コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.228 )
- 日時: 2012/02/19 00:13
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: krVR01Sc)
土我さんの横顔を見ながら、ふと思ったことがった。
「土我さんは…なんかその、そういう事情があるんですよね。カイコみたいな」
返事はなかった。そのかわり外を向いたまま、無言で俺の右手をとって何かを握らせてきた。ビー玉サイズの、少しずっしりとした重量のある石だった。表面はツヤツヤとしていて、ひんやりと冷たかった。暗くてよく分からないが、よく目を凝らして見ると綺麗な淡い桃色をしていた。
俺にそうしてきたことの意味がよく分からなくて、何だか過ぎた質問をしてしまって申し訳ない気持ちになってきた。
「すいません。何か俺、変なこと聞いちゃって。生意気でした。」
「ううん。」土我さんは遠くを眺めたまま答えた。「ただね、言葉にするとそれが本当になっちゃう気がして嫌なんだ。……そうだな、前に僕が話した人のことは覚えてる?」
「え、ええ。」
すると土我さんは優しい、でもどこか寂しさのある笑顔になった。
「そっか。じゃあその石、任史君にあげる。けっこう綺麗でしょ?好きな女の子にでもあげてよ。僕にはもう必要の無いものだから。」言いながら、よいしょ、と立ち上った。「そうだ、あの青服はさっき僕が随分やっつけといたから、しばらくは大人しいはず。だからしばらくは安心していいと思う。そうだな……あと達矢にはまだまだだな、って言っといて。それからカイコと仲良くしてあげてね。カイコ、そろそろ人に戻れると思うから。そしたらカイコにさ、ひよ子おいしいからおススメだよって言っといて。」
静かな口調でそう言い終わると、コートのボタンを一つずつゆっくりと締め始めた。古い物らしいそのコートからは、懐かしいような安心するような、そんな不思議な匂いがした。
「なんか……遺言みたいになってきましたけど(笑)」冗談めかして言うつもりだったのに、言ってる途中から本当にそうなんじゃないかという変な錯覚がよぎった。本殿の反対側の庭から差す月明かりの逆光が、やけに眩しい。
「あはは、遺言かぁ。」土我さんは無邪気に明るく笑った。「じゃあね、僕ちょっと用事が沢山で忙しいから。」
そう言うと靴を履いて神社の庭に降り、スタスタと足早に歩いて行ってしまった。背中を見送っていると、数メートル歩いたところで突然、まるで暗闇に吸い込まれるようにスッと土我さんの後ろ姿が消えた。
◇
朝。
目が覚めると、いつもは僕より早く起きているハツが珍しく隣でまだ寝ていた。
「……ハツ? あれ、居る、よねぇ……。」
何だか変な気分だ。ハツはちゃんと隣にいる。なのに、なのに誰かが居ないような気がするのだ。昨晩までは居たはずの、誰かが居ないような。
眠い目をこすって周りを見ると、不思議なことに僕とハツのお布団以外に普段は使わない布団が一枚出ていた。変に思って触ってみたけれど、中には何もなかった。しばらく部屋の中を見回してみたが、それ以外にいつもと変わったところは見られなかった。戸の隙間から差し込んでくる、細くて黄色い朝日がキラキラと眩しい。
最初から二人きりのはずなのに、なぜかその朝見た家の中は、やけにガランとしていて寂しかった。
まだ寝ているハツを置いて、僕はカイに薬を届けるべく仕度を始めた。顔を洗って、水瓶から一杯すくって飲んだ。冷たい水が、喉を気持ちよく滑り落ちていく。
カイの家に着いて、いつも通りにカイの名前を呼んでみたが、出てきたのはいつも通りに不機嫌そうにやつれた顔のカイのお母さんだった。
「あの……これ、カイに。お見舞いです。昨日、僕とハツとで町まで行って……え?」
