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Re: Multiplex Cross Point  ( No.505 )
日時: 2010/08/02 11:29
名前: インク切れボールペン (ID: mCvgc20i)

覚悟。
【荒廃せし失楽園】本部の屋上で、星姫 月夜は荒川 冬丞の発した言葉を反芻した。
体には包帯が巻かれ、絶対安静を言い渡された、この身。
だが、その闘争心をだけは、まだ折れていない。

(剣を抜く、覚悟)

もう1度、同じ言葉を脳裏で反芻した。
正直な話、彼女は可能な限り、剣を抜く事を避けたいと思っている。
彼女の剣は魔術によって強化され、他を圧倒する、特別な性能を持っているからだ。
一度、鞘から抜けば勝敗は一気に決するだろう。
だが、安易な勝利など月夜の剣士としての矜持が許さないのだ。
剣は魂、勝負とは魂と魂の激しき衝突。
勝利とは、その激突の中で魂の削り合いを制した者に与えられる結果だ。
安易な勝利など意味は無い。
互いに魂を削り合って、満身創痍になっての勝利こそ、価値がある。
しかし。

(真剣に対して、真剣で相対せぬは礼儀を損じている)

冬丞の言葉の通り、彼女の行為は確かに礼儀を損じたものだと言える。
だが、礼儀を重んじ、剣を抜けば安易な勝利を得てしまう。
それは、虚しいだけだ。

(私は…どうすれば)

葛藤は続く。
剣を抜き、礼を重んじて得る安易な勝利か。
剣を抜かず、礼を損じてでも価値ある勝利を得るか。
ふと、悩み続ける彼女に少年の声が掛かった。

「探しましたよ、月夜さん」

見れば、後に銀髪碧眼の少年が立っていた。
ヴァン・スルメルトゲーティア、彼もまた、見える範囲でも多くの包帯を体に巻き付けている。

「…何の用?」

「そんな敵意剥き出しの低い声を出さないで下さいよ…。絶対安静なんですよ、部屋に戻って下さい」

きっと、無断で部屋から出て、気分転換に屋上に来た月夜を連れ戻しに来たのだろう。
その表情は相変わらず優しそうに見え、月夜は嫌悪感を覚えた。
似ている、アイツに。

「さ、戻りましょう。月夜さんの傷は深いんです。休んで、体力の回復に努めて────────」

「黙れ。帰れ」

「…月夜さん、言葉のキャッチボールって言う言葉を知ってますか…?」

勿論、と彼女は答えるも、相変わらずヴァンに背中を向けたままだった。
嫌われてるんですかねー、僕。
彼女の態度に、ヴァンは心中で率直な感想を思い浮かべた。
以降、会話が紡がれる事は無い。
ただ、嫌な雰囲気の沈黙だけが、屋上に満ちている。

(…。放って置いた方が良いんでしょうかね)

ふと、そう考えたヴァンが踵を返そうとした、その直後。
1つの言葉が、ヴァンの耳に入った。

「礼儀を重んじて安易な勝利を得るか。礼を損じて価値ある勝利を得るか。貴方なら、どっちを選ぶ?」

月夜には、それが解らない。
だからこそ、ヴァンに対して諮問したのだろう。
自分が迷うのだから、彼だって相当に迷うだろう。
彼女は、そう思っていた。
だが、答は一瞬にして返って来た。

「僕なら。礼儀を重んじます。例え、結果が安易な勝利だとしても」

「…何故?」

「相手が、どれだけ弱小でも礼儀を以て全力を尽くす。それは、相手を理解する為に必要な事なんですよ」

相手を、理解?
月夜はヴァンの言葉を巧く理解する事が出来無かった。
全力を尽くす事が、どうして相手を理解する事に繋がるのか。



「月夜さん。全力とは、本質です。全力と全力の激突は、本質と本質の激突と同義なんですよ」



その言葉を受け、月夜は初めて彼の言葉の意味を解した。
全力とは、本質。
自分の全力は自分自身、相手の全力は相手自身。
互いの本質を深く感じ合う、それが全力と全力の衝突なのだ。

「礼儀を尽くすのは大切です。僕は如何なる時でも全力を尽くします。相手と解り合う為に」

だから、僕は前者を選びます。
ただ、それだけ述べるとヴァンは踵を返して、颯爽と去って行った。
最後に、早く部屋に戻って下さいね、という言葉を残して。

「…何を迷う必要があったんだ。前者か後者か。そんなの、解ってたじゃないか」

全力を尽くさない。
それは心の何処かで、相手を弱いと見下していたのだろう。
何たる傲慢か。
しかし、月夜は自身の欠点を発見し、それを矯正して前に進める人間だ。
だから、

「荒川 冬丞。次の死闘を愉しみにしていろ。次は、私の全力を以て相手をする」

剣を抜く覚悟は、既に決めた。
星姫 月夜は前へと進む。
剣に狂った男との死闘に全力を賭す、1つの覚悟を胸中の宿して。