまたたく。
 遠慮なくじろじろ見ていたせいか、その子はこちらに気が付いたようで、ふと本から顔を上げた。目が合うと、今度はこちらが驚いた。
 その子の目は、日本人らしくない深い藍色だった。
 さらに驚いたことに、白い額の真ん中には、どうして今まで気が付かなかったのか—————— 赤い入れ墨が入れてあった。
 その子の不思議な瞳に捉えられて、一瞬頭の中が真っ白になる。
 それから、遠くから、電車のやって来る音が聞こえた。耳をつんざくような騒音は、だんだんこちらへ向かって大きくなっている。
 今、わかったことはただ一つ。
 ……この子は、人間じゃない。
 「まぁ、随分と察しの良いことで。」
 何も言っていないのに、まるでその子には僕の心が読めているようだった。
 そしてにっこりと優しく微笑むと、瞬間的な速さで、白く細い腕で僕を後ろへと突き飛ばした。綺麗な見た目からは想像できないくらいに、強い力で。もうすぐ電車がやって来る、冷たい線路の上へと。
 構える暇なく、自分の身体が、堅い線路の上に打ち付けられる。バギ、と体の内から何かが折れる鈍い音がして、激痛より速く、赤い鉄の味が口内にじわりと広がった。
 パァァァーーーーーーーーーー
 電車の、鼓膜を引き裂くようなクラクションの音が駅いっぱいに飽和する。
 音のした方を見ると、凄まじい速さでこちらへ迫ってくる電車の眩しいライトに目が眩んだ。その光に、たちまち全身が包まれる。
 ******************************************
 「一年生はみんな疲れてるでしょ、今日はさっさと帰って早く寝なさいねー。」
 部室のドアの向こうで、佐藤の声がそう言った。それからすぐに一年生の揃って返事する声が聞こえて、ぞろぞろと過ぎ去って行くいくつもの足音が壁越しに遠ざかって行った。
 ガチャリ、とドアの開く音がして、読んでいた文庫本から目を離すと、佐藤がよっこらしょ、とか言いながら戻ってきた。いつも通りに胡散臭い笑顔でニコニコしている。
 「一年生、みんな疲れてたっぽいから帰しちゃった。別にいいよね、立人?」
 「いいんじゃね。」 リーレン?と聞いてきた佐藤の声が若干オカマっぽくて、何だか笑えた。それから本に栞を挟んで、閉じる。「しっかし一年が居ないとずいぶんと広くなるもんだな、この部室。」
 「もー、言い方ってもんがあるでしょ。そういうの“寂しくなったな”って言うんだよ。」
 コンコン、もう一度ドアをノックする音が聞こえた。
 「ん?誰だろ。開けていーよー。」佐藤がドアに向かって叫んだ。
 「あ、あの……」そこに立っていたのは一年女子の乙海さんだった。「みんなどこ探しても居ないんですけど、今日の部活って一体どこで……?」
 「一年生は今日は休み!おつうみさんも疲れてるっしょ。早く帰ってちゃんと睡眠取りなさいね。」
 「はい、了解しました!」シュビシッ、と勢いよく敬礼の形に右手を額に当てる。「あと、すみません、私の名前、おつうみ じゃないんです。おつみ なんです。ごめんなさい紛らわしい名字で……。」
 「ええっ、そうだったの。」佐藤が驚いたように言った。「ごめんね、じゃあ俺ずっと間違えて覚えてたわ。ほんとごめんごめん。」
 「やや、謝んないでください。マジ私の名前が悪いんで。んでは、私これでおいとまします!」
 そう言って、乙海さんは一礼してエナメルを背負い直すと、ドアを丁寧に閉めてスタスタと帰って行った。
 「わーダッセ。佐藤、間違えて覚えてたんか。」
 「むー。だって分かんなかったんだもん!でも羨ましいなぁ、珍しい名字。俺なんか佐藤だよ、佐藤。日本で一番多い名字だよ。リアル鬼ごっこだと抹殺されちゃう名字だよ。」
 「なめんなよ、俺なんか世界ランキングに入るぐらいだぜ。張って名字の人、世界で九千万人いるんだってさ。」
