コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

第二章 ただ誰も傷つけたくなくて (4) ( No.35 )
日時: 2011/04/01 21:20
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: rLJ4eDXw)



楓はやっと準備が終わり、由羅が待っている玄関へと降りて行こうとする。しかし、自分の部屋を出ようとした瞬間ぴたりと動きを止め、ベッドに近づいて行ってしまう。そして、そっと手を触れたのはベッドの脇に立てかけてあった“長剣”だった。楓は濁ったような翡翠の瞳でじっと見つめていた。

「楓、準備出来た? そろそろ行くよ」

 由羅が一階から落ち着いた声を張り上げて、楓を呼ぶ。楓はその声に反射したように長剣から手をぱっと離してしまう。そして顔を俯かせ、唇をわずかに噛む。

「今、行きますね」

 楓は表情を一瞬だけ明るくして答える。しかしそのあとは、先程と同じような顔つきになり瞳は視点が定まっていなかった。そして迷いを吹っ切るかのように、乱雑に右手に長剣を掴み、部屋を走って出る。階段もその勢いで軽やかに降りるため、足音はあまりしなかった。そのためか由羅は玄関にある窓から晴れ渡る空を、口元を緩ませ眺めていた。

「遅くなってすみません」

 楓は玄関に駆け寄りながら、自分に気づいていない由羅に声をかける。楓の声で気づいたのか、視線を窓から楓へとうつす。そして楓を見るや、直ぐに藍色の瞳が曇り、唇がきつく結ばれていく。しかし直ぐにさっきと同じような、口元に戻る。でも何故か目尻を吊り上げ瞳は鋭く、楓を冷たくうつしていた。そして視線を玄関へと向ける。

「その長剣は何? 昨日も言ったけど、俺を守るためならいらない」

 重々しく開いた口からは、予想以上の冷たい声、突き放すような言葉、目の前にいるのは楓の知らない“由羅”。昨日の由羅と今の由羅が重なる。楓は昨日と同じように唇が乾き開かなかった。唇の隙間から動揺の吐息がもれだす。

「その長剣……持ってても良いけど絶対鞘から抜くなよ。いいな?」

「は……はい」

 念を押すが少し諦め、吐き捨てたような言い方になる。楓は間を空けないが、由羅にかろうじて聞こえるくらいの声で承諾する。楓は初めて本当に人が“怖い”と思ってしまった。その瞬間、“右目”が疼き、ふさがっていない左手で眼帯の上から抑える。思わず「くっ……」と、言葉がもれてしまい、しゃがみ込んでしまう。その声に気づいたのか、由羅が振り返る。

「楓、どうしたの? 大丈夫か」

 楓の耳に届くのは低く大人びているが、少し動揺しているような声。楓は顔を上げ、左目にその表情もうつす。心配そうに見つめる瞳は視線が左右に動き、息遣いの荒さも分かる。楓は手で制し、少しよろけながらも立ち上がる。まだ少し疼くようで右目を抑えている。

「大丈夫です。それより行きましょう!! マスターが連れていってくれる所、楽しみなんです」

 由羅に明るい声でそう言いながら微笑みかける。由羅はまだ心配そうに眉を潜めていたが、しばらくすると安心したかのように表情を穏やかに戻す。何を言っても楓は言うことを聞かないだろうと由羅は思った。そんな由羅の顔を楓はいつまでも見ていた。

「それじゃあ行こうか。でも無理はしないように」

 念を押しつつも、玄関のドアノブに手をかけ、庭へと出ていく。由羅が視界から消えたのを確認すると、左目から涙が一滴頬をつたい、床へ落ちて小さくピチャンと弾ける。楓には考えても考えても分からなかった。由羅の心の奥底にある靄に触れる度に彼をどんどん遠くに感じてしまう。一緒に過ごして、楽しんで泣いたり笑ったり怒ったり、ただ“守りたい”だけなのに……右手にある長剣をギュッと握りしめる。八年間の思いが今、霧のように消えて無くなろうとしていた。しかしまだ諦めきれない思いが、約束が楓にはあった。長剣を肩にかける。楓も後を追うため、いつものお気に入りの靴に足を入れた。

「お庭、お花でいっぱいですね」

 カスタードクリーム色の髪を靡かしながら、楓は花壇に咲いているピンク色の花に笑顔で手を触れた。由羅はその光景を満足そうに見渡していた。

「この花壇は母上が大切にしていたんだ。今は俺がお世話してる」

 由羅が表情を崩さずに道路へと続く小道を歩みながら言う。楓は花から手を離し、由羅の後ろを歩んでいく。楓の面差しは陰り、迷いながらも由羅に聞こえないように呟く。

「“していた”? やっぱりマスターのお母様は……」

 そんな触れてはいけない事を考えてしまい、楓はぶんぶんと勢いよく頭を振り、冷やす。そして早々と道路の方の道へと行ってしまった由羅の小さく、今にも見えなくなってしまいそうな後ろ姿を、迷いと不安を持ちながらも追って行った。