コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 旅館『環』においでませ! ( No.9 )
- 日時: 2018/03/29 10:28
- 名前: 夕陽 (ID: cyfiBIbN)
旅館の内部事情
「はあ〜。疲れたよ〜」
自室に戻ると、私は布団に潜って呟いた。
紅葉が幼いせいか、一緒に遊んだというよりは子育てをしている気分になる。
忙しない紫柄での生活に嫌気がさして、実家の月黒に帰ってきたのは良いけれど、結局こちらでも、大変な生活が続きそうだ。
「……っていうか、妖怪って、なにこの展開……」
布団に突っ伏したまま、私はぼそりと独りごちた。
よくよく考えれば、座敷童子や貧乏神に出会うなんて、とんでもないファンタジーだ。
そして、なんだかんだこの状況にあっさりと順応している自分が、何気に恐ろしい。
「…………」
けれど、不思議なことに、紅葉たちに会ったとき、怖いとか、妖怪なんてありえないとか、そういう気持ちにはならなかったのだ。
うるさい、やかましい、とは思ったが、どうしてか嫌な感じはしなかった。
むしろあの感覚は、懐かしい——そう、そんな感じだった。
じわじわと全身に広がる眠気に任せて、私はゆっくりと目を閉じた。
我が家特有の、お日様とい草の香りが混じったような匂いがする。
この匂いをかぐと、昔、布団を干すお母さんや、縁側に座るおばあちゃんと話しながら、庭の草木や生物を描いていた幼いころを思い出す。
こういう日はいつも、誰かが私のスケッチブックをしきりに覗き込んで、こう言うのだ。
——祭は本当に絵が上手いのう! 我のことも描いてくれ!
……あれ、誰だっけ。子供の時によく遊んだ、不思議な女の子。
下りていく瞼の裏に移る紅色を見ながら、私は静かに眠りに落ちた。
* * *
「祭、起きなさい」
「……ん」
あれ? 何でこんなところにおばあちゃんが?
そういえば昨日実家に帰ったんだっけ……。
そこまで考えて、私は即座に起きる。
時計を見ると、時刻は朝の6時。
どうやら私は、昨日部屋に戻った後、そのまま寝込んでしまったらしい。
旅館の手伝いをする時はもっと早く起きるから、もしかしたらおばあちゃんも気を使って寝かせてくれたのだろうか。
「今日は少し旅館の手伝いをしてくれませんか? 紅葉達は午後から来るそうなので」
「……分かりました」
一瞬、昨日のことも妖怪のことも、全部夢なんじゃないかって思ったけど、全部現実だったらしい。
まあ、いい。ごちゃごちゃと考えるのも疲れたし、久しぶりに旅館の手伝いをするのも悪くない。
私は、寝間着から従業員用の割烹着に着替えると、おばあちゃんと共に自室を出た。
元々絵を描くくらいしか趣味がなかったのだ。
だから、昔から暇な時間は絵を描くか、宿題をするか、お手伝いをしていた。
お手伝いすれば、お小遣いもらえたし。
「今日はどこですか?」
私が主にやっていた仕事は掃除系が多い。
お客様の部屋や庭など。たまに従業員の休憩スペース。
「お客様の部屋をお願いします」
「お客様のお部屋ですね」
確認してからふと気付く。
「あの、今いるお客様の部屋と今日来るお客様の部屋教えてくれませんか?」
今いるお客様の場合はお客様がいない時間に掃除を済ませ、今日来るお客様の場合は来る前に済ませる。
私が仕事を手伝うとき、おばあちゃんは掃除を頼むときいつもお客様が在室中の部屋を言っていたのに。
私が久しぶりに来たからか、言い忘れだろうか?
「ああ、そうでしたね。今いるお客様の部屋は——」
メモをとり、私は今日来る予定のお客様の部屋に向かった。
* * *
「始めまして。あなたが祭さんですね? 私は中西と申します」
「お久しぶり。祭ちゃん」
「1人で全ての部屋は出来ないし、2人に手伝ってもらったほうがいいでしょ〜?」と女将に言われたので、素直に頷く。
まだ20代位のほっそりした中西と名乗った女性と、私が小さい頃からこの旅館に勤めている高木さん。
高木さんは、昔からの知った仲だし、私もよく一緒に掃除をしていたことがあったので少し安心した。
一方の中西さんは、多分私が大学進学後に雇われたのであろう。
顔を見たことがない人だった。
「今日はよろしくお願いします」
私は頭を下げる。
こうして私達は、早速仕事にとりかかったのだった。
無事全ての部屋の清掃が終わると、私はもうすることがないので、従業員部屋で大女将に仕事の終了と異常なしを告げて、自室に戻った。
高木と中西は、しばらくそんな祭の後姿を見ていたが、ふと、梢が口を開くと、すぐにそちらに視線をやった。
「今月も結構厳しいですね……」
閑散とした従業員部屋に、不安の混じった声が響く。
梢が見つめているのは、部屋の中央にある机に広げられた帳簿。
ぎりぎり従業員に給料を払えるという売り上げは、何度見ても変わらなかった。
「……そうですね。しかし嘆いているだけでは変わりません。それに、少しずつ回復の兆しが見えてくるはずです」
「祭が世話をしている座敷童子のことですか?」
「ええ」
撫子が軽く頷いた。
すると、中西が細い眉をあげて、素早く反応した。
「え? 座敷童子がどうのって……冗談じゃなかったんですか?」
「ああ、そうか。中西さん、まだ『環』に勤めてから日が浅いものね」
高木は、くすりと笑うと、唖然とする中西の顔を覗き込んだ。
「今でこそ古い部分が目立ってきちゃってるけれど、そもそもこの旅館がここまで大きくなったのは、座敷童子のおかげだって言われてるのよ? 『環』を開業した初代大女将、清美様が縁側で遊ぶ座敷童子を見てから、急に繁盛するようになったんだって」
「ええ? でも、そんな嘘みたいな話……じゃあ高木さんも、座敷童子、見たことあるんですか?」
中西の問いに、高木は得意げだった表情を崩して、小さく首を左右に振った。
「い、いや、私はないわ……。だけど、この旅館は、座敷童子のご機嫌次第で経営が栄枯するんだって、本当にずっと言い伝えられてるのよ。ね、大女将?」
同意を求められて、撫子は苦笑した。
「……さあ、どうなのでしょうね。実際のところ、本当に紅葉が……座敷童が、この旅館の経営に関わっているのかどうか、それは分かりません」
思わぬ返答に、高木と中西が顔を見合わせる。
「でも大女将、それじゃあ、経営回復のために祭ちゃんに座敷童子のご機嫌取りを頼んだって……」
撫子は、優しげな表情で目を細めた。
「いいんですよ、そのことは。経営がどうというより、今回のことは、祭にとっても良い気分転換になるんじゃないかと思って、私が提案しただけなので」
高木と中西は、なんのことか分からない、といった様子で目を瞬かせた。
それに対し、撫子は再び苦笑して、言った。
「……ただ一つ、確かなのは、座敷童子は本当にいる、ってことです。ずっとずっと昔から……それこそ、私が生まれる前から、ここにね。最近十数年、姿を見せませんでしたが」
撫子は昔を思い出したのだろうか、少し遠くを見る眼差しになった。
「姿を見せたということはもしかしたらまた、繁盛するかもしれませんね〜」
会議の最初とは反対の柔和な表情を浮かべる梢。
楽観的な性格は彼女の長所であり短所でもある。
「まあ、あとは祭次第です。私達は祭を見守っていましょう」