コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 小説カイコ ( No.260 )
- 日時: 2012/08/25 21:54
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: rOrGMTNP)
◇第四話 昨日の消しゴム編◇
何もない高原に、一本だけ独りで、立派な楡の木が生えていた。
楡の木が、下を見ると、沢山の小さな蟻が、行列をつくっていた。
楡の木は言った。
仲間が沢山居ていいね、独りぼっちじゃなくていいね、と。
すると蟻は可笑しそうに笑って答えるのだった。
僕らはみんな独りぼっちさ。それにこんなに仲間がいると、こんなに居るのに誰一人として分かり合えないことがはっきりと分かってしまう。余計に独りぼっちなことに気付かされて虚しいだけさ、と。
それでも楡の木は羨ましがった。
仲間が居ていいな、楽しそうでいいな。
だって僕は、小鳥さえ寄りついてくれない樹なのだから。
◇
青鬼の黒い血を全て飲み終わると、もう既に夜が明け始めていた。
随分と断末魔の煩い鬼だった。もう昔、まだ僕も彼も人だった頃の面影が少しも残らない鬼に少し失望した。きっと僕もこんなふうなんだろうな、と。
水面に映る自分の姿を見ると、灰色だった髪が黒色に戻っていた。少しびっくりした。あの鬼の血に、なにか不思議な効能でもあったらしい。
でもまぁ、ギーゼラは黒髪が好きだからこれでもいいかと思った。
朝焼けに消えていく白銀の月を眺めて思った。
たぶん、心というものは、洞窟のようなものなんだろうなと。
暗く、どこまで続いているのか、はたまた果てがあるのか分からない洞窟。その洞窟をふと見上げると、天井に穴が開いている。
天井の穴からは眩しい陽の光が差し込んでいて、澄みきった青い空なんかも見えるのだ。
ちょうど、マンホールの中に落っこちたら、こんな風に見えるのだろう。
心の底を覗いては絶対にいけない、そう主に教えられて僕は育った。
人は生きている間は、上を向いて、洞窟の穴をずっと見続けていなければいけない、と。さもないと、暗い洞窟のなかで永遠の迷子になってしまうから。
洞窟の穴は、世界と通じる穴なのだ。
独りぼっちの心が、唯一、他と通じられる穴。
それは、例えば視覚だったり聴覚だったり嗅覚だったり。
目は心の窓、と言われるのもこういうことなのだろう。
僕らが世界だと思っているものは、僕らの感覚神経と脳が創り出し、僕らに見せている世界だ。だから、同じものを見ても、人それぞれによって見え方はまるで違う。
それで多分、命の火が消えるということは、洞窟の穴が塞がってしまうことなのだろう。
死んだらもちろん、肉体は死ぬから、何も見えないし、何も聞こえないし、何も感じられないだろう。それは、今まで見ていた世界を失うということ。すなわち、洞窟の穴が塞がってしまうということ。
それは、果ての無い、暗い、洞窟への旅を始めるということ。
千年前に恋した、あの人も、きっと今頃楽しい旅の最中なのだろう。
だって、少し浮世離れした彼女は、一人が本当に好きだったから。
————————————————————————————————————————————
飛行機に乗って数時間。
青い空には大きな雲がいくつか出ている。ここは、ドイツ、ベルリン空港。
国籍が無いのでパスポートも無い。飛行機に乗るだけで一苦労だ。
まぁ、あの手この手でどうにかなってしまったが。
それに取得しようにも、生年年号の選択が明治、大正、昭和、平成の四つしか無いんだからふて腐れてしまう。どうせこんな爺さんで海外に行きたいのは僕だけだろう。
ベルリンからさらに南に移動すること数時間。目的地はレーゲンスブルグ。ギーゼラの住む街だ。
ギーゼラとは終戦後一回も会っていない。すなわち七十年近く会っていないことになる。本当に時間が過ぎるのは早い。
最後に見た彼女は二十歳前だったが……今は生きているのかどうかも分からない。でも彼女はれっきとした魔女だし、きっとまだ生きているだろう。
