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Enjoy Club 第4話『あなたのために……』(9) ( No.172 )
日時: 2010/09/12 21:15
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: s4AxdT15)

 時は過ぎて、7月上旬。


 地獄の、




 テスト期間——




「——で、なんで泣いてんだ、コイツは」

 頭の上から風也の呆れたような声が降ってくる。私は机に突っ伏し、どばーっと滝のように涙を流していた。美久が心配そうに桜色のハンカチを差し出してくれる。
 帰りの支度を済ませて私の席に来た静音が、ぎょっとしたように私を見て、躊躇いがちな声で尋ねてきた。

「……もしかしてあーちゃん、勉強…苦手?」

 泣き顔でこくりと頷く。

 私とは正反対に頭のいい彼女は、困ったように腕を組んだ。それからバッグを一度下ろして、中から数学の教科書を取り出す。隣にいた美久がそれを覗き込んで、テスト範囲の確認をしていた。

 すると私の前の津波の席に腰かけた風也が、辺りをきょろきょろ見回して不思議そうな声で尋ねた。

「そーいや恵玲と津波はどうした?」
「職員室です。日本史の範囲確認しに行っちゃいました」

 声が涙で揺れてしまう。

 そういえば、ちょっと前から風也は、このグループのメンバーを全員名前の呼び捨てにし始めた。元々仲のいい子は名前で呼ぶことが多いらしく、名字だと違和感があるのだとか。私は正直それでも全然構わないし、そもそも文句をつけられる立場でもない。ここにいる皆は、風也の“友達”なのだから。……ただし、彼を呼び捨てにしているのは私だけである。

 風也はふーんと相槌を打って、静音の方に目を向けた。

「なぁ、数学どこの単元なんだ?」

 教科書から顔を上げた静音は、ずれた眼鏡を軽く直して、彼の前に教科書を広げた。私もむくっと起き上がって内容を確認する。なんとなく聞き覚えのある単語と、意味不明な数字の羅列が目に飛び込んできて、頭がくらっとした。

「あーちゃん、遠い目してる……」

 美久が相変わらず鈴のような声でそう呟き、心配そうな表情で私の顔を覗き込む。彼女のどこかぽや〜っとした顔を見つめていると、こういう状況でも心が癒される気がした。


「亜弓」


 突然名前を呼ばれてぴくっと耳が反応し、思わず体ごと起き上がる。

 「なんですかっ?」と風也を見ると、私の反応に驚いた彼がちょっと目を丸くしていた。その後ろで静音がくすくすと笑っている。

「いや…、まだこれくらいの方程式なら間に合うって言おうとしただけ……」

 彼の反応を見て、私は内心恥ずかしさにおぼれそうになっていた。

 今でも不意打ちで名前を呼ばれると、心臓が自分でもわかるくらいに音を立てるのだ。それで今までも何回か彼を驚かせている。本当に呆れるくらい自分の体が慣れてくれない。

 恥ずかしすぎて、頭の中がぐるぐるしてきたとき、

 誰かがぽんっと私の茶髪に手をのせた。前髪が目にかぶさってくる。もちろん実際に見なくても、このあたたかい手が誰のものかくらいは優に予想が付いた。


「テスト勉強、付き合ってやるよ」
「——!?」


 彼の顔が見えない状況のまま、時が止まったかのように私の頭が思考を停止した。

 しかしそれも一瞬。続いて口をついて出た声は、自分でもびっくりするほど疑念に満ち満ちていた。

「……風也、が…?」
「…お前何だ、そのすげー信じてない目は。オレのこと、バカだと思ってるだろ」

 頭にのせられた手をするっと抜けて、彼の顔を見上げる。そのまましばらくその不愉快そうな顔を見つめて、ぽつっと正直に問いかけた。

「違うんですか?」
「…なかなかオレのことナメてくれてんじゃねぇか」

 とって付けたような笑顔に怒りマークを付けて風也が言う。私が未だに信じられなくて呆けたように彼のひきつった顔を見つめていると、ふっと彼の手が伸びてきて私の左頬を軽くつまんだ。「ふぇ」と言葉にならない声をあげて彼を見ると、べっと小さく舌を突き出してくる。

「そういう奴には教えてやんねー!」
「えっ、えー!!」
「じゃあオレ先帰るから。また明日なー」

 絶望的な声を上げる私を置いて、彼は悠々と歩いて行ってしまった。どうしようどうしようと同じ言葉を頭の中で反芻して、風也と美久達とを交互に見る私を、静音がニヤニヤと口元を緩ませて見つめている。最後に目を涙で滲ませて2人を見ると、

「行ってきな」

と静音に背中を押された。




 急いで荷物をまとめてパタパタと彼を追いかけて走る。
 教室を出た後、静音が、

「あの2人、アレで付き合ってないとかウソだよねー」

と微笑ましげに呟いていたことを、私は知らない。





 4階の階段を下りるところで、すぐに金髪の後ろ姿を発見した。さらに足を速めて、彼のバッグをガシッとつかむ。驚いてパッと振り返る風也。

「お前足速ぇな」

 そう感心したように呟いて、足を止めてくれた。それから優しい声音で、

「一緒に帰るか」

と微笑んだ。





 よく考えてみると、風也と帰路を共にするなんてとても珍しいことだ。
 風也は朝遅刻してきて、1、2時間だけ授業に出て、お昼を食べたら下橋に帰るという生活を、当たり前のように繰り返している。そうなると当然5、6時間目の授業は参加できず、放課後もすでに学校にはいないということになるのだ。いつも心の隅っこで、他愛のないことを話して2人で並んで帰る場面を想像していた私は、うれしくて今のこの空気を思いっきり吸い込んだ。今日の乾いた空気は、ちょっとだけ夏の香りがしていた。

「暑いな……」

 風也が顔をしかめて空を見上げる。確かにこうやって歩いているだけでも、じんわりと汗がにじんでくる。
 日頃見かける木も気付けば青々とした葉を茂らせ、夏突入の準備は万端、という感じだ。全く私とは大違い…とそこまで考えて、私はようやく本来の目的を思い出した。

「あっ、風也! あの、テスト勉——」

「みてやるよ。オレ誰も来ねぇ空き教室知ってっから、明日そこ行こうぜ」

 両手をポケットに突っ込んで、なんだか楽しそうにこちらを見る。

 私はもちろん、笑顔で大きく頷いた。