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第二章 ただ誰も傷つけたくなくて (5) ( No.38 )
日時: 2011/04/05 19:59
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: rLJ4eDXw)



楓は路面電車の中から外の景色をぼんやりと、座りながら眺める。車内は土曜日だと言うのに人が疎らにしか乗っていなかった。線路と電車のタイヤが擦れると、時々キィキィと音を鳴らしていた。電車がゆっくりと揺れる度に、楓の体もあわせて揺れる。楓はちらりと一瞬だけ心配そうな視線を由羅のほうに向ける。

「マスター……本当に、一緒に住んでも良いんですか?」

 手摺りに腰をもたれ掛かりながら、楓の右側に立っていた由羅は苦笑いをする。視線は窓の外の景色を見ていたが、横顔でもそれは分かった。

「何度も言うけど大丈夫だよ。あの家は俺一人で住んでるようなものだし」

 楓を安心させるように実に落ち着いた声で話す。しかし、楓は無言になってしまい、少しだけ微笑みながら頷くだけだった。楓はいつまで“嘘”を突き通すのかと由羅の心境を考えてしまう。由羅は気づかれていないと思っているのだろうか。楓はそんな由羅をいつのまにか、じっと見つめてしまっていた。楓の視線に気がついたのか、由羅が顔を楓のほうに向けようとする。しかし停留所を知らせる、若い男の人のアナウンスが車内に響き渡った。そのおかげで由羅は動作を止め、視線を窓に向けた。楓は内心で、安堵の息をもらしていた。

 視線を外の景色に向ければ、辺りは家や小さなお店がちらほらと建ち並んでいるくらいであった。乗ったばかりの頃は家やビル、デパートなどがぎゅうぎゅう詰めに建ち並んでいた。楓にとっては今、自分の瞳に写し出されている自然が多く感じられる景色のほうが好きらしく、口の端をきゅっと上げながら眺めていた。

「マスター、席空いてますし座りましょうよ」

 いつのまにか由羅のほうに視線を向けていた楓は、自分の左側の空いている席を手でアピールする。しかし由羅は、楓に促されても首を横に振り座ろうとはしなかった。楓が何でですか?と聞こうとした時だった。楓達が降りる停留所の名前がアナウンスで流れる。由羅は自然な動作で体の正面をドアに向ける。

「もう着くから大丈夫だよ」

 顔だけを楓に向けながら頬を緩める。楓は忘れていたと言うように、笑っていた。楓も座席からゆっくり立ち上がり、由羅の横に並ぶ。段々と電車の速度が遅くなり、止まりだす。電車が止まった反動で手摺りに捕まってなかった楓は、よろめいた。しかし直ぐに体制を持ち直し、由羅の隣に並び、自分と由羅のドアに写し出されている姿を眺める。そんな初めての体験に楓は、ドキドキしながらも楽しんでいた。

 ドアが錆びれた音を響かせながら、ゆっくりと開く。全部開き終わると由羅は、路面電車に設置されている地面へと続く階段を降りていく。楓も後を追い、これから行く場所を楽しみにしていた。

 楓も由羅の後に追いつき、隣に並ぶ。すると楓がいきなり「あっ!!」と声を上げる。由羅は隣で驚いたように目を丸くしていた。

「マスター、お金払ってませんよ」

 楓が困ったようにうろたえる。そんな楓の様子を由羅はぽかんとした表情で見ていたが、しだいに優しい笑みへと変わっていく。

「大丈夫。楓が追いつく前に俺が二人分払っておいたから」

 由羅はニコッと楓に微笑みかけ、歩みを進める。それを聞いた楓は胸を撫で下ろしホッとした顔を見せる。

「そうなんですか……良かったぁ」

 楓の口からは無意識に内心思っていたことが出てしまう。辺りを見回せば、これといった建物はなく、家がぽつんといくつかあるくらいだった。由羅は目的地へと向け、歩いているのだがその方角の先は全く建物もなく、人も見当たらない。楓はついつい不安になってしまい、きょろきょろとしてしまう。隣にいた楓の異変に気がついたのか、由羅は悪戯をした男の子のような笑みを見せる。

「後少しで着くから。……秘密の場所に」

 由羅の笑みに、楓は眉をひそめ戸惑いながら頷く。どんどん歩んで行けば、家がさらに少なくなりコンクリートではなく砂利道になる。道幅も狭く、由羅の後ろを楓が歩く。視線を道脇に向ければ雑草が覆い茂り、所々にはオレンジや紫の小さい花が見られる。

「なんだかドキドキしてきちゃいました」

 自分の胸に手をあてながら、楓は由羅の後ろ姿に視線をやる。しかし由羅は口を開かず、走り出す。楓は驚きながらも小走りをして由羅を追いかける。しだいに砂利道もなくなり、雑草に覆いつくされている。すると小さい丘のような場所に出る。そして由羅が立ち止まっている場所に楓も並ぶ。

「……どう? 気に入ってくれた?」

 由羅は視線を“それ”に向けたまま楓の反応を待つ。楓はもう開かないと言うくらい、瞳を見開き見つめている。

「黄色い“桜”!! 凄い……輝いてるみたい」

 楓は驚きながらも満面の笑みを見せる。由羅もそんな楓を見て、安心したように、瞳を伏せる。
 この瞬間、風が心地好く吹き渡り、金色に輝く桜を奮わせる。青空と風と桜が程良く混ざり合い、最高のシチュエーションを演じていた。