コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 第三章 途切れない導きの連鎖 (3) ( No.55 )
- 日時: 2011/06/14 21:34
- 名前: 黎 ◆YiJgnW8YCc (ID: NH7CSp9S)
雨が止み、温度が上がって発生した霧が周りの景色を覆ってしまい数メートル先は何も見えない。そんな中を花月は、前を早足で歩いて行ってしまう時雨を小走りで追いかける。花月は着物を着ているため足に裾が巻き付き走りにくそうだった。
「時雨、待って下さい。雨止みましたし……歩きましょうよ」
軽く息を切らした花月はらしくなく少し大きな声を出す。その声に反応したのか時雨は歩みをいきなり止め、顔を空の方へと上げ睨みつけるように見つめる。花月は時雨の数歩後ろで立ち止まると同じように顔を空へと向ける。
「血のような見事な暁色ですね……これから起こる事の前兆ですか?」
花月はふぅとため息をつくのと同時にそんな言葉をもらす。しかし最後のほうの声は小さく聞き取れなかった。
「……花月、帰ろう」
時雨は口を開くと花月の方に顔だけを向け、固く結ばれていた唇をほんの少し緩くする。花月がその言葉に反応したのと同時にピンクの桜の髪飾りが太陽の光を反射して赤く光る。
「ええ。明日は始めての高等部ですからね。」
花月はほんのりと笑みを浮かべる。時雨はまた黙って歩みを進める。しかしそれはさきほどとは違って、ゆっくりと一歩ずつ確実に歩いていた。花月はそれがどんな事を意味しているのかを理解すると嬉しそうに小走りし、時雨の横にちょこんと並んで歩いていった。
時雨と花月とは打って変わって楓と由羅の二人の空間には、穏やか過ぎるくらいの空気が流れていた。
「マスターどうしましょう!! 私服とか全然持ってないです。」
楓は唯一の荷物のトランクをいきなり開けると躊躇することもなく、真っ逆さまにひっくり返す。中からは明日から使う教科書がどさどさと床に落ち、床が埋めつくされていた。そしてほんの少しのスペースに、しわにならないようにきっきりと畳まれていた服がひらひらと床に着地する。楓は本当に困っているらしく、らしくないくらい慌てている。
由羅はしばらく驚いたように顔を引き攣らせて黙っていたが、何か気になるものが視界に入ったのか瞳は一点を見つめたまま動かない。そしてその気になるものの元へ歩いていくとそれを手にとる。
「何これ? ……写真?」
由羅の両手に収まっていたのは少しよれた額縁の中に仲良さそうに二人の少女と一人の少年が満面の笑みで写っている写真だった。 まじまじと見つめながら呟いた由羅の言葉に、異常過ぎるというくらいに楓は反応する。
「だ、だめ!!」
楓は服も気にせずに踏ん付け、必至に手を伸ばすと由羅の手の中の物を乱雑に奪う。
由羅はしばし拍子抜けしたような表情を浮かべていたが、あまりにもおかしい楓を眺めていると眉をしかめる。楓は両手で写真を掴み胸に当ててずっと瞳を閉じていた。心なしか顔から血の気が引いている気がする。由羅にとって楓の事も気になっていたがそれよりも気にかかる事があった。
——写真の中の楓が“眼帯”をしていなかった事——
写真の中にいた人物の内、一人は確実に楓だったのだ。七、八歳頃に撮ったようだったが、笑った顔は面影が伺えたのだ。二つの輝いた翡翠色の瞳は美しい弧を描いていた。今の楓とは全く違う少女が写っている様に錯覚してしまうのは、きっと醸し出しているオーラのせいなのだろう。写真の中の楓は幼いから当たり前なのかも知れないが“純粋さ”を強く感じられた。
「ごめん、見られたくない写真だったんだよな」
由羅はほんの少し苦笑いを浮かべながら楓を視界から外す。何故かは分からないがまともに楓を見る事ができなかったのだ。
「あ、いえ……私こそマスターに無礼な真似をしてしまって、ごめんさい」
楓は我にかえったのか、大袈裟なくらい頭を深々と下げる。由羅が次に楓を視界に入れた時は“由羅が見た事のある笑み”を顔に広げていた。由羅はいきなり立ち上がり、驚きの表情に変わった楓の顔を見下ろす。由羅は履いていたズボンごとくしゃくしゃと強くにぎりしめる。分かったのだ……幼き日の楓はどこにもいないのだと。たとえ取り戻したくても楓の心にまたはめ込まれる事はないのだ。由羅にとって今の楓が嫌なのではなく見ているのが辛いのだ。その眼帯は何を語っているのかさえ、知る事ができなかった。
「ごめん……本当にごめんなさい」
俯いていた由羅の瞳からきらきら光る物が落ち、オレンジ色のマットに小さな染みをつくる。
由羅は必至に消そうとしていた思い出を、思い出してしまったのだ。
——私は神風楓って言うんだけど貴方は?——
心のどこか片隅でいつも、もやもやと黒い固まりを作っていた物が消えていった。しかしそれと同時にこれ以上ないというくらいに胸が締め付けられる。過去の記憶が正しいとしたら……あの場の“掲示板”にいた楓は“主”のはずなのだから。
——運命が入れ替わった?——
もしかしたらという可能性を由羅は考えずにはいられなかった。しかし、そんな事が有るはずないと打ち消す。頭の中が次第に崩れて行くのが分かった。