コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Enjoy Club 第9話『混乱の夜明け』(3) ( No.949 )
日時: 2011/04/19 21:13
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: st6mEGje)

 午後もうつらうつらしながらどうにか1時間化学の意味不明な計算に耐えた私は、床にペタッと女の子座りをし、上半身をベッドにうつぶせて仮眠をとっていた。春のやさしい木漏れ日を体の内にあたためているような、天にものぼりそうな心地良さ。それを満喫しながら、夢の世界に今にも落ちそうで落ちないもどかしい感覚を、どこか遠くから見るような不思議な気分で楽しんでいる。小さな窓から部屋の中を、そして私の丸めた背を照らす日差しが、またいい具合に温かい。眠るには極上の環境だった。
 先程まで勉強を教えてくれていた風也は、本でも読んでいるのだろう。時折ページをめくるときの紙をこする音が聞こえてくる。あるいは私の教科書に目を通しているのかもしれない。そんなことを頭の片隅で考えながら、私の意識はさらに深いところに落ちていく。再びページをめくる音。まるで子守唄のような、耳に心地の良い、音……。

 ——不意に。
 ぼふっと耳元で鈍い音が破裂するとともに、後頭部に柔らかい衝撃があって、私は顔をしかめうっすらと瞼をあげた。組んだ両腕に右頬を押し付けたまま目を横にずらしていく。しかし頭の上に綿か何かが詰まったものがのっているらしく、薄暗くて何も見えない。のろい動きで頭の上の物体をどかすと、それはベッドの脇に置いてあったはずの、枕だった。幸せな眠りを妨げられ憮然とした顔で後ろを振り返った私の目に、夏物の涼しげなミニスカートが映った。

「随分元気そうじゃん、亜弓」

 何を基準に“元気”だと判断したのかはともかくなぜかひどく懐かしい声。視線を上に持ち上げると、腕を組んだ仁王立ち姿の恵玲が視界に入ってきた。
 肩口までの黒髪。強い意志を感じる大きな黒瞳。なぜか久しぶりに見たような気がするその印象強い瞳を、私は寝ぼけ眼でしばらく見つめていた。それを見て何やらす……と目を細めた恵玲は、それから何かを言いよどむように唇をもぐもぐとさせた。その半端にためらう様子が珍しくてちょっと目の覚めた私は、ちゃんと上半身を起こして乾いた目を何度も瞬く。次第にかすんでいた視界が鮮明になっていく。そして、なぜここにいるのか尋ねようと口を開きかけたのと同時に、横から独り言に近い呟きが漏れた。

「突然出てきて枕ぶつけるか、普通」

 風也である。勉強机に肩ひじを乗せこちらに半分体を向けている彼は、偉そうな姿勢を崩さない恵玲をしら〜っとした目で見ている。そんな彼を横目で見返す恵玲。それから彼女はくじける様子も反省する様子も見せず、むしろ調子に乗って口端を釣り上げた。傲慢にさえ聞こえる自信に満ちた声で言う。

「あたしが家に来たことにも部屋に入ってきたことにも気付かないで、グーグー爆睡してる亜弓が悪いっ」

 恵玲がいかにも言いそうな台詞だったのでペタンと床に座ったまま恨めしげな目を向けてやると、不意に彼女は表情を一変させた。思わぬ真剣さで、真っ直ぐにこちらを見返してきたのである。私はつい慌てて居住まいを正してしまった。乱れたストレートの茶髪もそのままに、わずかに頬を強張らせて彼女を見る。風也も、突然纏う空気を変えた恵玲に注目しているのが、気配から察せられた。

 冗談の欠片もない瞳でしばらくの間穴が開くほどに私を凝視していた恵玲は、数秒後ふと息をもらして目をそらした。安堵の息のように、私には聞こえた。

「あんた……大丈夫なの?」

 思わぬ問いかけに、思わず「え?」と聞き返してしまう。体調は勉強しすぎでちょっと疲れてはいるが心配されるほどのものでもないし、今寝ていたのも字を見すぎて眠くなっただけだ。心配されるようなものではない。まして怪我なんて、この間椅子からひっくり返ってあざっぽくなって以来——……。
 無意識に、右手を額に当てる。自然と首が傾いだ。

 ——……ひっくり返って……あの後どうしたんでしたっけ?

 母親がつかみ損ねた弟の洗濯物。風に乗って宙をさまようシャツにつられて、私は背を前にして座っていた椅子から身を乗り出したのだ。当然椅子は後ろに傾き、直後視界が上下逆さまになった瞬間、そこまでは覚えている。その直後からのことが、霧がかかったように霞んで思い出せなかった。

 納得のいかない顔で盛んに首をひねる私に、恵玲が緊張した面持ちで「どうしたの」と疑問符のつかない問いを投げかける。その声には返答を強要させる強さがあった。もちろん隠す気はさらさら無くその不可解な事を語った私は、話した直後再び首をかしげてしまった。しかし恵玲は眉をピクリと反応させただけで特に表情は変えない。それどころか冷めた口調でばっさりとこう言い放った。

「どうせ記憶力足りなくて忘れてるだけでしょ」

 瞬間、さすがに何か言い返そうと口を開くが、悔しいことに言葉が出ない。目を怒らせて口を開いたり閉じたりを繰り返した私は、すぐにあきらめて口を閉じた。どうせ風也もこっそり笑ってるんだろうと唇を尖らせて彼の方を見ると、なぜか彼は何かを考え込むように虚空を凝視していた。すぐにこちらの視線に気が付き、「なんでもない」と平静な顔に戻っていたが。
 なんだか変な空気が流れたところで、恵玲がさらにそれを助長させる。

「具合悪いとかは無い? 頭痛いとか」

 目が点になるとはこういうことを言うのだろう。私は思わず、まじまじと恵玲の顔を見つめてしまった。相当に具合が悪いときならまだしも、あの恵玲がいつも通りの私に身を案じる声をかけるとは。
 つい、戸惑いを隠せないまま反笑いな声で言ってしまった。

「恵玲こそ熱でもあるんじゃ」

 皆まで言わせず、
 先程の枕が、今度は顔面に命中した。

「心配して損した」

 突然の衝撃に目を回す私の耳に、怒り半分呆れ半分の声が聞こえてきた。