コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

第二章 ただ誰も傷つけたくなくて (13) ( No.50 )
日時: 2011/06/05 20:07
名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: NH7CSp9S)


家に着き、昼ご飯と晩御飯を一遍に食べ終えた楓と由羅は疲れたらしく二人して同時に欠伸をする。
 楓にいたっては絆創膏や包帯が体のあちこちを覆っていた。傷が痛むのか顔を少し歪める。目の端に涙を少し浮かべた由羅は、黙ってテーブルに肘をついたまま楓を眺めていた。

「楓の料理美味しかったよ……まだ傷が痛むの?」

 由羅はにこりと微笑む。楓は驚いたように由羅を見て瞬きを数回する。その顔から険しさが消え、微笑しながら口を開く。

「本当ですか!! オムライスは私の得意料理なんで喜んでもらえて良かったです。怪我はマスターが手当てをしてくれたので大丈夫です。ありがとうございます」

 楓は褒められたのがよほど嬉しかったのか照れ臭そうに頬を赤く染めている。しかしその頬に目線がいくと、痛々しげに血の少しにじんでいる絆創膏が目にとまる。由羅は細い眉をやや眉間に寄せ、楓の様子を探っていた。
 “紀咲”という人物が楓にとって何なのかと由羅はふと考えていた。あの凛音が消えそうになった時に何故、その名前が楓の口からこぼれ落ちたのか……由羅がいくら考えても分からないが、ただ一つ言えるのだとしたらーー紀咲がもうこの世には存在しないーーという決定的な事実だけだった。それ以上の事を知るには楓に聞かなくてはならないが、由羅にはそんな事が出来ないであろう。楓の心の内が分からなすぎて、由羅はつい深いため息をもらす。

——自分の事も何一つ満足に話せていないのに——

「マスター、考え事ですか? ……私に出来ることがあったら言って下さいね」

 楓は食べ終わった食器を重ねながら、心配そうに由羅の顔を窺う。楓の声で自分自身に飲み込まれていた由羅は現実へと呼び戻される。視線を上げた由羅の瞳と楓の瞳が合う。しかし楓は何故か一瞬だけで顔を背け、皿を急いで片付けだす。由羅はその様子を不信に思いながら、皿を台所へと運んでいく楓を呼び止める。

「楓待って。知りたいんでしょ? あの時俺が言いかけた事を……」

 由羅は全てを見透かしたような口調になり、椅子から立ち上がる。呼び止められた楓は少し目を伏せながら振り返る。由羅はそのまま綺麗に磨かれた窓へと近づく。外はもう真っ暗で所々に輝く光が何故か眩しく感じられた。それを見ているのが辛いかのようにバサァッとオレンジ色のカーテンを閉める。

「…………どうして私にマスター自身の過去を話すんですか?」

 楓は台所へは行かずにテーブルへと戻って来ると、音をたてないように静かに食器を置く。楓は少し、けねんそうな表情を浮かべながら由羅をじとっと見つめる。由羅はちらりと一瞬だけ顔を楓の方へ向けてる。

「……知っておいて欲しいから。俺にとって一番身近な人には聞いてもらいたいんだ。」

 由羅は強張っている楓をよそに困ったように微笑む。そして直ぐに視線をネオンの世界を閉ざしたカーテンを見つめる。

「さっきも話したように俺は騎士の一族で、それは俺自身が七歳の時のあの日をむかえるまでは変わらない事実だった。なんかさ、運命が変わっちゃったんだ……もしかしたら誰かの運命と変わっちゃったのかもしれない。俺は主と騎士のどちらになるのかを発表される日に“主”となったんだ。」

 由羅は振り返りざまに、呆然としている楓に信じられないよな、と言う風に苦笑いをする。楓の事を知らない由羅にとってはその沈黙が何を意味するのかなんて理解出来るはずがなかった……あの日の記憶さえ埋もれているのに。“思い出してほしい”そう願っているのに何故か“思い出さないでほしい”と願っている矛盾している自分がいる事も楓には分かっていた。はっきりとした答えが出来ないのはもどかしさと後味の悪さが残る。楓は包帯がぐるぐるに巻かれている右手を上げ、苦しそうに自分の胸倉を掴む。

——そのくらいで全てが知れた訳じゃない——

「……そう、だったんです、か。マスターも大変だったんですね。あっ!! 私そろそろ食器洗いますね。早くしないと汚れ落ちなくなりますし……」

 楓はあからさまに動揺しているのがばればれだったが、必死に隠すように椅子からすくっと立ち上がり、背もたれにかけていたチェックの紫色のシンプルなエプロンを手に取る。由羅は大した反応を見せない楓を予想していたのか、本の少しだけ寂しそうに顔を俯ける。楓はまた遠くに行ってしまう……あの時の事を覚えている“楓が何なのか”を知っていると言ったらどうするかと由羅は思う。でも自分から言ってしまえば意味がなかった。ただあの初めて逢った時の楓からは純粋さしか感じなかったが、今は楓を捕らえている漆黒の闇が見える気がした。

「楓もさ…………いつか過去の事話してね。全てとは言わないし、辛い事は話さなくていいから。ただ俺も楓の事知りたいから」

 由羅は優しく目を細めながら微笑む。その笑顔が楓を傷つけているという事実も知らぬまま。