 「へぇ、九千万!」佐藤が口を丸くした。「やっぱ大陸はスケールが違うねぇ……。それじゃあ鬼ごっこなんかやってらんないねー。」
 それから、部活を佐藤と終始二人っきりで終わらせて、いつもより早く家に帰った。気が付けば、頼りない雪が夜空に、弱々しくちらほらと降っていた。
 駅のホームから、改札を通って、マンションへと続く道を歩いていると、見たことの無い男に突然呼び止められた。
 「ねぇ張、君、張じゃあない?ああやっぱり張じゃないか。」
 その男は、上も下も真っ黒な服を着ていた。暗くてよく分からなかったが、どうやら和服みたいだった。俺に手を振りながら笑った顔は、あの佐藤の笑顔より数十倍も胡散臭くて、思わず不気味な道化師を連想させた。
 カラスの羽のような真っ黒な髪をしたその男は、不審な顔をする俺をニコニコと見て、朗らかに笑った。
 「先生、晩上好! 好久不見。」
 久々に耳にした中国語。ますますこの男が誰だか分からない。
 けれど、こんな挨拶を向けてくるくらいなのだから、遠縁の誰かだろうと思った。
 「對不起、我只会悦一点点中国活。」
 そう答えると、その男は急にまた日本語に戻った。
 「あはは、冗談冗談。しっかし相変わらずつれないなぁ。遺伝だね、遺伝。」
 「一体どなたですか?いい加減にしてください。」
 イライラしながらも、とりあえず抑えて丁寧に聞いた。
 「いや、からかってごめんね。実は僕も君のことは知らない。ただ、君の曽祖父と友人でね。僕、名前は土我ってんだけど。……まぁ、知るわけないか。でもほんと君、見た感じが彼にそっくりだよ。先祖返りってヤツかなぁ。 ……ねぇ、愛新覚羅さん?」
 張り付いたような笑顔で、その男はくすくすと喋った。凍らすような冬風が、男の黒髪を微かに揺らす。
 「あんた一体……」思わず冷や汗が背筋を伝う。「もしかして旧党員の方ですか。僕は今、本籍は日本ですし、父も何も、」
 「ふふ、冗談だってば。ちょっと見かけたから話しかけてみただけ。じゃあね。」
 そう、ふざけたように言い放つと、その男はヒラヒラと大きい手を振って、夜の闇の中に溶けるように消えて行った。
- Re: 小説カイコ ( No.292 )
- 日時: 2012/08/10 01:04
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: .pUthb6u)
- 参照: http://mb1.net4u.org/bbs/kakiko01/image/504jpg.html
 ◇
 ……えー、次の駅は我島岡駅、我島岡駅。一番線の到着、お出口は右側です。網舵方面お乗換えのお客様は、二番線……
 ガタンゴトン、電車から見える風景が大きく揺れる。
 車窓からは、すっかり冬枯れてしまった田んぼと川が見えた。随分と寂しい感じになってしまっている。夏はあんなに青々と緑が茂っていたのが、信じられないくらいだ。
 電車のスピードが徐々に弱まっていく。よっこらしょ、と床に置いていたエナメルを右肩に背負って、ドアの前に立った。
 すぐに電車が完全に止まって、ドアがガタガタと横に開く。すると懐かしや、見慣れた地元の風景が待っていた。頭上の駅名表示は我島岡駅。たった二日間帰っていなかっただけなのに、この地方っぽい湿気た雰囲気やけに懐かしい。そして優しい。
 乾いた冷たい風が、ふっと吹いてきて、何だかとても安心した。
 いつも通りに無人な改札を通る。定期をかざすと、ピンポーン、と聞きなれた電子音が響いた。すぐ後ろで、また電車の発車する音が聞こえた。
 「おーーい、高橋ー!!」
 遠くから突然名前を呼ばれて、ふと顔を上げると、向こうの東口で太一とハツが手を振りながら笑っていた。二人とも蚕ではなく人の姿で、さらに驚いたことに着物のままだった。一体寒くないのだろうか。