ギーゼラと知り合ったのは第二次世界大戦前。その頃、僕は満州に居た。なぜかって、大陸に行ってみたいとずっと前から思っていたから。
鬼である僕は、それまで海神のせいで海を渡ることができなかった。けれど、鉄でできた、油で動く船が沢山行き交うようになってからは、海神の力がぐんと弱まったようで、こんな僕のような者でも簡単に海を渡ることができるようになっていたのだった。
満州に渡ってから数か月が過ぎると、ひょんなことで軍部の高官と仲良くなってしまった。彼が言うには、今から独逸国に行くのでお前にも付いて来て欲しい、多分面白いものも見れるだろう、世界が広がるだろう、とのことだった。独逸国、現在のドイツである。暇人な僕はもちろん彼の誘いに乗った。それから死ぬほど頑張って一か月でどうにかドイツ語をマスターした。
まぁその後に色々とあったのだが、結果的にギーゼラとそこで知り合った。
二十歳前の彼女は、とても綺麗だった。黄金色の、少しカールした豪華な長い髪と、宝石のような深く青い瞳を持った少女だった。
そんな彼女は、不思議なことに、地味としかいいようの無い僕を何度も食事に誘って来たのだ。僕は食事はあまり好きではないのだが、何せ暇だったし、綺麗なギーゼラが誘うので毎回お誘いには乗った。後で聞いたのだが、当時女性が男性に、しかも東の端っこのちっぽけな島国の男を食事を誘うなんて奇跡に近いことだったらしい。
ある日僕は、なんで僕みたいな地味でお金もロクに持ってない日本人を何度も食事に誘ってくれるのかとギーゼラに聞いてみた。するとギーゼラはフォークを持っていた手を休めて、囁くような小さい声で問いに答えたのだった。
「なぜかって、あなたが人じゃないからよ。」
唖然とする僕を綺麗な色の瞳で見ながら、ギーゼラは朗らかに笑った。
「そんな……僕は人間だよ。」
「いいえ、私にはわかる。あなた人じゃないでしょ。いいのよ、隠さなくても。」得意げにギーゼラがニヤリと笑った。「安心して、私も普通の人間じゃないから。実はね、私、魔女なのよ。」
……あの時の驚きは、今でも昨日のことのように鮮明に思い出せる。
- Re: 小説カイコ ( No.261 )
- 日時: 2012/05/19 01:19
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: ijs3cMZX)
- 参照: ドッペルゲンガー、略して土我(ドガ)。
……あれから数十年近くが過ぎた。
今、歩いているレーゲンスブルグの街は、日本のそれとはやはり大きく違う。都市化と伝統保存のバランスがいい具合に取れた、どこの風景を切り取っても絵になる感じだ。
レーゲン川とドナウ川の水運により遥か昔から栄えて来たらしいこの街。老後の住まいをここに選んだギーゼラは本当に趣味がいい。
土我はそれから、おそらく初めて歩くであろう道を迷うことなく進んでいった。地図も見ずに、ただただ己の足先が向かう方向へと任せていく。
やがて一軒の、こじんまりとした邸宅に辿り着く。飴色のレンガでできた家で、洒落た小窓がその壁面を飾っている。蔦のいい具合に絡みついた門は童話に出てきそうな丸みを帯びたもので、その向こう側に大きな庭が見えた。庭の中央には小さな池なんかもあって、今が季節なのか大きな白いバラがいくつも咲いていた。白、ギーゼラがよく着ていた色だ。
思わずふっと笑みが浮かぶ。彼女は未だ元気なようだ。
そっと門に触れてみると、指先が付くか否かのうちに、風も無いのに扉が内側へとすーっと動いた。ふと門柱を見上げると、凝った装飾の中に、紛れるようにルーン文字で一文掘ってあった。" 来る者を拒まず "。きっと僕も入って良い、という意味なのだろう。
緑の茂る大きな庭を奥へ奥へと進んでいった。目に付くバラの白が、頭上から降り注ぐ陽の光に殊更輝いて見えた。
果たして彼女はそこに居た。
後ろ姿だけで分かる。けれど、もうだいぶ変わってしまっていた。腰が随分曲がって、僕の知っているギーゼラより一回りも二回りも小さい。金色だった長い髪も今では色が抜けて、短い白髪となっていた。
それでも、彼女から発せられる明るく優しい雰囲気だけは変わらず感じられた。綺麗に年を取ったな、純粋にそう思った。