突然に、カイのお母さんは僕の目の前で崩れるように倒れた。あんまりにも急で少し驚いて飛び退いてしまった。それから、よく見るとカイのお母さんは下を俯いたまま、枯れた喉を絞るような声で泣いていた。
「ど、どうしたんですか?あれ、僕変なこと言っちゃったかな……」
いつもむすっとしているだけのこの人が、急に泣き出すとびっくりと言うか、ちょっと引く。
どうしたものかと途方に暮れていると、嗚咽の中から途切れ途切れに言葉を紡ぐ声が聞こえた。
「カイは、」言いながら、カイのお母さんはゆっくりと立ち上がった。少しずつ平静を取り戻しているらしく、もうまぁまぁ聞ける声になっている。
一呼吸置いて、ゆっくりと喋り出した。
「一昨日の晩、死にました。」
「……え?」
—————— 時間が、止まったみたいだった。
◇
嘘だ。ウソだ。ウソに決まってる。
きっとしつこい僕を追い出したくて、そんな嘘をついたのだ。
堪えきれなくなって、大嘘を付くカイのお母さんをそのままに、僕は息の続く限り走り続けた。
何回か木の根で転んで足を擦りむいた。真っ赤な血が出た。痛かったけど痛くなかった。
途中、何か言いたげなお婆と出くわしたが、気にせず相手にしなかった。
息を切らしながら家に帰ると、もう昼だというのにまだハツは寝ていた。
「どうしたんだよハツ、もう昼だよ。」動揺を隠すように普通の声で言った。けれど存外に冷たい声が出てしまって、自分でもドキリとした。
ハツは返事をしない。相当ぐっすり眠ってしまっているのかと思って顔を覗き込むと、ハツは苦しそうな息をしていた。
「ハツ…?」
夏はもうとっくに過ぎたというのに、ハツの額は大粒の汗をかいていた。
よくハツの口元を見ると、声にならない声で必死になにか訴えていた。
みず、
みず、みず、
みず、が、のみたい
「水だね?! わかった今持ってくるから!」
それから、水をいっぱいに持ってきたけれど、ハツは水を飲むことができませんでした。
僕は諦めずに何度も何度もハツの口元へ水を運び、ハツも諦めずに何度も水を飲もうとするのですが、けれどそのたびに激しくむせ返って、結局一口もまともに飲めないのでした。
次の日の夜、ハツは水、水と言いながら死んでゆきました。
◇
カイもハツも一度に失った僕は、もう、生きる意味が分からなくなってしまいました。
———————— 何度、神様に祈ったのだろうか。
こんなに祈っているのに、こんなに苦しんでいるのに、こんなに悲しいのに。
どうして神様は助けてくれないのでしょうか。
僕は、神様に嫌われた子なのでしょうか。
けれど、きっと神様なんて本当は居ないのです。
昔、母親の居ないことを恨めしく思ったことがありました。
母親の居る、幸せそうな弥助をとても羨ましく思ったことがありました。
だって、悪いことをしても、悲しいことがあっても、お母さんは、全てを受け止めてくれる人みたいだったから。
なのに、僕にはその人が居ないから。
お母さんの居ない悲しみを、ハツと分け合うことしかできなかったから。
だからせめて、その代わりとは言わないけれど、神様にだけは愛されていたかった。
僕の罪を受け止めて、僕の悲しみを受け止めてくれて、僕のいいところも悪いところも、全部ぜんぶ受け止めてくれる。
そんな、母親のような存在は、神様にさえ認めてもらえない僕には、きっと最初っから手に入らないものだったのです。
なら、せめて、
もし、それで僕の罪が少しでも赦されるのなら、
「人柱は僕がやります。蚕を盗んだのも、村に疫を持ち込んだのも僕です。」
村の会議で、突然手を挙げてそう言い放った僕を見る、弥助やお婆、他のみんなのあの時の表情が、今でも忘れられません。
- Re: 小説カイコ ( No.229 )
- 日時: 2012/02/26 05:11
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: BoToiGlL)
冷たかった。
暗い、冷たい、水の中。