 「わ、二人とも。どうしたの、こんなとこで。もしかして迎えに来てくれたの?」
 急いで駆け寄って、話しかける。途中、点字ブロックのでこぼこに躓いてしまって、ハツに笑われた。
 「当ったり前でしょ、他に何か理由ある?」久々に聞くカイコ、いや太一の声。以前よりずっと低くて大人っぽい。
 その時、学ランのポケットに突っこんでいた携帯が鳴った。電話だ。
 「ん、それ電話?」ハツが細い手に息を吹きかけながら聞いてきた。
 「うん、そうみたいなんだけど……」ポケットから取り出して、携帯を開く。母親からだった。
 『もしもし任史?あのね、今、優羽子と一緒にお父さん見送りに成田空港まで来てたんだけど……』
 「あ、そっか。そういや親父の有休って今日までだったね。よろしく言っといて。」
 『もう飛行機は行っちゃったわよ。それにそういうのはちゃんと直接アンタの口から言いなさい。』なんだ説教か。『……じゃなくってね、人身事故で電車止まっちゃったのよ。だから今日、帰るの遅くなっちゃうと思うの。だから適当にコンビニで何か買ってお夕飯にしてね。あと、大季は友達のおうちで御馳走になってるらしいから。』
 「へ、人身事故ってどこで?東京方面じゃないよね、俺普通に帰って来れたもん。」
 『第一旅客ターミナルの成田空港駅。つまり、ここでよ。』母親の声が少し低くなった。『空港の中に駅があるでしょ?あそこで男の人が撥ねられちゃったんだって。もうさっきから大変な騒ぎよ。優羽子には見せたくないから今はお土産店で電車が復活するまで時間つぶしてるけど。』
 電話の向こうで、「お母さん、まだ帰れないの?」と聞いている優羽子の声が聞こえた。どうやら優羽子には人身事故のことは説明していないらしい。
 「……そっか。そりゃお疲れ様です。わかった、じゃあ適当に飯は済ましとくから。ん、はいはい。わざわざ連絡ありがとね。」
 そう言って、パカンと携帯を閉じた。
 「高橋、どうしたの?」
 「ん、人身事故だってさ。空港駅で。」ポケットに再度突っ込みながら歩き出す。「それで俺の母親と妹が空港まで親父を見送ってたんだけど、人身事故で電車が遅れちゃってるから帰って来れないんだって。弟は友達ん家に行ってるってさ。ただそれだけ。」
 「へーじゃあ、おうちには高橋以外は誰も帰ってこないってこと?」ハツが聞いた。
 「そうだね、大季もどうせ遅くまで帰ってこないだろうし。アイツけっこうちゃらんぽらんだから。」
 「ねぇ、空港駅ってさ、もしかして成田空港のこと?」
 「え?ああ、そうだね。」
 「じゃあ土我と入れ違いかな。土我もさっきちょうど、成田空港に着いたらしいから。」
 「え!? そうなの。っていうか土我さんずっとどこに行ってたの?俺、携帯通じなくってさ、嫌われたのかと思ってた。」
 素直に、土我さんの消息が知れて嬉しい。
 「えっとね、ドイツだって。僕らもずっと連絡取れなかったんだよ。海外だったら携帯も繋がらなくて当たり前だしね……ったく、土我ったらいっつも何も言わずにフラッと居なくなっちゃうんだから。」太一が不満そうにため息をついた。「そうだ、それで土我今日、こっちに来てくれるって言ってたんだよ。いつ来るかなー。あと二時間ぐらい、って言ってたんだけど。」
 するとハツが突然 あ、と短く言って、右の人差し指をピーンと立てた。
 「ねぇねぇ、人身事故で電車が遅れてるっていう事は……」くるりと、指を回して円を描く。「もしかして土我が乗る電車も遅れてるんじゃない?だったら、二時間じゃこっちに来れないよね。」
 「あーーー!そっか。うわぁ、残念。きっと夜遅くにひょっこり来るんだろうなぁ。」太一がガッカリと肩を落とした。「高橋、今夜は窓から土我が訪問してくるかもしんない。夜中でも覚悟しといてね。ははは。」
 「ははは、っておい。今日の俺の睡眠時間たったの三時間だよ。頼むから寝かせてよー。」
