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Enjoy Club 第6話『衝撃の刻(とき)』(12) ( No.599 )
日時: 2010/11/03 20:24
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: 7TIkZQxU)


 白波は例の豪邸に向かっていたと思われる足を止めると、すぐにズボンのポケットから黒い携帯電話を取り出した。そしてほんの5秒足らずいじっただけで再びそれを元の場所にしまい、何事も無かったかのようにこちらに向き直る。
 それを眉をひそめて見つめていた風也が口を開く前に、顔と同様無感情な声音が短く尋ねた。

「どうしてこんな所にいる」

 口を閉じたまま、風也は品定めするような目つきで白波を見る。対して白波は1ミリたりとも表情を動かさずに、2、3メートル離れた位置で無造作に突っ立っていた。

 しばらくの間本当のことを言おうかどうか悩んでいた風也は、長い思考の末、ゆっくりと息を吐いて右手で前髪をかき上げた。ふとそっぽを向いて、

「……恵玲を追って来たんだよ」

片手をポケットに突っ込むという無防備極まりない体勢で、そうぞんざいな口調ではき捨てる。

 頭上を覆っていく黒く分厚い雲が、彼らに暗い影を落としていく。

「どういう意味だ」

 今まで全く動かさなかった顔にようやく不審の色を浮かべて尋ねる白波に、風也はもどかしそうにくしゃくしゃと髪をかき混ぜた。目を閉じて、短い眉を寄せる。そして言いにくそうに、しかしはっきりと明確に先ほどの台詞を言い直した。

「E・Cの集まりに来た恵玲をつけて来たって言ったんだ。そこに見える屋敷にこの間の銀髪の奴とかも皆集まってんだろ?」

 今度こそ、
 白波は驚愕に目を見開いた。その低い声に明らかな焦りの色がにじむ。

「知ってるのか、恵玲のこと……」
「あぁ。でも、安心しろよ。知ってるのはオレだけで、亜弓は何も知らねぇ」

 風也は落ち着いた声でそう言って、ゆっくりと目の前の長身の青年と目を合わせた。未だに動揺の色が残る瞳。以前のほとんど揺れを見せなかった暗い瞳と無意識に見比べて、風也はつい口元に小さく笑みを浮かべていた。
 そして直後、ようやく緊張感を呼び起こして体に芯を通す。このままここを通してくれるだなんて考えていないし、彼自身まだこの状況で屋敷に乗り込むかどうかを決めかねている。ここはとりあえず相手の出方を伺おう、と目を光らせて、彼はじっと白波の様子を見つめていた。その口元には、つい今しがたの微笑とは違う、好戦的な笑みが薄く刻まれていた。

 果たして白波は、ようやく状況を整理できたのか、元通りの無表情で風也を見返した。そして何も言葉を発さず、無造作に長い右腕を持ち上げたのだ。風也が反射的に片足を半歩下げるのと同時に、白波の右手に瞬時に空気の渦が生じていた。もちろん目に見えているわけではないが、シューシューと空気を切るような乾いた音と、高速で回転しているためになびいている白波の服の袖や黒髪で、容易に想像はついた。

 ——……そりゃあこうなるよなぁ……

 苦笑に近いものを浮かべ、風也はあえて体から力を抜く。屋敷に乗り込んでやりたいという気持ちはあっても、彼とやりあう気なんてさらさら無いのである。
 どの程度本気なのかは分からないが一応臨戦態勢をとっている白波は、そこで眉間に濃く皺を刻み目を細めてこちらを見てきた。わずかに疑念ののぞく声音で、絞り出すように言う。

「どうしていつも、何もしない……?」

 それは、はたから見れば酷く漠然とした問いかけだったに違いないが、風也には十分にその真意が伝わっていた。
 きっと以前の小松家でのことを指しているのだろう。あの時も……そう、今と酷似した状況だった。一寸の迷いも見せず風也の額に銃を突きつけた白波と、その状況下においても敵対感情を見せずに無防備な体勢のまま抵抗しなかった風也。今も気が付いてみれば、その時とほぼ同じ構図だった。
 ——“なぜ”。風也は白波の疑問を頭の中で反芻しながら、驚くほど穏やかな表情をその色白の肌に浮かべていた。

「なんでだろうな……」

 凪いだ声で問い返しながらも、彼自身の中で感覚的な答えであればとうに出ている。
 彼は白波の暗い色を灯した瞳を何かを見透かすかのように見つめ、ゆるく唇を噛んだ。その瞳から紛れもない“ある”感情が、風也の心に流れ込んでくるようだった。

 ——……似てる

 目を細めて神妙な顔つきで白波を見る。当の白波はただ不審げに眉根を寄せて、右手で能力を発したままじっと見つめ返すばかり。

 そのまま緩やかに沈黙が流れ、双方どう行動をとるべきかを割合ぼんやりと考えていた。

 ——その時である。

 白波がふと目を瞬いて、仰ぐように屋敷の方を振り返ったのだ。まるで遠くから微かに自分を呼ぶ声が聞こえてきた、というような動作だった。しかし彼が右手に発する空気の渦の甲高い音しか聞こえていなかった風也は、怪訝そうな顔つきで彼と屋敷とを交互に見やった。
 そして白波は少しの間躊躇うように目を伏せた後、何の説明も無しに能力を解いたのである。空気を切るような音が霧散して無くなり、辺りは再び不気味な静けさを取り戻した。

 意図が全く読めずに困惑する風也に、抑揚のない低音が短く告げた。

「“通せ”と命令がきた」
「——は!?」

 あまりに文脈のない予想外な言葉に、思わず声を上げる風也。納得のいかない顔で、ザッと一歩踏み込んで疑問を投げつける。

「命令って……誰から! 今お前屋敷の方見ただけじゃねぇかっ」
「……俺は先に行く」

 噛み合わない会話。白波には全く答える気が無いらしい。

 唖然とした表情で見つめる風也の横を、白波は淡々とした様子ですり抜けていく。風也は正面を向いて立ち止まったまま、わけのわからない展開に唇を噛んでいた。そしてちょうど、2人が無言のまますれ違った直後。

 はたと、白波が立ち止まった。
 風也は振り返らない。思考を鈍らせる混乱に飲み込まれないように、ただじっと体を固くして背後の気配に意識を向けている。彼らの間を、痺れるような緊張が走った。

 この静寂で無ければ聞こえないほどの微かな声で、白波は囁いた。


「——天銀には気をつけろ」


 弾かれたように顔を上げ、目を見開く風也。

 その後ろで再び一定のリズムを踏み始めた足音は、徐々に徐々に遠ざかり、しかし脱力するほどにあっさりと消えていった。
 その頃にはもう、鈍色の雲が、空一面をわずかな隙間も無く塗りつぶしていた。