冷たさを感じる体はもう無いはずなのに、心の底まで迫るような冷たさだけが、自分を包んでいる。
何も感じナイ。
なにモ分かラナイ。
ナニモオモイダセナイ。
ここは暗い藍色の世界で、少し上から、細い光の柱が差し込んでくるらしかった。キラキラと温かいその光は、きっとさっきまで居た世界の名残なのだろう。
冷たい、水の中に一人。
その光は、どんどん遠ざかっていって、細くなっていって……やがて、見えなくなった。
少しずつ、ゆっくりと、下へ下へと落ちてゆく。
けれど何だか、とても心地よかった。
昏い世界には本当に何もない。音もしなければ匂いもない。そんな静寂は、もう僕があの光の世界へ戻れないことを自然と諭してきて、ただただ怖ろしい。
けれど、どうしてか、この暗闇はとても優しいものだった。
今は何も思い出せない僕だけれど、どうしてかあの光はあまり好きになれなかった。さっきまで居たらしいあの光の中に、帰りたいとはあまり思わない。
それに比べて、此処は優しい。
冷たい水の中を下へ下へと落ちていくだけでいい。何もしなくていい。無機質な暗い水が、ただただ僕を優しく包んでいてくれる。
きっと、これは、あの世界では手に入らなかったものだ。
それが何なのかやっぱり思い出せないけど、ずっと欲しかったものだ。これが、ずっと心の中で求めて止まなかったもの。
それから、僕は考えることを止めた。
止めた、というのは少し違うかもしれない。考えられなくなったのだ。
“僕”として存在していたものが、だんだんと周りの暗闇に溶けていく。きっと最後には、僕と他を区切っていた境界は無くなって、僕は暗闇の一部になるのだろう。
“ジブン”が無くなっていく感覚は、ただただ心地が良かった。
永遠に続くような、この安心感は一体なんなのだろう?
でも、これでいいんだ。
これでいい。
これがいいよ、おかあさん。
———————————————————————————————————————
それから、どのくらい経ったのだろう。
とても長い時間だった気がするし、とても短い時間だった気もする。
いきなり、焼けつくような白い光がさしたのだ。
その一瞬で、僕の、僕だけの理想郷は消え去ってしまった。あの、冷たくて優しくて、大好きな暗闇はもうない。
気が付けば、周りは純白の光の世界。
僕の目の前には、綺麗な女の人が一人、立っていた。
長い黒髪は腰まであって、目は人間離れした綺麗な若草色をしている。優しい曲線を描く唇は、何かみずみずしい果実を連想させる桃色で、着ている服は雪のような白色だ。
そんな綺麗な人なのに、僕はこの人に敵意しか覚えなかった。どうして、どうしてこの人は僕の大好きな、あの暗い世界を奪ってしまったのか。
「あなたは…誰ですか。」声は出なかったけれど、僕はほぼ無意識にそう問いかけていた。
「あなたが殺した者ですよ。」透き通るような綺麗な声で、その人はそう答えた。
「……僕が?」殺した、という言葉に身震いを感じた。
「ええ。」ゆっくりと、優しい表情のまま頷く。「そうですね、村では蟲神、と呼ばれておりました。」
蟲神、その言葉を聞いた瞬間、パン、と自分の中で何かが弾ける音がした。
一瞬のうちに、今まで色の無かった僕の心の中に、うるさいくらいに鮮やかな色が戻った。あの世界で起こったこと、僕が犯してしまった罪、僕のずっと欲しかったもの、僕の好きだったひと、僕の死の瞬間。
全てすべて。忘れてしまっていて、忘れてしまっていたかったこと。忘れていれば永遠と優しい暗闇の中で居れたこと。
「思い出しましたか?」少し、心配するような表情で再び女の人が口を開いた。
「あんたが、あんたが蟲神!」反射的に噛みつくように叫んだ。「あなたのせいで!あなたをずっと信じていたのに!」
「ありがとうございます。」蟲神は笑顔になった。「ありがとう、私を信じていてくれて。とても嬉しいです。」
