コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: Mistake . ( No.161 )
- 日時: 2011/02/15 05:48
- 名前: 或 ◆zyGOuemUCI (ID: s1qwLtf7)
#21 ( いつも通り )
「なに見てんのよバ柏木」
きっと愛沢が何かやらかして呼び出され怒られていたのだと勝手に思い込んでいた俺は、あまりにいつも通りな愛沢の表情や言葉に、正直すごく驚いた。
目を見開いて凝視している俺をよそに、愛沢は自分のイスを引いて、またいつも通り大胆に腰かけた。愛沢は俺が見る限りそんなに体重は重くない、むしろ足や腕の細さからいって軽すぎるはずなのだが、相当な勢いで腰を下ろす為、小さめなイスが軋む音がする。
愛沢がパソコンを開いて作業を開始しようとしている時に、俺は愛沢が昼食を食べてない事を思い出した。そうだ。社員食堂に行こうとしている時に、愛沢は課長に呼び出されたんだ。
「お前昼飯は?」
そう聞くと、数秒置いて愛沢は苦笑いしながら答えた。
「今日は食べない。ちょっと急ぎでやらなきゃいけないから……」
食べない? あの、毎日毎日これでもかってくらいニヤニヤしながら、食券販売機を見て鼻歌なんか歌いながら食べる物を選んでいる、あの愛沢が? “腹が減っては戦ができぬ”が口癖のようになっている愛沢が? 食べない? 何を? 昼食を? 冗談だろ。
だが、愛沢は黙々と画面を見ながら素早くキーボードを打ち始めた。どうやら本当に食べる気は無いらしい。でも食べないと頭働かないだろ。三食きちんと食べないと体にも良くないし。そもそも昼飯も食えないぐらい急ぎの仕事なんてまだまだ新人な俺等には任されない筈。
そんな仕事を任されたのはきっと、課長室に呼び出されたのと何か関係が有るのだろう。やっぱり、あの時何があったのか知りたい。
「なあ、課長から何言われた?」
意を決して愛沢に尋ねると、思わず“どこの女優さんだよ”とつっこみたくなるような言葉が返ってきた。
「別に」
更にご丁寧にも「あんたには関係ないし」という言葉まで付け加えられた。人が心配してやっているというのに、この態度だ。酷い。どこの国の姫様だよ。
口に出して言ってやりたかったが、この無駄に態度がでかい愛沢のことだ。九十パーセントの確率で“心配してくれなんて言ってないし”というお決まりの言葉を使うだろう。それにもれなく冷たい視線又は平手打ちをされる事だって目に見えている。わざわざそんな危険地帯に飛び込んで行くなんてそんな馬鹿な事、誰がするというのだろうか。
隣に座って仕事をこなしている一見真面目だが触れると爆発する爆弾の様な愛沢を、俺は放っておくことにした。
午後六時。残っている仕事が無ければ、帰宅していい時間になった。ほとんどの先輩は仕事が残ってるなんてありえない! ってな感じのエリートだから、この時間になると会社に残っている人は多くて二人程だ。
俺も、まあ新人だからか任される仕事の大変さも量も少ないので、仕事が残るなんて事はまず無い。それに先輩方が続々と帰っていくので、遠慮もせずに帰宅する事ができる。それは愛沢も同じだ。愛沢はいつも、多分帰宅できる事が余程嬉しいのだろう。ものすっごい笑顔で帰っていく。
しかし今日は、帰ろうという素振りを見せない。まさか、残業するつもりか?
「あ、愛沢? 俺、帰るけど……」
「あ、そう。お疲れ様」
愛沢と俺の間に流れるこの微妙な空気から脱したくて、帰る前にそれとなく声をかけると、パソコンの画面から一切目を離さず事務的に返された。
愛沢の態度に悶々としながらも、どうしていいのか分からず、結局そのまま会社を出てきてしまった。
正面玄関を出てから暫くの間その場に立ちすくんでいたら、突然携帯の着信を知らせる機械音が鳴る。慌てて鞄から携帯を取り出して開き明るくなった画面を見ると“里子”という名前が映し出されていて、里子から電話がかかってきたのだということを知らせる。
電話のマークが描かれたボタンを押し、耳に当てる。すると携帯から、俺を一番安心させてくれる声が聞こえてきた。
「もしもしー? 凌君?」
「どうする? 俺じゃないやつが出たら」
何となく、意味の無いからかいをしてみる。リラックス、したいのかもしれない。
「ええー……困るよ……」
ちょっとした冗談なのに、本当に困惑したような声を出す里子が可愛くて、里子には悪いが少し笑ってしまった。極力笑っている声が聞こえないように電話を持っていない方の手で口を押さえたのだが、どうやら聞こえてしまっていたらしい。
「凌君? もー、何笑ってるの」
少し拗ねたような口調になるのさえ、可愛らしいと思ってしまう自分がいる。
「ごめん、ごめん。で、どうした?」
思わず笑ってしまった事を謝り、要件を聞く。
「あのね、今日の夜ご飯、何がいいかなーって」
「夜ご飯……」
その時、何故か俺の頭を愛沢の顔が過った。……ああ、きっとあいつが昼飯を食べてないのを思い出したからだ。あいつは、愛沢は、本当に何も食べずに仕事をして、大丈夫なのか? 俺なら絶対腹が減って、集中なんかできない。なのに愛沢は、必死に画面を見ながらキーボードを休む間もなく打ち続けていた。
昼飯を食べなかった。急ぎの仕事があったから。本当にそれだけか? 別に食べれなかった理由が有るのかもしれない。いつも通りの態度だった。本当に? もしかしたら強がりかもしれない。
自分が何故、愛沢にお疲れと返された時、悶々としていたのか。何か引っ掛かったんじゃないか? でも何が引っ掛かっているのか分からない。愛沢に何を言えば良いのかも分からない。自分に何ができるか分からない。それに全部思い過ごしかもしれない。でも思い過ごしじゃないかもしれない。
何が引っ掛かっているのか、何を言えば良いのか、何ができるか。それが分からなかったら何もしなくていいのか? そんなわけないだろ。
「凌君? どうしたの?」
携帯から聞こえてくる里子の声にハッとする。
「里子、ごめん。今日遅くなる」
「え、ちょっと待ってよ、何で? 何かあったの?」
「やらなきゃいけない事があるから」
どうして、放っておいたりしたのか。数十分前までの自分を責める。多分、俺は気付いてた。何か違うって。でもいつも通りだと思い込んだ。どうしたらいいのか分からなかったから。そんな自分を認めたくなかったから。
「残業?」
不安そうに里子が聞く。きっと、浮気を気にしてる。里子はそういうところに敏感過ぎるくらいだ。すぐ暗い方に考えてしまうから。でも里子は強い。そういう考えを、自分で振り払える。
「うん。そんなもん」
「そっか。分かった、頑張ってね!」
こうやって、送り出してくれる。背中を押してくれる。
「有難う」
優しく強く、いつも情けない俺を支えてくれる里子に、精一杯の感謝を込めてそう言った。
「帰る時電話してね。それと夜ご飯、挽き肉有ったからハンバーグにしちゃうけど良い?」
「了解。ハンバーグ楽しみにしてる」
里子が小さく笑った声を聞いて、電話を切る。そしてすぐに、俺は走って会社に引き返した。