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Enjoy Club 第6話『衝撃の刻(とき)』(6) ( No.486 )
日時: 2011/05/01 07:34
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: AEu.ecsA)

「白波くん、早くぅ!」

 恵玲は後ろを振り返って、待ちきれない様子で二、三度飛び跳ねた。いつもより丁寧にセットしてきた髪も、彼女の動きを追うように宙を上下している。
 一方の白波はその数メートル後ろを自分のペースを変えずに歩き、物珍しそうに辺りを見回していた。“物珍しそうに”とは言っても、表情からはあまり感情が読み取れないため、その動作で判断しただけだだが。電車の中で聞いた時、“こういう”ところに来るのは初めてだと言っていたので、彼の反応も当然だろう。

 恵玲は満足そうにその様子を見て、軽やかな足の運びで彼の元へと走り寄った。体の脇にぶらんと下ろされた彼の右手を、勢いのまま両手で握る。白波はさも驚いたように彼女に視線を落とした。その抑揚のない黒い目が見開かれるのを見て、恵玲はさらに自分のペースへと持っていく。

「早く行こっ」

 快活な明るい声でそう言い、恵玲は彼の大きな手を握って駆け出した。
 彼女らの走る、白いタイルで埋められた解放感のある広い通りは、正面に“新ひろさき水族館”というプレートの付いたドーム型の建物へと続いていた。





 2人がまず向かったのは、“マリンルーム”と呼ばれる大水槽のあるコーナーだ。短い階段を下りていくと、そこはトンネルのように周囲が海で囲まれた場所だった。左右はもちろん、上を見上げても、目を見張るほどの巨大な魚が見える。

 恵玲は、現実とは切り離された美しい空間に感嘆の声を上げ、白波の手を引いて水槽の目の前まで人の間を縫うように進んでいった。この人込みでは、彼1人だと躊躇ってしまうだろう。

 視界いっぱいに広がる、透き通った蒼。その無限大にまで広がっていきそうな際限を感じさせない一面の蒼に、恵玲は感嘆の吐息をつくことしかできない。ちょっと上を見上げると、水面から真っ白な光が差し込んでおり、この造られた海にさえ神秘性を帯びさせていた。

 恵玲は水槽の表面に両手の指先を当て、自分でも気付かないうちに夢中になって巨大なマンタの動きを追っていた。

 不意に白波の声が降ってきたのは、そんなときである。

「ウィルじゃなくて良かったのか……?」

 デートでそういう話題は禁句だろう、なんてことは、白波には通じない。加えて彼に悪意が無いことが分かっている恵玲は、気を害する様子もなく振り返った。

「ウィルくんは今日重要な任務があるって前から言ってたし、それに——」

 恵玲はそこで言葉を切った。穏やかな、しかししっかりと芯の通った瞳で、まっすぐ正面から白波を見据えている。唇はゆるく弧が描かれていた。
 そのまま双方無言で時が過ぎ、唐突に恵玲が表情を崩した。華のような笑みを浮かべて、ちょこんと可愛らしく首をかしげたのである。

「やっぱナイショ!」
「……は……?」

 力が抜けたように声を発した白波は、不審げに恵玲を見る。しかしそんなのはお構いなしに含み笑いをした恵玲は、再びやや強引に彼の手をつかんだ。

「次行こ、次っ」

 そうスキップするような声で言った恵玲は、水槽に群がる人たちの間をうまくすり抜けていき——

 不意に耳に飛び込んできた会話に、心臓が止まりそうになった。



「はぁっ!? じゃあまた扇たちが任務に行ったのかよ!?」
「影晴の命令なんだからしょうがないよー。それに僕らの能力は戦闘向けじゃないんだから」
「オレ様は能力無くたって戦えるっつーの!」



 ——……“任務”!? “能力”!?

       ——“影晴”!?


 自分の属する組織のキーワードとも言えるような単語の連続に、恵玲は背筋が凍るような思いがした。理解よりも思考よりも先に、糸で強く引かれるように後ろを振り返る。一瞬、乱れに乱れた黒髪と、逆に一寸の乱れも無く綺麗に整えられた栗色の髪が視界に入り、すぐに人混みに紛れて見えなくなってしまった。
 考えるよりもまず追いかけようと足を踏み出しかけた恵玲の腕を、誰かの手が強く引っ張る。振り返ると、白波が予想外にはっきりとした動きで首を横に振っていた。

 基本的に他グループとの対面は禁止。そう言われて、何の抵抗も無く受け入れてきた。だがこうして彼らの存在を肌に感じるだけで、声をかけたくなってしまう。仲間が増えた、と希望を感じて悦に浸ってしまうのだ。

 恵玲は冷静になって、今の2人を記憶から追い払おうと左右に頭を振った。もちろんそれだけで消えるわけはないのだが、一時的であれば十分にごまかしは効く。
 時機を見て手を離した白波は、ただ黙って恵玲を見つめている。

「白波くんってさぁ……」

 先程の2人から思考をそらすためにも、恵玲は意識的に話題を作り上げた。

「どうして銃もあんなに使えるの? 能力“風”なのに」

 さして深い意味はない。完全なる思い付きだ。
 白波も、ただ事実のみを告げるように淡々と答える。

「能力じゃなくても鍛えればどうにかなる」
「じゃあやっぱ素であのレベルなの!? すごいなぁ……っ。あたしも銃使えるようになろうかなぁ……」
「いや、それは……」

 珍しくひきつったような声を出した白波に、恵玲はつい笑ってしまった。彼女の裏の無い笑い声が、閉ざされた空間でわずかに反響している。それを戸惑った様子で見ていた白波は、やがてふいっとそっぽを向いてしまった。