少し悪戯をして、びっくりさせてみたくなった。
「Guten Tag, Frau Gisela ?」
割と大きな声で呼び掛けたつもりだった。が、ギーゼラは特別驚いた様子も無く、ゆっくりとこちらへ振り返った。
「久しぶりね、土我。来てくれるって、分かってたわ。」
そう言ってギーゼラは昔と何ら変わらない笑顔を見せてくれた。顔には皺が増えていて、随分老けて見えた。普通のおばあちゃんである。
「なあんだ、知ってたのかよ。」
そう言うと、ギーゼラは得意げに笑った。そしてお茶でもどうぞ、といつの間にか庭に出ていた白いテーブルと椅子に、座るよう勧めてきた。
「あれ?髪染めたの?灰色だったわよねぇ。」
「うん。ギーゼラ黒髪の方が好きかな、って思ってせっかくだから染めてみたの。」まさか鬼の血液でこうなりました、だなんて言えない。「でも驚いたな、どうして僕が来るって分かったの。」
木の葉の間から漏れる陽の光が眩しくて目を細めた。何かの小鳥が絶えずさえずっている。
「タロットよ。」ギーゼラが紅茶のポットとカップ二つ、それに細やかな装飾がなされた小皿を次々にテーブルの上に並べながら言った。「孫に教えてもらったの。試しにやってみたら案外楽しくってね。」
「Danke.……でもギーゼラったら前までタロットは邪道よ!とか怖い顔して言ってたじゃない。」
「Nichts zu danken〜 前って、あなたねぇ。何十年前の話よ。」小皿においしそうなフツーツケーキがちょこんと置かれた。「まぁ、あなたにとっては数十年なんてそんなものでしょうね。そうね、そういえばそんなこと言ったかもしれない。だってあれはラテン人の魔術だし。私には向いてないと思ったのよ。第一、バイエルンの誇りとしてもルーン以外には手を出したくなかったし。でもねぇ、年を取ると人間、随分寛大になっちゃうもんなのよ。」
「ほほぅ。そうかい。」
さっそくケーキにフォークを滑らせる。口に含むと当然、味なんて感じられなかったけど、それでもおいしいケーキなのだということは十分に分かった。
「で、面白半分にやってたらね、これが出たのよ。正位置にね。」
言いながら、ギーゼラは僕の目の前で一枚のカードをひらひらと振った。普通のタロットカードの……【 Death 】、つまり死神のカードだった。
「……ひどいな。僕は死神かよ。」冗談半分に笑うと、ギーゼラはそうね、と優しく笑った。
「覚えてるでしょう?あなたが満州に帰る夜のこと。フランクと張とあなたと私と四人で、約束したじゃない。もう一度生きて会おうって。」
「もちろん。それでこうやって約束を果たしに来たんだから。」
「ええ、あのあと張はすぐに会いに来てくれたわよ。でもあなたは待てども待てども来てくれなかった。でも私は魔女よ。知ってると思うけど魔女は契約に一番忠実な生き物なの。あの夜、“生きて”会おう、って言っちゃったもんだからねぇ、私は今日の今日まで死ねなかったのよ。どう?もうお分かりかしら?」
そう言い終わると、ギーゼラはポットを傾けて、二人分のカップに紅茶を注いでくれた。赤茶色の香ばしい匂いがふんわりと広がった。
「ああ、それはつまり……」また、友を一人失うのか。「僕、会いに来てよかったね。」
「ええ。これでやっと、フランクに会える。」ギーゼラはうっとりと瞳を閉じた。カップを口元まで運び、けれど口には含まずに、香りだけ楽しんでいるようだった。「そうだ、張は元気なの?日本と中国って、近いんでしょう。」
「いや、あそこは龍王の力が強すぎる。近くても僕の魔法じゃ何もできないよ。けど、張も随分昔に亡くなってる。逆に知らなかったんだね。でも、いいなぁ。フランクも張も、それからギーゼラも。僕だけハブで、これからみんなで楽しく過ごせるね。」
「ええ、そうね。でも私たち待ってるわよ、あなたがこっちに来ること。それに、私に会いに来たのはそういう意味なのでしょう?」
再びギーゼラがまぶたを開けた。僕を魅了して止まなかった、海のような、宝石のような、それでいて人の温かさも持ったブルーの瞳。もう二度と見ることができないのだと思うと、やっぱり寂しかった。