「信じない!」心の底の、真っ黒でドロドロとしたところから溢れ出てくる怒りと憤り。全てぶつけてそう叫んだ。「信じるものか!助けてくれない神など信じるものか!お前なんて居ないんだ、存在しないんだ、消えてしまえ、そうだ、消えてしまえばいい!!お前なんて消えろ!」
すると、蟲神は優しい笑顔のまま、残念そうに、少しだけ哀しそうに俯いた。
「ごめんなさい。どうすることもできなかったのです。けれど神は、神という存在は、人を助ける事などできぬものなのですよ。
人が、私たちが救ってくれると思うのは、人が神を信じているからなのです。神様なら助けてくれる、許してくれる……そのような人の、私たちを想う心が、周り廻ってその人自身の心を救っているのに過ぎないのです。
たとえ貧しくとも苦しくとも飢えていようとも。頑張って生きていれば、神様はちゃんと自分を見ていてくれる、きっといつの日か自分たちに褒美をくれるに違いない……そう考えることができれば、苦しみの満ちた世界でも人は生きていくことができるでしょう?そうやって人は、神を信じることで自分自身を救っているのです。
賢い太一よ、もうお分かりでしょう。そう、私たち神というものは最初から何もできぬ、無力な存在なのです。
けれど私は嬉しい。太一が、それでもなお私を信じていてくれてとても嬉しく思います。」
「信じない信じないしんじない!」僕は蟲神から逃げるように言った。「お前なんて信じない、消えてしまえ!」
すると、蟲神の、指先や足の先、艶やかな黒い髪の先が、うっすらと透け始めた。
「ああ、哀しや。」蟲神が自身の消えてゆく身体を眺めながら言った。「私を信じる者はどこにも居なくなってしまった。嗚呼、哀しや、哀しや。」
だんだんと、蟲神を蝕んでいく透明は、広がっていくようだった。
その様子を、太一はただ茫然とした目で見ていた。
「けれども、わたくしは嬉しいのですよ。」消えゆく体で、蟲神は優しく告げた。「信じる者が居なくなった神は、もう神としては存在できません。だから私はこうして消えていく。太一よ、あなたは私を殺した。」
「……消えろ、はやく消えろ。」擦れたように、太一はそう言った。
「ええ、もうすぐ消えましょう。」蟲神はゆっくりと若草色に輝く瞳を閉じた。「けれど可哀想な太一よ。わたくしはこれで神としての役目を終え、今まで背負っていた神としての、人に叶わぬ期待をされる苦しみから逃れることができる。わたくしは嬉しい。けれど、可哀想な太一よ。」
「次は、あなたがその苦しみを負う番なのですよ。」
そう、最期に囁くと、そこにはもう、蟲神の姿は無かった。
消えたのだ。蟲神は死んでしまったのだ。
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それから気が付けば、僕はあの、真っ暗でも真っ白でもない、色多きあの世界に戻っていた。
どうやら僕は生きた体を取り戻したらしい。けれど、人の体ではない。どうしたことか蚕の身体であった。
沢山の人と、神を殺した僕に下された罰。
どんな罰なのか、誰から教えられた訳でもないが、何となくやるべきことは分かっていた。
今まで蟲神が背負っていた苦しみ、それを蟲神亡き今、僕が受け継ぐこと。
それは、どうせ叶わぬ人の、願いを少しでも叶えてやること。
そうやって少しでも、人の心を救ってやること。
どうやってやればいいのか、今の僕には見当も付かないけれど、時間は有り余るほどある。ゆっくりと、この罰を味わっていこう。
その晩、蚕の身体で、僕は糸を作った。絹糸だ。
自分の身体を絞るようにして作る絹糸は、綺麗だった。
人だった頃は分からなかったけれど、蚕はこんなに苦しんで糸を作っていたのだ。
僕は決めた。
僕が駄目にしてしまった蚕の数だけ、その蚕が作るはずだった糸の量だけ、僕の罰が終わるまで作り続けていこう。
どうしてかそうすることで、僕は少しでも許される気がしたのだ。
許してくれる対象さえ思い浮かばないけれど、そんな気がしたのだ。