コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

第二章 ただ誰も傷つけたくなくて (6) ( No.39 )
日時: 2011/04/09 21:29
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: rLJ4eDXw)



金色に輝く桜の花を呆気にとられながら楓は見つめていた。口を開く事はなかったがその面差しからは綺麗な笑みが見られた。それはいつもよりずっと大人びていた。由羅は桜を眺めつつも、横目ではそんな楓をついつい見つめてしまっていた。楓が瞳を閉じ、肺の奥いっぱいまで澄んだ空気を吸い込む。そして瞳を開くと、桜の花々で作られた木陰へと寄って行き大木に触れる。その様子を視界にとらえた由羅もゆっくりと近づいて行く。

「この桜の木、大きいですね」

 楓は大木を優しくさすりながら口を開く。そしてもたれ掛かるようにして、目をゆっくり閉じる。由羅は楓の横に来ると、顔を俯かせ、黙り込む。楓は隣に人の存在を感じたらしく、目を開きぱちくりとしていた。由羅の表情は分からないものの、仕種だけで何か思い出しているのだと感じていた。

「俺は…………!!」

 由羅が話し出そうとした時だった。由羅の瞳が見開かれ、表情は緊迫さを表していた。楓はその様子にいち早く気づき、由羅の視線の先を追った。そして直ぐに楓の表情も、驚きの色へと変わっていく。

「マスター……あれは何ですか!?」

 楓が驚きと唖然さが入り混じった声で呟く。丘の上から少し先を見渡せば、由羅の家がある場所からは少し遠い町並みが壊されているのが分かる。人々は逃げ惑い、混乱している姿も目につく。そしてその悲劇の中央にいたのは……“魔獣”だった。その姿は虎の原形をかろうじて留めているものの、魔力と融合されたためかとても大きく、鎧のような物で体を覆っていた。暴走しているらしく、辺り構わず目の前にある“存在”(もの)を壊していく。

「このままじゃ…………マスターはここにいてください。私は魔獣を止めてきます」

 楓は走りながら振り返り、手短にそれだけを告げると、今来た道を戻ろうとする。しかし、そんな楓の行動を由羅が許すはずがなかった。由羅は俯きながら楓に駆け寄り自分の右手で、細い左腕を思い切り掴む。情景反射で楓は驚いたように勢いよく振り返る。

「もう俺の言葉忘れたの? 命令だ、ここにいろ」

 由羅の声は楓の耳に届いたなかで一番低く、怖かった。決して自分の言った事を変えない……そんな決意もこもった声だった。楓は何も答えられずに俯いていると、腕を掴んでいる由羅の手の力がどんどん強くなり食い込んでくる。楓は視線を腕へと向け、痛いらしく顔を少し歪める。しかしどんなに痛くても、首を縦に振ろうはとしなかった。

「…………ごめんなさい。“守れない”なんて、私には無理なんです。だから私はマスターの命令に従えません」

 楓はその体制のまま深々と腰を折る。由羅はいつまでも頭を上げない楓に、冷たい視線を投げ掛けていた。

「なんで……なんで俺の周りの人達は無茶ばかりするんだよ。」

 由羅は少しだけ手の力を緩ませ、いつになく寂しそうな声になる。楓は「えっ?」と一緒驚いたように声を出してしまう。由羅は楓の反応ではっとした顔になり、視線があった楓の瞳とそらす。楓は意味が分からないらしく困惑した面差しを覗かせている。由羅はそんな楓を見ても唇を結んだまま、開こうとはしない。そんな無言の時間が数分続くと思った時だった。

「大丈夫ですよ。私は……“死んだりしません”から」

 楓はにこやかに微笑みかけ、由羅の右腕に自分の右手を触れる。由羅は瞳を少し潤ませながら、楓をじっと眺める。楓はもう一度、由羅に「大丈夫ですから」と告げる。由羅は諦めたのか力無く腕を掴んでいた手をゆっくりと離す。楓由羅の右手から右手を離し、その手で肩にかけた刀に触れる。由羅はどっと深くため息を吐き、少し困ったように微笑む。

「主の命令に従わない騎士っているんだな。でもこの命令には必ず従え……絶対に“死ぬな”」

 由羅はにニカッと笑いかけ、楓の頭を優しく撫でる。楓は瞳の奥まで見開き嬉しそうに頷く。そう……これが初めて見た由羅の作り笑いではない“笑顔”だった。まだ少し表情は硬いものの、十五歳の少年らしい笑みだった。楓は足を揃え、由羅の真っ正面に立ち向き合う。

「分かりました。必ずやもう一度マスターの側に戻ります」

 楓がまたペコッとお辞儀をすると、由羅は表情を引き締め力強く頷く。楓は頭を上げると迷いもせず、今来た道を走って戻っていった。楓の後ろ姿が見えなくなると由羅は丘の上から、魔獣の姿を憎らしげな目で見ていた。
 そして何の前触れもなしに、右手を上げ空を握り締める。しかし次の瞬間に開いたその手の平には白く輝く小さい何かが浮いていた。由羅がその光景に少し頬を緩ませるとそれは消えてしまっていた。そして目を閉じ深呼吸をゆっくりする。目を開いた時の由羅の顔は、とても神々しく、瞳には一天の陰りもなく決意に満ち溢れていた。

「この力が役に立つかもな。だったら俺も行かなきゃ…………誰も奪わせない」

 由羅は振り返り楓の後を足取りを大きくしながら追って行った。輝かしく咲き誇る黄金の桜は二人の救済者の後ろ姿を、最後まで見届けていた。