「うーん、半分正解で半分不正解。確かに僕はそっちに行きたいよ、でも。」少しだけ、言葉に迷った。「僕の好きな人は、そっちには居ないから。たぶん、もう二度と僕はみんなと会えないと思う。そのくらい手強い相手とこれから戦うから。勝っても負けても、そちらに行ける資格なんて僕には与えられないから。そのお別れの意味も込めてギーゼラに会いに来たんだけど……僕自身がギーゼラの死神なんじゃ、もう笑うしかないよね。」
よいしょ、と席を立った。そろそろお別れの時間だ。
「さようなら、ギーゼラ。実を言うとね、僕、君の事けっこう本気で好きだった。」
「まぁ今さら愛の告白ぅ?照れるわね。けど、好きだったって、“二番目に”でしょう?」クスクスと悪戯っぽく笑う。「私も土我のことかなり本気で好きだったわよ、二番目に。」
「なぁーんだ、二番目かぁ。」ガッカリして肩を落として見せると、ギーゼラが おあいこよ、と微笑んだ。
それから、軽く手を振りあってから庭を後にした。庭中に咲いていた白い大きなバラは、すべて黄色のバラになっていた。
黄色いバラ、確か、花言葉は「無事を祈る」「嫉妬」「薄れゆく愛」「美」「あなたを愛しています」……沢山あったはずだ。でもまぁたぶん、ギーゼラのことだから花言葉なんて全然気にしてないだろう。けれど、やはり黄色のバラというのは意味深だ。とりあえずいい意味で受け取っておこう。
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土我の後姿が完全に見えなくなると、ギーゼラは少し向こうのバラの茂みに話し掛けた。
「土我、もう出てきていいわよ。あなたのドッペルゲンガーは居なくなったわ。」
するとバラの茂みがごそごそと揺さぶられた。痛っ! と声がしてそこから出てきたのは、今さっき庭を後にしていったはずの土我だった。
いや、一点だけ違う。髪の色が灰色なのだ。黒色ではない。
「はー、危ないところだった。」土我がバラの棘を払いながら言った。「何アレ、僕なの?気味悪いなぁ。」
「ふふふ、どっちが本物の土我なんでしょうねぇ。」ギーゼラがフルーツケーキをもう一つ新しく出しながら笑った。「ほんっと、面白い人ね、あなた。飽きないわ。」
「ん、ありがと。」土我が紅茶も待たずにケーキを口へと運んだ。もちろん味は感じられない。「そうだな、たぶん両方とも本物の僕だよ。で、さっきアイツが言ってた“これから戦う手強い相手”ってのはたぶん僕のことだろうなぁ。あーあ、でも黒髪いいなぁ、毛根年齢じゃ絶対あっちの方が勝ってるって。」
「ま、頑張りなさいよ。私はお空からフランクと張と見物してるから。最後にこれくらいはいいわよね、七十年ぶりに。」
そう言うと、ギーゼラは腰をかがめてケーキを食べていた土我に、少し背伸びをして口づけた。唇が、ほのかに、自分の作ったケーキの甘い味がした。
- Re: 小説カイコ ( No.262 )
- 日時: 2012/05/25 19:50
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: BoToiGlL)
- 参照: しばらく高橋たちの話に戻りますー(゜ω゜)
◇
冬の足音が着実に近づきつつある十一月半ば。今日はみんなお疲れモードの金曜日。
夏から急に秋をすっ飛ばしたように気温は下がり、朝なんかは息が白くなったりしていた。少し前までは教室中ワイシャツの白色しかなかったのに、今はもう学ランとブレザーの黒色で埋まっている。
こんにちは、どうも高橋です。
ついに冬がやって来たのだ。しかも運の悪いことに、この前の席替えで俺は窓側の一番前の席に当たってしまった。立てつけの悪い窓からは冷気がヒューヒューと遠慮なく入って来て、クソ寒い。さらに一番前の席なので授業中よく先生に指される。安心して授業が受けられない。
それだけではない。どうやら三月の大地震のおかげで校舎が歪んでしまったらしく、教室の引き戸がきちんと最後まで閉まらないのだ。よって、窓から忍び込んだ冷気は俺の首筋をひやりと舐めた後、そのまま流れるように廊下へと抜けていく。……まったく伝統校とは名ばかりで、ただの金の無いボロ公立だ。
