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Re: Multiplex Cross Point  ( No.470 )
日時: 2010/07/28 19:06
名前: インク切れボールペン (ID: mCvgc20i)

何なんだ、お前は。
月架 蒼天は、愕然と身体の内側から溢れる不安の感情から、そんな言葉を吐いていた。
相手は眼前の少女、ミリー・シャルロット。
互いに満身創痍になりながら、ミリーは頬に受けた切傷から零れる血を舌で舐めた。
妖艶な笑みは、ミリーの表情から消えていない。

「うーん、足りない。足りないなぁ。この程度じゃ私を倒すのってじゃないかな?」

にやにや、と。
妖艶な笑みを浮かべた彼女は西洋剣の柄に力を込め、静かに告げた。
その姿に、月架は底知れぬ恐怖を感じていた。
何故だ、と。


何故、粉砕された右腕で西洋剣の柄を握れるのか。


激闘の最中、月架は彼女の剣を無力化する為に彼女の右腕の骨を強引に折った。
だが、しかし。
彼女は何の反応も示さず、変わらず剣を振り続けてくる。
確かに、腕は折れているはずだ。
感触は確かだったし、彼女の右腕の一部が紫色に変色している。
なのに、彼女に変化は無い。
何故、と月架が疑問を浮かべるのも当然だ。
普通なら激痛で剣を持つ事が叶わないはずなのに。

「教えてあげようか?」

直後。
彼女は一気に愕然とする月架の懐に踏み込み、その腹に西洋剣を刺した。
ズンッ、と勢い良く刺された西洋剣の刃は月架の腹を貫き動きを止める。
ごぼり、と月架の口から血の塊が吐き出された。
ミリーは、口元を吊り上げたまま、同じ言葉を繰り返す。

教えてあげようか、と。

互いの距離は異常なまでに近い。
刃を突き刺したまま、彼女は西洋剣を月架の身から抜こうとせず、彼と顔を付き合わせた。
月架の不撓不屈の双眼に、妖艶な笑みのミリー・シャルロットの顔が映る。

「私には、痛覚が無い」

その瞬間、月架の表情が凍り付く。
痛覚が無い、それは痛みを感じない、という事だ。
ならば、彼女を止めるには。

「殺すしかないよねぇ。ねー、どうする?」

彼女の言葉は月架に届かない。
彼の双眼は彼女を捉えながら、既に別の物を捉えている。
ミリー・シャルロット、彼女を不殺のまま行動不能にする勝利条件を。
だが、その思考はミリーの言葉によって即座に遮断される事となる。

「貴方の御陰なんだよ、この無痛を得たのは」

喉が干上がった。
ミリーの妖艶な笑みが、一層深くなる。

「【Child Soldier】事件。あの時、私は貴方と闘い、重傷を負った」

ドクン、と心臓の鼓動が高鳴る。
やはり、俺は彼女を知っていた。
忘れられない、忌まわしき過去の光景が月架の脳裏を掠めて行く。

「傷が治った後。私は1つの変化に気が付いた。それは、痛覚の喪失」

「…ッ」

「私はね、感謝してるの。だって、貴方の御陰で、痛い思いをしなくて済むんだもの」

痛みの喪失。
確かに、彼女の言葉は合っている。
少なくとも、痛覚が無い以上、痛い思いをする事無い。
だが、それは。


「痛覚の喪失は、全ての痛みを私から消した。仲間が死んでも、誰かを傷付けても私は笑っていられたの」


痛みの失う、という事は。
相手の痛みに対する理解を失う事と同義なのだ。
彼女は、笑い続ける。

「仲間が死んでしまう事は悲しかった。誰かを傷付けるのは怖かった。昔はそうだった。でもね、今は違う!!」

今の私に怖れるものなんて何も無い。
だって、誰も私に痛みを理解させる事なんて出来無いのだから!!

「私は変わったの、貴方の御陰で。恐怖も悲哀も絶望も、何もかも私には意味を成さない!!」

高らかな狂笑が、周囲に木霊する。
笑っていられた、その言葉を月架は脳裏に反芻し否定した。
笑っていられた?
違う、彼女には最早、笑う以外の選択肢が残されていなかったのだ。
その状況に追い込んだのは誰だ?

(俺だ。彼女の痛覚を喪失させ、彼女を此処まで追い込んだのは、俺だ…ッ!!)

最初は、仲間の死に涙し、誰かを傷付ける事に恐怖する感性があった。
それを、月架 蒼天は奪ってしまったのだ。
涙は枯れ、恐怖は喪失し、今の笑う以外の感情表現が出来無くなった人間を生み出してしまった。


彼女は、俺の罪だ。


その心を奪ったのは、この俺だ。
その涙を奪ったのは、この俺だ。

「ミリー…、シャルロット…」

「ずっと、御礼を言いたかった。ありがとう、月架 蒼天」

「何故だ…。何故…、こんな事に…ッ!?」

戦う事が正義だと信じ、【Child Soldier】事件で剣を振るい、両手を朱に染めて来た。
だが、その行為が彼女の様な人間を作り出してしまった。
仲間を失い、真実に心を打ち砕かれ、そして今、──────残された罪が月架の前で狂笑する。
口からは大量の血が零れ、意識だけが徐々に消えて行く。

ミリー・シャルロット。

ただ一度だけ、その名を呟いた。
ズブリ、と西洋剣が引き抜かれ、傷口からは夥しい赤の液体が零れ落ちる。
ぐらり、とバランスを崩し、月架は赤の海に沈んだ。
遠退く意識の中、少女の狂笑だけが彼の脳裏で木霊していた。

「さようなら、月架 蒼天」

罪人は赤の海に沈む。
鎮魂歌の如く聞こえる狂笑に、彼の瞳から一滴の滴が零れ落ちた。
それは、少女を狂わせた後悔故か、それとも死に対する恐怖故か。
罪人の涙の真意を知る者は、いない。