コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Enjoy Club 第7話『友を取り巻くモノ1』(1) ( No.721 )
- 日時: 2011/01/08 10:22
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: 1/l/Iy6H)
目の前で開け放たれた扉。その先に広がる大きな部屋。足元から一直線に伸びる品のよい赤い絨毯。扉から2、3メートル離れた、その絨毯に立つ、
——荒木恵玲。
ともすればぐらりと揺れて倒れてしまいそうな体を、私は足を踏ん張ることでどうにか耐えようとした。が、その肝心な足すら力が入らず焦りに顔が歪む。直後、ふわりと体が宙に浮くような妙な感覚を覚え、同時に視界が傾きかけ……
不意に強い力で右の二の腕辺りをつかまれた。視界が赤い絨毯が映った状態でようやく固定される。
「大丈夫か、亜弓。……って、大丈夫なわけねぇよな」
耳元で風也の自嘲気味な声が聞こえ、私のわずかに開いた口から「あ……」と気の抜けた声が漏れた。彼に支えられている右腕に意識をやると、ようやく目が覚めたように体に芯が戻る。すぐに自分の足で立って彼にお礼を言うと、私は顔を上げて再び正面に視線をやった。
揺れる大きな黒瞳。眉はつらそうに歪められ、小さな唇は息を大きく吸いこんだままに開かれている。整った顔を包むのは真っ黒な肩までの髪。全体的に小柄な体型で、スタイルのよい非常に女の子らしい子だ。
私の目にはもはやその子しか映っていない。何を言うでもなく、じっと、ただじっと親友の顔を見つめ続けている。魂を抜かれたように色を失ったその顔を。
ふと、私の頭の中である出来事がよみがえってきた。それは数十分前、部屋で電話を通して交わした風也との会話——……
——『恵玲が、E・Cの本拠地に入っていくのを見た』
その言葉を聞いた時、一瞬思考回路がストップした。……いや、一瞬どころではない。今だってきっと停止したままだ。普段意識もしていないくせに、まるで空気の流れが止まるようなそんな感覚を覚え、そのことにぞくりと背筋を悪寒が走った。しっかりと握っているはずの携帯電話がするりと手から抜けそうになるのにも気付かずに、ただひたすら先程の台詞を頭の中で反芻する。そしてそれを繰り返せば繰り返すほど寒気はつのってきて、私は部屋で1人ぶるりと体を震わせた。
寒い。——どうして? そうだ、急に空気の流れが止まったみたいに辺りが静まり返ったからだ。——どうして静まり返ったの? それは、風也が……。
ゆっくりと瞼が上がっていく。焦点が定まり、一気に視界が明るくなる。
考えるよりも先に、言葉が飛び出していた。
「私も行きますっ」
脈絡がないといえばない台詞だったが、この時ばかりは彼にも伝わっただろう。それまで家から出るのを躊躇うくらい不気味に感じていた分厚い黒い雲なんかあっという間に頭の隅に追いやられ、あるひとつの事柄だけが私の頭を埋め尽くしている。埋め尽くしているだけで、深くそのことについて考えていたわけではなかったが。ただ、行かなくては、と。行かなくちゃいけないと、何かにせきたてられたように発した台詞だった。
目に映る光景はしっかりと色を成している。声もはっきりと耳に届く。自分の言っている言葉もちゃんとわかっている。自分の足が床を踏む感覚もちゃんとあるし、携帯を握る手にも今は力が入っている。
それなのに、相変わらず頭の中は真っ白だった。“荒木恵玲が闇組織のメンバー”。そこから思考が全く進まなかった。
そんな私に対して、風也は電話口で明らかに焦りをにじませた声で言った。
『いや、お前は来ない方がいいっ。てかオレ今からそっち行くから! マジ今言ったことは忘れろっ』
普段は比較的落ち着いた、どちらかというと冷めた口調の彼が口早にそうまくしたてるのを聞いて、私はつい目を丸くした。ついで幾度か目を瞬き、自分でも違和感を感じるほどの落ち着いた声音で返す。
「なんで行っちゃまずいんですか……? すごく気になるんですけど」
本当に落ち着いているときに思い返したら、きっとこの台詞には首をかしげたくなるだろう。このときの私は自分の状況が、恵玲の状況が全く理解できていなかった。それだけ混乱していたのだ。混乱していたくせに、行かなくちゃと何かが私の中でせかすのだ。
もちろん彼にも、『そりゃあまずいだろ……。恵玲的にお前には特に極秘なんじゃねぇの?』と言われてしまう。自分が言えた台詞じゃないが、とも付け足していたが。
しかしこのときの、“極秘”という言葉は、なぜか見えない痛みを伴って私の心を突き刺していた。そこだけ声量が大きくなったように、私の耳にずんと響く。
「……それでも行きます」
そう宣言した声には、自分でも驚くほど妙に決意がこもっていた。そして同時に、風也も電話口で息をのむのが空気から察せられた。
少しの間、沈黙が流れる。しかし、沈黙が流れているというつらさは全く感じない。10秒近くどちらも口を開かなかったというのに、私にはその3分の1ほどの時間にしか感じられなかった。その間私はずっと、睨むように部屋の壁を見つめていた。ところどころ予定の書き込まれたカレンダーがかかっている壁を。
たっぷり間を開けた末に、風也が諦めたように息をつくのが分かった。その一瞬だけ、空気が一気に緊張する。
『……わかった』
彼は低く固い声でそう言った。
『そのかわり、何が起こるかわかんねぇからオレから離れるなよ』
了承の返事を返しながら、頼もしく頷く。この時点で本当に理解できていたのは、彼のこの台詞だけだったような気もした。