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第二章 ただ誰も傷つけたくなくて (10) ( No.47 )
日時: 2011/05/09 19:38
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: 9nQU0Vbj)



「待っ……て、下さ……い」

 由羅はその声を聞くと立ち止まり、楓の横に片膝をついて座るも楓の視線から逃れたいかのように楓の両手を握りしめ、顔を俯かす。予想をはるかに上回る言葉を聞いた楓は、こんな状況にも関わらず瞳が飛び出しそうなくらい開け、呆然と由羅を見つめていた。そして何か言いたそうに口を開こうとするが、魔獣の攻撃で唇が切れたのか声を出そうにも痛くて出なかった。由羅は顔を上げ、一瞬だけ楓と目があってしまう。そんな痛々しい様を見た由羅は言いたい事は分かっているという風に手で制す。

「詳しい事は後で話すから、楓は休んでろ」

 由羅は楓の両手を包み込んでいた自分の両手を優しく話すと、今度こそ魔獣の元へと走って行った。

「気を……つけて下さい、ね」

 楓は小さい声をなるべく張り上げて、由羅の後ろ姿へと言葉をかける。そのせいで唇は切れてしまったらしく、血が滲みだすが楓は気にしなかった。その声が由羅に届いたのかは分からなかったが、楓の瞳には手を軽く振っている由羅の姿が映し出されていた。その光景を見た楓は少しだけ顔を綻ばせ、そのまま意識を失った。

「……もう誰も傷つけさせない。母上と父上に誓ったあの日から」

 由羅は暗示のように呟き、魔獣の目の前へとキリッとした目で突っ立つ。魔獣は瀕死状態ではない“獲物”を前にしてなのか、赤い目を寄り一層血に近いような色に変え、ぎらぎらとなめ回すように見つめていた。しかし由羅も負けず劣らず、睨みつける……殺意のこもったような輝きをしていた。

「……俺はお前を許せない。魔術者が悪い事なんて分かってる……だからお前から魔力を消す。」

 由羅は右腕を空へと突き上げ、手の平を開くとその上に薄い白く透き通った物が集まって来る。それは由羅に導かれやがて球体へと変化していった。由羅はその様子を見ても表情は微塵も変わらず、ただ憎しみへと注がれていた。

「陽の魔術解放!! 陰の魔力を消す事を主の名において許可をする……消失魔術ロスト」

 由羅が魔法を発動させる術を唱えると、手の平にあった球体は大きく長い竜のような姿へと形を変え、魔獣へと向かっていく。その姿は神々しくきらびやかに白い光を発し、体をうねらせながら魔獣の体へと入り込む。魔獣には竜をかわす時間もなく、簡単に侵入を許していた。竜の尾まで魔獣の体に入り込むと、魔獣の下に魔法陣が広がり結界が四方にはられる。

「……発動!!」

 由羅の掛け声と共に魔法陣が光を帯び、魔獣の体から黒い靄が溢れ出てくる。魔獣は苦しいのか、逃れるために結界を破ろうと体当たりをしていた。由羅は決して綻びる事がないように、魔力を強めつつも一定に注入していた。

「ウゥゥオォォギャアァァ」

 遂に耐え切れなくなったらしく魔獣は悲痛な唸り声を上げている。目には滴が溜まり、顔を覆っている黒い鎧を所々濡らしていた。由羅もだいぶ魔力を消耗したのか額を汗がつたい、少し苦しそうに息をしていた。流石に由羅も魔獣の苦しそうな姿を見て決心が揺らいだのか、さけるように瞳をそらす。だが魔法をとめる事はなく、遂行していた。

「終わりにしよう……ごめんな」

 由羅の口からぽつりとそんな謝罪の言葉が無意識の内にもれてしまう。そしてまだ残っている力を振り絞り、“陰の魔力”を消そうとする。それが……約束だから。

「ダメ!! 魔獣から、魔力を、抜いたら……し、死んじゃう」

 由羅の耳に途絶え途絶えに聞こえてきたのは、死なせたくない人の必死な声だった。楓はあちこち服が破け、血が流れている自分の事を気にせずに、引きずっている左足を庇うように長剣を杖にして由羅の元へと歩んで来る。由羅は驚いたように目を丸くさせながらも楓の元には駆け寄らず、くるりと背を向けてしまう。その行為を予想できていたのか、楓は顔色一つ変えずに止まる事なく由羅目掛けて進む。

「……優しかったあの頃の由羅は、どこに行ってしまったんですか!! 貴方が何かの命を奪うなんて…………そんな姿を私は見たくないです」

 楓は我慢出来なくなったのか、体の痛さも忘れて後ろから由羅に思い切り抱き着く。由羅はびっくりしたように体を少し震わしたが、振り向こうとはせずに空いている左手で腰の位置にある楓の頭を優しく撫でる。楓はその事に気がつくと、自然と由羅から離れる。それ以後何も言葉を発しない由羅を疑問に思い、由羅と正面から向かい合うために左から回り込む。楓が回り込んだ時の由羅の顔はどのくらい泣いたのか、頬全体が濡れていた。

「マスター……私は“生きているんです。”怪我は生きている事が出来れば必ず癒えますから……マスターが何かの命を奪うなんて、絶対にそんな姿見たくないです」

 呆然と立ち尽くし、楓を見つめていた由羅に楓はにこりと笑いかける。そして由羅の瞳から一滴の涙が頬を伝う。

「……ごめん。俺間違ってた」

 由羅は楓をしっかりと見つめると、左の拳で両目をごしごしと拭う。そのせいか、目の周りが赤くなっていた。

「もう休んでもらいたいんですが、お願いがあります。陰の魔術を唯一打ち消せる魔術が一つあります……マスターの陽の魔術で打ち消して下さい。そうすれば魔獣は死にません」

 楓はきっぱりとした口調で断言をする。その事を聞いた由羅は何かを思い出すかのように、天を仰ぐ。

「……分かった。ありがとう、楓。君のおかげで思い出せたよ……打ち消しの魔術ディナイ」

 由羅は冷静になれたのか目元は優しさを帯び、涙は乾き太陽の光があたっても頬が輝く事はなかった。その由羅の様子を見た楓は安心し、微笑む。反乱の地と化していた場所にようやく終わりが見えはじめていた。