コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 臆病者の愛の果て ( No.11 )
- 日時: 2010/07/19 18:44
- 名前: あさ子 ◆D2yUo.n7Ls (ID: ZZ5Hb1Lx)
「死ねばいいのに」
築五十年を過ぎた古いアパートの一室。まだアナログのテレビを眺めながら彼女が呟いた。またか、と思った。
それはテレビの向こうで胡散臭い台詞を吐く男に対してか、それとも俺に対してか。それとも彼女自身に、か。が、本人に直接問うのも面倒くさく、先ほどの言葉を聞かなかったことにして新聞に目線を落とすことにした。
いつからか彼女はこの言葉を無意識に口にするようになった。それは、無意識に吐く溜息のように。自覚がないのだ。
確かふたりで暮らすようになってからだ。最初のうちはなんだ、とよく驚いて問うたものだ。しかし、彼女は顔を背けて俺から逃げるように口を閉ざすだけだった。次第に問い詰めることはなくなっていた。一日に言葉にする回数が増えていくごとにそれは簡単に日常に溶けてしまい。気にかけることもなくなっていったのだ。そうして現在に至る。
「死ねばいいのに」
ほら、まただ。
思って彼女に目を向ける。と、彼女もこちらを見ていた。なんだよ、と言う前に猫のように飛びかかってくる彼女を目にして俺の視界が一転した。
———
ぐ、と更に力が加わった。
酸素を求めるように喘ぐ俺に彼女の口付けが降ってきた。
「ごめん、ね」
そう言いながら俺を組み敷きつつ、ひたすら彼女は首を絞めている。その表情は何も含んでいないように乾いた無表情だった。そんな顔して人の首を締めないでくれよ。何を思えばいいかわからないじゃないか。
急に飛びかかってきたと思いきや、今度は首を絞めてきた。何が何だかわからない俺は彼女を突き放せもせず、されるがままの状態になっている。本来なら突き放して警察を呼ぶなりなんなりするのが最もなとこだが。何故だか、そんなことしてはいけない気がした。本当になんでだか。
ひゅ、と喉がなる。解放してくれ、と告げるように。言葉を発せない口の代わりに。脳から先に流れることのない血で視界がじわじわと赤に染まってきた。
「死ねばいいのに」
こんな時まで言うのか。いや、もしかしたらこんな時だからこそかもしれない。
彼女のこの言葉は俺に向けたものだったのかもしれない。嗚呼、泣けてきたよ。なんだかんだで俺は俺なりに愛してきたのに。
「私が何に対してこの言葉を言っていたか。あんたに教えてなかったよね」
朦朧とする意識の中、ぼんやりと彼女の声が聞こえた。優しげな声だ。赤子をあやす母親のような、ずっと包まれていたい声。
「私ね、ずっと自分が嫌いだったの。毎日毎日、自己嫌悪ばっか。これが学生の頃の私。でも、あんたに会って変ったわ」
相も変わらず俺の首を絞めながら、言葉を紡いでいく。それも笑顔で。第三者から見たらなんてシュールな光景であろうか。
「本当に私、心の底から自分は変わったと自負できた。だって幸せだったから。だけど、ね。あんたと暮らすようになってから、また自己嫌悪するようになったの。早く消えてしまえばいいのに、って……」
きっと泣いている。視界は赤に染まって見えない。仕方なく目を閉じた。彼女は泣いている時に自信なさげに語尾が小さくなるのだ。大丈夫、と声をかけてやりたい。
彼女はただの弱虫だったのだ。自分を好きになれない。臆病者だったのだ。守ってあげたい、と思った。
「あんたに、何もかも求めてしまう。もっと一緒にいたい。もっとハグしたい。もっとキスしたい。欲が風船のように膨らんでいくの。私、強欲すぎる。そんな自分が嫌いなの」
額がくすぐったい。鼻にかすめたフローラルな香り。あ、彼女の髪の匂いだと気付いた。そこで彼女がすぐ眼前にいることがわかった。
「ね、愛してる、って言って」
甘い声が脳に響いた。こんな時に言うことじゃないだろう。そう思いつつも、必死で愛してると口をパクつかせた。ただ、必死に。
ありがとう、と涙で濡れた声が降ってくる。どうやら届いたようだ。最後だと告げるように再度、力が強くなった。
意識が朦朧とし始める。感覚もとっくに麻痺している。もう長くないな、と思う。
「私、あんたが離れる日が来ると思うと怖い。受け入れられない。この幸せな日々に終わりが来るなんて。だから、あんたを殺して一生一緒にいることにした。今の私にはこれが最善の方法にしか考えれないの。……この思いを防ぐ術がわかんないの」
私も、愛してるから。
そう泣いた彼女の声を最後に俺の意識は途絶えた。
愛に怯えた彼女がこんなに自分を嫌いにならなくてもよかったのに。可哀想な彼女。その男はもう二カ月もすれば貴方の薬指に永遠の誓いをする予定だったというのに。
(臆病者の愛の果て)
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さちよ名義の時に書いたものです。
何気に気に入ってるのでタイトル変えて投下。