「おい、高橋聞いてんのか。」
そんな具合で心の中で文句をぷつぷつと念じていたら、いつの間にか目の前に先生がプリントの大束をいくつも持ってドーンと立っていた。この人は数学の先生で、数村先生という。名字がカズムラで、数学の先生ときたもんだからよく生徒の間ではネタにされている。ちなみに 数っち とかいうふざけたあだ名も付いているほどだ。
そしてその大束の中から、何束か器用に取り出すと、俺にずいっと押し付けてきた。どうやら後ろの席にも回せ、ということらしい。
「え、あ、すいません。これ宿題ですか。」
「そうだ、期限は土日挟んで月曜日。みんな聞いてたな?」今度は教室中に向かってそう言った。
「え、この量を?二日で?」手に持った紙束は、けっこうな重量がある。
「なんだ、文句あんのか。」数村が脅すように言った。「言っとくが去年もその去年もそのまた去年も、ずっと俺はこの宿題は出してきた。ちなみにな、現役で東大受かった先輩はみんなこれちゃんと提出した奴ばっかだぞ。」
そう数村は偉そうに言い放つと、得意げに鼻を鳴らした。
クラス中から「えー」とか「うー」とか非難の声が上がったが、ちょうどよく授業終了のチャイムが鳴ったので数村はそのままドカドカと教室から出て行ってしまった。
そのままションボリと一日は終わり、荷物をエナメルに詰め込んで部室へと向かった。教室を出るとき、今井と荒木が「数っち暗殺計画!今こそ絶対王政を倒す時機だ!」とかふざけて騒いでいるのが聞こえた。できれば本当にそうして頂きたいところである。廊下を出ると、ロッカーの前で杏ちゃんと川口さんが教室の窓越しに今井たちを楽しそうに見物していた。杏ちゃんが俺に気付くと、「高橋君バイバイ」と手を振ってくれた。赤面。
部室のドアをノックすると、中からはーい、と落ち込んだ声が聞こえた。中に入ると、ほっしー以外の一年全員と、佐藤先輩と張先輩も揃っていた。もう四時半だし薄暗いのに、なぜか部屋の電気は付いていなかった。
「どうしたの、電気も付けないで。」パチッ、と電気のスイッチに手を伸ばすと、落ち込んだみんなの顔が見えた。「うっわ、ひどい顔。ガチでどうしたんだよ。」
「どうしたも何もー、数っちだよー。」小久保がはぁ、とため息を付きながら言った。「俺ら明日駅伝なのに……ひどすぎる……。」
「ああ、そっか。そういえば明日駅伝だったね。頑張って。」
「うっわ、高橋って案外薄情な奴!」飯塚が不満げに言った。「まぁいいさ、高橋も明日一日潰れるわけだし。そういえば、先輩たちも去年この時期に数っちから宿題出たんですか?」
「うん、そうだったね。」佐藤先輩が頷いた。「あれだよ、数っちは昔から第二金曜日に宿題出すし、駅伝も昔から第二土曜日に開催されてるしで長距離と中距離は毎年苦しむ伝統らしいから(笑)」
「懐かしいな、金子ん家で勉強合宿やったよな。」張先輩が大きく伸びをしながら言った。「お前らもやったら?駅伝終わってすぐやり始めないと冗談抜きで終わんないぜ。」
「あー、そういえばテニス部は男女合同で合宿やるって言ってました。」鈴木が携帯をつつきながら呟いた。
「ナニ!?男女合同だと!どこでだ!」
「落ちつけよ飯塚、確か荒木の家だったけね。アイツ確か高橋と同じクラスだよな、邸宅らしいぞ。」
飯塚が頭を抱えた。「あぁ……、じゃあ俺の麗しの川口さんもその荒木とやらの家で……。」
すると佐藤先輩が大笑いし出した。「大丈夫だって、数っちの鬼畜問題のおかげでそんな色っぽいことになる余裕無いから。それに、男女合同だったら俺らも去年やったし。さっき立人が言ってたでしょ、みんなで涼佳の家に泊まったって。」
「まぁ、佐藤と金子がイチャイチャとリア充すぎて俺は途中から爆発すればいいのにと思ってたけどな。」張先輩が皮肉っぽく付け加えた。
「えぇぇ!立人ったらそんな事思ってたの!?」
「俺だけじゃない、あそこに居た全員そう思ってた。」
「えぇぇーー!!」
そんな先輩たちの会話に紛れて、小久保が小さな声で「リア充死ねばいいのにー。」と制汗剤を首元に付けながら呟いていたのが聞こえた。